山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

しばらく休みます

2009-08-31 05:13:49 | 宵宵妄話

旅から戻って、てんやわんやの一日が過ぎました。今日やったのは、庭と畑の草取りでした。庭は、メヒシバなどが蔓延(はびこ)り、無人の住まいの如き状況となっていました。蚊の攻撃を逃れるため、防虫ネット付きの帽子をかぶり、作業をしましたが、何と尻の方が痒くなったので、もしかしたらと思ったら、ズボンの上から刺されており、いやはやとんだ騒動でした。2時間ほどかけて大方の草を抜きましたが、まだまだ不十分です。しかし一度には無理なので、残りは明日以降に持ち越すことにしました。

その後選挙の投票に行ったのですが、旅に出ていたため、新聞を取っておらず選挙公報が無く、誰がどのような考えで立候補したのかも判らぬ状態での投票には困惑しました。おまけに知事選挙も同時に行われているとは知らず、こちらの方は全く情報が無いため、棄権を選択せざるを得ませんでした。いつも思うのですが、選挙管理委員会というのは、雑な働きしかしていないなと少し腹が立ちました。選挙公報はいつも遅いし、新聞屋の差込広告任せです。写真ばかりの看板などを見ただけでは、立候補者の考えなど何もわからず、投票の判断材料が殆どありません。せめてネットなどを利用するなどして、立候補者の考えが伝わるようなツールを開発すべきだと思います。現在の選挙管理委員会の役割使命が何なのか、詳しいことはわかりませんが、国民一人ひとりが選挙のための判断材料をきちんと把握できる環境を作るのがそのメインの仕事ではないかと思っています。

また、最高裁判事の信任投票がありますが、これは殆ど意味の無い作業のような気がします。一般大衆には特別直接・間接に係わる事件でもない限り、個々の判事の仕事のことなど判るはずもなく、このような形式的なことはムダの上塗りのような気がします。判事の信任確保が必要なら、もっと別の形で行なうべきではないかと、いつも思います。

相当のストレスを感じながらの投票でしたが、その後畑を見に行きました。2箇所の菜園を借りているのですが、その両方とも防草用のビニールシートはうまく機能してくれていて、畑の殆どは草の侵入を免れていましたが、その周辺及び作物を植え残していった食用菊、エゴマ、花オクラなどの畝は、ものすごい勢いでメヒシバやスベリヒユ、アカザなどが繁り蔓延っていて、一刻も早く何とかせねばという気持ちになりました。

ということで、家に戻ってから再度畑に出向き、雑草どもの退治に取り掛かりました。小雨模様の天気はカンカン照りよりはずっとマシで、2時間近くかかってようやく一方の畑の除草を完了しましたが、ここまでが限界で、もう一つの畑の方は、明日へ持越しです。汗びっしょりとなり、家に戻って風呂に入って、後はバタンキューでした。昼寝から目覚めたら、雨は本降りとなっており、聞けば台風の悪さらしく、明日はもっと酷くなるらしく、全くどこへ行っても天気は機嫌悪いようです。

夕刻20時近くなって選挙の開票に係わる報道が開始され、予想はしていたことですが、現政権の大規模雪崩(なだれ)的崩壊現象が起こっているようで、これからしばらくは姦しい政局が続くなと思っているところです。

ズラズラとどうでもいいようなことばかりを書きましたが、今日からしばらくブログを休ませて頂きます。いつまでか判りませんが、旅の疲れというか、旅以外への取り組みの疲れが溜まりそうですので、それらが取れて回復するまでは、休むことにします。

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09北海道くるま旅くらし:第50日

2009-08-30 01:01:51 | くるま旅くらしの話

行程:東北道・長者原SA→国見SA→那須高原SA→(栃木都賀JCT)→北関東道・笠間Pi→(友部JCT)→常磐道・谷和原IC→自宅

今日は旅の終りの日。名残りの雨なのか、朝起き出す前は、かなりの雨が天井を叩いていた。こりゃあ、土砂降りの天気なのかなと窓の外を見たら、何と遠く、近くに青空が覗いているではないか。お天気雨なのだと思っていたら、しばらくすると一気に蒸し暑さが増してきた。雨は止んで、北海道とは異質の暑さが襲ってくる感じがした。これでも内地の人は朝夕涼しいなどと言っているのであろうか。

今日は家までの残りのコースを走るだけの、真につまらない時間を消化するだけのことである。とにかく最後まで油断無く安全運転で着地しなければならない。家に着けば、待っているのは灼熱地獄の中での庭や畑の草取りである。

9時丁度出発。昨夜の長者原SAは思ったより静かで、眠りも充分だった。尤もいつものようにブログの投稿に真夜中の3時間を使っているので、2番寝の寝起きは100%スッキリというわけには行かない。いい天気になるのかなと思っていたのだったが、その後の空模様は存外不機嫌でどちらかといえば、雨含みの曇りが続いた。1時間と少し走って宮城県を通過し、県境近くの福島県の国見SAで小休止する。駐車場はかなり混んでいた。名産の桃などの果物が店頭に並び、着物を着た桃娘さんというのが愛嬌を振りまきながら販売に華を添えていた。しかし存外の高価格でとても買う気分にはなれず、ひたすら桃娘さんの所作などを眺めるばかりだった。

その後は、更に1時間半ほど走り、今度は福島県を通過し栃木県に入って、那須高原SAにて昼食休憩とする。相棒は外食希望で、さっさと車を降りて行った。食べたいものが無い時には、戻ってきてラーメンを作って食べるとのことだったが、戻っては来なかった。何かいいものがあったらしい。それが何かなどは訊かない。こちとらは、最初から野菜をいっぱい入れたラーメンを作って食べるつもりでいる。ラーメンは勿論インスタントだが、野菜などの具をたくさん入れれば問題は少ないと思っているので、時々は作って食べることにしている。この程度の調理は苦にはならない。1時間ほど休憩し、最後の給油をして出発。

東北道から北関東自動車道に入り、少し走って笠間Piという名の休憩所で最後の休憩を取る。この北関東自動車道というのは、現在は常磐道と東北道を結ぶところまで出来上がっているが、高崎で関越道とつながるようになると、自分の所からは、上州の温泉などに行くのに至便となる。早く完成して欲しいものだ。高速道には元々あまり関心がなく、北関東道が東北道とつながっているのを知ったのはつい最近のことだった。何しろ最近は休日の特割があるので、多少風が吹いても利便性を感ずる場合は利用するようになった。早い話が、今回の北海道の旅も本来なら一般道を時間をかけて往復するのだが、それが不意となった。人間というのは、利に転ぶものではある。

笠間のパーキングは初めて立ち寄ったのだが、PAではなくPiとなっているのが良く解らない。笠間市近郊の情報がより多く発信される基地としての機能があるということなのか。ま、新しいトイレは感じがよかった。笠間まで来れば、後はもう1時間足らずで我が家である。友部から常磐道に入って、谷和原ICで降りて、我が家に着いたのは15時50分だった。50日間の全走行距離は、6,445kmだった。

その後は汗だくとなって荷物の積み下ろしに取り組み、最後はいい加減に放置して明日に繰り越し、ともかくも汗を流して一杯やり、明日から英気を養うべく早々に寝床に横たわったのだった。庭も畑も予想通りの混雑振りだったが、それらは全て明日からのこと。今日はこれで終わり。ともかくも旅は終ったのである。

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09北海道くるま旅くらし: 第49日

2009-08-29 03:07:17 | くるま旅くらしの話
行程:道の駅:よこはま→道の駅:七戸→道の駅:十和田→道の駅:三戸(Tさんのお店)→一戸ICから高速道に入る)→岩手山SA→長者原SA(泊)


今日は単なる移動日であり、ブログに書くことなど何も無いと思っている。昨夜着いた時は、雨は降っていなかったのだが、夜半から雨となり、朝は本降りとなっていた。予定としては、野辺地から青森市方向に向かい、浅虫温泉の道の駅で温泉に入って、午後遅くまでのんびり過ごし、その後高速に入って南下し、適当なSAで泊まるつもりでいる。
泊まった旅車の殆どが出発した後、我々も野辺地に向け出発。朝のニュースで六ヶ所村の原燃再処理工場の試験運転計画が再延期となったということが繰り返し報道されていたが、その近くを通過しながら、やっぱり不安を覚えたりした。原子力のことは分からない。出発時は浅虫温泉に入るのを楽しみにしていたのだが、相棒が今朝の天気予報であの辺りが荒天で風雨がひどく、雷が鳴るとのことなので、長時間の滞在は止めて欲しいなどと言うものだから、急に予定を変更し、青森の方に行くのは止め、野辺地からはR4を七戸の方に行くことにした。高速道の特別割引は、明日に掛かっているので、今日は急ぐ必要は無いのである。早く高速道に入っても、どこかで泊まる必要があるのだから。
野辺地からしばらく走って、七戸の道の駅に到着。ここは野菜をゲットするには、全国有数の場所ではないかと思っている。久しぶりの来訪だった。たくさんの魅力的な品質と価格の野菜が並べられていたが、今日の最高は枝豆。よく実の入ったのが一袋たった120円で売られていた。七戸には新幹線の駅が近くに造られており、この辺りの景観が変わりつつあった。道の駅もその影響を少なからず受けている様だが、この野菜販売だけはこれから先も不変であって欲しいと思った。枝豆をはじめ、かなりの野菜をゲット。これらは旅用ではない。帰宅後の生活用である。野菜に満足した後はR4の次の道の駅:十和田を目指す。
朝からの雨は依然降り止まない。十和田市郊外の道の駅に着いたのは、11時少し前だった。この道の駅も地元産の野菜の販売システムがきちんと整備されていて、七戸に引けをとらないのだが、先に買ってしまったので、買い洩らしたものはないかと、一回りする。特になし。相棒が駅舎に隣接する匠の館という建物を見学したいと、その中へ消えて行った。どうやら地元の伝統工芸の一つの裂き織りの館らしい。しばらく戻って来ないので、七戸で買った枝豆を茹でたりして待つことにした、まだ時間があったので、車を館の方に移動して、近くの水飲み場から水などを補給する。30分以上経って相棒が興奮気味で戻って来た。裂き織りは彼女の趣味の一つで、最近の最大関心事であり、そのことの壁を破る様な衝撃を受けたらしい。カルチャーショックを受けたなどと言っていた。カメラを取り出して、もう一度館の中に入って行った。こうなると待つしかない。昼時となっているので、先ほど七戸で買った豆腐を取り出し、冷や奴で食べることにした。ビールを飲む訳にはゆかな
いのが残念だ。しばらくして、漸く気持ちにケリをつけたらしい相棒が帰って来た。先ほど自分もちょっと館の中を覗いて見たのだが、裂き織りの織り機がずらりと並んでいて、そこで体験学習や研修ができる様になっていた。相棒の話によると、全国一の南部裂き織りの研修機関らしい。今まで何度もこの道の駅に寄っているのに一度も中に入らなかったのを悔やむことしきりだった。ここには早朝や夕方の来訪が多かったので、館を訪ねる機会を逸していたのかも知れない。今度は裂き織りの勉強だけを目的に来訪したいと言っていた。たいへんなことになりそうだなと思った。家の中に機織りの器具を置いて、存分にその作業に没頭するのが、彼女の夢らしい。ま、夢というのは実現させるべきものであろう。反対はしない。彼女の決心次第である。興奮しながらの食事の後出発したのだが、しばらくは自分の預かり知らぬ世界の話を聞かされ続けたのだった。
十和田の次は三戸である。ここの道の駅にも優れた野菜が多いが、特に果物が良い。それより何より、相棒の大切な友人のTさんの地元である。ここを通るからには、Tさんに挨拶なしでは済まないのである。Tさんは地元で家族と一緒に多角的農業を営みながら、その販売や食堂の経営にも係わっておられる超多忙のお人である。三戸の有名人のお一人なのかも知れない。そのTさんの野菜販売所に寄ったのだが、隣接する「元気亭」という食堂を切り回している娘さんに訊くと、道の駅の方ではないかとのこと。何しろ全く予告無しの来訪で、Tさんには誠に申し訳け無し。道の駅に行ってみると、ラッキーにも会うことが出来たのだった。これから病院で腰や膝の診察に出掛けるという。心配になった。診察が終わった戻るまで2時間ほど待って欲しいとの話だった。却って迷惑をかけるのではないかと思ったのだが、せっかくのご好意を無にするのは申し訳なく思い、待つことにした。
この間、一つの出来事があった。福岡からヒッチハイクで北海道まで行き、その帰りだという大学生らしき3人が、足が痛くなって厳しいので、どこでも良いから山道を越えた平らな場所まで乗せてくれないかという。3人ともかなり疲れている様子だった。相棒がOKなら考えてもいいかなという気持ちにはなったのだが、良く訊くと何と自転車でなのだという。それは無理というもの。3台も自転車を積んで高速道を走る訳にはゆかない。彼らはしぶとくて、車の中に自転車を縦にして入れれば何とかなるだとかいう。その必死の気持ちは解らぬではないが、言わば暮らしの為の狭い居間の中に、汚れた自転車を3台も持ち込んで乗せて行けというのだから、呆れてしまう。テントやシュラフも持参していないという。更には、旅に出る前に自転車に乗っての訓練や鍛錬など何もせずに、そのまま出て来たという。それは無謀というものだと話したら、無謀が好きなのだと返って来た。だんだん腹が立ってきた。後で近くにあるコンビニに置いてあるという自転車を見たら、何とママチャリ
ではないか。呆れてモノが言えない。多少はあった同情心は一挙に吹き飛び、無謀の結果がどうなるかを、これからトコトン学べば良いと思った。願わくば、これから先福岡まで、如何なる車も彼らを乗せないようにして貰いたいと思った。
その後、Tさんから連絡があり、病院の診察を30分遅らせたので、これから畑に行きトウモロコシなどの野菜を採って持って行きなという。いやあ、そんなことまでして頂くなんてと恐縮したのだが、せっかくのご好意をお断りするのもできず、Tさんの運転する車で畑に行き、まあ、たくさんの野菜を摘み、頂戴してしまったのだった。忙しい中、体調が悪くて病院の診察を受けられるというのに、突然の来訪でとんだご迷惑を掛けてしまい、本当に申し訳けない。と同時に相棒も自分も幸せ者だなと思った。Tさんのご好意をしみじみとありがたく嬉しく思った。病院に向かうTさんは、相棒が着ているのと同じデザインの着衣を、絣の布地で手作りされており、相棒はその手さばきに驚いていた。お聞きすれば、その昔に洋裁に勤しまれたという。波乱の人生の一端を垣間見たような気がした。二人並んで、記念写真を撮る。Tさんの腰や膝が早くトラブルを脱出されますことを願い、祈りつつ、車を見送る。Tさん、本当にありがとうございました。御身お大切に。
旅は明日で終わりだけど、今日はいろんな出来事があり、思いもしなかった大忙しのブログ記事となってしまった。その後は一戸ICから高速道に入り、東北道を南下して、長者原のSAに泊まる。明日は旅の丁度50日目。終わりの日である。
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09北海道くるま旅くらし: 第48日

2009-08-28 06:12:56 | くるま旅くらしの話
行程:道の駅:あっさぶ→繁次郎番屋→道の駅:あっさぶ→函館フェリー乗り場→(津軽海峡フェリー)→大間フェリー乗り場→道の駅:よこはま(泊)


今日は再び曇天基調の天候となった。予報では昼前から雨となるらしい。今日は、Nさんの滞在している江差の道の駅構内にある繁次郎番屋を訪ね、昨夜は出来なかった話を交わすつもりでいる。旅も明日限りの北海道となる予定で、最後の一日を大事に過ごしたい。
繁次郎番屋には、9時頃到着。厚沢部の道の駅からは10分しか掛からない。繁次郎というのはどうやら地名らしい。この辺一帯は繁次郎浜と呼ばれているから、その昔繁次郎という有名人が居られたのであろう。地名の縁(ゆかり)を記した解説板のようなものがないかと探したが、見当たらなかった。道の駅のトイレからは江差追分の尺八の演奏が絶えず流れて、ここが江差追分の本場だということを思い起こさせてくれる。繁次郎番屋というのは、その昔のニシン番屋に擬して建てられた簡易宿泊所で、自炊ができるように作られている。町としては歴史の体験小屋を目して作ったらしい。Nさんは、ネット検索で探し当て、ここを利用しているとか。友人のご夫妻と一緒に2戸を借り、もう2週間近くの滞在という。車で来て、ここを拠点に道南の各所の観光や釣りなどを楽しんでいる。このような旅のスタイルもあるのだなと思った。
Nさんは大学の同期ゼミ以来の知人だが、お互いの現役時代は交流が薄く、最近になって形は違うけど、旅という共通の話題が弾むようになった。彼は海外はニュージーランドファンで、何回かの長期ステイを経験している。旅のスタイルもニュージーランドの経験をベースにしている様だ。車を使うけど、宿泊の基地は自炊のできる設備を利用している。海外にはその様なスタイルに合わせた施設が数多く設けられているとか。日本にはセルフの割合を多くした旅を支える様な発想が少なく、アウトドアの多くはキャンプ場であり、長期滞在などは視野には入っていない。くるま旅の環境づくりに、ビジネスチャンスを感ずる人は居ないのだろうか。
のっけから話が固くなったが、その後は13時半過ぎまで、4人での歓談が弾んだ。その内容は省略し、楽しかったとだけ書くに止めたい。昼には我が家が持参したそうめんを茹で腹を満たした。今までの寒さ続き(?)で、そうめんを食べる機会を失していたのだが、ここで4人で囲んだそうめんは格別に美味かった。
番屋を辞して、その後はひたすらに函館を目指す。本格的な雨の中の走りだった。辺りが暗くて、夕方と勘違いするほどだった。15時少し前にフェリー乗り場に着いたのだが、着く少し前に相棒が、どうせ明日フェリーに乗るのなら、今日間に合って乗れるのなら、今日にしないかと言う。突然の提言である。少し迷ったが、それもそうだと、驚きながらも同意する。我々の旅では、この様な突然の思い付きの変更は日常茶飯事ではある。ということで、案内受付で訊くと、17時発の便があり、空席もあるとのこと。それじゃあ、1日早めることにするかとなった次第。切符を購入し、あっという間のフェリー乗船となったのであった。
海の様子が心配だったが、大間への航路は大した波もなく、退屈というのはどうしようもなかったが、無事暗くなった港に着いた。それからは小雨の降る海沿いの道を走って、20時15分に道の駅:よこはまに到着する。こんなに暗くなった中を長時間走るのは久しぶりのことで、緊張してかなり疲れた。横浜町の道の駅には、北海道からの帰途に就いたらしい旅車が数台先着していた。直ぐに夕食をとり、まずは疲れを癒やすべく、寝床に潜り込む。なんともおかしな一日だった。何だか旅が終わりかけている様な気がしない。そんな気分で眠りに就く。
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09北海道くるま旅くらし: 第47日

2009-08-27 04:04:19 | くるま旅くらしの話
行程:道の駅:サーモンパーク千歳→壮瞥情報館(あい)→洞爺湖町噴火記念公園駐車場→洞爺湖温泉・湖畔亭→道の駅:あっさぶ→道の駅:江差(繁次郎番屋→道の駅:あっさぶ(泊)


朝になると、日が差して来て、今日もどうやら天気は良いらしい。2日続けて晴れるのは、久しぶりのことだ。今日は南下の移動予定日である。水などを汲んだりして準備をした後、誰にも見送られることなく出発する。旅の終わりが近づいたことを実感する時間だった、
千歳からは、支笏湖脇を通り、大滝を抜けて、壮瞥から洞爺湖町の温泉に入った後、噴火湾をぐるっと回って八雲から日本海に向かい、最後は江差の道の駅近くの繁次郎番屋に滞在中の学友の所まで行くつもりでいる。これが今日の大雑把な予定である。
道の駅を出て、道道に入って最初にあった郵便局で資金を補充し、支笏湖に向かう。支笏湖は千歳市に属しており、千歳川の源流だったのが解ったのは最近のことだった。この湖は車だと、その存在に気づかぬまま通過してしまいそうだ。というのも周囲が森に囲まれており、国道からは湖畔の景観を見るのが難しいからである。その支笏湖を過ぎ、美笛峠のトンネルを潜って少し坂を下ると、元大滝村の道の駅:フォーレスト276大滝に到着。ここで一休みする。
道の駅は、特産物のキノコを売り物にしており、「きのこ王国」という派手な建物が建っている。この中で「日本で一番売れている」と自慢のキノコ汁が名物で、相棒はそれがお気に入りである。一杯百円のキノコ汁の中身が何なのかは良く判らないが、思ったよりたくさん入っていた。相棒はおかわりをしていた。その後は店内のキノコをベースの漬け物や佃煮の瓶詰めの試食をして、一番気に入ったのを買う。大へんなバリエーションの製品が並んでおり、それらを試食するのは楽しいけど大変だ。大滝村は今は伊達市と合併して、大滝区となっている。村から一挙に区になったのは、全国の自治体の中でも珍しいことではないか。以前この道の駅には、一億円したという自動演奏ピアノのあるトイレがあり、バカバカしい名物だったが、あれはその後はどうなったのだろう。キノコとピアノとは珍妙な組み合わせの村起こしの一策だったが、あれはもう遠い幻となった様である。
道の駅を出て山の中をしばらく走って壮瞥町の道の駅に寄る。壮瞥町といえば、横綱北ノ湖の出身地である。この町は伊達市に隣接しているけど合併はせず、壮瞥町を飛び越えた大滝村が区となって伊達市と合併したのである。確か釧路市と合併した音別町も同じ様なスタイルだったと思う。平成の大合併の歪みの様なものを感ずる。久しぶりの道の駅は、建物が一新されて、立派になっていた。ここは有珠山や昭和新山などが近くにあり、どうも薄気味悪くてあまり近寄りたくないのだが、新しい建物はその火山のジオラマとやらをウリにして造られたらしい。洞爺湖サミットの恵み(?)なのかも。ここの野菜売り場で、最近では珍しいモチトウモロコシを発見し興奮した。トウモロコシ大好き人間だけど、最近のやたらに甘ったるい品種には、些かウンザリしていて滅多に食べなくなっていた。昔の主流だったモチトウモロコシをもう一度食べてみたいものだと思っていたのだが、思いもかけずその念願が叶って嬉しい。モチトウモロコシは、少しスリムな8列並びで、大粒のしっ
かりとした実を口に入れると、文字通りモチモチした食感で、食べルノー時間が掛かるのである。今の殆どのトウモロコシは甘く柔らかくて、グシャグシャのだらしない食感しか無い。来年有珠山が火を噴いても、又此処に買いに来るぞと、密かに思った。
壮瞥を出て温泉に入ろうと洞爺湖町に向かう。湯に入るのは少し後にして、再来の噴火記念公園の駐車場へ。数台の長期滞在らしき旅車が屯していた。駐車スペースでない所に錨を下ろしたいる車もあり、洗濯物や椅子などの店を展げており、何か変な雰囲気だ。地元の人たちには違和感があるに違いない。噴火が収まったと記念公園を作ったら、コントロールは新たな避難民が車でやって来た、という感想かも知れない。どちらの側の心情も理解出来る自分としては、一日も早く有料の簡易モーターホームポートが作られることを切望したい。そしてくるま旅が新しい旅のスタイルとして社会から認知されることを願っている。トウモロコシを茹で終わり、お湯の処理をしようと水飲み場に行ったら、何と1カ月前にあった水汲み用の蛇口が外され無くなっていた。悪意の連鎖が此処でも始まったか、と思った。せっかく良い場所を見つけたと思ったけど、今度からは洞爺湖には泊まれないなと思った。残念な場所が増え続けている。それはともかく、モチトウモロコシは美味かった。この味の再
来を願っている人は多いと思うのに、農家もバイヤーも目先の流行ばかり追いかけいる。顧客ニーズというのは、新しいものばかりとは限らない。
一休みの後、湖畔亭というホテルの9階にある展望風呂に入りに行く。いやあ、実に素晴らしい温泉だった。何と言っても洞爺湖を眼下に見下ろし、遥か正面に羊蹄山を据えた展望は素晴らしい。お湯も熱からず温からずで、特に桧の桶の露天風呂は最高の風呂味だった。存分に堪能させて頂いた後は、江差に向かっての長距離ドライブの開始となる。
いつもの帰途は噴火湾沿いの道ではなく、R5を通るのだが、洞爺湖からでは噴火湾経由の方が近道である。1時間ほど走り八雲のショッピングモールで少し休憩。その後は八雲の落部という所から道道に入り、厚沢部を目指す。この道には、途中に銀婚の湯などの名湯がある。我々は銀婚などはとうの昔に過ぎてしまった。殆ど車の通らない道には、所々熊出没注意の表示札や標識が出されていた。もしかしたら熊に出会えるかも、と相棒はカメラを構えていたが、その願いは叶わなかった。厚沢部を過ぎて10分ほどで、目的の江差の道の駅に到着する。ここは初めてと言って良い記憶にない道の駅である。海沿いの道の更に海側の狭い土地に、トイレと小さな売店のある建物があり、あとは駐車場があるだけの道の駅だった。これは泊まるのは無理だなと思った。相棒が早くもダメだという顔をしている。くるま旅の宿泊場所は、どこでも良いというものではない。突然の天災地変を想定した安全確保が肝要だと思っている。人間死ぬ時は皆同じだという覚悟などとは無縁の相棒のい
る自分としては、迂闊に決めることは出来ないのである。
ということで、Nさんの泊まっている繁次郎番屋を探し、今夜はミーティング(?)を勘弁して頂き、明日ここに再訪させて頂くことにしたのだった。アルコールが入れば車の運転などとんでもない話で、かと言って夜のミーティングにアルコールなしでは、ストレスが溜まるばかりである。残念だけどそうさせて頂き、厚沢部の道の駅に移動させて頂いたのだった。楽しみを明日に延ばすように天が配慮してくれたのかも知れないなどと思いながら、いつもと同じように夜を迎える。最後に、モチトウモロコシをもっと買って来ておけば良かったなと思いながら眠りに就いたのだった。
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09北海道くるま旅くらし: 第46日

2009-08-26 03:50:05 | くるま旅くらしの話
行程:道の駅:マオイの丘公園→厚別・Tさん宅→江別河川防災ステーション駐車場→Tさん宅→道の駅:サーモンパーク千歳(泊)


旅も残り少なくなった。北海道の地に居られるのは、今日を含めてあと4日足らずである。旅の後半からさまざまなドジが続き、終盤になってクライマックスに達したかの感があったが、昨日の一日でそれらは全て帳消しとなった気分でいる。しかし家に帰り着くまでは何が起こるか判らず、尚油断は禁物である。
今日は相棒の日である。厚別区にお住まいのTさん宅をお邪魔し、今まで発散できなかったストレスを一気に喋り捲って発散、解消させるつもりらしい。少なくとも16時まではその時間として確保したいらしい。これにはあまり逆らわない方が良いと考え、お任せすることにした。
昨夜の知人の皆さんは9時少し前に、今日はパークゴルフを楽しむのだと、5台の旅車を連ねて出発して行った。来年の再会を約して、お互いの健康と安全を祈りながらの送別だった。今年は出会いの知人が層倍した感がある。来年の再会が今から楽しみである。
我々の方もまもなく出発。訪問の前に少なくなった油を補給することにして、昨日通った道に安い店があったのを思い出し、そこへ行くことにした。ところがどこまで行ってもその店が見つからず、赤ランプか点灯し出したので、ついに探すのを諦めて最寄りの店で応急に少量を入れ、後で探すことにして、Tさん宅に急いだ。10時半、お待ちかねのTさんに相棒を預けて、自分一人の時間を過ごすべく、給油所を探しながらR12を江別方面に向かう。不思議なことにどうしてもその店が見つからない。諦めて石狩川の堤防沿いにあった江別河川防災ステーションという、休憩所を兼ねた施設に車を停め、ここでしばらく時間を過ごすことにする。今日は良い天気で、暑いのだが風は涼しく爽やかである。パークゴルフでもできれば良いのだが、肋の疼きはとれておらず、とても無理である。仕方がないので、先ずは一眠りと寝床に潜り込んで、1時間ほど午睡。その後起き出して旅の記録の整理をしていたら、あっという間に時間が過ぎて、気がつくと15時が過ぎていた。しばら
く残りのあれこれをチェックしていると、相棒から電話があり、話は一段落したので来て欲しいとの満足そうな声だった。それからの折り返しの道も注意しながら昨日の店を探したのだが、やはり発見できなかった。もしかしたら、昨日1日だけの大安売りだったのかと、何だか騙された様な気分だった。
16時頃にTさん宅に到着。Tさん宅にはもう一人の知人のTaさんもお出でになっており、三人での話は相当に弾んだらしく、皆さん興奮気味の様子だった。その中でも、何といっても一番舞い上がって居たのは相棒だった。Tさんには自分の為にと、お弁当まで頂戴し恐縮した。細やかな気配りを頂き、相棒は幸せ者だなと思った。Tさん、Taさん、本当にありがとうございました。
Tさん宅を辞してからは、今夜の宿を考えている千歳の道の駅に向かう。途中カード割引の効く店で給油をして、これでしばらくは安心。相棒には、16時くらいまでだったら洞爺湖町まで行けるかも知れないと話しておいたが、それは無理。夜の山道には予期せぬ危険がいっぱいある。その様に話たのは、無制限な話し合いに釘を刺す為だった。そんなことは露知らぬ相棒は、洞爺湖まで行っても良いと考えていたようだった。今日の相棒のメインの目的は、織物や編み物などの手芸の達人であるTさんの指導を乞うことらしく、その成果について、嬉しそうに盛んに話すのだが、こちらとしてはその内容はさっぱり解らず、生半可な相槌を打つだけである。とにかく相当に楽しく嬉しかったらしく、ま、結構でした。Tさんたちとは、数年前に旅の途中で北海道開拓村で出会い、その時はお互いボランティアのガイドでの話が弾んで以来のお付き合いなのだが、今はもっと違ったお付き合いの内容となっている様である。持つべきものは友というけれど、良き友に恵まれた相棒は幸せ者であ
る。旅にはその様な幸せをもたらす力が潜んでいる。それをどう引き出すかが大切なのだなと、改めて思った。何事もせず、何事もなければ、何も変わらない。変わるのは無為の時間の中に加齢が進むだけである。相棒は結構上手い時間の使い方をしているのかも知れない。とにかく今日は相棒デーであった。
道の駅:サーモンパーク千歳には17時20分に到着。千歳には空港があり、航空自衛隊の基地もあって、空の騒音が姦しい所だが、本来は樹木と清流に恵まれた自然豊かな所である。街を流れる千歳川には鮭の遡上が見られ、それを捕獲して鮭の繁殖を期する為の装置として、インディアン水車と呼ばれるいわば鮭の自動捕獲機があるのが、このサーモンパークである。早速それを見に行った相棒の話では、まだ鮭の姿はさっぱりだとのこと。天候不順で鮭君たちは、帰り先やタイミングを狂わされているのかも知れない。公園の水汲み場まで4往復して、水槽を満たす。この道の駅には苫小牧から乗るフェリーを待っての旅車が多いのだが、今日は少ないようだ。
Tさんから頂戴したお寿司などを味わいながら夕食を済ませ、テレビを見ることもせず、ベッドに潜り込む。明日からは帰りが本格的し、上手く行けば江差に滞在中の学友Nさん夫妻に会えるかもしれない。そんなことを考えながら眠りに就く。
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09北海道くるま旅くらし: 第45日

2009-08-25 03:23:34 | くるま旅くらしの話
行程:道の駅:ライスランドふかがわ→道の駅:たきかわ→ノースライフ(キャンピングカーサービス工場)→竹山温泉→マオイ名水→Aさん宅→道の駅:マオイの丘公園(泊)


とんだ出来事の昨日の悪夢から覚めて、朝が始まったのだが、悪夢を引きずるように夜来の雨は降り止まず路面を濡らしていた。今日はその悪夢の現実を何とか解決しなければならない。とにかく食に重大な影響を及ぼす冷蔵庫を何とか元の正常な箱に戻さなければならない。しかも一刻も早くである。これを解決しないと心が落ち着かないのである。というわけで、朝食もそこそこ出発の準備をし、修理をお願いした札幌市清田区のノースライフ社を目指すことにする。
出発後滝川の道の駅に寄り用を足したあとは、ひたすらに札幌市内の目的地を目指す。R12を走り、厚別からR274そして道道に入り、地図と勘を頼りに目的地に向かう。ナビ無し主義はこんな時は微妙である。しかしノースライフ社はとても判り易くて、何の苦労も迷いもなく一発で到着することが出来た。やれやれである。早速事情を話して点検と修理をお願いする。それから1時間ほど掛けて、あれこれと丁寧にチェックして頂き、どうにか冷蔵庫の機能を回復させて頂くことが出来た。しかし完璧というわけにはゆかず、部品の交換などが必要であり、それらは帰宅後の課題として残ることになった。とにかく直して頂きホッとした次第である。旅先でのトラブルは旅を台無しにしてしまうことが多く、真に要注意である。ノースライフ社は我々を悪夢から解放させてくれた月光仮面のような存在だった。自分と同じように我がSUN号も加齢による随所の劣化や痛みを避けられず、これから先の北海道の旅では、北の大地の心強い味方である月光仮面のノースライフ社に助け
て頂くことになるのではないか。よろしくお願いします。ありがとうございました。
とにかく冷蔵庫が元に戻りホッとして、その後はこのドタバタ騒ぎの疲れを拭い去るべく、温泉に入ることにする。近くに竹山高原温泉というのがあり、そこへ行ってみることにした。割引券があり、半額の料金でいい湯を楽しむことが出来た。北海道には、探せば何処にでも温泉があると言って良いほど、苦労無しで見つけることができありがたい。昨日掻いた冷や汗もすっかり洗い流して、サッパリした気分になって、今夜は長沼町にある道の駅:マオイの丘公園に泊まることにして、R36を千歳方面に向かう。
途中恵庭市に入り、初めての道の駅:花ロードえにわがあるのを知り、ちょっと立ち寄る。北海道の道の駅は、だんだんその数を増やし、現在は100を幾つか超えているが、その殆どを訪ねており、未訪問の所近くを通る時には必ず寄るようにしている。旅の最初の頃は、まるで道の駅巡りのような毎日だったが、この頃は気に入った所だけお世話になるようになってしまった。恵庭の道の駅は、駅舎も花野菜売り場も良く整備され、活気を呈してした。残念なのは、ここにも水汲み場はなく、ゴミ箱も無い。やっぱり売るだけ中心主義での繁栄を目指しているようだった。生産・販売の負の部分は全て消費に関わる個人の責任だという発想は、果たして環境問題を論ずる今日の社会において正論なのだろうか。くるま旅を重ねるにつれて、特にゴミ処理の問題については、国や行政のあり方に対する疑問は深まるばかりである。せっかくの新しい道の駅にケチをつけるようで申し訳ないけど、そう思った。寄り道の後は千歳からR337に入り長沼町方面を目指す。
飲料水が少なくなったので、道の駅に落ち着く前に、近くにあるマオイ名水を汲ませて頂こうと向かう。20lほど汲んでいると、急に汲む人が増え、皆さん大量の入れ物持参で、たった3ヵ所しかない給水口では、かなりの待ち時間を要する状況となってしまった。あっという間のできごとである。もうこれ以上汲むのは諦めて帰ろうとしたら、同じく水汲みに来られた地元近くの方が、家に寄って行かれませんかと声を掛けて下さった。というのは、我々より少し遅れて到着された時に、奥さんがキャンカーに興味をお持ちのようだったので、簡単に中を覗いて頂いたのだった。初めて会った方なのに、お邪魔するのは如何なものかと思ったのだが、相棒が乗り気なので、思い切ってその車の後をついて行くことにした。
イヤア、それから後は大へんなことになった。Aさんとおっしゃるその方の家で、何と2時間近くも歓談することになり、この間、下の畑で採れた枝豆や掘ったはかりのジャガイモ、それに奥さん手作りの梅を使った上品な味の料理(名前を忘れて失礼)などなどを美味しいコーヒーと一緒にご馳走になり、何だか昨日とは打って変わったことの成り行きに、嬉しい人生の恵みを授かった感がしたのだった。とりわけて蒸かしてご馳走になったジャガイモは、自称ジャガイモ人間には、黙り込んでしまうほどの美味さだった。話は尽きず、ここに書くことは控えるけど、テレビの番組の一つに「人生の楽園」という、定年後の暮らしを紹介するねがあるが、Aさんはそれに出演するに相応しい方だと思った。丘の斜面に建てられた別荘風の家はなんと全てご自分で建てられたという。畑も庭も原野に近い土地を自力で整地して作られたとのこと。仕事から引退後は、本格的にここでの暮らしを楽しみたいとおっしゃるその目は、奥さん共々少年・少女のように輝いていた。くるま旅くらし
が牧羊や騎馬民族なら、Aさんは明らかに農耕民族であり、日本人だなと思った。突然のお邪魔で本当に恐縮千万だったのだが、その様な気持ちを忘れてさるほど図々しく振る舞わせて頂いて、Aさんご夫妻にはお礼のことばもありません。嬉しくもありがたい時間だった。
18時少し前に道の駅に到着し、錨を下ろす。なんと何と、ここには先日厚田港でご一緒した方々とその仲間の方々のお顔があった。公園内に作られた集会所のような建物の中で、皆さん既にかなり盛り上がっておられた。ここにも図々しく参加させて頂いて、歓談の輪に加えさせて頂いた。一別以来の旅のできごとの報告や情報交換、それにそれぞれのお国ことばなどの話題など、話は尽きない。何しろ九州から北海道まで、少人数とは言え全国規模の歓談の輪なのである。くるま旅ならではのめぐみの時なのである。一度この味を知ってしまった人は、その嬉しい魔力から逃れることができず、来年もまた旅に出掛け、やって来るのである。今日は連続してその恵みに巡り会ったようである。
宴が終わり車に戻りかけた時、大阪から来られたという、若い方に声を掛けられた。新しい車を買われ(自分と同じビルダー製の最新にして最後の車)、初めての長旅を経験中とのことで、旅に出るまでは気づかなかった、様々なできごとや問題などについて話をされていた。10年前の自分たちのことを思い出しながら、彼の心情に同感すると共により多くの体験・経験を積まれて、くるま旅の醍醐味を味わって欲しいなと思った。知ったかぶりのアドバイスなどよりも、旅はその積み重ねがものをいう様に思う。これからの新しいくるま旅のスタイルを生み出して欲しいなと思った。
寒くなって来て、車の中に戻って、夕食代わりに一杯やって、満足の眠りに就く。
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09北海道くるま旅くらし: 第44日

2009-08-24 04:20:14 | くるま旅くらしの話
行程:池の前水上公園駐車場→Uさん宅→道の駅:たきかわ→美唄市内スーパー→道の駅::つるぬま→道の駅:田園の里うりゅう→道の駅:サンフラワー北竜→道の駅:風Wとままえ→道の駅:ほっとはぼろ→道の駅:ライスランドふかがわ(泊)


楽しかった宴の一夜があっという間に明けた。寝る前は星空だったのが、夜半から雨となり、途中からはかなりの豪雨となって、朝を迎えた。又またのうんざりの天気である。昨夜の幸運は、天の配剤だったのかも知れない。
今日は特別の予定はなく、皆さんとなるべく長く一緒に居て、解散後は北竜の温泉にでも行って、湯に浸かりのんびりしたいと思っている程度である。朝遅くなって、ようやく雨は上がったようで、空が明るくなって来た。歓談などしながら時を過ごし、仲間の皆さんも少しずつ去って、ドームテントの撤収が完了したのは11時過ぎだった。解散近くになって、メンバーのお一人のUさんから、自宅に寄らないかとのお誘いを受けた。Uさんは地元の滝川在住の方で、今回の集まりの幹事でもあった。実は先日枝幸の道の駅で会った大阪からのTさんとの話の中で、Uさんが最近木工クラフト用の機械一式を手に入れられ、それのセットをして来たと聞いており、その機械類が素晴らしいものだと聞き、せっかくのチャンスだからお邪魔して見せて頂こうと思ったのだった。
解散のあと、Uさん宅に向かう。15分ほどで到着。早速作業場を見せて頂く。広い! ガレージ兼用のかなりの広い建物の中に、様々な木工クラフトの機械類がセットされていた。Tさんの工房の倍以上のスペースの中に、使い勝手を考えてレイアウトされていた。Uさんの奥さんも木工にチャレンジされるとか、少し練習された跡も残っていた。集塵機も付いており、完璧な作業環境が用意されていた。これらの全てを使いこなす迄には相当時間が掛かるのだろうなと思いつつ、さてこれからどんな作品が生まれるのか、楽しみである。Uさんご夫妻のこれからのご精進に大いなるエールを送りたい。1時間近くお邪魔し、水も補給させて頂き、感動の時を過ごさせて頂いた後、暇を告げる。Uさん、ありがとうございました。
Uさん宅をあとにして、すぐ近くにある滝川の道の駅に寄る。Uさんからお聞きした木工の名人の作品が駅構内に展示されているというので、それを見に行く。見事な組み合わせ細工の作品が並んでいた。ついでに野菜などを買う。ここから先は、直ぐに北竜に向かうのではなく、先ずは美唄に行き、先日食べた焼きそばをもう一度手に入れるべく向かう。美唄の焼きそばは、そのまま何も調理せずに食べられるという奴である。今回も5袋をゲットする。炭鉱時代からだという、この素朴な味が好きである。早速昼飯代わりに一つを腹に収める。紅生姜の一切れの味が又良い。まあ、面白い。
さて、その後はとんだ迷走が始まったのだった。途中二つほど道の駅に寄りながら、目的地の道の駅:サンフラワー北竜に着いたのだったが、かなり混んでおり、まだ夕方迄にはかなり時間があるので、羽幌の道の駅まで足を伸ばし、今夜はそこに泊まり、明日はオロロンラインと呼ばれる海岸線をゆっくりドライブしながら南下しようと考えたのだった。というのも、羽幌の道の駅に隣接する温泉も無料で入ることができるからである。
雨が降ったり止んだりの悪天候の中を走ってようやく羽幌の道の駅に着き、温泉の雑誌を調べたらなんと日曜日はダメとのこと。それどころかここだけではなく、北竜の方も同じ扱いだった。イヤハヤとんだドジを踏んだものだ。呆れ返って、ふと見ると冷蔵庫のガスの点火スイッチが点滅しているではないか。ガスが無くなったのかとチェックしたのだが、それは大丈夫だった。おかしいなと、何度も点火させようと試みたが、どうしてもダメだった。とにかく何とかしなければならないので、東京の車の購入先に電話し、北海道での修理業者など知り合いがないか問い合わせることにした。その結果、札幌市内の業者に明日見て頂けることになった。そうなると、羽幌に泊まるのは意味がない。もう少し札幌に近い場所に泊まることにしようと、出発することにした。全くのムダ足とはこのようなことを指して言うのだろうと、半ば己を嗤いながら、再び来た道を引き返したのだった。その往復距離は150km近くなっていたのではないか。バカな話である。留萌の先から無料の高速道に入り
、深川西インターで降り、深川の道の駅に着いたのは、19時30分だった。今夜はここに泊まることにする。雨か降る真っ暗の時間帯に入っていた。イヤハヤ、散々のな今日の後半だった。禍福は糾(あざな)える縄の如しというけど、今日はその格言が、前後逆さまになって、我が身を襲って来た感がした。その原因は全て我がドジなる行為にある。ま、こんなこともある。どうぞ、お嗤いあれ。
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09北海道くるま旅くらし: 第43日

2009-08-23 06:57:59 | くるま旅くらしの話
行程:旭川春光台キャンプ場→旭川ラーメン村駐車場→道の駅:ライスランドふかがわ→滝川・池の前水上公園(泊)


今日の予定は、はっきりしている。1カ月前に厚田港で北海道HMCCの集まりに参加させて頂いたのだったが、その今月の例会に図々しくも又参加させて頂こうと考えており、それが今日滝川で行われるのである。前回の集まりの際に、参加することを決めてしまっていたのだった。とにかく楽しい人たちの集まりで、北海道に住みたくなるような人たちばかりの集まりなのである。旭川の今朝の天候は不安定で、晴れそうな予感はするけど、雲多く風も吹いて時々にわか雨が降るという案配だった。昨夜は静かで、まだ寝返り時に痛さで目覚めてしまうけど、眠りの方はたっぷり満たされた夜を送ることができた。今日は仲間の皆さんに会えると思うと、何だか落ち着かない気分がどこかにある。
集まりには午後に顔を出すことにして、先ずは旭川市内のラーメン村のあるショッピングモールに行き買い物などをすることにして出発する。食材やアルコール類も少なくなって来ている。それに今年最後のラーメンを食べられるチャンスを逃すわけにはゆかない。向かう途中に車のオイルの警告灯が点灯して、ちょっと焦った。ディーゼル車の場合はオイルの消耗が大きいと聞いており、初めての時は驚いたが、今回はある程度予想していたので、来たか!と思った。到着後、ショッピングモールの駐車場でオイルを追加して応急処置をする。帰宅後にオイル交換をしなければならない。一段落のあと買い物を済まし、ラーメン村へ。10時半では開店の店は少なくて、あまり店を選択する余地はなかった。いつもの塩ラーメンの店はまだ営業していなかった。ラーメンは塩と決めており、それ以外のメニューは自分には不必要である。初めてのその店で、相棒は味噌ラーメンを選び満足していたが、自分の方はここのは今一だなと思った。
今年最後の北海道ラーメンを食べた後は、滝川に向かう。ところで、前回の集まりの時に、集合場所のメモをしておいたのだが、それがどこかに紛れてしまい無いのである。いざという時はどなたかに電話すればよいと思って、昨年頂戴した名刺を探したら、これも忘れて来てしまっている。その上携帯にはどなたかの番号を入れてあるかなと見てみたのだが、これも無い。いやぁ、参った。何でもないときには気付かないけど、いざという時にはとても大切なものがあることを改めて思い知らされたのだった。かくなる上は、前回の話を思い出しながら、勘を働かせるしかない。1時間も滝川市のそれらしき所を探せば何とかなるだろうと思った。この頃は探し迷うことを、本気で楽しむようになって来た。ナビなし主義の恵みだと思っている。ホンの少し負け惜しみもあるけど。滝川に着く前に、深川の道の駅に寄り一息入れる。
さて、滝川に向かって出発して、問題の会場探しだが、何と、当てずっぽうだったのに、まるで最短のコースを知っていたかのごとくに、たった一発でそこへ着くことが出来たのである。これには我ながら驚いた。大まぐれ当たりだった。先着されていた、メンバーの懐かしいお顔の数々があった。再会の嬉しい挨拶を交わす。初めてお会いする方もおられたが、あとで話を伺うと、お互いに知らずどこかですれ違っていたことなどが判って、又新しい縁が深まったことを感じた。集まりのその後のことは、とにかく楽しかったこと、新しい出会いが増えて人とのネットワークが一段と広がり、人生の喜びが強まった、ということだけ書くに止めたい。名物のジンギスカンに舌鼓を打ちながら飲む生ビールのあまりの美味さに、うみゃぁ~!! の声も出さずに、ひたすらそれを堪能したのだった。少し飲み過ぎたようで、正直のところブログなんぞどうでもいいや、と思いながら爆睡に入ったのだった。終わり。
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09北海道くるま旅くらし: 第42日

2009-08-22 03:17:27 | くるま旅くらしの話
行程:美深アイランドオートキャンプ場→名寄市内コインランドリー→道の駅:もち米の里なよろ→道の駅:森と湖の里ほろかない→旭川春光台キャンプ場(泊)

昨夜は一晩中雨が天井を叩き続けていて、降水量はかなりのものだったと思う。明け方になって弱まり、間もなく止んだ。予報では、午後から晴れて暑くなるとのことだが、寒いよりは少しマシかも知れない。今日はここを離れて南下する予定である。午前中12時のチェックアウトタイム前まで、Wさんご夫妻と歓談する。お昼までご馳走して頂いて恐縮する。間もなく時間が来てしまい、お別れとなる。来年再会出来ることを強く強く願い、祈って、手を振られるお二人と別れる。
先ずはかなり溜まっている洗濯物を処置すべく、名寄市内のコインランドリーへ。ここへは2年ぶり2度目の来訪だった。機械の台数が少なく、かなり混んでいて時間がかかった。全てを終了したのは、15時頃だった。この間、外は灼熱地獄のような暑さとなっていた。
洗濯が終わって、今夜の泊まりをどこにするか迷った。相棒が幌加内の道の駅のことを話していたので、そこに行って見ることにする。幌加内は日本有数の蕎麦の生産地で、道の駅には温泉もある。名寄を出て、元の風連町に新しく出来た道の駅:もち米の里なよろに立ち寄る。この辺りはもち米の産地らしい。そう言えば、一帯は平地で田んぼが広がっていた。北海道の稲は概して背丈の低いものが多いようだ。内地の6割くらいの高さしかない。品種改良の結果なのであろう。元々北海道での米の栽培は不可能に近かったが、今では内地と比べても引けを取らない高品質のものを産出している。農業技術の進歩も凄いものだと思う。相棒は洗濯のために逃した昼食の代わりに、大福などを買っていた。自分はこれはノーサンキューである。
名寄の道の駅を出発して、士別市内で給油をした後、幌加内に向かう。蕎麦の産地と言えば山の中である。内地なら信州に代表されるように、土地の痩せた高冷地が多い。蕎麦は肥沃な土地よりも痩せた土地の方が品質が良いものが収穫できると聞く。幌加内はそのような蕎麦の生産に適した土地なのであろう。道の駅は市街地からは10kmほど離れた所にある。ここを訪ねるのは3度目か。まだ温泉に入ったことも泊まったこともない。17時前に着いたのだが、駅には人影もなくひっそりとしていて、休みのようだった。温泉はどうなのかと相棒が行ってみたら、こちらの方は営業しているとのこと。しかし駐車場に車は1~2台しかない。駅の売店は営業していたが、高値のお土産用の蕎麦製品が並んでいるだけで、誰もいない。丁度その様な時間帯だったのかも知れないけど、この様な超静かな場所に、ポツンと泊まるのには、かなりの勇気がいるのではないかと思った。相棒の顔色はそれを示していた。
ということで、ここの温泉に入るのも泊まるのも止め、前に泊まった旭川の春光台公園のキャンプ場に行くことに急遽変更する。幌加内から旭川に通ずる道道があり、それを行けば1時間も掛からずに行くことが出来る。再び車を走らせ山道を旭川方向に向かう。初めて通る道である。江丹別峠を越えて長い坂を下り盆地に出ると、この辺一帯も蕎麦の生産が盛んな所であり、旭川の江丹別蕎麦として有名だ。蕎麦畑には花が終わり色褪せた実入り前の蕎麦が一面広がっていた。写真を期待していた相棒は、絵になりそうではないので、少しガッカリした様である。もう一つ小さな峠を越えて道を下ると鷹栖町に入り、すぐに春光台公園に到着。18時少し前だった。かなりの車が停まっていたが、その大半はパークゴルフの人たちのようである。以前と同じような場所に車を停め、夜を迎える準備をする。その後はいつものパターンである。今日のメインの出来事は、Wさんご夫妻と別れたことの他は、洗濯だったのかも知れないなと思いながら、依然として疼き続ける肋骨を気にしながら、
寝床に潜り込んだのだった。
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