山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

筑波山登山の記(第35回)

2015-04-26 02:24:29 | 筑波山登山の記

<第35回 登山日 2015年4月22日(水)>

 前回は男体山登山の御幸ヶ原往復コースだったので、今回は白雲橋コースを往復して女体山に登ることにして出発する。今回は1時にはもう起きていたので、寝過ごすことも無く予定の4時に家を出発する。最近の日の出は5時を少し過ぎた頃となっており、4時になるともう夜が終わりかけているのが判る。道路は空いていて、走っているのは殆どが大型・中型のトラックばかり。40分ほどでいつもの駐車場に到着する。今日もウグイス君たちが姦しく「ホー、ゴインキョ」で迎えてくれた。この辺一帯のウグイス君たちは、何ともはや「ご隠居」に関心大らしい。

 今日からはしばらく晴れ基調の天気が続くようだ。しかし、朝夕は結構寒くて、車の外に出ると冷気が一気に押し寄せて来た。この駐車場辺りの標高は300mを少し超えるくらいか。直ぐに準備をして歩きを開始する。神社脇を通って、間もなく登山口の鳥居を潜る。前回のこのコースは雪の世界だった。あれから2週間が過ぎて、勿論雪など残っている筈もなく、あの出来事は何だか遠い過去の夢幻世界のように思えてくる。登山道は、昨日まで続いた雨模様の天気で、ぬかるみは消えていない。滑り易いので、足元には要注意である。

 今日は小鳥たちのさえずりというのか、鳴き交わす声が賑やかである。何という鳥なのか、知りたいと思っても姿も見えず、ただ聴きながら歩くのみ。白蛇弁天からは、ほぼ直線的な登りの道が続いている。前回は雪で足元の位置が確認できなかった箇所も、今日はむき出しの石がゴロゴロと続いている。1時間ほど登って、弁慶茶屋跡に着く。前回は、ベンチに20センチほどの雪が積もった向こうに下界が俯瞰できたが、今日はそのベンチはただの古びた腰掛にしか見えない。下界も霞にけぶっている。一呼吸して先に進む。

   

今日の弁慶茶屋跡からの景観。前回はこのベンチの上に純白の雪がこんもりと積もっていた。2週間前の出来事であった。

 ここからはこのコースの楽しみが満載の箇所となる。先ずは弁慶七戻りの大岩を潜る。少し登って右手に高天原、更に少し登ると母の胎内くぐりの大岩がある。まだここを潜ったことはない。ここを潜れば生まれ変われるということらしいけど、生まれ変わっても自分的には又同じような人間にしかなれないことを知っているので、胎内は本物の母だけで十分満足している。その先はほんの少し平らな道になるのだが、ここには右手に巨大な陰陽石がある。不思議な造形が続く。

 更に少し登ると国割り石という何だか古事記の神話に出て来る石の世界があり、その先に出船入船という不思議な形の石があり、その少し先に裏面大黒というおかしな格好の大岩がある。これらを見ながらの歩きには、疲れなど全く忘れてしまう。大岩の力というのは、甚大なものなのだなと、通過する度にいつも思う。少し登り下って平らになっている箇所は、先日は樹氷の名所とも思える景観だったが、今日は未だ芽吹きも始まらないブナの林の景色だった。北斗岩を過ぎ、少し登ると大仏岩があり、もうここまでくると女体山頂まであと200mである。6時50分山頂に到着する。

   

前回は見事な樹氷林だったこの道には、間もなく芽吹きを迎えようとしているブナたちが静かに佇んでいた。正面は女体山。

 今日の山頂は、吹き上げる風も無く穏やかな空気に包まれていた。自分以外に誰もおらず、久しぶりに独り占めの気分を味わった。女体山頂は男体山のそれに比べて展望が利く。360度とはゆかないけど、250度くらいは関東平野を俯瞰できるのではないか。頭上には澄んだ青空があるのだけど、それ以外の遠景はどこも霞んでいてはっきり見えない。いつもは見える霞ヶ浦さえ朧である。このところの雨と少し暖かくなったことで、空気が膨らんでいるのかもしれない。本来の春の景観ということなのかも。先日見事な綿飴樹氷を作っていた木の枝には、若葉が芽生えていた。樹の名前は解らないけど、これはブナではないようだ。ブナたちは未だ目覚めていないようだ。しばらく独り占めの景観を楽しむ。

   

今日の女体山頂からの俯瞰。関東平野は間もなく田植時を迎える田畑の耕作の最盛期を迎えようとしているようだ。

   

前回は見事な綿飴樹氷を作っていた女体山頂付近の木にはもう逞しい若葉が芽吹いていた。

 毎度着替えを持参しているのだが、さっぱり汗をかかないので、いつも持ち帰るだけとなっているのだが、今回もそうなってしまった。今日は大して寒くも無いというのに、どうして汗をかかないのか不思議に思う。かかない方が面倒でないから好都合のように思えるかもしれないけど、自分的には大汗をかいて体内の水系統の器官を循環させて活性化したいと思っているので、何か物足りない。もしかしたら、老人となって早くも枯れ始めたのでは?などと思ったりした。次回以降に期待するしかない。下山を開始する。

 下りは油断なく足元を確認しながら歩を進める。今日も二本の杖を持参している。今回は少し長めの物でトライしてみようと、20年ほど前に西国三十三観音巡りをした時に第一番寺の青岸渡寺で買ったものを持参している。この時の杖が3本残っていたので、それにニスを塗って再使用することにした。長さが150センチほどあるので、下りには効果的かなと思った次第。使って見て、長さはOKなのだが、この杖には頭の方に宗教的なギザギザ模様が刻まれており、それが握りを邪魔しているのが残念な感じがした。ま、要は使い方次第ということかもしれない。

 淡々と下山を続ける。弁慶茶屋跡を過ぎた少し下に沢があって、その付近に二輪草の群落があり、その周辺にはカタクリやキクザキイチゲも多く見られるのだが、前回は全くの雪の中だった。2週間後の今は、カタクリとキクザキイチゲたちの花は雪と一緒に消え去ったようで全く見られず、純白の二輪草だけが春を謳歌していた。そこを通過した後は、ひたすら足元を見ながら下山を続ける。白蛇弁天が近づく頃に、登山道が、散った桜の花で真っ白に染まっているのに気づいた。登るときはひたすら足元ばかりを見ていたので、このような風情ある景色に気づかなかった。何処に桜の木があるのかわからないのだけど、これはもう山桜に違いない。やっぱり、山桜はいいなあと思った。間もなく登山口に着く。

   

山桜の花吹雪の道。これは上の方から撮ったもので、写真では平らのように見えるけど、実際はかなりの急坂である。

 あとは駐車場まで歩いて戻り帰るだけなのだが、この途中に気になっている場所があった。それは筑波山神社の境内脇に咲いている筈のツクバキンモンソウの確認である。ジュウニヒトエに似たこの小さな植物には、特別の愛着があって、3年前に見つけて以来、毎年それを見るのを楽しみにしている。今朝も登りの時に咲いている筈のその辺りを探してみたのだが気づかなかった。それで、帰りにはもっと慎重に探してみようと思っていた。まだ少し早い時期なのか、土手に生えている草たちも少ない感じがするけど、ツクバキンモンソウはなかなか見つからない。少し下ってようやく発見した。小さな株が3つほどあって、紫色の小さな花を咲かせていた。嬉しく安堵した。良かった。それにしても昨年はもっとたくさん元気よく咲いていてくれたのに、こんなに少なくなっているのはどうしたことだろうと思った。もしかして、筑波山も山麓辺りは駐車場の工事などが続いており、次第に本来の筑波山らしい環境ではなくなって来ているのかもしれない。ちょっぴり複雑な気持ちになった。

   

筑波山神社境内の脇道に見つけたツクバキンモンソウ。地べたに這うようにして小さな紫の花を咲かせている。注意してみないと見過ごしてしまう存在だ。それ故に愛おしい。

 駐車場に戻ったのは8時20分だった。直ぐに車を出発させ帰途に就く。自宅に戻ったのは9時15分だった。今月4回目の登山を終えて、身体の方も次第に馴染んで来たらしく、もはや筋肉痛も殆ど感じなくなった。あと一回くらいは基本コースを辿ることにして、そろそろよりハードなコースにチャレンジしたいと思っている。何よりも、大汗をかきたいと思っている。  

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筑波山登山の記(第34回)

2015-04-20 06:51:54 | 筑波山登山の記

<第34回 登山日 2015年4月16日(木)>

   先週の白銀の世界への登山から1週間が経った。この間、次の登山を早めにしようと待ち構えていたのだが、天気はずっと愚図ついていて、曇りどころか雨や雷雨などのロクでもない空ばかりが続いていて、あっという間に1週間が過ぎてしまった。ようやく晴れとなったので、今日は少し早い時刻に家を出ることにした。

  4時には家を出るつもりが珍しく寝過ごし、15分ほど遅れての出発となった。天気は予報通りのようで、少し雲は残っているものの、昨日の雨で清められた空には下弦を何日か過ぎた月が、東の空に鋭い鎌形をして光っていた。もう今ごろは日の出が5時を少し過ぎるくらいになっているので、4時半になると空が明るくなり出して来ている。早朝のドライブは快調で、40分位でいつもの駐車場に到着する。駐車場付近の森にはウグイスたちがたくさんいて、この地のウグイス君たちは「ホー、ゴインキョ、ホー、ゴインキョ」と鳴くので、何だか自分が呼ばれているような気がして、思わず笑ってしまった。靴を履き替え、直ぐに出発する。

  今日は御幸ヶ原コースを、男体山を目指して往復するつもりでいる。早朝の門前町は静まり返っており、通る車も人もいない。大御堂というお寺の脇の急坂を登ってしばらく歩くと筑波山神社の脇にある登山口に至る。早速登山を開始する。今日は淡々と登り、淡々と下りて来るだけにしようと思っている。先週の雪以来何度かの雨と、特に昨日の一日中降り続いた雨で、登山道の足元はかなりぬかるんだ状態となっていた。所々水が溢れている箇所があって、筑波のお山もまだ排水中という感じだった。

  今日は新兵器(?)を持参している。それは2本杖である。いつもは仙人が持っているような6尺ほどの手づくりの長い杖を使っているのだが、今日は4尺ほどの短い杖を2本持参して、それを両手で使い分けようというわけである。いずれも昨年の冬に家の付近の森や林を歩き巡って、樫の木の手頃な長さの枝を伐ってきて皮を向いて1年ほど乾かし、火であぶり、その後にニスを塗ってこさえたものである。このような杖を5~6本作ってあるのだが、短いものを持参したのは今日が初めてなのだ。市販されている2本杖を持っての登山者を多く見かけており、自分もそれを少し真似てみようと思った次第。但し、買うのは面白くないので、杖は全て自作しようと思っている。

杖を手づくりしようと思ったきっかけは、秋田県大仙市の旧中仙町に住んでおられた、彼の有名民謡「ドンパン節」の作者である円満造ジサマ(本名・高橋市蔵~東北の左甚五郎と呼ばれた名人宮大工)を知ってからである。大仙市にある道の駅:なかせんには、米俵の上にちょこんと乗った円満造ジサマの塔が建っているけど、その下の方の写真には、杖を持った円満造ジサマが写っている。それらを見て大いに刺激され、憧れとなっている。これからも良い枝ぶりの木を見つけたら、ものにしたいと考えている。

  脱線したけど、今日の2本杖は結果オーライだった。1本杖も悪くは無いのだが、やはり2本の方が身体を支える力のバランスが良いようで、登りも下りも効果的だった。欲を言えばもう少し長めの方がより使い易いように思った。これは今後の課題である。杖づくりの楽しみも登山に付加することにしたいと思っている。

  淡々と登って、6時半頃には御幸ヶ原に到着。その少し手前の辺りには、前回は見ることのできなかった二輪草の群落が幾つもの花を咲かせていた。又、道端の片隅にハルトラノオの小さな花を見つけて感動したりした。カタクリも点在して咲いており、こちらの方はもう花の最盛期を過ぎたものが多いようだった。

   

御幸ヶ原近くの樹木の下に広がる二輪草の群落。所々にカタクリも混ざって咲いている。1週間前はこの辺りは完全に雪に隠れていた。

   

小さすぎて判りにくいけど、葉の中央の辺りに薄いピンク色のぽやっとした花を咲かせているのがハルトラノオ。この株は草丈が10cmにも満たなかった。

直ぐに男体山頂上へ。勿論、1週間前の白銀の世界など想像もできない周囲の様子で、芽吹き始めた木々たちのその向こうに、田んぼの耕作を始めたらしい黒い水田や緑の畑などが広く俯瞰できた。頭上は青空なのだが、地平線の彼方には雲の帯が掛かっており、見える筈の富士山も日光の連山も那須の峰々も、皆その雲の帯の中に消えていた。ご本殿を拝して直ぐに下山を開始する。

   

男体山ご本殿の裏側にある標高の標識板。今日の登山の証拠として撮影しておいた。

   

男体山頂付近から下界を俯瞰する。前回は男体山には登らなかったけど、この樹木たちは樹氷になって固まっていたに違いない。下界は、間もなく農事が本格化する。

  御幸ヶ原に下りて、ケーブルカー頂上駅脇にある休憩所で一息入れる。持参した枇杷茶が美味い。この頃はお茶といえば専ら自家製の枇杷茶である。クチナシの実を1個入れて、よりパワーアップしたこのお茶は、糖尿君をなだめるのに相当に力を発揮してくれているように思っている。市販のサプリメントなんぞクソくらえ!である。このお茶を飲むと、トイレに行く頻度は増えるけど、体内の水に係わる器官類の回転が活性化しているのだから、その効果は疑いなしと思いこんでいる。(これは、登山には関係の無い話でした)

  間もなく下山を開始する。滑り易くなっているので、慎重に足を下ろす。二本杖が有効だ。それでもドジをして2度ほど尻もちをついてしまった。男女川源流を過ぎる辺りから登って来る人が多くなり出した。その殆どは自分と同世代と思しき人たちで、これはいつもと変わらない。今日は女性が少なく2~3人しか出会わなかった。1時間と少しかかって登山口に着く。駐車場に着いたのはその10分位後。直ぐに帰宅の準備をして車を発進させる。帰宅は9時5分。早過ぎた帰りを、カミさんはTVを見ながら少し驚いていた。今回はこれで終わり。

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筑波山登山の記(第33回)

2015-04-14 05:07:04 | 筑波山登山の記

<第33回 登山日 2015年4月9日(木)>

  先週の木曜日に登ったので、次は今週の火曜日が良いなと思っていた。最初の登山の後は、しばらく使っていなかった筋肉を酷使するので、腰や足それに膝の痛みなどが続くことになるのだけど、その痛みがまだ少し残っている5~6日後くらいに登るのが、その後の体調のことを考えるとベストなのである。それなのに、このところの天気は極めて不機嫌で、雨降りばかりが続いていた。ようやく今日木曜日は晴れるというので、何が何でも登ってやるぞと出掛けた次第。

  昨日は雪交じりの冷雨が降り続いた一日だった。山のことは忘れて、寝床の中で本読みを楽しんだのだが、まさか、筑波山に雪が積もっているなどということは思いもしなかったのである。車を走らせながら、筑波山に近づくにつれて、何だか山全体が白っぽくなっているのを見て、あっ、昨日の雪が山を化粧したのだというのに気づいたのである。それでも、まあ、大したことはなかろうと、アイゼンを持参しなかった不安は押し込めることにした。

  いつもの駐車場に車を置き、登山口に向かう。山から吹き下ろす風が超冷たい。既に四月になっているというのに、今までの登山の中では真冬のそれを超えた一番の寒さだった。足元にはモクレンや桜の花びらが飛散していた。顔をあげると、まだ咲きかけたばかりの桜があって、強風にもめげずにしっかり花を咲かせていた。神社の参拝路の石段付近からの見上げる女体山の頂付近は、真っ白な雪が朝日を受けて輝いているのが見えた。

   

筑波山神社の門前にあるご神橋下の階段付近から見上げる女体山山頂付近は真っ白な雪にけぶっていた。

筑波山神社の脇を抜けて、今日は白雲橋コースを行くことにした。少し遠回りになるけど、このコースの方が様々な形の巨岩が迎えてくれて変化があり、楽しみが多い。そう思いながら登山口近くに来ると、民家の駐車場に止めてある車の屋根に10cmほど雪が積もって凍りついているのを見て驚いた。こりゃあ、昨日はかなりの雪だったのだなと、一気に不安が膨らんだ。

  登山口の鳥居を潜り、登りを開始する。足元だけを見ながら、しっかり呼吸を整える。この辺りは大して雪は積もっていなくて、ぬかるんでいるだけだった。しかし、5分ほど歩いて迎場という分岐点を過ぎると、俄然雪の量が多くなり出して、白蛇弁天というのを祀る小さな社(やしろ)の屋根には15cmを超えるにが積もり、付近の樹木は雪の重さで枝を曲げているものが何本もあった。こりゃあ、この先は大ごとだなと思った。ここからはかなりの急坂が続くのだが、いつもだと石段代わりにゴロゴロ転がっている石やむき出しの木の根がたくさんある筈なのに、それらは全く見えず、全て雪の下に埋もれており、足元の道を探すのにかなり気を使った。

   

全くの雪道となった登山道の様子。ここは比較的平らな場所なので、歩きやすいのだが、急斜面には吹きだまりもあり、少々難儀した。

  更に30分ほど登り続ける。全くの白銀の世界となった。真冬である。いつもならば聞こえてくる筈の小鳥たちの鳴き声も全く無く、静まりかえった森の中に時々バサッ!という雪の落ちる音が耳を打つだけだった。足元の雪は樹間の道なのに15cmは軽く超えている感じで、しなだれかかる雪を被った枝を避けながらの行進となった。雪がなければ、二輪草やキクザキイチゲの見られる筈の水場近くの道端は、完全に雪に覆われていて、全く春とは思えぬ状況を呈していた。更に少し登って、ようやく弁慶茶屋跡に到着する。ここからは下方のつくば市郊外の展望が利くのだが、それよりも幾つかあるベンチの上に積もった20cm近い雪の量に驚かされた。同じ場所で休んでいた人の話では、今の時節に、こんな景色に出会うのは今まで一度も無かったと所感を述べられていた。もう相当なこの山のファンの方らしかった。

   

弁慶茶屋跡からは僅かに下界が眺望できるのだが、いつもならリュックを置いて汗を拭うベンチは、こんもりと雪が積もって、今日は除雪が勿体ない感じがした。

  その後は巨岩群のコースとなる。先ずは弁慶七戻り、高天原、母の胎内くぐり、などを経て、陰陽石、裏面大黒と進んで、更に登って国割り石、出船・入船を過ぎる辺りから、一面は見事な樹氷の世界に一変した。先ほどまでも、枝に着いた樹氷を何度も見て来ているのだが、一味違うのである。ここは既に標高800mを超えており、昨日の寒気は、ブナなどの樹木たちに強風で雪を吹き付け、それを凍らせたらしく、様々な形の純白のサンゴの大木が、至る所に太陽の光を浴びて輝いていた。このような景色を見るのは初めてであり、少なからず興奮した。登って来た疲れなどは全く感ぜられず、とにかく思いっきりこの景観を楽しもうと、何度もカメラのシャッターを切った。北斗岩から大仏岩を経由して女体山の山頂に到着したのは8時半丁度だった。

   

久しぶりに見る大仏岩(女体山頂下、200m)の周辺には雪の精をまとったブナたちが、大仏様を取り囲んでいた。

  山頂からの景観は、上空には青空が広がっているのだけど、目を遠方に向けると地平線は雲で覆われており、見える筈の富士山も日光や那須の山々も皆雲の中だった。まだ天候は機嫌を治し切ってはおらず、今日の今の晴れは、気まぐれサービスの天気なのだなと思った。その展望よりも、間近にある樹木たちに咲いている氷の花の方に気を取られて、千載一遇のチャンスを逃すべからずと、カメラを向け続けた。10分ほどで下山を開始する。

   

今日の女体山ご本殿の様子。真上は眩しい青空なのだが、遠く彼方の四方は雲が覆って、富士山も日光連山も那須の山々も見えなくて残念。

  帰路は前回の御幸ヶ原コースを辿ることにした。女体山からはガマ石のある道を下って、御幸ヶ原に下りることになる。このコースは、樹氷オンパレードの感じで、様々な樹木に付着した雪と氷の塊が、世にも不思議な造形の美を存分に展開していた。途中にカタクリの里というのがあり、下の観光協会の建物には、その宣伝の幟がはためいていたけど、今はその一帯は完全に雪に埋もれており、カタクリたちにお目にかかれるのは、あと1週間近くかかるに違いないなと思った。御幸ヶ原に下りて、ケーブルカー頂上駅の脇にある休憩所で一息入れて、持参した枇杷茶を流し込む。今日初めての水分補給だった。

   

カタクリの里下の道から見た御幸ヶ原、ケーブルカー山頂駅の広場と男体山。男体山も樹氷の中。

  男体山には上らず、直ぐに下山を開始する。こちらのコースは、下り始めの頃は足元も雪で固められてしっかりしていたのだが、次第に雪が少なくなり、ぬかるみ始め出してきた。気温が上がって樹木の枝などに積もっていた雪が溶け出したのか、滴(しずく)の落ちる音が次第に高くなり出した。登って来る人も次第に多くなってきて、交わす挨拶も忙しくなって来た。間もなく男女川源流の水場に着く。同世代男女と思しき数人の団体の皆さんが、賑やかに休憩をしていた。カタクリの話などをされているので、今日はそれは皆雪の下で、見ることは叶わないけど、それ以上に素晴らしい樹氷の世界を見られますよ、と余計な声を掛けてしまった。カタクリはいつでも見られるけど、この時節に樹氷を見るのは滅多に叶うことではない。でも、おばさん達はその価値をどう見積もるのかな、などと、どうでもいい興味心が動いたりした。

  更に下って中間点近くに至り、ケーブルカーのローブを動かす回転音が聞こえ出したので、少し急ぐことにした。直ぐに到着。丁度いいタイミングだった。この登山道でケーブルカーの上下車両を一度に見られるのはこの場所しかない。前回の登山で会った人の話では、ケーブルカーの車両が新しくなったと聞いているので、それを確認する意味でも是非カメラに収めたいと思っていた。下方を覗くと小さく登って来る車両が見える。数分待つうちに見る見る大きくなった車両は「わかば」だった。同時に上方から「もみじ」が下りて来た。短い時間の間にこの両方の車両を撮るのは結構難しい。どうやら撮影は失敗した様だった。それにしても見た限りでは、新車両とはなっていないようで、表面の塗装を改めただけのように思えた。ケーブルカーを利用したのは、昨年一度だけしか無く、良く覚えていないのだが、どうもそのように見えたのだった。模様替えの塗装をしたのかもしれないけど、車両の愛称は同じだったので、何故か安堵した。

  そのあとは、溶け出した雪の滴に濡れながら下山を続ける。筑波山神社脇の登山口に着いたのは、10時20分だった。ぬかるみ続きの足元に気を取られての下山は、かなり疲れた。しかし、足も膝も思ったほどショックは受けていないようだったので先ずは安堵した。駐車場に戻り、帰りの準備をする。その後は、途中買い物などをして、家に戻ったのは正午を少し回る頃だった。

  今日の登山は、今まで33回のチャレンジの中で、最も印象に残るものだった。昨年も雪の中をアイゼン無しで登って、危険を感じた帰りの下山はケーブルカーとせざるを得なくなったり、或いは持参した杖を雪の中に滑落させて見失うなど、冬の時期での幾つかの失敗の思い出があったのだが、それらは小さな出来事に過ぎなかった。今日のこの思いもかけなかった樹氷オンパレードという夢幻郷の世界を体験できるとは、何と言う幸運なのだろうか。4月に入ってからの、想像をはるかに超えた出来事だった。丁度この日に登山を敢行したこと、登山の時刻も又コースの選択もベストだった様に思う。何もかもがラッキーだった。この思い出を大切にしたと思っている。

 

以下に今日の数々の樹氷の中から4枚ほどを掲載します

   

女体山山頂付近の樹氷。真っ青な空に純白の氷の花が、何とも美しい。このような筑波嶺の花を見るのは初めてだった。

   

「綿飴樹氷」と呼ぶのが相応しい氷の造形。強い北西風が相当長い時間を掛けてこのような不思議を作りだしたのだと思う。

   

太陽を取り込む樹氷林。純白の樹氷たちも、取り込んだ太陽の光には、その正体を見透かされてしまっているよな気がした。

   

巨大な白いサンゴ樹。巨木のブナも今日はサンゴと化して青空に聳えていた。今日の代表的な樹氷の姿である。

 

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筑波山登山の記(第32回)

2015-04-07 11:09:52 | 筑波山登山の記

<第32回 登山日 2015年4月1日(水)>

   長いこと筑波山に足を向けなかった。登山が嫌になったわけではないのだが、一度途切れてしまうと、強引に目前の些事を押し切って山に向かう意思が働かなくなり、些事に引きまわされて動きを止めてしまうという日々が続いていた。昨年の4月25日以来だから、早や1年近く経っての再開ということになってしまった。昨年は最低でも月2回、年間24回の登山を目指していたのだが、結果は19回という惨めさで20回にも至らず終いだった。今年は立ち上げの開始が遅れてしまったが、昨年以上の実績は積み上げたいと考えている。あまり大きな数値は言い触らさない方が賢いと思うようになっている。

  登山はしなかったけど、歩きの方は欠かさず行っており、昨年も500万歩以上の実績を残すことが出来てはいる。しかし、平地を歩くのと登山のそれとでは一歩の価値というのか、エネルギー消費の格差は大であり、比較するのはナンセンスである。使う筋肉も多岐に亘ることになり、身体を鍛え維持するには、このハードさが不可欠だと思っている。筑波山麓の梅林の観光が3月末日に終了するので、それを待って登山を再開することを決めていた。観梅時には車での来客が多く、駐車場はかなり混雑するので、それを避けたいとの思いがあった。

  自分の毎日の起床は、深夜の2時~3時の間で、これは仕事や思考のための時間の使い方を、昼夜逆転させることを思いついて以来の自分の習慣となっていることなのだが、登山にも叶っている起床時間である。この日も3時過ぎには起き出して所用を済ませる。天気が不良との予報なので、ご来光は期待できないため、暗闇登山は止めて明るくなる5時半頃から登山を開始することにして、家を4時半に出発する。途中の道は勿論空いていて、筑波山麓のいつもの駐車場に着いたのは5時10分頃だった。ところが、いつもは無料で置いておける梅林駐車場はすっかり様相が変わっており、機械式の有料駐車場となっていたのである。これには驚いた。駐車料は500円だという。登山の度に500円もの大金を払う気にはなれず。近くのガマ広場と呼ばれる空き地の方へ行って見たら、こちらは200円也の臨時駐車場となっており、管理の人もいないようなので、取り敢えずそこに車を置き登山を開始することにした。料金をとられるなら、戻って来てから払わせて貰おうと思った。それにしてもこの1年の間に随分とまあ、変わるものだなと思った。筑波山麓に幾つかある市営の駐車場は、いずれも500円の料金で、これはかなり高額のように思う。一元の観光客だけを相手ならば、それでいいのかもしれないけど、リピーターにとっては、さほど混んでもいない時期でも500円というのは納得しがたい金額である。重伝建のある桜川市の真壁の町だって、雛飾りのシーズンの臨時駐車場は200円ほどと良心的である。つくば市は、東京都心辺りの行政のやり方と同じでいいと勘違いしているのではないかと思った。機械式では、キャンピングカーは入らず、今年は泊まりがけの登山は無理かなと思ったりした。

  久しぶりの登山なので、仕切り直しの敬意をこめて先ずは筑波山神社に参拝して安全を祈願する。5時30分神社脇の登山道入り口からの登山を開始する。今日は最もポピュラーな御幸ヶ原コースを登ることにしている。今回からメモをとる代わりの新兵器として、ICレコーダーを持参している。今までは、登山コースの各ポイントで、メモ帳を取り出して通過時刻や所感などを記録していたのだが、これが面倒なので、先日新兵器を購入したという次第。ICレコーダーは、それが登場した30年前の頃にも買って使ったことがあるのだが、今日でのそれは記憶量も機能も大幅に進化しており、その中でもパソコンに残しておけるというのが魅力的である。これだと、書かなくても生の自分の声で、その日その時の思いを残しておくことができるのである。大いに活用して行こうと思っている。

  5時25分神社脇の小さな石の鳥居のある登山口から出発する。筑波山神社のご本体は勿論筑波山であり、神社のご本殿は男体山と女体山の二つの峰の頂上に築かれている。今日の登山は、いわば男体山ご本殿への参詣と同じというわけである。ゆっくりと足を運ぶことに決めて、一歩一歩を進める。登山で大事なのはむやみに休まないことだと心得ている。今までの筑波山登山で、途中で休んで水を飲んだことは一度も無い。呼吸を整えながら確実に一歩を進めてゆく。この単調な作業が登山の真髄なのだ。久しく忘れていた登山道の石の並びなどを思い出しながら、そう、もう少し行くと、さざれ石になりかけた岩の露出している所があるな、などと自分が勝手に名づけた箇所や位置が目に入って来る。そのような場所を幾つか通り越して、間もなく中間点のケーブルカーが交差するのが見えるポイントを通過する。ここまで45分。いつもよりは5分ほど遅いペースだ。今日はこれでいい、と自分に言い聞かせて汗を拭って更に歩を進める。

そこから少し登り続けていると、左足の膝に違和感を覚えて来た。痛いというのではなく、何だか力が入らず踏ん張りが利かなくなっている感じがし出した。や、これはヤバイぞ、と思った。というのも左膝には爆弾を抱えているからだ。30年ほど前、半月板を痛めたことがあり、回復するまでに1年近くかかったことがある。その時の専門医に言われたのは、半月板の故障そのものは治らないと思え、但し普通の暮らしができるようにするためには膝の骨を動かしている筋肉を鍛えるように、とのことだった。それ以降はこの忠告を守り、走ることは控えるようにしている。元々は自分は走ることが好きな人間なのだ。又、ハードな歩きをするときは、両膝に必ずサポーターをして、膝への負担を少なくするようにしており、登山の場合は勿論しっかりサポーターを装着して来ている。ちょっとでも違和感を覚えた時は、決して無理をしないように留意しなければならない。登山の場合は、歩けなくなったらお終いなのである。救急車に来て貰うこともできないのだ。左膝には極力負担を掛けないような歩き方に努めることにした。しばらく慎重に歩いていると、違和感が少なくなってきたので安堵した。6時50分、御幸ヶ原に到着する。

天気は予報通りで、青空は全く期待できない。それどころか、かなりの風が吹き上げて来ており、寒さも相当なものだ。休憩なしで男体山の頂上に向かう。頂上までは今まで以上の急な岩場が待っている。途中の坂道の端にカタクリとキクザキイチゲを見つけた。カタクリはまだ蕾。イチゲは寒さのせいか開花した花をつぼめてしまっていた。寒くなければ愛らしい花を見られたのにと残念に思った。岩場を乗り越えて頂上のご本殿に。無事に登山で来たことを謝し、更に今後の登山の無事を改めて祈念した。

   

今日の登山の証明写真。男体山ご本殿。山頂は僅かに春の気配を樹木たちの芽のふくらみに感じるけど、今日は冬の寒さだった。

   

御幸ヶ原から男体山頂へのコース脇に見たカタクリの花の蕾。麓の観光案内所では、カタクリの花畑の宣伝の幟がはためいていたけど、本番はもう少し先になるなと思った。

   

カタクリの直ぐ近くにキクザキイチゲの株があった。こちらも寒そうに咲きかけた花をすぼめていた。

いつもだとここで着替えるのだが、今日は寒くて、あまり汗もかいていないので、そのまま直ぐに下山することにした。いよいよ下りが始まるのだが、とにかく膝を痛めないように細心の注意をしながら一歩一歩を進める。10分ほどで御幸ヶ原に戻り、ここでほんの少し休憩し、持参の枇杷茶を流し込む。近くにいた人に挨拶すると、その方が話かけられて来て、何やらケーブルカーが新しくなったとのこと。直ぐ傍の頂上駅を覗くと、ピカピカの新車が停まっていた。もう一個の相棒の車両は下の駅に停まっており、この両方を見るには、もう少し遅く来て、中間点で見るしかないなと思った。そのようなことを思いながら、直ぐに下山を開始する。

その後も順調に下って、登山口の鳥居に着いたのは、8時20分頃だった。直ぐ下の筑波山神社の境内が騒がしいので、何だろうと見ていたら、何やら神輿のようなものを担いだ人たちが、一列になって階段を登って来ていた。何をするのか、山頂の方に向かっているようなので、これから何かの神事が行われるのかなと思った。そのまま下ってゆき、ホテルの前を通過するときに「筑波山神社御座替祭」とあったので、そうなのかと納得した。「御座替(おざがわり)祭」とは何なのかと調べてみたら、年に二回(4月1日・11月1日)男体山・女体山のご本殿の神衣を新しいものに着替えるという大切な神事だとか。なるほど、それで朝から花火が打ち上げられて空砲が鳴っていたり、大勢の人たちがやって来ているのかと思った。しかし、当方は登山だけが目的なので見物する気にはなれず、そのまま駐車場に戻る。

   

筑波山神社の神事「御座替祭」の景観。これは先頭方の人たちで、この後も続々と人が集まって来ていた。神様も年に2回衣替えをなさるのかと、あとで人間の気遣いを微笑ましく思った。

駐車場には数台の車が停められていたが、管理人はおらず、料金の徴収もなさそうなので、着替えを済ましてそのまま車を出発させる。我が家への到着は9時45分。久しぶりの登山は終了した。さて、明日からしばらくの間、身体の節々が痛くなるぞ、と覚悟した。

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筑波山登山の記(第31回)

2014-04-28 04:25:23 | 筑波山登山の記

<第31回 登山日 2014年4月25日(金)>

   昨日は、11時頃に登山が終わってしまい、その後明日まで待つべきなのかどうか、もう一度登って、今日の内に帰宅した方が良いのかと迷った。結局もう一晩泊まって、暗闇登山をして早や目に帰宅することにしたのだった。午後からの時間が長くて、記録の整理などしてもまだ時間が余って、困惑するほどだった。うっかり昼寝をし過ぎたりしたら、夜の時間をどう過ごすかが問題となるのである。電源が確保されていれば、TVなど見て気を紛らわせることが出来るのだが、昨日に引き続いて何時間もTVを見続けるほどのバッテリーの余力はなく、旅車の場合は、日の出とともに起き、日が沈むと共に眠るのが原則なのである。普段は太古の暮らしからは遠い日々の過ごし方をしているので、こんな時は戸惑いが大きいのだ。ま、そのような前夜だった。

  暗闇登山とは、ヘッドランプを点した登山のことである。冬の間は、日の出が7時近くになるので、ご来光を拝もうと5時頃に登り始めても暗闇登山となるのだけど、今のこの季節は日の出が5時20分頃であり、その1時間ほど前には夜明けとなるので、暗闇登山は3時台の出発となる。夏場になると、日の出はもっと早くなるから、ご来光を拝むためには更に1時間くらいは早い登山開始となるのであろう。まだ、夏の暗闇登山を経験したことはなく、この時期の暗闇登山も今日が初めてである。  3時半過ぎに駐車場を出て、4時丁度神社脇の登山口に着く。今日は御幸ヶ原コースを男体山まで往復して戻り、直ぐに車に戻って帰途に就くつもりでいる。

駐車場を出ると直ぐに動物が駆け回る音が耳に入った。イノシシだ!このところ随所でイノシシが荒らした跡を見ているけど、イノシシを見たことはなかった。彼らの活動時間は夜であり、今逃げてゆくのに直面して、この時間が間違いなく暗闇の時間帯なのだと確信した。持っている杖でガードレールの鉄板を叩くと、連中は大慌てで藪の中に逃げ込んで行った。この先どれほどイノシシたちがいるのか判らず、襲われたりしたら迷惑なので、慎重に歩を進めることにした。

  登山口までの間は空に細い三日月(実際は二十六夜の月)が鋭く光っていたが、そこから先は林の中で、まさに真っ暗闇の中である。時々フクロウらしき鳥が、突然近くで羽音を鳴らし飛び立ったりして驚かされたが、その時以外は自分の足音と息遣いだけしか聞こえない静寂の中だ。念のため手元にも懐中電灯を点して周辺を窺いながらの登山だった。心配したイノシシなどは、この辺りには餌になるものがないらしく、全くその気配はなかった。中間点を過ぎて間もなく男女川源流と思しき頃に夜が明け出し、電灯などは不要となった。その頃に早や下山をして来る人に出会って驚いた。時計を見たら4時48分だった。今日は自分が一番乗りではないかなどと密かに考えながら登っていたのだが、その考えが甘かったのを思い知らされたと同時に、上には上がいるものだと、人間という世界の深さのようなものを感じたのだった。自分と同じくらいの歳回りの方だった。何かの願でも掛けての執念の登山なのかもしれない。挨拶を交わして、更に登り続ける。

  いつもよりかなり早いペースで登り続け、御幸ヶ原には5時10分に着いた。更に男体山頂上へと向かったが、ちょうどその途中で、ご来光を迎える。ご来光といっても地平線の彼方からではなく、女体山の左脇からの日の出だった。それでも久しぶりのご来光はやはり荘厳に満ちたものだった。思わず立ち止まり、何枚かの写真を撮った。頂上到着5時20分。登山口からは80分で、今まででは最速のペースでの登りだった。いつものようにご本殿に参拝し、今日の登山の感謝と安全を祈った。直ぐに下山を開始する。

    

男体山側から見る、女体山左横からの今日のご来光。今ごろの季節のご来光は、霞の中の朧が加わって、温かく、柔らかに見える。久しぶりにご来光を拝し感動した。

  御幸ヶ原までは何と、5分ほどで降りてしまった。引き続き登山口に向かっての下山を続ける。途中歩きの筋道が良く見えて、快調のペースで降り続けて、登山口には6時20分に到着。いつもよりも10分も早く着いて、50分で降りて来てしまった。特に膝には問題なさそうで、やれば出来るのだなと、ちょっぴり自信を持てたが、過信は禁物である。このような登山の仕方は毎回チャレンジするものではないなと思いながらも、内心は密かに快哉を叫ぶ声が何処かにあるような気がした。駐車場には6時35分に着いて、出発の準備をして帰途に就く。帰宅は7時50分だった。ゴミ出しに十分間に合う時刻だった。今回は時刻ばかりの記述となって失礼。

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筑波山登山の記(第30回)

2014-04-26 23:34:16 | 筑波山登山の記

<第30回 登山日 2014年4月24日(木)>

  昨夜はここへ泊って初めての大荒れの天気を体験した。日中は暖かくなって、まあまあの天気だったのだが、夕刻なると積乱雲が発達して、それが筑波山のてっぺんの上あたりで悪意を込めての活動をし始めたらしく、22時頃になると気温がかなり下がり、突然ドカンと一発雷を落とし始めた。最初は何のことか判らず、何か付近で車などの事故でもあったのかと不安になったが、引き続いてのドカンに、これは雷鳴なのだなと気付いた次第。それにしても雷には雨が付きものなのに、雨は降らずただ少し風が騒いで、傍の桜の木を揺らしていただけだった。ところがどっこい、間もなく車の天井が大騒動を開始し、とんだ大雨が降り出した。それに合わせて、筑波山が真っ二つになるかと思うほどの雷がズシーンと重い音を立てて、車と大地を何度も揺るがしたのだった。暗闇の中で、広い駐車場に泊っているのは自分だけなので、雷に集中攻撃されたらとんでもないなと思ったりした。落雷体感の経験は、旅の中で能登のブリ起こしの集中砲火を浴びた経験があるので、そう簡単には驚かないのだが、昨夜の筑波山の落雷劇もかなりのものだった。これで、明日は視界も少し良くなるのではないかなどと、図々しく考えながらの寝床の中だった。

 さて、今日は今回の2回目。予定としては白雲橋コースを往復するつもりでいる。ただ、それだけでは物足りないので、一度女体山頂から御幸ヶ原に降りて、自然研究路というのを大石重ねとかいう名所まで往復しようと思っている。本当は自然研究路を一周したいのだけど、途中崩落個所があり通行禁止との案内が出ているので、折り返すことにしようと思ったのである。

 5時少し前に起き出して、軽く食事をし、出発の準備をする。今頃は5時になればもう明るくなっており、日の出も間近という感じだ。脚の調子を確認しながら歩き始め、登山口に着いたのは5時45分だった。昨夜の雨が地面を濡らして、所々に水溜りが出来ていのを見ると、かなり降ったらしい。滑って転倒しないように気をつけながら慎重に歩を進める。このコースは最初の40分ほどが、単調だけどかなり急な登りばかりが続くので、これが結構厳しいのである。ようやく一息つける平らな場所に着いて、ここまで来れば、もう弁慶茶屋跡までは直ぐである。1時間ほどで弁慶茶屋跡に着いて、休憩なしで先に進む。ここからは巨岩・奇岩の連続で、岩場のきつい場所なのだが、楽しみがついているので、あまり疲れを感じない。大仏岩の近くまで来ると、頂上はもうすぐそこである。一気に登って、山頂には7時30分に到着した。

 少し眺望に期待してきたのだが、途中で大気が暖まり出してボワッとなってきたので、こりゃあダメだなと思ったのだが、やっぱりそうだった。前回にはまだ残っていた眼下の桜源郷ももう終わったようで、代わりに田植えの準備をしているのか、田んぼに引かれた水がおちこちに光って見えた。山頂周辺の樹木たちの芽吹きも始まったようで、膨らんだ芽のつぼみが少し割れ始めていた。一息入れて、御幸ヶ原に向かう。

     

女体山頂からの下界の眺め。筑波の北条米の産地の水田には水が引かれて、今年の田植えの準備が始まったようである。

     

山頂付近のブナの芽吹きが始まった。樹木にも個体差が大きくて、未だ眠ったままの木も見られるけど、芽のふくらみは皆もう弾けそうだ。

 途中のカタクリの里の周遊路は、既に閉鎖されていた。昨日見たよりもイノシシの悪さは一層ひどくなっている感じがした。筑波山のイノシシは、放置しておくと動物愛護を超えての問題を惹起するのではないかと思った。このカタクリの里以外でも、あちこちにイノシシの荒らした跡が見受けられるのである。

 御幸ヶ原に降りて、自然研究路を大石重ねに向かう。この道は桜川市側にある薬王院というお寺さん近くからの登山コースに通じている道でもある。まだそこを通って登ったことはないのだが、いずれはチャレンジしてみたいと思っている。自然研究路は男体山の下辺りを囲んで一回りする1.5kmほどの散策路なのだが、今日が初めてのチャレンジである。どんな感じなのだろうと期待が膨らんだ。

 案内板に従って研究路に入る。思ったよりも急坂の少ない歩きやすい道だった。道の両側にはカタクリや二輪草の花がまだまだ元気に咲き誇っていた。カタクリの里よりもはるかに落ち着いた雰囲気でそれらを味わえて嬉しかった。少し坂を下ると、大石重ねというのがあった。名称からは巨石の様なものが重なって見られる名所なのかと思ったのだが、それは全くの期待はずれで、何と大石ではなく小石の山がそこにあった。説明によると、筑波山に上る時に小石を懐に入れて登ると、身が軽くなって楽に登れるとか、罪や過ちが許されるとか、或いは神棚に筑波山の石を拾って上げておけば、子宝を授かるなどといった信仰が盛んだったとか。この塚はその名残だとのことだった。それにしてもなぜ、大石重ねなのかなと思った。今日はここまでで、写真を撮りながら来た道を戻る。

     

大石重ね。丸くて平べったい、すべすべした石が重ねられていた。現代でもこれら小石を持って祈願する人が多いのかもしれない。大いなる願いの籠った石なので大石重ねと呼ぶのかも。

 御幸ヶ原に着いて、さてどうするか少し迷った。まだ8時20分なのである。このまま来た道を戻るのもつまらないなと思い、帰りは昨日と同じおたつ石コースから迎場コースを通って戻ることにした。二度同じ道を引き続いて通れば、いろいろ気づくことも多いのではないかと思った。もう一度女体山頂近くまで戻って、脇の下山道から先ずは弁慶茶屋跡を目指す。まだ昨夜の雨の水たまりなどが残っていて、滑りやすいので要注意である。女体山下は岩場が多いので、慎重に歩を進める。

 間もなく弁慶茶屋跡に着いて、そこからはロープウエイの下方駅のあるつつじヶ丘に向かって降りる。昨日の歩きの途中で、何か野草の発見がありそうな気がしたので、今日はカメラを抱えながら注意深く道端を見ながらの下山だった。二輪草やカタクリやタチツボスミレなどは写真の対象からは外すことにした。しばらく行くと白っぽい花を咲かせている小さなスミレを発見した。何という名なのかは判らない。スミレにはかなりの種類があるので、それらの特徴を正確に覚えていないとダメなのである。エイザンスミレというのも筑波山にあるというので、もしかしたらそれなのかなと思ったりした。少し下ると、小さな背丈のボケが鮮やかなだいだい色の花を咲かせていた。その少し先にはキジムシロが爽やかな黄色の花を咲かせて春の光を浴びていた。もうロープウエイの駅までは200mほどで、観光バスから降りた子どもたちの歓声が聞こえてくる。筑波山は、子どもたちには格好の鍛練遠足の場所として利用されているようで、昨日もそうだったけど、今日はもっと多い子どもたちがこれから頂上を目指すようである。

     

スミレは種類が多いのでそのどれなのかよく解らない。これは、葉の形からは叡山スミレではないようだ。ツボスミレか或いはミヤマスミレなのかも?

     

クサボケの花。ボケは樹形がもっと大型だけど、これは小さくて地を這うようにして花を咲かせている。花の真紅の鮮やかさは、見れば見るほど美しい。

 ロープウエイ傍の駐車場まで降りて、そこからは昨日と同じ迎場コースを歩く。このコースは筑波山万葉古路と名付けられているらしい。道脇の所々に万葉集に収められた歌を刻んだ碑が建てられていた。大樹の森なので、その中を行く道は昼なお暗いという感じである。木の下に生えている灌木や下草たちも何だかひょろっとしていて、虚弱体質の様な感じがするのは、仕方のないことなのであろう。それらの灌木の中では、真っ赤な実をつけているアオキと新芽を出し始めたユズリハが目立った。ここのユズリハは、街路樹などのそれとは異なっており、正式には何というのだろうかと思った。家に帰ってから調べることにした。静かな森の道は、心身を浄化されてくれるかのようで、清々しく気持ちのいい時間だった。

 間もなく今朝の登山口に到着する。坂を下って少し先が筑波山神社の境内である。昨日その石垣の脇に紫色の塊を見つけている。ツクバキンモンソウである。今日はそれをカメラに収めるつもりで来ている。今朝は縮んで固まっていた花たちも、今は春の光の中で伸び伸びと花を広げていた。ツクバキンモンソウは、ジュウニヒトエをもっと小さくしたような、小さな植物で、株が大きくなっていないとなかなか気付かないものである。これは筑波山神社の境内にあるのだから、本物なのだろうと思った。先週と比べて周辺の新緑は量と輝きを一層増したようである。アカネも伸長を始め、冬の間縮こまっていたヤエムグラなどもいつの間にかすっかりおとなの草に生長しているのに気付いたりしながらの帰り道だった。11時少し前に車に戻り、今日の登山はこれで終わり。明日は暗闇登山を予定している。

     

ツクバキンモンソウの大きな一株。筑波なのだから何処かにあるはずだと探していたら、神社の境内の石垣の下の陽だまりの場所に咲いているのを見つけて嬉しかった。

 

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筑波山登山の記(第29回)

2014-04-25 14:00:34 | 筑波山登山の記

<第29回 登山日 2014年4月23日(水)>

  先週に引き続いて、2泊3日の車中泊での登山にチャレンジする。前回は3日間で4回の登山となったが、今回は一日1回の登山に止めようと考えている。先回は帰宅後体重を計ったら、何と、4kg近くも減っており、60kgの大台を割ってしまったのである。さほど疲れたという感じはなかったのだけど、調子に乗り過ぎると、どこかに溜まっていた疲れがいつ何時どんな悪さをするか判らないので、自制することにした。その代わり、同じコースを単純に往復するのではなく、筑波山神社をベースとする複数のコースを取り入れての登山をしようと考えている。

  筑波山には正確に幾つの登山コースがあるのかわからないのだけど、筑波山神社周辺では、ケーブルカーの脇を行く「御幸ヶ原コース」と、ロープウエイの下を行く「おたつ石コース」、それに神社の右脇から女体山を目指す「白雲橋コース」がある。更に、ロープウエイの下方駅のあるつつじヶ丘と白雲橋コースの登山口近くを結ぶ「迎場コース」というのがあり、これらを適当に組み合わせると、少し違った登山の楽しみを味わうことができるのである。今回はその幾つかを試してみようと考えている。

  いつもの駐車場に7時少し前に着いて、前回と同じ場所に車を止め、さっそく出発の準備に取り掛かる。今日は、先ず登りはいつもの御幸ヶ原コースを行き、男体山に登った後、御幸ヶ原を横切って反対側の女体山に登り、その後の下山は、白雲橋コースを弁慶茶屋跡まで下り、そこからロープウエイの下方駅のあるつつじヶ丘まで降りて、更にそこからは迎場コースを辿って白雲橋コースの登山口まで行き、神社脇を通って車に戻るというのを考えている。いつもよりも少し距離のある構成だけど、それは下山の方なので、疲れの方は大したことはないと思っている。

  ケーブルカー駅下の登山口を7時25分に出発する。今日は野草などの観察は止めて、登山に専心することにしている。毎度通い登っている道なので、淡々と登るだけである。先週から5日ほど休んでいるので、体調の方はすこぶる調子が良い。膝の方も大丈夫だ。30分ほどで中間点を過ぎ、少し歩きのペースをセーブして、一歩一歩を噛みしめながら登ることにした。岩場の一つ一つが道案内をしてくれるようで、こんな時は疲れも少ないのである。男女川源流を過ぎて、しばらく行くと最後の胸突き八丁の階段が待ち受けている。ここから900歩を数える内に御幸ヶ原に出るのである。ただひたすら足元だけを見つめながらの歩数勘定だった。間もなく御幸ヶ原に出て、休むことなく男体山頂を目指す。8時45分山頂へ。

  一息ついて、すぐに下山を開始する。御幸ヶ原に降りて、女体山頂までは700mほどの楽な登りである。途中、カタクリの里を覗いたら、もう花の方は終わりかけていて、マムシ草の直立する姿が異様に映った。それに、イノシシの獣害は一層ひどくなったようで、花畑の6割以上が掘り起こされて荒らされていた。来年は、かなり花数が減るのではないか。困ったことではある。セキレイ茶屋を過ぎ、ガマ石を通過して、間もなく女体山頂へ。犬を連れて登っているご夫妻が先着していた。犬はポカンとっした顔付きだったけど、彼が嬉しいのか、迷惑なのかその気持ちは判らない。ハアハアやっていたから、少し疲れたのかも。登山に犬連れというのはどうなのかなと思ったりした。一息入れていると、俄かに気温が下がり出した。上空に悪意のある雲が急に膨らんで現れたので驚いた。直ぐに下山を開始する。

  女体山からのコースは岩場が厳しい。慎重に足を下ろし続ける。奇岩の続く場所を通過して、弁慶茶屋跡に着いたのは、9時50分頃だった。ここから先は初めて通る道だ。しかも下りである。どんな状態なのか確かめながらの下山となった。割と勾配はきつくなさそうで、足場も悪くはなさそうだった。途中の道脇にある道標を見たら、このコースがおたつ石コースと呼ばれていることが判った。実のところ、この時までそのような名称がつけられているというのを知らなかったのである。中間点くらいまでは登るのも降りるのも比較的楽なコースのように思ったのだが、ロープウエイの駅が近づくにつれ次第に勾配の急な坂となった。登山者は、登り始めの頃が息が上がって厳しいのだろうなと思った。しかし、筑波山のどのコースも最初は皆急な登りなので、その中ではこのコースが一番楽なのかも知れない。途中で、集団で登って来る小学生の高学年と思しき子どもたちに出くわした。急な坂を皆、ワイワイ言いながら懸命に遅れないように頑張って登っていた。元気な子供たちを見ていると、自分も何だかうれしくなってしまう。

  間もなくつつじヶ丘のロープウエイ駅まで降りて、そこからは白雲橋コースの酒迎場分岐までの道を下ることにした。この道は、登山というよりも林間のハイキングコースという感じである。道も良く整備されており、所々に屋根つきの休憩所も設けられていた。ただ、ずっと大樹の林の中を通る道なので、陽ざしはなく眺望も全く効かない。森の静寂さを味わい、小鳥たちのさえずりを味わうには絶好の道だなと思った。30分ほど歩いて、酒迎場分岐に出る。ここからは先回より世話になっている道なので、やれやれという感じだった。10分ほど歩いて、白雲橋コースの登山口の鳥居の場所に着く。ここで日陰から抜け出し、一気に温かく明るい雰囲気に変わる。坂の途中に満開の花を躍らせたオドリコソウたちが並んでいた。白雲橋を渡り、神社の石垣の脇を通る時に、紫色の小さな帯の地面を見つけた。ツクバキンモンソウである。こんな所にあったのか!と一瞬感動した。

  神社の石段を下って通りに出て、そこから1kmほど歩いた所に駐車場がある。駐車場到着11時25分。今日の登山行動はこれで終わり。この後は、食事と眠りと記録の整理の時間である。明日は、さてどのコースを行こうか。楽しみである。

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筑波山登山の記(第28回)

2014-04-20 10:50:18 | 筑波山登山の記

 <第28回 登山日 2014年4月17日(木)>

 

二晩泊って三日目、第4回目の登山となる。昨夜は珍しくTVを設定して2時間ほどドラマを見た。もうだいぶ長い間旅車のTVを使っていないので、大丈夫かの確認の意味もあった。面倒なのでBSの方は止めて地デジだけにした。思ったよりも受信状態が良いので安心した。ここは標高が300mは超えているし、中継アンテナの位置の方向に障害物がないので、受信には好条件なのだなと思った。昼寝をしているので、TVの後もなかなか寝付けなかったのは昨日と同じだった。

 今日の登山を終えたら、やはり帰宅することにした。5時過ぎに起き出し、軽い朝食の後に少し休んで出発する。今日は御幸ヶ原コースを登り、男体山頂のご本殿を拝したのち、その後のカタクリの里の様子を確認してから下山するつもりでいる。野草たちの写真も撮りたいので、カメラを背負って行くことにした。登山口には6時10分に到着。そこからはいつものように淡々と登るだけなのだが、今日も足の方は眠っているのか重い。3日間で4回目の登山なので、疲れも溜まって来ているのかもしれない。そのような自覚はあまりないのだけど、身体の方が正直なのであろう。

 中間点をいつもより少し遅いペースで通過する。男女川源流に着く頃には身体も目覚め出したようで、足取りも少し楽になってきた。しかし、このコースではここから先がまさに胸突き八丁なのである。10分ほど登って、最後の階段の登り口に到着する。ここからは毎度歩数を計ることにしている。凡そ900歩で御幸ヶ原の平坦地に出ることが出来るのである。歩数を数えながら登っていると、歩きに集中することが出来て、1から始めて、900を数えれば目的は達成されるのだ。そう思いながら一歩一歩を運ぶのが結構楽しい。間もなく御幸ヶ原に出る。そこからは休憩なしで男体山頂上へ。7時35分だった。

 ご本殿にご挨拶をして、直ぐに下山を開始する。 御幸ヶ原に着いて、今日はカタクリの里を訪ねる前に、自然研究路という1.5km弱の男体山頂下の周回路があるので、そこを歩いて見ようと思った。まだ一度も歩いていないコースなので、春になって何か新しい野草を知るチャンスがあるかもしれないと思った。しかし、その入り口まで行って見ると、何と道の途中に崩落危険個所があり、一周出来ないという案内板が立っていた。途中から折り返すのもつまらないので、今回は諦めることにしてカタクリの里に向かう。

 前回訪ねてから1週間が経っており、カタクリの里はどんな状況になっているのかと興味津々だった。女体山登頂の際の道端のカタクリの花はもう咲き終わろうとしているのが殆どだったけど、こちらは未だたくさん咲き残っているのだろうか。周辺の緑もたった一週間で、随分と濃さを増して来ているのが実感できた。少し歩いて現地に到着する。やはり、花は峠を越えていた。それでもまだかなりの数の赤紫の花びらが点在していた。心配だったイノシシの獣害は、一層度を増したようで、花畑の中が好き放題に何カ所も掘り起こされていた。困ったものである。何枚か写真を撮った後、ゆるりと下山を開始する。

     

今日のカタクリの里の様子。花は盛りを過ぎていたけど、まだ赤紫色を点在させていた。写真は、イノシシが掘り起こした跡。前回よりも数カ所増えていたのが気になった。

 下りには層倍の気を使うのは毎度のことである。少し下ると二輪草の群落があり、その脇辺りには、凡そトラノオとは思われぬようなハルトラノオが小さな愛らしい花粒を目一杯開いて輝いていた。更に少し下るとこの辺に多いのかタチツボスミレが楚々とした花を咲かせていた。タチツボスミレはやはりこのような山中にあって輝く花だなと思う。何年か前に家に持ち帰って育てたことがあったが、山の中とは似ても似つかぬ育ちとなり、花の風情がすっかり変わってしまい、がっかりした経験がある。厳しいようでも、自然界に生きる生きものは、そのままが一番いいように思う。一番狂いたがるのが人間なのではないか。この頃はそのようなことを思ったりする。

     

タチツボスミレの小さな群落。山の中では日射しも少なく土地も痩せているため、却って生命の輝きが鮮やかに見える。

 今回は何としてもミスミソウの花を撮りたいと思っている。ミスミソウは、樹々の陰の中にあって、日の光の弱い場所で、ひっそりと純白のうつむいた花を咲かせている野草なのだ。実(まこと)に地味なので、登山者の殆どの人は気づかないで通り過ぎてしまうのではないかと思う。東北辺りの山地では、少し大型の花を咲かせるものもあるけど、筑波山には小形のものしか無いようだ。花をかせているのはあまり見受けられないけど注意して見ているとかなり自生しているのが判る。とにかく光の少ない場所にいるので、写真を撮るのが難しい。それに三脚無しなので、なかなか上手く撮れないのである。今日は何とかして一枚でもいいからものにしたいものだと思いながらの下山だった。

 男女川源流の近くまで下った時、少し日射しのある場所に珍しく花を咲かせているミスミソウがあるのを見つけた。これを何とかものにしなければと懸命にシャッターを切ったのだが、どうしても身体がブレテしまい、納得ゆくものが得られなかった。やっぱり三脚がなければダメだなと改めて思い知らされた。葉までは何とか写るのだけど、肝心の花がどうもすっきりしない。課題を残しながらの下山だった。近くにミヤマシキミが花を咲かせていたのでカメラに収めた。こちらの方は同じような場所にあるのに、あまり苦労しないでも撮れるのが不思議だった。もしかしたら、自分はミスミソウとカメラにもてあそばされているのかもしれない。

     

ミスミソウの花一輪。葉が三角形をしているのでミスミ(=三角)草と呼ばれているようだ。花はうつむいているものが殆どで、顔を上げて笑顔を見せているのを見つけるのは大変だ。

 その後もゆっくり下り続けて、駐車場に戻ったのは10時丁度だった。家に帰ったら真っ先に風呂に入りたいと思った。家内にその旨をメールして、帰宅の準備をしてから出発となる。11時30分頃の帰宅となる。やれやれ。3日で4回の登山、実際は3日で4.5回くらいの内容の気がする。風呂から出て体重計に乗ると、出発前に比べて4kgも減っていた。これが今回の宿泊付き登山の所為なのかと思った。この後も何回かチャレンジしてみる価値は十二分にあるなと思った。今回は一先ずこれで終わりとなる。

     

最後のおまけにミヤマシキミの花を加えてみた。筑波山にはよく見られる常緑の小低木である。秋になると赤い実をつけるらしい。去年はそれを見る機会がなかったので、今年は是非お目にかかりたいと思っている。

 

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筑波山登山の記(第27回)<つくば道チョイ歩き>

2014-04-19 07:02:14 | 筑波山登山の記

<第27回 登山日 2014年4月16日(水)>【つくば道チョイ歩き】

  昨日に引き続いての登山である。何しろ現地に泊まっているので、自宅からの時よりも1時間は動きに余裕がある。昨夜は、最初は爆睡だったが、22時頃に目覚めた後は、もう一度熟睡というわけにはゆかず、何だか中途半端な寝床での時間を過ごすことになった。明け方にうとっとして目覚めたら、外が明るくなっていたので、慌てて飛び起きた。既に5時を過ぎていた。軽く朝食を済ませ、出発の準備をする。急ぐこともないのだが、何故か何かに乗り遅れそうで、せわしない気分なのはどういうわけなのか、自分にも解らない。昨日の2回の登山が少し効いているようで、足が重い。歩いている内に調子が出るだろうと思いながら登山口に向かう。登山口到着5時40分。

 このコースが何故白雲橋コースと呼ばれているのか判らなかったが、観光案内の資料を読んでいて解った。筑波山神社脇の、登山口に向かう道の左手にある砂防ダムの下に小さな橋があり、もしかしたらこれが白雲橋なのかと思いながら通っていたのだが、そこには橋の名称など何も書かれてはいなかった。僅か5mほどの長さしかないコンクリートの架橋なのである。資料を読むと、昭和の初期にこの沢(千手沢)で山津波が起こり、そこにあった虚無僧寺二つが津波で流されたという。その後砂防ダムが築かれ、その下部に架かっているのが白雲橋なのだという。ということはやっぱりこの小さな橋がそれだったのだ。せめて判るように名称の表示をしておけばと思った。砂防ダムの方は、建築学会関係の何やらの賞を貰ったとかで、しっかりその旨の表示がしてあった。つくば市内の観光に関する資料などを読んでいると、いろいろ参考になるのだけど、現地に行って見ると、何の案内も表示もない場所が多くて、戸惑うことが多い。何かが抜けている感じがしてならないのは、自分一人だけの曲解なのであろうか。

 さて、そのようなことはともかく、登山口からは、呼吸を整えながら、ゆっくりと歩を進める。酒迎分岐から白蛇弁天にかかる頃には足の重さも次第に取れて、ようやく眠りから覚め出した様である。それでも昨日よりはペースが遅いのは、やはり疲れが残っているからなのであろう。70分ほどかかって弁慶茶屋跡に着く。誰もいない。取り敢えず一息ついて、汗を拭い、直ぐに出発する。ここから先は、毎度おなじみの巨岩・奇岩が様々な姿形で迎えてくれるので、きつい岩場の登りもさして苦にならない。最後の奇岩の大仏岩の下まで辿りついて、もう頂上は直ぐそこである。7時20分女体山頂に到着。

 今日の眺望も昨日と同じように下界はボヤっとした霞の中に浮かんで見える。遠くの方は雲の中という感じで、空気の温かさだけが伝わってくる。山麓を見ると、つくばに連なる峰から裾に向かって、山桜の花の帯が山襞(やまひだ)を染めていた。しかし、ボワッとしているので、それが桜なのだと気づくのに時間がかかった。今日も、日中これからは、かなり気温が上がるのであろう。さて、降りてからあと、今日も2回登山にチャレンジするかどうか、などと考えながらのひと時だった。

     

今日の女体山頂から見た筑波山麓の桜咲く山襞の景観。朧な霞の中に咲く桜は桃源郷ならぬ桜源郷を作っているかのようだった。

 帰りには少し野草たちの花でも撮ろうかとカメラを抱えての下山となった。もうカタクリは終りに近づいているし、二輪草もキクザキイチゲも最盛期は越えたようだ。これからはミスミソウ(=三角草)の花が目立つようになるのかもしれない。それらをカメラに収めておこうと思った。下山は自分にとっては常に要注意である。登りよりも下りの方が遥かに恐ろしいと思っているのは、膝に爆弾を抱えているからである。40歳代の頃、ジョギングをやり過ぎて膝を痛め、水がたまり、歩けなくなったことがある。リハビリに努めて、元に戻るまで1年近くかかったが、それ以降走ることは諦めている。下山はうっかりすると走る時よりも膝へのショックが大きいように思う。もし膝をやられたら、登山はそこでお終(しま)いになり、家に帰れるかどうかも判らなくなってしまう。慎重の上にも慎重を期しての下山だった。野草たちの写真はなかなか上手く撮れず失敗ばかり続いている。下山時は、疲れからカメラを抱える手が震え気味となり、どうしてもブレてしまうのである。三脚を車までは持参しているのだが、どうも担いで来る気が起こらず、横着している。まだ、本気でいい写真をなどとは考えないからなのであろうか。ゆるりと下山して、9時半には駐車場に戻る。

     

     

今日の野草たちの花二つ。上は二輪草。二輪草は殆どは純白の花をつけるが、中にはこのような淡いピンクに頬を染めているのもある。  下はマムシグサ(或いはウラシマ草かも。ムサシアブミにも似ている)一見動物に近い脅しの表情を持った変わった花である。

 さて、この後どうするか。とにかく一休みして考えることにした。汗を拭いて着替えを済ませ、あれこれ考えた結果、今日は2回登山は止めて、その代わりにこの筑波山麓近郊を歩いて見ることにした。無理をすれば2回登山も可能だと思うが、何しろ身体は老人なのである。ということで、昼食時までの間、寝床に横になることにした。休息は足を伸ばして眠ることが第一等である。これに勝るものはない。

 

【つくば道チョイ歩き】

 昼食休憩の後、つくば道の散策に出発する。取り敢えずの目的地としては、以前訪ねたことのある平沢官衙遺跡まで往復してみようと考えた。ここからだとせいぜい5kmくらいであろうか。正確な地図がないので判らないが、行って見れば何とかなるだろうと思った。平沢官衙遺跡というのは、奈良・平安時代の常陸国筑波郡衙のあった所で、要するに往時の役所跡である。幾つかの復元建物などもあり、以前に行った時には建築中のもあったので、その後どう変わったのかなどを見てみたいと思ったのである。このような大昔の政庁跡は全国にたくさんあるのだろうけど、その後の政変によって、今では跡かたもなくなっているところが多いのではないか。

 さて、その平沢官衙へは、先ずは筑波山神社への朱塗りの大鳥居を右に進んで少し行くと、小さな案内板に筑波山口と書かれていたので、それを行くことにした。端(はな)からいきなりの急な下り坂である。30度くらいの傾斜があるのではないかと思った。細い道の両側には民家が連なっており、少し行くと旧筑波第一小学校というのがあった。とんでもない所にあるなと思った。でもここで暮らしている人にはそれは当然のことだったのかもしれない。今は車で移動するので、このような急坂の場所に住んでいても買い物に苦労することはないのかもしれないけど、昭和の中頃までは大変だったろうなと思った。どこまで行っても急な下り道が続いていて、これじゃあ帰りは大変だなと思った。筑波山に登るのと変わらないほどの坂道で、岩石がなく舗装されている分だけ、却って歩くのには厳しいなと思った。20分ほど歩いて、ようやく平地らしきところに来た。

     

つくば道の降り口付近の景観。写真では判りにくいが、いきなり石段付きの急坂が続いている。この写真は、帰りに撮ったもので、往路はこの道ではない方を下った。

 両側が田畑の道を少し歩くと、逆川という名の小さな川に架かる橋を渡る。そこから先が神郡(かんごおり)という集落で、ここにはその昔の面影が残っているという。持参のパンフレットに写真が載っている場所である。信号のある交差点の少し先にそのような雰囲気のある家が何軒か並んでいるのが見えた。振り返ると、筑波山の男体と女体の山頂が正しく見えた。正しく見えるとは、筑波山の絵や写真は、何故か男体山の方が高くなっているものが多いのだが、実際は女体山の方が高いのである。ここから見るとその正しさが判るという景色なのだ。この集落は江戸幕府の三代将軍の家光公が、筑波山の中禅寺(現筑波山神社)の堂社を一新する工事を行った際に造られた道の中間ほどにあり、その後その道が参詣道となって発展した場所らしい。何枚かの写真を撮った。

     

つくば道、神郡(かんごおり)集落の景観。このような瓦葺きの家屋が並ぶのはほんの数軒で、あとは写真の対象とはなりにくい家の連なりだった。

 神郡の集落は思ったよりも残っている昔が少なかった。現代にまで家並みを残すというのは歴史の上で至難のことのような気がする。国の重要伝統的建築物群という文化財があり、茨城県には唯一桜川市の真壁の町並みがあるけど、この神郡はとてもそれには及ばないなと思った。つくば道と呼ばれて残っている往時の参詣道も、今はこの道を通って参詣する者は皆無であり、自分のような気まぐれ者が時々訪れるくらいで、観光案内のパンフレットが強調するほどの魅力には欠けているなと思った。つくば市内の観光案内は、前にも書いたけど、案内書などはいいとしても、現地の案内が不備過ぎていて、極めて雑である。せめて見どころについては、案内板で示し、凡その距離などもきちんと表示すべきではないか。歩いて回ろうとする時、それらの指標が何もないというのには、何度もがっかりした。

 ところで、肝心の平沢官衙なのだが、何とここから先4kmもあるという。つまり往復すればこれから8kmあるということだ。既に2km以上歩いて来ている。日射しはきついし、カメラは重いし、これじゃあ帰りがエライことになると思った。帰りにあの急坂を登りきれるのか自信がぐらついた。こんな時は無理は禁物だ、と心に言い聞かせて、神郡の町並みをしばらく歩いた後、引き返すことにした。

     

正しい姿の筑波山。筑波山は見る方向によって、二つの山頂の高さが逆転して見える。女体山の方が877mと男体山よりも6m高い。これはそのことが判る位置からの眺めである。

 帰り道は、初めは筑波山を正面に見て、やたらに電線があるのが邪魔になったが、それでも山の大きな景色に満足しながらの歩きだった。ところが、解ってはいたものの、いざ坂道に差し掛かると、次第に息がはずんで来て、こりゃあ、エライところを来たもんだなと、改めてそのしんどさに恐れ入ったのだった。半端ではない。その昔この急な坂道を参詣の人々はどんな思いでお寺さんを目指したのだろうか。明治の廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)の愚法によって、中禅寺は筑波山神社となったけど、今はその信仰心は昔と比べてどうなのだろうか。信心の心の少ない自分には往時の人々の心の動きはとても読めない。とにかく早く坂が終わることのみを念じて、ひたすらに歩を進める。ようやく県道まで戻り、息を鎮めながらしばらく歩いて、車に戻ったのは16時少し前だった。登山よりも厳しかったなと改めて思った。つくば道は、参詣の筋よりも本道から脇に逸れた場所に見ものが幾つもあるように感じた。改めて機会を設けて訪ねてみたいと思った。

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筑波山登山の記(第25回・第26回)

2014-04-17 18:19:13 | 筑波山登山の記

<第25回 登山日 2014年4月15日(火)>

 24回目の先回までは、単発的に家から車で往復しての登山だったが、今回は初めて旅車を使っての車中泊の連続登山にチャレンジすることにした。というのも、消費税アップに加えてガソリンの価格が高騰したため、毎回家から通っていたのでは、交通費がバカにならない金額となり、家計の負担を大きくするからである。連休明けまでは旅に出かける予定もないので、気分転換にもなるだろうと、2泊3日の登山計画を立てた次第である。

というわけで、梅林下の駐車場に泊らせて頂くことにして、第1日は、少しゆっくりとした6時半過ぎの出発となった。7時半ごろ駐車場に着いて、これからの基地となる場所を選んで車をとめる。それから10分ほどかけて出発の準備をして、登山口に向かう。しっかり施錠をしておかないと、悪戯や盗難にあったら困るので、慎重にチエックしてからの出発だった。今回のコースも前回同様白雲谷コースである。

登山口に8時半丁度について、登山の開始である。今日もカメラ撮影などは必要最小限(=登山の証明写真)にすることにして、小さなデジカメだけを持参することにし、ひたすら登山に専心することにしている。家からの車の中での筑波山は、昨夜の気温が高かったせいなのか、守谷近郊からは全く見えず、つくば市の山の近くになって、初めてぼやっとした姿を現した。今日も日中の気温はかなり上がるようだ。汗をかくのは覚悟の登山である。

2日間の休養の所為か、足が快調に動いてくれる。膝の調子もまずまずのようだ。石ころだらけの登山道だが、今日は登る筋道が良く見えるので、足を運ぶのに苦労が少ない。こんな時は調子に乗り過ぎて思わずとんだ災厄に見舞われることもあるので、気をつけながらの足運びとする。弁慶茶屋跡には55分で到達。ここまで来るとこのコースでは、この先巨岩・奇岩が迎えてくれるので、気分がずっと楽になる。このコースも三度目となり、それらの位置もすっかり頭の中に納まっている。弁慶七戻りから大仏岩までは、結構岩場の急坂が多いのだが、いつの間にか通過してしまう。道脇のカタクリやスミレ、ハルトラノオなどの野草たちにも救われる気分になる。大仏岩からは200mほどの急坂となるけど、ご本殿が神通力を出されて吸い上げてくれるのか、さほど苦労しないで山頂に導いてくれる。

     

今日の登山証明写真。女体山ご本殿。一見青空が広がっているのだけど、それは上空だけで、遠くの平地帯はボヤっとした霞の中。

9時40分山頂に到着。今日も空気全体がぼやっと膨らんでおり、眺望はさっぱりである。登山の証明写真だけ撮って下山を開始する。帰りも淡々と下るだけ。特記することなし。1時間で登山口に戻り、車には11時過ぎに戻る。

今日は泊りなのだが、温泉には入らない。筑波山のこの辺りには幾つかホテルがあり、日帰り入浴のできるところもあるのだけど、いずれも料金が高額なので、止めにしている。旅の時でも入浴料は基本的に600円までと決めている。汗をかいているので、急ぎ着替えを済ませ、ついでに身体を水拭きする。少し早いけど昼食。餌はカップラーメンと手を抜いた。その後は仮眠。調子がいいので、13時過ぎにはもう一度、今度は御幸ヶ原コースから男体山に登ることに決めた。

 

<第26回 登山日 2014年4月15日(火)>

  初めての一日二回登山に挑戦することにした。同じコースではつまらないなと思い、今度は神社の左脇からの御幸ヶ原コースから男体山に登ることにした。13時半丁度、登山口に着いてさっそく登山を開始する。午前中の登山で、休息が2時間足らずだったのでまだ少し疲れが残っている感じがしたが、膝も特に異常ないようなので、無理をせずゆっくりと時間をかけて登るつもりでいる。このコースは慣れているので、遅い出発時刻でも日暮れまでには戻れるだろうとは思っている。

 思ったよりも足の運びは順調で、歩き始めてから10分ほど登った辺りで、降りて来る方から声をかけられた。「今日、二度目の登山じゃないですか?」「ええ、まあ」と答えると、「凄いですね!」と半ば呆れかえったような顔をされていた。「どこかでお会いしたのですね?」と訊くと「登っている時に降りて来られて、その杖が印象に残っていたんですよ」とのこと。どうやら自製の金剛杖(といってもまっすぐではなく、曲がっている)が注目を惹いたらしい。6尺近くの長さの杖は、下る時に威力を発揮してくれる。この杖を上手く使っている限り、滑落や転倒などの事故は避けられると思う。二度の登山を感嘆されるよりも、杖が認められているのを嬉しく思った。同時に少し元気が出た。

 中間点のケーブルカーの脇の地点にはいつもと同じように35分ほどで到達。その後も順調に登り続けて御幸ヶ原には14時45分に到着する。そこから男体山頂上まで、一気に登ろうとしたのだが、ご婦人の饒舌団体さんにかなり邪魔をされて辟易した。4~5人のグループで、とにかく元気が良くて賑やかなのだけど、足の運びの方がムラなのである。頂上には15時少し前に着く。帰りに少し野草たちの花でも撮ろうかとカメラを取り出して下山を開始する。オバサン達より少し遅れるようにして、途中に見かけたカタクリやキクザキイチゲの花の写真を撮った。

     

カタクリの花たちも最盛期を過ぎ始めたようだ。群生しているのよりも孤を保って咲いている方に魅力を感ずるのは、自分の性格なのか?

 御幸ヶ原まで降りて、この先は下山に専念しようと歩き始めたら、たちまち先ほどの団体さんに追いついてしまった。このまま後尾を守り続けるのは大変だと考え、隙を見つけて追い越させて貰う。とにかく彼女たちの話題は豊富で、マンションの管理の話や老後は一人で生きなければならないなど、千変万化に富んでいる。およそ山の話などとは無縁である。筑波山はたくさんの神が宿る神聖な山なのだけど、当面の生きものの心のカタルシスのためであれば、饒舌もお許しあるのだと思う。とにかくその騒音から逃れ出て、その後は人に出会うことも殆どなく、1時間ほどで登山口に戻る。駐車場到着16時25分。まだ夕時にはなっていない。

 今夜はここに泊るので、これから先の時間はいつものくるま旅くらしと同じようなものだ。相棒がいないので、自炊ということになる。出発前に研いでおいたご飯をガスコンロにかけて焚く。おかずは家で食べるのを忘れていたメザシ。メザシは外にコンロを出して焼くことにした。車の中だと臭いが残ってしまい、あとで異常嗅覚の相棒からたちまち発見され、大いなる文句を言われるのは必定なので、気を使う。焼け終わる頃にはご飯も出来上がり、さっそく水割りで一杯やって、二度登山が叶ったことに祝杯をあげる。その後は、バタン、キューで寝床へ直行して爆睡。しかし、22時頃にはパッチリと目覚めてしまい、それから朝までの時間を使うのに困惑した。とにかく第1日目は無事に終了。

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