山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

能登半島大地震に思う

2024-01-06 06:25:38 | その他

 この度の能登半島大地震で被災された多くの皆様にお見舞い申し上げますと共に、この大災害の犠牲となられた多くの皆様のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

何というとんでもない出来事なのか! 巨大地震による大惨事の発生には、言語に絶する思いです。年の初めの、年に一度と言ってもいい家族の集まりの温かいくつろぎの場から、突然、一挙に地獄の深懊へと突き落された人々のあり様を、TVの画像で何度も何回も見せつけられて、発する言葉もありません。只ただ、生き残った皆さんが一日も早く、少しでも多く元の暮らしに近づけることを願い、祈るのみです。

 

旅をする者にとって、能登は憧れの地の一つでした。それはこの後も変わりはしませんが、この大惨事を目の当たりにして、この後の能登の地への訪問がいつ実現できるのか、残り少ない老の身の自分には不安が膨らむばかりです。

コロナの事件が始まる前の頃、私は次の旅の訪問先を能登と決めて準備を進めていました。その目的の第一は、縄文時代の遺跡が残る能登町の真脇遺跡を訪ねることでした。私の現在の最大の関心事は縄文時代とは何かであり、真脇遺跡は往時の人々の海を頼りとした暮らしが多く残っている所と聞いており、その様子を覗いてみたいと考えていたのです。勿論それ以外にも能登は何回か訪ねており、再訪したい場所も幾つかあったのです。しかし、計画の準備を進めているうちに新型コロナ禍というとんでもないウイルス起因の病が発生して旅どころではなくなり、それに合わせるかの如く能登エリアに頻発する地震のニュースに無気味さを感じて、家内は尻込みを続けており、実行をためらっていました。コロナが5類に移行になり、どうやら能登行も可能になるかなと思っていた矢先のこの大惨事の発生でした。もしこの時期に実行していたら、どんなことになっていたか?!壊された道路では車は全くの無力です。冬の旅は自粛していたのは正解なのだと改めて思っているところです。

それにしても何というとんでもない大事件なのか!八十余年の我が人生の中で、晩期に入ってから大事件が勃発しているのを感じています。東日本大震災、熊本大地震、毎年と言っていいほど発生している異常気象のもたらす豪雨等による大災害、これらの少し前には阪神淡路大地震もありました。大正時代には関東大震災がありましたが、その後はここ五十年ほどの間に場所は異なるけど、大地震が頻発しています。無気味な感じがしています。もしこの上に大都市の東京や名古屋、大阪などのエリアに今度の能登半島地震のレベルの大地震が襲ってきたら、この国は一体どうなってしまうのか。余命の少ない自分たちには覚悟はできても、子や孫たちはどうなるのか。不安は膨らむばかりです。

子や孫の世代には、木の根や野草を齧っても生きるという智恵や耐性が全くと言っていいほどないのです。暮らしのインフラが破壊され尽くした状況の環境の中で、生きるすべを見つけられるのか、それを考えると、今の過恵とも思われる世のあり方に疑問を抱かざるをえません。大自然から遠く乖離し、人間の小賢しい智恵が創り出した利便溢れる世界に安住して、本当の大自然の怖さを知らない人たちが果たして生き残れるのか?それを懸念するばかりです。さりとて、今どう対処すればいいのか、現状を変える力は見出せません。警告を発するだけでは何の力にもなりません。只ただ、そのような恐ろしい事態が起こらないことを願い、祈るのみです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年の年賀状の補遺

2024-01-02 21:30:40 | その他

 私は、年賀状というのは、過去一年の近況を報告することと年頭に当っての自身の所感を記すものだという考えで作成しているのですが、今年の年賀状に<追加>事項として変なことを書きました。変なことというのは、「老を生きるための基本心得」などという3つの項目を掲げたことなのです。3つの項目というのは、①好奇心、②妄想力、③快動力というもので、この3つを最大活用して90歳・100歳をめざす、というのが基本心得というわけです。

 単発的な書き方なので、これだけでは何のことやら解らないと思いますので、この場を借りて少し説明させて頂くことにしました。

賀状にも書きましたが、人生最大・最後の課題は健康に長生きして天寿を全うすることだと思っています。これは私が傘寿(80歳)を超えてからどう生きるべきかについてあれこれ迷った末に気づいたことなのです。「人生、生きていてなんぼ」というのはまさに絶対的真理ではないかと私は思っています。この意味は、死んだら最早人生は無いのだということです。死んでしまえば苦労も悩みも無くなるのだから、それを願っても不思議ではないという考えもありますが、それはとてつもない愚かな人間だけが思い上がって考えることに過ぎません。私は自殺というのは人間の思い上がりだと考えています。犬や猫を初めすべての動物は己の生命の終りを運命に任せて精一杯生きており、自殺など考える奴などおりません。皆己の生命を大事にして精一杯生きているのです。

 80を超えて何となく人生の終りの到来を意識するようになると、この先をどう生きるかについて思いを巡らすようになります。

 私は傘寿を迎えた時に「八十立志」を掲げることにしました。立志というのは、多くの場合若者世代の特権であり、老人の出る幕ではないという感じがするのですが、私は敢えて己のこれからの生きて行く為の目標とその実現への取り組みを立志と呼ぶことにしました。私の八十立志の中身は三つあります。これは幕末の大儒佐藤一斎先生が言志録の中でおっしゃっている立志の中身に則して考えたものですが、先ず①目標は、90歳まで生きて次に100歳を目指すということ。そのための②手段として、この3つの基本心得の実践を果たすこと。そしてそのために不可欠なのは、この志の取り組みへの覚悟を決して曲げないことです。私はこれを勿論現在でも実践中ですが、84歳を迎える今年、それには少しの迷いもありません。

 何だか難しっぽくなりましたが、この立志の核となっている3つの心得について簡単に説明することにします。

 先ず①好奇心を持ち続けることです。好奇心とは、あらゆる現象、出来事に出くわして、そのことに興味関心を示し、そこに一歩踏み込んでみることです。これには感性が重要です。感性とはつまり「普通とは、いつもとは違うということに気づく」ことです。珍しそうなことに手を出してみるということかもしれません。疑問を放置しないことかもしれません。

 次に②妄想力ということですが、これは「タラレバ」の思いを自在に巡らすことです。「もし、あの時、○○だったら、‥‥」「もしその時、○○してさえいれば、‥‥」と言うような、謂わば失敗や不首尾の出来事などを、新たに甦らせて自分の思い通りにその後のストーリーを想い描くという力のことを妄想力と呼ぶことにしています。これは老人の特権ともいえるもので、多くの過去を引きずっている老人には、その浄化作用が必要であり、これを果たすのが妄想力だと私は思っています。どんなに辛かった、苦しかった、嫌だったことでも、老人になってこの妄想力を逞しく巡らせば、心はかなりすっきりする筈です。未来よりも過去を重視せざるを得ない老人には、妄想力は不可欠なのです。未来は空想力が必要ということになるのでしょうが、それは実現の可能性を持っている若い世代に任せておけばいいことです。そして妄想は、出来るのならば、全てハッピーエンドで締めくくりたいものです。誰にも邪魔されることなく大いに妄想力を発揮することが老人の活力醸成に役立つのです。

 最後に強調したいのは、③快動力の発揮ということです。快動というのは気もち良く動くということです。否定的な心を持たずに為すべきことをタイムリーに実行することです。今出来ること、為すべきことを先送りしないことです。決めたことは、ためらいなく直ちに実行することです。どれも皆当たり前のことですが、それを当たり前として見過ごし、思い過ごさないことが肝要なのです。快動力は、考えではなく行動であり、身体の健康の決め手のとなるものだと思っています。

私は、この3つの力(好奇心、妄想力、快動力)を最大限に発揮してこれから先天寿のその時がくるまで生きて行く覚悟でいます。

 

同感してくれる仲間が増えることを願って、敢えてこのようなことを書きました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年の新年を迎えて思うこと

2024-01-01 16:54:30 | その他

2024年を迎えました。我が新年所感は、次の通りです。

  老耄の迫り来る身の新年は、

        迎えたくもあり、迎えたたくもなし

 

 昨年は、随分長いことブログの投稿を休みました。その最大の理由は、勿論コロナの所為なのだと言えるのですが、もう一つ大きな理由があります。このブログのタイトルは、「くるま旅くらしノオト」なのですが、今迄は旅をするに際して、旅の中でその日に近い情報を記し、発信するようにしていたのですが、それが可能だったのは、旅車にそれが出来る環境が備わっていたからなのです。すなわち、PCを扱うスペースが確保できていたのです。旅車には、寝床を初め、衣類や食材などの保管スペース、調理及び食事のためのスペース、トイレなどが必要です。そのスペースの中にPCを使える機能が確保されていれば,毎日の発信も可能となるのですが、コロナの最中に旅車を新しい自作のバンコンに替えたため、PCを落ち着いて使えるスペースの確保が出来なくなってしまいました。以前の車にあったリビングもキッチンも無くなってしまったのです。そしてコロナのために休んでいる間に我が身自身の老化が急速に進み、それに合わせる様に書くという意欲が減退してしまったのでした。もはや、以前の様な形でこのブログを続けるのは難しい、としみじみと自覚したのです。実のところはこの意欲の減退というのが、ブログを中断させる最大の理由なのかも知れません。

 昨年は、コロナの終息とも思える5類への移行もあったので、9月初めから10月初旬にかけて1カ月ほど、北海道・東北への旅を再開したのですが、ブログへの投稿は一切しませんでした。終わってから思い出などを書いてみても仕方ないという虚脱感の様なものが、心を占めていたのです。それは今でも変わってはいないのですが、一つ気づいているのは、これからは旅の鮮度などにとらわれずに、時々くるま旅をして気を紛らわしている老人の独り言の様なものを書くことにしようかなどと考えています。本来のタイトルが目指したくるま旅の記録とはかけ離れることになり、タイトルを変更すべきなのだと思いますが、それも面倒なのでそのままにして、今まで以上にくるま旅とは関わりのない話を増やすことにしようとそう思ったのです。

 これを書いている今日は一月一日。午前中年賀状を受け取りました。年々年賀状の数も少なくなって、今年は100枚を少し超えるレベルでした。それらを一枚ずつ読んでいると、その人の昔の顔などが思い起こされて、懐かしさが膨らむのですが、それらの中に、このブログを読むのを楽しみにしているという方が居られるのを知り、これはサボってはいけないのだなと、改めて強く感じました。それで、今年からは、最早旅にこだわるのではなく、自分自身の現在の存在の証をお知らせするというつもりで、テーマにこだわらず投稿を続けて行こうと心に決めた次第です。そして早速その初めがこの記事ということなのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ開始15周年を迎える

2022-02-01 03:02:27 | その他

 このブログを開始してから今日で15年目を迎えた。途中、いろいろあったけど止めようと思ったことはない。15年も経つと開設当時(2007年2月)の頃のことを少し懐かしく思い出したりしている。

 元々このようなものをやってみようと思い立ったのは、或る方のホームページ開設の話を或る会誌で知ったからである。その方というのは、村山孚(まこと)というお方で、中国の古典等に詳しい文化人である。もはや故人となられているけど多くの著書はまだ健在だと思う。

このブログを始める前のその頃の自分は、還暦を過ぎたばかりの現役で、そろそろリタイアするタイミングを考えていた。リタイア後何をするかだけは決めていた。リタイア後はくるま旅で全国を回り、感じたことを記録に残そうと思っており、チャンスがあれば本などにまとめて世に問えたらいいなと思っていた。ただ、その具体的な方法ははっきり見つからず迷っていた。

そのような時に或る会誌で村山孚さんがホームページを立ち上げられて、その記事の一部が紹介されているのを読んだのだった。『午後の喫茶店』という名のそのホームページには、80歳を超えた村山さんの活き活きとした所感の記事が載っていた。それを知って感動した。それまでホームページを立ち上げるのも一つの手だなと考えてはいたが、その手続きや要領が苦手で面倒なので躊躇していたのである。それが、自分よりも遥かに年長の方がいともたやすくご意見を発表されているのである。それを知って、ためらっている場合ではない、自分も挑戦してみようと決心して、ホームページ作成の本を買ってきて勉強を開始した。悪戦苦闘しながら1年ほどかかってどうにか自分のホームページを立ち上げることができた。ところが固定的な記事なら作成は楽なのだが、常時入れ替えて新しい記事を紹介しようとするとこれが面倒で、どうも思うようにゆかない。どうしたものかと迷っている時に、ブログというより便利な手段があることを知り、それに飛びついたという次第。ブログならば、記事と写真を載せて発表するのにさほど手間はかからないので、これに切り替えることにしたのである。

ブログはくるま旅くらしをメインテーマとして開始することにした。最初はくるま旅のガイド的なことから始めて、その内に旅が本格化すると旅の毎日の状況を紹介するように心掛けた。このやり方は、旅が終ってその内容を冊子にまとめる際にとても有効な方法なので、その後ずっとそのスタイルを継続している。

しかし、間断なく旅を継続しているわけではなく、旅に出かけない時もあるので、その後ブログには時々の所感等を載せたりするようにした。やがてそれも境を設けずに自分の好きなことと勝手に書いて発表するようになった。現在はその真っ只中にいる。

実はもう一つブログを開設している。2014年3月同じ屋根の下に住む倅夫婦に長男が生まれたのを機に、一層ジジイになったのを自覚して「たそがれジジイの呟きブログ」というタイトルで、老人世代の一員として発言することにしようと、始めたのである。しかし、改めて気がついてみれば、自分は最早たそがれなどという位置づけではなく、既にくらやみの中に入り込んでいるのだ。だから、もうこれは止めようと思っている。言いたいことがあったら、このブログ一本で発言すればそれでよいと思うことにした。

さて、そういうことで、これからもこのブログを可能な限り続けて行きたいと思っている。自分のブログはエッセースタイルを基本としようと考えており、これはこの後も変わらない。より簡便なSNSもあるけど、自分は起承転結に拘(こだわ)って書いて行こうと思っている。SNSの世界では卑怯な者が多い。仮面をかぶり正体を見せず主張したり批判・批難したりしている世界は、本当はインチキなのだと思っている。この頃はバーチャル化が益々進んでいるようだ。情報伝達技術の革新が進むにつれて『本物」が遠ざかってゆく感じがする。人を騙しても何とも思わず、それを商売にしている人間が増えているのは、バーチャル化の進展に比例しているのではないか。

自分は簡便法は取らない。くどくてやぼったい表現でもそれに徹してやってゆきたい。これから卒寿を目指して生きて行くつもりでいるが、世風には媚びない。頑固に行く。15年目の決意である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックで得た大きな感動

2021-08-10 00:59:15 | その他

 オリンピックが終わった。歴史に残る変則的で、ある意味では悲惨なイベントだった。新型コロナのパンデミックの中、日本では第5波の最中に開催ということになったこの大会は、後世どのような評価を受けるのか。それは後世の人びとに任せるとして、今の世に生きる者にとっては複雑だ。先ずは開催の是非。開くべきか開かざるべきか、それが問題だ。しかし現実は問題のまま開催されることになった。世界に何万人と居るアスリートたちや、それを目指す裾野の若者たちにとっては、ただ只感謝の開催だったと思う。けれど一方でこのイベントに絡んでどれほど多くのパンデミックの犠牲者が生み出されたのか。開催しなくても結果は大同小異だったのか。それは誰にも判らない。この問題は閉会をしばらく過ぎてもまだまだ燻り続けるに違いない。その他にも問題は山積している。例えば、コストとパフォーマンスに係わる様々な問題など。

 その様なことは脇に置いておくとして、開催された多くの競技の中で、自分の心に大きな感動を与えてくれた人たちがいる。メダルの獲得やその色に拘わらず、多くのアスリートたちがその存在と同じくらいに感動を与えてくれたのだが、その中で自分が最高だなと思った感動に、2つの種類の4つの感動がある。

 二つの種類とは、一つは個人アスリートに対して強く心を打たれたものであり、もう一つはグループ(団体)であるチームに対して心を打たれたものである。個人競技者として名を上げれば陸上1500メートル8位入賞の田中希実さん。そしてチームとしては女子バスケットボールの日本チームと野球の侍ジャパン、女子ソフトボールチームの3つのチームの存在だ。

 先に団体競技の中からこの3つを選んだ理由について述べるとしよう。自分は、団体競技、即ちチームスポーツにおいて、優れた結果を出せるのは、その競技イベントにおいてそのチームがどれだけ成長(=成長力の獲得と発揮)出来たかが全てだと思っている。オリンピックで勝つためには、先ずはチームを構成するメンバーの一人ひとりの能力が優れていることが基盤となる。劣った能力の個人の集まりではチームとしての力を発揮が出来るかなどは問題外であろう。当然どのチームも鍛え上げられた個々人で構成されているのは当然だ。上位チームの力はどのゲームにおいても力は拮抗している。そこで勝つために求められるのがチーム力即ちチームワークということである。ではチームワークとは何か。それは皆がメンバー一人ひとりをよく理解して仲が良いことなどではない。能力あるメンバー一人ひとりが、チームが勝利するために必要な自分の役割を理解し、それを確実に実践できることがチームワークの基本となる。しかし、それだけでは、単なるチームワークの一般論に過ぎない。チームワークにもう一つ必要なのは、チームとしてのスピリット(=精神・魂)が出来ているかということなのだ。チームの目的は勝利することなのだから、個々人が実力を磨きチームの中で自分の役割を目一杯果たすことが必要なのだが、その個々人の中に自分自身のスピリットとチームとしてのスピリットという二つのスピリットがしっかり定着しているかが問われるのである。では、それがしっかり実現できているかどうかは、どうやって証明されるのか。それを示すのは、一戦毎のチームの成長力なのだ。チームが唯の実力者メンバーの集まりではなく、チームとしての力が発揮できること。それには先ず勝利することが肝要だが、その勝利を通してチームが成長するのである。その成長結果が一段とチーム力を増し、更なる勝利に繋がることになる。そしてその結果が層倍のチーム力となって次のゲームに繋がって行く。この成長のスパイラルを取り込んだチームが前評判を覆す存在となってゆく。これはどのような団体競技においても共通に言えることであり。そのスパイラルの発揮状況がそれを見る人たちを感動させるのである。

 今回の多くのチームスポーツの中で、自分が心を打たれたのが日本女子バスケットチームと野球の侍ニッポン、女子ソフトボールチームだった。バスケ女子は銀メダルに止まったが、チーム成長力のスパイラルを如実に示してくれた。何年か前の女子サッカーのなでしこジャパンと同じレベルの感動だった。

 そして野球の侍ジャパンと女子ソフトボールの二つのチーム。これは二つとも前評判時から優勝への期待が確実視されたチームだった。前評判ではこのチームと同様に並んでいたのはUSAチームだった。チームメンバー個々人の実力もチームワークの実力も同じレベルだった。なのに、USAは最後の勝者にはなれなかった。何故なのか。原因は明確だ。それはまさにチームの成長力の差なのだ。日本のチームの方が僅かに勝っていたからなのだと思う。この二つのチームが示してくれた成長力に感動した。その力をどうして掴むことが出来たのか。それは監督や選手たちだけに解ることで、詮索しても仕方ない。自分はただそれを示し続けてくれたことに感動し、感謝したい。

 さて、次は個人競技者として女子陸上1500メートルで決勝まで進み8位に入賞した田中希実さんに絶大な感動を貰った。この人の力の発揮は、その競技の金・銀・銅メダル等の上位入賞者たちを遥かに凌ぐものだった。TVを見ていて凄いなと思ったのはこの人が一番だった。何故なのか。他の様々な個人競技の勝利者たちの中にも、それなりの感動を覚えた人は何人もいるけど、この人ほどの凄さはなかった。この人の凄さは、いみじくも彼女が競技を終えたあとで語った言葉の中にあったように「自分の壁を乗り越えた、破った」というセリフにあると思う。明らかに彼女は異次元の走りを実現したのだ。それは多くの選手たちがいう「楽しんだ」などという身勝手なコメントなどとは異質のものだ。彼女は自らの走りの中で、禅で言うところの「心身脱落」(悟りの一表現)を実現したのだと思う。多くの陸上競技の走者の中で、このようなことを目の当たりに見せてくれた人を見たことがない。彼女はチームで言う成長力の極致を個人で実現したのではないか。これは驚きであり、自分の心を震わせた感動だった。そして思った。この人は陸上競技のこの分野の走りをもはや必要としないのではないか、と。本人の心の奥には走りを極めた者の格別な心境があるのではないか。もしかしたら、もう走るのをやめるのではないか。とも。

 ま、自分はそれほどのショックをこの人の走りに見たのだった。聞けば彼女の目指すものは作家だとか。自分はこの志を素晴らしいと思うし、この人は走りの中で得た己の壁破りの体験を生かして、何時かその夢を実現するのではないか。そして是非実現して欲しいと思う。陸上競技者の競技人生は短い。特に女性の場合はせいぜい10年が限界ではないか。早や目に切り替えた方がいい。人生は長いのだ。そして作家としては、この1.5kmの走りの中で得た体験を初作のテーマにされたらいいなと思ったりしている。

 何はともあれ、この人の走りの中からこのオリンピック最大の感動を得たというのが、一番の嬉しくもありがたい出来事だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しばらく休みます

2021-02-24 04:50:23 | その他

 

 

 このところ世の中の全てが停滞しているかのようです。コロナ禍の為すところですが、もしかしたらコロナ自体も停滞しているのではないか、の感もします。

 ということで、何事も書く気になれず、特にわざわざお断りする必要もないのですが、くるま旅どころではないので、しばらくブログの方も休むことに致します。コロナからの脱却の見通しが立った頃に再開したいと思います。(ハテ、いつになるのやら?)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の旅は取止め

2020-04-15 05:13:19 | その他

 1年間封鎖していたくるま旅の鎖を解いて、さあ、先ずこの春は東北の春を存分に味わうぞ!と柄にもなく老人の胸を大きく膨らませていたのだが、4月の日時が進むにつれて、その夢が急速に凋(しぼ)み始めている。

憎いのは新型コロナウイルスという奴だ。どのようなバイキンであっても,戦いはせずに友好関係を築いてゆきたいというのが菌やウイルスなどが原因の病に対する自分の考えなのだが、この新型コロナウイルスという奴は、一筋縄ではゆかない相手のようだ。人間という生き物の弱点を巧みに衝いて攻めて来ており、今はとても友好関係を考えることなど論外のようだ。自分としては、逃げ回ることなどせず、正対してこちらの強さを見せつけてやるよう鉄壁の構えを取るしかない。

しかし、自分の覚悟は決まっているとはいえ、世の中は戦々恐々としており、この調子だと、くるま旅の方もこの騒ぎが収まるまでは昨年に引き続いて封鎖することになるのかもしれない。それがどれくらいの期間となるのか、気になるところだ。

今頃、岩手県エリアなどに、つくばナンバーの車で、「春の旅でござんす」とお邪魔したとしたら、果たして歓迎されるものなのかどうか。ためらいは、東北のどの県を訪ねても同じように思える。

では東北以外のエリアはどうなのか。これも問題だ。当方が頑健で新コロ君など問題にしていないといったところで、もし身体のどこかに知らぬ間に新コロ君が取りついていたとしたら、旅先でバラ撒くことになるやもしれず、或いは逆に旅先の見知らぬ地で強力な新コロ君に攻められるやも知れず、そうなると、病への耐性に不安のある家内が心配になる。

とにかく今は、くるま旅に関しては八方塞がりの状態にあるようだ。これでは、とても安心して旅を楽しむことはできないだろう。その様に考えて今年の春の旅は、取止めることにした。

傘寿を迎え、自分に残されている時間がそれほど多くはないことを想うと、この時間ロスはかなり大きく痛いものとなるのではないか。せめて半年ほどでワクチンや治療薬の開発が進んで、新コロ君が降参の白旗を掲げて友好関係を申し込んでくるような事態となるよう願い、祈るばかりである。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ再開します

2019-09-14 04:32:06 | その他

 長い夏休みでした。気がつけば9月も半ばを過ぎようとしています。ようやく涼しさを感ずることができる日を二日ほど味わっています。桜の落葉が増え出し、蝉の鳴き声が力を失くして最後のつくつく法師の声もまばらになって、秋の到来を実感するようになってきたなと思っていたら、とんでもない台風がやって来て、千葉県では今までにない新たな大規模被害が発生しています。

 自治会の仕事をすることになって以来、防災と防犯は、くらしの安全と安心を維持するための核となるものだということを改めて実感している毎日なのですが、我が自治会エリアでは、防災に関して自分なりに町内を何度も巡回し、ハザードマップを見ながらあれこれ危険箇所などをチエックしてみて、この地この場所で考えなければならない防災の最大テーマは、大地震だけであり、それ以外は水害も風害も大丈夫。あとは人災だけだなと思っていたのですが、今度の台風15号による災害は、倒木のみならず電柱をなぎ倒され送電の鉄柱すらもへし折られ、人々の住いの屋根を飛ばされ、暮らしの基盤をめちゃくちゃに破壊されて、空間的孤島となっている場所が、この地からそれほど遠くもないところで起こっているのを目の当たりにすると、今後はこのような事態も防災の視野にしっかり入れておかなけらばならないなと、改めて思い知らされています。

 昨年、北海道の旅の中で、羊蹄山麓に滞在中に胆振東部地震に遭遇し、ブラックアウトというものを体験して、その時くらしの中における電気の存在が如何に大きなものかを実感したのですが、現在も混迷の中に生命の危険にさえ晒されている各被災地の方々のことを思うと、今回の災害が今までとは異質であることを感じないわけにはゆきません。

つまり、現代の当たり前の毎日のくらしから突然200年ほども前の暮らし突き落とされるということなのです。電気が来ない環境が突然発生したということで、現代人のくらしは一挙に崩れ去るということなのです。その脆さは、人間が頼るものが何かを如実に教えてくれるようです。現代においては、電力は最早不可欠最大の存在となっているようです。この暮らしの根源が破壊されると、現代人は生命の保持すら困難な時代に入ってしまっていることを思い知らされます。同時に、生き物に戻って生命を確保する術をしっかり身につけておく必要があることを思い知らされます。

結局のところ災害というのは生きるための自助努力の確保が何よりも大切ということを警告してくれるもののようです。現代人の暮らしをそのまま享受するだけの暮らしに浸っていると、いざという時に己の命すらも維持できない惨めな存在になりなり果てるということなのです。

しかし、理窟ではそのようなことが言えても、現実の我が身を己の力で保つことがいかに難しいか。現代人は今大自然に試される時代に入っている感じがしてなりません。とにかく今はもう、思考停止などといって惰眠を貪っている場合ではないようです。それにしても未だ災害の渦中にある皆様には、一日一時でも早く元の暮らしに戻れますよう心から祈念申し上げます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏期は思考停止(ブログはしばらく夏休み)

2019-08-03 04:47:14 | その他

 鬱陶しい梅雨寒の日々が長く続いたと思ったら、今度はいきなりの猛暑がやって来て、いやはやもう息も絶え絶えの状態となって来ている。涼を求めてどこかへ行ければいいのだが、その気も起こらず只じっと家の中で掛けっ放しにしたエアコンの人造冷気の中で惰眠を貪る毎日が続いている。

 せめて月に一篇くらいは何か書かないと、と思ってはいるものの、毎日が昨日と同じくらしぶりでは、それすらもやろうとする気も起きない。とにかく、こうなったらその気が起こるまでは当分ブログは休むしかない。暑さにうんざりする毎日の中では、老人の創作意欲は湧く筈もなく、愚痴や不満を書いたところで益々自己嫌悪に陥るだけだ。最も健全な対策は何もしないこと。そう見切りをつけてこれからしばらくこのブログも休むことにします。馬骨拝

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10連休の仕事

2019-05-06 11:12:39 | その他

 昨日で長い長~い連休が終わった。令和の時代も一週間を迎えようとしている。過ぎてみれば時間の経つのは何と速いことか。馬齢を重ねるにつれて時の流れが加速化してゆくのはなぜなのか。そのようなことを思いながら今日を迎えている。

 さて、この連休は自治会の仕事も休みとなったので、少し自分のことをしようと考え、去年から気になっていた一冊の本をつくることにした。昨年の初め頃、某出版社の無料出版作品募集に応募して見事に外れた作品があり、それをパソコンの中に仕舞っておくだけではつまらないと考え、この際自分で本をつくって見ることにした次第である。

自分は、今まで旅を終える度にその記録を冊子として残しておくようにしており、既にその冊子は30冊を超えているので、簡単な本を作る自信は多少あるのである。本格的な本と言えるレベルではないのだけど、それでも思いを形に表して見ることで次に進める感じがしたのである。

その本というのは「くるま旅で人生の宝もの探しを」という題で、サブタイトルとして「我が人生の宝もの探し」と名づけることにした。20年近くくるま旅をして来ているのだが、この辺りで一区切りして、くるま旅が自分にとってどのようなものだったのかを確認してみたいと思ったのである。結論からいえば、それは「人生の宝もの探し」だったということになる。

人は誰でも宝物を保持していると思う。宝ものとは自分が生きて行くのを支えてくれる力の源泉となっている様々な出来事、出会いである。この世に生まれ出でて以降、人は誰でも数多くの宝ものに支えられながら成長し、自分という生き物を育てて来たのである。宝ものを失ったら、人は生きる力を弱めてしまうし、新しい宝ものを手に入れれば、新たな活力を増すことができるのである。

老人となって思うのは、その人生の宝ものというのは、例えば仕事の世界をリタイアしたりすると、次第に新しい宝もの探しから遠ざかることになり、既存の宝ものの持つ力が弱まり出すということなのだ。つまり、出会いや出来事への係わりのチャンスが少なくなってゆくということである。内に籠り平穏な暮らしばかりを味わっていると、人の感性は弱まり、心身の活力が失われてゆく様に思えるのである。

これを脱却する方法は幾つもあるのだと思うけど、とにかく何らかの目的を持って、その実現に打ち込むということが大事ではないか。それはその人自身が見出し、取り組めばいいことなのだから、とやかく言うことではないのだが、自分の場合はくるま旅こそが宝もの探しの最上の方法だと思っている。

旅はそれが車であっても無くても、非日常の世界に飛び込むことで様々な出会いやできごとに満ちている。否応なしに刺激の世界を味わうことになる。だから感性は動き出し、心に活力がもたらされるのである。これは老を重ねるほどに必要な取り組みではないか、そう思っている。

今回の本は、そのような自分の思いを伝えておきたいと考え作ったものである。内容としてはくるま旅が人生の宝もの探しのツールとして優れているという理屈と、それから自分自身が宝ものと考えている旅で拾ったエッセーを何篇か披歴することにした。北海道から九州までの各地で出会った出来事などを16篇取り上げて書いてみたのだが、まだまだ紹介しなければならないものが数多く残っている。これらはいずれ別の形でまとめてみたいと思っている。

本の出来は正直あまり良いとは言えない。原稿をA5サイズで書いてしまったので、それをB5に拡大して印刷したら、いつもと少し違う感じの出来上がりとなってしまった。取り敢えず30部作ったのだが、さて、どなたに贈ればいいのか少し迷っている。販売できるレベルではないし、読んでもらえればそれでいいと思っている。とにかく丸3日かけてつくり上げることができホッとしている。

 

どうにか出来上がった本の表紙。部屋が暗くて画像が不良である。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする