山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

写真の力とカメラの話

2014-03-31 22:55:44 | 宵宵妄話

 私の普段の暮らしの中で、カメラは欠かせない必需品となっています。旅に出る時は勿論、毎日の歩きの際も、ちょっと近くに買い物などに出掛ける時も必ず携帯電話と一緒に小さいデジカメを携行することにしています。時々そのどちらかを忘れることがあるのですが、もう習慣になっているので、忘れた時は何だか落ち着かない気分になってしまいます。

 私がカメラを初めて買ったのは、会社勤めを始めてから2年目くらいだったでしょうか。昭和40年頃の、その当時の給料の2カ月分ほどを叩(はた)いて、当時は新しかったコニカのフォーカスプレーン式の、シャッターを押すと「ガシャリ!」と音のする奴を手に入れました。当時は奥多摩や秩父の山に行くことに熱中し始めていた頃で、登山での風景などをカメラに収めたいという気持ちが昂じたからでした。山の写真の多くは、リバーサルフィルムに収め、現像の後はスライドにして鑑賞するのが常でした。それから何台ものカメラを使って来ましたが、その大半は何か特別なイベントなどがあった時に使うだけで、日常的な場面で使うことは殆どありませんでした。

 それが今のように変化したのは、二つの原因があります。その一つはくるま旅を始めたことでした。旅の思い出を写真に残すというのは普通のことで、旅に出ている間はいわば毎日がイベントの連続だからです。もう一つはデジカメの出現です。デジカメの出現によって、写真というものの扱いのコンセプトが大きく変化しました。それまでの写真は、フィルムに収めた画像を、現像・焼き付け、引き延ばしなどの作業を経て初めて見ることが出来るものであり、よほど写真に興味関心のある人以外は、自分でそれらの作業をすることはなく、写真屋さんに依頼するのが普通でした。そのために時間と費用がかかり、特別な時以外は写真を撮るということは無かったわけです。ところがデジカメはこれらの面倒な作業を全てパソコンで処理することで、自在に写真をモノにすることを可能にしてくれたのです。フィルムの代わりにSDカードなどの記録メディアを用いますが、その画像データはパソコンに記録することによって、何度でも繰り返して使うことができます。最早フィルムは不要となり、1枚のSDカードがあれば、何度でも繰り返して欲しいだけの写真を手に入れることが出来るようになったのです。

くるま旅をするようになってからの最初の頃は、まだデジカメが出始めた頃で、直ぐに飛びつくよりも今までのカメラを使っての記録の撮影が殆どでした。従って、撮る枚数もフィルムの残りを数えながらであり、好き放題というわけにはゆきません。その後デジカメの普及が急速に進んで今日に至っているわけですが、最初不慣れで馴染みにくかったデジカメにも、次第にその良さを見出すようになり、今ではデジカメ以外のカメラを使うことはなくなりました。

くるま旅の写真のニーズとデジカメの持つ機能とが結びついて、現在では旅の記録だけではなく、日常の暮らしそのものまでが画像を多用しての記録となっています。私自身は「デジカメ日記」と称していますが、くるま旅を含めた1年365日の暮らしの中での出来事を、カメラの画像を用いて記録することにしています。文字による日記も欠かさず付けてはいますが、デジカメ日記の効用は文字では表現しきれない力を持っており、改めていいものに巡り会ったと感謝しています。写真の力は凄いもので、何年も前の出来事も、デジカメ日記のその年のその月日を覗けば、そこに映っている画像から、その時の出来事や思い出、感動をありありと再現することが出来るのです。デジカメ日記を始めてから未だ10年ほどですが、最初の頃はパソコンへの記録の要領が下手で、テーマごとに記録したりなどして、あとでそれを引き出すのに不便を来たしたりしていたのですが、その後改善を重ね、現在では毎日今日一番の出来事の見出しを作り、それを欠かさずパソコンの中に記録して行くようにしています。

記録というのは時系列的に整理するのが一番のようで、その日々の項目に見出しを付けておけば、あとは写真を見るだけで記憶を手繰り寄せることが出来るようです。年間に万に迫る枚数の写真を撮っていると思いますが、それら一枚一枚がしっかり意味を持っているのが、写真の力なのだと思います。

今までは小型の簡単なデジカメを用いて撮影をしてきました。写真を使うのは殆どがブログ用なので、画素数は4MB以下でなければならず、あまり高級なカメラは不要でした。いつでもポケットから取り出して、直ぐに使える事が肝要なのです。故障のことも考えて、旅に出る際には家内のお古のカメラを帯同したりしていました。我が家では、カメラは家内の方が本格写真に取り組み、私の方は日記用の気楽な撮影を楽しむといった状況にあります。

ところで、この頃は少し欲が出て来て、日記用の撮影だけではなく、多少味のある写真も撮って見たいと思うようになりました。それで、先日家内にその話をしたら、「楽しむのは生きている内だけしかないよ」との賛同を頂き、「直ぐに買ったら」と資金援助までして貰って、今使っているデジカメとはタイプの異なる一眼レフを手に入れたのでした。家内のものに比べれば子供用くらいのレベルかもしれません。それでもこれからは、撮影の楽しみが膨らむように思います。新たな写真の持つ力を確認できるかもしれません。只今その使い方について勉強中です。いろいろな機能が付き過ぎているので、それらの全てをマスターするのは超困難です。取り敢えず普通の写真を撮ることから始めたいと思います。一つ残念なのは、この新しいカメラは最小のサイズでも6MBのため、ブログに載せる際には、サイズダウンしなければならず、ちょっと扱いにくいということです。

新しいカメラが手に入ったので、今日は家内のフォークダンスクラブでの練習の送迎運転手を勤めがてら、待機時間の間に、つくば市内を歩き回り、春の花などの景色を撮って来ました。「春の花3景」と「青空を後ろの春の色どり」というテーマで、勝手に紹介します。

<春の花3景>

  ◎白モクレンの花

     

道端に一本の白モクレンの樹があり、垂らした枝の先に純白の花を咲かせていた。この花は、団体よりも一つ一つの方がその美しさが際立つように思う。かなり真面目に撮った1枚である。

 ◎ ヤブツバキ

     

椿は早春の花というか、もっと寒い時期に咲き始めるから、今や開花期の終りというところなのかもしれない。だけど、自分的にはこの時期の花が一番椿らしい様に思っている。花びらにほくろがあったのが、安堵できる美人花だなと思った。

  ◎地べたのタンポポ

     

敢えて「地べたの」と呼ぶことにした。忘れられた場所に活き活きと咲くこのような野草たちこそ、本当に春の到来に歓喜しているに違いない。

<青空を後ろの春の色どり>

  ◎柳

     

「柔らかに柳青める北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」は啄木の歌だけど、春の柳の芽吹きは、青空に映える時、その生命が一番輝くように思う。これはつくば市の洞峰公園で撮ったもの。

  ◎梨の花

     

純白の梨の花の一枝は、春の青空の深さを計るに相応しい輝きがある。生命(いのち)の躍動の喜びを感じた一瞬だった。

 ◎スオウ(蘇芳)

     

蘇芳の赤は、血に喩えられることがあるけど、それはあまり好きではない。これは未だ蕾の状態で、蘇芳の花としては本番前といったところかもしれない。青空との対比は、梨の純白とは又違った趣きがある。

 

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取り敢えず元の鞘に納めることにしました

2014-03-30 06:47:19 | その他

 今月の初めに、勇ましくも、ジジババ世代に向けての発信を意図して「ジジババ談話室」なるブログを立ち上げたのですが、どうやらこの行為は時代には即応していないらしいということが、次第にはっきりして来ました。話題の投げかけ方にも問題があるのかもしれません。まともに老人の定義だなどと言ってみたり、やれ老計だとか死計だとか言っていたのでは、もうそれだけでうんざりする様な受け止め方になってしまうのかもしれません。もっとコミカルなアプローチが必要なのかもしれません。しかし、自分にはそのよう器用さが欠けており、このままこのような堅い内容の発信をし続けても、自己満足は愚か、自己嫌悪に陥ってしまいそうな気分となるのは必定です。

それで、早々なのですが、しばらくこのブログ「山本馬骨のジジババ談話室」を休止することにしました。そして、休止と言いながらも時には思いを記載したいと考えています。

自分の判断として、ネット社会の中には、老人と言われるような読者層が未だ形成されていないと感じました。考えてみれば、パソコンや携帯電話やスマートフォン・アイフォンなどが普及し出したのは、ここ20年ほどの間であり、自分のような前期高齢者を終りかけている年代層を含めてそれよりも上の世代には、ネット社会は近づき難い得体のしれない怪物のようなものに映っているのかもしれません。ネット社会に関しては、明らかに世代間の大きな断絶が存在するように思います。これが解消するには、あと20年以上の時間が必要な気がします。

我が生命(いのち)がいつまで持つかは神のみぞ知るところですが、この後20年以上もジジババのつぶやきをジジババに向けて投げかけても、肝心の聴き手が僅少なのであれば、それは天に唾する様な滑稽な振る舞いのような気がします。もう少し辛抱するという手もあるのでしょうが、残されている自分の時間を考えると、今は「山本馬骨のくるま旅くらしノオト」の話の中に、ジジババ関連話題も巻き込んで伝えた方が良いと思ったのです。

それで、真に腑甲斐ないことでありますが、ジジババ談話室の方は、気が向いた時に記事を投稿することにし、本来のくるま旅くらしノオトの中に元のカテゴリーを戻してお伝えすることにしました。僅か一ヶ月の間の老人花火のような行為でしたが、決して枯らすことは無く、根を張り続けてはいたいと思っています。

4月からいつもの通りの「くるま旅くらしノオト」の運用を続けて行くことにします。馬骨拝

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筑波山登山の記(第20回)

2014-03-29 02:05:19 | 筑波山登山の記

<第20回 登山日 2014年3月28日(金)>

 今月はずっと登山の機会がなく、今日が初めての登山日となった。というのも、今月は孫の誕生を控えており、出産の予定日が月末の31日ということだったので、いざという時に備えて在宅を厳守するという体制を月初めからとることにしていたからである。それが、21日に無事に孫の誕生を迎え、その後ドタバタしている内に数日が過ぎて、ようやく今日を迎えることが出来たという次第。この間、一応は歩きの鍛錬を続けていたとはいうものの、やや甘い内容となりつつあったので、さて、無難に20回目の登山を完了できるのか、不安は拭えない。

ところで、筑波山の登山を開始してから今回でちょうど20回目となる。三浦雄一郎さんの80歳にしてのエベレスト登頂チャレンジの話に感化されて、歩行鍛錬を開始したのが昨年の今ごろだった。登山の開始は5月からだったが、その1カ月前からの歩行鍛錬は決して無駄ではなく、初めての登山時もさほど筋肉の痛みなどは覚えなかったが、あれから1年が経過して、衰えていた我が身の随所の筋肉も少しは老化のスピードを弱めてくれているのを感じている。今でも歩行鍛錬は続けているけど、最近は歩く楽しさが増したようで、鍛錬とは思わぬようになり出している。登山の開始以来ずっと同じコースばかりを歩いているので、20回が済んだら次回からは別のコースにチャレンジする考えでいる。筑波山登山には幾つものコースがあるようで、その昔は修験道の鍛錬場所でもあったから、その実は無数と言ってよいほどの登山道があるのかもしれない。主なものとして6コースくらいあると聞いているので、これからはそれらの内の幾つかを味わいながら歩いて見たいと思っている。今までの筑波山神社脇ケーブルカー乗り場側からのコースは、今日を区切りとしてしばらくはおさらばということにしたいと考えている。

朝3時過ぎに目覚めて、玄関を開けて外に出て空を見上げたら幾つかの星が煌めいていた。寒さは覚えず、暖かさの方が勝っているような空気だった。出発前の車の窓ガラスは夜露に濡れていて、拭き取らないと運転ができないほどだった。昨日の雨の天気が一層の温かさをもたらしてくれているのだなと思った。それはまあ良かったのだが、3時40分頃出発してしばらく走ると、霧が視界を妨げ出したのには困惑した。小貝川に架かる橋を渡ってつくば市に入る頃が最悪の状態で、ヘッドライトの先はいつもとは全く違う霞んだ景色が広がっていて、スピードを落とさないと危険だと感じた。そのような状態が筑波山麓の駐車場に着くまで続いた。4時40分、いつもの梅林駐車場に到着。

まだ暗いので、ヘッドランプを装着して出発。登山口には5時ちょうどに着いて、いよいよしばらくぶりの登山の開始となる。このコースも今日が区切りとなるので、一歩一歩を味わいながら歩くというつもりで歩を進める。と言っても、暗いので周囲がどうなのかを見ることはできない。30分ほど歩いて、中間点近くになった頃ようやく夜が明けたらしく、ヘッドランプは不要となった。足腰の方は異常なし。大丈夫である。大して汗も掻かないのは、体調が良いのか、悪いのか良く分らない。良いことにしてそのまま歩き続ける。無心に歩いていると、疲れを感じなくなるのは不思議な感覚である。6時15分、御幸ヶ原に到着する。誰もいない。既にご来光は終わったようで、太陽は女体山の山かげにあるようだけど、空気全体がボヤっとしているので、視界はよくない。女体山も霞んでいる。女体山山頂を目指して歩き続ける。

その途中にカタクリの自生地があり、見学コースがつくられている。昨年登り始めた頃は既に開花期が終わっており、まだ一度もここで花を見たことは無かったので、今年は咲くのを楽しみにしている。そこをちょっと覗いてみた。先日、新聞にカタクリの開花の紹介記事が出ていたので、どんな按配か見たかったのである。そこにはもう既に花が咲きだしているような書きぶりだったが、実際に見てみるとどんなに注意深く探しても花など全く咲いている気配はなく、僅かに葉だけが数カ所見られる程度だった。でも葉が出ているのだから、開花は間もないと言っていいのであろう。4月初めくらいになれば見られるのかもしれない。楽しみである。6時半丁度、女体山山頂に到着。

     

御幸ヶ原の少し上の方にあるカタクリの里の様子。枯葉の間からカタクリの葉が顔をのぞかせていた。これほどの大きさのものは他には殆ど見当たらず、開花まではあと1週間以上かかるのではないか。

山頂からの眺めは諦めてはいたものの、予想以下の状態で残念。それでも持参したカメラを取り出して、神社の御本殿などを撮る。カメラは、先日一眼レフのデジカメを買ったので、その練習にとリュックに入れて背負ってきたのである。ファインダーなしのカメラでは、被写体を確認できないことが結構多いので、やはり一眼レフでないとダメだなと思っていた。小遣いをためて1年くらいの後に何とかしようかと考えていたのだが、カミサンにそのことを話したら、「楽しみは生きている内だけなのだから、すぐにでも買ったら。お金出してもいいよ」などと言われてしまい、その気になって買ってしまったのである。もうこの歳になると、「あとで、……しよう」はダメだな、などと常日頃から言っていたのが効いたらしい。ありがたいような、心配なような、ちょと複雑な心境だけど、確かに生きていられるのも、いろいろ活動できるのも、せいぜいあと15年足らずだろうと思っている。買ったからには、それなりの楽しみを急ぐべきだと、昨日まで取扱説明書を読み漁って、今日の本番となった次第。でもこの天気では、……。

     

今日の女体山山頂の御本殿の様子。写真のサイズを小さくしたため鮮明度が欠けるものとなってしまった。なにしろ2410万画素もあり、最小サイズでも6MBもあるので、これからはいつもサイズダウンの手間をかけることになりそうだ。

     

女体山山頂付近からの今日の筑波山からの眺望。ロープウエイつつじヶ丘駅の向こうの山並みの上方に見える筈の霞ヶ浦は霞んで見えなかった。この写真だけがサイズダウンを免れた。

山頂で数分休んだ後、カメラを抱えてゆるりと下山を開始。途中ガマ石やセキレイ石などの巨岩を改めて撮りながらの下山だった。御幸ヶ原まで下りて、今まで案内板しか見ていなかった、紫峰杉というのを見に行く。筑波山には何本かの杉の大木があるのだが、その中でもこの杉がナンバーワンのものらしい。今までは脇道するのが嫌で、ちらりと立札を見て通過していたのだが、よく見るとここから1分と書かれていた。確かに直ぐ近くにその樹はあった。巨木である。しかも幹のすぐ上近くで枝がわかれて上に伸びており、それが太いのである。更に上方でも枝が幾つかにわかれており、一種異様な厳かな雰囲気のある樹だった。樹齢が800年と推定されているとか。カメラには収まらない大きさだった。

     

紫峰杉の雄姿。この画面では杉の樹の大きさが判らないのが残念だ。紫峰とは、筑波山の別称とか。荘厳さを感じさせる大木である。

その近くに男女川の源流地を示す筑波山神社の案内板があった。今までの登山コースの途中にも男女川の源流を示す場所があったが、こちらの方が本物だなと思った。大木の生命を育てたのがこの水なのかもしれない。確か、北上川の源流地点に行った時にも、大木の傍の小さな井戸のような箇所がそれなのだと書かれていたのを思い出した。水と巨樹とは生命のやり取りに深い関わりを持っているのだなと、改めて感じた。近くにはブナの大樹もあり、筑波山にはまだまだ訪ねなければならない場所が幾つもあることを教えられたのだった。

     

紫峰杉の脇にある男女川源流地点。男女川は、ここを源として筑波山を細く流れ落ち、やがて桜川に注ぐとあるけど、その先どこへ流れゆくのか知らない。貴族の恋の歌が有名だけど、淵のようなものがあるとは思えず、自分には幻の川のように思える。

御幸ヶ原の下山開始は7時10分頃。麓のケーブルカー駅に到着したのが8時15分と、いつもより遅いペースでの下山となった。ケーブルカー駅の脇の福寿草園はどうなっているのかなと覗いてみた。もうすっかり逞しい若葉が出揃っていて、花の方は殆ど終わっていた。もう一カ月も経ってしまっているのだから、当たり前なのだけど、確実に春は本格化し、福寿草たちの生命も大きく育っているのを感じた。その後は、筑波山人神社の境内を散策した後、次回からの登山ルートの上り口を確認するなどして、駐車場に戻り、9時ちょうど、帰途に着く。

久しぶりの登山が無事に終わり、帰宅した後も足腰に痛みもなく安堵している。来月からは新しいルートにチャレンジする予定だが、今年中に少なくともあと20回以上は登りたいと思っている。筑波山には、ほぼ毎日登っていると思われる人もおられるようで、回数など問題ではないとも思うのだけど、毎回このような形で記録を録るということになると、どうしても回数が気になってしまうのである。次回は白雲橋コースというのにチャレンジする予定である。こちらを何回登るかは未定である。

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コッチャコイたちの季節の到来

2014-03-25 01:42:33 | 宵宵妄話

 春の到来を知るのにはいろいろな徴(しるし)があると思いますが、耳からそれを感じるものとしては、守谷市に住んでからはウグイスとコジュケイという鳥たちの鳴き声が一番です。この二つの鳥たちは、冬の間は滅多に鳴き声を聞かせてくれません。ウグイスなどは寒さに声変わりしてしまうのか、似ても似つかない雀にも劣るような枯れた声になってしまいますし、コジュケイも藪の中で何をしているやら、さっぱり判りません。

 先週の終わり頃から、ウグイスとコジュケイの鳴き声を耳にするようになりました。早朝の6時頃には歩きに出発するのですが、つくばエクスプレスの基地の横を通る頃には、付近の林の中からコジュケイの鳴く声が届き、その向こうの方の林の方からはウグイスの鳴き声が聞こえてきます。この鳥たちの声を聞くと、ああ、本物の春が到来したのだな、と思うのです。

 ところで、この鳥たちがどのような声を上げるのか、ご存知でしょうか?勿論ウグイスならば、「ホーホケキョ」は知らない筈はありません。ウグイスの鳴き声は、数ある小鳥たちの中でもカナリアとトップを競うほどの美声のように思います。カナリアの優しいエレガントな鳴き声に対して、ウグイスの鳴き声には凛々しい力強さがあるように思います。カナリアは西洋を代表し、ウグイスは東洋を代表する鳴き声ではないか、などと勝手に思い込んでいます。でも、広い世界には、もっと優雅な美声を持つ小鳥がいるのかも知れません。

 さて、もう一つのコジュケイの方ですが、もしかしたらそのような鳥の名前を聞いたことがないという方も多いのかもしれません。先ず、都会化された場所には絶対といっていいほど棲めない鳥でしょうし、奥深い山や高山などにも住んでいるというのを聞いたことがありません。だから、都会で生まれ育った方には、知らないのは当然ということでありましょう。そこで、少し丁寧にこの鳥を紹介することにします。鳥の名を漢字で書くと、小綬鶏となります。綬というのは、紐(ひも)という意味ですから、小綬鶏を直訳すると、「鶏に似た小さな鳥で紐のように連なって暮らしている」ということになるのかもしれません。実際にその姿や暮らしぶりを見ると、確かに鶏(にわとり)風の容姿をしています。大きさはチャボを一回り小さくした感じでしょうか。林や藪の中に家族らしき団体で暮しているようです。春が深まる頃には、子どもたちを引き連れた親が、道端に出て来て動き回っているのを垣間見ることが出来るのですが、カメラを向ける隙を与えてくれないのが残念です。春になると、子連れのカルガモたちの話題が聞かれますが、コジュケイはあの陸上版だと思えばいいように思います。残念ながら陸上は水の上よりも危険らしく、その微笑ましい姿を見ることが困難です。

 各自治体では、市の鳥・花・木などを定めているようですが、守谷市の場合は、市の鳥がコジュケイ、花がヤマユリ、木は松となっています。コジュケイが市の鳥となっている自治体が他にあるのかわかりませんが、恐らく無いのではないかと思われます。守谷市は都心から40kmほどの距離ですが、市の名称の由来が、その昔ヤマトタケルが蝦夷征伐か何かの途中でこの地に立ち寄った際に、周辺に森が広がっているのを見て、思わず「モリヤ~」と声を発したことによるという様な事が市の紹介のページに書かれていますから、古来樹木の多い緑豊かな土地であったということなのでしょう。その森の中で、家族が一段となって暮して来た鳥の中にコジュケイがいたということになるようです。今は、その森もかなり少なくなってきていて、コジュケイたちも棲む場所を追われつつあるように感じています。このごろは、高速道脇の林の中だとか、小貝川の川淵の藪の中などに棲むのが多いようで、民家の屋敷林などには殆ど棲まなくなってきているようです。

 かなり回り道をしましたが、今日の本題はそのコジュケイの鳴き声の話です。身近に棲む鳥たちの中で、声の大きい鳥といえば、鶏の時をつく声、カラスの騒ぎ声、雉の飛び出す時の一発、ヒヨドリの甲高い声、ムクドリの団体のざわめき、キジバトの眠そうなだみ声等などいろいろありますが、コジュケイはそのどれとも違う、けたたましき奇声です。何やらむずむずとケ、ケ、ケ、ケ、コ、コ、コ、コなどと言っていたと思ったら、突然「コッチャコイ!」と喚(わめ)きだし、それが一度だけではなく、何度も何度も「コッチャコイ!コッチャコイ!」と喚き続けるのです。これはかなりインパクトのある鳴き方で、遠くからでもその存在を知ることができます。

 春になると、森や林の藪の中で、その賑やかな声を聞くことが出来るのですが、鳴いているのは雄の方で、警戒心というよりも恋の季節の戦いの始まりといった塩梅なのかもしれません。とにかくけたたましいので、その声に惹かれるのか、小貝川の堤防を歩いている時などは、川淵の篠藪の中からウグイスが「ホ――コッチャコイ」などと鳴いているのを耳にすることがあります。あまりに強烈な鳴き方なので、ウグイスたちもつい真似してみたくなるのかもしれません。

 それにしても、なぜ「コッチャコイ」などと騒ぎ立てるのか。変な奴らだなと思わずにはいられません。しかも、ウグイスまでがそれを真似るとは!もしかしたら、この鳴き声は、鳥たちだけではなく、人間にも共通の思いを告げる悲痛な鳴き声なのかも。しかしまあ、「コッチャコイ!」というのは、如何に関西流でもちょっと強引で乱暴な声のように思えますが。

今年は春の到来が遅いのかと案じていたのですが、ここ数日来コッチャコイたちの声を耳にするようになって、ああ、もう大丈夫だと思うと一緒に、今度は又また暑い夏が思われて、まあ、老人という奴は、何と嘆きにとらわれやすいものなのかと、自己嫌悪を感じたりしているのであります。

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孫誕生とくるま旅くらしの関係

2014-03-23 05:16:00 | くるま旅くらしの話

 春を分ける日の夕刻19時42分、我が家の倅夫婦に新しい家族が誕生しました。私が言うのもなんですが、玉のような男の児です。母子共に大仕事を終えて、四人のジジババは大安堵でした。予定日が家内の誕生日と同じ31日でしたので、家内は密かにその奇跡を願っていたようでしたが、10日早い誕生となり、ちょっぴり惜しさもあったようです。でも、そのようなことを吹き飛ばすような嬉しい瞬間でした。

 嫁女の臨月が近づくにつれて、いつ何時、何が起きても対処できるようにと、2月からは酒を飲むのを止めて、いつでも車が運転できるようにと備えてきましたが、それも無事に報われて、昨日は家内と二人で目出度しメデタシの祝杯を挙げました。まさに本物の美酒を味わったというところです。

 ということで、三人目の新しい孫を授かったのですが、先に生まれた二人の孫娘は外孫で滅多に逢うことも叶わない状況だったのですが、この男児は内孫となりますので、これから先はいつでも顔を見ることが出来ることになります。住む家のフロアは違いますが、同じ屋根の下ですから、その気になればいつでも会いに行けるのです。本物のジジババらしくなれる条件が整ったということかもしれません。

 そこで、タイトルの如く、これから先のくるま旅くらしと孫との関係がどうなるのかを考えてみることにしました。つまり、孫可愛いをどう封じ込めるかという話です。これは今までに無い新たな大問題ということになりそうです。というのも、今までこのような時が来るというのを本気で想像したことがなく、独身の倅から二世帯住居を造って一緒に住もうと提案された時は、嬉しい半面益々婚期が遅れるのではないかと心配が膨らんだのでした。しかし、縁あって一昨年秋嫁いでくれる女性とめぐり合え、昨年春に式を上げることが出来たのですが、その上に新しい生命(いのち)を授かって、これ以上の喜びはありません。嫁女も近来まれにみる美仁(=美人即ち心根の美しい人)であり、この歳になって、新たなジジババの喜びを味わわせて頂いているというわけなのです。ですから、これからのくるま旅くらしにも大きく係わってくるように思えるのです。

 俗に「ジジババ育ちは三百文安」と言われてきたようです。つまり、ジジババが孫を分捕ってしまったかの如く、好き勝手放題に猫っ可愛がりして育てられたような子どもは、他のまともな子に比べて相当に安っぽい人間になっちゃうよ、というわけです。江戸時代の三百文というのが、どれほどの安っぽさを意味するのかは判りませんが、自分的にはこれは実質三百両くらいの大きさに相当するのではないかと思っています。ですから、うっかり孫可愛いを振り回しなどしたら、せっかくの玉のような児を台無しにしてしまうことになりかねません。だけど、やっぱり孫は可愛い。

 さて、どうするか。なのです。くるま旅くらしの日数を減らして、孫の顔を見るのを優先させるか。これはダメでしょう。そのようなことをしたら、三百文とはゆかずとも百文くらいは孫の人間としての値打ちを下げることになりかねません。特に三歳くらいまでは、極力ジジババはベタベタしないことが孫やその親にとって大事なことのように思います。先ずはしっかりとした親子関係を肌身を持って築いて貰うことが第一であり、ジジババがしゃしゃり出るなんてとんでもないことだとの自戒が肝要、と覚悟することにします。

ということは、今まで通り、或いはそれ以上に旅に出掛けるように努めることかと思われます。そして、その旅の中に何か孫へのおみやげなどを工夫して用意するようにするのも面白いな、などと考えたりしています。工夫というのは、例えば、その時の、その旅の思い出と孫へのおみやげが、大きくなった後でもしっかり残るような、そのような何かを見出したいということです。これならば、孫可愛いを密かに封じ込め、未来につなぐことが出来るような気がします。

まだ生まれたてなので、如何にも早過ぎる話なのですが、三歳を過ぎるまでは、とにかくひたすら我慢をしてジジババだけの旅をすることにし、三歳を過ぎた頃からは、可能な限り親と孫とを旅先に連れ出して、特に大自然の中での暮らしを味わわせてあげたいと思っています。今ごろの子どもたちは、本物ではない偽物の世界へと誘うツールが周りに満ち溢れているので、そのような危険な世界に足を踏み外さないように、早やめに大自然の本物の素晴らしさを体験させてやりたいのです。これが旅するジジババが孫とその親に贈れる最大のプレゼントだろうと思っています。そして、そのためには、何よりも健康を維持し、普通の身体でその時を迎えられるように、不断の心がけが大事なのだと、改めて思っているところです。

今日は少しズレた身勝手な話となりました。今月は未だ筑波山登山に一度も行けない状況が続いていましたが、これからは気分を一新して、春の芽吹きを開始し始めた山に足を向け、身体を鍛えて春旅に備えたいと思っています。

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春の旅、模索中

2014-03-16 19:49:57 | くるま旅くらしの話

 あと二週間も経つと、そろそろ桜の開花のニュースが飛び込むようになると思いますが、今月に入ってからは、四寒二温と思えるほどで、寒さの方が上回っている感じがします。予報では、来週あたりから本格的な暖かさが見出せるようになるらしいですが、何しろ杉の花粉はまっ盛りだし、ヒノキの花粉も本番に向けて活動を開始しているらしいので、今しばらくは冷静な頭で春の旅を考えるのも難しそうです。

 我家では、間もなく2世帯住宅同居の倅夫婦に、初めての孫が生まれるというので、今は嬉しい緊張の中にあります。昨年の春に挙式して、もうそれだけで存分に満たされた気持ちでいたのですが、新たな生命が加わることになり、これ以上嬉しいことはありません。無事に生まれて来てくれるようにと、2月からは酒を飲むのも止めて、何時呼び出しがかかっても大丈夫の体制を作っています。孫が生まれたら、酒の風呂にでも入って、祝杯を上げたいものだと思っています。月末頃が生誕予定なので、間もなくその時がやってくることでしょう。と、いうわけで、益々春の旅のことを考えるのが途切れがちになってしまっています。

 でも、そろそろどこへどんな旅をしようかと思いを巡らす必要があります。私どもの春旅は、基本的に東北方面へ花や新緑、山菜などを訪ね求めることにしているのですが、3年前の大震災以降、足がすくんだような感じになって、ずっとご無沙汰しっ放しとなってしまっています。被災からの復興もままならぬ方や場所がまだまだたくさんあるのに、ノーテン気分で旅をするなどとんでもないという様な意識がどこかにあって、ずっと自粛・自戒していた感がありました。復興のためには、却って現地を訪れて何がしかの貢献をすべきではないかという気持ちもあるのですが、葛藤の独り相撲をし続けてきました。でも、今年は何とか足を踏み出したいと考えています。

 春というのは、北国に行くほどその素晴らしさを実感できるように思っています。北国の季節といえば、四季とはいうもののその実態は冬と夏に偏っており、春と秋は冬と夏の変化の通過点のようなもので、その短さゆえに生命(いのち)の濃淡がはっきり出るように思うのです。春は閉ざされていたあらゆる生命(いのち)が一斉にそれを漲(みなぎ)らせて活動を開始する時期であり、秋は活動を終えた生命(いのち)が静かに眠りにつく前の一瞬の輝きを放つ時であるように感ずるのです。

 だから、春の旅は北国に行くのが本命であり、正解なのです。私にとっての北国といえば、それは東北地方の各地ということになります。北海道も勿論素晴らしいのですが、夏の季節にそれを満喫しようと考えているので、春にはなかなかそこまで行く気が起きません。ずっと東北で満足しています。

さて、その東北春旅ですが、今年は5月の連休前あたりから2~3週間くらいかけて、花と大自然の新緑を訪ねての旅が出来ればいいなと思っています。初めて東北の旅をした十数年前の原点に戻っての感動をもう一度味わいたいと思います。行ってみたい場所が無数にあるので、なかなか絞り切れません。花と自然ということになると、どうしても日本海側と中央山岳地帯が中心となってしまい、大地震の被災地側はなかなか思い浮かびません。実際出掛けてみないとどうなるのか分らないのですが、今年は復路には必ず太平洋側を通るコースを考えるようにしたいと考えています。まだ残っているであろう惨状を、この目でしっかり確認しておきたいと思うからです。

今、漠然と考えているのは、花は三春の滝桜を出発点として、久しぶりに山形県の置賜(おきたま)エリアの桜回廊めぐりをしてみたいということです。ここには長井市の伊佐沢の久保桜を初め、名木とうたわれる何本かの一本桜があります。今までにも何回か会いに行っていますが、もう五年ほどご無沙汰していますので、今はどうなっているのか、それぞれの姿を確認したいものです。角館や弘前の桜などにも会いたいと思いますが、短い期間なので、全部というわけにはゆかないかもしれません。

それから、一つの企画としてずっと温めているのに「へのへのの旅」というのがあります。これは、岩手県から青森県に亘って、一戸から九戸まで(四戸は無い)、それに遠野を加えて、「と=戸」の付く九つ(ここのつ)の自治体が残っているのですが、これらの地をじっくりと訪ねて見たいという企画なのです。8年ほど前に、その下見というつもりで、各自治体をざっと回ったことがあるのですが、かけ足だったので、中途半端なままに終わっています。これをより充実させて、新しい旅の仕方にチャレンジしてみたいのです。

この探訪の仕方として、一応事前に各自治体の関係資料を揃えておき、本番の現地へ行った時は、先ず役所や役場に行き、その自治体が外部に人に何を知ってほしいか、何を見て欲しいかなどの質問をし、参考資料などを頂いてから、幾つかの場所を選んで訪ねるという方法を考えています。観光だけではなく、史跡やイベントなども知った上で、その土地の歴史や特徴をモノにしたいという思いです。いつもは通過するだけの場所であっても、足を留めて訪ねれば新しい発見や出会いがあるに違いありません。このような旅のスタイルも面白いのではないかと思うのです。

この他に「重伝建」(=重要伝統的建造物群保存地区)という国の文化財として指定されている場所が幾つかありますが、東北には数が少なく、その殆どは探訪済みです。でも、チャンスがあれば再訪してもう一度その地の昔を偲んでみたいと思っています。また、「重要文化的景観」というのもあります。景観が文化財に指定されるというのは珍しく、東北では4カ所しかありません。その内の一つである岩手県一関市の本寺の農村景観は見たことがありますが、それ以外は見ていませんので、このテーマでの探訪にも是非チャレンジしてみたと考えています。

くるま旅も開始してから15年以上が経過し、そろそろこの辺で残されている人生の時間を過ごすための、ある種の転機となるような切っ掛けや出会いが欲しいなと思っています。今までの旅のスタイルをそのまま継続しても、決して不満などは無いのですが、欲張りなものですから、ついそのようなことを考えてしまっているこの頃です。それにしても、昨年は夏の北海道行も果たせず、秋の旅も短かったので、かなりフラストレーションが膨らんで来てしまっています。この春にはそれらを一掃して、老化を止めるパワーを獲得したものだと考えています。

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北海道に似た景色があった!

2014-03-14 00:19:21 | くるま旅くらしの話

 鬱陶(うっとう)しいこの季節が早く過ぎ去って欲しいと切望する毎日です。本来は冬から目覚めた生き物たちと一緒に、その喜びをともに味わおうという季節なのだと思いますが、40年来の花粉症患者の私には、3月は一年の内で最も忌避したい時期となってしまいました。最近は良い薬が開発されて、くしゃみや鼻水、涙の流失が抑えられるようになってホッとしていますが、それでも酷い時は目は霞み、頭は重く、痛みさえもが混ざって思考停止となり、寝床に身を横たえるのみという日が何日かあることになります。幸い今年は今のところ思考停止までには至らぬレベルで来ていますが、花粉の飛散はこれからが本番ですので、戦々恐々の毎日です。

 先回は「遠くに行きたいな」と、まるで子供の様な嘆きを吐いたのですが、歌を歌うだけではその夢が叶うわけでもなく、依然守谷という町の檻の中に居るばかりです。遠くのことを思う時には、自分の場合は、先ず一番にイメージするのは、やっぱり北海道の景観ですね。はるかなる緑の地平線に、うねりながら続いている真っ直ぐな道を、何度も浮き沈みしながら車を走らせている時は、本当に遠くに来ているなぁ、というのを実感します。北海道にはそのような景色が幾つもありますが、日本海側を走るオロロン街道を北上する時などは、左手に真っ青な海が見え隠れして、一層くるま旅の情緒を盛り上げます。そのようなことを夢想しながら、今日は久しぶりに守谷市内を、利根川の方に向かって自転車でぐるっと一回りしてきました。守谷市は茨城県では一番面積の小さな自治体で、わずか35平方キロメートル余しかありません。これは北海道の平均的な牧場なら4~5個ほどの大きさしかないのです。ですから、旅の気分を味わいたい時は、先ずは歩くこと、そして次は自転車くらいのものです。バイクや車では、旅の情緒は消し飛んでしまいます。

 さて、その自転車での旅ともいえぬ市中見回りの中で、今まで同じ場所を何度か通っているはずなのに、気づかなかった発見をしました。なんと!守谷市内にも北海道に似た景色の場所があったのです。北海道と少し違うのは、起伏が殆ど無く、まっ平らだったということでしょうか。そこは市の郊外といっていい場所で、利根川の堤防の土手の裾からハケ(=川の侵蝕で残されて出来た崖のこと)の辺りまで、約1kmほどの幅の畑や田んぼが、2kmほど続く広がりに過ぎないのですが、今日の間もなく雨が降りだそうという天気の下では、遠くまでが霞んで見えて、北海道の同じような景色を思い出させてくれたのでした。思わず自転車を降りて写真を撮りました。

     

守谷市郊外の利根川(右手にあり)近くにある、北海道に似た景色のある場所。人家の無い広がりが2kmほど続いている。

     

利根川のハケの見える景観。左手が利根川で、右手前方の樹木の茂る場所がハケと呼ばれる崖となっている。このハケの上の方に守谷の市街が広がっている。

 守谷市は利根川、小貝川、鬼怒川(=運河)の三つの川に三方を囲まれた地形となっています。小貝川も鬼怒川も利根川に注ぐ支流ですが、鬼怒川は江戸時代に流れを変えるために掘削してつくられた運河のため河川敷のようなものは無く、小貝川は暴れ川なのですが肥沃な地をもたらしているゆえに川の堤防付近には幾つもの集落が形成されて、大自然の広さを実感できる場所が殆どありません。辛うじて利根川だけは(この付近だけなのかもしれませんが)堤防からハケまでの間に民家など全くみられず、思わず北海道を思わせる景観が出来上がったのだと思いました。

 しかし、ほんの少し自転車を進めると、常磐高速道の近くにはSAがつくられ、工場が建てられており、あっという間に北海道のイメージは消え去ってしまったのでした。それでも一瞬の錯覚のような景観に出会えたことを嬉しく思いました。ほんのちょっとの慰めの時間でした。

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遠くへ行きたいなあ

2014-03-07 00:05:35 | くるま旅くらしの話

 去年の秋以降どこへも出かけておらず、せいぜい時々筑波山に登って帰ってくるくらいで、旅らしきことは何一つ実現していません。元々冬場は安全のことを考えて遠出の旅はしないことにしているのですが、今年は近場の旅も叶わない状態です。南房総の温暖地では、もう菜の花を初め、ストックやポピーなどの様々な花たちが畑を彩っているに違いないのですが、出掛けようとすると何かの支障などが起きたりして、あれよあれよと思う間に、とうとう三月も半ば近くになってしまいました。この後も三月には孫の誕生を控えており、旅に出掛けられないなどと愚痴を言っているどころではないことになっています。

 「遠くへ行きたい」という歌があります。永六輔、中村八大コンビの作詩・作曲によるいい歌ですね。ジェリー藤尾が歌って、もう何年になるのでしょうか。この歌を時々思い出し、口ずさみます。

<遠くへ行きたい>

知らない町を 歩いてみたい

どこか遠くへ 行きたい

知らない海を 眺めていたい

どこか遠くへ行きたい

遠い街 遠い海

夢はるか 一人旅

愛する人と めぐり逢いたい

どこか遠くへ 行きたい

 

愛し合い 信じ合い

いつの日か 幸せを

愛する人と めぐり逢いたい

どこか遠くへ 行きたい

 もはや、愛する人とめぐり逢いたいという様な気持ちは殆どありませんが、新たな出会いにめぐり逢いたいとは強く思います。この歌には人が旅を求める本質のようなものがしっかり捉えられ、詩われているように思います。遠い、知らない町、知らない海、そしてそこに待ち受けている新しい出逢いは、旅ごころの源泉から湧いてくるイメージを含むことばだと思います。

時々、人は何故旅に出ることに憧れるのだろうか、と考えることがあります。自分は何故くるま旅くらしなどというものを取り上げて騒ぐのだろうか。ま、騒ぐほどではないとしても、もう十年以上に渡ってそれに囚われています。これはどうしてなのだろうかと思うのです。前述の詩の文句でいえば、何故遠くへ行きたいのか、知らない町や海を訪ねたいのかということになります。つまり旅への衝動といったものでしょうか。

今ごろ思っているのは、人間が旅を求めるのは動物だからという簡単な理由が根本に横たわっていて、そこから旅への衝動が生まれてくるのではないかということです。動物というのは、文字通り動くものです。動物が何故動くかといえば、動かないと生きて行けないようにつくられているからだと思うのです。じっとしていたのでは、生きるための環境適応が出来ないからなのです。動物は、動くことによって食べ物を手に入れ、新たな変化を受け入れて、自らの生命を保持することが可能となるのだと思うのです。

もし何年もの間少しも動かずにいたなら、動物は生き長らえるのは不可能でありましょう。それは、もはや動物ではなくなってしまいます。でも人間の場合は、人間の力を以って動かなくても生命を維持できることが可能ですが、ご本人の辛さはどんなにきついものかと思います。動けない辛さほど心身に堪(こた)えることはないと思うのです。人間は疑いもなく動物なのですから。

旅に出掛けたいという衝動は、動物としての人間の欲求の上位に位置するものであり、普段の暮らしの中で動き回っている人でさえも求めている願望なのだと思います。もしかしたら、自己実現の欲求の中に含まれるものなのかもしれません。とても大切な欲求に違いありません。

とまあ、このような理屈を思い巡らしながら、早く寒さが遠ざかって、花粉が消え去り、孫が無事に誕生して、桜が咲いて、新緑が輝き始めて、………等々、動物としての本能を満たし、自己実現の欲求を満足させる、遠くへの旅が実現できる日が手元にやって来る日を切願しているこの頃なのでした。ボヤきとなりました

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お知らせです

2014-03-03 22:29:18 | その他

この度ブログの見直しをいたしました。もともと私のブログを書く目的は二つあって、

一つはくるま旅くらしの中で手に入れた様々な出会いという宝物の披歴を通して、くるま旅くらしの楽しさや薬効などを共に味わって頂くこと

もう一つは、特に同世代(=リタイア後のシルバー世代)の方々と共に、残されている向後の時間を、活き活きと生きる知恵磨きたい

ということです。

この二つの目的を叶えるために2007年にブログを立ち上げ、「くるま旅くらしノオト」というタイトルで運営して来たのですが、この頃このタイトルは適切でないと考えるようになりました。というのも、現在のカテゴリーには、くるま旅に関係ないものが含まれているからです。お読みになる方は、このブログのタイトルだと、当然くるま旅くらしに関することが取り上げられていると期待される筈なのに、読めばくるま旅とは無関係な話も結構多く出てきています。

これは、前述の二つの目的があるのにタイトルはその一方だけを取り上げて決めたことによるものです。ま、無神経を装えば、このままでもいいのですが、どうもそのような振る舞いが苦手なものですから、この頃は次第に心苦しくなって来て、とうとうこの二つの目的を、それぞれ関連性は持たせるものの、別々のブログタイトルでより明確に思いを伝えたいと決意しました。それで、この3月からこの「くるま旅くらしノオト」の他に、もう一つ「ジジババ談話室」というタイトルのブログを開設することにしました。

このタイトルは勿論二番目の目的の同世代向けのテーマを扱うものです。簡単に申せば、今までの「くるま旅くらしノオト」のブログのカテゴリーの中の「宵宵妄話」「ホト発句」をこの中に移し、更に「ジジババ世代の話」などを加えて、より目的的に内容の充実を図りながらアピールさせて頂こうと考えています。

また、本来の「くるま旅くらしノオト」の方は、「くるま旅くらしの話」「旅のエッセー」のより一層の充実を期すと共に、登山関連もこの中に加えることとし、筑波山以外のものも取り上げたいと思っています。その他、旅に関連する新たなテーマを必要に応じて付加して行きたいと考えています。

というわけで、このブログが特に大きく変わるというわけではないのですが、よりタイトルに相応しい内容に近づくというふうにご理解頂ければ幸甚です。当面は、今まで少しサボっていたエッセーの方により力を入れて行きたいと思っています。又、時にはボヤきなども相変わらずお聞きいただきたいと思っています。

新しいブログは「山本馬骨のジジババ談話室」と名付けて開設する予定ですが、今週内にスタートさせたいと考えています。同世代の皆様、よろしくお願い致します。馬骨拝

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