山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

越後・信濃路短か旅に出かけます(予告)

2016-10-13 04:40:20 | くるま旅くらしの話

長いことどこにも出掛けておらず、ストレスは溜まるばかりです。秋が深まった頃には、もしかしたら九州方面への旅をと考えているのですが、その前にどうしても短い旅がしたくなり、一週間ほどの行程で越後と信濃の旅をすることにしました。越後は三国街道を行き、途中脇道にそれながら出雲崎まで行き、そこからは北国街道を高田(上越市)まで行って、そのあとは信濃路を南下して戸隠などを通って松本まで行き、その後はリンゴを求めて小布施まで引き返し、帰りは上田や下仁田などを通って戻る考えでいます。下旬には定期検診が待っているので、23日ごろまでには戻らなければならないため、あまり日程を膨らませることが出来ないのが残念です。

何時もだと、旅の様子を毎日ブログで紹介させて頂いているのですが、今回はそれを止め、旅から戻ってから紀行記録として発表したいと思っています。

ご参考までに旅の日程を紹介します。天侯その他の事由により変更することがあるかもしれませんが、基本的にはこれを守って動きたいと考えています。

 

第1日 <10月15日(土)> 

自宅 →(K・R354・K)→ 境古河IC →(圏央道)→ 桶川・加納IC →(K・R17)→ 道の駅:おおた[太田市粕川町] →(R17)→ 道の駅:こもち[渋川市白井] →(R17・R120)→ 沼田城址散策[沼田市] → 沼田IC →(関越道)→ 塩沢石打SA(泊)

第2日 <10月16日(日)> 

塩沢石打SA → 塩沢石打IC →(R17)→ 塩沢宿散策[南魚沼市塩沢] →(R17・R253)→ 道の駅:クロス10十日町[十日町市本町] →(R253)→ 道の駅:まつだいふるさと会館[十日町市松代] →松代城址公園・玉石垣の町並みなど散策 →(R253・R403)→ 室島集落散策[十日町市室島] →(R403・R252)→ 道の駅:瀬替えの郷せんだ[十日町市中仙田] →(R252・K12)→ 荻の島集落散策[柏崎市高柳町荻の島] →(K12)→ 道の駅:じょんのびの里高柳♨[柏崎市高柳町高尾](泊)  

第3日 <10月17日(月)>  

道の駅:じょんのびの里高柳 →(R252・R8・R116・R352)→ 道の駅:越後出雲崎天領の里(良寛記念館他散策)[新潟県三島郡出雲崎町]→(R352・R8)→ 道の駅:風の丘米山[柏崎市青海川] →(R8・R18)→ 上越市街・高田城址などの散策 →(R18)→ 道の駅:あらい[妙高市猪野山](泊)

第4日 <10月18日(火)> 

道の駅:あらい →(R18)→ 道の駅:しなの[長野県上水内郡信濃町] →(R18・K))→ 黒姫高原コスモス園散策 →(K36)→ 戸隠神社参拝(奥社・中社・宝光社)[長野市戸隠] →(K36・K31)→ 道の駅:ぽかぽかランド美麻♨[大町市美麻](泊) 

第5日 <10月19日(水)> 

道の駅:ぽかぽかランド美麻 →(K31・R147)K306)→ 道の駅:安曇野松川[長野県北安曇郡松川村] →(R147・R19)→ 松本城散策 →(K19・R147他)→ 道の駅:ほりがねの里[安曇野市堀金烏川](泊)

第6日 <10月20日(木)> 

道の駅:ほりがねの里 →(K57)→ 安曇野IC →(長野道)→ 小布施SA →道の駅:オアシスおぶせ[長野県上高井郡小布施町] →(K・R403・R406)→(菅平高原経由)→(R406・R144)→ 上田城跡・上田宿散策 →(R141・R18)→ 道の駅:みまき♨[東御市布下](泊)

第7日 <10月21日(金)> 

道の駅:みまき →(R18)→ 海野宿散策[東御市本海野] →(R18他)→ 布引観音参詣[小諸市大久保] →(R18他)→ 小諸城址懐古園散策[小諸市丁] →(R18・R141・R254)→ 道の駅:しもにた[群馬県甘楽郡下仁田町馬山] (泊)

第8日 <10月22日(土)> 

道の駅:しもにた →(R254・R462・R17・R125)→ 加須IC →(東北道・圏央道)→ 境古河IC →(K・R354・K)→ 自宅

 

※私の旅車(グローバル社製キング5.3)のナンバーは「つくば88-55」です。お気づきになられた方は、どうぞお気軽にお声をお掛け下さい。歓談大歓迎です。

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小便小僧、ジイジィを呼ぶ

2016-10-03 04:22:36 | 宵宵妄話

書くことも無くなると、残っているのは孫のことだけとなる。孫のことならいつでも書けるのは、孫は常に進化・成長しているからである。それを傍から見ているのは楽しく嬉しい。この歳になって日々に孫の声を聞き、顔を見られるのは天恵なのかも知れないと思うことがある。自分の世代では、本来なら孫との付き合いはとっくに卒業して、曾孫となっているのかもしれない。だけど、真老(75歳~85歳)といっても、自分はまだホンの入口辺りなので、それは早過ぎると言ってよいと思っている。しかしだ、未だ2歳半にしかなっていない上の孫と一緒に山川を散策できるようになるまでにはあと数年はかかるだろうから、如何にしてそこまで老を食い止めながら身体と頭を保つかというのが、わが人生の今の最大の課題である。

さて、その様なことを考えながら日々少し退屈な時間を送っているジイジィなのだが、ようやく2歳半となった上の孫は、この頃は少しずつことばを覚え出し、それにオムツからの離別を開始している。ことばの方はなかなか自分語を手放そうとはせず、他の人と通用する日本語を覚える気にはなかなかなれないようだが、人を呼ぶために必要なことばだけは優先させざるを得ないのか、ママ、パパ、トウタン、ジイジィ、バアバなどということばは真っ先に覚えて、今はそれらだけは自分語で話すのを忘れたようである。

それで、ジイジィは「ジイジィ!~」と呼ばれると直ぐに反応するのを隠さない。いや、隠せない。照れている暇などないのだ。この頃はジイジィに「た~ん」が付加されて、「ジイジィた~ん!」とも呼ばれるようになった。いやはや、何とも言えない嬉しい気分になってしまう。応えは「ハイ」ではなく、「ホ~ィ」ということにしている。「ハイ」や「は~い」は平凡なので、特徴づけるには「ホ~ィ」の方がいいのだと自分で決めている。それで、「ジイジィた~ん」とお呼びがかかると、それが耳に届き次第、直ちに「ホ~ィ」と応えるのである。

さてさて、そのような状況の中で、最近ママの仰せに従ってオムツからの離別を開始した孫は、もよおす時間が近づくと「シ―シ―」と呼ぶようにママに教わったのか、階下から盛んに「シ―シ―、シーシー!」と叫びながら、走りまわる足音が聞こえてくる。ああ、やってるな、と思いながら思わず頬が緩んでしまうのだが、この頃はどういうわけか、時々「シ―シ―」が「ジージィー!」と転化して聞こえてくるのだ。それで、早速「ホ~ィ」と応えると、「あっ、ジイジィだ」と、どうやらシーシーを忘れて反応してくれている。考えて見ると、「シ―シ―」も「ジージィー」も濁点の有無の違いだけの発声で、母音は同じなのでよく似ているのだ。そのようなことからなのか、孫はすっかりその連動発声を我がものにしてしまったらしく、「シ―シ―」の時間が来ると、自動連鎖的に「ジージィー」を連発する様になった。孫の「シ―シ―」タイムはジイジィの「ホ~ィ」タイムとなったのだ。

ある時その「シ―シ―」タイムがどんなものなのか見て見ようと、階下に行って覗いたら、何と何と、ママと本人だけなのかと思っていたのが、これがとんでもないことで、ようやく伝え歩きを始めたばかりの1歳の妹も一緒に、3人でトイレの器を囲んでいたのにはびっくりした。妹の方は、どうやら見学者らしい。こんな状態でよくもまあ、よく「シ―シ―」が出来るものだと、感心してしまった。ママを除けば、孫たち二人には、楽しい遊びのシーシータイムなのかもしれない。ん、もしかしたら、ママも一緒に楽しんでいるのかもしれない。パパは働きに出かけているのでいないけど、居た時はどうするのかなと思ったりした。

どんなに思い起こしても、自分の子育ての記憶の中に子どもたちとのこのような場面は出て来ない。家内にはあったのかもしれないけど、子育てには相当に杜撰(ずさん)だった自分は、子どもたちがどんな形でオムツから離れて行ったのかなど殆ど覚えていないのである。休日になると、倅は想像以上にいわゆるイクメンになっているようで、これには全くかすりの行いすらもしなかった自分は、ただ脱帽するばかりである。あの時代は、育児は母親の役割、父親は仕事に集中してしっかり稼げばいいのだという固定観念が定着していた時代だったのだ。と、時代の所為にして振り返っているジサマなのである。

ま、しかし反省などはどうでもいい。今が一番大事なのだ。 階下で「シーシー」という騒ぎが始まると、それと一緒に「ジージィー」という、小便小僧の呼び声が膨らんで届くのを、いそいそと待っているジイジィなのである。

 

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