今回の菅内閣改造の話題の一つとして、同じ党内ではない立場から閣僚に参加した与謝野馨氏の存在があります。元自民党の幹部でありながら、しかも自らの選挙区での落選の憂き目を、党の比例復活で救われたことなどはさほど意にも介さず、自民党を離れて新党「たちあがれ日本」の共同代表者となり、最終的には自民党からは除名処分を受けている人物です。反民主・非自民を掲げての「たちあがれ日本」の活動であったはずが、ここに来て出し抜けに自らが立ち上げたその党を捨てて、現政権の閣僚メンバーに加わったというのですから、マスコミ雀ならずとも、大いにその変節ぶりを云々したい気持ちになるのは、当然かもしれません。
この人が変節漢なのか、それとも時機を見るに的確な秀抜の政治家なのかというのは、この後のこの人の実績だけが証明し得るものと思いますが、今のところ私としては、与謝野氏は変節漢ではないという見方をしています。というのも恐らくこの方は仕事屋なのだと思うからです。仕事屋というのは、仕事が好きで、形振(なりふ)り構わず自分の仕事に熱中する人のことです。与謝野氏というのは、そのような政治職人のように思うのです。自分の政治屋としての仕事ができれば、その環境条件など構っていられないというヤツです。
今の政権運営は、どなたがそれを担っても、ある種の危うさがついて回るように感じます。門外漢が偉そうなことを言うべきではないのかもしれませんが、門外漢だからこそ当たらずとも遠からずとの見解を示すこともできるのです。今の世の危うさは、政治だけではなく、個人主義とその反動としての暴露主義(?)が綯(な)い混ざって世界中が乱れに乱れ続けている印象があり、どの国を見たって、どっしりと構えて国民を安心させている政治家など見当たらない感じがします。ま、強引に独裁を通している幾つかの国は別でしょうが、しかしそこだって高度情報化社会の余波を逃れることはできないでしょうから、ぐらつき出すのは時間の問題のような気がします。
つまり政党などというものが、マニフェストなる約定書を世に呈して一時の承認を得たとしても、その土台も根拠もべき論的虚体なのですから、たとえば財政的側面ではたちまち行き詰まって、約定を翻すに等しいレベルの修正を加えるという結果に陥る、というようなことになります。恐らくこれは、どの政党が政権を担っても変わらぬ現象と思われます。格好のいいことを言わずに、救国の思いを本当に伝えることができる人物や政党が出現すれば、治世の様子も少しは変わるでしょうが、現状ではとてもそのような期待は無理と思われます。政治家はあまりにも選挙という目先のハードルを意識し過ぎてなのか、こぞって絵に描いた餅をもてあそび、期待と現実の落差を広げようとしている感じがするのです。
このような状況にあって、本当に政治屋としての信念を果たそうとする人は、政界の渦の中にじっとして己の生命が絶えるのを待って居られるはずがないと思うのです。仕事というのは、生きているからこそできるものであり、命が空しくなればたちどころに消え去ってしまうものだからです。与謝野氏は、喉頭がんの病に取り付かれて養生を余儀なくされた経験があり、残された時間を考えると、政治屋としてはじっとして居られない心境になったのではないかと私には思えるのです。そして菅という人もまた、感ずるところがあって、政治屋としての彼の仕事力に期待をされたのでありましょう。客観的に見ればこれらの出来事は変節行為とも言えるわけですが、表面的なことだけで評価・評論をすることはしばらく控えたいと思うのです。
先日TVを見ていましたら、この変節という行為について、幕末の偉人、勝海舟を取り上げて、福沢諭吉先生が「変節は人の道にあらず」と評したとか。これに対して海舟は「行蔵は我にあり」と己の信念を述べたというような話をしていました。私は福沢大先生よりも勝海舟という人物の方が遥かに好きであり、尊敬しています。福沢先生を尊敬していないとか軽蔑しているなどという気持ちは毛頭ありませんが、あの幕末の革命的混乱の時代(実際に革命だったと思いますが)の国難を、身をもって担い切りぬけた海舟という人物を、幕府を裏切って新政府に妥協した変節漢などと思うことはできないのです。海舟という人がその後に総理大臣にでもなったとしたら、そう呼んでもいいのかもしれませんが、この人の行動は大局を離れたものではなく、この国の現在と将来を見据えたものであったと思うのです。「行蔵は我にあり」というのは私の好きな言葉の一つですが、己(おのれ)の出処進退というのは、まさに己自身が身を以て決めるものであり、他人からとやかく言われる筋合いのものではないと思うからです。
陽明学の真髄を述べた本に「伝習録」がありますが、この本の中に「事上磨」という一節があります。伝習録は、王陽明の弟子の何人かが、師と弟子たちとの間で交わされた問答などを収録したものですが、ある時弟子の一人が、「普段心が静かに落ち着いている時は、物事をそれなりに考え、対処できるのですが、何か問題にぶつかると、同じようには行きません。これはどういうことなのでしょうか?」と訊ねたとのことです。これに対して師の陽明は、「それはただ静養を知っているだけで、自分自身に打ち克つという修行をしていないからだ。己を鍛えないで静養ばかりでは、いざという時にはその問題に打ち負かされて倒されてしまう。人というものは、問題の渦中にあって己自身を磨き、鍛えなければならないのだ。それができれば、静時にも動中でも心は乱れることはない」というように話されたということです。
勝海舟と福沢諭吉の考え方の違いは、この伝習録の一節に似たものがあるように思うのです。海舟という人は、幕末の体制側に属して、まさに問題の渦中にあってその解決に身を以て当たった人物なのです。その人が革命後の変わり行く時代の中で、国のために請われて一時(いっとき)何がしかの役割を担ったとしても、それを変節というのは如何なものか、というのが私の見解です。福沢先生がもし立場を同じくしてその渦中に居られとしたら、果たして海舟と同じかあるいはそれを超えるような対応ができたものなのか、知るすべもありませんが、福沢先生は変節漢として引き合いに出す人物を間違えておられるように思えてなりません。ま、これは事の真相や背景をより詳しく知らなければ断言はできないことなのかもしれませんが。
さて、度々横道にそれますが、この与謝野という政治職人のことです。勝海舟と並べるのにはいろいろな意味で無理があると思いますが、現代の日本という国の、平和の綿帽子に包(くる)まれたコップの中の嵐のようにも思える政治の世界においては、海舟よりは遥かにその変節度は高いとは思われます。しかし、変節なしで、口先ばかりで何も為していない連中から比べれば、政治屋としての信念を貫くという点において、それなりの評価をして良いと私は思っています。今の世は、褒めるよりも貶(けな)すことが多く、特に政治の世界では相手の弱点を懸命に探し出して責めるばかりの手法が多く、小事を大事に拡大して自分たちの主張に都合のいいことばかりに大声を出している政党ばかりで、うんざりするのも限界近くになっている感じがします。このような世の中では、政治職人に集ってもらって、それぞれの持ち味を存分に発揮した優れた作品を創り出して欲しいと願うのも、あながち邪道ではないように思えるのです。まさに行蔵は我にありで、変節などクソ喰らえという思いで、党派を超えて、その政治職人としての技量を価値ある作品づくりに向けて貰いたいと思います。小人共が群れ集まって、やたらに正義漢ぶって、大事をなそうとする人物を潰し続けるような政治やマスコミの世界に、もういい加減に終止符を打って貰うためにも、与謝野氏には変節漢ではなかったという証を示して欲しいと願っています。