山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

東北春旅:第30日

2007-05-29 02:08:20 | くるま旅くらしの話

今日は、今回の旅の最終日。天気はどうやら未だご機嫌斜めらしく、終夜続いた雨は、朝になっても止まない。睡眠をとり過ぎた嫌いがあり、少し早く出発することにした。ここ楢葉からは、200kmほどで帰り着く距離だ。

いわき市を過ぎ、勿来を通って茨城県境を越える頃には、雨は上がって時々太陽が覗くような天気となった。この分だと茨城県は雨の心配のない天気なのかも知れない。この県境あたりを通る時には、茨城県と福島県の天気の差を感ずることが多い。今まで晴れていた天気が雨になったり、その反対に雨の天気が持ち直したりして、県境の所為ではないとは思うけど、地形的に何か関係するものがあるのかも知れない。

茨城県に入って、大津港の魚屋を覗く。8時を過ぎたばかりだけど、既に店は開いていた。丁度カツオを捌き始めていたので、半身をゲットする。帰宅祝いに一杯やるときの肴にするのだ。今年の初鰹はほんの少しだったので、今日はその仇(?)をとるつもり。余ったらズケにして食べよう。カツオのズケもマグロに劣らずうめ~のである。

その後はひたすら南下。日立、水戸、石岡と来て、土浦からは、いつも通っているつくば経由で水海道に出て、守谷の我が家へ。少し渋滞の箇所もあって時間が掛かったが、12時半到着。旅は終りぬ、である。30日間で走った距離は計3,464km。一日平均約115kmとなった。

<所感>

旅を終え、久しぶりにブログの携帯投稿から開放されてホッとしています。携帯の使い方が下手なくせにマニュアルを見ようともせず、段落の収め方もままならず、おまけに変換ミスというか、想像もしていなかった文字などが平気で使われていたりしても、全て後の祭りで修正のしようも無く、全く恥じ入るばかりです。

携帯では、ちょっと気になったことを書こうとすると、どうしても2,000字を超えることになり、時間も2時間近くかかってしまいます。そんな馬鹿なことは止めればいいのですが、何しろ時間が余り過ぎて持て余していますので、老化防止には最適(?)かなと思っています。

家に戻り、久しぶりにブログのアクセス状況を見ましたら、思っていた以上に、この拙いブログ記録をご覧頂いている方が居られるのを知り、心強く、嬉しく思っています。思いつきの連続のような旅でも、毎日の新しい発見が、生きる力を確実に強めてくれるのを、少しでも多くの方にガイドできればと思っています。

家に戻ると、案の定、庭も畑も余計な草たちが横暴を極めていました。これからそれらを退治するのに、しばらくエネルギーを傾注することになりそうです。というわけで明日からしばらく、ブログは休憩させて頂きます。

 

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東北春旅: 第29日

2007-05-28 05:55:15 | くるま旅くらしの話
旅もいよいよ終わりが近づいた。朝、パークゴルフに行く伊東さんご夫妻を見送って、我々も南下開始。早朝、快晴だった空がいつの間にか黒雲に覆われだした。今日は、南下の途中多賀城と塩竈神社に寄る予定。1時間ほどで多賀城政庁跡に到着。此処はその昔の奈良時代、奥州を治める拠点があった所だ。いつも近くを通過ばかりしていて、訪ねるのは今日が初めてである。小高い丘の上に、遠く太平洋を見下ろすようにして、政庁の建物が造られていたらしい。かなりの規模の大きさだった。丘の下の防塁だったという土手の上に、芭蕉が古を想い涙したという、かの有名な多賀城碑があった。しばらく付近を散策の後車に戻り、次の訪問先の塩竈神社へ。この頃から空模様が急変し、神社に着いた時は、雨が降り出した。傘をさしながらの参拝となった。奥州一宮のこの神社は、さすがの貫禄というか雰囲気を備えていた。今日は土曜休日とあってか、参拝者も多かった。本殿脇の別殿前に、献魚台というのがあり、何だろうと訝しく思ったが、直ぐ下の方に塩竈の湊が見えるのに気がつき
、なんとなく納得。海に係わる人たちの鎮守を担っているに違いないと思った。参拝を終えて、後はひたすら南下するだけである。仙台郊外を抜け、岩沼からは海側のR6号線を選択する。今日は福島県浜通りの楢葉の道の駅に泊まり、明日帰宅することに決める。途中、相馬の道の駅にも寄り昼寝などしながら、旅の終わりを楽しむ。楢葉の道の駅の夜は、ずーっと雨だった。今日の走行距離178km。もう、どんど晴れなくても結構。
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東北春旅: 第28日

2007-05-27 06:36:39 | くるま旅くらしの話
今日は、いよいよ本格的南下の開始日。でもまだ迷いがあり、1日くらい帰宅を遅らせてもいいな、と思ったりしている。朝食の後、歩いて厳美渓散策へ。今日は昨夜までの雨が嘘のような快晴である。近くを何度も通っているのに、厳美渓を観るのは初めてである。行ってみると昨日の雨で川の水は濁っていたが、奇岩の中を急流が白く砕け奔っていた。此処は仙台藩の領地だったらしく、政宗公が植えたというエドヒガンの老木が、渓流の両側の土手に何本か健在だった。1時間ほどかけて、散策を楽しんだ後、車に戻る。その後は、昨日下見に行った本寺地区へ向かう。本寺地区は国指定重要文化景観になり、中尊寺等と併せて、世界遺産登録を目指している。昨日は雨降りでよく判らなかったが今日は良い天気で、その重要文化景観を見るには最高の日和だった。小高い両側の山に挟まれて、真ん中を流れる本寺川に沿って、幾つもの田んぼが広がり、その向こう側に、イグネに守られた大きな屋根の家が点在している。この風景は、その昔の荘園時代の絵地図に描かれたそれとあまり変わ
っていないという。変わることばかりに価値を見いだしているような今の世の中だけど、この様な景観を見ていると、変わらないことにも大いなる価値があるのだということに気づかされた。どの家もイグネに守られ、何だかたくさんの神社が点在しているような錯覚にもとらわれた。その景観を十分目にした後、いよいよ南下開始。約2時間ほどノンストップで走って、道の駅:三本木へ。此処で昼食休憩。昨日のメールでは、旅の友、伊東さんが、今日此処でパークゴルフをすると聞いている。先着されているかな、と思って探してみたが、見当たらなかった。2時間ほど休憩し、出発前に相棒が電話したら、こちらに向かっているどのこと。それならば折角だから、会ってからにしようと、待つことにした。さあ、それからは約1ケ月ぶりに会って、話が弾み、とうとう此処に泊まることになった。酒を酌み交わしながら、話は尽きることなく、12時近くまでの歓談となった。この様な予定変更は、最高の喜びである。伊東さんご夫妻、ありがとうございました。今日の走行距離96
km。明日も、どんどはれ。
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東北春旅: 第27日

2007-05-26 05:21:38 | くるま旅くらしの話
今回の旅も残り少なくなったが、又天気が崩れ出したようだ。出発の準備をしていると、雨が降り出した。今日は、久しぶりに平泉の中尊寺、毛越寺などを訪ねた後、一関市の厳美渓の観光、それに郊外の本寺地区の史跡などを訪ねた後、道の駅:厳美渓に泊まる予定でいる。雨はたちまち本降りとなった。旧水沢市の郊外を走っていると、「黒石寺」「正法寺」という案内板が目に入った。何故か解らぬままに、手元の地図に黒石寺にマークがしてあったのを思い出し、急遽其処へ行ってみることにした。相棒に聞いても、黒石寺のことは覚えがないという。こんな時は行ってみるに限る。謎解きみたいで少しワクワクした。黒石寺は行ってみると、お寺よりもそこで行われる蘇民祭という信仰行事で有名な所だというのがわかった。蘇民将来のことは、相棒の方が詳しい。以前TVなどを見ていて、地図にマークをしたのかも知れない。これが謎解きの結論だった。ついでに少し先にある正法寺へも行ってみることにした。こちらのお寺には驚いた。初めての訪問だったが、なんと日本
一という萱葺き屋根の本堂と庫裏が壮大・どっしりと構えていた。知らなかったがこのお寺は、永平寺、総持寺に次ぐ曹洞宗三本山の一つであり、その昔は東北エリア布教の拠点であったとか。5年の歳月をかけ、平成の大修理を昨年終えた本堂は、圧倒される広さと威厳に満ちていた。現役の修行僧もかなりおられるようだった。此処へ来ることになったのは、これは仏のお導きかも知れないな、と思った。予定外の全くの気まぐれから、この様な感動を拾うことが出来て、旅は止められない。正法寺の参詣・見学を終えた後は、最寄りの道の駅:水沢で昼食休憩。その後、雨の中を平泉へ向かう。走っているうちにだんだん中尊寺を訪ねるのが億劫になりだし、パスしてしまった。毛越寺の庭だけでも見ようかと寄ってみたが、予想以上の人混みで嫌気がさし、こちらの方もパスする。とにかくひどい雨降りだ。厳美渓は明日にして、先日岩手県立博物館で知った一関市郊外の本寺地区へ下見に行くことにした。本寺地区は、中世の荘園だった所で、それが最近確認された往時の絵地図と比
較できるほどの景観が今も残っているとかで、何やら県か国かの指定を受けたとのことであった。本寺村は、その昔は「骨(ほね)寺村」と呼ばれていたとのこと。何やらミステリイアスな雰囲気を覚える名称である。道の駅:厳美渓から10分ほどの所だった。行ってみると、世界遺産登録を喧伝する幟などが幾つも立てられ、雨の中に翻っていた。案内板もあり、今日は深入りせず明日に楽しみを期することにして、道の駅に戻る。駅の隣に市の博物館があり、まだ時間があるので入ってみた。骨寺村のこともちょっぴりわかった。それよりも此処出身の偉人が多いのに驚いた。辞書「言海」の大槻文彦が、大槻玄沢の孫の一人であり、この一族の方々の近世における絶大なる貢献に感動した。いい勉強になった。雨は依然降り続いている。長い夜となりそうだ。全く、どんどはれ!である。今日の走行は122km。
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東北春旅: 第26日

2007-05-25 05:57:40 | くるま旅くらしの話
今日は、宮沢賢治の記念館に行きのんびり過ごすつもりでいる。その前に東和に「さき織り伝承館」があるというので、行ってみることにした。15分ほどで到着。無人の、さき織り用の機織り機が10台ばかり並べられた、体験学習施設のようだった。相棒は、さき織りを自分でもやっており、中に入りたいようだったが、誰もいないので、どうしょうもない。普段あまり使われているようには思えなかった。行政の人気取りの思い付きの名残のような気がした。日本には、この種の建物が溢れるほどある。ハードばかりで、ソフトの貧しさ限りなしの感じがする。ややムカつき出した心を抑えながら宮沢賢治記念館へ。広大な敷地の中に、記念館、イーハ・トーブ館、童話村などが点在している花巻市の一大テーマパークだ。花巻市には、至る所に宮沢賢治の幻想の世界を現実化しようとする努力の後が見られるが、その核となるのがこの施設だと思う。宮沢賢治は天才だと思う。啄木と比べるのはナンセンスだけど、はるかに天才だと思わずにはいられない。ただの童話などの作家で
はない。何よりも科学者であり、地学や岩石は専門家だ。農学はもとより音楽にも通じ、更には熱心な日蓮宗の信者でもあったという。童話村の林の中にしつらえられたベンチに座って、彼の作品のナレーションを聴いていると、様々な思いが駆け巡った。この方が、あと50年長く生きておられたら、想像もつかない素晴らしい、ピュアな精神の文学作品を見ることが出来たに違いない。いろいろな思いを巡らせながら、その後5時間ほど夢幻的時間を過ごした。書きたいことはたくさんあるけど、携帯ブログでは無理。その後北上川のイギリス海岸というのへ行ってみたが、海岸は、雪溶け水が溢れ奔流する川底に沈んでいた。渇水期でないと見ることができないことを知った。今夜は石鳥谷の道の駅にお世話になることにして、その前に花巻温泉の日帰り入浴へ。350円のいい湯だった。石鳥谷は南部杜氏の里でもある。敬意を表して、生酒を一本相棒におごらせる。超美味だった。今日の走行はたった56km。どんどはれ。
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東北春旅: 第25日

2007-05-24 07:49:27 | くるま旅くらしの話
今日は、遠野を散策する一日にしょうと思っている。山田の道の駅を出発し、釜石から遠野に向かう。R283は、仙人峠を越える新しい道が出来たのを知らず、旧道を走る。車には負担をかけたが、途中の新緑の景観は素晴らしかった。遠野では、鍋倉城跡、南部神社、博物館、昔話村、歴史資料館などを訪ねる。遠野を訪れるのは、今回で5度目くらいになるが、今回は八戸との関わりも知ったので、今までとは違った目でこの街を見ることが出来た。特に南部神社や鍋倉城跡などが印象に残った。遠野は、十戸(とおのへ)であり、へのへのの旅は終わっていなかったのだ。そのような思いを巡らしながら街中を散策した。遠野は、今ではすっかり民話の里が定着している。民話には、勧善懲悪をベースにこの世もあの世も、人間も動物もみんな一緒にしての、奇想天外なストーリーで溢れている。民衆の素朴な心の葛藤や夢のありさまが語られている。今回の旅では500話くらいは集められたと思う。帰ってからが大変だ。遠野の道の駅で遅い昼食の後、思い立って、早
池峰神社に参拝することにした。遠いと思っていたのだが、40分ほどで行けるという。行ってみた早池峰神社は、想像以上に貫禄のある古びた茅葺きの建物だった。来た甲斐があったと思った。参拝の後は、今日の泊まり地としている東和町(今は花巻市?)の道の駅へ。此処には温泉も併設されている。3日ぶりに風呂に入り、疲れを癒やす。今日の走行距離は157km。どんどはれ。
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東北春旅: 第24日

2007-05-23 05:20:09 | くるま旅くらしの話
今日から「へのへのの旅」からは解放されることにするつもりだが、その締め括りに、盛岡郊外の岩手県立博物館を訪ねることにしている。快晴で、岩手山が眼前に聳えている壮大な景観だ。道の駅:西根は、素晴らしいロケーションにあるが、夜間の交通量が多く、少し騒音に悩まされた。いつものように出発の準備をして、盛岡方面へ。40分ほどで到着。予想以上の立派な施設だった。岩手山を借景に、鈍い赤レンガの大きな建物が構えていた。敷地内には、南部曲がり家、直家などの古民家が移築されていた他、植物園や岩石の実物標本なども展示されていた。館の内外を4時間近くかけて見学した。満足する締め括りができたと思う。へのへのの旅の下見は、下見を超えた収穫があったように思う。見学を終えた後は、何処へ行くか迷ったが、明日遠野を訪ねることにして、今日は宮古の淨土ヶ浜を見物することにした。R106号で、区界高原の峠を越え、早池峰山の北の裾野を走り下り、淨土ヶ浜の駐車場に着いた時は、3時半を過ぎていた。素晴らしい景観だ。久しぶ
りの観光だが、此処にはもっと早く来るべきだったと反省した。リアス式海岸を代表する名所だなと思った。1時間ほどかけ、浜辺に作られた遊歩道を散策した。いい時間だった。観光を終えた後は、近くに新しく出来たらしい道の駅に行ってみた。魚市場に隣接したロケーションで、直ぐ傍が海。これでは泊まりは無理。何しろ、このような場所に泊まると、相棒は一晩中高波に襲われる夢を見て、とても眠れるものではない、というのだ。それで、20kmほど離れた所にある道の駅:山田に行くことにする。今日はここまで。どんどはれ。本日の走行距離は238km。
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東北春旅: 第23日

2007-05-22 05:10:48 | くるま旅くらしの話
久しぶりの快晴だ。昨夜は満天に星が輝いていた、と相棒が何度も繰り返して話していたが、当方は爆睡にて知らず。朝も快晴で、折爪岳がよく見える。出発前、相棒が道の駅の掃除をされている地元のおば(あ)さん二人を連れて来た。キャンピングカーの中が見みたいとのこと。このような時は、喜んで中に入って頂くことにしている。10分ほど何やら話していた。おばさんたちから、お礼にと、ほうれん草を頂戴したとか。ラッキー。いい気分で出発。先ずは二戸の呑香(とんこう)稲荷神社へ向かう。途中先日見た枝垂れ栗に寄ってみたが、緑が大きく膨らんでいた。呑香稲荷神社は、昨日得た知識では、二戸の偉人輩出の源となった所である。鳥居の側に幕末の人材を育てた会輔社の学舎が保存されていた。階段を上がり本殿に参拝する。境内には大作神社や稲荷文庫の藏などがあった。しばし、往時に思いを馳せた。車に戻り、次は淨法寺町にある天台寺へ向かう。このお寺は瀬戸内寂聴師が定期的な説法をされているお寺として有名だ。途中の田園風景は
、萌え立つ新緑の山に囲まれた田んぼでは、田植えの真っ最中で、忙しくく働く農家の人々が見えた。その留守宅の庭には、どの家の庭にも、ツツジなどの花が咲き乱れて美しい。いかにも東北らしい景観だなぁと思った。天台寺は初めて訪ねたが、歴史を感じさせられる名刹だった。長い階段をゆったりと登り、400mほど行くと山門があった。その先の階段の向こうに本堂があり、古刹の佇まいを見せていた。本堂の中には、古い剥き出しのままの木造の釈迦像と思しきものが、中央に安置されていた。その前に座り、久しぶりに般若心経を唱える。このお経だけは、かろうじて全文読み書きができる。心が洗われる感じだった。その後は、藏に収められた仏像や舞樂面などを拝観した後、杉などに囲まれた境内をゆったりと散策する。寂聴師が此処を説法の場所に何故選ばれたかはわからないけど、此処へ説法を聴きに来られた人は、心が満たされるに違いないと思った。山を下りた後は、一戸のスーパーの駐車場へ行き昼食。さて、この後どうするか。本当は盛岡の博物館に行きたいの
たが、月曜日は全国のこの種の施設は休みなのだ。とにかく給油することにして、盛岡方面に向け出発。途中一戸郊外の根反(ねそり)という所にある大珪化木を見に寄る。石とも木とも思えぬものが鎮座していた。元の道に戻り、盛岡手前の給油所で給油して貰っている間に考えが変わり、今夜は先日寄った、西根の道の駅にすることにした。その後は、ほぼいつもの通り。今日の走行距離は133km。どんどはれ。
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東北春旅: 第22日

2007-05-21 03:00:23 | くるま旅くらしの話
まだ小雨が降っている中、出発の準備をする。今日はお世話になったこの道の駅とおさらばし、南下開始予定。9時少し前出発。先ずは七戸の道の駅へ。此処で野菜類などを買って、八戸へ向かう。今日は市内を少し歩いてみたい。途中六戸町のメイプルふれあいセンターという所で、地元の産物をゲット。巨大な長芋がたった130円なのには参った。つい買ってしまった。八戸では、城跡や市内メイン通りなどを散策する。せんべい汁のせんべいを作っている店を探したが、見つからなかった。中心街は次第に昔になりつつあるような印象を受けた。その後は、先日見れなかった、二戸の歴史民俗資料館を訪ねることにして出発。閉館かと思っていたのだけど、今日はちゃんと開いていた。失礼。此処では、館員のi散策に、たいへんお世話になり、恐縮した。昨日の青森県の郷土館には無かった、南部と津軽の軋轢の歴史を象徴する、相馬大作事件の、その相馬大作の出身地が此処二戸と知り驚いた。資料館のかなりのスペースに彼の遺品などが展示されており、感動した。特に「志
不昧萬死」という書には、当時代を生きる人の信念と情熱、エネルギーを感じた。単なる恨みつらみの話ではなく、相馬大作という人の時代を見抜く確かな考えがあったのだと確信した。iさんの説明から、この地では郷土出身の偉人をとても敬い、大切にしようとされているのがわかった。郷土館とは、まさにそうあるべきだろうと合点した。やたらに少し古い民具などばかりを並べるだけの資料館などが多いが、その町や村に関わる人物無しでは、歴史は理解出来ないのではないかと思う。iさんからたくさんの資料を頂戴し、何か宿題を貰ったような気がした。その他のことでも、二戸がかなり近づいたような気がして、いい時間だった。その後は、もう一度九戸村の道の駅:折爪に行き、此処に泊まることにする。珍しく相棒が張り切って、山菜の天ぷらを揚げてくれた。うみゃ~、と言いながら、毎度変則的な夜を迎える。今日の走行距離は123km。どんどはれ。
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東北春旅: 第21日

2007-05-20 05:53:31 | くるま旅くらしの話
一晩中降り続いた雨は、朝になっても止むどころか、益々その勢いを増している。これでは歩いての探訪は無理なので、今日はこの地方のおさらいとして、少し遠いけど、青森まで行き、県立郷土館を訪ねることにする。出発前の点検で、後ろに積んでいたゴミ箱のフタが強風で吹き飛ばされてなくなっているのに気がつく。付近を探したが、見当たらなかった。残念。雨の中、11時過ぎ郷土館に到着。駐車場もあり、立派な建物だった。中に入り、それから後は2時間半ほどかけて見学する。資料が多く、じっくり見たら1日かけても無理。幕末あたりを中心に見て回った。プリントなどの資料も用意されており、行き届いた運営はありがたい。今回の旅では、先ず最初に此処へ来るべきだったと反省。同時に、岩手県についても同じ施設を訪ねるべきだと思った。盛岡にも寄らなければなるまい。郷土館の後、傘をさして歩いて青森駅まで往復。目当ては、駅前の市場の魚。5年ぶりになるのかも知れない。行ってみると、昔の雑然とした市場はどこにも見当たらず、立派なビルが建って
いた。案内では、そのビルの地下に市場があるらしい。行ってみると、あった、あった。昔と同じような店揃えが広がっていた。しかし、何だか綺麗過ぎてホッとするものが足りないように感じた。地下を出て、少しアーケード街を歩く。しばらく来ない間に街は随分と変わるものだな、と改めてその変化のスピードに恐ろしさを感じた。雨の中を駐車場に戻り、帰路に就く。今日も小川原湖の道の駅に泊まることにしている。途中、久しぶりに浅虫温泉の道の駅に寄ってみたが、こちらの方は、青森駅前と比べ、さっぱり変わっていなかった。もう少し変わってもいいのではないか、とちょっぴり思った。小川原湖の道の駅に戻り、今日は水明温泉へ。今回3度目の入浴だ。雨の中、勝手に決めている所定場所に車を停めて、夕食の準備などに取り掛かる。明日こそ、どんどはれ、になれ! 今日の走行距離は139km。
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