山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

時の流れに思う

2017-12-26 05:04:30 | 宵宵妄話

 今年も残り少なくなった。いろいろなことがあった。嬉しかったこと、楽しかったこと、怒りがこみ上げたこと、情けなかったこと、残念だったこと、悲しかったこと、などなど。この歳になると、これらの全てはみんな面白さで括れる感じがする。生きている間に味わっている喜怒哀楽のすべては面白いと思うようになりつつある。怒りの真っただ中に居ても、ふとそれを脇に置いて眺める余裕ができたことなのか。即ち老が本格化し始めているということなのか。人生というのは、やっぱり喜怒哀楽があって面白いのだ。どれか一つだけ、自分に都合のいいことばかりがあって満足ということは無い。感情を揺さぶるバリエーションがあって、初めて面白さを味わえるのだと思う。

 時間の流れというのはどのようなものなのだろうと思うことがある。時系列というのは過去から始まって現在、未来というふうに流れるものだと思いこんで生きて来たのだが、ふと本当にそうなのかと思うことがある。もしかしたら逆であって、最初にあるのは未来であり、そこから現在がやって来て、やがてそれが過去となって流れて行くというふうにも思えるのである。もしそうだとすると、人生というのは既に決まっていて、それが様々に形を変えて現在をつくり、更に過去へと向かって行くことになる。

 我々日本人に比べて、諸外国の人たちの信仰に対する姿勢は格段に違うように思うのだが、それは何故なのだろうと思うことがある。日本人の場合は、その多くが神というものに対して必ずしも真面目に向き合っているようには思えないのだが、キリスト教徒もイスラム徒教の人たちも神というものに対して真剣であり、敬虔なのだ。創造主としての神は絶対的なものであり、キリストもマホメットも神が使わした預言者として位置づけられ尊敬されているわけだが、日本の場合は多神教というのか、神が必ずしも創造主ではないことが多い。仏教のいう仏様は神と同体と考えていた時もあったようだが、仏教の場合は、その基盤となっているのは、釈迦という方の唱えた思想哲学なのだと思う。

 これらの違いを思う時、先の時間の流れのことを思ってしまう。時の流れが創造主のもたらすものであるとすれば、その創造主の存在は絶対的なものであり、これを崇めないわけにはゆかないものとなる。しかし、日本のような神に対する考えでは、神が創造主であるという捉え方が曖昧なものとなってしまい、未来は神によって決められるというような考えは生まれにくいのではないか。だから、日本人の多くは、時間というのは過去→現在→未来と流れるのが当たり前だと思うようになっているのではないか。

 どちらの考え方が是であり非であるのかは解らない。信仰というのは個々人や民族の持つ生きるための考えの拠りどころとなるものであろうから、その信仰の背景にある「時」の捉え方が正反対であっとしても、どちらか一方が正しいなどと決めつけるのはナンセンスなことだと思う。

それで自分は思うのだが、時がどのような流れであっても、やっぱり一番大事なのは「現在」だと思う。用意されている未来に辿りつくにしても、或いは積み上げた過去を未来につなげるにしても、結局「今をどう生きるか」が人生を創ってゆくのである。残りの時間が少ないのを感じるにつれて、その思いはますます強まって来ている。部屋の壁に平櫛田中翁の書かれた「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」の額が掛けてあるのだが、田中翁のような「わしがやらねば」という意気込みはあまりないけど、せめてこれからは「いまやらねばいつできる」だけは常時自分に問いかけて行きたいと思っている。

 今年も残り1週間を切ることとなりました。クリスマスも終わって、日本のお正月を迎えることになります。皆さまにはどうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

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AIへの関心と恐怖

2017-12-21 19:58:41 | 宵宵妄話

 最近あまり本を読んでいない。否、読まない日はないのだが、新しい本を購入して読むことが殆ど無かった。こりゃあいかんなと気づいて、本屋に行って棚を眺めている内にAIについて書かれている本が目についた。AIというのは、勿論「Artificial Intelligence」のことであり「人工知能」と呼ばれているもののことである。その理論はさっぱり解らないくせに、このテーマが騒がれ出した頃から妙に関心があり、最近は携帯電話などのメールを使っている際に、文章作成の中でそれが使われているのを実感したりしている。また、ネット社会の中では、広告や宣伝の中にそれがかなり浸透して来ているのを煩わしいと感じたりしている。

 買った本は、「AIの衝撃」というタイトルで、副題に「人工知能は人類の敵か」とあった。小林雅一という方が書かれたもので、講談社現代新書の中の一冊である。眠り薬的に毎晩少しずつ読んでいるのだが、時々やって来る孫娘が、いつもは枕元のスタンドの減光スイッチをいたずらするだけだったのに、何と自分の寝床の中でこの本を真面目な顔をして読んでいるポーズをとっているのを見て驚いた。未だ2歳になってそれほど経っていないのに、まあ、随分と時代を先取りしているようなのである。勿論字も読めないし、書くこともできないのだから、中身が解る筈もない。

 しかし、ふと思った。この子たちが成人する、18年先ごろには、この本に書かれているかなりの部分が現実のものとなってこの世を支配し、この子たちも恩恵を受けたり被害を被ったりしているに違いない。その時に自分が生きている可能性は極めて低いのだけど、もし生きていたとしたら、明らかにこの世に取り残された仙人となっているに違いない。と。

 人間がAIを有するロボットや機械装置などに支配されるということは究極においてはあり得ないとは思うのだけど、しかし、AIが自ら学んで成長するという機能を保有するとなると、一般大衆の中には知らぬままに支配されてしまう人間が相当存在することになるに違いない。勿論AIのもたらすものが人間にとって有効で価値あるものならば何の心配もないし、むしろ歓迎すべきものであろう。しかし、それが行き過ぎとなると、今度は人間社会を混乱させ、人間そのものを退歩させることにつながって行くような気がする。

 この本の中に将棋の電王戦のことが書かれていたけど、AIが進化するにつれて、人間の勝利はおぼつかなくなるに違いない。当然のことながら、過去の人間が考え出した全ての次の一手を一瞬に計算して、その中からベストを選ぶ機能を身につけている機誡装置に叶う筈はなく、更にその装置自体が自ら手を読むことを学んで進化して行くのだから、これはもう人間としては、まさにお手上げで処置無し、ということになるのだと思う。AIの進化が人間の脳の機能と連動して自ら学ぶということを備え始めると、自ら学ぶことを忘れている人間が取り残され、機誡装置に支配されることは明らかであろう。

 しかしこれらのことは、一般大衆にとってはどうでもいいことであり、研究者レベルの大きな課題となるのであろうが、その研究開発者が道を誤ったり、或いは悪用する者が現れたりすると、世の中は取り返しのつかない混乱に陥ることになるのではないか。現在ニセ電話詐欺などの事件が多発しているけど、もしAIを悪用して詐欺行為を成功させる方法などを開発したりしたら、この世は疑心暗鬼で満たされたものとなってしまいかねない。自動車のAIによる自動運転装置の開発は、既に現実化直前まで来ているとも聞いているけど、例えばマイカーを含めた全ての車が無人で動いているような世の中が、本当に未来の人間を事故などの無い豊かで平和な世界に導くとは思われず、逆に様々な人間性の劣化が表出して来るような予感がする。機械装置を支配していると思いこんでいる人間が、知らぬ間に逆に立場が逆転していて、装置が故意に人間に害をもたらすような働きを身につけるかもしれないのである。勿論どこかに人間に対する安全装置のようなものが組み入れられるのであろうけど、それだけで全てが大丈夫とは到底思えない。善には限りがあるけど、悪には限りが無いというのが、この頃の自分の人間観である。

 AIで最も恐ろしいなと思うのは、人間の脳の機能を活用して、人間以上にAIが己の脳(相当)機能を発達させる力を身につけつつあるということである。今のところ、AIが人間と同じような身体をつくり上げるという所までは行っていないようだが、仮にたった1台でもそれを備えたロボットが完成したとしたら、やがてはそのロボットが分身を増やし、この世を人間にとって代わって支配することにもなりかねないのだ。SFの世界が本物に近づくのは恐ろしい。人間の進歩の歴史は空想から始まったのかもしれない。その空想が辿りつく究極の向かい先が、人間に代わる別の物体を用意することにあるとしたら、それは人間が人間であることを放棄することに外ならない。

 考えればきりのないことなのだが、自分がまだ幼かった60数年前には、田舍の道を走る車は殆どなく、時々やって来るトラックは小さくてしかも木炭を燃料として走っている物などがあって、子ども心にももう少し世の中が良くなって暮らしが楽になり、マイカーなどが手に入ったらいいなあ、などと思ったりしたものだった。それなのに、今の世は、それらの夢を遥かに上回るものとなっている。あらゆるものが便利になり、人間は1日24時間という時間に不足感を覚え出しているようだ。

 しかし、冷静に考えてみると、物質面では豊かになってはいるけど、心の面ではむしろ貧しさが増している感じがしている。もしAIというものが心の貧しさを補うという働きをしてくれるのであれば、大歓迎なのだが、現在のところそれは手づかずの様で、更なる利便性を求める方向にばかり向かっている感じがするのである。 

この本一冊だけを読んで、AIの全てが解ったなどとは到底言える話ではないけど、今感じているのは、AIというのは、人間が創り出した得体のしれない怪物であり、果たして人間をどこまで幸せとやらに導くものなのか。不気味な疑念は高まるばかりである。

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八つ手の花   

2017-12-16 01:01:18 | ホト発句

                                                       

                     

           喧騒を 忘れて咲くや 八つ手花

          音もなく 八つ手花咲く 日向かな   

 

 

 

          よく見れば 八つ手の花も 饒舌か  

 

コメント:

冬に咲く花は少ない。それらの中で気を惹く花がある。八つ手の花だ。花とも言えぬような、カリフラワーの小型版のような咲きっぷりである。

八つ手は、どちらかといえば日蔭の多い、裏地のような場所に植えられているのが多いのだが、どういうわけなのか通りの脇の花壇のような場所に植えられているのがあって、それがこの写真である。日射しをたっぷり浴びているせいなのか、花が咲きだした頃は控えめだったのだが、次第に主張が強くなりだしたようである。マイペースでひっそりと咲くものが多い中で、この花たちは例外なのかもしれない。

その花をよく見ると、地味なようで、実は結構饒舌なのだなというのが判って、そう言えば、これに良く似たタイプの女性も多いなと思った次第。自己主張というのは、どのような生きものにも天の配分は誤りないようだ。

 

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漫画と現世が同居する場所

2017-12-12 05:58:11 | 旅のエッセー

 晩秋の旅で鳥取県や島根県など中国地方の日本海側を訪ねた。11月半ばのこの季節は、風が強く吹いて季節の冬への移行を顕わにしている感がある。今回も強風は鳥取砂丘に嵐を到来させ、砂粒を全ての来訪者に吹き撒いていた。一夜泊った北栄町の道の駅では、終夜旅車を揺るがし続けていた。この地方の冬の厳しさを思わせる体験だった。

 鳥取県は二人の偉大な漫画家を輩出している。一人は亡き水木しげる氏。もう一人は青山剛昌氏である。それぞれの代表作といえば、水木氏は「ゲゲゲの鬼太郎」青山氏は「名探偵コナン」である。これらのマンガを知らない人で、もしその人が日本人ならば、それは変人か仙人のような類の人物に違いない。大衆の中に居ることに安心感を覚える人ならば、誰でも本や動画でお目にかかっている筈である。

 自分的には水木しげる先生の漫画作品に昔から共感するものが大だった。妖怪に対する親近感を覚えるようになったのは水木先生のおかげだと思っている。墓場を怨霊などが屯(たむろ)する恐怖の場所と思いこんでいる人は多いと思うが、自分はもう、そう思わなくなっている。歳を取り過ぎて自分自身が妖怪化しているからなのかもしれないけど、水木先生の妖怪に対する考え方に共感を深めるようになって以来、意識は急速に変化したのである。そして、妖怪というのは実在すると信じている。水木先生は手塚治に比肩する偉大な漫画家だと思っている。

ところで青山剛昌という方を知らなかった。真に失礼千万で申し訳ない。作者よりも先に、その作品の主人公に強く魅せられたのがコナン君である。現代のセンスが随所にちりばめられた作品である。科学的、論理的そして空想的推理の面白さを味わわせてくれる、コナン君が活躍する世界を想うのは楽しい。

青山先生がその作者であることを知ったのは、大栄町(現在は北栄町)にある道の駅を初めて訪れた十数年前のことである。構内の端の方に小さなコナン君の銅像が建っているのに気がついて、どうして此処にこれがあるのか不思議に思ったのがそのきっかけだった。そのコナン君の生みの親である青山先生がこの地出身の方だったのである。それ以降、コナン君のTVを見る度に北栄町への親近感はいや増し続けている。

 さてさて、今回の旅では、このお二人の作品の世界が単なる空想に止まらず実在しているのを実感したのだった。

先ずはコナン君の世界である。今回初めて道の駅の裏に「青山剛昌ふるさと館」というのがあるのに気がついた。10年も前に開館していたのに知らなかった。その日は時間的に無理だったので中には入れなかったが、その代りに早朝散歩で、道の駅から1kmほど離れた所にあるJR由良駅まで歩いて往復したことで、この町がコナン君への思い入れが半端でないことを知って驚き、又感動したのである。

道の駅からJR山陰本線の由良駅に向かって歩き出すと、直ぐに目に入るのが「コナン駅」という道案内のオフィシャル看板である。由良駅の別名なのであった。バス停のベンチの脇に屈み込んでいる男がいて、その傍に行ってみるとそこにコナン君が居るのである。又、その通りを300mほど歩くと運河のような川に橋が掛っており、その欄干の袂にもコナン君がいて、その橋の名がコナン大橋となっていた。橋を渡り道路を右折して少し行って左折すると、その道がコナン駅に向かう通りとなるのだが、その通りの両側にはコナン君の所縁(ゆかり)の何人もの友達たちが、あのマンガの一場面の中に居るようにいろいろなポーズで佇んでいるのである。そして駅前には等身大を超えるコナン君が、駅からの乗降客を迎えるように立っている。最早この世界はマンガと一緒になった現実世界となっているのであった。このような像だけではなく、コナンの家パン工房などというのもあって、この辺一帯は恰もコナン君の世界をそっくり受け入れて暮らしている感じがするのである。

 

バス停には眠りこける毛利探偵がいて、その脇にいつものスタイルで話すコナン君がいた。

コナン大橋とコナン君の像。

コナン君の友達の女の子の一人。名前は覚えていないのでゴメン。

コナン君の友達の太った男の子。名前は覚えていないのでこれもゴメン。

このようなマンガの世界が現実の中に息づいているのを見るのは、実は北栄町の此処だけではない。もう一人の偉大な漫画家水木しげる先生の出身地の境港市の場合も同様である。境港市の場合は、街の中心地に水木しげるロードというのがあり、そこへ行くと先生の作品に登場する主人公の鬼太郎や目玉おやじ、ねずみ男や猫娘は勿論、様々な妖怪たちの大小の銅像が通りの至る所に解説付きで並んでいるし、米子空港は米子鬼太郎空港となっている。

境港市水木しげるロードの中のアーケード街。この奥に記念館がある。

ねずみ男の銅像。鬼太郎に次ぐ人気者のようだ。

おなじみのこなき爺の像。リアル感大である。

これもおなじみの砂かけ婆の像。

通りの中には妖怪神社もある。いやはやもうここは妖怪たちとの共同体である。

なんと、通りの中には妖怪が歩いているのだ。これは砂かけ婆のようだ。

今回の旅では境港を訪ねることはできなかったのだが、思わぬ所で水木先生の作品所縁の銅像などにお目にかかれて、驚き感動した。それは隣の島根県出雲市郊外にある一畑薬師というお寺に参詣した時だった。境内の中に目玉おやじの小さな像があり、そこに「おやじは寝るもの」とあったのを見て、何だか嬉しくなった。又本堂近くには「のんのんばあとオレ」という二人の人物の像があり、のんのんばあというのが実在の景山ふさという方であるのを知った。この方は水木先生の実家に勤められたお手伝いさんで、しげる少年に妖怪について語るなどして絶大な影響を及ぼされた方だったとのこと。のんのんというのは、この地方では神仏を拝む人のことをそう呼んでいたとのこと。景山さんのご主人がその拝み手で、熱心な一畑薬師の信者だったことから、のんのんばあという呼ばれていたのだとも書かれていた。水木しげる先生の世界は、境港市だけではなく、広くこの日本海側の風土の中で育まれ、それは生涯消えることなく、先生の作品の中にとどまって居るのだなと思った。のんのんばあとオレという像を見ていると、何だかその傍には大勢の妖怪たちが取り巻いて、二人を嬉しそうに見上げているのを感じたのだった。

一畑薬師の境内にある目玉おやじの像。ここでは涅槃おやじとなっている。

昔はマンガをバカにするといった風潮があったのだけど、今はそのようなものは拭い去られて、作品の中の登場者たちが現実世界の中に共生しているのを何だか微笑ましく思ったのである。現代はTVやネットなどの情報の技術革新がもたらすバーチャル世界が、様々な問題を起こしているように感じているのだけど、このようなマンガ世界との共生は悪につながる心配とは無縁のように思えて、ほっとするのである。

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年賀状を書く時節

2017-12-08 05:33:26 | 宵宵妄話

 旅から戻って、事後の処理対応に追われて、それが済んで一段落したなと思ったら、早やくも師走は中旬に入ろうとしている。歳月人を待たずというけど、それは一日といえども同じことのようである。真老の身には、時間が経つのが早すぎるのだが、これを止めることはできない。

 毎年この時期になると、自分には二つの仕事が待っている。その一つは高校時代の同窓新年会の開催案内の作成と送付であり、もう一つは年賀状の作成と送付である。新年会の方はもう何年になるのだろうか、一度引き受けたら最早幹事を辞めさせては貰えなくなってしまっている。ま、社会貢献の一つだと思って勤めさせて頂いている。年賀状の方は、これはもう随分と前からパソコンなどで自作することにしている。最近は宛名までパソコンでプリントしているという横着ぶりである。

 今年は、本文のプリントを昨日終了し、これから宛名の方に取り組み、それが終了したら1枚ごとに書きこみをして、年内には投函するということになる。これら一連の作業をしながら、毎年いろいろ感ずることがある。それらについて少し書いて見たい。

 まず年賀状のことだが、これは出すことに大いなる意義があると考えている。大げさに言えば、自分が今までの間に出会った人の数と言えば、恐らく2万人にも満たないのではないか。人の数は、日本人だけでも約1億2千万人、世界全体では70億人を超えていると推定されているのに、その中のたったの2万人なのだ。しかも年賀状をやりとりしているのは僅か300人ほどなのだ。これは奇跡的と言って良いほどの数であり、ご縁なのだと思う。これを放棄するなどというのは愚かな思い上がりの自分勝手というものであろう。そう思っている。

時々、もう年賀状を書くのは止めることにしたという挨拶状が届くことがあるけど、気の毒な気持になる。自分の場合は、相手の方が迷惑と感ぜられない限り書くことにしている。何年間も無反応の場合は、迷惑を察知して書くのを止める。そのような考え方で毎年年賀状を書いているのだが、現在は次第に減って来ていて、300人ほどとなってしまった。自分も後期高齢者となっており、もはや増えることはあるまいと思っている。

 そのような考え方で年賀状を作成しているのだが、今年は喪中欠礼の便りが例年以上に多いのに驚いている。現時点で30枚もあり、これからもっと増えるのかもしれない。お互いに高齢者同士が多いので、親兄弟姉妹などに物故者が増えるのは自然の摂理なのかもしれない。でも、90歳を超えるような場合は納得せざるを得ないのだが、自分などよりもかなり年下の方が亡くなられたという喪中欠礼の便りを見るときは、心が痛む。人間というのは生きていて何ぼという存在なのに、気の毒で可哀そうと思ってしまう。それを一番思っているのは亡くなられたご本人に違いない。心からご冥福をお祈りしたい。

 年賀状には努めて自分の近況のことを伝えることにしている。過去には家族個々のことなども含めていたが、最近は家内と二人の状況報告が多い。ここ数年は旅に絡むことが多くなっている。折角年に一度の挨拶をするのだから、決まり文句だけの賀状では勿体ないし、申し訳ないような気がするのである。本当は一人一人個別に賀状をしたためるのが礼儀なのだと思うけど、数の多さに負けて(?)共通項的印刷文字となってしまっている。なので、せめて自筆で何か伝えようと、空きスペースを作っておきそこにメモを書き込むようにしている。年賀はがきの発売が今よりも半年前くらいのタイミングであれば、パソコンなどは止めて全て手書きでするのになあと思ったりしている。ま、これは「タラ、レバ」なので、当てにはならない。

 一枚一枚の年賀状を取り扱いながら思うのは、一人一人の顔であり出会いであり思い出である。年に一度、その時だけ思い出す人も多い。簡単に思いだし簡単に忘れる人も多いけど、そうでない人やそうでない時もある。年賀状はそれでいいのだと思っている。それが大事なのだと思っている。人と人とは繋がっているのだ。年賀状はそのつながりの大切さを思い起こす貴重な手法の一つなのだと思う。この時節はこれからも毎年300人ほどの知人とのつながりを思い起こし、温めるときなのである。

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