山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

馬骨の老世代小論(その3)

2016-01-30 07:14:50 | 宵宵妄話

.老人各世代の特徴と課題

 (1)準老世代(65歳まで)【生きているのは当たり前の感覚の時期

  [特徴] 

一般的に還暦を過ぎると老の世界に踏み込むと考えられているが、今の時代はサラリーマンの定年は60歳を超える傾向にあり、国民年金の支給もその開始が65歳となった。それゆえ、未だ現役で活躍している人も多く、65歳の頃までは自分を老人と認識している人は少ない。

この世代の特徴的なこととしては、心理的な面では「老」を意識している部分はわずかであり、現実の中では殆どが「老」とは係わりなく生きていると考えており、したがってまだ老人とは言えず、老人に準ずる世代である。

身体的な面に関しては、時に多少の衰えを感ずることがあるものの、そのために自信をなくすというほどではなく、まだまだ体力も大丈夫との認識の中にいる。但し、生活習慣病などの病に係わる人の多い世代でもあり、それらの病などが引き金となって、体力を損傷・減退する人も多くなりはじめる。

 [課題]

老に準ずる世代であると共に老に対する準備をする世代でもあり、現役をリタイアした後の老計・死計をしっかり確立することが肝要。

 

(2)順老世代(65歳~75歳)【生きる難しさに気づく時期

  [特徴]

65歳を過ぎると、多くの人が現役を退いての暮らしに移ってゆくことになる。当初は戸惑いながらも、仕事を抜きにした暮らしの中で、次第に老が身近になってくるのを様々な場面で実感するようになり、やがてそれを思い知らされ、次第に馴れるようになる。

心理面では、古希を迎える辺りまでは、高齢者呼ばわりされることには抵抗があり、なかなか素直に老を認める気にはなれないのだが、75歳に近づくにつれて己の老を認め、それに従わざるを得ないことを実感するようになる。

身体的な面では、身体のいろいろな部分が己の意思どおりには動かなくなって来ているのを実感するようになり、やがて老の身体になってゆくのを認めざるを得なくなり、それに従うことを決意せざるを得なくなる

[課題]

老の準備期間中に立てた「老計」を具体的な目標(指標)を決めるなどして、着実に実践することが求められる。死計は老計の中にあり、この時期の老計の実践が無いと死計は成り立たない。(死計は老計の中にあり)

 

(3)真老世代(75歳~85歳)【生きながらえる難しさに気づく時期

  [特徴]

75歳辺りになると、日々の暮らしは完全に毎日が休日となり、自ら何らかの目標や計画を持たない限り、その休日の中に埋没してしまうこととなる。時間の流れのままに無為に過ごす環境こそが真の老人の置かれる状況であり、老計の実践が強く問われる世代である。

この世代の精神面の特徴としては、老に馴れて逆らわず、穏やかさが増すけれど、時に生き長らえる難しさに気づいて、抵抗と諦念が錯綜する。

  身体的な面では、体力も様々な運動能力も明らかに減退しているのを否応なしに思い知らされる。もはや無理の利かない身体となっていることを自覚しながらの暮らしとなる。

  [課題]

老計のきめ細かな見直しと日々の実践の積み上げが求められる。それによって、活き活きと生きる日々がどれくらい実現できているかが、死計に直結することになる。

 

(4)深老世代(85~95歳)【生かされていることに気づく時期

[特徴]

85歳を過ぎる頃になると、生きることへの執着も次第に薄れて来て、生きるという意識よりも生かされているという受け止め方が次第に強くなりだす。生かされていることへの感謝の気持ちが少しずつ高まり出す。

身体的には、運動能力の減退は一層進んで、自力で自己を保全することを、より一層心掛ける必要が増す。これを怠ると、次の世代まで進むことが困難となる。

[課題]

生かされているという認識のもとに、感謝の思いを込めた余生を楽しむための具体的目標を幾つか用意することが必要となる。無為無策では生かされているという恵を享受することはできない。

 

(5)超老世代(95歳~)【生かされているのを楽しむ感覚

[特徴]

95歳を超えて尚心身の健康が確保されている場合は、もはや「老」などにこだわることはなくなり、生死に捉われることも薄れるようになり、日々が自然体の生き方となる。

[課題]

もはや格別の課題など無く、自然体のままに日々を送るのみである。

 

8.おわりに(老を5世代に分けて考える意味)

 

ここでもう一度「老」を5世代に分けて考える意味について強調しておきたいと思います。還暦の60歳を一応の老世代の始まりと考えますと、例えば、超老世代の100歳までには、40年という長い歳月が控えています。これは20歳で就職したと仮定した場合の、還暦に至る40年という歳月にほぼ匹敵する長さとなります。この長い期間をたった2区分の高齢者と後期高齢者などという荒っぽい分け方で考えて対処していいものなのかと思うのです。社会的な視点で見た場合、よりきめの細かな老世代への施策を考えるためにも、2区分以上の世代区分が不可欠であり、それを5世代に分けてしかるべきではないかと思うのです。

国家、或いは自治体の行政は、例えば現在行われている敬老会のような半端なごますり的行事などではなく、5区分された各世代にとってより価値のある施策をきめ細かに行うことが大切だと考えます。例えば現在行われている敬老会などは、老人を祝い慰める内容のものが殆どですが、そのような気休め的なものではなく、各老世代の人たちが、今をよりよく生きるために必要とする情報や方法などを提供、啓蒙するようなものでなければならず、それは例えば、対象者を10年ごとに区切って開催されるようなものでなければならないと思うのです。

また、個人の立場においても、自分自身の生き方を考えるに当って、「とうとう、高齢者の仲間入りしたか」、とか「いよいよ後期高齢者となってしまった」とかの荒っぽい感慨で済ませるのではなく、5区分の流れと位置付けに従って、それぞれの時点で思いを新たにすることが、老世代としての社会的責任である「加齢につれてそれに相応しい健康を確保し、活き活きと生きることにチャレンジしなければならない」の実践に取り組むことが可能となるのです。

このように、老の世代を5区分することには、大きな意味と意義があることを強調して、一先ず終わりたいと思います。  

 

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馬骨の老世代小論(その2)

2016-01-28 06:43:00 | 宵宵妄話

<前回より>

4.生きる・生きている」とはどういうことなのか

次に、強調しておきたいことがあります。それは、この世代区分論の前提としているのは、人間らしく、人間として生きている」という状態にあるということなのです。逆にいえば、「人間らしく、人間として生きている」状態でないのであれば、この世代論は無用であるということなのです。

 老の世代では、身体的な機能の劣化や意欲の減退などに伴い、常に「病」との係わりを持たざるを得なくなります。病との係わりは老の世代に限らず個人差が大きいことですが、老の世代では、個人差はあれ誰でも「病」が何らかの形で付きまとってきます。その中でも悪質な病は、「人間らしく、人間として生きている」ことを断ってしまうものがあります。例えば認知症が悪化してしまうと、そのような状態に追い込まれてしまいます。もしそのような病に取りつかれてしまったなら、私の老の世代論は通用しないことになってしまいます。

 では、「人間らしく、人間として生きている」とは、どういう状態を言うのでしょうか。私は、それは次の二つの要件を満たすことが不可欠ではないかと考えます。

自力で脳を働かせて判断を下せること

自力で自身の身体機能の管理ができること

この二つのいずれもが不可能のレベルとなった時、人は生きているとは言えない(さりとて生物学的には死んではない)存在であると言わざるを得ない状態となってしまいます。これは、厳然たる事実です。

勿論、この二つの条件が満たされなくても、人は己が生きていることを誰からも否定されることはありません。しかし、その双方が満たされなくなった時、人は生物学的には生きていても、社会的な存在として生きているとは言い難いこととなってしまうのです。

この二つの要件を考える場合「自力」ということがキーワードとなります。どんな病に取りつかれ、厳しい状況にあるとしても、「考えること即ち脳の働きが正常」であり「動くこと即ち身体の操縦」のいずれかを自力で出来るのであれば、人は社会的にも立派に「人間らしく、人間として生きている」ことが可能であり、その世代を生きることができるのです。たとえ、我が身を自力で律することができなくても、考えることができるならば他力を活用することができるからです。病などのために身体が自力では動かず、脳の働きも途絶えてしまった状態では、人は他力を借りて生きることは出来ても社会的に生きているとは言えない状態となってしまうのです。

老を考えるに当っての最大の課題が、「病」との係わり合いとなるのは必然で、これとどう向き合って行くのかは、老の5世代に共通する最重要テーマの一つです。

 

5.老計をどのように立てて行くべきか

さて、それでは社会的責任を果たすために、すなわち、加齢につれてのそれに相応しい健康を保持し、活き活きと生きるためには、「一体どのような考え方」で、「何を行えばよいのか」ということを考えなければなりません。ただお題目を掲げただけでは、何事もどんな責任も果たすことは出来ないのです。そこで私が提言したいのは、老の世代を一からげにして捉え、考えるのではなく、還暦を過ぎたあたりから段階的に老の世代を区分し、その段階に相応しい老の捉え方をし、それに相応しい課題を見出し、生き方を考える必要があるということなのです。

現在の世の中の老の捉え方は、簡単にいえば65歳からを高齢者とし、75歳を境として後期高齢者という2段階の括り方で扱っています。これはあまりにも大雑把な捉え方であり、きめ細かな老の世代への対応を考えるには不十分過ぎると思うのです。老というのは、一気に進行するものなどではなく、個人差はあれ精神的にも身体的にも段階的に進んで行くものだからです。そこで、私は老世代を5区分して捉えることを提言したいと思います。

 

6.老人世代を5つに区分する

 その区分というのは、次のようなものです。

(1)準老世代 ‥‥ 65歳まで

(2)順老世代 ‥‥ 65歳~75歳  

(3)真老世代 ‥‥ 75歳~85歳  

(4)深老世代 ‥‥ 85歳~95歳  

(5)超老世代 ‥‥ 95歳以上 

 これらを簡単に説明すると、準老世代というのはいわゆる還暦を過ぎて高齢者と呼ばれる65歳までの世代で、老に対する準備をする、或いは老に準ずるという意味でこのように名付けました。次の順老世代は65歳から75歳までの世代で、老に対して自身がそれを認め馴れてゆく世代という意味です。更に真老世代というのは、まさに本物の老を自覚しながら生きる世代であり、この世代が本来の老の姿であり、老計実践の核となる世代だという意味です。そして深老世代は、真老が更に深まりを見せて老を味わいながら生きてゆく世代であり、最後の超老世代というのは、文字通りもはや老ということなどに捉われない、老を超越した自然体の生き方の中にある世代です。以下、これらの世代について少し詳しくその特徴や課題等について述べます。

<以下次回へ>

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馬骨の老世代小論(その1)

2016-01-26 18:19:21 | 宵宵妄話

<3回に分けて、小生の老世代小論を掲載します>

 

1.  はじめに(「老」についての現状認識) 

 「老」というものを少しずつ自覚するようになってから、かなり時間が経ちました。この間、ずっと自分が今辿っている「老」とは何なのか、これをどう生きなければならないのか、などということについて考え続けて来ました。個人の立場でも又社会という視点でも「老」というのは、何の思いも持たぬまま自然の成り行きに任せておけばいいのか、という疑問がずっとくすぶり続けて来ました。

今、そしてこれからも、老人の溢れる世の中となりました。65歳以上の高齢者といわれる人口は、すでに3100万人を超え、来る2042年にはピークを迎え、その数は3800万人を超えると推計されています。これは全人口の3分の1を超え、何とその占有率が34%を超えてしまうのです。明治に至るまでの江戸時代のわが国の総人口が3000万人ほどだったことを考えると、この数字は恐るべきものであり、明治以降200年足らずの間にこの国が老人で埋め尽くされてしまうという現象を示しています。

シルバーデモクラシーなどということばが生まれて来ているようですが、果たして今までのデモクラシーの考え方でこの国が成り立つのか、という疑念も生じてきています。老人の一人として、既得のデモクラシーが壊れることのないように願うのは当然なのですが、しかし、そのためにこの国の経営が成り立たなくなり、子や孫の未来に暗雲を投げかけるとしたら、老人の勝手な我欲を満たすだけの願望には問題があると考えざるを得ません。さりとて生産への貢献が閉ざされている老人世代には、既得のデモクラシーへのこだわりを無くすことは困難で、自己保持のためのシルバー民主主義は現存することになりそうです。

シルバー民主主義の問題点は、選挙に絡む政治家の思惑が、老人世代の安定した票を獲得するために、老人世代に媚びる形で老人世代が生み出す社会的コストを扱いかねているところにあるということなのでしょうが、果たしてそのようなことだけなのかどうか、老人を生きる世代の一人として疑問を感じます。その最大のものは、老人が己の社会的責任を自覚しておらず、果たそうとしていないということではないのかと密かに思っています。そして、政治家も社会もそのことを放置して、あるがままの成り行き任せにしているのではないかという問題です。老人の社会的責任を促すようなことをしたならば、票が崩れて政治家が困惑するというような悪循環が、却って国の未来と老人の未来を危うくしているような気がしてなりません。(これは己の首を自らの手で絞めるような発想なのですが、重要なポイントと思えるので思いきって取り上げました)

老人は「老」をどう生きるべきかについて、もっともっと賢くなる必要があると思います。加齢のままに幾つもの病を取り込み、病に為されるがままに医療に依存し、自助努力を忘れている老人の如何に多いことか。最も多いのは、そのことを自覚しながら流れのままに昨日と同じことを繰り返している人の存在です。この現状の根底には、「老」をどう生きるかについての自覚と行動の貧困とそれを許している環境があるように思われてなりません。

この問題は、現代社会とそれを生み出してきた過去の様々な要素が複雑に絡み合っており、突き詰めた個人のあり方の問題だけではないことは承知していますが、それにしても「老」を生きる人間としての責任の欠如は、拭い去れるレベルではないように思います。老人のもたらす社会的コストを減らし、正しいシルバーデモクラシーを醸成するためには、何よりも老を生きる個々人が老人としての社会的責任を果たすことが重要ではないかと考えます。

 

2.  老人の社会的責任とは何か

 老世代の社会的責任などという話を持ち出すと、我々はリタイアするまでの長い間を、家族と世の中のために尽くしたのだから、もう社会的な責任など何も負わされる話ではない。医療などの社会保障制度の恩恵を受けるのは当たり前のことだ、と声を荒げる人が圧倒的に多いのではないかと思います。確かにその通りであり、私自身もそれを否定するつもりはありません。しかし、それに甘んじるだけで本当にいいのでしょうか。老人といえどもれっきとした社会の一員なのですから、何らかの社会的責任というものがある筈です。社会保障制度にすがって生きるだけで本当にいいのでしょうか。

 このことについてあれこれと思いを巡らしました。一体、老人の社会的責任とは何なのか。その結果辿り着いたのは、「老人世代は、加齢につれてそれに相応しい健康を確保し、活き活きと生きることにチャレンジしなければならない」ということでした。これは一個人としての理想の姿でもありますが、世の中の老人世代の皆がこれを志向し、その実現に取り組むならば、それは一個人だけのことではなく社会全体のコストを大幅に下げることにつながり、現役や若者世代にも大きく貢献することになります。

例えば、人口の3000万人を占める老人世代が、健康管理に真剣に取り組み、年間の医療費を一人月1千円少なくする努力が実ったとすると、それだけで年間3,600億円の国家予算を若者世代に回すことができるのです。別の言い方をすれば、老人世代が元気で活き活きと暮らす時間を増やすことができれば、その分だけ社会的コストは削減され、世の中に貢献することになるのです。

 老人世代にとって、病と死は身近で切実な問題ですが、これを為す術もなく成り行き任せにしているのではなく、しっかりと老計、死計を立て、その実現のために毎日を確実に生きてゆくことがこの世代に課せられた社会的責任なのだと思うのです。老計とは如何に老をつくり上げ、過ごしてゆくかということであり、そして死計とはその結果として、己の人生をどのように終えるかということです。この二つは不即不離の関係にあり、現実としての重要性は、老計の中にあるように思います。老計こそが老人世代の最も重要な課題であり、それを実現・実行することが老人世代の社会的責任を果たすことになるのです。そして、それは前述の「老人世代は、加齢につれてそれに相応しい健康を確保し、活き活きと生きることにチャレンジしなければならない」という生き方につながるのです。私は老人世代の社会的責任をこのように考えています。

 

3.  「人生五計」のこと

 前項で、「死計」とか「老計」ということばを用いていますが、このことについて少し述べます。この人生計画の考え方は、南宋の官吏だった朱新仲という人の唱えたもので、人生をよりよく生きるためには、5つのはかりごと(=計画)が必要だということで、それは次の5つであるとされています。

①  生計

②  身計

③  家計

④  老計

⑤  死計

 この五計の解釈にはいろいろあるようですが、私は昭和時代の陽明学者、正岡正篤先生に倣って、次のように理解しています。

 生計とは、如何に生きるべきかを考え、為すこと。

 身計とは、如何に身を立てる、すなわち社会に対処するかということ。

 家計とは、如何に家庭を営むかということ。

 老計とは、如何に齢をとるかということ。

 死計とは、如何に死すべきかということ。

これらのすべては人の一生に係わる重要なテーマですが、老の世代に於いて特に重要なのは、「老計」と「死計」であることは明白です。そして、私の理解としては、前述のように、老計と死計とは別々のものではなく、これらは不即不離の関係にあり、「老計の中に死計がある」と考えます。すなわち、この二つは同時進行であり、老計をどう考え、どう実践するかが直接どう死ぬかに係わってくるというということなのです。

(以下次回へ)

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寒さにギブアップ

2016-01-20 23:14:34 | 宵宵妄話

 冬の間は旅には行かないことにしているのですが、在宅ばかりですとどうしてもストレスが溜まって来ます。今年の冬は暖冬で、ご近所の庭のロウバイなどはすでに満開となっている木も多く、いつもはじっとしている白梅や紅梅までもが咲き始めています。それらを見ながら、何か天気の落とし穴などがやって来なければ良いがと気になっていたら、一昨日に雪降りの大騒動がありました。住んでいる守谷市辺りは、風雨ばかりで雪の気配は無かったのですが、少し離れた県南西部の筑西市などでは雪のための停電騒ぎなどがあって、天の気まぐれは真意が奈辺にあるのか見当もつきません。

 溜まっているストレスを、天が油断している隙を見て、少しでも発散させようと、雪降り騒動の終わった直後に、近場の栃木県さくら市の喜連川温泉に2泊3日の予定で、一人出かけました。相棒は喜連川のお湯はきついので敬遠するということでしたので、その分まで一人占めしようという魂胆でした。

 朝の天気は上々で、道路は昨日の雪も融けて消え去ったのだろうと思いながら、もし途中まで行って凍結などして危ない状況ならば、無理せずに引き返そうと思っての出発でした。直接喜連川に向かうのなら、途中に峠などの山間部は無いのですが、今日は故郷の常陸大宮市を経由して、いつも愛用している名物の乾麺を手に入れてから、山を超えて喜連川に向かうというコースなのです。

 国道6号線を行って、途中から笠間市を経由して常陸大宮市の方へ向かったのですが、途中に雪を見ることは全く無く、予定通りの順調な走行でした。常陸大宮市には来る3月にオープンが予定されている道の駅があり、その近くを通ったのですが、詰めの工事が急ピッチで行われているようでした。久慈川沿いのその道の駅は袋田の滝にも近く、完成すれば人気スポットになるに違いありません。

 少し先の中舟生という地区にある乾麺の販売所で1箱を買った後は、国道118号線から県道を経由して国道293号線にある道の駅:みわ(美和)に向かいました。この辺りは亡き母の生まれ育った故郷の近くで、かなりの山間部です。道幅もかなり狭くなり、離合の際は苦労しそうな箇所が幾つかありましたが、対向車は少なくて順調に走ることができました。道の駅まであと5kmとの表示板のある辺りには、昨日の残雪が道端に積まれており、この辺りも5~6cmくらいは降り積もったようでした。しかし、道路には雪は無く、何の心配もないのを確認しました。

 道の駅で小休止をした後、国道293線をそのまま行けば喜連川に着くことができます。栃木県との県境辺りから道端の雪が多くなり出し、鷲子山(とりのこやま)近くの伴睦峠を超えた辺りは、融けきれない雪の塊から水が流れ出していました。かなり降ったようでした。その後、馬頭温泉郷を越える辺りからは、周辺の畑や田んぼは一面の雪化粧に覆われていました。しかし、道路の方は、所々融雪箇所があっても通行に困るようなことはありませんでした。

 しばらく走って、14時半過ぎに喜連川温泉の露天風呂に到着しました。喜連川温泉には数カ所の入浴施設があり、道の駅にも公営の温泉が付帯しているのですが、私の場合は、いつもここの露天風呂ともう一つは喜連川スカイタワーのあるお丸公園下の元湯という浴場に行くことにしています。二つとも公営の温泉で、入浴料も300円とリーズナブルです。喜連川温泉は歴史が新しくて、昭和51年だったかに湯脈を探り当ててからの温泉郷なのですが、泉質も優れており、日本三大美肌の湯の一つとして、名を挙げているようです。もはや後期高齢者に仲間入りした私などには、美肌は縁のない話ですが、糖尿病で冷え症気味の足先を温めるにはとても有効なお湯なのです。

 露天風呂は、その名の通りであれば屋根など一切ないのでしょうが、ここは雨降りなどに備えて風呂の中央に屋根が設けられており、開放的な岩風呂となっています。ここの湯は100%の源泉かけ流しなのですが、初めてここを訪れた時は、少し齢を召した受付のご婦人が、「ここの湯は100%垂れ流しの湯なんだ」と胸を張って話していたのを面白く聞いた覚えがあります。もう20年以上も前からこの露天風呂のファンで、一時ひどくなりだしたバネ指をこのお湯で直したこともあるのです。その頃はいつも露天風呂専用という感じの利用でした。

少し離れた駐車場に車を置き、早速入口の引き戸を開けて中に入りました。午後3時少し過ぎの時間帯では、入っているのは皆同世代の老人ばかりで、凡そ10人ほどが岩に上がったり、半身浴をしたりして、思い思いにお湯を楽しんでいました。その中には来る度に見かける顔もあって、恐らく皆さんの殆どはこの近くに住まわれている、ご隠居さんたちなのでありましょう。相変わらずの世間話が飛び交っていました。

自分はとにかく足の不調を少しでも改善しようと、半身浴を中心にゆっくりと時間を過ごしました。ここに来た時は、石鹼は一切使わず、ただ湯に浸ることだけを楽しむことにしています。1時間ほど経って4時近くになると、日が陰り出して夜が迫ってくるのを感じるようになります。お湯から出た後は、車に戻り今日の泊りは近くにある道の駅にすることにして向かいました。

今回ここに来るに当っては、昨年秋の旅で拾ったエッセーのテーマを幾つか書き始めようという目論見があって、一応その準備をしてきたのですが、まずは夕食を済ませて寝ることにし、夜中に起き出して取りかかろうと考えたのでした。ご飯を炊き、軽く一杯やってほんの少しTVを見て寝床に入ったのですが、18時を過ぎた頃からの冷え込みは半端ではなく、ストーブを焚いても換気の寒さが入り込んで、早めの就寝とならざるを得ない状況でした。

良く眠って、目覚めたのは1時近くでした。いつもだと起き出してパソコンに向かうのですが、温度計を見ると気温は2℃を示しており、ストーブを焚いても我慢ができないほどの寒さなのです。こりゃあ、ちょっと無理だなと思い、起きるのは止めて再度寝床に入りました。それから明け方まで何とか眠ったのですが、それは寝る前に用意した湯たんぽが大きく功を奏してくれたおかげだと思います。湯たんぽが無かったら、カイロなどだけでは寒さは凌げなかったと思いました。

6時半に起床して、7時から元湯の営業が始まりますので、まずはそこへ行って朝湯を楽しむことにして移動することにしました。顔を拭くのにお湯を沸かそうと思ったのですが、何と水道が凍りついてしまって水が出ないのです。こりゃあまずいなと思いました。導水の設備が凍ってしまうと、破裂してしまう恐れがあります。水は半分以下の容量しか入れていないのですが、2~3日このような状況が続くと安心できないことになります。喜連川は我が家からは100kmほど北の方なのですが、直ぐ近く那須の連山も見えており、この辺りの夜間の冷え込みは、守谷辺りよりも5℃以上低いレベルのようです。大して変わらないのだろうという考えは油断だったというのを思い知らされました。

とにかく朝風呂に入ってからどうするかを考えることにして、元湯の方に移動したのですが、TVを観るためにアンテナを調整しようとしたのですが、何とこれが動かないのです。アンテナを上下に動かすために自在棒を用いているのですが、この継ぎ目から一昨日の雨が沁み込んでいたらしく、それが凍って全く動かないのです。何とかしようと、しばらくトライしていたのですが、面倒になって止め、風呂に行くことにしました。

元湯は小さな浴槽の内風呂と、外に小さな露天風呂があり、かけ流しではないので身体や頭を洗うことができます。それらを順次こなしながら1時間余り入浴を楽しみました。そして結論したのは、今回の温泉はこれで終わりにして家に戻るということでした。このまま滞在して、日中は何とか過ごせても時間は短く、再び寒い夜がやってくるのは必然で、暖房に対する周到な準備に欠ける部分も幾つかあり、安心して3日間を過ごすのは無理だ、との判断でした。甘い予測と準備不足を思い知らされたということでした。

改まってこのようなレポートを書くような出来事でもないのですが、偶には失敗談も敢えて取り上げて、我が身の薬にしても良いのではと思った次第です。

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歩きのための三種の神器

2016-01-16 05:14:12 | 宵宵妄話

 昨年の歩きの実績は、私の万歩計では6,216,551歩でした。私は毎日万歩計の記録をしており、年始めの日からの累計と1日の平均歩数を記録するようにしています。この記録は歩きを始めた頃(1990年)には、面倒くさくてしていなかったのですが、2~3年経って、糖尿君とのお付き合いのためには、これからは一生歩かなければならないのだと覚悟を決め、それならば覚悟の証に記録をとることにしようと考えたのでした。ついでに年間の歩きの目標を決め、それを月ごとに割り振って、歩きがいい加減にならないようにコントロールしてゆこうと考えました。今、PCの中の記録としては、1994年からの分が残されていますので、22年分のデータを見ることができます。1999年に退職したのですが、それまでの年間目標は600万歩で、僅かに未達だった年がありましたが、概ね目標は達成していました。2003年以降の年間目標は、480万歩(毎月40万歩)でやって来ていますが、これらも概ね達成して来ています。特にここ3年は、500万歩を大幅に超えて、昨年は600万歩を超えてしまいました。

 620万歩というのは、月51万歩強、毎日約1万7千歩を歩いたという計算となります。この記録は、万歩計を装着した毎日の数値をそのまま記録しており、自転車に乗った場合もそのままに扱ったりしていますので、かなりの誤差があると思います。仮にその誤差が40%あって、実質は372万歩だったとして、1歩の長さが60cm平均だったとしますと、年間の歩行距離は2,232kmとなります。これを365日で割ると1日平均が6km強となります。逆の言い方をすると、毎日6km強ほど歩いていると、年間では2,232kmも歩くことになり、これは日本列島を北海道の稚内から九州の鹿児島県枕崎辺りまで歩いた距離となります。たいへんな長行程なのですが、実感としては毎日6km以上歩いているのは確実なので、やっぱり俺は毎年日本列島を縦断しているのだと思うことにしています。塵も積もれば山となるとは、このようなことなのかもしれません。

 さて、どれほど歩いているかを自慢するのが今回の目的ではありません。世の中には、健康のためには何とか歩かなければならない、と思いつつもなかなか歩くきっかけがつかめず、又歩いてはみたけど長続きしないという人が、それこそごまんといるのではないかと思います。そのような方のために、特に順老世代(65~75歳)の方たちのために、役立つヒントになればと、自分の経験を伝えるのが目的なのです。

私は既に順老世代(老に馴れて、老を受け入れる世代)を終わって、真老(75~85歳)世代に身を置く者ですが、老をよりよく生きるために不可欠の要件として、「食」「動」「眠」を巧みに扱うことが重要と考え、あれこれと試行錯誤を楽しんでいます。その中でも歩くことは、「動」の核となるもので、「食」や「眠」とも深く係わるものです。全ての動物にとって、「動」は生命維持の基本となるものだと思うのです。人間以外の動物は、自力で動けなくなった時死を覚悟しなければなりません。自力で動けなくなっても、他力を借りて生きていられるのは人間だけではないでしょうか。これはきわめて重要な認識ではないかと思うのです。

そのような認識に立つ時、歩くことを自ら放棄するというのは、ある意味では自殺行為でもあるといえるような気がします。人間という動物は、知らず知らず自らの命を縮めるような行為を積み重ねる動物なのだと、これは私自身についてもあてはまることなのですが、この頃は天から授かっている自分の命をないがしろにしないように、自殺行為の部分を減らそうと努めている次第です。歩くことへのチャレンジもその一つなのです。

今回のタイトルを「歩きのための三種の神器」と名付けました。つまり歩きを長続きさせるためには、手ぶらではなく何かの補助具が必要だということなのです。それを身につけ活用していると、歩くことが楽しくなって来て、歩かずにはいられないというほどのものです。無手でも歩くのが楽しくてしょうがないという心境に達しておられる人もいると思いますが、私の場合は、補助具が重要でした。

最初は携帯用の小型ラジオ(イヤホン専用)からでした。出勤途中の歩きの中でニュースを聞き、音楽などを楽しみました。それにテープレコーダー(ウオークマン)が加わり、著名人の講演テープなどを聞いたり、自分自身の話法の修正などにも活用しました。般若心経を覚えたのも思い出の一つです。更にこれにルーペが加わり、歩きの途中で見かける様々な植物たちの観察に活用しました。その他、双眼鏡や聴診器までもが加わりました。バードウオッチングや樹木の幹を伝わる音を聴くためでした。このような様々なトライは、歩くことを無上の楽しみへと誘ってくれました。そして今は、必携品が三つ、すなわち歩きの三種の神器です。

この22年の間に科学技術は物凄いスピードで進歩し、20年前には普通人には入手困難だった携帯電話や小型のデジカメ、テープレコーダーにとって代わるICレコーダーなどが身近な当たり前のツールとなっています。私の現在の歩きの友は「携帯」と「デジカメ」と「ICレコーダー」です。歩く時は必ずこの三つを携行します。ゆえに三種の神器と呼んでいます。

これらを何に使うかといえば、携帯は真老世代では、危機を知らせる重要なツールです。歩きの途中で体調がいきなりおかしくなることもあるかもしれません。そのいざという時のための連絡用の必携品なのです。デジカメは、何かに気づいた時それを画像で残しておくための用具です。これは携帯にもその機能が付帯していますが、デジカメの方が画像はきれいだし、動画も撮ることができます。私の場合はパソコンの中に画像の日記として保存しています。ICレコーダーは、主に歩いている際に思いついたアイデアやテーマなどを記録するためのものです。予め録音しておいたものを聴くこともできますが、今はそれはやらないことにしています。携帯は別として、これらの情報は全てPCの中に保存しておくことができますので、あとでの材料として活用することにしています。

朝6時近くになると、外出の服装に着替えて、この三種の神器を身に携えて、いそいそと我が家を出発します。今の季節、外はまだ夜が明けてはおらず、かなりの暗さです。明けの明星などを仰ぎ見ながら、最初は寒いので大きく腕を振って急ぎ足で加速するように歩きます。10分も歩いていると身体の芯が暖かくなりだし、歩行が順調になってきます。そうなってきたら、少し歩速を緩め、呼吸を深くするように努めて、あとは淡々と歩くだけです。歩いていると様々な雑念、想念が湧きあがって来ます。時には妄想の世界もあり、これらが実に楽しい。同時に、歩いているという、この生きている現実がまことにありがたいなあ、と実感できるのです。途中に見かけたロウバイの花や道端の凍える草叢の中に花を咲かせているタンポポなどを見つけた時は、思わずカメラのシャッターを切ったりしながらの歩きです。4kmを過ぎた頃になると、晴れた日は、明るくなり出した東のかぎろいの彼方から朝日が顔を出し始めます。荘厳な日の出を拝した時は、なお一層生きていて歩けることに感謝の気持ちが深まるのです。帰宅するのは7時半過ぎの頃で、万歩計は凡そ1万3千歩前後となっています。少なくとも6kmくらいは歩いていると思います。

このような歩きができるまでに22年以上もかかっているのですが、歩きというのは楽しみの一杯詰まったものでなければならないと思います。この後、どんな楽しみが現れ、やって来てくれるのか、毎日歩きながら、更なる妄想を膨らませたりしています。もうしばらくはこの三種の神器が私の歩きを助けてくれるのだと思っています。

     

の歩きのための三種の神器。カメラは動画も撮れるレベルのもの。ICレコーダーはうっかり洗濯してしまい、本体での再生音が聞こえなくなってしまったのだが、PCに入れて聞くことは大丈夫で助かった。携帯はもう5年以上使っているガラケー。これらは小さいことが重要。

 

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「真老」元年に臨んで

2016-01-02 17:21:58 | くるま旅くらしの話

又一つ新しい年を迎えました。お読み下さっている皆様のご安全とご健康を心から祈念申し上げます。 

 未だきちんと整理が出来ていないのですが、私は、現在「老」といわれている世代を、前期と後期とに分けるだけの扱いには大きな疑念を持っており、自分なりにこの「老」の世代をよりきめ細かく分けて考えようとしています。現在の65歳からを高齢者(=「老」)と呼ぶとしますと、仮に100歳迄生きたとすれば、その期間は何と35年もあるのです。平均余命で考えても20年近くになるのは確実で、これをたった二つの時限で括るのは乱暴というものです。

 そこで、自分なりに次のように世代を括ることにしました。65歳までを「準老」、65~75歳までを「順老」、75~85歳までを「真老」、85~95歳までを「深老」、そして95歳以上を「超老」と5段階に分け、それぞれの時間帯での生き方を模索することにしました。このことについては、いずれ整理した後で発表しようと考えています。

今日は、新しい年を迎えて自分が「真老」の入口に足を踏み入れる年となりますので、その覚悟についてだけ述べることにします。

 「真老」というのは、簡単にいえば、いままで「老」というものに迷いながらやってきたものが、迷いから否応なしに脱却させられて、本物の老を自認するという世代を意味します。心も体も「老」をしっかりわきまえた生き方が求められるということです。例えば、身体は「老」となっているのを認めるけど、心の方はまだまだ若い連中には負けてはいないなどと言って、結果的に大怪我などをして「老」に打ちのめされる、などということがありますが、そのようなことがないように、もっと素直に「老」を受け入れた生き方が大事だということなのです。

 私には多分にそのような素直でない空威張りの己惚れのようなものが取りついていて、時々心と体のバランスを欠いて失敗することが多かったのですが、これからは「老」を常に心の底に置いて、心と体のバランスを保つように心掛けてゆきたいと思っています。このことを別の言い方をすると、どんな時でも「決して無理をしない」ということになるのかもしれません。世の中には子どもの頃から決して無理をしないという知恵を授かっている人も多いのですが、私の場合は、無理をしてこそ自分の存在が証明されるのだというような考え方が居座っているのです。

その昔、母から教わった教訓としてのことばに、「他人(ひと)と同じことをしていては他人(ひと)の上に立つことはできない」というのがあり、身を立てる上での心構えとして、そのことを大事にして来ました。それゆえに今まで普通でないことをいろいろとやってきたように思います。それは決して誤りではなかったと、今でも母には感謝していますが、「真老」ともなれば身を立てるなどという暮らしの世界からは、遠の昔に引退させられているのであり、母の教訓ももう使い果たしたと考えてもいいと思います。勿論、人の上に立つなどという発想は自然消滅していますが、今でも多少の無理など当たり前という、やんちゃな己惚れは残っており、これを少しずつ抑え込んでゆき、常に心と身体のバランスを保つように努めたいと思います。

しかし、ここで問題となるのは活力です。「活き活きと生きる」ということをこれからのキーワードとして外すことはできません。何もかも穏やかにというのでは、もしかしたら大切な活力が失われてゆくのではないか、という不安があるのです。そのことを思う時、この「真老」の世界の課題は、「無理をせずに如何にして活力を保持して、活き活きと生きてゆくか」、ということになりそうです。

さて、「真老」の世界に足を踏み込んでの今年の暮らしですが、勿論くるま旅くらし第一の考えは不変です。何処へ何をしに行くかは未定ですが、無理をせずにくるま旅くらしの一日一日を大切に過ごしてゆこうと思います。

もう一つの楽しみは、同じ屋根の下に住む孫たちとの交流です。家内には「自分の子どもの時は何もしなかったくせに」と時々恨めしそうに非難されますが、そのようなことは上の空で、孫との時間を楽しみたいと思います。あと3カ月で満2歳を迎える上の孫は、まだことばが話せませんが、何の意思表示をしようとしているかは凡そ見当がつくようになりました。昨年9月に生まれた孫娘は、最近ようやく笑うことを覚え出したようで、これからが楽しみです。「真老」の境地としては、今更になってこんな小さな孫と付き合うなんて、ということなのかもしれませんが、今だからこそ孫との交流を大切にしたいと思っているのです。但し、「ジジ育ちは三文安」の孫とならぬように、どんなに懐(なつ)かれても、決して孫に媚びるようなことはせずに付き合ってゆきたいと思います。

元日にはいつものように、道陸神と村社に参詣して、今年一年の旅の安全と健康を祈願してきました。今年の元日は素晴らしい晴天で、寒さもほどほどで、久しぶりに健康な気象を感じました。今年は日本中が穏やかな気象に恵まれることを祈らずにはいられません。

     

つくばみらい市の小貝川の堤防を歩いているときにご来光を迎えました。下部のぼんやりしている横の構造物は、つくばエクスプレスの架橋です。平野の彼方からのご来光はどこへいっても見ることはできませんが、でも、ぐんぐんとセリ上がる太陽の姿は、やはり厳粛なものだと、感動しました。

 

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