山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

西海道&西国の旅の記録から(その4)

2024-07-11 03:36:51 | くるま旅くらしの話

<若狭路の楽しみ>

 20年以上かけて全国各地を訪ねていると、それぞれの場所で何時かしら生まれて定着する楽しみがあります。私たちの楽しみの中で、5本指の中に入るのが、若狭路の旅です。初めの頃は、若狭というのは、京都の裏のエリアなので京都府なのだとばかり思っていたのですが、そうではなくて福井県なのでした。旅を重ねていると、福井県と京都や奈良が意外と近いことに気づきます。今頃は県境などというものがあって、何だか土地が区切られてしまっているような感覚にとらわれますが、旅をしていると、渡り鳥たちと同じように、県境だとか国境だとかいうものが暮らしの上では大した意味を持っていないことが良く分かるのです。

 若狭路の町や村は、かつて京都の裏で都を支えていたことが良く分かります。その代表的なのが鯖街道と呼ばれて、京の都の人たちの食を賄い支えて来た働きでしょう。若狭の中核都市の小浜市は御食(みけつ)国(くに)を名乗っていますが、これは古来より京の都を支えてきた食文化の基地であったことを物語っていると思います。

 そのような大きな話ではなく、私にとっての若狭路の旅の楽しみは、大きく3つあります。それは、①鯖の串焼きと新鮮な魚を食べること ②瓜割の水を汲むこと ③熊川宿の鯖寿司を食べることです。①は小浜市で、②と③は若狭町で満たされます。今回は、まっ先に①を目差しましたが、興奮して一ぺんに食べてしまったために、その他のものは食べられなくなってしまいました。老人にあるまじき行為でありました。

*人影の疎ら(まばら)な昼の若狭路を我は行くなり鯖を想いて

*焼き鯖を食らいて満ちる幸せは御食(みけつ)の国の証なるかな

*若狭路の五月(さつき)は山も海も青

まあ、何ということか、若狭路は鯖ばかりという感想になってしまいました。もう一つ、若狭は水の美味しい所でもあります。奈良東大寺のお水とりの水はここ若狭から送られているということです。

 

*幾度も訪ね来たりし若狭路の今日も瓜割の水をいただく

 

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西海道&西国の旅の記録から(その3 )

2024-07-10 19:59:41 | くるま旅くらしの話

<旅の初日は  ~ 今日はどこまで行けるやら>

 九州へ行くのにどのような道を行けばいいのかは様々なコースが考えられますが、大別すれば、関東エリアから福岡に行くのなら、①東海道から大阪を経て山陽道もしくは中国道を経て九州道に入る ②は、中央道から名古屋を経由して①のコースを選ぶ ③は、北関東道や上信越道を経由して北陸道や若狭舞鶴道などを使って関西エリアに出て、その後は①のコースを選ぶ。この3コースとなるのではないかと思います。私の場合は、関東の茨城県南部に住んでいるので、西に向かう時は、極力大都市の東京を通過するのを避けたいという気持ちがあり、急がない時には、③のコースを選ぶことが多いのです。

 今回は北関東道から上信越道経由で北陸道に入り、敦賀の先で一般道に入って、そこからは若狭エリアから京都の福知山を経由して、播但道を通って姫路に出て、兵庫県の播磨高原と岡山県倉敷在住の知人宅を訪れた後、山陽道経由で福岡に向かうコースを考えました。

 初日にどこまで行けるかは走ってみないと判らないというのが正直なところなのです。一応の計画では、北陸道に入って、どこかのSAで1泊しようと考えました。というのも私の車は1ナンバーの中型車扱いで、通行料が少し高いので、夜間0時から1時を経過すると普通車並みの扱いとなるので、長距離の高速道利用の場合は、途中で泊る必要があると考えているからなのです。計画では、途中北陸道の名立谷浜SAで給油して、遅くなった時はそこに泊るか、もう一つ足を延ばして有磯海SAに泊ろうと考えています。

 旅の間には、毎日一つくらいの楽しみを作っておくことが大事なのだと考えているのですが、その楽しみの多くは大体食べることが中心となるようです。特に高速道の場合は、SAで何か美味いものにありつくことが重要なのです。ということで、今回の初日の楽しみは、横川SAで名物の釜めしを食べることでした。横川の釜めしは、元々JR横川駅の駅弁として名を馳せていたのですが、現在はドライブインやSAで販売されています。一時味が落ちたように感じたこともあったのですが、2~3年前に横川SAで食べた時は、十二分に満足した覚えがあり、今回は是非昼ご飯にしようと考え、出発もそれに合わせて決めたのでした。

 今回は初めて桜川筑西ICから北関東道に入りました。順調に走って、横川SAに着いたのは13時少し前でした。早速売店に行って釜めしを買い入れました。それから1時間ほどかけてじっくり味わい休憩しました。今日は天気も上々で少し暑いくらいです。この頃はだんだんと日が長くなって来て、暗くなるのが遅くなって来ているので、考えているよりも少し先に行けるかもしれないという予感が芽生えました。

 横川SAを出発した後は、小布施のハイウエイオアシスで大休止しようと走ったのですが、小布施に着いてオアシスの場所に行って見ようとすると、入口が曖昧な感じでためらっている内にパスする結果となってしまいました。ここは上りと下りとでは案内の扱いが異なるのかなと不信感を抱きました。そんなことに構っていても仕方ないので、そのまま走り続けて上越JCTから北陸道に入り、間もなく名立谷浜SAに着きました。ここで給油です。私の車はガソリン車で1L当りたった8㎞程度しか走らないので、満タンにしても500㎞走るのが難しいくらいなのです。高速道での給油価格はべらぼうに高いので、なるべく給油はしたくないのですが、何しろ泊らないとダメなので、一般道に降りるわけには行かないのです。36L給油して7千円もふんだくられてしまいました。高速道での給油は200円/Lを超える所もあり、これはどう考えても納得ゆかないのですが、何処の誰に改善を求めたらいいのかが不明なのです。多くの皆さんも私と同感ではないかと思います。ま、これで九州までは無理としても岡山県の知人宅までは大丈夫でしょう。

 直ぐに出発したのですが、まだまだ日は高く、この分だと有磯海SAの先まで行けそうだと思いました。有磯海SAを通過して富山市内を通過する頃になって少し夕暮れがやって来るのを感じました。それでもまだかなり明るいので、思い切って金沢を通過して尼御前SAまで行ってしまおうかとも考えたのですが、いや、待てよ、そんなに急ぐ旅でもないのに無理をすることもあるまいと思い止まり、結局小矢部川SAまで行って、今日はそこに泊ることにしました。予定よりもかなり先に行けたので満足して、暗くなるのを待って眠りに就いたのでした。ここまでの走行距離は527㎞でした。

*旅立ちの前の心の浮き立ちは傘寿(さんじゅ)過ぎてもなお鎮(しず)まらず

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西海道&西国の旅の記録から(その2)

2024-07-10 02:05:31 | くるま旅くらしの話

<概略全行程(実績)>

 

第1日[5月9日(木)] 527㎞

自宅 →(K)→ 桜川筑西IC【茨城県】 →(北関東道・上信越道)→ 横川SA〔釜めし〕【群馬県】 →(上信越道・北陸道)→ 小矢部川SA (泊)【富山県】

 

第2日〔5月10日(金)〕 336㎞

小矢部川SA →(北陸道・舞鶴若狭道)→ 若狭美浜IC →(R27)→ 道の駅:浜びより【福井県若狭町】 →(R27)→ 瓜割名水〔給水〕【福井県若狭町】 →(R27)→ 小浜フィッシャーマンズワーフ〔鯖の串焼き〕【福井県小浜市】 →(R27・R175・R9)→  道の駅:農匠の里やくの【京都府福知山市】 →(R9・R312)→ 道の駅:あさご【兵庫県】 →(R312)→ 道の駅:銀の馬車道神河(泊)【兵庫県】

 

第3日〔5月11日(土)〕 130㎞

道の駅:銀の馬車道神河 →(R313・R2・R250) → 五味の市〔鰆のあら炊き〕【岡山県備前市】→(R250・K)→ 道の駅:黒井山グリーンパーク【岡山県瀬戸内市】→(K)→ 道の駅:一本松展望公園【岡山県瀬戸内市】〔夏ミカンゲット〕(泊)

 

第4日〔5月12日(日)〕 27㎞

道の駅:一本松展望公園→(K・R2)→ 道の駅:黒井山グリーンパーク →(K・R2)→ 松島山荘【兵庫県播磨高原】(泊)

 

第5日〔5月13日(月)〕 126㎞

松島山荘 →(R2)→ 道の駅:笠岡ベイファーム【岡山県笠岡市】→(K・R485)→ 道の駅:山陽道やかげ宿【岡山県矢掛町】(泊)

 

第6日〔5月14日(火)〕 91㎞

道の駅:山陽道やかげ宿)→ 田中美術館に行くも閉館中 →(R486・K) → 道の駅:かよう【岡山県吉備中央町】→ (K・R180・K)→ 相澤さん宅(泊)【岡山県倉敷市】

 

第7日〔5月15日(水)〕 213㎞

相澤さん宅 →(K・R486)→ 道の駅:山陽道やかげ宿 →(K)→ 笠岡IC →(山陽道) → 福山SA【広島県】 →(山陽道)→  小谷SA→(山陽道)→宮島SA →(山陽道)→ 下松SA【山口県下松市】 (泊)

 

第8日〔5月16日(木)〕 230㎞

下松SA →(山陽道) → 佐波川 SA →(中国道・九州道)→  古賀IC

→(R3・K)→ 道の駅:むなかた【福岡県宗像市】 → 久山町内コインランドリー〔洗濯〕 →(R3・K)→ トリアス久山RVパーク【福岡県久山町】 → 黒木さん宅(夕食大ご馳走)【福岡県福岡市東区】→(K)→ トリアス久山RVパーク(泊)

 

第9日〔5月17日(金)〕 0km

トリアス久山RVパーク → (午後) → 黒木さん宅 → ここで拓は黒木氏と福岡市内バス遊覧、邦は優子さんの案内で熊谷さん宅へ → その後夕刻博多川端通り博多座近くの店で懐旧の人たち(H・Mo・Y・Mi・K各氏)に歓迎の宴をして頂く → 優子さんの運転でトリアス久山RVパークに戻って泊る

 

第10日〔5月18日(土)〕 143㎞

トリアス久山RVパーク →(K)→ 大宰府天満宮参拝→(R3/R34・R385)→ 道の駅:吉野ヶ里〔あまりにも暑いので遺跡の探訪は取止める。ここで給水する〕 →(R385・R35)→ 道の駅:山内【佐賀県武雄市】 →(K)→ 川古の大楠見物【佐賀県武雄市】 →(K・R202)→ 道の駅:伊万里(泊)【佐賀県伊万里市】

 

第11日〔5月19日(日)〕 70㎞

道の駅:伊万里 →(R202・K)→ 伊万里大川内山 →(R202)→ 伊万里日産〔サイドドアがキーでは閉まらなくなったので点検依頼。なれど間もなく復調した〕 →〈R202〉→ 有田町重伝建地区散策【佐賀県有田町】 →(R202)→ 道の駅:伊万里 →(R207)→ 佐用姫の湯【佐賀県厳木町】 → 道の駅:厳木(泊)【佐賀県厳木町】

 

第12日〔5月20日(月)〕 225㎞

道の駅:厳木 →(R203)→ 小城羊羹村岡本舗【佐賀県小城市】 →(?)→ 柳川市内お花付近のうなぎ屋【福岡県柳川市】 →(?)→ みやま柳川IC →(九州道)→ 北熊本SA →〈九州道〉→ 宮原SA →(九州道)→ 人吉IC →(?)→ 宮原工芸訪問【熊本県人吉市】 →(R445)→ 道の駅:五木(泊)【熊本県五木村】

 

第13日〔5月21日(火)〕 162㎞

道の駅:五木 →(R445)→ 宮原工芸〔再訪〕→(?)→ 青井阿蘇神社参拝【熊本県人吉市】 → 人吉IC →〈九州道・宮崎道〉→ 霧島SA →(宮崎道)→ 高原IC →(R223)→ 霧島神宮参拝【鹿児島県霧島市】 → 霧島町醸造所(明るい農村)【鹿児島県霧島市】→(?)→ 坂元町くろず情報館・壺畑【鹿児島県霧島市】→(K・R10)→ 道の駅:すえよし【鹿児島県曽於市】(泊)

 

第14日〔5月22日(水)〕 140㎞

道の駅:すえよし →(R10・K)→ くろず情報館〔再訪昼食〕 →(K・R10)→ 都城市経由 →(K)→ 道の駅:北郷【宮崎県日南市】〔→(K・R220)→ 鵜戸神宮参拝【宮崎県日南市】→(R220・K)→ 道の駅:北郷〔戻って泊る〕〈泊〉

 

第15日〔5月23日(木)〕 190㎞

道の駅:北郷 →(K・R10)→ 宮崎市内コインランドリー〔洗濯〕 →(R10)→ 道の駅:日向【宮崎県日向市】 →(R218 )→ 道の駅:北方よっちみろ屋【宮崎県延岡市】→(R218)→道の駅:青雲橋【宮崎県日之影町】 →(R218)→ 道の駅:高千穂【宮崎県高千穂町】(泊)

 

第16日〔5月24日(金)〕 31㎞

道の駅:高千穂 →(?)→ 天岩戸神社参拝【宮崎県高千穂町】 → 道の駅:高千穂 【宮崎県】→ 天岩戸の湯〔入浴〕 → 道の駅:高千穂(宿)

 

第17日〔5月25日(土)〕 216㎞

道の駅:高千穂 → 高千穂神社参拝〔高千穂峡まで歩いて散策しようとしたが、急坂多く中止し神社参拝に止める〕 →(R325他)→ 白川水源〔給水〕【熊本県南阿蘇村】→(R325・R57・阿蘇パノラマライン)→ 草千里浜(車が混んでいて駐車できず車窓から見ただけ)→(パノラマライン・R57)→ 道の駅:阿蘇(ここも大混雑の中で昼食)→(R57)→ 道の駅:波野【熊本県阿蘇市】→〈R57〉道の駅:すごう【大分県竹田市】→(R57・K)道の駅:ながゆ温泉【大分県竹田市】〔駐車場は満車で止められず、ラムネ温泉に行くも満車でダメ。入浴は断念する。宿も急遽予定を変更して玖珠へ行くことにする〕→ 湯布院IC →(大分道)→ 玖珠IC → 道の駅:童話の里くす【大分県玖珠町】(泊)

 

第18日〔5月26日(日)〕 311㎞

道の駅:童話の里くす → 玖珠IC →〈大分道〉→ 由布岳PA →(大分道・東九州道)→ 大分農業文化公園IC →(K)→ 真木大堂【大分県国東半島】 → 富貴寺【真木大堂に同じ】→(K・R10)→ 宇佐神宮参拝【大分県宇佐市】〔暑さ厳しい参拝となった〕→(R10)→ 道の駅:なかつ【大分県中津市】→(R10)→ 椎田南IC【大分県】 →(東九州道・九州道・中国道・山陽道)→ 下松SA〔風雨酷く、しまなみ海道は明日も変らぬというので、多々羅大橋の散歩は中止する〕(泊)

 

第19日〔5月27日(月)〕 242㎞

下松SA →(山陽道・広島道・中国道)→ 三次IC→(R54)→ 道の駅:夢ランド布野【広島県三次市】 → 道の駅:未来高原【島根県飯南町】 → 道の駅:頓原 【島根県飯南町】→ 道の駅:掛合の里【島根県雲南市】 → 道の駅:さくらの里きすき【島根県雲南市】 → 湯の川温泉【島根県出雲市】〔入浴〕 → 道の駅:湯の川【島根県出雲市】(泊)

 

第20日〔5月28日(火)〕 72㎞

道の駅:湯の川 →(R9他)→ 道の駅:大社ご縁広場【島根県出雲市】 → 出雲大社参拝【島根県出雲市】〔雨の中の参拝となった〕→(R9)→ 道の駅:湯の川 → (R9・R431)→ 道の駅:本荘【島根県松江市】 →(R431)→ 足立さん宅(泊)【鳥取県米子市】

 

第21日〔5月29日(水)〕 247㎞

足立さん宅→(R431)→ 松江城見学を目的に出発するも駐車場が見つからず断念 →(R9・K)→ 足立美術館 【島根県安来市】→(K・R9)→ 道の駅:あらエッサ【島根県安来市】 →(R9)→ 道の駅:大栄【鳥取県北栄町】  →〈R9・鳥取道〉→ 無料区間を走り続けていたら岡山県領域まで行っていまい、智頭ICで降りて、R53を鳥取まで戻る羽目となった →(R53他R9)→ 道の駅:岩美【鳥取県岩美町】(泊)

 

第22日〔5月30日(木)〕 156㎞

道の駅:岩美 →(R9)→ 道の駅:村岡ファームガーデン【兵庫県香美町】 →(R9・K・R482)→ 出石町駐車場【兵庫県豊岡市】(街並み散策・そばを食す)→(K)→ 城崎温泉【兵庫県豊岡市】〔一の湯に入浴〕→(K・R178)→ 道の駅:くみはまSANKAIKAN【京都府久美浜町】 →(R178)道の駅:海の京都宮津【京都府宮津市】(泊)

 

第23日〔5月31日(金)〕 171㎞

道の駅:海の京都宮津 →(R176)→ 道の駅:シルクの町かや【京都府与謝野町】 →(R175・178・175・R27)→ 高浜町郊外のコインランドリー〔洗濯〕→(R27)→ 道の駅:シーサイドたかはま【福井県高浜町】 →(R27)→ 瓜割名水〔給水〕 →(R27・R303)→ 道の駅:若狭熊川宿【福井県若狭町】 →(R303・161)→ 道の駅:藤樹の里あどがわ【滋賀県高島市】 →(R161)→ 道の駅:妹子の里【滋賀県大津市】 →(R161他)→ 道の駅:びわ湖大橋米プラザ【滋賀県大津市】(泊)

 

第24日〔6月1日(土)〕 212㎞

道の駅:びわ湖大橋米プラザ →(R477他)→ 守山市内で給油→(?・R1)→ 道の駅:あいの土山【滋賀県甲賀市】 →(R1)→ 宿場の端の駐車場に車を置いて関宿の町並を散策 【三重県亀山市】→(R1・R25)→ 道の駅:いが【三重県伊賀市】 →(R25・R169)→ 春日大社に出向くも駐車場満車のため断念 →(R169他)→ 道の駅:なら歴史芸術文化村〔偶然見つける立派な施設〕【奈良県天理市】 →(R169他)→ 道の駅:大淀iセンター【奈良県大淀町】 →(R169・R370)→ 道の駅:宇陀路大宇陀【奈良県宇陀市】(泊)

 

第25日〔6月2日(日)〕 78㎞

道の駅:宇陀路大宇陀 →(R370・R165・169)→ 道の駅:なら歴史芸術文化村 → 歩いて石上神宮参拝の後、山の辺の道を少し散策して道の駅に戻る→(R169)→ 大神神社参拝【奈良県桜井市】〔境内にササユリが咲いていた〕 →(R169・R24他)→ 道の駅:九度山【和歌山県九度山町】(泊)

 

第26日〔6月3日(月)〕 107㎞

道の駅:九度山 →(R370・R480)→ 高野山奥の院参詣 【和歌山県高野町】→(R480・R370・R24他)→ 一言神社参拝【奈良県御所市】〔参拝後柿の葉寿司を食す〕 →(R24・R166他)→ 道の駅:宇陀路大宇陀(泊)

 

第27日〔6月4日(火)〕 118㎞

道の駅:宇陀路大宇陀 →(R370・R165他)→ 室生寺参詣【奈良県宇陀市】→(R165・R370)→ 道の駅:宇陀路大宇陀 →(R166)→ 道の駅:飯高駅(泊)【三重県松阪市】

 

第28日〔6月5日(水)〕 277㎞

道の駅:飯高駅 →(R166)→ 道の駅:茶倉駅【三重県松阪市】 →(R42他)→ 伊勢神宮参拝【三重県伊勢市】 →(R23他)→ 松浦武四郎記念館【三重県松阪市】 →(R23他)→ 道の駅:津かわげ【三重県津市】 →(K)→ 鈴鹿IC →(東名阪道・伊勢湾岸道)→ 刈谷ハイウエイオアシス【愛知県刈谷市】 →(伊勢湾岸道・東名道・名神道・東海北陸道)→ 長良川SA【岐阜県】(泊)

 

第29日〔6月6日(木)〕 158㎞

長良川SA →〈東海北陸道〉→ ひるがの高原【岐阜県郡上市】SA →(東海北陸道)→飛騨清見IC →(K)→ 道の駅:飛騨いぶし古川【岐阜県飛騨市】 →(K)→ 道の駅:アルプ飛騨古川【岐阜県飛騨市】→(K)→ すぱーふる桃源郷温泉【岐阜県飛騨市】(入浴)→(K)→ 道の駅:アルプ飛騨古川 →(R41他)→ 古川駅前 →(R41)→ 高山市内重伝建地区探訪散策)【岐阜県高山市】→(R41)→ 道の駅:アルプ飛騨古川(泊)

 

第30日〔6月7日(金)〕 245㎞

道の駅:アルプ飛騨古川 →(K・R158)→(平湯・安房トンネル経由)→ 道の駅:風穴の里【長野県松本市】 →(R158他)→ 道の駅:今井めぐみの里【長野県松本市】 →(K)→ 道の駅:ほりがねの里【長野県安曇野市】 →(K)→ 安曇野IC→(長野道)→ 更埴IC→(R18)→ 将軍塚古墳・長野県立歴史館【長野県千曲市】 →(R18・R144)→ 道の駅:八ツ場ふるさと館【群馬県長野原町】 →(R144)→ 道の駅:あがつま峡(泊)【群馬県東吾妻町】

 

第31日〔6月8日(土)〕 192㎞

道の駅:あがつま峡 →(R353)→ 道の駅:おのこ【群馬県渋川市】→(R353)→ 道の駅;こもち【群馬県渋川市】 →(R17・K・R50)→(小山・筑西・下妻・常総経由)→ 守谷市内コインランドリー → いつものガソリンスタンド → 我が家(帰宅)

 

  • 総日程:30泊31日

総走行距離:5,452㎞

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西海道&西国の旅の記録から(その1)

2024-07-10 02:01:39 | くるま旅くらしの話

<はじめに>

くるま旅を始めてから3度目の九州への旅を思い立ちました。 九州には40年ほど前に福岡に8年間住んだことがあり、まんざら知らない土地では無いのです。しかし、2004年に初めてくるま旅で九州を訪れた時に思ったのは、福岡での8年間は殆ど九州の何たるかを知らない時間だったと気づいたのでした。その時は東九州中心の旅でしたので、その後2012年には西九州を中心に屋久島まで行くというコースを廻りました。そして今回3度目は、もはや84歳にもなってしまっているので、これが最後の旅となるだろうと考え、懐旧の知人たちに逢うことも含めながら印象に残っている幾つかの場所を訪ねたいと思っての旅でした。事前にいろいろ思いを整理しては見たのですが、本当の訪ねたい場所がどこなのかは、何としても思いつかなかったのです。それほどにたくさんの思い出が詰まっているのです。なので、今回はどれだけ悔いが残ってもいいから、とにかくその時々に思いついた場所を訪ねることにしょうと決めました。人の欲望は切りがないから、適当な所で妥協するしかないのです。

自分は老人であるということを自覚はしているのですが、どれほどの老人なのかは殆ど知らないのです。旅を続けるためにと、普段在宅の時には、毎日7~8kmを歩いているのですから、1カ月程度の旅でダウンすることはないだろうと、高を括っての出発なのでした。念のために健康保険証は持参しました。あとはとにかく無理をしないで、出たとこ勝負で対処するしかありません。これが出発前の気持ちなのでした。

それと今回の旅にはPCは持参しないことにして、あとで記録を作る時のために全てノートにメモなどを記録しておかなければならないと考え、それを簡略化するには、俳句や短歌と言った短詩形の表現でメモしておくのが役立つのではないかと思い、とにかくそれをやってみることにしたのです。これは新しい試みではありますが、傘寿を遥かに超えた老人に出来ることなのかどうか自信はありません。とにかくやってみようと心に決めての出発でした。

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西海道&西国の旅の記録から

2024-07-09 19:52:29 | くるま旅くらしの話

<前置き>

 去る5月9日から6月8日まで、12年ぶりに九州を中心に西日本エリアへの旅をして来ました。その記録の整理がようやく終わりました。私は旅が終ると何時もその記録を冊子にまとめて残すことにしています。いつもは日記としてまとめているのですが、今回は思い出として残った事柄を短文と短歌や俳句などで書き残すことにしました。それらについて、明日から少しずつ紹介したいと思います。

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RVパークに失望

2024-06-14 01:10:48 | くるま旅くらしの話

 5月の初めから今月の初めにかけて1カ月ほどの旅をして来ました。先日書きましたように九州方面を中心とする旅でした。何人かの知人との再会を果たし、ご歓待を頂き存分に幸せを味わわせて頂くことができました。又訪問先もほぼ予定通りに訪ねることができたのですが、幾つか残念なことがあったのは、天候に災いされたことでした。一つはあまりにも天気が良過ぎて、暑さに危険を感じて、吉野ヶ里遺跡や信州の将軍塚古墳などの探訪を不意にしたことでした。又、逆に悪天候のため、しまなみ海道の多々羅大橋の空中散歩は断念しました。旅全体を通して一番感じたことは、己れ自身の老化がかなり進んでいることを実感したことでした。夜中に突然足が攣り、あまりの痛さに眠るのも叶わず、又日中の神社やお寺などの参詣の際には、石段や階段を上るのに息切れがしたり、足が上がらなくなったりして、否が応でも老人になっているのを思い知らされたのでした。90歳までくるま旅を続けるためには、体力の維持や健康管理に留意することは勿論ですが、もう一つ大切なことは、今迄の様な移動中心の旅ではなく、訪問先は的を絞るようにして、なるべく滞在時間の多い旅をつくってゆくことだなとしみじみ感じました。30泊31日で総走行距離5,452kmの旅でした。

 旅の中で問題を強く感じたことが一つあります。それはRVパークという日本RV協会が提唱されているくるま旅のための宿泊施設のことです。RV協会が定めた条件を満たす、快適で安心して車中泊が出来る場所ということなのですが、福岡で実際お世話になり、また他の場所でもその実際を幾つか見たりしました。その感想を述べますと、私の体験としては、これでは看板に偽りありとなってしまうのではないかということです。RV協会さんが定めた条件というのがさっぱり分からないのですが、その条件というのは本当にくるま旅を指向している人たちが欲しているものなのかどうか、現状を見る限りでは、理解されていないと実感しました。

 私が考えるくるま旅の宿泊のための条件というのには、次のようなことが含まれると考えています。①駐車スペース(余裕ある)が確保されていること。②昼夜を通してトイレが確保されていること③給排水が可能であること④電源が確保されていること⑤ゴミ処理が可能であること。⑥使用料が安価であること(1泊2千円以下)⑦当日でも予約無しに簡易に使用が可能なこと⑧責任者(管理者)が明確であること。などです。これらの全てを満たすことが出来るとなると、整備されたキャンプ場のレベルとなってしまいますので、RVパークとしては実現困難ということになってしまうと思いますが、道の駅などの公共施設と併せて運営するならば、実現は可能だと考えます。

 実際に体験した現状では、これらの条件はかなり曖昧で、いい加減なものとなっているといわざるを得ません。経営者が本当にくるま旅の人のことを考えているとは思えず、料金だけせしめようとしているだけと云った感じがします。福岡では、RVパークに2泊しましたが、それは大型のショッピングモールの中にあって、駐車スペースは一般の来客用と変らず狭くて、5.25mの長さの私の車では、後部ドアを開けるのが困難な状態でした、トイレは昼間は他の商業施設のものを使用可能ですが、夜間はダメ、ゴミ処理はできず、給排水も不可でした。辛うじて電源装置は用意されていましたが、私の場合は不要なので使ってはいません。このようなレベルなのに、使用料は、1泊2千5百円であり、管理者などは居なくて無人の利用者任せの扱いでした。話をすることも叶わず、真につめたいあしらいだと感じました。やむを得ず5千円を支払いましたが、もう二度とここを利用することは無いと思いました。又三重県のある施設では、道の駅の一部にRVパーク専用の駐車スペースが設けられていて、ここにはコイン利用の電源が備えられており、これは理に叶っていると思いました。その他の設備は道の駅任せであり、道の駅の方には車中泊は遠慮されたいとの張り紙がありました。宿泊料金がいくらなのかを知りませんでしたが、利用者は一人もおらず、20台近くの旅車が道の駅の駐車場に泊っていました。もう一カ所奈良県の場合は、温泉施設に併設されていましたが、日中はトイレなどはOKだとしても、温泉が閉まった夜間は草原の中に取り残された様な場所で一夜を明かすことになるので、道の駅よりも不安の大きい場所となってしまっています。

 このようにRVパークの実態は、設備も使用要領も区々で、とても安心で快適な旅が楽しめる場所にはなっていません。福岡以外のどの場所も利用者は皆無でした。資料ではかなりの数のRVパークが開設されており、中には条件を満たす優れた所もあるのだと思いますが、私が見た限りでは、道の駅に勝るようなRVパークは殆ど見当たりません。これではどんなにRVパークを増やしても、利用者は殆どないという実態が続いてしまうのではないでしょうか。使用料ばかりが高くて、設備も道の駅以下というのでは、利用する気になれという方が無理であり、従って無駄だということになってしまうのではないでしょうか。日本RV協会さんには実態を把握されて、本当にくるま旅の人たちが安心して快適な車中泊が出来るようなRVパークを作るべく、条件を見直しして経営者と折衝して、取り組んで頂きたいと切望する次第です。

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西海道の旅に出かけます(予定)

2024-04-29 21:06:14 | くるま旅くらしの話

 ゴールデンウイークというのが終ったら、西海道の旅に出かけるつもりでいます。西海道というのは、九州の古代の呼び名です。今の世ではあまり聞かないけど、その内に道州制の様なものが導入されたら、必ず登場する名称となるように思います。その意味では、先取りなのかも。

 九州エリアへの旅は、12年ぶりです。コロナがなかったら、もっと早く実現していたと思います。九州は福岡に7年ほど住んでいたので、今は、里帰りするような気分がどこかにあります。人は思い出の数多く残る土地には、誰でも故郷を感じるものではないでしょうか。私は自分が育った郷里の茨城県の他に幾つもの故郷を持っているのを幸せに感じています。それらの多くは旅をして得たものでした。

 さて、今年の九州行ですが、大雑把に考えている行程を紹介したいと思います。家を出たら高速道を利用して、関東から信州を経由して日本海側に出て、北陸道から舞鶴若狭道などを経由して京都の福知山から姫路の方に向かいます。普通は東海側の東名や名神道を利用するのだと思いますが、私の住む守谷からは、どうしても東京都心を通らなければならず、それが嫌なのです。なので、この頃は関西方面へ行くときは、なるべく東京は避けるようにしています。

 姫路からはしばらくR2を走って、途中上郡町や倉敷市在住の知人の方たちとの再会を果たして、そのあとは山陽道で九州に向かい、一先ず福岡の知人たちとの再会を果たすことにします。ここで一息入れてから本格的な九州エリア巡りの旅をしたいと考えています。

 その予定の概要を述べますと、まず佐賀県では、吉野ケ里遺跡や伊万里焼の里を訪ねたり有明海沿岸の昔の残るエリア(重伝建や神社仏閣など)を訪ねた後、福岡県の柳川に寄り、久しぶりにセイロ蒸しを食べた後、熊本県に入ります。熊本県では大都市の熊本市とその近郊はパスして高速道で人吉まで行って降りて、そのあと五木村の道の駅へ行って12年ぶりのその後の様子を確認したいと考えています。又、五木の堅豆腐も食べなければなりません。

 道の駅に1泊したあとは人吉市内を訪ねて諸々の思い出を確認したいと考えています。それが終わったら鹿児島県に入り、先ずは霧島神宮に参拝し、そのあと焼酎やくろずなどの醸造所を訪ねるつもりです。鹿児島県はそれだけにして、大隅半島や薩摩半島の方へは行かないことにします。欲張ると老人の心身への負担が過ぎることになるからです。

そのあとは、宮崎県に入ります。メインの訪問先は高千穂町で、神話の世界を訪ねたいのです。でも途中の都井岬や鵜戸神宮参拝にも立ち寄って、南国の風情に触れたいと考えています。

 高千穂からは山を越えて再び熊本県の阿阿蘇エリアを訪ねます。世界一のカルデラの中の雄大な景観を存分に楽しみたいと思います。阿蘇を経由して次は大分県に入ります。              大分県にも思い出の地は幾つもあるのですが、今回は絞りに絞って、先ずは竹田市の長湯温泉に浸ります。別府よりもこの鄙びた温泉に魅力を感じます。そのあとは久しぶりに国東半島の仏閣を幾つか訪ねるつもりです。富貴寺や両子寺などです。それが終ったら、宇佐神宮に参拝してから高速道の東九州道・九州道を経て中国・山陽道を利用して尾道からしまなみ海道の大三島を訪ねます。目的は、大三島と生口島に架かる多々羅大橋を歩いて往復することです。この空中散歩はどうしてももう一回してみたいのです。しまなみ海道は大三島に行くだけで、空中散歩が済んだら、尾道に戻り、更に中国エリアの山道を突っ切って山陰側に出て、鳥取県米子在住の知人を訪ねることにします。途中、出雲大社や足立美術館、松江城などを訪ねるかもしれません。行きたい所は数多くあるのですが、老人に無理は禁物です。

米子に寄ったあとは、R9で福知山まで行き出石の町を訪ねた後、丹後半島にある道の駅などを訪ねながら宮津の天橋立や舞鶴を経由して小浜まで行き、焼き鯖を買ってから道の駅に泊ります。これで山陰側は終わりとなり、翌日からは湖西道路を経て、石山寺に一寸寄って紫式部に思いを馳せて、そのあと伊賀市の方に向かい、そこから奈良市エリアに出て大宇陀の道の駅辺りに泊りながら、近隣の神社仏閣や史跡などを訪ねることにします。そのあとは高野山に参詣したあと、伊勢神宮の方に向かいます。途中どこかに1泊することになるでしょう。

伊勢神宮に参拝した後は、鳥羽に出て、そこからはフェリーを利用して伊良湖まで行き、浜松を経由して藤枝まで行き、藤枝在住の家内の妹夫婦の家を訪ねることにしています。この訪問が終ったら、我が家に帰るだけです。都心を通るのは嫌だけど、このような場合は止むを得ません。4時間位架かるのかもしれませんが、ま、何とかなると思っています。

今回の九州への旅の凡その行程はざっとこのようなものです。計画はあくまでも紙に書いたものに過ぎず、現実は状況に応じて数多くの変更が発生すると思います。それが又旅の楽しみともいうものなのです。そして数多くの様々な出会いに恵まれるものと期待しています。

心配なこともあります。最大の懸案は、最近各地で頻発している地震や大雨による自然災害に出会わないことです。実際に遭遇してしまった時にどう対処するか。事前に可能な限りの準備をしておきたいと思います。安全を確保し、命を守るために必要なものをしっかり用意することにします

来る9日に出発する予定です。以前は旅の状況を毎日ブログで伝えたりしていましたが、現在の車にはそれを実現できる環境がありませんので、せめて出来事をしっかり記録しておくことにします。さて、どんな旅になるのか。不安と期待が膨らみます。

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老人はサプリ依存症になってはならない

2024-03-30 03:13:09 | 宵宵妄話

 この頃は、TVを見る時間が多くなった。今迄はTVといえば、ニュースやスポーツ番組を時々見るくらいだったが、傘寿を過ぎてからは、ドラマなどを録画しておいて、好きな時間に見るようになった。直接放映されているのを見ることは殆どなくて、8割以上が録画である。

 録画を見ている時、余りにも多いので腹が立つのは、コマーシャルと云う奴だ。その中でも一番目立つのは、老人や中高年向けのサプリメントの類。その他、まあいろいろあるけど、この頃は生命保険までがしゃしゃり出てきている。これらのコマーシャルをどう受け止めるかは、個人の勝手だが、今回の紅麹事件のようなことが発生すると、楽して得するという安易な考えは危険と考える。

 高が錠剤の一つや二つで健康状態が改善されるなどと云うことはあり得ない。サプリの宣伝広告の9割以上はインチキなのではないか?いろいろ能書きをつけてオーバーなことを言っているけど、たった1%の効果でもそれを100%以上に拡大宣伝しているのだから、そのようなものを安易に信じてはいけないのだ。聴いていると実にバカバカしい内容の宣伝が余りにも多いのに驚き、巧みな文句と出演者のそれらしい演技やセリフに大勢の老人などが騙されて、ムダな金を使っていると思えて、他人ごとながら腹が立ってくる。

 例えば、青汁の宣伝で、乳酸菌が○○億個入っているとか云っているけど、そんなのを数えられるわけがないし、青汁がどれだけ野菜代わりになるのかには疑問がある。よさそうなものを皆集めればよさそうな効果が全部出てくるなどと云うことは先ずあり得ない。粉になった葉っぱにどれだけ本物の野菜の栄養が残っているのか、そのことは決して説明などしないのだ。自分は30年来の糖尿病患者だけど、特別なコーヒーを飲んだら食後の血糖値が下がるなどと云うのは、糖尿病の何たるかを知らないで医者からその危険性をアドバイスされているレベルの人たち向けの宣伝なのだろうけど、食後の血糖値が下がるだけで糖尿病が改善されるなどということはあり得ないのだ。無理して高いコーヒーなど買わずに自分が気に入ったコーヒーを飲めばいいのである。コマーシャルに出てくる人たちは上手に演技しているけれど、騙しのサクラをやっていることを反省すべきではないか。生命保険などでは、85歳まで加入可能などと云っているけど、老人は死んだ後のことなど考える前に死ぬまでをどう生きるかをしっかり決めて実行する方がずっと大事なのだ。死んで保険金が貰えるわけではないから、死んだ後の身内などのことを考えているのだとは思うけど、ほどほどにしておいた方がいい。この頃の保険会社は、老人までをもターゲットにしているのかと思うと、だんだんと嫌な世の中になって来ているのを感じて怒りがこみ上げてくる。

 今回の紅麹事件などは、健康上のトラブルを改善できるなどと云って、その原料を様々な薬品や食品などつくる関係先に配ったのであろうが、自分にとっては、日頃の不信を明確に証明してくれている気がしてならない。恐らく今回の小林製薬以外にも、世間の善良な人たちを騙し続けている企業などが数多く潜在しているに違いない。

人の弱点は様々あるけど、加齢に伴う最大の弱点は老化をはじめとする健康関連事項であろう。そこにつけ込んだ様々な奴原が巧みに騙しのテクニックを拡大しているのが今の世の中なのかもしれない。とにかく今の世は利便性の追求に明け暮れており、何でもかんでも楽して得するという考えに振り回されている気がしてならない。

 「楽あれば苦あり」という箴言があるけど、まさに今の世の今は、人類全体が樂(=利便性)を求めてきた結果、そのしっぺ返しとしての苦を味わわされている、そのような時期に突入している気がしてならない。オーバーに言えば、人類がこの地球を食いものにして破壊し続けた結果のしっぺ返しが温暖化であり環境悪化による自然災害多発となっているのではないか。これは大きな問題だけど、個々人に於いても同様のことが云えるのではないか。健康管理を疎かにして好きなように飲み食いを続け、ロクな運動もしないでやって来て、気付いたら老人になっていて、慌てて楽な方法で健康上のトラブルを逃れようとして、半ばインチキな広告宣伝に気をとられてサプリや飲料、食品などに取りついて、騙されるという構図に多くの老人などが嵌っているのが現状なのだ。人生経験を多く積んで賢い筈の老人たちが、コロリと騙されるのは、染み着いている「楽して得する」と云う考え方が弱点となって、「楽あれば苦あり」という先人の箴言をすっかり忘れ去っているからなのであろう。

あの世に行ってからどうなるのかは全く分からないけど、生きている間は、騙されない老人になって、人生を全うしたいものだ。

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能登の旅の思い出に寄せて

2024-03-24 04:52:20 | 宵宵妄話

 能登半島大地震が勃発してからあっという間に3ケ月が過ぎようとしています。傍観者の私などから見ればそのような感じなのかもしれませんが、被災された方々から見れば、復興が遅々として進まず、最も大切な生活インフラの回復さえもまだまだはっきり見通しが立たず、今でも水が出ないという厳しい現状の暮らしは、長い長い悪夢が続いているとしか思えないのではないかと思われます。私と同じ様な80歳を超えた被災者の方の心情は如何ばかりかと、それを思うと、胸が痛みます。人生の晩期に於いての突然の日常の喪失は、最後の力を振り絞って現実に立ち向かうには、余りにも苛酷な課題なのではないかと思えてなりません。とにかくも、早く冬が終って温かさが戻ってくることを願うばかりです。 

 能登を訪ねることが能登の人たちの復興を後押しすることにもなるとは考えていますが、それがいつ出来るのか、今は見当もつきません。能登を旅したことが何回かありますが、その時の思い出などを書いてみたいと思います。能登を旅するときは、金沢を出て、羽咋市の方から半島を右回りで訪ねるというコースと、反対に富山県氷見市の方から左回りで訪ねるコースがあり、そのどちらも何回か経験しています。左回りで思い出の地を廻ってみます。氷見市を出た後は、国道18号線を海岸に沿ってボラ網などを見ながら七尾市までゆっくりと北上し、七尾市の道の駅に寄って中を覗いて 獲物を探し、その後は和倉温泉に寄って、(時間帯にもよりますが)総湯に入って温泉を楽しんだ後、今度は国道249を辿って、珠洲市の方に向かいます。海沿いですが山道も多くて、起伏に富んでいるので、珠洲までは遠く感じる道なのです。珠洲近くの恋路海岸に届いたら、まっ先に造り酒屋の宗玄酒造を訪ねます。ここで必ず酒を何本か買い入れます。ここの酒は、飲み過ごしても決して悪酔いしない酒なのです。なので、年末近くに訪ねた時には1升瓶を6本も買った時もありました。ここの酒を飲むと嬉しくなるので、帰ってから知り合いの呑み助たちにも配るのです。でも、勿論旅の間は飲みません。酒を仕入れたら、次は海岸の方へ行って、見附島を見ながら休憩します。この島は本当に軍艦風に出来ていて、自然の造形ながら感心してしまいます。その後は珠洲市市内をかすめて国道249を曽々木海岸の方に向かいます。岬の先端の緑剛崎へ向かう道もありますが、まだ行ったことがなく、これから訪ねる予定でした。曽々木海岸には塩田があり、そこに寄って能登の塩を買い入れます。これは家内の関心事です。塩を手に入れたら、少し横道に入って、国指定文化財でもある古民家の時国家を訪ねます。これは川崎や東京で古民家のボランティアをやっていた家内の願望でもあります。そのあと海岸の道をしばらく進むと、千枚田ポケットパークの道の駅があり、ここで一息入れて、眼下の崖に海岸まで続いている米白千枚田と呼ばれている棚田を眺めて、人間の米づくりへの執念の逞しさを実感します。

そして、その後は輪島に届いて、名物の朝市などを探訪するのですが、朝に行ったことはなく、大抵は昼市の時間帯となっています。市場などを覗いた後は、門前町の方を目指します。門前町では勿論総持寺祖院を訪ねます。ここは曹洞宗の大本山の一つであったのですが、火災事件があり、総本山は現在神奈川県横浜市の鶴見に移されています。又この門前町の海の方には黒島というエリアがあり、そこは重伝建に指定されている船主集落があります。江戸から明治時代にかけて北前船を初め、廻船業を営む人たちの基地があった所で、狭いエリアだけど豪勢な家々が幾つも並んでいます。そこを探訪したあとは、羽咋の方に向かい、志賀町の道の駅の温泉に入った後、そこに泊るか時間に余裕がある時は金沢方面に向かうのです。これが左回りコースの概要ですが、右回りの場合でも大差ありません。勿論この他に新たな寄り道を見つけて行く場合もあります。その他にもまだ行っていなくて、これから行こうと考えている場所も幾つかあります。

これらの場所は、今どうなっているのでしょうか。TVを見ていると、とんでもない状態となっているのが映っています。あの軍艦島はかなりの部分が崩れて砲撃を受けて破壊された船のようになってしまったし、宗玄酒造さんもかなりの打撃を受けてしまったようで、あの美酒がこれからも飲めるのかどうか心配です。塩田のことは放映されているのを見ていないので判りませんが、近くのあの巨大な古民家はどうなったのでしょう。とても無傷とは思えません。輪島市の惨状はもうこれ以上はない地獄の感じがします。総持寺祖院もかなり大きく被災していたし、黒島エリアの情報はありませんでしたが、ここも無傷ではあり得ないでしょう。志賀町の原発が大きな問題がなかったのは不幸中の数少ない幸いでしたが、恐らく課題を抱えているのではないかと心配です。

これだけの思い出の地を一気に破壊し尽くすという大自然の行為の凄まじさは、この先自分たちが住む関東エリアにも70%以上の発生確率と伝えられている大地震が起こった時の現実を想像すると、身の毛が弥立ちます。人生の晩期に入って残り少ない我が人生に於いて、未だ幾つもの訪問先を残している能登エリアへの旅が実現できるのかどうか、不安が膨らむ毎日です。一日でも早く実現できる日が来るのを願うと同時に、この地震の国の何処にでも大地震や火山の大爆発などが起こらないことを強く強く願っています。

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「走る別荘:車中泊の旅」をみて思ったこと

2024-02-10 08:11:31 | くるま旅くらしの話

     TV(BS-TBS)で「走る別荘・車中泊の旅」という番組を見ています。番組の内容は、タレントや俳優の方たちが車中泊の出来る車を借りて2泊ほどの短い旅に出掛けて、途中地元の野菜や肉などの食材を調達して、思い思いに調理をして車中泊するというもので、この間に様々な人との出会いなども紹介されていて、これはもう自分たちの旅そのものなので、大興味があるのです。

ここで紹介されている車中泊の旅が自分たちの場合と違うのは、その長さなのです。何の長さかといえば、一つは期間であり、もう一つは走行距離なのです。期間でいえば、私たちの場合は10日以上を旅くらしと称しており、その場合の走行距離は1,000km以上となることが普通なのです。このような旅くらしを私たちは20数年続けて来ており、最長は2018年に「北海道の来し方(=歴史)150年を訪ねる旅」で、期間は112日(=約4カ月)、距離は11,235kmでした。これは特別の旅で、普通は1~2カ月ほどの旅くらしとなります。

 「走る別荘:車中泊の旅」をみていると、その出演者の方たちが気の毒になります。たった2~3日で車中泊の楽しさを可能な限り詰め込んで見せようとする意図があるため、それなりの面白さはあるというものの何だか窮屈に感じられてしまいます。番組で紹介されているような車中泊を1週間、1カ月と続けたら、どのような出会いに恵まれるのか、想像するだけでも楽しさが膨らむのではないかと思います。

そうなのです。私たちはそれを実現・実行して来たのです。

先日の番組では、渡部豪太という俳優の方が、会津の喜多方市や会津若松市や奥会津を訪ねる旅をしたのが紹介されていました。それを観ていると、磐梯町の道の駅や喜多方、会津若松の街などが紹介され、ゴールは金山町で天然炭酸水をゲットし、近くの温泉に入って終りという内容でした。これを観ていて、その殆どが何回か訪ねた場所であり、勿論内容は違うのですが、懐かしさを覚えずにはいられませんでした。このような番組を見ていると、それまでいささか意見が違って険悪化していた家内との関係もたちまち改善されてしまい、笑顔まじりでの共通の思い出の話題が膨らむことになるのです。

 渡部さんの訪ね先は予め良く知った方が決めておられたのだと思いますが、喜多方の造り酒の家で酒水を汲むというのは参考になりました。私も水には関心があり、全国の名水のある場所を訪ねていますが、酒水を汲んだのは北海道増毛町(国稀)と青森県弘前市(豊盃)の酒造りの家だけで、喜多方でも出来たのだとは気づきませんでした。天然炭酸水の方は知っていますが、未だ温泉には入っていませんでした。(この番組では、天然の炭酸水はこの場所唯一だと紹介されていましたが、確か大分県の直入町にはラムネ温泉というのがあり入ったことがあるのですが、あれも炭酸水ではなかったかと思いながら見ていました)今度行ったら、彼の訪問先を参考にして自分たちも会津地方をもう一度訪ねて見たいと思いました。

 私たちのくるま旅は、予め決めておいた場所を訪ねるケースも勿論ありますが、偶然の出会いも数多くあり、むしろその方が旅の楽しみを深化させてくれるように思っています。未知のものとの出会いは常に不安と期待が綯い交ぜであり、これが旅の醍醐味なのだと思いますが、既知のものであっても旅には新たな発見が多いのです。例えば何度も訪れている名所旧跡の観光地であっても、一回だけで見られる箇所はほんのわずかであり、それはただそこに行っただけという記憶に止まるに過ぎないことが多いのです。私たちは、名所旧跡の観光地は何回か再訪して始めてその価値が判るのではないかと思っています。何度訪ねても必ず新しい発見があり、飽きることはないのです。

 今年は能登を訪ねるつもりで私なりに準備をしていたのですが、とんでもない大地震に見舞われてしまい、珠洲も輪島の街もその他のエリアも壊滅状態となり、とても訪問できる状態ではなくなってしまいました。毎日被災された方々の様子を見るにつけても一日も早い回復を祈らずにはいられません。老人となってしまった今では、旅車ですっ飛んで行って手伝おうとしても、ただ邪魔になるだけで何の力にもなれません。ただ祈ることしか出来ないのがもどかしく残念です。完全に復興が成し遂げられるまで、果たして生きていられるのかが心配ですが、存命の限りは再度能登を訪ねたいと思っています。先ずは、能登町に行って真脇遺跡を訪ねてイルカ漁が盛んだったという6千年前の縄文時代の人々の暮らしに思いを馳せてみたいと思っています。

 TV番組の意図を飛び出し、外れた感想となってしまいましたが、くるま旅には生きるために必要な力を気づかせてくれる大きな大きな力があり、くるま社会となっている今の時代には、より多くの人たちに旅の力を感じて欲しいなと考えている老人なのです。

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