山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

トンネルを抜ける

2020-03-30 05:06:51 | 宵宵妄話

 長いことブログから遠ざかっていた。2月から3月の2ヶ月は、自治会の仕事の追い込みというのか、締めくくりというのか、何かを追い駆けるというのか、はたまた追いかけられるというのか、何とも騒々しい気分で過ごす毎日だった。それまでの退屈に任せて2つも開いていたブログも、この1年間は辛うじて月1回程度の投稿をするだけの遠い存在となってしまっていた。

 それがようやく終わった。昨日最後の引き継ぎを終えて、一先ず自治会の仕事から解放されたのだ。ま、そのような気分なのだが、これは自分の一方的な思い込みに過ぎず、今までは多分自縄自縛の状態で自治会の仕事に取り組んでいたのだと思う。客観的にはそれがほどけただけの話で、どうってことないのだと思う。

 何よりも自縛感を持ち続けたのは、一切のくるま旅を封印したことにあるのだと思う。ライフワークと決めて、くるま旅の中から生きがいとなる宝物を探し続けて来たのに、それを中止したというのにはそれなりの覚悟があった。今まで、数十年間借家住いの転居の連続で、ただの一度も地域社会への貢献をしていなかった自分なのだが、この守谷という地に来て、初めて15年もの時間を住み着いてみて、ようやく地域というものを実感し始めていた。今までの借りを返すつもりで、本気になって自治会長の仕事に取り組んだのである。

 自治会というのには、種々多様なスタイルというのか、そこに住む人々の在り様によって運営や活動のあり方が変わって来るものだと思う。我が御所ケ丘2丁目自治会は、新興住宅地としての開発が始まって以来の歴史が浅く、自分などは15年ほどしか住んでいないのに早くも古株に近い存在となっている。自治会が自治会らしいルールをつくって発足したのは、自分がこの地に来たほんの少し前の頃だったようだ。その後急速に家が建ち、人口が増えて今日に至っている。住人の多くは地元での仕事を暮らしのベースにしているケースは少なく、都心寄りの仕事に関わる人が圧倒的に多いようだ。従って、地元意識は極めて希薄であり、自治会を地元の共生機関として捉える人は少ない。極端に言えば、自治会などあっても無くてもどうってことないけど、ごみ出しや市報などを得るには、まあとにかく入っていた方がいいか、といった具合に考えている人が多い。自分もまたその一人だったし、その気持ちは今でもあまり変わらない。1年間の変心(?)だったということなのである。

 会長というのは、椅子にふんぞり返って何も実務をせず、指図ばかりしているような存在ではない。全くその反対で、使い走りやご用聞きといった小間使い、小使いのような仕事なのだと理解して取り組んだ。傘寿近くになって、久しぶりに新入社員のような気分で取り組んだのだが、これは結構面白かった。何でこんなことをしなけりゃならんのかと思ったことは一度もない。役所への使い走りや細かい事務用品などの買い物、交番へのご用聞きや近隣企業への挨拶回りなど、今まで覗けなかった世界を垣間見ることが出来て、いろいろ勉強になった。町内のパトロールを150回ほどしてみて、ついでに近隣の町内も歩いてみて、まあ、隅々までと言って良いくらいこの町のこの地区がどんな所なのかが判った。旅の時もそうなのだが、その地を理解するためには、手当たり次第に歩いてみるのが一番なのだ。水戸黄門が有名になったのは、日本全国を手当たり次第に歩き回ったからなのだと思う。市長だの市役所のお偉方などは、街中の実態を実相を知るために、不断の巡回を欠かさずに行うことが大事だと思うのだが、この連中を街中で見かけることは皆無であり、一体どこで何をしているのかと思う。選挙の時だけ調子のいいことばかり言うだけで、街の本当の姿を見ていない人間に本物の行政が出来るとは思えない。守谷市は市長を初め役所の幹部を含めて、この街の優位性や欠点などをしっかり把握していない感じがする。たった36㎦の広さしかないまちなのに、地域性を重視したまちづくりなどという幻想を掲げて市民を煙に巻いている行政には、呆れるばかりである。もっともっと市中の至るところを歩いて観察し、大所高所からの視点を併せ持って、行政に取り組んで貰いたいとつくづく思う。つい愚痴になった。

 1年間、旅は封鎖したけど、考えてみればこの一年間は己の人生における旅先での一年間だったようにも思える。旅の本質というのは発見と気づきであり、それに触れた時の感動の味わいにあるのだと思っている。この一年間はその味わいがあったのだ。

 何はともあれ、今はトンネルを抜けた気分である。暗いトンネルではなかった。明るいトンネルを潜ってきた気分なのだ。そして、この先はさらに明るい旅の世界が待っているように思っている。この先、先ずは東北の春を訪ねたい。今、一番の夢は、新緑の奥入瀬の渓流の早朝の空間の中で、モーツアルトを聴きながら朝食を済ませ、渓流に沿ってキクザキイチゲやニリンソウなどの群れ咲く花の道を散策することである。たぶん、ここまでは新型コロナとやらも追いかけては来るまいと思っている。夢の実現は、5月の初め頃になると考えている。

コメント
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