10月になってから書き始めた今年の北海道くるま旅くらしの記録がようやく終わりを迎えようとしている。既に本文も別冊分も書き終え、後は写真のページと表紙を作り上げ、印刷の準備に入るだけである。100頁を超えるボリュームとなってしまったので、自分の力で上手く製本が出来るか自信が無い。ま、何とかなるだろうとは思っているのだが。
何日か前のブログで、後楽は苦楽などと駄洒落を言ったりしていたが、旅の振り返りは楽しくても、当座の目的である記録の方がさっぱり前へ進まないので、ついつい愚痴となってしまった。楽しむのも悩むのも同じ自分という人間なのだから面白い。
振り返りはやっぱり楽しい。その時々の感動を思い起こし、今年も旅に行ってよかったなあと思うのである。2ヶ月の旅を1ヶ月もかけて振り返るのだから、考えてみればずいぶん気長というか、贅沢な時間なのかもしれない。
普通のビジネスならば、レポートはせいぜい1週間以内にはまとめて出す必要がある。現役時代に監査という仕事を担当したことがあるが、社内各事業所の業務遂行状況をチエックしてその結果をトップに報告するのだが、各監査担当者に1週間以内にレポートの提出を求めたら、無理だなどという顔をされたことがある。そのようなことを要求した私が、今は1ヶ月もかけて自分なりのレポートを作成しているのは、自由であり、楽しみながらできるからなのであろう。
監査などという他人の仕事のアラを探すような仕事は、もともと自分の好きな仕事ではなく、バカバカしくなって早めに会社を辞めることとなった。社内監査というのは、トップが問題点を探るというよりも、報告を聞いて安心したいという雰囲気があり、こちらから問題提起しても何のアクションもとらないのだから、やってもあまり意味が無い。最近は監査の問題が騒がれていないようだが、あれは社外監査のことであり、社外監査にして馴れ合いが多いのだから、社内監査の扱いがどのようなものかは推して知るべしである。サラリーマン経営者には、社会正義を見通せる重厚な人物が少ないように思う。お話は一見立派だが、肝の力(=胆力)も見識も薄いような気がする。(これは評論家の言い過ぎかもしれない)
楽しくない仕事はしたくないというのは我ままであって、組織においては許されるものではないのだろうから、許されなければ辞めるしかない。決心には時間が要ったが、今でもそのことは後悔してはいない。会社は好きだったが、終わり近くになって仕事のミスマッチが巡って来たのは残念だった。楽しい仕事というのは、それがつらくても自分の思いを打ち込めるやりがいのある仕事である。私は、人生というのは最後までそのような仕事を追いかけて良いのではないかと思っている。
何はともあれ、旅の振り返りを存分に楽しめるのは幸せである。地図や資料を見ながら、メモ記録をたどり、写真を眺め、ブログを覗き、更には日記までも読み返せば、忘れていたこともありありと思い起こせるのである。勿論それらのすべてが良いことばかりとは限らないが、トータルすればすべて良いことへ転化できることが、過去の出来事の特性といえよう。
辛く恨みの籠もった出来事も、遠く時間が過ぎればなぜか懐かしい気分に変わるものである。過去というのは、いやな出来事でもそれに拘泥するのではなく、起きてしまったこととしてきっぱりと認知し、現在とは違うし、ましてや未来とは何の関わりも無いと思うのが良い。
旅にはそれほど重い負の印象の出来事は少ない。私の場合は、それが近い過去であってもすべて楽しい出来事として、記録をまとめる度に旅の本番とは違ったもう一つの旅を味わっているのである。