山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

与謝野氏は変節漢か?

2011-01-31 00:10:18 | 宵宵妄話

  今回の菅内閣改造の話題の一つとして、同じ党内ではない立場から閣僚に参加した与謝野馨氏の存在があります。元自民党の幹部でありながら、しかも自らの選挙区での落選の憂き目を、党の比例復活で救われたことなどはさほど意にも介さず、自民党を離れて新党「たちあがれ日本」の共同代表者となり、最終的には自民党からは除名処分を受けている人物です。反民主・非自民を掲げての「たちあがれ日本」の活動であったはずが、ここに来て出し抜けに自らが立ち上げたその党を捨てて、現政権の閣僚メンバーに加わったというのですから、マスコミ雀ならずとも、大いにその変節ぶりを云々したい気持ちになるのは、当然かもしれません。

この人が変節漢なのか、それとも時機を見るに的確な秀抜の政治家なのかというのは、この後のこの人の実績だけが証明し得るものと思いますが、今のところ私としては、与謝野氏は変節漢ではないという見方をしています。というのも恐らくこの方は仕事屋なのだと思うからです。仕事屋というのは、仕事が好きで、形振(なりふ)り構わず自分の仕事に熱中する人のことです。与謝野氏というのは、そのような政治職人のように思うのです。自分の政治屋としての仕事ができれば、その環境条件など構っていられないというヤツです。

今の政権運営は、どなたがそれを担っても、ある種の危うさがついて回るように感じます。門外漢が偉そうなことを言うべきではないのかもしれませんが、門外漢だからこそ当たらずとも遠からずとの見解を示すこともできるのです。今の世の危うさは、政治だけではなく、個人主義とその反動としての暴露主義(?)が綯()い混ざって世界中が乱れに乱れ続けている印象があり、どの国を見たって、どっしりと構えて国民を安心させている政治家など見当たらない感じがします。ま、強引に独裁を通している幾つかの国は別でしょうが、しかしそこだって高度情報化社会の余波を逃れることはできないでしょうから、ぐらつき出すのは時間の問題のような気がします。

つまり政党などというものが、マニフェストなる約定書を世に呈して一時の承認を得たとしても、その土台も根拠もべき論的虚体なのですから、たとえば財政的側面ではたちまち行き詰まって、約定を翻すに等しいレベルの修正を加えるという結果に陥る、というようなことになります。恐らくこれは、どの政党が政権を担っても変わらぬ現象と思われます。格好のいいことを言わずに、救国の思いを本当に伝えることができる人物や政党が出現すれば、治世の様子も少しは変わるでしょうが、現状ではとてもそのような期待は無理と思われます。政治家はあまりにも選挙という目先のハードルを意識し過ぎてなのか、こぞって絵に描いた餅をもてあそび、期待と現実の落差を広げようとしている感じがするのです。

このような状況にあって、本当に政治屋としての信念を果たそうとする人は、政界の渦の中にじっとして己の生命が絶えるのを待って居られるはずがないと思うのです。仕事というのは、生きているからこそできるものであり、命が空しくなればたちどころに消え去ってしまうものだからです。与謝野氏は、喉頭がんの病に取り付かれて養生を余儀なくされた経験があり、残された時間を考えると、政治屋としてはじっとして居られない心境になったのではないかと私には思えるのです。そして菅という人もまた、感ずるところがあって、政治屋としての彼の仕事力に期待をされたのでありましょう。客観的に見ればこれらの出来事は変節行為とも言えるわけですが、表面的なことだけで評価・評論をすることはしばらく控えたいと思うのです。

先日TVを見ていましたら、この変節という行為について、幕末の偉人、勝海舟を取り上げて、福沢諭吉先生が「変節は人の道にあらず」と評したとか。これに対して海舟は「行蔵は我にあり」と己の信念を述べたというような話をしていました。私は福沢大先生よりも勝海舟という人物の方が遥かに好きであり、尊敬しています。福沢先生を尊敬していないとか軽蔑しているなどという気持ちは毛頭ありませんが、あの幕末の革命的混乱の時代(実際に革命だったと思いますが)の国難を、身をもって担い切りぬけた海舟という人物を、幕府を裏切って新政府に妥協した変節漢などと思うことはできないのです。海舟という人がその後に総理大臣にでもなったとしたら、そう呼んでもいいのかもしれませんが、この人の行動は大局を離れたものではなく、この国の現在と将来を見据えたものであったと思うのです。「行蔵は我にあり」というのは私の好きな言葉の一つですが、己(おのれ)の出処進退というのは、まさに己自身が身を以て決めるものであり、他人からとやかく言われる筋合いのものではないと思うからです。

陽明学の真髄を述べた本に「伝習録」がありますが、この本の中に「事上磨」という一節があります。伝習録は、王陽明の弟子の何人かが、師と弟子たちとの間で交わされた問答などを収録したものですが、ある時弟子の一人が、「普段心が静かに落ち着いている時は、物事をそれなりに考え、対処できるのですが、何か問題にぶつかると、同じようには行きません。これはどういうことなのでしょうか?」と訊ねたとのことです。これに対して師の陽明は、「それはただ静養を知っているだけで、自分自身に打ち克つという修行をしていないからだ。己を鍛えないで静養ばかりでは、いざという時にはその問題に打ち負かされて倒されてしまう。人というものは、問題の渦中にあって己自身を磨き、鍛えなければならないのだ。それができれば、静時にも動中でも心は乱れることはない」というように話されたということです。

勝海舟と福沢諭吉の考え方の違いは、この伝習録の一節に似たものがあるように思うのです。海舟という人は、幕末の体制側に属して、まさに問題の渦中にあってその解決に身を以て当たった人物なのです。その人が革命後の変わり行く時代の中で、国のために請われて一時(いっとき)何がしかの役割を担ったとしても、それを変節というのは如何なものか、というのが私の見解です。福沢先生がもし立場を同じくしてその渦中に居られとしたら、果たして海舟と同じかあるいはそれを超えるような対応ができたものなのか、知るすべもありませんが、福沢先生は変節漢として引き合いに出す人物を間違えておられるように思えてなりません。ま、これは事の真相や背景をより詳しく知らなければ断言はできないことなのかもしれませんが。

さて、度々横道にそれますが、この与謝野という政治職人のことです。勝海舟と並べるのにはいろいろな意味で無理があると思いますが、現代の日本という国の、平和の綿帽子に包(くる)まれたコップの中の嵐のようにも思える政治の世界においては、海舟よりは遥かにその変節度は高いとは思われます。しかし、変節なしで、口先ばかりで何も為していない連中から比べれば、政治屋としての信念を貫くという点において、それなりの評価をして良いと私は思っています。今の世は、褒めるよりも貶(けな)すことが多く、特に政治の世界では相手の弱点を懸命に探し出して責めるばかりの手法が多く、小事を大事に拡大して自分たちの主張に都合のいいことばかりに大声を出している政党ばかりで、うんざりするのも限界近くになっている感じがします。このような世の中では、政治職人に集ってもらって、それぞれの持ち味を存分に発揮した優れた作品を創り出して欲しいと願うのも、あながち邪道ではないように思えるのです。まさに行蔵は我にありで、変節などクソ喰らえという思いで、党派を超えて、その政治職人としての技量を価値ある作品づくりに向けて貰いたいと思います。小人共が群れ集まって、やたらに正義漢ぶって、大事をなそうとする人物を潰し続けるような政治やマスコミの世界に、もういい加減に終止符を打って貰うためにも、与謝野氏には変節漢ではなかったという証を示して欲しいと願っています。

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冬休みを終わります

2011-01-30 02:07:52 | 宵宵妄話

  今月も残りあと1日となりました。明後日から早くも2月となります。2月は私のブログにとっては記念すべき月で、2007年の2月1日にこのブログを開始したのでした。早くも満4年が経ち5年目を迎えることとなります。この間に訪問者は約11万人、閲覧も30万件を超えるという、実績につなげることができました。真にありがたいことです。

開始早々は、どうなることかと不安ばかりだったのですが、時々怠けながらも何とか書き続けることができたのも、読んでくださる方々が居られて、それが励みとなったこと以外には何もないような気がします。おかげさまで、今では私自身の仕事というか、暮らしの一部となっているような気がします。

冬休みなどと称して、ズルけていましたが、新しい年度を迎えては、少し気合を入れ替えて取り組まなければと思っています。とは言っても、今の季節は旅に出かけるには条件が厳しいため、在宅の暮らしがほとんどとなり、楽しみの農作業でさえも冬にはそれほど仕事があるわけでもなく、ブログの題材はどうしても旅の話からは遠ざかってしまい、世評というか老人の愚痴のようなものが多くなってしまいます。ま、それもいいかと開き直って、明日からは再び宵宵妄話の類を書き綴ることにします。

今後ともよろしくお願いいたします。 馬骨敬白

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ロウバイが満開

2011-01-25 18:51:25 | 宵宵妄話

 

  只今冬休み中なのですが、時々気になって画面を覗いてしまいます。すると当たり前のことですが、同じ画面が現れます。この画面がいけません。モンスターペアレンツなどというのですから、まったく情緒のないこと甚だしいものです。それで思いついたのは、これからは休みをとる時には、できる限り飽きの来ない写真などを掲げることにしようということでした。

 で、早速その写真を撮ってきました。ロウバイの花です。嬉しいことに住まいの比較的近くに、畑の脇の土手に十数本のロウバイを植えている方が居られ、それらがかなりの大きさに育っていて、毎年この季節になると、あの透明感のある美しい花を香りと一緒に道行く人たちに振舞ってくれるのです。守谷に越してきて嬉しいのは、このような恵みを与えてくれる地元の農家の方がまだ多く残っておられるということです。

 これを材料にして一句と思いましたが、あれこれ言葉を捏ね回してみても、写真一枚には敵うはずも無いなとやめました。

 

ウバイ(=蝋梅・唐梅ともいう)の花は今が開花の最盛期を迎えている。青空に映える花たちの姿は、まるで群雀の囀りのようにも見える。

 

くで見るロウバイの花は、一つ一つが本当に蝋細工のようにみえる。しかし、そこに格別の温かさを感ずるのは、この花が生きている証なのだと思う。

 

 

 冬休みはもうしばらく取りたいと思っています。

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モンスターペアレンツに思う

2011-01-20 01:03:12 | 宵宵妄話

 

今日から冬休みでゆっくり冬眠したいと思っていたのですが、今朝の新聞を読んでいたら、以下のような記事が目に入り、こりゃあどうしても一言・二言、言わなくちゃあなるまいと眠気が失せてしまいました。学校や先生にクレームばかりを捻じ込むいわゆるモンスターペアレンツに対して、先生が慰謝料を求めて家裁に提訴したという記事です。それが埼玉県の話だというので、一層気になり、とうとうここまで来てしまったのかと、今の世の救いのない有り様に、ちょっぴり眠るのを延ばしたという次第です。先ずは、その記事を紹介します。 

 

教諭が保護者提訴~慰謝料求め「苦情で不眠症に」(埼玉の市立小)

 

行田市内の市立小の女性教諭が担任する女児の親から再三嫌がらせをうけ、不眠症になったとして両親に慰謝料500万円を求める訴訟を埼玉地裁熊谷支部に起こしたことが分った。訴状などによると、昨年6月、女児はクラスの女児とトラブルになり、教諭が解決のためにクラス内で話し合いをしたところ、母親から「相手が悪いのに娘を謝らせようとした」と批難の電話があった。母親はその後、7月中旬まで計8回、連絡帳に「先生は人間関係を円滑にする能力も著しく劣る」「自分の感情で不公平なことをして子どもを傷つけている」などと書き込んだ、としている。  

また、県教委や人権擁護委員会、文部科学省にも、教諭を批難する文書を送ったり口頭で伝えたりしたという。 

市教委を仲介役に学校、教諭側と両親で話し合う場も設定しようとしたが、両親は拒否。9月には、給食の片づけを指導するため女性教師が女児の背中に2回触れたところ、両親は警察に暴行容疑で被害届を出したという。  

訴えでは、一連の苦情への対応で女性教諭は不眠症に陥ったと主張している。  

学校側は取材に「管理職不在で話せない」とするが、市教委の説明で「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないようにし、教諭が教員を代表し訴訟を行なっていると受け止めている」との文書を提出したという。市教委は「裁判中なのでコメントできない」としている。  

女児の両親は「うちの子が女性教諭や友だちにいじめられているのに、学校にモンスターペアレントに仕立て上げられている。こちらが精神的なダメージを被っており、和解はあり得ない」と話している。(1月19日付 東京新聞25面記事)

 

 さてさて、くるま旅の人ならずとも皆様はこの記事を読んで、この国の未来に対してどう感じられるでしょうか? 親も親だし、先生も先生だ、と思われるでしょうか。それとも、立派な子ども思いの親だなあと感心されるでしょうか?或いは、酷い先生も居るものだと学校の対応に憤慨するでしょうか。はたまた良くぞ先生は頑張ったと、その勇気に拍手を送るでしょうか。そしてこのような事件では、どこでもそうですが、慎重な状況判断の管理者(校長・教頭)や市の教育長や教育委員会に対しては、それが当然の処置だと納得するでしょうか。そしてもう一度、この国の未来は一体どうなると思われるのでしょうか?

 このような問題については、どこに視点を置くかによって様々な理解の仕方があると思います。従って、安易にその是非や良否を判断するのは危険ともいえるわけで、先ずは事実を正確に把握することから開始しなければならず、これは大変に難しいことといえます。というのも、当事者間では既に事実の受け止め方や理解の仕方が食い違っており、その多くは水掛け論となりがちだからです。

私がこの記事に何故注目したのかといえば、現役最後の頃、私はご縁があって埼玉県のあるエリアの学校で教師の皆さんの前で何回か話をさせて頂いたことがあり、講演の後で教師の皆さんとの意見交換のような場を持ったことがあるからなのです。その時深刻に思ったのは、教師の皆さんの父兄に対する恐怖感とも思えるほどの気遣いでした。父兄からのクレームが来ることを何よりも恐れておられるようで、自信と信念を持った教師としての言動が大きく損なわれているように感じたのでした。もしかしたら、先生は子どもを見ているのではなく、その後ろに控えている親たちの厳しい目を見ながら仕事を果たしているのではないかと思ったくらいです。父兄と対峙するような出来事が起ころうものなら、管理者からは叱責を受け、教育委員会からはその非のみを責められるという構図が出来上がっているように感じたのを思い起こします。

今回の事件は、その延長線上にあるような気がしたのでした。教師と子どもの間の相互不信が、教師とその子の両親との不信に拡大し、それが爆発して訴訟問題にまで至ってしまったのです。このような不幸は、恐らく氷山の一角に過ぎず、埼玉県のみならず全国至る所の教育現場に内包されているように思います。このような問題は、今の世のみならず、過去の時代でも繰り返して起こっていたとも言えますが、それにしても教員の内の何万人もの人が精神的な安定を欠いて仕事を休んだり放棄したりしているという現実を見聞きすると、今の世における学校教育の危機を思わずにはいられない気持ちです。教育の危機は国の未来に対する危機でもあり、それは根本的には、今の世の矛盾や社会病理に起因するものであるといえるような気がするのです。

簡単に言えば、家庭教育と学校教育の不整合というか、PTAというものがあまり機能していないということなのかも知れません。子どもをどう育てるかということは、国にとっても大変重要な課題テーマですが、国が学校教育を通して子どもに教えていることと親たちが子どもをどう育てようとしているかがかけ離れていればいるほど、その矛盾は子どもの現在と将来に大きく影響してきます。今回の問題では、この中身がよく判りません。結果的には子ども本人を置き去りにして、先生と両親が火花を散らすということになってしまったということでしょう。真に悲しむべき不幸です。訴訟の結果どちらが勝っても負けても、笑顔などありえず、子どもの将来には小さな(或いは大きい)トラウマが残るだけでしょう。

私はこの問題は、教育委員会や管理者がもっと突っ込んで考えるべきではないかと思っています。裁判の成り行きを見てからという一面はあっても仕方ないと思いますが、そのような日和見的な取り組みではなく、子どもを国としてしっかり育ててゆくために、教師と子どもの親たちに、それぞれの立場で何を教えなければならないかの判断基準のようなものを明示し、教師のみならず子どもの親に対してもより強く指導すべきと考えます。管理者の方も身を乗り出して対処すべきです。訴えた側も、訴えられた側も頭に血が上ってしまう前に、その双方を管理すべき立場の人たちはもっと身を乗り出してPTAのあり方を考える必要があるのではないでしょうか。

 教育長や教育委員会は、学校の管理者にマネジメントの充実を求めたりされているようですが、マネジメントについて、もっともっと学び実践しなければならないのは、教育長や教育委員会のメンバー自身ではないかと思ったのでした。そしてモンスターペアレンツなどという怪物が決して現れないような世の中をつくって欲しいと思うのです。

(この問題については、まだまだ言いたいことはたくさんあるのですが、とりあえずここまでとすることにします)

 

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冬休み

2011-01-19 00:12:38 | 宵宵妄話

 

 1月6日に寒入りしてこの方、暖冬の予想を覆して、それなりの寒さが続いています。20日は大寒です。少しまともな天気のペースに戻ったのか、それとも何かとんでもないことが起こる前のちょっとの間の慰めなのか。この頃は天気も人心も、予断を許さない危うさに溢れている感じがします。

 

只今、農事もブログも冬休み中といった感じで、どうも今一何ごとにも力が入りません。農事の方は、春に向かっての樹木の剪定作業や、大地の活力をつけるための耕起作業などが主な取り組み項目となるのでしょうが、連日汗をかくほどのボリュームもないため、まだまだエンジンが掛かりません。RVランドの農園の方も今月は冬休みとさせて頂いています。

 

ブログの方も近場の冬の旅に出かけるのも時期尚早のような気がして、旅の話のネタも尽きかけていますし、宵宵妄話も楽しくない話ばかりが溢れて生起している世の中には、書けば全てが老人の愚痴に成り果てる感じがして、力が入りません。せめて花鳥風月を愛でて、仙人然を装って一句一首をひねり出すくらいのことが、何の罪もない仕業なのかと、まあ、現状はこのような停滞の中にあります。

 

ということで、わざわざお断りを申し上げるほどのことでもないのですが、今月一杯は何もかも冬休みということにして惰眠を貪りたいと思います。夢に興奮して眠りを破った時などがあれば、妄話を伝えて頂くことにします。では。

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青空に梅の句二つ

2011-01-18 09:39:03 | 宵宵妄話

昨日は久しぶりのつくば行でした。かなりきつい北風が吹いて、歩きには少し難儀しましたが、北国の大雪に暮らす方々のことを思えば、晴天の下を歩ける幸せに感謝しなければならないと思います。2万歩近く歩いて、疲れを感じ出した頃に、道端に咲く梅の花を見出しました。その時の感想です。旅に出かけられない季節は、一日が長いような、短いような、……。冬と春を感じた時間でした。

      

         鎮まれる蒼穹に梅花星と咲く   馬骨

      

          凍てる空どこから溶くや梅の花  馬骨

 

 

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一言主神社に参詣する

2011-01-16 07:10:12 | くるま旅くらしの話

 

 今日(1/15)は少し遅くなりましたが、隣の常総市(元水海道市エリア)にある一言主神社に初詣に行って来ました。この神社のことは以前にも書いたことがあるのですが、守谷市に越して来てからは、近隣の神社の中では際立って神社らしい神社なので、そのことについてはこれからも時々触れさせて欲しいと思っています。

 守谷市在住者の初詣といえば、市内地元の鎮守社としの八坂神社だと思いますが、ここには小さな神社で、普段は神主さんが常駐しておらず、何かイベントのようなものがあるときだけ、何人かの神官と巫女さんらしき人たちがどこかからお出ましになり、神社のグッズなどを販売するということになります。参詣者もまた、普段は滅多にいなくて深閑としています。私の場合は先ずは地元に敬意を表して、とにかく初詣にはここを訪ねることにしています。私は神道や寺仏に対して格別信仰心が厚いわけではないのですが、神社やお寺は樹木が多く、大木もあって、そこへ行くととても気持ちが落ち着くのです。にわか信心は日本人の得意とするところですが、私も又まがうことなき日本人なのだと思っています。

一言主神社ですが、本当は初詣には真っ先にここへ行きたいと思っているのです。しかし、何度か挑戦したのですが、正月の3ケ日は大変な渋滞で、とても神社に近づけません。ここへ行くのには、歩きは無理で、どうしても車を使うしかなく、あと2kmくらいに近づくと、もうそこから先は車は殆ど動かない状態が続いています。それほどに、この神社は、今の時代でも下総一帯では人気があるのに驚かされます。

一言主神社は、平将門の子孫であり、守谷城主だった相馬氏(その後福島県相馬市の方へ移った)が15世紀半ばに本殿を再建したとのことで、その後兵乱によって焼失した拝殿を慶応年間に再建したと、神社の由緒書きに説明がありました。平将門は、平安時代に中央政権に反旗を翻した坂東の一大反逆児ですが、その心意気のようなものが、今でも下総のこのエリアには強く支持されて残っているように感じます。一言主神社は、その一つのシンボルのような感じがします。

元々一言主神社の祭神である一言主大神は、大和の国葛城山に居られるのですが、東国万民の災禍を救わんがためにと、その昔(千百五十余年ほど前)この地に現出したとのことです。その時にこの地に奇しき光が現れ、忽然と雪の中に筍が生じ、やがてそれが三岐の竹(一つの根から3本の竹が生えている)となったとのこと。真冬の中の、あまりの不思議に村人は恐れ驚き、急ぎお祓いを行い湯立ての行事をして占うと、その一言主大神のご宣託があったというわけです。この古事のことを、平将門の子孫は、自分たちの先祖になぞらえて祀ったのかも知れません。この三岐の竹の古事からこの神社を三竹山とも呼ぶと説明書にあり、今でも境内には三岐の竹が植えられています。

 

   

神社の境内に植えられている三岐の竹。昨年訪ねた時は枯れてしまっていたようだけど、新たな寄進者があったようだ。根の一箇所から3本の竹が生えるのは珍しいのであろう。しかしよく探せば結構見つかるのかもしれない。

 

、奈良県御所(ごせ)市を訪れた時、葛城山麓にあるご本家の一言主神社に参詣してきました。とても歴史を感ずる場所であり、建物の佇(たたず)まいでした。御所という所は、飛鳥時代の前の大和朝廷が生まれる前の時代から、葛城、巨勢(こせ)、鴨(=加茂)などの豪族が住んでいた土地で、これらの人びとの力を借りて大和朝廷が誕生したという話を聞いたことがあります。それほどに古い歴史を持つ土地の中で、一言主神社の存在は確かにご本家なのだと実感させるものがあったのを今でも忘れることは出来ません。

 

   

奈良県所市の葛城山麓にある一言主神社の社殿の様子。5月初旬に訪れた時は、新緑の樹木に囲まれて、歴史の重さの中にも清新な空気に満たされていた。

 

下総の一言主神社は、ご本家に引けをとらぬほどの立派な社殿を備えています。建物の規模から言えば本家以上かもしれません。今の世は、本家よりも分家の方が栄えやすい世なのかもしれません。というよりも本家も分家も関係ないというのが常識の世の中なのかも知れません。どちらにしても、馬の骨から見ればどうでもいいことなのですが、歴史を遡って今の世に残る建物などを観る時には、多少は襟を正して観てみることも必要なのかなと、思いをめぐらしたのでした。

松の内を過ぎてからの参詣は、もはや世間の喧騒からは遠くなっているのではないかと思って訪ねたのですが、休日とあってか、思ったよりも人出は多くて、かなりの賑わいでした。成田山や川崎大師、明治神宮ほどの賑わいではありませんが、車しか交通手段のないこの場所でも、これほど人を集める力があるのは、何なのだろうと思いました。一言主という呼び方もユニークで何となく親しみを感じます。私たちも一言主神社などとは言わずに、今では一言さんと呼んでいます。一言だけ願い事を聞いて下さると思っていたのですが、そうではなく、一言お願いすれば何でも聞き届けて下さるという考えもあるということで、人間がことばを弄ぶのも欲次第だなと思いながら、とにかく今年も無事に旅が出来るようにとお願いをしたのでした。

 

   

常総市大塚戸町にある一言主神社の昨日の景観。本家の方との最大の違いは、周囲は畑などに取り囲まれており、筑波山などの山は遙か遠くに見られるだけ。それでもどこか本家に似た雰囲気を持っているのが不思議だ。

 

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自治会班長あと3ケ月

2011-01-15 03:40:18 | 宵宵妄話

 偶には地域社会の中でのお勤めについても触れなければならないと思います。旅に出かけない間は、地域にお役に立つことには目一杯協力を惜しまないことにしていますが、さて本当に貢献しているのかといえば、甚だ自信がなく、汗顔の至りのレベルです。

守谷市には、地域ごとに自治会があり、そこには会長、副会長の下に班長という役員の仕組みがあります。私の住む御所ケ丘2丁目の自治会に班が幾つあるのかはよく判りませんが、私の属する第6班は、14戸で構成されており、班長は1年間の任期を順送りで担当することになっています。これは引っ越して入居した時に説明を受けたことですが、何しろドタバタしていましたので、何の疑問も抱かずに、ああそうですかと了承していたことでした。

その班長の仕事が、現在私のところに巡ってきており、昨年の4月からでしたので、あと残り3ヶ月となりました。班長の仕事というのは、定例的には、毎月2回発行される市報と時折市の幾つかの団体機関などから送られてくる資料等を各戸に配布したり、或いは自治会だより等の資料を回覧すること、その他随時に町内会として対処しなければならない行事(例えば環境美化の日)等の世話・まとめ役などの他に月1回、役員全員で防犯パトロールを行うことなどがあります。いずれも大して苦になるような仕事ではなく、地域の最小単位として皆が協力し合って果たさなければならないことのまとめ役ですから、当然のことだと思って努めているわけです。

この班長という仕事が回ってくるまでは、実のところ班を構成する自分以外の13戸の中で、名前を知っているといえば、半分にも満たない状況でした。毎月2回も配布物を各戸に配るようになってからは、さすがに全戸の方々のお名前は覚えましたが、印刷物をポストに入れるだけの作業ですから、そこにお住いの方のお顔は、最初に会費を徴収させて頂いた時にお目にかかった時以外は、会話を交わすことは殆どなく、人となりなどは全く存じ上げない状況が続いています。申し遅れましたが、御所ケ丘2丁目は新興住宅街であり、住宅の大半は、その殆どがここ20年以内に家を建てて越して来た人が多く、私の属する6班も6年前には、未だ14戸が揃っていない状況でした。そのような歴史の浅さもあり、お互いが顔見知りという関係からは程遠い状況にあります。 

その昔の隣組制度や、子供の頃の田舎の集落での交流のあり方とは全く違って、現代の新しい自治会制度というのは、真に人と人とのつながりの薄いものであり、シビアーに言えば、蜘蛛の糸よりも細い形式的なつながりのような感じがします。「秋深し隣は何をする人ぞ」という句がありますが、今の世は四季などには関係なく、気がつけば、隣は何をする人ぞ、ということになってしまっている感じがします。

私は守谷市に落ち着くまでに、所帯を持ってから11回も引越しをしており、その都度戸建住宅やマンション等の暮しを経験していますが、そのいずれにおいても何人かの特別の方を除いては、近隣との交流をする仕組みも機会も少なく、間借り人としての暮しは、自治会などというものとは無縁のものでした。それはまあ、現代社会の当たり前のこととして大して疑問も感じないままに過してきたのですが、ここへ来て自治会なるものに組み入れられることになり、改めて地域社会のあり方のことを思うようになったというわけです。

今疑問を感じているのは、顔も知らない人同士が自治会を作り運営しているという不思議です。知り合うという機会は、町内でのゴミ出し時に出会った時の挨拶や環境美化の日などの行事の際に一緒にゴミ拾いの作業をすることくらいしかありませんが、それらとて、どこの誰なのかを知るというレベルまで行くのは結構大変なことです。これが30年来も皆で一緒に何かをして来ておるのなら、親密感も生まれるというものでしょうが、今のところは毎回新鮮な緊張感(?)のもとに、この人はどなただったっけ?と思いながらご一緒しているという状況です。

NHKの放送番組の中に、「ご近所の底力」とか言うのがあったように記憶していますが、あれなどは真に羨ましい話です。今の私のご近所には底力を持つほどの一体感はなく、問題があったとしても密かにどこかで処理が為されている感じがします。(幸いにして、今問題があるとは思えませんが)しかし、いざという時にご近所のパワーが発揮できるものなのか、心細い限りです。

ゴチャゴチャ言っていますが、要するに言いたいのは、地域としてのパワーを発揮できるようにするためには、その構成メンバーがお互いをもっとよく知る、知り合える機会を作る必要があるのではないかということです。偶々電車やバスに乗り合わせているような関係ではなく、同じエリアに居を構えて住んでいるのですから、せめて皆が顔と名前を一致させることが出来るレベルくらいにはなりたいということです。顔も名前も知らないままに地域の自治が成り立つなどというのは、どう考えても賞讃されるようなことには思えません。

この課題は、地域の中で、即ち自治会の中で解決すべき問題なのかも知れませんが、私としては行政当局ももっと力を入れて何かを工夫すべきではないかと思っています。守谷市は旧農村エリアには集会所や生活改善何とやらなどという地域社会のための施設やツールなどが用意されていますが、都市化されつつある新興住宅地に関しては、その自治力を高める基盤となるようなものについての配慮は殆ど無いように思えます。自治会には、市報や議会だよりなどの配布という市からの一方的な小間使い的仕事を押し付けているだけです。それはいいとしても、自治会が自治会としての力を持てるようにするための支援をもう少し工夫して欲しいものだと思います。

このように書いてきて、結局のところ現状の批判めいた結論となってしまいました。今月中に来期に向けての総会が開かれる予定ですが、この際に何らかの提言をしてみようかとも思っているのですが、さて、新旧の会長さんや副会長さんを困らすことにもなるのではないか、或いは今のままで充分だ、これ以上知り合いたくはないと言う考えの人の方が多いのではないか、はたまた言い出しっぺで何か面倒なことを頼まれたりして、旅に支障が出たりはしないか等々、只今は少し複雑な心境にあります。あと残り3ケ月ですから、やっぱり静かに次の方に事務引継ぎを行なうのが、それこそ無害の責任遂行というものではないか。恐らくそういうところに落ち着いて行くのでしょう。

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ムクロジは木の実の王様

2011-01-14 00:21:54 | 宵宵妄話

  突然変な話です。ムクロジという木をご存知でしょうか?昔はどこにでもあって、その実を割って、石鹸代わりに使っていたなどという話を聞いたりしますが、今頃はだんだん数が少なくなって、神社の境内や昔からの農家の屋敷林などで偶に見かけるくらいになってしまっています。

私が初めてムクロジの木を知ったのは、その昔、東京郊外の調布市にある深大寺を訪れた時でした。深大寺のことは、昨年人気の高かった朝ドラ「ゲゲゲの女房」にも登場していますから、直ぐに思い起こされる方も多いのではないかと思います。東京でも有数の古刹です。すぐ近くに神代植物園があり、ここにも何度も足を運びました。貧乏ヒマなしだった若いサラリーマンが、女房子どもを連れて休日を過すには、最高の条件を備えた場所でした。

その深大寺の境内にムクロジの大木が一本あって、それがムクロジという木なのだということは、説明板のようなものを見て知ってはいたのですが、只それだけのことで、大して興味も覚えなかったのです。樹木というのは、季節によって劇的といって良いほどその形振りを変化させます。特に落葉樹は、青々と葉を茂らせている時と、すっかり枝の葉を落としてしまった時とでは、全く違う姿をしています。樹木を覚えるのが草花よりもずっと難しいと思うのは、1年という時間の使い方が、草花よりも遙かに遅いからです。どんなに生長の早い木でも、芽生えたその年に花を咲かせ実をつけるのがあるなどという話を聞いたことがありません。

私が俄然ムクロジの木に興味を持ったのは、秋の終わりごろに深大寺を訪れた時に、境内の木の下でその実を2個ほど拾った時でした。皺の入ったゼリー状の実を拾ったので、それをむいてみましたら、中から真っ黒なパッチリとした実が現れました。説明によれば、この実はお正月に娘たちが羽根突きに使う、羽根の根元に使うものだとのことです。とても固い実で、なるほど、よく見るとその通りの姿かたちをしていました。思わず大木の上を仰いで、もっと実が生っていないのかと探したのですが、残念ながら一つも残ってはおらず、又近くにも落ちている実は見当たりませんでした。でも、その時しっかりとムクロジの木と実を覚えたのでした。

その後転勤で関東を離れ、四国、九州と回って十数年ぶりで東京に戻り、千葉、川崎と住いを変えて、再び多摩地方の東村山市に住むことになったのですが、ここには隣接の小平市に籍を置く東京都の薬用植物園が近くにあり、住まいからは自転車で20分ほどの距離にありました。それで暇があるとそこを訪れていたのですが、そこに若いムクロジの木が一本あるのに気づきました。この木の存在を知っている人はあまりいないようで、冬になって実が落ちる頃になっても、誰もそれに気づきませんでした。そこで、毎週末は必ず出かけて行って、その実を拾うのを楽しみにしていました。一冬で100個くらいの実を拾ったのを思い出します。3年くらい住んでいる間にかなりの実を貯めたのでした。

 

     

ムクロジの実。これは採種してから3年くらい経ったもので、皮のついたものも乾燥して乾いている。実の方は、一層黒く輝きを増している。

  

守谷に越す少し前の年、砂の中に実を何個か入れて忘れていましたら、春先になってその実から何本もの小さな若木が芽を出しかなり大きい苗になっているのに気づきました。その中の10本近くをそのまま鉢で育てていましたが、守谷に越すことになって、その中の何本かを庭の隅に植え、残った何本かを故郷の畑の隅に移植しました。更に余ったものを何本か近くの公園の隅にそっと植えたのでした。

ムクロジの苗は、育った土地を離れるとなじみにくいと聞いていましたので、ダメもとのつもりで植えてみたのですが、家の庭も故郷の畑のものもしっかりと根を張って育ってくれました。只、公園の隅に植えたものは、雑草と一緒に刈り取られてしまい、全滅してしまいました。その後、庭の隅に植えたものもあまりに大きくなりすぎて、お隣に迷惑になるというので、泣く泣く育てるのを断念し、現在はその時の苗木は故郷の畑の分のみが生長を続けてくれています。もう4mくらいにはなっていると思います。

木の実といえば、私の場合はドングリを思い浮べます。ドングリもいろいろ種類がありますが、私としては楢よりもクヌギの方により親しみを感じます。固い実としては栢(かや)の実を思い出しますが、これは楕円形で鋭くとがっている箇所があるので、何となく扱いにくい感じがします。また胡桃も固さでは引けをとらないと思いますが、これは少し大きすぎて、何かに使おうとすると、ちょっぴり持て余しそうです。ところがムクロジの実は、これらの木の実に比べて、格段に扱いやすく、実に素直な形をしています。東村山にいる時には、拾った実で何組かの数珠を作りました。ドリルで穴を開け、細い紐を通すとなかなか立派な数珠が出来上がるのです。特に108粒の実を連ねた数珠は、市販の物の中にはなかなか見当たらず、坊主でも無いのに、一人首にかけて悦に入っていたものでした。あの頃は懸命にお経を覚えようとしていた頃で、ムクロジの実は、私にとってはいろいろな意味で人生の楽しみを豊かにしてくれたのでした。

ところで、守谷に越して来てからですが、殆ど毎日近隣を歩いているうちに、2箇所にムクロジの大木があることを見出しました。一本は隣のつくばみらい市にあって、農家の屋敷林に植えられているものなのですが、その下が公道になっていて、晩秋から冬にかけて、たくさんの実を公道に落し、ばら撒いていたのでした。最初は、車に轢かれ潰されて路面を汚しているのを見て、何だろうこれは?と思ったのですが、良く見るとムクロジの実ではありませんか!道脇を見上げると老木になり掛けた、高さ30m近くもあろうかと思われるムクロジの大木が聳えていました。イヤア、久しぶりにこの木に出会って感動しました。それからは、丹念に実を拾い集めて、もう保存しきれないほどになり、とうとう最後は勿体ないなと思いつつも拾うのを止めました。もう一本は守谷市内の外れ近い、小さな神社の脇にあるのですが、これはもう、あ、ここにもあるな、というだけです。

 

  

ムクロジの大木。青空に聳えるその枝先には、未だ幾つかの実がそのまま残っているのが見える。この実は硬いので鳥たちは口にしないらしく、冬の間、何時までも残り続けているようである。

 

 

私はムクロジは木の実の王様だなと思っています。小粒ですが固くしっかりしていて、磨くと黒く光り輝いて、それはその昔の羽根突きに興ずる小さな乙女たちのつぶらな瞳を思わせます。時々袋一杯に貯まっているその実を取り出して、眺めていると、何だかとても豊かな気持ちになれるのです。この実がどれほどの生命を保ち得るのか、来年当たりはもう一度芽出しをして、実生の苗木を育ててみたいなと思っています。今日もそのムクロジの木の下を歩きながら、あれこれと思いを馳せたのでした。

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ドラッカー博士の経営哲学のこと

2011-01-12 04:01:39 | 宵宵妄話

 今日も寒い一日でした。それでも昨日とは違って、風が無かったのが救いでした。7kmほど遠回りをして歩いて、久しぶりに本屋に立ち寄り、昨日発売の雑誌(=温泉博士)を買い求めました。と、レジの直ぐ傍に「漫画と図解でわかるドラッカー」という雑誌のような本が積まれているのに気づきました。宝島社の別冊宝島というシリーズの1冊というものらしく、まあ、世の中も国際的になったものだと、ちょっぴり不思議な気分を抱きました。

というのも、ドラッカー博士といえば、アメリカ経営学の頂点に立つ方、というよりも経営哲学の最高峰の人物と信じ、尊敬している私から見れば、漫画本などでその考え方が紹介されるなどとは夢にも思っていなかったからです。しかも別冊宝島に加わっているとは!時代は、半分くらい戻りながら、且つ進んでいるという印象です。何故なら、ドラッカー博士は何年か前にお亡くなりになっており、その考えなどは、もう遠い過去となってしまっているのではないかと思っていたからです。そして私自身も化石化の道を、スピードを上げながら進んでいると感じていたからなのです。それなのにこのような本が出版されているとは!

宝島社は面白い出版社です。一昨年は「田舎暮らしの本」で取材を受け、ホンのちょっと紙面(12月号)を汚しました。推理・探偵小説の出版社かと思っていたら、田舎暮らしから本格的な経営哲学の世界まで、まあ、その取扱い範囲の広いことは大変なものです。ま、出版社の経営のことはコメントの対象外なのですが、多少の驚きを禁じ得ないというのが私の所感です。

さて、今日の話はドラッカー博士に係わる私自身の人生哲学といったようなことについてです。私は、(これは自分自身の勝手な思い込みなのですが)、くるま旅くらし人を標榜するまでは、企業内教育コンサルタントを自負しておりました。あんな奴が企業内コンサルタントを名乗るなどとは、チャンチャラ可笑しいと冷笑する向きの人も何人かいるかもしれません。それはまあ、致し方も無いことですが、元の勤務先を辞して、半自立するまでの間は、我が人生においては最も本気で勉強をした期間だと思っています。その中で最高の師匠となったのが、ドラッカー博士でした。

経営に関しては、日本では何と言っても松下孝之助さんが神様と言われる存在となっていますが、ライバル企業に籍を置いた身では、その偉大さを素直に受け止めるのには少しハンディが大きすぎる嫌いがありました。実業の競争社会の中では、創業者の松下さんのお考えとその育てられた企業の行動にはギャップがあり、さほどのビューティフルさは感じられませんでした。しかし、この方の偉大さは、経営実務ではなく、その哲学にあったと私は思っています。

同じ意味において、その経営哲学的な偉大さを明示されたのがドラッカー博士だったと思います。松下さんとドラッカー博士はその哲学において多くの共通点があると思いますし、その究極世界においては、お考えが殆ど一致しているように思います。その中でドラッカー博士が、論理的な面においてより明快な感じがするのは、実業に係わった人と学者としての熟考を重ねた人の、経営哲学の解析と説明の仕方の差によるのではないかと思っています。

さて、そのドラッカー博士のことなのですが、この方はかなりの日本贔屓の方だったように思います。それは、アメリカの企業経営者よりも日本の経営者の方が、遙かに本気で、真剣にその論理に耳を傾けたからと思うからです。世界のGMが破綻を来したのも、ドラッカー博士の声などは無視したからではないかと思えるほどです。何度か来日され、私もその講演を拝聴に参加しました。残念ながら英語が解らず、通訳を介しての受け止め方だったので、著作に書かれている以上の理解は身につかなかったのですが、それでも、この方の並々ならぬ企業経営に対する思い入れの強さを感じたのでした。

哲学というのは、ものごとの本質を探究する学問だと理解しています。ドラッカー博士は、経営という現代の企業が持たなければならない本質的な考え方を探究され、提言された方でした。経営というと、経済という物と金の動きの世界を扱うというイメージが強くなりますが、ドラッカー博士が提唱される経営というのは、物や金ではなく人の世界であり、それにはマネジメントという言葉を使った方が適切な感じがします。そうなのです、ドラッカー博士の経営哲学というのは、企業経営の中での人間の持つべき発想や行動のあり方についての提唱なのです。ですから、これは経営活動を通しての人間研究の学問なのです。ということは、現代の企業行動を見据えた人間探求の成果の提唱なのです。言い方を換えれば、現代の企業社会に身を置く全ての人たちに対する生き方の原理原則を提唱し、説明されていると理解することが出来るのです。そこに、今でも新鮮な感覚を持ってドラッカー博士の考え方が受け入れられる理由があるように思います。

ここでドラッカー博士の経営哲学のことを縷々説明するつもりはありませんが、幾つかある著名な指摘の中に、今日の企業経営の目的は「顧客の創造」である、というのがありますが、これについてホンの少し触れてみたいと思います。この短いことばには、とてつもなく深い意味があると私は理解しています。企業経営サイドとしては、新規のお客さんを創り出してゆくこと、というのが一般的な理解だと思いますが、ドラッカー博士の提唱はそんな平板な意味ではありません。新規ではなくても、既存のお客様との間においても、常に新たな関係を創り出して行くという意味が含まれていると解釈し、その考えを応用すべきなのです。

ここで、「顧客の創造」という考えを、個人の普段のくらしの中での人間関係に置き換えて考えることも出来ます。顧客というのを自分と係わり合いを持つ相手と考えれば良いわけです。私たちが生きてゆくためには、様々な人間(=相手)との関係を維持・発展させながらの活動が、否応なしに求められます。誰とも係わり合いを持たない人生などある筈がありません。常に必ず誰か相手がいるのです。例えば一生の間に、親子関係皆無などという人生は存在しないからです。この相手との関係を創造してゆくという意味は、新たな知人を増やすという意味だけではなく、既知の人との関係をより清新なものとしてゆくということも含んでいるのです。親子であっても、その関係を全く創造しようとしなければ、関係は薄れ、消滅してしまうかも知れません。人間というのは関係の中に生きている動物なのです。この関係を常にブラッシュアップする(=磨き上げる)ことも顧客の創造の意味するところなのです。

ドラッカー博士の経営哲学の凄さは、この人間(関係)の本質を的確についているところにあります。学べば学ぶほど、その奥が深いことに気づかされます。私の場合は、自分なりのビジネス理論の源泉としてCLM(Customer Loyalty Management ― 顧客中心のマネジメント)という考え方を持っていますが、この理論構築の際には、ドラッカー博士の研究からたくさんのヒントを得たのでした。CLMは、お客様との関係を如何にして構築して行くか、についての理論(哲学)とその方法論を提示するものですが、この考え方は、くるま旅においてもそのまま応用することが出来るので、恐らく終生私の人生の宝物探しを助けてくれるものと思っています。機会があれば、この理屈を紹介してもいいのかなと思っているところです。

何だか半学問的な変な話となりましたが、店頭に漫画本のようなドラッカー哲学紹介の本を見て刺激を受け、つい昔のことに触れたくなりました。まだ、現役意識がかなり残っているのかも知れません。

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