大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年04月23日 | 祭り

<599> 當麻山口神社の御田植祭

        岳よりの 風やわらかな 春季祭

 二十三日、葛城市染野の當麻山口神社で、春季例祭の祈念祭と慰霊祭に合わせ、御田植祭が行なわれた。葛城市の伝統行事であるゴミを拾いながらニ上山に登る「岳登り」の帰りに立ち寄った子供たちも見物する中、牛の面を被った所作役が登場し、暴れ出すと子供たちは大喜びだった。その後、松葉(若松)を苗に見立てた田植えの所作が行なわれ、最後に餅撒きがあった。

                                                        

 大和にはおんだ祭りの御田植祭が極めて多いが、平野部での祭りで言えば、當麻山口神社の祭りは遅く、殿に近い。ここ二年ほど、集中的にこの御田植祭に顔を出し、八割方は拝見しているが、これまで見て来た結果から言えば、おんだ祭りの御田植祭には幾つかの共通点がある。

 一つには祈願祭であること、また、一つには五穀豊穣による子孫繁栄を願うこと、そんな中で、今日も話に出たが、昔は在所に神職もお坊さんもいて祭りでも葬儀でも在所の自力でやっていた。だが、今は神職もどこからか呼び寄せているのだろう。それも、お呼びがかかったときに神職をして、普段は会社勤めか何かをやっているのではないかという。

 そういうケースもあり得るご時世であるのは、神職にお願いする祭りの主催者である地元農家を中心とする氏子の方にも言えることで、農業だけではやって行けず、普段は勤めに出ているといった具合である。そして、加えるところ、祭りをやっている人々に高齢者が多いという共通点がある。

 祭りのような行事は、しきたりというものが重要で、老若が混じって、年寄りから若者にそのしきたりを引き継いで行かなくてはならないが、後継者不足の昨今の事情は厳しく、果たして祭りが継続されて行けるかどうかということが懸念として表面化して来ているところがうかがえる。

 変化や変質というのはいつの時代にも大なり小なりあるものであるが、西欧化、もしくはグローバル化による昨今の影響は甚だしく、これは技術の面だけでなく、ものの考え方、つまりは、精神というものにも大きく影響するところとなっている。そして、私たちの世代は少なからずこの変化に不安を覚えていると言ってよい。在所に結集の力がなくなり、個々がばらばらになってしまうというような点にもこのことは言える。言わば、この状況が、このおんだ祭りの御田植祭などの古来よりの祭りに現われているということである。

 今後の展望に思いを馳せても、例えば、営農を株式会社化するというようなことが言われている。これなどは一つの変革案ではあるが、その結果、所有する土地を仲立ちにしてある在所の結びつきなどはどのようになって行くのかというようなところが、なかなか定かでなく、そこには一種の不安が生じるということになる。つまり、おんだ祭りの御田植祭一つを見ていても、今の日本が岐路に立たされていることが思われて来るのである。 写真は牛役による御田植祭の所作。

 


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