第4日 <7月18日(日)>晴れ
昨夜は快適な涼しさのお陰で、良く眠れた。日中があまりにも暑かったので、夜はそのバランスをとってくれたのかも知れない。朝外に出て見ると、雲一つなく晴れ渡っており、今日も間違いなく大変な暑さになるに違いないと思った。着替えを済ませ、持参したパンの最後の一切れで朝食を済ます。
東から太陽が昇ったらしく日が射してきたと同時に気温が上がり始めたようだ。今日の予定は八戸の是川縄文館の探訪だ。建物の中は大丈夫だとして、昨日のような外の探訪だと、暑さが思いやられるなと警戒心が湧きあがる。7時20分過ぎ出発。ナビ頼りの運転だ。どうやら誤りはなさそうだ。8時過ぎ無事是川縄文館に到着する。何台かの車が止まっていたが、人影は見えない。取り敢えず周辺の様子を見ようと先ず建物の方に行ってみたら、張り紙があって、何と現在休館中だという。昨年の2月からだというから、随分長い休館のようだ。これじゃあ、どう仕様も無いので、諦めるしかない。しかし困った。炎天下の見学が無くなったのは幸いだとしても、この後どう過ごすか。考えた結果、とにかく今日の宿泊予定先の道の駅:奥入瀬まで行くことにした。途中買い物などしながらゆっくり行く様にしようと思った。昼頃までに着くことが出来たら、何処か木陰などを探して、昨日と同じように夜を待つことにしよう。
是川を出発する頃は暑さが本格化し出した。取り敢えずナビに従い道の駅:ろくのへ(=六戸)へ行ってみることにした。ナビは、このコースでは八戸のショッピングモールなどは通らないらしく、買い物は出来なかった。それでも六戸に着いて近所にあったコンビニやホームセンターで間に合わせることが出来て安堵する。ここにいてもしょうがないので直ぐに出発する。十和田の古い市街地を抜けて郊外に出て、道の駅に着いたのは10時40分。まだ昼前だ。もの凄い照り返しの暑さだ。取り敢えず昼食用のおにぎりを買って、さあ、どうしようと思案した。見渡しても木陰などどこにもない。こりゃあ如何なる方法をとっても、夕方までここで過ごすのは無理だなと思った。それにしても何という暑さなのか。今回の旅では全く予想もしていなかった猛暑の連日なのである。
予定では、明日久しぶりに奥入瀬渓流の散策を楽しみたいと思って、わざわざ今日はここに泊ろうと計画したのだが、これではもう諦めるしかない。あれこれ考えた末にとにかく奥入瀬渓流へ行ってみて、車が止められる状況なら歩くことにして、その後は山を越えて田舎館村の道の駅に泊ることにしようと決めて出発。
渓流に近づくにつれて、緑が近づいて来て、やがて緑のトンネルとなった。走りながら石ケ戸の駐車場にスペースが空いていることを願ったが、行ってみると期待は完全に裏切られて、超満車の状態だった。考えてみれば、今日は日曜だし明日も休日なのだから、涼と緑を求めて人々がやって来るのは当然のことなのであろう。これはもう諦めるしかない。で、車窓見物とやらのセリフを思い出して、それを実践しながら田舎館まで行ってしまうことにした。
緑陰の道を走りながら、この異常な暑さを恨めしく呪った。十和田湖を眺める余裕も無く、しばらく山道を上り、やがて今度は長い長い下り坂の道を辿って、13時近く道の駅:虹の湖に着く。ここは浅瀬石川をせき止めて造ったダム湖の脇に造られた道の駅で、今日はかなりの人出のようだった。反対側の駐車場に丁度好い塩梅の木陰のあるスペースを見つけて、しばらくここで休むことにした。何しろきつい山越えの道を走って来たので疲れも大きいのだ。誰もいないのでドアを開放して網かけをしてしばらく仮眠することにした。2時間ほど経って目覚めて外を見ると、未だ車は木陰の中にあった。暑さ対策には最高の場所だなと思った。
さて、どうするか。旅に出て以来一度も入浴していないので、この先にある温湯(ぬるゆ)温泉に入ってから田舎館に向かおうと考えて出発する。ここも相変わらずの炎暑が続いている。間もなく温湯温泉に着いて、名湯鶴の湯の浴場へ。ここには何度も来ている。250円也を払って、しばらくお湯を楽しむ。コロナ禍でも営業を続けていてくれたのは嬉しい。40分ほどで車に戻り田舎館の道の駅に向けて出発。途中久しぶりにビールで喉を湿らそうと考え、スーパーに寄り500㎖のを2缶ゲット。ついでに冷ややっこ用の豆腐を一丁。これで今夜は最高だ。予想外の変更のウサも少しは晴れるだろう。
16時30分田舎館の道の駅に到着。泊りの定位置を決めて、先ずは一人乾杯。何だかビールは1年ぶりに飲んだ感じだ。飲みながら岩手町の道の駅で買ったジャガイモ茹でる。これが今夜の夕食。ここは西日が強烈だ、17時近くまでかかってようやく陽が傾き始めて、涼しさがゆっくりやって来た。暑さは超スピードでやって来るのに全くのその反対の態度だ。お岩木山の方を見ると、日が沈んだ後の残照の茜色が明日も又しっかり照らしてやるぞ、今夜は少し冷やしてやるから文句を言うなというような空の風情だった。やれやれ、とんだ旅となりそうだ。この暑さがこの後も続くのなら、早々に旅を諦めて帰途に就く必要があるのかもしれないなと、悪しき予感が働く。何しろ80を超えた歳回りでは、無理は禁物。その後の全ての旅が出来なくなるかもしれないからなのだ。
第5日 <7月19日(月)>晴れ
寒い。日中の暑さからは想像できないほどこの地の朝は冷えて、気温は20℃を下回っていた。こんなに寒さを覚えるのはやはり日中があまりにも暑いからなのだろうと思った。これだけ気温に差があると、人間の感覚は狂って来るというのは、生きている証なのか?
外に出て空を見上げると、十一なのか十二夜なのか半端な大きさの月が輝き、その向こうにお岩木山の黒い姿がどっしりと腰を落としていた。空の端は凍えたような茜色になっていて、今日も暑くなるぞと威嚇している感じがした。6時を過ぎて本格的に太陽が活動を始めると間もなく空気は暖まり始め、朝食が終った7時前には日差しを避けたくなるほど暑さが厳しくなって来た。
今日はつがる市木造にある亀ケ岡遺跡を見た後、当初の予定では三内丸山野遺跡を訪ねることにしているのだが、暑いので止めた方がいいかなと思っている。もし時間があったら、鹿角まで行ってストーンサークルを見たあと、近くの道の駅にでも泊ろうかと思った。7時半少し前に出発。ここから木造りまでどれくらい時間がかかるかよく判らないが、1時間ほどで着くのではないかと思いながらの出発だった。何処かで給油をしなければならないなと思いながら弘前市内を通過しながら、確か安売りのスタンドがあった筈だと探したのだが、見当たらなかった。ま、木造りまで往復するくらいなら大丈夫だろうと、そのまま走り続けることにした。ナビを見ながらの進行だったが、あまり信用しないことにして、自分感覚でR7を行ったのだが、左折の道を探しながらナビに逆らって進んでゆくと、何と、浪岡の道の駅まで来てしまったではないか。こりゃヤバイなと思いながら折角なのでトイレにだけは利用させて貰って、直ぐに引き返す。やはりR339
で曲がるべきだったと自分の歪んでいた過信を深く反省しながら走っていると道の駅:つるたがあったのでちょっと寄って覗いたが、特に目を引くものは何もないので、直ぐに木造り方向へ向かう。
それほど遠くは無かろうと走っていたのだが、なかなかそれらしき目印が出て来ない。何度も右左折して細い道を走らされるので、又変な案内をし始めたのかと、ナビへの不信は一向変わらないのだが、ここまで来たら従う他ない。ガソリンもかなり減って来て、目的地に着くまで持つのかなと不安になって来た。それにしても遠い、時間がかかる。何度か裏切られながらようやく目的地近くに来た時は安堵の胸を撫で下ろす心境だった。しかし、案内所らしきものはあるものの無人であり、他に博物館らしき建物など見当たらず、ナビも目的地に来たとは言わないので、もう少し先かと行ってみたら、やはり何も見当たらず、ナビは同じ道を案内し始めた。なんか変だ。とにかく先ほどの案内所というのに車を止めて中に入ったら簡単なパンフレットと案内の略図などが置かれていたので、とにかく歩いてみることにした。暑い。じりじりと焼けつくような、まさに炎暑である。ここは海に近いらしく海抜10mほどの段丘がほんの少し広がり、その周辺は全くの平地で遠くに防砂林のようなものが連なって見えていた。一体縄文の頃はどんな地形でどんな環境だったのか見当もつかない。見てきた御所野や是川の地形とは全く違っていた。現在は何軒かの住宅と畑の農地となっており、丘の下の平地には立派な田んぼが広がっている。縄文の頃とは全く違った景色なのだろうなと思った。丘の坂道を上ってゆくと途中に土坑墓と書かれた簡単な説明板があった。どれがそうなのか判り難い状況だった。その先にも同じ内容の説明板があり、それ以外は何もない。噂に高い遮光土偶の出土説明などは何も無い。暑いし、もはやこれ以上探すのは危険だなと思い始めた。暫く頑張ってウロウロしたのだが、やはり何もない。諦めて車に戻ることにしたら、途中発掘をしている現場があるのに気がついた。近づいても良く判らない。2~3人の中年と思しきご婦人が土を掘っていたが、この暑さでは相当に厳しい作業なのではないかと同情しながら坂を下り車に戻る。もしかしたらまだ発掘中なので、施設は作られていないのかなと思った。それにしてもこの現状は、亀ケ岡文化などと言われている大きな存在の遺跡としては解せないなと思った。遮光土偶をモデルにした巨大な石造だけは確認できたが、その他はさっぱりだった。御所野や是川とは大違いの感じがした。あとでじっくりこの地の縄文時代を考えてみようと思った。
車に戻り、時計を見たらまだ10時前だった。かなり時間があるので、取り敢えず道の駅:碇が関まで行って、その頃昼食時となるだろうから、食事をしながら鹿角へ行くかどうか決めることにしようと思った。ガソリンが心配だったが、赤ランプが点くこともなく弘前近くまで戻って、良さそうなスタンドがあったので、満タン補給をする。これで安心。その後は、弘前市内を通りぬけて、碇が関の道の駅に着いたのは11時半近くだった。もの凄い暑さだ。梅雨明けと同時にこれほど暑さが一気に押し寄せた夏は経験したことがないのではないか。昼食休憩することにする。昼食は今日もおにぎり2個とお茶だけ。カップめんのような暑いものを体内に取り込む気にはなれない。
いろいろ考えたのだが、今日これから鹿角のスト―ンサークルを見ることにして、今回の旅ではこれを最後の探訪として家に帰ることにしようと決める。この暑さの中では無理しても余り益は無く、却って身体を壊す破目になるのは必定だ。
丁度12時に碇が関を出発して鹿角の大湯環状列石遺跡に向かう。R7からR282に入って、しばらくとんでもない山道を走る。何回か通ったことがあるのだが、あまり走りたくない道の一つだ。熊に注意という看板が出ていた。しばらく走って小坂に出て、ようやく平地らしき場所を通って、間もなく大湯のストーンサークル館の駐車場に着いた。炎暑にも拘らず、かなりの数の車が止まっていたが、やはり人気の場所なのだろうと思った。センターの中に入り、料金を払って、展示解説の数々をじっくりと見て回ることにした。あとで外の現地・現物を見ることにするが、とにかく暑いので、天国の館内での時間をたっぷり味わいたいと思った次第。有名な遺跡だけあって、さすがに分かり易い展示と説明がなされており、来た甲斐があったと満足した。縄文の世界は家に帰ってからじっくり妄想したい。その後外へ出て石組などの現物を見て回った。中野堂と万座の二つの遺跡をじっくり見た。よくもまあこれだけ多数・多様の石をここまで運んだものだ。何千年もかけての人の行為は、偉大なものとなるのだなと思った。まさに塵も積もれば山となるの例え通りだ。それにしても縄文の人たちの石への執着は凄いなと思った。日時計など天体現象との関わりを含んでいると説明にあったが、恐らくそれ以外にも多数の思いがこの石組には込められているのであろう。そして、やはり石でなければ今の時代まで残らなかったというのにも意味があるなと思ったりした。1時間ほどが経って、見学を終えて、この後は角舘方面へ向けて出発売ることにした。
再び長い山道を通ることになる。八幡平の山道を上り、下って玉川温泉、玉川ダムなどの景色を見ながら、田沢湖まで来て、ようやく角舘まで20kmを切る案内板が見えてきた。一応今夜は道の駅:なかせんに泊ろうと考えている。しかし、未だ日はたっぷり残っており、日が沈むまでどう過ごすかが課題だ。間もなく角舘を過ぎ道の駅:なかせんが近づいた。少し手前にあるショッピングモールに立ち寄り、食材などの補給をすることにした。時間を掛けて買い物をする。まだ日が沈むまでにはかなりの時間がある。
買い物を済ませた後、道の駅;なかせんには行ってみたのだが、まだ5時半を過ぎたばかりで、駐車場には日差しを避ける逃げ場がない。あと30分くらいは待たねばならない。それなら思い切ってすこし先にある道の駅:美郷へ行って泊ろうと考えた。美郷の道の駅は何年か前までは雁の里なかせんという名称だったが、その後リニューアルして今年の春に名を改めてオープンしたという。以前寄ったときにはトイレの改修工事をしていたので泊るのを止めたのだったが、さぞかし今は立派なトイレに生まれ変わっているだろうと思った。
なかせんを出て30分ほど走って道の駅:美郷に到着する。18時少し前だった。間もなく日が沈む頃なのだが、最後の一発を射こんでやるというかの如くに西日が強烈に射していた。それでも5分もすると暑さは減り出し、やがて間もなく日はすっかり沈んで、涼しさがやって来た。やれやれ。」これで実質的な遺跡探訪の旅は終わりとなる。
明日からはひたすら我が家を目指すだけ。でも暑いからゆっくりと安全運転で行こう。