山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

牡丹の花咲く

2016-04-24 10:21:39 | 宵宵妄話

 孫娘の生誕記念樹の牡丹が開花しまた。孫娘は昨年の九月に誕生したのですが、その時期では牡丹を手に入れるには通販くらいしか手段が見つからず、それでは実際の木の確認が後手となってしまいますので、それが可能となる春まで待つことにしていたのです。三月下旬なって、気の早いDIY店の苗木売り場にそれを見かけて、厳選の末に牡丹を2本と芍薬を1本買い入れました。

 当初から孫娘たちのためには、「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の古来の日本女性の美の要素を表わすこれらの花を庭に咲かせる考えでした。先に生まれた二人の孫娘(二人とも高校生)の時は木を植える庭が無い住まいだったので出来なかったのですが、今度の孫娘の誕生は、予ての念願を叶えてくれることになったというわけなのです。

 百合の花は、カサブランカを数年前から植えてあるのですが、次第に小さくなって来ていて、今年は更に小さくなってしまい、ちょっと問題です。やはりこれは山百合でなければならないのかもしれません。今年は間に合いませんが、もう少し経ったら採取しても大丈夫な場所へ行って、手に入れたいと考えています。

 さて、春先に買い入れた牡丹と芍薬ですが、今のところそのままの鉢植えにしてあり、地植えにするかどうかは、それぞれが咲き終わってから決めることにしています。何時咲いてくれるかと楽しみにしていたのですが、2本の牡丹の内の1本が見事な花を咲かせてくれました。もう一本の方は、まだ蕾で開花は少し後となりそうです。芍薬の方も蕾は膨らんで来ており、その姿もすくっと茎を伸ばし始めています。この分だと来月上旬には全ての花を愛でることができると思います。

 ところで肝心の孫娘の方ですが、生まれて6カ月が過ぎて離乳食も始まり、先日ちらりとその食事風景を覗いたら、口をもぐもぐさせながらテーブルを叩いて、何やら大きな声を上げていました。上の兄の方も相当に動き回ってパワフルなのですが、妹の方はどうやらそれ以上にパワフルで、こりゃあ女傑などにならんといいがと、ジサマはちょっぴり不安(?)を覚えました。牡丹も芍薬も百合の花も女性の美しき立ち居振る舞いを表すシンボルとして取り上げられているので、女傑というイメージには当てはまりにくいように思えるのです。

 孫娘は、時々父親に抱かれて2階のジジババのところにやってきますが、これが滅多に笑ってくれることが無く、逆に大泣きすることが多いのです。それでも6カ月を過ぎたこの頃は泣くことは少なくなり、髪にリボンなどを付けて貰って、女の児らしくなってきました。未だハイハイには至らず、座ったままで睨みを利かす存在ですが、動き出すようになったら、さてどのような児になるのか、楽しみは膨らむばかりです。

 今のところ、客観的には三つの花のどれにも当てはまらない孫娘の立ち居振る舞いですが、ジサマの心の中では、女傑ながらにも、見事にぴったり「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」を体現させている将来の孫娘の姿が映っているのです。

    

我が家の庭の孫娘生誕記念樹。真ん中が咲き終えようとしている牡丹。その右も牡丹だがまだつぼみ。そして左の背の伸びているのは芍薬。これらの花たちの後ろに少し高く緑を広げるのは上の児の生誕記念樹のナツハゼ。皆どれもすくすくと伸びて輝く花を咲かせてほしい。これはジジババの願いである。

 

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新しい道の駅・常陸大宮川プラザ

2016-04-18 05:40:35 | くるま旅くらしの話

  昨年の春の終わりごろだったか、我がふるさとの常陸大宮市のどこかに、新しく道の駅が生まれるという話を知った。その後、近くを通る折りに覗いた時は、整地が終わりかけている時期らしく、建物も敷地内の様子も判らず終いだった。それでも、ようやく我がふるさとにも道の駅ができることがはっきりしたので、それとなく嬉しくなった。

 私が生まれたのは茨城県の日立市なのだが、戦災で我が家は跡かたも無く壊滅し、そこに住むことを諦めざるを得なくなった両親は、母の実家近くに入植者を募る開拓地があるのに応募して、現在常陸大宮市となったその地に骨を埋める決断をしたのだった。そこで育った私たち弟妹には、そこがふるさととなった。5歳頃の記憶は朧(おぼろ)だが、掘立小屋から始まった暮らしの厳しさは、今でもそれとなく思い出すことができる。往時は村だったその場所は、やがて合併で町となり、とうとう平成の大合併では2町2カ村が集まって市ということになってしまった。その頃、70年後に市となっているのを予想した人は皆無だったのではないか。

 その故郷を巣立ってから早や半世紀が過ぎて、市となったその域内に新しく道の駅ができたのである。車で旅をしていなかったら、別にどうってこともない出来事なのだが、全国各地で様々な道の駅にお世話になって来た身には、我がふるさとに道の駅ができたことは、望外の喜びなのである。

 先日福島県は三春の滝桜を観に行った帰り道、国道118号線を南下して福島県から茨城県に入り、袋田の温泉エリアを脇に見ながら通過してしばらく走ると、その新しい道の駅に立ち寄ることができた。たいへんな盛況だった。平日なのに広い駐車場には車が溢れていて、整理するガードマンの人たちは大汗をかいていた。駐車が叶わなかったら、寄るのは諦めようと思ったほどの混みようだった。丁度昼時だったので、立ち寄る人が多かったのかもしれない。運よく駐車出来たのはラッキーだった。

 道の駅がどんな様子なのか、それからしばらく歩き回って確かめることにした。駅舎は平屋で、大きなアーチ型の大屋根の下に地産品売り場やレストランなどがかなりのスペースで用意されていた。昼食をと考えたけど、大勢の人たちが列を作って並んでいるのを見て嫌気がさし、手軽な弁当類で済ませることにした。どうも並んで待つという習慣には馴染めない。未だオープンしたばかりなので、物見高い人たちが集まり過ぎているのかもしれない。もう少し経って騒ぎが収まったら、改めてゆっくりどんなものが提供されているのかを味わいたいと思った。

     

道の駅:常陸大宮川プラザのメイン建物の様子。大きなアーチ型屋根の建物の中には、物産館をはじめレストランなどがあり、賑わっていた。

 本館の建物の裏側には久慈川が流れていて、その流れに届くまでには200m以上もあるのだが、その川原や土手がきれいに整地されていて、親水公園となっていた。土手には、ほんの少し前に植えられたのであろう芝桜が、未だ生えて来ない芝を待つかのように大地を鮮やかなピンクに染めて咲いていた。芝の緑が生え揃って、久慈川の清流まで足を運べるようになったら、大人にも子供たちにも喜べる素晴らしい場所となるだろうなと思った。

     

道の駅の裏側の方は親水公園となっており、清流久慈川に連なっている。もう少し時間がたつと、この環境は価値を増すに違いないと思った。ふるさとがこのような形で発展するのを願うのは人の情というものであろう。

 その後未だ芝生が動き出してない小さな広場の脇を通ってその向こう側へ行くと、そこは体験農場と書かれた畑地で、ビニールに覆われた中を覗くと、何やらキャベツやブロッコリーの仲間らしい植物が列をなして植えられていた。体験農場とは一体どんなものなのだろうかと、ふと疑問が芽生えた。ただの収穫時だけの体験をさせるだけなら、農業の本当の姿を味わえないのではないか。どうか、それだけの興味本位のやり方ならば、大げさに体験農場などと喧伝して欲しくないなと思った。

 何はともあれ、立派な施設を備えた道の駅が出来上がっており、この後が楽しみである。市の紹介によれば、この道の駅は国交省の重点道の駅に指定されており、それは全国に38カ所あり、茨城県ではこの道の駅一つだけとのこと。大いに期待に応えて発展して欲しいと思った。

 ところが、帰りの車の中で傍の相棒がしきりに言うのは、商品の品揃えのセンスが悪く、その選定も陳列の仕方も抜けが多いという。あまりにしつこく悪態を並べたてるので、ついに「うるさい!己(おのれ)は我がふるさとを侮辱するのか!」と怒りの怒声となった。「その昔なら、おのれ、そこへ直れ!そっ首たたき落としてくれる!」ということになったのかもしれない。相棒から見れば、ほんとのことを言ったつもりなのだろうけど、あまりにもそれを聞かされている相手のことを無視しての発言は、水戸っぽの端くれであるのを自認している自分の怒りを止めえなかったのである。

 ま、その後は一時の怒りも収まって、しばらく無言の道行きとなったのだが、ふるさとの道の駅の存在は、これからも何かと気になることであり、時々立ち寄って必要ならばモノ申すなどして、更なる発展に寄与できればと思った。

 

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滝桜を見に行く

2016-04-14 01:48:24 | くるま旅くらしの話

 突然思い立って夜の滝桜を観に行った、という話です。

昨夜(4/11)の夕食の会話時に、家内から滝桜が満開だそうよ、という話を聞いたのですが、それが心のどこかに引っかかっていて、朝を迎えました。今日(4/12)は持病の定期検診日で、午前中いっぱい、つくば市の専門医のところに出掛けていたのですが、やっぱり滝桜のことが気になり、ここしばらくどこへも遠出をしていないこともあり、思い切って夜桜見物に行こうかという思いが次第に高まりながらの帰宅でした。家内の体調が悪い時は止めようと思っていたのですが、どうやら大丈夫らしいので、それから急ぎ出発の準備をして、突然の出立となりました。

東北の大震災以降一度だけ滝桜を訪ねているのですが、昨年はお目にかかっておらず、家内の話を聞いて俄然見物の思いが高まったのでした。我が家から常磐道・磐越道を使えば3時間ほどで届く距離にあります。

 滝桜は、福島県のほぼ中央に位置する三春町にあり、自分の中では日本一の活き活きとした桜の名木だと思っています。未だ根尾の薄墨桜だけはお目にかかっていませんが、その他の多くの桜の名木を訪ねており、古木の多くは相当に老化が進んでいるのを見て胸が痛くなるのですが、千年を超える大樹で今なお活き活きと花を咲かせているのは、滝桜を置いて他にないというのが自分の所感なのです。

 13時半ごろに出発して、高速道は順調な流れで、滝桜の下の大駐車場に着いたのは16時半頃でした。平日の午後半ば過ぎなので、無料の駐車場にも余裕があり、何の心配もありませんでした。今夜はここにお世話になるつもりなので、滝桜の見物はライトアップが始まる18時以降にすることにして、しばらくTVなど見ての休息時間となりました。17時を過ぎると、一旦減った車が再び増え出し、これらは皆夜桜見物の人たちなのでした。満車とは行かずとも平日の夕方にこれほどの車と人を呼び寄せる滝桜の力はすごいものだと、改めて感じ入りました。

19時近く、いよいよ夜桜見物の開始です。入口で観桜料300円也を支払い、小さな地下道を潜ってしばらく坂道を上り歩くと、いよいよ滝桜との対面です。何度来てもこの瞬間は感動的です。夜の闇に浮かび上がった滝桜の姿は一段と神秘的で、流れ落ちる花の滝の条(すじ)は、得も言えぬ幽玄の風情を醸していました。暗闇に浮かび上がるその姿に感動しない人がいるとしたら、それは恐らく超哀しい心の持ち主なのだろう、そう思われるほど心を動かされるものでした。1時間ほどかけてカメラを構えたりしながらじっくりとその夜の風情を楽しみました。

    

春の夜の暗闇に浮かび上がった滝桜の姿。光が乱れるのか、花が光を乱すのか、たった一本の桜の木の力の秘めるパワーのすごさを感じずにはいられない。

帰りは、こんにゃくの田楽を頬張りながら、今日の宿の車までの道行きとなりました。車旅に馴れている者には、その後の一杯と眠りは至福のものでした。

翌朝は6時には起き出して付近の散策に出かけたのですが、青空が望まれて、今日も好天の観桜日和かと安堵していたのですが、車に戻った7時頃になると急に空の動きが怪しくなりだし、一気に黒雲の多い状況となりました。この季節の不安定な気候の一面が露呈された感じがしました。

朝食の後、帰途に着く前にもう一度観桜料を支払って、素顔の滝桜を拝することにしました。新鮮な気持でその優雅な姿を打ち眺めたのですが、何本もの柱に支えられたその姿を観ていると、心なしかやはり千年の老いをそこに感じて、それが又わが身に替え映って一抹の寂しさを感じたのです。いつもは元気を頂戴するだけのはずの滝桜なのに、このような心持となったのは初めてのことでした。その後は、車に戻って、帰途に就きました。

      

菜の花に映える滝桜のこぼれるような花の姿。雲の多いこの日の天候が恨めしかったでも、今年は滝桜に逢えてよかった。

 

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