山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

SUN号に惜別する

2021-03-25 05:56:21 | くるま旅くらしの話

 コロナ禍が一向収まらず、ストレスは溜まる一方です。人間という生きものは、行動を制限されるというのが如何に息苦しいものなのか。知らず知らず思考回路が閉鎖されて、無気力となって来るのを、それと知りながら抑え止めることが出来なくなってしまうようです。この1カ月間は、無気力のまま徒に時間だけを浪費した感じがあります。

 それでも一つだけ取組んだことがあります。それは、早や齢傘寿を迎え、この先少なくとも10年くらいくるま旅の現役を続けるために何を考え取組む必要があるのか。残された時間を最大限活かすために何をするべきなのかに思いを巡らしました。その結果、新たな出発をするために、20年近く連れ添った旅車(=SUN号)を手放し、これからの新しい旅のための旅車(=SUN2号)を用意することを決心しました。このことについては、年の初めにも少し触れているのですが、それを実行に移したということです。

 我が愛車SUN号は、旅車としては2台目で、現役をリタイアして間もない20年ほど前に、思い切った投資のつもりで買い入れたものでした。くるま旅を本格化するためには、走行性だけではなく居住性の優れた車が不可欠であり、それまでのバンコンからキャブコンに替える必要があったのです。SUN号はその条件を十分満たしてくれたと思っています。大枚をはたいて購入した時は、この車がくたばるか自分がくたばるまで旅を続けようと心に決めていました。その時が来るのは、恐らく80歳くらいだろうと見込んでのことでした。

 気がつけば自分はすでに80歳に到達しており、元々人生80年が一区切りだと考えていたのですが、早くもそのゴールを突破してしまったのです。SUN号も自分もくたばることなく、まだ少しは余力が残っているようなのは幸いなことでした。

 しかし、冷静に考えれば問題が起こるのは車も自分もこれから先のことであり、それは遠からず急ぎ足でやって来る必然なのです。

 SUN号はすでに働き始めてから20年近くになり、走行距離は25万キロ近くとなっています。エンジンは健在順調で、車の走行の部分はまだまだ大丈夫です。装備の方も外観はともかくその機能面においては、不安を覚える様な箇所は殆どありません。しかし、これからはメンテナンスのためのコストの増大は不可避だろうし、エンジンの方も限界がないわけではないので、ずっと安心というわけにはゆかないのは明白です。リタイアの潮時に至っているのかも知れず、もしかしたら過ぎてしまっているのかも。

 自分の方といえば、依然としてコロナ禍の渦中にあり旅の自由さが保障されているとは言えず、加えて我が身は現在取りついた癌の治療中にあり、こちらも又引退の潮時が来ているのかもしれません。しかし、くるま旅を引退することは、自分にとっては人生を諦めて冥土の旅に就くということであり、それは自力で我が身を生かすことが出来なくなった事態を意味することになります。これは現在の自分には最重要の問題であり、余力のある中での引退は、生きる力を失うことに直結することになります。まだしばらくの間は冥土への旅は無用だと考えているのです。

 そこで、先ずはSUN号への未練を断つことを決心しました。SUN号を失うことになれば、代替の新しい旅車が必要になります。経済的にもキャブコンは不可能だし、取り回しも簡単な方が良いと考え、手づくりのバンコンにしようと決めました。既成の中古車バンコンなどよりも、新車のバンにした方が自分の工夫を取り入れる楽しみもあり、元気が湧くと思ったのです。

そこで、バンタイプの車を買うという前提で、SUN号の下取り価格がどうなるかを見てから最終決断をしようと考えました。下取りや売却の価格があまりに低いのならば、乗り換えは止めて、本当に最後まで乗りつぶして、自分もくるま旅を終わりにしようと考えました。SUN号が惨めなレベルの価格のまま新しい車に乗り換える気にはなれないのです。

 これは一つの賭けのような勝負でした。何件か購入先を探して当ってみたのですが、結果的にSUN号の査定が思ったよりも高いレベルだったので安堵しました。価格は書きませんが、SUN号の値打ちが認められ、未だ活躍の場が残っていると評価されたことに満足しました。それで、決心がつき新しい車を発注することにしました。

 自分は予てから、リタイア後の人生を心豊かに活き活きと生きたいと願っていて、その核にくるま旅を据えてここ四半世紀を過ごして来ました。その思いは今でも変わらず、SUN号と一緒の旅の思い出は、無数の人生の宝ものを掘り当てる旅だったと思っています。家内共々この20年間の旅は、世の中を見る新しい感覚や視点をもたらしてくれ、二人を成長させてくれました。それはSUN号に対する投資の大きさなどをはるかに凌ぐ成果を与えてくれたのです。

 SUN号に対する感謝の念は、単なる物に対するようなものではなく、それを超えた心情に連なるものであり、この後も長く強く記憶に残るものとなります。まさに愛惜の別れなのです。

 ということで、これからしばらくは、新しいSUN2号を作り出さなければなりません。寝床とトイレと冷蔵庫など旅のための車のインフラを整えなければなりません。今までのキャブコンでの旅の無駄な装備(その様なものはなかったのですが)を見直し、必要最小限のレベルの簡単なものとし、不足部分は新しいくるま旅のあり方を創出することでカバーしてゆく考えです。

 コロナ禍の沈滞の中で、僅かに活力を見出せる時間をつくりだすことができたのかなと思っています。それにしてもSUN号との別れは複雑なものでした。

コメント
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