山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第31日

2010-09-30 05:05:51 | くるま旅くらしの話

第31日 <8月9日(月)>

行 程】 

道の駅:マオイの丘公園 → 継立自動車工業工場(栗山町) → 〔工場 → 岩見沢市内コインランドリー → 大和食堂 → シャトレーゼゴルフ&スパリゾートホテル栗山 → 工場〕 → 道の駅:マオイの丘公園(泊) <45km> 

昨夜輝いていた星たちは、あれは幻だったのかと思うほどに道の駅の朝は霧に包まれて、ひんやりとしていた。涼しいのはありがたいのだけど、今日は塗装をお願いする日なので、早く塗料が乾いてくれるためには、天気は良い方が都合が良い。真に勝手な心模様である。8時頃には出発するつもりでいたのだが、ゲゲゲを見てからにしようと15分ほど遅れての出発となる。

継立の工場には予定通り8時45分に到着した。既に社長初め従業員の皆さんも出勤されており、早速挨拶を交わす。いろいろお話を伺っている内に、社長のKさんは倅の大学と同じご出身で、その先輩であることがわかり、一段と親近感を覚えた。やはり話題に共通性があると、人は直ぐに親しみを増すことが出来るものである。仕事の方は、夕方まで掛るということで、お願いしていた代車でその間を過すことにした。

何しろ初めての場所で、何処に何があるのかさっぱり判らない。邦子どのの希望もあり、少し溜まりかけていた洗濯をするべく、教えて頂いた岩見沢市内のコインランドリーを目指すことにして出発。ずっとトラックベースの車を運転し、家にいるときは軽自動車なので、普通車の運転に慣れるまでに少し時間が掛った。サイドブレーキがなく足で踏み込むタイプの車は初めてだったし、チエンジレバーが左下床側に無いのも初めてだったので、幾度も妙な不要なしぐさをし続けたのだった。

岩見沢市のコインランドリーは直ぐに見つかった。岩見沢では第一号のコインランドリーだそうで、その開店当時は最新式だった機械装置も、今では少し古くなっているというのが、邦子どののコメントだった。利用者は結構多くて、直ぐ隣の同じ経営者の運営するクリーニング専門業務よりもはるかに繁盛しているようである。時代は明らかに変わりつつあるということであろうか。北海道でも最近はようやくコインランドリーの普及が進んでいるようである。

洗濯が終わるまでの間、一人で近くを散策する。この辺りは岩見沢市の中心街を少し離れた郊外のショッピングモールで、R12を挟んで、お馴染の大型店が幾つも並んでいた。急に暑くなったと思ったら、雲の合間から時々日射しが襲ってくるようになったからである。こりゃあ塗装にはいいぞと思ったけど、滅法蒸し暑いのには参った。1店覗いただけで逃げ帰る。外を歩いている人など一人も居らず、移動は全て車である。11時半ごろ洗濯終了。

とにかく暑いので、モールの中にあるイオンのポスフールという巨大店の中に入ることにして移動。店舗の中を少し覗いてみたが、大して興味も無く、一回りを途中でやめて外に出た。ところがそれからが大変だった。何しろ初めての店で、車もお借りしたものでナンバーも覚えていない。駐車した場所は一応覚えていたつもりなのだが、外に出て車を探しても何処にも見当たらないのである。確かにこの辺りだったと何度も繰り返して停まっている車を覗いても終わった洗濯物が積んである車が見当たらないのである。いヤア、参ったね。まるで魔法に掛ったみたいだった。自分一人だけではなく邦子どのも一緒なので、その思いは一層だった。しばらく経ってから、こんな馬鹿なことはあるはずがないと、闇雲に探すのを止め、改めて周辺の状況を見回すと、若しかしたら出口を間違えてのではないかということに気づいた。この店舗には全く同じ様なデザインの出入り口が4箇所もあるのである。間違って出てきても周囲には同じ様な駐車場があり、一見同じような車が停まっているのである。ようやくそのことに気づいて、違う出入り口に行ってみたら、思った通りだった。やっぱり間違いに気づかなかったのだ。ちゃんと車は元の所に何事もなく停まっていた。やれやれ。全くの、はあ、とんだ二人勝手の大騒動だった。田舎者は汗を掻くのが上手なのだと思った。

その後は珍しく、最近は何処にでも見掛けられるようになった○○食堂という、ご飯やオカズを好きな物を選んで食べられる店に入って昼食とする。守谷市にも守谷食堂という店があるが、ここは大和という地名なのか大和食堂という名だった。久し振りに焼き魚(サンマ)でご飯を食べた。この時にもラップしたままのオクラの入った小鉢に気づかず、その上に醤油を注して邦子どのに呆れ返られるなどの珍しくもない振舞いをしてしまった。食べ終わった後で、サンマよりはエボ鯛の方が良かったなと、しきりに悔しがったりした。どうも外食というのは好きではない。

その後はしばらく涼風を味わって車の中で軽く仮眠をした後、温泉に入ることにして、HOのガイドに沿って栗山町にあるシャトレーゼゴルフ&スパリゾート栗山という所に向う。ゴルフ場をベースとするリゾートホテルがあり、そこの地下が天然温泉となっている。ゴルファーの方も結構多かった。いい湯を1時間ほど楽しんで、先ほど頂いた電話では、もう作業が済んでいると伺っている工場に向かう。

16時過ぎ工場に戻る。汚れていた車の下部は真にキレイになって、ピカピカの黒色となっていた。SUN号の寿命が延びるのに役立つに違いない。お礼を申し上げて工場を後にする。Kさんと従業員の皆さんとは、なんだか今日初めてお会いしたような気がしなかった。1冊だけ残っていた手づくりの旅のガイド誌をプレゼントさせて頂いた。A4版の方で申し訳なかったけど、何かの時にお役に立てばありがたいなと思った。

途中で少し給油の後、昨日と同じく道の駅:マオイの丘公園にお世話になろうと向う。心配していた塗料の匂いも大したことはなさそうで、一先ずは安堵する。自分としては殆ど匂いは感じないのだけど、邦子どのが顔をしかめるようなレベルだと、今夜はどこかビジネスホテルでも探さなければならないかもと思っていたのだが、どうやらそれはクリアーできそうだ。

道の駅に着いたのは17時過ぎだった。もう殆どの店が閉店となっていた。来訪者は昨日と比べるとかなり減っていて、少しは静けさが戻ってきた感じがした。くるま旅の人は殆どがワンボックスの車で、キャブコンタイプの車は数が少なかった。ここに居られる方たちの多くは、そろそろ帰途に就かれるのかもしれない。未だ滞在されている人たちの多くは、今頃は道北の方に滞在しているのかも知れない。我々もあと10日余でフェリーに乗ることになる。

今夜は思ったよりも涼しくなりそうでホッとした。曇天の下、周辺には霧が立ち込めているのか、遠方はぼやーっと霞んでいてはっきり見えない。時々涼しい風が通り過ぎるのは、又天気が不安定となる兆しなのかも知れない。昨夜Sさんから頂戴した茹でトウキビを肴に一杯やって、今夜もまた早めの就寝となる。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第30日

2010-09-29 04:48:49 | くるま旅くらしの話

第30日 <8月8日(日)>

【行 程】 

北西の丘展望台公園駐車場(泊) → 道の駅:ライスランドふかがわ → 美唄市内スーパー → 道の駅:三笠 → 道の駅:マオイの丘公園(泊) <168km>

丘の町美瑛の、その丘の上で一夜を過ごすというのは、随分と続いている北海道行の中で初めての経験だった。丘の上というのは、確かに景観は良いのだが、天候の状態によっては、必ずしも安全とはいえない場所である。人家からは遠い所が多く、風など吹いた場合は、もろにその圧力に抗しなければならない。邦子どのは特に風が苦手で、ヒューという音に弱いのだが、今回は風は吹かないと信じたのか、むしろ積極的に北西の丘に泊って見たいというムードだった。夕方から少し風が吹いていたが、それは音を立てるというほどではなく、むしろ蒸し暑さを払いのける心地良さを覚えるものだった。

昨夜の18時を過ぎ、食事を終えた頃はどうやらここに泊るのは我々の車1台だけとなったようだった。とにかく涼しい内に早く眠ってしまおうという思いもあって、外の様子など碌に見もせず寝床に入ったのだったが、夜半に入って、雨が降り出し、それはやがて相当ひどい大雨となったのだった。起き出した邦子どのの話によれば、昨夜のTVで明日行く予定の南空知エリアの栗山町やその近くの夕張市などには、注意報や警報が出るほどの状況だったとのこと。その余波がここにまで及んだのかも知れないなと思った。天井を叩く雨の音はショパンの音楽のレベルを通り越して、邪悪な安眠妨害をし続けたのだったが、いつの間にか眠ってしまったようで、目覚めた明け方には辺りは静かになっていた。

5時過ぎ外に出てみると、降り止んだ雨空の下の丘のあちらこちらから霧が湧き出て、景色の半分を隠していた。昼間は何台もの観光バスが往来して混み合う駐車場には一台の車も無く、全くの無人だった。記念に何枚かの写真を撮る。

   

美瑛町北西の丘展望台公園の朝。広い駐車場には我がSUN号1台しか居なかった。眼下の畑などは霧の中だった。左側奥の方の白いのは霧。

観光地の中でも基地の一つとなる場所に、このような形で朝を迎えることが出来るのも、くるま旅ならではのことである。最近は上ったことの無い展望台に上がってみた。生憎と展望は半分ほどしか利かないけど、それでも都会では味わえない大きな景色が眼下に広がっていた。展望台の下の方に記念碑があり、その裏に刻まれた分を読むと、美瑛という町の名は、その昔の美田、北瑛、大村という3つの集落の連携協議の中から生まれてきたらしい。飛翔と大きく刻まれた文字には、この地に生きた先人の思いが逞しく籠められているのを感じた。

   

展望台とその下にある「飛翔」と刻まれた記念碑。展望台はこの飛翔ということばに相応しいイメージの建築物だなと思った。

ここに泊って、このような散策をしなければ、気づかないに違いない。すぐ傍には社のない「地神宮」と刻まれた石があり、どうやらそれはこの地の守り神として祀られたらしい。観光地として脚光を浴びる前の、先人のご苦労に思いを馳せたのだった。

   

展望台の下の方の隅に3個の石が置かれていたが、真ん中のやや大きめな石には「地神宮」と刻まれていた。鳥居も幟もないけど、これはこの地にすむ人々の守り神なのだろうと思った。混雑の時間帯では、誰も気づかずに見過ごされているのではないかと思った。

9時ごろになるとボツボツとやって来る車が増え出し、なんだか居心地が悪くなり出したので、出発することにして準備に取り掛かる。今日の予定はただの移動日である。明日札幌近くの栗山町という所にある車の工場で、SUN号のシャーシ下部の塗装をしてもらうよう予約がしてあり、少し早い時刻から取り掛かって貰うために、最寄の長沼町の道の駅に泊ることにしている。SUN号には、これから未だかなりの年数働いて貰わなければならないので、その基幹部分については、しっかりとメンテをして、機嫌をよくして貰っておく必要がある。このようなことは全て旅で知り合えた知人のお力によるものであり、今回の工場もご紹介頂いたのだった。

というわけで、今日は旭川まで出て道央道を利用して岩見沢まで行き、そこからはR234で長沼町に向うことにしようと思っていた。しかし、あまり早く行っても仕方がないので、旭川で少し道草をしようかななどと考えていたのだった。でもその後高速道で行くことにすれば途中の楽しみを皆無にしてしまうことになる。というのも、岩見沢までの間には下のR12を行けば深川の道の駅には美味しいいおにぎりがあり、美唄市には焼きそばもある。それに三笠の道の駅には、昨年知人から聞いた8列の昔トウキビが売っているかも知れない。それらのことを思い浮かべながら邦子どのに考えを訊くと、やっぱり深川のおにぎりが食べたいという。それならば高速は止めようと、走りながらたちまち変更して一般道を行くことにする。

10時半過ぎ深川の道の駅に着く。今日もかなりの混雑ぶりだ。ここが賑わうのは、何といっても米を核とした販売商品の魅力にあるのだと思う。おにぎりもその一つだけど、お弁当も人気があり、更には2階のレストランでのメニューにも人気があって、いつも超満員の状況だ。米は日本人の食生活の核となるものだけど、普段はあまり気にかけられていない。消費者は意外と気まぐれで、一度何かのきっかけで評判となり、人気が出たものに安易に飛びつく傾向がある。深川米も今はその状況なのかもしれない。道の駅が混みすぎて、駐車に困るのは避けたいけど、米が人気を博するのにはエールを送りたい。

米のことだけど、我が守谷市の住まい近くのスーパーにて、最近埼玉県産の米の販売の特別コーナーが設けられた。埼玉県の生産者の人たちが写真を掲げ、作っている米の品種や特徴を述べた表示をして、毎日ハッピを来た農家の若者などがやって来て盛んに米の美味さなどをアピールしていた。その様な姿を見るとつい応援したくなり、玄米を買って精米をお願いしている時に、この深川の道の駅のことを伝えようとおにぎりのことを話しかけたのだったが、話の途中で、自分たちも各地に出向いての宣伝活動の中でおにぎりを作って試食して貰っていると、賢しげに言うのである。深川の場合は、無料ではなく本格的な有料のおにぎりなのだと言うと、その様なことをするのには手間暇が掛って無理なのだという。こりゃあダメだなと思った。塩をまぶし、小さく握ったおにぎりをタダで配って、米の美味さを味わってもらうというやり方しかこの若者の頭には入っていないらしい。おにぎりの本当の美味さ、即ち米の美味さの真骨頂は、大きく握ったのを海苔で巻いた奴にあるのだ。大きく握れば握るほど評判も大きくなり、米の価値が消費者に伝わるのに、この埼玉米の関係者は別の角度から品揃えを行い宣伝活動を行なっている。守谷のスーパーでは未だ一度もそのおにぎりという奴を見たことも無い。開店時は少し寄る客もあったようだが、見ているとその後ずっと閑古鳥が大声で鳴いている状況が続いている。深川の道の駅に寄って、邦子どのが行列に加わっておにぎりを買うのを見るたび、守谷の埼玉米販売のことを思い出す。

深川を出た後は、滝川を経由し日本一長い直線道路を美唄市に向う。この長さは29km超とか。車線を変更しない限り真っ直ぐだ。それを味わうべく、ゆっくりと左車線を走り続けた。美唄では別のスーパーに行ってみたが目当ての焼きそばは置いてなかった。以前の店に行き、3袋をゲット。この素朴な味はやはり捨てがたい。今日の昼食用である。

再び走り続けて、間もなく三笠の道の駅へ。ここしばらくこの道の駅に寄ったことが無かった。かなり変わっていて、整備されていた。直ぐそばに古代の湯という温泉入浴施設が出来ており、これが大きな集客力を発揮しているようだ。この道の駅には、昨年旅の知人が八列の昔トウキビを見つけたと興奮顔で話していた、その店があるのでそれを覗こうと寄った次第。自分も昔トウキビのファンなのである。今のトウキビは甘いばかりで、味の深さが無いのが気にいらないのだ。昨年は壮瞥の道の駅で手に入れることが出来て満足したのだが、今年はできるならばここでも手に入れたい。早速及川商店という野菜売りの店を覗いたのだったが、残念ながら店にあったのは別のものだった。諦めて車に戻る間に、邦子どのが店の人にいろいろ訊ねて知ったところでは、今年は天気の影響で、10日を過ぎないと収穫できないとのこと。偶々生産者の方がおられたようで、あれこれと情報を仕入れてきていて、なんとその方の名前や住所までメモして来たのには驚かされた。これから10日間も待つわけにも行かず、今年は諦めて先に行くことにした。

岩見沢からR234に入りしばらく走ると、栗山町に入った直後の道路脇に、ワンボックスの車が鉄の小電柱をへし折って藪の中に突っ込んでいた。事故らしい。警察も未だ来ていないらしく、野次馬の人たちが何人か集まっていた。救護活動や通報は既に行なわれているのだろうと思い、そのまま通過した。事故を目撃するのは、この旅では初めてのことである。大した怪我でなければ良いがと願うと同時に、改めて安全運転を自戒する。

栗山町に入り、ついでなので明日迷わぬようにとお願いする工場の場所を確認に立ち寄る。道沿いと聞いていたので、そのまま夕張市に向う道道を行くと直に判った。これで明日は大丈夫、道に迷うことはない。ここから道の駅:マオイの丘公園まで、どれくらいの距離と時間かを計りながら向う。約22km、時間は25分弱だった。

マオイの丘公園の道の駅は、日曜日とあってか大変な混雑振りだった。くるま旅などではなく、札幌市内を初め近郊からの野菜目当ての買い物客が殆どのようだ。いつものことながら、この道の駅の人気振りを確認したのだった。静かになったのは、野菜売り場の店が閉店してしばらく後の18時近くなってからだった。

その後、札幌在住のSさんからお電話を頂戴し、これからここまで訪ねて来られるとのこと。びっくりした。今日の日中、邦子どのが三笠の道の駅に寄った時、昨年八列のトウキビの話題を提供してくれた知人たちのことを思い出し、その後の消息を一番よくご存知の方にと電話をしたのが、却ってご迷惑をお掛けしたのかも知れない。でもゆっくりとお話できることはありがたく、嬉しい。1時間も経たないうちに、ご夫妻が到着される。茹でトウキビやメロンそれに冷えたビールまで持参頂いて恐縮する。

いやあ、その後は時の過ぎるのも忘れて、様々な話題に楽しい歓談が続いた。Sさんは今春九州方面への大きな旅をされており、その時の話題が特に印象に残った。我々も旅の経験からある程度の土地鑑があるので、話は実によく通じるのである。旅の知人との話は、何の利害得失もなく、すっとお互いの心の中に喜びとして入ってきてくれるのが醍醐味である。知らない土地の話にも興味があり、又、知っている場所の話にも興味があるのだ。誰が何したなどという世間話をはるかに超えて、旅の話は心に響き合うものなのである。Sさんご夫妻との会話からは、邦子どのもたくさんの元気を頂戴したことだと思う。Sさんご夫妻、本当にありがとうございました。

夜は昨日とは違って少し涼しさが戻ったようだが、外を見ると空に星たちが輝いていて、若しかしたら明日は又大暑の天気となるのではないかと、チョッピリ心配になった。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第29日

2010-09-28 00:27:36 | くるま旅くらしの話

第29日 <8月7日(土)>

【行 程】 白銀荘(上富良野町)(泊) → ビルケの森インフォメーションセンター → 美郷名水 → 新栄の丘 → 道の駅:びえい「丘のくら」 → 北西の丘展望公園駐車場(泊)  <37km>

昨日の脱出作戦は大成功だった。もし十勝平野のどこかに涼を求めて燻(くす)ぶっていたら、日中は危うく熱中症になりかけ、夜は眠れずに邦子どのも自分も衰弱の度を深めたに違いない。それほどに昨日は異常な暑さだった。内地の酷暑振りについては、連日のニュースで承知しているけど、いずれの地もいきなりこのような猛烈な暑さに見舞われたのではなく、問題となった場所でも、少しずつ暑さの度合いを増して行って体温を超えるような気温に届いたのだと思う。それが北海道の、しかも旅する身では、今までの涼しいエリアでの暮らしから突然に15℃もの差がある環境に放り出されたのであるから、身体がおかしくならない方がおかしい。

標高千mを超える白銀荘の夜の何という快適さであろう。日中の足掻(あが)きが全くの悪夢のようだった。いつもだと夜中にトイレに行ってそのまま起きて書き物に取り掛かってしまうのだが、今朝は7時近くまで寝床の中で、その快適な涼しさを賞味し尽くしたのだった。白銀荘の朝は、昨日の青空は全く望めず、十勝岳山頂は霧の中だった。気温は20℃くらいか。恐らく下界では、早や真夏日に向っての温度上昇が始まっているに違いない。

ということで、今日は出来る限り遅くまでここにいて過したいと考えている。遅い食事の後は、自分は書き物に取り掛かり、邦子どのは少し惰眠を楽しんだ後に、温泉に出かけて行った。ここの湯は100%掛け流しの、とびっきりのいい湯である。自分は昨日それを味わっているので、今日は居残りとする。9時を過ぎると、今日は土曜日とあってか、下界からの日帰り入浴の家族が続々と山に上がってきていた。登山の人たちは、下山する人たちだけが早々と帰路を急いでいた。このような高地にも、ツバメ達がやって来て、賑やかに飛び回っていた。近くの樹木の中からウグイスの囀りが聞こえてくる。ここのウグイスは2種の鳴き声で、「ホー、ホケチョ」と「ホー、ホケキヨ」である。後者の鳴き声は、キョではなく、キヨなのである。これはRVランドの連中の鳴き方と同じである。面白いなと思った。その様なことで、少しも退屈ではない。

邦子どのが戻ってきて、外の景色などを見ながら何やら話している内に、たちまち12時半を過ぎてしまった。大して空腹感もないのだけど、二人とも薬を飲まなければならないために、食事を強要されるような状態にあるため、やむなくおじやを作って食す。外は霧が雨に変わって、断続的に路面を濡らしている。下界の様子は全く判らないが、この分だと雨になっているのかもしれない。予報だと今日も雨模様なのに30℃近い最高気温が示されていたから、蒸し暑いのかも知れない。何時までもここに留まるわけにも行かないので、とにかく下のビルケの森のインフォメーションセンターまで行って様子を見て、大丈夫そうなら美瑛の丘のどこかで泊ることにし、暑くてダメなら今度は大雪山旭岳のロープウエイの駐車場へ行って泊ることにしようと決める。明日中には、札幌市郊外の長沼町にある道の駅に行かなければならない。明後日に車のシャーシの塗装をお願いしていて、その工場が栗山町にあるからである。本当はもう一日ここで過ごしてもいいのだけど、今年最後となる美瑛の丘の風景をちょっとは見ておきたいという気持ちがあるからなのである。

14時近く、とにかく下界に行くことにして出発。白銀荘から白金までの道は、途中から視界が一気に開けて、実に壮大な景観を眼下に楽しむことが出来る。10分ほどの短い時間だけれど、下りの道はたくさんの果報が付随しているのである。白金の温泉街を過ぎ、青い池を通り過して少し行くとビルケの森インフォメーションセンターに到着。ここで小休止。外に出てみると、やっぱり暑い。風が全くなく蒸し暑さがジワッと滲み込んでくる。こりゃあダメかなとも思った。しかしもう戻る気にはなれない。ま、丘の方に行けば少しは風があるかもしれない。

丘の方に行く前に、少なくなった水を補給するため近くにある美郷名水を汲みに立ち寄る。30分ほど掛けて水を汲み終える。人気の場所で、入れ替わり立ち代り水を汲む人や涼を求める人たちがやって来ていた。水場に集まるのは、人間が動物であるという明確な証拠だと思っている。ロボットには水は不要であろう。人体組織の大半は水が動かしているのだ。良い水を求めるのは人間の本能であろう。この頃はその本能を忘れた人も多くなっているようだ。腐蝕を防ぐという点では水道水は安全度が高いのだろうが、人体の活性化のためには大地のミネラルを多く含んだ湧き水の方がはるかに優れていると信じている。だから、旅先では常に湧き水には関心がある。

今年2回目の美瑛の丘であるが、今日はこのところあまり寄っていない新栄の丘に行ってみることにした。美瑛は丘の町であり、幾つかの展望の名所があるが、新栄の丘は十勝連峰を望見できる場所であり、山の写真を撮る人たちが多く集まる場所である。今日のような雨模様の曇天では、それらしき人は居らず、観光バスやレンタカーでの来訪者が殆どである。皆さん、ちょっと周辺を見渡し、その広さに満足するのか、2~3枚記念写真を撮り、その後は近くの売店でアイスクリームやカットメロンの一切れを味わって、さっさと立ち去ってしまう。ま、観光とはその様なものなのであろう。

   

新栄の丘の景観。雲が多くて視界がはっきりしなかった。ここからは大雪山連峰が望見され、山岳写真を撮る人人が多く集まるのだが、今日は誰も居なかったようだ。

我々の方は今日ここに泊るか、泊らないかの判断が一つの課題となっており、空の様子やトイレや水などの状況も確認する。丘の上なので、風があり、暑さには十分対応できそうである。しかし、周囲はトウキビ畑ばかりで、夜になって誰もいなくなったら、いかにも心細い場所となってしまう。今は山の写真を撮るために泊る人も居ない。もう、中途半端な季節に入ってしまっているようだ。ということで、泊るのならもう少し先の北西の丘の方が良いのではないかと判断する。

途中で町の方にも行ってみようと、JR美瑛駅前近くにある道の駅:びえい「丘のくら」に寄って見た。ここは何年か前にオープンした比較的新しい道の駅である。以前来た時は、開店したばかりで、大変な混雑振りで車を停めるのに往生したのを思い出す。やっとの思いで駐車を果たし中に入ってみたのだが、中は人ばかりで、何がなんだか判らないままに嫌気がさして出てきたのを覚えている。今日はそれほど混んではいなかった。しかし中に入ってみると、その昔の石造りの倉庫を改修した駅舎の大半はホテルのようなものとなっており、あとは少しばかりの地元の観光土産の売り場しかない。それも極めて狭い。あの開店時の混雑の正体がこんなものだったのかと知って、改めてガッカリした。このような施設がどうして道の駅なのかと疑問を覚えるほどである。もう二度と来ないだろうなと思った。変に気取った、美瑛の悪い部分を表象しているかのような施設に感じた。

近くのスーパーで少し買い物をした後、R237の反対側にある北西の丘展望台公園に行く。国道から入って直ぐの場所だけど、町の姦しさを感じさせない場所で、観光客には人気があり、観光バスの来訪も多い。さすがに17時近くなると、来訪者も少なくなって、静けさを取り戻し始めたようだった。邦子どのがいつもガラス工芸品を買うなどしている店のご主人に、泊りの条件などについて伺ってきたようで、それによると暑さはなかなか静まらないとのこと。今は風があるから良いけど、夕暮れが雲を少なくして無風となったら、ここはかなり暑いという話だった。空を見ると、かなり黒雲が湧いてきており、今夜は一雨来るのではないかと思われる状況だったので、ま、大丈夫眠るに耐えられるだろうと判断し、ここに泊ることに決める。

18時を過ぎると、車は殆ど居なくなり、付近の店も全部閉店して、静かになった。やがて無人となる。風はほんの少しだけど、雲は益々量を増やしており、暑さの方は大丈夫である。ここは障害物が無い所為かTVが良く映る。しかし碌にニュースを見ることもなく、いい加減な食事を済ますと、たちまち眠りに襲われて寝床にもぐりこむ。邦子どのの方がずっと正気だったようだ。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第28日

2010-09-27 02:34:19 | くるま旅くらしの話

第28日 <8月6日(金)>

【行 程】 

道の駅:なかさつない → 紫竹ガーデン(パス) → 帯広市内ショッピングモール → 音更帯広IC(道東道) → 占冠IC → 金山湖キャンプ場 → 富良野・嶋田農園 → 白銀荘(上富良野町)(泊)  <248km>

昨夜も暑くてなかなか寝付けなかった。日中の気温が高いと、いかに涼しい北海道といえども夜遅くまで快適な状況とはなり得ず、旅の眠りは在宅時よりもはるかにレベルダウンする。ようやく眠りに落ちて、目覚めた時は5時近くだった。外を見ると、雲は少しあるけどピカピカの青空が見えた。少し日も射しており、暑さが増幅されているようである。こりゃあ、今日はとんでもない暑さになるぞという予感がした。記録の整理を終えて外に出る頃には、もはや耐えがたいほどの暑さになってきていた。

今日は予定では、邦子どのが行きたがっているこの周辺の庭園などの中で、紫竹ガーデンというのが帯広市郊外にあり、広大な花の楽園があるとか。富良野以外のその様な場所を見たことがないので、行ってみるのもいいかと思っていたのだが、この暑さでは大丈夫かと先ずは不安が先立つ。

出発する前に、ここで溜まったゴミの処理をすることにした。中札内の道の駅では、長期の旅の者に対しては、村指定のゴミ袋を購入すればその処理を引き受けてくれるとの掲示があった。ゴミ箱は設置されておらず、ここの売店などで買ったものから出るゴミは、その売店に持参すれば引き取ってくれる仕組みだが、その他のゴミは指定のゴミ袋を購入すれば処理OKなのである。これは我々のような長旅の者には真にありがたい処置である。決してタダでゴミ処理をお願いしようとは思っていない。

ゴミ処理に掛る地方行政のコストは、いずれの市町村においても相当なものだと聞いている。そのコスト回収に協力するというのは当たり前のことであろう。この中札内村の道の駅の対応は、理に叶っており、車社会の現代では、人の移動の激しさに合わせてゴミの発生も増加し、その処理への対応も不可欠なのだから、本来なら日本全国どこへ行っても同じ様な対応があって然るべきではないかと思っている。一方的にゴミ箱を撤去し、販売促進だけをうたっているような道の駅などに出会うと、その思想のお粗末さに腹が立つ。

9時から受付というので、猛暑に耐えながら待っていて、ゴミの袋を購入する。売店の人にこのようなシステムはありがたいと話すると、その人の言うには、確かにそうかも知れないが自分たちとしてはありがたくないということだった。何故なら、それがなければゴミ等という不衛生極まるものを扱う必要などなかったからという。それも一理ある話だけど、どうしてなのかと訊くと、ゴミの中には生ゴミならまだしも、紙オムツなどが入っていることがあり、とんだ迷惑なのだということ。なるほどなあ、と思った。自分は未だそこまでは行っていないから大丈夫というと、いや年寄りではなく赤ちゃんの方ですとのこと。うんにゃ、今頃は年寄りもオムツをつけるのが増えてきているから、油断はなりませんよ。でも私は未だそのレベルには至っていないので、ゴミは大丈夫ですと念を押すと、ようやく笑顔が見られた。直接ゴミ処理に当るものから見れば、ありがたい仕事ではないというのはよく理解できる。現場の苦労や苦情を乗り越えるほどのトップの取り組み姿勢を期待したいと思った。

   

道の駅:なかさつないでのゴミ出し。有料だけどゴミ処理をきちんと受けて頂けるのは、旅の者にとってはありがたい。全ての道の駅などがこのような対応をしていただけることを切望する。

ゴミ処理をお願いして、とにかく紫竹ガーデンという所にいってみようと出発する。多少の日陰くらいはあるのだろうという考えだった。何しろ今までの雲多き空とは打って変わった真っ青の空に、ピカピカのお天道様が鎮座して熱射放ち続けているのである。木陰なしの場所に車を停めておいたなら、車内の温度は、たちまち40℃近くまで上がってしまう感じがする。紫竹ガーデンに行ってみると、駐車場は狭く、木蔭などは見当たらない。庭園の中には幾らかの木蔭はあるようだったけど、今日はやめた方が無難である。邦子どのの体調が完全に元に戻っているわけではないので、無理は禁物である。昨日も暑い中をかなり歩き回っているので、ここは次回に持ち越すことにして、場所を確認しただけでパスすることにした。

さてどうするか。この天気では帯広近郊のどこへ行ったって暑さを逃れられる場所などなさそうである。少し考えた結果、昨日も行ったショッピングモールに行き、そこにある大型店の中を歩いて散策してみようということになった。名づけてSMRである。Sはショッピング、MはモールそしてRはリサーチである。旅をしていると、おもな地方都市には必ず幾つかの郊外ショッピングモールがあることに気がつく。30年程前には、USAの話として聞いていたものが、今は日本国内の何処にでも見られるようになっている。これらを自分としては、今までマーケティングの視点から覗いてみたことはなかった。ただ目的の商品を手に入れるために立ち寄るだけだった。今日は最初から店の並び具合、各店の商品の品揃えや陳列、相互間の競合の様子などについて眺めてみようと思った次第。どんなに外が暑くても店の中は寒いほどなので、これはグッドアイデアだと思ったのである。

帯広西地区のショッピングモールは、軽く千台を超す駐車場の周辺に、大型スーパーを始め、ホームセンター、ドラッグストアー、100円ショップ、衣料専門量販店、家具類総合販売店などが建ち並んでいる。それぞれが特大の規模でこれらをじっくり覗いていたら、1日では見切れないほどである。先ずはホームセンターから開始する。いつも良く利用する店なので、大体の商品のありかなどは判っていたつもりだったが、細かく見てみると、結構面白い商品も見受けられたのは発見だった。30分ほどで隣に移ったが、ここは11時前なので未開店。その隣の100円ショップに移る。これはまあ、同じ名前の店なのに、驚くほどの品揃えだった。小物で無いものはないという感じがした。ここの創業者の話を昔聞いたことがある。ユーモア好きの方で、それはこの店の中に丁名や番地などが付けられているのを見て思い出したことでもある。20分ほど見ていたら、邦子どのがいない。どうしたのかなと思ったら、レジの向こうのベンチに腰掛けて居眠りをしているようだった。聞くとあまりに外との気温のギャップについてゆけないらしく、気分が悪いという。確かにそうなるような状態ではある。

一旦外に出て、どこか他の場所に移動しょうと考えるけど、適当な所が思いつかない。外は卒倒するほどの猛暑である。車に戻っても、もはや車内まで熱気が膨れ上がっている感じだった。もう一度向いにある大型スーパーの方に行ってみようということになり、車を少し移動させる。とにかく涼もうとその店の2Fに上がる。2Fの方が休憩しやすい。店の隅の方に椅子を見つけてしばらく坐っていたのだが、その内に邦子どのは仰向けに横になった方が楽だと、顔をハンカチで覆って寝てしまった。近くを通るお母さんと一緒の子供などが、邦子どのを指差して心配そうな顔だった。しばらくこのままが良さそうなので、とにかく傍でボーっとしていることにした。先ほどのSMRなどという格好良さそうな試みの成れの果てであった。猛暑とその反動の冷房の方が数枚上だった。

少し休んだ後、直ぐ近くにあるレストランで昼食。このままでは今日はどうにもならないので、食事中に考えた結果、急遽帯広を脱出することに決める。北海道中どこへ行っても平地などではこの猛暑からは逃れられないようなので、斯くなるは高地に向うしかない。ところが至近の高地が何処なのかをあまり知らない。地図などを頼りに、未知の場所に向うのはリスクが大きい。知っている一番近い場所といえば、十勝岳山麓の白銀荘か、旭岳登山ロープウエイのある所くらいしかない。少し遠いけど、高速道を利用して、上富良野の白銀荘に行くことにした。あそこなら、標高が1000mを超えており、夜になれば間違いなく快眠が保証されるに違いない。無理して暑い所に留まって、悶々として寝苦しい夜を過ごして体調を崩すよりもずっとマシである。

帯広市内で給油の後、郊外の道東道音更帯広ICから高速に入り、終点の占冠ICに出て、R237を富良野方面に向う。途中、金山湖というのがあり、ちょっと立ち寄る。いい所だけど、くるま旅の者にとっては、わざわざ泊るような場所ではないなと思った。元に戻り、富良野に入って、郊外の嶋田農園に寄り、西瓜とメロンを買う。邦子どののお気に入りの場所で、農場の奥さんに元気そうに迎えて頂いた。1年に1度きりしか会えないのに、顔を覚えておいて頂けるというのは、幸せというものであろう。

   

富良野市郊外にある嶋田農園。至る所にたくさんの花が植えられ飾られているが、これもその一つ。北海道の各家の周辺には、どこへ行っても思い思いにたくさんの花が植えられ、人びとがこの季節を花と一緒に大切に過していることが窺える。

半月ほど経過した富良野エリアの景観は、それほど変わっているようには見えなかったが、収穫後の麦畑に飼料用に丸めた巨大なロールの数がかなり増えたようである。中富良野を通過し、上富良野の日の出公園の傍を通って、白金温泉の方に山越えで向う。勝手知った道である。ビルケの森白金インフォメーションセンターに寄り、ここに泊ってもいいかなと思っていたのだったが、暑さのレベルは夜間の涼味の到来をかなり遅らすのではないかと、やっぱり当初の考え通り、白銀荘を目指すことにした。SUN号も今日は熱暑の中をいきなり高速を走らされ、今度はとんだ山の坂道を登らされて、さぞかし厳しいことだろうと思いながら、ゆっくりと白銀荘に向う。雲の割れ目から時々差し込む西日は、まるで赤外線の束を丸めて届けているように熱い。優しさの欠片もない日射しだった。17時35分、ようやく白銀荘に到着。約4時間半の猛暑からの脱出劇だった。18時半を過ぎて、日が沈んだ千メートル超の高地は、今日の脱出行に十二分に報いた夜を提供してくれた。やはり、ここに来て正解だった。邦子どのの元気もかなり回復したようである。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第27日

2010-09-26 06:02:35 | くるま旅くらしの話

第27日 <8月5日(木)>

【行 程】 

道の駅:なかさつない → 帯広市内LPガス充填所 → 帯広市郊外ショッピングモール → 六花の森 → 中札内美術村 → 道の駅:なかさつない → 道の駅:忠類 → ナウマン温泉 → 道の駅:なかさつない (泊) <115km>

中札内の道の駅での一夜は、思ったよりも静かだった。日中はR236の車の往来は多く、道の駅も出入りが多くて大型トラックも入ってくる。夜中にもトラックが来ると眠れぬ一夜となることが多いので心配していたのだが、それは杞憂だった。泊りの車は数台で、トラックも静かだった。

この道の駅には、清流が自慢の札内川の水を提供してくれる水場があり、親切でありがたい。確かに冷たく美味い水である。又長旅の人のためのゴミ処理に対処して、村指定のゴミの袋を購入すれば、それを受け付けてくれるのもありがたい。全ての道の駅でこのような対応をして頂ければ、くるま旅の問題はかなり改善されるような気がする。昨年は端(はな)から泊る気などなかったので、気づかなかったのだった。受け入れサイドの親切を見過していたとは迂闊だった。反省しきりである。

今日は昨日下見をした六花の森などを訪ねることにしている。その後で、知り合いの誰かが滞在しているであろう、隣の道の駅:忠類を訪ねてそこに泊るつもりでいる。食事が済んで出発準備に取り掛かる頃に邦子どのがガス臭いと騒ぐ。それはガスが少なくなった証であることが多い。今回もそうだろうとガスボンベを持ってみたらすっかり軽くなっていた。犬族にも引けをとらないみごとな嗅覚の人である。早速交換した。空になったボンベを充填する必要があるが、それは急ぐことではない。しかし、昨日買ったブースター接続用具が不足しているので、それを調べるついでにガスを入れることにして、先ずは帯広の方に先に行くことにした。

先にガスの補充をしに行く。昨年入れているので、凡その場所は判っている。地図の中に住所や詳細な案内図のメモを貼ってあるので迷うことはなかった。ナビなしの方が、確実に目的場所を覚えることが出来ると思っている。ガスを充填した後、ホームセンターへ。よくわからないので店の人に聞いたのだが、今一要領を得ない。店の人が売り物のTVの裏面を指してこのようなものが付いているはずだから、それに差し込めばよいという。確か昨日見た我が家のTVにはその様な箇所はなかったのにと思いつつ、もういいやと思い、お礼を言って車に戻る。この間、そばにいる邦子どのが、あれこれチャチを入れてうるさい。TVをもってきて見て貰ったらなどとまで言うのである。接続用のピンコードは間違ってはいないのだから、返却をしないで済むのに、それを払い戻して貰えばなどという魂胆ありありなのである。何しろ電気によらずものごとの大半は、最初から正解の少ない自分なので、邦子どのにはまったく信用がない。財政担当としては少しでも家計のバカなロスを減らしたいというのは解らないでもないが、店員との会話にまでしゃしゃり出て、妨害するような行為には実に腹が立つ。

ホームセンターを出て、中札内の方に戻り、先ずは六花の森という、道の駅により近い方の目的場所に向う。ここはチョコレート菓子などで有名な六花亭が経営しているようで、直ぐ傍に何やらのお菓子の製造工場が建っていた。その近くに坂本直行という方の記念館があり、その周辺が花咲く丘と森になっているらしい。当初は一緒に入るつもりでいたのだが、ブースターの接続のことがあり、ずっと腹が立っているので、花など見る気分にはなれない。残って、何としても接続を果たすつもりである。今日はピカピカのいい天気で、木蔭のない駐車場の車の中は暑くて厳しいけど、我慢して何としてでも接続を果たすつもりである。邦子どのは、さっさと受付の方に消え去った。

電気というのは得体の知れないもので、どうも苦手である。その理屈を知るのにもさして興味関心がない。世の中の大半は電気なしでは動かないというのに、とんだ愚かな反逆者のようなものだ。このような自分でも、かつては理系の学校を目指して勉強をしたこともある。途中で気づいて文系に転向したのは、高校3年になってからで、もし転向しなかったら浪人して何処かの工学部などに入っていたかもしれない。青春時代の志は未熟で、いつも揺れ動いていた感じがする。まさかこれほど電気音痴になるとは自分でも思わなかった。

などと思いながら、もう一度TVの解説書を開いて精読しようと思ったのだが、ブースターの取り付けのことなどはどこにも書いてはいない。購入したブースターの説明書を読んでも一般的な図面しか書かれておらず、使用する接続コードのことなど何も書いていない。だから、結局は昨日と同じことなのだ。しかし、良く考えてみるとブースターというのはアンテナが捉える電波の増幅器なのだから、アンテナに来た電波を入力し、増幅した電波をTVの本体のアンテナの接続箇所につないでやればいいはずである。そう思いながらつないで見たら、ちゃんと映るには映ったのである。しかし画像の質は良くない。利得ダイヤルとかいうのを回してみたけど、大して変わらない。なんじゃあこれは、と思った。しかし、自分としてはここまでで終りである。恐らく何かが決定的に間違っているのであろう。それは専門家に聞いて見なければ解らない。しばらくは折角ブースターを買ったのに、それが役立たないことを邦子どのに吹聴されることであろうが、ま、その通りなのだから仕方がない。とんだお粗末だった。

正午を過ぎても邦子どのは戻ってこない。途中に電話があって、もう少し見てくるという。良い所だから入ってきたらと言われたけれど、何を今更という気分でお断りした。12時半近くなってようやく戻ってきて、お昼はもう一つの目的場所の美術村の方に食べる所があるとかで、そちらに向う。自分としてはレストランなどという所で食べるのはあまり乗り気ではない。暑いのでそうめんでも茹でて食べる方がいいと思っている。美術村の森の中にあるレストランのある場所に、邦子どのの後に付いて入ったのだが、なんだか知らないけどセルフで食べものを受け取って食卓に運んで食べるような仕組みらしい。バイキングとかこのようなシステムは自分の一番嫌いな食べ方である。動き回って餌を探すなどというのは真っ平ご免である。パーティなどで、バイキング仕様の場に出くわした時は、殆ど食べずに酒ばかり飲むことが多かった。クラブキャンプなどでの一品持ち寄りパーティなども、邦子どのがいなかったら、恐らく食べものを取りに行くことなどをせず、自分で用意して持参した物しか食べないと思う。食べる時に動くのが嫌いなのだ。捕まえた獲物は、じっくり一箇所で味わうべきものだ。食べながら次の獲物のことを考えるなど落ち着かないことおびただしい。酒だって飲み終わった後に直ぐに横になって眠れる場所が一番安心して飲めるのである。だから飲み屋で飲む酒は安心できない。家に帰らなければならないからである。仕事がらみの時代が終わった今は、付き合い以外は、酒場に行って飲むことなど考えたこともない。というわけで、食べるのはお断りした。邦子どのの気分はかなり下がるのだと思うけど、初めてのことでは無いので、とにかく自分の好きなようにやってもらいたい。

昼食を止めた後は、森の中の野草たちの写真を撮る。彼らを見ていると腹の空いたことなど忘れてしまう。この森の中には秋の七草を植えているのかと思うほどそれらが多く見られた。萩、女郎花、桔梗、ススキ、それにフジバカマの代わりには山ヒヨドリなどが咲いていた。あと葛となでしこがあれば全部揃うことになるけど、なでしこはともかく、葛を植えるのはかなり勇気が要るのではないか。関東の秋はまだまだ先だけど、この地の秋は夏と一緒にやってきているようである。

   

女郎花の花。最近は、野生の花がめっきり少なくなり、花屋さんで見るしかできなくなりつつある。来年もここに咲いていてくれればいいのになあと思った。

今まで見たこともない、蘭系統の花があった。帰宅後に調べてみたがよくわからない。丈は40cmくらいで、小さな蘭の様な花をたくさんつけていた。良く見ると品のある花である。ご存知の方は教えてください。

美術村だから、何人かの芸術家の館などがあるのだろうけど、今回は野草を見ただけで、後は何も見る気がせず、次回以降にすることにした。美術村を後にして、もう一度道の駅に戻り、野菜等を買ったあと忠類の道の駅を目指す。忠類の道の駅には、パークゴルフの愛好者の誰かが滞在しているはずである。

ところが行って見ると、知り合いの人は皆無だった。キャンプ場や駐車場には、いつもと同じようにかなりの人たちが滞在していたのだが、ぐるーっと廻ってみても、知り合いは一人もいないのである。不思議に思い、念のため今年は所用があって早く自宅に戻っておられる、福島県のIさんに電話して訊いて見ることにした。Iさんはここの常連のお一人で、自分よりは事情を良くご存知である筈と思ったのだ。で、訊いたところでは、良くは判らないけどお盆近くとなると常連の滞在者はシーズン来訪者の迷惑になってはいけないと、その時期一斉に他場所に移動することがあるのだとか。未だお盆には少し早いと思うけど、そうなのかもしれないと思った。誰もいないのでは、ここに泊っても仕方がないと考え、とにかく傍にあるナウマン温泉に入って、そのあと今夜も中札内の道の駅にお世話になることに決める。予想外の展開である。

16時過ぎ忠類を出発して中札内に向う。とにかく今日は暑い。30℃をかなり超えているに違いない。こうなると内地と変わらなくなる。頼みは夜の涼しさだけである。ようやく蝦夷梅雨も終わって本物の夏を迎えたようだ。エゾ蝉たちの鳴き声も一段と大きくなったようだ。日の影がかなり長くなり出したので、道の駅に戻る手前にある美術村にもう一度寄って、木蔭で休むことにした。これは正解で、森の木立ちがどうにか車が入れるだけの日陰を作ってくれていた。北海道には木がたくさんある割には、木陰のある駐車場が少ない。これは防雪と関係があるのかもしれないと思っているけど、真偽はわからない。地元の方に声を掛けられ、20分ほど雑談をする。

17時を過ぎ、道の駅に戻る。昨日よりも車が少なく感ずるのは、少し遅い時間となっているからか。とにかく暑い。蒸し暑い。車の中よりも外の方が涼しいのだけど、虫が多いのでうっかり居続けはできない。汗を流しながら夕食を終える。止せばいいのに、焼きソバなどを作ってしまった。汗が収まるまでにかなり時間が掛った。涼しくなり出したのは深夜近くなってからだったろうか。寝苦しい時間が続いて、やっと本物の眠りにつけたのは1時を過ぎていた頃だと思う。明日は雲があってもいいからチョッピリ涼しくなって欲しい。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第26日

2010-09-25 02:46:19 | くるま旅くらしの話

第26日 <8月4日(水)>

【行 程】 

道の駅:しほろ温泉 → ナイタイ高原牧場展望台 → 道の駅:おとふけ → 音更町内コインランドリー → 帯広市郊外ショッピングモール → 中札内美術村 → 六花の森 → 道の駅:なかさつない (泊) <129km>

昨夜はこの道の駅には30台近くの旅車が泊ったようだ。大変な賑わいである。その割に静かだったのは、皆さん旅の要領を心得ておられるからであろう。騒音をバラ撒くトラックもなく、安眠の時を過せたのは幸いだった。5時過ぎくらいからボチボチ次の目的地に向かう人たちが出発して行った。朝食を終えた8時ごろには残っている車は10台以下となっていた。その半分くらいは、早くも近くのパークゴルフ場に出かけて行かれたようである。ここはTVが殆ど映らず、何時もの朝ドラは音声で聞くだけだった。やはりブースターを取り付けなければならないかなと思った。今頃になってその気になるというのは、TVなどの画像に対して鈍感の証明となるのはよくよく承知している。

今日はあまり天気が良くないようだ。今のところ雨は大丈夫らしいが、雲が垂れ込めている。今日は上士幌のナイタイ高原牧場に行き、雄大な景色を眺めた後、その大自然の空気を胸いっぱいに吸って、半日くらいゆっくりと過したいと思っているのだが、それは上天気を予想してのことである。曇っていて霧が出たりしたら何も見えなくなってしまい、その様な思いは吹き飛んでしまう。どうするかしばらく迷ったのだが、とにかく行ってみることにした。

9時少し前、準備を終えて出発。ナイタイ高原牧場は、ここからは40分ほどの所にある。ナイタイというのは勿論アイヌ語であり、ナイというのは水の流れのことらしい。即ち川ということである。タイというのは、奥まってあると意味のようで、ナイタイというのは奥まった川があるということになり、川の源流となるような沢のある地形を指しているようだ。地図によれば、然別湖の東にナイタイ山という1300m超の山があり、その東側の山裾にある高原を開拓して大牧場が作られているのである。その草地の広さだけで430haもあり、これは守谷市の凡そ12倍の広さとなる。この牧場には、成牛となる前の牛たちが育てられているとのことである。

平地から次第に坂道となり、しばらく走ると牧場の基地となっているらしい場所があり、そこから牧場の上方にある展望台に向った道が6kmほど続いている。ここからは視界を遮る物が何もないので、その雄大な展望を楽しむことが出来る。今日の牛たちは近くにはいないようで、遙か遠くの谷の向こうで、白黒斑模様の一段が小さな塊となって見えるだけである。しばらく走って展望台の駐車場に到着する。天気の方は、霧は出ていなくて一応の眺望は利くのだが、山側の方には雨雲らしいのがあって、これが悪さを仕掛けてきそうな雰囲気だった。外に出てしばらく眺望を楽しむ。

   

ナイタイ高原牧場の風景。とにかく広い。中央に見える白黒斑の30頭近い牛たちも、ほんの一握りの点の集まりにしか見えない。この撮影場所から牛たちまでは1km以上離れていると思う。

とにかく広く大きな眺望である。眼下には帯広平野の北部の上士幌、士幌、本別、池田などの開拓された平地が広がり、その遙か遠くには斜里岳や知床の羅臼岳などが霞んで見えた。又右手の方には帯広市の都市部らしいのがスモッグを頭に掲げて広がっている。後ろを仰ぐと、これは牧場の上に未開発の山地が控えている。長野県の霧が峰や美ヶ原の大きな山の展望を思い出すのだが、ここは展望という点では、より間近に下界を見下ろすことが出来るので、一味違った感慨に捉われるのである。これが快晴の日ならもっともっと気分は爽快となるに違いない。残念ながら今日はそうはゆかないようで、小粒の雨が時々落ちてくるようになって来た。

展望台の休憩所の小屋の方に行くと、そこでは先着の邦子どのが店の人と何か話をしていた。実はここに来るには、もう一つの楽しみがあった。それは去年の北海道の旅で知り合った、Fさんが作られた大凧が、この店の中に飾られているという話をMさんからお聞きしており、それを是非拝見したいと思っていたのである。特に邦子どのは、Fさんの大凧のファンで、この地でその凧が大空に大きく舞い上がるのを見たいと盛んに言っていたのである。勿論それはFさんと一緒でなければ実現しないのだが、今年はそのチャンスは難しい。その飾られた大凧の前で、邦子どのは何やら話を仕掛けていたようだった。

Fさんの大凧は本格的なもので、ご自分で書かれた武者絵は、住まわれている青森県は五所川原のねぷたの技を駆使したものであり、真に飾るに相応しい芸術作品でもある。飾られているのは1枚だけなのかと思ったら、もう1枚増えて2枚となっていた。店の人の話では、今年もう1枚を頂戴したのだとのこと。Fさんは豪快な方なのだが、この凧に描かれた武者絵は、実にやさしい表情をしていた。特に目が優しい。これがFさんの本当の姿なのだろうと思った。今年は会えないけど、来年は是非お会いしたいものだと思った。邦子どのも同じ気持ちのようである。

   

展望台休憩所のお店に掲げられているFさん製作の大凧の武者絵。蛸の大きさは縦が2m横が1mほどもあろうか。これが大空に舞い上がる時は、さぞかし見事なことだと思う。

お土産にバター飴を少し買って外に出ると、雨が降り出していた。これではここで昼寝をしたとしてもあまり好い気分にはなれそうもない。霧でも出てきたら戻るのにも厄介になりそうである。仕方がないので下界に戻り、今日の泊りを予定している帯広市郊外の十勝川温泉の方に向うことにした。

下りる途中に前回も見たツリーハウスに立ち寄る。これは丁度ゲゲゲの鬼太郎の住まいのように、木に取り付けて作った小屋があり、以前TVのコマーシャルの映像作成に使われたものである。勿論中に入ることなど出来ず、以前よりも駐車場も狭くなっていて、近寄りがたいものとなっていた。写真を2~3枚撮って後にする。

   

高原牧場ての途中の道脇にあるツリーハウス。何年か前のコマーシャル撮影用に作られたものらしい。ここで本を読みながら昼寝をするのも良いものだろうなと思った。

下界に降りて、R241に入り、帯広方面に向かって走り続ける。北海道には真っ直ぐな道が多いけど、このあたりの道も真っ直ぐだ。どこまでも真っ直ぐで、道の両側にはジャガイモやトウモロコシ、小豆などの畑が防風雪林に守られて続いている。士幌から音更町に入り、ここの道の駅で小休止。しばらく休んで出発する際に、電柱にコインランドリーの広告があるのを目にする。邦子どのが最前から帯広で洗濯をしたいと言っていたので、帯広まで行かなくても今日ここで済ませればいいのではないかと思って話すと、その方が良いとのこと。それで、急遽先に行くのを変更し、広告にある1km先左折という案内に従って走る。ところが1km行って左折しても見つからない。これじゃあダメだと諦めてもう少し先に行ったら再び同じ案内があり、左折の表示があった。1kmどころか2km近くの距離だった。少しムカツキながら左折して行ったのだが、又見つからない。とうとう通りの角まで来てしまった。バカモンと思いながら引返そうとすると又広告の表示が電柱にあった。戻る方向である。バカバカしいったらありゃしない。からかわれているように感じた。戻って少し行くと極めて判り難い表示の看板があり、そこが目的の場所だった。何というセンスの無さだろうと呆れ返ってしまう。しかしそれでもまあ見つかったので、洗濯を始めることになった。

洗濯は邦子どのの世界である。丁度昼飯時近くになっていたので、ご飯を炊いてその準備をすることにした。これは自分の役割である。オカズは既存のもので間に合わせることにする。今朝のTVが音声だけだったので、昼の放映をもう一度見たいと思い、TVの受信の準備もする。SUN号のTVは見るのに手間が掛るのである。アンテナを一々セットして、チャンネル設定をしなければならない。リッチな人は全て自動でできる装備をつけているのだが、年金暮らしでは、その様な贅沢は出来ない。ま、それもあるけど、この一々の面倒くささがボケ防止の薬にもなっているのだと思っている。ここの受信状態もNHKに限って良くなかったが、一応映像はそれと判明できるレベルでは映っているので、まあ善しとした。洗濯物の洗いの処置をし終えた邦子どのが戻って、昼食となる。TVを見えて一休みしている内に洗濯も終了に近づく。

休憩の間の話で、邦子どのが帯広近郊の観光ガイド情報の中で、中札内の六花の森とかいう美術館や美術村、それに何とか庭園や花畑などを見たいと盛んに言うので、それならば今日十勝川温泉に泊るのを止め、明日に備えて中札内の道の駅まで行ってそこに泊ることにしようと、又々予定を変更することにした。どこに泊っても大して変わりはない。ということで、帯広市内を通り抜けて中札内の方へR236を行くこととなった。

途中帯広の郊外近くにショッピングモールがあるので、もし家電の販売店があったら、ブースターを買ってしまおうと思い立ち寄る。行って見ると新たに巨大店舗も加わったのか、まさに大規模のモールとなっていた。家電の店に入って探したのだが、売っているのはTVの完成品ばかりで、部品などは殆ど置いていない。ブースターなどというものは、売るべき商品ではないと考えているようである。大型量販店の殆どはこのような販売哲学のようである。解らないわけではないけど、売れないものは売らないという考えだけで良いのかについては多少疑問がある。ということで、ホームセンターの方に行ってみた。ここにはちゃんと欲しい物が置いてあった。どう取り付けるのか少し不安があるけど、間違ったものを買いさえしなければ何とかなるだろうと、買うことにした。

その後は一路中札内の道の駅を目指す。道の駅に着いたのは、未だ15時半くらいだったので、錨を下ろすには少し早過ぎると思い、明日行く予定の場所の下見に行くことにした。皆道の駅からそれほど遠くはない場所のようである。先ずは中札内美術の村へ。思ったよりは遠かった。森の中に施設や作品が点在しているようである。詳しいことは明日にすることにして、次の訪問先の六花の森に向かう。本当はこちらの方が先に行かなければならないロケーションなのだが、入口の案内表示が不十分で、途中までの判り易さを台無しにしている。先刻のコインランドリーと同じだなと思った。美術の村にも同じ様な言い方が少し当てはまる感じがする。道案内というのは、最後が肝心だと思うのだが、この辺りでは途中が肝心で、それさえしっかりやっておけば、迷わずにやって来るはずと思っているらしい。どうにも解せない。若しかしたら、これは自分の不注意による単なる見落としなのかも知れないけど、歩いているわけではないので、走る車からは見落としがちなのだということをもっと解って欲しい。

とにかく六花の森も所在も確かめて、もう1ヶ所の紫竹ガーデンとかいうのは明日にすることにして、道の駅に錨を下ろす。車は多く、混んでいる。大型のトラックなども休息に入ってきて、なかなか落ち着かない。夕刻になって、ようやく混雑も収まり、泊りの車は数台となったようである。時々雨音が天井を叩いたりしていたが、本降りには至らなかったようだ。早めの就寝とする。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第25日

2010-09-24 00:44:30 | くるま旅くらしの話

第25日 <8月3日(火)>

【行 程】 

別海町ふれあいキャンプ場 → 道の駅:しらぬか恋問 → 道の駅:浦幌 → 池田ワイン城 → 道の駅:しほろ温泉(泊) <234km>

今日はいよいよ別海に別れを告げる日である。Nさんとは1日でのすれ違いとなるけど、今年も会うことが出来、お互い元気な姿を確認できて何よりのことである。キャンプ場の朝は早く、バイクや乗用車で来た人たちは、9時前には殆どの人たちが次の目的地に向かって出発して行った。残ったのは、今日ここに滞在する人たちだけで、我々が一番遅い出発となった。Nさんご夫妻、管理人さん夫妻に別れを告げて出発した時は、9時半を過ぎていた。

今日も昨日に引き続き天気は良さそうである。朝の内の霧は、この地の毎日の決まりのようなもので、晴れの予報でも日の出を拝める日は少ない。今日は釧路を経由して、白糠の道の駅で名物のこの豚丼を食べ、R38を走って幕別町の手前から右折して池田町にあるワイン城に行き、倅からのオーダーに応えた後、本別町から道道を通って士幌町の道の駅の一つの士幌温泉に行って、そこに泊る予定でいる。200kmを超える走りとなるので、適当に休みを取りながらの道行とするつもりでいる。

別海町の中心街にあるキャンプ場を出て、弟子屈方向に走り、左折してR272に入り釧路に向う。この道を走ると、改めて別海町の広さを実感する。山というほどのものは殆ど見当たらず、緩やかな大地の谷間を道が通っているが、その両側には幾つもの牧場が広がり、森や林が広がっている。北海道にはこのような場所が幾つもあるけど、根釧平野の広さを実感するのはここを走るのが一番のように思う。今は一面の緑の大地が広がっているけど、やがて秋になり、冬が来て真っ白になった広野は、それと判らぬような雪の嵐が吹きまくる厳しい世界と豹変するのであろう。冬の世界を一度も見たことのない自分には、想像も追いつかない。

同じ様な景色の中を走り続けて、11時過ぎようやく釧路郊外に辿り着く。ここからは景色が一変する。今はどこの都市でも同じだけど、街の中心街は発展や賑わいの限界に到達して静かになり、その代わりに郊外に進出した大型の店舗が、日本式ショッピングモールを形成しているようである。釧路にも来る度にそれを実感する。明らかに車社会なのである。広い駐車場がなければ、人はやってこないのだ。自分も車を所有し、むしろ商用としては真っ先に車を購入し活用したはずの街の中心街の商人の人たちには、先を読む力が不足していたのは明らかであろう。今の世の中は、歩いて買い物にやって来るような場所は、大都会のほんの一部に過ぎない。

しかし車社会はまだまだ未成熟だ。あまりにも急速に車が手に入るようになった所為なのか、細かいインフラが欠如している。その中の一つに、個人が車を使って旅を楽しむという世界を受け入れる環境が殆ど作られていない。駐車場もトイレも、水汲み場もごみ処理施設も皆既存のものを利用しているのが現状で、しかもそれらを出来るだけ無料(タダ)で使おうとするので、随所でトラブルが発生している。これにマナーの劣化が油を注いで、受け入れ先は受け入れを拒否し、公園の水道の栓を潰し、ゴミ箱を撤去し、駐車場にはお断りの張り紙を何枚も貼り付けている。このような対応の仕方は、事態を改善するどころか、益々悪化させるだけである。

もはや、くるま旅という人々の欲求は、車社会が生み出す必然なのだと思う。止められない現象なのだ。この現象は、やがて外国人観光客、特に中国からの来訪者においても同じニーズとして膨らむに違いない。このようなことを思うとき、この事態への対応は、やはり政治というか為政者の役割としか考えられないように思う。

本来旅というのは、人の心を活性化させ、豊かにしてゆくものだと思う。高齢化社会は、車を使っての旅を排除すればするほど医療費を増幅させるに違いない。老人が病に養われるようになるのは、狭い世界のくらしの中で身体の活動と頭脳の活動を停止させることに起因することが多いのではないか。旅に出て、文字通り日々是新の刺激を貰っての体験を積み上げることを覚えれば、人は病に養われるのではなく、病を養うことができるようになるのである。病が皆無などという老人はいない。元気というのは、病を養っている老人にのみ当てはまる言葉なのだと思う。車社会のことを考えると、いつもこのような想いが湧き上がってしまうのである。

釧路市内で給油して、郵便局に寄り、鳥取大通りを通過して、白糠町に向う。釧路は鳥取と縁の深い町のようだ。それは、以前山陰の方を旅したとき、ふとしたことから鳥取市内を3日ほど探訪する機会があり、その時空港に向う海岸沿いの道脇に、ここから北海道に向けて出発したという碑を見たからである。池田の殿様の命令だったのか、下級武士などが開拓の為に船出して行ったのだと思った。その先人たちのご苦労が、今は鳥取大通りの名称の中に実っているのではないかと、ここを通る度に思うのである。

白糠町の道の駅は恋問という地名のエリアにあって、そのままの日本語では、何だか物語がかったイメージを覚えるのだが、その実はアイヌ語に当てたタダの当て字に過ぎない。恋問に着く前に大楽毛という場所があるけど、これをオタノシケと読むと知ったときは思わず笑ってしまった。今は現地に住む人もその昔のアイヌの人たちも決して笑いなどはしないと思うが、初めての日本人の旅人には、想像もつかない読み方ではないか。

横道に逸れてしまったが、この道の駅には、ある人によれば、日本で2番目に美味いという豚丼があり、道の駅の駅弁としても売り出されている。「この豚丼」と名づけられたそれを食べるのが、ここを通るときの楽しみである。とても食べきれないのが分っているので、予めタッパーを持って行って夕食用に取り収めることにしている。普段は豚丼は全く食べないのだけど、1年に一度ここへ来て食べるのを楽しみにしている。未だ日本で一番というのを食べていないので、それを味わってみたい。恐らくそれは本場の帯広のどこかにあるに違いない。帯広を通るときに、探してみたなと思った。

     

道の駅:しらぬか恋問の名物となっている「この豚丼」この肉の下のご飯の中にも肉が隠れ潜んでいる。左にちょっと見えるのは、近くの浜で採ってきたオカヒジキの株。獲物は見逃さない。

お腹を満たした後は、再びR38を池田町に向かう。海岸沿いの道には、時々霧が襲ってきて、気温は上がらないようだ。海にはかなりのうねりがあって、少し荒れ模様のようである。海から離れ、トンネルを潜ってしばらく走ると、浦幌の町へ。ここに新しい道の駅が出来たというので、ちょっと立ち寄る。裏の方に森林公園というのがあって、広い駐車場もあり、近くには入浴施設もあるようなので、泊りにも向いているかもしれない。今日はサッと見ただけでパスする。

豊頃から池田町のワイン城に向う道に入る。ワイン城到着14時20分。倅からのオーダーでワインを買って来て欲しいというので寄った次第。邦子どのは直ぐに出かけていったが、自分はしばらく寝ることにした。この頃は車の中でも午睡をとることが多くなってきている。疲れには眠りが一番の薬のように思う。眠りを避けて、薬に頼るようになるのは愚の骨頂だと思っている。眠りは健康の証であり、基本的に無料である。セコセコと歩き回るばかりが旅ではない。古希を迎えると、眠りの理屈も変わってきているようである。40分ほど眠って目覚めて、ワイン城へ。自分としてはワインにはあまり興味が無い。この酒に深入りすると、とんだことになると思っている。飲みたくなったときでも高級なものは避けるようにしている。何故かと言えば、ワインというのは、レベルが幾つもあり、一度その味を知ってしまうと、そのレベルを下げるのが難しくなるからである。かといって上げてばかりいたら、破産するのは必定だ。この頃はワインによらず、どのような酒でも出来る限りレベルを下げようと心がけている。不味ければ飲む量が減り、身体にも懐にも具合がよくなるはずだと思うのだが、これがなかなかそうはゆかない。何を飲んでも不味さに直ぐに狎れてしまい、美味いと思うようになってしまうからだ。ありがたいような、淋しいような妙な気分である。

   

池田ワイン城から見た十勝平野の広がり。右手の向こうの方に帯広市街が遠望できる。大きな景観である。

ワイン城を出た後は、今日のゴールの士幌町の道の駅:士幌温泉を目指す。帯広の方には行かず、本別町から道道を通ってのコースである。この頃は松山在住のKさんの奥さんがおっしゃっていた、国道ではない地方の道を走るのが好きという言葉が分るようになってきた。特に北海道の地方道は皆国道に引けを取らないほど立派である。どんな山道でも舗装は完備し、離合に苦しむようなことは無い。初めて通る士幌への道も予想以上に立派だった。途中眼下に牧場が広がる雄大な展望の場所もあり、邦子どのの要請で所々車を止めて写真を撮ったりするのだが、後続車も前からの車も殆どない。真に恵まれた環境である。

16時過ぎ到着。たくさんの旅車が屯(たむろ)していたのに驚かされた。20台を超えていたのではないか。その多くはバンコンやワンボックスの乗用車で、それが旅車だと判るのは、駐車がトイレ近くに集中しているからである。直ぐ傍に温泉があり、もう入浴を終えたのか、お腹を出して歩き回っている人なども居り、毎度のことながらあんなのを見たら、土地の人が不愉快になるのだろうなと思った。昨年は数台にも満たない車だったが、今年はどうしたことなのだろうか。圧倒的に関東ナンバーが多くて、茨城県からの車も何台かあった。

我々も温泉に入って汗を流し、さっぱりして車に戻る。久し振りに長距離を走って疲れたので、簡単な食事の後はさっさと寝床へ。ここはTVが良く映らない。邦子どのも諦めて寝たようである。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第24日

2010-09-22 02:42:04 | くるま旅くらしの話

第24日 <8月2日(月)>

【行 程】 別海町ふれあいキャンプ場に滞在(野付半島往復) <100km> 

今日はキャンプ場での4日目となる。3泊を申し込んであり、出発しなければならないのだが、どうやら天気が晴れるとの予報なので、それを信じてもう1泊延長することにした。そう決めたのだが、朝になって見ると、外は一面の霧で太陽は見えない。この辺りは、海抜26~27mくらいの高さで、丁度守谷市と同じくらいなのだが、海から近いこともあって、天気が良い日でも霧が押しかけて日の出を隠すことが多い。どうやら今日もそうらしい。

実は今日はその海の方に出かけることにしている。毎年ここで顔を合わせ、すっかりおなじみになっている釣り好きのTさんご夫妻が居られるのだが、昨年もここに寄った時に魚を頂いたりしていたのに、別れた後にその奥さんの方が尾岱沼の港で釣りをしている最中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となられてしまったのである。それが判ったのは、旅から戻ってかなり経ったときだった。そのご主人からのメールで亡くなられたことを知り、本当にびっくりしたのだった。旅先でしか会わない方だったので、今度別海を訪ねた時には尾岱沼に行き献花をしたいと考えていた。今日はそうしたいと思っている。

朝食が済んでしばらく経つと、霧は次第に晴れて、久し振りの青空が見え出してきた。もう昨日からは8月。お天気もそろそろ本気で夏のそれに切り替えることにしたようである。10時少し前に出発し、途中花を買うためにスーパーに立ち寄ると、見たことのある春日部ナンバーの旅車が駐車場にあった。店の中に入ってみると、やっぱりNさんだった。Nさんは、毎年ご夫妻で釣りを楽しみながら北海道の旅を味わっておられる方で、今頃になると別海にやってこられるのである。今年は、今は尾岱沼の方に居られると管理人さんから聞いたのだが、会ってお話を聞くと別海町の尾岱沼ではなく霧多布の方に滞在されていて、今日初めて別海に来られたとか。事情を話すと、Nさんも献花に出向くつもりだったとのことで、それならば一緒に行こうという話となった。というのも、Nさんは去年一緒に釣りに行っていて、直接その出来事に係わり、その対応に何かとご苦労された方なのである。その現場もご存知だというので、これは好都合だった。

尾岱沼までは20kmちょっとくらいか。Nさんの後に続いて車を走らせ、海側に出てしばらく走り、港の中の方へ。着いてみると、その現場は生憎と工事中だった。事情を話して中に入れさせて頂いて、Nさんご夫妻共々現場の海に献花をして、ご冥福を祈って般若心経を誦す。毎年心から釣りを楽しんでおられた本当に仲の良いご夫婦だった。人の世の様々な出来事の中に自分たちも居るのだということを改めて思った。

Nさんは、今夜は同じキャンプ場泊りである。標津の方に用を足しに出向くというNさんと別れて、その後このまま尾岱沼の温泉に入って帰ってしまうのも勿体ないので、野付半島の花を見て行くことにする。野付半島にも原生花園があり、ワッカと似たような野草たちが細い半島に狭く延びる原野に花を咲かせていることであろう。今年は彼らにはお目に掛れないかも知れないと思っていたのだが、やっぱり来てしまった。

野付半島は我が国最大の砂嘴である。その長さは28kmにも及んでいる。海の流れと海底の地形との関係で、長い時間を掛けて砂が積もった場所に植物達が茂って、やがて陸となったと聞くが、不思議としか言いようがない。ここが東京の近くだったなら、人間どもは開発などと称して、あっという間に野付湾を埋め立ててしまって、超高層のビルを何棟も建てまくるに違いない。遙か離れた大自然の中に在り、そうならないのが幸せである。

左手には天気が良ければ国後島が間近に見えるのだが、今日は霧が煙っていて視界が僅かなため、ライトを点灯しないと危険な状態である。海霧というのは、冷酷な感じがする。それに襲い掛かられると、真夏であっても一気に気温が下がり、心までも冷えさせられてしまう。何年か前、宗谷近くの猿払村の海岸でその邪悪な海霧に出会い、慌ててクッチャロ湖まで逃げ帰ったことがある。今日はその海霧が半島を間断なく襲っており、お陰で暑さとは無縁となっているようだ。霧があっても花を見るには支障はなさそうである。

しばらく走って、ネイチャーセンターに到着。車を止め、先ずは腹ごしらえをと、焼きそばを作る。食欲のない邦子どのに作ってもらうわけにはゆかず、これは自分の作業。急場の仕事としては、まずまずの出来具合か。食欲のない邦子どのも手を出しているのだから。その後は花を見にカメラ持参で花園の散策路に出向く。本当はもう花の写真は殆ど撮らなくてもいいほどたっぷりあるのだけど、やっぱりここはここなのだという思いがあり、この地の花たちに申し訳ないような気がして、一通り写真を撮る作業を続けたのだった。植生はワッカとさほど変わっていない感じがするが、こちらの方は蔓性の植物が少なく、カザグルマやクロバナハンショウヅルのような植物は見られない。多いのはカワラマツバとアキカラマツ、彼らが今花の最盛期のようだった。しかしちょっと見にはそれを花と認識するのは難しいかもしれない。

    

左はカワラマツバ、右はアキカラマツの花。拡大しているので花らしく見えるけど、実際はこれらが草叢を作っており、ちょっと見にはボヤーっとした野草の広がりにしか見えない。

多くの人たちは花期が終わりかけて咲き残ったハマナシやナデシコやチシマフウロなどの目立つ花を話題にしながら、急ぎ足で通り抜けて行った。散策というよりも皆さん歩行訓練をしているように見える。

   

カワラナデシコの花。もう花期は終りかけていっるようで、いつもの群生した花の乱舞は見られなかった。野生のものは、栽培種よりも何倍も美しいと思う。

所々散策路が乱れていて、何人かの不心得者が、花園を乱して原野を踏みにじった場所があり、憤りを覚えた。大したこと無いという思い上がりが、人間の本性であるというならば、自然世界遺産に登録された知床の原生林には、観光客を入れるべきではないのではないか。世界遺産に登録されれば金儲けが出来ると考える人も多いのだと思うが、本当の遺産ならば、正倉院の宝物のように、日限を気って最少人数への披瀝で対処すべきであろう。多くの人が訪れば訪れるほど遺産が破壊されるのは明白なのであるから。サンダルやハイヒール履きのご夫人達が、熊を見たなどときゃあーキャアー騒いでいる景色は、世界遺産に対する冒涜以外の何ものでもない。自分たちは知床が世界遺産に登録されたと聞いた以降は、知床五湖に行くことさえも諦めることにした。カムイワッカの湯の滝も夢の中でいいと思っている。世界遺産というのは、その様な場所ではないか。

チョイと脇道に逸れたけど、ホンマに散策路に脇道を勝手に作ってはならないのである。1時間半ほど野草たちとの邂逅を楽しんで十二分に満足してネイチャーセンターを後にする。依然として海霧は細く長く続く道路の先端をぼやかしており、気温は18℃を示していた。酷暑の内地の人たちに分けてあげたい空気ではあるけど、直送したら風邪を引いてしまうに違いない。

尾岱沼の港に戻り、浜の湯という温泉に入る。ここは昨年は休業となっていてガッカリしたのだった。温泉場というよりも銭湯という感じの造りなのだが、お湯の方は極上なのである。泉質と湧出温度の異なる二つの源泉が引かれており、熱い湯に入って汗が吹き出た後に、今度は冷たい方に入ると、実に爽快となり、これを繰り返していると、時間が経つのを忘れてしまうほどなのである。今年は営業が再開されており安堵したのだった。邦子どのは入らないというので、一人出かけて1時間ほど湯に浸って戻る。

キャンプ場への帰り道、床丹という場所の海岸をチョイと覗くと、今年はオカヒジキが生えていた。それを一株頂いて車に戻る。ここは昨年亡くなられた釣好きのTさんの奥さんに教えて頂いて採りにきた場所なのだ。供養のつもりで今夜の食卓に供したい。17時過ぎキャンプ場に戻る。

   

浜辺に自生するオカヒジキ。これはワッカで撮ったもので、床丹のものは写真を撮らなかった。これよりももっと柔らかそうなレベルだった。北海道の浜辺には至る所にオカヒジキが自生しているけど、食用にと気づく人は少ないようだ。幸いなことではある。

夏休みが本格化したのか、平日でも今日は来場者が多いようである。かなりの子供連れの人たちのテントが張られていた。Nさんたちも先着されていた。旅車は少ないようで、キャブコンは2台だけだった。それから夕食の準備に取り掛かり、いつものように夜を迎えたのだが、食卓のオカヒジキは絶妙な味わいで、群馬県産のものとは格段に違っていた。勿論美味なり。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第23日

2010-09-21 04:06:07 | くるま旅くらしの話

第23日 <8月1日(日)>

【行 程】 別海町ふれあいキャンプ場に滞在 <0km>

晴天は昨日の一日だけで終り、朝起きると外は再び雨模様の曇天に戻っていた。去年よりは寒くは無いけど、この曇天にはもう辟易する。連日曇天が続くと、心のどこかで滅入ってしまうものがあるようだ。

今日は天気が良ければ尾岱沼の方まで出かけてみようと考えていたのだが、この分では海の方も釣りでもしない限りはあまり楽しむ材料が無いように思う。この頃は釣りをするのが面倒になり、道具は持参していない。正確に言えば、釣った後の魚の処理が面倒くさいのである。この分ではとうとうカラフトマスを1匹も釣らないまま、北海道での釣りは終りとなりそうである。ということで、今日はどこへも行かずに、ここで終日ゆっくり過すことにしたい。

10時少し前に、Mさんご夫妻が霧多布方面へ向けで出発されてゆくのを見送る。知人の方が待っておられるとか。真にお元気なお二人である。スケジュールもダイナミックで、決して行き当たりバッタリではない。90日間の行程計画は、事前に楽しみを満載してお作りになっておられるようで、それを確実にこなしてゆくことで、旅の楽しみを実現しているのだと、以前に伺ったことがある。自分といえば、今のところは、行き当たりバッタリ主義ばかり採っており、そろそろMさんのやり方を見習わなければならないかなと、少し反省させられた。出発前には、管理人さんご夫妻も一緒に加わって記念撮影をした。

Mさんご夫妻が去られて、キャンプ場内に残った車は数台を数えるほどとなった。乗用車とバイクの方ばかりで、キャブコンは我々1台きりである。しばらく経つとテントを張っている人たちも、車で思い思いの場所に出かけて行かれたようで、殆どいなくなってしまった。時々霧雨の膨らんだのが落ちてきて、どうも落ち着かない空模様である。邦子どのは、Mさんご夫妻との出会いに少し興奮疲れしているのか、今日はあまり動き回らないで、横になってゆっくり音楽を聴いたりして過すということである。音楽の趣味が必ずしも一致しない時もあり、今は先日北海道HMCCのHさんに頂戴した徳永英明という人の歌を聴きたいらしい。甲高い声の男性の歌い方には、あまり興味が持てないときがあり、今のところ、好みが一致しないのである。同じ部屋にいなければいいのだけど、旅先では部屋は一つしかなく、このような時には、外に行かなければ問題は解決しない。

ということで、町の中心部まで、野草などの写真を撮りながら歩いて買物に行くことにした。何時雨が降り出してもおかしくない空模様だけど、傘は邪魔になるので持って行かないことにした。もし本降りになってカメラを濡らしたりしてはいけないので、ポリ袋はしっかり持参する。昨日も道端の野草を何種類か撮っているけど、未だお目に掛っていないものも幾つかある。別海町のこの辺りの野草は、主なものは大体どこにあって、どのような花を咲かせているのか知っているつもりでいる。10年近くも毎年ここを訪れて、歩きの度に観察し続けていれば、それは当たり前のことであろう。

   

別海町に多いホサキシモツケの花。漢字では穂先下野と書く。文字通り、花の先がシモツケと呼ばれる花によく似ている。通り掛にはあまり美しさに気づかない花だけど、虫眼鏡やカメラの接写では、何ともいえない穏やかな温かさのある花である。

キャンプ場を出て、昨日自転車で通らなかった道を選んで歩く。別海町は広いので、街角から次の街角までが遠い。町の中心街ではそれほどでもないけど、郊外へ行くと、次の角まで1km以上などというのはざらにあり、中には4km以上などという場所もあるのだ。自分の住む守谷市は町全体の長さが6km程度しかないのに対して別海町は70kmもあるのだから、とても比較にならない。何処かの資料には、牛の飼育数が12万頭を超えたとあった。町の人口は1万6千人余というから、守谷では想像もつかない町の構成である。もし宮崎県のようなことがここに起こったら、大変な悲劇の事態になってしまう。宮崎県には真にお気の毒だけど、北海道には絶対に口蹄疫を飛び火させてはならない。キャンプ場から町の中心街までの間には牧場は無いけど、この町に来るとやっぱり牛たちのことを思うのである。

その昔パイロットファームという国の施策が展開されたことがあるらしい。以前九州は熊本県を旅したときに、九重高原に住むある人から、ここから何人もの人たちがそれに応募して、移住して行ったという話を伺ったことがある。別海町はその受け入れ先の一つであり、その様な先人のご苦労が、今日本一の酪農の地として実を結んでいるのだと思う。しかし、農業の自由化が進み、海外のより大規模な酪農経営のパワーが、先人のご苦労を押しつぶそうとしていたり、或いは後継者不在が将来を暗くしているという現状の話を聞くにつれ、他所ごとながらも、何とか未来に明るい兆しが生まれることを願わずにはいられない。

あれこれ思いながら歩いていると、クサレダマを見つけた。この野草は、ちょっと見には、センダイハギに似た黄色い花を咲かせる。センダイハギは別海の町の花となっているらしい。多分その多くは野付半島の原生花園に見られるのではないかと思う。もう花期は終わっているであろうか。センダイハギは確かマメ科の野草だったと思うから、クサレダマとは花の形も違うはずである。似ているのは花の色だけかもしれない。その姿をカメラに収める。ついでだけど、クサレダマというのは「腐れ玉」ではない。「草連玉」が漢字の書き方である。黄金色の玉が幾つも連なるように花を咲かせているので、そう呼ばれるようになったらしい。この花の名誉のために一言解説を付け加えさせて頂く。

   

クサレダマの花。草叢の中では割と目立つ存在だと思う。黄色い花の中では、しゃきっとした咲きぶりが気に入っている。

花の写真というのは、自動焦点の場合は、なかなか上手く撮れない。自分が思う所にピントが合ってくれないのである。カメラが肝心の花ではなく、地面などにピントを当てたがったりするので、ボケた写真が多くなってしまう。安いカメラでは仕方がないのかもしれない。どうにかそれらしい花を写すことができた。その後も花を探しながら中心街に向って歩く。何種類かの花を見つけたが、その中にはヤマルリソウもあった。見過してしまいそうな小さな花である。北海道には内地と同じでも大型の野草が多いのだが、この花は内地のものよりも小さかった。偶々恵まれない環境に生えてきてしまったのかもしれない。

野草の観察を止め、町のスーパーで野菜などを買う。以前はJA系のスーパーがあったのだが、それは廃業になって新しい店が営業している。概して値段が高い感じがした。特に野菜類は高値である。別海では野菜の生産を殆どしていないようだ。農家は自宅で食べる程度のものは作っているらしいけど、出荷するレベルではないと聞いたことがある。ニセコあたりの道南エリアとは違って、この辺は日照時間も少なく、野菜作りには無理のある環境なのであろう。幾ら高くても野菜を食べないわけには行かない。地元の人たちには、牛乳は安く手に入っても野菜はそうはゆかないというハンディがあるようである。旅人は、一時我慢するか諦めることで済ますだけである。

買物を終えて外に出ると、少し路面が濡れていた。雨が断続的に降り出したらしい。帰りは写真を撮るのは止めて、歩きに集中することにした。キャンプ場までは20分以上は掛るので、この間に大降りになったら困ってしまう。そうならないことを願いながら、少し汗ばむのを我慢して歩き続ける。どうにか大丈夫だった。ヤレヤレ。

戻った時は13時を過ぎており、少し腹が減った状態。邦子どのはおかゆを作っていた。少しお腹の状況が定まらないらしい。自分としては、おかゆでは物足りないので、うどんを茹でて食べることにする。その後は定番の午睡となる。

夜はTVの大河ドラマなどを見て、再び眠りを貪るという、まあ、このような暮らしの一日でした。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第22日

2010-09-20 04:56:10 | くるま旅くらしの話

第22日 <7月31日(土)>

【行 程】 別海町ふれあいキャンプ場に終日滞在 <0km>

朝の内は霧が出て、こりゃあ今日も雲の多い一日かなと思っていたら、次第に空が明るくなり出して、朝食の終わった8時過ぎには青空の広がる上天気となった。これだけの青空を見上げるのは、久し振りのことである。ニュースでは、この7月は、北海道は気象観測以来の日照時間の少ない月だったようで、涼しいのは助かるけど、農作物や漁業などには影響が大きいのではないか。今月も今日で終りだけど、お天気の方も今日を最後にいい加減にまともになって欲しいものだ。

今日はMさんご夫妻もここに滞在されるというので、一日ゆっくりとご一緒できる。午前中は、少し汚れた車の清掃などを行なった後、Mさんの奥さんと話中の邦子どのを置いて、近くにある別海町生活環境保全林・ふるさとの森北海道という名称の森林公園のような所に散策に行こうと一人出かける。散策をしながら野草たちの写真を撮るのが楽しみである。この森がどのような主旨でつくられているのかはよく解らないけど、北海道当局が主導して何やらの予算処置の下につくられたものなのであろう。北海道の旅の中では、町の中心街を通る度に、国の特別予算の使われ方に疑問を抱かずにはいられない。長期的な視野や展望に基づいてつくられているものは少なく、とにかく予算があるのだから箱ものをつくってしまえと、どの町も右に倣(なら)えして、本当の町のニーズとはズレているような立派な運動施設などを設けており、今頃はその維持に汲々としている。その場しのぎの銭の使い方と批判されても仕方が無いのではないか。ま、このふるさとの森というのは、初めから森だった所に散策路を作り、大自然を味わえるようにとつくられたものなので、維持するのにそれほど多くの費用はかからないだろうし、維持できなくなれば元の森に戻るだけだから、アイデアとしては上等だと思う。

その様な屁理屈を思いながら森の入口に来てみると、何やら新しい立札が立っていた。何だろうと近づいてみると、この森に熊が現れたので気をつけろというものだった。歩くのであれば、熊よけの鈴を鳴らしたり、声を上げるなどして、熊に人間の存在をわからせるようにして歩けということだった。

   

別海町生活環境保全・ふるさとの森北海道の入口に立てられていた「熊出没注意」の立て看板。こんな所にまで熊さんがでてくるようになったのかと驚き、何だか変だなと思った。

森の中には2~3kmほどの散策路があり、そこにはクルマユリなどの魅力的な野草たちが自生しており、今年も彼らに会いたいと思って来たのだったが、熊君がいるかも知れないということでは、尻込みせざるを得ない。まさか予想もしていなかったので、鈴など持参していないし、一人で歌を唄いながらの散策では、台無しである。何だかガッカリしてしまった。それでも入口を少し入ったところにある筈のクルマユリ嬢には是非とも会ってゆこうと、覚悟を決めて前進した。キタアザミなどが咲いている笹薮の中に、橙色の小さな百合の花が、いつものように咲いているのを見つけて、ホッとした。もう少し先に行けば、ヤナギランなどもあるはずなのだが、深入りは禁物と諦めて戻ることにした。真に残念である。

   

熊笹のヤブの中に鮮やかに咲くクルマユリの花。毎年同じ場所に同じ様な姿でお目にかかれるのが嬉しい。今年も健在でホッと安堵した。

快晴となって、日射しは真夏のそれに変わり、滅法暑い。熱中症による事故の話をニュースなどで聞いており、木蔭もないような所を歩き回るのは危険だと思い、その後の散策は自重する。替りに事務所の貸し自転車を借りて街中に買物に。スーパーなどがある中心部までは自転車で10分ほどである。寄り道はしないようにして往復する。車に戻ったら、もう昼近い時刻となっていた。

昼食の後は午睡。車の中も暑いけど、窓から心地良い風が時々入ってくるので、眠るのには快適である。お隣のMさんご夫妻も午睡かななどと思いながら、あまりお邪魔をしないようにと、これは旅先での知り合いとの交流の基本だと思っている。そのまま眠って目覚めたら、邦子どのがキャンプ場の上の方にある温泉に入りに行くという。自分は何だか面倒くさくなり、一人で行って貰うことにした。再び惰眠を貪ってのグータラ。

17時近くなって、Mさんからお声がかかり、昨日お話されていたたこ焼きを、そろそろ始められるということだった。眠りから覚めて実に良いタイミングだった。何だか果報は寝て待て、のような心境だった。いそいそと椅子を運び、マイコップと箸などを持ってたこ焼きプレートに近づく。たこ焼きは何回か挑戦したが、どうも上手く出来ない。関西の方は、もうどこの家庭でも定番のメニューのようであり、たこ焼きパーティというのをよく耳にする。どなたも巧みな手さばきで具材を扱って、みごとなたこ焼きを完成されるのを不思議に思っている。どうも粉の溶き加減が上手くゆかないのである。

今日のMさんのたこ焼きは、超薄く延ばしてあり、水分が多くて大丈夫なのだろうかなどと思って見ていたら、これはたこ焼きではなく、明石焼きなのだと、邦子どのから説明を受けた。明石焼きというのは、明石のタコを使い、卵などをより多く使ってふわっと作りあげるものらしい。自分は初めて食するものなのだが、邦子どのはどこかでちゃんと賞味していたとか、一くさり語られてしまった。たこ焼きというのは、とても優れた交流文化を持った食品だと思う。あれこれと話をしながら焼き上がるのを待つのだが、この間が良い。もんじゃ焼きなどはあまりに具材などに気をとられ過ぎてしまい、落ち着かない雰囲気があるが、たこ焼きは皆でつつきながら楽しく完成を待つのが良い。特に明石焼きというのは出来上がりを待つ時間がたこ焼きよりもソフトで話も穏やかになるようだ。出来上がったものをだし汁につけて食べるのも良い。柔らかい丸い玉の中にはきゅっと締まったタコが一切れ入っていて、それがまあ、何ともいえぬ食感なのである。ビールも酒も皆美味い。

   

じっくりと出来上がりを待つ黄金色の明石焼き。待ちきれずにもう缶ビールは空になりかけているけど、この後はいやあ、実に美味だったあ。

Mさんご夫妻に面倒を見て頂きながら、存分に明石焼を堪能させて頂いた。いつの間にか辺りはすっかり暗くなって、涼しさが寒さに近づいたと、シャツ1枚の自分をお気遣い頂いたのだが、熱い明石焼きとMさんご夫妻の活き活きとしたお話しぶりに感化されて、寒さなどは少しも感じなかった。いヤア、楽しい歓談の時間だった。あっという間に21時を過ぎ、キャンプ場はそろそろ全員が眠りの準備を終える時間となっていた。

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