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山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

老計・死計と我がくるま旅(2012年の締めくくりに)

2012-12-29 05:12:50 | 旅のエッセー

  今年も間もなく大晦日を迎えます。光陰矢の如しと言いますが、この光陰にもスピード感の差があって、常に一定ではないというのが生きものとしてのこの頃の所感です。科学者はそんなバカなことはないと一笑に付すでしょうけど、情理混濁した世界に生きる人間には、時間といえどもその速度は感じるがままであって、決して一定ではありません。

 少年の頃は、もどかしいほどそのスピードが遅いように感じていました。早く大人になって世に出て父母を助けたいとか、何でもいいから有名人の仲間に入りたいとか、慾の深さは人並みで、貧しい時代からの脱却を夢見たものでした。それが現実となって大人の社会に仲間入りし、家庭を持ち子供が生まれ、仕事に塗(まみ)れての転任勤や転居の繰り返しの中に、時間の経過はスピードを増して気がつけば定年間近かとなり、やがてリタイア。これでようやく落ち着いて、ゆったりと時間の流れを味わえるかと思っていました。

 そして10年ほどが過ぎて、さて、今感じているのは、過ぎゆく時間のスピードが益々加速化をしており、特にこの1年はまさにあっという間の感じでした。その日常を見れば、相変わらずの「今日も昨日と同じこと」という暮らしぶりなのですが、この繰り返しの積み上げは猛スピードの時間経過となってしまっているのです。老を実感するようになって、この感覚はより鮮明になって来ているように思います。それが何故なのかはよく分かりませんが、人生の残りの時間との係わりが深いことは確かなように思っています。

 人生五計ありは中国の古人、朱新仲(宋代の人)のことばですが、五計とは、生計・身計・家計・老計・死計の五つを指します。人間として生きるためには避けて通れない生き方の五つの側面の本質について述べていることばだと理解しています。お釈迦様の洞察されている生・病・老・死という切り口にも通ずる考え方のようにも思います。これらの五計の夫々について解説することは止めますが、取り上げたいのは老計と死計の二つです。

  この二つについてここ数年あれこれ我が身を振り返って思いを巡らしてきましたが、この頃ようやく判ったことがあります。それは老計と死計とは基本的に不即不離のものであることです。別々に考えても意味のないことのように思われ、それが今は確信できるようになりました。如何に老いるかというのと如何に死ぬるかというのは別のことではなく、相互に密接な関係にあるということです。

 この結果、迷いが一つ少なくなったのは、今は只老計のことを考え、それを実践するのに専念すれば、それでいいのだということに気づいたからです。死は老計の中にあるのであり、ひたすら老計に励めば、納得のゆく死が用意され、そこに導かれるということです。当初は死計というのは途方もない大きなテーマであり、自分のような者には見当もつかないなと思っていたのですが、それでも気になって時々あれこれと思いを巡らしていたのでした。それが、この頃ようやくはっきりとしてきました。そのようなことは、大して考えなくても直ぐに気づくことなのかもしれませんが、鈍感な自分にとっては大きな出来事なのです。

 ところで、我が老計といえば、これはもうくるま旅とその記録をもとにした物書きです。格好よく言えば、大いにくるま旅を楽しんで、そこで拾った感動をエッセーに書きとめて、日本中に言い触らすということになるのかも知れません。このことを徹底して行けば、いつの日か(そう遠くない日に)あの世への旅の時がやってくるのだと信じています。

 さて、そのようなこの頃の心境なのですが、今年のくるま旅のことを少し振り返りつつ、来年を迎えたいなと思っています。今年は長期間の旅は2回だけでした。4月から5月にかけて九州の旅を43拍44日、7月から9月にかけて北海道の旅を77泊78日、合計120泊122日の旅だったということになります。約3カ月ですから、1年の1/4ということになります。例年よりも1カ月ほど少なかったのは、我が家に慶事があり、長男がようやく良運に巡り合えて、2世帯住居が本来の姿を実現でることになったからなのでした。1年の1/4や1/3ほどのくるま旅ならば、老計を満たすには不足していると思われるかもしれませんが、それは否なのです。実のところ、今でも今年の春の九州の旅のエッセーをもてあましているほど、旅の楽しみは溢れかえっているのです。

 旅というのには3つのステージがあるというのが持論です。すなわち、前楽・現楽・後楽の3つです。例えば九州の旅では少なくとも1カ月は前楽を味わっていますし、現楽は44日ほどでしたが、後楽の方は未だに整理もつかず、言うてみればこれは無限というか、無期限なのです。現楽で残した様々な記録(=写真・メモ・日記など)を取り出せば、何年経過した時点でも、たちまちその時の現場での感動を思い起こすことが可能なのです。10年以上のくるま旅の経験の中で、感動を思い起こすためにはどのような記録が大切なのかを身につけることが出来たように思っています。今年の九州行からは、早や半年以上が経ってしまっていますが、記録を取り出せば、その時の感動が鮮明に甦ってきますので、エッセーを書くのに不自由することは少ないのです。この後楽の楽しみは、とても大切で、それは何時か老いさらばえて車の運転が不可能となった後でも、寝たきりになって動けなくなっても、記録を見ることが可能な限りは失うことはないのです。

 旅は老人の妙薬だなと思っています。この妙薬は、不老長寿を実現させる類の薬などではなく、死ぬときが来るまで生きている楽しみを味わわせてくれる薬なのです。自分がこの薬を手に入れることが出来たのを、天に感謝したい気持ちです。今年もこの妙薬のおかげで、生きているのを実感できています。来年は、時間経過のスピードがもっと早まるに違いありません。それ故に、もっともっと楽しみを膨らませたいなと思っています。

     

我ら夫婦の旅の守り神の道祖神。我が家の玄関の履物入れの上に鎮座ましましておられる。

 

 皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。この一年を通して、小生のこのブログにお立ち寄り頂きましたことを心から感謝申し上げます。  馬骨拝

 

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末世のことあれこれ

2012-12-23 01:30:45 | 宵宵妄話

 今日(12/22)の新聞記事を見ていたら、「マヤ暦『人類滅亡』世界で騒ぎ」というのがあった。それによるとマヤ文明の暦が「新たな時代」に切り替わるとされる21日、人類が滅亡するといううわさで、世界が騒然としたとのこと。フランス南部のビユガラッシュという小さな村に、宇宙船が救いに来るという情報が流れ、当日厳重な警戒態勢が敷かれたという話である。このような記事を見ると、バカバカしいと思いながらも、何だか面白そうだなと思ってしまうのは、自分も人間の端くれとしてこの世の終わりとか、新しい時代への切り替わりという奴を体験してみたいという野次馬根性があるからなのであろう。予言などというものに振り回されるほど純な人間ではないので、真面目に考えることはないのだけど、UFOとか宇宙船と言う奴を見てみたいという気持ちは未だ残ってはいるのである。

 マヤ暦というのがどんなものなのか知らないけど、既に滅んでしまった文明のもたらした暦が今でも生きており、その予言が中南米ではなくフランスの片田舎の村で話題となるのはどういうことなのか、何とも不思議である。もしかしたら、マヤ文明を滅亡させたスペイン人の子孫が今はフランスのその村に住んでいて、何百年か前の先祖の悪行の祟りを恐れて騒いでいるのかもしれない。何故マヤ暦の予言がそれほど騒がれるのか解らないけど、天の邪鬼な自分からすると、そもそもマヤ文明そのものの滅亡をマヤの暦はどう予言したのか、それを知りたいものだなどと思ったりする。

 天気予報は信ずるようになったけど、それ以外の予言などというものは全て当てにならないものだと思っている。科学と言うのはあまり好きではないけど、一応現代に生きているので、原因や明確な理由がある事象の場合は、予言的な警告や警鐘の様なものは、アバウトレベルでは信ずることにしているけど、日時を限っての予言のようなものは全てデタラメだと思っている。東海地震の発生は信じても、それが何時なのかを断言するような振る舞いは認められない。それは単なる人気取りの、人騒がせの愚行に過ぎないからである。思わせぶりということばがあるけど、そのような振る舞いが好きな人間は掃いて捨てるほどいる。いや、思わせぶりの言動をしたことがないという人間の方が珍しいのかもしれない。斯く言う自分だって1日1回くらいはそれとは知らずに思わせぶりな言動を振り撒いているのかもしれない。何とかして自分を目立たせたいというのは、人間の愚かな性(さが)であり、力のない者ほどその願望が強い向きがあるのだから。我が強くて、滅法目立ちたがり屋のエネルギーが大きい奴が、予言なるものに大声を上げて騒ぐのだと思う。

 思うにマヤ暦をつくり広めた人の中にも目立ちたい人物がいて、そのような勝手な思い込みを塗り込めたのではないか。それに尾ひれがついて、何百年も経った後では、それに飛び付く人間は一層増殖して世界中に広まったということなのかもしれない。ハルマゲドンなどのこの世の終わりなどと言う予言も、巧みに組織的に説明を構築した、信者の心を操るためのストーリーのような気がする。何年か前に大騒ぎをしたこの世の終わりの予言も、時期を過ぎれば皆忘れ去られて、密(ひそ)とした状態となっている。しかし、もう少し経てば、まことしやかに、この世の終わりの予言がどこからか生れ出てくるのである。

 ところで、本当にこの世の終わりというのはあるのだろうか?ヒネクレている自分的には、これに対して二つの考えを持っている。一つは、人類の破滅・滅亡と言うのは必然であり、それほど遠いタイミングではないように思うということ。地球の滅亡と人類の滅亡とは異なる。地球に人類が居なくなっても、それ以外の動植物たちは生き長らえるに違いない。彼らの環境に対する適応性は人類の比ではない。人類が繁栄しているがゆえに滅亡の危機にさらされている動物は多いが、彼らだって人類の脅威から逃れられたら、いつでも回復できるのかもしれない。それほどに人類の地球環境の破壊は凄まじいものだと思えてならない。自業自得ということばがあるけど、己の為した結果に得られるものが、負になり始めている現在、人類の現在のあり様を見る限りでは、それほど長く地球に繁栄し続けることは無理のように思えてならない。CO2問題一つとっても、最大の排出国を初めとする超大国が自己都合を主張してガスを吐き出し続けているのであり、その見返りはまさに天に唾する行為である。そのしっぺ返しはこれから加速化して来るに違いない。そして、気づいた時は手遅れとなることも明らかのようだ。

 環境破壊というような側面だけでなく、人類はその内面、即ち精神的な世界においても荒廃を来たし始めているようだ。子を殺す親、親を殺す子、銃を乱射して大勢の子どもを殺すという事件を繰り返しているおぞましき社会の現出。更には最近のネット犯罪などを見ていると、情報通信技術革命のもたらした結果は、技術の進歩の輝かしさに反比例して、人間の心の貧しさを露呈しているかの如き出来事が多い。次世代に続かない、刹那的でバーチャルな世界がもてはやされて、興味本位で軽薄な言動に弄ばれている人間が増幅し続けている感じがしてならない。もっとしっかり現実に足を据えて、他人や社会のことを慮れる人間が増えなければならないのだと思う。偉そうな言い方になるけど、この世は自分独りで成り立っているのではなく、家族だけでも、友人知人だけで成り立つものでもない。見知らぬ大勢の人たちとのつながりの中で成り立っているのであり、そのことを承知した振る舞いが必要不可欠なのだと思う。その自覚が大きく欠如している。いや、欠如というよりも、それが壊れかけている感じがしてならない。特に若い世代の中で。ま、世界全体としてはどうなのか判らないけど、少なくとも日本においてはこの傾向は否定できないのではないか。もう少し(あと50年以内には)経ったら、この種に絡む予言が、より深刻にこの世を惑わすに違いない。環境破壊を食い止めるほどに、人類の精神世界が進歩するのを願うのみである。

 もう一つのこの世の終わりというのは、自分自身の終わりということである。これは人類の滅亡などと言う不明確な予言ではなく、遥かに誤差の少ない予言なのだ。あなたはあと10年後の○月○日にこの世からの最後の日を迎えますという予言は、自分にとっては極めて誤差の少ない、確度の高い予言だと思う。それにどのような理由や説明がつこうと、人類破滅の予言よりは遥かに正確である。

 この二つの末世予言のどちらが重要かと言えば、後者の方が遥かに重要だ。己自身のことだからである。しかし、良く考えてみれば、双方の予言ともあまり意味がないことに気づく。仮に癌などの不治の病に見舞われて、自分の死ぬ日を予言されたとしても、心を惑わされるばかりで、生きるためには何の力にもならないからである。予言の最大の欠点は、確実性が不明であるよりも、不要に心を惑わすということに尽きると思う。ま、この辺の理屈はあまりこだわってみても仕方がない。

 次第に老人を自覚し出した自分なのだが、他人からの予言を受け入れるよりも、この世からのおさらばは、自分自身で確認して、事前に家族などに伝えることが出来るようになりたいと思うようになった。PPK(=ピン、ピン、コロリ)が理想だけど、その場合であっても、3日ほど前にそのことをしっかり伝えられるように努めたい。「明後日、わしはあの世へ行くぞ」と断言して、結果もそうなるような予言をしたいものだ。ま、生きている内だけの愚発想であり、愚言であることは明らかだけど。

 ※ 旅のエッセーを書こうと思いながら、なかなかそれが進まず、このところ脇道にばかり逸れています。それにしても、脇道ばかりの多い世の中です。

 

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選挙結果の意味するもの

2012-12-20 06:16:56 | 宵宵妄話

 衆議院選挙が終わり、為政の体制が大幅に入れ替わることとなった。民主党が大敗し、現職の大臣が8人も落選し、新しい政権が発足するまでの間は、国会議員ではない8人もの人物が大臣を務めるという、珍妙な時間が生まれることになる。このような愚かな現象が起こったのは、現政権の為政のやり方に起因するのは明らかだが、もっと深く考えれば、選挙の投票者たる国民一人ひとりの投票行動が深く係わっているように思う。極言するならば、この混乱した政治状況を生み出したのは、政党などではなく国家構成の基盤たる国民一人ひとりの意識と行動によるのではないか。別の言い方をすれば、今の日本国には国民としての一体感と言うのか、共通の問題意識と言うのかそのようなものが極めて曖昧となっている。

一人ひとりの思いは自由である分だけ勝手でもあり、自己主張が横行し、それをマスコミがこれ又好きなように色づけして世論であるかのように操っている。自己主張と言ったけど、実際は声を上げて主張している人は少なく、その大半は小声でつぶやく程度の内向きなのだ。ツイッタ―などと言うのがもてはやされるのも、大声を出せない人がいかに多いかの社会現象の表れでではないかと思う。そして、現実社会の中ではつぶやきの方がずっと力を持っている。しかし、そのつぶやきの力はまとまって大きな声にならない限りは無力である。

自民党が圧勝するという結果になった。連立を組んで来た公明党と併せると、三分の二以上の議席を獲得し、決めようと思えばどんな議案でも成立させることが可能となったという。憲法改正でも原発の継続でも何でも思うままということなのかもしれない。ま、それほどの暴挙を一気に行うことなどあり得ないとは思うけど、議席の三分の二以上を獲得したということが、国民の総意の三分の二を得たということでないのは明確である。今回の選挙では、全有権者の約40%が投票に参加していない。60%の投票者の内、自民党の得票割合は小選挙区が41%、比例代表が27%に過ぎないのである。これを国民全体の割合で見てみると、小選挙区は24%、比例代表は16%に過ぎない。それにもかかわらず議席の獲得数では圧勝となっている。このことの意味を我々も、政治に係わる人たちもしっかりと心得ておく必要があると思う。すなわち、議席数は必ずしも民意を反映してはいないということである。自民党は兜の緒を更に厳しく引きしめて為政の舵を切って欲しいと思う。

先に結論めいた当たり前のことを書いたが、実際今回の選挙ほどわけが判らない気持ちになったことはなかった。これは先ず以って政党を初め、政治に係わる人たちの怠慢に起因していると思う。民主党の失政をチャンスと見た駆け引き政治の具がこれほどひどい状態で現れたことはかつてなかったように思う。政党政治が最早限界に来ているとも感じた。政治家として己の信念を通すがゆえに離党を覚悟したと公言する向きの人物もいるけど、それが本当なのか、一時功利に捉われて一見の美言を弄したのか、その真偽がこれから後に問われる人物は多いように思う。落選の憂き身の中でどのような身の処置方をするのか見定めなければならない。

今回の選挙では、解散時期が間近になってから政党の分裂や統合や連携等の話題が頻繁化し、結果的に多数の泡沫的な政党が生まれたが、全て虚しいなと思った。根のない浮き草のような存在にしか見えなかった。如何に気を引く美辞や麗句を並べても、実績もなく裏付けも貧弱な主張には力を感じることはできなかった。結局力を感じさせ得なかった政党は敗れ去ったということであろう。

この中で自分の選挙区に関しては、不愉快なことがあった。見たことも聞いたこともない人物が、日本維新の会から立候補したのである。経歴を見ると、群馬県の某地方自治体の町議とのこと。比例代表なら判るけど、小選挙区になぜそのような人物が立候補するのか、理解できない。維新に名を借りて、この地区の選挙民を試そうとしているのか、或いは愚弄(ぐろう)しているのか、怒りを覚えた。維新の会の志を否定するものではないけど、人物を選ぶ選挙で、地元が今まで見たことも聞いたこともない人物をいきなり立候補させるとは、何という思い上がりかと思った。思い上がりの発想には危険を感じざるを得ない。思い上がらずに政治などやっていられるか、というのが政治家側の言なのかもしれないけど、その地に生きている人の心情を無視するようなやり方は愚行の一語に尽きる。

最後に今回の選挙で最も責任を感じなければならないのは、投票行動をしなかった人たちであろう。その数は4,230万人にもなるのである。この中には呻吟の結果投票を断念したという人もいるのかもしれない。しかし、無関心と言う人が圧倒的に多いのではないか。公報など見てもどう判断すればいいのかわからないということもあるのかもしれない。しかし、見もせず、考えもせず、そんなことはどうでもいいと思っている人がいたとするなら、その人たちはこの国に住む権利を大声で主張する資格はないと自認すべきではないか。つぶやきをまとめて大きな力とし、声として国政に反映させるのが選挙なのであり、その行動が投票なのである。4割もの人たちがそれを行わないという現実には失望するばかりである。

選挙と言う仕組みが、国家運営の基盤として本当に民意を反映しているのか、選挙を経験する度にその疑念が深まるばかりである。

 

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爆心地で思ったこと

2012-12-16 05:37:20 | 旅のエッセー

 

 長崎市を訪ねて、何よりも真っ先に思うのは、やはり原爆のことである。広島を訪ねてもその思いは変わらない。観光とかいう前に、一瞬にして生命を奪われ、重大な傷を負った十数万という人たちのことを忘れることはできない。戦争という忌まわしい人間の愚行の果てにあるものが、このような形で示されている、その地を忘れてはならないと思う。長崎の旅では、その原爆投下の爆心地近くに造られている平和記念公園の地下にある市営駐車場に車を留めて散策をしたので、その思いは一層強いものとなった。

車を停めた後は、直ぐに平和公園に向かった。公園の中にはたくさんのモニュメントが作られ、残されている。その中で最大のものは何といってもこの公園のシンボルでもあり、市民、県民、いや国民全体の平和のシンボルでもある平和祈念像である。記念(=メモリー)ではない。祈念(=祈り)なのである。祈りの心であり、深い思いの積もり積もった象徴なのである。

   

長崎市内、平和公園の平和祈念像。この像は長崎県島原出身の彫刻家、北村西望の製作によるものである。

 祈念像の傍には二つの思いのことばが書かれていた。一つは祈念像を建立されたの方たちの代表としての往時の長崎市長のことば。もう一つは像の製作者、北村西望氏のことばである。それらにじっくりと目と耳を傾けたい。

 

平和祈念像建立のことば

昭和二十年八月九日午前十一時二分、一発の原子爆弾がこの地上空でさく裂し、方五粁一帯を廃きょと化し、死者七万三千余、傷者また七万六千余におよんだ。

哀愁悲憤の思いは、今もなお胸を裂くものがある。

私ども生き残った市民は、被曝諸霊の冥福を祈り、かつ、この惨禍が再び地上にくり返されることを防ぐために、自ら起って、世界恒久平和の使徒となることを決意し、その象徴として、この丘に、平和祈念像の建立を発願した。

かくて、私たちは、平和祈念像建設協賛会を組織し、内外の熱烈な協賛のもとに、昭和二十六年春、工を起こしてより、ここに四年、念願の像を完成し、序幕の式を挙げた。この日、原爆十周年の前日である。

私は、三十万長崎市民とともに、この平和祈念像が、万人に仰がれ、世界平和の保持に大きな貢献をなすものと信ずる。

     昭和三十年八月八日  長崎市長 田川務

 

平和記念像作者の言葉

あの悪夢のような戦争

身の毛もよだつ凄絶悲惨

肉親を人の子を

かえり見るさえ堪えがたい真情

誰か平和を祈らずにいられよう

茲に全世界平和運動の先駆として

この平和祈念像が誕生した

山の如き聖哲

それは逞しき男性の健康美

全長三十二尺余

右手は原爆を示し、

左は平和を

顔は戦争犠牲者の冥福を祈る

是人種を超越した人間

時に仏  時に神

長崎始まって最大の英断と情熱

今や人類最高の希望の象徴

  昭和三十年春  北村西望

 

いずれのことばが重いかは知らない。悲しみや恐怖よりもこれから先、平和の世界をつくることを目指して、より強く生きて行くという強い意思をこれらの碑文から感じたのだった。戦争と平和という相矛盾するテーマをずっと追い続けて来た人類は、今でもその自縛作用から抜け切れることが出来ず、平和を唱えながら世界各地で様々な名目での殺りくと破壊を繰り返している。人類最高の希望の象徴たるこの平和祈念像は、その愚かな繰り返しの現実をどのように見、思っているのだろうか。願いと現実とのギャップの大きさと深刻さを思いながらそこを後にしたのだった。

   

原爆で吹き飛んだ浦上天主堂の鐘楼の一部。この残骸一つを見るだけでも、その威力のもの凄さと、生きもの全てが抱いた恐怖の大きさを容易に想像することが出来る。

その後は浦上天主堂などを巡りながら、天主堂内に飾られている顔半分に無惨な火傷を負ったマリヤ像を見たり、或いは原爆で吹き飛ばされた天主堂の鐘楼の残骸などを見たりして、いっそう戦争というものの愚かさと恐ろしさを思ったのだった。市内電車に乗ろうと松山町という駅に向かっていると、小さな公園があり、そこには墓標に似た塔が建っていた。近づいてみると「原爆殉職者名奉安」とあり、その下の方に「原子爆弾落下中心地」と書かれていた。傍の説明板を見ると、往時の状況が詳しく書かれていた。どうやらここは原爆資料館の一部らしい。本来なら資料館に入って見学をすればより詳しい状況を理解できるのだと思うけど、自分はかつて広島の原爆資料館を訪ねたことがあり、その時のショックは今でも拭い去ることができず、とてもあの惨禍の状況を再見することはできない。怖いものは見たくないなどというのではなく、悲しみと怒りを抑えきれなくなるからなのである。あの惨禍の状況を見て以来、原爆によらず、原子力などという得体の知れない怪物には重大な疑問を持っており、平和利用などという一見の美名に惑わされながら、無間地獄への道をそれと知らず進んでいる現在の原発政策の危険さには、先年の福島の事故以来断然の廃止を主張せずにはいられないのである。ここが長崎の原爆資料館の一部であることを知らないままに訪れたのだったが、資料館に入ろうという勇気は湧かなかった。見なくてもその悲惨さは十二分に伝わってくるのである。それよりもこの爆心地で、往時の投下者側の行動の報道記録の一部を見て、新たな怒りがたぎり湧いたのだった。

それは原爆を投下したアメリカの調査団についての記事だった。広島の原爆投下についてもそうであるけど、アメリカは原爆投下後のその効果について詳細な調査をしている。それは現在では調査団の報告資料として、誰でも読むことが出来るのだが、往時の爆心地に立ってそのような記事を目にすると、改めて自分は科学というもの、科学者という類の人でなしに対して怒りを覚えるのである。

科学というのはこの世のあらゆる仕組みを経験的、論理的に解明して行こうとする人間の、無限の取り組みだと理解しているけど、単なる興味や功利目的では決して踏み込んではならない領域が厳然しているのではないか。それはその科学研究のもたらす結果が、人間や地球を破滅させることにつながるのかどうかで決まるのだと思う。原爆や原子力などというのも、もともと目的の如何によらず踏み入れてはならない筈の世界だったのではないか。原子力の平和利用は、エネルギーコストの効率上からは有効な方法だと考える向きもあるけど、最終処理を含めて未だ人知ではコントロール不可能なのであり、それを知りながら負の部分を無視して使い続けるというのは、刹那主義的ご都合主義以外の何ものでもなく、一旦ことあればたちまち人類は滅亡の危機に遭遇するのである。

科学者というのは、勿論人間の心を持っている人の方が多いのだと思う。けれどそうでない者がいることもはっきりしている。原爆の製造者は科学の心に冒されて人間の心を失った人でなし(=似間)だと思う。国家という組織がそれを作らせたのだろうけど、人でなしと非難されても弁明は出来ないと思う。現在でも兵器など人類を殺傷する目的で研究に取り組んでいる奴輩は、人間ではない。人倫の道を無視している科学は滅亡の科学であるといって過言でない。これは爆弾には限らない。

この地で、その惨状を目にしながら、彼ら調査団の連中はクールな科学的効果の状況についての報告書をしっかりと書いている。それが使命なのだから仕方がないといえばそうなのだと思うけど、本当のところ彼らは、己らの為した罪に対して涙の一滴でも流したのだろうか。一発の新しい爆弾の科学的な成果と効果に狂喜しただけだったのだろうか。不信感は益々膨らんだのだった。

500mの上空を見上げてみたけど、そこには何も見えなかった。あそこで地獄の閃光が煌めいたのかと思いながらだったけど、春の空は、平和も戦争も、ただ霞めてしまうだけで、それは朧の未来につながっているだけのように思った。今を生きるというのは、ああ、このようなことなのかも知れないなと思った。  合掌 (1012年 九州の旅から)

   

爆心地に建てられた奉安の塔。この中に原爆で亡くなられた方々の名が刻まれ、眠っている。

 

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腹が立つこと二題(その2)

2012-12-12 03:31:38 | 宵宵妄話

  さて、もう一つの腹立ちと言えば、プリンターの販売・修理とインクの関係についてです。取るに足らないことのように思えるでしょうが、10年以上も前から、プリンターを使用する頻度が高かった自分にとっては、この悪辣な製作と販売の仕組みには多大なる反感と疑念を持ち続けて来た問題事項なのです。それが最近又爆発したという話です。

 何をそんなに興奮しているのかと言えば、数日前そろそろ年賀状の印刷をしようかと、久しぶりに、いつも旅に携行しているキャノン製のpixsus50iという小型のプリンターを取り出しました。このプリンターは旅専用で普段は使用していないのですが、偶々今年の旅で使った時に、インクがなくなり、旅先で交換用のインクを買った際に、今度の年賀状分も買っておこうと2箱分も先買いをしておいたのです。ところが、プリンターを取り出して使おうとすると、エラー表示が出て動かないのです。説明書を見ながら、いろいろとやってみたのですが、どうしても動かないので、こりゃあ点検修理をして貰うしかないと、自分で対応するのを諦めたのでした。

 買ってからか10年近くなり、かなり時間が経っていますので、もうとっくに無料修理のサービス期間などは過ぎ去っていますから、説明書を見てもどこへ持って行けばいいのか判りません。ネット等で調べた結果、近くの坂東市にキャノンのテクニカルセンターというのがありましたので、そこへ電話をしましたら、プリンターの修理も行っているということでした。早速持参して診て貰うことにしました。坂東市のその場所まで、我が家からは40分ほどでした。

 受付に行って担当の方に会うと、このタイプの機器はもう既に2年前に部品の在庫期限が切れているので、もし部品交換の必要がある場合は、修理は不能ですと断られました。それはまあ、そちらさんのルールなのでしょうから文句を言っても始まらないなと、とにかく了承して診断してもらうことにしました。10分ほど経って出てこられたその方が言うのには、紙送りに使われているギアの部分が破損しており、それを交換しなければならず、その部品の在庫がないので修理はできませんということでした。

 一旦了承した以上は、くどくどその担当の方(女性)に文句や苦情を述べても仕方あるまいと、ほんの少しばかりプリンターやインクの製作・販売に係わる基本的なあり方について嫌味を言わせて貰って帰ることにしました。しかし、帰りの車の中で、改めてこの業界の商売のあり方を考えている内に、又だんだん腹が立ってきてなりませんでした。プリンターは壊れてしまっているのですから仕方ないとしても、我が家には一箱2個入りの新品のインクが二箱も残っているのです。そのインクを使える機種は最早存在せず、捨てるしかありません。1箱2千円以上もするのを使わないまま2箱も捨てなければならないのです。4千円をドブに捨てるようなものです。こんなことがあってもいいのかと、思えば思うほど己の運の悪さよりもこの業界の悪辣さを呪いたい気持ちが膨らんだのでした。

 家電量販店に行くと、毎回新しい型名のプリンターが賑やかに並べられています。そしてインクのコーナーにはややこしい番号付きの様々なタイプのインクが数多く並んでいます。新しいプリンターが売りだされる度に、インクカートリッジも又新しい形のものに変わってきています。継続性のあるインクの使用は殆ど無いといってもいいほどです。これは明らかに「古いタイプのインクカートリッジは使わせない」という業界の執念のような常識が為せる現象です。インクの中身の質がそれほど変わるなどということは考えられませんから、変わっているのは外の箱だけなのです。要するにどの機種にも使えるインクカートリッジを用意しておくと、販売上不利益を生じる事態(安価な非純正のインクなど)が現れ、収益上問題となるので、消費者側の事情などお構いなしに容器であるカートリッジを変形し続けているとしか思えません。

 プリンターを長年に亘って多用していると気づくことですが、プリンター本体に比べて使用するインク価格の異常な高さです。逆に言えばプリンター本体の安価なことです。例えば1万円以下で購入したプリンターで、B5判100頁の小冊子を20冊作るとすれば、そのインク代は軽く1万円を超えることになります。1冊の印刷費用が500円以上にもなってしまうのです。常時2~3枚の印刷や偶に写真を数枚ほどプリントする程度なら、その異常さに気づかないかもしれませんが、プリンターを使えば使うほど、このインクの費用の嵩むことに異常さを感じずにはおられません。インクがなければプリンターを使うことはできないわけで、この業界の利益の対象がインク側に重きを置かれていることは明らかです。

 プリンター本体に関しても、使う側からは疑問がたくさんあります。嬉しくもない改善と言うのか、ほんの少し技術の進歩を見せびらかしているような機種変更が数多くなされ、何でもかんでも目先の新しさを強調しているかのような製品が多いのです。エコという名目で、僅かな機能の向上を大げさに強調したり、殆ど使う必要もない通信技術を無理に取り入れて消費者を惑わせたり、とにかくちょっぴりでも良かれと思うことを強引に取り付けて消費者の気を引こうとしているかのようです。

 プリンターなるものが、どんなに優れた機能を有していても、それを使うためにはインクやトナーが必要です。しかし、こちらの方は術面でも価格面でも、全く改善の対象とはなっておらず、ひたすら改悪の道を驀進(ばくしん)している様に思われます。プリンター本体とそれを使うための必需品としてのインク類のアンバランスな関係は、家電業界の幾つかの業種の中での常套戦略であり、真にケシカラン思想だと思わざるをえません。利便性の向上の裏側で、無数の利用コストのムダを付加しているからです。

 こんな時に思うのは、「勿体ない」ということばです。勿体とは物体という意味であり、勿体ないというのは物体がないというのを嘆く言葉だと聞いています。物体即ち、そのものの本当の姿(=存在)が無くなってしまうことを歎ずるということから来ているのが「勿体ない」ということばなのです。このことばは、少し前の日本国では誰でも肝に銘じて使い、大切にしてきたのですが、今頃は次第に死語に近づいている感がします。数年前、このことばが国際的にも有名になりました。ケニア出身の環境保護活動家で、ノーベル平和賞受賞者となった故ワンガリ・マータイ女史が来日された際に、このことばを知り大変感動されて、その後エコ活動のキーワードの一つとしてとても大切にされていると聞いていますが、このプリンターとインクの関係の世界では、その考え方は無用のようです。

 勿体ないというのは、貧しい時代を生き抜くための最重要な心構えであり、人間が大自然との共生を考えてゆく上で、欠かしてはならない心構えなのだと思います。日本人はこのことばを大切にしながら暮らしをつくってきたと思います。しかし、産業革命から始まる大量生産・大量消費の経済活動は、人間の生活を間違いなく利便性の高いものとはしたのですが、同時に環境を軽視し何ごとも人間最上位の思い上がりの思想を知らず醸成してしまったようです。使い捨てというのは、人間の思い上がりの極致の行為であり、やがては作られて捨てられたものの反逆が襲来するに違いないような気がします。それは、一朝一夕に判るようなことではなく、じわじわとやって来る内にある時から急速に加速をして、気づいた時には最早処置なしの惨状を到来させる危険性を孕んでいるような気がしてなりません。そして、今はこの経済産業システムが、人間の思い上がりを戒めるために、その負の部分を加速化している様に感じてならないのです。

 たかがプリンターの修理の話なのですが、この機器をつくり、その利便性を提供する背景には、「勿体ない」などという思想を無視・排除する現実がしっかり根付いているのをどう仕様もないほど感じます。それを忌々しく思いながらも、それに対して何の抵抗も反抗も為し得ない現実を、なんとも腹立だしく思ったのでした。未だその腹立ちは収まりませんが、一先ずは矛を収めることにします。結局敗北者は、又新しいプリンターを買うはめになったのでした。しかし、今度はモノクロ専用のインクジェットの機種にしました。明らかに腹立ちの果てのやらされの姿だと思いながら。今の世は、勿体ないとは無縁の、使い捨ての(使わず捨ても含めた)一方的な効率追求の、損得の物差し最優先の歪んだ世界に、どうしようもなく浸ってしまっている感じがしてなりません。

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腹が立つこと二題(その1)

2012-12-06 05:06:47 | 宵宵妄話

  このところ腹が立つ出来事ばかりが続いています。何もかも蹴飛ばしたくなるような気分で毎日を過ごさなければならないのは、老人になった証なのだとは思いますが、同じような心模様の人は必ずしも老人ばかりではないような気もしています。しかし、今日の話題は老人の、まあ、妄話としてお聞き頂きたいと思っています。

 最初の話は、先日発生した笹子トンネルのコンクリート製天井板の落下事故です。これは単なる腹立ちなどではなく、黒い恐怖入りの、この国の近い将来のインフラを揺るがす前兆をも暗示している恐るべき内容の事故でした。朝TVを見ていたら、いきなりこのニュースが飛び込んできました。笹子トンネルは何度も通っており、関東エリアに住む者ならば、誰でも知っている場所の一つだと思います。その昔、笹子峠は甲州街道の難所として、旅人を苦しめた場所の一つでしたが、明治になって鉄道の敷設に合わせてトンネルが掘られ、往時は日本最長のものと名をなしていたのでした。今回トンネル事故は、鉄道ではなく、高速道のために新しく掘られたものであり、中央高速道では、恵那山トンネルに次いで2番目の長さであるとのこと。上り下りとも夫々4700mを超える距離があり、実際に走ってみても長さは十二分に味わえる感じがします。そのトンネルの入り口(実際は出口だった)から煙らしきものが吹き出しているのが画面に映っており、辛うじて脱出してきたというNHKの記者の方の半分押しつぶされた車を見た時はぞっとしました。よくもまあ、このような状態で通過して来られたものだ。まさに危機一髪でした。生命事なきを得て良かったなあと思いました。同時に、後続車もあったことだろうから、それらの方たちは大丈夫なのだろうかと、心配は膨らむばかりでした。結果的には、9名の方が亡くなられたとか。真にお気の毒で、ご家族や身近な方への同情を禁じ得ません。心からご冥福を祈念いたします。

 この事故は他人ごととは思えません。私の場合は、現在年間2万kmほどのくるま旅の走行をしていますが、この中にはかなりの距離のトンネル走行が含まれていると思います。日本国は四囲を海に囲まれた山国であり、大小数多くのトンネルがあります。一体幾つほどの数となるのか見当もつきませんが、どこへ旅するにしてもトンネルなしで目的地に着けるということは、長距離の旅ではあり得ないことです。ということは、必然的に今回のような事故に遭遇する危険性を孕んでいるということです。

トンネルというのは、地中深く閉ざされた空間であり、それはもしかしたらピラミッドの内部よりも暗い、永遠に陽の届かない場所なのです。そのような場所に、旅をしている車が、ある日突然閉じ込められたとしたら、これはもう想像するだけでも発狂するほどの恐ろしい出来事です。恐らく事故に遭遇したなら、一瞬にしてあの世行きでしょうから、発狂する暇もないということなのでしょうけど、いずれにしてもその恐怖感には計り知れないものがあります。

 今回の事故で腹が立つのは、明らかに人災だからです。人災というのは、人間の驕(おご)りがもたらすものです。驕りというのは、生きものとしての謙虚さを失った状態を指します。私自身を含めて、人間という動物は、常に驕りに誑(たぶら)かされ易い存在のようです。驕りの前提には比較(=比べる)という無意識的な心の働きがあります。何かと、誰かと比べて自己の優位性を確信した時、或いは誰も為し得ないようなことを成し遂げたと思いこんだ(錯覚を含む)時、人はたちまち驕りや思い上がりの天辺(てっぺん)への道を辿り始めるのです。今回の事故は、道路を経営管理する企業の、トップから第一戦に至る全員の、安全に対する驕りと思い上がりに起因するものであり、特に上層部の責任は重大だと思います。

 世の中に存在する全てのものにとって、とりわけて生きものにとって、「安全」というのは生き長らえるための絶対的な必要要件です。安全は、先ず自分自身でそれを確保することが第一ですが、それには限界があり、特に外部要件や環境については、それに直接係わる者が万全を期すことが求められます。誰がどう係わっているのかが不明なケースが多いこの頃の世界環境ですが、今回のトンネル事故に関しては、その責任は明らかです。トンネルを造った人とその後のメンテナンスを担当する人です。勿論これは個人の問題ではなく、組織やその運営を絡めた経営のあり方に係わること全てを含めて明らかにするという問題です。これからそれらの事柄が明らかにされてゆくことと思いますが、最終目的は責任を問うことだけではなく、二度と、どのような種類の事故であっても決して起こさないということです。そのための未然防止の体制をつくりあげ、着実に運営することを忘れないようにして欲しいと思います。

 今回の事故の直接・間接の原因は追って明らかにされると思いますが、もう一つの腹立ちの源は、国のインフラ整備の基本姿勢が龍頭蛇尾的になっているということです。政治家の立ち居振る舞いを見ていると、とにかく格好良いことを言いたがり、為したがる傾向があり、新しいものを造ることにばかり大声をあげ、その関係者の関心を引き票田を増やそうとする、そのような安っぽい人物ばかりが目立ちます。ま、必要なことは大いにやるべきだと思いますが、忘れてならないのは、新しいものばかりでは世の中は成り立って行かないということです。社会インフラのような必要不可欠のものは、永遠に新しい状態を持ち続けなければならないということなのです。しかし、社会インフラの現実は、初めは鳴り物入りの威勢の良さであっても、その後は手当の大切さを放棄している感があります。

ものごと全てには初めと終わりがあります。道路もトンネルも橋も或いは電気やガスなどのエネルギー関係諸設備、上下水道など人々が生きるための基盤となるもの全てに共通していることは、初めと終わりがあるということであり、インフラ故にどの項目も終わらせられないということです。昭和の戦後の復興初期を経過して、昭和40年代以降、我が国のインフラ整備は急速に進められ、ある意味では華やかにそのスタートを切ったのですが、それから半世紀近くの時間が流れて、それら諸インフラの多くが終わりへのスピードを速めて来ています。いわゆる経年劣化という奴ですが、このスピードは、もし何の対策もしなければ加速度的に早まるものが多いのではないかと思います。今回のトンネル事故は、経年劣化を問題にするには些か早いような気もするのですが、その要素も含まれているとするならば、多くの現在のインフラに係わる重大な課題を提示する象徴的な出来事のように思えます。

今、我が国では私のような高齢者世代を中心とする医療制度や社会保障制度のあり方やその費用の確保等に関しての議論が大きく取り上げられていますが、ここに新たにインフラに対する維持改善のための費用が追加されることになるわけです。これをケチっていると、今回のような事故の犠牲者が何人も出てくることになります。突然橋が落下して車が何台も川に落ち込んだ、高速道の高架が小規模震度の地震で落下して走行中の車が下のビルに突っ込んだ、だとか或いは又もや大地震で原発が制御不能になったとか等々、全て可能の範囲内の出来事のように思います。そしてこれらを防ぐには膨大な費用がかかることになります。思えば、高齢者に対する社会保障費というのは、人間の経年劣化に対する社会的手当てのことなのかもしれません。現実の世の中は、人間だけではない、インフラという物に対する社会的手当ても求められているのです。

ところが、インフラについては、初めばかりが強調されていて、その後の手当てに関しては為政サイドでの取り組みが、場当たり的というのか、長期的なメンテナンス計画があるのやら、重視しているのやらさっぱりわからず、現実は問題が発生する度に騒がれ、いつの間にかうやむやになって、同じ出来事を繰り返している感じがするのです。この頃は、その昔もそうだったのか、政治家や官僚連中は面倒なことは先送りすることばかり考え、当面の楽を求める傾向が強く、口先でごまかす技術を磨くことに腐心しているかの感がします。

腹を立ててばかりいても仕方ないのですが、糠に釘の愚痴ではあっても、せめて一言吐かずにはいられない心境なのです。このトンネル事故という事件に併せて、実はタイトルにあるように、もう一つ腹の立つ出来事があったのですが、長くなりますので、その繰り言は次回にしたいと思います。やはり同根の経年劣化に係わることです。経年劣化というのは、我が身自身に係わることなので、腹が立つのかもしれません。今日はここまで。

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「拉致と決断」を読み終えて思うこと

2012-12-01 00:57:47 | 宵宵妄話

 

 北朝鮮による拉致事件に関して、その帰還者の一人である蓮池薫氏が書かれた「拉致と決断」という本を買いました。拉致問題の現実というか、実際についてもう少し詳しく知りたいという気持ちは以前から膨らみ続けていたのですが、新聞の記事やTVのニュースなどを見聞する以上の情報はなかなか得られず、実際におぞましいともいえる体験をされた方の話こそ聴きたいものだと思っていたところ、この本が出版されたと知り早速手に入れたというわけです。ところが、最初にまえがき(=はじめに)という項目を読んで、これは簡単に読める本ではないと気づき、10日ほど読むのを控えて、改めて拉致問題とは一体何なのかということについての想いを巡らしたのでした。

 そもそも、国家が他国の人間を有無を言わさず攫(さら)ってゆくという行為は、一体何のために行われているのか不可解です。その国に好意を持つ者を自国に引き入れるというのなら、ある程度は理解できるとしても、何の関心も係わりもない一般人を、性別を問わず老人や子供まで攫うというのは、幾ら反体制の国家であるとはいえ、人間性にもとる常軌を逸した行為であり、許されるべきことではありません。北朝鮮(=朝鮮民主主義共和国)という国が、民主主義を唱えながら、他国の人民を攫って来るという行為をどう正当化しているのか、自国民がそのような事実を知ったとしたなら、その理不尽さは理解不能のように思えます。しかし、このような実態を一般国民に知らしめるはずもなく、この国の特殊関係者の世界の中で、未だこの非道は続いているわけです。

 工作ということばは、子供の頃の学校では、図画と並んで授業科目の一つとして取り入れられ、ものづくりの初歩を学んだ教科でしたが、その後別の意味があることを知り驚いた記憶があります。それは戦争時における諜報活動を行うことをも意味すると知ったからです。工作員というのがその言葉です。工作員というのは、敵国におけるスパイ活動のような役割遂行を担う者を指している言葉ですが、敵国の一般国民を攫うというような行為まで含まれているとは想像できませんでした。今の日本国においては、最早死語に近くなっていると思っていたのですが、世界の現実としては北朝鮮によらず何れの国においても、諜報活動は厳として生き続けているようです。

 この本を読んで感じたことは大別すると二つになります。その一つは拉致という人道上許されざる行為に対する怒りであり、北朝鮮という国の為政者(もしくは為政幹部)の身勝手で非道な振る舞いに対する憤懣やるかたない怒りです。そしてもう一つは北朝鮮という国に住む人々の現実を知ることによって、逆に今の日本に住む我々の生き様の危うさを感じたということです。

 先ず拉致ということについては、最早その非を難ずることの繰り返しには疲れを覚えるほどです。拉致被害者家族の皆様を中心に、解決を目指しての様々な活動が続けられて来ていますが、何といっても相手が不誠実というか、そのようなレベルを通り越しており、既にこの問題は解決済みなどとうそぶいているのですから、個人や小さな集団の力ではどうにもなりません。この問題の解決は、全て国のパワーの発揮に掛かっているとしか考えられません。国民を守るというのが国家としての最大の義務であり、且つ最高の責任だと考えます。拉致問題の解決が進まないのは、国家の為政に係わる者の怠慢であることは明白です。ここ数年何の進展もさせていない国家関係当局に怒りを感じます。上っ面のことしかやっていない連中に国を任せていていいのか、今回の選挙などでは厳しく見極める必要があると思います。

 もう一つのことですが、この本を読んでいて想ったのは、北朝鮮という国家に住む人たちの暮らしは、まるで太平洋戦争直前から終戦に至る前の日本国の状況と同じようなものではないかということでした。いや、それ以上に国家統制が厳しい非常事態の緊張が続いているという様にも思われます。あらゆる物資が国家統制のもとに動かされており、しかもそれが行き渡ってはおらず、計画経済が破綻を来たしているという状況です。

 戦後の物資不足の中で、国の配給に頼っては生きては行けないという時代を多少なりとも潜って来た自分には、今の北朝鮮に住む人たちの苦労が少しは解る気がします。日本国においても戦後しばらくは一日を生き延びるのに大変な時期が続いたのでした。小学生の頃の自分たちにとって最も重要だったのは、飢えを満たすことだったように記憶しています。この克服のために親たちがどれほど苦労したのか、それは往時の子供であれば誰でもよくよく承知していることでした。自分の場合は、主食はサツマイモやジャガイモなどのイモ類だったと思っています。やがてそれが麦飯となり、米の白米のご飯が食べられるようになったのは、中学を卒業するころではなかったかと記憶しています。この本を読むと、北朝鮮の現在は、自分の小学生の頃に近い食糧事情を思い浮かべます。いや、それ以上に厳しい状況なのかもしれません。

 本の中には暮らしの実態の断片について、幾つかの事例などが紹介されていましたが、それらはある程度は予想されていることであり、さほど驚くことでもないのですが、一番気になったのは、今の日本の自由と豊かさのあり方についての指摘です。貧しい北朝鮮から祖国の新潟に帰還されて、自由と豊かさに恵まれた暮らしを取り戻されて10年、その落差に対する冷静なコメントにハッとさせられたのでした。世界の中では飢えのために毎日何万人もの人が命を失う危険にさらされているのに、日本という国では毎日相当の食物が捨てられ、毎年農地の放棄が拡大しているという現実。このことに対する疑問は、大変重い警告ではないかと思ったのでした。

 今の日本国は、明らかに変です。自由と豊かさの裏で、何かが狂い始めています。戦前・戦中の隣組制度のようなものが北朝鮮にもあって、組織に縛られた不自由さも相当なもののようですが、日本国の自由は、人倫の規律までも破壊して腐り始めているかの危険を孕んでいるようです。昨年の大地震の被災以降、絆ということばが流行りましたが、その重みは次第にかすれ出している感じがします。身勝手という行為の方が遥かに不気味な増殖を続けている感じがしてなりません。

 だからと言って、北朝鮮のような暮らしの感覚を学ぶべきだとは思いませんが、自由の名のもとに身勝手が膨らんでゆくと、遠からず人倫の破滅がやって来て、豊かさとは無縁の世界が到来するに違いありません。蓮池さんの本を読んで、他にも考えさせられることはたくさんあるのですが、今一番思うのは、北朝鮮のことではなく、日本国の現在であり、将来についての心配なのでした。

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