山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第9回>

2013-05-31 06:36:08 | くるま旅くらしの話

【今日(5/31)の予定】 

  道の駅:ちはやあかさか →(R309・K30)→ 高鴨神社 →(K30・R24他)→ 橿原神宮方面へ(詳細未定)

 【昨日(5月30日)のレポート】  

<行程>

道の駅:あいとうマーガレットステーション →(R307→ 信楽・樋口製茶 →(R307・R24・K30)→(奈良市内他パス)→ 御所市郊外・一言主神社 →(K30・R309)→ 道の駅:ちはやあかさか(泊)

 <レポート>

 ここの道の駅は、思っていたよりもはるかに良かった。夜間も多少の車の出入りはあったけど、大した騒音もなく快眠を得ることができた。昨日は着いた後2時間ほどブログ書きに集中したため売店の様子などは知らないのだけど、相棒の話ではマスクメロンを始めいろいろな農産物や加工品などが並んでいたとか。開店は9時からだという。楽しみである。その前に少なくなっている水槽の水を満たしたりした。昨夜は雨は降らなかったけど、いつ降り出してもおかしくない雲の多い空が、今日も腰を据えて見下ろしていた。水を汲んでいる途中から雨が降り出し、路面を濡らすほどの降りとなった。

 今日は売店を覗いた後は、先ずこのR307に沿って甲賀市の信楽町に向かって走り、宇治田原町に近いところ辺りにある樋口製茶という所に行き、お茶を買い求める考えでいる。信楽といえば、タヌキの焼き物で有名だけど、これを買って我が家に連れ帰るという考えはない。小さなものを一つくらいなら愛嬌になるのかもしれないけど、いいのがあるかな、などと思ったりしている。紫香楽宮跡は前回この道を通った時に訪ねているので、今回はパスすることにしている。その後宇治の平等院に寄ってみようかなどと考えたけど、それよりも出来上がって以降まだ訪ねていない平城宮跡を訪ねてみようと思っている。その後は、平群の道の駅に行って泊ろうかと思っているのだけど、もし時間に余裕があれば先に久しぶりに法隆寺に参詣したとも思っている。どうなるかは、お天気と車の流れと、駐車場次第である。

 ということで、9時過ぎ売店の開店を待って中に入る。良質の野菜類などが豊富に並べられていた。どれも魅力的だけど、いっぺんになっても食べきれずにダメにしてしまうので、キャベツ、ソラマメ、スナックエンドウ、トマトなどを買った。マスクメロンには大勢の人が群れていたけど、自分たちは遠ざかった。その他に豆腐などを買って、出発する。

 R307は京都の宇治市の方に通ずる道で、途中に焼き物の里の信楽がある。ひたすら走り続けて、その信楽の町に入るとたくさんのタヌキの焼き物君たちが出迎えてくれた。タヌキの他に動物ではガマガエルやフクロウなどもあったが、何といってもメインはタヌキ君である。素通りするのも何だとちょっと立ち寄り何軒かの店を覗いてみた。家の門の上に置きたいなと思い、小さな貫禄のあるものをと探したのだったが、多くのタヌキ君たちは皆どれも可愛く作られていて、門の上での魔よけの役割には無理の様な気がして、結局連れて帰ることにはならなかった。これで結構時間を食い、本命の樋口製茶さんに就いたのは、12時少し前だった。

 昨日相棒が聞いた話では信楽のお茶ということだったので、どんな場所なのかなと思っていたのだが、この辺りは朝宮茶という近江茶の名産地なのだった。隣が宇治田原町や和束町で、こちらは宇治茶の生産地となっているけど、お茶の栽培風土としては、ほぼ同じような地形にあるようだ。どちらのエリアも琵琶湖の恩恵を受けてのお茶の栽培が成り立っているとか。樋口製茶の場所が判らなくてうっかり行き過ぎてしまい、慌てて戻ってようやく発見する。R307の道脇にあるのかなと思っていたら、ちょっと脇の筋にあったのだった。

   

下朝宮にある樋口製茶の工場家屋。R307沿いなのだが、信楽から宇治に向かう右手の細い道を入った所にあった。

 樋口製茶の樋口さんは、大変お茶の栽培や飲み方に関して造詣の深い方で、その後自慢のお茶を何種類か淹れて頂き、いろいろなお話を伺いながら味わわせて頂いた。柔らかな甘さと風味があり、淹れる湯の温度によって、微妙な味わいの変化があった。樋口さんは兄弟でお茶の栽培をされておられるとかで、この店は弟さんが担当されていた。店は製茶工場の一部にあり、店らしからぬ素朴さに包まれていた。お兄さんの方は生産の方を中心に取り組まれておられるとか。弟さんの方は一人で袋詰めやら包装やら、お客さんとの応対やらとてんてこ舞いの毎日なのだと話されていた。この店を知ったのは、昨日相棒が栗東の道の駅で、駅長さんや店の方から紹介して頂いたのがきっかけだった。面白い不思議な出会いだなと思った。

   

樋口製茶の樋口さん。笑顔がさわやかな方である。左の棚の中には高価なお宝類の茶碗や壺などが無造作に置かれていた。

 樋口さんはとても話好きな方で、自分で話ししながら、時々我々の方に話の突っ込みを催促されるなど、機転の利かない関東人を少々もてあまし気味のようだった。相棒も大抵の方との会話では、話負けのしないタイプなのだけど、樋口さんとの会話では圧倒的な敗北だった。遠からず日本国はTVだけではなくあらゆる分野で、関西人に占有されるに違いないなと思った。樋口さんのおっしゃっていた言葉の中に、「出会いが大事」というのが何回も出てきて、さすがに一期一会のお茶の精神を習得された方なのだなと思った。店の棚の中には人間国宝やそれに近い作家の茶碗などが無造作に並べられていて、ざっと説明を受けたのだけど無粋の極みのような自分には、その違いなどを見分けることは到底不可能なことだった。若いころに東京で暮らしたことがあるという樋口さんの話の中には、多くの芸術家の名前が飛び出すことからも、いい経験をされていたのだなと思った。

 お茶の他に樋口さんの考案による「ぼっかけ急須」というのがあった。勿論お茶を淹れて飲むための急須なのだが、これには蓋がなく、注ぎ口の所が二重になっており茶葉が外へ出ないように工夫されているのである。お茶の急須の場合は、蓋をすると茶葉が詰まってしまって、なかなか気分良く淹れるのが難しいのだけど、この急須だとよりスムースに扱うことができるという。また熱湯の温度管理にも適応しているとか。これは樋口さんの実用新案だとかで、紹介されている新聞記事などを読ませて頂いた。この急須の話を昨日聞いていたので、来る途中の信楽焼の店で探したのだったが、見つからなかったのである。それもそのはずで、今のところはここの店だけで販売されているとのこと。さっそく2個を買い入れた。お茶の方も高品質の物をリーズナブルな価格で手に入れることができ、相棒は大満足だった。とにかく、樋口さんの話術に圧倒されてしまって、さすがの相棒も脱帽の体だった。

 その後は、更にR307を辿って井手町の辺りで木津川の堤防を走るR24に出る。これを左折すれば奈良方面に行くことになるが、その角にコンビニがあったので、そこでお茶を淹れて昼食とする。ここまでは今夜の泊りを平群町の道の駅:大和路へぐりにしようかと考えていたのだが、その前に平城宮や或いは斑鳩の法隆寺を訪ねるのもいいなと、大いに迷っていた。平城宮は復旧が済んで以降まだ行ったことがなく、法隆寺も久しぶりのことである。しかし、平群の道の駅は鉄道やトラックなどで喧騒なことは解っており、それに以前泊った時には、近所で布団叩きの棒のようなものを持ったおばさんが喚きながら騒いでいたという事件もあり、やっぱりここは敬遠しようということにした。昼食をしながらの結論である。その代わり平城宮も法隆寺も今回は寄るのをやめ、少し先の御所市の郊外にある一言主神社に参詣し、その近くにある道の駅:ちはやあかさかに泊ることにしょうと決める。

 それからあとは、ひたすらR24を進む。ナビを頼ったら、変な道をガイドされてしまったりして、その後は意地で無視してR24の案内板だけを頼りに進むことにした。結果的にこれで渋滞のエリアばかりを通ることになり、大いに時間をロスしてしまい、御所の街に入った時は16時近くになっていた。

御所市は大和朝廷の生まれる前から葛城氏、加茂氏、巨勢氏などの豪族が支配していた古い由緒ある土地であり、何年か前にここであるキャンピングかクラブの大会に参加させて頂いたときに、街中を縦横に歩き回り、幾つかの知識を得ていたのである。その時思ったのは、大和朝廷なるものは、これらの豪族たちとの融合で出来上がっているのではないかということだった。真偽は解らないけど、古代史に推測や憶測の夢を描くのは素人なりに面白いことではある。京都の下賀茂や上賀茂などの神社は、御所の加茂氏(=鴨・賀茂)のご先祖様を祀ったものであり、御所にある高鴨神社などの方がはるかに古い由緒を持っているのである。いわば本家という存在であろうか。

もう一つ御所に親近感があるのは、一言主神社の存在である。一言主神社というのは一言の願いをかなえてくれる神様とか言われるもので、御所の葛城山麓にあるのがその本社で、我が住まいのある守谷市の隣の常総市内にもその分社がある。これが結構近隣の人気を集めており、関東の特に千葉県を中心とした信者というのかお年寄りのからの参詣が多い。我々も時々骨董市などに出かけている。そのようなこともあって、なんだか親戚の様な神様なのである。以前にも2度ほどここにお参りしたことがあり、今日は3回目の参詣となった。常総市の神社の建物の方が大きくて立派な感じがするのだけど、こちらの本家はその背後にどっしりと構える葛城山や、金剛山を控えており、貫禄充分である。16時を過ぎてしまって、境内には誰も見えなかったけど、今日は特段の願い事もなく、穏やかに拝礼をしただけだった。

   

一言主神社の本社の拝殿。格式は高いのだけど、そのようなことはそぶりにも見せない、どっしりと安定感のある神様の存在だった。多くの人々のわがままな願いごとを聴き続けてきて、今もなおそれを淡々と続けておられるのであろう。そんな雰囲気に包まれていた。

その後は今夜の宿の道の駅:ちはやあかさかへ。11kmほど離れている場所で、すぐに到着。16時半丁度だった。このころから急に空が暗くなり、雨が降り出した。そのたどたどしい光を頼りながら、ブログを書く作業に取り掛かった。しかし途中で電気が足りなくなって警告のブザーが鳴りだし、落ち着かないことおびただしい。帰ったら、何とかしなくっちゃあと思いながらの焦りの時間帯だった。明日は予報では晴れるということなので、ソーラー君の活躍に期待したい。今日も日の沈むのと共に寝床に入るという一日の終わりとなった。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第8回>

2013-05-30 06:26:43 | くるま旅くらしの話

【今日(5/30)の予定】 

  道の駅:あいとうマーガレットステーション →(R307)→ 信楽・宇治田原町方面へ(詳細未定) 

 【昨日(5月29日)のレポート】  

<行程>

道の駅:アグリの郷りっとう →(R1・307.R477他)→ 滋賀農業公園ブルーメの丘→(K477・R8他)→ 近江八幡市内あきんどの里駐車場(市内散策) →(K2他)彦根市内かんぽの宿(入浴)→(R8・R307)→ 道の駅:あいとうマーガレットステーション(泊) 

 <レポート>

夜来の雨は少しも衰えることなく朝まで降り続いていた。朝になってからの方が却って強くなったようにも思えた。昨夜は新幹線の傍であることの失敗に気づいたのだったが、近くを通過するたびに空気を揺るがす回数は予想をはるかに超えて多く、如何にこの鉄道の運行ダイヤが密集しているのかを思い知らされた。5分間隔もないほどの混み具合で、これじゃあ何かあったら大変なことになるなと思った。しかしそれらの騒音にも慣れてくると、それほど苦労しなくても眠りがやって来てくれたのは幸いだった。

朝は、相棒の情報では8時から朝市が開かれるというので、この雨の中じゃあ大変だなと思ったのだが、8時になって店の方に行ってみると、朝市の人というのは、いつもは売店に納品している農家の人たちが販売の練習をしている程度の集まりであって、市と呼ぶには少し無理のあるような品ぞろえと販売の仕方だった。ここには野菜類をはじめ、農産物や琵琶湖でとれる魚などの加工品等も多く販売されていて、琵琶湖名物の鮒ずしなどもあるというなかなか魅力的なアグリの里なのである。昨日は到着してすぐに取り立ての特大の玉ねぎをゲットしている。今のところ鮒ずしなどを買うと、またまた酒が欲しくなったりするので、我慢して抑えることが肝心なのである。とにかく欲しがらないように努めたのだった。

相棒がなかなか戻ってこないのでどうしたのだろうと思ったら、自転車で日本一周にチャレンジしている若者を捕まえて話込んでいたのだった。その若者は、福岡の出身で、以前我々が住んでいた場所の近くの出身で、千葉にも住んでいたことがあるとか。それで話が長くなったらしい。又彼と話をしていたら、買い物に来た別の女性が、こちらは福岡の井尻という、我々の持ち家のある場所の出身だとかで、若者との会話を聞いていて話の輪の中に入ってこられたりして、なんだか大ごとになりかけていたようだった。ま、いろいろな人との交流は、外交官役の相棒の役割なので、せいぜい頑張って励まれたらいと思う。だけど時間無制限というのは止めるようにして欲しいものだと思った。

さて、今日の予定だが、あまりはっきりしていない。雨降りだし、どこへ行っても歩き回るのは無理のようなので、静養日としてもいいのではないかとも思っている。とりあえず、昨夜TVを見ていたら、近くの日野町という所に北山茶というのを作っている方がおられて、それを滋賀農業公園ブレーメの丘という所で販売しているという情報を得たのだった。今回の旅では、我が家の1年分のお茶を宇治を中心とする関西で買い求めようというのが相棒の計画なのだそうで、この北山茶はなかなか良さそうなので、今日は先ずそこへ行ってみようということになった。勿論昨日TVを見るまでは、まったく考えもしなかった場所であり、初めての場所なのである。更に相棒の話では、今日売店の人たちに北山茶の話をしたら、信楽の方にもっとおいしいお茶を作っていつ人がいるというのを紹介されたとか。お名前と住所まで教えて頂いており、こちらの方は明日訪ねてみようということになった。

それから一つトラブルが発生した。今朝ブログを書いていたら、バッテリーの容量が不足したのか、警告のブザーの様な変な音がして、慌ててインバーターのスイッチを切ったのだが、その後回復したようなのでTVを見ていると今度は赤ランプがついて、画面が消えるという始末になった。雨が降って昨日はソーラーも効かなかったのだとは思うけど、結構走ってはいるのである。計3個もバッテリーを積んでいるのに、この程度でギブアップするとは、何か問題があるのかもしおれないなと思った。自分は全くの電気音痴で、何が不具合なのか見当もつかない。今すぐにどうこうはできないので、帰宅してから専門家に見て貰うことにした。これからしばらく曇天などが続くようなので、ブログの記事書きもセーブする必要があるなと思った。また、TVもラジオに切り替える必要があるかもしれない。厄介なことではある。

9時半ごろ農業公園に向けて出発する。途中何度か道を間違える。持参した地図は10年以上も前の物だし、取り付けてあるナビは倅のお下がりの古いものなので、現実の道路のデータと一致しない場所もあって、印が空を飛んでいるような箇所が何回か出たりしているのである。こりゃあまずいな、せめてどちらか一方は最新のものにしなければダメかなと思った。それでも何とか目的地に到着する。ここは花の名所でもあるらしいけど、今は特に目立つものは咲いていないとか。農業体験は家でやっているので、今回はとにかくその北山茶を手に入れることだけにした。店の方もTVのことは知っており、新茶の袋についてちゃんと説明してくれて安心したようだ。明日のこともあるので、少なめに買い入れたようである。買い物が終わると、すぐに車に戻り、次はとりあえず近江八幡へ行ってみることにした。ここへは何度か行ったことがあり、八幡堀などを歩いたこともある。歴史の名残を垣間見ることができる古い町であり、何度行っても飽きることはない。その後彦根のかんぽの宿に入浴することにして、そのための繋ぎの時間を近江八幡で過ごすことにしたのだった。

11時40分に観光案内所の拠点の一つの「あきんどの里」という所の駐車場に車を入れる。相棒は先に出かけて行ったが、自分は昼食を済ませての出発となった。相棒は何か獲物を探して行ったようだけど、見つからずに戻って軽食で済ませていた。一緒に行った方がいいかなと、自分は傘持ち役となって出掛ける。幸い雨はずっと止んでくれていて、傘持ちは役立たずだった。八幡堀の下の道を歩きながら写真を撮る。今日は遊覧の舟は休みのようだった。遠足らしき中学生が飛び跳ねていた。まだ子供なのだなと思った。老人は跳ねる気力も体力もない。少し歩いて、日牟礼八幡神社に参拝する。能舞台を備えた立派な神社である。その後は、日野菜漬の店や近江牛の店に寄り買い物などをしたが、近江牛は手が届かずコロッケにとどまった。今回も先回と同じ結果となった。相棒にはなかなか叶わぬ夢のようである。自分の方は肉類にはさほど関心も執着もない。1時間ほど歩いて車に戻り、彦根のかんぽの宿に向けて出発する。

   

近江八幡市・八幡堀の景観。この町は豊臣秀次が町割りをしてつくられたとか。秀次はその後伯父に命を奪われることになる。戦国時代の人間の生きざまは恐ろしいほどだ。しかし、今の時代には、この町にその歴史の汚点のようなものは何も残されてはいないようだった。

琵琶湖の湖畔近くに広がる広大な田園地帯を走って、間もなく彦根市郊外に入り、更に彦根城を見ながら湖畔に出て、少し行くとかんぽの宿があった。千の松温泉というのが正式の呼び方なのか、そのように書かれていた。建物は直ぐ後ろが琵琶湖であり、浴場は6階に造られており、そこからの景観はなかなかのものだった。お湯の方も柔らかな泉質で十分に満足した。何しろただで入れているのだから、ありがたいことである。1時間ほど温泉を楽しみ、車に戻る。

今日の宿は、明日のことを考えて信楽に通ずるR307沿いにある道の駅:あいとうマーガレットステーションを予定している。ここは確か初めて寄る道の駅である。彦根の市街を抜けてR8に入り、すぐにR306に左折して、その道を10kmほど走ると、R307に入る。それを更に10km近く走ると目的地があった。立派な建物が幾つかあり、駐車場も分散して広く造られており、ありがたいレイアウトになっているようだった。夜間のトラックもこれなら大丈夫だろうと思った。ここまで来る途中に湖東の名刹の西明寺があったが、明日は寄ってみてもいいかなと思った。今のことろずっと雨は止んでおり、憎たらしい雲は相変わらずだけど、明日少しでも天気が回復したら、お寺さんに行って心を清めたいなどと思っている。

旅も丸一週間が過ぎ、本格化し出しているはずなのだが、まだそのような気分からは遠い感じがしている。さて、明日はどうなるのか。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第7回>

2013-05-29 06:16:04 | くるま旅くらしの話

【今日(5/29)の予定】 

  道の駅:アグリの郷りっとう →(R8・R422・R307他)→ 宇治田原町方面へ(未定) 

 

【昨日(5月28日)のレポート】  

<行程>

道の駅:あおがき →(K7・R176他)→ 篠山市(城址他重要伝統的建物具群保存地区他散策)→(K77・R372・R9・R8他)→ 道の駅:アグリの郷りっとう(泊) 

 <レポート>

夜半から降り出した雨は朝になっても止むことなく降り続いていた。九州の方は昨日梅雨入りしたと報じられていたが、関西エリアも間もなく梅雨入りなのであろう。実感としては、今日から既に梅雨入りしたように思える。青垣の道の駅は思ったよりも車の出入りが多くて、20時過ぎても子供を遊ばせに来ている人達の声がして、安眠の邪魔をされたりした。さすがに深夜は静かで、4時に起床したころは天井を叩く雨の音だけだった。いつものように2時間半ほどブログ記事の作成に取り掛かる。まったくの書き下ろしで、推敲はおろか誤字のチエックもしていないので、心配なのだが、それをする余裕がないので仕方がない。昨日は相棒から伊根の舟屋の観光の曜日が間違っていると指摘されたが、反省する気持ちも起こらない。だんだん横着になってきているようだ。

今日は篠山に行って城跡を訪ねることと、城下町に残っている国の重要伝統的建物群の武家屋敷と商家町を見聞する予定以外は何も考えていない。このところ連日歩き回っているので、その後は早めに宿を決め、そこへ行ってゆっくりすることになるのではないかと思っている。けれどもどこに泊るかは、今のところは見当もつかない。もしかしたら京都を素通りして奈良県まで行ってしまうかもしれない。いずれにしても篠山訪問のあり様次第である。その前に今朝まで一つの問題を抱えていた。わが健康管理の重要バロメーターはは、「快食・快眠・快便」なのだが、その中で最重要視している「快便」が滞っていたのである。快眠と会食については、何の不安もないのだけど、快便だけはコントロールが難しい。快食と快便は、食べ物の入口と出口に係る問題で、何でもそうだけど入口を間違えると出口がトラブルのである。今回はどこかでその入口の入り方を間違えたようで、道の駅:山中温泉ゆけむり健康村に泊った翌朝にトイレ急行便に見舞われ、何往復かしたのだったが、このような場合はその後で快便が失われるケースが大なのである。今回も同じ状態となってしまった。その後2日間まったく音信沙汰無しで、それまでは規則正しくやって来ていたものが、どこかへ消え失せてしまったのだった。薬を飲んだりしてあれこれやってみたのだけど、まったくその気配無しだった。相棒はまだ出口に至るほど食べていないんじゃないのとか言っていたけど、2日間何も食べなかったわけではないので、やっぱりおかしいと気になるのである。というのも自分の父親は、便秘が昂じて小腸が破裂するという病というか事故の様なものに見舞われて、その結果1年以上も入院して命を失っているので、整腸の失敗が気になるのである。そんなことでこの2日間はちょぴり不安を抱えていたのだが、それは全くの杞憂だった。朝食の後にお呼びが来て、その場所に行くと、何の苦労もなくどっさりとプレゼントがもたらされたのだった。こんなことでオタオタしている自分が情けなくなった。案外相棒の指摘が当っていたのかもしれない。いやはや、朝からこんな話で失礼しました。

さて、雨降りである。予報では今日は終日の雨ということであり、明日も明後日も天気は雨模様ということであるから、これから先しばらくは見聞とか歩きとかは傘が必要となりそうである。時には静養も必要かもしれない。旅はやはり少なくとも雨は降らない方がいい。そのようなことを思いながら、出発の準備をする。青垣の道の駅は、今日は定休日の様で、野菜の販売なども行われないようだ。雨の中にいつまでもここにいても仕方がないので、8時半過ぎ篠山に向けて出発する。道案内はすべてナビ任せにした。本来ナビ無し主義なのだが、この頃は大判の地図が発行されなくなってきていて、地図帳を買おうとすると細かな区分図ばかりなので、それをつなぎ合わせて見るのが面倒なのである。それで10年以上も前に買った大判の地図帳を持参しているのだけど、時々道が違ったりするので安心できない。ナビもなかなか信用し難い所があるのだけど、時々は使ってみようということになる。とにかくナビ任せとした。

幸いにとんでもない山道に入ることなく、多少の狭い道を通ることもあったけど、無事に篠山城址に到着することができた。駐車場もすぐそばにあって、何の心配もなかった。しかし、初めて来た場所であり、東西南北の感覚も働かない。雨は止んでいるけど、雲は厚く太陽の位置などさっぱり判らないのである。すぐそばに城址が控えており、そこへ行って見れば大体の見当がつくだろうと、駐車場の管理者の人から町の観光案内の簡単な絵図を貰って、城への入口に向かう。駐車場は三の丸跡に造られているようで、すぐそばには水を湛えた堀がめぐらされていた。石垣が見事だった。その石垣に守られた正面の登城口を上って、中に入る。大きな建物が再現されているのは大書院とのことだった。ここには入らずに、本丸や天主跡などをぐるっと散策した。篠山城は青山家の領したもので、最終の石高は6万石だったとか。城址の中に青山神社というのが祀られていた。何人かの名君と言われた方の顕彰碑の様なものも建っていた。初めてなので、詳しいことは解らないけど、この城は徳川家康の指示でつかられたものだとか。規模はそれほど大きくはないけど、しっかりとバランスの保たれた往時のモデルの様な造りの城だった。篠山といえば、デカンショ節が有名だけど、猿がたくさん住んでいる、とんだ山の中の町ではないかとずっと思っていたのだったが、実際に来てみるとかなり広い盆地で、城跡の四方からは城下に広がる町の景観が見事だった。何でも、現地の見聞が大事だなと改めて思った。

幸い雨はほとんど降らないようなので、傘なしで探訪を続けることにした。ここへ来たメインの目的は、城址ではなく、その城を中心にして造られてきた城下町の名残を見たいということにある。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、武家屋敷と妻入り商家の町並みを探訪することである。城跡の探訪を終えた後は、先ず武家屋敷の方を見ることにして出向く。最初は方角が判らず、絵図を見てもどうもしっくりせずに迷ったりしたけど、その内だんだんにはっきりしてきた。武家屋敷は堀の南西部側が中心に残っているよで、その多くは下級武士である徒歩の人たちの屋敷あとの様だった。従ってそれほど規模の大きい家は見当たらなかった。現在も使われている家も多いようで、なかなか昔のままというわけにはゆかず、茅葺の屋根をトタンで包んでいるものが殆どだった。やむを得ないことだと思う。個別の家を見るのではなく、むしろトータルとしても屋敷群をイメージしながらその昔の武家の暮らしぶりなどを思い浮かべるのが正当ではないかと思う。下級武士の人たちの暮らしは、相当に厳しいものだったに違いない。上級武士がこの地のどこに住んでいたのか調べたわけではないので、比較はできなかった。ざっと見ただけだった。途中で少し雨が降り出したりして、慌てたりしたけど大事には至らず、その後商人の居住地の方に向かう。少し離れており、結構な歩きだった。

    

武家屋敷内にある安間家史料館の佇まい。現在は史料館となっているけど、茅葺の様子は、往時に繋がるイメージのある景観だと思った。

商人町は、妻入り商家と呼ばれているらしい。妻入りといういうのは嫁さんが入っているというのではなく、建物の造り方のことである。妻とは建物の側面のことを言うらしい。その側面を表側にして建てられている建物のことを妻入りというのだそうだ。門外漢の自分にはさっぱりわからない用語だけど、まあ、そんなものかと思いながらの探訪だった。この手の話は相棒の方がはるかに詳しい。彼女は江戸東京建物園でガイドのボランティアをしていたことがあり、結構勉強していたので、その成果が今でも残っているのだと思う。興味や関心も一緒に残っているようである。

その妻入り商家の町並みは、武家屋敷よりもはるかに多くのその昔を残していた。こちらには住まいの現実が息づいているように思った。武士のような矜持などを持たず、素直な生きざまを大事に暮らしてきた商売の人達には、時代の変遷と住まいとの関係は乖離することなく密着のままにここまで至っているのだろうなと思った。昨日まで何やらイベントが行われていたらしく、それが終わって一息入れているのか、町並みはひっそりとしていた。町並みの中ほどの辺りに「まけきらい稲荷」という妙な名のお稲荷さんがあり、面白半分に行ってみたのだが、急坂にたくさんの朱色の鳥居が連なっているのを見て、上るのは止めて引き返すことにした。まけきらいの由来なども書かれていたが、どうやら相撲取りに化けたおキツネさんが、相撲大会で断トツで勝ち抜いたという話らしい。詳しいことは解らないけど、今の時代負け嫌いにあまりこだわらない方がいいのではないかと思っている。商家の中にはかなり古い建物も混ざって、なかなか見応えのあるものだった。ここの人たちがいったいどんな商売をしていたのかは、今一よく分からなかった。そして現在の商売も。

    

妻入り商家の町並み。武家屋敷とは違った人々の暮らしの場であったことがよくわかる景観である。道幅は6mほどだろうか、両側の建物には往時の人たちの暮らしぶりがぎっしり詰まっているように思えた。

かなり歩いた。万歩計を見ると1万3千歩を超えていた。既に12時近くになっていた。車に戻ることにして城跡の方に向かう。その途中から雨が降り出し、本降りの様相を来してきたので少し慌てた。どうやら濡れるのは免れて車に戻る。一息入れて簡単な昼食を済ます。雨も本格化し出しそうだし、まだ町の探訪には不十分なのだけど、今回は一先ずこれくらいの下見をしたつもりとして、今度来た時にはもっと計画的に探訪することにして、出掛けることにした。

さて、どうするかしばらく検討した結果、相棒が今年のお茶は宇治で買い求めたいというので、明日あたり宇治に行くことを考え、泊りは琵琶湖大橋の袂にある道の駅:びわ湖大橋米プラザか或いは栗東市にある道の駅:アグリの郷りっとうにするか迷う。結果的に栗東の方にすることにして出発。ここからは、京都の亀岡に出て、そこからR9に入り、そのまま道なりに進めばR1からR8に入って、道の駅はすぐに判るはずなので、そのルートを行くことにした。亀岡まではナビのガイドに従うことにした。

亀岡までの道は車の流れは順調で、雨は次第に本降りとなってきたけど、それほどイライラすることもなく走って、やがてR9に入る。そこから先が渋滞の連続で往生した。何しろ今日は今まで歩き過ぎた嫌いがあるので、相棒共々結構疲れが溜まっている。渋滞はその疲れを倍加させる効能があるようだった。間もなく京都市街に入って逆に流れは良くなった。京都の表中心街を素通りするのは勿体ない感じもするけど、自分的には京都のお寺の態度は気にいらないことが多い。拝観料は高いし、駐車料も高い。衆生に功徳を施すのがお寺さんの重要な役割の一つなはずなのに、妙に思いあがっている感じがして、面白くないのである。この気分がいつ解消するのか分からないけど、京都がなくてももっと歴史の古い奈良があるから、ちっとも負い目などないのである。と、まあ勝手に粋がっているのだった。

R1に入って間もなく大津市の郊外を通る。この辺りから一挙に渋滞が膨らみ出して、車はほとんど動かなくなった。この渋滞は、草津市辺りを中心に慢性化しているようで、どうにもならない。相棒はトイレにも行きたいようだし、車を止める場所もなかなか見当たらない。しばらくは我慢するしかない。20分ほどそろそろ走っている内にどうやらピークを越えたらしく、流れは次第に改善されてきた。草津の辺りで王将に寄り餃子を買う。ついでにトイレにも。餃子は今夜のおかずにするつもり。車に戻って出発して、間もなくR8に入って少しゆくと道の駅の看板があり、左折すると少し先に道の駅:アグリの郷りっとうがあった。ここは以前に利用させたもらったことがあるが、その時は場所が判らなくて困惑したのを思い出す。今回はあの時の経験が生きていて、一発での到着だった。(当たり前だ!)

雨の中の到着で、腹は空いているし、疲れも大きくなっているし、早くゆっくり休みたいのだけど、哀しい習性はさっそくパソコンを出して写真を入れたりの作業となる。電気の不要な明るいうちに面倒な作業を済ませておきたいということからなのである。この間に相棒はご飯を炊き終え、餃子を平らげて余裕の回復ぶりだった。こちとらはその後TVのアンテナをセットしようやく餃子にありつける。今夜はずっと雨降りの様である。ここへきて思い出したのだが、この近くを新幹線が走っており、それが通過するたびに風を切る音とともに爆音の破片の様なものが伝わって来て、これが結構眠りの邪魔をするということを。以前悩まされたのを今頃思い出すなんて、時既に遅しである。今夜はあの音に負けないようにしっかり眠ることにしよう。19時過ぎ寝床に入る。雨音を聞きながら一先ず眠りに就く。相棒も間もなく諦めて寝たようだった。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第6回>

2013-05-28 06:24:24 | くるま旅くらしの話

【今日(5/28)の予定】 

  道の駅:あおがき →(K7・R176他)→ 篠山市(城址他散策)→(未定) 

 

【昨日(5月27日)のレポート】  

<行程>

道の駅:くみはまSANKAIKAN →(R178・K11・K9)→ 城崎温泉(一の湯へ入浴) →(K3・R426)→ 出石町営駐車場 → 出石城下町散策 →(R426・R482・R312・R9)→ 道の駅・ようか但馬蔵 →(R9・R427・K7)→ 道の駅:あおがき(泊) 

 <レポート>

昨夜は20時過ぎに寝たのだったが、1時にはパッチリと目覚めてしまって、30分ほど我慢したのだけど、もうこれ以上は眠りは不要と判断して起き出す。ネットのニュースを見ると三浦さんが80歳でのエベレスト登頂に成功されて、無事下山したとの一項が載っていた。昨夜のTVのニュースでそれは確認済みなのだけど、「命懸けで」という言葉に心を打たれた。真に全生命を懸けてのチャレンジだったのだと思う。一歩一歩、一挙手一投足が全力を集中したものだったのだと思う。何とも凄いことだと改めて思った。このパワーは、全世界の同世代人に等しく分け与えられるものではないかと思った。今、旅に出て鍛錬不足となってしまっているけど、帰宅したらこの素晴らしいチャレンジのパワーを再注入して継続して鍛錬に励みたいと改めてそう思っている。

ニュースを見た後は、いつものようにブログの記事を書く。ようやく慣れてきてはいるのだけど、やっぱり時間はかかるものだ。昨日の出来事を一つ一つ辿りながら思いを巡らす時間は、我が反省の時でもあり、楽しみの時間でもある。昨日は丹後半島の海沿いの道を走ったのだが、少し甘く見ていたようだった。人間の記憶というのは実に曖昧なもので、十数年前に同じ道を通っているはずなのに、その道の厳しさについては全く覚えていないのである。京都府にこんな険しい海岸線があるとは!驚きである。そんな反省を含めながら記事を書き終えた時は早や5時を過ぎていた。相棒はまだ眠りの中である。

もうすでに明るくなっており、外を覗くと自分たち以外に近くの海で遊んできたのか、ウエットスーツを干して泊っているワンボックス車が1台あった。その向こうにバイクで旅をしているのか、若者がテントを畳んでいた。自分たちだけかと思っていたのだが、同宿の人たちがいたのだった。少し歩いてみようと、靴を履き替え、海側に向かって出発する。昨日見た時は遠いと思っていた海は思ったよりも近くて、鏡のように輝いていた。ここは大きな湖のような湾になっている地形のようで、津波が来ても周辺の丘などに守られて大丈夫なのではないかと思った。坂を下ると右手に神野駅とかいう案内板があったので、その方へ行ってみた。踏切を渡って少し行くと、右手に駅に向かう道路があった。まだ人通りは全くない。このような所を歩いても仕方がないなと思いながら、今日の予定の城崎温泉行のことを考えたりしているうちに、そうだ、少し早く行けば温泉街の駐車場も空いているのではないかと思った。朝湯は7時からだと知っている。相棒の調子が心配だけど、とにかく戻って相談しようと引き返すことにした。6時を少し過ぎていた。

早朝というよりも深夜からバタバタやっているので、相棒の眠りには相当迷惑をかけているのはよく理解しているつもりなのだが、こういう場合は追い打ちをかけることになる。車に戻ると、既に目覚めているようだったが、あまりご機嫌はよろしくないようだった。提案をすると、不承不承ながらもOKなので、とにかく出かけることにした。6時を少し過ぎての出発となった。初めての道なので、ナビの案内に任せることにした。昨日の海沿いの道に似た感じの県道を走って山を越え、平地に出ると円山川の水の盛り上がった流れが見え、そこに架かる橋を渡ると、そこが城崎温泉の入口の鉄道の最終駅だった。その横を通って、まずは駐車場を探すこととなる。調べておいた駐車場は、行ってみると皆機械式のものであり、図体の大きいSUN号の駐車は不可能だった。なんとなく腹が立ってきて、止めて先に行こうかと思いながら温泉街を戻っていると、途中に駐車場の案内板があるのを見つけた。大丈夫そうなので中に入って係りの人に訊いてみると、2時間で千円也の料金だという。どうやら普通車扱いはできないらしく、8ナンバーは本来もっと高いのだという。おまけしてもらっての価格だとのこと。ま、折角来たのだから我慢することにして、とにかく駐車が叶って安堵する。それにしても、名のある温泉街というのは、どこへ行ってもこの車の駐車では苦労する。もう少し何とかならないものなのか。車社会となっている今の世の中を考えて、もう少し環境整備を考えて欲しいなといつも思う。

とにかくほっとして、先ほど見かけた「一の湯」という大きな浴場に行くことにした。城崎温泉には幾つもの外湯があるけど、一の湯は一番歴史が古い湯の様である。600円也を払って、その名湯に浸る。無色透明の柔らかな湯だった。洞窟風呂というのがあり、一風情あって、こちらの方も楽しんだ。1時間ほどでもう満足して車に戻る。汗が収まるまで、しばらく温泉街の中を流れる川に架かる橋の上で風の恩恵を賜る。川の両側は車の走る道路となっているけど、50mくらいの間隔で石の橋がかけられており、その傍には柳の木が植えられて、その垂れ下がった長い葉が風に揺られて、いかにも温泉風情を盛り上げているかのようだった。何枚か写真を撮った。相棒は15分ほど遅れて戻ってきた。一の湯の番台の人と何やら話などをしてきたらしい。今朝起きた時の不機嫌な表情は消えていた。朝湯などは想定外の出来事であり、ほんとは大丈夫かなと心配していたのだけど、却って元気が戻っているようなので、今朝の作戦は先ずは成功したなと思った。

   

城崎温泉外湯「一の湯」の景観。建物は比較的新しいように見えたが、いかにも一番の歴史を誇る温泉を湛えている風格のある建物だった。

その後は、相棒が写真を撮りに出かけたりして、少し温泉街の記録を確実にして、次の目的地を出石城下町として出発することにする。出石町は、今は合併でこの城崎と同じ豊岡市となっているようである。ここからは30分ほどで行ける場所である。昔から時代小説の中で、出石の存在は知っていたのだけど、実際に訪ねたのは数年前が初めてで、今回が2度目の訪問となる。円山川の堤防と思しき場所に造られているR426を走って、間もなく出石の城址下にある町営駐車場に到着。ここの駐車場は先ほどの城崎とは雲泥の差のあるありがたい駐車場である。城址付近には幾つもの駐車場があり、その一番奥まった場所にあるためさほど混んでいない。料金も1日400円であり、人が管理しているので親切だ。明日の今の時間まで留めておいてもいいよ、と気のいい係りの方がそう言っておられた。

風呂に入ったばかりで、今朝は1時過ぎには起き出していたのでなんだか眠くなり、しばらく寝床に入ることにした。相棒は早や出動体制であり、間もなく出かけて行ったようである。その後1時間半ほど熟睡の惰眠を貪る。くるま旅だからこそできる無上の贅沢というものであろう。11時半ごろ起き出してブログの下書きなどをしていたら、相棒から電話があり、お昼のご案内などだった。出石は蕎麦が有名で、皿そばという出石焼のお皿に小分けされた蕎麦を何種類かのトッピングの具をタレに入れて食べるのである。わんこそばはお椀だけど、ここはお皿で、具の方もわんこそばよりはずっと上品である。この街には100軒を超えるほどの蕎麦屋さんがあるように聞いている。相棒は、以前来た時に出石焼のお皿を買い求め、それが気に入っており、今日はその続きを楽しみにしていたので、どうやら以前のお店に顔を出し、そこで話し込んでついでに蕎麦屋さんも紹介してもらったらしい。自分の方はもう少しパソコンの作業をしたかったので、待ってほしい旨を伝えた。

しばらくすると相棒が戻ってきたので驚いた。電話をもらってから1時間以上が過ぎていた。パソコンに気を取られて忘れてしまっていたようだ。慌てて止めて外出する。もう13時を過ぎていた。出石は戦禍に会うこともなく昔のままの建物がそっくり残っている町並みのある所である。それらは国の重要伝統的建物群に指定されている。そのこともあって、観光客も多い。しかし実際みていると観光客のほとんどは、蕎麦を食べるか町並みのほんの一角をちょいと覗き見ただけで、街中を歩く人など皆無のようだ。歩いているのは、観光バス以外の車でやってきた人のほんの一部くらいであろうか。お城の跡に上る人さえ疎らである。ま、観光というのはそんなものなのであろう。

相棒の案内のままにその蕎麦屋さんに直行する。「官兵衛」という名のその蕎麦屋さんは、落ち着いた雰囲気のお店だった。さっそく皿そばを注文する。10枚を二人で食べることにしたのだが、もっと欲しくなって、5枚追加する。トッピングの具は、本物のワサビと山芋と卵だった。ワサビは砂糖をほんの少し入れて摩り下ろすと風味と辛味が増すのだと店の方が教えてくれた。なるほど、その通りだった。二人で15枚食べても少し物足りない感じだったのだが、蕎麦湯を飲むと一気に満足感に満たされるのだった。いいお店で、美味いそばが食べられて、いい気分になって外に出る。

   

蕎麦屋「官兵衛」の皿そば。一人5枚が標準のようだけど、5枚で終わる人は少ないように思えた。食べやすいのである。

その後は腹ごなしを兼ねて30分ほど古い町並みの中をさ迷い歩いた。相棒は盛んに建物の造りについての疑問を話していたが、自分にはあまり興味がなく、よくわからなかった。立ち並ぶ建物の大半が妻とかいう造りが大きすぎる(?)とかいう疑問で、これはその後観光協会の方に出向いて説明して頂いて解消したようだった。出石は明治時代に大火に見舞われ、街のほとんどが焼失し、その後に現在の建物が造られたということで、その際に妻の大きな構造となったとかやら。詳しいことは門外漢の自分にはさっぱりわからないのだけど、大火があったという情報は、この街の建物が江戸時代よりも新しいということを知ったのだった。

車に戻り、さて今日はどこに泊ることにしようか検討する。明日はまだ行ったことのない篠山の城下町を歩いてみたいと思っている。篠山も古い城下町で、国の重要伝統的建物群に指定されている町並みが残っていると聞いている。連日の同じ種類の街の訪問となるけど、まあ、いじゃないか。それで、とりあえず少し近い場所に泊ろうかと考え、条件的には先ずは道の駅:ようか但馬蔵を選んだ。ここには何度か泊ったこともあり、比較的新しい道の駅である。行ってみて気が変われば次の候補として道の駅:あおがきを考えている。ということで、15時少し前、お世話になった出石の駐車場を出発する。

途中で給油や買い物などをしながら道の駅:ようか但馬蔵に着いたのは、15時半ごろだった。まだここに腰を落ち着けるには早い時間だなということで、次の候補地の青垣町の道の駅に行くことにしてすぐに出発する。青垣町というのは初めて聞く名前であり、今は合併してなんぞ名前が変わっているのかもしれない。ここへもナビのガイドに任せることにした。途中からR427というかなり道路番号の大きめの数字の道に入ったので、少し心配もあったのだが、実際に走ってみると確かに山道は曲がりくねって厳しかったけど、道路自体は舗装もきれいで何の心配もなかった。関西エリアの道路では、うっかり400番台の道路を走ったりすると、国道であっても離合が困難な道を通らされる可能性があり要注意である。何度か苦い水を飲まされたことがある。

青垣町の道の駅は、盆地の平たんな場所にあって、何の不安もなかった。17時を少し過ぎての到着だった。今夜はここに安心して錨を下ろすことにする。明日は雨となりそうである。梅雨入りともなるらしい。傘をさしての町並み見物もいいのかもしれない。今日も早めの就寝となる。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第5回>

2013-05-27 05:13:07 | その他

【今日(5/27)の予定】 

  道の駅:くみはまSANKAIKAN →(R178他)→ 城崎温泉 → 出石町散策(詳細未定)

 【昨日(5月26日)のレポート】  

<行程>

道の駅:シルクのまちかや →(R176・R175・R9)→ 道の駅:農匠の郷やくの →(R9・R175・R176)→ 道の駅:シルクのまちかや →(R176・R178)→ 伊根町・遊覧船乗り場 → 道の駅:舟屋の里伊根 →(R178)→ 道の駅:てんきてんき丹後 →(R178)→ くみはまSANKAIKAN(泊)   

 <レポート>

リフレかやの里の一夜は、静かで真に快適だった。自分たち以外には誰もいなかったようで、夜間の騒音も皆無で、何の不満もない。相棒の寝息や鼾(?)を耳にする前に、昨夜に引き続いての昇天を迎えて、前後不覚の快眠となった。このような眠りのときには、3時間も眠れば充分だと体験的に思っているのだけど、このごろは5時間以上眠ってもまだ足りなさを覚えたりしているのは、やはり老化のせいなのであろう。3時過ぎに目覚めて、少し我慢して4時前に起き出す。ブログ記事の作成なのだが、まだなかなか本調子になれず、昨日書きかけた続きをどうつなぐかに手間取ったりした。今頃の日の出は何時なのだろうか。5時前にはお天道様はもう上っているのではないか。5時を過ぎると灯りは不要となっているようだ。しかし、意外と消し忘れて無駄遣いをしている。要注意である。

今日の朝食は、小さなロールパン一個に玉ねぎとルッコラを押しこんだものとインスタントみそ汁1杯のそれだけ。味噌汁には先日小松の道の駅で買った、すぐり菜というのを思いっきり入れて食す。まるで山羊やウサギのような食べっぷりである。相棒は呆れてノーコメントなので、自分で解説したりしている。勿論これは自分だけの話で、相棒の方はヨーグルトなども食して上品である。お皿にチョンというレベルの野菜では、パワーが出るはずもなく、せめてウサギちゃんくらいのレベルの量は必要だと思っている。今朝で玉ねぎが無くなったので、新しいのを買い入れる必要がある。鯖も食べるけど、メインはやはりベジタリアンでなければならないと思っている。

さて、今日の予定だけど、いよいよ京都北部の丹後半島や若狭湾に到達してのぶらぶら旅の開始である。まずは、昨夜の温泉で相棒が見つけてきた「やくの高原市」というのへ行ってみることにしている。もらってきたパンフによれば、手作りの商品を持ち寄った人たちを集めて開かれる市で、場所は夜久野町(現福知山市内)にある道の駅:農匠の郷やくのだとのこと。この道の駅には何度か泊ったことがあり、この加悦町からは1時間弱の距離にある。相棒はこのような催しが好きなようで、手作り作品の中に何か掘り出し物や、或いは自分自身の制作のヒントなどを得ようとしているのかもしれない。そしてもっと期待しているのは、気にいった人との会話を楽しむということなのであろう。デクノボーの自分には、さっぱり興味の湧かない世界である。

この市を見た後は、時間があればもう一度丹後半島の海沿いに戻って、伊根町の舟屋の観光をしようかと考えている。伊根は何回か訪れているけど、肝心の舟屋というのをまだ一度も見たことがない。特に相棒は以前からこの舟屋なる建物に大いなる関心があるようで、今回は是非とも船に乗って海側からそれらの建物をカメラに収めたいと考えているようである。自分としても一度くらいは見ておきたいとは思っており、船にも乗るつもりでいる。時間が間に合わないときは明日に延期することにしている。ただ、天気が下り坂になるようなので、それが少し心配ではある。舟屋などの観光船の情報はネットで調べ済みである。

夜久野には少し早目に行った方がよかろうと、10時からの開催なのだが8時過ぎに出発する。ここからは1時間ほどの距離だ。加悦(かや)の道の駅を出てからは、しばらく上り坂が続く。このR176は、酒吞童子(しゅてんどうじ)伝説のある大江山の裾野を巻いて福知山の盆地につながる道である。酒吞童子の鬼退治の話にちなんで、「鬼」と名のつく広告看板などが多く見られた。鬼というのは、多くの場合はその昔のアウトロー達や、外人などが異端視され、恐怖されて悪者となって話として残っていることが多いようである。本物の鬼などいるはずもなく、鬼もまた同じ人間であり、且つ又おのれ自身の中に常に潜在しているに違いない。この年になると、物事の真実が少しは覗かれるようになった気がしている。

急坂を登り終えてトンネルに入り、そこを出てからはしばらく長い下り坂となった。その終りの頃に由良川の脇を走るR175に出てそこでこの道は終わる。R175を福知山の方に少し行って、山陰のメインロードのR9に出て、これを20分ほど走ると目的地の久野町の道の駅に着いた。この道の駅には何度かお世話になっているけど、いつもはR9脇のドライブインの方に寄っているだけで、道の駅の本体の方に来たのは今日が初めてだった。これは今日来てみて初めて気付いたことだった。道の駅のすぐそばにロータリーがあり、初めてだったのでうっかりそこを一回りしてから駐車場に入ることとなった。イベントは「やくの高原手づくり市」という名称である。10時からの開催というのだけど、既にかなりの店がオープンしており、駐車場も7割方埋まっていた。出入りのやり易い場所を探して車を停める。9時を少し過ぎたばかりの時刻である。天気は今日も上々でかなり蒸し暑い。この分だと30度を超すのは間違いないだろう。

車を置いてからの行動は完全に別々である。午前中一杯はここで過ごすことにしている。相棒は、さっそく飛び出していった。自分も少し後から、とにかくどんなものがあるのか一回りして見ようと車を出た。駅舎の周りやその向こうのグランドのような場所にびっしりと店が出されていた。200以上のブースがあったのではないか。開店準備中の店も多くあり、手づくりとはいえ、なんだか骨董市のような雰囲気を感じた。さまざまなものが売られていた。木工工芸品、衣類、装飾品、帽子類、ガラス製品や陶器、とんぼ玉、それに食品などあらゆるものが並んでいる感じがした。皆手づくりであるという。これなら相棒は、終日ここにいても退屈しないだろうなと思った。しかし、自分にはどれもこれも同じように見えて、ほとんど興味を惹くものはない。というよりも何も欲しいものがないのである。珍しい酒だとか、食べ物だとかなら、ぐっと惹きつけられるのだけど、今のところそれ以外は満たされていると思っている。15分ほどでぐるっと一回りして、最後に道の駅の売店の所で、鯖寿司を見つけて大いにそそられたのだが、買うのは止めて一人車に戻った。暑くて、このままうろついていたらたちまち熱中症になってしまうという危険を覚えるほどだった。相棒は大丈夫なのだろうかと思った。

   

やくの高原手づくり市の景観。これは駅舎の裏のグランドの様子だが、この他にも駅舎を取り巻いて、さまざまな種類の販売ブースが数多く設けられていた。開店時刻には駐車場は満車となっていた。年に一度開催で、近郊では次第に名をなし始めているらしい。

車に戻り、その後はネットで調べものをしたり、物書きの時間を過ごしたりしている内に、気づくと12時近くになっていた。道理で腹が空くはずである。相棒は大丈夫なのかと改めて心配になったが、このような環境では神がかり的にパワーを発揮する人なので、暑さなど忘れ果てて誰かを捕まえて話し込んでいるのかもしれない。そんなことを思っていると、ドアの方がごそごそして、何やら袋を抱えたその人が戻ってきた。コロッケを買ってきたとか。暑さは大丈夫なのかと訊けば、かなりの時間は室内のブースで過ごしたとか。さもあろう、いくら神がかりでも、ずっと外にいたら我慢が出来なくはずである。とにかく昼飯時なので、そのコロッケやらを食べることにした。どういうわけか3個しか買ってこない。一人1個半ずつでは腹を満たすのは無理である。そこで、先ほどの鯖寿司がパッと眼前に拡大してよみがえり、すぐに買いに出かける。地元の方の手づくりの様で、竹の皮に包んで、ずっしりとした重さを感じるものだった。期待して開けてみると、鯖寿司と紅ショウガが入っていた。紅ショウガをつまむと、これはまあ、何というしょっぱさであろう。塩辛いのである。ショウガの辛味も吹き飛んでいる感じがした。鯖寿司の方は、まあまあというところか。何しろ1本千円という値段なのだから、それ相応の期待に止めなければならない。普通はこの倍か或いはそれ以上の価格なのだから、そのことを勘案しなければならない。それでも自分としては大満足だった。何といっても、思わぬところで、これを食べられたのだから。しかも昨日に引き続いてなのである。

食事の後の相棒との話で、ここは区切りをつけて、この後は伊根の舟屋の観光遊覧船に乗ることにしようと決める。明日の天気のことを考えると、早めに行った方がいいのではないかという判断である。一休みの後出発となる。12時40分出発。来た道を戻って、ここから伊根までは1時間半ほどであろうか。遊覧船は最終便が16時出航ということなので、十分に間に合う時間である。R9からR175・R176と進み、昨日泊った加悦の道の駅にちょっと立ち寄る。地元産の玉ねぎはないかなと探したのだが、あるにはあったけどまだ葉玉ねぎの状態で、スライスして食べるには小さすぎるものしかなかった。諦めて少し先の宮津市郊外のスーパーで手に入れる。宮津からは、R178に入り、天橋立を右手横に見たりしながら伊根の方向へ向かう。この暑さでは、天橋立の砂嘴を歩くのは諦めるしかない。元伊勢神社の籠(この)神社の脇を通りながら、やはりここを歩くのはもっと寒さのある時期の方がいいなと思った。今回はお伊勢さんにもお参りする予定だけど、伊勢神宮は元々はこの丹後の宮津のここに鎮座していたという。それが籠神社なのだとか。最初にその話を聞いた時には神様も転勤のようなものがあるのかと驚いたものである。今日は素通りとなった。

30分ほど走って伊根の観光遊覧船の発着所のある日出駅に到着。今日は土曜日なので、かなり混んでいて駐車できないかと心配していたのだが、これは杞憂だった。観光バスも止まっていたが、普通車のスペースも何台か空いていて、苦労せずに駐車することができ安堵した。観光船は毎正時と30分に出発するということで、我々は14時30分の便に乗れることになった。50人ほどの乗船客だった。100人くらい乗れる船なのでかなり余裕があった。海は穏やかで伊根湾は池の様にさざ波が光っていた。船はゆっくりと進んでいった。船内のアナウンスで伊根の歴史や現在の様子などを聞きながら、甲板での撮影に時を忘れた。特に相棒は長年の念願が叶って、感動一入だったようである。定置網や生け簀などの並ぶ湾内を少し回ると、海岸には舟屋の家々が並んでいた。ここも国の伝統的建物群保存地区の一つに指定されている。舟屋というのは、いかにも海の暮らしをものにしている人たちの住まいであるというのを実感させる景観である。何枚もの写真を撮った。しかし、このカメラでは大丈夫なのか少し心配だった。船に乗っている観光客の大勢がカモメに餌を投げるのに熱中していて、肝心の舟屋のことなどにはさっぱり関心がないように見えた。カモメだとか、トンビだとか、人間にまとわりつく奴はうっとうしい。自分は彼らのことを可愛いなどとは到底思えないのだが、喜んでいる人が多いのを見ると自分の方が変わっているということなのであろう。ま、普通の観光というのは、カモメと遊ぶというのが本道なのであろう。30分弱で船は元の桟橋に戻り、これで伊根の舟屋観光は終わりとなる。

   

伊根の舟屋の景観。湾の海岸線に密集しての家屋が並んでいる。それぞれの家には、1階部分に船を引き入れ係留する船溜まりが作られている。この景観は、海側から見てみないとなかなか味わえない。

車に戻り、とりあえず近くにある道の駅:舟屋の里伊根に寄ることにした。先ほどの観光船からも見えた施設である。伊根湾を見下ろす山の中腹の高台に造られている。10分ほどで到着。時刻は15時丁度。これから先どうするか。検討の結果泊りは久美浜という所に昨年オープンした道の駅にしようと決める。ここからは2時間ほどの距離だろうか。途中にある道の駅などにも寄りながら、丹後半島の海岸線を走るR178を辿ることにした。伊根の道の駅では、イカ(=剣先イカ)の生干しを焼いたのを売っており、この匂いにつられてつい一袋を買い求めることになった。こうなると今夜も酒が味わえることになる。いやはや。

伊根の道の駅を出発してから後の道程は大変だった。丹後半島の海岸線は砂浜などは皆無で、断崖絶壁ばかりなのである。高所恐怖症気味のある自分には、好ましいコースとは到底思えない、冷や汗の道のりだった。幸い崖は右側にあり、車は山側寄りを走るので、なるべく海の方を見ないようにしての走行だった。以前佐渡を一周した時も同じような景観に冷や汗を掻いた経験があるけど、ここはそれ以上に長い時間冷や汗をかく道が続いていた。10年以上前に一度ここを通っているのだけど、その時のことはほとんど覚えておらず、これほどの難所だったとは!地形の厳しさを思い知らされた感じがした。R178は豊岡市の方へ向かっているのだが、途中でいきなり細道になったり、立派になったり、猿が何匹も道脇で遊んでいたりして、何ともはや変化の大きな道ではある。

途中道の駅:てんきてんき丹後という所に寄り、一息入れる。相棒によれば、この辺りはタイザ蟹と呼ばれる特別の松葉ガニが獲れるところだとか。タイザとは漢字で「間人」と書くのだそうだ。蟹のことになると彼女は詳しい。自分が酒や焼酎に詳しい以上に、その詳しさは本物のようだ。しかしそのタイザ蟹を手に入れ、食するのは至難のことの様で、勿論今の時期は無理なのだが、蟹の季節がやってきても1匹3万円もするのでは、これはもう諦めて頂くしかない。道の駅を出た後、小さな集落に入ったのだが、どうやらそこが間人という地名の場所らしく、いたるところに間人という漢字が書かれているのに気づいた。それにしても、人間の反対の間人と書いて「たいざ」と読むとは!地元の人以外は特別な経験を持たない限り、まずこれを読める人はいないのではないか。

引き続きR178を走り、途中で道を間違えたりして、目的の久美浜の道の駅に着いたのは、17時半丁度だった。まだ日が残っており、暑さも変わらない。車を停めて駅舎の方に行ってみたが、既に営業は終了していた。昨年できた新しい道の駅の割には古い感じだなと思ったら、駅舎の入口に「新しく道の駅になりました」と書かれていた。以前からあった施設が道の駅に認定されたようである。海を遠望できる丘の中腹にあり、なかなか良い場所である。明日は8時開店ということだから、地元でどんなものが売られているのか楽しみである。車に戻り、BSの方のアンテナの設定をしたのだが、なかなか合わず諦めて地デジに変更する。ほんとは両方とも設定すべきなのだけど、日替わりで泊る場所が変更になるので、一々面倒なのである。居座る時以外はどちらか一方で済ませるようにしている。

今夜ここに泊る車は皆無のようだ。今の季節、くるま旅の人はさほど多くはないと思う。居られても大抵の方は名のある場所や温泉付きの様な場所を求めることが多いので、我々のような泊り方は異端ということになるのかもしれない。しかし、ここはトラックの出入りもなさそうで、静かな安眠を得られる場所であることは間違いない。穴場といってもいいように思えた。夕食は、今回の旅で初めてのご飯を炊いた。明日の朝のパンを買い忘れていたので、その分も含めての炊飯だった。しかし食べたのは軽く1杯だけで、その他は野菜類と白山堅豆腐と先ほど買った剣先イカで一杯やって、それで終わりである。どうも禁酒は今回は破るために掲げた目標の様である。20時過ぎ寝床に入る。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第4回>

2013-05-26 05:47:38 | くるま旅くらしの話

【今日(5/26)の予定】 

  道の駅:シルクのまちかや →(R176・R9)→ 道の駅:農匠の里やくの →(R9・R176) 宮津・天橋立方面 →(R178)→ 丹後半島・伊根方面(詳細未定)

 

【昨日(5月25日)のレポート】       

<行程>

道の駅:山中温泉ゆけむり健康村 →(R8)→(福井市・鯖江市・武生市通過)→ 道の駅:河野 →(敦賀市通過)→(R27他)→ 道の駅:若狭熊川宿 →(R27)→ 瓜割り名水公園 →(R27他)→ 若狭小浜お魚センター他 →(R27)→(舞鶴市通過)→(R27・R175・R178・R176)→ 道の駅:シルクのまちかや(泊)   

 <レポート>

昨夜は真に快眠だった。眠りが浅くなってもすぐに深い眠りの波が何度も押し寄せてくるのを実感できるような嬉しい眠りが続いた。4時に起き出すまで、一時の無駄もないような快眠は久しぶりのことである。2~3日不眠が続いたとしても、これほどの快眠がもたらされるのなら何の心配も無用である。眠るとはあの世に行くのと同じことだと自分は思っている。良く眠るとは良く死ぬことでもある。生死の違いは、目覚めるかどうかの差にすぎない。中途半端な眠りは不幸なことだと思っている。昨夜は実に良く死ねた幸せな一夜だった。(少しオカルト的な悟りなのかもしれない)ところで、相棒さんの方はどうなのだろう。少し気分は良くなったようだが、まだ少し頭の重さが残っているとか。連日の長距離走で疲れが出たのであろう。それほど心配することもなさそうである。ま、無理は禁物だけど。

自分の方は快眠だったのだけど、ブログを書き終える頃に急に腹が刺し込み、トイレ行を余儀なくされた。どうやら昨夜の堅豆腐が朝になって少し悪さをしたらしい。その後も2度ほど強制的な通いを免れなかった。しかし、出発する8時半ころまでにはどうやら落ち着いて大事には至らなくて幸いだった。二人ともそれぞれの疲れ方をしていて、その特徴が出たのかもしれない。これを乗り越えれば、もはや問題はないと思っている。

今日の行程も基本的には移動ということになる。従って目的地は決めることはできない。若狭湾のエリアのどこかの道の駅にでも到達できればいいと思っている。あえて目的はといえば、それは若狭の名物のサバの串焼きをゲットするくらいであろう。サバ寿司にも多大の魅力を感ずるが、カロリーのことを考えれば、どちらか一方を選択しなければならず、自分としてはやはり串焼きを選ぶことになる。酒がないのが問題で、誘惑に負ければ一本買い入れるということになる。さて、どうなるかはゲットするサバ君次第である。と、まあ、他愛もない目的なのである。

山中温泉からは昨日来た道を戻り、R8に出て福井方面を目指す。この道も何度か走っている。いつもだと永平寺や一乗谷朝倉氏遺跡などに寄るのだけど、今回は若狭から先の日本海側の京都を訪ねたいと思っているので、脇道や寄り道は極力しないことにしている。車は順調な流れで、福井市街を通過し、隣の鯖江の市外で給油を行う。この辺りの油価は高くて、守谷なら軽油はL当り120円なのに、スタンドは軒並み130円以上を表示している。中には140円などというものもあり、一体何を考えているのかと思うほどなのだった。そんな中で、122円というスタンドを見つけ、やれやれと思った。ここでは妙な籤のついた機械があり、それをストップさせるとさらなる割引のサービスがあった。その結果4等賞でL当り2円の割引が加算された。従って守谷と同じ120円で給油することができ、大満足だった。くるま旅では、燃料代はコストの重要な要素を占めることになるので、1円の差を大事に扱う必要がある。安い店があると、すぐに給油することにしている。

給油を終えた後も車の流れは順調で、敦賀に入る手前にある道の駅:河野というのに寄り一息入れる。この道の駅は、若狭湾に突き出た高所に造られており、若狭湾を一望することができる。今日の若狭湾は、天気が良すぎるくらいで、ぼやっと霞んでいた。いつもここへ来ると思うのは、サバ君たちはどの辺りを泳いでいるのかなあということである。若狭湾とサバ君は自分の頭の中では超密接に癒着しているのである。

一息入れた後、しばらく断崖に沿ったトンネルや洞門の多い曲がりくねった道を下りる。右手下には若狭湾が広がっているのだけど、その景観を見る余裕はない。しばらく走ると敦賀の街が見えてきた。坂を下りて、街中への入口の所で道を間違い、旧道の方へ入ってしまった。引き返す余裕もないので、そのまま街中へ。おかげさまで、敦賀の中心街の一部を通ることとなり、いつもとは違う景色を見ることができた。とはいっても只のアーケード街を通っただけである。気比の松原などに寄ればいいのだとは思うが、今回もその気にはなれない。松原の近くに水戸天狗党の首塚があり、幕末のころの水戸人の一つの生き方の典型を見る思いがあるのだけど、そこへ寄るのは相棒の忌むところなので、今回もパスする。間もなくR27に出て、ここからはひたすら小浜市方面を目指す。この辺りの道路はいつの間にか相当に整備されて、前回通った時よりもトンネルなどが増え、ずいぶんと通りやすくなっているのに驚かされた。北陸道と舞鶴道とをつなぐ工事がかなりのスピードで進んでいるようで、それと合わせて幹線国道も整備が進んでいるのかもしれない。

しばらく走って、そろそろ昼食時を迎えるので、昼食はR27から琵琶湖に向かう道を少し行ったところにある道の駅:若狭熊川宿に行き名物の焼きサバ寿司を買うことにして少し寄り道をする。熊川宿というのは、その昔の若狭と京都を結ぶ鯖街道といわれる道の中にあった宿場町の一つで、現在もその昔の姿を良く残している。何年か前に一度その町並みを往復して歩いたことがある。道の駅に行ってみると、何とものすごい混みようで、車を止めるスペースがない状態だった。やむを得ず道脇に車を待機して、相棒だけが焼きサバ寿司を買いに行くという羽目になった。これじゃぁ、ここでゆっくり休むこともできないので、少し先にある瓜割りの名水のある公園の駐車場に行って休むことにする。とにかく、外は暑くなっており、気温は30度近くになっているようだ。

少し走って名水公園に到着。ここの水は愛飲している。水を汲むための通行手形も持参しており、昼食の後存分に名水を汲むことにしている。駐車場は木陰がない場所なので、外に出ると厳しい暑さだけど、車の中は風も通って快適だった。さっそく焼きサバ寿司を味わう。相棒の説明では、この焼サバ寿司というのは熊川宿が発祥の地だとか。サバ寿司は脂の乗った鯖を酢で〆たものが載っているが、この寿司は焼いた鯖が載っている。その分濃厚さが劣ることになるのだけど、あっさり感のある分だけ、それを好む人も多いということだろうか。自分は鯖大好き人間なので、どんなものでも鯖が一緒ならば何の問題もない。ま、あれこれ講釈などし合いながらの昼食だった。久しぶりに飲んだ八女の緑茶は旨かった。これは去年の九州への旅で買い求めたものだとか。

昼食の後は、自分は水汲み爺さんとなり、相棒は名水の源泉の瓜割りの滝の方の散策へ出かけて行った。通行手形を張ったポリタンで何往復化して車の水槽を満たし、その後飲料のペットボトルを満たす。最後にポリタンに水を満たして水汲みは終了。ひっきりなしに水汲みの人が車でやってきて、ここの水は相当に人気があるようだ。確かに美味い水である。これでしばらくは水の心配はなくなった。一息入れていると相棒が戻ってきた。いい顔になっていた。清水の源流のマイナスイオンを存分に吸ってきたようで、今まで残っていた頭の重さが吹き飛んだとか言っていた。水汲み場からは木立の森の中を300mほど上の方に小さな滝があり、そこが名水の源流となっている。そこを往復すれば、どんな邪心も邪悪な病も浄化されるに違いない。大いに結構なことだ。

水を汲んで少し重くなった車体を元気づけながら更に西行を続ける。次は小浜のフィッシャーマンズワーフに行って、今夜のおかずの串焼き鯖をゲットするのである。土曜なので混んでいるかと心配したけど、駐車場にはかなり空きがあって心配無用だった。このところ串焼きサバはフィッシャーマンズワーフではなく、すぐそばにあるお魚センターの方で買い求めている。自分的には魚市場に似たスタイルのこちらの店の方が気に入っているからだ。太った鯖が串に巧みに刺されて焼かれていたものを1本買う。1千円也。これを見たら、やはりアルコール無しというわけにはゆくまい。昨日に引き続いて禁を破って、この後酒を買うことに決めた。今日はビールではなく日本酒でゆこう。なんだか元気が出てきた。小浜で買い物をしているうちに、今日の宿は宮津の少し先の加悦(かや)町にある道の駅にしようと決める。

小浜から出た後は、ひたすら舞鶴方面に向かって走る。途中スーパーで酒と大根などを買う。大根は焼きサバ用のおろしを作るために不可欠だ。1本200円近くもするのには驚かされた。概して今まで通ってきたエリアの諸物価は守谷と比べて高い感じがする。守谷ならば大根はせいぜい150円くらいではないか。こうしてみると、自分たちは結構良い所に住んでいるのだなというのが解る。大根一本にも暮らしの重さがのしかかっているのである。舞鶴では、久しぶりに自衛艦などをチラリ見した。相棒は嫌いのようだけど、自分は戦争を抜きにしての戦艦には興味大である。舞鶴は引き上げの人々の懐かしさと哀しさの名残の積もった街であるけど、自分たちは今まで通過するだけで一度も街中を歩いたことがない。いつかじっくり歩いてみたいと思いながら、今日も通過したのだった。

舞鶴から少し行って、由良川の橋を渡り右折して宮津の方に向かう。宮津といえば天橋立が有名だ。明日もしかしたら訪ねることになるかもしれない。以前、あの松林の続く砂嘴の地を歩いて向こう側まで行き、帰りは観光船で戻ったことがある。結構良い思い出となっている。明日の再チャレンジは天気と相棒の体調次第である。さて、どうなるか。そのようなことを思いながら天橋立を通り過ぎて、与謝野町へ入る。少し行って左への道を曲がると加悦町へ向かうことになる。この辺りは丹後ちりめんで有名だ。織物のことは自分はよく知らないけど、相棒は結構詳しくて、丹後ちりめんには手が届いていない愚痴を何度か聞かされている。高価なものらしい。買ってあげるなどというおこがましい気持など一度も持ったことがなく、欲しいものは自分の可能な範囲で買えばいいじゃないかというのが、結婚以来の自分の考えで、財布の中身がどうなのかなど考えたこともない。貧乏人出身者には二つのタイプがあって、その一は貧乏を脱出しても財布の中身の細部にこだわるタイプ、もう一つは貧乏を脱出できたら2度と財布の中身など考えたくないというタイプである。自分は依然として貧乏を脱出したとは思われないけど、財布を相棒に預けて以降は家計のことを考える煩わしさからは脱出できたように錯覚している。ま、無責任といえば、これ以上の無責任はないのかもしれない。一体何の話だっけ。

間もなく今日のゴールとなった道の駅:シルクのまちかやに到着。しかし、実際はこの道の駅ではなく、少し先にある温泉入浴施設のある「リフレかやの里」というのがいつもお世話になっている場所なのだ。道の駅は坂の途中にあり、駐車場も狭くて利用しにくい感じがするので、こちらに来てしまう。今日もそうさせていただくことにした。TVの設定など泊る準備を終え、相棒は温泉に入りに出かけて行った。まだ17時を過ぎたばかりで、陽は高く残っている。相棒が戻るまでブログのレポートを書くことにして取り組む。あっという間に1時間余が過ぎて、相棒が戻ってきたのだが、ブログの方はホンの書き出しといった感じでさっぱり進まない。恐らく、この後に控えている焼きサバ君とお酒のことが気になっているのであろう。上機嫌の相棒の話を聞かされているうちに、ブログは止め、さっそく楽しみを味わうことにした。その後のことは書くまでもない。上等の極楽を味わい、天国に昇天したのは言うまでもない。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第3回>

2013-05-25 06:30:21 | くるま旅くらしの話

 【今日(5/25)の予定】 

  道の駅:山中温泉ゆけむり健康村 → 福井市経由若狭方面へ(詳細未定)

 【昨日(5月24日)のレポート】      

<行程>

道の駅:白馬 → 道の駅:小谷 →(糸魚川経由)→ 道の駅:越後市振の関 →(富山バイパス)→ 道の駅:万葉の里たかおか →(金沢バイパス)→ 道の駅:しらやまさん → 道の駅:一向一揆の里 → 道の駅:こまつ木場潟 → 加賀藩(加賀市菓子ドライブイン) → 道の駅:山中温泉ゆけむり健康村(泊)

 <レポート>

白馬の一夜は、快適だった、と書きたいところなのだが、その実はほとんど眠れなかった。8か月ぶりの遠出の旅に興奮したのか、或いは眠り薬がないためだったのか、はたまたあまりにも早い就寝時刻のためだったのか、隣人の相棒の寝息が強度を増すのを聞きながら、寝禅など奥の手を使ってみたのだけど、どうにも快眠を得るには至らなかった。眠れないときは眠くなるまで起きて待つというのが持論なのだが、それは家にいる時の話であり、旅に出た車の中では、起きていれば電気を消耗することになり、これは限界があり、眠くなるまでに消耗してしまう危険性もある。それゆえ、寝床の中でじっと目を閉じてひたすら眠りが来るのを待つしかない。しかし、眠れなくても身体の方は自然と日中の疲れを回復すると思っているので、特に焦ることはない。眠れないのは頭の方だけなので、起きて居たければ勝手にすればいいんじゃないの?というもう一人の自分がいるので、そいつの考えに従って眠れない自分を傍観しているだけである。そんなことをしているうちに2時が過ぎて、寝床に入ってから7時間ほど経った頃にようやくちょっぴり眠りらしい眠りがやってきて、ストンと2時間ばかり我を忘れたのだった。小鳥たちの声に気付いて時計を見たら4時だった。ブログの記事を書かなければと起きだして書いたのが、昨日のレポートだった。まったくの書き下しで、見直しの一度もしていない。旅の間は恐らくたくさんの誤字が生み出されるのだと思う。読書子には、行間から正解を見出して頂いて中身のご理解を頂きたいと願っている。まことに横着で申し訳ないとは知りつつもお許し頂きたい。

さて、昨日は堀金の道の駅を止めて、R147・R148を北上して白馬の道の駅に泊ったのだが、今回何故この道を選んだのかについて少し述べておきたい。それには二つほど理由があって、そのひとつは中央構造体(帯)という日本国の地形・地質を構成する大地の背骨のようなものがあり、この国を東西に分けているとされる静岡・糸魚川ラインの道を一度は通ってみたいと予てから思っていたのだった。それがR147とR148の国道ということになるのだけど、この道はまた、その昔は千国街道と呼ばれ、日本海側と信濃の松本エリアを結ぶいわゆる塩の道と呼ばれる交易の道だったということである。この道が実際にどのような場所をどのように通っているのかをこの目で見ておきたいと思っていたのである。昨日はその半分ほどを通って来たのだったが、中央構造体の方は判るはずもなかったけど、塩の道の方はいつだったか見た数々の道祖神の顔などを思い浮かべながら、その昔の人影少ない細いけど大切だった山の中の道のあり様を思い浮かべたのだった。高い山々に囲まれた谷間を流れる川に沿って、その昔は道が続いていたのであろう。道祖神に祈る道に沿って住む人たちや旅人たちの思いがなんとなく伝わってくるのが分かるような雰囲気の道だった。現代は車の中からそのようなことを思い浮かべる時代であり、不謹慎なのかもしれないけど、まあ、勘弁して頂きたい。さて、今日はどのような道を通るのだろうか?

朝、ネットのニュースを見たら、三浦雄一郎さんが80歳エベレスト登頂を見事に達成されたとの報道があった。先日から気になっていたのだが、昨日のアタックが成功したとのこと。心から祝福したい。この方の登頂へのチャレンジは、自分などのまだ半端な老い方しかしていない者にとっては、大きな励みになる。3月にTVで彼のチャレンジへの話を聴いて、自分自身もやってみようと始めた歩行鍛錬は、その後驚くほどの成果を上げ、相当に健康への自信を深めたのだった。三浦さんに比べれば、まだまだひよ子にすぎないけど、この恩恵をこれからも大事に継続して享受したいと思っている。うれしいニュースだった。どうぞご安全に下山されて、凱旋の帰国をして頂きたい。

白馬の道の駅は売店の営業開始が9時からとなっており、待ち切れずに少し早目の出発となる。今日は快晴で、青空の向こうに白馬の山々の白い輝きがほんの少し見えるのが気がかりだった。道の駅は少し外れの方に造られているらしく、山々の全貌は見えないのである。出発して少しゆくと、巨大な白き神々の座が間近に目に飛び込んできた。おもわず駐車場所を探し、車を止め、カメラを取り出す。しかしあまりにも大きな景色のため、カメラに収めるのは難しかった。それでもカメラを叱りながら何回かシャッターを切る。白馬村は、スキーのメッカとは聞いていたけど、道路の両側にはしゃれた家々が幾つも立ち並んで、とても山中の村だとは思えなかった。                                                         

  

白馬村からの白馬連峰の景観。どれがなんという山なのか、さっぱりわからない。神々の白き座という言い方があるけど、まさに神の座す白き峰々という厳かな気持ちになる景観だった。

少し走 ると小谷村となった。ここもやはり冬のスポーツ観光に力を入れている場所というのが分かる。何しろはじめて通る道なので、何もかもが珍しい。自分は冬のスポーツは全部だめで、スキーもスケートも全く経験がなく、雪や寒さの体験といえば、20代に冬山に出かけていたことぐらいしかない。それゆえ、このような場所にまずーっと無縁だった。それはこれから先も同じことだと思う。せめてこれからは、冬に栄える場所を冬以外の季節に訪ねることぐらいはやってみたい。今回はその手始めとなるのかもしれない。小谷にも道の駅があり、そこには温泉もあるとガイド書に案内されていたが、なかなかその場所に着かなかった。トンネルを抜け、厳しい曲がりくねった坂を下った急流を見降ろす小さな平地にようやく道の駅の建物を見つける。中を見ると、店の開店は10時からだという。まだ30分も先の話だ。山菜が残っていないかと期待していたのだけど、相棒が店の人に聞いた話では、もうほとんどないとのことだった。それでは30分待つ意味がないので、先に行くことにした。

さあ、それから先が大変だった。何が大変かといえば、国道のあり様である。姫川の急流が流れ奔る複雑な谷間を縫って、幾つものトンネルや洞門が連なっており、それらのほとんどが皆曲がっているのである。曲がりくねっているトンネルというのは緊張する。しかもあまり高さのない感じの狭い道なのだ。洞門に入ると垣間見る山峡の渓流が、はるか下の方に見えるのだが、その昔の塩の道というのは一体どこをどう走っていたのかと思った。小谷村というけど、ここは小谷などではなく、超大谷という感じの場所だった。四国の大歩危・小歩危やこれから通る越後の親知らずなどと比べてもその危険度は変わらぬほどの難所なのだった。こんな場所を昔の人たちはどんな気持ちで通ったのだろうか。謙信が信玄に塩を贈ったという話は有名だけど、その塩もこの道を、この難所を通って行ったのだろうか。さまざまな思いの駆け巡る通行だった。

ようやく難所を通過し、少し平らになったかと思うと、間もなく日本海近くとなり、糸魚川に出て、R8に入る。途中姫川の川原に降りてヒスイの原石でも探そうかなどと考えていたけど、巨岩混ざりのごつごつした石ばかりの川原を見たら、その気は消え失せたのだった。糸魚川からは、日本海に沿って、富山を目指しての走行となった。この道は何度も通っており、なんとなく安心感がある。やはり初めての道というのは緊張感が大きいものだなと、中央構造体の静岡・糸魚川線を通って改めて感じたのだった。今日の日本海は、風もなく穏やかに光の中に横たわっていた。しばらくは、親知らず付近の海に突き出た難所に苦労して造られた道を慎重に運転して進む。それでも先ほどの小谷村と比べれば緊張は少ないように思った。親知らず辺りの北陸道架橋の下に、道の駅があるのだが、今日はパスして先に進む。しばらく走って、新潟県と富山県の県境近くにある道の駅:越後市振の関にて小休止をする。

ここから先は特に当てもなく行けるところまで行って適当な所で泊る考えである。一つだけ目標があるのは、白山の堅豆腐を何とか手に入れたいということ。これは白山山麓の道の駅にあるはずだと思っており、金沢から先は白山方向へ寄り道する考えでいる。世の中にはいろんな種類の豆腐があるけど、自分としての三大好物の豆腐といえば、今のところは五箇山豆腐、五木の豆腐、そしてこの白山堅豆腐ということになる。自分は豆腐大好き人間で、木綿のしかも堅いものほど魅力を感じている。白山堅豆腐はその頂点に立っているのである。その堅豆腐に惹かれて出発となる。

富山県に入ってからは、ただひたすらに西走を続ける。黒部、魚津を抜け富山市はほぼ高速道に近いバイパスを走り抜け、とりあえずは昼食をと高岡市内にある道の駅:万葉の里たかおかを目指す。2時間近い連続走行でかなり疲れた。13時少し前にようやく高岡の道の駅に到着。ここは初めて寄る場所だった。弁当を買うかそれとも食堂にするか迷ったが、温かいものの方がよかろうと食堂にした。食券スタイルの簡易食堂である。自分は昨日に引き続いてラーメンをオーダー。ふだんあまり食べないものほど食べたくなるものらしい。カロリーオーバーを承知しながらの蛮行である。ホウレンソウだらけのグリーンラーメンは美味かった。一息入れて出発。

高岡からは源平合戦で有名な倶利伽羅峠を越えて百万石の城下町金沢へ。街の中心から少し外れたバイパスを走って、金沢を通過し、野々市から左折してR157を白山市の方へ向かう。道の駅:しろやまさんというのがあり、てっきりそこが堅豆腐を売っている場所だと思い込んでいったのだが、行ってみてイメージとは違うのに気付き、相棒と二人苦笑しあうこととなった。しばらくこの辺に来ていないので忘れていたのだけど、堅豆腐のあったのは一向一揆の里というもう少し先の道の駅だった。気を取り直して先に進む。間もなく道の駅に到着。さっそく売店へ。あった、在庫ありである。3種類くらいあり選ぶのに迷ったが、一番高いものをチョイス。パックに入った1丁が270円也。普通の豆腐の半分くらいの大きさだけど、質量はぐっと重く、もうそれだけで嬉しさは倍加する。

豆腐を買って、さてこれからどうするか。しばらく考えて、今日の泊りは加賀の名湯の一つ、中山温泉に道の駅があるので、そこへ行ってゆっくり風呂に入り疲れを癒すことにした。ここからはそれほど遠くはない。小松市の方に向かい、しばらく走るとR8のバイパスに出た。これを左に行けば加賀方面に行くことになる。このバイパスは自動車専用道路といっていいほどだ。しばらく走ると道の駅の看板があり、どうやら新しい道の駅ができているようである。ちょっと寄ってみることにした。道の駅:こまつ木場潟というのがその名称だった。新しい建物に新しい駐車場、停まってる車も皆新しいように見えた。古いのは自分たちのSUN号だけ?これは冗談。野菜の中からルッコラとすぐり菜というのを買う。サラダ用である。

道の駅を出て、しばらく走ると加賀市に入りR8はバイパスは本道と一本となる。少しゆくと菓子舗の大型ドライブインの加賀藩がある。ここには度々寄っている。加賀福というあんころ餅風の銘菓もあるけど、それよりも相棒はここにある折り紙博物館に関心大であり、そこを訪ねることが多い。今日もちょっと覗いてみたのだが、もう17時近くになっており、お菓子の製造工程の稼働は終わっており、来客もほとんどなく、自分はすぐに車に戻った。相棒は折り紙博物館を訪れたらしいけど、空調が身体に合わなくなったらしく、途中で気分が悪くなったと言って間もなく戻ってきた。それじゃあ、温泉に浸ることにしようと、山中温泉方面に向けて出発する。

10分ほどで今日の泊りを予定している道の駅:山中温泉ゆけむり健康村に到着。ここは温泉街からは少し離れた場所にあり、日帰り入浴施設が併設されている。この辺りに来るといつも利用させていただいている場所でもある。車を止め、今日はTVも見ることにしようと、BSアンテナの設定を行う。久しぶりの操作なのでなかなかうまくゆかず手間取る。この作業は一人では無理で、相棒との共同作業となるのだが、まず呼吸が合った試しがなく、いつも互いがイライラすることが多い。今日もやはりそうだった。それでもどうにか設定を終え、19時からの鬼平犯科帳も見ることだできるようになった。まずは温泉に入ることにして,相棒も一緒に行くのかと思ったら、先ほどの加賀藩以降どうも気分が悪いので、しばらく横になって様子を見ることにしたいという。それならば、お先に一人でと出かける。

ここの湯も柔らかくていい泉質だ。特に露天風呂がいい。岩に囲まれた湯船に浸っていると、どこからともなく山中節の唄が流れ聞こえてくる。それを聴きながら手足を延ばして昨日、今日の疲れを湯に溶かす。いい気分である。昨夜はほとんど眠っていなかったこともあり、頭のどこかに重いものが沈んでいるような気分なのだけど、これで車に戻って堅豆腐でビールを一杯やったら、爆睡間違いない。そう思っただけで、なんだか嬉しくなってしまう。しかし、反面、相棒の調子はどうなのだろうかと、別の心配がよぎる。はしゃいでいたと思ったら、突然身体がおかしくなって落ち込むことが良くあるので、まあ、慣れてはいるとは言うけどやはり心配ではある。そうそう、先ほど受付で何やら籤を引いたらこれが当たって、無料の入浴券というのを頂戴したのだった。相棒が入るのならば、これを使えばいいのにと思った。ということで、車に戻ったのだが、相棒はまだ寝床の中で、大丈夫か、と訊いてもどうもはっきりしない。こんな時は風呂になど入らない方が良いに決まっている。

結局、そのあとは自分だけが堅豆腐で一杯やり、相棒は風呂にはゆかずほんの少し堅豆腐をつまんだだけの夕食を済ませ、鬼平犯科帳を最後まで見た後、二人とも寝床に潜るという顛末となった。勿論、自分の方はあっという間の爆睡で、昨日の不眠の分は完全に取り戻してお釣りの来るくらいの快眠だった。相棒は、加賀藩の空調の影響が原因などではなく、二日間で500km以上もの長距離を、助手席でうたたねなどをした疲れが出たらしく、そのせいで突然の不調を来したようだった。ま、大丈夫でしょう。今日はここまで。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第2回>

2013-05-24 05:50:09 | くるま旅くらしの話

【今日(5/24)の予定】 

  道の駅:白馬 → 道の駅:小谷 → (糸魚川市経由) → 富山方面(詳細未定)

 

【昨日(5月23日)のレポート】      

<行程>

自宅 →(県道・R354)→ 道の駅:童謡のふる里おおとね(途中道に迷いかなり時間をロスする)→ 高崎 →(R18)→ 松井田妙義IC →(上信越道)→ 小諸IC →(R18・R254・R147他)→ 道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里 →(R147・R148)→ 道の駅:白馬(泊)

 <レポート>

9時過ぎすべての準備を終えて出発となる。基本的には今日は移動日であり、特段これといった目的もなし。おおよその泊る場所として、安曇野の堀金にある道の駅を予定しているけど、実際に泊るかどうかは行ってみてその時に決めることにしている。今日も日中の気温かなり上がりそうで、朝のうちから蒸し暑さを覚える空模様である。晴れているのに空一面に薄く雲がかかっており、こんな日はすっきりとした暑さを味わうのは無理の場合が多い。今日も恐らく真夏日に近いことになるのであろう。

自宅を出て、今日は一般道を走って高崎までゆく考えである。守谷からはしばらく県道を走って、坂東市に入ってR354に入り、そのまま道なりに高崎までゆくつもりである。平将門の本拠のあった岩井市は、今は合併で坂東市となっている。全国的には坂東市の方が聞こえがいいのかも知れないけど、ついこの間まで岩井市と呼んでいた近くに住む者には、合併の度に町の呼び名が変わるというのは、何とも解せない感覚がある。そのようなことを思いながら岩井市をパスし、隣の境町を過ぎて古河市に向かう。この辺りは茨城県というよりも埼玉県に近い感じがするエリアである。常陸の国という感覚からは相当に離れた感じがしているのは、茨城県の北部に育った者の独りよがりなのかもしれない。

この辺は利根川と渡良瀬川の遊水地帯に近く、川辺の憩いの場所が幾つも広がっているようだ。それらを脇に見ながら、橋を渡ってR354の案内板に沿って進んでいったのだが、途中で突然別の道路案内板が飛び込んできて、そこにはR354などひとかけらも書かれていない。一体どういうことなのかと、立ち止まって考える暇などあるわけもなく、車の動くままにそのあとは勘で方向を選んで走ったのだが、これがどうもしっかり間違っていたらしく、道の駅の案内板があるのでとにかくそこに寄って位置を確認することにした。道の駅は、「童謡のふる里おおとね」とあった。初めて聞く名前である。資料を見たら、加須市の辺りらしい。どうやら方向感覚を誤り、埼玉県の真ん中の方へ来てしまったらしい。こうなったらR354は諦めて、今まで走ったことのないR17を目指してゆくことにした。

しばらく走るとR125というのに出たので、それを北の方向へゆくことにした。そのまま行けば、どうやらR17に出るらしい。埼玉県の中央を走るこれらの道は、R17が越後の長岡の方へつながっているのは知っているけど、加須から先高崎までどのような順番で名に聞く街がつながっているのか良く分かっていないのである。走っているうちに、加須からは、羽生、行田、熊谷、深谷、本庄、伊勢崎、高崎と続いていることが分かった。今頃になって地理の勉強の現地実習をしている感じがした。

少し手間取って、余計な時間がかかり、昼食を済ませて高崎市街に入ったのは13時を過ぎていた。ここからはR17に別れてR18に入り、信濃路をめざす。途中の碓氷峠辺りは急坂が続くので、途中から高速道を使うことにしている。安中を過ぎ妙義山が見えだしたあたりに上信越道の松井田妙義ICがある。ここから高速道に入って小諸ICで降りることにして、しばらくは高速道の走行となった。どこを見ても山ばかりの景観で、特に群馬県のこの辺りはゴツゴツと岩肌の向き出した山に樹木がへばりついたような男性的な山が多い。いつもは秋の景色が多いのだけど、今日は新緑に萌える景観だった。蒸し暑さは車の中だけで、800mを超える高さの外はすっきりとした空気に包まれていた。それは横川のSAで確認することができた。一息入れてしばらく山の景観を楽しみながら走り、浅間山が間近かに迫ってくるあたりで小諸ICとなり、ここから出て再びR18に入り、上田市の方へ向かう。

上田市に入ってすぐに大屋という交差点を左折してR152に入る。少しゆくとこの辺りは旧丸子町で、右手への道に別所温泉があるのだが、今日は温泉に入るのは止めることにした。それよりも少し先の方へ行って、ゆっくりしたいという考えに変わったのである。少し走ってR152から別れ、松本に向かうR254へ右折する。次第に山の中に入ってゆく。どこも新緑に溢れており、ところどころに紫の藤の花などが見えている。相棒は、桐の花と勘違いしたようだった。山の中に野生の桐の木が混ざっているとは考えにくい。やっぱりあれは藤の花だったのだろうと、あとで取り消していた。峠の辺りに三才山(みとせやま)トンネルがある。ここは有料で、500円也をせしめられた。トンネルをくぐり、坂を下ってゆくと山の中の集落の向こうに松本盆地の広がりが望見できた。しばらく走って、松本トンネルを潜る。このトンネルも有料で、100円が必要だった。ここで、チョンボをして100円を失う。チョンボとは、通行料を入れる機械が種あって、車の高低差で使い分けるようになっているのだが、自分は高い方の位置の機械だろうと思って車を止めたのだったが、適当な位置と見えたのは領収書を発行する機械で、料金の方は更に一段高い位置にあったのだ。やむを得ずドアを開けて低い方に料金を入れようとしたのだけど、狭くて足元を確認しているうちにウッカリ100円玉を落としてしまい、拾おうと思ったらこいつが又車の下の方に転がって行ってしまって、とても拾えない。後続車もあり,愚図愚図しているわけにはゆかないので、仕方なくもう1枚百円玉を使う羽目となってしまった。このごろは老化のせいか、握力が低下して、何かの拍子に物を落とすことが多い。今日は100円で済んだからまだ我慢できるけど、これが万札で風に飛ばされたりしたらどうなるのだ、と、まあ、要注意である。

愉快でない気分で、道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里に向かう。予定では今日はここに泊ることにしている。しかしまだ時刻は16時を過ぎたばかりで、日は高くとても夜を待つという時間ではない。とにかく野菜売り場などを覗くことにした。ここは背後にサラダ街道と呼ばれる野菜類の一大生産地の中にあり、いつも訪れる秋には毎度感動しながらその新鮮な野菜・果樹類を手に入れているのだけど、さて、今日はどうなのか。残念、これは期待はずれだった。16時という時刻では野菜は残っていてもいいものは期待できないのは分かっているけど、今は秋とは違って、まだ畑の野菜は収穫時期どころではなく、とても無理なのだった。保存の効く根菜類の一部の他は他所から取り寄せたものがほとんどで、いつもの売り場とはかなり違っていた。豆腐を1丁だけ買って外に出て、ここに泊るのは止め、先までゆくことにした。とりあえずの候補は、安曇野松川という道の駅である。途中給油をしてその道の駅を探したのだったが、どこまで行っても見当たらなかった。後で調べたら、R147沿いだと思っていたのがそうではなく、別の道だった。これではどこまで行っても見つかるはずがない。まだ日も残っているので、とにかく北上をつづけ、白馬村の道の駅まで行ってしまうことにした。途中からの左手に連なる日本アルプスの白き山々の景観は見事だった。走っている車の中からなので、じっくりとはゆかないけど、それでもまだ冠雪のままの高山の連なりは、やはり神秘的だ。自分も若いころ高山に登った経験があるけど、南アルプスの方ばかりで、アルプス銀座といわれる北アルプスの連山には一度も登った経験がない。それゆえ、白き峰々の連なりを見てもどれが何という山なのかどうもはっきりしない。どの山も皆同じように見えてしまう。はっきり分かっているのは、常念岳とそれから富士山の形をした少し低い(といっても2000mを超えている)有明山くらいだ。相棒はカメラを取り出し、車を止めさせて田んぼに映る山影を含めた山の写真に挑戦していた。運転手は後続車の渋滞が起こらぬよう願いながら、その作業を見守るだけである。

18時少し前に道の駅:白馬に到着。今日はここに泊めてもらうことに決める。相当の山の中かと思っていたら、意外と平らな場所だったので驚いた。しかし周囲はさすがに山ばかりで、道の駅の左手の方には白馬岳を含む冠雪の峰々が白く望遠できる。日はまだわずかに残っているけど、反対側の空には満月近いのか過ぎたのか、まだ丸みのある月が輝き始めていた。今日は292kmを走り、久しぶりの長距離運転となった。周辺を少し歩いて状況を確認し、早めの夕食とする。今回の旅では原則として酒類は止めることにしている。昨日までの気つけ薬(眠り薬)が無くなって、はたして快眠が得られるのか。とにかく快眠が得られるまではねむる薬は手にしないことにしている。天気は明日も上々のようである。今日は道に迷ったり、大金(?)を失ったりして。チョンボの続いた一日だった。明日は心して快笑の日を得るように心がけることにしよう。

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‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第1回>

2013-05-23 04:05:34 | くるま旅くらしの話

 【今日(5/23)の予定】 

  自宅 →(県道・R354)→ 高崎 →(R18)→ 松井田妙義IC →(上信越道)→ 小諸IC →(R18・R152・R254他)→ 道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里(泊)

 

【昨日(5月22日)のレポート】      

<行程>

自宅(出発準備)

 <レポート>

明日から8カ月ぶりのくるま旅に出発する。旅慣れているとはいえ、いざとなると抜けは多いので、要注意である。旅の間のことは勿論、旅から戻った後のことまでよく考えておかないと、出たとこ勝負だけでは済まない場合が起こることもある。特に春から夏にかけてのこの時期は、やれ税金だの自動車保険だのと放置しておくとペナルティを課せられることなどが多いので気をつけなければならない。でもいざとなれば、今年からは嫁女がいてくれるので、大分にその心配が薄れたのはありがたくも嬉しいことである。これらの準備関係はその殆どが相棒(=家内)の仕事である。完璧主義の傾向があるので、このお方に任せておけば先ずは大丈夫。アバウト主義の自分には苦手の分野でもある。

今回の旅は、少し欲張りすぎの感が無きにしもあらずである。何しろ1カ月足らずの時間で、関東から信州経由で日本海に抜け、若狭から丹波篠山経由で京都・奈良を回り、その後はお伊勢さんにお詣りした後、知多半島や伊豆などの東海エリアを回って、最後は東京を避けて守谷の自宅に戻るというコースなのである。やたらに走り回るのは良しとしないのだけど、8か月ぶりの遠出なので、その慾を抑えきれないというのが本当のところなのかもしれない。恐らく2000kmを超える行程となるのだと思う。

一応のコースと予定表は作っては見たものの、本当のところどうなるのかは判らない。例えば明日の行程は泊りを信州安曇野の道の駅と考えているけど、果たして到着できるのか、少し無理があるようにも思っている。温泉にも入りたいし、もしかしたら別所温泉に寄って、泊りはその付近辺りになってしまうのかもしれない。2日後に富山市内の亡き友の墓参を予定していたのだが、奥さんが不在なのを知り、その分がっかりすると併せて少しばかり余裕が出来たことにはなった。ま、ポイントを押さえながらその時々の慾なるものを満たしてゆきたいと思っている。

午前中、今年の北海道行の往路のフェリーの予約を済ませる。津軽海峡フェリーには海割という嬉しいサービスがあり、乗船予定日の2カ月前からネットで申し込むと料金が2割引きとなる。年金暮らしの自分たちには真にありがたいサービスである。この旅から戻ったら、7月下旬に北海道に向けて出発予定で、フェリーの乗船日を7月22日と決めたのだった。その予約を済ませ、近くのコンビニで料金の支払いを済ませ、これで先ずは北海道の旅も確定した様な気分である。午後からは必要な荷物の積み込みなどを終え、夕刻までには細かな諸々のチエックも済ませて、あとは明日を待つだけとなった。さて、どんな旅となるのだろうか。

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来週からのくるま旅のお知らせ

2013-05-18 02:01:33 | くるま旅くらしの話

 このところの記事は、筑波山の山登りのことばかりで、くるま旅のことはさっぱりでした。何にしろ三浦雄一郎さんの感化を受けて、72歳にして身体の大改善を思い立ったものですから、ここ1カ月半ほどは脇目も振らずにひたすらに己の身に重圧を課し続けたのでした。既に3回目の登山を終えて、身体の方の改善の成果の感触も手元近くになって来ていると、ちょっぴり自信がつき始めています。あと何年生きられるのか見当もつきませんが、どう考えても20年以上は無理でしょうし、それ以上生きても、本当に楽しみながらできることは殆ど無くなっていることでしょう。せめてあと15年くらいは活き活きと生きられるようにしたいと思っています。そのためにはそれに対応できる身体を用意しておく必要があり、今の内にしっかりその基盤を作っておきたいと考えていると、まあ、理屈はそう言ったところなのです。

 私の最終目標は筑波登山にあるのではなく、くるま旅くらしを続けながら、多くの出会いを拾って、それをエッセーに記録しながら発信し、世の中の同世代の人たちの力の材料にして頂きたいということにあります。相当におこがましい目標だとは思っていますが、PPK(ピンピンコロリ)とこの世におさらばする前に、納得のゆく生き方をしてゆこうとするならば、今のところこれ以上の目標は無いなと思っています。

 さて、今日はくるま旅の予定の紹介です。昨年の9月16日、北海道の旅から戻って以降、旅らしい旅には一度も出ていないという、閉ざされた環境にありました。この間、倅の結婚などの事件(?)もあって、嬉しい望外の時間に満たされたりして、決して不満だったというわけではないのですが、旅ごころの虫は決して黙り続けていたわけではなく、いつもウズウズと心のどこかで蠢(うごめ)き続けていたのでした。(これは余り健康的な表現ではありませんな)それがようやく決着を見て、来週から凡そ8ケ月ぶりの旅に出掛けることを決めました。

 今度の旅の中には一つの対処事項が含まれています。それは家内の高校時代のクラブの仲間の集まりが、6月の上旬に1泊2日の日程で伊豆の地で開催の予定があり、そこに彼女を送り届けるということなのです。普通ですと、このような場合は、夫の方は「勝手に行けば」ということになり、当事者である妻の方は、その日を迎えて電車などでいそいそと伊豆まで出掛け、一泊して昔の顧問の先生を囲んで懐旧談にうつつを抜かし、夫のことなどは100%忘れ果てて、翌日の夕方あたりに清々しい気分になって戻って来るということになるのですが、我が家の場合は、今頃はそのような成り行きにはならないことが多いのです。

 この話があった時、家内は旅の中にこの予定を繰り入れて対処しようと考えたようでした。自分としてはせいぜいその予定日の前後に伊豆地方辺りを巡れば良いかなと思った程度だったのですが、せっかくなので、少し足を伸ばして未だ一度も訪れたことの無い知多半島一円を回って見たいとは思ったのでした。それが、二人で話している内に、どうやら二人とも長期間の旅なしの暮らしにストレスを貯めてしまっていたのか、俄然スケールが膨らんで、今月の医者通いが終わったら、来月の空いている日まで旅の日程に繰り入れてスケジュールを考えようということになったのです。

 その結果は、来週の23日に家を出発し、上州から信州を経由して、ヒスイで有名な姫川を下って糸魚川に出て、そのあと北陸は富山の方に向かい、富山市内の親しかった亡き友人の墓参を果たした後、そのまま日本海沿岸を進んで、裏京都(=日本海側)から丹波篠山に抜け、それからは京都を素通りして、古都奈良を訪ねるなどした後、吉野の山を越えてお伊勢さんにお詣りし、その後に知多半島を回り、藤枝の家内の妹さん宅に寄ったあと、基本目標たる伊豆長岡での家内の高校時代のクラブのその集まりに家内を送り届けて、こちとらは近くの道の駅にでも1泊し、その後身柄を引き取って伊豆半島を適当に回り巡って、東京中心部を通らずに富士山麓を通って、山梨県や埼玉県内を適当に回って帰宅しようという目論見なのです。帰宅日は未定ですが、6月の4週目までには戻ることにしています。1カ月足らずの旅となりますが、途中の細かい予定などは全く立てていません。決まっているのは親しき知人の墓参と家内のクラブの集まりの日時だけです。元々は、伊豆へ行くだけの用件が、まあ、随分と大きく膨らんだものですが、このようなスケジュールというか、旅のコースの設定はくるま旅ならではの醍醐味なのです。これでなければくるま旅の面白さは半減してしまいます。

 今は旅車の内外の整備を行い、準備に万全を期すようにしています。旅先では、冬が舞い戻って来て雪が降るなどという心配は、もはや消えたとは思っていますが、この頃の異常気象は何をもたらすか要注意です。とにかく無理をしないように、臨機応変に毎日を進んでゆこうと考えています。今回から新しいパソコンを使うことにしています。旅の様子は毎日ご報告することにして、お読み頂ける方もご一緒にくるま旅をお楽しみ頂ければと考えています。

(筑波山への登山の方はしばらく休みとなります) 

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