山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

Ⅰ.旅車の取り扱い方:2.旅車の基本装備について

2007-02-28 00:16:37 | くるま旅くらしの話

旅車の取扱に関して考えておかなければならないことの一つに、基本装備があります。車を使って生活してゆくために不可欠な装備のことを基本装備と呼ぶことにしますが、私の考えでは、①熱源装置②給排水装置③換気装置という3項目がそれに該当すると考えます。これら以外にも基本装備と呼ぶべきものとして、例えば調理設備やトイレ、TVなどを付加しても良いようには思いますが、ここでは旅くらしの根源に関わる最も重要な装備としてこの3項目を取り上げ、その考え方について触れることにします。

熱源装置

 熱源とは、旅くらしのエネルギー供給の根幹となるもので、具体的には、電気、ガスを指します。

最初に電気について述べたいと思います。電気は、外部から直接取入れが出来ない場合は、バッテリーから供給されることになります。従って、バッテリーの充電管理が重要となります。旅くらしでは、多くの場合、外部から電気の供給を受けることが困難ですので、安心して電気製品を使用するためには、不断のバッテリーの電源管理が重要です。

 バッテリーの不安を無くすために、発電機を搭載したり、ソーラーを取り付けたりしますが、それらを24時間いつでも使えると考えるのは早計に過ぎます。発電機の使用は、騒音の問題がどうしても発生しますので、使用する時間と場所を考慮する必要があります。又ソーラーは夜間や雨天では効率が極端に落ちますので、常時心配なしというわけには行きません。

 結局の所は、自分の車に見合ったレベルの装置をうまく使い分けるしかないように思います。こだわりの車を目指す人の中にはいろいろ工夫して目を見張るような装置を取り付けられている方もおられますが、普通人(若しかしてかなり低いレベルの)である私には、ごく普通の装備をうまく使うことしか考えられませんので、今のところはせめてソーラーだけでも取り付けようかと考えています。

 車の中で家電製品を使う場合に気をつけなければならないのは、消費電力の大きい電子レンジや炊飯器などを使う場合です。エンジンもかけずに長時間使いますと、いっぺんにバッテリーを破損するようなことになりかねません。家庭での電源とは違い、12Vをインバーターで100Vに変換して使っているわけで、効率が落ちる上にバッテリーが大元となっているのですから、これを忘れると大元が壊れてしまうなど、とんでもないことが起こる可能性が高いのです。初めての旅で、嬉しさもあって何の不安も抱かず、エンジンを切ったまま、家で使うのと同じようなつもりで、電子レンジや電気釜を使っていたら、全てがパタリと止まってしまった、その上にエンジンをかけようとしたら、何と、いくらキーを回しても始動しない、などということが起こりかねないのです。

 基本的には、高消費電力の家電製品は使うのを控えるか、どうしても使わなければならない場合は、発電機を回すとか、或いは必ずエンジンをかけて使うようにするという心がけが必要だと思います。

 因みに私の場合は、電子レンジも電気釜も使わず、調理は全てガスを使っています。夜間の照明用として、普通車用の40Wのバッテリーを2個用意し、これを毎日の走行時に充電器を使って充電し、毎晩交互に使うようにしています。バッテリー1個で一夜に必要な照明は充分まかなうことが出来ます。長期滞在の場合は、出来る限りAC電源のあるキャンプ場などを選ぶようにしますが、費用の問題もあります(多くの場合AC電源付きのキャンプ場は1晩千円ほどの別料金をとられる)ので、通常はフリーサイトで生活し、電源をカバーする必要が生じた時にオートキャンプサイトに移るようにしています。また、AC電源がない場所では、騒音の問題のない所を選び、発電機を使うようにしています。

 次にガスですが、ガスは大別するとLPガスとカセットのLPガスになります。LPガスは多くは5kgのボンベを備えて、このガスを利用するものですが、補填供給の場所が限定されるため、ガスが少なくなった時の補給が面倒という問題があります。この場合は、事前に供給所を調べておくとか、或いは地元の人に尋ねて教えて頂く必要があります。これに対してカセットガスの方は、どこのホームセンターでも販売されており、在庫管理さえしっかりやれば、補給の心配もありません。ガスの火力もこちらの方が強いようですが、車内で使う場合は、換気などをしっかりしておかないと危険です。使う場所を選ぶ必要があります。

いずれのガスにしても基本的な取扱要領は同じですが、ガスの場合は直火を使うことになりますので、火災や事故には十二分に気をつける必要があります。

私の場合は、LPガスとカセットガスの双方を使っていますが、通常の煮炊きは備え付けのLPガスコンロ(2口)を使い、魚など匂いのきついものを扱う場合や大容量の煮炊きをする場合は、カセットガスを使うようにしています。カセットガスの使用はこの他、長期滞在の好天時に使うことが多くなります。くるま旅くらしでは、カセットガスだけを使っている方もたくさんおられます。どのように使い分けるかは、各自の自由判断によりますが、それぞれの特性と欠点をしっかり捉えた上での使い分けが肝要です。

なお、LPガスは、煮炊きの他に冷蔵庫用としても使うことが多いものです。エンジンを止めた後で、冷蔵庫を長時間電源だけで使えば、たちまちバッテリーが上がってしまいます。旅車の冷蔵庫は多くの場合3ウェイ(12V電源、100V電源、LPガス)での機能が備わっていますが、長時間駐車時や長期滞在の場合は、特にガスでの使用が有効になります。これらの使い分けも大切です。

尚、冷蔵庫に関しては、カセットガス専用のものも製造されているようです。自車のサイズに合わせて検討してみるのも一考かと思います。

給排水装置

 二番目の基本装備は、給排水です。水は生活には不可欠の要素です。この装備に関しては、旅車のつくり方や使い方の考え方によって、かなりの違いが出てくるものと思われます。私の車の場合は、80Lほどの給水タンクと同容量の排水タンクが装備されていますが、旅車の中には給排水を簡易装備で済ませ、その分のスペースを別途で有効活用するという考えでつくられているものもあります。生活の中で、水をどのように使うかという考え方によって、これらの扱いは変わってくるものと思います。

 水の補給や排水が苦労せずに出来る環境を常時確保できるのであれば、大型の給排水装置は不要かも知れません。

私の場合は、水がなかなか補給できない場所でも過ごすことが結構あるものですから、現在の容量で満足しています。

換気装置

 三番目の基本装備は換気装置です。これについては多くの旅車に装備されていると思いますので、特段申し上げることもありませんが、大切なことは、狭い車内では密閉状態は危険度が高いということです。冬の寒い時期などは、どうしても換気がおろそかになりがちですが、億劫がらずに換気扇を回したり、時には窓を開けて空気の入れ替えをするなど、こまめな対応が望まれます。特にガス等の火気を使用している状態では、換気扇の使用は不可欠の厳守事項と心得るべきです。今まで旅車でのガス中毒事故などは耳にしたことはありませんが、最近の密閉度の高い車では、うっかりすると事故に遭遇しかねませんので、注意が肝要です。

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Ⅰ.旅車の取り扱い方:1.旅車の運転について(その2)

2007-02-27 00:02:42 | くるま旅くらしの話

後進(バック)時には、下車して確認を

 旅車は図体が大きいものです。前進する際は普通車と変わりませんが、車庫入れなどバックする際には充分気をつける必要があります。バックアイカメラを装着している車もありますが、カメラに頼ることなく、バックの際は一旦下車して後部、後方を確認してから車を動かすことをお薦めします。バックアイカメラが捕らえられる後方の視界は存外に狭く、直下部くらいしか判別できないケースが多いようです。ドアを開け、左右の後方を確認しながら静かにバックするように心がけたいものです。

 私は、運転が下手で、特にバックが弱く何度も苦い経験をしています。ついうっかり油断をして、後方に土手(土が盛り上がっている箇所)があるのに気づかず、愛車に怪我をさせてしまっています。お恥ずかしき次第です。

頭(高さ)と車幅に注意する

 次に運転時の要注意事項として、これはどなたも自認されていることだと思いますが、旅車の高さと幅に対する感性を働かせることの大切さです。旅車の車高は、多くの場合3m前後になるかと思いますが、うっかり低い陸橋下の道などをくぐって天井をぶつけたりしたらこれは大ごとになります。昼間は大丈夫でしょうが、夜間や或いは何かトラブル等に巻き込まれて焦りがある時などは、特に要注意です。安易に近道を選んだり、ナビだけに頼ったりしていますと、実地・現場の情報を見落とすことがありますので、しっかりと自分自身の目で確認することを心がけるようにしたいものです。又、隣に乗る人も安全運転には、十二分に協力する必要があります。

次に旅車は、多くの場合、ベースとなる車のシャーシ(車台)に居住空間をつくったものを架装しているため、運転席と後部の車体の幅が異なっており、後部の方が幅が広くなっています。このため、最初は車幅感覚が不安定になり、狭い道では、うっかりすると離合の際にトラブルとなる危険性があります。これをクリアするためには、慣れることしかないように思います。理論的には、サイドミラーが触れない限りは、後部車体は通過可能と考えて良いわけですが、ぎりぎりの状態の場合は、決して無理をすることなく、状況に合わせた運転を心がけるべきと思います。基本的には、不断から近道などに囚われずに、幅員の広い道路を選んで走るように心がけることが大切です。

追い越される寛容さに慣れる

 旅車は、図体も大きく、風の抵抗などもかなり厳しいものがあり、とても普通車のような感覚で運転できるものではありません。最初から謙虚に出来る方で無い限り(私もその一人なのですが)、このズレに気がつくまでには結構時間がかかるものです。ややスピード狂の気のある私は、旅車の限界を知るまでに結構時間がかかったものでした。高速道などで、一番左を走り続けることに我慢がならず、車に余計な負担をかけたことも再々ありました。しかし、今ではすっかり悟った状態になり、一番左の道が自分の車の専用道路だと考えています。

又、長い上り坂などで、後方の車に迷惑をかけているような場合は、停車できる場所を見つけ次第、道をゆずるのもエチケットだと思います。追い越されるのが当たり前と思えば、安全運転のレベルは格段に上がるように思います。道を譲ることで後方の人たちの渋滞ストレスを押さえ、全体としての安全運転が確保されるからです。これは車の性能の良し悪しに拘らず旅車の運転者としての大切な心がけのような気がします。自分は、運転は下手なのだ、だから道を譲るのが当たり前なのだという心境に早く到達したいものです。

眠くなったら車を停めて仮眠する

 真に当たり前のことを書きましたが、これは安全運転の最大の秘訣です。居眠りやわき見運転は交通事故の原因のかなりを占めていますが、集中力が落ちてきたなと自覚したような時は、どこか駐車できる場所を探し、見つけて、そこで好きなだけ横になって眠ることが肝要です。そのまま無理をして運転を続けていますと、危険度は益々増して来ます。ガムを噛んだり、冷たいジュースなどを口にしても、ほんの一時だけの気分転換に過ぎず、元々疲れている身体や神経は回復したわけではありませんから、たちまちもとの状態に戻ってしまいます。

 いつでもどこでも身体を横にして休める空間を持っているのが旅車なのですから、特別な予定でも無い限り(或いは予定があっても)無理をして急ぐことを止めて、車を停めて仮眠すればいいのです。20分も眠れば、頭はスッキリして、外に出て深呼吸をすれば、身体もシャキッとすること間違いなしです。

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Ⅰ.旅車の取り扱い方:1.旅車の運転について(その1)

2007-02-26 00:03:20 | くるま旅くらしの話

先ずは旅車の取扱について何点か思うところを述べたいと思いす。

最初に運転に関わる事項についてお話します。旅車については、様々なタイプの優れたものが多くつくられており、それらの個別の取り扱いについては、お買い求めの販売店やメーカーなどの専門家にお任せして、ここでは私の使っているSUN号(キャブコン)をモデルに、基本的な留意事項などをお伝えしたいと思います。

100%無理をしない

 これはあらゆる運転状況に共通の厳守事項です。「無理が通れば道理が引っ込む」のは、愚かな人間社会の諦めの言葉であり、車の運転に関しては、無理は通らず、通そうと思えば道理が必ず頭をもたげます。どのような事態が起ころうとも、絶対無理をしないという心がけを忘れないようにしたいものです。

先ず、始業点検をしっかりと行なう

 運転免許を取った時、教習所の指導やテキストには始業点検の大切さが強調されていますが、実際の運転に慣れて来ますと、この始業点検をおろそかにしているのが、我々の常ではないかと思われます。

そこで、もう一度初心に戻って、毎日の始業点検の確実な励行を強調したいと思います。安全運転はくるま旅くらしには不可欠の要件ですが、それは単に運転だけの問題ではなく、運転される車そのものが安全で健康でなければならないということが大切です。

エンジンルームを開けてまでのチエックは難しいと思いますが、せめて車を一回りしての目視点検やタイヤの空気圧のチエック、或いは冷却水の状況くらいは出発前に確認しておきたいものです。

旅車は、くるま旅くらしの核であり、これが故障したりすると、暮らしそのものがいっぺんに成り立たなくなってしまうからです。

私の苦い経験では、北海道を旅している時、ある日突然運転席のオイル表示に赤ランプが灯り、びっくりしました。出発前、まだ大丈夫だろうとオイル交換をせず、帰ってからにしようとそのまま出てきたのですが、突然運転席のパネルに赤信号が灯ったのです。私の車はディーゼル車なので、オイルの消耗が早いとは聞いていました。今まで一度も開けたことがないエンジンルームを開け、オイルのチエックをしましたら、何とゲージの表示レベルは殆どゼロに近いではありませんか。驚きました。とにかくオイルを交換しようとカー用品の店を探してそこへ行ったのですが、車の図体が大きいため、ピットに入らず交換できないなどといわれてしまいました。それで少し迷った末、それならば自分で補給しようと考え、ホームセンターでオイルを買い、どうにか補給し、赤ランプを消すことが出来ました。帰路につく少し前だったので、そのまま家に戻り、あとでちゃんと手当てをしましたが、オイル交換などの基本事項は、旅に出かける前にキチンとやっておく必要があり、また、時々はオイルのチエックなども欠かさないようにしておくことが必要なのを改めて感じさせられた次第です。

必要以上に神経質になることはないと思いますが、やるべきことも何もしないで、放置したままという鈍感さは、いざという時には地獄を見ることにつながることを承知しておいた方がいいと思います。

なお、運転中に異常音その他の普段と何か違う状態を車に感じた時は、そのまま走らないで、停車してチエックし、それでも原因が分からない場合は、分かるまでは慎重な運転(高速を避け、制限速度以下で走るなど)を心がけることが大切です。

出発時は常に車を一回りして落ちはないかチエックする

 どのような場合でも、車を動かす時には、不用意に出発するのではなく、必ず一回り車を廻ってチエックしてからにしたいものです。旅車は普通車とは異なる装備などが備わっています。例えば後方に車に出入りするためのステップ(階段)がついているような場合、うっかりそのまま発進するようなことになりますと、大事故につながる危険がありますし、出発前に使っていたLPガスの元栓を締めるとか、排水口の弁を閉じるとか、或いは冷蔵庫の電源のオン・オフだとか、後部ドア施錠忘れ等々、うっかり見逃し忘れるようなことがよくあるものです。ちょっとした休憩の後でも必ず一回り廻って落ちがないかどうかをチエックしたいものです。

 私の場合は、ステップを上げたまま動き出して、縁石にぶつけてカバーを剥がし落としたなどという間抜けた失敗経験があります。人間のうっかり病というのは、大きな事故や罪作りに関わることが多いので、出発前の一巡を常に習慣とするよう心がけたいものです。(続く)

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くるま旅くらし入門講座を始めます (まえがき)

2007-02-25 00:08:01 | くるま旅くらしの話

ブログを始めてから1ヵ月近くになろうとしていますが、今までは、あれこれ食べ散らかした感じの話題ばかりを振り撒いて来たのではないかとの反省があります。一通り当初考えたカテゴリーに該当するような話題を当て嵌めてみたというのが実態です。

私のブログ開設の目的の一つが、「くるま旅くらし」を一人でも多くの方に知って頂き、それを実体験して楽しんで頂き、これからの人生をより心豊かに創っていって欲しいという、大それた願いにありますので、話題の撒き散らしはこの辺で一休みして、これからしばらくの間、新しく「くるま旅くらし」を考えてみよう、或いは旅車を持っているけど、いざ長期間の「くるま旅くらし」の本番となるといろいろ不安もある、とお考えの方たちを対象とする「くるま旅くらし入門講座」のようなものをご紹介したいと思います。

最初にお断りしておきますのは、これからの話はあくまでも私個人の体験をベースとするものであり、普遍化されたものではないということです。くるま旅くらしの楽しみ方も、実際の対処方法も基本はご自分自身の自由な考え方に基づけば良いのであって、世の中に迷惑や害を及ぼさない限り、好きなように自分のスタイルをつくって楽しめば良いというのが本筋です。

私がこのようなお節介を敢えてしようとしているのは、実は世の中にはくるま旅くらしをしている方は結構いらっしゃるのに、その実際について経験や知恵を伝えようとする類の本も資料も大変少ないと考えるからです。旅車そのものに関する資料やアウトドアに関わる本などはかなりたくさん発行されていますが、くるま旅の実際に関しては、ガイド書は殆ど見受けられません。このため、昨年「くるま旅くらし心得帖」(新風舎刊)という小著を世に問いましたが、自分の思いの半分も伝えることが出来なかったように思っています。ブログでならば、それらをかなりカバーできるのではないかと考え、これからそれにチャレンジするつもりです。重複することや、脇道に逸れることが多々あるかと思いますが、それは大目に見て頂ければ幸いです。

さて、本論に入る前に、私のスタンスというか、くるま旅くらしに対する基本的な考え方について、一、二述べさせて頂きます。

①定年後の夫婦二人のくるま旅くらしを前提に考えている

 どのような方に向って話をしようとしているのか、ということですが、これはリタイア後の人生を夫婦二人でくるま旅くらしを楽しもうという方を前提にさせて頂きました。世の中にはそれをしたくても出来ない方も大勢いらっしゃると思います。その方々に対しては大変申し訳ないのですが、お許しを頂きたいと思います。反対にその実現可能な方は、大いに自分たち自身の境遇に感謝すべきと考えます。少なくとも妙な優越感や思い上がりの気持ちでは、旅くらしを楽しむ資格は不足しているように思います。なぜなら自分たち以外の世の人びととの触れ合いがあって、初めてくるま旅くらしが成り立つのですから、これは感謝の気持ちがなければうまく行くはずがありません。

②くるま旅くらしは、いわゆるアウトドアライフではない

次に申し上げたいのは、旅車が一般的にキャンピングカーと呼ばれていることもあり、くるま旅くらしがいわゆるアウトドアライフであるという認識がありますが、それは違うということです。「いわゆる」と言いましたのは、くるま旅くらしも自分の家から外に出てのアウトドアライフには違いないのですが、本質的には野外のキャンプ場での野営的な暮らしではないと思うからです。くるま旅くらしの中では、大自然に触れ、大自然との融合を楽しむといった日々も勿論ありますが、そればかりではなく、いつもよりもずーっと人間臭い場所に身を置くという日々もあるのです。キャンプ場めぐりのようなくるま旅くらしがあっても、勿論差支えなどないわけですが、普段の生活の流れの中で、あらゆるものに触れながら旅くらしの楽しみを味わうのが私の考え方なものですから、敢えてアウトドアライフとは違うということを強調させて頂きました。

ついでに言わせて頂きますと、旅車をキャンピングカーと呼ぶのは実は適切でなく、むしろモーターホームというべきと思っています。しかし、モーターホームというとUSAなどの巨大な生活車というイメージが先行し、誤解を招きやすいので、いまのところキャンピングカーで我慢するしかないと思っています。日本国にくるま旅くらしが定着するようになれば、日本流の新しいモーターホームというコンセプトでつくられる車が出現するのではないかと願っています。そのためには、車のメーカーだけでなく、くるま旅くらしにフィットした新しい環境(例えば、AC電源付き簡易駐車場など)が整備される必要があり、これらの実現には未だかなり時間がかかるような気がします。

入門講座は、

Ⅰ.旅車の扱い方

Ⅱ.旅くらしの実際

の二つのパートに分け、計30項目近くのテーマについてご紹介する予定です。では、明日から本番に入ります。

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今日はお休みです

2007-02-24 08:23:15 | 宵宵妄話
昨日、今日と休みます。明日から、新しくくるま旅を始めようとされる方を対象とする「くるま旅くらし入門講座」を始めます。(馬骨)
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地域振興(活性化)に思う(その1)

2007-02-22 00:12:52 | くるま旅くらしの話

 ●休憩中だった筈なのですが、今朝のTVを見ていて、どうしても一言二言、いいたいことがあり、書き出したら存外の長さとなってしまい、一挙に全部を載せることにしました。字数制限があり、3つに分けてあります。休憩は休憩です。(笑)

今朝(2/21)のTVを見ていたら、東京多摩地区のあきるの市が新しく温泉施設を25億円近くかけて造っていることに関して、疑問を呈するような内容の報道があった。市長さんの言では、地域の活性化のキーとしてこの事業をおいて他にないような口ぶりで、採算の是非など論外というようなトーンだった。

安易に批判は出来ないが、旅をしながら日本のあちらこちらをさ迷っていると、地域振興というか、何とか自分たちの住む町を元気づけようという努力の跡を垣間見ることが多い。努力の跡は、多くの場合成功した姿ではなく、残骸が殆どだ。それは地方へ行くほどその感じがする。なぜこんな所に場違いの(巨大な)建物があるのか?しかも一つではなく、複数であることが多い。「夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと」という芭蕉だったかの句があるが、現代のそれは強者にもなれなかった、思いつきのあぶく夢のような連中の残骸のような気がする。

思いを強く持つことは大変重要なことだが、既に誰かがどこかでやっている二番煎じのアイデアを猿真似し、バブルの資力に任せて、田舎に場違いの建物を建て、更なる一攫千金を目論むなどという愚かな行為が成功するなど、あるわけが無いではないか。仮にバブル経済がその後も続いていたとしても、これら地域振興策の成功の保証は全く無かったのではないかと思う。

北海道夕張市の財政再建の話は耳に新しいが、昨年現地を訪れた時も、彼の地で最も印象に残った施設は「石炭の歴史村」だけだった。其処にはこの地に暮らした人たちの汗と涙の結晶が浸みこんでいる。しかしそれ以外の施設は、安易な夢の軽率な実現に過ぎなかったのではないかと思われて仕方ない。旗を振った人たちの身勝手な夢が、夕張市の財政を破綻に陥れ、本当に一緒に夢を見たかどうかも判らない多くの住民に、その責めを負わせようとしている。地域振興のあり方は、僻地といわれるようなロケーションにあればあるほど、難しくなるのだとは思うが、より慎重でなければならないのではないか。

現在の地方行政のシステムや発想がどのような様相を呈しているのかは知らないけど、たとえば今朝の報道では、初めに「資金ありき」から地域振興のアイデアが「温泉施設の建設しかない」につながっているのは明らかだ。合併による優遇施策の一環としての国からの支援金(正式に何と呼ぶのか知らない)を、とにかく何としても使おうという意図が最初にあって、そのために不足分の資金を、税金を担保に用意し、とにかく何としてでも温泉施設を造ろうという、行政の本末転倒の発想が見え見えである。

造った後の経営のことを考えなければ、温泉施設を造るということは、地域の活性化に寄与することは明白だ。建設業やそれに付随する事業に、25億の金が潤いをもたらすことは当然である。しかし、造り終えて、第3セクターがその経営に当ったとしても、最初から本当に必要な経営条件が具備されていない状況では、経営が行き詰まるのは時間の問題であり、その経営が破綻したということになれば、或いは破綻しなくても赤字のたれ流しを、市の財政がその後補填し続けるとすれば、これは地域振興などというものではない。

私の考えでは、地域の活性化というのは、地域の人が元気になって、活き活きと仕事に励み、楽しみながら疲れを癒し、それほどリッチでなくても心豊かな人生を送れるということではないかと思う。過疎の地元に外来の人を招き寄せ、銭を落として貰って、村人が元気を出すなどというのは、本物の活性化ではないのではないか。田舎に都会を持って来るなどという発想は、愚の骨頂のように思う。軽井沢のような町も間々あっていいと思うが、日本中が軽井沢になれるはずが無い。温泉を掘り当てれば、温泉街が生まれて人が集まるわけでもなく、最早ありきたりの温泉など大して魅力はないだろうし、自宅でも温泉もどきの湯を体験できる時代なのである。

地域(地方)振興の発想は、地域の人たち自身が自ら活性化に向うことが出来る仕組みをつくることが肝要ではないか。旅くらしの中で元気な地域はこの仕組みがしっかり出来ているようである。

たとえば、愛媛県に内子という町があるが、ここの道の駅に「内子フレッシュパークからり」というのがある。この道の駅は全国どこにもあるような、地元物産の販売場とレストランなどで形成されているが、地元物産の販売場は、全国でも有数の活気がみなぎる売り場となっている。早朝から続々と軽自動車がやって来て、地元の人たちがつくった新鮮な野菜や手づくりの食品、加工品などを運んで来る。8時過ぎのオープン時間には、待ちかねていた客が思い思いの商品を篭に入れてレジに列を作る。日中には観光バスが立ち寄るほどの盛況なのだ。以前TVで放映されたことがあるが、この盛況はきちんとした仕組みによって裏づけられている。農家等生産者と販売者とを結びつける仕組みがあり、それがうまくかみ合うことによって、生産者の意識が販売者を通して消費者に伝わるようになっているのだ。今流で言えば、生産者は消費者から元気を貰って、活き活きと自業に取り組み、消費者は生産者からのベストの商品に感謝・感動を貰っているのである。ここへくると、地元の活性化不足を嘆く雰囲気は無い。確かに若者は少ないが、そのようなことよりも、今、この地を基盤として生活を営む年配者が元気であることが何より大切ではないか。内子のケースは、内子町全体のほんの僅かなエリアの話なのかもしれないが、この活性化は本物だと思う。

ところで、今朝のTVの話だが、温泉に関する第一人者の野口さんが、この温泉の先行き見通しについて、否定的な見解を述べておられたが、私も同感だ。いくらかけ流しだとは言え、30℃にも満たない源泉を沸かして利用するのだから、温泉というよりも鉱泉に近いのではないか。25億円の予算では、温泉の浴槽は男女内湯が2種と露天風呂が一つずつしか作れないのだろうが、この程度であれば、他の入浴施設と変わらず、大して魅力あるとは思えない。又、宿泊施設に朝食付きだけで8千円前後も払って泊る東京近郊からの好事者が年間4千人も居るとは到底思えない。

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地域振興(活性化)に思う(その2)

2007-02-22 00:12:21 | くるま旅くらしの話

しからば、どうすれば人が集まるのだろうか。多摩地方の入浴施設を幾つか廻った経験からは、次の要件を満たせば、他の施設との差別化が実現できると思う。

①広い駐車場を用意すること(1000台規模。一般車の他、キャンピングカー等が宿泊できるAC電源つきの駐車スペースも確保する)

※理由

大東京を控える有利なロケーションにあり、車を使っての来訪者が前提でなければならず、そのためには、駐車場の確保は必須要件である。最低でも500台程度は駐車可でなければならない。平地に一箇所だけで収容するのは不可能なので、幾つかに分けた駐車スペースを確保すれば良いと思う。又、キャンピングカー等を取り上げたのは、一般的なアウトドアスタイルのオートキャンプ場ではなく、あくまでも駐車場の一部を簡易宿泊用として利用する、新しいスタイルのAC電源つきの駐車スペースということであり、この種の駐車スペースの使われ方は、今後の日本国内では、大いに活用される可能性があり、その魁として採りいれる事を奨めたい。

②農産物等の地元物産販売に関しては、生産農家とのしっかりとした仕組みを構築すること(全国に幾つかの成功事例があり、それらに学んで、奥多摩のロケーションを活かした独自の仕組みをつくる)

※理由

野菜等の地場産物の直売は、全国至る所で散見するが、品質や価格面で納得しにくい所が結構多い。これは生産者側に消費者のニーズがどこにあるかが見えていないことによるものと思われる。それを正しい方向に持ってゆくためには、顧客のニーズと生産者の意向とをつなぐ仕組みの構築が必要である。コンピューターの時代であり、先駆者もあるのだから、コンセプトをしっかり描いて、この仕組みづくりを行って取り組むことが肝要である。農家の人びとに対して、ただ作って売ればいいというような発想だけで仕事をして貰わない様な刺激を与え続けることが、活性化につながり、消費者のファンを獲得する源となる。

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地域振興(活性化)に思う(その3)

2007-02-22 00:11:48 | くるま旅くらしの話

③スポーツレクリエーション施設の併設を検討する(林間遊歩道、グラウンド、ジョギングコース、テニスコートなど、手軽に利用出来ることが必須条件)

※理由

 東京人は疲れている。これらの人たちを癒す環境は奥多摩には豊富だ。あきる野のロケーションは、最適ともいえる。癒しの根源を温泉に求めるのであれば、その付帯条件的には、奥多摩の自然環境に直接触れた散策やジョギング、そして入浴の楽しみを備えた、好きなスポーツに汗を流せるという環境整備も有効なのではないか。これらの施設の利用を通して宿泊施設の利用度もアップするに違いない。

いずれにしても実際の青写真はこのレベルではどうにもならないが、基本発想としてこのようなことを考えてみた。現行の計画の中にもこのようなことは取り上げられているのだとは思うが、今日のTVを見た印象では、とにかく何としても施設を造ってしまえば、後は第三セクターとやらに投げれば、それで済むという為政者の態度の感じがしたので、奥多摩を大切に思っている一人として、批判ばかりではなく、思うところを付け足してみた次第である。

(いやはやいつも以上の長文となってしまった。休憩していたはずなのに。失礼)

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暫時休憩します

2007-02-21 08:50:15 | 宵宵妄話

ブログを開始して、20回の投稿となりました。旅も急ぎすぎると、長続きしなくなります。疲れたときには休むことが大切です。というわけで、今週は週末までお休みします。

私のようなタイプのブログは、読まれる方は(書く方もですが)、少し疲れが大きいのではないかと思っています。理屈が多いし、字数も多いですから。もっと文字を少なくして、写真や絵などを入れれば受け易くなるのは承知していますが、それは無理ですねえ。(苦笑)

老人は頑固です。頑固でないのは、可愛い孫娘たちが来た時くらいでしょうか。この時だけは、自分流が崩れてしまいます。孫娘たちが読んでくれるブログなら、もっと優しいトーンで行けると思うのですが、何しろテーマが旅くらしですから。やっぱり自分流を通すことにします。

では、お疲れ様でした。 (馬骨拝)

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出会いについて(2)

2007-02-20 00:10:23 | くるま旅くらしの話

出会いについては、いろいろ考えることがあります。ほんとは考えなくてもいいから、素直に出会いを楽しめばいいのでしょうが、なにしろ生来の理屈屋で頑固者なものですから、自分で自分を止めようとしてもムダなのです。ならば、他人(ひと)様に、なんだかんだ喋らなくてもいいんじゃないかと思うのですが、言いふらすのが好きな性分がどこかにあって、これ又止めるのが難しいのです。

というわけで、今日は出会いの理屈の2回目です。出会いとは何か。これについては拙著「くるま旅くらし心得帖(新風舎刊)」の中でも触れていますが、簡単に言えば、文字通り「出て」「会う」ことが出会いです。どこでもいい、外へ出かけていって、誰かに或いは何かに会うことが出会いという意味になりますが、そのような当たり前の説明では、馬鹿にするな!とお叱りを受けることになってしまうでしょう。

出会いがもたらす感動、それが鎮まったときの癒しの情感などについて深く思い巡らしてみますと、私は本物の出会いというのは、「自分という人間の殻から抜け出し、自分の殻から抜け出した相手と会う」ことではないかと思うのです。それが本当の出会いの要件ではないかと思うのです。

人間は誰でも、自分を守るための殻(から)或いはバリアーを持って生きています。心の安全を保つためのバリアー(心理学的にはデフェンス・メカニズム)が無ければ、人は自分以外の人たちとの係わり合いの世界(=社会=世間)の中で生きて行くことは出来ないと思います。時に善人になり、時に悪人になり、時に嘘をつき、時に大声を上げ、時に寡黙となり、時に超正直者となって懺悔・告白に涙を流す、というように人間の様々な生き様は、全ての個人の中で繰り返される普通の心のデフェンス・メカニズム(=防衛機構)が働くことによるものであり、生きて行くための心の自然の働きだということが出来ます。つまり、人間は誰でも心の中に悪魔と天使を飼っており、対峙する状況に応じてそれを使い分けているのです。

子供の頃、自分は二重人格者ではないか?と悩んだことがありましたが、大人になってから、人間の心のデフェンス・メカニズムという理解を得た時、ようやくその疑問と不安から解放されたのを覚えています。人間は、二重人格者などではなく、多重人格者であり、状況に合わせて千変万化の心の使い分けをしているのだということです。その使い分けの強弱は様々ですが、生きて行くためには、使い分けて行かざるを得ないのです。

さてさて、ここまで超難しげな話となりました。一先ず人間は誰でも自分を守るための殻を持って生きているということを説明したつもりです。心に殻が無いのは無垢の新生児の時くらいのものでしょう。この心のデフェンス・メカニズムは、年を経るごとに次第に堅固なものとなり、我々のような世代ともなれば、最早原爆をぶち込まれてもビクともしないほどのバリアーとなっているに違いありません。そして、人はそのバリアーの中で目を光らせ、安全、安心の品定めをしながら、バリアーを出たり入ったりして行動しているというのが実態だと思います。斯く言う私も、その例に漏れる者ではありません。

さて、本論に戻って、人と人との出会いは、このように自分自身のバリアーを持った者同士が会うことになるわけですが、私が考える本物の出会いというのは、バリアーを外した者同士の交流を意味します。お互い警戒心を抱きながらではなく、用心の殻を脱ぎ捨てて絶対的な信頼関係の中で、心と心が触れ合うことが出来る状況が本物の出会いだと思うのです。

実態としては、出会った瞬間からそのような絶対的信頼を持てるものではなく、そこにたどり着くまでには多少の時間が必要なことは当然です。コミュニケーションを交わす度に、相互の理解度、信頼度が高まってゆき、やがては自分自身の殻などすっかり忘れて話合いや交流が出来る関係を言うのだと思います。これは決して表面的なものではなく、心の深いところでお互い相手を尊敬しあえる、絶対的な信頼関係が基盤となっているものだと思うのです。

この出会いの最も代表的なのが、本来夫婦関係なのだと思いますが、さて、これは少し揺れますね。(笑)

ところで、出会いは全て本物でなければならないかといえば、決してそのようなことはありません。なぜなら出会いには本物はあっても、偽物など無いからです。最初はどのような場合でも、知らない者同士が無防備で交流できるものではありません。どこかに警戒心があるのは当然です。そこから始まって交流を深めてゆく間に次第に自分のバリアーを外し、相手もバリアーを外してくれて、本物に近づいてゆくものだと思うのです。一目惚れのような出会いも無いわけではないと思いますが、まれでありましょう。

時間をかけながら本物の出会いをつくってゆくことが、くるま旅くらしの最大の楽しみです。出会いというのは、旅が終わればそれと一緒に消え去ってしまうものではなく、生涯の宝物として、残された人生を心豊かに過ごす支えとなってくれるに違いないと確信しています。(2.16.2007記)

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