くるま旅をしていると、思わぬ所で、思わぬ出来事に出会うことがあります。この話もその一つなのです。
偶々TVでNHKの「新日本紀行」という番組を見ていたら、五木村のことが出ていました。この番組は50年ほど前の取材と現在の状況を一緒に紹介してくれるので、大変興味を持って見ています。全国各地の昔と今が紹介されていますが、その中には旅先で訪ねた箇所が幾つかあり、その時のことを思い出させてくれるのです。
九州の旅は今までに3回行っていますが、2012年に初めて五木村を訪ねました。今から13年前となりますので、その時はTVで紹介された50年前の五木村とは大きく変わっていたのだと思います。林業のための小屋や焼き畑農業などはあとかたも見られませんでした。
2012年には九州の南部を中心に昔を訪ね回って、屋久島まで足を延ばしてその帰途に人吉市の昔の城址や国宝青井阿蘇神社などを訪ねた後、その夜は比較的近い五木村にある道の駅を訪ねて1泊しました。その時の印象です。
五木村と言えば、何と言っても子守唄が有名です。道の駅も「子守唄の里五木」となっています。ここは五家荘や椎葉にも近い大変な山奥の里です。その昔平家の落人たちがここまで逃げ延びて、その末裔の人たちが営々と今日まで暮らしを保ってきた場所でもあると理解していますが、いつも思うのは、源氏というのは随分としつこい連中だという嫌悪感です。それは今日だから言えることなのかもしれません。とにかくとんでもない山奥での暮らしは、当初から困難を極めたものだったのではと同情せずにはいられません。五木の子守唄は、そのような源平の争いなどが過ぎたずっと後になって生まれたものだと思いますが、山奥の里での暮らしは貧しくて、幼い子供でも村の生活に安穏することは許されず、物心がつく頃になると村を出されて子守の仕事に就かされるなどして、背負った子をあやしながら涙ながらにふる里を思い口ずさんで生まれたに違いありません。幾つか知っている子守唄の中で、これほど哀しいメロディと歌詞の唄は無いのではないかと思うのです。現代の貧しさとは異種のどん底の貧しさの中で生まれた唄なのです。
道の駅に着いた時には、あの哀しいメロディが夕刻までスピーカ―から流れていました。しかしそこで見た景色は意外なものでした。そこには昔の五木村を思わせるような景色は全く無く消え去っていたのです。山の中腹にある家々は皆新しくて、街の中で見かける家と変わらないものばかりでした。茅葺の家など全く見られないのです。初めて来たので、予想とは全く違っている景観に驚きました、あの子守唄のメロディからは想像もできない景色なのです。どうしてなのかとその違和感に戸惑いました。
その夜は東北から一人旅で来られたという人と遅くまでくるま旅の談義をしました。そして翌朝、旅先では必ず付近の散歩をするのですが、道端に立派な記念碑のようなものがあるのに気づきました。そして近くには深い谷を跨いだ造りかけの大きな僑が見られました。なんだか五木村には相応しくない景色だなと思いました。その記念碑に近づいて、それを読んでみるとこの違和感の原因が何かということが解りました。
五木村の現在の道の駅辺りからは深い谷が見下ろされて、そこを一条の川が流れているのが見られます。五木村の集落は、昔はその河辺川という細い川に沿って営まれていたのです。しかし、30年ほど前からこの川をせき止めてダムをつくるという話があり、村の人たちはこの計画に真っ向から反対し、村を挙げての反対運動に取り組んで来たのです。生まれ育った故郷を出て行けというのですから、どんなに貧しい村でも、そこに住む人たちから見ればハイ解りましたと頷けるわけがありません。ダムの建設理由は、河辺川はあの急流の球磨川の支流で、その下流域では過去何度も大きな水害に見舞われて、これを防ぐためということなのでした。長い反対運動の結果、下流域の人たちのためにという説得を受け入れて、ようやく反対運動を止めて建設に同意したということでした。その様なことが「新たなるふる里をめざして」というタイトルでその経過が記念碑に書かれていたのです。

記念碑には、村人たちの悲しみと強い無念の思いが綴られていた。
その補償金などで谷底からこの中腹に新しく開けた土地に多くの村人が移住したのだと思いました。だから新しい現代建築の家が建ち並んでいたのです。ここはもう昔の五木村ではないのだというのを実感した次第です。
しかし。その後の話がまだあるのです。その記念碑の傍から見る谷を跨いで新しい橋が造りかけているのはどういうことなのかと思ったのです。それで近くの方に訊いてみると、何とその後ダム造りが中止になったということなのです。往時の政権が税金の無駄遣いの一つとしてこのダム造りを取り止めにして、その代わりに橋を造ることになったという話なのでした。そう言えば、2009年に政権交代劇があって、国会などでいろいろ議論されていたのを思い出しました。その様な理由でダム建設が止めになって、今は故郷に戻ることも出来ない村人たちは、一体今どのような思いでこの経緯を見ておられるのかと、その無責任とも思える政治のあり方に怒りがこみ上げました。
さて、それから13年が過ぎて、昨2024年に再度五木の道の駅を訪ねて1泊したのですが、新しい家並はそのままであまり変わってはいませんでした。でも道の駅にあの子守唄は流れておらず、13年前にその味の虜になった豆腐(堅めの豆腐で絶品なのです)はもう手に入らなくなっているのかと心配したのですが、何とあの豆腐は自動販売機で売られていたのです。安堵しましたが、最近の世の中の移り変わりを見せつけられたようで、少し複雑な気持ちになりました。その後橋はどうなったのか見てみましたが、よく判りませんでした。只、ダムはまだ造られてはいないようでした。とにかく変わりゆく村の様子を見て、複雑な気持ちで道の駅を後にしたのでした。
ところが先日「新日本紀行」を見ていたら、何と、現在五木ダムが造られているというではありませんか! 昨年の旅ではそのことには気づかなかったのですが、ダム建設の中止からしばらく経って、下流域の人吉市では大洪水に巻き込まれて、大きな被害を蒙ったというニュースを見ていて、ダムの建設を中止せずに完成を見ていたら、あれほど酷い災害にはならなかったと思ったのを思い出しました。それが現在は再びダムが造られているというのです。そのこと自体は下流域の洪水防止のためにもその必要性は理解できるのですが、この間の政治のありようについては、国も県も随分と無責任であり、五木村の人たちはこの有様をどんな思いで見ているのかと怒りを覚えました。政治が中途半端な先見性で行われると、一つに村の存在までが翻弄されるのだというのを思い知りました。
現在の村人たちには、どうせ元には戻れないのだから、もうダムを造ろうと止めようとどうでも良いという気持ちになるのかもしれません。でも、私はこのような政治の誤りを許すべきではないと思うのです。今でもあの「新たなるふる里をめざして」という記念碑は健在なのです。今回の新日本紀行の中では、NHKはあの碑のことには一つも触れてはおらず、これは歴史を見る目の片手落ちではないかと、そう思ったのです。
くるま旅をしていると、思わぬ所で、思わぬ出来事に出会うことがあります。この話は、期せずして政治のいい加減さと国を運営することの難しさを教えてくれたのです。