山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第6回>

2018-05-31 04:32:09 | くるま旅くらしの話

【今日(5/31)の予定】 

東大沼キャンプ場 →(R5他)→ 函館市内知人宅訪問 → その先未定なるも松前方面へ向かう予定

 【昨日(5/30)のレポート】 天気:曇り一時雨

<行程>

道の駅:なみおか →(R7他)→ 青森フェリー乗り場 →(津軽海峡フェリー)→ 函館フェリー乗場→(R5他)→(JR森駅経由)→ 東大沼キャンプ場(泊)

<レポート>

 朝、ブログの投稿を終えた後、付近の散策に出かける。浪岡辺りもリンゴの産地であり、すぐ上の丘のリンゴ畑にも小さな実をつけたリンゴの木が勢揃いしていた。その丘を上り、さらにその向こう側の方へ行って見ることにした。浪岡湿生花園と書かれた案内標があったので、そこまで行くことにした。約1kmの距離だという。今頃はどんな花が見られるのかと、リンゴ畑の中の道を歩いてゆくと、間もなく到着した。期待はかなり膨らんでいたのだが、行って見ると花を咲かせている野草は全く見られず、所々にレンゲツツジが橙色の花を咲かせていただけだった。牛ガエルとその他のカエルの鳴き声が賑やかな他は静かな、ただの湿地帯だった。季節がそのような時期なのだろうと、引返すことにした。ところが途中から雨が降り出し、本降りとなる気配だったので驚いた。予報では午後辺りから天気が崩れると聞いていたのだが、少し早やまったのかと、その気まぐれには手も足も出ない。少し濡れた状態で車に戻る。

今日の予定は青森からフェリーに乗って函館に上陸し、東大沼のキャンプ場に行って休むだけの行程である。1日早いペースで来ているので、少し休養することにしている。

朝食の後、8時半近くにフェリー乗り場に向かって出発する。いつもだと大間まで行ってフェリーに乗るのだが、今回は邦子どのの要請で、青森から青函フェリーを利用して行くことにしている。というのも大間からの津軽海峡フェリーは、船が替わって新しくなってからは、揺れが気になって居心地が悪いのだとか。青函フェリーならば距離があってもその心配はないのではないかということらしい。とにかく鈍感な自分には訳のわからない人なので、逆らわないことにしている。

9時過ぎにターミナルに着いて、早速手続きをしに行ったのだが、乗船する船を見ると大間からのいつものよりも小型なのである。そして、少し離れた津軽海峡フェリーの方には倍以上も大きいと思われる船が停まっていた。それを見て、邦子どの心は大きく揺れ、青函フェリーを止め、津軽海峡フェリーに乗る方へと舵を切ったようだった。料金などどうでもいいからやっぱり大きい方に乗りたいという。それで急遽乗る船を切り替えることとなった次第。出港時刻も1時間半も早いというので、結果的にはベストの判断だったようである。

10時に出港して、到着は13時40分予定。早速手続きを済ませ、船の中に車を入れる。大きな船で、今頃は乗船客も少ないのか、スタンダードの船室は貸し切り状態で、自分たちの他にはこの部屋には誰もいない状態だった。それから3時間40分という長い時間を、パソコンを覗いたり本などを読んだり、時に少し横になってまどろんだりして、時間を忘れている内に函館に到着した。

予定時刻通りの到着で、4年ぶりの北海道上陸である。上陸すると、いつものように先ずは、JR森駅を目指すことにした。少し遅れた昼食には、森駅の名物駅弁のイカ飯駅弁をと決めている。いつもの函館新道を通って、森駅前に着いたのは14時半ごろか。早速邦子どのが買いに行き手に入れて来た。驚いたことに何と1個780円にもなっているという。元々は500円足らずの値段だったのに、である。最近はイカ漁が不振で獲れなくなっていると聞いてはいたが、事情はかなり深刻なようだ。楽しみにしているのに、これじゃあ最早この駅弁も今日が最後となるなと、寂しい思いがした。年金暮らしの老人には贅沢は禁物である。

駅弁を手に入れた後は、これ又いつものように東大沼のキャンプ場に向かう。函館に上陸した際には、いつもこのキャンプ場か恵山の道の駅に行き、一息入れて次の行程に向かうことにしている。今回はこちらのキャンプ場と決めている。というのも、明日からは先ずは渡島エリアから旅を開始する考えでいるからである。明日は松前方面に向かい、その後は檜山エリアに向かう考えでいる。30分ほどでキャンプ場に到着する。

早速駅弁での昼食となったが、これが最後のイカ飯となるのだと決めると、それならば上陸祝いにこれを肴に一杯やろうということになり、自分は酒を、邦子どのは自分専用の富山の地ビールの宇奈月ビールを取り出して乾杯。イカ飯を開けるときは、いつもイカが何個入っているかが楽しみなのだが、今回は2個とも各2個しか入っていなかった。イカが獲れないので、3個入れるのが難しくなっているのかもしれないなと思った。だんだんと楽しみが少なくなる世の中が増えているようだ。

森駅の名物駅弁のイカ飯。かつては全国の駅弁の中で売り上げナンバーワンの王座を欲しいままにしていたと聞いているが、今はどうなってるのか。そしてこれから先はどうなるのか。値が下がる時がきたら、いいのになと祈るばかりである。

なんだかんだ言いながら一杯が二杯、三杯となり、いい気分になって自分は寝床の中へ。邦子どのがその後どうしていたのかは知らない。目覚めたのは、19時半近くで、既に辺りは暗くなっていた。ここは四方が森に囲まれたキャンプ場の駐車場なのである。駐車している泊らしき車が2~3台あった。静かな夜を迎えることとなった。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第5回>

2018-05-30 05:48:54 | くるま旅くらしの話

【今日(5/30)の予定】 

道の駅:なみおか →(R7他)→ 青森フェリー乗り場 →(青函フェリー)→ 函館フェリー乗場→(R5)→ 東大沼キャンプ場(泊)

 

【昨日(5/29)のレポート】 天気:晴れ

<行程>

道の駅:いなかだて弥生の里 → 埋蔵文化センター・博物館見学 →(R102・K・R7)→ 道の駅:なみおか →(R7) → 三内丸山遺跡探訪 →(R7)→ 道の駅:なみおか(泊)

 <レポート>

 4時半頃の田舎館村の朝は快晴だった。しかし少し気温が高いのか、南西正面に見えるお岩木山は少しボヤケて見えたのが残念だった。ブログを書き終え投稿を済ませた後付近の散策に出かける。田舎館村は、黒石市、弘前市、それに平川市に囲まれた小さな村だけど、山はなく津軽平野の平地を独占しているかのように気候にも恵まれた稔り豊かな田園風景が広がるリッチな村である。それは弥生の昔から々姿だったのだろうかなどと考えながら、1時間ほど歩きを楽しんだ。

 今日は、今まで何度もこの道の駅にお世話になりながら、まだ一度も見学したことが無い隣接する村の埋蔵文化財センターと博物館を訪ねる予定でいる。何故訪ねなかったのか我ながら不思議なのだが、今回どうしてもという気になったのは、このところ日本の古代、とりわけて縄文や弥生或いは古墳時代への関心が自分の中に膨らみ始めたからなのである。田舎館村のこの地はその昔の弥生時代の垂れ柳遺跡というのがあり、これはこの付近を走る国道102号線の道路工事を開始した時に発見された、水田跡なのだった。それが元になっての田舎館村の田んぼアートは有名だが、その遺跡を訪ねる人はそれほど多くはなく、田んぼアートの由来を知る人も少ないのではないか。自分もその一人なのだが、今日はその壁を少し壊して一歩を踏み出したいと思っている。

道の駅:いなかだて弥生の里に隣接する、田舎館村埋蔵文化財センターの外観。田んぼアートの見物に来られる方にはぜひ一度寄って中をご覧になることをお奨めしたい。

 ということで、9時半過ぎに埋蔵文化財センターを訪ねる。かなりスケールの大きな建物の様である。中に入るとガラス張りの床があり、そこに弥生時代の人の足跡が残る水田の一部のレプリカのようなものがあった。それらを覗いていると、受付の女性が近づいて来られて、遠慮深そうに案内をして下さった。幾つか質問をしている内にややこしい内容となった時、もう一人の男の方が替わられて引き続いて説明をして下さった。この方が館長さんで、考古学の専門家であり、とても事情に詳しい方だった。それから延々と2時間半も時間をかけて、気がつくと間もなく正午近くとなる刻限まで様々な古代の暮らしの状況や米作りについてなどのお話を聞かせて頂いた。館内には実物の水田跡が展示されていて、迫力がある。古代のその水田は、現代のそれとは相当に違っていて、大きさはせいぜい畳3~4枚ほどか。少し大きめのものもあって、形も正方形や長方系のものがあり様々なのだが、それぞれに理由があって、そのお話はとても面白いものだった。それらをここに書くのは省略するけど、驚くのは今回の発掘ではこのような小さな田んぼが13ヘクタール(=13町歩)にも亘ってこの地に存在していたということである。勿論今日のような耕作技術や肥料などがあるわけではなく、自然の中で自然のご機嫌を伺いながら少しずつ米作りを進化させていったのだと思うが、この小さな田んぼは、連作の障害を避けるために凡そ5年ほどで順繰りに作付けを変えながら米作りをしていたのではないかというお話だった。往時のこの地は水田だけではなくたくさんの落葉樹があり、どんぐりなど木の実の採集にも恵まれ、また狩猟の獲物も多かったことから、米だけに依存しない豊かな暮らしが成り立っていたのだろうというお話など、遠い遠い古(いにしえ)の人びとの暮らしへの想いは膨らむばかりだった。話は縄文時代へも飛び、何と楽しかったことか。弥生、縄文と一区切りの線引きをして教科書などには書かれているけど、現実はそうではなく、縄文も弥生も混在しながら、人々の暮らしは時間を運んで来ているのである。幾つもの目からうろこの話を伺い、感動しながらお礼を申し上げて館を辞す。帰りには今年の田んぼアートが見られればいいなと思った。

 午後の今日の予定は、青森市の三内丸山遺跡を訪ねることにしている。一日予定を早めて、明日フェリーに乗ることにしたので、泊りは浅虫温泉の道の駅にしようかと考えている。どうするかは遺跡を訪ねた後に決めればいい。というわけで昼食の後、三内丸山遺跡に向かう。

 三内丸山遺跡は東北の縄文遺跡としては大きな話題にもなり、超有名だ。我々も2度ほどここを訪れている。巨大な栗の木で作られた櫓のような塔が復元されており、とても印象深い場所である。しかし、以前訪ねた時は古代にそれほど関心があったわけではなく、野次馬根性の好奇心ばかりだったので、へえ~と思いながらの探訪だった、今回はその時とは少し違って、心構えのようなものができてはいる。14時頃に到着して、早速館内に入り、遺跡の方へ向かう。今日は日射しが強く、暑さも厳しいので、邦子どのは遺跡の方には行かずに館内での見聞だけにするという。至当な判断なのかもしれない。

三内丸山遺跡のシンボルとなっている掘立の巨大建造物の景観。近くの巨大建物は竪穴住居の手法で造られている。謎をいっぱい含んだ遺跡のように改めて感じた。

 一人炎暑の中を遺跡に向かう。先ずは巨大な樹の塔の方へ。近くに巨大な家屋の建造物があり、竪穴住居と同じ技術で造られているとはいえ、これが本当に今から4千年前の存在した建物なのかと、驚くと共に少し疑問を覚えた。その後竪穴住居の建物を幾つか見て回り、大人の墓や子供墓といった墓地などを覗き、又埋め土の丘なども見ながら、あれこれこの地の往古に想いを馳せたのだった。しかし疑問は膨らむばかりだった。午前中に見た田舎館村の垂れ柳遺跡の弥生の水田の時代よりも2千年も前だというのに、これほどの大規模な、どう考えても共同生活を取り込んだ暮らしの場が残っているが解せないのである。狩猟と採集が暮らしの基盤だった縄文時代の中で、定住してこれほどの共同生活の場がつくられるものなのか。栗の樹が暮らしの中では大きな存在だったというのは理解できても、縄文という時代を思うと、今一、まだしっくりしないのである。これは自分の中にまだ縄文とか弥生とかいう古代に関する理解の固定観念が崩れていないからなのだろうと思った。もう少し多くを学ぶ必要があると思い知らされた。遺跡の後は館の方に戻り、様々な解説資料などを見聞した。映画や人物モデルなどのある展示室を見て回ったりしたが、どうしても縄文時代なのか?という疑問は消えなかった。もっと多くの縄文遺跡といわれる場所を訪ねる必要があると思った。

 見学を終えて、一休みした後、明日のことを考えて浅虫温泉の方へは行かずに、来た道を戻って道の駅:なみおかに泊ることにしようと決めた。フェリー乗り場へは、こちらの方が便利である。17時過ぎに道の駅について、夕食はレストランで済ませ、夜を迎える。明日はいよいよ北海道上陸の日である。北海道開拓の歴史を今日の様子を訪ねる楽しみが待っている。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第4回>

2018-05-29 05:46:01 | くるま旅くらしの話

【今日(5/29)の予定】 

道の駅:いなかだて弥生の里 → 博物館見学 →(R102・K・R7)→ 道の駅:なみおか →(R7) → 三内丸山遺跡探訪 →(R7・R4)→ 道の駅:ゆ~さ浅虫(泊)

 【昨日(5/28)のレポート】 天気:曇り後晴れ

<行程>

道の駅:七戸 →(R4・R102・R46他)→ 八戸オートガードロッキー →(K)→ 八食センター →(K・R46・R102)→ 道の駅:奥入瀬 →(R102)→石ケ戸 →(奥入瀬渓流散策) →(R102)→          滝沢峠 →(R102)→ 温湯温泉 →(R102)→ 道の駅:いなかだて(泊)

<レポート>

 朝、事件が起きた。ブログを書こうとパソコンの電源を入れた後、バッテリーに繋ごうと思ったら、何とインバーターから突然異常を知らせる音が鳴り渡ったのである。驚いてインジケーターを見たら赤信号が点滅しており、どうやらバッテリーが問題を起こしたらしい。とりあえずブログの方は発信を終えて、これじゃあこの先の旅くらしに絶大な影響を及ぼすので、修理もしくは取り替えをしなければならない。青森県のキャンピングカーを扱う店を調べたら、八戸にオートガードロッキーというのがあるので、営業開始の9時を待って電話をすることにした。まだ旅の3日目だというのにとんだトラブル発生である。

 9時になって早速電話をする。直ぐに応答があって、やり取りの結果は10時半頃に出向いて見て頂けることとなった。七戸からは逆方向への道行きとなった。お店に着いて、早速見て貰うと、やはりバッテリーが劣化していて、取替が必要だという。在庫があるのでOKとのこと。取り替えをお願いする。邦子どのの話では、2年前に取り替えた時に2年位しか持たないと言われていたとのこと。自分としては、3年ぐらい持つ筈だと今回はチエックの対象にしていなかったのだが、とんだチョンボだった。それにしてもたった2年の寿命とは?サブバッテリーを二つ取り替えてかなりの出費となった。致し方ない。1時間ほどで作業が完了する。オートガードロッキーの皆さんの対応はとても感じが良くて、トラブルの不安を拭ってくれてありがたかった。

 その後は既に昼食の時間となっているので、八戸の魚が揃っている八食センターに行くことにした。巨大な魚専門の市場である。かなりの人出でにぎわっていた。自分は焼き魚が食べたくて、ホッケの定食をオーダーする。邦子どのはミニ海鮮丼。双方共に満足して八食センターを出て奥入瀬の方向へ向かう。

 今日はこの後は、奥入瀬の道の駅に寄った後、石ヶ戸に車を止め、渓流の散策をして、その後は滝沢峠経由で黒石方面へ向かい、途中温湯温泉に入って、その後道の駅:いなかだて弥生の里に泊る予定でいる。

 1時間弱で道の駅:奥入瀬に到着。ここで一息入れた後出発して石ヶ戸へ。平日なので駐車スペースが空いているかと思ったら、観光バスなどが何台かいて、一般の車も多く泊める場所を探すのに少し不安があった。其れでも何とかなって、早速散策に出発。観光客が多くて、折角の鮮緑の渓流のせせらぎを忘れさすほどの込みようだった。その多くは中国をはじめとするアジアエリアからの人たちの王で、意味の判らぬ聞きなれたことばが飛び交っていた。人混みを抜けると、もうそこはいつもの奥入瀬渓流の世界である。新鮮なマイナスイオンの溢れる中を、1時間ほど歩いてすっかり体内の汚れを吐きだした気分となった。いつもだとここへは早朝にやって来て、モーツアルトを聴きながら朝食の後のコーヒーを味わって、散策に出発するという気どった時間を持つのだが、今回は突然の事件で予定変更となってしまった。しかし、この緑の世界と清冽な流れには何の不満も無くたっぷりと幸せを味わった。

奥入瀬渓流の景観。鮮緑の樹木に包まれたマイナスイオンに満ち溢れたこの世界は、浮世の汚れのすべてを洗い流して浄めてくれる感じがした。

 石ヶ戸を出た後は、子ノ口から右折して、十和田湖を左回りで滝沢峠へ向かう。この辺りもずっと緑のトンネルが続いている。何とも言えない、まさに命の洗濯の時間だった。やがて道は上り坂となりそれがしばらく続いて滝沢峠となる。千メートルを超える峠辺りには、道の両側にまだ残雪が残っている、まるで完成した凍み豆腐のように水気のない様子に見えた。滝沢峠で車を止め、展望台に登って眼下に横たわる十和田湖を俯瞰する。気温が上がって、空気が膨らみ霞んで見えるのが残念。展望台の下の方には、遅い春を味わうかのように咲き遅れたキクザキイチゲやエンレイソウが微笑んでいた。

 その後は下り坂となり、左右のカーブが幾度となく繰り返される、車の運転には面白い様なうんざりするような長い長い坂道が続いた。ようやくカーブが終わって、小さな集落を抜けるとダム湖が見えて来た。虹の湖という。道の駅があるのだが、そこは通過して、さらに下って温湯温泉へ。名湯鶴の湯という共同浴場は、この辺りへ来た時は必ず入る場所である。250円の料金は温泉の素朴さと合わせて、超満足の処遇である。1時間ほど温泉を楽しむ。

 その後は10分ほど坂を下り、黒石市の市街地の一部を通り抜け、田舎館村の道の駅:弥生の里へ。今日はここに留めて頂くことにして錨を下ろす。今夜はTVを見ても大丈夫だ。やれやれ。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第3回>

2018-05-28 06:09:27 | くるま旅くらしの話

【今日(5/28)の予定】 

道の駅:七戸 →(R4・R102)→ 道の駅:奥入瀬 →(R102)→ 石ヶ戸 → 奥入瀬渓流散策 →(R102)→ 温湯温泉 → 道の駅:いなかだて(泊)

 【昨日(5/27)のレポート】 天気:晴れ

<行程>

道の駅:なかせん →(R105・R46)→ 角館武家屋敷駐車場 →(城下町散策)→(R46)→ 道の駅:雫石あねっこ →(R46)→ 盛岡IC →(東北道・八戸道)→ 一戸IC →(R4)→ 三戸町・竹林農園 →(R4)→ 道の駅:七戸(泊)

<レポート>

 明け方前に少し雨が降ったようで、しばらく断続的に雨粒が天井を叩く時間があったようだ。でも起き出した6時頃には雨の気配は全く無くなっていて、少し冷気を含んだ空には雲は少なく、今日もいい天気となる予兆を思わせるものがあった。出発の前日に風邪をひいたらしく、咳が止まらず昨夜は邦子どのに迷惑をかける有様となった。熱が出る気配はないので、その内に収まるのだろうと、あまり気にしないことにしている。

 朝食が済んで出発までにはかなりの時間があるので、付近を散策しようと出かける。道の駅のすぐ脇には斉木川が流れていて、そのどこかからカジカカエルの鳴く声が聞こえていた。静流なのであろう。春の桜の季節には、この堰堤にも花が溢れて素晴らしい景観となる。しばらく堰堤に沿って歩いたあと、道路の反対側の八乙女公園の方へ行って見ることにした。もう何度も歩いている道である。玉川の橋を渡ると、脇に何やら道案内の掲示板があるので行ってみることにした。長野神社のことが書かれた道案内だった。2kmほどこの道を上ると、堂山という正面の山の頂に、その昔そこにあった長野神社の跡があるという。なるほど、それでこの地区の地名が長野となっているのだと判った。上がるのには少しきつそうなので、それは止めて引き返すことにした。朝のこのような気まぐれな散策が、思いもかけずの発見につながることがあり、これもまた旅の楽しみの一つなのである。

 車に戻り出発の準備をして、しばらく開店した販売所を覗く。 その後は、今日のメイン訪問先の角館にむかう。途中イオンにて給油を済ます。少し走って武家屋敷の駐車場に車を止める。邦子どのは、待ってましたとばかり飛び出して行った。自分はブログ関係のデータなどを少し整理することにして、それが終わった後で出掛けることにした。

 多分邦子どのが行っていると考え、先ずは西の宮家の中で手づくりの創作草履を作られている千葉さんを訪ねる。行って見ると、やはり予想は的中して、なにやら話し中だった。久しぶりの挨拶を交わす。千葉さんと知り合いになってからもう10年以上が経っている。千葉さんは創作草履を作りながら、多くの観光客が訪れる角館の町の一角で、世の中の人々の様子をじっと見つめておられる人なのだと自分は思っている。その見識の源は鋭いものがある。邦子どのは千葉さんの大ファンで、家でも草履を愛用している。健康志向のアイデアが草履の中に数多く折り込められている。

 挨拶の後は一人気ままに町中を散策する。しばらく経って、邦子どのから電話があり、昼食をすることになり、桜の里という店で自分は比内地鶏の親子丼、邦子どのは親子丼と稲庭うどんのセットになったものをオーダーしていた。久しぶりの親子丼は美味かった。昼食の後は再び別れて、散策の後車に戻り仮眠をする。12時半過ぎに邦子どのが戻り、一休みの後角館を切上げることにする。

 まだ、13時前である。今日の予定の雫石の道の駅は、ここからは1時間足らずで着いてしまう。その後どう過ごせるか見当もつかない。ということで、予定を変更して、高速道を利用して七戸の道の駅まで行くことにする。七戸の道の駅は新幹線が開通して以来何かを便利となり、くるま旅の者には助かる場所である。それに今回の旅では是非再会を果たしたいと思っている三戸町の竹林農園の愛子さんにも会えるかもしれない。

 ということで、とんだ大変更となった。角館を出た後は、R46を一路盛岡に向かい、盛岡ICから東北道に入り、途中岩手山SAで休憩をしながら、八戸道に入り一戸ICで降りて、R4を北上して三戸町の竹林農園の直売所に着いたのは16時頃だった。愛子さんは不在で。隣の娘さんが経営する店の店員の方に電話をして頂き、お出でになれると聞いて安堵する。今は農事の忙しい時であり、迷惑をかけるなと思ったけど、これは仕方がない。愛子さんと知り合ってからもう10年以上が経っているのだが、この方は邦子どのの大切な知人で、この地を通る時には必ず挨拶をしなければならない人となっている。4年前にお会いした時は、膝や腰が痛いと厳しい体調を話されていたので、心配だったのだが、畑から車でこられて下りたその姿は、颯爽としていて、元気そのものだった。驚くほどの動きには、あとで聞いた話では、膝に人工関節を入れるという大手術をされて、その結果もう大丈夫となられたとか。その後1時間ほどあれこれ興味ある楽しい話を伺った。帰りにはご自分のサクランボ畑でとれたという珍しいサクランボの蜂蜜を頂戴し、感激した。その他野菜なども頂いて恐縮した。帰りにも寄らせて頂くことを約束して、出発となる。

 その後は只管北上を続け、18時少し前に道の駅:七戸に到着。今まであった広場に何やら新しい建物を建設中で、雰囲気が変わっているのにすぐ気付いた。何だか落ち着きのない感じとなっている。詳しいことは明日にすることにして、夕食の準備などに取り掛かる。今日はこれで終わり。 

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第2回>

2018-05-27 06:47:15 | くるま旅くらしの話

【今日(5/27)の予定】 

道の駅:なかせん →(R105)→ 角館散策 →(R105・R46)→ 道の駅:雫石あねっこ(泊)

 

【昨日(5/26)のレポート】 天気:晴れ

<行程実績>

自宅 →(R294)→ 谷和原IC →(常磐道・東北道・秋田道)→ 横手IC →(R13)→ 道の駅:十文字 →(R13)→ 道の駅:雁の里せんなん →(R13・R105)→ 道の駅:なかせん(泊)

<レポート>

出発の日となる。やや待ちくたびれて気が抜けたところもあり、持参携行品のチエックなどに却って抜けがあることもあり、あれこれ気を回し過ぎて、というのは邦子どののことで、いざ出発した後も何か忘れものはなかったかと、ドライバーをイライラさせる言動がしばらく続いて、毎度のことながらこれから旅に向かう楽しさを削ってくれていた。

さて、今日はとにかく移動日である。家を出た後は直ぐに常磐道の谷和原ICに入って北を目指す。今日の予定は北上市から秋田道に入り、横手ICで降りおて、道の駅;なかせんまで行って泊ることにしているが、これは順調に行った場合のことで、実際はその手前のどこかのSAなどで泊ることになるのではないかと思っている。何しろ北海道行が途絶えた3年間の間に3歳も歳をとっており、老化が進んでいる身体なので、無理はできないのである。

給油をした後谷和原ICに入ったのは丁度9時だった。薄雲のかかる曖昧な晴れの天気は、この後の暑さを思わせる感じがした。邦子のの懸念に文句を言ってしばらく走って、友部SAで朝食休憩。ここでもう一度、邦子どのに薬などを忘れていないかを確認して貰って、ようやく心配は収まったようである。

その後は特に書くことも無く、只管常磐道を仙台を目指し、そこからは東北道を目指して富谷JCTから東北道に入り、北上を続ける。大地震と原発の大事故以来常磐道を走るのは初めてのことだった。どうなっているのか心配もあったが、現地は何事もなかったように落ち着いていた。かつてよく泊った楢葉の道の駅近くを通る時は、その頃を思い出して、事故の無情さ悲惨さに改めて怒りと悲しみを覚えた。それにしても、未だなお原発を捨てないという選択は許されていいものなのか、2度の原爆を蒙り、最悪の原発事故を体験しているというのに、である。

東北道に入って、長者原SAで小休止。給油所を見て軽油の価格が145円/Lなのに驚く。守谷で入れた時は117円だった。どうして高速道がこれほど高いのか解せない。いつも感ずる疑問である。しかし高くても給油せざるを得ないので、次の前沢SAで30Lだけ入れることにした。ここは143円だった。結果的に横手ICで降りて、その辺の給油所では125円が普通の価格となっていた。20円も高いのはどう考えても納得できない。

横手まで来られたので、十文字の道の駅に泊ることにしようと向かったのだが、天気はピカピカの青空で、17時になったばかりであり、とても泊る気分にはなれなかった。取り敢えず横手焼きそばを食して、思案の後明日の角舘散策のことを考えて、美郷町にある道の駅:雁の里せんなんに泊ることにして向かう。ところがついて見ると、何とトイレが工事中で使えないという。それほど古くもない道の駅なのに、トイレの使われ方に何か問題があったのかなと思った。これでは困るので、思い切って当初の目的地だった道の駅:なかせんに行くことにした。まだ日が少し残っており、泊るのには丁度良い刻限だなと思いつつ、到着した。丁度19時だった。10時間かけての走行距離は563kmとなっていた。俺は老化が停まっているのかと、少し不思議な気がした。直ぐに着換えて寝床にもぐり込む。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第1回>

2018-05-26 01:50:54 | くるま旅くらしの話

※今日から北海道の旅に出発します。出発に当って、今回の旅についての思いを述べることにしました。

 北海道函館への上陸は、月末31日を予定しています。約3カ月半を掛けて各地を巡り、帰路少し寄り道をしながら9月20日までには帰宅する予定です。この間の旅の様子を日々披歴できればいいなと思っています。

 【旅に出る前に】

 3年間果たせなかった夏の北海道行を、今年はようやく再開することができる。嬉しい。我々のくるま旅の原点は、20数年前に初めて訪れた北海道行にあると思っている。それ以降、ほぼ毎年北海道への長期間の旅を行って来ているが、少しも飽きることはない。毎年新鮮な様々の出会いと発見に恵まれて、多くの知人を得、又数々の思い出を積み上げて来ている。

 さて、そのような北海道行の中でも、今年は格別な年となる。二つの記念すべき要素があるからだ。その一つは、今年は明治になってそれまで蝦夷地と呼ばれたいたこの北の大地が、北海道と呼ばれるようになってから150年の区切りを迎える年であること。そしてもう一つは極めてプライベートなことだが、我々夫婦が共に同じ道を歩み始めてから50年を迎えるということ。北海道の歩みの3分の1にしかならない時間なのだが、それでも半世紀にもなるのだから、記念の年と考えても良かろうと思っている。

 そのようなことから、今年の北海道行は特別の思いを込めて「北海道生誕150年の今めぐり旅」と名づけて、北海道開拓開始の時から現在までの各地の来し方の様子を訪ねてみることにした。今までの北海道行では、そのようなことはあまり意識しないで各地を訪ねていたのだが、今回は150年前の昔に思いを馳せながら、現在の有り様を見て来たいと考えている。

北海道には現在179の市町村がある。これらの全てを隈なく訪ねることは不可能だし、また調査をする訳でもないので、通りすがりになるべくたくさんの場所を訪れるように努めるという、あまり気どらない考えでゆるりと巡って見たいと思っている。勿論遊びの時間もたっぷりと取り入れ、気まぐれ行動の時間も大いに大事にしたい。つまり、この大げさなテーマは、老人の探訪趣味の一つとして味わいたいというレベルなのだ。博物館や郷土資料館など、それから時には役所なども訪問して教えを乞いたいと思っている。一応各地のそれらの所在地などは調べが終わって、旅の前楽をしっかり味わっているので、本番が楽しみだ。旅先のその地に、一体どの様な歴史が残されているのか、ワクワクしながら想像を膨らませている。

 ところで、旅の様子はいつものように毎日のブログで披歴してゆこうと思っている。で、そのレポートだが、今まで家内のことをここしばらくは「相棒」と書いていたのだが、どうやらご本人は「相棒」はあまり気に入っていないらしい。TVの「相棒」の影響があるのかもしれない。それで、これからは以前用いていた「邦子どの」に戻すことにした。本当は「妖怪○○○○○」としたいところなのだが、それではお互いの品位が下がるので、やめることにした。しかし、人間50年も一緒に暮らしていると、お互い妖怪染みて来ているのは確かなようだ。今回の旅では、この50年の来し方を少し振り返って、残りの時間を考えてみたいとも思っている。さて、どんな旅となるのか。 

 【今日(5/26)の予定】 

<主な項目>

 ◎移動日

<行程>

自宅 →(R294)→ 谷和原IC →(常磐道・東北道・秋田道)→ 横手IC →(R13K)→ 道の駅:なかせん(泊) 

※この行程は最長のケースを予定しており、体調等により途中で宿泊先を変更するつもりです。

 

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北海道行出発まであと1週間

2018-05-19 06:00:38 | くるま旅くらしの話

 今月も早くも後半に入ったなと思っていたら、たちまち下旬となり、北海道行の出発まであと1週間となった。何度も言いふらしているのだが、今年の北海道行は3年ぶりであり、且つ北海道という呼び名が生まれてから150年目、そしてこれとは無関係だが、我々でこぼこコンビが生まれてから50年を迎えるという、それ故に少し意識して旅をつくって見たいと考えている記念すべき旅なのである。

 自分は、既にかなり前から前楽の中に居る。イメージとしては北海道の全市町村179を3度ほど巡って通過している気分である。北海道の旅を始めてから20年近くが経っており、この間に印象の大小の差はあれ、179全ての市町村を通過しているので、それらの名称も一応は記憶しているのだが、今回改めて構えて総合振興局(渡島、胆振、後志、空知、十勝、釧路、オホーツク、上川、宗谷)・振興局(檜山、石狩、日高、根室、留萌)単位に個々の市町村を確認しているので、思いはより確かなものとなっている。

 北海道は広い。九州の2倍以上の広さに気づいている人は案外少ないように思う。我が郷土の茨城県が約13個、東京都なら約36個が入るという広さなのである。だから、14ある総合振興局・振興局というのは、県に相当する広さの行政単位(=支庁)であると言っていいと思う。北海道となった150年前は、原生林の広がる未開の大地であり、面積を単位とする行政の展開は開発を進めて行く上でロスの多いものとの判断がなされたのだと思う。一度は3つの県(函館県・札幌県・根室県)に区分された時期もあったようだが、圧倒的に少ない人口密度では、形式的な区分をしても余り意味を為さなかったのであろう。開拓使が設置された明治2年の北海道の全人口は、僅か6万人足らずだったというから、現在では想像もできないことである。

 そのような始まりから150年の時が経って、現在の人口は1995年の約569万をピークに減少傾向にあるというものの、この150年の間の開拓の歴史というものは、人口が100倍近くも増えたことでも、如何に変化の激しいものだったかということが分かる。今回の旅では、その150年前に思いを馳せながら、各地の現在を訪ねて、その今の様子を見て来たいと思っている。

 先に既に3度ほど179市町村を回っている感じだと述べたのは、まずは総合振興局・振興局ごとに各市町村の名称を確認し、面積や人口といった基本事項を確認したこと。これによって一回りしたことになる。次に調べたのは、各市町村単位に設置されている博物館、郷土資料館など、開拓の歴史の保存されている場所の存在と利用のための条件(開館日・時間・料金など)についてである。自治体によって特徴のある取り組みなどが窺われ、面白かった。それらの全てを訪問することはできないけど、是非訪ねてみたいという場所が幾つも見つかったのは喜びである。この作業でも一回りしたことになる。それからこれらの作業をする際にはいつも北海道全図を傍に置いて眺めており、航空機の上から毎日北海道を眺めている気分である。これも楽しい。前楽の中で最も楽しいのは、やはり地図を俯瞰しながら現地に思いを馳せるということだろうか。地図を見ていると、もはや気分は少年となる。

 ということで、今回の旅の机上の準備はほぼ終わっている感じである。しかし、旅というのはそのような頭の中で思いを巡らすだけでは準備万端とは言えない。生きものとしての暮らしがあり、先ずは住居と移動手段としての車の整備がある。これは3月に車検を終えたばかりであり、各基本部分の点検も行い、あとは生活空間内部のチエックなどが残っているだけで、その主な実施役は家内の方である。装いや衛生に関しては自分の感覚は殆ど機能しないので、それらは全て端から家内に任せるのが無難というものだ。これら基本部分の整備が終わればあとは着衣や食材それに日々の暮らしに必要な用具等の積み込みである。これらについてはいつものリストに沿ってチエックして行けば抜けはないだろうと思っている。積み込みは前日までに終了させればよい。それまでに済ませておかなければならないのは、健康に関するチエックであり、来週初めには定期的に受診している医療機関に出向くことにしている。今のところ二人とも身体に特段の異常はないので、大丈夫だろうと思っている。旅くらしは普段の暮らしとはペースやリズムが異なって来るので、早く馴れるように努めなければならない。

 旅に出かけると、自分的には毎日ブログに旅の様子を記載する考えでいる。これは結構ハードなことでもある。毎日このために2~3時間は用意しなければならない。しかし、好きでやっていることだからやめる気は起きない。我ながら不思議な性分だなと思う。今回も毎日駄文を振り撒いて、旅の日々を楽しみたいと思っている。出発までは、しばしブログのことは忘れたい。

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忍冬(スイカズラ) 

2018-05-08 09:16:40 | ホト発句

 

                                                         

                           

  

             忍冬よ 昭和は遠く 去り逝きぬ

                忍冬の 幼き夢の 甘さかな

コメント:

「忍冬」と書いて「スイカズラ」とも読む。蔓類には珍しい常緑の植物で、冬も緑を湛えているからの呼び名なのか。今頃がこの花の最盛期である。この花を見ていると遠い遠い、昭和20年代半ばの幼い頃を思い出す。

この名を知ったのは、小学校4年生の頃だったろうか。職員室に入った時に、先生の机の上にガリ版刷りの冊子が置かれていて、その表紙に「すいかずら」と平仮名で書かれていた。先生たち有志の何やら作文集のようなものだったらしい。先生に訊いたわけでもないのに、何故かその表紙に書かれていた「すいかずら」の文字がずっと記憶に残った。

 「すいかずら」が植物の名だったのを知ったのは、ずーっと遅くなってからで、50歳の頃糖尿病を宣告されて歩くようになって、朝の通勤時に道端の植物の観察を始めてからだった。しかし、その通勤路にはスイカズラはあまり見かけることが無く、本物を知ったのは還暦近くになってからだろうか。

 今は住い近くの高速道脇の植え込みの藪を仕切る金網柵に絡みついて、至る所に茂って花を咲かせている。この花を引き抜いて、その先っぽを舌に当てると、ちょっぴり甘さを感じる。子どもの頃にツツジの花の僅かな蜜を味わったと同じ思い出が甦って来る。あの頃はスイカズラがどこにあるのかも知らなかった。もうその昔は決して戻ることはないのだが、スイカズラの花の蜜にだけは、思い出が止まっているようだった。

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G.W.はどこへも行かない

2018-05-04 09:28:48 | 宵宵妄話

 今年のゴールデンウイークは運のいい人は連続10日もの休日取得が可能ということなのだが、それもあと2日で終わりを告げることになる。現役の人たちにとっては、大切な休日ということになるのだと思うけど、引退してかなり時間が経った無為徒食の老人には、毎週がゴールディンウイークなので、一向にありがたさなどを感ずることができない。

 それどころか、この期間中は近場であろうと遠地であろうと、旅などするのは禁物だと思うようになっている。昨年はそれを押し切って東北の春を訪ねようと出掛けたのだが、丁度この期間の直前に旅先で車が故障してしまい、その修理が終わるまでに半月も要してしまい、とんだ番狂わせの旅となってしまった。ゴールデンウイークというので、修理を扱う自動車関連の事業者もみんな長期の休みに入っており、全くのお手上げとなって、ただ只待つだけの時間が続いたのだった。

かといって、その対応に特段の不満があったわけでもない。おかげ様で思いもよらぬ横手市探訪が叶って、町の様子などをかなり詳しく知ることができ、ま、このような形での旅の出来事もまんざらマイナスばかりではないというのに気づかされて、ちょっぴりは落ち込みを挽回したのだった。

しかしまあ、つくづく考えてみると、やっぱりこの時期の外出や旅は避けた方がいいなというのが今の心境である。それで今年は一切何処へも出かけないことにして、ずっと家の中に籠っている。

ただ今力を入れているのは、5月下旬出発予定の北海道行の準備である。前回もその楽しみを書いたのだが、今現在の楽しみは、北海道の179の市町村の研究(?)である。この全てを訪ねるのは不可能なので、せめてどこに何という自治体があるのかくらいはしっかり覚えておこうと、振興局ごとに区分して、人口を初め基本データなどを調べている。人口だけを覗いて見てもいろいろ面白いことが解って来る。都市への一極集中が進んでいることが良く判る。全179市町村の中で、集中が突出しているのは勿論札幌市だが、その近郊の都市を含めると北海道の人口の半分近くが札幌を核に集中しているようだ。地方都市も旭川市、帯広市、釧路市、北見市などを拠点として集中現象が見られるようである。反面人口が千人に満たない自治体もあり、これら各地をどのような視点で訪ねるかはなかなか難しいようだ。

今のところ、ようやく振興局の名称を覚え、そこにどのような自治体があるのかを覚え始めたところである。出発するまでには、もう一度地図を見ながら、その名称を頭の中に入れておくようにしたい。何だか中学生に戻ったような感覚で、北海道の地理を学んでいる感じだ。

「北海道生誕150年の今めぐり旅」が今回のテーマなので、各地の訪問先では、そこに設けられている資料館や遺跡、それに記念館や碑などがその昔を知る上で役立つのではないかと思っている。取り敢えずそのような施設の市町村別所在地等については既に情報は集まっており、これからそれらの絞り込みをしなければならない。旅に出かける前の作業としては、少々面倒さも覚えるのだが、これはまあ前楽の一つなのだから、横着してはいけないと自戒している。

出発日まであと3週間ほどだ。ゴールデンウイークはどこへも行かないけど、心の方は既に北海道の各地を転々と動き回っている。老人となっても本番が待ち遠しい気持は少しも変わらない。

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