<キツリフネ>
吊り舟草というのがある。不思議な花の形をしており、何と、あたかも舟を吊るしている様な形をしているのだ。その花を最初に見た時は、大自然のあまりの不思議な造形の力におっ魂消(たまげ)たのだった。何とまあ、神様はこのような花を咲かさせたものよと、呆れ返るほどだった。
ツリフネソウは赤紫の花を咲かせているのだが、これはその黄色版である。それでキツリフネと呼ばれている。初めの頃はなかなか見られない花だと思っていたけど、今頃慣れて来ると、結構いろいろな場所で見かけることが多い。八島湿原では数は少なかったけど、北海道などでは、牧場の脇の側溝の藪の中に群生しているのを良く見ている。頼りなさそうな風情だけど、何しろ舟を吊り下げるというほどの力持ちの花なのだから、この植物もしたたかに生き抜いてきたに違いない。か弱そうに見える草ほど、実はしたたかな強さを秘めているもののようである。
今の世の女性などもそうあって欲しいと願うのだけど、多くの女性はか弱そうなどという擬態は決してとらない。むしろ何としても己の個性を主張して、表側から認められたいと願っておられるようだ。今の世に強(したた)かさの塊のような女性が多いのは、男女平等とかいう人間世界の権利主張の価値観の為せる業なのかもしれない。メンタル的には男女平等なんて、太古の昔から当たり前のことだと思うし、フィジカル的には男女の差は歴然としている。ツリフネ草たちほどの強さの女性の存在こそ、この世を健康で平和にできるのでは、というような気がしている。(いや、これは言い過ぎかな?)
<芒(すすき)>
ススキを花として認識するには少し抵抗があるかも知れない。しかし、この穂はれっきとした花なのである。昔の人も秋の七草の中に入れることを忘れなかった。どこの空き地にでも、あっという間に進出してきて群れをなして勢いを振るうのは、一体どこに秘密があるのか、不思議に思っている。根ではなく、やっぱり実の方に秘密の力が潜んでいるのかも知れない。
聞く所によると、このススキ君たちがアメリカに進出して、彼の地で外来植物として猛威をふるっているとか。日本ではセイタカアワダチソウなどが多数やって来て、やられっ放しの感じがしていたが、その逆もあったのを知って、何だか胸がスッキリした。他愛ない話だけど、ススキ君の頑張りに拍手したい。
ススキは日本人の暮らしには古来より深くかかわって来ているようだ。食用にはならないけど、屋根や緑肥などとして大いに活用されて来ている。昭和の中頃まで、農村には草刈り場という様なものがあり、そこの主役はススキだった。自分が子供の頃もそのような場所があったように記憶している。ススキのことを茅(かや)ともいうけど、東京の日本橋近くにある茅場町などは、その昔の江戸の頃は、茅を刈る草場の一つだったのかもしれない。いや、そうに違いない。
ススキは高原に似合う存在である。霧ケ峰高原には一面のススキの原が広がっていた。八島湿原にも散策道の脇にススキが生えかけた穂をなびかせていた。これもその一枚である。あまりススキが進出し出すと、草原が山林に進展するとも聞く。信州のこれらの高原はそのまま永久にススキの白い穂のなびく高原であって欲しいと思う。
<コケモモ>
美ヶ原の牛伏山地の礫岩脇の茂みの中にコケモモを見つけた。丁度実の成熟した時期らしく、真っ赤な小さな実を付けていた。その実がきらきらと輝いているので、どうしてもカメラに収めたくなった。コケモモは高さが10cmくらいしかない。うっかりすると見落としてしまう存在だけど、一回その存在を知ってしまうと、コケモモの方からここにいるよと、声をかけてくれるようになる気がする。今回は、発見者は相棒だったけど、彼女もコケモモに声をかけられたに違いない。愛らしい実は甘酸っぱい味がして、これを摘んでホワイトリカーに漬けるとピンク色の酒が出来るのだと聞くが、とても実を摘んでそのような蛮行に及ぶ気にはなれない。しばらく鑑賞させて頂くだけで十分である。
北海道の旅では、7月初めの頃に美瑛側から、大雪山系の十勝岳の登山口のある望岳台という所へ行くと、至る所にこのコケモモが花を咲かせている。小さな白いベルの形をした花がほんのりと赤く染まった部分を見せていて、何とも愛くるしい。その結晶がこの真っ赤な実なのだと思うと、愛おしさは一層膨らむのである。美ヶ原にこの植物が存在するのは、高山帯なのだから、考えれば当たり前のことなのかもしれないけど、予想外のことだったので、本当に嬉しかった。来て良かったなと思った。
<アキノキリンソウ>
キリンソウの頭にアキノと付いているのは、秋に咲くキリンソウという意味で名付けられたのだと思うけど、キリンソウとは植物の分類は別のものらしい。キリンソウはベンケイソウ科であるのに対してアキノキリンソウはキク科である。その違いは葉や花を良く観察すると明らかである。キリンソウの方は葉は厚ぼったいがアキノキリンソウはざらざらした手触りだ。又、花の方もキリンソウに比べるとアキノキリンソウは数が多く一個一個の花の形もちがっている。キリンソウから言えば、アキノキリンソウは、全くの偽物ということになり、アキノキリンソウから言えば、そのような名前を付けられて迷惑だということになるのかもしれない。似ている、似ていないは、見る者の勝手なイメージの受け止め方方に過ぎず、真実はそれとは別のところにあるといった一つの事例なのかもしれない。
キリンソウは麒麟草と書かれることが多いが、本来は黄輪草と書かれていたそうである。図鑑の解説を読んで初めて知り、納得した次第。麒麟の方は、中国の想像の動物であり、実在するアフリカのキリンではないということだから、単なる当て字に過ぎないように思う。偶に背丈の高いアキノキリンソウもあり、それはキリンに似ていなとも言えない。しかし、高原のアキノキリンソウは概して草丈はそれほど高くはなく、環境が厳しい場所では、20センチにも届かずに花を咲かせているものもある。
アキノキリンソウは、日本の在来種であるけど、この野草と同じ仲間の外来種にセイタカアワダチソウがある。一時、この野草は花粉症等アレルギー症状を起こす元凶として問題視されたことがあるけど、今頃はあまり話題になっていないようである。一時の猛烈な進出ぶりが少し収まっているからなのかもしれない。大型の植物が一挙に進出してワッと花を咲かせ、その後に白っぽい泡のような冠毛を風に載せて大気中にばら撒けば、悪い噂にならないはずがない。今頃は、アレルギーとの関わりはどうなったのだろうか。
セイタカアワダチソウに比べると、アキノキリンソウは同じ仲間でもやはり和風であり、地味である。特に高原に咲くそれは、か弱さの中に凛々しさも秘めている感じがする。泡を吹きまくるなどという下品さはない。このようなコメントは、今の時代では、国際感覚を欠くということになるのかもしれない。しかし、自分はこの国に生まれ、この国に育ち、この国に死ぬことになっている。この国が好きなものなのだから、国際感覚など問題にしていない。
<ウメバチソウ>
この花は、自分の記憶の中ではマツムシソウとセットになっている。セットとというのは、マツムシソウを思い出すとウメバチソウが浮かび上がり、ウメバチソウを思う出すとたちまちマツムシソウの群落がイメージされるということなのだ。
40年ほど前になるのか、もっと後だったのかはっきりしないのだけど、霧ケ峰や美ヶ原高原のビーナスラインが、まだ全線有料だった頃の秋に、美ヶ原まで車で行ったことがある。高原に群れ咲くマツムシソウに感動し、胸が一杯になって興奮しながら歩いている時、ふと足元を見たら小さな白い花があるのに気がつき、しゃがみこんだ。これは何という野草なのだろうと妙に気になったのだった。一面の紫の花のなびく高原の中に、こんな小さな花が存在を主張しているのに気がついて、マツムシソウとは違う感動を覚えたのである。
その後図鑑などで調べて、この小さな花がウメバチソウであると知った。名の由来は、この花の形が太宰府天満宮の梅鉢紋に似ているところからだとか。その昔太宰府天満宮近くに何年か住んでいたことがあり、何度も天満宮は訪れているので、梅鉢紋も良く覚えている。確かにこの花の形はそっくりなのだった。ということは梅の花にも良く似ているということになる。勿論紅梅ではなく白梅の方である。しかし、紅・白梅は樹木であり、こちらの方は小さな野草である。
ウメバチソウは変わった草である。花の写真を撮っている時は花と茎しか見えないほど、下の方がどうなっているのか判らない。草むらの中から20センチほどの茎をスイと伸ばし、その先に一つだけ花を咲かせている。普通はそれだけしか判らない状況なのである。しかし野次馬精神を発揮して、下の方を良く見ると、1枚だけの葉っぱが付いており、それがハート形をしていて大事そうに茎を包むかのように付いているのである。更にその下の株には共通の葉っぱ(=根生葉)が何枚か付いているといった形なのである。これらの全部が判るように写真を撮るのは、今回の場合は不可能だった。それどころか、花を撮るだけでも難しく、自分のカメラではついに焦点の合った写真をものにすることが出来ず、これは相棒の撮った一枚である。
ウメバチソウに愛着を覚えるのは、小さな生命の輝きをそこから感じとることが出来るからである。ともすれば、我々は目立つものばかりに気を取られて、小さな存在の主張を見落としがちである。ウメバチソウよりももっと小さな野草の存在にも、この花は気づかせてくれて、自分の人間としての思い上がりを諫めてくれる存在なのである。
以上で計20種類の野草たちの花の紹介を終わります。この他にも、咲いている花、或いは咲き終わってもその存在を主張し続けている野草たちもあり、興味は尽きないのですが、今回2回目となる信州の高原の野草たちの姿に十二分に満足して、身勝手な報告を終わります。