山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第21回:最終回>

2017-11-26 04:51:33 | くるま旅くらしの話

【昨日(11/25:金)のレポート】 天気:晴れ

<行程> 

  浜松SA →(新東名道・東名道・首都高・常磐道)→ 谷和原IC →(R294)→ 自宅(帰宅)

<レポート>

  浜松SAは新東名道にある。東名道の方は浜名湖SAとなっており、新東名の浜松SAがあるのは、はかなりの山の中だ。SAでの宿泊は騒音を覚悟しなければならない。休日前夜とあってなのか、夜間の来訪者はひきも切らずの状態なので驚いた。朝起きて見るとほぼ満車の状態となっていた。これじゃあ、ドアの開閉のドタンバタンという音も仕方ないなと思った。昨夜は少し風が強く吹いたらしいけど、朝は澄み渡った快晴の空が広がっていた。

  今日は旅の最後の日となる。ここから自宅までひたすら走るだけの日程である。朝食のあと、出発の準備をして8時半、構内の給油所で、超高価な油を入れる。軽油が1L134円もしている。何だかボラれている感じがする。何故高速道の給油所の油価がこれほど高いのかが解らない。文句も言えないので、仕方なしに給油しているのだが、高速道を降りればどんなに高くても10円は低い価格だと思う。燃料切れの心配をカサにとって思いっきりの高価で売りつけている感じがする。何故高くなるのか、高くしなければならないのか、誰か関係者に説明して貰いたいものだ。ということで、20Lだけ入れることにした。

  その後は快調に走って、御殿場の足柄SAで休憩。今日は雪を冠した富士山がくっきりと眺望できる。今年こそは登ろうと思っていたのに、結局何やかやで不意にしてしまった。来年は北海道行を決めているので、富士山には上ることはできない。いっそ、もう一年遅らせて80歳の記念登山にしようかなどと考えている。生涯一度だけでいいから登ろうと思っており、チャンスはもう少ししか残っていない。そのようなことを思いながら富士山の眺めとお別れする。

足柄SAから見る今日の富士山の眺望。まさに名峰富士である。いつまで見ていても飽きの来ない素晴らしさだ。今回の旅の最後にこの景観に出会えてよかった。

  足柄SAを出た後は、もうノンストップで家まで行くつもりである。東名道が終わり、首都高に入る間の3kmほどは渋滞でのろのろの進行だった。首都高に入って少し流れが良くなり、霞が関を過ぎて神田橋辺りからまたまたの渋滞となり、しばらく走ったり停まったりが続いたが、浅草を過ぎてからは順調な流れとなり、我が家への到着は13時15分となった。約3週間の旅だった。走行距離は2,795kmだった。孫たちに迎えられて、久しぶりにジイジに戻った。

 

【旅を終えて】

 旅を終えての所感を書くのは未だ少し早いのだけど、今思っていることだけを取り敢えず書くことにしたい。先ず総体的に今回の旅を振り返ってみると、「変更」の多い旅だった。今回の旅は1カ月ほど前の10月からあれこれと思いを膨らませて、何度もスケジュールらしきものを考えたのだが、当初11月の初めには出発するつもりだったのが、自分が前立腺がん検査で引っ掛かり、精密検診が必要になり、その結果が遅れたために当初の出発ができなくなり、3日遅れて11月3日の出発となってしまった。そのために当初予定していた能登半島を巡る部分をカットせざるを得なくなってしまった。それは致し方ないとして、その後も例えば鳥取砂丘が砂嵐のために歩けなくなったり、天橋立も強風のために歩けなくなったりして、大幅に予定を変更せざるを得なくなってしまったのである。少しがっかりする側面もあったのだけど、逆に予定外の思わぬ訪問が叶ったりして、差し引けばOKということにはなったと思う。

 今回の旅のメインは、3組の知人ご夫妻にお会いすることだったのだが、これは100%以上に念願を果たすことが出来て嬉しい。米子のBさんご夫妻とは2年ぶりの再会だったが、お互いに同世代としての無事な暮らしを確認出来て、夜遅くまで美酒と一緒の歓談が出来て幸せだった。Bさん手づくりのコテージは野趣豊かな風情があって、旅のものを力づけてくれる雰囲気大だった。あらゆるものがBさんの手づくりなので、その小屋の中にいるとBさんの心の温かさに包まれる感じがするのである。たった一夜の歓談だったけど値千金の感じがした。

 倉敷のAさんご夫妻には、このような旅では滅多に味わえない貴重な体験と心温まるおもてなしを頂戴し感激した。3日も泊めさせて頂いたのだが、初日は午後の到着だったので、何処へも出かけなかったが、その日が初売りだという殻付きの牡蠣の蒸し焼きをごちそうになり舌鼓を打った。お二人がとんでもない交通事故に遭われて、今でも治療中という話には驚いた。それなのにご歓待頂いて恐縮だった。2日目には、地元の歴史探訪絡みの歩きにお仲間の皆さんに同行させて頂き、岡山県の古道の一つである津山往来(岡山⇔津山)の一部、約15kmを歩いたのは貴重な経験だった。昔の道を辿るというのは、現代の地図ではそう簡単に一致するとは限らず、道の変遷というのは思っている以上に激しいものがあり、そんな厳しい条件の中を往時に可能な限り近い道を探して,それを歩くというのは並大抵のことではないと思うのだが、Aさんのグループの皆さんは、知恵を出し合って、それを見事に実現・実行されているのに感動した。

 また翌日には「吉備路探訪講座」というものを聴講させて頂き、岡山県が吉備の国であった大昔に造られた多くの古墳についての話を聴き、今まで古墳というものに対して抱いていた感覚を一変させる様な話を伺って、大いに得るものがあった。古墳と言えばただのお墓であり、大きいものは単なる権力者の遺産に過ぎないのではないかくらいにしか思っていなかったのだが、それは大きな誤りであって、墓というものからその時代の人々の暮らしや社会のあり方が見えて来るものなのだということを知った。

 Aさんご夫妻は日本のみならず世界の各地を歩き回ってその見聞を楽しまれているというふうに思っていたのだが、決してそれだけではなく、日本の歴史や文化についても学びの精神を貫かれているのを知り、大いになる刺激を受けたのだった。その他にも彼の秀吉との戦の際に水攻めで苦闘した名将清水宗治の居城備中高松城跡やその秀吉の妻ねねの弟の木下家の居城のあった足守の城跡などにもご案内頂き、現在の岡山県地方には古代から現代に至るまで、数多くの歴史の名残が残されているのを知り、認識を新たにした。この3日間の体験の中で一番印象的だったのは、自分よりも一世代はお若い、このご夫妻の知識や体験の正確さというのか、学ぶということに向き合うその行動の真剣さに打たれるもの大だったことである。最終日には、ご主人には忙しい中を備前市の閑谷学校迄ご案内頂き、恐縮した。一緒に構内にある楷の樹の紅葉を見ようとしたのだが、これは既に半分以上が散ってしまっていて、念願が叶わなかったのは残念だった。とても充実した3日間だった。

 その翌日はMさんの別荘をお訪ねした。Mさんは既に深老(85歳~)の域に達しておられる、くるま旅の大先輩で、2年ほど前にくるま旅を引退され、現在は播磨自然高原に別荘を購入されて、月の何日間はそこで過ごされておられるのだが、今回初めてその別荘をお訪ねしたのだった。11月半ば過ぎという時期は、冬に入る季節でもあり遅過ぎてご迷惑をお掛けするのではないかとの心配と反省を感じながらの訪問だったのだが、それを吹き飛ばすようなご歓待を頂戴して感激した。二棟ある別荘は、一棟の方は未だ整備中で、ご主人が自らそれに取り組んでおられ、しかもそれを楽しんでいらっしゃるのである。お邪魔した時は丁度竹垣の製作中で、風情のあるものが出来上がりつつあった。とても世代を感じさせない矍鑠たる姿に心を打たれた。

 播磨自然高原というのはかなり広い面積を持つ別荘地で、日本国の中にこのような場所があるのかと驚くほどの広い山の中に思い思いの形の別荘が点在していた。別荘と言えば軽井沢や伊豆高原などを思い起こすのだが、この播磨自然高原の広大さはそれらに劣らぬ規模だなと思った。自分の住む守谷市などよりも遙かに広いのである。その中に約千軒ほどの別荘が点在し、それらを結ぶ道路を計算すると、130km以上に達するとか。もう2年お住まいになっても、何軒か先の知人の家までに行くのに道を違えるというほどの広さであり、樹木の中なのである。

 Mさんは人生を楽しむ達人だと思っている。現在に至るまでには、企業家として人並み以上のご苦労をされておられるに違いないのだが、それらのご苦労を現在は全て楽しみに変えられて日々を過ごしておられるように思えるのである。まさに自分がこれから目指そうとしている老の生き方の先駆者でいらっしゃるのだ。活き活きと心豊かに毎日を生きるというお手本を、身をもって体現されておられるのである。それは自分一人だけの言動にあるのではなく、多くの友人知人との交流を大切にし、共に生きることを楽しむという姿勢なのである。

 Mさんの暮らしを支えているのは奥様の力であることは疑う余地はない。来世も奥さんと一緒というのを辺り憚らず明言されるMさんの姿を見ていると、その信頼感の絶大さに心を打たれずにはいられない。冗談などではなく本気なのだ。それはやっぱり美しい生き方なのだと思う。自分などにはなかなか口に出しては言えないことばである。その奥様の料理の腕はまさにプロを凌ぐかと思われるほどである。どんなささやかな物であっても、食べる人に対する心遣いの籠った料理が出されてくるのには、本当に頭が下がり、又その美味しさに感動するのである。料理だけではない。いろいろな面でご主人を支えておられる力は、やはり奥様自身もご主人が大好きという証なのだと思う。

 そのようなお二人にご歓待頂き、その夕べのひと時は幸せと感謝の絶頂にある感じがした。というのも、我々二人だけではなく、同じ別荘エリアに住むTさんご夫妻もお招きになりご一緒することができたからである。このように人とのつながりを広げて下さるという配慮が素晴らしいと思う。おかげさまで又Tさんご夫妻という新しい知り合いを得ることができ、感動が深まる。活き活きと生きるというのは、一人だけの暮らしでは決して実現できないのだと思う。多くの人とのつながりの中で、それが確実になるのだと思う。大先輩から学ぶことは多い。

 それから目的以外の目的を超える嬉しい再会もあった。宇陀路大宇陀の道の駅に泊った翌朝、訪ねて来て下さったHさんとの再会である。この方はくるま旅を志向されておられるお若い方で、まだ奥様が現役でお勤めなので、ご夫婦で自在の旅をするというわけには行かないのだと思うけど、今は新しい旅車の納車を待つ中にあり、その楽しみは際限なく膨らみ続けておられるのだと思う。短い時間の歓談だったけど、とても楽しいものだった。いつか旅先で、特に北海道辺りでご一緒する時が来れば最高だなと思った。そのような夢を与えてくれるお一人である。

 ということで、これらの皆さまとの再会は実に嬉しい、楽しい、そして学ぶことの多い充実した出会いだった。もうこれだけで十分な旅だったように思っている。予定は相当に狂ってしまったけど、最早そのようなことは取るに足らないことである。

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‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第20回>

2017-11-25 06:34:47 | くるま旅くらしの話

【今日(11/25:土)の予定】 

 浜松SA →(新東名道・東名道・圏央道)→ 常総IC →(R294)→ 自宅(帰宅)

 

【昨日(11/24:金)のレポート】 天気:晴れ

<行程> 

 道の駅:飯高駅 →(R166他)→ 伊勢神宮(内宮)参拝 →(R23・R306)→ 道の駅:津かわげ →(R306)→ 道の駅:菰野 → 四日市IC →(名阪道・伊勢湾岸道)→ 刈谷ハイウエイオアシス →(伊勢湾岸道・東名道・新東名道)→ 浜松SA(泊)

<レポート>

  とんだ変更続きの一日となった。そして旅も終りの日を迎えようとしている。朝起きた時は、特段の行く先も決めておらず、まだ寄ったことのない道の駅巡りでもするかなどと考えていたのだが、6時過ぎに一仕事を終えて歩きに出かけようかなと考えていたら、相棒が突然伊勢神宮に参拝しないかと言い出した。それもいいかなと思った。何時もここに来ると伊勢参りを行っているのだが、今回はそれを何故か思わなかったのである。道の駅巡りなどよりもお伊勢参りの方が価値があるのかもしれない。しかし、伊勢神宮の参拝は普通の時間帯では駐車場の確保が困難なので、早朝に着くようにしなければならない。そう話すと、珍しく相棒が起き出して身支度を始めたので、ああ、これは本気なのだなと思った。

 ということで、6時半に出発することとなった。伊勢神宮まではおよそ1時間強の道のりである。朝食は向こうに着いてから食べることにしてハンドルを握る。途中から朝日が上り始め、丁度それが伊勢の方向だったので、その眩しさに困惑した。ナビがいい加減なガイドをして少し手間取ったが、7時40分過ぎには到着。無事にベストのポジションの駐車場に留めることができた。参拝は別々だったり一緒だったりして、足並みが揃わないのはいつもの通りである。伊勢神宮参拝の最大の目的は、自分的には遥拝などではなく、原生林を控えた森の大気の美味さを味わうことにある。巨木の立ち並ぶ参道のみならず、背後に控える古来からの大きな森の佇まいは、神様を支える最大の力となっているのではないか。玉砂利を踏みしめながら40分ほどの参拝は心を清々しくしてくれた。

伊勢神宮入口の鳥居の景観。この鳥居を見ると、どの人も、ああ、お伊勢さんに来たのだというのを実感する。

伊勢神宮の森。どこまでがその管轄なのかは知らないけど、この森を見ると何だかそこにこの国の原点・原風景の根源があるように感ずる。

五十鈴川は禊の行われる場所だと聞く。清流に映える紅葉が美しかった。

正宮拝殿の景観。この石段を登ると、神様に対面できる拝殿がある。しかし、その写真を撮ることは禁止されている。何時もなぜなのかと思ってしまう。

 その後は、伊勢名物のうどんを食べようと思って、おかげ横丁辺りまでを往復したのだが、10時近くになっても店を開ける様子が無く、結局諦めざるを得なかった。相棒は何やら幾つかの獲物をものにしたようである。10時半頃に参拝を切り上げて、最初は重伝建のある関宿に行こうかと思ったのだが、気が変わり未だ行ったことのない菰野という道の駅にゆくことにしてナビを設定する。伊勢市内の道を抜けてR23に入り、それをしばらく走って、松坂、津を通過し、途中からR306に入って少し行くと新しい道の駅:津かわげというのがあったので立ち寄る。妙な名だと思ったら、かわげは河芸の地名のことだった。旅をしていると様々な土地の名に出くわすことがある。この道の駅で食べ損ねた朝食の代わりに焼き魚定食を食した。

 その後は同じR306を辿って道の駅:菰野迄行ったのだが、この道の駅は全くの期待外れで、トイレも古く、販売されている物にも興味を引くものは全くなかった。直ぐに出発して四日市ICから高速道に入り、名阪道、伊勢湾岸道と走って刈谷ハイウエイオアシスで小休止して、えびせんべいなどを買う。今日の予定は中央道の恵那峡SA迄行って泊り、明日は近くにある岩村城跡や幕末の大儒佐藤一斉先生の出身地を歩こうと考えている。そしてその後はR19を信州の松本まで行き、そこから帰途に就くことを考えている。

ということで、一息入れて出発したのだが、ナビに従って走っていると、中央道へのガイドが直ぐには出て来ず、東名道へのガイドばかりが出て来て、それが静岡だの名古屋だのというので、迷っている一に中央道へ行く道を選択せず静岡方面への道を選択してしまったのである。岡崎の方へ来てしまったので、今更戻ることはできない。わざわざSAに泊ることを選んだのは、通行料を少しでも安くするためなのだから、今日近くのICで降りて引き返すというわけには行かないのである。それで、最早岩村城跡へゆくことは止め、更に信州経由も止めて、このまま帰途に就くことにしたのである。今夜は新東名の浜松SAに泊って、明日は家につくという算段である。何だか尻すぼみの旅の終わりとなってしまって、我ながら情けない気持となっている。

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‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第19回>

2017-11-24 05:17:14 | くるま旅くらしの話

 【今日(11/24)の予定】 

 道の駅:飯高駅 →(R166他)→ 未定(三重県の道の駅巡り?) 

 

【昨日(11/23)のレポート】 天気:曇り後晴れ

<行程> 

 道の駅:宇陀路大宇陀 →(R370・R165・K)→ 室生寺参詣 →(K・R165・R370・R166)→ 道の駅:飯高駅(泊)

<レポート>

 昨夜は夜半からずっと雨続きで車の天井が賑やかだった。考えてみれば、強風に悩まされた時があったけど、雨降りは少なかったので、雨音を聴くのは久しぶりの感じがした。雨のせいなのか、気温がかなり高くて、3時頃に目覚めた時は13℃を上まっていた。これなら寒くは無いなと起き出してしばらくブログの原稿を書き、その後少し溜まっていた日記を記憶を戻しながら書き終える。依然雨が降り続けていたので、歩きに行くのが億劫になり、もう一度布団の中にもぐりこんで朝を迎える。

 大宇陀の道の駅は駅舎周りの駐車場の改装が終わって、きれいになったのだが、SUN号の様な車の泊るスペースは少なく、窮屈なので、第2駐車場の方へ移動して泊ったのだが、却って良かったように思った。朝、食事を済ませた頃に、ドアをノックする音があり、出て見ると比較的近くにお住まいのHさんのお顔があった。嬉しい再会だ。わざわざ訪ねて来て下さり、自分の畑で作られた黒豆の枝豆を頂戴したのには殊の他嬉しく、感動した。関西の黒豆の枝豆のことを何度か書いているので、それをご覧になってお心遣い頂き恐縮した。その後は狭い車の中に入って頂き、くるま旅などについて歓談する。Hさんはこの度新しい車に乗り換えられるということで、現在6カ月先の納車を首を長くして待っておられるとのこと。人生の中で幾つかある大きな楽しみの中に居られるのだなと思った。何年かの内に北海道などで再会が叶えられれば嬉しいなと心から思った。短い時間だったけど、嬉しくもありがたい時間だった。Hさん本当にありがとうございました。

 今日の予定は、この後室生寺に参詣し、宿を予定している松阪市にある道の駅:飯高駅に向かうだけである。飯高駅に着いたら、温泉に入って旅の疲れをとるつもり。ということで、室生寺に向けて出発する。

室生寺は近くを通る時は必ずと言っていいほど参詣に立ち寄っている。女人高野の本家ともいうべき名刹である。昨日の慈尊院も立派なお寺だったが、このお寺の方が規模が大きい様だ。古い建築物や仏像が残っており、国宝となっているものも多い。平安や鎌倉時代からだというから、千年以上の時を経過しているのであろう。建物だけではなく、石段や名も定かでない石塔の墓標なども同じような時間を過ごしているに違いない。丁度紅葉の季節の真っただ中にあるようで、いつもより鮮やかなもみじが随所に美しさを競っていた。

室生寺仁王門。今日は休日とあって、かなりの人出があり、境内の紅葉を写す人たちでにぎわっていた。

正面の石段を登ると、金堂が控えている。

大きな仁王門を潜って石段を上ると、金堂が控えていた。国宝の建物であり、国宝の仏像が何点か収まっている。今日は何かの特別展があるらしく、相棒は張り切ってそれを参観していた。自分はあまり関心が無いので、パスして本堂に向かう。本堂もまた国宝であり、これは潅頂堂とも呼ばれているようだ。ここで心静かに般若心経を誦す。そこから少し横手に向かうと、容姿端麗な五重塔が見えた。小振りの五重塔だけど気品があり、これもまた国宝となっている。一時台風で倒れた樹木が塔を壊した時があり、心配したのだが、今は何事もなかったようにそこに建っており、このあとも左様な出来事に合わないように祈るばかりである。

国宝の本堂(潅頂堂)の優雅さを湛えた佇まいは美しい。

国宝五重塔。小さい塔なのだが、なんとも言えない端正な佇まいには、心の乱れがたちまち収まるような感じがする。

今日は五重塔を見たら車に戻ろうかと考えていたのだが、まだ時間がかなりあるので、やっぱり奥の院まで行って見ることにした。何段あるのか数えたことは無いけど、かなりの数の急な石段を上るのは結構厳しかった。昨年は1日2千段の階段昇降を4カ月ほど行ったりして足には自信があったのだが、それも一時のことで、やはり身体というのは、継続して鍛えていないとあっという間に弱体化してしまうものなのだなと、改めて思った。奥の院の大師堂(御影堂)が開帳となっているという連絡が相棒からあったが、時すでに遅しで、その時は階段を下り始めていた。信者ではない証拠なのかもしれない。

この室生寺を訪れる時は、いつも女人の駆け込み寺のことを考えてしまう。女人高野というのはどうやら駆け込み寺ではないらしいのだが、自分のイメージでは人生の苦悩にさいなまれた女性が仏の助けを求めて門を潜るという、そのようなお寺に見えてしまうのである。ま、その是非に拘るつもりはないので、そのことは自分だけの考えに止めることにしよう。とにかく参詣を終えて何故か安堵の気持となり室生寺を後にする。

その後は、もう一度道の駅:宇陀路大宇陀に寄り、今回の旅では最後となるであろう柿の葉寿司を食して今夜の宿予定の道の駅:飯高駅へ。飯高駅に着いたのは、15時少し前だった。ここの温泉はとても気に入っており、もう何度もお邪魔している。今夜はゆっくりとして、いい夢を見ることができそうな予感がした。

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‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第18回>

2017-11-23 03:25:21 | くるま旅くらしの話

【今日(11/23)の予定】 

 道の駅:宇陀路大宇陀 →(R370・R165・K)→ 室生寺参詣 →(K・R165・R370・R166)→ 道の駅:飯高駅(泊) 

 

【昨日(11/22)のレポート】 天気:晴れ

<行程> 

 道の駅:柿の里くどやま →(K・R370)→ 慈尊院参詣 →(R370・R24・K・R169)→ 大神神社参詣 → 山の辺の道散策 →(R169・R166・R370)→ 道の駅:宇陀路大宇陀(泊) 

<レポート>

 九度山の朝は寒かった。車内の気温は6℃を下回って、今回の旅では初めて5℃台となっていた。外は快晴の天気で、予報は夕刻から崩れて雨が降るなどと言っていたが、とてもそのような気配は感じられなかった。しかし、この頃の天気は良い方よりも悪い方へ裏切ることが多いので、予報は当っているのかもしれない。

 寒いので少し歩こうと思い、近くにあるはずの慈尊院というお寺に参詣することにした。慈尊院は、弘法大使のご生母が祀られているお寺である。この辺りには何度も来て通っている道なのだが、まだ一度も参詣したことが無かった。遠いのかと思ったら、予想に反して近くて、道の駅からは歩いて10分もかからないほどの距離だった。お寺の本堂が横手にあって、正面の門を潜ると朱色鮮やかな多宝塔が目に付いた。本堂の方へ行き般若心経を誦す。境内には妙な形をした絵馬がたくさん並べられていたが、それは乳がんの祈願をした人たちのものであることを知った。女性の二つの乳房を模ったものが板に張り付けられていて、中にはかなり大きな手づくりの絵馬なども奉納されていた。このお寺は女人高野の別称もあると聞くけど、現代では癌などの治癒を願ってここを訪れる女性が多いのだと知った。

弘法大使御生母の祀られている自尊院の入り口の景観。正面近くに多宝塔があり、本堂はこの左手の方にある。

 お寺の参詣を終えて、境内のすぐ上に丹生官省符神社に向かう石段があり、それを100段と少し上がると、拝殿が控えていた。この神社は弘法大師が創建されたとか。又高野山に続く町石道の入り口がこの神社なのだというのを知った。その道を少し歩いて見た。全部で169の町石があるとのことで、それは1町ごとに一基の石塔で確認することができるようになっていた。169から始まり、163の町石迄行って引き返すことにした。古道といういのは、どんな坂道でも歩くのが負担にはならない不思議な力を持っている様な気がする。どんどん歩いて行ってしまうと、帰るのを忘れそうになるので、600mほどで諦めることにした次第。

 丹生官省符神社の本殿の景観。朱色の立派な建物が並ぶ。

神社の脇から始まる高野山への町石道。道の脇には古い石の墓標などが埋もれた風に並んでいた。

1町ごとに建てられている石塔。これは百六十六と刻まれているようだ。

その後は車に戻って朝ごはんとなる。9時過ぎまであれこれ出発の準備などをして過ごし、高野山に向かう前に相棒も慈尊院を見ておいた方が良かろうと、調べておいた駐車場に向かう。30分ほどかかって参詣を終える。女人高野のお寺でもあり、又病の経験もあるので、相棒にとっては一入思いを感ずる参詣だったようである。

 その後は高野山に向かったのだが、しばらく行くといつもの道の入口に人が立っており、何だろうと思って近づくと、通行禁止となっていたので驚いた。話によると崩落が起きており、通行不能なのだとか。行くのであれば大きく迂回して別の道を行かなければならないとのこと。どうするか少し迷ったのだが、思い切って今日の参詣を諦めることにした。その代わり、明日予定している大神神社の参拝とその後の山の辺の道の歩きを今日にすることに決める。というわけで、急の変更がまたまた発生してしまった。

 12時少し前に大神神社の駐車場に着いて、食事をした後早速神社に参拝する。何度も来ている神社なのだが、風格があり、伝統を感じさせる立派な神社である。参拝の後は、境内の脇から繋がっている古代の道の代表的なものの一つである山の辺の道を歩きにでかける古道と言えば熊野古道が有名だけど、山の辺の道の方がはるかに古い歴史を持っている。かなりの急坂もあるので、相棒の体力を考えながら、桧原神社という所まで行って引き返すことにした。今日は相棒の調子も良かったようで、難無く往復で来て良かった。

山の辺の道の景観。何度通っても飽きない風情のある道である。

 その後、相棒は境内近くに住まわれている知人に会いに行き、15時半ほどまで旧交を温めて来たようだった。今日の泊りは宇陀市にある道の駅:宇陀路大宇陀である。桜井市内のスーパーなどで買い物を済ませ、道の駅に着いたのは16時半頃だった。このところ変更ばかりが続いているけど、今日の変更で明日も変えざるを得なくなってしまった。明日は予定していなかった室生寺に参詣し、その後松坂にある道の駅:飯高駅に行って、温泉に入って旅の疲れを癒すつもりでいる。

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‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第17回>

2017-11-22 06:27:35 | くるま旅くらしの話

【今日(11/22)の予定】 

 道の駅:柿の里くどやま →(K・R370・R480)→ 高野山参詣 →(R370・R24・R370)→ 道の駅:宇陀路大宇陀(泊) 

 

【昨日(11/21)のレポート】 天気:晴れ

<行程> 

 道の駅:しんぐう →(R179・K)→ 山崎IC →(中国道・近畿道・阪和道)→ 有田IC →(K・R480)→ 明恵ふるさと館 →(K)→ 有田IC →(阪和道)→ 和歌山IC →(R24・K)→ 道の駅:柿の里くどやま(泊)

<レポート>

 大切な知人の皆さまの歓待を頂戴して、大変幸福な4日間を過ごさせて頂いて、もうブログのことなどは忘れ果ててしまいそうな感じだった。それほど素晴らしい刺激と喜びを頂戴したのである。これはくるま旅や旅をしたものでないと味わえない特別な人との繋がりなのだ。その内容については、今は取り敢えず秘密ということにしておきたい。

 さて、昨夜はたつの市の旧新宮町にある道の駅に泊ったのだが、夜中には風雨に見舞われて、明日は雨の中の移動かと覚悟を決めたいたのだが、朝起きて見ると雲は消え去って、朝日が昇り始めていた。その内に益々上天気となり、確か今日は雨模様と言っていた天気予報は完全に外れたなと思った。この頃にしては珍しい天気の急変だったようである。

 今日は移動日である。高速道を利用してここから一気に大阪を通り抜け、和歌山の有田川町まで行って、本場のミカンを手に入れて地元の道の駅:明恵ふるさと館に泊るつもりでいる。ということで、道の駅しんぐうを9時前に出発する。県道を少し走って山崎ICから中国道に入り、その後は所々のPAやSAで休憩をしながら、吹田から近畿道に入り、次は阪和道を走って、目的の道の駅:明恵ふるさと館に着いたのは13時を少し過ぎた頃だった。この道の駅にはミカンを買うためにだけ来訪しているようなところがあるのだけど、この道の駅で売っている早生の小ミカンは自分たちの好物で気にいっており、このところ毎年お邪魔しているのである。もう早生の時期は終わりかけており、ダメなのかと思ったのだが、何袋が残って売られていたので安堵した。早速買い入れる。そのあと、近くにあるJAが経営しているらしい大規模の販売所に行き、知人あてにプレゼント用のミカンを送付する。

 まだかなり時間に余裕があり、このまま道の駅:明恵ふるさと館に行って夜を待つのはどうかなと、泊りを見直すことにする。その結果、明日寄ることにしている九度山町の道の駅まで行って泊ることに予定を変更する。高速道などを利用すれば九度山には16時前に到着することが可能なのだ。ということで、その後は有田ICから再び阪和道を戻って和歌山ICで降り、R24を走って途中から紀の川に架かる橋を渡って、九度山の道の駅:柿の里くどやまへ。ここは2度目の来訪で、前回は道の駅が出来てまだ新しかったので、駐車場所を探すのに苦労したのだが、今回はその心配は皆無だった。真田一族のTV放映が終わったこともあり、飽きっぽい大衆は直ぐにその本当の価値を忘れ捨ててしまうのだなと思った。明日は少し早く起きて古跡の後を辿って見たいと考えている。そして、高野山にも参詣してみようかとも思っている。ま、そのようなことを考えながら、夜を迎える。

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‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第16回>

2017-11-21 06:37:31 | くるま旅くらしの話

【今日(11/21)の予定】 

 道の駅:しんぐう →(R179・K)→ 山崎IC →(中国道・近畿道・阪和道)→ 有田IC →(K・R480)→ 道の駅:明恵ふるさと館(泊)

 

【昨日迄(11/17~20)のレポート】 

 倉敷のAさん宅に3泊、そのあと播磨自然高原のMさんの別荘に1泊した後、日生の海の幸を味わい、その夜はたつの市の道の駅:しんぐうに泊って、今日を迎える。内容は、知人とのプライベートな内容につき省略します。

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‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第15回>

2017-11-18 06:52:02 | くるま旅くらしの話

 今日から明後日までは、プライベートの行動につきブログの掲載を休止します。悪しからずご了承ください。

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‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第14回>

2017-11-17 06:12:05 | くるま旅くらしの話

 【今日(11/17)の予定】 

 Aさん宅に滞在(津山往来の探索に随行する予定)

 

【昨日(11/16)のレポート】 天気: 晴れなれど雲多し

 道の駅:醍醐の里 → 道の駅:かもがわ円城 → 小森温泉 → 道の駅:かもがわ円城 → 井山宝福禅寺 → Aさん宅(泊) 

<レポート>

 昨日は後半から調子が狂って思わぬ泊りとなってしまったのだが、今朝は相棒の調子も回復して、今日の進行への心配も無くなって安堵する。この道の駅の朝も冷え込みがきつく、朝は起きるのに億劫さを覚えるほどとなっていた。朝食の前に付近を40分ほど散策する。駅舎の裏を備中川というのが流れており、その上流の方に名木の醍醐桜という樹齢推定1千年の桜の木があるという。残念ながら今の季節ではその素晴らしさを鑑賞することはできないので、川筋を少し歩くに止める。その途中に川の中を泳いで動くものがあり、目を凝らしてみたのだが、どうやらそれはカワウソの様な動物だった。カワウソが本当にいるのか疑問を抱きながら見ていたのだが、気づいて慌ててシャッターを切った。しかし良く写らなかったので、動画に切り替えて辛うじてその姿の一部を捉えることが出来た。あとでPC画面で見てみたが、巨大なネズミのようにも見えて、疑問は消えなかった。朝の出来事であった。

 今日は待望の倉敷に住むAさんとの再会を果たす日である。午後15時過ぎにお訊ねすることを伝えてあり、それまでは昨日果たせなかった入浴などを済ませながら過ごすことにしている。先ずは近くにある道の駅:かもがわ円城という所に行って入浴の時間が車で過ごすことにして出発する。初めて訪ねる道の駅だった。行って見ると駅舎前の広場に白菜を入れたポリ袋がずらりと並べられているのを見て驚いた。どうしてなのか判らなかったが、訊いて見ると、ここの白菜は筋が柔らかくて全部食べられるのだとか。見た目には判らないのだが、食べてみれば実感できるのだろうと思った。こんなにたくさんの白菜が並んでいるのを見たことが無い。知る人ぞ知る人気の白菜なのだなと思った。Aさんへのお土産(?)に1個を買い入れた。

 11時から入浴できるのを確認して、近くにある日帰り温泉施設の小森温泉という所に向かう。行って見ると、今日は平日なので貸切風呂しか営業していないという。少し割高にはなるけど、離れの小じんまりした小屋があり、そこに岩風呂が設けられていたので、入ることにした。鉱泉の沸かし湯だというけど、とても温まる良い風呂だった。1時間ほど入浴を楽しむ。

隠れ宿といった風情のある小森温泉の貸切風呂の建物。

 その後はもう一度道の駅に戻り、昼食を済ます。あとはAさん宅に向かうだけなのだが、少し時間があるので、先にAさんから情報を頂いていた総社市にある井山宝福禅寺という所に参詣することにした。このお寺は雪舟が幼い頃に修行に入り、修行に身が入らないのを戒めのために柱に縛られた時に涙を足を使って描いたネズミの絵が本物のネズミと間違えられたという逸話の残るお寺でもある。名刹と言っていいと思う。行って見ると境内に多くある山もみじの紅葉が美しかった。その中に佇立する三重塔が一段と凛々しかった。この塔は古く、修理を経て少し新しくなっているけど、国の重文指定の文化財でもあるとか。ここに寄って良かったなと思った。

 井山宝福禅寺の仏殿の景観。これが拝観のメインの建物だと思うが、雪舟の逸話伝説が残る場所の方丈はこの右側にある。

国の重文指定の三重塔。境内の中では最も存在感のある建物である。

 その後はナビに従って、倉敷市真備町にあるAさん宅に。あまり道を違えることもなく無事到着する。再会を果たして嬉しかったのだが、何とAさんご夫妻は2Wほど前に交通事故に遭い、車をオシャカニされてしまったとか。ご夫妻とも怪我をされており、治療中だともお聞きし驚いた。幸い普段の行動には特段の支障は無いとのお話だったが、車が壊れて使い物にならないほどの事故だったのだから、無理をされないようにと、心からそう思った。その後は奥さん心づくしの手料理で乾杯し、更には今日手に入ったという殻付きの牡蠣をご馳走になりながら2度目の乾杯を重ねて、遅くまで歓談が続いた。相棒と奥さんの女性陣の圧倒的な話の続く時間だったが、男性陣にとってもそれなりに心満たされる時間でもあった。

 

 

 

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‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第13回>

2017-11-16 06:34:16 | くるま旅くらしの話

今日(11/16)の予定】 

 道の駅:醍醐の里 →(R313)→ その先未定なるも最終的には倉敷のAさん宅へ

 

【昨日(11/15)のレポート】 天気:晴れ

 久米の里 →(R181・R53)→ 津山市・重伝建保存地区散策 →(R53・R179・R181)→ コインランドリー →(R181)→ 旧遷喬尋常小学校校舎見学 →(R181・R313)→ 道の駅:醍醐の里(泊) 

<レポート>

 津山市郊外にある道の駅の朝はかなり冷え込んで寒かった。4時に目覚めて、5時に起き出す。1時間ほど書き物をして、その後付近の散策に出かける。風が冷たい。特に目的もなく只歩くだけなのだが、この時間が楽しい。木立のこんもりとした丘があるので、そこへ行って見ると八幡様だった。県社となっていたので、それなりに格式のある神社なのだと思った。参拝を済ます。誰もいない神社の境内は空気が澄み渡って美味い。早起きの御利益だなと思った。40分ほど歩いて車に戻ったのだが、速足で歩いたので身体はすっかり温まった。相棒も起き出していた。

道の駅構内に置かれているガンダムの像。地元の中元さんという方が7年の歳月をかけて1999年12月に完成したものだという。実際に動かせるらしい。すごいなと感心することしきり。

 今日の予定は、先ずは津山市の城東という重伝建指定エリアの商家町を歩くことにしている。昨日までは別のことを考えていたのだが、津山まで来てしまったので、ここを外すことはしないと決めたのである。このエリアの訪問は2度目なのだが、1回では見落としていた何かが見つかれば良いなとの思いの再訪だった。駐車場に車を置きそれか1時間半ほどゆっくりと町内を散策する。幾つのもの小路があり、その一つの大隅小路というのを奥の方まで歩いて行ったら、そこに大隅神社というのがあったので、参拝する。この神社はこのエリアの守り神のようで、毎年秋に行われるだんじりの出る祭りは、この神社のイベントの一つらしい。地元のご老人がそのようなことを話されていた。どこもそうなのだけど、この町並みの通りも時々車が通るだけで歩いている人を見掛けることは滅多にない。一体どこへ消えてしまっているのだと思うほどの静けさだった。

津山市城東の重伝建指定地区の景観。ここはお城の東部に位置する商家町だったということ。

商家町の中でも最大規模と思える苅田家住宅。重文指定で、通りに面した長さは50m近くもあり、奥行きもそれに劣らないほどの規模の大きさである。

 散策を終え、車に戻った後は今朝の道の駅:久米の里まで戻り、昼食休憩とする。先ほどの重伝建エリアとは違って、ここはかなりの人が立ち寄って賑わっていた。津山焼そばというのを食べてみたが、特段美味いと思うほどでもなかった。焼きうどんの方が本命らしいのだが、自分はうどんは焼かないで食べるものと思い込んでいるので、オーダーはしなかった。我ながらつまらぬ信念である。

 食事の後は少し休んで、今日はこの後関金温泉に行って風呂に入って近くの道の駅で寝るだけの予定なので、溜まっていた洗濯物をコインランドリーを探して処置することにして出発する。10分も走らない内にコインランドリーを発見し、車を留めて早速作業にかかる。といっても機械が動くだけの話で、その係わりは相棒の専任事項となっているので、自分は待機するだけ。2時間ほどかかって洗濯を終え、関金温泉に向けて出発する。思ったよりも時間がかかり、これから予定している関金温泉まで行くのは無理かなと思い、別途の入浴施設などを調べて相棒に話したら、もう疲れてしまって、とても風呂に入る余力などないという。それもこれもあなたが急に予定を変更して、明日に予定していた洗濯をとり入れたりしたからなのだという。ということで、その後しばらく不穏な空気となる。とにかくこれ以上疲れさすのは具合が悪ので、関金温泉は止め、最寄りで一番近い道の駅:醍醐の里へ行って泊ることにする。またまたの変更である。

 途中久世という所にある遷喬小学校の旧校舎が残っており、それをざっと見学する。今日は生憎の休館日であり、中に入ることはできないので、写真だけでもとシャッターを切る。この校舎のことはAさんから教えて頂いた情報である。明治後期の擬洋風学校建築物として国の重文に指定されているとか。往時を偲ばせる立派な施設であり、これは国の財産だなと思った。岡山県には確かベンガラの吹屋の町にも古い校舎があったのを思い出す。自分の村の小学校は今頃どうなっているのだろうかと思いだした。もう60年以上小学校を訪ねたことが無い。どこへ行っても町の合併や統合で、昔を思い出せるもが残り少なくなってしまった。

真庭市久世町に残る旧遷喬尋常小学校の校舎の景観。今でも使用可能なように見えたのは自分の錯覚なのだろうかと思ったほど現代にも通用する建物だなと思った。

 その後はR313を走って、久世の先で左折し、しばらく走って道の駅:醍醐の里に到着する。4時少し前だったが、来訪者は少なく、少し冷たい風が吹き出した。明日の朝の冷え込みはもっと厳しくなるのかなと思った。ここは自分の手づくりのヘンテナでは地デジの電波を捉える事が出来ず、相撲の観戦はお預けとなった。BSに頼るしかない。明日はいよいよAさんご夫妻との再会が叶う日である。相棒の体調が少し心配だけど、頑張ってもらうしかない。

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‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第12回>

2017-11-15 05:33:03 | くるま旅くらしの話

【今日(11/15)の予定】 

久米の里 →(R181・R53)→ 津山市・重伝建保存地区散策 →(R53・R179)→ その先未定 

 

【昨日(11/14)のレポート】 天気:曇り後晴れ

 知人宅 →(R431・R9・R180)→ 道の駅:メルヘンの里新庄 →(R181)→ 勝山町散策 →(R181) 道の駅:久米の里(泊)

<レポート>

 昨夜は夜遅くまで4人での歓談が続いた。Bさんご夫妻と会うのは2年ぶりである。本当は年に1回は会いたい人なのだが、何しろ遠いので、なかなか思うようにはならない。Bさんは何でも自分で作り、こなすことができる万能の方で、歓談の場所である家屋も中の諸々の用具も飾りも殆ど全部と言っていくらいご自分で作られたものなのだ。物だけでなく、食べ物も皆自分で作られるのである。ピザを初めパンや漬物に至るまでご自分で創作されるのだから、驚くばかりである。無能の自分にははるかに遠い存在なのだが、心に通うものがあり、それが実に嬉しいのである。しゃべり過ぎて、気づいた時は既に22時近くとなっていた。明日のこともあるので、切上げて車に戻る。

Bさんの作られた魔法の小屋。この家屋をはじめ、中の調度や設備等の殆どすべてが手づくりの、しかも様々な材料もリニューアルしたものを活用されている。

 朝起きた時は小雨が降っていた。どうやら上天気は1日だけだったらしい。今日の予定は出雲街道の宿場町を散策することにしている。朝食をご馳走になったと、しばらく歓談をして、9時過ぎに出発する。先ずは出雲街道宿場町の町並みの残る新庄村に向かう。雨は大したことなく、曇天に変わっていた。この分なら町並みを歩くのにも傘は不要である。R181を何処までも辿ってゆくと、1時間ほどで道の駅:メルヘンの里新庄に到着。駅舎のリニューアル大改造をしているらしく、駐車場も売店も臨時の状態となっていた。ここに車を留めて、宿場町の町並みの通りへ向かう。

 ここを歩くのは初めてである。出雲街道宿場町としての形が往時を偲ばせる佇まいで残っていた。本陣や脇本陣など何軒か残っている古い建物を除くと殆どが新しい建物なのだが、町並みの景観はまさに出雲街道の往時を思い起こさせる宿場町だった。この通りにはがいせん桜というのが通りの両側に植えられており、春のその季節には格別の味わいを醸すに違いないと思った。がいせん桜というのは、明治時代の日露戦争に勝利したのを祝して、町を挙げて桜の木を植えたのだとか。早や100年を超える時間が立ち、桜は老木となり、手当てが施されていたが、これからは保存するのが困難になるのだろうなと思った。40分ほどかけて500mほどの通りを往復して車に戻る。

出雲街道新庄宿の町並みの通りの景観。通りの両側には日露戦争の勝利を賀して植えられた桜の並木が続いている。凱旋桜と呼ばれている。 

昼食を終えて、次は同じ出雲街道の宿場町である勝山宿に向かう。ここからは30分ほどの距離である。直ぐに到着。駐車場を探すのに少し手間取ったが、無事車を留めることが出来て安堵する。早速散策に出発する。勿論相棒とは別行動。先ずはとにかく宿場の外れと思しき所まで町並みをゆっくり歩くことにする。最初はそれほどでもないなと思ったのだが、歩いている内に白壁の土蔵や海鼠塀などが見られるようになり、ここは往時から相当に栄えた場所なのだなと気づかされた。その背景には町並みの裏を流れる旭川にあるようだ。というのもこの川を利用しない手は無いはずなので、昔は船便での運送交易が盛んだったのであろう。相棒の持参した資料によれば、高瀬舟が川を行き来していたと書かれていた。町並みの店先には、各所に暖簾(のれん)が出されており、これは町おこしの一環として始められたとか。いろいろなデザイン・模様の暖簾が店先を飾っていた。1時間ほどかけて車に戻る。相棒はいつもの調子でかなり遅れて戻ってきたのだが、途中で道が判らなくなり、SOSの電話が在ったのには驚いた。方向音痴なのである。相当重症だなと思った。

 

 出雲街道勝山宿の通りの景観。建物はそれほど古いものではなさそうだが、通りの造りには古さを思わせるものがある。

 

 町屋の軒先には色とりどり、さまざまな暖簾が下がっている。町起こしの一方策としてはじめられたとか。

町並みのすぐ傍を旭川が流れている。その昔はこの川を高瀬舟が行き交っていたという。玉石風の石垣や階段が残っているのは、往時の繁栄の証しであろう。 

 さて、今夜の宿はどこにするか、まだ決めていない。あれこれ迷った後、明日はもう一度津山市内の重伝建エリアを歩くことにして、近くの道の駅:久米の里に行くことにした。ここは以前泊ったことがある場所である。ガンダムの巨大模型が覆いの建物の中に立っているのでも有名だ。30分ほど走って、到着する。今日はこれで終わりである。

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