山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

信州小さな秋旅の記録<第3回>

2020-11-30 00:30:03 | くるま旅くらしの話

2年ぶりに旅に出かけました。旅と言ってもたった4日間の小さなものです。長いこと休んでいたため、旅の感覚が大きく鈍っているのを実感しました。6回に分けて久しぶりの旅の所感を報告させて頂こうと思います。

 

第2日(11/15〔日〕)

道の駅:オアシスおぶせ→(県道)→小布施町営駐車場→(町内散策)→(県道・R18)→須坂長野東IC→(長野道)→姨捨SA→(長野道)→安曇野IC・県道)→道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里(泊)

小布施の朝はかなりの冷え込みで地表を真っ白な霜が覆っていた。5時半頃目覚めて歩きに出かけようと外を見たら、まだ暗くて歩ける状況ではなかった。やはり6時を過ぎないと明るくならないかと合点して、待つことにした。6時半頃になると東の山の上が明るくなりだし、日の出なのだと判った。今朝の歩きは、昨日果たせなかった小布施の中心街まで行って主な施設等を探し出し、納得することを目的にしている。旅に出ていても必ず毎朝の歩きを欠かさないようにしており、今回もそれを止めるわけにはゆかない。道の駅は上信越道小布施SAに隣接したハイウエイオアシスとなっており、泊った駐車場の反対側はどうなっているのか、先ずはそちらに行ってみることにした。これは正解だった。というのも、そこからは北信越の5岳が遠望出来て、千曲川の朝霧が白くゆったりとたなびく彼方に、朝日を受けて赤茶けた山肌を晒した妙高の個性豊かな峰が目に飛び込んできた。何とも言えない大自然の造り出す感動の景観だった。妙高山の右手には斑尾山、そして左には黒姫山がどっしりと構えて、更に左方は飯綱山か戸隠か。そしてその脇に小さな真っ白な三角の峰が輝いていた。名は知らないけど、想像すると、もしかしたら白馬かなと思った。自分一人だけが思いっきり味わうこの地の朝の絶妙な景観だった。これこそが早や起きのご褒美だなと思った。今日のご褒美は三文どころではない、優に100両は超えているなと思いつつ、小布施の中心街の方へ向かうことにした。

白き峰のニョキッと見えて今朝の秋 馬骨 信州小布施の朝

 

千曲川に注ぐ松川というのが流れており、それに沿って上流の方に行けば小布施の町に近づけるのではないかと考え、堤防の道を歩いた。30分ほど歩いたのだが、なんと小布施の中心街は一向現れないのである。一体この町はどんな場所に立地しているのか、さっぱり見当がつかない。何だか昨日の失敗を重ねて繰り返しているような気分になり、再び腹が立ってきた。もう何回もこの地を訪ねて来ているのに、これは一体どういうことなのか、しばらく呪いの気持ちを抱きながらの歩きとなった。電車の通る踏切の音が聞こえたので、その方向へ行ってみることにした。すると、途中で立派なお寺に遭遇した。玄照寺とあった。曹洞宗のお寺で、三門は町宝となっているとのこと。見た目に直ぐそれと判るほどの立派な貫禄のある建物だった。このお寺に出会ってからしばらく町中をさ迷っている内にようやく北斎館などのメインの建物に辿り着き、それからはもう迷うことは無くなった。小布施という町に隣接する須坂市や中野市などの境目がどうもはっきりせず、この町は松川にはあまり縁がなさそうで、どちらかといえば道の駅からは山寄りの方向に位置していたようである。それから車に戻るまでの道は、迷い不要の一本道で、今日これから昨日の仇をとるためにもう一度町を訪問しても迷うことも駐車場を探すのも大丈夫だと確信した。30分ほど歩いて、車に戻った時は9時近くになっていた。ようやく陽が射して来て、先ほどの千曲川の朝霧のたなびきも消え去ったようだった。カミさんは未だ寝床の中で最後の惰眠を貪っていたようだった。いつものことではある。

その後は10時くらいまでゆっくり時間をかけて朝食や片付けを済ます。今日は先ずは昨日の仇を取りに小布施の町中に行った後、昼食の栗おこわを食することにし、その後は小布施を離れてアップルライン(R18)を通ってリンゴを買い求め、高速道に入って安曇野ICまで行き、そこで降りてゴールは道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里に行って泊ることにする。当初は小諸まで行って懐古園の紅葉を見ようかと考えていたのだが、今日は日曜日だし人出があって混むのではないかと考え止めることにした。それに紅葉も終りかけているのかも知れないし、小諸での駐車場探しもめんどくさいなと、だんだん横着心が膨らんだ次第。明日安曇野の野菜を手に入れるのには、いつも利用させて頂いている道の駅に泊るのが一番だと思っているからなのである。

10時過ぎ出発して小布施町営の駐車場に向かう。勿論迷うことなく駐車を済ませて町中へ。北斎館の方へ向かう途中に洋菓子店らしきものがあり、人の列ができていた。何だろうと見てみたら、どうやら何か特別なモンブランというのが販売されているらしい。予てから家内は守谷ではまともなモンブランが手に入らないとぶつぶつ言っていたので、これは絶好の機会だと買うのをけしかけた。小布施は栗の名産地ということだから、ここのモンブランが並み以上であることは間違いないだろうと思った。3個くらい買ったら?と言ったのだが、そんなには食べられないと1個しか買わなかったようである。ま、自分はそのような食べ物とは無縁の人間なので、お好きなように、と思っただけ。でも、今後モンブランを食べるためにここまで来るのは大変だなと思った。

その後町中をぶらぶら歩いて栗おこわの店などを探す。何年か前の勘を働かせて歩き回ったのだが、どうにもそれらしき店が見当たらないのである。不思議な気持ちになった。町の中が微妙に変わってしまっているのかもしれないと思った。コロナ禍の影響は措くとしても、何だか以前と比べて町の活気が失せてしまっている感じを拭えないのだ。隆盛を持続するというのはさほどに難しいことなのかもしれない。結局以前とは違う店で栗おこわを手に入れ、車に戻って昼食とする。久しぶりの栗おこわは、自分には甘過ぎて、やや抵抗があった。ゴマ塩が少なすぎるのを不満に思った。2日がかりでどうにか食の念願を果たしたので、もう何の未練もない。一休みの後、安曇野に向けて出発することにした。

この後は、先ずはR18のアップルラインに出て、道の両側に出されているリンゴ販売の店に立ち寄りリンゴを手に入れることにしている。その後高速に入って安曇野へという考えである。千曲川に架かる橋を渡り、R18に出て長野方向へ向かったのだが、どうもリンゴ園の販売の様子が昔とは違っているようなのに気づいた。進行方向左側の店を探しながら行ったのだが、どの店もリンゴの数が少なく、リンゴ狩りの案内が多いのだ。リンゴ狩りをする考えなど毛頭ないし、只リンゴさえ手に入ればそれでいいのである。次の店はどうかなと思いながら長野方面へ向かっていると、とうとうそれらしき満足を得られそうな店が無くなってしまった。こりゃあまずいぞ、と引き返すことにした。反対側には確か20年ほど前に上越方向へ向かうたそがれ時に立ち寄ってお世話になった老夫妻の店があった場所近くに今でも店が出ていたなと思い出を振り返りつつ、その店に寄ることにした。中に入ると、20年前とは雰囲気が変わっていたが、信州の働き者らしきリンゴ農家のご夫妻が試食のサービスをして下さった。家内が台風時の災害の話を伺うと、奥さんの話では、その時はただ一つご先祖の位牌だけを抱えて大急ぎで避難所に向かったのだという。ここは千曲川からはかなり離れており、とてもそんな洪水が押し掛けてくるなどとは思えない場所なのに、どんなに驚かれたことかと察するに余りあるものがあるなと思った。恐らくその後の復興作業も,自家を含めてリンゴ園の樹木の手入れなど相当に厳しかったのではないかと思った。それにしても今日ここで豊かに実ったリンゴを手にすることができ、甘美な実を味わうことができて良かったなと、しみじみ思った。

 手を添えて至宝のリンゴ愛でるかな  馬骨 アップルライン千曲園にて

 

念願のリンゴを手に入れた後は、R18をそのまま長野方向へ走り続けて、須坂長野東ICから長野道に入り、安曇野ICへ向かう。まだ日は高く西日が運転席に注いで暑かった。途中姥捨てSAにて小休止の後、安曇野ICへ。全山紅葉を眺めながらの運転は、信州の秋の醍醐味そのもので、やはり来て良かったなと改めて満足を実感した。

間もなく安曇野ICで降りて、道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里へ。ここは信州を通る時には必ず寄る場所で、もう10回近く泊りでお世話になっているのではないか。駐車場に車を停めた後、隣接する売店を覗き今夜の晩酌用に地酒を1本手に入れた。野菜類は明日の楽しみである。車の中で過ごす夜も二日目を迎えて、久しぶりの旅にも少しは馴れ出したのを実感しながら夕食を済ませ、夜を迎える。

 長き夜の妄想果てぬ歳となり  馬骨  安曇野の秋の夜

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信州小さな秋旅の記録<第2回>

2020-11-29 04:13:08 | くるま旅くらしの話

2年ぶりに旅に出かけました。旅と言ってもたった4日間の小さなものです。長いこと休んでいたため、旅の感覚が大きく鈍っているのを実感しました。6回に分けて久しぶりの旅の所感を報告させて頂こうと思います。

 

第1日(11/14〔土〕)

自宅→(R294)→常総IC→(圏央道・関越道・上信越道)→横川SA→(上信越道)→須坂長野東IC→(R403)→道の駅:オアシスおぶせ(泊)

いよいよ出発の時が来た。昨日までに概ね準備を終えて、給油も済ませた。往復500kmほどだろうから、満タンにしておけば途中の給油は不要だろうと思った。今回の旅は混むのが予想される一般道を避けて、多少費用がかかっても高速道を優先させようと思っている。老人には長い時間をかけて一般道を行くよりも短時間で目的地に届く高速道の方が楽だと思った次第。いつもだと旅の初日は適当な緊張感があって、車を運転する楽しみ等も膨らむのだが、今回は何故なのかさっぱり意気が上がらない。何となくめんどくさいというような気持があるのは、2年間の封鎖いう長いブランクと、それと合わせて2歳年取った老人となったということなのか。とにかくこんなことは初めてであり、その分安全運転に十分気をつけなければならないなと思っての出発だった。

9時40分に家を出て、20分ほどR294を走って常総ICから圏央道に入って、関越道鶴ケ島JCTを目ざす。圏央道は比較的新しい道だが、何だか促成道路の感じがして車線も少なくあまり好きになれない高速道だ。久しぶりの高速走行なので、特に注意して安全走行を心がけることにした。鶴ケ島JCTまでは思ったよりも時間がかかり、関越道に入る時には渋滞していた。休日なので車の量が多いのかと思った。間もなく渋滞も解消して上信越道に向かう藤岡JCTへ。天気は上々で少し暑いくらいの感じだった。藤岡から少し走って、横川SAで昼食休憩とする。当初は遅く出発した時はここで1泊しようかとも考えていたのだが、今日は早い出発だったのでここに泊ることは止めて昼食することにして、その後は今日は小布施の道の駅に向かうことにした。小布施で時間があれば町中を散策するもよし、それがダメならば、そのまま道の駅に行って休めばいい、その程度の予定である。

横川といえば、昔から峠の釜めしとメニューが決まっている。JR線活用時代も横川駅では駅弁の釜めしは必食だったのを思い出す。高速道になっても、釜めしがあるのがありがたく嬉しいのは、やはり老人だからなのか。若い人たちよりもその分味わいが深いのだと、勝手に思っている。ということで早速釜めしを買ってきて昼食とした。ふと気がついた。どういうわけなのか今日の釜めしは近年に無く美味いのである。この頃は、どこへ行っても名物と言われる駅弁などの食べ物は味が落ちており、食べる度にがっかり感を増すことが多いのだが、今日のは違っていた。食べている間に欲しいと願っていた釜めしの具が丁度いいタイミングで出て来て、ご飯とマッチングするのである。ここの釜めしがこんなに美味いと感じたのは初めてだった。家内に訊くと同感だという。食べ物に対する評価では文句の多い家内のような人さえもが美味いというなんて珍しいことだ。不思議な体験だったけど、ありがたくも嬉しいことだった。十二分に満足してSAを後にする。

その後はひたすら上信越道を走って須坂長野東ICで降りて一般道のR403へ。途中、上信越道の小諸から上田を通る辺りの両側の山はカラマツの黄葉が美しく、その他の樹木たちも黄金色に葉を染めていて、全山紅葉が美しかった。もうそれだけで満足した。

R403をそのまま走れば小布施の町中に行く筈と行ったのだが、どこで間違えたのか、駐車場を見つけることができず、町中の散策は諦めることにし、道の駅:オアシスおぶせに行くことにした。この道の駅は上信越道に造られたハイウエイオアシに隣接していて、何回か泊りにも利用させて貰っている。車を駐車場に泊めて、一休みの後、まだ寝るのには早や過ぎるので、先ほどの町の中心街迄歩いて行ってみることにした。というのも、夕食に小布施の名物の栗おこわを手に入れたいと考えていたので、歩いて行けばまだ間に合うのではないかと考えた次第。

売店で観光案内図を手に入れ、凡その見当をつけてその方向へ歩いて行ったのだが、一向にいつもの観光街が出て来ないのである。家内は途中で不安を感じたらしく車に戻ってしまった。自分の方は、あれだけ大きなエリアなのだから、店も直ぐに見つかるだろうと思って歩き回ったのだが、北斎館もミュージアムもどこにも見当たらないのだ。道路脇など見ても何の案内表示板も無く、真に不親切な観光地だなと腹が立ってきた。解らないのは自分の勝手で不正確な思い込みによる見当はずれが原因なのだとは解っているのだけど、何故かこの町に対する怒りのようなものが湧いてくるのは哀れということなのか。結局栗おこわを手に入れることもできず、来た時とは違う道をとぼとぼと歩き戻るという顛末となった。日も暮れて来て、念願の栗おこわは手に入らなかったけど、夕飯はなんとでもなり、今夜はかなり冷え込みがきつくなりそうと考え、紅茶にウエスケなどを淹れて温まって、寝床の中へ。たちまち高鼾でカミさんを悩ましたようだった。本人は太平楽の白河夜舟。それでも夜中に目覚めて起き出し、一句。今回は句作をすることに決めている。駄作を3句ほど書きとめた。

 旅の夜の長きに飽いて欠伸かな  馬骨   

 信濃路の山悉(ことごと)く黄金(こがね)なり  馬骨

 山燃えて一瞬の秋遠去かる     馬骨

夜中は、予想通りかなり冷え込みがきつくなり、湯たんぽを持参しなかった手落ちをカミさんから責められた

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信州小さな秋旅の記録<第1回>

2020-11-27 22:22:53 | くるま旅くらしの話

 

2年ぶりに旅に出かけました。旅と言ってもたった4日間の小さなものです。長いこと休んでいたため、旅の感覚が大きく鈍っているのを実感しました。6回に分けて久しぶりの旅の所感を報告させて頂こうと思います。

 

【初めに】

長い間。具体的には2年余となるのだが、くるま旅を封鎖して来た。残りの人生をくるま旅での宝物探しをしながら生きたいと考えている自分なのだが、2年前に北海道生誕150年の来し方を訪ねる旅[5/26~9/14:111泊112日 全行程11,235km]を終えてからは、翌年(2019)住んでいる町内の自治会長の順番が回って来て、普段何の地域貢献もしていないのを反省して、この1年は旅を封鎖して会長の仕事を全うしようと考え取り組んだ。どうやらその務めを果たし終えたかと思った頃から、世の中の風向きが急激におかしくなり出し、新型コロナの流行が世界中を蹂躙し始めた。かくして、自治会長の仕事を終えた後の楽しみにしていたくるま旅の再開は、有無を言う間もなく釘づけにされてしまった。これは、傘寿を迎えた我が人生の中では予想もしなかった厄災となった。

4月以降、コロナ禍が下火になったらと旅の再開のチャンスを狙い待っていたのだが、9月が過ぎて第2波が収まり出したかのムードとなったのも束の間、10月が過ぎるとたちまち第3波の襲来が拡大し始めたのだった。

こんなことでは、何もしないままに今年が終わり、徒(いたずら)に人生の残りの貴重な時間が過ぎてしまう。思えば腹立たしいことなのだが、誰をも恨むわけにもゆかない。とにかくこの自縄自縛の状態を脱却しなければならない。そう考えて、とにかく何が何でも小さな旅に出かけようと心に決めた。

当初1週間程度の能登方面への旅を考えたのだが、家内に提案すると、即座に一刀両断で否決されてしまった。民宿や旅館に泊るなどとんでもない話なのだ。免疫力の弱さを強く自認している家内からしてみれば、Gotoトラベルなどに乗っかるなんてとんでもない無謀な愚行なのである。強引に一人で行こうかと思ったりもしたのだが、今まで独り旅はしたことが無く、こんな時に無理して敢行すればロクなことはあるまい、と諦めることにした。

その代替案として思いついたのが、信州への小さな秋旅だった。2~3日くらいの行程ならば、温泉に入らなくても済むだろうし、信州辺りならば、何かあった場合でも直ぐに戻ってくることができる。そう思っての提案は辛うじてOKとなった次第。本来このような短期間の旅は自分たちの中では旅というようなコンセプトからは外れたものなのだが、たとえ2~3日でも現在の閉塞感を打破すするきっかけにはなるのではないか。そう思った。

信州の秋には、期待しているものが2~3ある。その1は、全山紅葉を見たいという願望。その2は名産のリンゴや野菜類を手に入れたいという願いである。秋になれば、紅葉の名所は幾つもあるのだが、自分が一番好きなのは山全体が赤や黄色に染まった景色なのだ。一本のモミジの紅葉もいいのだが、それよりも何千本もの樹木や草たちの紅葉が山全体を染め上げるあの景色が何よりも好きで感動を覚えるのだ。春の季節、冬の長い眠りから目覚めた樹木たちが若芽を出して萌えて、山の生命を引き出して謳歌し始めるのだが、あれもいい。そしてその後の過酷な夏の暑さに耐えて今年1年の締めくくりを迎えた樹木たちの祭りの歓声が響き渡るかのような、全山紅葉が好きなのだ。全山紅葉は、都会では決して味わえない大自然の営みの貴重な断片なのだ。東北や信州など高山帯のある場所へ行かないとダメなのだ。信州はその景色を手に入れることができる至近の場所でもある。

もう一つのリンゴについてだが、これには一つの思いがある。先日、昨年の台風の集中豪雨による千曲川の大洪水災害の1年後の復旧の様子がTVで放映されているのを見ていて、リンゴ農家の方がどうにか樹を守ることができて収穫にこぎつけたという話を聞いて、どうしてもそこへ行って生命のリンゴを手に入れたいなと強く思ったからなのである。災害などなければ、信州アップルラインのリンゴは当たり前の産物として気にもならないのだが、今年はどうしても災害を乗り越えて稔りを実現したリンゴを手に入れたい。そう思ったのである。リンゴの他にも安曇野のサラダ街道産の野菜、特にセロリーを手に入れたいとも思った。信州の野菜には強く惹かれるものがあるのである。

このようなことを漠然と思いながら、細かな計画は作らず、出たとこ勝負で気まぐれに時間を過ごそうと思った。取り敢えず2泊3日の行程とした。

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600万歩を超える

2020-11-08 04:54:14 | 宵宵妄話

 

 11月2日、今年の歩きの累計が600万歩を超えた。昨年の到達が12月8日だったから、1カ月以上も早いことになる。その理由は、コロナ禍に尽きる。この未曽有の病に対峙するには、とにかく抵抗力を強化すること、勿論防止策も重要だが、それ以上に大切なのは、如何なる病に対しても抵抗力を備え、免疫力を強化することだと考えている。その方法としては、先ずは歩くこと、もう一つは食事の中身であろう。どんなに手を洗い嗽を励行し、マスクをしていても、家の中にじっとしているだけでは、自分自身の体力の強化も出来ないし、一旦外出してもひたすら逃げ回るだけではないか。そんなふうに思っている。正面からコロナと対峙するには、己の身体が病に対して強靭でなければならないと思っている。体力というのは筋肉モリモリのことではない。循環器が適切に循環機能を発揮し、血の巡りがスムースに行くことだと思っている。そのために必要なのは動くこと、特に歩くことがその基本となるのではないか。毎日目標を立てて歩くことを心がけてから、30年が経っているが、この間風邪をひいたことは一度もない。インフルエンザとも無関係である。歩きの効果が結果をもたらしてくれているのだと思う。

11月2日で600万歩に到達するためには、毎日平均19,573歩歩く必要がある。これは歩く時間で言うと約3時間、距離で言うと約15kmとなる。今年はいつもよりも5割ほど増やして目標設定した。600万歩を達成して、少し歩き過ぎているのではないかと反省し、この後は目標をダウンさせて、毎日12,000歩とした。それまでの目標は15000歩だった。この調子で歩き続けると年間700万歩を超えてしまい、これは50歳代の頃の数値となり、明らかに歩き過ぎとなってしまう。80歳の老人はやはり80歳であることをしっかり自覚しないと、落とし穴に見舞われることになるのではないか。調子がいいと思っている時が危険なのだというのが恩師に教わった自戒のことばなのだが、それは人生の如何なる状況にも当てはまる至言だと思っている。

 歩くのは楽しい。歩くのを継続するためには、歩きの中に楽しみを見つけ出さなければならない。自分には幾つもの楽しみがある。先ずは道端の草や木々の様子之観察。四季を実感できるのがこの観察である。それから考えること。歩くことは考えることでもある。この頃は老人としての妄想を楽しむことにしている。若い頃は前を向くことばかり考えていたが、この頃はわけのわからない未来を思ったりするよりも、遠い過去の出来事を反芻し,それに色付けして思いを膨らませることが楽しい。妄想というのは自由自在である。誰もチャチを入れることはできないのだ。戦後の貧しかった小学生の頃の思い出、訳もなく叱られた教師の顔などが思い浮かばれてくる。それらの人びとも皆幽界へ旅立ってしまった。妄想の世界では、皆が生きているし、時代も生きている。それらを膨らまし辿っている内にあっという間に歩きは終ってしまうのである。

今年はコロナのおかげで、存分に妄想を楽しむことができている。百害あって一利なしの感染症だが、この老人には密かな一利をもたらしてくれている。

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