大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年07月19日 | 祭り

<1049> 風鎮祭の千燈明に思う

         風鎮祭 継ぎ来て今に あるこころ

 十九日の夕、斑鳩の里の龍田神社で、五穀豊穣と無病息災等を祈願する風鎮祭の千燈明が行なわれ、これに合わせて近隣の人たちによる夏祭りの盆踊りが催された。千燈明は、種油が入れられた直径八センチほどの白いかわらけに、安堵町の伝統工芸の燈芯が入れられ、これに次々と奉納の灯が点された。この祈願の燈明は数段の長い棚に並べられ、神前の浄闇をほのかに照らし彩った。

 夏祭りの盆踊りは戦争で中止になっていた千燈明が復活したのに合わせて行なわれるようになり、今年で十二回を数えるという。地元の青年団が中心に開いているもので、境内の中央に櫓が組まれ、その櫓を囲んで踊り手が輪になり河内音頭などに合わせて踊った。今日から夏休みとあって、子供連れの姿が多く見られ、夜店も出てにぎわった。

        

 龍田神社は三郷町に鎮座する龍田大社の勧請によって生まれた新宮と言われ、天御柱と国御柱の二神を主祭神とする風神で知られる。龍田大社でも七月のはじめに手筒花火による風鎮祭が行なわれるが、この祭りはこの風神に災いのないことなどを祈願して行なわれるものである。

 奈良盆地は年間降水量の少ない瀬戸内気侯帯に属し、昔から旱魃の被害に悩まされて来た。一方、地形的に盆地の水が中央を東西に流れる大和川に集中するため、雨が続くとすぐ洪水を引き起こすという風土性にあって、『日本書紀』によると、農業に力を入れた第十代崇神天皇のとき大和川の左岸に水を司る広瀬の神を祀り、右岸に風を司る龍田の神を祀って、飢饉が起きないように祈願した。

 龍田の神の始まりはこの崇神天皇によるとされるが、時代が下って第四十代の天武天皇も、この広瀬と龍田の神への信仰が篤く、祈願を絶やさなかったことが『日本書紀』には記されている。これは、いわゆる、奈良盆地の地形と気象による風土性によるところで、地元におけるこのささやかな祭りも、『日本書紀』から言えば、この風土性に基づくもので、遥かに遠い三、四世紀に遡る龍田の神につながることが思われる。祭りを楽しんでいる人たちを見ていると、これはやはり歴史のある大和の一面だと思えて来る。 写真は左から祭りでにぎわう龍田神社、神前での千燈明、櫓を組んで行なわれる盆踊り。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿