山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

冬のノゲシ 

2019-01-27 06:50:07 | ホト発句

                                                         

                     

           

 

        陽だまりの 野芥子よ耐えよ 春近し

  

           ハッと見る 野芥子の花は 冬の色

  

 コメント:

 冬に咲く花は少ない。けれどもよく見ると、花は咲かせていないけど懸命に寒さに耐えて頑張っている野草は結構多い。それらを見ていると、生き物としての宿命とその尊厳を感じたりする。彼らは自らの力では移動できないから、どんな外敵や季節という障害がやって来てもただひたすらに耐えるだけである。その懸命さは動物の比ではない。

 この野芥子は、ハルノノゲシと呼ばれるものだと思う。日中守谷市とつくばみらい市にまたがるTXの車両基地の中にあるコンクリートで固められた通路を歩いていたら、傍らの陽だまりの中に真っ赤な顔(=葉)をして、花を咲かせている株があるのを見つけた。生命の存在を確認させられた感じがいた。思わず微笑んでシャッターを切った。ここにはもう春が来ているのだと思った。

 

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茨城県営業戦略部長は職を辞せ!

2019-01-23 19:37:10 | その他

 こともあろうに、県の営業戦略部長とやらが、わざわざSNSで「水戸はダメ。死ね。」などと書き込んで吹聴したという。酒に酔って覚えていないなどとノタマワッテいるという。

 水戸で育った一人として、あまりにも腹が立つので、黙ってはおられず敢えて怒鳴ることにした。ふざけるな、さっさと辞めてしまえ!お前さんに営業戦略部長などという仕事が務まるわけがない。よくもまあ、のうのうと愚かな言い訳をしているものだ。まさに、恥を知れ!と言いたい。これが江戸の昔なら、腹切りものだし、それができないなら俺がぶった切ってやる、と言いたいほどのものだ。

 今日、TVを見ていたら、知事さんがその何とか言う営業戦略部長が水戸の市会に出向いてお詫びをするというなどと話していた。これもまた何という甘い判断、振る舞いなのだと思った。何故職を辞めさせないのだ。こんなことをする奴が全国最低の知名度を誇る茨城県を盛り上げることなどできる筈がないではないか。クビにできないのなら、即刻仕事などしなくてもよい部署に配置換えして、座禅でも組ませたらどうなのか。

 このようないい加減な奴が県行政の中に紛れ込んで、部長でございますなどとやらせているから、このような愚にもつかないことをやらかすのではないか。茨城県の知名度が低いのは、決して卑下するようなものではない。県民が安穏に暮らせる実力を十二分に蓄えている県なのである。世間一般の安直な調査結果に阿(おもね)いて尾を振り、わざわざSNSに投稿するというのは、県のことも県都水戸のことも何も本気になって考えてはいない証であろう。酔っていれば許されるなどという発想は180度狂った価値判断であり、むしろ酔っている時の思いや発言こそ潜在意識が語るものに近いのである。

 怒りは収まらない。しばらく続くと思う。県知事は高校の後輩だ。この何とか部長も、もしかしたら後輩なのかもしれない。それゆえに益々腹が立つのである。もう自分達老人の出る幕ではない。後輩の人たちには、このような愚行と無縁な本物の活躍をして貰いたいものだ。

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本物のボケを避けるために

2019-01-20 22:13:26 | 宵宵妄話

 今月の13日、高校卒業時のクラスの第60回新年同窓会が開催された。18歳で卒業して以来今回の78歳まで、毎年休みなく続けて来ているというのは、もしかしたらギネスものなのかもしれない。元々は担任の先生を囲んでの有志の人たちの集まりだったのだが、丁度30回目辺りに先生からの呼びかけがあり、卒業時の文集の復刻版が送られて来て、それ以降一段と出席者が多くなった。既に先生は11年前に鬼籍に入られているのだが、今でも毎年20人近くのメンバーが集まって、それぞれがこの1年間の主な出来事などを報告しあっている。年に1回のこの集まりは、今では本物の楽しみとして、各メンバーの心の中に定着しているようだ。

 今年は17名の出席だった。事前に出席予定の一人が風邪(インフルエンザ)に罹ってしまって、来られなかったのだが、現在連絡を取り合えるメンバーは全員で34名となっているので、その半数の出席を確保できたのは、上々の出席率と言ってもいいと思う。

 ところで今回も又話題の中で多かったのは、やはり健康に関することで、実際体調不良のために出席できない人も何人かいることなので、後期高齢者となっている世代としては避けられないテーマなのだと思う。様々な健康問題が遍在しているのだが、その中で特に気になったのは、「ボケ」という話だった。このことについて、自分も普段から思うことがあるので、少しそのことについて書いて見たい。

 今回のボケに関して多かった話としては、「カミさんとの約束ごとをすっかり忘れてしまっていて、しょっ中カミさんから注意され、叱られて、時々喧嘩になったりしている」というような類の話だった。本人もボケ(もの忘れ)の始まりを少しは自覚していて、その防止のためにもカミさんとのせめぎ合いは有効というような話なのである。深刻なレベルの話ではないのは、まあ、大丈夫ということなのであろう。もし本当にボケが本格化して物忘れが酷いレベルだったとしたら、話題に出すことも困難になる筈だからである。斯く言う自分も又カミさんには、もの忘れに関して絶え間なく小言を言われ続けており、その度に反発して文句を言って抵抗し、時々妖怪小言ババアなどと悪たれを言ったりしているのである。

 さて、そのようなボケの症状なのだが、今は軽いレベルのもの忘れということなのであろう。けれども、それが進行した先には認知症という恐るべき病がイメージされているに違いない。自分は、人間が係わる様々な病の中で、認知症ほど恐ろしい病はないと思っている。何故なら、この病は人間を人間たらしめているものの全てを失わせてしまうからなのだ。イヌやネコたちは、自身がイヌであり猫であることを自覚していなくても、何を食べ何を飲むかという本能を忘れることはない。なのに認知症は、人間の持つ社会性はおろか生き物としての食べる、飲むという本能すらも失わせてしまうほどの恐ろしい病なのである。その初期症状がもの忘れということなのだと思うけど、これは決して冗談めかして済ませてしまうようなことではない。厳に警戒しなければならないことなのだと思う。

 大切なのは、如何にしてボケを防ぎ、認知症への道を閉ざすかということであろう。自分の場合は、身近に認知症への道を辿った者がいるので、10年間ほどそれを熟視する中で、どう対応すればよいかを教えて頂いたと思っている。ボケを笑いで済ませられるレベルで終わらせるために大切なことは、次のようなことではないかと思っている。

①生きがい・張り合いを失わないこと(持ち続けること)<精神>

②病に取りつかれる頻度の最小化を図ること <身体>

③①②を実践・実行すること <行動>

基本的にこの三つが重要だと思っている。①は、心を常に活き活きと動かすことであり、より具体的に言えば、何事にも好奇心を以て取り組むこと、自分の好きなことを見出し、それをしっかり(=死ぬまで)やり続けること。②は言うまでもなく健康の保持ということであり、病を遠ざけるための不断の注意と行動を怠らないこと。③は①②を頭で考えるだけではなく、実践行動に移すこと。である。

  この三つ全ての力が弱まり、無気力になった時、ボケは急速に進み、認知症が駆け足でやって来る。10年の体験を通して、認知症へのステップを教えられたように思っているが、それは突き詰めるとこの三つとなるのだ。

 我われ老人たちは、ボケを警戒しながらもこの三つのどれかをおろそかにし、日常に甘えて暮らしがちである。特に加齢とともにその油断は拡大しがちである。現在の軽い冗談としてのボケの話が、やがて深刻なものとならなければいいなと思いながら、出席者の人たちの話にそっと聞き耳を立てたのだった。

いま、密かに思っているのは、この集まりが最後の二人となって消え果てるまで、自分は任されている幹事を務めあげようということ。全員を見送った後、ゆるりとあの世に旅立つことにしたいということである。 60回目の新年会を終えて帰る途中の電車の中で、そのような夢を見たのだった。

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二人の超老に思う

2019-01-12 02:06:59 | 宵宵妄話

この正月の幾つかの特別番組の中で、二人の超老の話と暮らしぶりを見て感動し、思うこと大なるものがあった。その二人とは、篠田桃紅という方と杉本フクノという方である。篠田桃紅さんは著名な書・画家であり、杉本フクノさんは熊本県に住まわれる普通のご婦人である。

超老というのは、自分の老世代論の世代区分での最上位に位置する95歳超の世代を意味する。因みに簡単にその世代区分を言うと、65歳までは準老で、老となる準備をする世代、65~75歳は順老で、老に馴れる世代、75~85歳は真老であり、これは老となったのを実感する世代、そして85~95歳は深老であり、老の深まりを覚える世代である。95歳を超えると、人はもう老などというものにはとらわれなくなり、まさに我が思いのまま己の生を動かす世代だと、自分はそのように老という世代を区分して考えることにしている。この世代区分は健康で我が身を処することが可能であることを前提としており、病などにより心身が侵されて動きがとれなくなった状態では、この世代区分は当てはまらない。

自分は今真老の世代に入って3年目となるのだが、このまま順調に超老に辿り着くとは思えず、深老世代まで行ければ御の字だなと思っている。この正月もそのようなことを想いながら一つ新しい年を数えたのだった。

さて、前記のお二人のことだが、先ずは杉本さんのこと。見ていた番組は日本各地の巨樹の何本かを紹介する番組で、杉本さんが登場されたのは、熊本県熊本市北区にある「寂心さんのクス」と呼ばれる樹齢800年ほどの楠の大樹で、この樹は巨樹の中では比較的若い方だと思うけど、その枝ぶりは見事で、未だ若者という樹勢を思わせる姿だった。この樹の紹介に合わせて杉本さんが登場し、根元の力瘤をなでながら、この樹からパワーを頂戴していると、心底崇めている姿が印象的だった。もう60年近くこの樹にほぼ毎月会いに来ておられるという話で、ご自身はあと何ヶ月かで95歳になると話されていた。そのことだけならば、まあ熱心な樹の崇拝者が居られるものだとさして驚きもしなかったのだが、そのあとこのおばあさんは何とご自分で車を運転して、ご自宅を紹介されたのである。80代も後半になったら、運転免許を返上しなければならないだろうなと思っていた自分には、度肝を抜かれるほどの驚きだった。くるま旅の知人で90歳でも旅を楽しんでおられた方がいて、尊敬していたのだが間もなく鬼籍に入られて、もうそのような方は居られないのではと思っていたのだが、この杉本さんの姿を見て、本当に驚いた。ご婦人なのにである。女性が運転免許を持つことの少なかった時代からであろうから、今日に至るまでにはいろいろご苦労されることが多かったのかもしれないなと思った。しかし、95歳の今になっても日常的に車を運転して出掛けておられるというのは、これはもう普通ではない。別格の生き方だなと思った。25人ものお孫さんやひ孫さんに囲まれて墓参りをされている姿も放映されていたが、それを美しいなと感動的に拝見したのだった。

もう一方の篠田桃紅先生は、杉本さんよりも10歳年上の105歳の書家、芸術家である。この方のお姿はTV画面で何度か拝見している。少し前、まだ日野原重明先生がご存命だった頃に、超老のお二人が対談されているのを見たことがあり、感銘を受けたのを思い出す。日野原先生は既にあの世に旅立たれて、今回は篠田先生お一人の現在の生きざまについての紹介だった。見ていて、話を聴いていて、そのアーティストとしての作品にかけるエネルギーの凄まじさに圧倒される感じがした。もはや老をあれこれ論ずる様な心境などどこかへ放散されつくしている感じさえした。老の先にある死でさえ超越した意識が、作品に向かっている様に思われ、凄いの一言に尽きると思ったのである。

お二人を比較するのはナンセンスというものであろう。暮らしの足場が全く違っているし、年齢も超老とはいえ10歳もの開きがある。しかし、お二人ともまさに超老なのである。自分が思ったのは、自分も又自分なりに超老の境地を味わってみたいということなのだ。普段、超老にまで辿り着けるとは思っておらず、自分も両親と同じように米寿(88歳)まで生きられるかどうか自信は無いのだが、お二人のそれぞれの生きざまを見ている内に少し欲が出て、折角天から戴いている生命なのだから、がんばって超老の世界を覗いて見たいと思った。まだ真老の半ばにも達していない。この後様々な災厄がやって来るに違いないのだが、何とか払いのけ、乗り越えてその心境を味わってみたいと、初めてそう思った。この新年の最大の収穫だった。

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真老3/10年目を迎える

2019-01-04 00:43:46 | くるま旅くらしの話

 新しい年となりました。めでたい気持にはなれないので、敢えておめでとうございますとは言わないことにします。真老というのは、自分の勝手な老人世代区分の中で、75歳辺りから85歳辺りまでを言うのですが、自分は今年その3年目を迎えることになります。真老が終わって次の深老(85~95歳)となると、もう一度めでたいという新年の挨拶が欲しくなるのかもしれませんが、真老というのは未だ老人としての生意気な部分がかなり残っていて、特に自分のようなややひねくれた人間には、今の世の中の有り様を見ていると、何一つといっていいほどめでたいと言えるようなものは見当たらないのです。

 特に目に余るのは、政治の横暴というのか、はたまた官僚の悪知恵というのか、この国を借金で水膨れにしてしまっているということです。政治のことは避けるように努めているのですが、体制政党もその反対側の政党もこの国の未来を大変危うい状態にしており、博打をしている感がするのです。見た目には好景気が続いているように思えるのでしょうが、足が地についているとは思えず、世界の動静によっては、上っ面の経済状況が一気にひっくり返るような危うい要素を幾つも抱え込んだ状態となっている気がするのです。

加えて悪の蔓延(はびこ)りは止まることを知らずに増大・膨張しているように思え、ネット社会などというものを単なる効率的利便性だけで弄(もてあそ)びながらつくり上げている感じがして、これが悪を増長させる根源にある感じがします。

人間はもっともっと不便さに学ぶ必要があると思います。利便性の追求は、結果的に人間を堕落させ、無力な生きものになり果てさせる危険を孕んでいる感じがします。

昨年北海道の旅の中で、胆振東部大地震によるブラックアウト現象というのを体験させられましたが、電気が消え、使えなくなった世界が突然やって来た時、人間の無力さを痛感しました。2日ほどで回復したので救われましたが、もしこのような事態が1カ月も続いたら、恐らく北海道から直ちに逃げ出す以外に生き延びる方法が見出せない人間が殆どではないかと思いました。インフラの基盤たる電源が失われ、水が給配水されず、ものを買うことも移動することも困難な状態がやって来た時、自力で生き延びる知恵を持つ人間がどれほどいるのか。かつて北海道に住んだアイヌの人たちが持っていたような、大自然に学んだ知恵を持つ現代人がどれほどいるのか。150年をかけてつくり上げて来た北海道という大地には、バーチャルなどが入り込む余地がないほどの開拓の血と汗と涙とギリギリ生きるための知恵があった筈なのに、現代の人々はそのプロセスを忘れ果てて、新たに獲得した利便性に溺れ、我を忘れているのではないか。交通信号機も水洗トイレも停まり、ガソリンスタンドの給油機能も停まって、冷凍冷蔵の停まったショーケースの空っぽになったコンビニを覗いて、ブラックアウトが教えているのは不便性を知ることの大切さではないか。そう思ったのでした。

 まさかこの先、そのようなことが全国至る所で起こるとは思いませんが、特に大都会に住む人たちは、生き物としての本能や知恵を忘れ、利便性に甘えていると、いざという時に無力な生きものになり下がるということを、思い知っておく必要があるのではないか。可能な限りコンクリートの建物の外に出て、まさにアウトドアの生き方の知恵を学ぶべきだと思いました。不便を知るというのは不便を味わうことであり、これは実体験で学ぶしかありません。野外に出て、キャンプなどの体験を通して身につけることかと思います。大自然の有り様を可能な限り数多く体験することが大切ではないか。それを改めて強く感じました。

 今年もまた自然災害が多発しないかと不気味な予感が渦巻きます。今のところまだ旅の計画は出来ていませんが、自分達の場合は不便には馴れていますので、その知恵を活かしながら慎重に旅を楽しみたいと思っています。

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