山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

一本指の入力

2012-09-24 01:52:33 | その他

  16日に北海道の旅を終えて帰宅してから早や1週間以上が過ぎました。ブログの方はあたかも息絶え絶えに家まで辿り着いて、パタンと倒れ込んで、そのまま酸素吸入を受け続けているかの如くに、何の音信も無しの状況となってしまっていました。旅の総括なども何もしないままの状態で、真にだらしのない有様だなと思っています。

 今日はその弁明です。旅から戻って、4日ほどかけて家周辺の除草や樹木の剪定などをしながら、くらしの切り替えを図ったのはいつもの通りなのですが、今年は旅の間も不調を来たしていた両手中指が、いよいよ思うように動かなくなり、ついに手術することを決心しました。その不調というのは、バネ指といわれるものなのです。手を握るとその中にある指のどれかが、開いた時に元に戻らなくなって、それを戻そうとするとバネが跳ねるように動いて戻るという症状なのです。初めの内は痛くも痒くもなく、何だか変だなと思う程度なのですが、これが昂じてくると痛さが加わるようになり、又曲げた指がなかなか戻らず、別の指の力を借りないと復帰しなくなってしまうのです。

 旅の間では、水を汲んでタンクに入れる時などある程度の握力が必要となり、ポリタンを持ち上げる度に指が元に戻らなくなったりして、困惑を続けていました。その内に痛みも酷くなり、このままでは指が動かなくなってしまうことも考えられ、思い切って手術をして貰うことを決断したのでした。

 このバネ指というのは、指を動かすための腱が不調を来たし、腱を包んでいる鞘のようなものとの間に癒着・炎症現象を来たし、腱がスムースに動けなくなるという症状なのだそうです。その癒着箇所を切除して、腱本来の働きを回復させれば元に戻るという医師の説明でした。手術はそれほど難しくはなく、リハビリも含めて1カ月もあれば本復するとのことであり、それは、家内が最近同じような症状で手術を受けたばかりなので、良く承知していたことでした。

 ということで、3日前にその手術を受けたのでした。何しろ両手の中指を一度にお願いしたものですから、手術の方も1時間ほどかかるという状況でした。勿論局部麻酔をしてからの切除なので、痛さは感じないまま手術が終わったのですが、その後麻酔が消えるに従って、今度は痛みがうなぎ昇りに拡大しました。今は頓服薬などを飲んで、次第に落ち着いて今日を迎えています。しかしまあ、両手が思うようにならないというのは真に不便なことで、何をするにも、イテテ、イテテと泣き言をいいながら、といった状態です。

 こんな時に思うのは、亡き安達巌のことです。小学校低学年の時に感電事故で両手を失った彼は、その後の凄まじい努力によって、口に絵筆をくわえての世界でも屈指の画家となったのですが、生前のお付き合いの中で、彼の強烈な薫陶を受けている自分は、こんなことぐらいで泣き言を言うのはとんでもない思い違いだなという気持ちが常に耳元で囁いています。彼の場合は画筆を加える歯が重要な役割を担っていたのですが、それがもしダメになったなら、口で書くことが出来なくなったら、足で描くのだと話していました。左足がダメなら、右足でもと、とにかく使える身体は全部使い切って絵を描くのだという、その凄まじい絵に対する執念ともいえる情熱を思うと、手指の改善のために僅かにメスを入れた一時的な痛さなど問題ではないと思うことにしたのでした。

 しかしまあ、甘い人間には愚痴は出るもので、そう思いつつもイテテ、イテテと口に出しながらの今の暮らしぶりなのです。久しぶりに一本指でこれを打ちこんでいます。両手が使えるまでにあと何日掛かるのか。たまには原点に戻っての一本指入力もいいな、などと思いながら、回復を待っています。旅のことなどは、その時がきましたら、所感などを述べたいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <78回=最終回>

2012-09-17 02:45:11 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月16日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

道の駅:たまかわ →(県道42・R118)→ 道の駅:はなわ →(R118)→ 道の駅:だいご →(R118・県道21他・R123) → 道の駅:かつら →(R123・R294)→ 道の駅:にのみや →(R294)→ 自宅  <212km>

≪レポート≫

 今日はついに今回の北海道行の最終日となる。どんな出来事にも時間というものは付いて回るのであり、必ず終りがやってくるのだけど、今日はその終わりの日となってしまった。玉川の道の駅は、福島空港へ行く途中にあり、何年か前に一度泊ったことがある。林に囲まれた静かなロケーションにあり、滅多に飛ばない飛行機の騒音は殆ど気にしなくてもいい場所だ。昨夜は少し遅かったので、飛行機の発着は既に終わっていたようで、真に静かな一夜を送ったのだった。今朝の天気は雲は多いけど晴れで、この調子だと今日も一日暑くなりそうな予感がした。今日は、ひたすら我が家を目指すだけの大して感動もない行程である。7時過ぎに二度目の起床をして、軽い朝食をとり出発となる。

 今日の行程は、R118を南下し、我が故郷の常陸大宮市から栃木県の茂木町に向かい、R294に入って、あとはそのまま南下すれば自宅に到着という行程である。この間、寄り道をするような場所は殆どない。ということで、ひたすら安全運転に努めることが肝要なだけである。

 R118は我が故卿の水戸や常陸大宮につながる国道である。今この道を福島県側から南下してゆくのは感慨深いものがある。というのも、子供の頃、否大人になってもかなり長い時間そうだったのだけど、茨城県側からこの道を通って福島県側に遠く行ったことがなく、最北は高校時代に行った福島県の最南端の町の一つである矢祭山町までだったのである。その先にどんな風景が広がっているのか、なかなかイメージが湧かなくて、そこから先は長い間、自分の心の中では未知の、謎の世界だったのである。地図を見れば凡その見当はつくのだけど、それが解っていても謎の世界というのは誰にでも少しはあるのではないか。その謎を解くかのように今、この歳になってこの道を走っているというのは、不思議で、何度通っても感動ものなのである。国道らしからぬ田舎道の両側には頭を垂れた黄金の稲穂が輝き、未だ残暑は衰えを見せない中にも、幾つかの秋の風情が広がる田園に点在している。その昔田舎で育った頃につながる懐かしい風景がどこまでも続いていた。茨城県の最北地も福島県の最南地も同じなのだった。謎が解けるというのは、このようなものなのであろう。今日も同じような感慨を思い浮かべながらの通行だった。

 茨城県に入り、大子町の道の駅に寄ったりしながら更に南下を続け、常陸大宮市からは県道経由でR123に入り、那珂川の近くにある道の駅:かつらに寄って大休止とする。那珂川の河川敷はキャンプ場にもなっており、連休の中日とあってか、無料のキャンプ場にはキャンプを楽しむ家族連れなどの人たちがテントの花をたくさん咲かせていた。北海道と比べてかなり条件の悪いキャンプ場だと思うのは、北海道の自然の豊かさに慣れてしまっているからなのかも知れない。しかし、キャンプを楽しむ人たちの嬉しそうな表情は同じである。せめてもう少し涼しければ楽しさも層倍になるのにと思った。

1時間ほど休憩して、最後の行程に取り掛かる。R123を栃木県茂木町に向かってR294に合流して、益子町から真岡市へ。ここまで来ればもう茨城県は間近である。二宮町から筑西市に入り、筑波山はぐっと近くなる。今日の天気は荒れ模様らしく、先ほどから天気雨が降ったりしており、筑波山は雲を絡ませてほんの少ししか見えなかった。下妻の道の駅に寄ろうとしたが、大混雑でここはパスし、一気に我が家を目指すことにした。ここからは40分足らずの距離である。順調に車は流れて、守谷の町中に入ったのは、13時半過ぎだった。これから荷物の運び出しなどの重労働(?)が待っており、空腹のままではそれこそ熱中症にもなりかねないと、先ずは腹を満たしてから帰還することにして、町中のとんかつ専門店へ、8年ぶりに立ち寄る。家に居る時は滅多に外食をしないし、ましてやとんかつなどというものは、最近の自分にとっては天敵のような食べ物となっているのだけど、旅の最後の日には無謀も許されるものとの決断だった。相棒には無関係のことである。

15時少し前、我が家に到着する。家を出てから2カ月半、78日ぶりの帰還だった。走行距離は5,515km。去年と比べると1,500kmほど少なくなっており、先ずは満足することにした。事故もなく、若干の車のトラブルはあったものの、大過なく旅を終えたことに安堵すると共に、この旅の間に出会った多くの方たちに感謝の気持ちでいっぱいである。旅の反省などする余裕はなく、明日からしばらくの間は、家の周辺を我が物顔に侵略占領している雑草共を退治しなければならず、ブログの方も休憩となるのだと思う。(今は他人事としか思えないといった状態です)とりあえず、長旅の毎日のご報告は、これにて終了といたします。お読み頂いた方に深謝申し上げます。  馬骨拝

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <77回>

2012-09-16 03:53:44 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月15日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

道の駅:なんごう →(県道42)→ 八戸道南郷IC →(八戸道・東北道)→ 岩手山SA → 前沢SA → 長者原SA → 菅生PA → 安達太良SA → 矢吹IC →(R4他)→ Iさん宅 →(県道42他)→ 道の駅:たまかわ (泊)  <453km>

≪レポート≫

 今日は高速道での移動日である。道の駅:なんごうの夜は、前段は車の交通量が多く騒がしかったが、深夜に入ってからは静かになり、快適な夜を送ることができた。明け方近くに起きだし、外を見ると、空には無数の星が煌めいていた。夜の間は日中の暑さが嘘のように消え去って、真に過ごしやすいのだけど、この満天の星空では、今日の日中も又かなり暑くなるに違いない。この涼しさが定着するような季節の到来を願うのみである。朝起きて、付近を散策すると、碑は語るという表題の記念碑があり、その脇に何と北氷洋捕鯨の銛の発射台が置かれていた。書かれていたのを読むと、戦後の北洋捕鯨やカニ工船、鮭の漁などへ、この村からかなりの人たちが出かけてゆき、各船団に所属して活躍したとのこと。今頃は捕鯨は禁止され、わずかに調査という形で再開を待つという状態だけど、その昔の栄光の活躍記録をここに残し止めたいという村の人たちの思いが記されていた。ここは海とは離れた、かなりの山の中にあり、少し不思議に思ったけど、このような時代、このような暮らしもあったのだと、改めて時代の変化の速さを思ったのだった。南郷村は、今は八戸市と合併し、直ぐ傍には高速道のICも控えている。一つ新しい道の駅の印象が強く残った。

 NHKの朝ドラを見たあと、出発となる。予想通りの暑さが膨らんできている。高速道のICまでは5分もかからなかった。久しぶりの高速走行は無理をせず、スピードを出さず、とにかく安全運転に徹することを心掛けることにしている。今日の予定は、八戸から東北道をひたすら南下して、行けるところまで行って、SAなどに泊まることにしている。そこがどこになるのかは走り次第で決めることにしている。高速道の走りの基本は、今回は100kmほど走って、1時間の休憩をとることにしている。スピードも80kmを上限として一番左の車線をキープし続けることにしている。何しろSUN号は重量があり、過積載を気にする必要があるからである。それにタイヤも3年目に入っており、出発前の専門家のチエックでは大丈夫とのお墨付きは貰ってはいるものの、何が起こるか判らないので、油断は禁物である。長時間の連続走行は控えることにしている。

 南郷ICから入って、しばらく八戸道を走り、間もなく東北道に入る。天気はいいのだけど、時折突風のようなのが吹くのは、谷間を見下ろす山の上の方につくられた道を走っているからなのであろう。ハンドルをとられぬように慎重に運転する。1時間と少し走って岩手山SAに到着。ここで1時間ほど休憩することにする。今日の岩手山は、逆光とスモッグで黒い影になって見えるだけだった。大きな山である。この暑さでは、山も霞んでしまうのかも知れない。相棒はどこかへ出かけて行ったけど、自分の方は直ぐに寝床に横になる。外は暑くても車の中は良く冷えており、この冷えが消えないうちに少しでも眠っておこうという算段なのである。ということで40分ほど眠りを得ることができた。寝る時はちゃんと寝る支度をして横になるというのが、自分のやり方である。ズボンを履いたままとか、運転席でハンドルに顔を伏せて眠るなどはしない。40分も眠れば、気分は爽快となる。

 岩手山SAを出た後は、同様のスタイルで、前沢SA、長者原SA、菅生PA、安達太良SAと休憩をとりながら南下を続ける。この間、前沢SAで昼食。作るのを省略して外食とした。この頃から今日のこの先のコースに関し、このまま南下を続ければ、16時頃までには福島県の南部くらいまでには行けるので、それならばこのところくるま旅から遠ざかっておられる矢吹町在住のIさん宅を訪問して、一寸ご尊顔を拝して行くことにしようと気づいた。相棒も即座にOKということで、Iさんにメールを打つ。突然の話なので、もしかしたらIさんは所用で不在なのかも知れないし、或いは体調が思わしくなくて医療機関のお世話になっているのかも、などなどあれこれ思い迷ったけど、もしT連絡がつかなくてもとにかく立ち寄って様子を見ることにしての走行だった。安達太良SAの入る前に、Iさんから電話があり、今は買い物で少し遠くへ来ているけど大丈夫との内容だった。良かった。買い物に出かけられるということは、体調の方もまあまあの状態なのだろうと安堵した。

 16時半頃矢吹ICを降りて、東北道に別れを告げる。ここからは一般道となり、ともかく高速道走行の緊張からは解放されてホッとする。タイヤの方も頑張ってくれて大丈夫である。矢吹町辺りはサッと雨が降ったようで、路面が濡れており、暑さも拭われた感じがしていた。子供の頃は毎日夕立があり、どんなに暑くても夕方には涼しさが戻って来たものだったが、この頃は夕立は滅多に無く、ある時にはとんでもないゲリラ豪雨や雷鳴・竜巻などがやってきたりして、恐ろしい限りである。通り雨に濡れた路面を走るのは、車だけではなく、人間にとっても嬉しいことだ。間もなくIさんのお宅に到着。

 ご夫妻とも思ったよりもお元気そうで安堵した。Iさんご夫妻は自分たちよりも少し若い世代の方なのだけど、早めのリタイアの後はくるま旅を楽しまれて、何年か前に自分たちとは北海道で出会って以来の大切な知人である。そのご主人の方が、3年ほど前から体調を崩され、膝などが痛む病に見舞われて、今は長旅のできない状態となってしまわれ、治療に専心する状態がしばらく続いていたのだった。現在でも少しは改善されたものの、立居の動作にはかなり苦労されており、決して無理のできない状況とお見受けした。いろいろと話を伺うにつけても、やはり健康の大切さを思ったのだった。Iさんご夫妻も今年の夏は、札幌のお孫さんに会いがてら、北海道には2度も訪れているとのこと。旅車ならば、もっともっと長い時間お孫さんに会えたものをと思いつつも、2度も訪問されたことを嬉しく思った。一日も早い本復を願ったのだった。とにかく、一寸お顔を見るだけとのことだったけど、気が付けば外はもう暗くなっており、あわててお宅を辞す。突然のお邪魔にも快く迎えて頂き、短い時間だったけれど楽しい安心のひと時が持てて本当に良かった。どうぞお元気で。

 Iさん宅を出た後は、最寄りの道の駅:たまがわに行き、泊まることにした。10分ほどで到着。高速道のSAなどに泊まるよりも、こちらの方がずっと静かで過ごしやすい。明日は愈々家に戻る日なのかと思いつつ、旅の最後の夜を送る。

今日(9/16)の予定】 

道の駅:たまかわ →(県道42・R118・R289・R294)→ 道の駅:東山道伊王野 →(R294))→ 道の駅:しもつま → 自宅 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12年 北海道くるま旅くらしレポート <76回>

2012-09-15 05:24:27 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月14日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

東大沼キャンプ場 →(道道・R5・R227)→ 函館フェリー乗り場 →(津軽海峡フェリー 函館発9:30→11:10大間着)→(R279)→ 道の駅:よこはま →(R279・R4)→ 道の駅:しちのへ →(R4)→ 道の駅:とわだ →(R4・県道42)→ 道の駅:なんごう (泊)          <210km>

≪レポート≫

 今日も完全なる移動日だ。昨日までと決定的に違うのは、函館9時半発のフェリーに乗れば、北海道とサヨナラをするということである。今回の旅も愈々終わりに近づいたのを益々実感しながらの起床だった。樹木に囲まれた東大沼のキャンプ場の朝は清新で、小鳥たちの囀りの中に今日もいい天気で始まったようである。6時近くまでにブログの投稿を終え、朝食はフェリー乗り場に行ってから摂ることにして、6時10分にはキャンプ場を後にする。函館の津軽海峡フェリー乗り場に着いたのは、7時頃だった。途中で給油を済ませ、高速道での負担をなるべく少なくしようと心掛ける。

 出航の時刻までかなりあるので、先ずはスマートチエックインという機械での発券を済ませてから車に戻り、朝食を済ませる。この間に気温はどんどん上昇し、車内の温度は30℃近くにもなり出した。真にしつこい残暑ではある。ターミナルビルの方へ行って涼を取り、しばらくして戻って車から外に出ると、見覚えのある古い型式のフランス製の車が入って来た。先日稚内公園の森林キャンプ場で見かけた車で、その時相棒は何やら声掛けをしていた。その時は女性を含めて3人ほどの外国の人が乗っていたのだったが、今日は降りて来たのは、男性一人だった。相棒が寄って行って挨拶を交わしていた。向こうの方も気が付いたようで、その後近づいてきて握手を求められた。彼の話す言葉を多少は聞き分けられるのだけど、当方は話す言葉を知らないので、肯くだけだった。彼の説明では、地球は狭いとのこと。奥さんは子供のことがあり一緒にいたウクライナの人も飛行機で戻ったのだと、ゼスチュア入りの事情紹介だった。日本の軽自動車級の大きさの車で、キャンプなどをしながらこの国の旅を楽しんでいる人もいるのかと思いうと、彼の言う世界は小さいという意味も良く理解できるなと思った。合わせて、自分の怠慢を少し反省した。フランス語はともかくせめて英語での会話くらいは身に付けておくべきだった。そんなことを思いながら過ごしている内に時間が経ち、間もなく乗船時刻となり、フェリーの中へ。

 大間へのフェリーは「ばあゆ」という名の小型の船である。青森航路の方はより大型だけど、ばあゆの方は近距離であり、利用者も少ないので小型となっているのであろう。積載する車も大型のトラックなどは見られない。北海道の旅から戻られる方の車も何台か収まっていた。1時間40分の船旅は、穏やかな海の中を何事もなく航行して、予定通りの時刻に大間のフェリー乗り場に到着。さあ、ここからはもう北海道は、恐らく来年まで来ることの叶わない遠い世界となってしまった。そんな思いが一瞬目の前を過ぎった。

      

 津軽海峡フェリー、大間~函館航路に就いている「ばあゆ」の全景。もうこの船には何度もお世話になっている。 

 大間からは先ずは一路横浜町の道の駅を目指す。毎年フェリーを降りる時刻は決まっており、したがって次の行動も似たものとなる。我々の場合は、一気に横浜の道の駅まで走って、名物のホタテ入りのコロッケを昼食のメインにしている。下北半島の海は穏やかで、秋を忘れた太陽の下に光を溢れさせて輝いている。マリンブルーの海面の下には、果たしてどれほどのマグロ君たちが漁師の人たちと睨み合っているのだろうか。マグロとは縁のない自分たちには、漁師の人たちの意気ごみに応援もしたいけど、一方でマグロ君たちにも巧みに逃れて生長して欲しいものだと思ったりしている。下風呂温泉を過ぎて、大畑町(今はむつ市)からむつ市の市街地を掠めて、しばらく右手に海を見ながら走って、横浜の道の駅に到着。暑い!猛烈な暑さである。これが残暑なのか?と思うほどの本格的な炎暑が大地を焼いている。とんでもないことだなと思った。12時半を少し過ぎている。さっそく売店に行き、相棒が買ってきたのは、いつものコロッケのほか、今日はホタテのフライとホタテごはん。この旅最後のホタテ尽くしの昼食は、まあ、豪華というべきか。自分はパンの間にコロッケやフライを挟んで食べることにした。それにしても外は暑い。1時間ほど休憩して出発する。

 今日の泊りの予定は、当初七戸の道の駅と考えていたけど、到着時刻が早すぎることや明日からの高速道利用ことを考えると、もう少し先の方まで行って泊まった方がいいと考え、地図を調べた結果南郷村にある道の駅まで行って泊まることにした。八戸道の南郷ICは道の駅のすぐ近くなので好都合である。ということで、先ずは七戸の道の駅を目指す。下北半島は東通村や六ヶ所村など我が国の原発産業の重要な部分を占める施設が多くあり、特に六ヶ所村には使用済み核燃料の再生利用のための施設があり、これから先いろいろと物議を醸しだすのではないかと思っている。横浜町はその六ヶ所村の反対の陸奥湾側にあり、いつもこちら側の道を通っているので、太平洋側のことは分らないのだけど、そのような施設が直ぐ傍にあることを思うと、何だか心穏やかならぬものを感じての走行だった。野辺地からは日本一長い国道4号線に入り、間もなく七戸の道の駅に到着。ここも横浜の道の駅以上に暑かった。往路の時も書いたけど、七戸は東北新幹線の新しい乗降駅ができ、それがこの道の駅のすぐそばに設けられている。隣接してイオンのショッピングモールも開店し、何だかまだなじみにくい空間がそこにあるような気がしている。七戸町の現実を実感するのは、地産物品の販売所に入った時である。品質の高い安価な商品が多く並べられているのを見た時、ああ、やっぱりここは変っていないなと安堵するのである。七戸町は天間林村との合併で、役場をわざわざ天間林村の方に写しているけど、どうしてそんなことをしたのか解せないでいる。七戸といえば、巨大な七戸城の遺構もありそれなりの歴史のある場所なのに、やはりその近くに行政の拠点があるのが普通なのではないかなどと思うのだけど、どうやら他所者には判らない不思議がある様だ。ま、余計なおせっかいといわれればそれまでだけど、新幹線の駅だってすぐそばにあるのにどうしてなのかなと思ってしまうのである。

 売店で、今日の夕餉用に豆腐を買い、この冬のつまみにも間に合わせるように、浸し豆(この地ではべったり豆と呼んでいる)や青豆を5kgほど購入する。浸し豆というのは、青豆などを1夜水に浸し、膨らんだものを塩ゆでして食べるもので、枝豆の中身だけを食べているような食感がある。自分の大好物である。この豆はこの地で販売されている物が日本一安いと思っている。500gが300円。守谷市内のスーパーなどでは信じられないような低価格である。(どうやら普段の暮らしがバレてしまったようだ)これを買わないというのは、豆の存在価値を知らないという不幸な方たちであろう。、車に戻り水などを少々補給して、しばし休憩。1時間ほど休んで出発。

 ここから南郷村の道の駅までは小一時間ほどである。まだ太陽は空高くあり、暑さも変わらない。日が沈めば少しは涼しくなるのだろうけど、日没までにはまだ2時間以上はある。しかし何時までもここに留まってもいられないので、次は十和田の道の駅に行って休むことにしたのだった。十和田市は七戸に隣接しており、直ぐ近くなのだけど、道の駅ははるか離れた郊外にあり、そこには裂き織の工芸館などの他場外馬券売り場などもあって、一寸変わった雰囲気の道の駅となっている。ここにも良質の地産物が多く並べられており、寄って飽きない場所だ。20分ほど走って到着。ここで30分ほど過ごして太陽が鎮まるのを待ったのだけど暑さは一向に収まらない。17時少し前に出発。

 R4を名川村手前から左折して県道に入り、階上町の方に向かってしばらく走ると、南郷村となり、道の駅はその中心街近くにあるようで、間もなく到着する。ここにはだいぶ前に一度来たことがあるのだけど、その時は休日だったかして何かイベントがあったらしく大変な人出に困惑して直ぐに逃げ出したのを覚えている。相棒は全く記憶にないと言っていた。大変立派な施設が集中している場所にあり、それら全体が道の駅であるかのような景観だった。立派なアンツーカーの400mトラック陸上競技場をはじめ、温泉プール、大型のドーム体育館、それにジャズ専用の館までつくられている。スポーツと文化の施設が集中しているかのようだった。守谷市の貧弱さとは比較にならない。駐車場も広く、何処に停めて良いのやら迷うほどだった。

 まだ17時半前で空には依然としてピカピカのお天道様が輝いており、それに今は丁度風向きの交代時間の凪なのか、そよとも風が無く、暑さは車の外に出ても不変だった。あとで、TVのニュースを見たらやはり今日は異常日だったようで、この暑さは話題となっていたようである。18時頃にようやく陽が沈んでもこの暑さは変らず、どうにか耐えられるレベルになったのは、20時を過ぎた頃だった。とにかく風がないので、蒸し暑さは身体から逃げ去ってはくれないのである。北海道の暑い日とはやはり少し違うなと改めて思ったのだった。20時過ぎ寝床に入って、久しぶりの本土(?)の夜の眠りに就く。明日からは高速道の移動時間ばかりが待っている。

今日(9/15)の予定】 

道の駅:なんごう →(県道42)→ 八戸道南郷IC → (八戸道・東北道)→  (未定)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <75回>

2012-09-14 05:51:25 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月13日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

道の駅:くろまつない →(R5)→ 長万部・鈴木商店 →(R5) → 八雲町郊外ショッピングモール →(R5)→ グリーンピア大沼(♨)→(R5・道道)→ 東大沼キャンプ場 (泊)        <118km>

≪レポート≫

 今日も移動日、これといって書くこともなく、次第に帰途の現実が大きくなって来ている。何しろ明日はフェリーに乗らなければならないのである。もう少し北海道を味わいたいような、いっそさっさと帰って家の周辺などの除草や整備を終わらせたいような、ちょっぴり複雑な気持ちも湧いてきている。とにかく、今日は七飯町の大沼キャンプ場まで行って、そこに泊まるだけの行程である。

 黒松内の朝はいい天気で、今日も暑くなる予感がした。昨夜はソーラーバッテリーの騒動で、電気を使わぬようにして早く寝たため、何度も夜間に目が覚めて、眠りを回復するのに往生した。起き出したいのだけど、灯りが無いので、ものを書くこともできない。これはかなり辛いことだった。そのソーラーの表示機は、朝になっても相変わらず赤の点滅を続けており、こりゃあ、やっぱりバッテリーがおかしくなっているのかなと思った。ところが、やがて8時過ぎに日差しが強くなってくると、赤の点滅はいつの間にか青に戻っていた。つまり一応は正常な状態に戻ったということだ。やれやれである。これでいつもの太祖王建も見られるというものである。さっそくBSのアンテナを合わせる。ま、大丈夫なようだけど、帰宅したら専門家に再度点検してもらい、今後の安全を期すことにした。

 10時半過ぎ出発。今日はR5を南下するだけである。先ずは長万部の鈴木商店に寄り、相棒の好物のカニ弁当を買う。今年の北海道最後の名残の味を味わうためである。そのカニ弁当を手に入れた後は、少し走って、八雲の郊外のショッピングモールに立ち寄り、そこの駐車場で昼食休憩。相棒はさっそくカニ弁当を味わっていた。自分の方は餅とうきびをじっくりと噛みしめて味わう。ここで休憩する前に、近くの蔦屋書店で「カーネル」という車中泊がメイン記事の季刊誌があるか探したのだが、置いていないとのこと。先日稚内のキャンプ場でこの本に関わっておられるというHさんに写真を撮られており、掲載になるかもしれないとおっしゃっていたので、少し気になっている。自分よりも相棒の方がその関心は大のようである。この先も一応は本屋があったら覗いてみることにしている。カニ弁当を食べきれないという相棒の残した分を食べて、昼食が終わり、そのあとはしばらく寝床に横たわることにした。丁度建物の陰に駐車しており、暑さを防げるのである。さすがにこの時期となると、幾ら暑いといっても日陰に入ればぐっと涼しさが寄ってくるのである。1時間ほど眠った間に、相棒は傍のホームセンターなどで、何種類かの旅用品を買い求めて来たようだ。既に気持ちは一部来年の方にも行っているのかも知れない。

 一休みの後は、東大沼のキャンプ場に行く前に近くにあるグリーンピア大沼というのに温泉があり、これがHOの無料入浴で紹介されているので、そこへ行って今年の北海道最後の温泉入浴を楽しむことにして出発。いい天気で暑い。左方噴火湾の彼方に駒ヶ岳がてっぺんに雲を巻きつけて聳えているのが遠望できる。やはりあの山はこの辺りでは群を抜いた雄峰である。噴火で吹き飛んだ頂上を修復すれば、羊蹄山に劣らぬバランスのとれたもう一つの蝦夷富士が出現するに違いない。1時間ほど走って、グリーンピア大沼に到着。初めての来訪だった。かなり大規模なレジャー施設の中核がホテルで、その後方に温泉入浴施設があった。1時間ほど温泉を楽しむ。

 その後は、東大沼キャンプ場へ。ここには何度もお世話になっている。行ってみると、何とキャンプが禁止になっていたので驚いた。説明板によると倒木があり、危険なので林間にテントを張るのは禁止だとのこと。自分たちは駐車場に留めるだけなので、大丈夫であり、水やトイレも使用可ということだったので安堵。結局その泊りは数台の車とバイクだけだった。バイクの人たちは駐車場の脇の方にテントを据えて寝られたようである。早く樹木の調査が済んで、林間の宿営許可が再開されるのを願った。

 今夜はTVも大丈夫なので、ほんの少し観て、早々の就寝となった。明日はついに北海道を離れる日となる。

今日(9/14)の予定】 

東大沼キャンプ場 →(道道・R5他)→ 函館津軽海峡フェリー乗り場 → 大間フェリー乗り場 →(R)→ 道の駅;よこはま →(R)→ 道の駅:七戸 (泊)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

'12年 北海道くるま旅くらしレポート <74回>

2012-09-13 06:48:46 | その他

【昨日(9月12日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

道の駅:スペースアップルよいち → ニッカ会館 → 柿崎商店 →(R5)→ 道の駅:くろまつない (泊) <96km>

≪レポート≫

 今日からは単純に14日のフェリー乗船に向けての移動日なので、特に書くこともない。簡単に状況などを記すに止めることにしたい。

 余市の道の駅は今年は2回目となった。ここに泊まるのは、第2駐車場が通りから離れた場所にあり、夜間の騒音が比較的静かなこと。時々トラックが入って来て、エンジンを掛けっ放しという無礼者がある場合があるけど、大体は静かな夜を送れるからである。それにニッカウイスキーの余市工場が隣接しており、昔から親近感を覚えている感じがしているからでもある。昨夜も静かな安眠を得ることができて、良かった。余市の朝は昨日とは打って変わった青空が広がっており、今日は再び残暑が厳しくなる予感がした。

 今日は昼過ぎまで余市で過ごし、午後2時ぐらいには南下を開始して泊りは黒松内の道の駅にしようと考えている。先ずは10時まではTVを見る。その後は1時間ほど車の掃除などをして過ごし、車を移動させて駐車場の反対側にあるニッカウヰスキーのニッカ会館へ。ここで出発までの時間を過ごすことにした。ウイスキー工場というのは、何処もそうだけど騒々しくない。騒音はウイスキーの製造工程の中ではほんの一部に限られており、その殆どは熟成のためのスペースであり、工場の中は樹木に囲まれた静かな大庭園の雰囲気がある。昼食の時だけ、直ぐ近くにある柿崎商店の食堂に歩いて往復する。この店での食事も2回目。相棒は北海道の味覚の名残を味わうと、うに丼をオーダーしていた。自分は煮魚が食べたいと思っていたけど、これは単品の鯖の味噌にしかなく、それにライスをつけて貰って、食べることにした。久しぶりの鯖の味噌煮は少し味噌が甘すぎたけど、まあまあの味だった。食事の後は相棒はニッカの工場内の散策と売店での買い物へ。自分は一足早く車に戻り相棒が戻るまで午睡を貪る。暑いので少々辟易したが、少し風が入るので、そのまま眠ってしまった。13時半近くに相棒が戻り、出発となる。

 この時、LPガスの残りが気になり、天気もいいので12Vの電源を使うように切り替えたのだった。LPガスは冷蔵庫専用に使っており、残りの日数を考えると、残量がぎりぎりの感じなので、なるべく使うのをセーブしようという考えだった。ところが、これが後で問題となった。車つ内の道の駅に着いて、TVの設定をしていたら、赤ランプが点いてインバーターが騒ぎ出したのである。あわてて元のガスの方に切り替え、エンジンをかけてしばらく充電をしたのだったが、その後もずっと赤の点滅点灯が続いて、結局TVは見ないで長い夜を送ることになってしまったのだった。電気の知識は全くないので、何がどうなのか判らず、同じ無知識の相棒の見立てでは、ソーラーを付けて以降もう5年も経つのにバッテリーを一度も変えていないので、それが原因ではないかとのこと。そうなのかも知れない。とにかく帰宅してからの課題が一つ出現したのだった。

 ということで、今日は移動と最後にトラブル発生の一日となった。それにしても、7時過ぎに寝床にもぐって、それから朝までの時間の何と長いことか。夜中に何度も目覚めても起きることがままならず、朝を迎えるのがこんなに長かったのは、この旅では初めてのことである。ブログも明るくなってから開始したので、少し遅れた。今日も天気がよさそうなので、ソーラー君はちゃんと働いてくれて、バッテリーも元に戻って働いてくれるのか、心配である。

今日(9/13)の予定】 

道の駅;くろまつない → (未定)→(R5)→ 東大沼キャンプ場 (泊)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <73回>

2012-09-12 06:50:25 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月11日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

道の駅:そうべつ情報館 →(R453・道道2・R230)→ 道の駅:230ルスツ →(R230・276他)→ 道の駅:名水の郷きょうごく →(R276・R393)→ ホピの丘(牧場)→(R393他)→ 小樽運河観光駐車場 →(R5・229)→ 道の駅:スペース・アップルよいち (泊) <155km>

≪レポート≫

 今日の一番の目的は、この道の駅のある壮瞥町で餅とうきびを作っておられるMさんにお会いすることと、その餅とうきびを入手することである。このとうきびにこだわるのは、今頃のトウモロコシがあまりにも甘ったるくて、幼稚な味に成り下がっているからである。人の味覚は、甘いものから始まり、やがて辛いものや苦いものなどへ好みが進化して行くのだと自分は信じているので、やたらに甘いものを好むのは、大人になり切れない幼稚な証なのだと思い込んでいる。ま、これは一方的な理屈なのだけど、もう一つこのとうきびにこだわるのは、老人の懐古病の現れの一つかもしれない。今は無くなってしまった懐かしい味に出会った喜びが、とうきびというのは斯くあらねばならない、とそう主張したがることにつながるのであろう。とにかく、何年か前、この道の駅でこの餅とうきびに出会った時は、大感動だった。それから自分も栽培してみようと、この地で作られているMさんにお会いし、種を譲っていただき、自分の菜園に蒔いてみたりしたのだったが、虫にやられて全滅し、爾来、育成期間中旅に出かけていることもあり、自分での栽培は止めている。そのような儚い努力よりも毎年この地でMさんご夫妻にお会いし、立派な8列の餅とうきび(=昔とうきびなどともよばれているようだ)を食べさせて頂くのを楽しみにしている。丁度、9月上旬の今頃が最盛期なのである。

 ということで、昨日売店の方に確認して、Mさんは9時半過ぎに出荷に来られると聞いている。いつものようにTVを見ていると、10時少し前、Mさんの奥さんがお見えになった。さっそく挨拶を交わし、その後の息災状況などをお伺いする。今日はご主人は在宅のようで、出荷は奥さん一人で担当されているとのこと。昨年は奥さんが膝や腰が不調で通院されているとお聞きしたけど、今年は回復されたようで、お元気な顔を見て安心した。昨年はとうきびが後半の収穫時にアライグマに食い荒らされて出荷ができない状態となったとお聞きしていたので、そちらの方はどうなのか心配だったが、今年は今のところ少しの被害でとどまっているとのこと。天気のことやら獣害やら、農業という仕事にはご苦労が多い。今年は天気が暑すぎて、初回の生育は全滅したとのことだったが、遅れて蒔いた方の育成は順調で、丁度今がその最盛期だとか。立派な8列とうきびが店に並んでいた。Mの奥さんに別れた後は、そのとうきびを茹でて何時でも食べられるようにしてから出発した。

 14日にフェーリーに乗るまでに1日余裕があるので、今日はしばらくぶりに小樽の観光をしようと考えている。洞爺湖畔の道を温泉街のある方を通って、R230に出て、先ずは道の駅:230ルスツを目指す。湖畔の坂を上ると大地が開けて、牧場や大規模農場が広がる北海道らしい景観が広がっている。その中をしばらく走って、坂を下り山の中を走り上がるとリゾート地でも名の知られているルスツの町に入る。道の駅に寄って、豆腐を買い求める。ここの豆腐のファンでもある。九州は五木の豆腐や五箇山や白山の固豆腐には及ばないけど、自分の知っている北海道の豆腐の中では、一番のしっかりした木綿の味がする豆腐である。いつも売り切れになってしまっている時が多いので、今日はどうかと心配したが、無事買うことができて安堵した。

豆腐を買った後は、飲料水を補充すべく京極のふきだし公園の傍の道の駅へ水汲みに立ち寄る。ふきだし公園というのは、羊蹄山の湧水がまさに噴出している場所に作られた公園であり、ここの水は観賞用ではなく、生活用水として汲めるようにもなっている。富士山麓忍野の八海などよりもずっと親しみやすい実効性のある場所だと思っている。忍野八海は観賞用に過ぎないのでつまらない。

20Lほどの水を汲んで、倶知安からR393に入って小樽の町を目指す。メープル街道と名づけられているらしいこの道は、比較的新しい時期に開通したらしい。道の両側にメープルならぬ白樺などの樹木が並び繁っていた。これらの木からも樹液が取れるということだから、このメープルはメープルシロップに因んで名付けたのかなと思った。この道は古いデータのナビには途中までしか載っていなくて、トンネルを潜る辺りでのナビの画面は、天空を走っているかの如くの表示だった。少し走って、途中、ホピの丘とかいう名の農場の経営する店に立ち寄り昼食を摂る。この道は今年は2回目なので、この牧場のソーセージなどが美味なのを良く知っている相棒なのだ。食事の後、少々買い入れたりしていた。

小樽へは毛無山を下る道を一気に走り降りてフェリーなどの発着する築港の方へ。相棒が運河の方に行きたいというので、そちらに向かう。小樽の観光街に来るのは8年ぶりだとか相棒が言っていた。この辺りの観光地は、土地が狭いこともあって、駐車場がなかなか空いていない。函館などはキャンピングカーの駐車は禁止などと、実にけしからぬ対応をしており、こちらからお断りだと思っている。小樽の場合はどうなっているのか、8年前の駐車場探しの苦労を思い起こしながらの走りだったけど、運河の近くに観光駐車場の案内があったので、行ってみると幸いなことに僅かに空きがあったので、停めることができた。料金も普通車と同じで一かい600円でリーズナブルだった。北一硝子などへは少し遠いけど、このところの歩き不足の解消には好都合だと思った。

観光地での行動は、二人別々のことが殆どであり、今日もそれぞれの単独行とする。駐車場は20時までだというので、戻りのリミットは決めずにそれぞれが車に戻った時が出発時とすることにした。今は15時、時間はたっぷりある。今夜は小樽からは20分ほどで行ける余市の道の駅に泊まるつもりでいる。その後、それぞれがどこをどう歩いたかを記すのは止めにしたい。自分は16時半過ぎに、相棒はもう少し頑張って17時頃に車に戻った。何しろ8年ぶりの小樽に、相棒はカメラを抱え張り切って出陣して行ったけど、2時間近くも歩き回ると、疲れの方が邪魔して、心行くまでとは行かなかったようである。それでも8年前と比べることができる場所が幾つかあって様で、その感想などをあれこれ述べていた。変わっているところは変ったし、変わらないところは不変である。運河などは水の汚れが一層増し、その昔は今頃でもカレイなどの釣りをしていた光景があったように記憶しているけど、今は橋の傍に屯する人力車が増えているのに驚いた。若者が鍛練を兼ねたアルバイトに励んでいるのだろうか。歩ける内は左様な乗り物には乗らない主義なので、乗れるまでもうしばらくお待ちいただきたいという気分だった。しかし、そうなった時には小樽はおろか、家の中でも身動きが取れなくなっているのであろう。人力車には一生乗れない身分なのだと思いつつ、車に戻った次第である。

余市に向かって出発したのは17時を少し過ぎていた。途中給油をして道の駅の駐車場に着く頃は少し暗くなった空から、再び雨粒が落ちてきた。依然蒸し暑くて、なかなか涼しさは素直にはなってくれないようだ。ご飯を炊くのは面倒になり、相棒もお昼が遅かったので、ご飯は不要などと言っているので、ルスツの豆腐を冷奴で食べる。この豆腐は普通の2倍ほどの大きさがあり、豆腐だけでも二人の腹を満たすには十分である。それに餅とうきびが加わり、更にAさんからのトマトなどの野菜類が加われば、立派なベジタリアン食となる。勿論少量のアルコールは不可欠。今日も終日天気が悪くて、ソーラーの充電も不十分だったので、TVを見るのもほどほどにして、早めの就寝となった。北海道での夜も残りわずかとなった。

今日(9/12)の予定】 

道の駅;スペース・アップルよいち → ニッカウヰスキー工場売店 →(R5・道道66)→ 真狩湧水 →(道道66)→ 道の駅:真狩フラワーセンター (泊)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <72回>

2012-09-11 04:59:54 | くるま旅くらしの話

昨日(9月10日)のレポート】    

≪行程≫                                                                 

Aさん宅 → 道の駅:花ロードえにわ →(R36・R337)→ 道の駅:サーモンパーク千歳 →(R337・道道16・R453)→ 休暇村支笏湖(♨)→(R453・R276)→ 道の駅:フォーレスト276大滝 →(R276・R453)→ 道の駅:そうべつ情報館i (泊) <104km>

≪レポート≫

 昨夜ももの凄い雨が時折降って、相棒は天井を叩く騒音に耐えられなくなって下のソファに緊急避難して横になっていたようだったけど、自分の方はそんなことにも気づかず熟睡の中にあったようで、目覚めるまでは気付かなかった。我がSUN号は運転席の上のバンクベッドが常設の寝床になっており、天井が近いので、うるさい時は下のソファの方に避難するというのが旅の間の対処法なのだけど、それは何時も相棒だけの問題なのである。又知り合いのお宅に泊まるような場合は、家の中に泊めて頂くのは止めて、いつも車の中に寝るというのが、旅での過ごし方だと考えている。その方がお互いに気楽だと思うし、あれこれ心配頂くことも少なくなり、その分歓談の時間を増やすこともできる。今はこのようなスタイルが旅の際の自分たちの基準となっている。

 朝、ご主人が勤めに出かけられた後、11時近くまで3人での話というよりも、女性同士の話が続いた。すっかりいい居心地になってしまい、このまま長逗留になってしまっては大変と、ようやく別れの重い腰を上げる。今日からは14日のフェリー乗船に向けて、南下を開始しなければならない。別れには、Aさんが丹精込めて作られた野菜類、特にジャガイモ、その他にも奥さんの細やかな心づかいの賜物をたくさん頂戴し、恐縮の極みだった。楽しい、価値ある3日間を過ごさせて頂き、Aさんご夫妻には、本当にありがとうございました。

 11時頃出発し、すぐ近くにある恵庭の道の駅へ。ここで、トイレなどの用を済ませ、次は隣の千歳市の道の駅:サーモンパーク千歳を目指す。ここに寄るのは、水を汲むためである。千歳市は水が美味しい。支笏湖を源流とする千歳川は鮭の遡上でも有名で、道の駅には鮭の自動捕獲器でもあるインディアン水車があるけど、この川の付近には湧水も多く、水には恵まれた環境にある。ついでに言えば、我が家で常に調理・飲料に用いている水は、ペットボトルに入った支笏の名水を買い入れたものである。千歳に住む人は、意外とこのような水に恵まれていることをご存じないのかも知れないけど、我々の住む守谷市などは、原発事故の後遺症に脅かされており、安易に水道の水を飲むのは勇気が要ると考えている人が多いのではないか。千歳の道の駅までの間も雨は降り続き、道の駅での水汲みが心配だったけど、着いた頃には小雨に変わったので、どうにか濡れずに水を汲むことができた。

 考えてみれば、北海道の旅も残りわずかになっている。フェリー会社から乗船5日前になると、予約した確認データが知らされてきて、ああ、もうそんな時期に来てしまったのかと、旅の終わり近いことを改めて思い起こされたのだった。乗船までのこの間、決まっている予定は、13日には函館近くの東大沼のキャンプ場に泊まるということだけで、後は天気と気分の成り行き次第である。今日は壮瞥町の道の駅に泊まることに決めており、これは知り合いの農家の方が生産されている紫粒の八列餅とうきびを手に入れる為である。この雨の天気では。収穫や出荷も大変だと思うけど、是非とも手に入れることができることを願っている。明日は天気次第なのだけど、良かった場合は久しぶりに小樽の観光街などを訪ねてみようかと考えている。いずれも思っているだけで、予定でも決定でもない。

 水を汲み見終えて、壮瞥方面に向けて出発。今回は苫小牧や室蘭などの噴火湾沿いの道ではなく、支笏湖の横を通る山の中の道を行くことにしている。美笛峠という坂があるけど、相対的には下り坂が多い道なので、走行はさほど厳しくはない。千歳からはしばらく森の中の道道を走る。今日は雨なので、緑がくすんでいるけど、晴れならば緑陰の中を走ることになり、最高のドライブコースなのにと思いながらの走りだった。先ほどの千歳の道の駅で、温泉のことを調べたら、支笏湖温泉というのがあり、そこの休暇村支笏湖というのがHOのチケットで半額で利用できるというのがあったので、そこに立ち寄り湯をすることにした。本道から少し離れた森の中にその建物はあった。この辺りは道路も建物も皆森の中にあり、支笏湖というのはその気配を感じても、どこにあるのか見当がつかない湖である。豊かな森の中にある湖である。1時間ほどすべすべつるつるの温泉を楽しみ、再び森の中を走る。

 美笛峠を下ると間もなく道の駅:フォレスト276があり、直ぐ傍にあるきのこ王国という大滝村(今は伊達市大滝区)の名物のきのこを中心とする様々な加工品などを販売する物産館に車を停める。道の駅の方はかつては1億円のトイレで評判だったけど、最近は停まっている車も少なく、自分たちも寄ったことが無い。きのこ王国で、きのこのおにぎりとキノコ汁を食して、遅い昼食を摂る。もう14時半になっていた。ここから壮瞥の道の駅までは、30分ほどだろうか。それほど遠くはない。

 壮瞥町の道の駅:そうべつ情報館iに到着したのは、15時半頃だった。依然小雨が降っており、今日も終日の雨となるらしい。雲の割れる気配は殆どない。さっそくとうきびはないかと売店を覗いてみたが、殆どの農作物は売り切れとなっており、とうきびは別の品種のものが数本残っているだけだった。売店の人に餅とうきび農家のMさんのことを訊いたら、今日も出荷をされており、明日も出荷予定だと聞き、ご夫妻もお元気で仕事をしておられると聞き安堵した。とうきびのことは全て明日に持ち越し、売店の中にあった赤い色の濃い生姜を買った。味噌をつけて食べるのが好きなのだが、この生姜は真にグーだった。みずみずしくて、味がきゅっと締まって辛く、酒やビールのアテには最高である。いつもは敬遠している相棒が、何度も手を出して称賛しているのには驚いた。

 少し早目の夕食、といってもその殆どはAさんの奥さんの心づかいによるものなのだけど、それらを頂いて、自分が寝床に入ったのは、大相撲の放映が終わって直ぐだった。相棒はその後も起きていたようである。最初の目覚めは20時少し前で、見たかった鬼平犯科帳が終わった時だった。その後に目覚めたのは何時だったのか。これを書いているのは3度目の目覚めで、今は0時半である。これが終われば、もう一眠りしなければならない。

今日(9/11)の予定】 

道の駅;そうべつ情報館i → (未定)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <71回>

2012-09-10 06:39:32 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月9日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

Aさんの別荘 →(道道他)→ 道の駅:マオイの丘公園 →(R274・道道45・R36)→ 道の駅:花ロードえにわ → Aさん宅 (泊) <23km>

≪レポート≫

 早朝から混乱、困惑で始まった一日だった。その原因は雨と風。どちらも相当のものだった。昨夜寝る頃の空は、曇りで雨は降っておらず、只風がかなり強くて、時折突風が車を揺さぶるという状態だったのだが、寝付いた後車の天井が騒がしくなり出し、どうやら雨が降り出したようだった。予報では今日は雨ということだったが、これほど早く降り出すとは思わなかったのである。ところが降り始めた雨はずっと降り続けた様で、あまり気にもせずに眠ってしまったのだが、3時過ぎに目覚めてみると、相棒がすでに起きているようで、寝床にはいないのである。どうしたのだろうと起き出して訊くと、風が強く雨も降り続けておるので、車が揺れて眠れず、強風で転倒したり、ぬかるみとなった駐車場所から車が脱出できなくなるのではないかという不安で、起きているのだという。いつものオーバーな悩みが始まったなと思ったけど、強風での転倒はともかく、ぬかるみの方は、留めている地盤が道脇の草地で、乾燥時は固いのだけどいったん雨が降ると直ぐに緩むという地質で、以前泊まらせて頂いた時も後輪が空転して動かすのに苦労したことがあったので、このままの位置ではまずいかなと思い、車を少し移動させぬかるみを避けるようにしたのだった。それでいったん落ち着いたようにはなったのだが、5時過ぎになっても雨勢は一向に収まらず、このままではヤバイかもと不安になり、Aさんご夫妻が起き出されるであろう頃を見計らって、一先ず恵庭の道の駅辺りに移動させて頂き、その後お宅の方に挨拶に伺うからとお願いしたのだった。Aさん宅は恵庭市内の道の駅から至近距離にあるのである。我がSUN号は重量が大きく3トンを超えているので、ぬかるみには要注意なのだ。早朝からの突然のとんでもない話にAさんご夫妻も驚かれたようだったが、快く承知して頂いてありがたかった。勿論このままさよならするつもりはなく、雨が落ち着いたらもう一度ご自宅の方へ挨拶に伺うつもりでいる。

 ということで、6時半過ぎに別荘を出て、先ずはとりあえず最寄りの道の駅:マオイの丘公園に向かう。今までにも雨はかなり降ったようで、道路にはかなりの水たまりが続いていた。道の駅について、トイレなどの処理をした後、とにかく約束の恵庭の道の駅に行って、天気の様子を見ることにした。道の駅:花ロードえにわは、マオイの丘公園からは、15kmほどの距離にある。空は益々暗くなり、雲が走って、こんな状況ではやはり早々に脱出したのは正解かなと思いながらの走りだった。間もなく道の駅について、駐車場の隅の方に車を停める。突然の脱出だったので、Aさんご夫妻は調子を狂わされたに違いない。真に申し訳なし。今日は予定としては、良い水の汲める千歳市の道の駅:サーモンパーク千歳に泊まることにしているので、Aさんご夫妻が自宅に戻られるまでは、それがどんなに遅くなってもこの道の駅に留まっていることにしたのだった。

恵庭の道の駅では、市内近郊で採れる新鮮な野菜や果物、花卉類が豊富に並べられて販売されており、品質も素晴らしい。その売り場を覗くのも楽しい。この頃はいつも長沼町の道の駅:マオイの丘公園で買っていた野菜を止めて、この道の方に変更している。人気があり札幌などからわざわざ買いに来る人も多く、駐車場の車の出入りは活発なのであった。だから、刺激が多く長時間滞在していても退屈などしない場所なのである。

 ということで、午前中は野菜市場を覗いたりして、それなりに楽しい時間を過ごしたのだったが、この間天気の方はやや小降りの状態が長かったのだけど、11時過ぎにトイレに小用を足しに行った時には、戻ろうと思ってドアの所まで来て外を見ると、何と駐車している車が雨の飛沫で見えないほどの猛烈な雨が降っていたのだった。まさにバケツをひっくり返したような降りに、車に戻ることもできず、ただただ雨勢の弱まるのを待つだけの有様だった。傘などさしても何の役にも立たないほどなのである。15分ほどで雨勢が少し衰えたのを見計らって車に戻ったのだが、この間一人で車の中にいた相棒は、思わず恐怖感に捉われたほどの降りだったと感想を述べていた。12時近く、Aさんから連絡があり間もなく道の駅の方に来られるとのこと。その後は自宅の方にとのご案内を頂いた。間もなくご夫妻の車が見えられ、その後を付いてご自宅まで2分足らずで到着。

 改めてお詫びを申し上げる間もなく、ご自宅に上り込んで、続きの歓談が始まった。夕刻にはお別れしようと考えていたのだったが、結局Aさんご夫妻に千歳に泊まるのならここに泊まっても同じことでは、と強く勧められて、甘える結果となった。3日もご迷惑をおかけすることを嬉しく、ありたく甘受することにした。それからの時間は、二組の夫婦4人にとってだけの格別の語らいだったことは言うまでもない。その内容などを書くことは不可能である。

 夜半から再び猛烈な雨降りが何度も襲ってきたのだけど、もう地盤の心配をする必要はなく、ただ天井を叩き続ける雨の音を疎ましく思いながらも、いつの間にか眠ってしまった。いやはや、今日は風雨にもみくちゃにされた予定の砕け散った、一日だった。なれど、決して不満や愚痴などとは無縁の一日でもあった。

今日(9/10)の予定】 

Aさん宅 → 道の駅:花ロードえにわ →(R36・R337)→ 道の駅:サーモンパーク千歳 →(R337道道16・R276)→ フォーレスト276大滝 →(R276・R453)→ 道の駅:そうべつ情報館(泊)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

‘12年 北海道くるま旅くらしレポート <70回>

2012-09-09 05:35:19 | くるま旅くらしの話

【昨日(9月8日)のレポート】      

≪行程≫                                                                 

終日Aさんの別荘に滞在 <0km>

≪レポート≫

 今日も一日Aさんの別荘に滞在することになっている。昨夜は話が弾んで、時の経つのも忘れて、気づいた時は間もなく24時近くとなって、その後の眠りは待ったなしのバタンキューとなり目覚めたのは、3時半過ぎだった。どんなに寝るのが遅くとも、この時刻頃になると目が覚めてしまうのは、長い間の眠りの習慣なのかも知れない。短時間でも眠り足りているのは、眠りの深さが大きくかかわっているのだと思う。昨夜の歓談は、真に楽しいものであり、それが眠りの質を高いものにしてくれたのだと思う。しばらく昨日一日の出来事を反芻した後、寝床から起き出す。外を見ると、薄明るくなった西空の方には雲が多くて、どうやら今日は雲海などの様なものは見えない様だった。昨日のAさんの話では、この別荘からは早朝の西の方(=札幌市街地の方向)に、それらの街を包んだ雲海が望見できるのだという。今日はその景観を見たいという願いは叶わぬようだった。しばらくブログの作成に取り組む。昨日のブログのアクセス状況を見たら、訪問者数が400人を超えており、過去最高の数値が示されていて驚いた。今までの最高は、300人にも届いていなかったのに、一挙にこの数になったのを不思議に思った。同時に。こりゃあ、安易に止めることは出来ないなとも思った。嬉しい驚きである。

 Aさんの別荘は長沼町の間追山丘陵の中腹にあり、森の木々に囲まれた中に建っている。Aさんのご主人が3年をかけて独力で作り上げた別荘は、瀟洒なヒュッテという感じで、森の中の自然の景観の中にすっかり馴染んだ存在だ。ヒュッテは傾斜地を巧みに考慮して建てられており、ベランダからは西側に札幌市街地などを遠望できるのである。左手の東側には恵庭岳などが見えるはずなのだけど、建てた頃は小さかったポプラや白樺などの樹木が今は大きく成長して、葉をつけている期間は、それらの景観を遮るようになってしまったとのこと。それらの眺めの外に、Aさんの工夫は夜の天空を眺めることができるようにもなっており、夜間の余計な照明を省き、晴れた夜には満天の星を見上げるように作られているのだった。昨夜はそれらの星が深夜零時近くの空に煌めき輝いていた。真夜中の天空を見上げていると、忘れていた大自然との関係をたちまち取り戻すことができるように思い、心が安らぐのである。Aさんの思いも、同じなのだなと思った。

   

Aさん手作りの別荘。建築に当たっては、熊笹に覆われた原野のような傾斜地を開墾して地盤を固め、そこに独力で3年の時間をかけて建物を完成させたという。柱を建てる時だけ奥さんと家族が協力したほかは、すべで自力で作ったという執念の力作である。

   

別荘のベランダからの眺望。森の前方に広がるのは、恵庭市や北広島市の街並み。札幌はこの右手奥の方に位置している。夕方の明かりが灯ると、一段と美しい光煌めく夜景が望める。

   

別荘の下には菜園が設けられて、Aさんは毎週末ここで丹精込めた各種の野菜作りに励んでおられる。植えられた果樹類も少しずつ生長をしているようだ。

ブログの投稿終了の後、近くの農場などの方へ歩きに行くことにして出発。相棒は未だ眠りの中のようだった。そのAさんの別荘を後にして、昨日車で登って来た坂を下って、長沼町の田園地帯の方へ歩いて行くことにした。坂の途中の道端や崖の中にアキノキリンソウの黄色い花に混ざって、野紺菊の紫が点在し、さらにもっと濃紺の花を咲かせている野草があり、何という名なのか初めて見る花だった。野紺菊によく似ているので、北海道独自の野草なのかも知れない。新しい花を見つけると嬉しくなる。5分ほど坂を下ると、左手に神社があり、八幡神社とあった。このエリアに住む人たちがどこかの八幡様を勧請したのだと思う。神社は赤い小さな鳥居を平成になってから建てたようで、神社は今の時代もこの地の人々には必要なものとなっているのを感じた。社の方は、神社というよりも倉庫風であり、祀られている八幡太郎義家もやや窮屈さを覚えているかもしれない。それでも皆を守るのは神様であり、苦情を言うはずはない。ようやく信号のあるところまで来て、更にそれを横切って、下方の田んぼの広がる田園地帯まで歩くことにした。道の両側には収穫期を迎えたジャガイモを初めとする何種類かの野菜類などが豊かに実っていた。とうきび畑では、1畝の長さが200mもあり、手作業での収穫は大変だろうなと思った。去年まで作っていた自分の菜園では、1畝の長さは5mに過ぎなかった。守谷市の農家でも200mを超えるほどの畝を畑を持っている人は少ないけど、この地ではそれは当たり前の様である。それにしてもその昔はこの辺りは沼地の湿地帯であり、現在の美畑や美田になるまでには、先祖の方々の並々ならぬご苦労があったのだと思う。その功が実って、今この地に住む人たちは札幌という一大消費地を直ぐ傍に控えて、豊かさに恵まれている。そう思った。やがて坂を下り終わり、道の両側は黄金色に実った田んぼとなった。北海道の米は近年では内地のそれを凌ぐほどの高品質のものができるようになっている。この辺りでも生産されているユメピリカのブランド米は米の名産地の新潟県長岡の魚沼米と比べても遜色がない。すごいなと思う。そのような感慨を抱きながら、次の信号のある交差点まで行き、そこから引き返す。久しぶりの田園地帯の中の散歩は、さまざまの発見をもたらしてくれた。往復1時間ほどの歩きだった。

朝食はAさんの奥さんが心を籠めて作ってくださった、下の菜園で採れた野菜などをふんだんに使った御膳だった。いつもの大雑把な食事とは違った、細やかさのあるメニューに感動しながらの楽しい食事だった。食事の後はしばらく歓談が続き、とにかく今日はゆっくりと過ごすこととなる。昼食は自分が作らせて頂くことを宣言し、先に旭川のSさんから頂戴したクロレラ入りのグリーンの冷や麦を茹でる。薬味は下の菜園の中にあるミョウガやネギを採って来て、それらに生姜のすり下ろしたのを加えるなどした。菜園の威力はここのヒュッテでは相当なものだ。冷や麦だけでは物足りないかなと思って、ジャガイモの味噌炒めを一品追加する。どれも概ね好評を頂いたようで、調理担当としてはまあまあ良かったという感想。グリーンの冷や麦は特に好評で、かなり残ってしまうのでは心配していたのだが、結果的にはその食感が良かったこともあり、殆どが完食に近かったのは、この麺の実力なのだと思う。Sさんにも感謝。

昼食の後は、しばらく休んで、その後は車の中で午睡をさせて頂いた。食べて、飲んで、横になってと、まるで実家に帰った時のくつろぎの気分である。こんなことが許されていいのかとふと思ったりするけど、今の至福の現実を悩むことは止める。17時近くまで眠って、少しブログ記事の準備をし、再びヒュッテの中へ。相棒もこちらの方で昼寝をさせて頂いたとか。Aさんもまあ、大変な人たちと知り合ってしまったものだ。それから後は、近くの由仁町の温泉に4人で出かけ、戻っての乾杯、そして再び、三たびの楽しい歓談が遅くまで続いたのだった。もうこれ以上ズラズラと独りよがりとも思える楽しさなどを書くのは止めよう。充実、至福の旅の恵みの一日だった。Aさんご夫妻に感謝。深謝。多謝。

今日(9/9)の予定】 

Aさんの別荘 → 道の駅:マオイの丘公園 →(未定)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする