山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第17回>

2015-11-30 05:20:06 | くるま旅くらしの話

【今日(11/30・月)の予定】 

 道の駅:くちくまの →(紀勢道)→ みなべIC →(R42)→ 切目王子参拝 →(R42)→ 塩屋王子参拝 →(R42・県道)→ 日の岬探訪 →(県道他)→ 道成寺参詣 →(県道)→ 道の駅:San Pin中津(泊) 

 

【昨日(11/29・日)のレポート】

<行程>

 道の駅:椿花の湯 →(R42・R311)→ 稲葉根王子参拝 →(R311他)→ 一の瀬王子参拝 →(R311他)→ 八上王子参拝 →(R311他)→ 道の駅:くちくまの → 田辺市・闘鶏神社参拝 →(R42・県道)→ 白浜町・とれとれ市場 →(県道)→ 白浜町内・コインランドリー →(県道・R42他)→ 南紀白浜IC →(紀勢道)→ 道の駅:くちくまの(泊) 走行97km

 <レポート>

天気:晴時々曇り 

道の駅:椿花の湯の一夜は快眠だった。昨日の夜とは違って、湯上りのビールは、格別美味かった。それにほんの少しウイスキーを追加して、身体をほど良く温めての睡眠は、非の打ちどころのないものだった。3時半過ぎもう眠りは十分に足りて起き出していつもの作業に取り掛かる。ここはネットも良くつながり、手間がかからなかった。

今日から少し熊野詣の跡を訪ねることにして、まずは幾つか王子社を訪ね、その後コインランドリーを探して洗濯を済ませ、その後田辺市にある闘鶏神社に参拝し、昨日不意にされた道の駅:くちくまのに泊ることにしている。 まずは上富田町にある稲葉根王子に向かう。ここは一応場所の下調べをしておいたので、見当をつけて近くまで行ったのだけど、あまりに傍だったので、却って見落としてしまい、少し手間取る。こぢんまりとした樹木の森に囲まれた静かなたたずまいの社だった。その後は、傍を流れる岩田川(=富田川)の対岸を少し行った所にある一の瀬王子社を目指す。ここは一本のクスノキの下にその跡地があって、石碑が建っていた。少し寂しい感じのする場所だった。次は再び来た道を戻り、橋を渡って反対側の岸を走るR311を走って、鮎川王子というのを探す。ところがその場所が見つからず少し先にある道の駅:ふれあいセンター大塔まで行ってしまった。何処で見落としたのかと、再び来た道を戻ったのだが、途中にそれらしき案内表示はあったのだが、駐車スペースが皆無なので、ここの参拝は止めることにした。その後は、もう一つ来る途中に八上王子という案内があったので、そこを訪ねることにして向かう。直ぐに着いたのだが、ここは神社となっていた。村社という表示があったので、ここの地元の人たちの守り神となっていたのであろう。小さな山裾の樹木に囲まれた静かな場所だった。これで今日予定していた王子社の参拝は終了する。

    

稲葉根王子社の景観。近年に手入れがなされたらしく、朱色の柵が鮮やかだった。この辺の樹木は照葉樹が多く落陽しないので、季節感が少ない。

    

一之瀬王子の様子。ここは楠の木の下に小さな祠があるだけの、まさに跡地といった景観だった。

    

八上王子社は村社となっていた。この鳥居を潜り、石段を登ると、右手に拝殿が設けられていた。

その後は、昨日振られた道の駅:くちくまのの所在と状況を確認するため向かう。昨夜相棒が道の駅の電話番号のある資料を見つけて、そこへ電話して訊いた話では、どうやら昨日行くのをためらった道を行けば良かったらしい。その細い道を行って見ると、坂の上の台地に新しい道の駅が造られていた。ここは高速道路の紀勢道からも利用できるようになっており、いわゆるハイウエイオアシスタイプの道の駅だった。R42には全く案内の表示が見つからなかったので、もう少し当局や当事者は事態を改善して欲しいなと思った。とにかく場所は確認できたので、今夜はここに泊ることにして、この後は田辺市の方に向かい、コインランドリーを探して洗濯を済ませることにして出発する。道々コインランドリーを探しながら行ったのだが、なかなか見つからない。とうとう闘鶏神社まで来てしまったので、先にここに参拝することにした。

    

闘鶏神社の景観。この反対側に立派な社務所がある。広い境内の中には、さまざまな碑やモニュメントや樹木などが随所にあり、歴史の記憶を甦らせていた。

闘鶏神社は、平安のその昔源平の勢力が凌ぎあっていた頃、勢いを盛り返して来た源氏方が平氏を討たんとして建ち上がった時に、当時の田辺の別当だった湛増に対しては、両陣営から盛んに支援の要請があったのだが、湛増はいずれに味方すべきかを迷い、やがて紅白の鶏を闘わせて、その結果を見てどちらにつくかを決断したという。そして白の鶏が勝ち、源氏に味方した熊野水軍はその後大いに源氏のために働き戦果を上げたのだった。又、義経の従者として名高い弁慶は、湛増の子であったという話も伝わっている。その鶏を闘わせて決断した場所がこの神社であるとのこと。本当の話かどうかは解らないけど、歴史の真実と言うのは、存外そのような単純な占いで決まるものなのかもしれない。なかなか風格のある神社だった。ここにも七五三の親子連れがお祓いを受けている景色があった。境内には何本かのナギの木があり、もうすっかり名前と実物が一致するようになった。

さて、その後は当てもなく市内を流して、コインランドリーを探し回ったのだが、2、3軒見つけはわしたものの、駐車場が狭かったり、店内が混んでいて使える余地がなかったりして、とうとう見つけることができず、ついに田辺市内で探すのを諦める。それならば隣の白浜町に行けば見つかるかもしれないと、行って見ることにした。途中で早や昼飯時となってしまったので、道脇にとれとれ市場という巨大な駐車場持つスーパーの様なものがあったので、そこに車をとめ、昼食休憩とすることにした。相棒はコインランドリー探しで、かなり疲れたらしい。動いてくれそうもないので、とにかく市場の方へ行き弁当などを手に入れる。1時間ほど休憩して、再びコインランドリー探しに取り掛かる。半ば諦めかけて白浜の温泉街を通り、少し先に行ったら、何と道脇にコインランドリーを発見。駐車場が狭くて気になったが、もはや諦めるわけにはゆかない。それから2時間ほどかけてクリーニングに取り組むこととなった。これは相棒の担当で、自分はパソコンに向かう。

ようやく洗濯が終了して、あとは給油を済ませて、道の駅に行き寝るだけ。やれやれである。ここで思ったのだが、どうせ泊るのなら、道の駅:くちくまのは、一般道からのスペースではなく、高速道に入った方が駐車に余裕があるので、高速道を利用することにした。南紀白浜という紀勢道のICから入れば、直ぐに道の駅であり、明日はその高速道を利用してみなべまで行けば、グンと楽になる。そういう計算で、南紀白浜のICを目指す。

直ぐに道の駅に着いたのだが、大変な混みようで、駐車は出来るものの、思うような場所には次々と車が入れ替って入ってくるので、しばらく待つことにして夕食の用意などをする。17時を過ぎると、次第に立ち寄る車も少なくなり、思っていた場所に車を移動する。この道の駅は、良く見ると南紀白浜ICから田辺の方に向かう車線の側にあり、反対車線からは入れないようになっている。一般道の側は車線には関係ないけど、駐車場は狭く駐車可能台数も少ない。「くちくまの」という名称が気になっていたが、これはどうやら「口熊野」であり、熊野の入口という意味らしい。納得した。ここは地デジも何局か入り久しぶりにNHKを見る。19時を過ぎると高速道であることを忘れるほどに静かになった。今夜も安眠できそうだ。旅も後半に入り、明日からは熊野詣で跡の探訪の最終プロセスに入ることになる。

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‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第16回>

2015-11-29 03:48:29 | くるま旅くらしの話

【今日(11/29・日)の予定】 

 道の駅:椿花の湯 →(R42・R311)→ 稲葉根王子参拝 → その先未定(田辺市近郊の王子社などを探訪する予定)

 

【昨日(11/28・土)のレポート】

<行程>

 道の駅:一枚岩 →(R371・県道)→ 道の駅:滝の拝太郎 →(県道・R371・県道)→ 潮岬灯台 →(県道)→ 樫野崎灯台 →(県道・R42)→ 道の駅:椿花の湯(泊) 走行153km

 

<レポート>

天気:晴一時曇り 気温下がる

昨夜は急な変更で往生したが、一夜明けた道の駅:一枚岩の景観はそれは見事なものだった。それに昨夜は真に閑静で、時々通過する車の音も気にならず、何の心配もなく過ごすことが出来た。いきなり訪れたにしては上々の場所だった。朝日が昇ると、一枚岩の景観は、又格別なものとなり、迫力がある。直ぐ下を流れる古座川の清流も美しく、山間渓谷の素晴らしい景観にしばし見とれた。

    

古座川一枚岩の景観。岩は高さが100m幅が500mもあるので、カメラには収まらない。本州にもこんな大岩があったのかと驚く。

朝食の後、しばらく写真などを撮ったりして景観を味わった後、今日の次の目的地である比較的近くにある瀧之拝という、これも山間渓谷の名所というのを見に行くことにして出発する。瀧之拝というのは一体どういうものなのか、さっぱり分からない。近くにある道の駅が瀧之拝太郎という妙な名前なので、それと知ったのだが、まだ行ったことも無くどういう所なのか興味津々だ。20分ほど山間の道を走って道の駅に到着する。無人で、何やら構内の工事をしているようだった。ここは昨日の虫喰岩の道の駅と同じように、土日休日のみ売店が営業しているらしい。未だ開店時刻に至らず店は閉まったままだった。瀧之拝というのは100mほど先にあると案内板があり、早速そこへ行って見た。いやあ、たまげた、驚いた、びっくりした。今迄見たこともない景観がそこに広がっていた。川底が水にえぐられたのか、ぼこぼこの穴だらけで、その中を清流が一筋瀧のように流れているのである。その穴ぼこというのが大小さまざまあって、どう表現して良いのか解らないほどだ。昨日の虫喰岩の表情も凄まじいものがあったけど、ここは河原と川底なのである。その不思議さ、神秘さに、思わず拝みたくなるような景観なのかもしれない。何故瀧之拝なのか正確には解らなかったけど、何となく納得してそこを後にした。和歌山県南紀のこの辺りには、巨岩、奇岩が随所に点在しているようだ。昨日からそれらの幾つかを見ているのだけど、もしかしたらこれらの巨岩たちは皆同じ根を持っているのかもしれない。地質学のことは解らないけど、何だかそんな気がした。

    

瀧之拝拝の河川敷きの奇岩の景観。これは写真では表現できない規模の不思議な怪しさである。ぜひ一度の来訪をお奨めしたい。

次は山のエリアから別れて、海の方に向かう。目的は潮岬大島の樫野岬である。この本州最南端のエリアには、まだ一度も行ったことがなく、是非一度は訪ねて見たかったのである。まずは本州最南端の潮岬へ。10時半ごろ着いて、早速灯台の方へ行くことにする。途中の樹木は殆どが椿の木だった。この木はこのような条件の場所が好きならしい。かなりの大木も混ざっていて、紅い花を幾つか咲かせていた。未だ花の本番の季節ではないと思うけど、この頃は季節を無視して咲くものが増えているようで、この花たちもそうなのかもしれない。灯台の上に上がるのをためらったが、折角来たのだから、思い切って上がって見ることにした。高所恐怖症なのである。狭い68段のらせん階段を上り、更に超窮屈で急な鉄製の階段を上って、展望の床へと乗り出す。下を見るとダメなので、遠くばかりを見ながら手すりを辿って、一回りした。それでも写真だけは何とか撮ろうと、カメラのシャッターを何回か切った。恐怖の時間は3分ほどで終わり、直ぐに下に降りる。ホッとした。その後は、近くにある潮御崎神社というのに参拝する。灯台からは目立つ雰囲気の神社だった。椿の森に囲まれた静かなたたずまいの社があった。詳しいことは良く解らない。

    

今日は訪問時は良く晴れていて、青空に白亜の灯台が眩しかった。

これで探訪を終わり、次は大島にある樫野岬を目指す。大島へ行くには、串本節に歌われたように、昔は巡航船に頼らなければ無かったのだが、今は立派な橋が架かっていて、車だと、あっという間に渡ることができる。その橋を渡って、間もなく樫野崎近くにある大きな駐車場に到着する。相棒は疲れたらしく、灯台の方へは行かずに車の中で休むというので、自分一人が岬の灯台まで往復することにした。凡そ400mくらいだろうか、途中にトルコ国の記念館と明治の20年代にこの地で遭難したというトルコ国の軍艦の遭難を悼む記念碑があった。灯台は、英国の技師が据え付けしばらく保守管理をしたとのことで、その先人を湛える碑などが公園の中に建っていた。初めての来訪なので、詳しくは知らないけど、この地が熊野灘航海の要所として、国際的にも重要な貢献をしていた場所なのを初めて知った次第。ここで、お昼の地デジ番組を見られるかと期待していたのだが、セットしようとしても電波が弱くて画面は写らず、がっかりした。それならば、潮岬近くにある観光センターへ行って見ようと向かったのだが、やはりここでもダメだった。諦めて昼食にする。

    

樫野崎灯台の景観。潮岬灯台よりも高さはないようだけど、わが国では歴史のある灯台で、それなりの風格を見せていた。

その後は、何だか疲れがたまって来ているので、早々に今日の泊り予定の道の駅:椿花の湯に行くことにして出発する。途中、すさみ町を通っていると新しい道の駅:すさみがあったので、寄って見ることにした。案内の資料にも載っておらず、初めて聞く道の駅である。相棒が聞いて来た話では、今年の9月にオープンしたとか。活力があって、いい雰囲気だった。夕食の食材などを買い入れる。ここの案内コーナーで田辺市の地図を見ていたら、新しく市内に「くちくまの」という名の道の駅があるのが掲載されていたので、今夜の宿泊場所を変更して、そこへ行って見ることにした。初めて知る情報だった。椿花の湯を通り越して、期待に胸を弾ませて行ったのだが、R42からは入ってゆく道標も何もなく、訊こうとしても人もいなくて、地図には無い道があるだけで、しかもそれは狭くてSUN号では行ける確信もないないレベルの道だったので、諦めて当初予定の道の駅:椿花の湯に戻ることにした。とんだ無駄をした40分だった。

とにかく今日はここに泊ることにして、腰を据える。相棒が先に温泉に入りに行き、その間に自分はいつものようにパソコンに向かう。相棒が戻って来て、今度は自分が入浴へ。昨日に続いての温泉だけど、今日はたっぷり温まって、昨日とは違うビールを飲みたかった。この思いは叶って、早めの夕食は満足のゆくものだった。19時前にちょうどいい眠りが到来して、今日が終わりとなる。明日からは、再び熊野詣での跡を撫でる予定である。

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‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第15回>

2015-11-28 05:30:02 | くるま旅くらしの話

【今日(11/28・土)の予定】 

 道の駅:一枚岩 →(R371・県道)→ 道の駅:滝の拝太郎 →(県道・R371・県道)→ 樫野崎灯台 →(県道)→ 潮岬灯台 →(県道・R42)→ 道の駅:椿花の湯(泊)

 

【昨日(11/27・金)のレポート】

<行程>

 道の駅:なち →(県道)→ 大門坂(熊野古道散策)→(県道)→ 那智大社参拝・青岸渡寺参詣 →(県道・R42)→ 新宮市郊外スーパー →(R42他)→ 太地町くじら博物館 →(R42・県道)→

道の駅:虫喰岩 →(R42他)→ 道の駅:くしもと橋杭岩 →(R42他)→ 串本温泉浴場サンゴの湯→(R42・R371)→ 道の駅:一枚岩(泊)  走行89km

 

<レポート>

天気:時雨後晴れ、風寒し

道の駅:なちはJR駅に隣接しているのだが、昨日行って見たら無人駅だった。特急などが停まる駅は紀伊勝浦だったのを思い出した。ここからはもう二駅目となるらしい。世界遺産に登録されてからの観光案内所はこの道の駅構内に設けられているようでも、こちらも観光の基地となっているようである。昨夜は遅くなってやって来た大型トラックが何台かいて、その中にエンジンを掛けっ放しの奴がいたものだから、迷惑した。夜間にほんの少し雨が降ったようで、時々天井が騒がしくなっていた。ゴミ捨ても水も無く、トイレばかりが新しかったが、吹き抜けに造ってあり、ここは何かが違っている感じがした。

今日は、本命が熊野那智大社の参拝と西国三十三観音めぐりの第一番寺の青岸渡寺の参詣、それに最近富に有名となっている大門坂の熊野古道を歩いて写真を撮ることである。その後はしばらく熊野詣のことから離れて、観光地巡りに切り替えようと考えている。まずは、昨日行かなかった近くにある補陀洛山寺に参詣する。ここには浜の宮という王子社も隣接しており、歩いても直ぐの場所である。朝食を済ませて、出発の準備を終えた後、徒歩でお寺に向かう。

ここには何度も参詣している。補陀洛山寺は、補陀洛渡海の基地として有名である。補陀洛の浄土を目差して、小さな船で修業という名の死出の旅に出るのである。境内には、その船の模型が展示されているのだが、それを見る旅に、仏の救いとは何なのかを考えてしまう。相棒はこのお寺のファンで、本尊の観音菩薩様のお顔を見たいと、今回もお寺の方にお願いしていたようだった。自分は、一人浜の宮王子社と境内の樹木などを観察しながら時間を過ごす。間もなく相棒が戻って来て車で出発となる。

    

補陀洛山寺。小さな本堂一つしかない佇まいである。その昔はもっと大きな伽藍があったのかもしれない。

     

補陀洛渡海船の構造の様子。このような船で熊野灘の荒波の中を補陀洛浄土を目指して旅立って行ったのだ。

那智大社に参拝する前に、大門坂の景観をカメラに収めようと、昨日下見をして確認していた駐車場に車を留める。5分ほど歩くと、大門坂の参道の入り口に着く。ここは昔新宮藩の関所が設けられていた所らしく、付近は厳めしい石垣が段々状に設けられている。参道の鳥居をくぐると、直ぐに道を挟んで二本の杉の大樹が構えていた。樹齢700年といわれる夫婦杉である。縄文杉には及ばないけど、この地の気候では、700年も生き続けるとこれほどの大きさになるのであろうか。しばし見上げてその大きさを味わった。ところで、写真を撮ろうとしたのだが、参道の石段は、まさに蟻の熊野詣を凌ぐほどの混雑ぶりで、観光バスから降りて来られた善男善女の皆さんが続々とやって来られるので、とてもまともな写真は撮れそうもなく、しばらく待って見たけど、もう我慢が出来なくなって歩くのは止め、先に那智大社に参拝をすることにして車に戻る。

    

大門坂の景観。これは帰りに撮ったもの。この道を一時蟻の行列が登ってゆく。

現代の蟻の熊野詣は、数では平安時代のそれをはるかに凌いでいる。今日の善男善女の殆どは我々と同世代と思しき老人で、特に高齢の男衆はガイド女性の話など無視して勝手行動をとっている人が多く、石段の道は上下左右かなり乱れていた。千二百年も経つと、人間の自然に対する行動は不遜になってしまうものなのか、などと気取って考えたりした。

車に戻り、上の方にある駐車場へ。いつも留めている熊野交通の大駐車場である。大型の観光バスが何台も留っていた。そこから500段に近い石段を登って、まずは熊野那智大社に参拝する。ここも何度もお参りしている場所である。いつ来てもそれなりの風格のある神社である。遠くに那智の大滝を望むロケーションは、他の三山とは少し違った雰囲気を持っている。その後は、隣接する青岸渡寺に参詣する。このお寺も何度もお参りしている場所だ。今回持参している杖は、20年近く前に相棒の母と三人で西国三十三観音詣でをした時に購入したものである。今回は母は病の床にあり、やって来られない状況なので、その分まで祈りを捧げることにして、般若心経を誦す。終わって写真などを撮っていると、愚図つき気味だった空から雪が舞い降りて来た。寒い。急いで車に戻ることにした。雪は直ぐに止んで、日差しが戻って来た。

    

熊野那智大社の景観。山中にあるので、平地の速玉大社のような広がりはないのだが、却って別の貫録を見せている感じがする。

    

青岸渡寺の景観。西国三十三観音の一番寺は、どっしりとした構えのお寺である。

    

青岸渡寺の境内の端からは、三重塔とその脇に那智の大滝が遠望できる。撮影ポイントの一つである。

駐車場のすぐ傍に大門坂の参道の終点があり、相棒がそこへ行って見ると、もはやここまで登って来る人はまばらで、写真も大丈夫な状況となっていた。そこで、相棒が言うには、自分はここから坂を下って写真をとりながら行くので、途中にある道路脇に車を留めて待っていて欲しいとのこと。下り坂なので、安全に注意すれば体力はさほど消耗はしないだろうと、OKする。この参道は案内では約6町という表示があり、相棒の言う場所は2町の表示のある場所なので、4町ほど下ることになる。800mくらいだろうか。早速車を回すことにして出発する。しばらく待っていたが、自分も少し登って見ようと参道を上の方へ。相棒が降りてくるのが見えた。存分に写真をとることが出来たようで、満足げだった。

その後は、熊野詣の関係は一先ずここで一区切りとして、観光に移ることにする。その前に少なくなって来た飲料水やLPガスボンベを補給すべく、昨日の新宮市郊外のスーパーに向かう。購入の後は、昼食を何処でとるか少し迷った後、隣りの太地町にあるくじら博物館に行って見ることにした。20分ほどで到着する。この博物館は何度か見ており、今日は中には入らず駐車場だけを拝借することにした。昼食は、先ほどのスーパーで買ってきた弁当である。このところこのような食事のスタイルが多くなって来ており、要注意である。今後はなるべく自分で作って食べることにしようと気を引きしめた。

昼食の後は、いよいよ観光に出発する。まずは、まだ行ったことがない虫喰岩というのを見に行くことにする。ここには道の駅が近くにあり、泊りに向いているかなどの下見も兼ねている。R42をしばらく走って、古座川町から県道に入る。離合がかなり厳しい個所がある細い道が続いており、少し不安が掠める。けれども大過なく無事に道の駅に到着する。あるある、目の前に巨大な岩があちこちを見事に蝕まれて聳え立っていた。どんな作用でこのようなものが出来上がるのか、大自然の働きというのは、想像を絶している。国の天然記念物とあったが、まさにそれに相応しい奇岩・奇勝の景観だった。

    

虫喰岩の景観。なんとも不思議で不気味な大自然の造作である。すぐ下に道の駅があるけど、ここに泊るのには相当勇気があるか、超鈍感でなければ難しい気がした。

その後は、来た道を戻ってR42に出て、次の観光地の橋杭岩へ。ここにも最近新しい道の駅が出来たようで、奇岩を鑑賞するにはありがたい場所となっていた。かなり混んでいたが、どうにか車を止め、しばらくこの不思議な景観を味わう。橋杭岩の存在はずっと以前から知っていたが、傍にまで行ってじっくりと眺めるのは今日が初めてである。イースター島のモアイの像に似たものもあり、ここでも大自然の不思議な力を垣間見た感じがした。

    

橋杭岩の奇岩群。火山活動のマグマのなせる技だというけど、これもまた大自然の造りだす不思議の一つである。

これで、今日の観光は終わりにすることにして、串本町にあるサンゴの湯という温泉に行くことにする。5分ほどで到着する。今日の泊りは、この後比較的近くにある一枚岩という、これもまた巨岩に絡む場所にある道の駅にしようと考えていたのだが、わざわざそこまで行かなくても、ここに泊めさせて貰ってもよさそうなので、錨を下ろすことにする。温泉の駐車場の脇にも別の施設の駐車場があり、迷惑をかける心配はなさそうなので、そう決心した次第。

入浴はあとにすることにして、まずは旅の記録を書くべくパソコンに向かう。これには2時間ほどかかってしまった。この間に相棒は先に入浴を済ませ、午睡に入る。自分はその後に風呂に向かう。いい湯だった。料金も410円と、この辺りの施設としてはリーズナブルである。温泉の後は、ビールで一人乾杯して、もう今夜は夕食なしで夜を迎えることにしよう。などと思っていたのだが、さあ、その後が大変だった。念のために温泉の管理の人に泊ることをお断りしておこうと声をかけたのだが、その答えはNO!だったのである。隣の空いているスペースのことも訊いたのだが、これも自分たちが管理しているので、ダメとのこと。相手は若い超まじめそうな女性だったので、これはもうどう交渉しても通じないだろうと、困らせることは止めて、移動することにした。寝床の相棒にも起きて貰って、近くにある明日行く予定をしていた道の駅:一枚岩に行くことにした。道の駅ではくしもと橋杭岩の方がずっと近いのだが、何しろ海岸の傍にあり、相棒がこのような場所では安眠が期待できないので、静かな山の方を選ぶことにしたのだった。R42からR371に入って、既に真っ暗となっている道を20分ほど走って道の駅に到着する。点灯した車を運転するのはこの旅では初めてである。慎重に走って、緊張もして、折角の温泉が少し不意になったようである。

その後は、周辺を少し確かめたが、特に問題もなさそうなので、とにかくここに泊ることにして簡単な食事を済ませ、TVも見ずに寝床の中に。最後の〆に失敗した一日だった。やれやれ。

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‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第14回>

2015-11-27 04:37:47 | くるま旅くらしの話

【今日(11/27・金)の予定】 

 道の駅:なち →(県道)→ 大門坂(熊野古道散策)→(県道)→ 那智大社参拝・青岸渡寺参詣 →(県道・R42)→ その先未定

 

【昨日(11/26・木)のレポート】

<行程>

 道の駅:パーク七里御浜 →(R42他)→ 産田神社 →(R42他)→ 花の窟神社 →(R42)→ 道の駅:紀宝町ウミガメ公園 →(R42)→ 熊野速玉大社参拝 → 神倉神社参拝 →(R42他)→ 道の駅:なち → 那智大社、大滝の下見 → 道の駅:なち(泊) 走行84km 

<レポート>

天気:曇り後晴れ

今日は、暇のようで忙しい一日となった。余裕があったようで、無かったと言った方が正しいのかもしれない。昨夜は遅くまで雨が天井を叩き、明日も又雨なのかと諦めかけての眠りだった。夜間は直ぐ傍を走るR42の車で、さぞうるさいのではと覚悟していたのだが、存外静かで、気になったのはむしろ遠く下の方から響いてくる波の音だった。もし大地震が起きたりしたら、この道の駅は津波でひとたまりもなく破壊されつくしてしまうだろう。海抜10mほどしかないのである。そのようなことを思うと心穏やかでない気分になる。でもそのようなことはすっかり忘れて眠り果て、目覚めたのは1時半ごろだった。いつものようにブログを書き、もう一度寝床に入り、起き出したのは、7時少し前だった。外を見ると雨は上がるようで、青空が少しずつ見え出していた。この道の駅にはトイレはあるけど、簡易施設のようであまり上等ではない。ゴミ箱はなく、水汲む場所もない。長居は無用なので、朝食の後早めに出発することにする。

今日は、先ず昨日行かなかった、イザナミノミコトが火の神を産んだ場所だという、産田神社という所に行くことにしている。これは自分の中では、花の窟とセットになっているので、見落とすわけにはゆかないという思いがある。30分ほど走り、8時半ごろには到着する。こんもりと茂った樹木に囲まれた静かな佇まいの神社だった。イザナミノミコトは、どんな気持ちで火の神を産んだのであろうか。早速参拝する。入口の鳥居の傍に「さんま寿司発祥の地」という案内標が立っていた。紀州のさんま寿司は有名だが、この辺りから生まれたのかと確認した。その後は、もう一度花の窟に行き、参拝する。昨日は雨降りで暗かったのだが、今日はそれを補って余るほどの日射しが降り注いでいる。もう一度写真を撮り直したりした。

    

産田神社の佇まい。こんもりとした森に囲まれて、イザナミノミコトは、今何を思っているのだろうか。

一連のイザナミノミコトに関わる神社を見終えた後は、本日のメインの訪問先である新宮市の熊野速玉大社と神倉神社に参拝すべく、来た道を戻る。途中道の駅:紀宝町ウミガメ公園に寄りミカンなどを買う。新宮市内に入り、速玉大社には直ぐに到着。朱色の建物が強い日差しに鮮やかに輝いていた。玉砂利を踏みしめながら参拝する。境内には御神木のナギの大木があり、しっかり覚えることが出来た。もう一本天然記念物指定のオガタマの木もあり、嬉しい出会いだった。オガタマの木は、一円玉の裏側にデザイン化されて使われている。大木となると、少し違った様相をしてくるらしい。我が家のオガタマの木とは大分に貫録が違うなと思った。境内には、外国からの来訪者もいて、ここも国際的な観光の場となりつつあるのだなと思った。

    

熊野速玉大社の景観。朱色の拝殿が快晴の日差しを受けて鮮やかだった。

    

境内にあるご神木のナギの大樹。関東では見られない樹木である。しっかりとその特徴を記憶に刻んだ。

その後は、少し離れた大きな岩山のてっぺん近くにある神倉神社のゴトビキ岩を訪ねるべく出発する。神倉神社は、速玉大社に祀られているイザナギノミコトが元々坐せられていた場所である。速玉大社の方に遷られたので、これを新宮と呼ぶことになったのだという。由緒ある古い神社である。駐車場までの道が狭く、どうなるのかと冷や冷やしながらの運転だったが、どうにか無事に車を留めることが出来て安堵する。ゴトビキ岩の社までは、急な岩の階段が続き、これは大変なものだった。確か鎌倉時代に源頼朝が寄進したと聞いているその石の階段は、600段近くもあり、その大半が激急な傾斜のな坂道なのである。昨日の雨で滑り易くなっており、慎重の上にも慎重を重ねての登りとなった。相棒がいつギブアップするかと内心心配だったのだが、このところ古道の歩きにも少し慣れたのか、等々ゴトビキ岩の下にある社まで無事に到着してくれて良かった。

    

急な石段を登る。傾斜が45度くらいはあるではないかと思うほどだ。こんな石の階段が580余りも続いている。

ゴトビキとはこの地の呼び方で、ガマ蛙のことだとか。確かにそんな風にも見えたのだが、相棒の知識では、この岩は花の窟の伝説とつながっており、男性のシンボルを表わしているとも言えるのだとか。記紀の神話の世界では、この地は神々が様々な形で関わりを持たれて活躍されていたようだ。深く追求するのは性に合わないので、とにかくなるほどと思うことにしている。筑波山にもガマ岩というのがあるけど、ガマの油の口上を生み出すほどなので、かなりガマに似ているのだが、ゴトビキ岩の方はやはり相棒の説に近いように思えた。

    

ゴトビキ岩と直下に建てられている社。この景観は、新宮の街からも遠望できる。いわばランドマークのようなものでもある。

また、この神倉神社といえば、2月のお燈祭りで有名である。手に松明をかざした男衆が、この急な石段を駆け下りるという豪快というか、恐ろしきことを為す行事である。石段を登る途中で会った地元の方の話では、当日は2~3千人もの人がゴトビキ岩の付近に集まり、やがて一斉に松明をかざして石段を駆け下りるのだが、何と一番早い人は1分足らずで駆け下りるのだという。怪我をする人は少ないという。神懸かりになった人間の為すことは、神すらも呆れ返るほどなのか。誇らしげに語るその方の話に、驚き聴き入った。まだお燈祭りを見たことはない。特に見たいとも思わない。帰り道は登りよりも危険な下りなのでより慎重に歩を進める。途中から女人坂という下り専門の道があったので、それを利用して無事に下に辿り着く。最大の難関を乗り越えて参拝を済ませることが出来て満足する。

時刻はまだ12時前である。もうこれで今日の予定の殆ど終わり、あとは那智勝浦の補陀洛山寺に参詣するだけである。昼食は道の駅なちでとることにして出発。15分ほどで道の駅に到着する。ここは何年か前にも来ているのだけど、比較的新しい道の駅だ。JRの駅に隣接して造られており、世界遺産の紹介の観光センターの様なものもあり、又日帰り入浴の温泉もあって、今日はその温泉に入るのを楽しみにしている。ところが、情報を仕入れに行った相棒の話では、何とその肝心の温泉が工事中で閉鎖されているという。がっかりしてしまった。ここには2泊してじっくり世界遺産に関わる場所を探訪しようと考えていたのだが、期待を裏切られてしまった感じとなった。取り敢えず気を取り直して、昼食にする。昼食を終えて一休みしても、未だ13時になったばかりで、補陀洛山寺に行ったとしても14時にはここへ戻ることになり、温泉なしでは楽しみもない。と、いうことで明日の下見に那智山の方へ行って見ることにして出発。

明日の予定の中で気になっているのは、大門坂からの古道を少し歩きたいのだが、駐車場はどうなっているのか。それに那智の滝の下にある飛瀧神社にも参拝したのだが、こちらの駐車場はどうなっているか。この二つを確認しておきたい。10分ほどで大門坂の下方に着いたのだが、広い駐車場があって安堵する。これなら何の心配もない。更に滝の方へ行って見たのだが、こちらの方は近くにあるのは観光バス専用の駐車場だけで、SUN号を留められるような場所はなかった。ただ、少し離れた場所に空き地があり、そこは留めてもよさそうな場所だった。少し歩くのが長くなるけど、致し方あるまいと思った。これで、下見は終わり、明日は大丈夫だと思いながら来た道を戻り、途中の土産店などに入り店内を見て歩く。それでも未だ14時を過ぎたばかり。それじゃあ、今日中に飛瀧神社だけでも見ておこうかということになり、直ぐに引き返して先ほど目星をつけておいた駐車場へ。そこから300mほど歩いて、飛瀧神社に参拝する。滝の下から見上げる景観は、壮観としか言いようがない。華厳の滝とも袋田の滝とも違う、神秘さがある。よくもまあこんな場所があったものだと、改めて感じ入った。

    

那智の大滝の景観。その飛瀑は、豪快というよりも何か神秘的な厳かなものを感じさせる。

これで今日の予定は全部終了ということにして、その後は新宮市外れのショッピングモールに行って食材などの買い物を済まし道の駅に戻る。補陀洛山寺の参詣は明日にすることにした。温泉がないので、あとは夕食を済ませ寝るだけ。16時半を過ぎて周囲は少し暗くなりだした。泊りの旅車も何台かいるようだ。今日はこれで終わりである。

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‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第13回>

2015-11-26 03:57:07 | くるま旅くらしの話

【今日(11/26・木)の予定】 

 道の駅:パーク七里御浜 →(R42他)→ 熊野速玉大社参拝 → 神倉神社参拝 →(R42他)→ 補陀洛山寺参詣 → 道の駅:なち(泊) 走行147km

 

【昨日(11/25・水)のレポート】

<行程>

 道の駅:おくとろ →(R169・R168)→ 熊野本宮参拝 → 大斎原散策 →(R168・県道他)→ 発心門王子参拝 →(熊野古道)⇔ 猪鼻王子参拝 →(県道・R168)→ 道の駅:熊野古道ほんぐう →(R168・R42)→ 花の窟神社参拝 →(R42)→ 道の駅:熊野きのくに →(R42)→ 道の駅:パーク七里御浜(泊)

 <レポート>

天気:曇り一時小雨

道の駅:おくとろの一夜は最高の環境で、温泉に入った後の眠りは快調で、1時半を過ぎるまで目覚めなかった。その後起き出して、ブログの原稿を書き投稿を済ます。朝、外に出て見ると天気はあまり良くはなかったが、四囲を山に囲まれた集落には、薄く霧が立ち込め、それが晴れると、山々の中間に雲が移動して、まさに山間の秘境という感じだった。ここはおくとろ公園と名付けられた広場の中に道の駅やその他スポーツ、文化施設などがあり、夏などのシーズンを迎えれば、大いに活用が期待できる場所である。北山村は、全国唯一の県の飛び地であり、奈良や三重といった隣県の中にポツンと和歌山を主張している珍しい場所でもある。特産品として、じゃばらという果物が有名らしく、あちこちにそのPRの幟などが立っていた。相棒は早速それを手に入れていたようである。酸っぱくて苦味のある味だそうだけど、これは酒飲みの自分には向いているなと思った。後で、楽しみたい。

さて、今日は熊野三山の一つ、本宮大社に参拝する予定である。その後は、元本宮があった大斎原を散策し、午後には新宮市の速玉大社に参詣し、近くにある神倉神社にも参拝して、その後那智勝浦の道の駅:なちに行って泊ろうかと考えている。少し早目に行くことにして、8時半過ぎに出発する。ここから5kmほどは離合に気を使う曲がりくねった絶壁脇の細道である。少し行くとダム湖の蒼い水の鏡に、霧のかかった山が写って、見事な景観だった。相棒はカメラを取り出して、シャッターを切っていた。更に少し行くと、左方は崖なのだが、右方の山から流れ落ちる細い滝があり、雷(いかづち)の滝と書かれていた。これもカメラに収めたのだが、滝の全容を撮るのは難しい。高所恐怖症でも覗きこみたい絶壁の景観が続いていて、緊張の連続だった。ようやく広い道に出て、幾つかのトンネルを通過して、安堵する。間もなくR168に入り、しばらく走って本宮大社の駐車場へ。

    

北山村のダム湖に映る山影の景観。相棒のカメラだと一段上のレベルに撮られていると思う。

熊野本宮大社への参拝10年ぶりくらいになるのだろうか。十津川村が豪雨禍で大被害をこうむり、道路が普通になって以来この道を通っていないので、もうそれくらい時間が経ってしまっている。それ以前は、何度もここへは参拝していたのである。今回は特別な気持ちで、参拝する。この神社のシンボルでもある八咫烏(やたがらす)は、確かJリーグのマークにも使われているのではなかったか。三本脚の烏というのは見たことがないが、誰がどのように思いついたのであろうか。120段余りの石段を上り、五つの神様に参拝する。どれがどの神様なのか、書かれていてもさっぱり解らない。又神様が何人おられるのかも解らない。とにかく熊野の山々を守るには一人では大変だろうと思っている。神社の人が聞いたら、とんだ話となるのだろうけど、自分の信仰は浅はかなレベルである。それでも参拝すると何だか清々しい気分になる。参拝の後、孫たちにお守りをプレゼントすることにして買い入れる。

    

熊野本宮大社の拝殿の景観。ここの玉砂利を踏むと、いつも厳かな気分になる。

参拝の後は近くの大斎原へお参りに。元本宮があったこの場所には大きな鳥居が建っている。その真ん中に八咫烏のマークがはめ込まれており象徴的だ。明治22年に熊野川の大洪水で、河川敷の中にあったお宮は殆どが流されてしまい、それ以降は現在の山の手の場所に遷坐されたという。不思議なのは、それ以前平安時代からこの時まで、そのような川の氾濫はなかったのだろうかということ。もしかしたら、明治辺りから異常気象は始まり出したのかもしれない。参拝の後は川の傍にまで行って景色を眺める。その昔は、貴族たちの一団は、ここから川を新宮まで船で下っての旅だったと聞いているけど、どの辺りに船乗り場があったのか、などと妄想した。

    

大斎原の大鳥居に描かれた金色の八咫烏。うっかりすると見落としてしまいそうだが、金色に光っているので安心だ。しっかりと道案内を務めている。

大斎原から戻って、新しく作られていた観光センターとかいう建物に入って見た。相棒が発心門王子まで行きたいと言っていたのだが、道が判らず、道の駅:熊野古道ほんぐうからの地図上での歩きでは片道が6kmくらいの見当となるので、無理だと思っていたのだが、実際はどうなのか訊いて見ることにした。その結果はいがいなことに、SUN号でも近くまで行けるということだった。それじゃあ、早速行って見ようということになった。途中から細い道となったが、しばらく走っていると、何と、王子社の傍まで来てしまったので驚いた。傍にバス停まであるのである。お参りしたあと、近くの道標に猪鼻王子まで800mとあるので、古道を歩きたがっている相棒に訊いたら、歩けそうだというので、行って見ることにした。しばらく下りの道が続いて、こりゃあ帰りがしんどいぞと思ったけど、道端に健気に咲いているフデリンドウなどを見つけて嬉しくなったりしている内に、下まで降りてしまった。その先少し歩くと猪鼻王子の跡があり、石碑が建っていた。わずかなスペースであり、その昔もここは小さな遥拝所だったのであろう。一つの休憩所としての役割があったのかもしれない。それにしてもずっと細道が続いており、その昔はほぼ原始林の中を行く状態だったのだろうから、大変なことだなと改めて思った。帰り路も大した苦労も無く戻れて、まずは重畳。思わぬ古道歩きとなった。

    

発心門王子社。ここは五体王子といわれるものの一つで、本宮に至る最後の基地のような役割を為していたのであろうか。

    

猪鼻王子跡。素朴な石碑が一つ建てられただけの場所だった。ここで一息ついたのであろう。

その後は、道の駅:熊野古道ほんぐうに行き、昼食休憩。以前のこの道の駅は、十津川村へ向かう中継基地として結構賑わっていたのだが、今は十津川村へは立派なトンネルを備えた新しい道が完成して、この旧道は殆ど利用されなくなっているようで、何だか活気がないように思えた。10年の間に大きく変わっているのが分かった。昼食後改めて当初につくった行程計画を見ていたら熊野本宮大社の後は、三重県熊野市の花の窟神社に参拝する予定だったのに気づく。うっかりここをパスするところだった。花の窟神社はわが国最古の神社といわれ、熊野信仰の始まりにも係わる場所のように思っており、ここを外すわけにはゆかない。というわけで、その後は花の窟神社を目指すことにして出発。

しばらくR168を走って、新宮市に入りR42へ。その途中から雨が降り出した。午後から弱い雨という予報はどうやら的中しているらしい。しばらく走って熊野市に入り、間もなく神社に到着する。以前にもここに来たらしいのだが、自分にはあまりはっきりした記憶がない。相棒は立派になった駐車場などを見て驚いていた。ここも世界遺産指定の場所なので、この10年間に大きく変貌したのであろう。大した雨でもないので、そのまま歩いて参拝する。ここは巨岩がご神体で社殿はない。いわばむき出しの神様の本体である。注連縄の下がった巨大な綱が岩の上から張られていた。神話では、多くの神々を産んだイザナミノミコトが、火の神を産んだ時にその火に焼かれて亡くなった、その墓所がここなのだという。神話は常に奇想天外で神秘的だ。この近くに産田(うぶた)神社というのがあり、そこが火の神を産んだ場所だという。産田神社にも行かなければならないのだが、今日は花の窟だけにしてこうと思いながら参拝を終える。

    

もう暗くなり始めていて、光が不足しているのだが、これは巨大な岩の御神体を仰ぎ見た景観。高さが45mもあるといその偉容に圧倒される。

今夜の泊りは近くの道の駅:パーク七里御浜ということにしていたのだが、先ほどその脇を通った印象では、車の通行も多くて夜間も騒がしそうなので、少し先の山の中にある道の駅:熊野くのくにという所に行った方がよさそうと判断して、急遽変更して出発する。30分ほど走って到着する。妙に静かで暗い雰囲気である。店は閉まっており、泊っている車も僅かだ。どうしたのかと、相棒が張り紙を見つけて読んだら、なんと10月30日を以て、道の駅の経営を止めることとなったと書かれていた。経営母体が破綻したということらしい。静かなのは良いけど、これじゃあ何だか気分がすっきりしない。ということで、やむなく来た道を戻ってとにかく道の駅:パーク七里御浜に行くことにした。結局、我慢してでもここにお世話になることに決める。もう16時半近くになり暗くなり始め、どうやら雨も本ぶりの体勢に入ったらしい。

今日はとんだ予定外の動きの一日だった。ま、こんな日もある。夕食は、肉無し豚汁がメイン。寒くはないけど、身体が温まって、一杯やって良い気分になり、寝床の中に。

 

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‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第12回>

2015-11-25 03:00:50 | くるま旅くらしの話

【今日(11/25・水)の予定】 

 道の駅:おくとろ →(R169・R168)→ 熊野本宮参拝 → 大斎原散策 →(R168)→ 熊野速玉大社参拝 → 神倉神社参拝 →(R42)→ 道の駅:なち(泊)

 

【昨日(11/24・火)のレポート】

<行程>

 道の駅:熊野古道中辺路 →(R311)→ 清姫の墓参詣 →(R311)→ 滝尻王子参拝 → 道の駅:熊野古道中辺路 →(熊野古道散策:牛馬童子→箸折峠→近露王子参拝)→ 道の駅:熊野古道中辺路 →(R311・R168・R169)→ 道の駅:おくとろ(泊) 走行82km

<レポート>

天気:晴

昨日は終日雨降りが続いて、夜遅くなっても止む気配がなかったのだが、朝の3時頃になってようやく天井を叩く音が収まり静かになった。6時頃は霧の中だったが、しばらくすると青空が顔を出し、その後は晴れの良い天気となった。二日雨が続いたら、大幅に予定を変更しようと考えていたのだが、そんなことをしなくても済み、安堵する。今日は昨日の分を取り返すべく、来た道を戻って、幾つかの王子社などを参拝するつもりでいる。

昨夜はここに泊る車は皆無で、朝になっても、ずっと我々だけの世界が続いていた。この道の駅はトイレだけはウオシュレット付きで立派なのだが、水もゴミ箱も無くて、泊り向きではない。何よりも閉口したのは、駐車場が傾斜地で、寝床が少し傾いてしまっていることだった。しかし、一夜だけの、いわば仮眠の世界なので、これは我慢するしかない。最大のメリットは、マイナスイオンに溢れた空気に恵まれていたことだと思う。空が晴れるにつれて、気分も次第に晴れに向かっていた。

8時半に、先ずは昨日パスしてきた清姫の墓に詣でることにして出発する。20分ほど昨日来た道を戻って、墓に到着。娘道成寺の安珍と清姫の話は有名だが、実のところ詳しく筋書きを知っているわけではない。伝承としての筋書きが墓の近くに建てられた碑文に書かれていた。男女間の思いのやり取りは、今の世でも本質的には何も変わっていないようだ。今の世にも似たような事件は溢れているのではないか。清姫の気持ちや安珍の気持などを少し思ったりした。これは、当事者でないと、どんな行動に出るのかは難しい問題だなと思った。

その後は、境内にある水道から少し水を頂戴して、今朝の心配を解消する。次は熊野古道館という案内所に行って、古道散策の資料を求めることにして出発。直ぐに着いて、資料などを手に入れる。古道の紹介資料等は、皆歩きを前提として作成されており、車での来訪者をガイドするようなものは見当たらなかった。これは当り前で、やむを得ないことだと思う。自分で考えて王子社などを選ぶしかない。直ぐ近くに滝尻王子というのがあり、まずはここに参拝する。今回の王子社参拝では初めての参拝である。なかなか立派な所で、社等も建てられていた。その昔、熊野詣の貴族の人たちは、この場所で歌会などを開きながら、心の浄化を図っていたのかもしれない。参拝の後は、今朝までいた道の駅:熊野古道中辺路に戻る。

    

滝尻王子社の景観。多くの王子社は跡地となっているようだが、ここは小さいながらも社が建てられている。境内に後鳥羽上皇の歌を刻んだ碑があった。

この道の駅から800mほど古道を歩くと、牛馬童子という石像があるというので、それを見に行くことにした。熊野古道の初歩きに挑戦である。何といっても相棒の体力が問題であり、調子が悪い時はいつでも直ぐに戻るということでの出発だった。用意してきた西国三十三観音参詣の時に使用した杖を使いながら、ゆっくりと歩を進める。最初は急な感じがしたが、馴れてくるとそれほどでもなく、間もなく牛馬童子の小さな石像に到着する。どんなものなのかと思ったら、何と牛と馬と両方にまたがった童子の姿が刻まれていた。花山法皇のお姿に似た像だとか聞いたが、もうかなり時間を積んで来ているので、お顔の方はおぼろになっているように見えた。何枚か写真を撮った。すぐ脇に役(えん)の行者像というのがあって、熊野にも役の行者が係わっていたのを知った。山岳宗教の元祖として、自分は役の行者を密かに尊敬している。何だか嬉しい気持になった。

    

森の中を行く熊野古道の景観。平安時代の昔は、今のような杉や桧の森だったのか判らないけど、道そのものは同じような状態だったのかもしれない。

    

牛馬童子像。高さが30センチ足らずの小さな石像だが、それが却って品格を高めているように思えた。不思議な像である。

    

牛馬童子像の脇には、並んで役の行者の像が置かれていた。思ったよりも優しいお顔だったのに少し驚いた。

相棒の体調も大丈夫だというので、ここから500mほど先にあるという近露王子まで歩いてゆくことにする。途中から荒っぽい石畳の急坂の道となり、昨日の雨で滑り易くなているので、この下り道にはかなり神経を使った。思ったよりも長く感じたけど、間もなく近露王子跡に到着する。何故近露なのかということについて、相棒が疑問を感じていたようなので、先ほど手に入れた俄か知識で説明した。花山法皇がこの牛馬童子(その当時はなかったのであろう)のある峠を超える時、食事をするのに箸も持参出来ていなかったため、近くにある萱(=ススキ)を手折られて、箸とされた時に、萱の葉に着いた露を見ながら、「これは血なのか、それとも露なのか」とおっしゃったことから、この峠を箸折峠、この地を近露と呼ぶようになったとのこと。知ったかぶりなので、その時の花山法皇のお立場やお心の中のことまでは解らない。恐らく、恵まれない境遇だったに違いない。同じ皇族でも、その時代・環境によって複雑な事情がからんで、必ずしも頂点に立った立場での参詣は叶わなかったのであろうか。

    

近露王子の跡。社はなく、大きな石碑だけが建っていた。「血か、露か」が地名となるとは。驚きである。

その後はもう一度来た道を戻り、車に戻る。下りの厳しい個所が幾つかあったので、帰りの登りでは、相棒がバテはしないかと心配したのだが、思ったよりも元気で歩いてくれて、早く着けたのでよかった。その後は、道の駅で売っていた、めはり寿司などを買って来て、昼食休憩とする。この後どうするか考えたけど、今日はもうこれで王子社の参詣や古道歩きは終わりにして、温泉に入ってゆっくりすることに決める。調べた結果、まだ行っていない道の駅:おくとろに行って見ることにした。ここには隣接して温泉もある。早速出発する。

R168に出て、更に瀞峡に向かうR169を左折する。しばらく良い道が続いて、瀞峡の深い渓谷が見える景観を時々見ながらの走行だったのだが、あと5kmほどで道の駅に着くという辺りから、一変した細道となった。絶壁の下には、ダム湖の蒼い水が見える。慎重に運転を続け、一気に広い場所に出たら、そこが道の駅:おくとろだった。後で聞いた話では、途中の長いトンネルを含むきれいな道は、今年の9月に完成して使用開始となったとのこと。せめてこの道の駅まで広い道が通ずるようになれば、この秘境の地は観光地としてもっと発展するのになあ、と思った。

道の駅の脇には温泉もあって、何だか別世界の感じがした。相棒は今日の疲れがやってくる前に入浴を済ませることにして、直ぐに温泉に入りに行った。自分の方は、その間パソコンに向かう。1時間ほどして相棒が戻って来た。温泉は空いていて、ほぼ一人占めの状態だったとのことで、満足げだった。換わって、自分も風呂に行くことにした。600円也を払って中に入ると、男湯の方も誰も入っておらず、自分一人だけの入浴となった。かすかに硫黄の匂いのする、だけど刺激のない良いお湯だった。露天風呂もあり、眼下にダム湖の蒼い水を眺め、更に空を見上げると青空に白い雲が速く流れていた。良い気分である。欲張ればもっと古道を歩けたのだが、早めにここに来て良かったと思った。温泉を出て、ビールがないかと探したのだが、それは無駄だった。

車に戻る頃はもう日が暮れかけ始めていた。17時過ぎから少し早目の夕食となる。旅時の夕食は、家に居る時よりもかなり早い。それでも、もう10日以上が過ぎているので身体も旅くらしのリズムになれてきて、当たり前の日常となっている。19時からの鬼平犯科帳を見る時刻まで眠らずに行けるかが課題だが、どうにか辿りついて、20時の就寝となる。鬼平犯科帳は、もう何度も同じ筋書きを見ており、内容も全部承知しているのだが、池波先生の思いがどう表現されているかに興味があり、何度観ても飽きないのが不思議である。今日も満足しての一日が終わる。

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‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第11回>

2015-11-24 01:33:29 | くるま旅くらしの話

【今日(11/24・火)の予定】 

 道の駅:熊野古道中辺路 →(R311)→ 田辺市方面に戻る →(R311)→ 国道近くの王子社に順次参拝する →(R311)→ 道の駅:熊野古道中辺路 →(R311・R168)→ 道の駅:熊野古道ほんぐう(泊)  

 

【昨日(11/23・月)のレポート】

<行程>

 道の駅:龍神 →(R371・R425・県道)→ 道の駅:紀州備長炭記念公園 →(県道・R42・R311)→ 道の駅:ふるさとセンター大塔 → 道の駅:熊野古道中辺路(泊)  走行81km

<レポート>

天気:雨

道の駅:龍神の夜はいつもにも増して静かだった。山の中なので、トラックなどの通行は皆無、夜間はバイクも走らず、音を出すものといえば相棒の寝息くらいなのである。2時には起き出してブログの記事作成に取り組む。4時までには終って、再度寝床にもぐりこんで朝を迎える。6時過ぎ起き出して、少し歩くことにして川沿いの道を昨日入った龍神温泉まで往復する。昨日は車で通った道なのだが、歩いて見るとその良さがはっきりした。良く手入れされた杉や桧の森に挟まれて、蒼い色をした清流が所々岩にぶつかって白い波を上げている。道の脇には、所々川に流れ込む細い谷の流れがあり、それらはかなり急な斜面を流れ下って来るので、見上げると小さな滝が幾つも出来上がっていた。この辺りは雑木が殆どなくて、紅葉はほんの少ししか見られない。1kmほど歩くと、温泉の駐車場が見えて来た。昨日は旅館の駐車場には未だ到着した泊り客の車は少なかったが、今朝はほぼ満車に近い状態だった。秘湯の一つとして人気があるのであろう。温泉には、早や朝風呂に入るのか、何人かの地元の人らしき老人が入口の暖簾を潜って行った。写真などを撮った後、来た道を引き返して車に戻る。美味い空気だった。

    

龍神温泉に向かう道脇の渓流。この少し先に温泉があるのだが、この渓流に沿って造られているので、野趣深く秘湯の趣がある。

    

龍神温泉元湯の景観。この玄関を潜って、お湯は階段を下りた所に設けられている。

朝食を済ます頃になって、雨が降り出した。先ほどの歩きの時は薄い雲の向こうに青空も見えていたのだが、どうやら今日は天の機嫌は良からぬらしい。今日から中辺路に向かい、途中の王子社などに参拝しながら行く予定なのだが、雨の天気では何だか出端を挫かれた感じとなる。明日から本格的な中辺路の探訪予定で今日は道の駅:ふれあいセンター大塔まで行って泊る予定にしている。この先本降りの雨になった時は、王子社への参拝を取り止めて、道の駅で休養することにしようかと思いながらの出発だった。

雨はだんだん降りが強まって来た。少し走って道の駅:紀州備長炭記念公園に立ち寄る。雨の中に大型の観光バスが1台停まっていた。随分早いなと思ったら、中国辺りからの観光客だった。こんなところまで観光客が押し寄せているのかと思った。旅の気分で少なからず興奮しているのか、相変わらず大声で話す人が多い。隣に備長炭発見館という炭の展示解説施設があるのだけど、観光客は見向きもしないで、狭い店の中を埋めていた。自分たちの方は、バスが走り去るまで時間をつぶした後、その備長炭発見館に入り、炭や備長炭についての見聞を広めることにした。この道の駅のある辺りが備長炭の発祥の地の秋津川地区なのである。炭の歴史や製造プロセスなどについてビデオを見ながら学んだ。様々の炭のオブジェや製品などが展示されていて、館店内に流れる音楽も炭で作られた音によるもののようだった。我が家でも白炭は昔から愛用しており、今でも寝床の下には白炭を敷き詰めている。残念ながら紀州の備長炭ではなく、中国製のものなのだが、炭の効果は変わらないと思っている。備長炭が欲しいけど、今では手の届かぬ高価なものとなっている。帰り際に館員の方から、熊野古道に関する情報パンフレットを頂戴した。

    

備長炭発見館の片隅に、昔懐かしいオート三輪車の木炭車が展示されていた。戦後間もない、自分が小学生の頃は、木炭で走るトラックが走坂道を苦しげに登っていたのを思い出す。

雨は依然としてやむ気配なく降り続いている。道の駅を出発して、山を下り、田辺の市街地に入る。ここで若干食材等を仕入れることにして、スーパーへ。商品の陳列の仕方が関東とは違っているようで、なかなか目的の物が何処にあるかが判らず、探すのに手間取った。卵はついに見つからなかった。全国を訪ねていると、このような経験が何度かある。少しイラついた。雨の中を車に戻り、一先ず今日の泊り予定の道の駅:ふるさとセンター大塔まで行って見ることにした。このエリアの道の駅は未だ訪ねたことがなく、今日が初めてなので、どんな状況なのか判らない。行って見て泊り向きならば、もうそこで錨を下ろして休むことにしたい。そう思いながら行って見ると、これが大変狭い駐車場で、傍の道路は車の往来が多く、しかも平ではなく、傾斜地なのである。これではゆっくり出来ないと判断し、一つ先の明日泊る予定の道の駅:熊野古道中辺路まで行くことにした。ここもまだ行ったことのない場所だ。大塔の道の駅からは10数キロの距離しかない。間もなく到着する。

ここも傾斜地の駐車場で、あまり広くなかったのだが、この先となると熊野本宮まで行ってしまうことになり、行程がメチャメチャに狂ってしまう。傾斜地や狭いのは我慢して、とにかく今日は王子社の参拝は諦めることにして、ここに錨を下ろすことに決める。まだ、13時にもなっていない。しかし、雨は止むことなく降り続いており、状況は何も変わっていない。こんな時はまさに諦めが肝心だ。昼食の準備をし、少し遅れた昼の宴となった。起きていても何もすることがないので、自分は早々に一杯やって、午睡を決め込む。相棒は古道関係の資料をあれこれと確認していたようだった。目覚めたのは、16時半過ぎで、辺りは暗くなっていた。しばらくTVなどを見て過ごす。その後は、夕食、いつもの鬼平犯科帳を見て、再び寝床の中へ。明日は今日来た道を戻って、滝尻王子辺りから出直すことにしている。とにかく天気次第である。ダメな時は又どうするかを考えなければならない。やれやれ。

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‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第10回>

2015-11-23 03:10:36 | くるま旅くらしの話

【今日(11/23・月)の予定】 

 道の駅:龍神 →(R371・R425・県道)→ 道の駅:紀州備長炭記念公園 →(県道・R42・R311)→ 道の駅:ふるさとセンター大塔(泊)

 

【昨日(11/22・日)のレポート】

<行程>

 吉野路大淀センター →(R169・R370)→ 道の駅:柿の郷くどやま →(R370・R409)→ 高野山参詣 →(R371)→ 道の駅:田辺市龍神ごまさんスカイタワー →(R371)→ 龍神温泉 → 道の駅:龍神(泊)  走行106km

<レポート>

天気:曇り

吉野路大淀センターの一夜は少し騒がしかった。傍を通る国道を走る車の音はそれほどでもなかったのだが、真夜中の2時頃から人声がし出して、何だと思ったら、何と農家の人たちが早くも今日の直売所に出荷する野菜類を運び込んで来ているのである。5時頃になると続々と軽トラがやって来て、野菜の直売所は、6時を過ぎるともう販売体制が整っている感じがした。開店時刻は8時半なのに、である。どうやら、野菜の陳列場所が決まっておらず、その日によっての早い者勝ち見たいな状況となっているらしい。7時半ごろになって、どうするのかと思っていたら、レジの人もやって来て、販売開始となっていた。泊りの消費者には真に有難い対応なのだが、生産者である農家の人たちにとっては、果たしてこのようなシステムで良いのであろうか。少し疑問を感じた。それにしてもこの地の生産農家の意欲は凄いなと思った。自分もニンジンとゴボウと大根などを買い入れた。

    

道の駅:吉野路大淀センター直売所の朝は活動的だ。6時過ぎには殆どの野菜が並び終わり、開店の1時間前の7時半にはもう販売が開始されている。

この道の駅にはゴミ箱もあり、水汲みも出来て良心的である。安心して一夜を明かすことが出来てありがたい。朝の内に今夜の夕食用の煮物の下ごしらえをしておくことにした。これは自分の担当である。旅の食事はどちらか一方が全てを負担するというのでは長続きしない。特に男サイドは、一人になってしまったまさかの時のためにも、自分で調理して食べるという技術を身につけておくことが大切だと思っている。

今日の予定は、高野山の参詣である。その後は、龍神村の龍神温泉に入って、後は寝るだけである。8時半に道の駅を出発して五條市方面に向かう。吉野川に沿って走る道を順調に辿る。吉野川はしばらく下るとその名を紀の川と変える。どの地点からそうなるのかは自分にはわからないけど、恐らくR24に出た、五條市辺りであろうか。橋本市に入って、川に架かる橋を渡り、しばらく走って、九度山町にはいる。ここに新しい道の駅がでいているので、ちょっと寄って見ることにした。九度山といえば、大阪夏・冬の陣で活躍した真田雪村が隠遁生活を送っていた場所として有名だ。高野山への登り口の一つでもある。何時も素通りだったが、道の駅が出来たとなると、これからは町中の史跡などを訪ねることが出来るようになる。新し道の駅は、柿の郷くどやまという名で、行って見るとこの辺りでは珍しい、かなり広い平坦地に造られていた。店の中も丁度旬を迎えている柿を初め、農産物を初め各種色とりどりの地場の生産物が所狭しと並んでいた。活気にあふれている。巨大な柿が一個500円で売られていたが、こんなに大きな柿を見るのは初めてだった。相棒はそれより少し小さい新品種の柿を求めていた。この道の駅にはゴミ箱も用意されており、最近の売らんかなだけで、消費者の後処理を無視した道の駅とは違った姿勢が見られてとても好感を抱いた。次回に来た時は是非泊って見たいなと思った。

その後は長い曲がりくねった山道を高野山に向かって登り、走り続ける。毎度のことながらこのような山奥によくもまあお大師様はお寺を開かれたものだと感嘆する。あの時代の人々の信仰心というものがどれほどのエネルギーを持っていたのか、それを取りまとめて導いた空海という方はどれほどのパワーを持った人物だったのか、想像もできない。ようやく坂を登り終えて、金剛峯寺への坂を下る。何だか物凄い車の混みようである。10時を少し過ぎた時刻なので、未だ駐車場にも余裕があるのではと思ったのだが、とんでもない見込み違いだった。今朝気付いたのだが、今日は日曜日で、明日も休日のため3連休の中日だったのである。異常に混んでいるのはその所為だろうかと思った。車を止められない時は諦めて龍神の方へ行こうと思いながら、のろのろと車の続く道をとにかく探してみることにした。奥の院を過ぎて、龍神に向かう道を行こうとしたら、その近くに臨時駐車場が設けられており、まだ空きスペースがあったので、とにかくそこへ車を入れることにした。奥の院の参道入り口までは350mほど離れている。折角来たのだから、奥の院だけでもお参りすることに決める。

それからは1時間半ほど時間をかけてゆっくりと参詣する。高野山は何度も来ており、桜池院というお寺さんの檀家見たいになっている。金剛峯寺近くにあるそこへは今日は参詣できなくて申し訳ないけど、この混みようではご容赦頂きたい。奥の院葉には久しぶりの参詣である。この辺りには古い日本の歴史を作って来た人たちのお墓が幾つも点在している。大昔のお墓が現役のままこれほど残っているのは、日本ではここだけなのかもしれない。又家や個人の墓だけでなく、企業や団体のお墓などもあって、真に開かれた墓地でもある。杉の老大木の森の中に並ぶ石塔の数々は、如何にも魂の安らぎ眠る場所として相応しい感じがする。時々有名人の墓などを覗きながら、奥の院の奥へと向かう。たいへんな人ごみで、外国からの観光グループも混ざっている。世界遺産として注目されているのかもしれない。こんなに大勢の人が押し掛けては、織田信長も、豊臣秀吉も、徳川家康もご機嫌を斜めにしておられるのではないかと思ったりした。

    

法然上人の墓。この他にも親鸞上人の墓もあり、高野山は宗派を問わない墓があるのはすごいと思う。

    

織田信長の墓。他の武将と比べて質素な感じがする。左は筒井順慶の墓。戦国の武将たちが枕を並べて休んでいる。

    

豊臣家の墓。成り上がるまでの秀吉の生きざまは立派だったが、成り上がった後のそれには、哀しさを覚えるほどだ。この墓は、何を語っているのか。

    

このような墓もある。シロアリ対策協会のやさしさと読むべきか、何だか人間の勝手さというか、滑稽さのようなものを感じさせる墓だ。

奥の院で般若心経を唱えて、旅の安全などを祈る。その後は、来た道をゆっくりと戻る。車に戻った時はちょうど昼食時となっていた。相棒がいつの間にか九度山の道の駅で買ってきためはり寿司をほおばる。めはり寿司はこれからが本番だと思っていたのだけど、早くもそれが用意されていたので、ちょっと驚いた。美味かった。

食事の後は、R371を龍神村方面へ向かう。この道は10数年前に一度通って以来の久しぶりの道である。以前は高野山からのスカイラインとして有料だったのが、今は無料となっている。どの道も早く無料となって欲しいものだ。そんなことを思いながら、カーブの多い山道を慎重に運転する。今日は日曜日とあって、ツーリングを楽しむバイク族が多い。飛び出すように走ってくるのもいるので、要注意である。20数キロほど走って、田辺市龍神ごまさんスカイタワーという長い名前の道の駅に着く。ここも以前来た時には無かった道の駅である。高所恐怖症の自分には、タワーの方は無用である。吉野や熊野の山並みを鳥瞰しながら、熊野詣での人達と時代のことを思ったりした。

14時半過ぎ、龍神温泉に到着する。駐車場が空いているか心配だったが、どうにかOKだった。少し早いけど、今日はこれからゆっくり温泉に浸り、その後は近くにある道の駅に行って、のんびり休養するつもりでいる。元湯まで少し歩いて、日本三大美人の湯と称されるその自慢の湯を味わう。もはや美人になど様はないけど、老人が少しでも若がえることが出来ればありがたい。熱くもなく、温くも無く、丁度いい湯加減の温泉だった。以前来た時は夕方で辺りが良く見えず、やたらに人が多かったことだけが印象に残っている。今日は下を流れる渓流の様子も見ることが出来て、露天風呂にもゆっくり身を沈めることが出来て満足だった。1時間余り温泉を楽しんで、車に戻る。

その後は道の駅:龍神へ。狭い駐車場で、2列しかない。道路の奥の方は桜の木が邪魔してSUN号を留められないので、道路側に駐車する。16時半となるともう夕暮れ時となる。深い山の谷に位置しているので、地デジは写らず、BSのみが頼りのTVだった。今朝下ごしらえしておいた煮物を作る。こちらの方は相棒の担当。その間にパソコンへの写真の取り入れや、ブログの基本情報の確認などで結構忙しい。17時半になって、夕食。今日はホッとウイスキーで良い気分になって、間もなく寝床の中へ。まだ20時にもなっていない。今日もまた長い夜が始まった。

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‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第9回>

2015-11-22 03:52:55 | くるま旅くらしの話

【今日(11/22)の予定】 

 吉野路大淀センター →(R169・R370)→ 道の駅:柿の郷くどやま →(R370・R409)→ 高野山参詣 →(R371)→ 道の駅:田辺市龍神ごまさんスカイタワー →(R371)→ 龍神温泉 → 道の駅:龍神(泊) 

 

【昨日(11/21)のレポート】   

<行程>

 道の駅:宇陀路大宇陀 →(R370・R166・R169)→大神神社参拝 → 山の辺の道散策 → 大神神社駐車場 →(R169)→ 道の駅:吉野路大淀センター(泊) 走行37km

<レポート>

天気:晴れ

大宇陀の道の駅は駐車場の拡張工事中で、今のところ狭いためSUN号が割り込むのは困難な状態となっている。昨夜は少し離れた広場の第2駐車場に泊ったのだが、特に何の問題も無かった。この道の駅には何度も泊ってお世話になっているので、これから新しい駐車場が出来上がるのが楽しみだ。

朝、朝食の準備をしていると、訪問者があった。前回ここを訪れた時に、比較的近くにお住まいのHさんから旅車のことについてのご相談を受けて、ご夫妻にお越し頂いたのだが、そのHさんのお顔がそこにあった。今朝のブログをご覧になって、ここに泊っているのを知り、急遽訪ねて来られたのこと。嬉しい。実は昨日ここへ来る途中の道で、Hさんのことを、どうされているかな、などと相棒と話していたのだった。まさか、訪ねて来られるとは夢にも思わなかったので、嬉しさは後になって層倍した。その後のくるま旅について伺ったりしたのだが、今は奥さんの勤めのこともあって、近場中心に時々遠出の旅を楽しんでいらっしゃるとのこと。ご主人の方は、菜園にも力を入れておられると、採れたての野菜類を頂戴して恐縮した。早速朝食の食卓に載せて、その新鮮さを味わわせて頂いた。まだまだお若い方なので、これからいろいろ工夫されて大いにくるま旅を楽しんで頂きたいなと思った。ありがとうございました。

さて、今日の予定は、先ずは重伝建指定地区のある近くの松山エリアを散策し、その後は桜井市の大神神社に参拝した後、山の辺の道を少しだけ歩くことにしている。その後は桜井市内で買い物をして、明日の高野山参詣に備えて近くの道の駅に厄介になるつもりでいる。ということで、重伝建地区へ向かう。ここにはもう何回も足を運んでいるので、写真を撮る必要もないくらいである。森野薬草園というのがあり、そこで売られている吉野葛を買うのが主な目的なのである。1年ぶりに古い町並みの中を往復する。いつもお邪魔する奈良漬のお店は戸が閉まっていた。相棒の話では、このお店は道の駅にも品物を出しているので、後でそちらで手に入れるとのこと。造り酒屋さんが何軒かあるのだけど、今日は素通りしただけで、買うのは遠慮した。日本酒は美味いので、どうも飲み過ぎてしまい、後日の検査に影響しやすいので自粛することにしている。

10時近く、大神神社に向かって出発。大神と書いて「おおみわ」と読む。地元の方なら誰でもの常識なのだろうけど、知らないと「おおかみ」と呼んでしまうので、必ず一度だけ読みのルビを書くことにしている。大神神社は、三輪山という東に構える穏やかな山がご神体である。何故この山がご神体なのか、いろいろあるようだけど、見る限りでは、そう特別な山には見えない。古代より深く信仰されているのであるから、やはり太陽信仰と関係のある山なのかもしれない。相棒が何やらそのようなことを解説していた。車を駐車場に入れようとしたら、広い駐車場はもう既にかなりの混みようだった。何か特別な行事でもあるのかと思ったが、思いつかなかった。参道には出店も並んでいて、その近くの駐車場も車であふれていた。少し行くと七五三の参詣なのか、小さな子供を連れた何組かの集団に出合った。とにかく休日でもあり、ここは人気スポットの一つなのだなと思った。先ずは拝殿の前で柏手を打って、旅の安全などを祈願する。

    

大神神社駐車場から見た三輪山。この神社に参詣する人のどれくらいがこの山が神社のご神体だというのを知ってるのかと思ってしまうほど、気付かせない山の感じがする。

    

大神神社拝殿。今日の参拝者の中には、山の辺の道を歩くグループの人たちも多く混ざっていた。相変わらずの賑わいである。

その後は山の辺の道を天理市の方向へ向かって行けるところまで往復することにして出発する。何年か前までは、天理市にある石上(いそのかみ)神宮まで歩き、帰りはバスや電車などを利用して戻ったりしていたのだが、相棒が大病を患って以降は、無理をせぬように、行けるところまで行って戻ることにしている。今日は絶好のハイキング日和とあってか、この道を歩く人が超多かった。勤めや仕事を卒業した世代の人が殆どのようで、まるで熊野詣のありの行列のように、後からあとから引きもきらさず新しい人が続いていた。この道は結構きつい坂もあるのだが、それらがちょうど程よくバランスがとれていて、道脇には名所旧跡も多く、又100円を料金ポスト入れると、袋に一杯入ったミカンや柿などをゲットすることが出来る無人、有人の販売所が随所に設けられているのである。

    

山の辺の道。奈良時代の太古から続き残っているこの道には、一体どれほどの人々の足跡が刻まれているのだろうか。

   

山の辺の道から見た大和平野の遠望。その昔のここを通る人々も、平野に広がる人家から立ち登る炊煙を遠く眺めたのかもしれない。

    

無人販売所。細い道の随所にミカンやカキなどの果物類や野菜類などを並べたこのような販売所があり、嬉しい。

30分ほど歩いて、桧原神社の少し先のみかん畑の所まで行って、そこの近くにあるお店でミカンを買って、引き返すことにした。前回は、相棒はここまで来ることができず、ずっと手前の地点から引き返したのだが、今回はそれをクリアーできて、まずは良かった。帰路も相変わらずの人の行列で、この道が人気のコースであることを感じさせられた。もう10年前以上からこの道を歩いて来ているけど、今、これほど人気が出るとは思いもよらなかった。ま、熊野古道が有名だけど、この道の方がそれよりも200年も古い道なのだから、心ある人には踏みしめて歩く価値のある道なのだと思う。12時少し過ぎに車に戻る。

この後は、相棒中心の時間の過ごし方となる。というのも、ここへ来た時は参道わきにある布を扱って手づくりの小物などを作っておられるお店の方と話をするのを楽しみにしているからである。そのお店の方は、休日以外は不在の時が多いのだが、今日は休日なので在宅されているのを先ほど確認していたようだ。昼食の後、いそいそと出かけて行った。自分の方は特にすることもないので、パソコンに向かいブログの原稿を書いたり、これから先の行く場所の情報をネットで調べたりして時間を過ごす。時限を区切らないと相棒の話は止まるところを知らないので、15時までと念を押しておいた。

あっという間に時間が過ぎて、時計を見たら14時半となっていた。良い天気で外は日射しが厳しい。15時までに戻るかなと、そろそろ門限(?)が気になりだす頃、珍しく15分も前に相棒が戻って来た。何やら貴重な古布を頂戴したと、興奮気味に嬉しそうな顔をしていた。どうやらいい話が出来たようだった。一息入れて出発する。

まずは近くの桜井市内のショッピングモールに行って、水やセーターなどを買わなければならない。飲料水が少なくなって来ているし、セーターはうっかり持参するのを忘れて来てしまっている。勿論その様なチョンボは自分の為せる業である。チェックをしているつもりが、部屋着のセーターを入れるのを忘れてしまったのだ。これから早朝の車内はかなり寒くなってくるので、セーターは必要なのだ。無駄遣いとなるけど、仕方がない。ユニクロがあればと思って行ったのだが、見当たらなくて、別の店で手に入れた。給油を済ませた後、道の駅:吉野路大淀センターに向かう。もう少し先の九度山の道の駅まで行こうかと思ってもいたのだが、橿原市内の道はかなり渋滞していて、大淀に着く頃は日が暮れ始めていたので、泊りは大淀にすることにした。16時半近くに着いたのだが、ここの野菜売り場は人気があって、ひっきりなしに車が出入りしていて、なかなか思う通りの駐車場所が空かなかった。17時になって閉店の音楽が流れ出すと、陳列されていた野菜類を持ちかえる農家の人たちが一斉に軽トラなどで乗り付けて、あっという間に野菜類は持ち去られてなくなり、駐車場も数台を残してガラ空きとなった。ようやく車を思った場所に移動させる。ここには水を汲む場所やゴミ箱もあり、泊りの者にはありがたい場所である。

夕食は簡易に済ます。相棒は途中で買ってきた柿の葉寿司を肴に、今夜は女城主の気分になって、岩村町の造り酒屋で買ってきた銘酒「女城主」を飲んでいた。普段から女城主であることを忘れたような振る舞いには、ただ敬服するだけである。こちとらは安い焼酎を枇杷茶で割って飲む。飲んでしまえば皆同じなのだが、酒というのは、やはり何をどう飲むかが大事なのであろう。この頃はそれを忘れた飲み方になっている。ま、ええか。

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‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第8回>

2015-11-21 03:13:30 | くるま旅くらしの話

【今日(11/21)の予定】 

 道の駅:宇陀路大宇陀 →(R370・R166・R169)→大神神社参拝 → 山の辺の道散策 → 大神神社駐車場 →(R169)→ 道の駅:吉野路大淀センター(泊)

 

【昨日(11/20)のレポート】   

<行程>

 道の駅:ラステンほらど →(R256他)→ 各務ヶ原IC →(東海北陸道・名古屋高速道・名阪道)→ 亀山IC →(R1)→ 道の駅:関宿 →(R1・名阪国道)→ 針IC →(R369・R370)→ 道の駅:宇陀路大宇陀(泊) 走行195km

<レポート>

天気:雨のち午後晴れ

昨夜の道の駅の泊りは我々だけで、夜遅くなって大型のトラックが2~3台やって来て、エンジンを掛けっ放しで留っていた。それでも安眠を邪魔されることはなく、たっぷりと睡眠をとることが出来た。家を出てから1週間が経ち、身体の方も旅くらしのペースに馴れて来ているのであろう。出発の頃は咳が出て煩わしかったのだが、それも引っ込んだようで、今のところ体調は先ず大丈夫と言ってよい。相棒も元気なようなので、このまま続いてくれれば良いと思っている。朝の3時頃に目覚めて起き出し、ブログを書いていると雨が降り出したらしく、天井が俄かに騒がしくなり出した。昨日までの予報では、今日は晴れ時々雨となっていたのだが、早くもその雨のサイクルがやって来たのかなと思った。しかしその後一向に雨は止まず、朝食が終わっても雨の勢いは変わらない状況だった。今日は珍しくロープウエイを使っての岐阜城の観光を予定していたのだが、これじゃあ上に上がっても見晴らしは利かず、意味がないので、取り止めることに決める。天は観光などしないで、もっと重伝建や歴史の名残りの探訪などに力を入れろと言っているのかなと、思ったりした。

ということで、岐阜の観光は取り止め、それでも岐阜市内は通ったことがないので、一度通って見ることにしてその方向に向かう。R256は市内を通るので、そのまま道なりに進むことにした。市内に入る少し手前に予定していた金華山へのロープウエイ乗り場があり、良い天気ならばここで道草が出来るものをと少し残念に思った。一度はあの絶壁の上にそそり立つ城の上から天下を睥睨してみたいものだと思っている。今回はあっさりそれを不意にされてしまった。岐阜市内はさすがに広くて、ナビの指示のままに何処をどう走っているのかも判らぬ内に、ようやくR21に出ることとなり、そこからは各務ヶ原のICを目指す。岐阜市内に入った頃から再び雨勢が強くなりだした。

高速道に入って、少し走って一宮木曽川ICで下りてほんの少し一般道を走ってから、名古屋高速道に入る。ここからは次の目的地である亀山市の関宿までは高速道路の走行となる。久しぶりに走る名古屋高速道だった。伊勢湾岸道が出来るまではこの道をよく利用させて貰ったのだが、少し狭いので何となく窮屈な気分で走っていたのを思い出す。伊勢湾岸道の方が遥かにゆとりがあって走り易いのだが、こちらの方は海沿いのため風がある時はSUN号の様な図体の車には負担が大きい。でもこの頃はいつも伊勢湾岸道の方を利用している。しばらく走って東名阪道に入り、御在所SAで昼食休憩。もう雨はすっかり上がり、ピカピカのお天道さんが輝く青空となっていた。もしかしたらこちらの方は朝からこのような天気だったのかもしれない。昼食を済ませた後は、20分ほど走って亀山ICから下りてR1に入り、間もなく道の駅:関宿に着く。

関宿を訪ねるのは2度目となる。初めて訪ねた時、これは宿場町の見本となる場所だなと思った。いろいろ幾つものタイプの宿場町を訪ねているけど、この関宿ほど往時を残した宿場町としての町並みが残っている所はないように思える。東追分と西追分と、東西約2kmに及ぶ細長い町の形成は、緩やかな坂道の両側に旅籠を初め、寺院や商家などが櫛比しており、壮観だ。東海道の47番目の宿場町とのことだが、上りの旅人は間もなく都に着くという思いで胸を膨らませて足取りも軽くなっていたのに違いないし、下りの人たちはようやく旅に慣れ出した足を労わりながら、一夜を過ごしたのであろう。そのような情景が自然と浮かんでくるような宿場町の面影を湛えた景観である。今回も西の追分から東の追分までを往復して歩きを楽しんだ。最後に前回と同じように同じお茶を売る店で伊勢の番茶のお袋詰めを買った。1年分の番茶である。これは糖尿の病持ちにはありがたいお茶なのである。

    

東海道関宿西追分の景観。いかにも宿場町らしい建物が道の両側に櫛比している。この奥の方が京都側となる。

    

東西追分の丁度中間くらいの場所に高札場がある。今はこの裏が郵便局となっている。

    

東追分の景観。この辺りは比較的新しい建物が多いようだ。この坂を下った先の入口に、伊勢神宮の遷宮時にから払い下げられた材木を使った鳥居が建っている。

相棒の行動は良く解らない。彼女の町の探訪は自分のように町並みだけを眺めるというのではなく、より細密に建物の構造とか飾りだとかを調べたりしているので、写真を撮ったりするにも時間がかかるのである。それに途中で気にいった店などがあると、そこに入り込んで話しこむという習性があるので、自分などはとてもついては行けないのである。今回も2時間以上も何処やらを歩き回っていた。自分は少し早く車に戻ってパソコンに関わっていた。

15時過ぎ、今日の宿は宇陀市にある道の駅:宇陀路大宇陀とすることにして、関宿を出発する。R1から直ぐに名阪国道(=R25)に入り、この道を1時間ほど走り、針ICで下りてR369、R370と辿って、16時少し過ぎに道の駅に到着する。いつもの場所に車を止めようと入って行ったら、何と工事中で、満車に近い混み具合だった。これではゆっくり出来ないので、少し離れた第2駐車場の方に移動する。夕食は道の駅で買った柿の葉寿司と焼き鯖寿司など。少し豪華である。風呂に入る予定だったが、案の定、歩き疲れてオーバーヒートした相棒は、気分が悪くなるので入浴は敬遠するとのこと。となれば、為すべきことは一つだけ。夕食を済ませて寝床に入るだけ。相棒はその後も起きていてTVなどを見ていたようだが、こちとらは早や白川夜船。今日はこれで終わり。

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