山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘16年 東北春短か旅 レポート についてのお知らせ

2016-05-31 05:05:25 | くるま旅くらしの話

今回で16回目の報告となるのですが、都合によりこれより後の報告は、帰宅後にさせたいただくことにします。ネット契約の都合上、写真などの取り込みができないためなのです。申し訳ありません。  馬骨拝

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘16年 東北春短か旅 レポート <第15回>

2016-05-30 06:53:23 | くるま旅くらしの話

【今日(5/30)の予定】 

  道の駅:関川 →(R113・R7)→ その先未定

 

【昨日(5/29)のレポート】  天気:晴

<行程>

道の駅:鳥海 →(R7・R112・K47他)→ 出羽三山神社参拝 →(K47・R112・R7他)→ 道の駅:あつみ(温海)→(R7・345他)→ 瀬波温泉・湯元龍泉 →(R7・R113他)→ 道の駅:関川(泊)

<レポート>

 旅もそろそろ終わりの行程になり出している。明日辺りからは又天気が崩れ出して週末までは雨模様の日が続くという予報である。もしその通りならば、もはや探訪的なことは止めることにして、温泉にでも入りながら帰途に就くことにしようかと考えている。今日は昨日に続いての好天なので、久しぶりに出羽三山神社のある羽黒山に参拝することにしている。これは相棒からの要請でもある。参拝のあとは、日本海側をゆるりと南下して、村上市の瀬波温泉に浸った後、少し南にある道の駅:関川に泊ることにした。昨日の計画では泊りは村上市内の道の駅:神林を考えていたけど、何度も泊っている勝手知ったる関川の方が安心できると考え、変更することにした。

 遊佐町の道の駅:鳥海には今回は2泊させて頂くこととなった。実際の泊りは道の駅も森エリアではなく、海側に近い吹浦駐車場である。ここにはトイレも水汲み場もり、すぐ傍にあぽん西浜という日帰り入浴施設や無料の足湯もあって、宿泊には万事好都合なのだ。車の出入りも少なくて静かなので、自分たち以外にもくるま旅の方が何台か泊っていた。ゴミ処理は森のエリアの方にゴミ箱が設けられているので、そちらの方へ行って処理させて頂いている。給水やゴミ箱が全くない道の駅が増えている中では、くるま旅の者にはありがたい道の駅であり、我々も感謝しながら、ルールに従ってきれいに大事に使わせていただかなければならない。旅の非行や恥はかき捨てなどというのはもっての他の心得である。

 昨日苦しめられた腹痛も収まり、体調は元に戻ってもう心配はない。急性の下痢は良くあることで、自分的にはこれはお腹の大掃除を強制的にさせられたものなのだと思っている。このところ野菜類も少なく、いい加減な飲み物(コークハイのコーラの代わりに飲んだこともない強炭酸飲料を使った)などを流し込んだので、身体を管理している神様の怒りに触れたのだろう。そう思った。今日はもう何の苦もなく歩くことができる。昨日ほどではないけど、予定している羽黒山の出羽三山神社も結構な坂道の参拝路が待っている。9時少し前の出発となる。

 酒田市の郊外の田園地帯の中を走るR7の左手には、鳥海山のスケールの大きな眺めが広がっていた。しばらく走って、鶴岡市に入ると、今度は出羽三山の最高峰の月山がこれ又幾筋もの残雪の白い線を描いてその雄大な姿を見せ始めた。庄内エリアに住む人たちは、この二つの名山を眺め、その恩恵を受けながら暮らしを成り立たせて来ているのだなと思いながらの走行だった。我が故郷の筑波山とは比べものにはならないスケールの大きさだ。これから参拝する羽黒山は出羽三山の中では標高が500mにも満たない山だけど、山伏修行の本場として湯殿山、月山と肩を並べている。この三山の不思議な関係の由来が何なのかは、実のところよく解っていない。解っていなくても、東北の山岳信仰の聖地なのだと思っているだけで十分な気がしている。

 10時過ぎには神社参拝の髄神門近くの駐車場に着いたのだが、今日は山頂近くまで行ってそこに車を留め坂を下っての逆コースで国宝の五重塔まで往復しようと考え、その入り口を探したのだが、見つからない。確か有料道路のようなものがあったはずなのだが、ナビの設定が拙いのか見つからないのである。諦めて元に戻り随神門から参拝することにした。あとで駐車場近くの案内板を見たら、有料道路はずっと先の方にあり、自分の勘違いで途中から戻って来てしまっていたのだった。羽黒山参拝は今回が3回目だったかと思うけど、前回から5年以上が経っており、わが記憶は退化のスピードを相当に早めているらしく、こりゃあまずいなと思った。

   

羽黒山の参拝は下りの石段から開始される。隋神門を潜ると、杉並木の間にそれが待っていた。

 羽黒山の参拝は、石段を下ることから始まる。普通の参拝路は、上りから始まるのが多いように思うけど、ここは逆である。随神門を潜ると立派な杉並木の中に下りの石段が待っていた。50mほどの高さだろうか。ゆっくりと左右の植物などを観察しながら石段を下る。ここにはショウジョウバカマが多く自生していて、以前来た時は丁度開花期でその花を楽しんだのだが、今日はもう花は終わり、只青い茎が残っているだけだった。花といえば、先日奥入瀬渓流で見たヤグルマの大きな葉が、ここにも幾つも群生していて、その中の何本かが白い花を咲かせているくらいだった。石段を下り、朱塗りの欄干のある小さな太鼓橋を渡ると、右手に30mほどの落差の滝が白い筋を幾つも描いて流れ落ちていた。山伏の修行に用いられた滝のようである。その名を須賀滝(すがのたき)という。この参道の中では目立つ存在の一つである。少し先に行くと、数多い杉の中でも一際大きな杉の大木があり、それには根元近くに注連縄のようなものが回されていて、この杉を羽黒山の爺杉(じじすぎ)というのである。樹齢が千年を超え、幹回りも8mを超えているとか。この森の中では最長寿の杉の巨木との解説板があった。縄文杉とはその樹齢において比較にはならないけど、樹の姿を見ると、その高さは縄文杉の3倍以上もあるのではないか。やはり尊敬に値する名木の一つだなと思った。

   

羽黒山の爺杉の偉容。カメラを横にしないとうまく姿が収められないのでそのまま横の写真を使った。戻すと小さくなってしまうので、ご覧の方は我慢してください。失礼。

 その爺杉の向こう側に国宝の五重塔が見えた。相棒の今日の羽黒山参拝の目的はこの五重塔に逢うことであり、その姿をカメラに収めることなのである。平安時代の平将門による建立とされるこの建物はその後戦国時代末期に最上義光による大修理を経て以来そのままの姿で今日に至っているというから、500年以上も経っていることになり、木造の建築物としてはわが国の中でも5本の指には入るのではないか。森の中に鎮座聳立する重厚なその姿は、国の宝に相応しい威厳に満ちている。その昔から多くの修験者や参拝者の尊崇を集めていたに違いない。それにしてもわが守谷市近くの坂東市に居を構えた平将門がこれを建立したとは、今の時代でも考えられないほどより大きな影響力を持っていたのだと、その凄さに驚かされる。相棒は塔の回りを何度も回りながら懸命に写真を撮り続けていた。森の中で光が少ないので、撮影は難しいのかもしれない。

   

羽黒山の国宝五重塔。遠くから見ても、近くに行って見上げても、その重厚さは変わらない。まさに国宝に相応しい貫録を備えている。

 さて、一段落して、もはや五重塔に逢うという目的は達成したので、上部にある神社の拝殿に行くのは省略して車に戻ることにした。昨日かなり歩いているので、あまり無理をするとこの先が心配なので、戻ることにした次第。今度は上りとなる石段をゆっくり上って随神門を出て、車に戻る。これで今日の探訪イベントは終わりである。あとは温泉に入って宿泊場所まで行ってゆっくりするだけである。今のところ今回の旅の目的の一つである「のんびり、ゆっくり」は、かなり達成出来ていると思う。

 車を出発させて、先ずは日本海に面した道の駅:あつみ(=温海)を目指す。温海町は合併して今では鶴岡市となっている。今の時代は、「市」というもののコンセプトや姿が大きく様変わりしている。自分が育った頃の市町村の区分の感覚とは雲泥の差があり、これが良いことなのかそうでないのかよく解らない。ただ一つ言えることは、古くからある親近感を覚える地名がわけのわからぬ新しい市町村名の中に埋没していっているということである。旅をしているとそのことを実感するのである。温海町などもやがては鶴岡の温泉エリアの一つくらいにしか認知されなくなるのであろう。12時半ごろに到着。

 今日も昼は外食とすることにした。駅舎内の食堂はかなり混雑していたが、他に食べる所はないので、我慢して座ることにした。嬉しいことにここのメニューには焼き魚と煮魚の両方があり、2~3種類の魚を選べるようになっていた。少し迷って鯛の頭の煮魚定食というのをオーダーした。旅の中では、魚を煮たり焼いたりして食べる機会がなかなかない。魚大好き人間の自分としては、困った状態なのだった。やがてやって来た鯛の頭の煮付けはかなりの大物で、それを見ただけで満足した。鯛の兜煮は大好物の一つである。これでビールでも飲めれば最高なのだが、そうは行かない。その後じっくりと鯛の味を味わった。鯛の本当の美味さは白身などではなく頭に集中していると思っている。いやあ、美味かった。十二分に満足した。ところで、あとで道の駅の情報ルームで知ったのだが、この町の魚は黒鯛なのだそうな。また、「渚の黒鯛釣り発祥の地」ともあった。そう言えば先ほど食べた鯛も黒っぽかったのは、やっぱり黒鯛だったのかと思った。黒鯛も鯛も味はさほど変わらない。それにして「渚の黒鯛釣り発祥の地」とはどういうことなのだろうかと思った。40年ほど前転勤で高松に住んでいた頃は、時々チヌ釣りに行ったものだ。瀬戸内海地方では黒鯛のことをチヌと呼ぶ。チヌは岩礁のようなところに棲息しているから確かに渚ではない場所のように思うけど、さてこの地では渚でチヌが釣れるのだろうか。もはや海釣りも川釣りも止めた自分には係わりのないことだけど、ちょっぴり気になった。

 その後は海岸線を走って新潟県エリアに入り、村上市の瀬波温泉にある湯元龍泉という温泉に入る。これも温泉博士誌の恩恵。野天風呂と呼ばれる屋根つきの開放感のある露天風呂が幾つもある浴場は、温泉を楽しむ最高の環境だった。1時間ほど湯を味わって、その後は今日の宿予定の関川村の道の駅:関川へ。17時半ごろ到着。この道の駅にも温泉が併設されており、駐車場はかなりの混雑ぶりだった。自分たちは裏の方にある第2駐車場の方へ車を留め、そこで一夜を過ごすことにした。

 夜中になって風が強く吹き出し、TVアンテナを揺り動かして騒々しくて目が覚めて、降ろしたりして眠りの調子を崩されて困惑したりしたが、ま、その後は静かな眠りに入ることになった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘16年 東北春短か旅 レポート <第14回>

2016-05-29 04:56:25 | くるま旅くらしの話

【今日(5/29)の予定】 

  道の駅:鳥海 →(R7・K47他)→ 出羽三山神社参拝 →(R47・R7他)→ 瀬波温泉 →(R7他)→ 道の駅:神林(泊)

 

【昨日(5/28)のレポート】  天気:晴

<行程>

道の駅:鳥海 →(R7・鳥海ブルーライン他)→ 象潟町・中島台レクリエーションの森探訪(あがりこ大王・獅子ケ鼻湿原) →(K他・R7)→ 道の駅:鳥海(泊)

<レポート>

 天気は回復し、今日は大丈夫だ。今回の旅の中では最大の楽しみの一つである「あがりこ大王」に見参する日である。あがりこ大王は、象潟町の鳥海山麓にある中島台レクリエーションの森の中にあって、日本の名木というか奇木の中では5本の指に入るブナの巨樹なのである。あがりこというのは、この地方の呼び名で、炭を焼くために伐採されたブナの切り株から生えた彦生えなどが、根元の株と一緒にそのまま生長して、何百年も経って大木となったものである。過去に人間どもに負わされた生命に係わる傷は、素直にまっすぐ生長することは叶わず、痛ましいというか、普通でない生長をした故の不気味さを秘めた樹木たちなのである。それらの奇木の中でも最大のものが大王と呼ばれる巨樹で、森の奥に鎮座している。自分があがりこ大王に逢いに行くのは2度目で、相棒は初めてのことなのだった。

 遊佐町にある道の駅:鳥海を出発したのは9時ごろだった。象潟までR7を行くのはつまらないので、鳥海山麓を6合目近くまで走っているブルーラインというのを行くことにした。遊佐町から直ぐにブルーラインに入り、車は次第に高度を上げて行く。しばらく森の中の坂道を走って行くと、やがて視界が広がって、残雪の白い筋が幾つも残る鳥海山の大きな山容が見え出した。下方の海側はスモッグがかかっていて何も見えない。象潟の町もそのスモッグの中にある。空気が済んでいれば、海も空もブルーに光り輝いて見えるのだろうけど、この季節ではいつもこのような状態なのであろう。更にしばらく走って鉾立展望台にて小休止。しばらくその雄大な眺めを楽しんだ。車を走らせようとしたところ、相棒が何か紅い色をした野草に気づいた。そこいら中に花を咲かせているタニウツギとは違う花の色だという。慌てて車を停め,戻しそれを確認した。何と数株の愛らしい花を咲かせたイワカガミだった。この頃は相棒にも野草の方から声がかかるようになったようだ。野草を見つけようと探している間は、なかなか見つかるものではないのだが、その内に野草の方からここにいるよ、と声がかかるようになるのである。長いこと植物の名前を覚えようと努めている内に知ったことなのだが、相棒もそのような心境に達したのかもしれない。何枚かの写真を撮った。

   

鳥海山ブルーライン鉾立展望台近くの岩陰に咲いていたイワカガミ。小さな花だけど、豪華さを秘めている存在だ。

 その後は、ブルーラインを下り続けて、やがて中島台レクリエーションの森の案内板のある場所に。そこから再び長い坂を上って、管理棟の駐車場に車を留める。既に10台以上の先客が駐車していた。登山靴に履き替え、早速探訪を開始する。あがりこ大王までは40分ほど森の中の索道を歩くことになる。今日はその近くにある獅子ケ鼻湿原というのも一回りしたいと思っている。それが出来るかどうかは全て相棒の体力と気力にかかっている。前回は体力に自信が無くて、自分一人があがりこ大王まで往復したのだった。今回はあれから5年以上の時間が立っているので、さて、どうなるのだろう。

 今日はよく晴れてかなり暑くなりだしている。しかし、この歩きに関しては全く心配はない。太陽の厳しい光線は森の樹木たちになだめられて、優しい光となって森を包んでいるからである。鮮緑に染まった森は、樹木たちと渓流の発するマイナスイオンに溢れていて、もうそれだけで元気が湧いてくるのである。しばらく歩いて気づいたのだが、以前来た時は不揃いだった索道が一新されてきれいに整備されていた。これなら相棒が弱音を吐く理由はどこにも見つからないだろうと思った。索道は上がりこ大王の鎮座する場所まで続いていた。何の問題もなく相棒も辿り着くことができ、心配は杞憂だった。写真などを撮ってしばらく休憩する。

   

あがりこ大王の雄姿。森の奥に悠然と鎮座しているその姿は、まさに大王に相応しい貫録がある。

 その後は、少し戻って、今度は獅子ケ鼻湿原を一回りするのにチャレンジすることにした。1時間ほどかかるようだが、この状態なら大丈夫妥当と思った。普通湿原といえば、樹木などはなくて灌木や草叢などが広がっているのをイメージするのだが、この獅子ケ鼻湿原は、全く違っていた。湿原全体が樹木に覆われているのである。だから、歩いていて、どこが湿原なのか判らないという状況なのである。「出つぼ」という湧水が噴き出している場所があり、その近くに行くと流れ出す水の音が樹木たちを震わせていた。物凄い水量は、鳥海山の雪解け水が大地から湧き出ているのであろう。こちらの索道は未整備の箇所があったけど、相棒は難なく乗り越えたようである。途中苔の群落とか、鳥海マリモが生息している場所とかがあったが、自分などにはどうもよく判らずはっきりしなくて残念。

   

新緑の森の中はマイナスイオンに溢れていた。もはや何も言うことはない。

   

森の中の出つぼと呼ばれる場所から噴き出す湧水は、湿原全体を幾つもの流れでうるおしていた。

 2時間半ほどかけて森の中を歩き回った。相棒にとっては、近年にない意義深い歩きだったのではないか。自分にとっても久しぶりの樹木林の中の歩きだったので、大いに満足するものだった。しかし、実のところはその楽しみを半減してくれるトラブルを抱えて往生した。昨夜から腹がしくしく痛み続けて、今朝は何度もトイレに通っていたのだが、この痛みはとびきりしつこくて、なかなか去ってくれなかったのである。ま、不節制の為せるところであり、いた仕方なし。

 森の散策を終えた後は、当初の予定では、象潟の道の駅に行き、温泉に入ってそこでゆっくり過ごすことにしていたのだが、この道の駅はすっかり様相が変わってしまっており、今日は土曜日なので、恐らく新しもの好きの人たちが押し掛けて来て、混雑しているのではないかと考え、もう一晩道の駅:鳥海にお世話になることにした。この道の駅にも近くに温泉があり、より落ち着いて過ごせるのではないかと思った。

 15時頃道の駅に着いて、とにかく自分の方は腹の調子が穏やかでないので、寝床に横になる。相棒はしばらく休憩の後温泉に入りに行った。1時間ほど横になっていて、少し痛みが薄らいだので、自分も温泉に行くことにした。これは効果があって、身体を温めると、腹の具合もようやく静まり出したようだった。夕食は控えめに、それでもビールはしっかり飲んで、もうTVなどは見ないで再び寝床の中へ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘16年 東北春短か旅 レポート <第13回>

2016-05-28 02:25:58 | くるま旅くらしの話

【今日(5/28)の予定】 

  道の駅:鳥海 →(R7・鳥海スカイライン他)→ 中島台レクリエーションセンター → 中島台レクリエーションの森探訪(あがりこ大王に見参) →(K他)→ 道の駅:象潟(泊)

 

【昨日(5/27)のレポート】  天気:雨後曇り一時晴れ

<行程>

道の駅:さんない →(R107他)→ 横手城跡探訪 →(R107他)→ 道の駅:東由利 →(R107・R7)→ 道の駅:にしめ →(R7)→ 道の駅:象潟 →(R7)→ 道の駅:鳥海(泊)

<レポート>

 夕方から降り始めた雨は、夜の間止むことなく降り続いて、時に強くなり弱くなったりして天井を叩き続けていた。これだけ降れば今日はその勢いは弱くなり、明日のあがりこ大王に逢う時には良い天気になるに違いないと思った。予想通り、朝になって雨勢は弱くなり、出発する8時半ごろには止んで、雲が割れ始めた。今日は移動日である。風さえなければSUN号にはそれほど走行には支障はない。

 今日のゴールは、今はにかほ市となった旧象潟町にある道の駅に行って泊るだけの行程である。急げば昼前には到着してしまう距離だ。幸い雨も止んで降り出す心配もないようなので、ちょっと横手城跡に寄って見ることにした。昨日相棒がここの道の駅で、桜の花からの蜂蜜を手に入れたと興奮していたのだが、その蜂蜜は横手城跡の桜から取ったものだとのこと。そう言えば、横手市はいつも素通り通過してしまっていて、城があることも、どのような方が城主で治めていたのかも知らないままなのである。それを知るいい機会だなと思った。

横手城跡は街の北側に位置する山の手にあり、今はそこは公園となっていた。近年になってから造られたのであろう、コンクリート製の城郭が一棟建てられていて、そこが横手公園展望台となっていた。100円也を払って、展示物や解説資料等を見ながら4階まで上ると、そこからは横手市の殆どを俯瞰することが出来た。横手城は元々は地方豪族の小野寺氏が築城して治めていたものが、時代を経て江戸になってからは秋田の久保田城主の佐竹氏の支城となり、城代家老の戸村氏がここを治めていたとのこと。又この地に係わりの深い人物として、政治家の石橋湛山はこの地の生まれ、作家の石川達三もここ出身、そして石坂洋次郎は若かりし頃この地で教員をしながら、かの「若い人」を書いて作家としての出発点に立ったとのこと。皆錚々たる人物であり、凄いなと思った。いい勉強になった。

   

横手城跡に建てられている城を模(かたど)った展望台。内部は4階建てとなっており、各フロアには展示品などが並べられている。

   

4階展望室からの横手市街地の眺望。中央の川は横手川。大きな眺めだった。

 その後は移動開始。R107に入って、ひたすら日本海側にある旧本庄市を目指す。今は合併して由利本庄市となっており、管内には道の駅が5カ所もあるという広さには驚きである。途中の道の駅:東由利に寄り、一息入れる。ここには春の旅で何度かお世話になっているのだが、いつも夕方に来て温泉に入り、朝には出掛けてしまうので、駅舎の中を殆ど見ていない。今日は久しぶりに昼中の時間帯だったので、中に入って見たら、まるで20年前の田舎のスーパーの感じで、この地の人は恵まれていないなと思った。品物の品質も価格もとても納得できそうもないものが殆どだった。我々は買わないだけだからいいものの、地元の人たちはそうもゆくまいから、特に老人の方たちには気の毒だなと思った。

 その後は車に戻り、再び本庄方面へ。間もなく市街地を通りR7に出る手前で適正価格の給油所があったので、燃料を補給する。角館や横手は油価が高く経由1Lが100円を超えている。鹿角は山の中でも80円台だった。どうしてエリアによってこれほど大きな価格差が出るのか理解しがたい。カルテルでも結んでいるのだろうか。全国を回っていると、それを感じることが多いのだが、その地方の人は疑問も持たないのだろうかと不思議である。給油のあとは日本海側の道を少し走って道の駅:にしめ(=西目)にて小休止し、隣接する食品スーパーで少なくなって来ている飲料水を買い入れる。

 出発して30分ほど走れば今日のゴールの象潟の道の駅である。象潟に近づくにつれて、以前来た時よりも道路がきれいになっているのに気がつき、何だか変な気持になった。すぐ傍をいつの間にか高速道らしきものが走っており、少し行くとICらしきものがあり、案内板に日本海東北道路とあった。この辺りを通るのはいつの間にか5年以上も過ぎているようで、その間に道路の整備が進んでいるのだった。象潟の道の駅が近づくにつれて道路も昔のレベルになり、何だかホッとした。12時半ごろ到着。象潟の道の駅もすっかり変わっていた。以前は駅舎本体の脇に、魚屋や八百屋などがあり、長靴をはいた地元の人が元気よく声を上げていたのだが、今はその場所はきれいに整備され、新品の横丁となっていた。店を覗くと、きれいに調理された魚を販売する店を初め八百屋さんもその中に収まって、何だか以前の荒けづりの魅力がどこかへ吹っ飛んでしまっているような気がした。都会風となって喜ぶ人も多いのだろうけど、自分たちには逆の反応しかない。少しがっかりした。道路の反対側にある料理店に入り、昼食に海鮮丼を食す。

 今からここに留まって夜を迎えるにはあまりにも時間があり過ぎるので、もう一つ先の道の駅:鳥海に行って泊ることに変更する。道の駅:鳥海には山菜やここよりも野性的な焼き魚などを販売する店があり、今日はそれを味わってみたいと思った。途中に有耶無耶の関跡があるはずなのだが、案内板が見つからず通り過して、秋田県から山形県に入り、遊佐町の道の駅:鳥海に到着。この道の駅は「森のエリア」という愛称があり、駐車場の上の方の森の中に散策路などがつくられており、歩きの愛好者にはありがたい場所である。以前泊った時に歩いてことがあるのだけど、自分以外には誰もいなかったし、に中ここを訪れる人は、そのような散策路があることなど全く無関心のようである。折角の優れた施設を無駄にしているように思え、PRのための何かが不足している感じがしている。

 駅舎の売店の中に入ると焼き魚のいい匂いがしてきた。ここの店は以前と同じように活気があり健在だったので安堵した。脇の野菜売り場を覗いたら、もう殆どが売り切れ状態で、僅かに根曲がり竹のタケノコが残っていたのでそれを一袋買い入れた。鹿角の店では大型の同じタケノコが一袋900円もして売られていたのでとても買う気にはなれなかったが、ここではそれよりも小型で了も少ないけど、20本ほど入ったものが200円なのである。山菜はやはりここの店だなと思った。鳥海山麓の上方はまだ雪が残り、タケノコも採取出来るのであろう。熊は大丈夫なのかなと、採る人たちのことを思った。相棒がやって来て、焼き魚の中の銀カレイというのを買い入れる。銀カレイとはどんなカレイなのか良く解らないのだが、皮の色が黒くはなく、しっかり脂がのっていて美味いのである。今夜の酒の肴には最高である。

 車に戻り、駐車の場所を海側の方にある吹浦駐車場に移動する。駅舎のある場所は車の出入りが多くて夜になるまで落ち着かないので、泊る時はいつも海側にあるこの駐車場を利用させて貰っている。トイレもあり、水を汲むこともOKだ。未だ14時を過ぎたばかりで日は高い。しばらくの間パソコンに向かい作業に取り組む。一段落したのは16時頃か。もうそろそろいいだろうと、超早い夕餉に取り掛かる。先ずは先ほど買ったタケノコを焼いて食べることにした。皮つきのまま焼き網に乗せて炙って、10分ほどしたら出来上がり。皮をむいてアツアツの中身にちょっぴりマヨネーズをつけてアグアグと食べるのである。当然ビールは不可欠となる。相棒も一緒になってしばらく今年の遅い春の味を味わう。自分の方は、ついでに銀カレイの方にも手が行き、うめ~とヤギの鳴き声となる。18時前にはすっかりいい気分となり、こんな時は何よりも寝床の眠りがご馳走の続きとなる。そのまま、相棒のことも忘れて、恐らく大いびきだったのではないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘16年 東北春短か旅 レポート <第12回>

2016-05-27 05:03:56 | くるま旅くらしの話

【今日(5/27)の予定】 

  道の駅:さんない →(R107)→ 道の駅:東由利 →(R107・R7)→ 道の駅:象潟(泊)

 

【昨日(5/26)のレポート】  天気:曇り時々雨

<行程>

道の駅:なかせん →(R105他)→ 角館町観光駐車場 → 角館町並み散策 →(R105・R13・R107他)→ 道の駅:さんない →(R107・K1)→ 碧祥寺博物館 →(K1)→ 沢内バーデン(温泉入浴)→(K1・R107)→ 道の駅:さんない(泊)

<レポート>

 明け方になる前から雨だった。今日は終日の雨となるのかなと思いながら、いつものように朝の処理を済ます。今日は午前中に角館の重伝建を中心とする町並みの散策をし、その後は少し気分を変えて、まだ一度も行ったことのない西和賀町という和賀岳の西の山奥の集落にある博物館を訪ね、その後は途中にある温泉に入り、横手市の郊外の山間部エリアにある道の駅:さんない(=山内)に泊ることにしている。これは今朝ブログの投稿が済んでから決まったことで、段々行程計画がずさんというか、決まらなくなって来ている。

 8時半ごろに出発したのだが、雨は止んでいて、この分だとどうやら曇りのままで続いてくれそうな空模様である。15分ほどで着いて、車を駐車場に置いて早速早朝散歩に出かける。角館はもう何度も来ている場所で、桜の季節に係わらず、念に一度ほどは来訪している。我が家の味噌はこの町にある安藤醸造のものを愛用しており、無くなると取り寄せて賞味しているので、我が家の味噌汁や味噌を使った料理は角館の味ということになる。もう十数年も昔からそうなっている。今日の散策は、先ず武家屋敷の緑に染まる空気を堪能すること。その後はこれも必ず寄る武家屋敷小人町の組屋敷の姿を残す松本家を覗き(ここでは現在はイタヤ細工の名人が籠などを編んでデモをしている。今は代替わりして女性の方が担当されている)、その後は町の人たちの守護を受け持つ神明社に参拝し、あとは車に戻って相棒の帰りを待つだけである。

 武家屋敷の9時前の朝は、清新な新緑の世界に包まれており、未だ車も人も殆どない通りは、その昔の風情を僅かだけど漂わせており、観光まみれの地から抜け出ているのを感じた。ゆっくりと歩きその空気を味わいながら松本家に至る。早やくもイタヤ細工の女性が出勤して来ていて、準備に取り掛かられているようだった。相棒はここの先代の方から網籠を幾つかオーダーして買っており、女性の代になってからも笊などを手に入れている。今日も何やら長話となり出したようなので、別れて神明社の方に向かうことにした。途中に薬師堂というのがあり、ここか神社なのかお寺なのか判りにくいのだが、取り敢えずお教の方を選び般若心経を誦した。そこから600mほど歩いて神明社に参詣する。ここに参詣するのは、一つはちょっとした高台にあるので、角館の町が展望できること。それからもう一つは、旅の先達として尊敬する菅江真澄の碑があること。菅江真澄は、三重県の出身だけど、後世は秋田の久保田藩と深く係わり、この角館が終焉の地となっている。それで、何時も立ち寄ることにしている。参拝が終わった後は、町の裏側の細い路地などを歩き回って、観光地の表と裏の関係、表情などを見て回りながら車に戻る。1時間半ほどで万歩計は1万歩を越えていた。あとは相棒の帰りを待つだけ。

   

朝の武家屋敷の佇まい。静まり返った大通りには葉を目いっぱい茂らせたしだれ桜の大木が緑の世界をつくり出していた。

   

旧松本家の端正な佇まい。小人組というから微録の家だったのだと思うけど、いかにも真面目な家という住まう人の人柄が表れているようで、共感と親近感を覚える家だ。

     

神明社境内にある江戸時代の旅の名人の一人、菅江真澄の終焉の地の碑。

 朝の雨が嘘のように空には青空が見え出し、車の天井のソーラーが活躍し出した。かなりの蒸し暑さである。窓を開け風を通して相棒が戻るまでの間、パソコンに向かう。一段落をしても戻らず、未だどこかで獲物を見つけたのかなと思っていたら電話があって、これから戻るとのこと。しかし、その後もなかなか姿を表わさず、結局戻ったのは11時半近くだった。ま、満足顔なので、待ちくたびれた文句などはいうのを止めることにした。この後、昼食は横手焼きそばを味わうことにして、出発する。

 しかし、毎度判っていることなのだが、横手焼きそばをどこに行ったら食べられるのかが事前には不明なのだ。市内に入って、どこかにないかと探すのだが、あったためしがない。思うにこの遅れて有名になった食べ物は、夜の世界に活躍する類ではないか。看板を掲げる店が一つっ見つからないのは、何だか裏切られたようで、がっかりした。そのまま通りすぎて、西和賀町に向かう途中にある道の駅:さんないに行き、そこで何か適当なものを探して昼飯にすることにした。さんない(=山内)の道の駅は十年以上も前に一度寄ったきりで今回は2度目である。昔の記憶は薄れており、何だか違う場所に来た感じがした。レストランに入り、今日は軽めにしようと蕎麦を註文する。どうなのかと思いながら出汁を掬って飲んだら、うまい!のだ。蕎麦も美味かった。焼きそばよりもこの日本の正当の味の方が上のように思った。十二分に満足する。

 その後は、西和賀町にある碧祥寺というお寺にある博物館を訪ね、帰路に沢内バーデンという温泉に入って、この道の駅に戻って泊りにすることにしている。西和賀町というのは古い地図には載っていない。平成の大合併で湯田町と沢内村が一緒になって生まれた町なのだ。ここはもう岩手県となる。ついでに地図を見ると、西和賀町は何と花巻市や奥州市と境を一緒にしているのだから驚く。岩手県の自治体の面積は広く、守谷市などは西和賀町の10分の1にも満たないのではないか。R107から県道に入り、30分ほど走ると碧祥寺博物館の案内板があった。車を留め、中に入る。

   

碧祥寺博物館の一棟。この他に4棟もの資料館があり、今まで見た幾つのも歴史民俗資料館の中では最大規模ではないかと思った。今回は下見ということにして、次回は時間をかけてじっくりと見学したい。

誰もいない。声をかけると受付の女性が出て来られた。博物館は幾つかのテーマ別の建物に別れており、全部を見ると優に1時間を超えるというので、この後の入浴のこともあり、取り敢えず暮らしの用具などを集めた館とマタギの用具などを集めた館の二つを見ることにした。あとの残りは今度来た時にすることにした。それから40分ほどそれぞれの館内の展示物を見せて頂いたのだが、まあ、その数の多いことに驚かされた。江戸から明治、大正、昭和までのこの地における暮らしの歴史の変遷が手に取るように分かる気がした。撮影厳禁なので、掲載は出来ない。今回は予備知識なしでの野次馬見物なので、マタギのことなどは少し下調べをして勉強してからもう一度じっくり見させて頂こうと思った。アイヌの衣装や祭祀の用具なども展示されており、この地にはアイヌの人たちも住んでいたのだと理解した。山内をさんないと読むのは、その証左なのかもしれない、などと思った。

帰り際に受付の方から面白いものを紹介して頂いた。それは杉の木と橡(とち)の木が根元の下部のところで合体しているもので、どちらもかなりの巨木なのである。連理の木というのがあるけど、こちらは同じ種類の木なので何となく理解できるのだが、このような異種の木同士が合体しているのは見たことがない。自分的にはこの2本の木は根元の所でお互いに相手に食い込むほどの押しくらまんじゅうをしているのではないかと思った。不思議な樹の姿だった。

   

根元が合体しているように見える不思議な樹木たち。右側は杉、左は橡の樹である。根元の方には寄生樹なのか、名も判らない小さな木が芽生えていた。

その後は、来た道を少し戻って、沢内バーデンという入浴施設にゆく。ここも温泉博士誌の紹介での無料入浴である。少し熱かったけどいい湯だった。源泉は60度だという。それをそのまま使ったサウナもあって、北欧タイプのサウナとは違った味わいがあった。1時間ほど温泉を楽しみ、その後は今日の宿泊地の道の駅:さんないへ。入浴していることから雨が降り出し、道の駅に着いた時は地面はすっかり濡れていた。今夜からは本降りの雨になるのかもしれない。明日は移動日なので、雨の中の走りとなるのかもしれない。TVを見るよりも眠気の方が優先して、夕食のあとはたちまち寝床の中に。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘16年 東北春短か旅 レポート <第11回>

2016-05-26 05:25:22 | くるま旅くらしの話

【今日(5/26)の予定】 

  道の駅:なかせん →(R105他)→ 角館観光駐車場 → 角館散策 → その先未定 

 【昨日(5/25)のレポート】  天気:曇り時々雨

<行程>

道の駅:もりた →(R101・K31・R7)→ 道の駅:碇ヶ関 →(R7・R282)→ 道の駅:鹿角 →(R282・R341他)→ 乳頭温泉郷 →(R341・R46・R105)→ 道の駅:中仙(泊) 

<レポート>

 今日は全くの移動日。ここを出て弘前市街地を経由して道の駅:碇ヶ関に寄った後、小坂町を経由して鹿角市の道の駅で昼食を摂り、その後は北投石で有名な玉川温泉の脇を通って田沢湖高原の奥にある乳頭温泉郷に行き、温泉に浸かった後角館を経由して大仙市にある道の駅:中仙に泊るだけの行程である。特に書くこともない。

 とは言え、日記なので最小限の気づきは書かねばなるまい。道の駅:森田の一夜は何事もなく静かに過ぎたのだが、深夜の1時過ぎになって俄かに天井が賑やかになり、雨が降り出した。予報通り今日は雨模様の一日となるのかなと思いながら眠り続けたのだが、しばらく断続的に降った後は静かになり、5時過ぎに起き出した時には雨は止んでいた。とにかく大雨にはならないようにと願うばかりである。

 雨がやんでいる間に給水をして、食事が済んで朝のいつもの仕事を終え、その後相棒が持参しているラジオ体操CDの、その名も「おらほのラジオ体操」という、東北弁で吹き込まれたものを鳴り立てながら、身体を動かして気合を入れる。旅のあいだずっと、これは日課となっている。ず―ずー弁のラジオ体操は、津軽弁なのであろうか、今日のこの地にぴったりだった。8時半には出発の体勢が整ったのだが、相棒がもっと手に入れたいという葉とらずリンゴジュースの販売は9時からなので、しばらくまたなければならない。無駄な時間だな、と思っていたら、いつの間にか相棒が開店準備をしていた人と折衝して早や手にれていたのだった。これで直ぐの出発となった。

 とにかく今日は移動日である。最初の目的地は道の駅:碇ヶ関である。ナビをセットして、それからは岩木山の山麓下方の県道をひたすら弘前に向かって走る。途中のリンゴ畑はもう花もすっかり終わって、緑一色となっていた。遅咲きのものがあったら写真を撮りたいと言っていた相棒も、すっかり諦めて納得するばかりだった。間もなく市街地に入り、弘前城跡の脇を通り抜け、しばらく入り組んだ道を走って、ようやく郊外でR7に出て、そこからは碇ヶ関までは一走りである。途中から小雨状態となった中を道の駅に到着。一息入れる。

 次のゴールは道の駅:かづのである。碇ヶ関を出発して少し走ると、R7から別れて小坂方面に行くR282に入る。ここからはしばらくの間山間の厳しい曲がりくねった登り坂となる。小坂というけど、これはとんだ大坂だなと思いながら、慎重にハンドルを握る。間もなく峠となり、そこからが小坂町となっていた。小坂町は銅山だったか、鉱山の町として名を馳せた尾去沢鉱山があった所だ。未だその跡をを訪ねたことが無いけど、今度は機会をつくって訪ねて見たい。今日はパス。しばらく走って鹿角市内へ。最近のニュースでは、鹿角では二人もの方がクマに襲われて命を失ったとか。山へ入るのは危険だなと思いながら、この後八幡平に向かう途中辺りでもしかしたら熊君と出会うかもしれないな、などと思いながら間もなく鹿角の道の駅に到着する。正午には少し早いけど、ここで昼食の大休止とすることにした。しばらく外食無しで来ているので、今日は外食にすることにして、駅構内のレストランに入る。鹿角は秋田名物のきりたんぽの発祥の地だとか。きりたんぽ鍋などというメニューもあったが、自分は春の野菜のてんぷら丼というのをオーダーした。相棒は比内鶏の丼物を頼んでいた。てんぷらには根曲がり竹のタケノコ、コシアブラ、タラの芽などが入っており、いつも東北の春には自家製で味わっているものを、今回は外食で味わうこととなった。美味なり。1時間ほど休んで出発する。

 次のゴールは八幡平の秋田県側を走るR341を通って、玉川温泉の脇を通り、田沢湖近くにある秋田駒ヶ岳の麓にある乳頭温泉に行き、温泉を味わうことである。今回は温泉博士誌を利用して、休暇村乳頭温泉郷という所の風呂に入らせて頂くことにしている。鹿角を出発してからはしばらく平地だったが、間もなく山の中の上り道となり、更に厳しい環境の世界となった。ふと道脇を見ると何やら白いものがたくさん見られたので、車を停めて見ると、何とそれらは小さな水芭蕉の花やコブシの花たちだった。写真を撮ろうと外に出ると、寒風が吹き荒んでいて、ここは未だ遅い春が冬と闘っている場所だった。標高がどれほどなのか知らないけど、1000m近くはあるのかもしれない。思わぬ寒さにぶるぶると来て、直ぐに車の中に入る。熊さんとの遭遇を期待したのだが、この寒さでは熊さんはやっぱり麓近くに出没することになるのであろう。

  

八幡平の山中の道脇に見つけた水芭蕉の花たち。厳しい環境なのであろう、どの花も小さくて、懸命に咲いている感じがした。

  

近くには今を盛りと咲く山桜の花もあった。これも厳しい環境のせいなのか、花は小さい。

 山を下り続けて、玉川温泉の脇を通って更に坂を下る。玉川温泉は北投石と癌の療養で有名だが、未だ温泉を体験したことはない。一度近くまで行っただけである。自分もPSA値が少し高いので、もしかしたらこの温泉が有効なのかもしれない。しかし今日はパス。間もなくかなりの規模の玉川ダムが見えて来て、更に下るとようやく山里の民家が見られるようになった。更に少し走って、田沢湖高原の方にハンドルを切る。しばらく急坂を上り続けると田沢湖高原の入り口となり、更にその奥まったところが乳頭温泉郷である。もはやここからは秘湯と呼ばれる温泉場が点在している場所だ。今日の温泉はその中では大規模の宿泊施設の中にあり、野趣には乏しいけど、ブナの森の中に囲まれているので、新緑の今には温泉だけではなく空気も美味いに違いない。休暇村乳頭温泉郷に到着し、駐車場に車を入れる。

 温泉は、予想通り素晴らしかった。お湯もそうだけど、ブナの新緑の森のマイナスイオンの味わいは、温泉の効能を一層引き立ててくれる感じがした。1時間ほどしっかりとくつろぎの時間を楽しんだ。外に出ると、少し霧のような雨が降り出し、気温も下がり始めたようだった。この後は、道の駅:中仙に行き泊るだけである。山を下り、平地に出て、角館町の脇の道を走って、間もなく道の駅に到着する。明日は角館をじっくり散策予定である。

 中仙の道の駅には、中仙町が合併して大仙市となるずっと前から何度もお世話になっている。ここは角館を訪れる際のいわば定宿となっている場所だ。時々少し山の方にある八乙女温泉の方に泊ることもあるのだけど、今夜は道の駅の方に泊めさせて頂くことにした。明日は本格的な雨にならなければよいがと願いながら、夕食を済ませ、眠りに就く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘16年 東北春短か旅 レポート <第10回>

2016-05-25 04:04:06 | くるま旅くらしの話

【今日(5/25)の予定】 

  道の駅:もりた →(R101・K31・R7)→ 道の駅:碇ヶ関 →(R7・R282)→ 道の駅:鹿角 →(R282・R341他)→ 乳頭温泉郷 →(R341・R46・R105)→ 道の駅:中仙(泊) 

 

【昨日(5/24)のレポート】  天気:晴れ後曇り

<行程>

道の駅:いなかだて →(R102・R7)→ 道の駅:弘前 →(R7・R339 )→ 道の駅:鶴田 →(R339他)→ 五所川原市歴史民俗資料館・旧平山家住宅見学 →(R339)→ 金木町・太宰治記念館(斜陽館)→(R339・K・R101)→ 道の駅:もりた(泊)

<レポート>

 田舎館の道の駅では、今日は早朝から駐車場のライン引き作業を行うとの予告があるのを昨日気づいたのだが、せいぜい8時くらいからの開始だと思っていのだが、何と5時過ぎには作業が開始されたのだった。騒音は我慢できるとしてもライン引きに使う塗料のペンキの臭いが漂って来て、こうなると相棒はここにとどまるのは無理ということになり、直ぐに逃げ出すことにした。一番近くにある道の駅:弘前に行くことにした。弘前の道の駅はここからは15分ほどの距離にある。直ぐに到着してやれやれと安堵する。早朝からとんだ騒動だった。一段落してゆっくり昼食を済ます。

 今日は特段の予定も無く、津軽エリアを気の向くままに動き回ることにしている。先ずは、以前行ったことにある弘前市内にある長勝寺の禅林街を訪ねることにした。以前は桜を見に来たついでに訪ねたのだが、独特の寺町の印象が強く残っており、今回はそこをもう一度じっくり歩いて見たいと思った。8時半過ぎに道の駅を出発して、長勝寺の左手奥の駐車場に着いたのは、9時を少し過ぎた頃だった。車を置いて、直ぐに禅林街をゆっくり歩いて散策する。ここは長勝寺構えとも呼ばれ、弘前城とつながる台地にあり、長勝寺は第2の城とも呼ばれる場所だった。長勝寺を最奥に杉の植えられた参道の両側に32ものお寺が並ぶ景観は、壮観というしかない。どのお寺も現代につながっているのか、立派な造りである。むしろ一番老惨が近づいているのは筆頭の長勝寺のようにも思えた。しかしさすがにその山門は貫禄充分だった。

   

長勝寺禅林の参道。正面奥が長勝寺の山門。両脇には32ものお寺が連なっている。駐車している車が寺町の風情を壊しているけど、今の世では致し方もない。

   

長勝寺山門の偉容。32のお寺を睥睨するかのようにそびえている山門は、貫録十分だ。

初代か2代目だったかの津軽の殿様が、近郊のお寺を全部ここに集めてこの形を造ったとか。曹洞宗ということだが、一つの宗教のお寺がこれほど集まっているのは、ここだけだという。殿様の権力というのは如何に大きなものだったのか、凄いなと思った。禅林の入り口のところに黒門というのがあるのだが、クレーン車のような車が門を直撃して壊してしまい、今はその修理中ということで、前回の雄姿は見ることが出来なかった。長勝寺の右手奥の禅林広場からは弘前のシンボルともいえるお岩木山が未だ頂上近くに幾筋かの雪の跡を残して、朧な空に鎮座していた。この山はやはり寒い時期でないと感動を味わうのは難しいのかなと思った。

   

長勝寺の脇にある禅林広場からのお岩木山の山容。おぼろな空の中では、何かしら一人春の温かさを味わっているような感じがする。

 禅林の醍醐味を味わった後は、相棒の希望で五所川原市にある歴史民俗資料館と旧平山家住宅をたずねることにした。1時間ほどで到着する。近くの駐車場に車を置き、先ずは歴史民俗資料館のドアを押そうとしたのだが、何と鍵が掛けられており、休館状態だった。仕方がないので、隣接する旧平山家住宅の方に回ることにした。管理事務所の方に声をかけると、ここは無料で参観OKとのこと。資料館のことを訪ねたら、市の都合でずっと休館となっているとのこと。財政事情なのか、折角立派な建物があるのに残念だなと思った。そのあと、旧平山家住宅の内外をじっくりと参観する。今まで見たことも無いほどのスケールの大きな民家だった。母屋の中心部分と庭の先にある長屋門が国の重文に指定されているとか。重文とは家屋全体なのかと思っていたが、どうやらこの家は全体ではなく、現在に至るまでの歴史を踏まえての価値ある部分だけが指定されているようだった。大正時代につくられた部分を含めると、最盛期の時代には豪壮な建物だったことが想像できる。目白御殿にも匹敵する大きな屋敷だったに違いない。ただ、萱葺屋根には何種類かの苔や草が生えて伸びており、これからこのような建物を保存して行くのは難しいのだろうなと思った。建物の案内を音声で解説する装置があり、これが標準語と津軽語の両方で作られており、津軽語の解説は三味線の音楽入りで、とても共感を覚えるものだった。標準語の味気なさを改めて感じた。とても学ぶことが多い参観だった。

   

間口が30m以上もあり、正面からではカメラに収まらない大きさの母屋である。この母屋の左には大正時代に建てられたというもう一棟が連なっている。

   

重文指定の長屋門。左側の白壁の中は門番の滞在する部屋となっており、出入りする者を厳しく見張っていたとか。

 その後は車に戻り、昼食休憩とする。1時間ほど休んで、せっかくここまで来たのだから、近くの金木にある太宰治の生家の斜陽館を訪ねることにしようと向かう。20分ほどで到着する。外から往時を偲ばせる立派な建物を見ている内に、特別に中に入らなくてもこれを見ただけでいいやという気持ちになり、入館を取り止める。以前にも訪ねており、何度も訪ねるほどの太宰ファンでもない。どちらかといえば、心中などして命を自ら断った太宰という人にはアンチの気持が大きい。妻子もあるのに無責任な話だと思っている。ま、このことについてはいろいろな見方があるから、自分の見方が必ずしも正しいとは思わないけど、とにかく自分的には啄木や賢治などと比べると、ずいぶん身勝手な人だったと、その生き方には共感はできないのである。但し作品の世界となるとこれは別の話である。今、それをうんぬんすることは止めにする。

    

斜陽館の前にある交流館らしき建物の中にある食堂のメニューの中に、もじゅくらーめんというのがあった。以前東北の方が「もじょく」というのを聞いて、何のことなのかと戸惑ったことがあったが、「もじょく」が「もじゅく」であり、この地方では「もずく」のことをそう呼ぶのかと納得した。こぼれ話である。

 今日の泊りはつがる市の道の駅:森田にしている。当初の予定からは益々大きく外れた変更となっている。未だそこへ行くには時間が余っているので、久しぶりに更に北上して十三湖の近くの高原にある道の駅:十三湖高原まで行って見ることにした。十三湖といえばシジミが有名である。もし手に入れば今夜はシジミ汁でも作って味わいたいとも思った。しかし行って見ると、ここは風の通り道となっているのか、強風が吹いていて寒く、シジミはあったものの砂抜きはしていないという。生き物なので砂を抜いてしまうと、保たないのだという。砂を抜くのは旅先では面倒なので、これは諦め、炊き込みご飯用のシジミを買っただけにした。これなら今夜シジミの味を楽しむことができる。これを手に入れて、すぐに道の駅:森田の方へ向かうことにした。

 元の木造町や車力村の広大な田園地帯を走っていると、津軽平野の豊かさを感じてしまう。雪の降り積もる冬の世界では、閉ざされた貧しさを覚える世界なのかも知れないけど、植えたばかりの稲の苗が風にそよぐ広がりを見ていると、とても貧しさなどは見当たらない。今の時代となったからなのか、津軽平野はリンゴばかりではなく、米どころとしても日本有数の生産地なのだと思った。旧森田村を含めて今は合併してつがる市となっているけど、市という都会の持つイメージはどこにも感ぜられない景観である。

間もなく田園地帯を走る県道が終わり、R101に出る。そのまま道の駅に行く前に、鰺ヶ沢町の方に向かう。ここに泊る以上は、何としても隣の鰺ヶ沢町に行き、焼きイカを手に入れなければならない。それが今日の最大の楽しみなのである。鰺ヶ沢の焼きイカは我々の中では洩らしてはならない東北の旅の重要味覚ポイントなのだ。道脇のいつもの店に行き、早速それを手に入れ、いそいそした気分で道の駅へ。相棒は、もう途中の車の中で焼きイカを頬張っていた。

 道の駅:森田は、もう15年以上も前から何度も訪れている場所で、今回もまた土産にリンゴジュースなどを手に入れることにしている。ここの葉とらずリンゴという完熟リンゴのジュースが気にいっており、今回もそれを目当てにしている。それらの買い入れは相棒の仕事。こちとらは写真の取り込みをした後、ブログ記事の整理などをして、その後は、いよいよ焼きイカを肴に充実の一夜を迎えることとなった。シジミの炊き込みご飯もグーだった。明日は天気が崩れて雨になるという。ほどほどに降って貰いたいなと思いながら眠りに就く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘16年 東北春短か旅 レポート <第9回>

2016-05-24 04:44:04 | くるま旅くらしの話

【今日(5/24)の予定】 

  道の駅:いなかだて →(R102他)←田舎館村役場 →(R102・R7・K・R101他 )→ 五所川原市歴史民俗資料館 →(R101他)→ 道の駅:もりた →(R101)→ 鰺ヶ沢町焼きイカ店 →(K3・R7)→ 道の駅;碇ヶ関(泊)

 

【昨日(5/23)のレポート】   天気:晴れ

<行程>

道の駅:七戸 →(R4・R102)→ 奥入瀬渓流:石ケ戸 → 奥入瀬渓流散策 → 石ケ戸 →(R102)→ 道の駅:いなかだて(泊)

<レポート>

 起床3時半。直ぐにブログを発信しようとしたのだが、これがなかなかつながらない。何度やってもダメ。やむなく車を移動してチャレンジすることにした。それでもなかなかうまく行かなかったが、ようやくつながって、やれやれである。今日は先ず奥入瀬渓流に行って新緑の空気を目一杯吸いながら日頃のストレスをきれいに発散して、心身を浄化するつもりでいる。少しでも早く出発しようと思っていたのだが、少し手間取って焦った。それでも4時半には出発することが出来た。目指すは、奥入瀬渓流の中ほどにある石ケ戸という場所である。ここには休憩所もあり、道脇に駐車スペースもある。何時も奥入瀬渓流を訪ねる時は、近くにある道の駅:おいらせに泊り、朝一番で石ケ戸に行き駐車場所を確保し、それから朝食を済ませて散策を開始するのだが、今回は七戸から出向かうことにしたのである。それで、少し早目の出発を意図したのだった。

 車の流れは順調で、と言っても早朝の4時半なのだからこれは当たり前のことであり、邪魔なのは赤信号だけだった。予想よりもかなり早く着いて、5時半前には石ケ戸の駐車場所のベストポジションを確保することが出来た。その後は、これもいつも恒例となっているのだが、お湯を沸かし、コーヒーを淹れて、モーツアルトを聴きながら朝食を摂ることになる。今回は新しくCDカセラジオを持参しているので、スピーカーの性能は向上している。この緑の森の中では、モーツアルトが一番相応しいと信じている。ミルを回して豆を挽き、相棒がお湯を注いで完了。あとは静かにコーヒーを味わい、更に鮮緑のマイナスイオンを味わうだけ。パンも食べるけど、そんなものよりはこの森の中の雰囲気の方がずっと美味なのである。

    

モーツアルトを聴きながらというけど、その実態はこのように乱雑であり、自慢できるほど美しくはない。

 朝食の後は別行動。総じて相棒はペースが遅いので、とても調子を合わせているのは無理。ということで、自分の方は直ぐに渓流の散策に出発する。6時半である。既に日は上っているのだが、まだここまでは少ししか届いていない。近くにある休憩所を覗いたあと、ここから3kmほど離れた所にある雲井の滝まで往復することにして散策を開始する。直ぐ近くに「石ケ戸」の地名発祥の素となる小さな石の窟があり、それを覗く。伝説によれば昔この窟の中に鬼神のお松という美女盗賊がおり、通行の人たちから金品を巻き上げていたという。確かに人一人が住みつけるほどの広さはあるようだった。

    

石ケ戸の窟。こんな場所に巣食っていて、一体どんな美女だったのか。彼女の身の上話を聞いてみたいものだなと思った。

 そこから先は萌えるような緑の世界を、飛沫の弾ける渓流に沿って上流に向かう。ようやく届き始めた淡い日の光が木々の緑を照らし輝き始めて、何とも言えない心安らぐ世界が広がっている。ゆったりとした流れが少し続いているかと思うと、たちまち岩にぶつかった流れが純白の飛沫を上げているという、渓流独特の景観が続いている。マイナスイオンの溢れる世界を喜び湛えるかのように、名も知らぬ小鳥の囀りが渓流の飛沫の音を凌ぐほどに林間に響き渡っていた。日が上り、気温が上がるにつれて小鳥たちの鳴き声に目覚めたのか、エゾハルゼミの合唱がおちこちから湧きあがり、カジカガエルの哀調を帯びた鳴き声も届き始めた。

 しばらく渓流に沿って造られた散策の道を歩くと、やがて雲井の滝に到着した。雲井の滝は奥入瀬渓流の中では一番規模の大きな落差のある瀧で、凡そ50mほどであろうか。本流とは別の流れの岩場を落ちて、滝の水は本流に注いでいる。カメラに同じ迫力を持って取り込もうとするのだが、滝というのは普通のカメラではどうもうまく撮るのは難しいようだ。更に上方には渓流では一番規模の大きい銚子大滝というのがあるのだけど、今日はそこまで行くのは止めることにした。既に歩き始めてから1時間以上が経過している。引き返すことにした。

      

平らな箇所に来ると流れは穏やかになり、渓谷の優しげな表情を示してくれている。

   

川岸にはブナの大樹が数多くあり、春の喜びを大空に向かって告げていた。

   

段差のある岩場に来ると、穏やかだった流れは豹変し、岩をも砕く白い激流となって流れ下る。

   

雲井の滝。それほど大きな滝ではないけど、二段に落ちて流れる白い水の筋は、いかにも滝らしい風情を醸している。

それから再び1時間以上をかけて新緑に染まりながらの散策を楽しんだ。8時半過ぎに車に戻ったのだが、相棒もどこかに出かけているようで、不在だった。しばらくして相棒が戻り、お茶の時間を過ごした後、今度は二人で休憩所の下流の方へ行って見ることにした。この方向へ行くと、ちょうど今山ツツジが開花の最盛期を迎えている場所があり、撮影のスポットとなっていると聞いた。途中、足元の植物や木々などを観察しながら20分ほど歩いて、その場所に着く。確かにツツジの赤が、緑の水流に映えて、絵になる風景だった。何枚かカメラに収めた。そこから引き返して車に戻った時は10時15分となっていた。既に1万歩以上を歩いており、やや疲れを感じたので、しばらく眠ることにした。

   

豊な水の流れの岩場に自生した山つつじは、今が花の盛りのようで、緑一面の森の中に淡い赤色が映えて、一段と美しい。

 寝床に入って、それから2時間以上惰眠を貪る。特に相棒にとっては、今朝は普通でない早や起きだったので、寝不足の感は拭われない。自分も眠気を覚えていたので、眠ることにした。こんな場所でこんな時間帯に眠りを自在に出来るなんて、何という贅沢なのか。これはくるま旅の者に与えられた最高のプレゼントだな、などと言いながら至福の時間を過ごしたのだった。

 12時過ぎに目覚めて、軽く昼食を摂る。相棒は目覚めてから元に戻るのに時間がかかって、しんどそうだった。ようやく正気に戻った時は13時をかなり過ぎていた。もう緑の世界の散策は止め、次に向かうことにした。今日のこれからは、十和田湖湖畔をしばらく走って、急坂を上り、滝沢峠を越えて黒石方面へ下り、途中温湯(ぬるゆ)温泉の鶴の湯というのに入った後、道の駅:いなかだてに行って泊るだけの行程である。とにかくゆっくりと車の中からも新緑の世界を楽しみながら行くことにして出発する。

 少し走って十和田湖畔に出て、そこから今回は左へのコースで行くことにした。十和田湖観光の中心地を通り抜けて行くコースである。しばらくは緑のトンネルの中を走り、やがて坂道を登り始める。途中何時も春には見かけるキクザキイチゲやニリンソウなどの花が残っていないかと期待したのだが、これはもう全く見当外れの期待だった。滝沢峠の辺りには少しはフキノトウが残っていないかと探したが、これもまた見当違いの探しものだった。いつもはこの峠辺りでフキノトウを摘み、バッケ味噌を作るのを楽しみにしているのだが、今回はあまりにも時期が遅かったようである。その後は黒石方面に向かってひたすら坂を下る。

 間もなくダムが現れ、その脇に道の駅:虹の湖があり、立ち寄ってしばらく休憩する。3時半になっていた。もう入浴してもいい時間だと見計らって、出発する。直ぐに温湯温泉のいつもの駐車場に着いて車を留める。この道を通る時はこの温泉に必ず入ることにしている。石鹼やシャンプーはないけど、たった200円の料金で、源泉かけ流しの本物の温泉に入れるというのはありがたいことである。1時間ほど温泉を楽しみ、今日のゴールの道の駅:いなかだてへ。

田舎館は個性のある村で、弥生時代の米作りの跡が残っており、それに因んでなのか、毎年田んぼアートでは多くのファンを魅了してやまない。昨年は富士山に天女の米の稲穂で描かれた見事な絵が田んぼを飾っていた。今年はどんなものが見られるのか楽しみである。もう何度も来ている道の駅なので、親近感代である。今夜も早目の夕食を済ませ、ほんの少しTVなども楽しみながら夜を迎える。明日の予定は一応書いてはあるけど、実のところはっきりしない。今夜の課題である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘16年 東北春短か旅 レポート <第8回>

2016-05-23 04:15:13 | くるま旅くらしの話

【今日(5/23)の予定】 

  道の駅:七戸 →(R4・R102)→ 奥入瀬渓流:石ケ戸 → 奥入瀬渓流散策 → 石ケ戸 →(R102)→ 道の駅:いなかだて(泊)

 

【昨日(5/22)のレポート】   天気:晴れ

<行程>

道の駅:久慈 →(R45)→ 八戸市:八食センター →(R45・R4)→ 道の駅:十和田 →(R4・R102)→ 十和田市現代美術館 →(R102・.R4)→ 道の駅:七戸(泊)

<レポート>

 昨日大幅にコースを変更したので、今日は特別の探訪先は決まっていない。いつもだとここに泊ると山側の方に行って、内陸部の春を訪ねたりするのだけど、今日はこのままR45を八戸まで行くことにして出発する。今朝も快晴で、起きがけは少し寒かったけど、5時前に日が昇ると気温はぐんぐん上昇して、こりゃあ夏日になるのかなと思うほどだった。昨夜第二駐車場に泊ったのは正解で、静かな一夜を過ごすことが出来た。体調も万全である。

朝8時半過ぎ出発して、間もなく幹線のR45に入り、北上を開始する。しばらく走って、洋野町に入り、種市海岸にある海浜公園に寄ったのだが、生憎その時は海霧が発生して視界はかなり悪化し、海との境界線も太陽も見えない状態となってしまった。サーフィンを楽しむ人たちも海から上がって来ていて、晴れを待つ状況だった。久しぶりに海の景色を楽しみたいと寄ったのだが、不意になってしまった。

その後も北上を続け、青森県に入り、階上町にある道の駅;はしかみで小休止する。この道の駅は海の近くにあり、産直店には海産物も多く並べられており、興味関心大だった。しかし鮮魚類を調理する用具は持参しておらず、見たことも無い地元の海の海藻類を使った「あかはたもち」というのを買うことにした。知らないものは、一度は食べておくことが大切だという信念がある。蕪の良いのが安く売られていたので、これも買い入れ、直ぐに漬物を作った。夜には食べられると思う。気づいたらすぐに実行するというのも旅の食べ物の一つの在り方だと思っている。30分ほど休んで、八戸に向かう。

八戸では、前回訪れた時は休みだった八食センターという郊外にある大型のショッピングセンターを訪ねることにしている。ここではおもに魚介類の販売が行われており、魚大好きの自分には、何かいい獲物はないかと期待しているのである。少し道を間違えながら11時少し前に到着。すぐ傍にあるホームセンターで少なくなっていた飲料水を買い入れて補給し、その後に八食センターの中へ。たくさんの鮮魚店が並び、又食事の出来る店も多くあった。かなりの人出で、店内はかなり混みあっていた。食事時には未だ少し早いので、何か直ぐに食べられる調理済みのものを探したのだが、焼き魚も煮魚も無く、がっかりした。これが山陰や北陸だと必ず鯖の串焼きなどがあるのだが、ここではそのような食文化はないようである。諦めて持ち帰りの寿司を買い、車に戻って、道の駅:十和田を目指す。12時頃には着くので、昼食はそこでするつもり。30分ほどで到着。

十和田の道の駅には何度もお世話になっている。特にここには相棒の関心の大きい南部裂き織りの織り機がたくさん置かれた館があり、相棒にとっては必ず寄らねばならぬ場所の一つなのである。これはまあ、尊重しなければならない。昼食の後は大休止とすることにして、14時頃までフリータイムとする。今日はよく晴れて気温も急上昇し、夏日に近い暑さである。もしかしたら夏日になっているのかも。外を歩くのは危険な感じがした。しばらく昼寝をしようとしたら、隣りにマイクロバスが入って来て、エンジンをかけたままなので、とても眠れる状態ではなくなってしまった。しばらく諦めてブログの整理などをして過ごす。その内に静かになったので、収まらない眠気をなだめるために布団の中に。いい気持になって眠ってしまい、予定の14時を30分もオーバーしてしまった。慌てて起き出して相棒を探す。

その後は、相棒の希望で一度十和田市にある市立の現代美術館というのを見て見ようと出発する。美術館を訪ねるのは久しぶりのことで、一体どんな作品が見られるのか大いに期待した。20分ほどで美術館の近くに着いたのだが、駐車場が見当たらない。ようやく探して行って見たらそこは機械駐車場で、SUN号では出入りが困難な状況だった。止めようかと思ったのだが、相棒が訊いてくるというのでそれを待つことにした。結果的に機械駐車場の脇にチエ―ンで仕切られた場所があり、それを外して車を入れても良いということなので、それに従って車を駐車し、美術館に向かう。

現代美術館というのだが、何だか妙チクリンに気取った建物で、入口がどこなのかが判りづらい建物だった。案内板も何もないのである。相棒が出て来た人に訊いてようやく判り、受付にて料金を払って入場する。いきなり外国人のオバサンの巨像が目に飛び込んできた。相棒はこの像のことをTVで見て印象付けられ、ここを訪ねたかったらしい。確かに4mほどもある巨大さなので、一寸眼には驚くけど、よく見ればリアルであるだけで、どこに芸術としての価値があるのかは自分には判らなかった。婦人の立像という小さな解説板が部屋の白壁の隅に付けられていたけど、小さな文字で老人には真に読みにくい大きさだった。案内係の人に訊くと、解説などよりも本物の作品に集中してみて欲しいという配慮だとか。何だか変だなと思った。その後は暗幕の部屋が幾つかあって、いきなり暗い場所に連れ込まれて、怪しげな映像などを見せられて、何か誑かされているなという印象しかなかった。どこがアートなのかさっぱり分からない。アートというのは勿論表現の世界であり、作品はその作者のモチーフを表現しているのだと思うけど、只珍奇な姿や仕掛けを見ただけでは、感動とは無縁なように思った。その他にも常設の幾つかの作品を見て回ったのだが、どれ一つとして感動できるようなものはなかった。これだけ書くと、お前はアートとは無関係な鈍なジジイだと切り捨てられるに違いない。しかし、解らないものは解らないのだから、仕方がない。何だかすっきりしない気持で美術館を後にしたのだった。

その後は、今日の宿を予定している道の駅:七戸へ。自分たちはこの道の駅の昔からのファンである。今は近くに新幹線の十和田七戸駅が出来て、付近の景観も駅の姿もかなり変わってしまったけど、南部馬の産地として昔から名のある場所であり、その土地の持つ本質は変わっていないのだと思う。今日は日曜休日とあってか、いつも以上に賑わっており、当てにしていた安直売り場の青大豆は、たった一袋しか残っていなかった。明日は少し早くここを出発する予定なので、今回はこれで諦めることにした。

何時もの場所にSUN号を留め、今回は近くにある温泉に入るのは止め、そのまま夜を迎えることにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘16年 東北春短か旅 レポート <第7回>

2016-05-22 05:13:01 | くるま旅くらしの話

【今日(5/22)の予定】 

  道の駅:久慈 →(R45)→ 八戸魚市場 →(R45・R4)→ 道の駅:十和田 →(R4)→ 道の駅:七戸(泊)

 

【昨日(5/21)のレポート】  天気:曇り時々晴れ

<行程>

道の駅:遠野風の丘 →(R340・R106)→ 道の駅:やまびこ館 →(R106・R45)→ 道の駅:宮古 →(R45他)→ 浄土ケ浜 →(R45・K)→ 久慈市新山根温泉:べっぴんの湯 →(K他)→ 道の駅:久慈(泊)

<レポート>

 二晩泊ってお世話になった道の駅:遠野風の丘に別れを告げ、今日は更に北に向かう予定。当初の計画では早池峰山の北を走るR106を経由して盛岡方面に向かい、R4を辿って一戸町の御所遺跡を見てから近くの道の駅に泊ることにしていたのだが、急に気が変わって、山の中の道を通って反対の宮古市側に出て、R45を海岸線に沿って北上し、久慈市にある道の駅に泊ることにした。特に理由も無いのだが、一つにはやはり東日本大震災の三陸エリアのその後をもう一度見ておきたいということがある。

 9時少し前に道の駅を出発して、市街地にあるスタンドで給油を済ませ、宮古市方面に向かって出発する。R340は山間を走る岩泉町の方に向かう道なのだが、途中でR106と出合ってそれを海側に行けば宮古市に至ることとなる。しばらくは遠野市郊外の山間の田園地帯を走る。水を張った田んぼが鏡のように輝き、そこには近くの低い山々が新緑の春の装いで写っている。昨日のデンデラ野のある山口集落は重文景に指定されているけど、そのさらに奥の方ののどかな田園風景も又それに劣らぬ遠野の昔の農村の姿を思い浮かべさせる景観だった。次第にそのような景色が少なくなって、やがて車は鮮緑の山道の中に入って行った。しばらくは中央線のある良い道だったが、次第に道幅が狭くなって、やがて離合が心配なほどの道となった。新緑のシャワーは嬉しいのだけど、運転の方は気を使う。この道は初めて通る道でもあり、先がどうなっているのかがよく解らない。相当に曲がりくねっている道を上り下って、途中トンネル工事の現場を通りながら、早く完成するのを願ったりした。間もなく人家が見え出しR106に合流する。ここで、直ぐに宮古に行くのではなく、反対側の少し先に道の駅:やまびこ館というのがあり、ここには未だ行ったことが無いので、ちょっと寄って行くことにする。15分ほど走ると、少し大きな平地がありそこに道の駅が造られていた。

 道の駅では、何やらイベントというか儀式のようなものが行われていた。椅子が並べられ、紅白の幕らしきものが巡らされていた。相棒は早速素っ飛んで行った。行って見ると駅の構内に新しく建物が建築されそのオープニングセレモニーらしい。見ると「宮古市薬師塗漆工芸館」とあった。薬師塗漆器というのがあるらしい。初めて聞く名である。中にはいて見ることは出来ないのでこれは次の機会に持ち越すことにした。町の名士の方々の話を聞いていても何も分からないので、その後は産直館の方へ行き、何か目ぼしいものはないかと覗き回った。中に美味そうな豆腐を発見。少し高かったけど、ここは水がきれいだし250円の価値は十分あるに違いないと手に入れる。

   

道の駅:やまびこ館の構内に新しく造られた宮古市薬師塗漆工芸館。この日は丁度その開館の日で、記念の式典が開催されていた。

買い物をして外に出ると、先ほどの儀式の会場が俄かに賑やかとなっており、笛や太鼓の音が鳴り出していた。何だろう?と行って見ると、何とこの工芸館の開設を祝って神楽が奉納されるらしい。幕に早池峰山と書かれているので、これはもしかしたら早池峰神楽の一つではないかと思い、大急ぎでカメラを取り出し、相棒に写すのを頼んで、車に行き相棒のカメラなどを取に行く。その後結構長い間神楽の奉納は続いた。早池峰神楽のことは道の駅の案内パンフで知っていたけど、それを見る機会は限られており、無理だろうと思っていたのだが、まさかこのような所でいきなり見せて頂けるとは、望外の幸運だった。しばらく、動画茂とることにして、その風景をモノにした。神楽のことは高千穂の夜神楽を現場で体験して以来、興味関心を持つようになっている。往時の人々がどのような気持ちで、どのような舞いを神様に見て頂こうとしたのか、その人々の生きざまのようなものが、素朴な踊りを通して伝わってくるように思えるのである。ここで演じられている早池峰の神楽は、ひょうきんな振る舞いが多くて、恐らくこれは何かの喜びを表わす舞いに違いないと思った。何しろ予備知識も、演じられている舞いの演目も何も知らないのである。あてずっぽうでも、それほど的外れではなかろうと勝手に思ったりした。

   

早池峰神楽の舞の模様。後ろの幕には大正2年とあるから、もう百年以上もこの幕は大事にされて、伝統の舞とともに受け継がれてきたのであろう。

 思わぬ幸運に嬉しくなりながら道の駅を出発して、次は宮古市の道の駅に向かう。1時間ほど走って到着。ここには2年前にも寄っているのだが、状況はその時と変わらなかった。丁度昼近い時刻になっており、災害復興に係わる工事関係にダンプカーがたくさん駐車していた。昼食休憩ということなのであろう。ご苦労様です。何か直ぐに食べられるものはないかと売店の中を探したけど、寿司などは見当たらず、この道の駅は被災からの復興で新しくなったのは良かったのだけど、以前のような魚市場風の匂いや香りが消え去っており、何だか妙に都会風になって気取っている感じがして残念な気がした。

 昼食は近くの浄土ヶ浜の方に行って摂ることにして向かう。ここに行くのは震災以来初めてである。行って見ると、どうも以前とは様子が違っていて、浜の傍まで行くことはできず、新しく上の方に立派な駐車場が造られていた。先ずは簡単な食事を済ませたのだが、その後歩くと浄土浜までは15分ほどかかるとのこと。かなりの坂道なので、相棒は消極的である。シャトルバスが発着しているというのだけど、30分に一本で折り返しているというので、結構時間がかかってしまいそうである。ということで今回は観に行くのは止めることにした。相棒は、この浜には何やら霊気のようなものを感じるらしいのだが、自分には到底判らないことである。

 ということで、その後はR45をひたすら北上するだけとなった。途中にある道の駅:田老、田野畑、野田などを覗きながら、久慈市に入る。道の駅に行く前に温泉に行くことにして、少し離れた山の中にある新山根温泉:べっぴんの湯という所に向かう。ここは温泉博士に載っている無料入浴が叶う湯なので、そのご厚意に甘えさせて頂くことにした。渓流に沿って15kmほど行くとその温泉宿があった。とてもいい感じで受付をして頂いて、嬉しかった。お湯もサウナも露天もすべすべしていて、女性には喜ばれるのだろうなと思った。我が相棒は、果たしてべっぴんばあさんになれたのかなと思った。相当に難しいテーマだろうなとも思った。いい湯に入れて頂き満足しながら来た道を戻り、道の駅:久慈に着いたのは17時少し前だった。この道の駅にお世話になるのは2度目である。構内の売店には魅力的なものが数多く並べられている。中でもやはり琥珀が一番なのだと思う。だけど、超高価なので自分のようなジジイにはもはや無用のものとなってしまっている。換わりに少し濁っているけど琥珀色に近いイカの煮付けを買って、夕食の采とすることにした。泊りは、今回は上の方にある広くて平らな第2駐車場の方にさせて貰った。急も早めの夕食を済ませ、長い夜を迎える。さて、明日はどうするか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする