山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第14回>

2017-04-29 07:44:41 | くるま旅くらしの話

【今日(4/29の予定】 

  車の故障の修理が完了するまで旅は休止。従ってブログも休むことにします。

 

【昨日(4/28のレポート】  天気:荒天(晴れあり、曇りあり、雨あり)  

<行程>

角館臨時駐車場 →(R106・R105・R106)→ 秋田トヨタ角館店 →(R106)→ 道の駅:なかせん →(R106・R13)→ 横手市街(イオン横手店駐車場) (泊) 

<レポート>

  角館の臨時駐車場の一夜が明けて、早朝の散歩を楽しむ。桧内川の堰堤を1時間半ほど往復して桜の天国を楽しんだ。上流の桜の木が無くなる箇所まで行き、引返して下流の桜並木が亡くなるまで歩こうと考えたのだが、あまりにも長く続いているので、途中から断念して引き返すこととなった。それにしてもこの堰堤の桜並木の長さは、全国有数のものだなと思った。北上川河畔の北上展勝地の桜並木も長大だが、ここもそれに引けを取らないと思った。

  車に戻って朝食の後は、しばらく休憩する。相棒は何か知り合いに訊ねたいことがあるらしく、早々に出かけて行った。自分の方は、これからの行程などについて地図などを見ながら頭を悩ます。10時過ぎに相棒が戻って来て、取り敢えずカタクリの花を見ることにして、旧西木村のあるカタクリの郷という所へ行くことにして出発する。ここで、走りだして妙な音が車から発するのが気になり、しばらく行って道脇に車を止めて見てみたのだが、さっぱり判らない。でも異常音が気になるので、車屋さんに見て貰おうと調べたら、幸い角館にトヨペットの店があるのを知り、急遽引き返して見て貰うことにした。

  ピットに車が入るまでに1時間以上を要したが、とにかく点検して貰って、結果としては、スタピライザ―という装置にガタが来ていて、そこから異常音が発しているのだということだった。走行に問題はないという話だった。この後どうするかを考えた結果、このような車の状況では安心して旅をするのは難しいと考え、旅は断念して家に戻ることにしようと決める。

  というわけで、引き返すことにして、山形までは幹線の13号線を走って、山形から高速道で帰ることにしようと向かうことにした。大仙市の郊外からR13に入り、時々異音がするものの、それはスタピライザーからなのだと、気にしないようにして走っていたのだが、横手市内に入る頃から何か焦げくさいお臭いがすると相棒が騒ぎ出し、しばらく走ってイオンの広い駐車場があったので、そこに入って見て見ると、何と、車の後部左車輪のタイヤ脇からオイルが流れ出しているではないか??これは一体何事なのだろうと、驚いた。幸いすぐ近くにJAFの事業所があったので、相棒がそこに走って行って、来て貰うこととなった。

  見立てでは、デフからのオイルが漏れているということで、走行はダメということだった。近くにトヨタの横手店があるので、そこへ修理の状況を聞いて貰ったのだが、現在の予定が手いっぱいで、明日から連休に入り、仕事は6日から営業とのこと。あまりにも待ち時間が長いので、保険屋に連絡して家の方までレッカー車で移動して貰えないかと訊いてみたのだが、付保条件としてはレッカーの曳航は15万円が上限とのこと。又距離は180kmまでということで、それ以上の場合は、自己負担となるということだった。因みにどれくらいの費用となるかを訊いたところ、詳しくは判らないものの自己負担は30万円くらいにはなるような話だった。幾らなんでもそれは厳し過ぎると、見なおすことにした。

  考えた結果、6日までここで暮らすことにして、6日にトヨタに行って診て貰いその結果を待つことに決める。その診立てによっては、更にかなりの日数がかかることになるかもしれないけど、もうこうなったら、腹をくくるしかない。これらの決断に至るまでには、JAFの方に多大なご助力を頂戴した。そう決めた後も、イオンの駐車場管理の責任者の所まで行って滞在の許可を貰うことなどまで、懇切丁寧に助けて頂いたし、又、滞在間の水の補給もJAFの水を使ってOKとの承諾もいただいた。困惑する状況でのこれらの支援は心底ありがたいものだと、感謝の気持ちでいっぱいである。

  ということで、今夜からしばらくは、全くの異郷での暮らしが始まることとなる。暮らすとなれば、基本的に必要なものは、水、電気、ガス、食料、ゴミ処理、などの確保があるが、一番心配なのは、電気である。エンジンはかけられないので、ソーラーに頼るしかない。晴れの天気が続くことを祈るだけである。その他の事項については、近くにたくさんの商業施設があり、困ることは少なくて済みそうである。

  10年以上前にも、旅の途中で車が故障し、同じような目にあったことがある。あの時は鳥取市の郊外だった。車屋さんの駐車場に部品が到着するまで1週間ほど泊るという話が、3日ほどで済んだのだったが、今回は部品の有無も判明しないまま1週間も待ち、その後何日かかるかも不明なのだから、相当に覚悟を決めて当らなければならないと思っている。

 

【 ※ というわけで、とんでもない事態が出来し、しばらくは旅どころではなくなりました。明日からはしばらく投稿を休むことにします。気が向いたら再会することにします。  馬骨拝 】

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第13回>

2017-04-28 04:51:32 | くるま旅くらしの話

【今日(4/28の予定】 

  角館臨時駐車場 →(R46・K)→ (※今日はカタクリの郷やミズバショウなどを見ながら、乳頭温泉郷の秘湯・黒湯に入る予定。その後は未定)

 

【昨日(4/27のレポート】  天気:晴れ         

<行程>

道の駅:なかせん →(R106・R46)→ 角館臨時駐車場  (泊りも同じ) 走行10km

<レポート>

  雨は夜半遅くにようやく降り止んだようだった。5時過ぎにブログの投稿を終え、外に出てみると、まだ予報の晴れにはなっておらず、ガスっている状況だった。昨日の八乙女温泉の帰りに、付近に満開の桜並木があるのを知り、しばらくそれを辿ってみたら、それはそれはなかなかのものだったので、今朝はそれを歩いて辿って見ることにした。近くを流れる桧内川の橋を渡って少し行くと、そこからが桜並木になっていて、道路の両側に7~800mほどに亘って桜が植えられていた。樹齢はほぼ15年くらいと思われる若木のようだった。ソメイヨシノなので、白っぽい花が連なっていた。最後の一本のところまで行って引き返すことにした。夜明けの霧の中に浮かぶ白い世界は、夢幻の世界のように見えた。40分ほどの花の天国の散策だった。

八乙女公園付近にある桜並木はちょうど満開だった。早朝の霧の中に浮かぶ花の世界は夢幻境のように思えた。

  今日は、少し早目に角館の駐車場に入り、その後は終日そこに車を置いて、町の桜と古い町並みなどを歩き、さ迷って楽しむことにしている。朝食は角館に行ってからにすることにして、6時20分頃に出発する。駐車場到着20分後。さすがにこの時間は来訪の車も少なく、広い駐車場はほんの一部に駐車しているだけだった。思い通りの場所に駐車出来たので安堵する。ここが明日までの暮らしの拠点となるのだ。TVのアンテナなどをセットして暮らしの準備をする。その後、お湯を沸かして朝食はパンとインスタントみそ汁と野菜。何だか妙なメニュである。霧が晴れて空が明るくなってきた。準備完了である。

  今日は相棒とは基本的に別行動である。夜まで十二分に時間があるので、相棒は存分に思いを達することが出来るに違いない。自分の方は、先ずは桧内川堰堤の桜を見た後は、いつものように街中を古いものを見ながらふらりと歩くだけである。武家屋敷の方は人だかりで一杯なので、観桜どころではないと思う。一応は行って見るけど。

  ということで、以下に今日の歩き回った場所などの、自分流の観光案内を写真で紹介して、報告を終わることにしたい。

桧内川堰堤のソメイヨシノの桜並木。桜の花の天国が2kmほど続く景観はまさに壮観だ。

こちらは武家屋敷の桜の様子。すでに満開を過ぎてしまったのは、あまりにも大勢の花見客のエネルギーに煽られたからなのかもしれない。

家屋敷から少し離れた場所にある松本家。武家屋敷は佐竹北家の上級武士の住まいだったが、この松本家は下級武士の住まいだった。自分的にはこの住まいの方が性に合っている感じがする。

西宮家の景観。西宮家は佐竹北家と並ぶ佐竹家武士の一族だった。この家がその本家ということらしい。観光の武家屋敷からは少し離れた場所に位置している。

商家安藤家の西洋レンガの蔵の建物。明治に入ってから造られたらしいけど、東北では一番古い建物として残っているという。安藤醸造は現役でもあり、我が家はここの味噌などを愛用させてもらっている。

角館の守り神神明社。現在でも角館の祭りなどの中核的な存在として役割を果たしている。自分はいつもここに参拝することにしている。

旅の大先輩の菅江真澄はこの地で終焉を迎えたのだった。尊敬する人物の一人である。

最後に、古い街からは離れた所にあるJR角館駅。今日も大勢の観光客がこの駅から吐き出されて武家屋敷の方に向かって歩き始める。

以上で観光案内は終わりです。

このあと、夜桜見物をしました。2枚を追加します。

ライトアップされた角館武家屋敷のしだれ桜。昼間よりも夜の方がはるかに美しい。桜という樹の花の本当の美しさがそこにあったような気がした。

見上げるとそこには桜花の小宇宙があった。それは花の形をした妖精たちの世界だった。一つ一つの姿も美しいが、この集合体の静かな美しさは、一体何に例えればいいのか、言葉を失うほどのものだった。

角館の武家屋敷の夜桜を観るというのは初めての経験だった。何度も来訪しているのに、今まで一体桜の何を見てきたのだろう。そう思うほど圧倒的な感動を覚えた。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第12回>

2017-04-27 05:02:55 | くるま旅くらしの話

【今日(4/27の予定】 

  道の駅:なかせん →(R105・K)→ 角館武家屋敷駐車場 → その先未定

 

【昨日(4/26のレポート】  天気:雨           

<行程>

道の駅:遠野風の丘 →(R283・釜石道・R283・R4・R107)→ 道の駅:錦秋湖 →(R107・K)→ 碧祥寺博物館 →(K・R107)→ 道の駅:さんない[横手市山内] →(R107・R13)→ 道の駅:十文字 →(R13・R105・K)→ 八乙女温泉 →(K)→ 道の駅:なかせん[大仙市中仙](泊)  走行200km

<レポート>

  夜来の雨は降りやまず、朝になっても一向に機嫌を直そうとはしなかった。それでも少し小降りになったので、間隙をぬって歩きに出かけることにした。道の駅の下方にある道を歩くことにして、少し行くと変な置物のようなものがあるのに気づいた。行って見ると石で出来た大きな板に鼻緒が通してあった。どうやら下駄のようだった。何だろうと近寄って見ると、3個ほどの石碑のようなものが建っており、湯殿山などと書かれており、傍の説明書きに羽黒岩とかいうのについての由来が書いてあった。それによると、この山手の方に羽黒岩という巨石があり、その石が大昔傍に立っている矢立松と丈比べをしていたところ、天狗が現れ、石の分際で樹と丈比べをするとはけしからん、ということで蹴飛ばされて、上部が欠けたという。そのような物語が遠野物語拾遺に残っているとのことだった。俄然興味がわき、そこへ行って見ることにした。

 いきなり遠野らしい世界に遭遇して、ラッキーだと思った。大した距離でもなく、杉林の中の坂も大したことはないと思って行ったのだが、上って行くにつれてだんだんと勾配が急になり、その巨岩に着いた時は危く息が上がる寸前だった。確かに巨岩だった。それは二つに割れており、高さが9mもあるので、信仰の対象となるに相応しい存在だなと思った。矢立松というのには気づかなかったが、昔の人は面白い夢物語をつくるのが上手だなと思った。帰ったら遠野物語拾遺というのを調べてみようと思った。

羽黒岩の景観。右の石の方が丈があり、9mほどだろうか。てっぺんが欠けているのが天狗が蹴飛ばした跡だという。いずれの地でも巨岩には様々な伝説が付きまとうようである。

  今日は遠野の原風景の一つ、冬里夏山といわれる馬の飼育の仕方があり、夏の山での放牧地である荒川高原牧場の方へ行って見ようと思っていたのだが、こんな雨では行っても無理だと考え、予定を変更することにした。何だか妙に暖かいので、これでは角館の桜も早めに咲くのではないかと考え、どうせ雨なのならば、角館の方へ行って見ることに決める。止むをえぬ変更だった。

ということで、9時過ぎに出発する。先ずは無料の高速道を利用して、道の駅:とうわに向かう。ここで一息入れて北上からR107に入って、横手方面に進む。ガスがかっていて、このまま行くと山道は大丈夫なのか、と少し不安を覚えたのだが、行って見ると大したことは無く、残雪なども思ったより少なかった。道の駅:錦秋湖で小休止。

  その後は、湯田温泉から県道を走って西和賀町にある碧祥寺博物館を目指す。ここは昨年にも来ているのだが、もう一度来て見たいと思っていた。この博物館には、この地方の江戸から近代にかけての暮らしの遺品というのか、日々の暮らしの中で使われていた様々な生活用品が数多く保存・展示されている。碧祥寺というお寺の住職さんが、後世に昔の暮らしの有り様を知って貰おうと、一代で集められたというから、大変な偉業である。その数の多さに感動して再訪を思ったのである。自分的には、特にマタギの暮らしに興味関心があり、その資料をもう一度是非見てみたいと考えていたのである。

  R107から別れて県道に入り、20分ほど走ると碧祥寺博物館の駐車場に着いた。雨は依然として降り続いており、却って強くなりだしている感じがした。傘をさして博物館の方に向かう。ここの博物館は、庫裡が本館となっており、その他に別棟として雪国生活用具館戸マタギ収蔵館が建てられている。この二つの建物の収蔵品は、いずれも国指定重要有形民俗文化財に指定されているという。先ずは本館で入館料500円也を払って、展示室に入り、順路に従って様々な生活用品や民具などを見学する。普段の暮らしのありとあらゆる品物が、江戸末期辺りから戦後の頃のものまで、よくもまあこれほど集められたものだと、驚異的なコレクトである。中には子どもの頃自分の暮らしの中でも見知っている物もあって、懐かしさを覚えたりした。

碧祥寺博物館本館。ここは元はお寺の庫裏だったようである。まだ境内には大きな雪の塊が融け残っていた。

本館の後は、別棟の雪国生活資料館の方へ向かう。ここにはこの和賀地方の冬の暮らしに使われた様々な道具が展示されていた。関東に育った者には見たこともなく、何という用具で、どんな時に、どのように使うのか見当もつかないようなものも数多くあった。小さな説明書きを読んで、なるほどなあと思い、感心するだけである。橇なども馬に引かせるものから、竹製のものやら、用途に合わせて様々な形のものがあるのを知った。材料に乏しかった時代の人々の知恵というものの凄さを改めて知った。

雪国生活用具館の景観。本当は中に展示されているものを撮りたいのだが、文化庁のお達しで禁止されているので、外観しか紹介できないのが残念だ。

最後にマタギ人たちに関する資料が収蔵されている館に入り、狩猟などに使われた様々な用具や、マタギの人たちの世界観をまとめていると思われる、秘伝の巻物などが展示されていた。農耕民族が主流の中で、狩猟を暮らしの基本とするマタギの人たちには、独特の世界観があり、それを知るのが楽しみなのである。出来るならば、巻物を紐解いて見てみたいのだが、指定するだけで何も力を貸さないらしい文化庁という役所は、写真を撮ることさえも禁じているので、ただガラス越しに眺めているだけなのである。残念至極。今回も同じ感慨を持ちながらの退散となった。

マタギ収蔵館の外観。この中にたくさんのお宝が収まっている。それにしてもこれらのコレクションにかけたお住職さんの情熱には絶賛のエールを送りたい。ありがとうございました。

  その後は横手市にある十文字という道の駅へ行き、名物の横手焼きそばを食べることにして向かう。途中、道の駅:さんない[横手市山内]があり、何か良い山菜は無いかと覗いたのだが、ダメだった。道の駅:十文字に着いたのは14時少し前だった。早速その名物にありつく。野菜焼きそばというのを食べたのだが、思っていたほど美味いという感慨は無く、我が家の野菜焼きそばの方がレベルが上の感じがしてガッカリした。本物の横手焼きそばというのを食してみたいものだと思った。

  雨の中今日の泊りは角館の観桜の際にはいつもお世話になっている大仙市の道の駅:なかせん[大仙市中仙]にすることにして出発する。道の駅に行く前に、近くいにある八乙女温泉に入り、心身の疲れを癒した後、到着。やれやれ、今日も移動で200kmも走ってしまった。雨のせいなのだと恨んでみても、素知らぬふりして、雨はただ黙って降り続けるばかりである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第11回>

2017-04-26 04:12:59 | くるま旅くらしの話

【今日(4/26の予定】 

  道の駅:遠野風の丘 →(R283・R340・K他)→ 荒川高原牧場探訪 →(K他)→ 早池峰神社 →(K・R340・R283・R107・R283)→ 道の駅:とうわ[花巻市東和町](泊)

 

【昨日(4/25のレポート】  天気:晴れ         

<行程>

道の駅:かわさき →(R284・R4・K・R343)→ 正法寺参詣 →(R343)→ 黒石寺参詣 →(R343)→ 道の駅:みずさわ →(R343・R4・R107)→ 北上展勝公園の桜見物(渋滞の車窓より)→(R101・釜石道他)→ 道の駅:遠野風の丘(泊)  走行122km

<レポート>

  今朝は歩きに出かけることが出来た。6時少し前、道の駅の裏側の方の道を少し歩いてゆくと、北上川が流れていた。この辺りは海からどれくらい離れているのか、川の流れは満々と水を湛えて大河の様相を想わせていた。川崎村もその昔は北上川の水運により栄えた所だと聞いている。水運のおかげの一方では、何度も洪水に悩まされていて、ようやく現在の堤防が築かれるにいたったのだと、駅構内の案内板に書かれていた。1時間ほど付近を歩き回って車に戻る。

春の雪解け水を集め、満々と大河の様相をして流れ下る北上川。

  今日の予定は、先ず奥州市の水沢にある二つの名刹に参詣すること。その後は状況次第だが、北上展勝地の桜を見物してから道の駅:とうわ(花巻市東和)に行って泊ることを考えている。二つのお寺を選んだのは、何年か前(もう十年以上も昔となっているけど)に訪ねた時に印象深いお寺だったので、是非もう一度訪ねてみたいと思っていたからである。もし、昨日遠野まで行っていたらその願いはかなわなかったのだが、ここに泊ったおかげで実現できそうである。

  ということで、先ずは一関の市街地を目指して出発する。20分ほどでR4に出て、その後はしばらくこの道を北上する。少し行くと平泉なのだが、ここは昨年参詣しているので、パスすることにした。途中に明日オープンするという道の駅:平泉があったので、一寸立ち寄ってみた。先日は長井の道の駅のオープンイベントを見たばかりであり、日程が合えばここも見ておきたいと考えたのだが、それが出来なかったので、せめてちょっとでも覗いてみようと野次馬根性が頭をもたげた。行っていると、なかなかすっきりした建物で、これからが期待できる気がした。

オープン前の道の駅:平泉の景観。入口の掲額には「黄金の花咲く理想郷」と書かれていた。

  そこからはナビのガイドに従って良く判らない道を走ったりして、間もなくR343に出て、黒石寺が近づく。先に正法寺の方を参詣することにして、黒石寺を通り越して3kmほど行くと目的地に着くはずなのだが、入口の道を間違えて少し手間取る。正法寺は巨大な茅葺の本堂を有し、また右方に位置する庫裡の建物も同じように茅葺で巨大である。このお寺は奥の正法寺と呼ばれるように、曹洞宗の禅寺としては永平寺、総持寺に次ぐ第三の本寺という地位に位置付けられているとか。修行の僧もおられて研鑽に励んでいるようである。庫裡の方が出入り口となっており、階段と廊下を通って本堂に行き、般若心経を誦す。その後は後方の山の中に建てられている、開山堂に上り、このお寺に係わる高僧の方々の位牌などを見たりした。

正法寺の惣門。荒々しく造られている石段を登るに相応しい門構えのように思った。

正法寺の本堂。堂々たる萱葺屋根の建物である。これほどのスケールの大きい建物は、東北の地では見たことがない。

正法寺の庫裏の景観。この建物も本堂に劣らぬ風格を備えている。修行僧の方たちはここでの暮らしを生き方の基本とされているに違いない。

  相棒とは途中で別れて先に車に戻ったのだが、その後なかなか戻って来ないので、いらいらさせられた。ま、時間を念頭に入れないのは、いつものことではあるけど。ようやく相棒が戻って、次の黒石寺に向かう。僅か3kmほどしか離れていない場所に、二つの名刹があるというのは不思議な感じがする。黒石寺は旧正月に行われる蘇民祭で有名である。TVでしか見たことがないけど、雪の中を下帯一つの裸で駆け回る男たちの姿は勇壮で、東北人魂を示しているかのようだ。今はようやく春を迎えて、静かに落ち着いた佇まいを見せている。

  石段を上って、薬師堂に参詣する。この薬師堂が本堂となっている。ここでも般若心経を誦し旅の安全を祈る。本堂の前には二対の鉄製の駒犬が厳つい顔で仏様を守っていた。鉄製の駒犬はあまり見たことがない。この辺りも南部鉄の産地だから、それを表象して造られたのかもしれないと思った。詳しいことは判らない。本堂の脇には蘇民祭の時に使われる御供所と鐘楼が建っていた。高橋さんとかいう名工が造られたとか。何となく大陸を思わせるような建築物だった。この辺りは暖かいのか、境内の桜は散り終わる時期を迎えているようだった。

石寺薬師堂の景観。それほど大きくはないけど、ここは蘇民祭の中核となる建物であり、それなりの風格を示していた。

薬師堂の前には二対の鉄製の狛犬が構えていた。石製とは違った雰囲気を醸していた。

蘇民祭の御供所と鐘楼を備えた建物。和風のような大陸風のような、変わった雰囲気を持つ建物である。

  二つのお寺を参詣した後は、近くの道の駅:みずさわに行き、昼食をと思ったのだが、この道の駅にはどうも親近感を覚えず、先へ行くことにした。水沢の市街地に出て、少なくなった飲料水を買うことにした。スーパーに車を止め目的を果たした後、ついでに昼食もここで簡単に済ませることにした。あまりお腹もすいていないので、これでいいのである。

  その後は北上展勝地の桜を見ることにして、北上市の方に向かう。R4からR107に入り、初めは順調な流れだったのだが、北上川に架かる橋が見えてくる場所まで来ると、殆ど前進の無い渋滞となった。これでは駐車場に入れるのにどれだけ時間がかかるのか見当もつかない。ということで、とにかく橋を渡れたら、今日の宿を予定の道の駅:とうわへ向かうことにして、渋滞を凌ぐことにする。20分ほどかかったのだが、この間車窓からも満開の桜の様子を堪能することができ、もうそれだけで充分満足することができた。

渋滞の車窓から見る北上展勝地の桜並木。丁度今が花の最盛期を迎えているようだった。

  渋滞を抜けた後は、みちのえき:とうわに向かったのだが、今度は、少し早く着き過ぎてしまいそうなのが気になり、思い切って遠野まで行ってしまおうと、また考えを急変更する。その後はR107を道なりに進んでいたのだが、途中から無料区間となっている遠野までの高速道があるのを知り、それを利用することにした。これは.かなり効いて、何と15時前に遠野の道の駅に着いてしまった。もう今日はここでゆっくりすることにして。その後は何もせずに時間を過ごすこととなった。

  遠野はもう何度も来ているけど、何となく日本の昔の原形がおちこちに残っている場所のように感じている。明日は国指定重要文化的景観の残る荒川高原牧場と早池峰神社に参拝しようと考えている。天気がどうなるのかが少し心配だ。早や目の就寝となった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第10回>

2017-04-25 05:37:30 | くるま旅くらしの話

【今日(4/25の予定】 

  道の駅:かわさき →(R284・R4・K・R343)→ 黒石寺参詣 →(R343)→ 正法寺参詣 →(R343・R4・R283)→ 道の駅:遠野風の丘(泊)

 

【昨日(4/24のレポート】  天気:晴れ

<行程>

道の駅:尾花沢 →(R13・R47)→ 道の駅:あ・ら・伊達な道の駅 →(R47・R457・R398・R45・K)→ 柳津虚空蔵尊参詣 →(K・R45)→ 道の駅:大谷海岸 →(R45・R284)→ 道の駅:かわさき(泊)  走行222km

 <レポート>

 尾花沢の道の駅の夜はかなり冷え込みがきつく寒かった。騒音は無く、至って静かだったので、つい二度寝をしてしまい、目覚めたのは7時近くで、歩きの時間には間に合わず、付近の散策は止めることにした。歩きに出かけないと何も情報がないので、折角この地に来たことが唯の通過点となってしまう。寒くてもやはり早起きは必要だなと反省した。

  今日は出発からして迷いの中で、当初は角館を目指して北上することにして出発したのだが、走り出してから、角館の開花状況では29日頃が満開となるということなので、明日あたりでは早過ぎると言う思いが強くなり、少し遠回りになるけど、やっぱり登米の柳津虚空蔵尊を参詣することにしようと急に目的地を切り替えることにした。尾花沢の道の駅のすぐ脇から建設中の東北中央道に入ることができ、現在新庄までは無料での通行が出来るようになっている。変更の決断は、この高速道を走行中でのことだった。

新庄からR47に入って登米の方に向かう。昨日の予告をいきなり裏切る結果となってしまった。今回はそれも良しと勝手に決めてしまうことにした。そのようなことを想いながら、R47を鳴子方面へ向かう。山道の中に所々田んぼや畑が点在しているが、まだ田の耕起は殆ど行われていない。長い冬が終わって、大地を温めている時期なのかもしれない。連休あたりから農作業が忙しくなるのであろう。そのような景色を見ながらしばらく走って、道の駅:あ・ら・伊達な道の駅という妙な名の道の駅で小休止する。この道の駅に来るのは10何年ぶりだろうか。駐車場が改修中で、後ろの方の出入り口からのりようとなっていた。中に入ると東北の春の香りいっぱいの葉わさびやコゴミなどの山菜が並んでいた。早速今夜の采に買い入れる。今日は快晴無風の極上の天気である。休憩の後直ぐに出発する。

その後は、ナビに従って、平地を走行して、登米市に入り、目的の柳津虚空蔵尊に着いたのは、丁度12時ごろだった。杉などの大木に囲まれた境内は静かで、三大を思わせる佇まいだった。本堂は少し変わった建物で、6角形なのか、8角形なのか、そのような形をした小型の建物で、大木に囲まれて全景を見ることはできなかった。般若心経を誦して旅の安全を祈る。境内に何やらの天然記念物というイチョウの大木があったが、まだ春の息吹は感じられない状態だった。参詣の後、境内にある水飲み場から、水を頂いて車のタンクを満たす。冷たくていい水だった。これで日本三大柳津虚空蔵尊の全部を参詣したことになる。地元茨城県の村松虚空蔵尊にはもう20年以上もご無沙汰しているので、帰ったら参詣しないといけないな、などと思いながら柳津の虚空蔵尊を後にする。

柳津虚空蔵尊本堂の景観。こんもりとした木立に囲まれた静かな佇まいだった。

この後何処へ行くか再び迷いとなったが、取り敢えず近くにある道の駅:津山という所に行き、昼食をしながら考えることにして出発。直ぐに着いて、売店に行き少々買い物をして、昼食休憩。ここで先ほどあ・ら・伊達な道の駅で買って来たコゴミ茹でることにする。このような作業は思いついた時に直ぐに行うのが一番と心得ている。これらは殆ど自分の担当で、相棒は食べるだけ。さて、この後の予定だが、思い切って遠野まで行ってしまおうと決める。R45を海岸沿いに北上して釜石まで行き、そこから遠野に向かえば、17時頃には着きそうともくろむ。

出発して、途中は大津波の跡を見ながらの道行きとなった。復興はいまだ終わってはおらず、海岸沿いの建設工事は忙しそうだった。途中気仙沼近くにある道の駅:大谷海岸に寄ったが、まだ被災後の仮設の建物のままに営業されているのを見て、痛ましい感じがした。気仙沼の市街地近くに来て、所々渋滞にぶつかり、遠野まで行く内に日が暮れてしまうと思うようになった。今日はかなり走っているので、疲れも増して来ている。どこか近くの道の駅に泊りを変更しようと、地図を見ての一番近い場所として、道の駅:かわさきというのが一関市の中にあるのを見出し、そこへ行くことにする。二度目の急変更である。

道の駅:大谷海岸の景観。復興未だ遠しという感は免れない。早く以前以上の姿に戻ってほしいと願う。

気仙沼郊外から進路をR284に変更してしばらく山の中を走り、間もなく平野部に出て、道の駅:かわさきに着く。16時半少し前だった。丁度良い到着時刻だった。とにかく今夜はここのお世話になることにして錨を下ろす。とんだ気まぐれの一日だったが、それなりに面白かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第9回>

2017-04-24 06:48:13 | くるま旅くらしの話

【今日(4/24の予定】 

  道の駅:尾花沢 →(R13)→ (登米の方へ行くのは止め、このままR13を北上して、横手市辺りに泊り、明日は角館の桜を見る予定に変更する。詳細は未定)

 

【昨日(4/23のレポート】  天気: 晴れ

<行程>

道の駅:天童温泉 →[天童桜まつり~人間将棋見物] →(R13・k他→ あったまりランド深堀♨ → 道の駅:尾花沢(泊)   

 <レポート>

 いやあ、昨夜は泊りの車で駐車場は、ほぼ満車に近い状態だった。天童の桜まつりというのが超人気なのは解ったが、人間将棋に絡んで、将棋をテーマとした映画に、主演で出演している俳優さんと監督が来訪してトークショーなどを行うということで、特に若い人たちが集まって来ているかららしい。自分的にはそのような映画は知らないし、又将棋に対しても殆ど興味関心がないので、本当ならばわざわざ混雑をつくりに行くべきではないのかもしれない。しかし、野次馬精神は、一度くらいは人間将棋というものがどのように行われているのかを見たがっているのだから、これはやはり尊敬しなければならないのだろう。とにかく夜中中エンジンをかけっ放しの車がいたりして、いつもとは違った夜を送る結果となった。

  早朝にいつものように歩きに出かける。今朝は今日人間将棋が行われるという天童公園まで下見に行くことにした。公園のある舞鶴山は道の駅からはさほど遠くなない距離にあるので、30分も掛らない内に着いてしまった。山の下の方に大きな親水公園がつくられていて、そこから坂を少し登ると平になり、そこが人間将棋等のイベントが行われる広場となっていた。広場の周りには至る所に桜が植えられていて、今がまさに開花の絶頂期という感じだった。今日も天気の方は大丈夫のようなので、イベントの方は心配ないようである。人間将棋の行われる方へ行ってみたら、大きな将棋盤となる線引きがなされていた。昨日も女流棋士による人間将棋が行われており、今日は男子の棋士の戦いが行われるとのこと。噂では、昨年コンピュータの棋譜で誤解された何とかいう棋士も対局に出られるとか。将棋の世界のことは殆ど知らないので、コメントできることではない。そのようなことを想いながら桜の木の下をしばらく散策し、その後坂を下りて親水公園を二回りほどして車に戻る。7時を少し回った時刻だった。何時もよりは少ない歩きだった。

 

人間将棋が行われる天童公園の早朝の広場の様子。満開の桜の中で、今日は最高の条件でのイベントとなりそうな予感がした。

  本番の人間将棋のイベントは午後1時からだというので、道の駅から出ているシャトルバスには、せいぜい10時が過ぎてから乗れば良いのではないかと思っていたのだが、早やくも長蛇の列が出来ているのを見て少し早目に行くことにした。9時半頃に並んだのだが、それからバスに乗れるまでには40分以上もかかって、途中で雲が湧き出て急に寒くなったりして困惑した。ようやくバスに乗って、公園に着いた時は10時半近くになっていた。もう大変な混雑で、人間将棋の観覧席などは立錐の余地もないほどだった。人間将棋の本番までには未だ2時間半もあるので、どうしたものかと思案に暮れた。相棒とはとっくに別れて、も早やお互いに自由の存在である。人間将棋開始までは他のイベントにはあまり興味がないので、それまでは舞鶴山のもう一つの頂きにある天童神社の方へ行って見たり、桜の溢れる公園の随所を回ったりして過ごした。超混雑の世界とは別の時間が流れているのをしっかりと味わった。相棒の方は、踊りやその他の出し物を楽しんだようだった。

ものすごい人、人、人の混雑ぶりの人間将棋会場。朝の様子からは到底想像できない景色だった。

  ようやく13時が来て、相棒の傍に坐って人間将棋とやらが始まるのを待つ。太鼓が鳴り渡って、将棋の駒の役を担う役者たちが、それぞれの昔の衣装を着て、正面の門から二手に別れて登場した。戦国の戦いの様相に擬して、大将であるプロ棋士の意思のもとに、各自がそれぞれの駒の役割を為して動くという趣向である。将棋のことは良く解らないので、適当にそれらしい写真を撮って、退散することにした。なかなか凝った演出もあり、61年も続いているイベントとしてなかなか見ごたえのあるものだった。とにかく超混雑ぶりで、この狭い広場は人で埋め尽くされ、何をするにも長蛇の列が出来ていた。万人を遥かに超える人々が集まって来ていたように思う。

二手に整列した人間将棋の駒を担う人たち。遠くからなので、良く判らなかったが、近くで見ればより情緒のある景色なのではないかと思った。

  帰りもシャトルバスに乗って、帰着は14時頃だった。いやあ、疲れた。このところ人混みの世界からは遠ざかっていたので、予想外の混雑に疲れ果てた感じがした。これではもう一泊ここに泊るわけには行かないと考え、付近を調べた結果、少し北上して大石田町にあったまりの湯深堀という温泉施設があるので、そこへ行って疲れを癒した後、近くの道の駅:尾花沢に行って泊ることにした。

あったまりの湯深堀は、予想以上にいい湯だった。文字通り身も心も温まって、ようやく今日の超混雑を忘れることが出来る感じがした。道の駅:尾花沢は初めて泊る場所だったが、新しく造られている高速道のそばにあって、大きな駐車場があり、どこに留めるか迷うほどだった。昨夜のような騒音に悩まされることもなく、安眠の夜を迎えることが出来た。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第8回>

2017-04-23 05:28:19 | くるま旅くらしの話

【今日(4/23)の予定】 

  道の駅:天童温泉 →[天童桜まつり~人間将棋見物] →(R13・R347)→ 大崎市方面へ・その先未定 

 

【昨日(4/22)のレポート】 天気: 晴れ

<行程>

道の駅:あさひまち →(R287・R347他)→(村山市そば街道)→ そば屋(かねこ)→(R347・K・R112)→ 道の駅:チェリーランド寒河江 →(R112・K・R13)→ 道の駅:天童温泉(泊)

<レポート>

 今朝も近郊を2時間近く散策した。朝日町という所を訪れたのは初めてであり、ここに道の駅が出来なかったら生涯訪れることは無かったのかもしれない。道の駅から気ままに足の向くまま歩いてゆくと、最上川に架かる明鏡橋というのがあり、それは昭和12年に造られたもので、土木学会の推奨土木遺産に指定されているとのことだった。その橋のたもとの方へ行くと、橋を眺めることが出来て、みごとなアーチ橋となっていた。旧道の方なので、歩いて来なければ気づかなかったと思う。

土木遺産に推奨されている明鏡橋の景観。向こう側に現在国道が走る新しい橋がかかっており、土木遺産の方は町中を走る道の現役として活躍している。

その後は、道の駅のある側とは反対になる最上川を見下ろす道を、気ままに散策した。朝日町では、フットパスというものを提唱しており、これは文字通り歩くための小路というような意味で、英国では至る所にこれが造られているとのことだが、それに倣って朝日フットパスというものを造っているとのこと。自分が今偶然歩いているこの道も、そのフットパスの一部だったのである。何となく嬉しくなった。所々にガイドの掲示板があり、それを見ながらの歩きは楽しさが倍加した。もしかしたら道の駅にもその案内資料があったのかもしれない。今度来た時はもっと意識的に道を選んで歩いて見たいなと思った。

フットパスの最上川眺望のビューポイントという案内板のあった場所からの景観。最上川の大きさと力強さが良く判る。

この辺りにはリンゴ園が多く、古木も多い。何時頃から栽培が始まったのかは分からないけど、リンゴの名産地の一つなのだなというのが良く判った。

リンゴ園の地面にはエンゴサクの花が今を盛りとおちこちに咲き乱れていた。

  朝の歩きの後は、朝食を済ませ、トイレ処理や給水を終える。今日の予定は特にない。いろいろ思案した結果、先日会津の柳津町の虚空蔵尊に参詣したのが刺激になり、もう一カ所行っていない日本三大虚空蔵尊の一つがある、宮城県登米市の柳津虚空蔵尊ヘ行って見ようかと思いつく。ここからはかなり離れているので、もしかしたら今日は唯の移動日となってしまうかもしれない。そのようなことを相棒に話し、了解を貰っての出発となった。

  予定していた、道の駅:おおえに寄ることは止め、そのまま一先ず尾花沢市の方を目指すことにした。しばらく走って、10時半近くになった頃、通過している村山市郊外がそば街道として有名なのが気になり、一時はそばを食べるのは時間的に早いので諦めることにしたのだが、相棒からおやつとしてでもいいから食べたいという。それならばと、来た道を引き返してそば屋を探す。一軒在ったのだが、行って見ると駐車場が狭く、未だ準備中というので諦めて、別の店を探すことにする。思い切って山奥の方へ行って見ることにした。県道を走って行くと、そば屋はおろか人家もない山道が曲がりくねって続いており、こりゃあ無理だなと諦めて引き返そうとしたら、少し先に黄色い旗があるのを相棒が発見。そこまで行って見ることにした。すると、何とそれはそば屋さんの旗だったのである。しかも、ちょうど今開店したばかりで、真にラッキーだった。早速中に入ってもりそばをオーダーする。シンプルなメニューで、ごちゃごちゃしていないのが嬉しい。

村山そば街道は有名だが、これほど山奥の店は初めてだった。「かねこ」という蕎麦屋さんの蕎麦は素朴だけどしっかりした歯ごたえがあり、たれの方もグーだった。

そばができ上がるのを待っている間、丁度同じ時間に入って来られた客の人と話をしている内に、今日と明日天童市内で人間将棋というイベントがあるという話を聞いたのである。地元の方で、かなり力を入れて説明されているのを窺っている内に、これは面白そうだなと思った。何も急いで虚空蔵尊参りをすることもないので、そうだ、野次馬見物をしてみようと思い立ち、今日の予定を変更することにした。こんなことに反対する相棒ではないので、そばを食べた後は再び引き返すこととなった。食事の後もその地元の方とそれに店のご主人も加わって、あれこれと旅の話などに楽しい時間を過ごした。不安を覚えながらここへ来たのだが、結果オーライだったことに心底感謝する。

  その後は、直ぐに天童に向かっても、今日は道の駅も混んでいるに違いないと考え、一先ず寒河江の道の駅まで行って、そこでしばらく時間調整をすることにして出発。くるま旅を始めた頃は、来た道を戻るなんてとんでもないムダごとだと固く信じていたのだが、それが次第に緩んで来て、今は却ってそれが面白いことを作ってくれることもあるのだと思うようになった。成長したのか、老化したのか、良く判らない

  15時近くなったので、寒河江に別れを告げ、天童市の道の駅:天童温泉に向かって出発する。三十分ほどで着いたのだが、さくらまつりと人間将棋のための混雑は予想以上で、道の駅:天童温泉の広い駐車場は隙間もないほどの超満車の状態だった。予想は甘すぎた。これじゃあどうしようもないので、しばらく別の場所に退避しておくことにして、取り敢えず次の近場の道の駅:村山を目指す。そこへ着く前の途中にイオンがあったので、そこへ入って一時間ほど待つことにした。その後、もう一度引き返して、ようやく夜を迎える準備が出来た。

  いやはや、今日は元々休日の混雑を避けて、静かな場所に行くことを考えていたのに、結果的にはよりにも拠って、祭りで混雑している場所へ来てしまった。まあ、いい加減なことだけど、見知らぬ人と出会って、祭りの話を聞いて好奇心が一気に膨らんでこのようなことになってしまったことを反省する気持は全くない。却って刺激があって面白くなったと思っている。

  道の駅:天童温泉の夜はさてどんなことになるのか。とにかく明日はここから出るシャトルバスに乗って、近くの舞鶴山公園で行われる桜まつりのイベントの人間将棋というのを見物するつもりでいる。その後は奥羽山脈を越えて太平洋側に向かう考えでいる。しかし、実際どうなるのかはその時にならないと判らない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第7回>

2017-04-22 04:57:35 | くるま旅くらしの話

【今日(4/22)の予定】 

  道の駅:あさひまち →(R287)→ 道の駅:おおえ →(R287他)→ その先未定。(※休日なので、混みあわない場所を探して北上する考えでいる。)

 

【昨日(4/21)のレポート】 天気:曇り後晴れ

<行程>

道の駅:いいで →(R113・R287)→ 道の駅:川のみなと長井 →(R287・K)→ 井佐沢の久保桜 →(K・R287)→ 草岡の大明神桜 →(k)→ 釜の越し桜 →(K・R287)→ 道の駅:白鷹ヤナ公園 →(R287・K)→ りんご温泉 →(K・R287)→ 道の駅:あさひまち(泊)

<レポート>

 朝、目的もなく近場の歩きに出かける。道の駅から集落のある方へ出かけると、小白川というのが流れていて、その橋を渡って少し行くと、大きな赤い鳥居があって、そこに天狗山と書かれていた。良し、その天狗山とやらに行って見ようと歩き始めたのだが、結局40分以上歩いてもそこへは至らず、帰りの時間を計算して戻ることにした。この辺りは雪が深くて、田んぼはようやく融けた雪で大雨の後のような状態となっていた。もう少し経つと一斉に田植えに係わる作業が始まるのだろうなと思いながら、来た道を引き返した。見知らぬ土地を当てもなく歩くのは楽しい。これからは毎日の日課にしようと思った。

飯豊町の農村風景。庭先の樹木たちは強固な板の雪吊り(?)で囲まれていた。積雪の多い、厳しい冬を思わせる景観だった。

  さて、今日の予定といえば、はっきりしておらず、取り敢えずは今日オープンとなる長井市の新しい道の駅へ行って見ることにした。全国各地の様々な道の駅にお世話になっているのだが、オープンの日に訪ねるというのは初めてのことだった。ネットなどの情報では、道の駅:川のみなと長井は今日の9時にオープンということである。それに合わせて、9時少し前に到着したのだが、既に駐車場はかなり埋まっていて、何やらオープンのセレモニーが始まっていた。車を止めて直ぐに会場の方へ向かう。市の関係者の方が多く出張っておられるようで、皆さんは正装されて来訪されているようだった。長い時間をかけて入念なオープニングセレモニーが続いていた。とてもずっと付き合う度量は無いので、早々に退却し、終わるまでの間に近くを流れる最上川を見に行ったりした。長井という町は、江戸の昔、最上川の舟運を利しての米沢藩の拠点として栄えた町だったとのこと。米沢藩は産物の米や青荢や穀類などをここまで陸運した後、ここから船便で酒田まで運び、そこから大阪や江戸などへ広く商いを展開したとのこと。道の駅のオープンを機に学ぶことが多かった。

道の駅:川のみなと長井のオープニングセレモニ―の様子。神主さんの祝詞の後、凡そ1時間ほどくす玉割りやら神楽の奉納やら、関係者の祝辞やらが延々と続いていた。

お祝いの紅白饅頭を求めて大勢の人たちが幾重にも列を作って並んでいた。

セレモニーが終わると、ようやく売店などが解放されたが、珍しいとあってか大勢のお客さんが群がって野菜類などを買い求めていた。レジはフル回転でも追いつかぬようだった。

 セレモニーの間に直ぐ近くを流れる最上川に行ってみた。往時はこの川の舟運が米沢藩の経済を支えていたのかと感慨にふけったのだが、今の川は雪融けの水を満々とたたえて速い速度で流れ下っていた。

 午前中いっぱいを長井の新しい道の駅で過ごすうちに天気は次第に回復し、寒さがほぐれてかなり暖かくなりだした。これなら昨日一寸見の久保桜も少しは開花が進んだかなと、そこへ行くことにした。道の駅からは10分も掛らない距離である。行って見ると、昨日よりは少し良くなっていたのだが、改めて傍に行って見ると、その樹勢は一段と衰えており、何だか可哀そうさが増して心が苦しくなるのを覚えた。樹齢千二百年とも言われているけど、その姿を見ていると、もう十二分に生の証を果たしたのではないかという思いが強くなった。そっとしておいてやるのがこのに対する仁義ではないかとも思った。

久保桜の様子。何年か前に見た時よりもかなり衰えを実感させられる姿にショックを受けた。右の方だけが辛うじて花を咲かせていたが、その姿には悲鳴のようなものを感じた。

  その後は、もう一本樹齢千二百年と言われている、同じ長井市草岡の大明神桜を見に行くことにした。こちらの方は久保桜よりは元気な姿だったが、残念ながらまだ蕾の状態で、開花は二三日後という状態だった。開花前の桜はその樹の姿だけしか見ることが出来ないのが残念だが、千年を超す樹木の幹を見るだけでも感動を覚えるのは自分だけだろうか。大明神桜の樹幹の逞しさは、久保桜の衰えを凌いでカバーするに十分だなと思った。この後も最長寿の桜として頑張って欲しいと祈った。

草岡の大明神桜の景観。こちらは未だ開花前でほんのりと蕾の紅が枝全体を染めている程度だった。幹を見ると千年以上の歴史を思わせるけど、樹勢はまだ大丈夫のようだった。これからのこの地区のリーダーとして頑張って欲しいと願った。

  その後は、もう一本近くにある名木の、釜の越し桜というのを見ることにして訪ねたのだが、こちらの方は既に絶命、枯死した状態で、花を咲かせるには程遠いというよりも、天寿を全うしたという状態だった。残念だけど仕方がない。

釜の越し桜の様子。何年か前に訪れた時は、辛うじて残った枝に花を咲かせてくれていたのだが、もはやこの樹には生命の息づきは無いのを感じた。長年の頑張りに最敬礼をすると共に冥福を祈るのみ。

  これで今年の置賜地方の桜の見物は終えることにして、その後はりんご温泉というのが朝日町の方にあるのを知り、そこへ向かう。行って見ると文字通り湯船にリンゴを浮かべた、モール系の温泉で良く温まれるいい湯だった。温泉に満足した後、近くにある道の駅:あさひまちという所に行き、今夜はここにご厄介になることにして錨を下ろす。売店で、葉わさびを見つけ、直ぐに買い入れて処置をし、明日の肴に供すことにした。東北の春を感じた瞬間だった。明日が楽しみである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第6回>

2017-04-21 05:25:56 | くるま旅くらしの話

【今日(4/21)の予定】 

  道の駅:いいで →(R113・R287)→ 道の駅:川のみなと長井 → その先未定(長井市と白鷹町の桜の名木を訪ねたいけど未だ開花に至らぬ状況なので、様子待ち)

 

【昨日(4/20)のレポート】 天気:曇り後晴れ

<行程>

道の駅:喜多の郷 →(R121・R13・K・R113)→ 道の駅:たかはた(高畠町)→ 安久津八幡神社参拝 → 考古資料館 → 道の駅:たかはた →(R113・K)→ 亀岡文殊堂大聖寺参詣 →(K・R13・R113・K)→ 久保桜 →(K・R287・R113)→ 道の駅:いいで(飯豊町)(泊)

<レポート>

  朝、昨日と同じコースを喜多方市内まで往復する。今日は5時半前の出発だったので、たっぷり歩くことができ、喜多方の新名所となりつつある旧JR日中線跡に植えられたしだれ桜の道を少し歩くことが出来た。桜はまだ咲き初めといった状態で、観桜というわけには行かなかった。でも満開を想像することはできるので、いつか桜の季節にこの道を歩いて見たいなと思った。凡そ10kmほどは歩いたと思う。今のところ歩き不足は一日だけ。

  さて、今日の予定だが、あれこれ思いを巡らしてみるものの、置賜エリアの桜は未だのようだし、さりとて他に特に考えていた場所もない。悩んだ末にとにかく米沢方面に向け出発することにして、以前一度通ったことのある七ヶ宿街道(R113)沿いにある道の駅:たかはたに向かうことにする。確かあの道の駅の近くには三重塔だったかがあったように記憶しており、地図を見ると考古資料館もあるらしい。そしてその後に、これは地図の情報から、同じ町にある亀岡文殊堂大聖寺というのを訪ねることにした。その後は長井市にある久保桜の開花の様子を見て、早や目に道の駅:いいでに行ってそこに泊ることにした。まことに思いつきの大雑把な予定である。

  9時少し前に出発して、先ずは山越えの道を通ることになる。雪の按配は大丈夫かなと少し不安もあったが、行って見ると以前通った時とはすっかり道路の様子が変わっていて、幾つものトンネルが出来ていて、真に通り易い道となっていた。しかし、米沢側に近づくにつれて道脇の山の景色は雪に埋もれている状態となり、完全に冬の状態に見えた。けれども、雪の下では融けだした水が谷の川に向かって流れ始めているのであろう。それらを集めて流れる川は、かなりの水量を増して奔り下っていた。坂を下って麓近くにある道の駅:たざわ(田沢)で小休止。店は未だ開かれていなかった。

  雪景色の中を通っている内に何だか寒くなりだし様で、相棒は何枚も防寒の重ね着をしていた。自分もウインドブレーカーを羽織ることにする。外気は一桁となっていた。その後しばらく走ると米沢市街が近づき、R13に入って高畠町を目指す。

道の駅到着は10時半近くだった。一息入れた後で、道路の向こう側に見える三重塔の方へ行って見ることにした。安久津八幡神社というのが名称で、なかなか由緒のある神社らしい。神社とお寺の関係は歴史を調べないと判らないけど、三重塔というのは一般的にはお寺さんに多いのではないか。ま、それにはあまりこだわらずに。神社の本殿の方へ石段を登って行った。行って見ると何と茅葺の拝殿と本殿がそこに鎮座していたので驚いた。以前早池峰の麓の神社を訪ねた時も朽ちかけた茅葺の建物を見て感動したのだが、昨年行った時は杉皮のようなものに葺き替えられていたので、少しがっかりしたのを思い出した。ここはそのままの状態で、本殿の方は茅での手当てが施されていた。三重塔を含めた何枚も写真を撮った。相棒はミズバショウが咲いているのを見つけて感動していたようだ。早く戻って水汲みに取り組んでいた自分は、それを見に行くのが面倒で、見に行かなかった。ちょっぴり惜しかったなと思った。

安久津八幡神社の拝殿の景観。この建物に連なって奥の方に拝殿がある。いずれも茅葺きで、歴史の重さを感じさせるものだった。

安久津八幡神社の三重塔。置賜地方唯一の重層建築とのこと。風雪に耐えて聳えたつその構えにも東北の歴史を思わせるものがあった。

その後は神社の脇からが歴史公園になっており、その中に「うきたむ風土記の丘考古資料館」というのがあったので、中に入ることにした。「うきたむ」というのは日本書紀に出ていることばで、それは現在の置賜を意味しているということらしい。展示品の多くは、置賜地方で出土した石器や土器類が殆どだったが、歴史年表をみたら、何とこの地では3万年前から人の住んだ痕跡があるとのこと。縄文時代の出土品も多く、太古の置賜地方は豊かな暮らしの可能な場所だったというのが解った。それにしても人類は3万年前から、相当に長い時間をかけてここまでやって来ているのに、古墳時代以降のあまりにも速い生きざまの変化は、突然変異とでもいうしかない気がする。特にここ100年以内の人類の進歩はバランスを失いながら、狂気じみたスピードで進んでいるような気がしてならない。石器や土器などを見ながら、不便と利便とに寄せる人類の思いの、そのギャップの大  きさに改めて不安を覚えたりした。

 その後は昼食の後、日本三大文殊の一つに挙げられている亀岡文殊堂大聖寺を訪ねる。昼近くなることから天気は安定し出したようで、ようやく晴れの天気がやって来た。亀岡文殊堂は、長い石段を上った奥に鎮座していた。石段の両側には歴史の古さを証明するかのように、幾つもの石塔や石仏などが並んでいた。本堂も貫禄のある立派なもので、以前訪ねたことのある京都宮津の切戸の文殊堂などよりはずっと上のような気がした。北国羽後に住む人たちの思いが、ここに集まっているのだなと思った。

日本三大文殊の一つ、亀岡文殊堂の景観。この本堂に至るまでには300見場もある長い石段の参道が続いていた。裏手には利根(りこん)水という湧水があった。

 石段を登りながら楽しかったのは、その両側の至る所に今を盛りとショウジョウバカマの花が咲き続いていたことである。この花も東北の春を象徴する野草の一つではないかと思っている。我が家の野草園にも一株のショウジョウバカマがあるのだが、今年は花を咲かせてはくれなかった。やはり、無理があるのかもしれない。申しわけない気分になった。もう一つ参詣の途中で、カモシカ君に出会ったのも良かった。この辺りにはカモシカ君が多く住んでいるらしい。フキノトウなどを探して時々お寺の近隣までやってくるらしい。動画まで撮れたのは上出来だった。

長い石段の両側には、今を盛りとショウジョウバカマがその美を競って咲いていた。

亀岡文殊堂の裏手の山にやって来たカモシカ君。特に人間を恐れる風でもなかったが、一定の距離はしっかり守っていた。

 亀岡文殊堂参詣の後は、本来の目的である、置賜地方にある一本桜の古木の中でも代表的な存在の久保桜の開花状況を確認しようと長井市の井佐沢という所へ向かう。行ってみたら、やはり予想していた通り、未だ開花し始めたばかりのようで、観桜はあす以降でないとダメなのが解った。これはもう大自然の為すことなので、待つしかない。

 ということで、その後は今夜の宿に予定している、飯豊町にある道の駅:いいでに向かう。15時前に到着したのだが、今日はもうどこへも行くことは考えず、夜を迎えることにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第5回>

2017-04-20 05:12:04 | くるま旅くらしの話

【今日(4/20)の予定】 

  道の駅:喜多の郷 →(R121・R287他)→ 井佐沢の久保桜 → (R287・R113他)→ 道の駅:いいで(泊)  ※天気状況により、上記によらず、米沢市内探訪の後、高畠町の道の駅に泊ることも検討

 

【昨日(4/19)のレポート】 天気:曇りと大風

<行程>

道の駅:喜多の郷 →(R121・K33)→ 道の駅:あいづ湯川・会津坂下 →(R49・R252他)→ 福満虚空蔵尊参詣 →(R252)→ 道の駅:会津柳津 →(R252・R49・K33他)→ 勝常寺参詣 →(K33・R121他)→ 喜多方市内老麺店 →(K・R121)→ 道の駅:喜多の郷(泊)

<レポート>

 とんでもない天侯の一日だった。朝方は風もなく、雲は多かったけど所々青空も覗いており、まあまあの一日の始まりだったのだが、そのあとは大風が吹き、雨が吹き付けたかと思うと太陽が顔を出すという、そのような天気が、めまぐるしく変わる一日となった。

 6時半近くに歩きに出発する。車を出て、近くを流れる押切川の堤防に沿って造られた自転車道を1時間半ほどかけて往復した。この道の駅に泊って、このような道があるのを今日初めて知った。良く整備された自転車道は、県が造ったようで、どこまで続いているのか判らないけど、喜多方市内の向こうの方まであるようだった。未だ早朝とあって、それに自転車のシーズンではないのであろう、どこまで歩いても1台の自転車にも出会うことはなかった。傍を流れる押切川は雪融けの水を多く孕んで濁流を所々白く飛散させながら奔り下っていた。所々この冬に捨てられた雪の黒い塊が残っていて、まだ春は遅れている感じがした。周辺は平地で、その多くが田んぼであり、この辺りは美味しい米の産地なのだろうなと思った。まだ耕起に至っていない田んぼが殆どだったが、5月が近づけば一斉に田植えの準備が始まるのであろう。当初は市街地まで行って見ようと思っていたのだが、未だかなり距離がありそうだし、それに振り返って見ると先ほどまで良く見えていた雪交じりの山々が黒い雲に覆われ始めているのが見えて、これはもしかしたら一雨来るのではないかと不安になり引き返すことにした。これは正解だった。引き返し始めて、あと1kmほどで帰着できる辺りで雨が降り出した。傘を持っていないので戸惑ったが、小雨だったのであまり濡れずに戻ることが出来た。7時半を過ぎており、さすがの相棒も起き出していた。旅先では在宅時に比べて極端に歩く量が少なくなってしまう。それを少しでもカバーするために、旅先での早朝散歩を大事にしているのだけど、天侯不良が天敵である。今日は辛うじてセーフだった。

 今日は、予定では山形県の置賜地方の桜を見に向かおうと考えていたのだが、時期尚早のようだし、それに天気もここよりも悪い予報なので、行くのは止め会津若松市内か喜多方市内の探訪に切り替えることにした。泊りはもう一晩ここに厄介になろうと決める。朝食の間もその後も、雨は一向に止む様子もなく降り続いていた。これじゃあ、何処へ行ってもダメかもしれないと、やや途方にくれかけていたのだが、少し経つと空の雲が走り出して、雨も止む気になったようだった。とにかく会津若松に近いところにある新しい道の駅:あいづ湯川・会津坂下という長い名称のそこへ行くことにして出発する。ここへ着いた時には、雨は止んでいたのだが、店を覗いていたりしている間に再び本降りとなり出した。

道の駅にあった案内資料を見ていたら、日本三大虚空蔵尊の一つである福満虚空蔵尊というのが、柳津町にあるというのが目にとまった。茨城県にもその一つの村松山虚空蔵尊があり、ここには子どもの頃に、父に連れられて十三詣りというのに行ったのを覚えている。ちょっと覗いて見るのも良いかなと思った。それで念のためにネットで柳津町の天気予報を見てみたら、何と午前中は晴れマークがついているではないか。と、それで俄然行って見る気になってそこを目指すことにして出発。20分ほどしか掛らない距離だった。

 着いて見ると天気は未だ曇りだったが、青空が見え出していて、こりゃあ、これから晴れるぞ、という感じだった。いやあ、今頃の天気予報は大したものだなと思った。その後しばらくすると、すっかり晴れの天気となったのである。その中を福満虚空蔵尊に参詣する。ここは正式には福満虚空蔵尊円蔵寺というお寺であり、臨済宗の妙心寺派に属するとのことである。荘厳な本堂を中心に幾つかの堂宇が巨岩とも思える岩場の上に建てられていた。直ぐ下方には柳津の温泉街があるようだが、そこまでは行かなかったので詳細は判らない。本堂で般若心経を誦した後は、ゆっくりと境内を散策し、幾つもある石段のすべてを昇降したりした。信仰というよりも心身の健康づくりという考えの方が大きいのである。相棒とは別行動で、彼女がどこで何をしていのかは判らないし、考えることもない。

福満虚空蔵尊円蔵寺本堂の荘厳な造り。大きな建物だが、祀られている虚空蔵尊像は、良く見えなかったが小さなお姿のようであった。    

 いったん車に戻ったのだが、相棒が未着なので、もう少し下の方を歩いて見ようと坂を下りて行くと、道脇に弘法大清水という案内板があるのに気づき、行って見ると故事由来のある名水と思しき湧水がそこにあった。湧水には大関心があるのである。一口飲んでみると、まさに名水の美味さ感あり。早速車まで引返し5Lのポリタンを二つ抱えてその水を汲むことにした。運搬作業終えた頃相棒が戻って、昼食は近くにある道の駅:会津柳津で摂ることにて出発する。

昼食と言っても、その中身は、お寺さんの門前町商店街に目立って多い饅頭屋さんで買って来た饅頭類を、先ほど汲んだ名水を沸かしたお茶で食するだけのもの。本番は後で喜多方へ行ってから老麺の店を探して食べることにしている。

 お茶を飲んでいる間に、急に風が強く吹くようになり出し、しかもそれが突風なのである。車が揺らぐほどの強風なので、相棒は早や悪い想像が巡り出しているようだった。晴れていた天気も突然暗くなって、雨粒も落ちて来たようである。こりゃあまずいな、早く立ち去れということなのかなと、天の気まぐれには叶わないので、早々に出発することにした。

会津若松の探訪は諦めることにして、喜多方市街に行く前に、以前にも行ったことのある勝常寺という、徳一大師が開いたというお寺に寄ることにする。古刹なのだが、自分のお寺の見方というのは、仏像などよりも全体の環境の様子や堂宇のレイアウトなどに関心が向かっている。その時代のことなどを想いながら、このお寺がこの土地でどのような役割を果たしたのかなどということを考えるのが好きなのである。家内などは仏像ファンなので、見方が少し違うようである。それはそれでいいのだと思っている。久しぶりの勝常寺は、以前と変わらぬ佇まいだったが、冬が終わったばかりの所為なのか、少し老朽化が進んだ感じがした。薬師堂に参詣し、ここでも般若心経を誦して旅の安全と健康などを祈願する。お寺を訪ねている間も強風が吹きまくり、どうも落ち着かない。

勝常寺の薬師堂。このお寺ではこの建物だけが1398年に再建されて、今日まで残っているとのこと。しっとりと落ち着きと貫禄のある存在だ。

その後は喜多方市内へ。天気がそれほどひどくなければ、久しぶりに街中を散策しようかと思って行ったのだが、雨は降って来るし風は吹き捲くるで、とても散策などできる状態ではなかった。とにかくラーメンだけは食べることにして、老麺会のメンバーの店を探す。やまぐちという店を見つけて、そこで待望の喜多方ラーメンにありつく。美味かった。心も身体も温まった後で、地酒の銘酒を一本買い入れて、その後は一目散に今日の宿の道の駅:喜多の郷へ。16時少し前の到着だった。今日はもうこれまで。何も記すこと無し。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする