山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

KYジジイ二人旅(信州美ヶ原高原行)

2023-08-09 04:29:30 | くるま旅くらしの話

<第2日>

 朝4時過ぎには目覚めたのですが、寒いので起床は5時過ぎとなりました。お湯を沸かしコーヒーを淹れ、パンを焼いて食べる。老人の朝の食事はそれだけです。野菜を買うのを忘れたので、殺風景なメニューとなりましたが、老人は粗食に耐えることを知っているので大丈夫なのです。

 車の外は人の動きが始まっています。食事を済ませ駐車場の端の方に行ってみると、快晴の空の下に、遠く南アルプスや八ケ岳などの連山を望んで、眼下に真っ白な雲の棚引く雲海が低い山や街の家々などを呑み込んで、大きく大きく広がっていました。久しぶりに見るこの高原ならではの絶景でした。昨夜ここに泊った100人以上もの人たちが、この絶景を感動しながら味わっておられるようでした。脚に少しトラブルを抱えている老友も足を運んで、しばしこの美しい景観を楽しんでいたようです。

 さて、今日の予定なのですが、何も無いのです。とにかく何もせずにボ~っと涼を味わうだけの時間にしようというのが老友同士の約束なのです。日が昇って暫くすると日差しがだんだんと厳しくなってきました。寒かった朝も次第に遠くなり、8時を過ぎると日差しは下界と同じくらいに厳しくなってきました。しかし、車のサイドドアを開放し、バックドアを開けると良く風が通って、寒いくらいなのです。まさにこの涼感をこそ求めてやって来たのです。何もしなくても、この涼感が最大のご馳走であり楽しみなのです。日差しが厳しくなっても、高原の涼風は絶えることなく老人に届いていました。9時過ぎになって、老友は脚のこともあって動かないようなので、私はどうしても野草たちの様子を知りたくなって、老友に断って、その辺を歩いてくることにしました。

 というのも、私には野草観察の趣味があって、全国を旅する中で、各地で見られる野草たちの姿を長年見て来ているのです。美ヶ原高原には、未だ20代の頃で、野草の観察を始めたばかりだったのですが、それでも幾つかの野草たちのことは忘れてはいない筈なのです。何しろ早や50年以上が経ってしまっており、この間ここへ来たのは2~3回ほどで、特に最近は全くご無沙汰なのでした。

 遊歩道を歩くことにして、近くの小さな丘という感じの牛伏山の方まで行ってみることにしました。道の駅よりも少し高くて、牛伏山の標高は1,990mほどの高さです。なだらかな高原の草むらの中に造られた木道を往復30分ほどかけて牛伏山まで行ってきました。

 草むらの中に咲いている花の全てをカメラに収めました。それらのすべての名前を思い出せたのは幸いでした。それらを記すと次のようになります。①アサマフウロ②ウツボグサ③ヤマハハコ④ヤマオダマキ⑤ホタルブクロ⑥マルバダケフキ⑦サラシナショウマ⑧ノアザミ⑨シュロソウ⑩オトギリソウ⑪キリンソウ⑫マツムシソウ⑬コオニユリ、この13種が全てでした。8月の今頃は多くの野草たちの花期を過ぎており、少ないのは止むを得ないことではあります。この中で最も期待していたのが「マツムシソウ」なのです。見られるかどうか心配だったのですが、牛伏山の山頂付近で5株ほど咲いているのを見つけて、嬉しくなり感動しました。この花は、夏の終わり頃に美ヶ原を代表する花なのです。まだ少し早いのかもしれませんが、出会えたのはラッキーでした。50年以上前には、この花は高原を埋めるように淡い紫色の花を咲かせていたのです。最近はどうなっているのかが気になります。

 これらの花の写真で比較的良く撮れたのを紹介します。

シュロソウ(棕櫚草)草叢の中にすくっと葉もなしに立っている。一風変わった野草である。

コオニユリ(小鬼百合)緑一色の草叢の中では赤い色の花は目立った存在だ。良く似たものにクルマユリがあるが、この区別は茎の根元を見ればすぐにわかる。クルマユリには、車のように丸く対生した葉があるが、この花にはない。

マツムシソウ(松虫草) この美ヶ原高原を代表する晩夏(=初秋)の花。50数年間は、この花が草原を埋め尽くしていた。今はめっきり少なくなってしまっているようだ。会えてよかった。

 

 さて、この日は、野草の観察から戻ると、老友と雑談をしながら時間を過ごし、昼食は駐車場の上にある駅舎の2階のレストランに行き、二人共カレーライスを食しました。私は山小屋カレー、老友はカツカレーでした。昼食の後は、私は昼寝。老友は簡単には眠れないとかで、車の中から外の情景などを観察して楽しんでいたようです。寝ていると、そよそよと丁度いい塩梅の涼風が通り抜けて行き、何とも言えないいい気分なのです。眠れない老友を尻目に16時過ぎまで4時間ほど一人快い天国を味わったのでした。

 17時半過ぎに夕食の準備を開始。ここはキャンプ場ではないので、車の外での調理は禁止です。違反しないように注意しながら持参した肉の味噌漬けを焼いて、老友と二人昨日に続いて2度目の乾杯をしました。飲み過ぎると危険なので、飲んだのはビールとそれから冷水にウイスキーを垂らしたものだけでした。それでも酔いが回ってくるといい気分になり、天然クーラーの効いた寝床に横になるのです。そして夜間に3度程連れションをして翌朝を迎えることになるのです。今夜は空を雲が覆って、お月さまは見えず、星も見えませんでした。明け方近くなって少し雲が割れて、星を観ることができました。

 

<第3日>

 雲の多い朝を迎えました。今朝は雲海は無くて遠くに見える高山の連なりの手前に、黒ずんだ下界が見えるだけでした。今日は私もどこへも行かずに老友と二人で終日ボ~として過ごすことにしました。このような時間の過ごし方は二人共不断はあり得ないことなので、一体どういうことになるのか心配と期待が入り交じっていましたが、結果的にはどうってことなく、ただボ~とした時間を味わっただけでした。従って、書くことなどありません。

感想だけをいうなら、ボ~というのも、中にかなりの至福の時間を含んでいるということかな。勿論退屈という奴も入ってはいるのですが。老人にとっては、時には必要な時間なのだなとしみじみ思いました。この日の夕食は、パックのご飯を湯で戻し、レトルトのカレーでしたが、老友の口に適うのか心配でしたが、昨日のレストランのカレーよりも美味いという意外な感想なのでした。レトルトでもバカに出来ないものもあるのだなと思いました。

 又また涼しさを通り越した寒い夜を迎えたのですが、この日は老友の体調が少し崩れたのか、彼の夜間のトイレ行がかなり増えました。寒いので貯蔵のキャパシティ(=容量)が狭まったのかもしれません。朝になった時は、もう大丈夫になっていたので安堵しました。

 

<第4日:最終日>

 

4日目の朝を迎えました。いい天気です。今日の元々の予定は蓼科の方に移動し、そこで1日を過ごして明日帰ることにしていたのですが、蓼科の方はここよりも標高が1,000mは低いので、日中はかなり暑いだろうと考え、折角今まで味わった涼感を壊して帰るのもつまらないなと思い、老友と話をした結果、今日帰ることに決めたのです。3日間下界では決して味わえない天然、大自然の涼感をたっぷり味わえたので、未練はないという思いでした。

 帰りは私の八王子からの帰途を考えて、早めに山を降りて諏訪から高速道を利用することにしました。その様子を書くのは省略します。7時に出発をして、八王子の老友の自宅に着いたのは11時少し前でした。一休みして11時過ぎに出発して、私が自宅に戻ったのは、14時を少し過ぎた頃でした。都心の炎天下の道を低速道と化した道をノロノロと進み、一挙に奈落に向かう時間はまさに耐え難いものでした。やはり都心を通過するのは早朝でなければダメだなとしみじみ思いました。私の自宅を出て戻るまで、3泊4日。全走行597kmの短い旅でした。以上、ジジイ二人旅の短い報告話でした。

※KYとは、近藤、山本という二人のイニシャルのこと。危険予知などではありません。

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KYジジイ二人旅(信州美ヶ原高原行)

2023-08-09 04:05:46 | くるま旅くらしの話

<第1日>

連日の猛暑に手も足も出ず、ただ只管に家の中に籠り人工の冷気に熱中症を避けて惰眠を貪るような毎日が続いています。

 これを何とか脱却できないかとあれこれ思いを巡らした末に、老友を誘って信州の美ヶ原高原に3~4日の避暑の旅にチャレンジすることにしました。高原の夏も暑いのですが、標高が2千メートル近くあれば車の中でもドアを開ければ風が通って下界とは違った涼感を得られるに違いないと考えた次第です。信州にある道の駅:美ヶ原高原は、わが国にある数多い道の駅の中で標高がもっとも高く、1,900mを超えた地点に位置しています。ここを目的地にしました。

 二人共傘寿を超えている老人なので、歩き回ることなどしないで、ただ冷気を味わいながらボーっとしてすごす時間を持とうと考えたのです。

 茨城県県南の守谷市に住む私は、都心を通過しなければならず、八王子市に住む老友の家まで約100km。渋滞を避けるために早朝の5時に出発しました。これは予定通りに走ることが出来て、老友の家には90分ほどで到着しました。それから身の回りの荷物を積んで、出発したのは7時丁度。

 ここからは運転上手の老友がハンドルを握って、」高速道は使わずに一般道を行くことにして、国道20号〈甲州街道〉に入り、ゆっくりと走ることにしました。途中幾つかある道の駅で休憩をとりながら諏訪市まで行き、そこから高原への急坂を上って霧ヶ峰高原を経由して目的地の美ヶ原を目指すという行程です。

 二人共これら信州の高原へ行ったことはあるのですが、何しろもう50年以上も昔のことなので、今頃はどうなっているのか見当もつかず、浦島太郎の様な心境なのでした。

 車の両脇に続いている甲州街道の移りゆく景色を見ながら、二人それぞれの昔の思い出話は尽きることなく続きました。最初の休憩は笹子トンネルを潜った近くにある道の駅:甲斐大和でした。ここには山梨県特産の果物の桃やブドウなどが沢山並んで販売されており、それがかなり安い価格なので、老友は早速好物の桃をゲットしていました。私も食べたい気持ちは変わらないのですが、糖尿病には果糖は禁物なので我慢を通すことにしました。

 そのあとは、甲府市郊外の町などを幾つか通過して、10時半過ぎに道の駅:はくしゅうに立ち寄りました。白州町は名水の町で、甲斐駒ケ岳を源流とする尾白川の傍には、サントリーの白州蒸留所がありますし、道の駅の構内にも名水の汲み場が用意されています。なかなか人気のある道の駅で、夏休みとあって、親子連れが目立つ駐車場風景でした。ここで自分達も持参して来たポリタンに6Lほど水を汲んで山へ持って行くことにしました。

 暫く休憩の後出発して、次は昼食休憩することにして、道の駅:こぶちさわを目指すことにしました。国道20号を少し走って山の方に右折してしばらく行くと、道の駅に到着しました。この辺りの標高はせいぜい300~400mくらいなのでしょう、猛烈な直射日光が照りつけていて、建物の中にある食堂までの僅かな距離を歩くのもしんどい暑さでした。中に入って、蕎麦をオーダーして食べました。信州は蕎麦の名所ですが、この辺りは本場には遠くて、味などは今一の感じでした。

 昼食を済ませて、12時過ぎに道の駅を出発。来た道を甲州街道まで戻って、諏訪市方面へしばらく走って、上諏訪の辺りで給油。山に入ってからの給油は難しくなるので、念のため満タンにしました。このところガソリンの価格が急上昇しており、問題を感じていますが、この地の価格は185円/Lでした。店の人と、高いのは問題だ、などと話していたら、2円オマケしてくれました。取り敢えずラッキー?。

 その後は上諏訪市内に入り、「元町」という交差点を右折して霧ヶ峰に向かいました。ここは、50年以上前に汽車で来て、霧ヶ峰に行くバスを待っていた場所で、近くに造り酒屋などがあり、古い記憶でも消えることはないのです。往時は退屈な待ち時間を持て余していたのですが、50年以上を経た今は、自家製キャンピングカーで坂を上るなんて、隔世の感があるなあと思いながら、老友とあれこれ思い出を語りながら霧ヶ峰に向かいました。

 坂を登り終え、霧ヶ峰のキャンプ場やスキー場脇を通ってビーナスラインと呼ばれる道路に入り、美ヶ原高原に向かいました。この道の両側には白樺やカラマツなどの樹木の林が続いていました。上り下りも多くカーブ又カーブの続く道を40分以上走ることになりました。所々道脇に白い花を咲かせている木があり、見ればそれはサビタの花なのでした。サビタはアイヌ語で、和名はノリウツギというのです。アジサイと同じ仲間の灌木です。北海道に多い木ですが、この辺りにも多く見られるのだなと思いました。

美ヶ原への最後の坂道を上る頃になって、空が暗くなり出し、雨と一緒に雹(ひよう)が落ちて来ました。粒も大きくて天井に当るとかなりの衝撃音がしました。直ぐに止んだので助かりました。余りにも暑かったので、山の天気が急変したようです。そのような中を少し走ると、樹木の無い草原地帯となり、間もなく目的地の道の駅:美ヶ原高原に到着しました。

この頃から雨降りが本格化し出し、到着後は、慌てて道の駅の建物の中に飛び込みました。その後は豪雨となり雷鳴も轟いて、今までの暑さは一気にどこかへ消し飛んで、とんでもない歓迎の時間となったのです。とにかくここに泊らなければならないので、小止みになった時を見計らって野菜鍋をつくって夕食を済ませ、早めに寝床に入って雨が止むのを待つことになりました。

 一眠りして22時頃にトイレに行こうとすると、雨はすっかり上がって、空には満月と思しき月が煌煌と輝いていて、懐中電灯などは全く不要の夜となっていました。晴れたら星が見えるかと老友は大いに期待していたのですが、月が余りに明るいため、星の光が薄れてしまってハッキリ見ることができずガッカリなのでした。外に出るとさすがに高原の夜は寒くて、気温は15℃を下回っているようです。寝床に潜り込んで暖を求めることになりました。老人は昼夜を問わずトイレの要請が多く、夜間でも容赦なく3回ほどは寒さを味わわされたのでした。(以下続く)

※KYとは、ジジイ二人のイニシャルです。危険予知などではありません。

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