山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

九州・山陰他エリアくるま旅でこぼこ日記:第20日

2010-04-30 02:16:39 | くるま旅くらしの話

※再び6年前の旅の記録の連載を続けることにします。

 

第20日:12月06日(月)

行程:あかねの郷温泉~道の駅:国東~宇佐神宮~道の駅:耶馬トピア~西谷温泉~道の駅:耶馬トピア〔泊〕 <158km>

旅も半ばを過ぎて、そろそろ帰途を考えなければならない。国東巡りはまだ不十分だけど、ここはやはり春の季節の方がよさそうだ。今回は下見としてざっと廻るだけにしよう。今日は海岸線に沿って半島を一周し、宇佐神宮に参詣することに決めて出発。国見町を海に向って下り、海岸線をゆっくり走る。途中郵便局に立寄り資金を補充。人のいない海水浴場で孫向けの貝殻(可愛いい孫娘が二人居る)などを拾ったりしながら、道の駅国東にて小休止。その後も引き続き海岸線を廻って、杵築から日出へ出てR10を右折して宇佐方面へ。12時半過ぎ宇佐神宮へ到着。ここでゆっくり参拝するつもり。

先ずは空腹を満たす必要がある。食堂に入ってだご汁定食を食べる。これで2度目か。だんだん上品な味になるようだ。腹を満たしてから参拝に。宇佐神宮には2、3回来ているはずなのだが、あまり良く覚えていない。朱色の派手な建物が目立つ所だったくらいの記憶しかない。もともといい加減な信仰心しかないので、まじめに覚えようとしないのだから仕方ない。しかしだんだん歳をとってくると、若いときよりは一瞬だけど参拝の気持ちが厳粛になることがある。大げさに言えば、手を合わせた時に、生きていることへの感謝の気持ちのようなものを、神様というものに対して何やら報告したくなるようなのだ。何故なのかは分からない。神様の対象は不問なのである。そんなことを言うと、宇佐の祭神に対して不敬であることは承知しているのだが、本心なのだから仕方ない。

   

宇佐神宮参道入口の大鳥居。この日は快晴の天気で、青空に映える朱色が一際(ひときわ)鮮やかだった。

広い境内の中をゆっくり時間をかけて散策した。全ての神社はイヤシロチ(癒代地?)である。つまり心癒される土地である。これは風水の考え方らしい。というのを何かの本で読んだ気がする。どのような神社にも樹木が植えてあり、社を包み守っている。宇佐神宮はイチイガシとクスノキの常緑広葉樹林が神域を包み、これらは国指定の天然記念物となっている。派手な社殿に心奪われるけど、この落ち着いた樹木の空間の方がずーっと心癒される感じがする。所々にまだ残っている楓などの紅葉が季節の証を示していた。

   

豊かな緑の森に囲まれて、幾つもの社殿が点在している。これは下宮の社殿。宇佐神宮は、全国4万余ある八幡社の総本宮であり、伊勢神宮に次ぐ皇室の宗廟(そうびょう)である。

2時間ほどで車に戻り、今日は耶馬溪辺りで泊ろうと考え出発。そのまま直行してもつまらないので、来る途中に見た宇佐風土記の丘という案内板が気になっていたのでそこへ行ってみることにした。ところが着いてみると、今日は休みだという。それでは中津を廻って見ようと、海側の県道を中津に向う。福沢諭吉の住いや中津城を見るのもいいなと思いながら街に入ったのだが、道を間違えたらしくて、妙に住宅がごちゃごちゃした細い道に入ってしまい、お城も諭吉さん旧居宅もさっぱり分からない。それほど広い街とも思えないが、なかなか抜け出せなくて訪問を諦める。

ようやく悪魔の細道から抜け出てR212を山国川に沿って進み、菊池寛の「恩讐の彼方に」で有名な青の洞門を通り越し、左折してR500に入るとすぐに道の駅耶馬トピアがあった。ここに泊るのもいいけど、もっと良い所がないかと案内資料などを見ていると、少し先に西谷温泉というのがある。そこへ行ってみようと、少し暗くなりかけた中をすぐに出発する。15分ほどで到着。いい所なのだが駐車場が狭い。受付で聞いたら、車中泊はダメとのこと。残念。風呂に入って、先ほどの道の駅まで戻り、そこに泊ることになった。

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小さな旅:滝桜を見に行く(2)

2010-04-29 02:18:48 | くるま旅くらしの話

次の日、朝目覚めて外を見てみましたら、昨夜寝る時には未だたくさん並んでいた車は殆どいなくなっていて、広大な駐車場には僅かに30台ほどが点在している状況でした。今日も快晴の青空が広がっていました。今日は午前中この辺りでゆっくり過した後、午後には矢吹町に在住のIさんご夫妻を訪ねる予定です。そして久しぶりに一杯やりながら歓談するつもりでいます。

軽い朝食のあと、もう一度今年の滝桜の見納めをしてから出発することにしました。駐車場の奥の方に車を止めてありますので、滝桜まではかなりの距離があるのですが、8時近くの時刻でも新しい観光客の車は列を作って並んでいます。たった一本の大樹の持つもの凄い集客力です。滝桜の花はまだまだ観賞に十二分に耐える状況にあり、恐らくあと数日は大丈夫ではないかと思いました。昨日までが桜まつりの期間だったようで、昨日は観桜料として300円が必要だったのですが、今日からは無料ということで、真にありがたいことです。

膨らみ出した人ごみの中を歩いて、坂道をしばらく行くと、再び滝桜の優雅な姿が現れました。昨日は暗くなり出してから後の眺めでしたが、今日は真っ青な空の下での艶姿です。少し白っぽくなっているのは、満開も峠を越したということなのかも知れません。それにしても、何度見ても、どこから見ても飽きの来ない眺めです。滝桜を取り巻く小路を一回りしたあと、上の丘に登って、もう一度周辺を見渡しました。

   

今年の見納めの滝桜。青空にまさに滝のように枝垂れる花が美しい。

いヤア、三春の春は至る所に花が咲きこぼれています。三春という名も、春の時を同じくして梅も桃も桜も一斉に開花するということに由来していると聞きましたが、真に当を得た命名だというのを実感します。この春の代表的な花のほかにも、レンギョウや菜の花の黄色、花海棠や木瓜の花なども見ることができ、今頃の三春には百花繚乱の夢天国の風情があります。丘の上からは遙か遠くに雪を冠した飯豊連峰が望まれ、少し目を左に向けるとあれは那須連山なのかやはり大きな山の連なりが望見されます。大きな景色をこともなげに見ることができる素晴らしさを持つこの地に住む人たちをちょっぴり羨ましく思いました。

   

三春の里の風景。様々な花に囲まれて、青空の下に時間がゆっくり流れて行くのを実感できる。

それにしても三春の桜の数の何と多いことか!公園などは勿論ですが、民家の庭先には当たり前のように滝桜と同じ仲間の枝垂れ桜の大木が点在していますし、野山の中にも山桜などの大木が無数といって良いほど点在しています。日本で一番桜の名木が多いのは福島県だと聞いていますが、このあたりがその中心地であり、桜の生育と生命維持には最も恵まれた環境の中にあるのかも知れません。

ところで、桜と梅と桃とは春の花の代表ですが、この中で桜だけが人間の手を借りずに自在にその子孫を増やしているように思えます。梅や桃は、野山に自在に子孫を増やすことは困難なようです。そのことに気づいたのは、数年前のことですが、桜の生存戦略だけが突出しているのは、実のつけ方にあるようです。樹は大きくても桜の実は小さくて、小鳥たちの好物になっているようで、彼女たちが野山に自在にその種を運んでくれていることが、桜の存在を際立たせていると気づきました。梅や桃は、実が大きすぎてこれを呑み込んで運ぶにはよほど大型の動物でないとできないことのようです。今頃は大型の動物が付近の野山を自在に闊歩するなどということは許されませんので、結果としては人間の身勝手な要求にしたがって子孫を増やすしか手立てが無いことになってしまったに違いありません。桜というのは賢い樹木なのかも知れません。

そのようなことを考えながら、滝桜に別れを告げ車に戻って出発したときは、10時近くなっていました。先ずは、三春ダムに塞き止められてできている、その名もさくら湖という湖の周辺をぶらりと覗き廻ることにしました。三春の里農業公園という所へ行こうとしたのですが、道が判らず(ナビなしで、地図にも表記されていない)、途中で諦めて、さくら公園というのがあるので、そこへ行ってみることにしました。これは迷わず着くことが出来ました。

さくら公園は三春ダム近くにあって、湖を見下ろす小さな丘の連なりの中に散策路が造られており、その周辺には数多くの桜が植えられ、本数だけではなくその種類も多く、開花時期の現在は、それは見事な花の世界でした。滝桜のような一本桜ではないのですが、大樹でなくても桜の花の美しさは変わりません。ソメイヨシノも寒緋桜もオオヤマザクラも八重桜も皆一緒に揃って咲いているのですから、実に不思議な感じがします。このような世界は守谷では絶対に見ることができません。今頃寒緋桜やソメイヨシノを見るなんて、信じられない感慨です。感動しながらの観桜でした。

急な坂を下りて、湖近くまで行って見ると、丘の中腹にたくさんのカタクリの花が咲いていました。我が家のカタクリはたった1本しかなく、今年は花はお休みだったようですが、ここには無数の花が点在しています。そのカタクリの群落から少し離れた所に、不思議なものを発見しました。

倒木があって、それを去年蔓延(はびこ)った雑草や蔓などの枯れた一団が、まるで蜘蛛が獲物を包んだように覆い被さっていたのですが、よく見るとその木はオオヤマザクラらしい桜の木で、それが何と!その枯れた雑草たちに包まれた下で、満開の花を咲かせていたのです。いヤア、驚きました。根元がむき出しになって、湖に向かって倒れているのですが、命を失ったのではなく、どっこい生きているのです。桜のこのような姿を初めて見ました。感動しました。

一時、ど根性野菜などというものが話題になったことがありました。去年秋の山陽道行では、相生の道の駅で、ど根性大根の話を聞きました。コンクリートだったかアスファルトだったか、舗装の割れ目に芽生えた大根が、それを割り破って大きく育ったのをが評判となり、その逞しい生命力を讃えた人たちが、それをど根性大根と呼んだという話です。その相生の道の駅では、同じ名前つけた酒が売られており、それを1本買ったのを覚えています。

この桜の木には、それ以上の感動を覚えました。もしかしたらこの姿を見たのは、私たちだけだったかもしれません。普通の観光客の人たちは、皆さん楽な道を選ばれますので、湖の際(きわ)の方まで降りてくる人は少なく、まさか倒木に花が咲いているなんで、思いも寄らないのではないかと思います。家内には、急な坂の上り下りは少しきつかったかと思いますが、この桜の木から貰ったパワーはそれを補填して余りあるのではないかと思いました。この桜の生命力溢れる姿は、今年の桜見物の中では、際立って印象に残るものでした。来年も頑張って花を咲かせて欲しいなと、心から願っています。ど根性桜がんばれ!

   

ど根性桜の痛ましくも逞しい姿。上方は湖であり、吹き降ろす強風で湖の方向に向かって倒れたらしい。緑の草の生えている右のあたりが株元。満開の桜には枯れ草や蔓が蜘蛛の巣のように巻きついていて、傍に近づいて見ないと、その存在に気づかないほどである。今度来た時には、せめて雑草類を取り除いてあげたいなと思った。

さくら公園を十二分に楽しんだ後は、少し早いけどIさんの所に向かうことにしました。矢吹町は福島県の中通りの県南に位置しており、白河市に隣接しています。三春からは郡山経由で行くことにしました。郡山市内でR4に入り、あとは道なりに南下すれば矢吹町に至ります。途中で久しぶりに外食などをした後、矢吹町に入ったのは、13時少し過ぎた頃でした。Iさんのお宅をお邪魔する前に、この町の中畑という所(もとプロ野球巨人軍の中畑選手は矢吹町のこの辺の出身です)にある、陣屋の二本カヤというのを見ようと向かいました。

最近は巨樹や名木を訪ねることも旅に加えようと、そのリストなどを整理し始めているのですが、偶々矢吹町にはこの名が載っていましたので、訪ねるいい機会だったのです。カヤというのは、榧の木のことで、将棋盤や碁盤などに使われることでも有名です。この大木が昔の陣屋跡に2本残っているというので、是非見たいものだと勇んでいったのですが、ナビなしの辛さで、その場所を見つけることが出来ず、空振りとなったまま諦めてIさん宅に向かうことになったのでした。(この樹には、翌朝歩いて面会してきました)

   

朝、Iさん宅から往復10kmくらいを歩いて、陣屋の二本カヤに会ってきました。樹齢400年ほどだそうですが、滝桜に比べればまだまだ若木のような気がしました。あと千年以上生きながらえて欲しいものです。

さて、Iさんご夫妻とのそれからのことについては、これはもう私たちだけの話ですから、今日はここまでで終わりです。

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小さな旅:滝桜を見に行く(1)

2010-04-28 07:46:30 | くるま旅くらしの話

〔九州・山陰他エリアの旅でこぼこ日記の掲載を少し先に延ばして、小さな旅の続きとして、25~27日にかけて福島県は三春の滝桜を見がてら、知人宅を訪問して来ました時のことを書くことにします。〕

我が家の馬骨桜が初めて花をつけたという話を前記しましたが、この花を見ながら、どうしても滝桜に会いに行きたい気持ちが高まって、それを決行しました。実は家内の術後の経過のこともあり、旅車での泊りがけでの旅は、しばらく我慢することにしていたのですが、その後の経過も順調で、短期間の旅なら却ってリハビリにもなるだろうと、本人もその気になってくれていましたので、花を見れば余計に元気が出るだろうと考えたのでした。

滝桜行を思いついたのは、我が家の初めての桜の花を見ながら22日のことでした。今年は寒暖の入れ替わりが激しく、5月が近づいているのに、なかなか気候は安定しません。その所為もあって桜の開花から葉桜までの期間も随分と変則的なものとなっているようです。概ね、観桜には有利となっているようで、いくら天候不順でも、せめて一つくらいは我々に恵みを与えてくれるということなのでしょう。

と言うわけで、滝桜も開花の宣言を聞いてからいつもよりは長い期間咲き続けてくれているようです。何しろ咲き始めた途端に雪化粧を強いられたというのですから、人間だけではなく、千年余の時を経て千年余回の春を迎えている滝桜本体にとっても、ちょっとした驚きだったのではないかと思います。ご老体(否、滝桜に限ってはそれは失礼な言い方かも知れません)には、厳しい春の巡り会わせとなっていなければ良いがと、ちょっぴり老体が何かを感ずるようになった馬骨にも気になるところです。

行くと決めたら直ぐにでも飛んで行きたいというのが、私の性向なのですが、家内の体調のことを考えると、なるべく短い時間で行ける方がベターであろうと、いつもならあまり利用しない高速道を使うことにしました。また、天気予報では週末が良い天気に恵まれるということですが、恐らく猛烈な混雑と渋滞が予想されますので、それらが少し解消されるであろう日曜日に行くことに決めました。その日は磐越道の船引・三春IC近くにある阿武隈高原SAに泊って、翌早朝5時頃に行けば駐車場も大丈夫だろうという計算です。滝桜の見物には、いつもそのような方法を取っていますので、今回もそうすることにしました。

午後2時半過ぎ出発。東京方面への常磐道は少し混んでいる感じがしましたが、反対方向は極めて空いていて、左のレーンを独り占めしながらの走行が続きました。スピードは出すなという家内の要請で、90kmを限度としての運転でした。走っている車が少ないので、せかされることも無く、いい天気の中に広がる新緑の香りを目で味わいながらの走りでした。流れは順調です。

磐越道に入る少し手前では、何と昔オート三輪車と呼んでいたトラック仕様のクラシックカー(?)に追い越されてびっくりするというハプニングも経験しました。立ち寄った湯の岳PAで、その車の方と会うことが出来、直ぐ傍にマークⅡの初代のクーペ風の車やスカイラインの初期のバンタイプの車も止っていて、訊けば皆さんどこかで同好の方の集まりがあっての帰りだとか、道理で忘れていた車が走って訳です。これらの話の殆どは、勿論家内中心に取り交わされた結果であります。

   

今では懐かしいオート三輪車。展示してあるのは時々見かけることがあるけど、現役で走っているのは珍しい。軽く追い越されたのには、本当にびっくりした。

いわきJCTから磐越道に入りました。ここからは上り坂が続いて、次第に標高が上がってゆきます。それは周囲の景色が少しずつ変わって、今まで見られた新緑が少なくなり出したことで分ります。阿武隈高原SAが近くなった頃には、道の周りの景色は殆ど冬といっていいほどのもので、ようやく雑木たちの芽吹きの準備が始まろうという感じでした。

実は先ほどから阿武隈高原SAで今夜泊るのは止めにして、思い切って滝桜の傍の駐車場まで入ってしまって、そこに泊まることにしよう、もしダメなときには近くにある三春の里農業公園というのに行こうか、などと思案していたのですが、家内に話すと賛同を得ましたので、たちまち予定を変更して、船引三春ICまで行きそこから出て滝桜方面に向かったのでした。

結果的にはこれが大成功で、何とその夜はライトアップが実行された今年最後の夜だったのです。駐車場が夜になっているのにものすごい混みようで、これほどに滝桜の人気は凄まじいものだったのかと驚いてのですが、その実は急に決まった昨夜と今夜のライトアップされた桜を観ようという人たちで溢れていたのでした。車を止められるのかと心配しましたが、奥のダム湖近くにはまだ余裕があり、その心配は不要でした。

車を止めてしまえば、もうこっちのものです。旅車はモーターホームでもあり、宿付ですから、寝るのも食事もトイレも自在で、何の心配も要りません。一般的にはキャンピングカーと呼ばれていますが、これは悪い・無駄なイメージの呼び方だと思います。この業界では、モーターホームという呼び方を公式のものとすべきではないかと私は思っています。キャンプに使っても一向に差支えありませんが、アウトドア専用のようなイメージよりも旅の動く宿というイメージの方が、世の中の納得性が高いように思うからです。ま、そのようなことは滝桜見物とは係わりのないことです。

お茶を一杯飲んだあと、早速黄昏の滝桜を見に出かけました。ライトアップは19時から21時までです。19時少し前の空は快晴で、あと数日で望月(=満月)を迎えようとする膨らんだ月が、輝きを増していました。大変な人ごみの中を縫って、観桜料300円也を払って滝桜に近付きます。何度も見ている滝桜ですが、この観る少し前の緊張感には何ともいえないものがあります。そしてご対面!!。感動の一瞬です。実に、実に、今年も堂々たる咲きっぷりでした。大勢の人たちの感嘆のため息が、滝桜を包む小さな窪地を膨らましています。いやあ、素晴らしい。何度来ても、何度見ても素晴らしい。いよ~つ!、滝桜日本一!です。

私も何本かの全国の桜の名木と呼ばれるものを見ていますが、それぞれに味わいがあり、皆日本一に相応しいと思っていますが、その中でも声を挙げて日本一!と呼びたいのがこの滝桜です。樹勢、風格、花の優しさ、バランス、等々様々な観桜の評価基準があるのだと思いますが、それらのどれ一つとってもこの滝桜には欠けるものが少ないように思うのです。

私たちが初めて滝桜を訪ねたのは、花の時期ではなく花が終ってしばらく経った葉桜の時期でした。その時この桜の大樹は、つやつやと輝く濃緑の葉を体一杯に繁らせて私たちを迎えてくれました。それはこの樹の強烈な生命力を、胸を張って表現しているように見えました。その姿に息を呑むほど感動したのを思い出します。そして、その後の花を咲かせている優しさ。生命力の最高の表現が花を咲かせることにあるのだということを、そしてこの樹のその花の素晴らしさ。

そのような思い出をなぞりながら、暮れてゆく空の下の滝桜の周りをゆっくりと巡りながら、カメラのシャッターを何度も押しました。ライトアップがその真価を発揮するのはもっと遅くなってからだと考え、一先ず車に戻って夕食にしました。ご飯を炊いて食事が出来るのも旅車ならでのありがたさです。

   

黄昏時の滝桜。ライトアップが開始された直後辺りの時刻だったけど、まだ空の光も少し残っており、明るい光とは少し違った風情がある。

20時近く、再び観桜へ。夜桜を見る機会は何度かありましたが、滝桜のそれはもちろん初めてのことです。相変わらずの人混みで、今年最後のチャンスを逃さないようにと押しかける善男善女のパワーは、いやはや大変なものです。そして暗闇に浮かぶ滝桜の姿は、いやあ、大勢の人びとを魅了する千両役者を遙かに凌ぐものでした。薄紅色の巨大な雪洞が丘の窪地に灯っているという、真に幻想的な世界がそこにありました。カメラの方は三脚無しで撮るのはやっぱり無理で、安いデジカメでは撮った写真は全て正体不明のぼんやりとした灯りとなってしまい、滝桜には申しわけない次第です。

   

ライトアップ後の幻想の滝桜。三脚無しの撮影のため、はっきりしないのが残念だが、逆に雪洞のようでそれなりの味わいもある。(負け惜しみ)

とにかく感動のしっ放しで、もう一度桜の周りを廻って、十二分に今年の願いを満たして、車に戻ったのでした

(今日はここまでで、明日に続きます)

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馬骨桜咲く!

2010-04-25 03:48:27 | 宵宵妄話

守谷に越してきてから間もなく満6年を迎えます。只今連載中の九州・山陰エリアの旅は、丁度越してきた年の晩秋にかけての旅でした。この6年間の世の中の移り変わりは激しく、予想もしなかった不況の連鎖が断ち切れずに続いています。気がつけば我が身は老化には逆らえず、あと何回春を迎えられるのか、桜の花を何回愛でることが出来るのかなどと思いつつ、大して無理もしていないのになかなか痛みが消えてくれない腰をさすりながら、庭や畑の除草などに勤しむこの頃です。

今日は桜の話をしたいと思います。我が家の庭の真ん中には、5年前の春の旅で、秋田県の阿仁町(今は北秋田市阿仁町)から連れて来たオオヤマザクラの木が一本植えてあります。毎年東北の春を訪ねているうちに、オオヤマザクラがすっかり好きになり、庭のある生活を始めるときには、是非とも庭のど真ん中にこれを植えたいと考えていました。山桜は、葉が先に出るということで、ソメイヨシノなどと比べて花が目立たない感じがしますが、その分花に落ち着きがあるように思います。オオヤマザクラは普通の山桜よりも花の色が濃くて、楚々たる濃艶さ(このような表現が適切かどうかわかりませんが)を覚えます。山道を通っていて、思いもかけずその花に出合ったときには、通過してしまうのが勿体なくて、思わず車を停めて花に見入ってしまうほど、魅力を感ずるのです。

その苗木が欲しくて、守谷に越して以来、近隣の植木屋さんやホームセンターなどを万遍なく見て廻りましたが、どこにも思った苗は置いてありませんでした。それで、東北の旅に出かければどこかに必ずそれがあるだろうと考え、引っ越してきた翌年の春に、思いを込めて旅に出たのでした。ところが東北のどこの店に立ち寄っても、置いてあるのは枝垂れ桜やソメイヨシノの苗木などで、目当てのオオヤマザクラは見つからなかったのです。

諦めかけて、阿仁町の郊外を走っている時に植木屋さんを見かけて、一度通り過ぎたのですが、もしかしたら?と何故か気になり、珍しいことに引き返して、そこで訊いて見たのでした。かなり大きな苗木屋さんで、杉の苗などを大量に育てていたようでした。桜などは見当たらず、やっぱりダメなのかなと思ったのでしたが、何と、あるというのです。オオヤマザクラですよ、と念を押したのですが、勿論ビクともしない大丈夫の返事でした。いヤア、嬉しかったですね。案内して頂いた場所にはいろいろな苗木がありましたが、その中に細くてか弱そうな小さな桜の苗木が何本かあり、それがオオヤマザクラだということでした。値段を訊くと何と1本たったの500円というのです。10本くらい買ってしまいたいと思いましたが、植える場所がありません。庭に1本だけ植えて、あと3本を田舎の畑に植えようと計4本を買いました。

旅から戻って、早速庭の真ん中に選んだ1本を植えました。幹の太さが直径2cmほどの細さで、高さも1m足らずの小さな苗でした。無事に育ってくれるか、大丈夫かなと心配もありましたが、その後順調に生育を続けてくれていて、5年後の現在では幹周りが30cmを超え、樹高も4mを超える大きさとなりました。狭い庭ですので、このまま伸び続けると近い将来大ごととなる可能性も有ります。

普通の賢い家では、庭に桜の木を、しかもオオヤマザクラなどを植える人はいないと思います。農家ならまだしも、都市化されている住宅地では、桜などを植えれば、葉は散らかるわ、虫は集まるわで、近所迷惑の大ごとになるのは必定と考えるのだと思います。1本の樹木すらも植えず、芝生に鉢植えを並べるという家も多いようです。それはそれで、合理的な暮らし方だと思います。批判する気持ちなど少しもありません。

でも私の場合は、植物が大好きで、樹木も大好きなのです。どんなに手入れが大変であろうと、自分が生きて面倒を見ることが出来る間は、樹木や野草や花たちとは、できる限り自然のままで付き合ってゆきたいと思っています。20坪にも満たない庭ですが、10本以上の大小さまざまな樹木が植えてあり、野草も何種類か招来しています。それでも招かれざる客(=雑草たち)があっという間に蔓延って広がるので、それを退治するのが、私の専門の役割となっています。

さて、何故庭に桜なのかといえば、これには大きな夢がかかっているのです。花の宴というのをやってみたい。それが夢なのです。花見の宴ではなく、花の宴なのです。これは桜でなければならず、どこかへ出かけていって宴をするのでもなく、我が家の庭で(出来るならば)緋毛氈などを敷いて、そこに春の山菜の肴などを並べて、親しき友と桜を愛でながら、一献を交わしたいのです。他愛ないように思われるかもしれませんが、馬骨の見る夢とはそのようなものなのです。その夢の実現のためにオオヤマザクラを捜し求め、植えてようやく今年に至ったのでした。

ところがです、この桜が何時までたっても一輪の花も咲かせてくれません。他所の家(農家など)の桜の木は、小さくても立派にたくさんの花を咲かせているのに、我が家の桜は来る年も来る年も葉っぱばかりなのです。もう4mを超える高さなのに、です。このままで行けば、花の宴を催す前に、私も友もあの世に行ってしまいそうです。

何時まで経っても花を咲かせないこの桜を、思いあぐねて「馬骨桜」と呼ぶことにしました。馬骨などと言う呼び名は、ある種の狷介(けんかい)な性格を内包していることに気づかれると思いますが、狷介さを持つ人の多くは、世にいう出世や成り上る可能性の少ないケースが多いようですし、私自身もそのことを自認しています。言い換えれば花の咲かない人生といったところでしょうか。花の咲かない馬骨桜は、正にそれに相応しい植え主に出会ってしまったということかも知れません。

というようなことで、今年もダメかと諦めていたのですが、今朝(4/22)「もしかしたら、あれは花では?」と家内が騒ぐので、見てみましたら、たくさんの葉っぱに混ざって、花らしきものがみえるではありませんか!確認しようと双眼鏡を取り出して覗いてみましたら、おお!間違いなく花なのでした。桜は五弁です。五弁の花びらが薄く紅色に染まって付いていました。いやあ、感動しました。これは何と呼べば良いのか、処女花とでも言うのでしょうか。嬉しい限りです。馬骨桜などと呼んだのは、ちょっぴり申し訳なかったような気分になりました。馬骨の方は70年近く経っても一向に花を咲かせていませんが、この木は10年足らずで花を咲かせたのですから、立派です。比較になりません。

さて、とは言っても花の宴までにはもう少し時間がかかるようです。只今確認できるのはたった3個の花弁だけなのです。これでは盃に花びらを浮かべるのは無理というものです。来年か、再来年になるのか、生きている間にどうやら1回くらいは夢の実現が叶いそうです。

「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」は、西行法師の名歌の一つですが、夢が叶った後には、更にもう一つ欲張って、この花の下でPPK(ピン・ピン・コロリ)といきたいものです。

ブログを続けている限りは、恐らくこれからもこの季節になると、この桜の話が出てくることになるのではないかと思います。

   

初めて開花したオオヤマザクラの花。園芸種の桜よりも花びらの色が薄くて、思ったとおりの楚々たる風情を湛えていた。嬉しいの一言です。3m近い梯子をかけて、おっかなびっくりの撮影でした。

 

 

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九州・山陰他エリアくるま旅でこぼこ日記:第19日

2010-04-24 04:52:23 | くるま旅くらしの話

〔これは6年前の記録です〕 

第19日:12月05日(日)

行程:山香町里の駅:風の郷~熊野磨崖仏~真木大堂~冨貴寺~長安寺~両子寺~あかねの郷温泉〔泊〕  <45km>

人騒がせな一夜が明けると、何と快晴のいい天気だ。昨夜は九州よりもむしろ関東地区に大風が吹いたらしく、千葉や都心では風速30mを超えるほどだったというニュースを聞いた。それなのに何人かから心配のメールを頂いたのは嬉しい。ありがとうございました。遠く離れていても自由に交信が可能な時代に生きていられることは幸せである。

今日から国東半島を廻ることにしているのだが、実は何を訪ね、どこを回るかについては何も決めておらず、よく分からないのである。昔熊野の磨崖仏と真木大堂だけは訪ねたことがあるが、大忙しだったのでよく覚えていない。里の駅の案内パンフレットなどを見て、やはりお寺や石仏など国東は御仏巡礼の里かなと思った。それで思いつくままにお寺などを見て歩くことにした。

先ずは近くにある熊野磨崖仏を訪ねることにする。5分で駐車場へ到着。ここは昔買いたてのビデオカメラを肩に担いで(当時はハンディタイプなどなく、今から見ればバカでっかい機材だった。子供のたちの姿をVTRに納めようと考え大枚をはたいて、思い切って1セットを購入したのだった)、充分に充電した筈のバッテリーだったのに、長い坂を登って磨崖仏を撮りかけていたら2分足らずでバッテリーがなくなって撮影不能になり、悔しいやらがっかりするやらの思いをしたことだけを覚えている。さて、今日は大丈夫かな? 今は動画はやらないことにしており、専らデジカメだけである。

昔のことを思い出しつつ坂道を登り、急な古い石段をゆっくり登ってゆくと2体の磨崖仏があった。昔のまんまだったが、大日如来像の方は何か黄色いペンキのようなものがお顔にかかっているようで、心配した。しかしその表情はペンキをかけられようと何をされようと微塵の揺るぎもない深い深い想いの中にあるように見えた。

   

熊野磨崖仏:大日如来。お顔の所々が黄色っぽく汚れているのが残念である。

ここの不動明王は実に優しい、親しみ易い表情をしておられ、とてもあの恐ろしげな顔の多い不動明王さんとは思えない。国東の里で彫っていると、彫り手は優しい気持ちになって、いつの間にかこのような作品をつくってしまうのであろうか。国東は剥き出しの岩山などがたくさんあって、厳しい地形の場所も多いように思うのだが、トータルしてみれば、穏やかな風土環境にあるのかもしれない。今回は昔と違って、じっくりと仏像に思いを馳せることが出来た。

   

熊野磨崖仏:不動明王。ここの不動明王は、慈悲顔の表情で造られているとか。人が本当に畏敬を感ずるのは、慈悲顔の方でなければならないのかも知れない。

真木大堂へ。ここにはその昔この辺一帯のお寺(六郷満山65ヶ寺)では最大のお寺があったとか。平安時代に栄えたらしくその後大伽藍を火災で焼失し、江戸時代に大堂のみが再建されたということである。有料なので、中に入るのは邦子どのに任せて拓は周辺を徘徊(?)する。田んぼの畦道にスミレの花が咲いていた。暖かい里なのであろう。

   

真木大堂に参詣する善男善女。どちらかといえば、善女の方が多いのは、女類の方が元気で、心豊かなのかも。大堂とは言い難い規模となってしまっているのは淋しい。

次は冨貴寺へ。山の中といってもさほどに急峻ではなく、丘を少しきつくした感じの地形が続く。冨貴寺も由緒ある寺らしい。ここも有料なので拓は外でウロウロしながら待つ。いい天気だ。ジンマシンがまだ完全に消えてはおらず、拓の調子は今一で、お寺さんの見聞もあまり積極的ではないが、邦子どののエネルギーは見上げたものだ。小さな寺を1時間近くも歩き回って見聞を深めて来たようである。 (後での話では、富貴寺は国宝であり、邦子どのは国東といえば何事をさておいてもこのお寺だけは訪ねたいと思っていた所だとか。なるほど。了解。)

   

富貴寺山門。名刹の風格のある造りで、自ずと歴史の重さを覚える。

   

富貴寺境内の大堂。数少ない平安時代建築の一つで、国宝となっている。古の人びとの静かな仏への思いが籠められた建物である。

次は両子寺へ向かうことにしたが、途中長安寺の案内板があったので、そちらへも回ってみることにした。国東は地図では遠いように見えるが、車だと隣のお寺まですぐに着いてしまう。自転車で廻った方がベターかもしれないなと思った。但し季節はやっぱり春が良かろう。

長安寺はお寺専用らしいかなりの急坂を登った所にあった。ここも如何にも歴史を感じさせる雰囲気のお寺だった。無料なのがありがたい。大黒さんらしい年配のご婦人が、石楠花の苗木を育てて販売されているらしく、境内にたくさん並べてあった。ここは花のお寺として有名なようだ。石楠花のほかにもつつじ、つばき、アジサイなどの木々がたくさん境内を埋めていた。

   

長安寺の鐘楼。背景の紅葉が晩秋の国東の風情を静かに彩っている。

本堂の外れにまだ幼さの残るワン公が寂しそうに繋がれていたので、近づいて頭を撫でてやったら、嬉しくて嬉しくて全身を挙げての大騒ぎだった。暫くして離れようとすると大泣き(鳴くではないのだ)して、行かないでくれと懇願()されて参った。犬にこんなに情愛を感じたのは久しぶりのことである。邦子どのは彼方の方を歩き回っており、拓の世界とは無関係。

坂を降りて両子寺へ向かう。国東の山中の道は四国の巡礼の道に似ている。なだらかな曲線の多い細道だ。いいなあと思いながら暫く行くといきなり脇道から車が飛び出してきた。驚いて急停車。見ると50歳代のおばさんが運転している。一時停止など全くするつもりはないらしい。あまりにひどいので向こうも反省して頭でも下げるのかと停まっていたら、全く反省の考えなどないらしく、手で先に行ってくれという合図である。一体どういう感覚なのであろうか。旅に出ていろいろな地方でいろいろなドライバーに出会うが、地方へ行くほどこのような人が多くなるようだ。しかしこのオバサンはその中でも極めつけの低レベルである。この人は、これから先必ず車での事故事件を起こすのではないかと思った。仏の里には、その陰に仏顔をした鬼が住んでいるのかもしれない。

   

子寺(ふたごじ)の景観。国東のお寺の中では中心的な存在であるらしい。それなりの雰囲気を持ったお寺である。

両子寺に到着。このお寺は国東半島の最高峰両子山の麓にあって、一番上の位のお寺らしい。「六郷満山総寺院両子寺」とあり、参観は有料である。他の寺より少し参詣者が多いようである。しかし拓にはこのお寺は勿体ぶってケチな印象を受けた。寺の私有地に入るなとか、エンジンを切らない車は下山させるとかの警告板が目立つ。勿論そのような違反行為をする奴は言語道断だけど、お寺さんが頭ごなしにやたらに警告を発しているような雰囲気は、やだねえ。従って邦子どのだけが参詣する。坊さんたちはケチらしいが、境内にいた1匹の太ったトラ猫は妙に愛想があり、駐車場に入ってきた車から人が降りるたび近寄って挨拶を続けていた。それをじっと観察していると、猫という奴もちゃんと人を見て行動しているらしく、変な奴にはそっけなくしているのがわかる。こいつの品定めでは、一体俺はどういうレベルなのかな、などと考えている拓であった。

   

駐車場の下の方に参道があり、車を置いて戻ってここに来ることとなった。来た甲斐がある景観である。ここでもむきだしの石造りの阿吽像が、橋の向うで迎えてくれている。国東は石と関連の深い仏像が多い。

邦子どのが戻って、近くにある「あかねの郷」という温泉施設がある所へ行くことにして出発。ここを今日の宿として考えている。この辺は結構標高があり、道もかなりの山道が続いている。あかねの郷は両子山を取り巻く道の、両子寺の反対側にあり、地図では赤根温泉と記されている。左回りの方が少し近道だと思って行ったのだが、これがとんでもない山道で、普段は一般の車は殆ど通らない道らしい。それを知らずに入ってしまった。台風などで荒らされた樹木が倒れ掛かっていたりして、前途を危ぶみながら辛うじて難に会わずに通り抜けることが出来た。急がば回れというが、その通りだった。しかし、初めての人には、もっと分かり易くガイドしてもらいたいものだと思った。

あかねの郷は、山香温泉のあった風の郷に似た施設のようだ。急峻な山の中腹に湧き出た温泉をもとに施設を造ったらしい。駐車場も平らの箇所が少ない。受付で駐車泊のことを聞くとOKして頂いた。よかった。鄙びた山の湯へゆっくり浸かる。風邪薬の薬禍の発疹も殆ど治まって、やれやれという感じだ。小さな露天風呂からの眺望も素晴らしい。磨崖仏を彫ってみたくなるような剥き出しの岩崖が木々を分けて何ヶ所か見える。外国からの青年が二人風呂に入っていた。声はかけなかったけど、いい旅をしているなと思って少し嬉しくなった。日本の若者も、どこかでいい旅をしている奴がいるに違いない。その様な若者がもっともっと増えて欲しいと思う。風呂から出て、一杯やって、今日も少し早めに寝ることにしながら、それでも世界遺産のVTRなどを見てしばし時間を過ごす。

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九州・山陰他エリアくるま旅でこぼこ日記:第18日

2010-04-23 00:50:59 | くるま旅くらしの話

〔これは6年前の記録です〕 

第18日:12月04日(土)

行程:道の駅:小石原~(日田)~里の駅:宇戸七福神~道の駅:院内~山香町里の駅:風の郷〔泊〕  <125km>

朝から雨模様の天気で、予報では低気圧が通過するらしく、台風並みの荒天となるらしい。8時頃には雨が降り出した。風も強くなるらしい。今日からは国東半島を巡るつもりでいる。9時少し前に出発。R211で宝珠山村を経由して日田へ。宝珠山というのは、如何にも山岳宗教に因む呼称の感がする。小石原の近くには山伏の修行場として有名な英彦山があり、この辺一帯は全てその傘下に含まれているのかもしれない。昔なら、天狗の面などをつけた行者が山の中から、「待たれえ~い!」などといいながら飛び出してきたのかもしれない。

日田郊外でR386に入り、市内を通過し、更に天ヶ瀬の温泉を横に見ながら雨の中を走って、玖珠町にて左折してR387に入り院内方面へ。

途中宇戸という峠道に宇戸七福神という幟を掲げた里の駅があった。里の駅というのは、大分県独自の行政施策らしく、国土交通省の主導する道の駅に対して、県が音頭をとって地域振興の拠点などとしているらしい。我々のような旅くらしの者にとってはありがたい施策である。その里の駅の脇に湧水があり、汲める様になっていたので、残り少なくなっていた竹田の湧水の補填をする。雨の中を20分位かかって完了。里の駅の売店で野菜などを買う。すぐ近くに秘湯の趣きがする宇戸の庄という温泉宿があったが、細い急坂が谷底に向かっており、SUN号では入れそうもないので諦めてパスする。

11時半頃、ようやく曲がりくねった山道が終わって、道の駅:院内に着く。小休止して、うどんを食べて早めの昼食とする。雨は降り続いており、天気はますます悪くなるようだ。このようなときにはジタバタせずに安全な箇所でゆっくりした方がいい。何処か適当な所はないか、できれば温泉がいいなと調べたところ、国東半島の首っ玉の真ん中辺りに山香町というのがあり、そこにある里の駅には温泉があるらしい。そこへ行ってみることにした。

R387を直進して宇佐でぶつかるR10を右折し、宇佐神宮を素通りして暫く走ると山香町に入る。山香温泉は、風の郷という名の施設の中にあるらしい。その案内板を見つけ、R10を左折して1kmほど走って到着。この道は熊野の磨崖仏に行く新しい道のようでもある。

風の郷は研修・宿泊を兼ねた温泉施設らしく、広い駐車場があり、車中泊もOKである。邪魔にならぬように端の方に車を停めてゆっくりすることにする。風の郷とあるが普段も風が強いのだろうか。竹薮があって強くなり出した風を防いでくれているが、今日の天気は特別なのかもしれない。拓は数日来の風邪気味の体調が回復せず、毎晩寝床に入ってからの咳に悩まされている。昨日は薬の所為かジンマシンのような発疹が出て、些か困惑している。すぐに温泉に入るのはどうかと思い、少し仮眠することにした。邦子どのが何をしているのかなど考える余裕もなく直ぐにベッドへ。雨風は強くなるばかりで、SUN号の天井は騒音がひどくなりつつある。まだ13時半である。

一眠りしようとしたのだがとても眠ることが出来ずに起き出し、とにかく温泉に入ることにした。風邪が治るのか反対に悪くなるのかバクチのようなものである。普通だと風邪を引くのは邦子どの筈なのだが、どういうわけか今回はぎっくり腰も治ってしまって、拓の方に厄災のお鉢が回ってきてしまった。それにしても昨日のジンマシンには驚いた。何しろ手のひらまでが発疹の対象なってしまっていたのだから。これでも拓も結構デリカシーなのである。情けなくも少し安心したりしている。

温泉はなかなかのものだった。雨の降る中の露天風呂、屋根の付いている樽風呂など、野趣ある造りとなっており、お湯もソフトでいい。これなら風邪もよくなるかもしれない。1時間ほど湯に浸かったりして汗を流し車に戻る。ビールで一杯やって拓はベッドに。邦子どのは何やら調べ物の様子。19時ごろ起き出す。風雨はますます強くなってきたようだ。ここは高台の一角なので洪水などの心配はないし、ガケ崩れも大丈夫。この頃は風水害で大被害を受けるケースが多いので、天候を甘く見てはいけない。DVDやラジオなどを見たり聴いたりしながら長い夜の前半を過ごす。天井の雨音がひどいので、邦子どのはいつものように下で寝ている。深夜近くなって降りが断続的になり、明け方近くなって止んだようだ。

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九州・山陰他エリアくるま旅でこぼこ日記:第17日

2010-04-22 05:15:58 | くるま旅くらしの話

〔これは6年前の記録です〕 

第17日:12月03日(金)

行程:道の駅:原鶴~コインランドリー~甘木ジャスコ~秋月城址(甘木市)~道の駅:小石原〔泊〕 <48km

一昨日に引き続いての同宿だ。駐車場でも同じ場所に車を停めたがる。人間にはそれぞれ固有の落ち着き場所というものがあるのかもしれないと、我ながら不思議な可笑しさを覚える。

旅も今日で17日目、予定の半分は過ぎた。洗濯物がかなり溜まったので、何処か近くにコインランドリーでもないかとバサロのレジの人に訊くと、すぐ近くにあるという。それでは今日は洗濯日に充てようとバサロで買い物をした後、出向く。無人の大型コインランドリーがあった。実はこのような所を利用するのは初めてである。

洗濯機の使い方のガイドに従って、洗濯開始。何と一度に20kgもの洗濯ができるという。乾燥機の能力は、我が家のそれとは比較にならない。少し料金が高いが、2時間で乾燥まで含めての全作業が完了できるのはありがたいと思った。洗濯している間は暇なので、すぐそばの筑後川の堰堤を散策。白花タンポポが咲いていたので、持ち帰ろうと採取する。関東には白花タンポポは少ないが、九州には結構多い。

洗濯が終わり、今日はこれから甘木の秋月城址を訪ね、その後に陶芸の里小石原に行き、そこの道の駅に泊るつもりで出発。途中甘木市内のジャスコに立寄り、今まで車の収納庫にしまっていたツワブキや先ほど採ったタンポポなどを入れて運ぶためのキャリアボックスを購入。今回は自転車を持ってきていないので、サイクルキャリアに取り付けて使うことにした。これで若し帰り道に山陰の大栄の道の駅にまだイチゴの苗があったら買って運べる。先のことまで密かに考えた対策である

一時間足らずで秋月に到着。ここは福岡黒田藩から別れた秋月藩があった所であり、福岡在勤時代には何度か訪ねたことがある。城跡は中学校になっているが、その付近には武家屋敷や城門などが残っていて、小規模ながら城下町のたたずまいが残っている。以前は城址の城郭の道端に沿って農産物の市が並んでいて、晩秋なのに黒竹とかいう種類の筍や篠栗などをおばあちゃんが売っているのを買うのが楽しみだった。

   

秋月城址長屋門。この門は、現役時代にはお城の裏手門として使用されていたとのことである。この門だけを見ていると、そこに時間が封じ込められているような感覚を抱く、味わいのある風貌である。

さて、今頃はどうなっているのだろうか。懐かしさに期待は膨らむ。しかし、着いて見ると先ず驚いたのは観光客が多いということだ。駐車場はほぼ満杯で、観光バスなども多い。城址の方を散策したが、昔の市の雰囲気はなく、おばあちゃんは何処かへ行ってしまったようだ。天国なのか?若しそうなら天国でこの繁栄を悲しんでおられるかもしれないなと思った。このように書くとひどい状況と思われるかもしれないが、感じているのは昔と比べている拓だけであって、観光客の殆どは、城下町の雰囲気を味わってそれなりに満足しているに違いない。

   

のどかな城下町の風景。このような石橋が近くを流れる小川に架けられている。黒田藩の支藩である秋月藩は5万石だったか?然したる産業も無い、農村の一角に置かれていたようである。

それにしても日曜でもないのにどうしてこんなにたくさんの人が来るようになったのだろうか。歩いている人の殆どは我々と略同世代か、それ以上の人が多い。とすると、定年を終えた人たちがちょっとした時間つぶしに観光業者のパック旅行などの掛け声に乗って、やってきているのだろうか。そのような失礼な詮索はどうでも良いのだが、拓としては昔の良さが遠くなってしまうのがやはり気になるのである。

黒門の近くには楓の木が最後の鮮やかな紅葉の彩りを見せていた。その右脇下にある茶店で山菜蕎麦を食べた。そのあと15時近くまで街中をぶらぶらと散策し尽くして車に戻って出発。

   

秋月城址、黒門。こちらは長屋門と違って、開放感がある。石段の側面に植えられたもみじの紅葉が、黒い瓦で葺かれた門を一際鮮やかに囲んでいた。

その後は、一路R500を小石原に向かう。かなりの山道である。途中江川ダムなどがあり、人工の湖だけどなかなか景観のよい場所である。しかし国道も号数が三桁台の300を超えると、村道のような感じとなる所が多い。このR500も例外ではなく、広くて運転し易いなと喜んでいると、突然道幅が狭くなって、離合が大丈夫かと不安に突き落とされるような状況になる。40分ほどの行程だったが本当に疲れた。

まだ陽があるうちに着いたので、道の駅に車を置いて、たくさんある陶芸の店などを覗いて見ることにした。邦子どのは何か買う予定があるらしい。拓は持参するのを忘れた酒の燗をするための徳利を1個買うつもり。あったかい酒が飲みたい。

小石原は福岡藩の御用窯として発展した所である。焼物の詳しいことは拓にはさっぱりだが、現在ここには50を越える窯元なるものがあるというから、かなり人気のある場所なのであろう。販売所もたくさんあって、どこへ行っても同じようなものが数多く陳列されている。皆結構な値段で、徳利1本でもバカにならない。ようやく形も値段も気に入ったものが見つかり買い入れる。今夜はこれで熱燗で一杯やって、風邪を吹き飛ばすぞ!と密かに思う拓であった。

邦子どのは何やらいう窯元の店で気に入ったものが見つかり、そこの奥さんと思しき人と話しこんでいた。妹たちからの新築祝いのお返しにするとかで茶碗などを幾つか買ったようである。この窯元の方は棟方志功先生と知己だったとかで、手提げ袋は志功先生の版画が描かれたものだった。いい感じの方だった。

車に戻り夕食。思い通りに熱燗で一杯やって早めに寝たのだが、夜中の咳は止まらず、寝不足の一夜となったのは残念。

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九州・山陰他エリアくるま旅でこぼこ日記:第16日

2010-04-21 01:33:39 | くるま旅くらしの話

〔これは6年前の記録です〕 

第16日:12月02日(木)

行程:道の駅:原鶴~大宰府天満宮~観世音寺~大野城市:Kん宅~福岡市:(自宅)~道の駅:原鶴〔泊〕<117km

原鶴の温泉には、昔転勤で福岡に住んでいた頃に何回か来たことがあるが、当時はまだ道の駅はなかった。この道の駅には、バサロと名付けられた地元物産を販売する市場があって、なかなか活気がある。早朝から付近の農家の軽トラがひっきりなしに野菜などを運んでくる。何でもあるが、今頃は何といっても富有柿であろう。確か福岡は全国有数の柿の産地だった筈だが、その中心はこの辺一帯である。食べるのが勿体ないほどの大粒の実が輝いて並べられていた。それから拓の関心があるのは銀杏の実(福岡ではぎなんと呼ぶ)である。この辺りの山に少し分け入ると銀杏の大樹の黄葉が目立つ。銀杏もこの地方の名産の一つである。東京の半値以下の値段だ。お勧めの物産はまだまだあるけど、一々挙げるのは止めておこう。

さて、今日は福岡に行き旧知を訪ねることにしている。しかし予めアポイントを取っているのはKさん一人だけ。あとは行って見て運がよければ会えるかも知れない。Kさんにお会いする約束の時間は午後14時過ぎなので、それまで太宰府の天満宮や観世音寺などを訪ねることにして出発。

10時過ぎ天満宮に到着。拓は1年ぶりくらいだけど、邦子どのは20年ぶりくらいになるのではないか。従って境内や門前町の歩き方も自然と異なってくる。基本的に別行動。拓は風邪気味で体調不全である。早めにSUN号に引き上げて薬などを飲んで横になる。邦子どのは1時間半も歩き回って元気に帰ってきた。

   

久しぶりの大宰府天満宮。いつ来ても歴史の重さを感ずる場所ではある。数ある天満宮の中でも、ここは道真公が亡くなられた場所であり、墓所ともいえる場所でもある。

観世音寺に行ってお昼にしようと出発。直ぐ到着。邦子どのは積極的で、重文などの仏像がある宝物館を一人で見に行った。いい天気だ。

   

観世音寺。今はささやかな建物しか残っていないけど、ここは歴史に残る由緒あるお寺である。

   

観世音寺の鐘。かの菅原道真公も、この鐘の音を聞きながら遠く、都のことを想ったのであろうか。

拓はお湯などを沸かして昼食の準備。邦子どのが戻って昼食。一段落した後、邦子どのが携帯電話を失したのに気づく。あちこち探し廻ったが見つからず、何処かへ落としてきたらしい。さあ大変だ。とにかく拓の携帯から失した携帯宛電話宛に掛けて見ることにした。応答があって、聞けば何とそこは天満宮の社務所だという。拾得物として預かっているとか。直ぐ取りに行く。一件落着でまあよかった。やれやれ。ドジは拓だけの専売特許ではなかった。これでしばらくは少しおとなしくなるのかもしれない。

大騒動の後Kさん宅に向け出発。福岡在住の7年間の間に一度引越しをしており、Kさんは最初の住まいだった大野城市の家の隣家の方で、邦子どのや子供たちがいろいろお世話になった方である。今日は奥さんが待ってくれているとか。大野城市は福岡の衛星都市の一つで、太宰府市に隣接している。福岡市の一部といってもいい地域である。西鉄大牟田線、下大利駅から車で15分ほどの平野台という所に、転勤当時我々は住んでいた。その下大利駅付近を通って行ったのだが、往時とはすっかり変わってしまっていて、何が何だか分からないほどの混雑振りである。それでも大して迷うことなく平野台のKさん宅に着いたのは、まだ少しは土地鑑が残っていたからなのかも知れない。

Kさんとの邂逅は邦子どのの世界なので、挨拶だけして拓は1時間ばかり付近を散策しながら待つことにした。駅前の大変化に対してこの平野台一帯は昔と殆ど変わっていない。ただ、往時は林野であった裏山周辺が開発されて新しい住宅などが建っていたのは別として。

当時もかなりの坂道だったと記憶していたが、今改めて歩いて見ると、記憶の印象以上のとんでもない坂道に住宅が建てられていて、今だったら決してこのような所には住まないだろうと思うほどだった。住宅街の昼間は閑静を通り越して不気味ぐらいの静かさであった。やがて邦子どのが何やらたくさんの頂き物を抱えて興奮気味に出てきた。いい話が出来たようである。Kさん、本当にありがとうございました。

次は、2回目の住処、すなわち40歳近くなってやむを得ず持ち家を確保しようと、福岡は南区井尻という所に購入したマンションに行って見ることにした。今は人に借りて貰っている。ここには何人かの知り合いがいるがノーアポイントメントである。井尻は福岡の中心である天神から西鉄大牟田線で10分ほどの距離で、ここ大野城からは車で20分位だ。迷うことなく一発で到着。いつも総会などでお世話になっているKさんにご挨拶したいと思って先日ご都合を伺ったのだが、生憎ご用があってお会いできない。邦子どのが親しくしていたAさんを訪ねたら、運良く奥さんがご在宅で、びっくりしながら出てこられた。やっぱり突然の訪問というのは失礼だなと反省しきりであった。マンションの周辺も新しいスーパーや公園などが出来て、往時よりは生活し易い環境になったようである。Aさんの奥さんと邦子どのが立ち話をしている間、拓は周囲を一回りした次第。とにかく自家の住まいを一見して安心して出発。Aさんありがとうございました。失礼しました。

16時を過ぎ暗くなり出した。今日の宿をどうするか。天満宮近くに何やらいう温泉があり、そこでの駐車泊が可能なようなことを駐車場のおばさんが言っていたが、暗いし道も狭いようなので止めて、少し時間はかかるけど今日も原鶴の道の駅に泊ることにして出発。途中軽く夕食を済ます。19時半頃到着。近くにある鎧畑温泉に入り、一日が終わる。

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九州・山陰他エリアくるま旅でこぼこ日記:第15日

2010-04-20 01:07:41 | くるま旅くらしの話

〔これは6年前の記録です〕 

第15日:12月01日(水)

行程:道の駅:原尻の滝~道の駅:清川~臼杵石仏~道の駅:佐

賀関~道の駅:浮羽~道の駅:原鶴〔泊〕 <221km

昨日は暗くなっての到着で、周りがよく分からなかったが、近くにあるらしい滝の音は聞こえていた。此処は山の中ではなく、平地に近い地形で、周りには畑や田んぼが広がっている。道の駅から少し歩いた所に原尻の滝があった。100m弱の川幅の真ん中に鳥居が建っていて、その直ぐ下の川が一挙に落ち込んで滝になっている。ナイヤガラには遠く及ばないが、あれと同じタイプのミニミニナイヤガラの滝である。鳥居が建っているのは、やはり何か信仰の対象となっているのであろう。神渡りなどの行事が行われるのかもしれない。詳しいことは分からないが、人々をそのような衝動に駆り立てる風景だった。考えてみると、一昨日の夫婦滝から始まって、白水ダム、黄牛の滝、この原尻の滝と滝めぐりをしているような結果となっている。その中でやはりこの原尻の滝が一番スケール大である。滝の下には観覧用の吊橋が架けられ、滝を巡る周遊路が整備されている。それらをゆっくり廻って、滝下の川原に下りたりして、景観を楽しんで出発。いい所である。

   

ナイヤガラとは行かないけど、規模は小さくても日本の滝の中では、均整のとれた名瀑だと思う。

今日は海側に出て臼杵の石仏などを見ながら北上する考え。先ずは臼杵方面へ向かうことにした。R502を直進して少し行くと清川という道の駅があり、ちょっと立寄る。野菜などが販売されているので覗いたのだが、何とその脇の植木などを売っている店に、先日飫肥で見た「木立ちダリア」の苗木があるではないか!あったら是非手に入れたいと思って、ここまでの道々注意して見て来たのだがどこにもなかったのだ。しかし、その木はあまり元気良さそうには見えなかった。それでも買うことに決め、おばちゃんに聞くと、この地では「皇帝ダリヤ」と呼んでいるらしい。半値の千円にまけてくれると言う。よかった。高さが150cmくらいあり、これからの長道中では置き場所などで些か邪魔になるけど、何とか持ち帰って庭に植えて見たい。関東では見かけない花なので、上手く育つか心配もあるがやってみなければ分からない。

清川を出て1時間と少しで臼杵石仏の駐車場に到着。ここの石仏は国宝として有名だが、訪ねるのは初めてだ。少し時間をかけて見学することにする。一体どのような状況で石仏が彫られているのだろうかと期待が弾む。

仏教のことはよく知らないが、拓は禅には興味があり、随分と昔(20代の終わり頃)から健康法として座禅などを行って来た。仏様というのが人間の姿と同じだというのが、人間が人間の限界を超えられない哀しさなのかもしれない。仏教によらずキリスト教においても同じではないか。仏像や神像は、皆姿かたちが人間と同じようにつくられている。イスラムのことはわからない。仏像を見ていると、座禅をしている時の、心の乱れの果てにほんの少し安らぎを覚える瞬間の人の表情(それが自分自身のものであったり、或いはどこかで見かけた人の顔であったりするのだが)を思い出す。千変万化の心の動きの果てに辿り着く瞬時の安らぎが、仏の真髄でありそれを表現したのが仏像であるような気がする。拓の理解は未だその程度なのである。

臼杵の石仏は天然の岩石に刻まれたいわゆる磨崖仏である。九州の中でも東九州大分県に磨崖仏が多いのは何か特別の時代背景でもあるのだろうか。入場券を買って入口で渡し、坂道を登ってゆくと先ずは九体の阿弥陀像というのが迎えてくれた。阿弥陀様というのはあの世へのお迎えの使者らしい。仏や菩薩、如来などいう仏教界の階級や役割のことは拓にはよく分からないし、釈尊のもともとの発想法からはそのようなものはあまり拘泥する必要がないように思っている。仏教というのは、階級や役割などにとらわれない哲学だと思っている。般若心経くらいしか読んでいないけど、釈尊の教えの本質は察知できるような気がする。

   

臼杵の石仏群。大地に露出した石の壁に、たくさんの仏像が彫られて善男善女を迎えている。

そのあと、次々に鎮座する仏像を見て、この時代の人々の願望の切なさを思ったりした。何万、何千人という人々が、観光のためではなくここを訪れ、浄土での安楽を願ったのであろう。石仏は今と同じ穏やかな表情で人々の願いに応えて来たに違いない。どの仏像にも人々の煩悩や嘆きを癒す力が宿っているように感じた。

   

ひときわ大きな大日如来像には、保護する為なのか、覆い代わりの社殿が設けられていた。

石仏群は小高い丘の中腹にあるのだが、その下にその昔一大伽藍があった感じがする平地が広がっており、その端の方にお寺が見えるので、そこへ行って見ることにした。満月時というその寺には、門前に石造の阿吽像が2体、覆いもなく置かれていた。又石造の五重塔があり、鎌倉時代の作という解説板があった。本堂は寂れていたが、歴史の古さを感じさせるお寺だった。

   

満月寺五重塔。普通五重塔といえば木造が殆どだが、石造りのものは珍しい。このあたりではふんだんに石を切り出すことが出来たのであろうか。

   

満月寺の門前を固める石造りの阿吽像。野ざらしの状態で、鎌倉以降の時代の移り変わりを見てきたのだろうか。初めて見るものだった。

約2時間かけて臼杵の石仏なるものを散策した。少し腹が頼りなくなったが、邦子どのの願望もあり、佐賀関辺りで関サバを食べることにし、とりあえず先ほど清川の道の駅で買ったジャンボおにぎりを半分コして食べて出発。

臼杵郊外でR217に入り、悪路気味の海岸線を暫く走って佐賀関の道の駅に到着。邦子どのは待望の関サバ・アジ定食、拓はアラ炊き定食。関サバや関アジはインチキが結構多いがここのは本物だった。なお、拓はアラ炊きのファンである。今日の魚は鯛だったが美味かったあ~。食事が済んで時計を見ると14時半。さてどうするか。このまま北上して国東に入るのもいいけど、今回は福岡の家なども見ておきたい。何しろ邦子どのは転勤で九州を離れて以来一度も福岡を訪れていないのだから。ということで、今日は福岡に近い道の駅に泊り、明日福岡を訪ねることに決める。

時間的に一般道を行ったのでは無理なので、高速道を使うことにし東九州自動車道へ。大分自動車道へ入り、別府SAで小休止したあと湯布院、日田を通過して杷木ICにて下車。道の駅原鶴へ。ちょっと様子を見たが少しうるさそう。筑後川を挟んだ対岸R210に浮羽の道の駅があるので、そちらの方がいいのではないかと移動。行って見たそこは高台にあり、かなり交通量も多くて、駐車場は全て道路に面しているようだ。道の駅の建物の横に建造の経緯などを書いた説明板があり、それを読むとどうやらここは古墳があった所らしく、そこを整備してこれらの施設が造られているとのこと。こんな所に造るなって、何かご先祖様たちを冒涜するような感じがする。どうもすっきりしないので、ここでの泊りは止めてもう一度原鶴の道の駅に行くことにした。時間の無駄遣いをしているうちにすっかり暗くなってしまったが、安心して眠るためには必要な処置である。

原鶴の道の駅は筑後川の堰堤脇に造られている。近くの橋を渡った向こう側に温泉街がある。今日は遅くなってしまったので、温泉はやめて早めに寝ることにする。

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九州・山陰他エリアくるま旅でこぼこ日記:第14日

2010-04-19 04:34:57 | くるま旅くらしの話

〔これは6年前の記録です〕 

第14日:11月30日(火)

竹田市:河宇田湧水~白水ダム~道の駅:竹田~黄牛の滝~直入町:ラムネ温泉~道の駅:原尻の滝〔泊〕 <94km

昨夜の星空も素晴らしかった。関東の都市部とは大いに違って、この辺はまだまだ大気の汚れも少ないのかもしれない。ゆっくり食事をしたあと、目前の湧き水を汲む。といっても先日高森町で汲んできたばかりなので、ペットボトル2、3本に過ぎない。それでも何となく嬉しい。

さて、今日は第一の目的が隣の直入町にある長湯温泉に入ることである。旅に出る前から、必ず立寄る場所の一つにここを挙げていた。その理由は日本一の炭酸泉の温泉に是非とも入ってみたかったからである。それほど急いで行く必要もないので、先ずは昨日夫婦滝のSさんから聞いて、是非一見の価値ありという「白水ダム」という所へ行ってみることにした。案内図はちゃんと持っているのだが、これが何度見ても、どう見ても分からず迷いに迷って、本来ならば20分くらいで行ける所を1時間近くかかって、ようやくたどり着くことが出来た。

後で知ったのだが、通常のルートではなく滝の下に着くという逆の細い道ばかりを辿って行ったのであった。離合に絡む車が殆ど走っていなかったので救われた訳であった。そういえばSさんは軽自動車でと言っていたっけ。苦労の甲斐があってダムの景観は実に素晴らしかった。規模はあまり大きくはないのだが、ダムから流れ落ちる水の勢いをコントロールするために曲線の傾斜を持たせた壁を水が通るように造られており、真っ白い水の帯が実に美しい。人工の滝と言えば味気ないものが多いけど、このダムの滝は逸品である。充分にその景観を堪能して、出発。

   

白水溜池堰堤の流れ。細かな泡が堰堤を真っ白に染めて、柔らかな滝となって流れ落ちる。今までどこにも見たことの無い美しさである。日本一美しい滝の一つと書かれていたが、正にそのとおりである。

道の駅竹田に立寄って、野菜などの買い物をする。売店のレジの人と話していたら、近くに紅葉の名所があり、今でも未だ遅くはないということなので、そこへ行ってみることにした。歩いて10分ほど行くと城原八幡社というのがあり、その先の小高い丘に何本かの楓の樹があって、まさに紅葉真っ盛りだった。そこには万葉の歌碑がありその昔この辺りのことが歌に詠まれているらしい。万葉の里という表示板もあったから、古い歴史のある場所なのであろう。丘の下は小学校。八幡社と丘の側に古い造り酒屋のような建物があったが、今はもう廃業したらしく侘しげな光景だった。

   

R442脇にある城原八幡社境内の紅葉。このあたりは朝夕の寒暖の差が差が大きいのか、何本かの樹が見事に紅葉していた。

車に戻って出発。まだ時間に余裕がある。途中に「黄牛(あめうし)の滝」という案内板があったので、ちょっと立寄ることにした。そこへ行って道の駅で買った弁当でお昼にするつもり。駐車場から10分ほど歩いた所に滝があった。夫婦滝よりも少し規模が大きいが、大滝というほどではない。それでも瀑布のつくる空気を吸うのは気分が良い。車に戻って昼食休憩。

   

黄牛の滝。黄牛と書いて「あめうし」と読む。こちらは白水溜池堰堤の滝とは違って、自然の豪快さがあった。

R442の坂道を登って久住町に入り、右折して県道30号を暫く走ると直入町である。長湯温泉は直ぐに分かったが、例によって温泉街は道が狭くて駐車スペースが殆どない。著名な温泉宿も何軒かあるのだが、近づけない状況で困った。ようやくラムネ温泉という、その名もズバリの温泉場を見つけた。川縁にある小屋掛けの素朴な浴場だ。料金は200円也。天然の本物の温泉だ。飲用のお湯が出ているので飲んでみたら、確かにサイダーの味である。但し温かいサイダーなので清涼感というわけにはゆかず、妙ちきりんな味である。

   

ラムネ温泉入口の様子。入浴料は露天風呂が200円、家族風呂が1,500円である。

さっそく準備をして入る。少し温度の高い方には湯壷が2つと4人ぐらい入れる露天風呂が1つあり、あとは温度の低い本物の源泉の露天風呂があった。拓は本物志向なので、ぬるいというよりも冷たいという感じの源泉に入った。じっとしていれば温かさを感ずる程度の温度である。しかし入っていると、看板に書いてあったように、全身に細かな気泡がついて、何故か良い気分になってくる。泡を拭っても直ぐに又気泡に包まれる。ああ、これが本当の炭酸泉なのだなあと実感した。これほどのレベルの炭酸泉は、世界でもドイツに2箇所それに此処と全部で3箇所しかないということである。源泉に入る人は少なく、入ってきても直ぐに温かい湯壷の方へ逃げていってしまう。それをいいことにして拓一人が源泉の露天風呂を独り占めにした次第。仕上げに温かい湯壷に入って出たときは1時間を越えていた。邦子どのはそのあと10分くらい経ってから出てきたから、驚いてしまった。のぼせることがないので長湯となるのであろう。十二分に満足した。

   

ラムネ温泉小屋の全景。湯治場という雰囲気の、真に質素な造りで、温泉場というに相応しい。

此処に泊ってもいいと思ったが、駐車泊にはやや条件が悪そうなので、少し足を伸ばして竹田市郊外の緒方町にある道の駅:原尻の滝という所に行くことにして出発。

途中、竹田市内で給油と食材それに酒などを買う。農協が経営母体のこのスーパーにある酒の販売コーナーは最低の店だった。九州一販売態度の悪いおばさんが店を仕切っているようで、二度とここで買ってはならないと思った。レシートを渡すのが不満らしく、レシートを要求した邦子どのに突き出したレシートを床に落として、お客の顔も見ずにそっぽを向いていた。さすがの邦子どのも怒りを通り越して驚き、呆れ返るばかりであった。酒を返却すべきであったが、めんどくさいので妥協したのだが、あのオバサン(ホンとはクソババアといってやりたいのだが、根が上品なので決してそのようなことばは使わない)には、そのようなお客の心理は全く分からないだろう。販売店のたった一人の不心得者の行為が、店だけでなく街全体の印象を悪くすることがあるということを、商売にかかわる人たちは知っている必要があるのではないか。今の時代に、このような人が住んでいるのかと思うと、岡城に代表される凛とした竹田市の街の印象が少し翳ったようで残念だった。

あたりがすっかり暗くなったR502を暫く走って道の駅:原尻の滝に到着。

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