第1日 <7月15日(木)>曇り後時々雨のち曇り
昨日北陸地方の梅雨明け宣言があったが、関東のこの地は今朝も相変わらずの曇天で、はっきりしない。今日は北に向かって移動するだけの行程であり、ただ安全運転に徹するだけである。先ずはR294を白河まで行って、R4を少し走ってから矢吹ICで東北道に入り、そこからは高速道をひたすら走って、宮城県の長者原SAまで行き、仮眠宿泊する予定。わざわざここで泊るのは、新しい車は1ナンバーの中型車となるので、料金が割引となる深夜を経過するためなのだ。車の高速道料金は同じ大きさの車でも用途によって高額となるのは解せない。
出発するのは、昼食後にした。それまでの間、TVを見たりして落ち着かない時間が続いた。11時半過ぎ、先ずは給油することにして、何時ものスタンドへ邦子殿も一緒に行き済ませる。邦子どのと別れて本番の出発は、11時55分となった。ここからは安全運転に徹することにして、R294を只管北上するだけ。先ずは道の駅;東山道伊王野に16時到着の予定で走る。途中休憩を兼ねて那須烏山のスーパーで食材の一部を購入してあとはただ走るだけ。流れは円滑で、ほぼ予定通りに到着。トイレ休憩。その後は、17時頃には矢吹ICから東北道に入ることを目指して出発。白河の市街を通ってR4に入りしばらく走って、矢吹ICに着いたのは丁度17時だった。順調だ。まだ明るいので、先ず高速道の運転に慣れることが肝要。とにかくスピードを抑え、80km走行を厳守する考えでいる。目指すのは今夜の泊りを予定している長者原SAである。仮眠するだけが目的なので、遅い到着でもいいのである。
その後は1時間ほど走って、安達太良SAでトイレ休憩。天気は未だ梅雨空で時々曇天から小雨が落ちてきたりしていたが、大したことはない。その後も走り続けて郡山から福島に入る頃に日が暮れて、少しずつ暗くなり出し、福島を抜ける頃はすっかり夜になった。そのまま走り続け、仙台が近づき19時頃は完全に夜間走行となる。目にあまり自信がないので、とにかく安全運転に集中する。ガソリンが持つかとの不安があったが、どうやら高速道のスタンドでの給油は不要のようなので、少し安心した。というのも、この車は思ったよりも遥かに燃費のかかる車で、今までの試し旅ではL当り7kmくらいしか走れないのである。やっぱりディーゼルにしておけば良かったかなと、当節のガソリンの高騰が恨めしい。目的地の長者原SAに着いたのは、丁度20時だった。小雨気味の天気だった。夕食はパンを齧って冷めたお湯を飲んで済ます。本番の旅での初めて迎える夜である。取り敢えず邦子どのにメールをしようとしたのだが、スマホが見当たらない。確かに入れた筈のバッグの中を探しても無いのだ。こりゃあ端から偉いミスを犯したと焦った。その後しばらく持参品を漁っていたら何のことはない別のバッグの隅に隠れていたのだった。いつもと勝手が違うので、置き場所が定まらず、スマホ以外の物もうっかりしていると、どこへおいたのかを探しまわることになってしまう。要注意だ。とにかく見つけて安堵して報告を済ませ、その後は車の中の各種ツールの置き場所などを再確認して、寝ることにして窓にシェードを貼りつける。馴れない夜間走行で疲れたのか、間もなく眠りがやって来た。
第2日 <7月16日(金)> 曇りのち晴れ
4時少し前に目が覚めた。外を見ると、今日も曇り空らしい。先ずはブログの発信をすることにして、タブレットをつなぎ所定の操作に取組む。家以外の場所での操作は初めてなので上手くゆくのか心配。案の定なかなか繋がらなくて手こずったが、2~3度繰り返している内に繋がって、無事発信。それから朝食に取り掛かる。先ずはお湯を沸かす。雨は降っていないので大丈夫。お湯を沸かした後はコーヒーを淹れ、野菜とパンだけの貧しいメニュー。マヨネーズは使わない。コレステロールに問題ありと指摘されているので、これでいいのだ。気づいたら5時を過ぎていた。トイレの用を済ませ、出発することにする。前の旅車よりもやることが少なくてその分楽なのだが、何しろ探しごとが多くて落ち着かない。
6時半に出発。ここに泊ったのは理由がある。この車は中型車扱いなので、夜間0時だかを過ぎないと料金がかなり高くなるのだ。前の旅車の方が図体は遥かにでかくて普通車扱いなのに、何だか不満と違和感を覚える。ここに泊れば普通車扱いとなるというのも解せない。築館ICで降りて、あとはR4で一関まで行きそこから取り敢えず道の駅:厳美溪まで行き、休憩を兼ねて近くの正宗公が気づいたという堤防を少し歩きたいと考えている。その後で、今日は中尊寺が別当となっていたという骨寺村荘園を訪ねることにしている。
直ぐに築舘で降りて、練習のためにナビを厳美溪宛で入れていたのだが、それに従って走っていたら、何だか変な感じの道を通ることになった。同じようなでこぼこ道をぐるぐる回らされて、元のR4に出るまでに相当廻り道をさせられて、ナビを呪った。おかげで道の駅:厳美溪に着いたのは予定よりかなり遅れて8時近くになってしまった。歩くのは止めにした。それにガソリン残量も少なくなって来ているので、骨寺村荘園跡を見るのも止めて、給油した後で毛越寺庭園を訪ねることにして出発。
この後は順調で毛越寺には8時半過ぎに到着。ここを訪ねるのは3度目くらいか、あるいはもっと多く来ているのかも。平安時代の浄土庭園を幾つか見ているけど、やはりここが一番だと思う。古の貴族の描く浄土というものは、普通の民のそれとは大きく異なっており、何だか違和感を覚えるのだが、今の時代はそれに共感を抱けるのは、民の暮らしがそれだけ豊かになった世に生きているからなのかもしれない。そのようなことを考えながらゆっくり池を巡る参道を歩きながらその浄土とやらを思い浮かべて味わった。いい時間だった。
その後は、予定では中尊寺に行くのが先だったが、予定していた達谷窟毘沙門堂の方が近くにあるようなので、こちらを先に訪ねることにした。10分ほどで到着する。ここは以前に通りすがりに中に入らずに見たことがあるのだが、今日はもっと詳しく知りたいと考えて予定に入れたのである。その時のことを思い出しながら、500円也の拝観料を支払い境内に入る。説明書きを読むと、この窟(いわや)にはその昔人々に迷惑をかける悪者が住んでおり、お姫様を攫って来て閉じ込めめたりの悪行をするので、都から派遣された坂上田村麻呂がやって来てこれを退治したとのこと。田村麻呂が軍事の神の毘沙門天に謝意を表してここに社殿を祀って建てたのがこの神社の始まりだとのこと。東北の旅では随所に田村麻呂の功績や源義家などの武勇伝説を聞くことが多いが,この地の豪族たちはなかなか遠い大和朝廷の言うことなどは聞かなかったのだと思う。優勢民族の地方侵略の話なのかもしれない。昔を訪ねている内にこの頃は通説とは異なる皮相的な見方をするようになっている。だけど面白いなと思った。窟も立派だし、最北方の磨崖仏も見ることが出来て。満足した。
その後は、中尊寺を訪ねようとナビに近くの駐車場を設定して出発したのだが、再び違和感のあるある道を走らされて、途中から同じ道をぐるぐる回らされる羽目になった。そんなことをしている内に無性に腹が立って来て、中尊寺は何度も来ているので、今日はもう止めることにしようと決心する。予定を変更して、近くにある筈の道の駅に行こうとしたのだが、このナビのガイドが分かり難い所為で、益々頭に来た。オリジナルナビなのだと偉そうに書かれていたが、使い難いのは不慣れの所為ではなく、作り方がなっていないのではないか。車屋さんに文句を言っておかなければ気が済まない気分だった。
とにかくここを離れることにして、予定を変更して今日の泊りを考えていた道の駅:石鳥谷まで行くことにした。そのあとはナビを見ることは止めにして、R4に出てひたすら北上する。水沢を経て北上、花巻を通過して、石鳥谷に着いたのは、12時半だった。怒りを収めながら昼食とする。もの凄い暑さである。今日はよく晴れていて、もはや梅雨の空とは思えない。途中の気温表示には35℃というのがあって驚いた。駐車場は混んでいるので少し奥の体育館の広い駐車場に車を止め、今朝沸かしておいたポットの湯でカップめんを作って食す。汗を掻きながらの昼食も又良し。
一休みの後、さてこれからどうするか。ここに泊る必要はなくなったので、明日のことを考えてすこし先にある岩手町の道の駅:石神の丘まで行き泊ることにした。13時過ぎに出発して、盛岡市街を抜け、郊外を走り岩手町に入ったのは15時頃か。途中盛岡エリアのスタンドを見ると、今朝入れた一関よりも3~4円安ので驚いた。どうしてこんなに違うのか解せない。守谷よりもずっと安いのである。道の駅の少し手前のスタンドで給油を済ませ、道の駅到着は15時半だった。夜になるまでかなり時間がある。暑いのでドアを開け網をかけて風を通し、暫くPCに向かって、ブログ発信の下準備に取組む。それが終って邦子どのにメールを送ったら、その後電話が掛ってきて、何と昔勤めていた会社の元上司の方が亡くなられたとのこと。90歳を超えられた方なので、今頃はどうされているかなあと、2~3日前話をしていたところだったのだが。いずれはと予期はしていたものの、やはり人間というのもやがてはその時が来るのだなと、改めて思い知らされたのだった。ご冥福をお祈りします。合掌。
夕方になってかなり涼しくなってきた。TVを見ていたら、何と東北地方の梅雨明け宣言が出されたという。関東もそうだとのこと。自分が空を眺めた感想も又梅雨明けだったので一致したことになる。夕食はカレーライス。今回はパック入りのご飯を持参しているので、レトルトカレーと一緒に温めると、手間が省けて短い時間で完成する。久しぶりのご飯を食べて少し元気が出た。その後就寝の準備。ここはトラックも同居しているので、騒音がきつい。少し離れた場所に車を移動してシェードを貼り、しばらくニュースを知るためにエンジンをかけて冷房しながらTVを見る。梅雨明けを知り、明日から本格的な暑さとなるなと思いながら、ほど良く冷えた寝床に横たわる。明日からが今回の旅の本番となる。