山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

コミュニティとは何かを考える(その2)

2019-03-29 04:16:56 | 宵宵妄話

 さて、改めて自治会というものがどういうものなのか、あれこれと思いを巡らせてみた。どうも、自分には妙に理屈っぽいところがあり、抜本的に物事の本質を理解しないと、何をするに当っても行動できないところがある。理由(わけ)の分らぬままに何かをするなんてありえないと思っているのだ。自治会とか或いは町内会などと呼ばれているものの活動の本質は何なのか。それを理解、納得しないと会長などという仕事はできる筈がない。ま、殆どの人はそのような理屈など抜きにして、前例を見ながら仕事を引き継ぎ、見よう見まねで1年を過ごせば(我が自治会の全ての役員の任期は1年となっている)それでことは済むと考えておられるようなのだが、自分にはそのような良い加減のやり方は許せないのだ。これは、ある意味では困った性分と言えるのかもしれない。

 と、いうことで、先ずはコミュニティという、よく使われている地域社会を表わすことばの意味を知ろうと辞書を引いて見た。広辞苑もその他の辞書にも同じようなことが書かれていたが、本質に触れるようなことは書かれてはいなかった。それで、元々コミュニティというのは英語なのだから、そこではどのように書かれているのか、英英辞典や英和辞典などを引いて見た。その中で、これだなと思ったのが、ジーニアス英和辞典に載っていた説明だった。そこには「原義では共有の状態→共同体」と書かれていて、その後に「地域社会、市町村(同じ時に造成された)地域、その人々」とあった。知りたかったのは、原義だった。つまり、コミュニティの原義は「共有の状態」を表わすことばだということになる。

 なるほどと思ったのだが、さて、共有の状態というけど、一体何を共有することなのだろうか、と思った。あれこれ考えて見たのだが、この解はどうやら特定の何かではなく、その地域で起こってきた、或いは今起こっている出来事の全てを指しているのではないか、と思った。しかし、これでは自治会の仕事を進めて行く際にどのようなターゲットを作るべきかが見えてこない。何なのかとあれこれ思いを巡らす中で気づいたのは、「情報」ということばだった。地域の愛着意識や帰属意識といったものは、情報を共有することによって生まれ育つのではないか。逆に言えば、情報が共有されていない地域社会は、只の個人の集まりや群れに過ぎないということになる。同じ町内に住む人々が、知るべきことを知らず、知ろうともしないのならば、コミュニティが形成されるスピードは亀よりも遅くカタツムリにも劣ることになるのではないか。情報というのは、基本的には出来事の全てであるから、そこから特に重要なもの緊急を要すもの等を選び、優先順位をつけて取り組むことが大切なのだと思った。

 そこで今年度の自治会の運営指針を「情報の共有化」とすることにした。町内に住む人々の安全と安心を確保するために為さねばならないことを幾つか取り上げ、それらの周知を図ってゆくことにした。防災、防犯を初め町内の住人が知り、守らなければならないことは数多くあり、その他新たに生起する問題も多い。それらの一つ一つを取り上げ、知らせて周知するように努めることが町内というコミュニティをより確かなものにつくり上げて行くための基本であることを改めて確認した。何をどう知らせるかが自治会役員としての務めであり、一人一人の目に触れ、心に届くような活動が必要なのであろう。それをどのように実現してゆくのか、それを考えるのは楽しみの一つでもある。そう考えてこれからの1年間を過ごそうと考えている。

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コミュニティとは何かを考える(その1)

2019-03-21 04:58:29 | 宵宵妄話

 自治会の役員の仕事が廻って来て、会長の役割となった。今まではくるま旅の方に力を入れリタイア後の人生を楽しんでいたので、地域に貢献することなどは皆無だった。時々少しは何か役立つことをしなければとも考えたのだが、先ずは迷惑をかけないことが第一と考え、近隣の皆さんと仲良くやって行ければそれでいいと過ごしていた。しかし、そうはゆかなくなったのが今回の出来事なのだ。

 自分の住む守谷市の御所ケ丘地区は、五つの丁番地があり、それぞれに自治会がある。自分のところは2丁目なので、2丁目自治会となっている。この辺りは元々牧場や農林地であった所に公団が新しく拓いた戸建の団地が始まりで、そのあと民間の住宅建築業者等が建てた住宅や大小のアパートなどで構成された住宅地であり、自治会が誕生したのは、五つある御所ケ丘の自治会の中では最も新しいのだとは、長老の話である。

 自治会が誕生してどれくらいになるのか正確には知らないのだが、会則を読むと、入居の古い順に役員を務めることになっており、三役(会長・副会長・会計)も班長(192世帯を11班に分けている)も任期はすべて1年となっている。自分は15年前に引っ越して来たのだが、丁度その頃が戸建建築のピーク時だったのかもしれない。何も知らずにほぼ自動的に自治会に入会したのだが、もしかしたらその頃は自治会が生まれて間もない頃だったのかもしれない。

 15年の間に自分は班長というのを一度だけ務めている。これは月に2度会長から渡される市の広報紙を自班の各戸に配るのと、不定期には回覧板を回すのと慶弔の際に祝い金等の申請と当事者へ届けるという仕事がその全てだった。何だか市からの配布依頼の使い走りをしているようで、味もそっけもない感じの仕事だなと思いながら1年間を務めたのを思い出す。その仕事以外に会長を初めとする三役の人たちとの係わりは殆どなく、彼らがどのような仕事をしているのかさっぱり解らないままに1年が過ぎたのだった。

 この15年の間に、一部の有志の人たちのご尽力で自治会館が開設された。といっても新しく建築されたわけではなく、市への補助金申請が認められて、賃借物件を借りることができたのである。5年ほど前に開設されたのだが、自分としては可能な限りここで毎月土曜日に開催される茶話会や飲み会などに顔を出すように努め、わずかながらも地域の人たちとの触れ合いに努めるように心がけて来たのだった。

 自治会館が動き始めて5年ほどになるけど、この間に知り合った人といえば、20人にも満たない。出入りするメンバーは次第に固定化され、それは町内のほんの一部の人たちで、知り合いの輪は途中で拡大を止めたままだった。もともと向こう三軒両隣との触れ合いの機会も殆どない状態の人が多い町なので、他人や町内などという世界に首を突っ込む余裕や関心など無いというのが実態なのであろう。田舎で育った自分などには、これほど親近感の湧かない町にはただ驚くばかりである。

 しかしまあ、自分を振り返ってみると、22歳で生まれ育った故郷を出て以降、守谷に来るまでの35年の間に11回もの引っ越しの転居人生を過ごして来た者にとっては、そこに住んでいたという実感は少なくて、ここ守谷での15年間が初めて腰を据えての地域というものを実感する暮らしだったのである。新しい町故の、自治会を批判する資格などある筈もない。

 ところで、ほぼ同時期に転居してきた同じ番地内の3人が三役を務める順番が巡って来たのだが、誰が何をやるのかは、その3人で決めることになっているという。三人ともこの役員の話があったのは、2月の下旬なのだ。降って湧いたような話にすんなりと会長を引き受けるというのは無理というものであろう。譲り合うばかりではことが前に進まないので、一番歳の嵩んでいる自分がやはり会長役を引き受けるべきなのだろうと判断し、そう決心した。残りの役割はすんなりと決まった。

 さて、それから約1ヶ月足らずの今月の17日に総会が開かれて正式に新役員として承認され、今度の日曜には引き継ぎ会が開催されることとなっている。スタートは4月1日となるけど、4月に入ると直ぐに花見会などのイベントが計画されており、今の内から準備しておかないと混乱を来すことになる。今年も桜の開花が早まっているようなので、4月に入っての日曜日では、花のない花見会になってしまうのではないか。そのようなことを考えながら、自治会活動のことにあれこれと思いを巡らしている。

  ここまでは自分が会長役を引き受けるまでの自治会との関わり合いについて述べて来た。ま、ある種の愚痴のような繰り言なのかもしれない。それでも、会長という仕事を受ける決心をした以降は、自治会活動というものについて思いを巡らし、この恐らく人生最後となるであろう社会貢献活動をどう考え、どう取り組んでゆくかを考えてみた。大きくいえば、町内という狭いけど様々な考え、家族、職業等々を持った人々が暮らしているこの空間を、より人間的で安全・安心な世界にしてゆくという、いわゆるコミュニティをどうつくってゆくのか、それが自治会活動の本来の姿というものなのであろう。そのコミュニティづくりについて、私見を述べてみたい。(以下次回)

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くるま旅から少し遠くなります(お知らせ)

2019-03-07 03:43:13 | その他

<お知らせです>

少し寂しい気がしているのですが、この度住んでいる守谷市の町内会の会長を仰せつかりましたため、長旅ができなくなりました。何しろ我が自治会は、生まれてさほどに年月が経っていない新しい居住地域なので、向こう三軒誰が住んでいるのかも知らないといった、コミュニティとしては未熟な状況にあります。斯く言う私もまた、越して来て15年にもなるのに、しょっちゅう旅に出ていて、地域のことはほったらかしの状態でした。

あの世に行く前に、何か一つくらいは地域のために貢献しなくてはと考えていたところでしたので、これはいい機会だと受け止めて、取り組む決心をしました。安全で安心して暮らせるコミュニティをつくるために、仲間の皆さんと一緒にアイでアを絞り出して取り組んでゆこうと考えています。

となると、今までのように1カ月以上の長旅はできなくなりました。会長の仕事には毎月定期的に取り掛からなければならないものを含めて、臨機応変に対処しなければならない仕事が多いようです。まだ引き継ぎも終わっておらず、正式には4月にならないと、どう活動するのかがはっきりしないのですが、きちんとやるためには、これはもう最初から今年は旅のことは諦めると決め、役目の遂行に取り組むことにしました。

そのようなことから、このブログは「くるま旅」をメインとしているのに、これからあとの1年間は、旅の話題が少ない展開とならざるをえません。まだ昨年の北海道の旅の総括も終わっていませんので、時々旅の思い出や感慨などを紹介する形でブログを続けたいと思っています。 取り敢えずお知らせしておくことにしました。

(馬骨拝)

 

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