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山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

時々「近況報告」:今頃の一日の楽しみ

2021-08-28 02:45:23 | 宵宵妄話

8月27日(金) 

新型コロナの感染が一向に収まらない。これは基本的には個人の問題だと思っている。なのに、どうしても国や地方自治体の為政者の取組みを批判したくなってしまうが、無駄なことなんだと思う。世の中には、いい加減な個人がかなりいるから、どんなに国やマスコミが騒いでいても、この感染はウイルスが感染を諦めてくれるまで続くのであろう。世界を揺るがしているこの病に対する自分の考えは、今のところ、そこで止まっている。

 で、個人としても自分は、勿論三密を避け、マスク、手洗いなどの防備策の厳守は勿論なのだが、一番大事なのは、強い抗体を持つ身体を保持することだと思っている。そしてそのために一番必要なのは、身体を動かすこと。その基本は歩くことだと考え実践している。糖尿病を宣告されて以来もう30年になるが、ウオーキングは日課の核となっている。定着させるまでにはいろいろ知恵を絞った。先ずは、歩く時間を用意すること。いつ、どれくらい歩くかによって、必要な時間が決まる。現役時代は通勤時間を2時間ほどこれに使った。電車やバスに乗る時間を減らして歩きに換えるために、自然と早起きになった。今は毎日が休日なので、時間は自在につくることができるが、歩くのはやはり早朝となっている。

 歩くのを30年間続けている内に、糖尿病も改善されたし、風邪なども引かなくなった。いや、時々は鼻風邪レベルになったりしたけど、ここ10年くらいは糖尿以外の病による不調は一度も味わったことが無い。歩きの効果は絶大だと確信している。

 コロナのこの時代であっても、この歩きによる体力保持の効果は不変なのだと思っている。今まで元気で来られたのは、歩きによって強化された抗体が病の侵入を防いでくれたからなのだと思う。ワクチンも有効と思うけど、もっと大事なのは自力の抗体強化なのだと思う。体力の保持というのは、継続的に身体を動かすことによって成り立つのではないか。「継続は力なり」なのだ。この信念のもと、今のところは卒寿(90歳)までは健康寿命を維持することを掲げて歩くことにしている。

 今年の夏は、異常な暑さの日が多い。昼間の外出はまさにアラートである。アラートなどと横文字ではなく、日本語で言うならば「死ぬ恐れがある暑さだ!」ということになるのではないか。だから、歩きは早朝以外には時間がとれない。夜に歩くというのは最低のチャレンジだと思う。世の中全体が疲れに沈んでいる中を歩くなんて、自殺行為だと思う。朝と夜とでは「始まりと終わり」の差がある。これは絶大だ。歩きは始まりの時間帯でなければならない。そう確信している。

 今頃は日の出が遅くなり出して、5時頃となってしまった。日の出と一緒に歩きに出掛け、3時間で10kmと少し歩いて帰宅する。この間休憩は取らない。汗をびっしょり掻いて戻りシャワーを浴びて秤に載ると、体重は1kgほど減っている。その後軽く食事をして、寝床に横たわり少し眠る。これでストレスなど何処かへ吹っ飛ぶ。これでいいのだと固く思って続ける毎日が楽しい。

 今のところコロナからの働き掛けは無いようだ。あっても我が身の抗体は、力を発揮して撃退してくれるに違いない。そのような近況である。

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「時々近況報告」の新設について

2021-08-27 10:14:52 | 宵宵妄話

 新型コロナの感染が一向に収まらない。従って旅に出かけるのもためらわざるを得ない。このブログはもともとくるま旅に係わることを書かせて頂こうと始めたものなのだが、今のような世の中の状態では、取り上げる話題もなかなか見当たらない。第一、旅もしていないのに旅の理屈など述べてみても何の意味もない。そんなことから、ブログの記事内容もくるま旅と殆ど関係無いものとなってしまっている。あまりくるま旅にこだわると、書くことが無くなりブログに穴が空いてしまうことになりかねない。

 そこで、気分転換を兼ねて車旅が再開できるまでは、「宵々妄話」のカテゴリーの中に、「時々近況報告」というのを入れて書くことにしたいと思っている。ま、今生きている現実も人生という大きな旅の一面なのだと考えれば、このブログの主旨に必ずし無関係でもなかろうなどと勝手に思っている。要するにこれは老人の暇つぶしなのだ。明日辺りから、時々近況報告というタイトルで、現在の自分の生きざまを書いてみたい。その内にはコロナも収まるだろう。

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新型コロナとエイリアン

2021-08-17 07:49:32 | 宵宵妄話

 旅とは無縁の毎日が続いている。暑さが収まったかと思ったら、雨降りが続いて全国各地で災害が多発している。コロナの感染がまたもや爆発していて、天災と併せて、にっちもさっちもゆかない世の中になっており、旅などを考える余裕などどこにもない。我が人生晩期の、まさに想定外の出来事が続いており、このまま終わってしまうのであればたまったものではない。いい加減脱出口が見えてきてもよさそうなものだ。

 どこへも出かけられず、無気力が定着してしまって為すこともない。連日だらだらとTVの前で画面に展開するドラマや歴史もの、様々な紹介番組などを観ている。時々古い映画なども観ている。観ていてもそれらの殆どは、観終わった瞬間から忘れ始め、数分後は跡かたもない。老人の得意技なのかもしれない。

 昨日珍しく映画を見た。「エイリアンⅡ」という少し古い作品らしい。「らしい」というのは、自分は映画というものを殆ど観ていないからである。映画館という所で本物の映画を見たのはいつだったか。昔「ミクロの決死圏」というのを観たのが多分最後だから、一体もう何年経っているのか。この頃はTVで古い映画が紹介されているけど、「ミクロの決死圏」などというのは、その対象にも入らないほど古いものとなってしまっているのだろう。それに比べると「エイリアンⅡ」とはかなり新しい時代の作品となるのだと思う。

 この作品は、人類の遠い未来に宇宙のどこかの植民地で起こった異生物との戦いの場面を想像した作品らしい。SF物にもいろいろあって、自分は決してその様な想像が嫌いではないのだが、最近の作品は想像がついて行けないものが多いようだ。この作品に描かれている進歩した科学の世界は、自分には人間の賢さが表れているようには思えず、ただ科学をベースとする機械文明だけが強調されていて、特にわけのわからない武器の類などにはついて行けない。

 ストーリーは宇宙のどこかの植民地に異常事態が発生し、一度異生物に襲われた経験のある女性が、再びその異常事態を確認するために、屈強な海兵部隊の人たち何人かと一緒にその植民地を訪れて、そこで起こった出来事を描いたというものである。その植民地なるものが宇宙のどこにあって、どんな歴史を持つものなのか一切分からないので、勝手に想像するしかないけど、何だか機械や装置尽くめで、どうしてそのような植民地が必要なのか、又そこにどのような人間が住んでいるのか解らないが、救出された子供がいるところをみると、人間界の暮らしが成り立っていたのであろう。ま、そのようなことはどうでもよくて、要はその世界に得体の知れない異生物が襲来して、子供一人を残して住民をせん滅させた状態を発見し、尚且つその恐ろしい異生物との戦いが始まったということなのだ。追いつかない想像力を以て、その戦いのいきさつを観ているのは、時に苦痛を覚えるほどのものだった。いい加減に止めてくれと言いたくなるほどしつこい戦闘場面が展開されていたが、その内にふと気がついたのだ。この戦いは何かに似ているな?と。

 そうなのだ、これはまさに今新型コロナの感染者の体内で行われ展開している、その状況なのではないか。と。得体の知れない異生物とはまさに新型コロナウイルスそのものであり、戦っている戦士たちは抗体という体内の外敵を防ぐ働きをする細胞たちではないのか。コロナウイルスという異生物に侵入された人の体内では、抗体が死力を尽くして戦っているのであろう。そして、ワクチンなるものは、その抗体を援護するために宿主たる人間が考え出した武器なのかもしれない。人間は未だ完全に敵であるウイルスをせん滅させる力のあるものを見出せてはおらず、抗体を支援する武器であるワクチンの開発に成功したレベルに止まっているだけということなのかもしれない。この支援武器は完ぺきな能力を持つには至っていないから、執拗に手を替えて攻めてくるウイルスには、抗しきれないものがあるのであろう。このような構図が見えてくる。それが解って来るとこの映画の見方が少しずつ変わって来るのを感じた。

 現在の人類の新型コロナとの戦いは、まさにこの映画のストーリーと同様であり、結末が見えていない。その後どうなるのか、どうなったのかが判別できない、そのような現状にあるのではないかと思った。

 現在人類が採っている手段といえば、とにかくウイルスの宿主にならぬよう、三密を避けマスクを掛けて洗い等をきめ細かに実践すること。そのためにも三密を提供するような事業を抑制することくらいで、ワクチン接種も含めて、コロナにとっては、まだまだ油断だらけの組みし易き敵に過ぎないということなのであろう。この体内に巣食おうとしているエイリアンとの戦いは、このあと何時まで続くのだろうか。映画を見ながらそう思った。ワクチンを超える治療薬を見出すか、或いは抗体が自力でウイルスをせん滅させる力を持つまでは、ただ逃げ回ってその時が来るのを待つしかないのではないか。人間の持つ科学などの力は、まだまだ未熟で万能にはほど遠いものなのだと、そう思った。

 この映画の中でもう一つ気になる場面と人物のセリフがあった。それは何かといえば、どういうわけなのかこの宇宙船の乗り組クルーの中の一人の人物が、異生物を地球に持ち帰って金儲けの手段にしたいとしつこく粘る場面だった。この異生物を兵器として使えば大儲けが出来ると主張する人間がいるということである。これを観ていて、新型コロナウイルスも全く同じ発想の対象となるなと思った。人間の愚か極まる姿がそこにあるのを、この映画の製作者は挿入するのを忘れなかった。実に恐ろしいことだなと思った。

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オリンピックで得た大きな感動

2021-08-10 00:59:15 | その他

 オリンピックが終わった。歴史に残る変則的で、ある意味では悲惨なイベントだった。新型コロナのパンデミックの中、日本では第5波の最中に開催ということになったこの大会は、後世どのような評価を受けるのか。それは後世の人びとに任せるとして、今の世に生きる者にとっては複雑だ。先ずは開催の是非。開くべきか開かざるべきか、それが問題だ。しかし現実は問題のまま開催されることになった。世界に何万人と居るアスリートたちや、それを目指す裾野の若者たちにとっては、ただ只感謝の開催だったと思う。けれど一方でこのイベントに絡んでどれほど多くのパンデミックの犠牲者が生み出されたのか。開催しなくても結果は大同小異だったのか。それは誰にも判らない。この問題は閉会をしばらく過ぎてもまだまだ燻り続けるに違いない。その他にも問題は山積している。例えば、コストとパフォーマンスに係わる様々な問題など。

 その様なことは脇に置いておくとして、開催された多くの競技の中で、自分の心に大きな感動を与えてくれた人たちがいる。メダルの獲得やその色に拘わらず、多くのアスリートたちがその存在と同じくらいに感動を与えてくれたのだが、その中で自分が最高だなと思った感動に、2つの種類の4つの感動がある。

 二つの種類とは、一つは個人アスリートに対して強く心を打たれたものであり、もう一つはグループ(団体)であるチームに対して心を打たれたものである。個人競技者として名を上げれば陸上1500メートル8位入賞の田中希実さん。そしてチームとしては女子バスケットボールの日本チームと野球の侍ジャパン、女子ソフトボールチームの3つのチームの存在だ。

 先に団体競技の中からこの3つを選んだ理由について述べるとしよう。自分は、団体競技、即ちチームスポーツにおいて、優れた結果を出せるのは、その競技イベントにおいてそのチームがどれだけ成長(=成長力の獲得と発揮)出来たかが全てだと思っている。オリンピックで勝つためには、先ずはチームを構成するメンバーの一人ひとりの能力が優れていることが基盤となる。劣った能力の個人の集まりではチームとしての力を発揮が出来るかなどは問題外であろう。当然どのチームも鍛え上げられた個々人で構成されているのは当然だ。上位チームの力はどのゲームにおいても力は拮抗している。そこで勝つために求められるのがチーム力即ちチームワークということである。ではチームワークとは何か。それは皆がメンバー一人ひとりをよく理解して仲が良いことなどではない。能力あるメンバー一人ひとりが、チームが勝利するために必要な自分の役割を理解し、それを確実に実践できることがチームワークの基本となる。しかし、それだけでは、単なるチームワークの一般論に過ぎない。チームワークにもう一つ必要なのは、チームとしてのスピリット(=精神・魂)が出来ているかということなのだ。チームの目的は勝利することなのだから、個々人が実力を磨きチームの中で自分の役割を目一杯果たすことが必要なのだが、その個々人の中に自分自身のスピリットとチームとしてのスピリットという二つのスピリットがしっかり定着しているかが問われるのである。では、それがしっかり実現できているかどうかは、どうやって証明されるのか。それを示すのは、一戦毎のチームの成長力なのだ。チームが唯の実力者メンバーの集まりではなく、チームとしての力が発揮できること。それには先ず勝利することが肝要だが、その勝利を通してチームが成長するのである。その成長結果が一段とチーム力を増し、更なる勝利に繋がることになる。そしてその結果が層倍のチーム力となって次のゲームに繋がって行く。この成長のスパイラルを取り込んだチームが前評判を覆す存在となってゆく。これはどのような団体競技においても共通に言えることであり。そのスパイラルの発揮状況がそれを見る人たちを感動させるのである。

 今回の多くのチームスポーツの中で、自分が心を打たれたのが日本女子バスケットチームと野球の侍ニッポン、女子ソフトボールチームだった。バスケ女子は銀メダルに止まったが、チーム成長力のスパイラルを如実に示してくれた。何年か前の女子サッカーのなでしこジャパンと同じレベルの感動だった。

 そして野球の侍ジャパンと女子ソフトボールの二つのチーム。これは二つとも前評判時から優勝への期待が確実視されたチームだった。前評判ではこのチームと同様に並んでいたのはUSAチームだった。チームメンバー個々人の実力もチームワークの実力も同じレベルだった。なのに、USAは最後の勝者にはなれなかった。何故なのか。原因は明確だ。それはまさにチームの成長力の差なのだ。日本のチームの方が僅かに勝っていたからなのだと思う。この二つのチームが示してくれた成長力に感動した。その力をどうして掴むことが出来たのか。それは監督や選手たちだけに解ることで、詮索しても仕方ない。自分はただそれを示し続けてくれたことに感動し、感謝したい。

 さて、次は個人競技者として女子陸上1500メートルで決勝まで進み8位に入賞した田中希実さんに絶大な感動を貰った。この人の力の発揮は、その競技の金・銀・銅メダル等の上位入賞者たちを遥かに凌ぐものだった。TVを見ていて凄いなと思ったのはこの人が一番だった。何故なのか。他の様々な個人競技の勝利者たちの中にも、それなりの感動を覚えた人は何人もいるけど、この人ほどの凄さはなかった。この人の凄さは、いみじくも彼女が競技を終えたあとで語った言葉の中にあったように「自分の壁を乗り越えた、破った」というセリフにあると思う。明らかに彼女は異次元の走りを実現したのだ。それは多くの選手たちがいう「楽しんだ」などという身勝手なコメントなどとは異質のものだ。彼女は自らの走りの中で、禅で言うところの「心身脱落」(悟りの一表現)を実現したのだと思う。多くの陸上競技の走者の中で、このようなことを目の当たりに見せてくれた人を見たことがない。彼女はチームで言う成長力の極致を個人で実現したのではないか。これは驚きであり、自分の心を震わせた感動だった。そして思った。この人は陸上競技のこの分野の走りをもはや必要としないのではないか、と。本人の心の奥には走りを極めた者の格別な心境があるのではないか。もしかしたら、もう走るのをやめるのではないか。とも。

 ま、自分はそれほどのショックをこの人の走りに見たのだった。聞けば彼女の目指すものは作家だとか。自分はこの志を素晴らしいと思うし、この人は走りの中で得た己の壁破りの体験を生かして、何時かその夢を実現するのではないか。そして是非実現して欲しいと思う。陸上競技者の競技人生は短い。特に女性の場合はせいぜい10年が限界ではないか。早や目に切り替えた方がいい。人生は長いのだ。そして作家としては、この1.5kmの走りの中で得た体験を初作のテーマにされたらいいなと思ったりしている。

 何はともあれ、この人の走りの中からこのオリンピック最大の感動を得たというのが、一番の嬉しくもありがたい出来事だった。

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東北縄文遺跡探訪一人旅の記録(6) 

2021-08-04 03:55:11 | くるま旅くらしの話

<旅から戻って> (7/25記)

 旅から戻ってもう3日以上が過ぎたというのに、旅の振り返りもしたくないという気分が続いて今日に至っている。愚痴になるのは十分承知のことだが、今回の旅では、呪うのは梅雨明け後の炎暑である。まさかこれほどの猛暑に見舞われるとは夢にも思わなかった。特に東北地方が狙い澄ました火炎放射を浴びたような暑さに見舞われた感じがしてならない。第1回の縄文遺跡探訪の旅は大失敗だった。あまりの暑さのため、余裕を以て実地を見聞することが出来ず、往時を想い描くこともあまり出来なかった。暑さを逃れるため、現地近くに設けられた博物館はたった2箇所だけしか見ることが出来なかったし、どれもこれも半端な状態で逃げ帰って来たのだった。

 それでも多少は縄文時代の往時を思い浮かべることは出来た様に思う。一戸町の御所野遺跡、八戸市の是川遺跡、そしてつがる市の亀が岡遺跡も、そこがどのような地形であったかを想像することは出来た。それらはいずれも人間が生きるために必要な食料を得ることが可能な豊かな大自然が広がっていた。即ち、森であり川であり、海である。これらの様子を歩きまわって詳しく調べて見たいと思ったのだが、炎暑はそれを許してはくれなかった。4~5千年の間に、地形とそこにあった自然がどのように変化したのか、それを少しでも多く知りたかったのだが、それは叶わなかった。しかし、現地に行って実際の地形を見たことは、想像を膨らます上ではそれなりに役立ったと思う。

 ある人が縄文時代を一言で言うなら○だという。丸とは円であり、輪であり、和なのである。言い得て妙だなと思った。バランスのとれた安全・平和というイメージがある。豊かな森がありそこに棲む多様な動物たち、或いは鮭が上る豊かな川と、近くにある豊かな海。様々な大自然の豊かな恵の中で、争いもなく暮らせた人たちは、5千年もの間それ以上の欲望を拡大させることはなかったのだと思う。貧富の差もなく権力の偏りもなく、多少の不満はあったとしても縄文の人たちは、皆で力を合わせて平和で安心な暮らしを営んでいたのではないか。○というのは又、心の豊かさにつながる象徴のような気もする。今の時代、人間は豊かさというものを取り違えて5千年を無駄にしてしまっている感じがしてならない。石や骨などの用具で暮らしの生業を立てることは不便であり、効率の悪いものだと思う。なれど、それらを克服しながら今日をつくり上げた現代人は、縄文時代には当たり前だった平和や安心安全を求めながら、だんだんそれから遠ざかる世界を築いているようだ。今更縄文の暮らしに戻ることは出来ないけど、現代人は、縄文人に学ぶべき大切なことがあるのに気づくべきではないか。利便性を追求するのは善いとしても、その恩恵がもたらす負の部分に何の手当てもしなかったがゆえに、人間の住む地球そのものを破壊するに至っていることを、現代人は深く反省すべきではないか。そのようなことを止めどなく思うのである。

 半端な旅で終わってしまったが、これからもう少し古人達の残した暮らしの跡を覗いて、人間として生きるために本当に大切なものは何かということを考えてみたい。(終)

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東北縄文遺跡探訪一人旅の記録(5) 

2021-08-03 02:26:02 | くるま旅くらしの話

第6日 <7月20日(火)> 晴れ

 道の駅:美郷の夜は、トラックヤードから離れた反対側に車を止めたので、夜間の騒音もなく安眠も確保できてよかった。東北地方でもこの辺りまでは夜になると涼しくなるエリアなのか、昨日の田舎館よりも涼感は少なかったけど、まだまだ東北にいるのだという感じがした。

 さて、今日はR13をひたすら南下して、米沢ま行き、そこから取り敢えずは福島県会津エリアの喜多方まで行き、道の駅:喜多の郷に泊って、あわよくば温泉に入って一晩夜を過ごし、翌日には自宅に帰着するという大まかな予定を立てている。しかし、この暑さでは、到着の時刻がずれると、この通りにはゆかないことは覚悟しており、その時には先に行けるところまで行こうと考えている。今日の朝も空に雲は少なく、どこを通っても暑さからは逃れられない感じがする。涼しい内に距離を稼いでおこうと、6時10分に出発する。今日は長距離のドライブとなるが、無理をせず速度制限をしっかり守って、運転に取組むことにしようと、改めて自分に言い聞かせた。

 出発して間もなく横手の市街を通過する。ここは思い出の地だ。何年か前、前の旅車を使っていた時、ここを通りかかった際に突然車から異常音と異臭が発生し、下車して見てみると、何とオイルが漏れて煙まで出ているではないか。丁度傍にあったイオンの広い駐車場の一角に車を止め、JAFに連絡して助けを請うことにした。間もなくJAFの人が来られてチエックをして頂いたのだが、原因が良く判らないという。昨日から車の下部にから異音が発していて、途中角舘のトヨタで見てもらったが、スタピライザ―の具合が悪いのではないか。走行には取り敢えず大丈夫ということだったので、そのままここまで走って来たのだがまさかこんな大ごとになるとは思わなかった。取り敢えず近くにあるトヨタのディーラ―の工場まで行って見てもらうことにしようと、辛うじて自走しながらJAFの方に案内して貰った。ところが明日からゴールデン連休に入るため、しばらく休業となりるとのこと。1週間以上もの連休となるそうで、それまでは調べられないということだった。それまで待つのか、或いはレッカー車で家近くのトヨタまで運ん貰うかのどちらかしかない。保険屋に聞いたけど、保険の効く範囲からはかなり離れており、相当高額の負担になるという。なので諦めて連休が明けるの待つことにした。それまではJAFの方が動いてくれてイオンに話をして、暫く片隅に駐車してもOKということになった。買い物やトイレには何の心配もないのだけど、水の補給には困惑した。けれどJAFの事務所が歩いてゆけるほどの距離にあり、そこの水を使ってもよいとの了解を頂いた。それから1週間以上この駐車場の住人となったのである。このような突発事態で故障が直るまで何日か滞在して待ったという経験が、以前鳥取を通過した時もにあったので、又か!と思い、店が営業を開始するまでの間は、毎日横手市内を歩き回り、かなり詳しく地形や地域の様子を知ることが出来たのだった。営業が再開されて診て貰ったら、何とシャフトに問題があり、交換しなければならないという。車が少し古いタイプなので、もし在庫がなければ最悪の場合新しく製造しなければならないという。そうなると急いでも半月はかかるとのこと。いやあ、とんでもないことになったなと、とにかく部品の在庫などの手配を待つことにした。その結果、部品は在庫があったが、届くまで3~4日かかるという。今度はトヨタの駐車場に住まいすることになった。代車を出してくれたので、それを使って、近くの重伝建等を見たりして、もはや所期の東北春旅に来ていることなど忘れ果ててしまうほどの状況となってしまった。その後無事修理が終わり、出発が叶ったのは故障から半月近くが経っていたのである。その時のあれこれを思いながら、横手の市街を通過したのだが、R13はイオンのある方は通らない道だったので、ちょっぴり残念な気分だった。

その後、湯沢、新庄、村上、東根と通過して、天童市内で給油を済ます。通過エリアごとにガソリンの売価が気になりチエックをしながらだったのだが、地域によりかなりの格差があり、酷いところは10円近くもあったので驚く。天童市内は良心的なスタンドが多くて、自分が寄ったところは、売価も146円/Lと安く、しかもセルフではなくフルサービスだった。これは守谷の地元よりも遥かに上のレベルだった。ありがたい。この車は燃費が悪くて、前のディーゼル車よりも劣る感じがしていたのだが、今回本格的に走ったので、少し燃費は向上したようである。ここで満タンにすればもう給油なしで家まで帰れるのかもしれないなと思った。

 天童を出てからは、山形、上山、南陽と通過し、間もなく米沢市内に入り、そこからはR121に入って、喜多方に向かう山道を通ることになる。その麓にある道の駅:田沢でちょっとトイレ休憩して、喜多方に向かう。まだ12時よりかなり前で、日差しは強く、これじゃあ喜多方の道の駅に着いてもどうにもなるまいと思った。その後坂道を上り、下ってトンネルを幾つか潜って、喜多方の道の駅:喜多の郷に着いたのは12時をほんの少し過ぎた12分だった。炎暑はどこまでも追いかけて来ていて、この道の駅もどこにも逃げ場など見当たらない。温泉なんてとんでもない話だ。昼食を摂る気にもなれず、そのまま南下することにした。取り敢えずナビは猪苗代からR294で自宅方向に向かうことにして、途中の天栄村の道の駅:天栄をセットした。

R294は、R46を猪苗代近くから右折して、ずっと続いていて、自分が済む守谷市を通って、取手市を通るR6に出て終点となる道である。もう何度も通っており、悪路の山道から高速道並の片側2車線道路まである変化にとんだ道である。会津若松郊外のコンビニで弁当に、再びおにぎりを買ってお茶で流し込む。これで4日連続のおにぎり昼食が続いている。コロナ禍のこともあり、食専門の店に入る気にはなれない。10分ほどで済ませて、出発。間もなく右折してR294に入る。手前に長い坂道があったが、以前の旅車ではすこし喘ぎ気味だったが、さすがにこの車ではその様なストレスは無い。登坂車線とは無縁で走れるのには、ちょっぴり安堵感がある。

 R294に入って、しばらくは平地が続いたが、やがて次第に山道を行くようになった。守谷市辺りの道からは想像も出来ないほどの曲がりの多い道となった。昨日の八幡平と同じように、ベッドの上の本などの荷物が踊り始めるのが分かった。間もなく坂を上り勢至堂峠を下ると、ようやく平地に出て、少し走って道の駅:天栄に着いた。相変わらずの炎暑が続いており、とてもここに泊る気にはなれない。もう少し先の道の駅:東山道伊王野まで行ってみることにした。

 少し走ると、間もなく白河市街となる。ここまで来ると、もうすぐ栃木県に入り、我が家もぐっと近くなる。白河市は大都市で、市内の道路はかなり混んでいた。ナビを見ながら通過して、間もなく伊王野に向かう、片側に田んぼの続く道を走り、そろそろ伊王野に着くなと思っていたら、突然雨粒が落ちてきた。あれ、何だろう夕立にしては少し早いのではとそのまま走り続けていたら、その内に雨勢は一気に強まって、ワイパーをハイスピードにしても前方が見えないほど激しい降りとなった。これじゃあ、道の駅に寄って休憩することも出来ないなと諦めて、そのまま走り続けて、我が家からは比較的近いので時々野菜などを買いに来る道の駅:はが(=芳賀)まで行き、そこに泊って明日は朝一番で野菜などを買ってから帰宅することにしようと考えた。間もなく雨は止んで、雲は未だ空を覆っているようだが、薄日が射していて、ほんの少し暑さは和らいだようだ。16時半頃道の駅:はがに到着する。

未だ日暮れには少し遠く、かすかに遠雷の音が聞こえるのは、もしかしたらここにも夕立がやって来るのか。それならばありがたいと思ったのだが、結局そのままやや蒸し暑い夜を迎えることになった。ここにはロマンの湯という温泉もあるのだが、風呂から上がった後の汗をどう抑えたら良いのかを考えると、とても入る気にはなれない。残っていたパンなどを齧っていい加減な夕食をした後、涼しさがやって来るのを待って寝床に横たわり、夜を迎える。

 

第7日 <7月21日(水)>

 朝が来た。4時には目覚めて、今日はここで野菜を買って帰ろうと思っていたのだが、売店は9時開店であり、それまで何をして待つのかを考えると、だんだん考えが変わり、何も無理して暑くなり出すのを待つこともないのではという気持ちが次第に膨らんで来て、野菜などどこにもあるのだから、涼しい内に出発して、家に帰ってからゆっくりした方がいいと、早めに出発することにした。

 5時半少し前出発する。ここから我が家まではせいぜい2時間ほどだから、家内がまだ起きていない内に到着出来るだろうと思った。この早朝の出発は正解だった。道は空いているし、車のエアコンなしでも大丈夫なのだ。流れに沿ってゆっくり運転していたのだが、7時半には我が家に帰還となった。その後は、いつものように荷物の取り出しなどをして汗をかき、風呂に入って、やれやれの気分となった。

 15日に出発して、その日に梅雨明け宣言があると同時にものすごい炎暑が始まって、結局想い描いていた遺跡の探訪とはかなり違った半端なものとなり、暑さに撃退されて逃げ帰ったというような、大失敗の旅となってしまった。

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東北縄文遺跡探訪一人旅の記録(4) 

2021-08-02 00:13:25 | くるま旅くらしの話

第4日 <7月18日(日)>晴れ

 昨夜は快適な涼しさのお陰で、良く眠れた。日中があまりにも暑かったので、夜はそのバランスをとってくれたのかも知れない。朝外に出て見ると、雲一つなく晴れ渡っており、今日も間違いなく大変な暑さになるに違いないと思った。着替えを済ませ、持参したパンの最後の一切れで朝食を済ます。

 東から太陽が昇ったらしく日が射してきたと同時に気温が上がり始めたようだ。今日の予定は八戸の是川縄文館の探訪だ。建物の中は大丈夫だとして、昨日のような外の探訪だと、暑さが思いやられるなと警戒心が湧きあがる。7時20分過ぎ出発。ナビ頼りの運転だ。どうやら誤りはなさそうだ。8時過ぎ無事是川縄文館に到着する。何台かの車が止まっていたが、人影は見えない。取り敢えず周辺の様子を見ようと先ず建物の方に行ってみたら、張り紙があって、何と現在休館中だという。昨年の2月からだというから、随分長い休館のようだ。これじゃあ、どう仕様も無いので、諦めるしかない。しかし困った。炎天下の見学が無くなったのは幸いだとしても、この後どう過ごすか。考えた結果、とにかく今日の宿泊予定先の道の駅:奥入瀬まで行くことにした。途中買い物などしながらゆっくり行く様にしようと思った。昼頃までに着くことが出来たら、何処か木陰などを探して、昨日と同じように夜を待つことにしよう。

 是川を出発する頃は暑さが本格化し出した。取り敢えずナビに従い道の駅:ろくのへ(=六戸)へ行ってみることにした。ナビは、このコースでは八戸のショッピングモールなどは通らないらしく、買い物は出来なかった。それでも六戸に着いて近所にあったコンビニやホームセンターで間に合わせることが出来て安堵する。ここにいてもしょうがないので直ぐに出発する。十和田の古い市街地を抜けて郊外に出て、道の駅に着いたのは10時40分。まだ昼前だ。もの凄い照り返しの暑さだ。取り敢えず昼食用のおにぎりを買って、さあ、どうしようと思案した。見渡しても木陰などどこにもない。こりゃあ如何なる方法をとっても、夕方までここで過ごすのは無理だなと思った。それにしても何という暑さなのか。今回の旅では全く予想もしていなかった猛暑の連日なのである。

 予定では、明日久しぶりに奥入瀬渓流の散策を楽しみたいと思って、わざわざ今日はここに泊ろうと計画したのだが、これではもう諦めるしかない。あれこれ考えた末にとにかく奥入瀬渓流へ行ってみて、車が止められる状況なら歩くことにして、その後は山を越えて田舎館村の道の駅に泊ることにしようと決めて出発。

 渓流に近づくにつれて、緑が近づいて来て、やがて緑のトンネルとなった。走りながら石ケ戸の駐車場にスペースが空いていることを願ったが、行ってみると期待は完全に裏切られて、超満車の状態だった。考えてみれば、今日は日曜だし明日も休日なのだから、涼と緑を求めて人々がやって来るのは当然のことなのであろう。これはもう諦めるしかない。で、車窓見物とやらのセリフを思い出して、それを実践しながら田舎館まで行ってしまうことにした。

 緑陰の道を走りながら、この異常な暑さを恨めしく呪った。十和田湖を眺める余裕も無く、しばらく山道を上り、やがて今度は長い長い下り坂の道を辿って、13時近く道の駅:虹の湖に着く。ここは浅瀬石川をせき止めて造ったダム湖の脇に造られた道の駅で、今日はかなりの人出のようだった。反対側の駐車場に丁度好い塩梅の木陰のあるスペースを見つけて、しばらくここで休むことにした。何しろきつい山越えの道を走って来たので疲れも大きいのだ。誰もいないのでドアを開放して網かけをしてしばらく仮眠することにした。2時間ほど経って目覚めて外を見ると、未だ車は木陰の中にあった。暑さ対策には最高の場所だなと思った。

 さて、どうするか。旅に出て以来一度も入浴していないので、この先にある温湯(ぬるゆ)温泉に入ってから田舎館に向かおうと考えて出発する。ここも相変わらずの炎暑が続いている。間もなく温湯温泉に着いて、名湯鶴の湯の浴場へ。ここには何度も来ている。250円也を払って、しばらくお湯を楽しむ。コロナ禍でも営業を続けていてくれたのは嬉しい。40分ほどで車に戻り田舎館の道の駅に向けて出発。途中久しぶりにビールで喉を湿らそうと考え、スーパーに寄り500㎖のを2缶ゲット。ついでに冷ややっこ用の豆腐を一丁。これで今夜は最高だ。予想外の変更のウサも少しは晴れるだろう。

 16時30分田舎館の道の駅に到着。泊りの定位置を決めて、先ずは一人乾杯。何だかビールは1年ぶりに飲んだ感じだ。飲みながら岩手町の道の駅で買ったジャガイモ茹でる。これが今夜の夕食。ここは西日が強烈だ、17時近くまでかかってようやく陽が傾き始めて、涼しさがゆっくりやって来た。暑さは超スピードでやって来るのに全くのその反対の態度だ。お岩木山の方を見ると、日が沈んだ後の残照の茜色が明日も又しっかり照らしてやるぞ、今夜は少し冷やしてやるから文句を言うなというような空の風情だった。やれやれ、とんだ旅となりそうだ。この暑さがこの後も続くのなら、早々に旅を諦めて帰途に就く必要があるのかもしれないなと、悪しき予感が働く。何しろ80を超えた歳回りでは、無理は禁物。その後の全ての旅が出来なくなるかもしれないからなのだ。

 

第5日 <7月19日(月)>晴れ

寒い。日中の暑さからは想像できないほどこの地の朝は冷えて、気温は20℃を下回っていた。こんなに寒さを覚えるのはやはり日中があまりにも暑いからなのだろうと思った。これだけ気温に差があると、人間の感覚は狂って来るというのは、生きている証なのか?

外に出て空を見上げると、十一なのか十二夜なのか半端な大きさの月が輝き、その向こうにお岩木山の黒い姿がどっしりと腰を落としていた。空の端は凍えたような茜色になっていて、今日も暑くなるぞと威嚇している感じがした。6時を過ぎて本格的に太陽が活動を始めると間もなく空気は暖まり始め、朝食が終った7時前には日差しを避けたくなるほど暑さが厳しくなって来た。

今日はつがる市木造にある亀ケ岡遺跡を見た後、当初の予定では三内丸山野遺跡を訪ねることにしているのだが、暑いので止めた方がいいかなと思っている。もし時間があったら、鹿角まで行ってストーンサークルを見たあと、近くの道の駅にでも泊ろうかと思った。7時半少し前に出発。ここから木造りまでどれくらい時間がかかるかよく判らないが、1時間ほどで着くのではないかと思いながらの出発だった。何処かで給油をしなければならないなと思いながら弘前市内を通過しながら、確か安売りのスタンドがあった筈だと探したのだが、見当たらなかった。ま、木造りまで往復するくらいなら大丈夫だろうと、そのまま走り続けることにした。ナビを見ながらの進行だったが、あまり信用しないことにして、自分感覚でR7を行ったのだが、左折の道を探しながらナビに逆らって進んでゆくと、何と、浪岡の道の駅まで来てしまったではないか。こりゃヤバイなと思いながら折角なのでトイレにだけは利用させて貰って、直ぐに引き返す。やはりR339

で曲がるべきだったと自分の歪んでいた過信を深く反省しながら走っていると道の駅:つるたがあったのでちょっと寄って覗いたが、特に目を引くものは何もないので、直ぐに木造り方向へ向かう。

 それほど遠くは無かろうと走っていたのだが、なかなかそれらしき目印が出て来ない。何度も右左折して細い道を走らされるので、又変な案内をし始めたのかと、ナビへの不信は一向変わらないのだが、ここまで来たら従う他ない。ガソリンもかなり減って来て、目的地に着くまで持つのかなと不安になって来た。それにしても遠い、時間がかかる。何度か裏切られながらようやく目的地近くに来た時は安堵の胸を撫で下ろす心境だった。しかし、案内所らしきものはあるものの無人であり、他に博物館らしき建物など見当たらず、ナビも目的地に来たとは言わないので、もう少し先かと行ってみたら、やはり何も見当たらず、ナビは同じ道を案内し始めた。なんか変だ。とにかく先ほどの案内所というのに車を止めて中に入ったら簡単なパンフレットと案内の略図などが置かれていたので、とにかく歩いてみることにした。暑い。じりじりと焼けつくような、まさに炎暑である。ここは海に近いらしく海抜10mほどの段丘がほんの少し広がり、その周辺は全くの平地で遠くに防砂林のようなものが連なって見えていた。一体縄文の頃はどんな地形でどんな環境だったのか見当もつかない。見てきた御所野や是川の地形とは全く違っていた。現在は何軒かの住宅と畑の農地となっており、丘の下の平地には立派な田んぼが広がっている。縄文の頃とは全く違った景色なのだろうなと思った。丘の坂道を上ってゆくと途中に土坑墓と書かれた簡単な説明板があった。どれがそうなのか判り難い状況だった。その先にも同じ内容の説明板があり、それ以外は何もない。噂に高い遮光土偶の出土説明などは何も無い。暑いし、もはやこれ以上探すのは危険だなと思い始めた。暫く頑張ってウロウロしたのだが、やはり何もない。諦めて車に戻ることにしたら、途中発掘をしている現場があるのに気がついた。近づいても良く判らない。2~3人の中年と思しきご婦人が土を掘っていたが、この暑さでは相当に厳しい作業なのではないかと同情しながら坂を下り車に戻る。もしかしたらまだ発掘中なので、施設は作られていないのかなと思った。それにしてもこの現状は、亀ケ岡文化などと言われている大きな存在の遺跡としては解せないなと思った。遮光土偶をモデルにした巨大な石造だけは確認できたが、その他はさっぱりだった。御所野や是川とは大違いの感じがした。あとでじっくりこの地の縄文時代を考えてみようと思った。

 車に戻り、時計を見たらまだ10時前だった。かなり時間があるので、取り敢えず道の駅:碇が関まで行って、その頃昼食時となるだろうから、食事をしながら鹿角へ行くかどうか決めることにしようと思った。ガソリンが心配だったが、赤ランプが点くこともなく弘前近くまで戻って、良さそうなスタンドがあったので、満タン補給をする。これで安心。その後は、弘前市内を通りぬけて、碇が関の道の駅に着いたのは11時半近くだった。もの凄い暑さだ。梅雨明けと同時にこれほど暑さが一気に押し寄せた夏は経験したことがないのではないか。昼食休憩することにする。昼食は今日もおにぎり2個とお茶だけ。カップめんのような暑いものを体内に取り込む気にはなれない。

 いろいろ考えたのだが、今日これから鹿角のスト―ンサークルを見ることにして、今回の旅ではこれを最後の探訪として家に帰ることにしようと決める。この暑さの中では無理しても余り益は無く、却って身体を壊す破目になるのは必定だ。

 丁度12時に碇が関を出発して鹿角の大湯環状列石遺跡に向かう。R7からR282に入って、しばらくとんでもない山道を走る。何回か通ったことがあるのだが、あまり走りたくない道の一つだ。熊に注意という看板が出ていた。しばらく走って小坂に出て、ようやく平地らしき場所を通って、間もなく大湯のストーンサークル館の駐車場に着いた。炎暑にも拘らず、かなりの数の車が止まっていたが、やはり人気の場所なのだろうと思った。センターの中に入り、料金を払って、展示解説の数々をじっくりと見て回ることにした。あとで外の現地・現物を見ることにするが、とにかく暑いので、天国の館内での時間をたっぷり味わいたいと思った次第。有名な遺跡だけあって、さすがに分かり易い展示と説明がなされており、来た甲斐があったと満足した。縄文の世界は家に帰ってからじっくり妄想したい。その後外へ出て石組などの現物を見て回った。中野堂と万座の二つの遺跡をじっくり見た。よくもまあこれだけ多数・多様の石をここまで運んだものだ。何千年もかけての人の行為は、偉大なものとなるのだなと思った。まさに塵も積もれば山となるの例え通りだ。それにしても縄文の人たちの石への執着は凄いなと思った。日時計など天体現象との関わりを含んでいると説明にあったが、恐らくそれ以外にも多数の思いがこの石組には込められているのであろう。そして、やはり石でなければ今の時代まで残らなかったというのにも意味があるなと思ったりした。1時間ほどが経って、見学を終えて、この後は角舘方面へ向けて出発売ることにした。

 再び長い山道を通ることになる。八幡平の山道を上り、下って玉川温泉、玉川ダムなどの景色を見ながら、田沢湖まで来て、ようやく角舘まで20kmを切る案内板が見えてきた。一応今夜は道の駅:なかせんに泊ろうと考えている。しかし、未だ日はたっぷり残っており、日が沈むまでどう過ごすかが課題だ。間もなく角舘を過ぎ道の駅:なかせんが近づいた。少し手前にあるショッピングモールに立ち寄り、食材などの補給をすることにした。時間を掛けて買い物をする。まだ日が沈むまでにはかなりの時間がある。

 買い物を済ませた後、道の駅;なかせんには行ってみたのだが、まだ5時半を過ぎたばかりで、駐車場には日差しを避ける逃げ場がない。あと30分くらいは待たねばならない。それなら思い切ってすこし先にある道の駅:美郷へ行って泊ろうと考えた。美郷の道の駅は何年か前までは雁の里なかせんという名称だったが、その後リニューアルして今年の春に名を改めてオープンしたという。以前寄ったときにはトイレの改修工事をしていたので泊るのを止めたのだったが、さぞかし今は立派なトイレに生まれ変わっているだろうと思った。

 なかせんを出て30分ほど走って道の駅:美郷に到着する。18時少し前だった。間もなく日が沈む頃なのだが、最後の一発を射こんでやるというかの如くに西日が強烈に射していた。それでも5分もすると暑さは減り出し、やがて間もなく日はすっかり沈んで、涼しさがやって来た。やれやれ。」これで実質的な遺跡探訪の旅は終わりとなる。

明日からはひたすら我が家を目指すだけ。でも暑いからゆっくりと安全運転で行こう。 

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東北縄文遺跡探訪一人旅の記録(3)

2021-08-01 03:52:57 | くるま旅くらしの話

第3日 <7月17日(土)>晴れ・猛暑

 梅雨明けの初日は、東北は猛暑となった。昨夜も今朝も涼しくて快適だったが、4時過ぎまで輝いていた明けの明星が姿を消し、しばらく経って日が昇り日差しが出てくる頃となると、どこかから暖気の塊がふわっと押し寄せるかのように空気が暑くなり出した。空はほんの少し夏の雲があるだけで、ピカピカの快晴なので、これはかなり暑くなるぞとの予感が災いのように膨らんだ。お湯を沸かしインスタントみそ汁を作って、野菜とパンだけの粗食。マヨネーズはなし。コレステロールに関わる食物は、極力摂らないことにしている。牛になったつもりで野菜を多く摂ることにしている。昨夜は涼しくて快適だったのだが、何台か泊っていたトラックが夜通し冷房のためなのかエンジンを掛けっ放しだったので、騒音が気になった。それでも良く眠った方。

 今日は御所野遺跡の探訪だけをして、その後は九戸村の道の駅:おりつめに行って泊るだけの予定。ここから縄文遺跡公園までは40分くらいだろうから、8時に出発と考えていたのだが、食事が済むと特に為すことも無く、ほんの少しTVのニュースを見て早目に出発することにした。直ぐにR4に出て一戸方面に向かう。この車の運転も少し慣れてきた。しかしナビの方はどうも扱いにくい。一般道を行く筈なのに何故か高速道へ行かせたがる。無視してしばらく走って、8時半に御所野縄文公園に到着。長い屋根つきの歩道が博物館まで続いている、なかなか独創的な施設だ。入口の掲示を見ると開園は9時からだという。未だ30分もある。暑さが厳しくなりだした。とにかく博物館に入る前に公園内を散策して見ようと歩道を歩いてゆくと、公園が見えてきた。何棟かの復元した竪穴住居が点在して見えてきた。先ずは公園全体を見ておこうと側道を奥の方まで歩くことにした。ここはそれほど高くない丘の上に広がる小さな平原らしき地形で、多くの樹木たちに囲まれているようだ。あとから植えたのだろうか、広葉樹の栃やクルミ、それに栗の木などが随所に緑の葉影を落としていた、縄文の往時もこの辺りには豊かな森が広がっていたのだろうと想像がつく。どん詰まりまで行って引き返し、復元されている竪穴住居や木柱石組などを見ることにした。それらは緑の芝生の中に点在しているのだが、縄文の往時はこれほど整えられた状況ではなかったろうと、とにかく縄文の原始の森の状況を想い描きながら見てみることにつとめた。竪穴住居は大・中・小と三種くらいが復元されていたが、いずれも中を覗くと本物の炭火が熾されていて煙が立っていた。外は早や30℃を超えたと思われる暑さなので、とても中をじっくり見る気にはなれなかった。北海道開拓時の拝み小屋とあまり変わらぬ住居であり、この国に住み始めた人の暮らしの住まいは同じようなものだったのだなと改めて首肯した。4本柱の高床式の倉庫らしきものも復元されていたが、食料庫なのか、そのような技術があったのか、疑問が湧いたが、専門家や学者になるつもりで来てはいないので、展示されてあるものはそのまま素直に受け入れることにした。何カ所かの石組と何本かの栗の木の木柱らしきものが立っていたが、それらはどうやら祭祀用の施設らしく、円の中心部に位置して設けられていたようだ。ここで縄文の村人たちは事あるごとに敬虔な祈りを捧げたのであろう。その光景が目に浮かんできた。その中には自分の遠い祖先も混じっていたのかもしれない。自分は縄文人の末裔であることを確信しているのである。しばらく園内を歩き回ったのだが、とにかく暑い。木陰にベンチがあるのを見つけ、そこでしばらく休憩する。まだ開館まで10分以上もある。しばらくベンチに横になって目を閉じることにした。近くの木の間から二イニイセミらしき鳴き声が聞こえてくる。それ以外は静かで、芝生の上に暑さが広がって行く音が聞こえそうな感じだ。5千年も前、ここで縄文の人たちは今頃の季節どんな暮らしをしていたのだろうか。山菜時は終わり、ドングリもくるみもまだ熟さず、保存していた食材の在庫も少なくなって来ていたであろうから、今頃は採取の暮らしよりも狩猟の暮らしが中心だったのかも。走り回る子供や働く女どもや男たちは、それでもここでそれなりの平和と安心な暮らしを日々送っていたのだろうか。あれこれ想いを巡らしている内に少し眠くなってきた。とにかく暑い。時計を見るとどうやら9時は過ぎており博物館の入場は可能となったようだ。行ってみることにした。

 扉を開けて入ると、受付があり、住所と名前などを記入してJAF会員は割引で250円也の入館料を支払い諸資料の展示されている内部へ。とにかく外は猛烈な暑さなので、今日は博物館の中を徹底的に見学しようと腹を決めて、各コーナーを時間を掛けて見て回った。それらを一々書くのは止めることにする。4500年前の縄文の人たちの暮らしのあり方ら使用した用具などが詳しく展示されていた。この時代の用具といえば、中心は石器だったようだ。獣骨なども使われていたようだが、現代からは想像もつかない方法で石を利用した道具を作り、大木を伐り倒し活用していたのだ。石で木を伐るとなると、小さな枝でさえ、相当の労力が必要だ。根気よく根気よく目的達成のためにチャレンジし続けたのであろう。何でも利便に済まそうとする現代人には到底考えられない暮らしの世界だったに違いない。今、現代人は4500年前の古代人の暮らしの中にあった大切なものを忘れ果てているようだ。不便がいいとは思わないが、安易に利便だけを求めていると、人類は大きな落とし穴に嵌ることになるのではないか。ふとその様なことを思った。見て回った中で、改めて土器や土偶などを見てみると、その技術力の高さに気づき驚かされるものがあった。そこには人間が本来持ち合わせている探究心というのか好奇心というのか、或いはチャレンジする心というのか、常にベストを求める本能が表れている感じがした。今まで安易に見てきたことを後悔し深く反省した。約2時間かけて博物館の見学を終え、その後外に出てもう一度園内を歩いてみることにした。むっとする暑さである。30分ほど歩いてみたが、これ以上無理をするとそれこそ熱中症になってしまう。体温以上の暑さになっているのは確かではないかと思った。まだ11時半近くであり、この先どうしょうか迷った。いっそ明日予定のこれから遺跡を見てしまおうかとも思ったが、この暑さでは余計危険だと思い、やっぱり予定通り道の駅:おりつめに行って休憩しながら夜を待つことにしょうと決めた。これほどの暑さになるとは思ってもいなかったので、この先の予定も大きく変えなければならないのかなと不安が過ぎった。

 車に戻り九戸方面へ向かって出発。二戸を通った時に見た道路脇の気温の表示板には只今の気温36℃とあった。御所野の縄文公園ではこれを超えて37℃くらいになっていたのではないか。カーブの多い道を走って、12時50分到着。ここも同じような暑さだ。少し木陰のある駐車スペースを見つけて車を止める。今日はここで動かずに夜を迎える決心をする。

 昼食だが、昨日まではカップめんで済ませていたが、この暑さではとてもそのような芸当では済まない。オドデ館の売店に行ったらおにぎりなどがあったので少し買い入れる。おにぎりはいいなあと改めて日本の食文化に感謝。暑いので久しぶりに冷たい牛乳も流し込んで昼食完了。満足まんぞく。

 さあ、これからどうやって過ごすか。大問題だ。フロント部分に日が当るのでシェードで覆った。ずっとエンジンを掛け続けることは出来ないので、サイドとバックドアは開けなければならない。ほぼ無風の状態なので、涼はあまり期待できない。それでも双方のドアに風通しの網を掛けて、あとはとにかく我慢しかない。それでも外から時々良い風がやって来るので、椅子を出して読書をしたりしながら夜を待つことにした。そうこうしている内に17時が過ぎ日の入りが近づく頃になると、どこかから涼の塊が湧きだしたようで、暑さが弱まって来た。18時半近く太陽が折爪岳の向こうに沈み隠れると、一気に涼しくなり出した。もうこれで安心。むしろこの暑さの反動で、どれくらい冷え込むのかが心配となる。全くこの天気には振り回される。人間などと威張っていても、大自然の中では所詮一匹の虫とあまり変わらない存在なのだ。

 とにかく暑さは去り安全・安心な状態となったので、夕食に取り掛かる。といってもお昼におにぎりを2個も食べているのであまり腹は減っていない。サバ缶を取り出し、トマトとレタスを並べてウエスケで一杯やって、ほど良い気分となって、あとは寝るだけ。TVもラジオも一切無しで寝床に横たわっている内に眠りがやって来た。

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