<旅を終えて>
コロナ禍と癌の治療に明け暮れた人生晩期の5年以上の時間は、私たちくるま旅を生きがいの要としている者にとっては、実に大きな失われた時間でした。昨年の秋にようやく北海道1ヶ月の旅に復帰して、今回はそれから半年経っての九州を中心とする西日本への長旅でした。結果的に1カ月となったのは、予定通りなどではなく、医者通いのための二人の締切日が6月の半ばまでだったので、それに囚われて帰宅しょうと1カ所での滞在日を切り詰めた結果なのであって、そのようなものがなければ、もっとゆっくりとした旅が出来たのでした。この5年以上の空白の時間は、それまであまりなかった医者通いの時間を増やして、より制限の多い時間を生み出していたのです。
それはともかくとして、今回は北ではなく西や南の方へ行こうと考えていたのを実現する旅でした。関東から九州へは遠くて、老人には何時でも行ける距離ではなく、恐らくこれが最後の旅となるのではないかという思いの旅でした。もしかしたら無事に戻るのは難しいのかと考えることもあったのです。それほどにこの失われた5年間の間に我が身の老化は進展し、心と身体を弱めていたのです。 それでも何とかしようと、毎日8~10kmの歩きを我が身に課して実践して来たのでした。それを続けることが出来ていたので、何とかなるだろうとは思っていたのですが、いざ旅の本番となると、急な坂道や石段、階段などでは、息が上がり足は上がらなくなり、平地の歩きだけでは体力維持にはあまり効果はないのかと、何度も自信を失わせてくれたのでした。今回の旅は、私自身にとっては、泣き言と愚痴ばかりの惨敗と言った感じの旅でもありました。
ま、そのことは置いておいて、12年ぶりの九州行は、人生の晩期に居る者にとっては、いろいろな意味で懐かしさ、嬉しさ、ありがたさをしみじみと味わうことが出来た思い出の旅となりました。新たな出会いや発見はそれほど多くはなかったけど、それ以上に懐旧の大切さも人生には必要なことを実感したのでした。つまり、人生というのは過去の多くの出会いと発見とそれに伴う感動によって支えられ出来上がっているのだということなのです。旅というのはそのことを再確認する働きの力を持っているのです。リタイア後の人生の柱として、家内と二人でのくるま旅を選んだのは正解だったとあらためて確信出来た旅でした。
ところで、この旅の記録のことについてちょっと触れておきたいと思います。はじめにも少し書きましたが、私はいつも旅から戻ると、記録として旅日記を冊子にまとめて残して置くようにしていました。それは、旅のの間に持参したPCに毎日の出来事などを記しておいて、それをベースに作成すると、あまり苦労せずにまとめることが出来たからでした。しかし、今度の車にはPCを使えるスペースがないため、それが出来ません。なので、PCは持参せず、ノートへのメモを中心に記録を作成せざるを得なくなりました。そこで思いついたのは、旅の間に作成していたメモの他に日記と行程記録と写真などを参考にしながら、日記ではなく印象に残っている出来事などを短文と短歌や俳句などを入れてまとめることでした。短文だけでは不十分と考え、特に印象に残ったことは別の短詩形の表現を用いた方がしっかり残ると考えたのです。
しかし、短歌は高校の頃に一とき啄木に傾倒して真似をした経験があるというものの、その情熱は冷めて、半世紀の間にすっかり消えてしまっていました。句作の方も同じようなものです。でも、もしかしたらこの取り組みは傘寿を過ぎた老人のすさびとして役立つかもしれないと考え、とにかく悪戦苦闘しながら言葉を探して何とか作って見たのでした。真に汗顔の至りであります。
最後に、今回の旅で出会い、無上のおもてなしを賜り、嬉しい歓談の時をプレゼントして頂いた皆様に心から感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました。(終)