山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

能登半島大地震に思う

2024-01-06 06:25:38 | その他

 この度の能登半島大地震で被災された多くの皆様にお見舞い申し上げますと共に、この大災害の犠牲となられた多くの皆様のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

何というとんでもない出来事なのか! 巨大地震による大惨事の発生には、言語に絶する思いです。年の初めの、年に一度と言ってもいい家族の集まりの温かいくつろぎの場から、突然、一挙に地獄の深懊へと突き落された人々のあり様を、TVの画像で何度も何回も見せつけられて、発する言葉もありません。只ただ、生き残った皆さんが一日も早く、少しでも多く元の暮らしに近づけることを願い、祈るのみです。

 

旅をする者にとって、能登は憧れの地の一つでした。それはこの後も変わりはしませんが、この大惨事を目の当たりにして、この後の能登の地への訪問がいつ実現できるのか、残り少ない老の身の自分には不安が膨らむばかりです。

コロナの事件が始まる前の頃、私は次の旅の訪問先を能登と決めて準備を進めていました。その目的の第一は、縄文時代の遺跡が残る能登町の真脇遺跡を訪ねることでした。私の現在の最大の関心事は縄文時代とは何かであり、真脇遺跡は往時の人々の海を頼りとした暮らしが多く残っている所と聞いており、その様子を覗いてみたいと考えていたのです。勿論それ以外にも能登は何回か訪ねており、再訪したい場所も幾つかあったのです。しかし、計画の準備を進めているうちに新型コロナ禍というとんでもないウイルス起因の病が発生して旅どころではなくなり、それに合わせるかの如く能登エリアに頻発する地震のニュースに無気味さを感じて、家内は尻込みを続けており、実行をためらっていました。コロナが5類に移行になり、どうやら能登行も可能になるかなと思っていた矢先のこの大惨事の発生でした。もしこの時期に実行していたら、どんなことになっていたか?!壊された道路では車は全くの無力です。冬の旅は自粛していたのは正解なのだと改めて思っているところです。

それにしても何というとんでもない大事件なのか!八十余年の我が人生の中で、晩期に入ってから大事件が勃発しているのを感じています。東日本大震災、熊本大地震、毎年と言っていいほど発生している異常気象のもたらす豪雨等による大災害、これらの少し前には阪神淡路大地震もありました。大正時代には関東大震災がありましたが、その後はここ五十年ほどの間に場所は異なるけど、大地震が頻発しています。無気味な感じがしています。もしこの上に大都市の東京や名古屋、大阪などのエリアに今度の能登半島地震のレベルの大地震が襲ってきたら、この国は一体どうなってしまうのか。余命の少ない自分たちには覚悟はできても、子や孫たちはどうなるのか。不安は膨らむばかりです。

子や孫の世代には、木の根や野草を齧っても生きるという智恵や耐性が全くと言っていいほどないのです。暮らしのインフラが破壊され尽くした状況の環境の中で、生きるすべを見つけられるのか、それを考えると、今の過恵とも思われる世のあり方に疑問を抱かざるをえません。大自然から遠く乖離し、人間の小賢しい智恵が創り出した利便溢れる世界に安住して、本当の大自然の怖さを知らない人たちが果たして生き残れるのか?それを懸念するばかりです。さりとて、今どう対処すればいいのか、現状を変える力は見出せません。警告を発するだけでは何の力にもなりません。只ただ、そのような恐ろしい事態が起こらないことを願い、祈るのみです。

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2024年の年賀状の補遺

2024-01-02 21:30:40 | その他

 私は、年賀状というのは、過去一年の近況を報告することと年頭に当っての自身の所感を記すものだという考えで作成しているのですが、今年の年賀状に<追加>事項として変なことを書きました。変なことというのは、「老を生きるための基本心得」などという3つの項目を掲げたことなのです。3つの項目というのは、①好奇心、②妄想力、③快動力というもので、この3つを最大活用して90歳・100歳をめざす、というのが基本心得というわけです。

 単発的な書き方なので、これだけでは何のことやら解らないと思いますので、この場を借りて少し説明させて頂くことにしました。

賀状にも書きましたが、人生最大・最後の課題は健康に長生きして天寿を全うすることだと思っています。これは私が傘寿(80歳)を超えてからどう生きるべきかについてあれこれ迷った末に気づいたことなのです。「人生、生きていてなんぼ」というのはまさに絶対的真理ではないかと私は思っています。この意味は、死んだら最早人生は無いのだということです。死んでしまえば苦労も悩みも無くなるのだから、それを願っても不思議ではないという考えもありますが、それはとてつもない愚かな人間だけが思い上がって考えることに過ぎません。私は自殺というのは人間の思い上がりだと考えています。犬や猫を初めすべての動物は己の生命の終りを運命に任せて精一杯生きており、自殺など考える奴などおりません。皆己の生命を大事にして精一杯生きているのです。

 80を超えて何となく人生の終りの到来を意識するようになると、この先をどう生きるかについて思いを巡らすようになります。

 私は傘寿を迎えた時に「八十立志」を掲げることにしました。立志というのは、多くの場合若者世代の特権であり、老人の出る幕ではないという感じがするのですが、私は敢えて己のこれからの生きて行く為の目標とその実現への取り組みを立志と呼ぶことにしました。私の八十立志の中身は三つあります。これは幕末の大儒佐藤一斎先生が言志録の中でおっしゃっている立志の中身に則して考えたものですが、先ず①目標は、90歳まで生きて次に100歳を目指すということ。そのための②手段として、この3つの基本心得の実践を果たすこと。そしてそのために不可欠なのは、この志の取り組みへの覚悟を決して曲げないことです。私はこれを勿論現在でも実践中ですが、84歳を迎える今年、それには少しの迷いもありません。

 何だか難しっぽくなりましたが、この立志の核となっている3つの心得について簡単に説明することにします。

 先ず①好奇心を持ち続けることです。好奇心とは、あらゆる現象、出来事に出くわして、そのことに興味関心を示し、そこに一歩踏み込んでみることです。これには感性が重要です。感性とはつまり「普通とは、いつもとは違うということに気づく」ことです。珍しそうなことに手を出してみるということかもしれません。疑問を放置しないことかもしれません。

 次に②妄想力ということですが、これは「タラレバ」の思いを自在に巡らすことです。「もし、あの時、○○だったら、‥‥」「もしその時、○○してさえいれば、‥‥」と言うような、謂わば失敗や不首尾の出来事などを、新たに甦らせて自分の思い通りにその後のストーリーを想い描くという力のことを妄想力と呼ぶことにしています。これは老人の特権ともいえるもので、多くの過去を引きずっている老人には、その浄化作用が必要であり、これを果たすのが妄想力だと私は思っています。どんなに辛かった、苦しかった、嫌だったことでも、老人になってこの妄想力を逞しく巡らせば、心はかなりすっきりする筈です。未来よりも過去を重視せざるを得ない老人には、妄想力は不可欠なのです。未来は空想力が必要ということになるのでしょうが、それは実現の可能性を持っている若い世代に任せておけばいいことです。そして妄想は、出来るのならば、全てハッピーエンドで締めくくりたいものです。誰にも邪魔されることなく大いに妄想力を発揮することが老人の活力醸成に役立つのです。

 最後に強調したいのは、③快動力の発揮ということです。快動というのは気もち良く動くということです。否定的な心を持たずに為すべきことをタイムリーに実行することです。今出来ること、為すべきことを先送りしないことです。決めたことは、ためらいなく直ちに実行することです。どれも皆当たり前のことですが、それを当たり前として見過ごし、思い過ごさないことが肝要なのです。快動力は、考えではなく行動であり、身体の健康の決め手のとなるものだと思っています。

私は、この3つの力(好奇心、妄想力、快動力)を最大限に発揮してこれから先天寿のその時がくるまで生きて行く覚悟でいます。

 

同感してくれる仲間が増えることを願って、敢えてこのようなことを書きました。

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2024年の新年を迎えて思うこと

2024-01-01 16:54:30 | その他

2024年を迎えました。我が新年所感は、次の通りです。

  老耄の迫り来る身の新年は、

        迎えたくもあり、迎えたたくもなし

 

 昨年は、随分長いことブログの投稿を休みました。その最大の理由は、勿論コロナの所為なのだと言えるのですが、もう一つ大きな理由があります。このブログのタイトルは、「くるま旅くらしノオト」なのですが、今迄は旅をするに際して、旅の中でその日に近い情報を記し、発信するようにしていたのですが、それが可能だったのは、旅車にそれが出来る環境が備わっていたからなのです。すなわち、PCを扱うスペースが確保できていたのです。旅車には、寝床を初め、衣類や食材などの保管スペース、調理及び食事のためのスペース、トイレなどが必要です。そのスペースの中にPCを使える機能が確保されていれば,毎日の発信も可能となるのですが、コロナの最中に旅車を新しい自作のバンコンに替えたため、PCを落ち着いて使えるスペースの確保が出来なくなってしまいました。以前の車にあったリビングもキッチンも無くなってしまったのです。そしてコロナのために休んでいる間に我が身自身の老化が急速に進み、それに合わせる様に書くという意欲が減退してしまったのでした。もはや、以前の様な形でこのブログを続けるのは難しい、としみじみと自覚したのです。実のところはこの意欲の減退というのが、ブログを中断させる最大の理由なのかも知れません。

 昨年は、コロナの終息とも思える5類への移行もあったので、9月初めから10月初旬にかけて1カ月ほど、北海道・東北への旅を再開したのですが、ブログへの投稿は一切しませんでした。終わってから思い出などを書いてみても仕方ないという虚脱感の様なものが、心を占めていたのです。それは今でも変わってはいないのですが、一つ気づいているのは、これからは旅の鮮度などにとらわれずに、時々くるま旅をして気を紛らわしている老人の独り言の様なものを書くことにしようかなどと考えています。本来のタイトルが目指したくるま旅の記録とはかけ離れることになり、タイトルを変更すべきなのだと思いますが、それも面倒なのでそのままにして、今まで以上にくるま旅とは関わりのない話を増やすことにしようとそう思ったのです。

 これを書いている今日は一月一日。午前中年賀状を受け取りました。年々年賀状の数も少なくなって、今年は100枚を少し超えるレベルでした。それらを一枚ずつ読んでいると、その人の昔の顔などが思い起こされて、懐かしさが膨らむのですが、それらの中に、このブログを読むのを楽しみにしているという方が居られるのを知り、これはサボってはいけないのだなと、改めて強く感じました。それで、今年からは、最早旅にこだわるのではなく、自分自身の現在の存在の証をお知らせするというつもりで、テーマにこだわらず投稿を続けて行こうと心に決めた次第です。そして早速その初めがこの記事ということなのです。

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