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山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

今年はおしまい

2009-12-29 05:42:34 | 宵宵妄話

 今年もあと2日を残すだけとなりました。本当に時間の過ぎるのがその速さを増している感じがします。若い時には時間の過ぎるのが何という遅さなのだろうと思ったこともあったのに、今頃は間違いなく毎日が日曜日なのですから、退屈になっているはずなのですが、それがまあ時間の経つのがもの凄く早いのです。この時間感覚は、不思議といわざるを得ません。

 今年は毎日5000字以上を書くというのが、私の自らに課した課題でした。その中心がブログ記事なのですが、概ね目標を達成できたのではないかと思っています。

何ごともそうですが、修業というのは先ずは量をこなす、そして少しずつ質の充実を計って行くことが大切なのだと考えています。毎日5000字以上というのは、あるときは厳しく、あるときは極めて軽易な達成目標でした。それを決めるのは、テーマがあるかないかです。書くネタの中で一番大切なのはテーマです。テーマがはっきりしている時は、何の苦労もなく(これは嘘ですが)5000字を突破どころか、1万字だってあっという間に達成可能ですが、テーマがないときは、書くどころではなく、それを探すのに呻吟します。

つまり人間というのは、自分のエネルギーを集中・発散させるためには、その気にさせるはっきりした目標やテーマが必要・不可欠だということなのでしょう。1年365日、確実に目標を達成するためには、365のテーマが必要です。今年はそのテーマの7割程度をくるま旅の中から拾って行こうと思ったのですが、さて、どうだったのでしょうか。何しろ旅に出かける日数が少ないものですから、テーマ不足に悩むことが多い毎日でした。自宅に居て旅の気分を味わうのは大変困難なことです。来年からは旅のコンセプトを少し変えた方が良いかなと思ったりしています。

ブログの楽しみは、励みとなる読まれ方の様子です。現在gooのブログには約134万件の加入があるそうですが、その中でアクセスの多い順に、毎日1万位までの順位が掲載されます。自分のブログがその中に入るなどとは全く思っても見なかったのですが、この頃はその中に顔を出せるようになりました。今年初めて順位が付いた時は、これは何だ!と驚くと共になんともいえぬ気持ちになりました。まさかという感動でした。おかげさまで今のところ安定して1万位以内に入っている状況です。

順位を上げて行こうなどという大それた考えは持っていませんが、お読み頂いている方には、少しでも印象に残る、或いは参考になる、楽しんで頂けるようなことを書いてゆければと思っています。

今年はお読み頂いた皆様のおかげで、ブログの取り組みが随分と前進できたと思っております。本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年はこれでおしまいとさせて頂きます。どうぞ皆様も良いお年をお迎え下さい。(馬骨拝)

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今年の一文字は「憂」

2009-12-28 06:54:29 | 宵宵妄話

毎年年末になると「今年の一文字」というのが発表されます。日本漢字能力検定協会が選び、京都の清水寺の貫主さんが大書して、ニュースとなります。過去3年を見てみますと、

平成18年(2006年)は「命」

平成19年(2007年)は「偽」

平成20年(2008年)は「変」

という字がそれぞれ選ばれています。

これらの字はいずれも社会の様々な出来事を反映して選ばれますが、その殆どは明るさよりも暗さの方が勝っている感じがします。例えば「命」は命の扱いの大切さよりも軽さの目立つ事件を反映していますし、「偽」は悪質な暗さをイメージさせます。「変」にしても、期待よりも疑問の想いが遙かに多い、という世相を反映している感じがします。

そして今年は「新」という字が選ばれました。期待を籠めての一文字だったと思いますが、本当に何が新しいのか、新しかったのかということを考えて見ますと、本当に新しかったのはイチロー選手の9年連続200本安打達成くらいで、それ以外の出来事は疑問符が付きます。

アメリカの大統領はチエンジを連発し、新しさを売りものにしてノーベル平和賞まで受賞しましたが、その演説の中で平和のためには戦争は必要なのだと強調しています。日本では政権交代が実現して民主党が与党となり、その出来事自体は確かに新しいのですが、その後の政権運営を見ていると、急速に新しさが褪せる状況にあります。清新な「新」などというものは殆ど見当たらないというのが実態ではないかと思えてなりません。

私の選ぶ一文字は、去年は「虚」でした。これは世間の出来事を野次馬の一人としてなるべく客観的な見方でその本質を捉えようとして選んだ結果でした。しかし、今年はもはや客観視してばかり居られない気持ちになっています。それで選んだのが「憂」という一文字です。日本はそして世界は真に「憂」の状況に満ち溢れています。今の世に「憂」を少しも抱えずに生きている人が居るとすれば、その人は楽天家というよりも明らかに何らかの病に冒されているに違いありません。

「憂」を思う最大の出来事は、人間が現在の国家・社会システムを持って生きてゆかなければならない状況の中で、住み着いている地球という環境を確実に汚染しているという現実です。それは世界中の人間がより豊かな衣食住に恵まれたくらしを目指そうとすればするほど、汚染が悪化するという恐るべき矛盾を孕んだ末世的出来事です。COP15における議論を見聞していますと、問題となっているのは地球環境よりも豊かさを求めるための主張の方であり、危機感の所在が地球よりも暮らしの方に向けられているのは明らかです。過去150年間に先進国が犯した罪を、新興国が一緒になって拭うなんぞということはできないという主張を、先進国がねじ伏せることは不可能です。従って環境汚染の問題は、どんなに美しげな言葉で糊塗しようとも、確実に重症化してゆくことは明らかです。何とかの予言を待つまでもなく、もはや地球の破滅は視野の中に入ってきている感じがします。そしてこの破滅はある日突然ではなく、もう少しずつ始まっているのです。これを「憂」といわずに、生きられる毎日ではないと思っています。

日本国に関して言えば、最大の「憂」はやっぱり政治の世界のような気がします。ようやく政権交代が実現し、新しい内閣が誕生したのをちょっぴり喜んだのでしたが、現状を見る限りでは少しも新しさは感じられず、将来に対する危険性と不安が膨らみつつあります。政治に関しては安易な批判は幾らでも可能であり、それだけにその主張の妥当性にはいつも疑問が付きまといますから、あまり批判はしないようにしているのですが、世の中でいろいろ取り沙汰されている政治運営の現状を見聞するにつけ、「憂」と感ぜずには居られません。政治については二つの大いなる「憂」と感じています。

その1は最高責任者の問題、すなわち総理大臣のことです。このところ何代かの総理大臣を見ていると、「軽い」感じを拭えません。人間の思いの深さというものは、心の深奥に塊となって鎮座し、滅多に音も光も放つようなことをさせず、絶えざる自問自答の中でそれを進化・浄化させ、それが信念を貫く無言のエネルギーとなって、実際の政治の場面でほとばしり出るような、そのような力を持った人物こそが、一国を与る総理大臣に相応しいと思っているのですが、今の政治家の中にそのような人物がどこにいるのかさっぱりわかりません。頭脳明晰という点では、どの方も優れておられる(少なくとも私よりは)のですが、政治というのは、世の中というのは、頭の良さだけではうまくゆかないものだと思います。政治家の常套語の一つに「国民の皆様」というのがありますが、そう言う言葉を軽々に使って欲しくないと思います。常識という言葉の意味が、一人ひとり皆違うのと同じように、国民などと一言で括れるような皆様などは居ないのであって、国民は一人ひとり皆違うのです。そのことを意識するならば、こういう言葉は軽々に使うべきではないと思います。ま、使っても構いませんけど、使えば使うほど民心は離れてゆく(=「俺のことを言っているのじゃあないんだ」と)に違いないのですから。

「巧言令色鮮仁」は論語の一節ですが、政治家は必ずしも令色とは言えませんが、巧言が多すぎるように思います。どんなに正直に心情を述べても、例えば過去7年間に14億6千万円もの贈与を受け、その課税分6億円を即座に納付し、「そのくらい」などと話している説明には、どんなに寛大な国民からも許される話ではないように思います。金持ちか貧乏かは個人の問題であり、批判の対象とはならないと思いますが、一国の責任者の金銭感覚は国民の絶大なる興味・関心の対象となります。様々な形で不況対策が求められている現状なのに、最高責任者がこのような状況であっては、民心が離れるのは致し方もなきことではないかと思うのです。西洋のことわざに「沈黙は金、雄弁は銀」とありますが、政治家はもう少し雄弁を捨てるべきでしょう。説明責任というのは、少ない言葉で伝わるようなやり方で果たして欲しいと思います。そして一日も早く本物のリーダーシップを発揮できる人物が現れることを切望しています。

ついでにちょっと脇道に逸れて言いたいことがあります。議論の技術の向上法の一つにディベートがあります。これは議論を行なう際に、相手を如何に打ち負かすかという訓練ですが、政治家は(特に政権を担当していない立場においては)このディベートの要領に長けている嫌いがあり、例えば現政権においてはその欠点が露出している感じがします。やり込められる自分を考えずに、やり込める相手の欠点ばかりを論(あげつら)って勝利を得るというアメリカ流の発想は、その本質において非人間的であり、私は好きではありません。先日の事業仕分けの様子を見ていると、その欠点が曝け出されている感じがしました。あれは議論などではなく、問答無用の一方的なご用質問でした。沈黙を塵芥としか考えない進め方であり、思い上がりの酷さを感じさせた場面の多いものでした。このような問答無用のやり方からは本当の成果は見出せず、一時的な出来事で終るだけだと思います。時間の関係もあり、やむを得なかったというのも理解しますが、これから先もあのようなやり方でしたら、遠からず信任を失うことは間違いないと思います。(これは総理の話とは別でした)

その2は、政策と予算の問題です。政治は立法と行政を司るものですが、その核となるのは政策と予算です。つまり何を、幾ら使って実現・実行するかということです。これには常に二つの視点からの企画と検証が必要と思います。その一は長期的視点、もう一つは短期的(現実的)視点です。先日来年度の予算が決まりましたが、過去最大規模となりました。

新政権であり、公約を果たすためにあれこれ苦労した結果がこのような予算規模となったのだと思いますが、何だか変な感じがします。「コンクリートから人へ」というテーマは、「友愛」などというわけのわからぬ言葉よりはマシだとは思いますが、「人へ」という部分が「個人」だとしたら、危険性を感じます。国民個々人の欲望を満たすために政治が行なわれるとしたら、それは見当違いも甚だしいと思うのです。政治というのは国民全体のために行なわれるべきものであり、その結果として国民個々人がそれなりの納得を得ることが大切なのだと思います。早い話、一人ひとりにお金をばら撒くような政策は、断じて避けるべきです。その様なものは一時的な効果しかなく、結果的に国を危うくするものです。今回の予算の中には、本質的にはばら撒きといわざるを得ないものが幾つかあり、国家の財政を破綻に導くことに与している感じがします。国民の皆様は、一時喜ぶかも知れませんが、数年後には革命を起こしたくなるかもしれません。長期的視点が欠落しているのは明らかのように思います。コンクリートは何のために必要だったのか?一部の建設業者を潤すためのものだけだったのか?世の中全体のためのものはそれほど少なかったのか?コンクリートと人との関係は、もう少しきめ細かな検証が不可欠だと思いますし、又人に対する施策や予算のあり方も尚一層の研究・検証が求められると思います。

既に作られてしまった政策や予算については、今更反対論など展開してもあまり意味は無いと思いますが、正念場はこの次の時だと思います。1年後に「憂」の一文字が、一段と濃くなるのか、それとも薄れるのか、古稀を迎えてのこの一年が、少しでも「憂」を弱める方向へ展開して欲しいと願っています。

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ロウバイ咲く

2009-12-27 00:12:57 | 宵宵妄話

昨日は、クリスマス休暇でした。ブログを休むというのは、結構勇気の要ることのようです。最近は自家中毒となりつつあるようで、要注意です。何ごとも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」であり、あまりブログのことを考え、何かを書こうと意識するのは、結局は自分の本当の力にはなっていない感じがしています。大切なのは、時々立ち止まってそこにあるものを、もっともっと深く観察することのようです。

3日ほど前、歩いていましたら、植木屋さんの庭先にロウバイが咲いていました。このところ本格的に寒さが増してきたようですが、この木に花が咲くというのは、何を告げているのかなと、立ち止まってしまいました。1ヶ月以上も早く早春の花が見られるのは嬉しいのですが、この花たちは、今本当に咲きたくて咲いているのかなと、少し季節を先取りし過ぎているような気がして、戸惑いを覚えます。戸惑いすることが多いこの頃です。

   

早くも花を咲かせているロウバイの木。ロウバイは1月下旬から2月のはじめ頃にかけて、丁度蝋細工のような黄色い花を咲かせる。庭の隅に1本欲しい木である。

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クリスマス

2009-12-25 03:49:15 | 宵宵妄話

今日(12/24)はクリスマスイブ、そして明日はクリスマスです。毎年12月に入るか入らないかという時期から、ジングルベルの歌などが鳴り出し、ここが日本であることなど委細構わず、無節操な騒ぎが繰り返されています。多くの日本人は、器用に宗教の行事を使い分け、自分の都合のいいようにそれらを楽しんでいます。それがいいことなのか、そうでないのか、私には良く判りませんが、私自身は極力このような行事には乗らないことが基本的な自分のスタンスだと思っています。

クリスマスというのは、もともとクリスチャンの方たちの大切な行事であり、今の世のような派手な一夜を過すような姿ではなかったのではないかと思います。イエスキリストが聖母マリヤから神の子にも拘らず、人間の子として生まれ来て、全ての人間の持つ原罪を一身に背負って十字架にかけられたのだというような話を聞きますが、聖書も読んだことはなく詳しいことは解りません。けれどもそのような神聖な夜であるということを思えば、夜遅くまで浮かれ歩くというような雰囲気でないのは確かだし、その祭りの準備をするといっても、半月以上も前から街頭にジングルベルやきよしこの夜の曲をガ鳴りたてるというのは如何なものかと思うのです。

ちょいと気になって、この降誕祭について調べて見ましたら、4年前に教皇ベネディクト16世が「お告げの祈り」の中で述べられた言葉が載っておりました。その中で教皇は、『……現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば「汚染」されているのは、残念なことです。このような商業主義による「汚染」は、降誕祭の本来の精神を変質させてしまう恐れがあります。降誕祭の精神を表わすのは、精神の集中と、落ち着きと、喜びです。この喜びは内面的なもので、外面的なものではありません。……』というように書かれていました。まさにその通りだなと共感しました。

コマーシャリズム(=商業主義)が世の中をダメにしている事例は幾つもありますが、日本においては、本来日本国としては何の関係も無い外国の諸イベントなどが安易に導入されて、国民を浮薄に道化させていることが多いようです。クリスマスがその一つかどうかは判りませんが、少なくともクリスチャン以外の人が浮かれていることに関しては、キリストの降誕祭にかこつけて、勝手に楽しんじゃおうという点について、日本国をダメにしていると思います。教皇がおっしゃるように、降誕祭の精神を表わすのは、精神の集中と、落ち着きと、喜びであり、それは内面的なものなのだという点で、クリスマスとは無関係なあやかしの行為であると思えてなりません。

ま、しかしクリスチャンではなくても臨時的に信徒と同じ敬虔な気持ちになって、家族がケーキやターキーの食卓を囲むと言うのであれば、まったく文句をいう筋合いではないと思うのですが、それ以外の振る舞いについては、ただのうっ憤晴らしのようなものではないかと思います。

今の日本の世にとっては、クリスマス景気が問題なのであって、その精神的な面がどうのこうのなどというのは、きれいごとの空論に過ぎないという考え方が当然化しているように思います。経済的にメリットが計算できるのであれば、日本の文化に関係があろうとなかろうと、皆を喜ばせてお金を使ってもらって楽しんでもらい、その結果こちらの懐が潤えば、それでいいじゃないかというわけです。バレンタインデーもハロウィンも皆そのような考えで導入・展開され、年を追う毎にその騒ぎが拡大している感じがします。

確かにこのようなやり方は、経済効果はあるのでしょうが、しかし碌に理由(わけ)もわからぬまま、チョコレートを買い、カボチャに似た置物を買って一騒ぎすることが、一体日本人としての心(=精神)に何をもたらしているのでしょうか。そのような外来の祭りや行事の由縁をちゃんと知った上で楽しむ人がいても、それは一向に構わないと思うのですが、現実は、大半の人はコマーシャリズムに乗せられて理由もわからぬままに、浮かれ気分になっているだけなのですから、これは日本人の精神文化を浸蝕しているとしか思えません。日本の長い歴史の中で培ってきた精神文化が、その土壌とは異質なものに軽薄に踊らされて、上っ面の楽しみの部分だけを利得して喜んでいるという有様は、大変危険なのではないかと思えてなりません。

日本人の精神文化などというといかにも老人臭くなって、もう嗤われてしまっているのだと思いますが、もともと日本人というのは、幕末・明治以来、外国かぶれが好きだったとしても、その根っ子のところでは大和魂や武士の一念のようなものをしっかり持っていたと思うのですが、今頃はそれら矜持もなし崩し的に腐食して、やがてこの国の人々は得体の知れない民族に成り下がってゆくような気がしてならないのです。

アメリカやヨーロッパだけが新しいとは限らないのです。新しいものとは、自分自身の中から生み出してゆくものでありましょう。その意味において、日本のコマーシャリズムというのは、本物の創造力が欠如しているように思います。これにうっかり乗るのは要注意です。 

これ以上のことは、老人の思い上がりと思われること必定ですから、もう言わないことにします。とにかく今日・明日は、イエスキリストのことについて、静かに想いを巡らすことにしたいと思います。

余談ですが、十和田湖近くの青森県の新郷村という所に、キリストの墓があることをご存知ですか?旅をしていると、思わぬところで思わぬものを発見したりすることが多いのですが、日本にキリストの墓があるというのは、それまで知りませんでした。今でも半疑・半疑(半信も無い)ですが、彼の地は今頃は雪の中に埋もれているのかも知れません。ホワイトクリスマスかも。とにかく今でも世界中に影響を及ぼし続けているこの人物のことを考える、年に一度の日が今日なのだと思いますので、焼酎を舐めながら思いを巡らしたいと思います。

 

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霞ヶ浦に行く

2009-12-24 00:11:19 | くるま旅くらしの話

茨城県には、日本で2番目に大きな湖があります。霞ヶ浦です。私たちが子供であった頃には、この湖は日本で3番目の大きさだと学びましたが、2番目だった秋田県の八郎潟はその後干拓が進んで、消え去ってしまいました。勿論我が国最大の湖といえば琵琶湖がそれですが、霞ヶ浦はその4分の1しかなく、琵琶湖の大きさが際立っています。ちなみに3番目の大きさの湖は北海道のサロマ湖です。

昔の子供たちは、今と違ってTVもゲーム機もなく、ラジオだけが視聴覚の世界でした。しかしその殆どは大人用の番組で占められており、しかも我が家には中学2年までは電気も引かれていなかった状態でしたので、ラジオが聴けるようになったのは、我が家に電灯がともる少し前の中学1年生頃に、父がトランジスタの携帯用ラジオを買って来てくれたのがその始まりでした。今考えると想像も出来ないような環境の田舎に育ったのでした。 (当時の村には他のエリアには電気は勿論通ってしましたが、開拓者の入植地だった私たちの集落には、どういうわけか忘れられていたのです) 従って、家の中での遊びといえば何もすることがなく、父が買ってくれる子供向けの雑誌や友達から借りた本を読むくらいでした。そんな中で私は地図を見るのが好きで、退屈した時は地図帳を取り出し、日本や世界の山・河・湖などのランクなどを言い当てたり、各県庁所在地や世界各国の首都などを言い当てるなどの遊びを勝手に作って楽しんでいました。その習慣は今でも尾を引いているようで、我が家のトイレには世界地図と日本地図は常に常備されていますし、その他各種図鑑や年表などが置いてあります。

話が脱線しましたが、当時第3位だった霞ヶ浦が現在では2位になっているというのは、考えてみれば不思議なことです。湖が勝手に消え去ったのではなく、勿論その後の人間どもの手によって干拓が行なわれ、広大な面積が耕作地に変わってしまったというわけです。八郎潟は海と繋がった塩湖でしたが、今は美田(?)になり代わっているようです。この干拓がその後の秋田県に何をどれだけもたらしたのか判りませんが、旅の途中でそこを通るときは、もし湖がそのままだったら随分と景色もくらしも違っていただろうなと思ったりします。私的には干拓は反対です。

霞ヶ浦は実は干拓向きの湖だと思います。何しろ水深が7.3mしかないのですから、その気になって埋めればあっという間に陸地になってしまうことでしょう。ついでに東にある細長い北浦も埋めてしまえば、守谷市が5つ半ほど入る土地が手に入るのです。八郎潟よりも条件的には東京に近く、利用価値は極めて高いように思います。しかし、私は干拓には反対です。これが全部陸地になってしまったなら、茨城県の気象状況はおかしくなるに違いありませんし、土地をめぐって碌なことが起らないと思うからです。自然というのは可能な限り弄り廻さないということが大切なのだと思っています。

さて、その霞ヶ浦なのですが、実は県北に育った私は、名前以外は殆ど知らないのが実情なのでした。県南に住むようになって6年目を迎えましたが、霞ヶ浦といえば、2~3度その湖畔にある道の駅:たまつくり(行方市玉造)で休憩したくらいで、湖畔を歩くなどということはついぞしたことがなかったのでした。それが、先日家内のフォークダンスの集まりが土浦市の霞ヶ浦湖畔であったものですから、お抱え運転手(?)として送迎を担当し、集いが終るまでの4時間ほど湖畔の散策を楽しんだのでした。その時のことをちょっぴり書いてみたいと思います。

   

土浦市霞ヶ浦総合公園から見た霞ヶ浦の景観。モニュメントの前方(東側)に湖が広がっている。この彼方に潮来市などの水郷地帯がある。予科練はずっと右手の湖岸にあった。

土浦市は霞ヶ浦の西端にある城県の主要都市です。土浦といえば有名なのは、レンコンの栽培でしょうか。あとは昔の予科練(=海軍飛行予科練習生)があった場所ということくらいで、これといった特徴のない、しかし水戸とは違った歴史を持った城下町です。地形的には殆ど平地ばかりと言って良いように思います。会場は丁度霞ヶ浦の湖畔にある総合運動公園の傍にありましたので、湖畔を歩くのには好都合でした。

歩きの目的地は土浦市に隣接する阿見町にある阿彌神社までとしました。往復12kmほどの行程です。何しろ初めての道なので、地図は頭の中に入れてきたものの、現地はかなり違っていますので、あとは勘を働かせるだけでした。もうすっかり冬の寒さが定着していて、湖面を渡ってくる風は顔に当たると、少し痛さを覚えるほどでした。岸辺近くにはたくさんの鴨などが飛来していて、中には白鳥が混ざっているエリアもありました。その数は20羽前後のようで、多くはないようです。

   

鴨たちに交じって、白鳥の一団も飛来していた。岸辺には水鳥がかなり多く来ており、姦しく騒いでいた。

湖畔の道を30分ほど歩くと、予科練に因んだ記念館の案内板などがあり、戦前まではこの辺に予科練があったのだと言うことが判りました。阿見町に入ってしばらく歩くと、「予科練平和記念館」というのが来年2月開館を記して工事が進められているのに出会いました。これはもう一度来なければいけないなと思いました。予科練については、名前以外は詳しいことは殆ど知らないと言うのが実情です。 「若い血潮の予科練の 七つ釦は桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ でかい希望の雲が湧く、……」と言う若鷲の歌(西条八十作詞 古関裕而作曲)はなんとなく知っていて、時々歌ったりするのですが、良く考えてみれば、あれはこの地の予科練を歌ったもので、今日はその現地跡を歩いているということになるわけです。

   

霞ヶ浦湖畔の予科練跡地に建設中の阿見町の「予科練平和記念館」の建物。来年2月開館の予定とかで、工事は急ピッチで進められているようだった。

この歌は思わず口走ってしまいますが、予科練と言うのは結果的には戦争の末期に大勢の悲惨な若者たちを作り出した場所であり、それを煽っていたのがこの歌だと考えると、少し複雑な気持ちになります。

湖畔近くには所々名物のハスの栽培田があり、氷の張ったその中に入って、身体の半分以上を泥の中に埋めて、レンコンの採取をしている人たちがいました。これは大変な作業だなと思いました。冬の風物詩として、見る人側からは良いかもしれませんが、作業をしている人には天国を夢見る地獄の作業に違いありません。

   

体半分を泥の水中に没してのレンコンの収穫作業風景。付近のレンコン畑には氷が張っていたから、この作業は相当に厳しいに違いない。

レンコン畑を通過してしばらく歩いてから、台地の方にある森が見えましたので、そこに向かっていって見ますと、そこが阿彌神社でした。神社仏閣を見つける私の勘はかなりのもので、見知らぬ土地に行ったときでも全体の地形と森の様子などを見れば、ある程度の見当がつくのです。以前良寛さんのお墓を訪ねた時も、地図無しで見出すことができたのでした。阿彌神社は初めてですが、戦前の県社ということだったそうですから、それなりの歴史がある所なのだと思います。今回はただの折り返し地点として選んだだけでしたので、その詳しい由緒などは調べませんでした。

帰りは違う道を1時間半ほど掛けて歩き、再び湖畔の道に出て出発点に戻ったのでした。初めての霞ヶ浦近郊の散策は、とても満足できるものでした。湖としてはかなり汚染度が酷くて残念ですが、これからは時々やって来て、この日本で第2番目に広い湖のことを知ることにしたいと思っています。

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今日から主夫

2009-12-23 01:52:21 | 宵宵妄話

また又主夫になる日がやってきました。今日から2週間がその期間です。今回は丁度新しい年を迎える時期が入っており、本来ならば大ごとなのでしょうが、もはや祭り気分で新年を迎える時期は遠の昔に過ぎ去って、昨日と同じように暮らすのが普通の年代となってしまいました。結婚していない倅が一人いて、これももう相当の歳ですから、お互いに正月気分などにはなれない者同士なのです。

主夫には自由と責任があります。責任を守り、果たし、自由を満喫するのがこの期間の私の役割だと思っています。この二つのことをちょっぴり考えてみました。

先ず責任の方ですが、子育てなどとは無縁の現状では、主夫として果たさなければならない責任には、①4S(整理・整頓・清潔・清掃)の実践②健康管理(快食・快眠・快便)③安全確保(防火・防犯)の3つがあると思っています。①の4Sというのは、現役時代の勤務先の掲げた常套句のようなものですが、これは家計においても基本となるようです。実のところ、私はこの4Sについてはあまり自信がありません。というのも、私の書斎に限って言えば、殆ど4項目とも無視の状況だからなのです。あまりに酷い状況を見かねて、時々留守の間に家内が掃除機を持って侵入してきて、ゴミなどを引っ浚(さら)って行くことがあるのですが、これは大迷惑で大声で怒鳴ったりしていました。今はその声は少し鎮まりましたが、あまり綺麗にされてしまうと、そこいら中に振り撒いておいた思考の材料が拭き取られてしまったような気がして、困惑するのです。埃の中にも自分の思いの一つが転がっているような気分でいますので、とにかくそっとしておいて欲しいのです。片付けるなどとはもっての外なのです。最近は家内の侵入もカーペットの埃を吸い取る程度となりましたので、あまりいさかいもなくなってきています。ま、時々はパソコンや机や本棚などの埃を拭うようなことはしていますが、ピカピカにきれいにしてしまったら、もう何もする気が起こらなくなってしまいますので、4Sというのは私の書斎の場合は最低レベルで保たれているといった状況なのです。

これが家の中全体ということになりますと、結構面倒です。4Sの中で一番積極的なのは、台所の使用済みの食器や鍋類などの洗い物です。これは家内の場合は溜め込んでから一挙に処理するというやり方ですが、私の場合は、使用後は溜めないで即洗うという主義ですので、普段家内のやり方に不満一杯だったのが自在に処理できますので、伸び伸びと開放感を味わいながら洗いに精出しています。整頓については、基本的に、なるべく物には触らないことにしています。やむなく使った時には速やかに元に戻すようにすることが肝心です。整理についても同じです。整理の必要が生じないように、余計なものには手出しをしないということです。清潔については、洗い物を除けば、恐らく家内から見れば失格でありましょう。というのも、私はバイ菌とは少しは仲良くしてもいいんじゃないかという気持ちがあり、完璧な無菌主義というのがどうも好きではないのです。新型インフェルエンザ対策としての外出から戻った時のうがいや手洗いなどは励行していますが、家の中にいるときにはやたらめったら綺麗にしまくるというのは、どうも落ち着きがなくなって苦手です。ですからこの清潔に関しては、やっぱりかなり低いレベルの実行度だと思います。それから清掃ですが、これもあまり好きではありません。掃除機の騒音が嫌いなのです。私の怒鳴り声よりも大きいのですから、けしからんと思っています。ダイソンの掃除機は良く吸い取るようですが、騒音は天下一品の感じがします。ですから最小限の使い方でごまかすことにしています。つまり、家内が戻ってくる少し前に、ゴミと埃を吸い取っておけばそれで良いというわけです。

主夫として一番大切なのは、家族の健康管理ではないかと思っており、これに対しては真面目に取り組んでいます。家族といっても倅と二人だけなのですが、快食・快眠・快便が成り立つように工夫することにしています。その基本は快食をどう作っていくかということです。快食というのは、美味い、うまいと腹一杯食べることではなく、本当に必要なものを気分良く美味しく食べることをいい、そのためには何をどう作って食べるかが重要です。つまり、毎日のメニューを考え、作ることなのですが、これには食材の選択から調理まで工夫が必要です。快食によって初めて快便や快眠が成り立つのだというのが私の信念であり、自らそれを実行するという意味において、主夫の仕事の中で最も重視している項目です。

これに関しては、基本的には野菜中心のメニューを新たに幾つか考えだそうと密かに思っています。野菜は自作の畑にほうれん草、ブロッコリー、小松菜、カブ、大根、コールラビなどが、早くしてくれと言わんばかりに採取を待っていますので、これらに若干他の食材を加えれば、新しいメニューの何かが生まれそうだと楽しみにしています。

次が防火、防犯ですが、先ずは防火について気をつける必要があります。幸い我が家では台所は全てIH調理なので、直接発火する危険性は低いと思いますが、使用中に離れたりする場合は、早く戻るのを忘れないようにすると共に、外出時には電源を切るのは当然です。時々煮物をしていてその場を離れて吹きこぼれなどの失敗を重ねていますので、自戒することに努めています。防犯については、一番気をつけなければならないのは、鍵の閉め忘れです。どうも加齢と共にこの基本動作がしっかり出来なくなってきているようで、途中から心配になって戻って確認するというようなことを度々繰り返しています。外出する時は、これからは玄関先に注意喚起のラベルなどを貼付しておく必要があるなあと思っているところです。

ずらずら書いてみると、大変なことのようにも見えますが、実際にやってみると大したことではありません。ま、本物の主婦とはかなり違うわけですから、気楽といえば気楽かも知れません。主夫の責任というのは、要するに抜けを作らずに、これらの事項を毎日100%確実に実行することにあるようです。今日、それを再確認した次第です。

自由については、何も言うことはありません。不断でもかなり自由であり、不自由を云々するなんて贅沢過ぎることなのですが、それでも監視人が不在となるということは、ちょっぴり嬉しさの方が勝ります。さて、今夜のメニューは何から行くか。先ずはそこから主夫の楽しさが始まります。やれやれ。どっこい。です。

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空と雲

2009-12-22 02:34:14 | 宵宵妄話

   

 冬の青空は深い。今日の青空はカメラの焦点など不要だった。

今日は空と雲の話で終わりです。疲れてきた時は、空と雲を見ることにしています。

西高東低の気圧配置が腰を据えるようになると、関東地方の守谷市辺りは毎日完璧ともいえる晴天が続きます。朝晩の冷え込みが一段と強くなって、身が引き締まる思いとなります。

このところ、少し疲れ気味です。身体ではなくブログの作成にです。少し無口になった方がいいのではないかと思うのです。旅に出かけない時は、ブログは休むべきかも知れません。この頃そのようなことを思案しています。

それで、空を仰ぎました。空には何もない青空がありました。その向うに雲が動いていました。群青色の空は、私の疲れなどいっぺんに吸い取ってしまいます。動く雲は、千変万化で、これは頼りない私自身の心の動きに似ています。

空と雲は、私自身が生きていることをそのまま映しているようで、ちょっぴり疲れがほぐれたようでした。

   

 今日の空の雲。どの雲を見ても、刻々と変化している。雲は心の世界を絶えず反映して生起している。

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締め切り日

2009-12-21 06:18:34 | 宵宵妄話

妙な話です。締め切り日についての人間の心の働きのことを思う出来事が身近にあるものですから、ちょっとそのことを。

私は今、高校3年卒業時のクラスの集まりの代行幹事という役をやっています。本来幹事などという役割は相応しくないということは、誰よりも自分自身が良く知っており、又そのような役を自ら買って出るなどということは、会社組織に属している時ですら名乗り出たこともないのですが、このクラス会の幹事はやむを得ないなと思って名乗り出た(?)のでした。その理由については、ここでは話さないことにします。

何しろ我が母校の仲間たちは斯界の著名人も多く、本来はそのうちの一人が幹事役を自任してくれていたのですが、それも叶わないほど多忙な仕事についてしまったので、現役引退近くでヒマになりそうだった自分が、こいつは一丁支援してやらねばなるまいと、妙な義侠心めいたものを奮い起こしたのでした。ですから引き受けたものの、一貫して代行しているという思いがあり、いつかは本来の幹事に全てをお返ししなければならないと思っているわけです。

しかしこの頃では、私が雑用を承っているのを重宝に思っている人も増えてきて、同情はしてくれるものの、そのままずっと担当して貰いたいと思っているような雰囲気です。私としては、旅に影響することもあり、何とか逃げ出したいとその機会を狙っているのですが、さて、……。

元に戻って締め切り日の話ですが、私たちの同窓のクラスでは、卒業時に受験期の真っ最中にも拘らず、卒業記念文集というものを作ったのでした。受験校の中ではそのようなことを考えるクラスは少なかったのだと思いますが、担任の先生の指導よろしきを得てガリ版刷りながら、クラス全員のそれぞれの往時の思いを綴った1冊が刊行されたのでした。それが最初で最後の記念文集と思っていたのですが、卒業して30年も経ったある時、全クラスメート宛にその復刻版が送られてきたのでした。その発信者は何と卒業時の担任の先生だったのです。

あとで分かったことですが、先生は我々のクラスに深い愛着を覚えておられ、卒業後も何人かの有志が集まって、先生を囲んで毎年新年会などを開催していたらしいのです。それらの集まりを通しての思いが、先生による復刻版の発行と送付に繋がったようでした。

このことがきっかけとなって、その後の毎年の新年会の集まりの出席者も増え、仲間の中からもう一度文集の続きを作ろうではないかという声が上がり、齢五十を過ぎてからのクラスメートによる文集の発行が実現したのでした。その後も続編を作ろうと、今までには第6号までが発行されています。その集まりの中心におられた先生も今は他界され、やや求心力を失った感じはしますが、今回は古稀を期してもう一度(最後の?)文集を作ろうかという話が今年の新年会の時にまとまったということなのです。

さてこの文集に関しても結局は代行幹事の私が担当せざるを得ず、ま、いうなれば貧乏籤を引いたということでしょうか。というのも、最初の決めにあたっては、作ろう、そうしよう、それはいいじゃないか、などとは言ってくれても、いざ原稿提出の段となりますと、皆名文を書こうとするあまりなのか、頭を空転させてなかなかペンもキーボードも手につかず、こちらの思い通りにはなってはくれないのです。

何とか文集を作れるほどの分の原稿を集めようと作戦を練りました。最初は新年会の報告を兼ねて、1月の下旬にクラスの全メンバーにお願いの文書を送りました。次に春になってから今度は葉書にて原稿の督促をしました。この時点で原稿が集まるとは思っていませんでしたが、それはまったく予想通りで、ただの1篇も届きませんでした。そして夏が過ぎ秋口になったとき、再度原稿提出依頼の葉書を出しました。この時点ではさすがに心を動かしてくれた友もいて、数編の原稿が寄せられました。しかし、このレベルの集まりでは到底発行には漕ぎつけられません。それで12月の初めに、もう一度新年会の開催案内に併せて原稿提出の記事を書いて出したのでした。私のしつこさも相当なものだと思います。我ながらそれを自覚するほどです。その結果、現在17編の原稿が寄せられました。実は今日(20日)がその締め切り日だったのですが、今日予想していなかった2編が寄せられたのには、内心驚くと共に、やっぱりこのクラスには良心的(?)な奴が多かったのだと妙に嬉しくなった次第です。

締め切り日というのは、例えばビジネスの場合は絶対的に厳守という原則があります。締め切りというのは納期ということですが、これは取引上の信頼形成の一つの柱となりうるものであり、これを守れない者は一流とはなりえません。我がクラスメートの大半は、それらのことは十二分に弁えているのは当たり前のことでしょう。

しかし、契約とは無関係の義務感程度の約束事においては、締め切り日という納期の考え方は、大幅に後退するようです。それは自分と相手の比較価値観によって、大きく影響を受けるようです。簡単に言えば、相手や目的などを軽視していれば納期など問題ではなく、約束事を反故にしても何の痛みを感じませんし、それどころか約束事などという受け止め方は最初から不在だったということになるわけです。ま、このような見方で文集の発行を見ている人は少ないとは思いますが、往復はがきの返信にメモ一つもないような場合は、そう疑ってもいいのではないかなと思うようになりました。

締め切り日をどう受け止め、どう扱うかということは、ギリギリの状態を見ていて、その人の人間性のようなものが現れて面白いなと思うこと大です。多くの場合は、締め切り日があるから仕事をするという人が多いようです。もしかしたら、日本人の多くは締め切り日(=納期)がなかったら、なかなか腰を上げないという性格なのかもしれません。締め切り日を実感することで、本気が湧いてくるというのは、解るような解らないような感じです。

因みに私の場合は、今日できることを明日に延ばさないというのが信念なので、よほど特別の事情がない限りは、納期を外すことはありません。但し筋の違うことについては、最初から無反応です。

人生の締め切り日らしきものが近づいているのを感じているこのごろですが、はて、締め切り日までに何をしなければならないのかが、実のところまだはっきりしていません。それは締め切り日が何時なのかをはっきり知らないからなのかもしれません。してみると、やっぱり私自身も多くの日本人と同じなのだということがわかります。

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那須の与一のことなど

2009-12-20 06:49:46 | くるま旅くらしの話

那須といえば、火山帯と温泉というのが直ぐに思い浮かぶイメージなのですが、実のところ那須の地を訪ねたのはそれほど昔ではなく、十年と少し前にくるま旅を始めて以降のことなのです。茨城県北部に育った身としては、隣の県の比較的近くにあるこのエリアをもっと早く訪れていても不思議ではないのですが、何しろ学業を終えて社会人となって東京に出るまでは、住んでいた常陸大宮市の南の方ばかり向いて暮らしていたものですから、北や西側の方は全くといっていいほど未知の世界だったのでした。

社会人となってからもなかなか故郷やその近郊を訪ねる機会はなく、現役を引退することになってからようやく自由にどこへでも行くようになり、現在はおかげさまで栃木県や福島県との県境意識が消滅しつつあるといった状況です。我々世代の人間には、結構縄張り意識の延長のようなものが、頭のどこかに残っており、市町村の境とか県の境などという、本来行政の切り口からだけ問題にすればいいだけのことを、どこかで気にするということがあるように思います。これは幕藩時代の小国家意識が、世代を超えて、まだ遺伝子の一つとして残っているからなのかも知れません。

幸いなことにくるま旅をするようになってからは、ようやく日本という国を見るという視点が育ってきて、人が生きる上においては、境界など言うものが殆ど意味を持たないということが実感できるようになってきたようです。ま、それでも故郷意識のようなものは捨てるわけには行かず、自分が足を据えて世の中を見る基盤としてそれは必要なのでありましょう。この頃はそのように考えることにしています。

さて、今回の小さな旅の後半は、那須一帯で過す(といってもたった1日ですが)時間が多かったものですから、ちょっぴりこのエリアのことについて探りを入れてみることにしました。那須には那須岳の裾野に広がる雄大な大自然があり、温泉も多くて、人物についてよりも自然環境の方がその名を有名にしていますが、実際に地元を訪ねますと、やはり那須与一という人物がこの地を全国に名を為さしめたとして一番敬愛されているようです。那須与一の郷という道の駅もありますし、与一さんにあやかろうとする観光やビジネスも結構多いように感じました。

ところで、私は那須与一という人物については、さっぱり知識がありません。知っていることといえば、源平の屋島における合戦において、源氏に属する武士として参戦し、平家の軍船の立てた扇の的を見事に射落としたという話だけでした。那須というのが下野国(栃木県)の那須なのだというのを知ったのもずっと後のことでしたし、往時の那須がどのような所だったのかということもさっぱりわかりませんでした。旅をするようになってから、小川町(現那珂川町)や湯津上村(現大田原市)の那須風土記の丘資料館などに立ち寄って、古代の那須国のありように関する資料などを拝観したりしたのですが、どうもそれらの資料は那須与一の時代よりもずっと昔のもののようで、その後の那須国がどのようになったのかについては、良く理解できておりません。したがって那須与一という人物がどのような方だったのかは、ネットの資料で覗くレベルだけでした。

馬骨的には、人の先祖や生い立ちをあれこれと詮索するのはあまり好きではないのですが、与一という命名の由来が、その昔においては「十あまる一」という意味だそうで、那須与一という方は11番目の子だったということが新知識でした。いろいろな出来事があって、与一さんが二代目の那須の当家を継ぐことになったということらしいですが、その真偽は不明のようで、残っている真実的なエピソードとして、小さい頃から弓を引くのが得意であり、その実力が屋島の合戦で華々しく開花したということらしいです。那須氏というのは、どちらかといえば平家寄りの一族だったらしく、10人もいる兄の中で源氏側についたのはたった一人だったとか。その兄も、後には平家側に走ったということですから、与一という方だけが源氏側で名を為したということのようです。いずれにしても那須の現地からは遠い所での合戦の話ですから、往時の那須の地では、もしかしたらそのような出来事はあまり知られていなくて、後の歴史が伝説を創作したのかも知れません。いずれにしましても、現代においては、そのような史実とは無関係に、大昔の有名人にあやかろうということが多いようです。

今回は与一温泉ホテルという、大田原市の郊外にある湯に入ってきました。ここの湯を訪ねたのは2度目でした。那須一帯にはたくさんの温泉がありますが、まだそのホンの一部しか入っていませんので、どれがどうなのか本当のところは判りませんが、経験的にはこの与一温泉ホテルの湯は最高の部に入ると思います。勿論源泉100%の掛け流しであり、湯は地下から湧出したそのままが使われています。内湯は檜風呂、露天には打たせ湯があり、広い湯船でゆったりとお湯の感触を楽しむことができます。PH9.2というアルカリ単純温泉ですが、実に柔らかい湯で、体の芯から疲れを癒してくれる感じがします。お勧めの温泉の一つです。(場所は、大田原市佐久山3123-2 TEL0287-28-3621)与一さんが活躍されている時代には、この温泉は勿論なかったのでしょうが、これ以上の温泉も見つかっていたのかも知れません。与一さんの名を借りた湯の宿ですが、与一さんもこの湯に入れば、自分の名を使うことを許してくれるのではないかと思いました。

   

与一温泉ホテルの玄関風景。この湯は昭和63年に湧出したようで、温泉の評価としては最高位の5つ星に位置づけられている。

那須にはまだ知らないことがたくさん眠っている感じがします。大自然のこと、古代からの歴史のこと、そして温泉。私の住いからは3時間ほどあれば届くことの出来るエリアですから、これから先は多いに近場の旅先として、訪ねさせて頂きたいと思っています。

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ごじゃっぺ汁野菜鍋

2009-12-19 01:03:20 | くるま旅くらしの話

今日は食べ物の話をすることにします。今回の旅の間の食事といえば、その中心はキノコをメインとした野菜鍋でした。勿論鍋物といえば夕食が中心であることは当然なのですが、その余りを朝でも食したりしていますので、キノコと野菜しか食べていないという感じです。ご飯に該当するのはうどんということでしょうか。鍋をつついた後にうどんを入れて食事は完了といった感じでした。

私の育った茨城県の北部では、でたらめとかいい加減とか言う意味の言葉に、「ごじゃっぺ」というのがあります。今頃では年寄りしか使っていないのかもしれませんが、その昔は、「そんな話、ごじゃっぺだっぺョ、誰がそんなこと信じるのョ、…」などという会話は普通に見受けられるものでした。熊本県の民謡のおてもやんの歌詞の中にも、「ぐじゃっぺだるけん、まあだ盃きゃせんだった」というのがありますが、この中の「ぐじゃっぺ」と同じ使い方なのかもしれません。とにかく子供の頃のその昔は、誰もが普通に使っていた言葉でした。そして私は意外とそのごじゃっぺが好きな人間でもありました。

今回の野菜鍋は、まさにそのごじゃっぺなのです。つまり、決まった調理法ではなく、何でもあり合わせの野菜を鍋の中に放り込んで食べ、最後に取りあえずうどんを入れて、それを食べて終わりにするという程度のものです。ちょっぴり今回のやり方を紹介したいと思います。

先ず食材としては、キノコ(なめこ、えのき茸、まいたけ、ブナシメジなど)を適当(1~2袋)に用意します。野菜類(ほうれん草、大根、小松菜、ネギなど~この他何でも可能)をこれも適当に用意します。この他に薬味として柚子などがあると上等です。今回は、キノコは地元で買い求め、野菜は我が家の菜園から持参したものでした。適当というのは、その日に食べる目検討で決めるということです。

作り方としては、先ず鍋に水を適当に入れ(1Lほど)それに酒と醤油を適当に入れます。しょっぱさ加減は、口に含んで納得できるレベルであればOK。火を入れてその中に先ずなめこと大根を銀杏切りにしたものを入れます。少し温まってきたら、他のキノコ類を入れます。キノコ類だけを食べたい時は、そのまましばらく温めて(沸騰させないように気をつけて~沸騰させると、キノコのダシが吹き飛んでしまいがちになる)頃合を見て掬って食べます。キノコの賞味が終ったら少し火を強くして好きな野菜を入れ、しんなりしたらそれを掬って食べれば良いというだけの話です。食べる時には薬味を入れた方がベターです。薬味はネギを刻んだものに柚子の皮を刻んで混ぜ合わせたものを使います。ポン酢などは不要だと思いますが、好みに合わせて使えば良いと思います。

味噌仕立ての場合は、キノコの他に最初からごぼうや人参、里芋などの根菜類を入れておくようにします。ケンチン汁風のキノコ汁となってしまいますが、そんなことは一切お構いなしで食べれば良いのです。要するに温まって、身体に良くて、その上に美味ければそれでいいのです。

野菜鍋料理というのは、料理というべきか疑問があるほど失敗の少ない食べ方だと思います。基本となる汁をしっかり作っておきさえすれば、後はその中に野菜を入れるだけですから、先ず失敗はありません。キノコでダシをとるというやり方では満足できない場合は、豚肉などをホンの少し入れれば、味のそっけなさをカバーすることができると思います。今回も家内はいつの間に仕入れたのか、持ってきた肉をホンの少し入れて、満足気な顔をしていました。

高齢化が進むと、体内に余分な脂分が蓄積し、コレステロールや中性脂肪などに悩まされることが多くなるのですが、これらを改善するためには薬などに頼るのではなく、先ずはベジタリアンを指向することが第一だと思っています。牛や馬の食生活に近づくことが大切なのだと思っていますが、牛馬と違うのは、人間の場合は、水分をより多く摂ることが求められていることだと思います。私の場合は、亡くなった父が水分を摂らなさ過ぎたため、腸の弱い部分が破裂してしまい、中の残留物が腹部内を浮遊するなどというとんでもない事故を惹き起こし、命取りとなったのでした。夜間にトイレに行くのが億劫なので、それを少なくしようと水分を摂るのを極端に控えたのかも知れません。そのようなことがあったものですから、これは父の無言の遺言だと思って、私は夜間のトイレなどはものともせずに、寝る前であっても水分を摂るのを怠らないようにしています。この点、野菜鍋は真に高齢者の夕食には最適な食べ方ではないかと思っています。

加齢と共に野菜の摂取が有効であるというのは、多くの人が理解している食事のあり方だと思いますが、具体的にどのような方法でそれを実行するかといえば、一般的には温野菜が良いなどと言われているものの、これを実行する人は少なく、ホンのちょっぴりの生野菜だとか漬物だとか、或いは味噌汁の具などで充足する程度で、それでまあいいやと考えている人が結構多いように思います。私としては、野菜鍋を毎日食べるように我が身に義務付けること、が一番手っ取り早い老人の食事法ではないか、などと考えています。

くるま旅の場合は、鍋料理というのは、手間隙がかからず、手軽に出来るという利点もあります。冬場や寒さが気になりだす季節では、身体が温まりますし、水分を多く摂取することも出来ます。キノコを使うのは、ノンカロリーであるといこともありますが、なめこなどは結構ダシの働きもしますので、重宝です。また、野菜ばかりで少し頼りなさを覚える時には、茹でうどんやそば、或いは半生のうどんなどを入れても、腹を満たすには十分です。

真にいい加減な食べ方でありますが、私はこれからは在宅時も旅での食事の中にも、ごじゃっぺ汁野菜鍋をふんだんに取り入れてゆく考えでいます。

ごじゃっぺな話でした。

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