山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第22日)<最終回>

2009-01-27 06:26:40 | くるま旅くらしの話

第22日 <10月23日()

道の駅:川場田園プラザ→(県道・R120R17R50)→道の駅:みかも(栃木県藤岡町)→(R50R294)→道の駅:下妻(茨城県下妻市)→(R294)→自宅 <173km

今日天気が良ければ、久しぶりに金精道路を通って、日光の紅葉を見ながら帰宅しようと考えていたのだったが、朝起きてみると、遠くの山には霧がかかっていて、何も見えない状況である。これじゃあ、日光の方は行ってみても何も見えないに違いないと判断して、無理をせず前橋からR50で筑西まで行き、R294で我が家を目指すことにする。とにかく予定コースを安全運転で旅を締めくくるだけである。

前橋から伊勢崎、桐生、足利を通過し、佐野にある道の駅:みかもで昼食休憩する頃には、雨はすっかり上がって薄日が射し始めていた。今回の旅の最後の昼食は、拓製のうどんだった。もうこれで後は我が家に着くだけである。その後筑西からR294に入り、途中下妻の道の駅にちょっと立ち寄り、名産()の豚肉を買い、我が家に到着したのは、14時少し前だった。走行距離の合計は、3,695kmとなっていた。

<旅から戻って>

旅から戻って、今この締めくくりを書いているのは、12月1日である。既に1ヵ月半近くの時間が経過している。旅から戻ってしばらくの間は、何もしたくないというのが、自分のいつもの気分なのでこれはどうしようもない。たいていのことにはせっかちで、家族の皆からは呆れかえられているのだが、この記録の作業だけは、気分が乗らない限り、手をつけられないのはどうしようもない。このごろは、そのどうしようもないが、少しずつ増えているようだ。

さて、今回は急に思い立って、八十八ヶ所巡りを中心とする旅を試みたのだった。30数年前となる1974年から5年間、高松に住んでいた。それ以降何度か四国を訪ねるチャンスがあったのだが、万遍なくというわけにはゆかず、横断したり、縦断したりの旅だった。万遍なく訪ねるためには、八十八ヶ所のお寺を訪ねるのが一番良い。それにもうそろそろ、いろいろな意味でお寺さんに関わりを持たなければならない年齢にもなっている。願い事や祈りごとというのはあまり好きではないが、日本人であればいずれはお寺さんに何らかの形でお世話になることは必定なのだから、とにかくもう一度、改めて般若心経の世界を訪ねるつもりでお寺を廻ってみようということにしたのだった。

結果として良い体験だったと思う。30数年前の分散巡礼と15年前の自転車による巡礼の時とは違った、お寺に対する印象を強く持つことが出来たような気がする。簡単に言うと、お寺というものが、ぐっと重みを増して自分に近づいたという感じがする。多くのお寺は大自然との融合の世界に鎮座していた。都市部のお寺の中には、それを捨てざるをえなかったような所もあったけど、本来のお寺は、自然との融合の中にあり、それが人間の本物のふるさとであるように思えるのである。

今、自分自身もふるさとを失いかけている気がしている。父母の眠る世界は、とらわれの無い大自然の中にあるに違いないし、お寺というのは、その中の厳(おごそ)かな寄り合い所であるような気もするのである。わが国に点在するたくさんのお寺の全てが、人間の魂の寄り合い所のように思えるのである。八十八ヶ所のどのお寺にも父母は居たし、高野山にも居たように思う。

般若心経の世界は、さ迷いの世界でもあったけど、色即是空、空即是色のことばの中に、亡き父母が微笑みながら首肯している顔を見たような気がして、人間を苦悩から解放しようとされる仏の力の大きさを垣間見たような思いのする旅でもあった。(12.1.2008 拓記

 

ブログの改訂のお知らせ

日で八十八ヶ所巡りの旅関係の連載を終わります。連載ものを始めると、それに囚われてしまい、新たな情報をなかなか追加できなくなり、我ながらうんざりすることがあります。今後は、タイミングを十分考えた上で発表するようにしたいと思っています。

さて、私のブログも来る2月1日で3年目を迎えることになりました。それで、これを機に少し内容などを替えてみようと思っています。その検討のため、明日から今月一杯休むことにしますので、悪しからずご了承下さい。2月1日から再開します。 

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第21日)

2009-01-26 04:43:37 | くるま旅くらしの話

第21日 <10月22日()

道の駅:みまき→(県道・R18)→軽井沢町:私営駐車場→(軽井沢散策)→(R18・県道)→伊香保温泉:塚越屋七兵衛旅館(温泉) (群馬県渋川市)→地球屋(榛東町)→(県道・R17R120・県道) →道の駅:川場田園プラザ(群馬県川場村)(泊) <150km

朝起きて近くを散策してみると、道の駅の駐車場は山寄りで狭く、道路の向かい側に温泉施設があり、それに加えて何か福祉施設のようなものがあり、こちらの方は、道の駅の何倍もの広さの駐車場が備わっていた。奥まった所を走る県道なのだが、夜間はともかく朝夕は結構車が多くて、予想外だった。給水施設もあり、泊まるのには条件の良い所だなと思った。

昨日の夜、邦子どのとの話で、今日は伊香保の温泉に入り、その後どこか近くの道の駅に泊まり、明日には帰宅しようということにする。先ずはその前に久しぶりに軽井沢の町を歩いてみることにして出発。昨日来た道を小諸まで戻って、小諸からR18に入って軽井沢方面へ。軽井沢はこのところしばらくお邪魔していない。町の手前で旧道の方へ左折して、しばらく走って軽井沢の町の中へ。軽井沢の町は森の中にある別荘社会が基盤である。紅葉が始まっており、森の中の住まいは静かに秋に浸っている感じがする。中心街はビルなどは殆ど無いけど、それでも観光客も多くて独特の都会化された雰囲気がある。それがこの町の表面的な売りになっている。

中心街近くの駐車場が空いていたので、車を入れようとすると、キャンピングカーはダメだと断られた。観光バスと普通車が何台か停まっていた。どういうことかと疑問を感じていると、少し先のもう一つの駐車場を指して、あそこなら大丈夫だという。仕方なくそこへ行ったら、この車は普通料金ではなく倍の千円貰わないと、などと言っている。それなら止めにしようとすると、仕方なさそうに、じゃあ普通料金でいいから、奥の方に停めろという話だった。よほど止めようかと思ったが、ま、とにかく我慢して料金を払い、車を所定の場所に入れたのだった。足元を見られたようでどうもスッキリしなかった。

久しぶりの軽井沢の商店街をその後1時間ほど散策したのだが、全体印象としては俗世間化が進んだなと思った。

   

軽井沢の商店街。ボンネットバスが走って来たが、人影はまばらで、大した感興も湧かない。

昔の軽井沢の香りはどこかに消し飛んで、観光客相手の売らんかな主義が随所に現れている気がした。一番ガッカリしたのは、公衆トイレのお粗末さだった。およそ清潔なイメージとはかけ離れたもので、それは今の軽井沢の町の恥部を表象している感じがした。また、町営駐車場も狭くて、我々の車などとは無縁の存在だった。表の商店街も時折やってくる観光客が、只ひやかしで通過するだけで、街の雰囲気をじっくり楽しもうとしている風には思えなかった。商店街の一番奥まった場所にあるカエデや山もみじの鮮やかな紅葉だけが昔のままの軽井沢の秋を語っているような気がした。その昔の雰囲気や特徴をすり減らした町には、大した魅力も無く、もう再びここに来ることは無いだろうと思いながら車に戻った。

   

商店街のどん詰まりの所にもみじとカエデの大木があった。樹木の紅黄葉だけは、俗化もせず心を偽らない。

軽く昼食を済ませた後、伊香保に向う。碓井バイパス経由で山を降り、高崎市郊外から県道に入って伊香保を目指す。今日の温泉は、温泉手形に載っているその名も「塚越屋七兵衛」という名の老舗旅館の風呂である。高崎から伊香保に向うのに真っ直ぐ行ける道がなく、県道を何回か走り継いでようやく目指す旅館を探し当てた。本道から急な坂を下った場所に旅館はあった。早速入浴の準備をして受付に向う。

歴史と老舗の伝統を感じさせる立派な旅館で、我々のような旅の者が本当に無料でOKなのだろうかと、少し心配だったが、それは全くの杞憂だった。親切にご案内頂いて、その後は、名湯を独り占めだった。茶色のお湯と、外には澄んだ色のヒノキの桶の風呂があり、それらを存分に楽しんだ。入浴が終わって上がろうとする時に、一人入られる方がやって来たのだが、その方の話では、ここの風呂が伊香保では最も伊香保らしい優れたお湯なのだという話だった。入浴を終えての帰りがけ、旅館の番頭さんらしき人のお話では、伊香保には源泉を持つ旅館やホテルは現在7ヶ所あり、ここはその一つだと言うことだった。身体も良く温まり、最高の温泉に入れたことを嬉しく、ありがたく思った。機会を作って、今度は泊りがけでお湯を楽しみたいなと思った。

温泉旅館を出て、とにかく渋川の方へ行って、道の駅:こもちにでも泊まろうかと考えたのだったが、邦子どのがその前に近くに地球屋という和風アンティーク商品を扱う店があるので、ちょっとそこへ寄りたいと言う。初めて聞く名前なのだが、その業界の中では結構有名な店らしい。坂を下る途中の道を2kmほど走るとその店があった。どんな所かとちょっと覗いてみたら、日本の古来の様々な生活用品が並べられていた。その中で邦子どのの最大の関心はどうやら裂き織り用の布地のようだった。店の中は、明治・大正・昭和の戦前の古さの中に江戸時代も少し混ざった感じの雰囲気があった。この分では腰を落ち着かせたら、ここに泊まりになってしまう可能性があるので、今日は軽くい下見をする程度で止めて貰い、追って存分に見る機会を作りましょうということにして、20分ほどで切り上げて貰った。

その後は、子持の道の駅より少し奥に入るけど、未だ行ったことがない、川場田園プラザという道の駅へ行ってみることにした。川場村は、沼田市に隣接する田園地帯である。南北を山に囲まれているけど、思ったよりも広い田んぼや畑が広がっており、道の駅も村の中心施設なのか、農産物の加工場などもあって、地場の野菜などの売り場も備わった立派なものだった。道の駅の経営は第3セクター方式で委託されているらしく、随所に株式会社川場田園プラザの名が書かれていた。

広い駐車場の隅の方に車を停め、今夜はここにお世話になることにして、夕食の準備をする。旅も明日で終わりである。八十八ヶ所巡りが済んで、早や1週間以上が経っている。時間の過ぎるのは早い。その夜は夜半から時々雨が天井を叩いていて、どうやら天気はあまり機嫌が良くないらしかった。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第20日)

2009-01-25 01:47:00 | くるま旅くらしの話

第20日 <10月21日()

道の駅:アルプ飛騨古川→(R41)→高山市営駐車場→(市内散策) →(R158)→道の駅:風穴の里(長野県松本市)→(R158・県道) →道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里(長野県安曇野市)→(県道・R254R152R18・県道)→小諸市:国民年金保健センター→ 道の駅:みまき(長野県東御市)(泊) <177km

7時ごろ起床。気温は15℃前後くらいだろうか。それほど寒さは感じない。四囲を山に囲まれた場所である。少し高い山には霧が絡みついて、上の方はまったく見えない。朝食の後、かすかに映るTVの朝ドラを見た後は、久しぶりに高山の朝市などを覗くことにして出発。古川の町も見てみたいのだけど、時間的に無理なので、今回は諦める。

高山には9時半ごろ到着。いつもの駐車場に車を入れ、市街のそぞろ歩きに出発する。坂を下って、先ずは宮川に沿った朝市へ。かなりの人出だった。修学旅行の高校生の一団や外国からの観光客も混ざって、相変わらずの人気である。自分としては、この朝市にさほど魅力は感じないのだけど、これほどたくさんの人がやって来るというのは、この素朴な市に日本の原風景のようなものが感じられるからなのであろうか。

   

高山、宮川の朝市。外国人観光客も多く見られ、相変わらずの賑わいである。

朝市の後は、古い町並みを散策する。何時もだと酒や味噌などを買う気になるのだけど、今回はそれは止めて只古い町並みを歩くだけにした。邦子どのは、相変わらず古布や民芸品を扱う店に入り浸っているらしい。勿論別行動である。一回りした後、高山陣屋跡などにも行ってみたが、もう何度も来ているので、さほど興味も覚えず、歩きの方も歩数を結構稼いだので、そろそろ引き上げることにした。車に戻ってしばらく経って邦子どのが帰ってきて、2時間ほどの高山市街散策を終える。

この後は、今日はアルプスの山間を横断して、安曇野の里に抜け、どこか適当な道の駅にでも泊まろうかと考えている。R158を平湯峠方面へ。次第に坂を上り始めた頃、車のオッドメーターが、「111111」kmを示した。道脇に車を停めて記念写真を撮る。今年の5月に10万キロを突破したのだったが、あれから5ヶ月後にここまで走るとは思わなかった。何だかんだ言いながらも、結構旅車は使われているのだなと思った。1時間ほど走ると、山の様子が一変して紅葉真っ盛りの景色となった。思わず車を停め、写真を撮る。

   

SUN号、オッドメーター「111111」kmに到達する。

平湯峠の下を走るトンネルを抜けて向こう側に出ると、もうそこは紅葉真っ盛りの別世界だった。全山紅葉である。思わぬ大きな風景の贈り物に大感動である。

   

平湯峠の全山紅葉。真っ青な空に白い雲と紅葉が映えて、文句無く美しい。

これが終わると、山も樹木たちも直ちに冬の世界に突入するのであろう。阿房トンネルを通って、更に幾重にも曲がりくねった道を走って、ようやく道の駅:風穴の里に到着。ここで昼食休憩とする。

道の駅には観光バスが何台も立ち寄り、一般の車も多くて、今通ってきたアルプス山間の紅葉を見ようと訪れた人たちで混みあっていた。端の方に車を停め、1時間ほど休む。この道の駅には、清水を組む施設があり、空になっていたペットボトルを何本か満たす。ここから見る紅葉も素晴らしい。眼下のダム湖に反映して山々の息遣いが伝わってくるようだ。

ここまで来ればもう安曇野は直ぐ近くである。更にしばらく坂道を下って、安曇野の道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里に立ち寄る。本当はここに泊まって、明日野菜などをゲットしようかと考えていたのだったが、何だか里心が膨らんで、少し早く帰ろうということになり、もう少し先まで行って泊まることになった。温泉博手形に載っている、小諸にある国民年金保健センターという温泉に入り、近くの道の駅:みまきというのに泊まることにしようと出発。行き当たりバッタリの行程である。

堀金の道の駅からは、R19に出て、直ぐにR254に入り、松本トンネル、三才山トンネルなど有料のトンネルを通って、丸子町(今は上田市)からR18に入り小諸市外を通って、細い道を少し迷いながら16時半ごろ目指す温泉施設に到着する。もう暗くなりかけていた。温泉手形に載っていなければ決して来ることの無い場所である。しかし一度来れば、次回のために何かの参考となり、無料というけど、決してそれだけではないような気がしてきている。受付での扱いが思ったよりも親切なのが嬉しい。

1時間ほど温泉を楽しんだ後、すっかり暗くなった中を15分ほど走って道の駅:みまきに到着。「みまき」とは御牧であり、北御牧村の所在であるが、北御牧村は東部町と合併して、現在は東御(とうみ)市となっている。最初東御市とは何と読むのか、どうして突然このような市が生まれたのか見当もつかなかった。要するに足して2で割ったという形で、旧自治体の名称の文字を一つずつ取り出して組み合わせた市名なのであろう。これでは古くからの地名の所以など分る筈もない。しかし後100年このまま自治体が続いたら、100年前の出来事が多少は話題になるのかも知れない。地名の歴史というのはもともとその程度のことなのかも知れない。

みまきの道の駅にも温泉があり、なかなか良さそうな雰囲気だった。もう暗くなってしまって周辺の様子はよく分らないので、湯冷めしないうちにと夕食を済ませて、早めの就寝となる。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第19日)

2009-01-24 06:35:14 | くるま旅くらしの話

第19日 <10月20日()

道の駅:竜王かがみの里→(R8 R21R41)→道の駅:ロックガーデンひちそう(岐阜県七宗町)→道の駅:美濃白川(岐阜県白川町)→金山温泉:湯ったり館(岐阜県下呂市)→道の駅:飛騨街道なぎさ(岐阜県高山市)→道の駅:アルプ飛騨古川(岐阜県飛騨市)(泊)  <247km

今日からは家に向っての移動日である。大まかなコースしか考えておらず、今日は岐阜に出て、美濃加茂市からR42に入って、飛騨高山方面へ行き、古川辺りの道の駅に泊まればよいと考えている。途中で金山町(今は下呂市)の温泉に入りたいとも考えている。

8時少し前出発。R8を通るのも久しぶりだ。近江商人の湖東エリアをしばらく走って、米原からはR21に入り、関が原を通って大垣市内で給油をする。この後はノンストップで、岐阜、美濃加茂を通り抜けて、R41に入り飛騨川沿いに走って、道の駅:ひちそう(七宗)にてようやく休憩。七をひちと発音するのがそのまま地名となっているのは珍しい。ここで昼食をと思ったが、未だ少し早いのと、それに適当な食べものが無かったので、直ぐに次の道の駅:美濃白川に行くことにした。

美濃白川の道の駅到着は12時少し前。ここには地産物の売り場もあり、地元の主婦の皆さんが工夫して作られたお弁当なども売られていた。邦子どのが特製のおにぎりをオーダーして、それをパクつく。炊き込みご飯を握ったものだったが、なかなか美味かった。一緒に買ってきたコロッケもグーだった。

一休みの後、次の道の駅のある金山町へ向う。飛騨金山ぬく森の里温泉という長い名前の道の駅だが、直ぐ側に「湯ったり館」という温泉施設があり、何度かここに入ったことがある。今日は温泉手形にその施設が載っているので、無料で利用することが出来る。何となく嬉しい気分である。平日の日中とあって、風呂は貸切り状態だった。この後も今日はずっと運転の強行軍を予定しているので、ここで思いっきり休養してゆこうとお湯を楽しむ。浴場の2階にサウナと源泉浴が出来る施設があり、これはとてもいい感じだった。今朝からの疲れはすっかり拭われた気分になって、温泉と別れる。

再び運転手となって、飛騨高山方面へ。途中飛騨街道なぎさという新しい道の駅があったが、ここは大して興味を引くものは無かった。暗くなりかけた高山市の郊外をパスして、今日の泊まり予定の古川(現在は飛騨市)の道の駅:アルプ飛騨古川に到着。ここも何度かお世話になっている道の駅である。R41は富山エリアと東海とを結ぶ大動脈なので、夜間でもトラックなどが多いし、仮眠をする車も多くて、騒音も付きものである。新しく追加して造られたらしい一番隅の駐車場に車を停めたのは正解だった。

その夜は、文句を言うこともなく眠り呆けたのだった。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第18日)

2009-01-23 05:34:59 | くるま旅くらしの話

第18日 <10月19日()    

道の駅:宇陀路大宇陀→(R370R166R165R24他)→薬師寺駐車場(薬師寺→唐招提寺参詣)→(R24R307)→信楽町・陶器店→(R307R1R8)→道の駅:竜王かがみの里(滋賀県竜王町) (泊)  <128km>

今日からは本格的な帰還モードである。邦子どのが帰ってからの介護のこともあるので、25日までには帰宅しようと考えている。今日は久しぶりに奈良の薬師寺と唐招提寺を訪ねてみたい。興福寺、東大寺や春日大社はよく行っているけど、薬師寺の方へはあまり足を向けていない。以前は秋篠寺へよく行ったものだったが、最近はとんとご無沙汰のしっ放しである。今日は時間的に秋篠寺までは無理だと思うので、この二つのお寺をじっくり見学したい。

駐車場が心配だったが、地図を見ると薬師寺近くに専用の駐車場があるらしいので、先ずはそこを目指すことにした。R169に入り、昨日バスで通った道を走って、天理から左折してR24にはいり、北上して奈良市郊外で薬師寺方面へ。入口を間違え、ちょっと迷ったが、直ぐに駐車場が分って、車を入れる。唐招提寺は薬師寺からは少し離れた所にあるけど、十分歩いて行ける所なので、薬師寺の参詣が終わったら車はそのままにして歩いて行くことにした。

以前薬師寺に参詣した時は、本堂の改修工事が行なわれていて、何だか中途半端なお詣りだったが、もうそれもすっかり終了して、少し派手な色彩だけど、国宝の薬師如来像を真ん中に置いた金堂の佇まいは、このお寺らしさを十二分に醸し出していた。

   

薬師寺西塔。再建されてまだ間もないらしく、装飾もきらびやかである。

薬師寺東塔。こちらはその昔からの風格を十二分に備えた、このお寺一番の貫禄ある存在に思えた。

東塔、西塔の佇まいも良い。五重塔はなかなかうまくカメラに収まらなくて、カメラアングルを求めてあちこち走りまわった。何しろ大枚の観覧料を払っての入場なので、十二分にカメラを活用する必要があると考えた次第である。そして、このお寺にはそれだけの価値のある歴史と建造物が残されている。その一番が東塔だと思う。仏像の方は、国宝が幾つかあるが、これらは写真撮影を遠慮させられるので、自分の安物のデジカメでは気の効いた写真を撮るのは無理である。ま、しかし精一杯動きまわった次第である。

その後、金堂から奥にある玄奘三蔵院の方へ歩く。このお寺は玄奘三蔵との縁があるらしい。詳しいことはあまり気にしないが、般若心経は玄奘三蔵法師の訳書なのであるから、ここにお詣りしないで済むわけにはゆかない。中に入ると、平山郁夫画伯の仏教に絡む砂漠を歩む玄奘法師の駱駝での旅の絵が収められていた。信教の心の強さのすごさを感じた。

ここで、はぐれていた邦子どのと会う。お互いにちょろちょろ歩き回るので、なかなか一緒になることはない。偶然再会()して、その後は600mほど歩いて、唐招提寺へ。

唐招提寺に行くと、どうやら本堂は修理の最中らしい。拝観は叶わず少しガッカリしながら境内を散策する。一番印象的だったのは、境内の中にある崩れかかった古い垣根と青い苔の庭、そして鑑真和尚のお墓だった。

   

唐招提寺の古びた土づくりの門塀。歴史の重さを実感させられる。

古びた本物の存在が胸を打つのは本物の証拠であろう。万難を排して日本からの招請に応えて来日してここに布教の拠点を構えた、中国からのお人に心を震わされないわけには行かない。

   

木立に囲まれた鑑真和尚の墓。国を超越して衆生の救済のために此処に骨を埋められた偉人の魂が静かに眠っている。

薬師寺ほどの規模ではないけど、このお寺の歴史にはそれなりの重さを感じたのだった。

5時間近くの時間をかけて、二つのお寺をじっくり見て廻った。14時半近く、帰途への出発に就く。帰りは、温泉博士の温泉手形を楽しみながら、岐阜から信州の方を経由して行くことにしている。今日はこれから琵琶湖方面へ行く考えなのだが、未だ通ったことのない焼き物の里、信楽を通って行くことにした。その先、栗東か竜王の道の駅にでも泊まろうかと考えている。

24からR307に入って信楽の町へ。この町は焼き物の世界では有名だが、初めて訪れてみて、大小さまざまな狸の出迎えにびっくりした。

   

大小さまざまな信楽焼のタヌキ君たち。いやあ、こんなに賑やかな焼き物の里だとは思わなかった。

一軒の店に立ち寄り、中に入って様々な焼き物を見物したが、買いたいと思うものは無かった。全体が重い感じで、益子の焼き物に似ているなと思った。なるべく軽いものが欲しいと思っているのだが、磁器でないとその願いは叶わないと思っている。

信楽を経てR1を少し京都側に向かって走った後、R8に入り、竜王の道の駅に到着。メイン国道の傍にあり交通量が多く、夜間は騒音に悩まされるかもしれないけど、かなり広い駐車場があり、ま、何とかなるだろうと、今日はここにご厄介になることにした。もう辺りはすっかり暗くなっており、付近をウロウロする気も起こらず、そのまま夕食の準備をして、夜を迎えることになった。

◇般若心経のさ迷い(締めくくり)

今日までの旅の間、般若心経の世界をあれこれとめどなくさ迷ってきた。これから後もさ迷ってゆくのだと思う。八十八ヶ所巡りは、般若心経を通して、改めてこれからの人生の意味を考えるに大変有効な旅だった。発心→修業→菩提→涅槃という四つの国のお寺巡りは、我々の人生の姿そのものである。生まれ出でてもの心ついた時から、人は己を取り巻く小さくも大きな世界で、修業の連続である。この世に修行をしない人間など一人も居ない。生きることそのものが修業なのであるから。そしておぼろげながらこの世に生きていることのありがたさや意味に気がつき、やがて安静の世界へと誘われて行く。それが人間の一生である。そのことを八十八ヶ所巡りは教えてくれているに違いない。そして、それは生きている現在を目一杯享受することの大切さを教えてくれているように思う。

車での八十八ヶ所巡りでは、あまりにも安易な方法なので、生のありがたさをしみじみと実感できるのにはほど遠いと思っている。自分の足を使って、大地を踏みしめながらであれば、その一歩一歩から命の大切さが伝わってくるに違いないと思う。その意味で簡便法というのは真理を体得するには無理があるのかもしれない。しかし、12日間の強行軍と般若心経の世界のさ迷いは、いつものグータラな旅とは違った実りを得ることが出来たように思っている。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第17日)

2009-01-22 00:02:57 | くるま旅くらしの話

第17日 <10月18日()

道の駅:宇陀路大宇陀→(R370R166R165R169)→大神神社(奈良県桜井市)→(バス利用)→石上神宮(奈良県天理市)→(山の辺の道散策歩行)→あきのの湯→道の駅:宇陀路大宇陀(泊)   <39km

今日は天気が良さそうである。関西方面の旅では、必ず山の辺の道を歩くことにしているのだが、今日はその歩きには絶好の日和のようだ。大宇陀の道の駅の直ぐ後ろの山側にはお寺さんがあって、その境内の山もみじがそろそろ紅葉し出しているのだが、未だ本格的な色にはなっていないようである。今年も暖冬なのかもしれない。7時半頃から、この道の駅でも地元の野菜などを売り始めている。結構元気な市場なのだが、売り場が狭くて、農家の人たちの思いを届けるには支障があるような気がする。行ってみると、ここでも黒豆の枝豆が売られていた。またまた嬉しくなって買ってしまった。

食事を済ませ、大神(おおみわ)神社に向けて出発。山の辺の道は、桜井市の大神神社と天理市の石上(いそのかみ)神宮との間の約13kmを歩くのだが、行く度に出発地点を交互に替えて歩くようにしており、今回は石上神宮から大神神社を目指して歩く番である。

先ずは大神神社の駐車場まで行き、そこに車を置いて、バスに乗り天理方面へ向う。大神神社を出発して、石上神宮に着いたのは、丁度10時頃だった。桜井から天理の市街に至るR169からの景観は、不断滅多にバスに乗らない自分たちには、結構楽しい時間である。奈良時代の史跡が幾つも残る中を走っているのだと思いながら、左右の景観を楽しむ。巨大な古墳なども幾つかあり、歴史の重さと深さを感ずるのである。30分足らずの小さなバス遊覧の時間だった。天理の市役所前近くのバス停を下りてから神宮までは2kmくらいあって、結構時間がかかる。

歩きの出発前に、神宮の本殿に参拝する。ここでは心経は誦さない。大樹に囲まれた神宮の、掃き清められた境内には清々しくも厳かな雰囲気があって、身も心も清めてくれる感じがする。       

 石上神宮本殿。鬱蒼とした森に包まれた敬虔なイヤシロ地である。

荷物の運び役は相変わらず拓の担当で、今朝作ったおにぎりを背負って、歩きの開始である。山の辺の道は、桜井と天理間だけではなく、もっとあるらしいが、まだこのコース以外を歩いたことはない。まさに奈良盆地の東に連なる山々の裾を縫って作られた道は、その名に相応しい。奈良時代頃からの飛鳥と奈良とを結ぶ往還だったのであろうか。小さいけど結構きついアップダウンの続く小道である。

      

 山辺の道。三輪山に近いこの辺りは、古道の雰囲気のある道となっている。

時に小さな森の中を潜り抜け、時に柿やみかんの畑の中を通り、所々に神社やお寺の境内を通って、その道は続いている。道端には、地元の農家の自動販売所が至る所に設けられていて、100円玉1個でみかんや柿や野菜などをゲットすることが出来る。変化にとんだ素晴らしい歩きの道だと思う。もし自分がこの辺りに住んでいたなら、この山の辺の道に枝道を見出して、新しい自分なりの歩きのコースを作るのになあ、などと思いながら歩いたのだった。邦子どのも意外とへたることなく歩いていた。重いカメラを持っているので、急な上り坂などにはそれを持たされることもあった。何しろ不断から拓は運輸省(今は国土交通省)担当、邦子どのは大蔵省(今は財務省)担当と役割は確定してしまっている。

半分くらい歩いた所の休憩所で、お昼にする。今日は絶好の歩き日和となって、少し暑いくらいで汗も掻いている。我々の他にも大勢の方が歩いており、休憩所は坐る場所を探すのに手間取るほどだった。早速担いできたリュックからおにぎりを出しパクつく。何時もだとコンビニのおにぎりなどを買ってくるのだが、今日は横着をしないで自家製のものを持参した。やっぱりこの方が層倍のうまさである。うめえ~、などといいながら30分ほど休む。

その後も時々脇道にそれながら写真を撮ったりして、十二分に歩きを楽しんだ。お昼が済んで軽くなったリュックは、そのあとみかんなどを幾つも買い込んで、来た時よりもはるかに重い荷物と相成った。大神神社が近くなると、次第に山が近づき、奈良平野が一望できるようになる。この辺りからの景観は、古代の都近くに住む人たちの暮らしの匂いが漂ってくるような感じを覚えるのである。都といっても恐らく人口1万人あるか無いかくらいの規模なのではないか。現在の都市感覚では窺い知ることは出来ない世界だったのではないかと思う。今の時代に竃(かまど)から立ち上る煙はない。竃すらないのだから。

   

大神神社本殿。後ろに控える三輪山を御神体として、飛鳥時代から多くの人びとの信仰を得ている。

無事に大神神社に着いて、参拝を済ませ、車に戻る。邦子どのは参道の入口近くにある手工芸品を売る店に以前から関心があり、そこに立ち寄るので、先に車に戻ってお湯などを沸かし、お茶を飲んで一休みする。万歩計を見たら2万4千歩超えていた。14時少し過ぎの時刻なので、約4時間の歩きだった。お昼の休憩以外は休みなしだったので、結構ハードな歩きだったと思う。へたることなく今でも買い物に精を出している邦子どのも結構丈夫なのだなと思った。しばらく経って、何やら手に入れたらしく満足そうな顔をして戻ってきた。

さて、これからどうするか。とにかく汗を掻いているので、先ずは風呂に入りたい。桜井市郊外にあすかの湯というスーパー銭湯があるので、そこに行こうかとも思っていたのだが、どうせなら温泉の方が良いだろうということになり、昨日は無料で入ったあきのの湯に、今日は有料でもう一度入ることにし、その後は大宇陀の道の駅でゆっくり疲れを癒すことにした。

16時、あきのの湯に到着。長期滞在でもないのに、連続して同じ温泉に入ることは珍しい。今日は土曜日ということもあって、あきのの湯は昨日よりは少し混んでいるようだった。山辺の道の歩きのことを反芻しながら思い浮かべて、たっぷりと汗を流して今日の疲れを取る。いい湯だった。すっかり暗くなった中をほんの少し走って道の駅へ。

夕ご飯の前の一杯の肴は、勿論今日も黒豆の枝豆である。どっさり茹でて、もうご飯も無用という感じだった。枝豆は殻があるので、思ったよりも食べる量は少ない。それに繊維質に富んだ食べ物なので、明日の朝の通じの快適さは保証されている。毎日枝豆を食べていれば、便秘などという体調不良は起こらないと思っている。但し某国産の冷凍枝豆などは要注意だと思う。少し余計なことに触れたけど、寝る前にもう一度万歩計を見たら、なんと31,724歩となっていた。これは今のところ今年の1日の歩きの最高記録である。何やかにやで20kmくらいは歩いたことになる。その割にはそれほど疲れは感じない。ま、早寝に越したことは無いので、20時にはもういびきの世界をさ迷っていた。

◇「色」の2系統について

妙なタイトルである。我々は色(=現象)の世界に生きているのだと思うが、その色の世界には二つの系統があると観自在菩薩はおっしゃる。一つは「色」という物質的現象の世界であり、もう一つは「受想行識」という精神作用の世界である。

この物質的現象と精神作用が共に空という本質から生まれ出ているという考え方は、究極の部分において論理的ではない、飛躍があるような気がするが、人間という生き物の場合は、やっぱり精神的作用というのも空に生まれ空に還るのではないか。人は物質的な存在として生まれ、そこに宿った精神的な作用が肉体と相俟って成長を遂げ、やがて肉体が滅びると共に精神作用も消え去ってゆく。物質的現象と精神作用はその中身が相反することはあっても、常に不即不離の関係にあり、したがってこの両者は間違いなく色として存在しており、その本質もまた同じ空であるということが出来るのではないか。

心と身体が不即不離の関係でなくなったとき、人間は人間としての実体を失う。それを死と呼ぶ。死の対極にあるものが生であるが、生の前に何があるのか、死の後に何があるのかといえば、それは空である。空と言うのは空っぽの何もないものではなく、空と呼ぶ存在がそこにあることを意味しているのだと思う。何もないところからは生は形成されないし、精神作用も生まれては来ないと思う。

このように考えると、今更ながらに色というものが人間にとって極めて重要だということに気づく。人間は空は認識できないけど、生きている間は色の世界にいるのであるから、その色(=心+身体)をありがたいものとして目一杯享受してよいのではないか。というよりも色を享受することそのものが生きているという証なのだと思うのである。受想行識のもたらす様々な喜怒哀楽現象は、生きている証拠なのであり、それがなければ生きていることにはならない。

あれこれ想い惑って、ここに至って残りの人生の大切さに気づくのである。つらいことも楽しいことも哀しいことも嬉しいことも、全て生きているという証であり、それは等しく享受しなければならないのである。これから先必ず厳しいことに出会うに違いないが、自分の色が終わるまでは、ありがたいこととして、生を享受してゆきたいと思っている。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第16日)

2009-01-21 00:14:10 | くるま旅くらしの話

第16日 <10月17日()    

道の駅:紀ノ川万葉の里→(R24R371)→高野山(金剛峯寺・弘法大師御廟)→(R371R24R169)→道の駅:吉野路大淀iセンター→(R169R165R166R370)→あきのの湯(奈良県宇陀市) →道の駅:宇陀路大宇陀(奈良県宇陀市)(泊)  <122km

昨夜は良く眠って、早朝の5時前に目覚める。高野山への道は、狭く九十九折(つづらおり)が続く道なので、車が少ない内に行った方が良かろうと、食事は高野山に着いてからにすることにして、6時10分には道の駅を出発する。未だ薄暗い。この道の駅は初めての来訪だった。かつらぎ町は日本一の柿の生産地だとか。周囲を見渡せば、確かにたわわに実った柿の実が輝いた畑が広がっていた。未だ収穫期には少し早いようで、今度はもう少し遅く来て、日本一の柿を味わってみたい。

紀ノ川を渡って、九度山町からR370に入って山を登る。九度山というのは、確か大阪の役(夏の陣・冬の陣)にて活躍した真田幸村が隠棲していた所ではなかったか。大阪方に乞われて一世一代の戦振りを示した武将は、ここで何を考えながら日々を過していたのだろうか。曲がりくねった高野山への道がどこまでも続く谷川沿いを走りながら、その頃のことを想った。関西エリアには史跡が多い。

7時25分高野山の金剛峯寺前の駐車場に車を入れる。さすがに、未だ数台の車しか駐車していなかった。空模様が怪しい。もしかしたら傘をさしての参詣となるのかもしれないなと思っていたら、食事をしている間にたちまち雨が降り出し、やがて本降りとなってしまった。奥の院の大師御廟に向う前に、先ずは直ぐ傍にある金剛峯寺に参詣する。此処が高野山のご本尊拠点のお寺である。掃き清められた境内を歩いて、清新な空気を胸いっぱい呼吸しながら、八十八ヶ所を無事に巡ることが出来た感謝の思いをこめて心経を誦す。

その後は、奥の院へ。かなりの距離がある。3kmくらいはあるのだろうか、名門や有名人のお墓が点在する間を歩いていると、時間の流れがミックスされて過去と現在が一緒になったような不思議な感覚に捉われる。杉の巨木などに囲まれているので、雨は大して気にならない。日本人だけではなく、外国からの参詣者も来ている様だった。観光といっても、ここに来れば何やら敬虔(けいけん)な気持ちになるに違いない。随分昔、イタリアの何処だったかのカタコンベ(キリスト教信者の墓)を訪ねた時のことを思い出す。彼の地では地下に掘られた索道の両側に墓が並んでいたが、日本の場合は、森の中に眠ることができて幸せなような気がした。

やがて御廟に到着。ここで八十八ヶ所巡りの最後の般若心経を誦し、旅の恵みの感謝と家族・兄弟姉妹・知人の皆の、これからの安全と健康を祈った。

   

高野山奥の院の弘法大師御廟。雨の中に厳かな建物が鎮座していた。ここに来ると、森の中に天国を築いた人の魂は、不滅だなといつも思う。これで今回のお寺めぐりは滞りなく終わった。

雨脚はかなり強くなっていて、樹木から少しはなれた場所では、傘からの雫が足元を濡らした。復路も様々な墓標を見ながら歩いて、車に戻ったのは、10時半を少し過ぎた頃だった。これで今回の旅の最大の目的が叶ったことを素直に喜びたい。

とにかくホッとした。今日はこれから温泉に入ってゆっくり休みたい。昨日買った温泉博士に、大宇陀のあきのの湯が掲載されていたので、今日はその温泉に入った後、近くにある道の駅:宇陀路大宇陀に泊まることにして、出発する。

山を降り、九度山町から紀ノ川を渡って、再びR24に入り、吉野川沿いを走って大淀町からR169に入り、道の駅:大淀Iセンターにて昼食休憩。山を降りる頃には雨は上がり、道路は乾燥していた。大淀の道の駅では、地元で採れた野菜類や吉野杉材の木工品などが販売されており、かなり人気のある所である。食事の前に野菜売り場などを覗いてみたら、なんと丹波黒豆の枝豆がたくさん並んでいた。枝豆といえば、夏のビールのつまみとして極めて相性のいい食べ物であるが、東京近郊では今頃の季節に冷凍でない本物のそれを手に入れることは殆ど不可能である。それが、この地では今が当たり前のように売られているのを嬉しくも不思議に思った。黒豆の枝豆は、見た目には美味そうとは思えないのだが、一度食べて味を知った者には忘れられない美味さがある。やたらに値段の高い東北のダダチャ豆なんぞよりは、はるかに美味いと自分は思っている。値段もリーズナブルである。嬉しくなって少し多めに買い込んでしまった。これで数日間は毎晩枝豆を心置きなく賞味することが出来る。

しばらく休んだ後、大宇陀に向う。道の駅に着いて小休止した後、あきのの湯へ。大宇陀の道の駅には、何度もお世話になっているのだが、あきのの湯には一度も入ったことがない。一度入口まで行ったことがあるのだが、風呂に入るだけなのに、800円もするので、引き返したのだった。我々の費用感覚の中では、温泉や風呂の入浴料は、せいぜい500円が上限であり、それ以上の場合は余程のニーズに迫られた時以外は敬遠して我慢することにしている。今回は温泉博士のおかげで、初めての入浴が楽しめることになった。ありがたいことである。

「あきの」というのは、阿騎野と書くらしい。この地は、古の飛鳥時代の万葉歌人、柿本人麻呂が訪れて、「東(ひむがし)の野にかぎろいの立つ見えて、返り見すれば月傾(かたぶ)きぬ」と詠んだ、その地なのである。「かぎろい」とは、春うららの陽炎ではなく、寒い季節の日の出前の空が赤く染まった様をいうのだそうな。この地では12月には毎年そのかぎろいを見るイベントが開かれていると聞く。地酒の名酒「かぎろい」もお勧めの一品である。何度も来訪している内に、いろいろと雑学の知識が貯まってしまった。

あきのの湯には、温泉だけでなくフィットネス用のプールなどがあるらしく、それで利用料金が高いようである。以前は800円だったと思っていたが、現在は700円となっていた。勿論今日は無料であり、気持ち良く受付でのご案内を頂いた。それから1時間ほど温泉を楽しんだ。よく温まるいい湯だった。一汗流してさっぱりして、直ぐ近くにある道の駅のいつもの場所に車を停め、ゆっくりと食事の用意をして夜を迎える。勿論、ビールのつまみは黒豆の枝豆だった。Tさんから頂戴したものを食べ終え、それで終わりと思っていたのが、今夜も食べられるなんて、嬉しいに尽きる話である。

◇色と空

 色(しき)と空についていろいろなことが頭の中を駆け巡る。色というのは、哲学の命題で言うところの「現象」であり、空というのは、「本質」を意味している。

本質と現象の関係は、日常生活の様々な分野で垣間見ることが出来る。我々は普段の生活の中で、様々な問題に遭遇するが、それらには全て原因や要因が潜んでいる。例えば現在の世界経済は、とてつもない恐慌状態に陥っているが、その状態を惹き起こした原因としてアメリカのサブプライムローンの焦げ付きの問題があるが、その焦げ付きを起こした更なる原因が幾つか存在し、更にその原因を惹き起こした原因がその奥に潜んでいる。このようにして、最終的な原因に至ったとき、すなわちもうこれ以上のものは考えられないという、その原因が本質であるといって良い。問題解決においては、この本質に踏み込んだ解決策を打たない限り、真の問題解決につなげることは難しく、したがって現象としての再発が必ず出現するということになる。

サブプライムローンの本質は何かという検討は、現状の問題解決においては、それほど為されているとは思えない。せいぜい格付け会社のエラーだとか、金融商品の思惑が外れたとか程度の浅い検討テーマが話題にのぼるくらいであり、行なわれている対策といえば、とにかくこれ以上の金融不安が膨れないように資金の融通を増やすという手が世界各国の共通認識となっている程度である。

現実の世の中においては、本質に至るまでの原因追求の論理を進めることが殆どないため、決定的な問題解決の手を打つということが為されないまま、とりあえずの傷の手当をして、時間の流れの中で新たな別の現象がそれらの問題を呑み込んで鎮静化へ向うというのが、歴史の残している現実のようである。

さてさて、空と色という本質と現象の問題は、経済混乱の本質は何かなどという浅薄なテーマなどをはるかに乗り越えた人間の生の深遠に迫る、というよりも宇宙の存在そのものについての洞察であるように思う。色即是空の立場からものを見ていると、現世の中で起こっている様々なできごとは、さしたる心配事ではないように思えてくるのである。

しかし、人間は、もしかしたらここ(=現代の今となって)に来て、現象としては行過ぎるレベルの行為を為しているのかもしれない。天変地異や環境破壊などといわれていることがそれを証明しているような気もする。

色即是空、空即是色という観世音菩薩の教えは、実に哲学的な深い洞察の論理を語っており、ある意味で科学的でもあるといえるような気がしてならない。空が只の何もない空っぽという認識ならば、只の宗教的な作り話のようなものとなってしまうけど、空が色を呑み込むこの世の本質であるという考え方は、凄いという他ない。

 

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅(第15日)

2009-01-20 00:02:08 | くるま旅くらしの話

第15日 <10月16日()    

道の駅:ちはやあかさか→(R309)→Tさん宅→(R309R310R24)→道の駅:紀ノ川万葉の里(和歌山県かつらぎ町) (泊)  <68km

 寝すぎるほど寝たので、却って頭が重い感じがした。今日は、比較的近くにお住まいの旅の知人、Tさん宅をお訪ねする予定である。ここからは30分ほどの距離である。9時半頃にお邪魔しようと、予め連絡している。

今日はまあまあの天気のようだ。道の駅の構内には、文化施設などがあり、落ち着いた雰囲気である。近くに樹木に囲まれた碑があるので行って見ると、ここは彼の忠臣楠木正成誕生の地であるとあった。鎌倉時代末期やその後の南・北朝時代の史実のことは良く解らないけど、明治に入ってからは勤皇の忠臣として大楠公と呼ばれた人物がここで生まれたとは知らなかった。ここには千早赤阪城があったのではないかと思っていたけど、それは勝手な思い込みだったようである。碑から少し離れた所に郷土資料館のようなものがあったので、そこに行けばもっと詳しいことが解るのかも知れない。でも今は早朝で開くまで待つのは不可能である。途中から有名になった歴史上の人物というのは、いろいろと作り話やこじ付けが多く生まれるので、なかなか信じがたいのだが、此処が楠木正成の生誕の地だったのであろうか。一先ず信じておいた方が穏やかである。

   

楠公生誕地の碑。戦前までは神皇大忠臣のこの地に訪れる人も多かったのであろうが、今はひっそりとしている。

9時過ぎTさん宅に向けて出発。30分足らずで到着。もう何度もお邪魔しているので、道に迷うことはなくなった。今回多田さんのお宅を訪ねる最大の目的は、今年の夏に北海道でお会いした時に作っておられた、木工クラフトの蒸気機関車が完成しているのを見せて頂くことにある。勿論、それだけではなく、Tさんご夫妻が目指している木工を初めとする様々な手づくり作品を拝見させて頂くこともある。奥さんも手先の器用な方で、様々な手芸作品を作っておられる。そのお二人の作品を、自宅に展示場を作り仲間やご近所の方に見て頂いて語らいの場としたい、という素敵な夢をお持ちで、只今その実現に向って着実に前進されているところなのである。物づくりの全く不得手の拓には、魔法使いのようなご夫妻である。邦子どのも裂き織りや編み物などに関心があり、奥さんとはいろいろ情報交換が役立っているようである。拓だけが一人蚊帳の外なのであるが、作品を鑑賞するについては、決して蚊帳の外にいるわけではない。

早速上がりこんで、作品を見せて頂く。やっぱり蒸気機関車が今年の最大の傑作だったように思った。

   

Tさんご主人作、木工クラフト製の機関車模型。精巧なつくりは、今にも走り出しそうな雰囲気を持っている。

その他の作品にもそれなりの工夫が見られて、素晴らしいと思ったが、蒸気機関車は木工クラフト技術の総合力を示す作品であり、大小さまざまな部品から成り立ち、それらを正確につくりあげ、組み立てるというのは、そうそう簡単に出来るものではない。展示の部屋の中では図抜けた出来栄えだった。奥さんの作品も古布などを活かした、大小様々なものが造られており、中には販売可能なものがかなり含まれているのではないかと感じた。

   

Tさんの奥さん作の手工芸品。この他にも古布などを利用しての大小様々な作品が陳列されている。

お二人とも工夫するのがお好きで、それが楽しみになっているのが伝わってくる。お二人の合作の作品もあり、微笑(ほほえ)ましいなと思った。我が家では、決して生まれない世界である。

Tさんご夫妻は、くるま旅くらしの中でこれらの作品の製作に取り組んでおられるのが素晴らしいと思う。日本全国、地元の方とふれあいながら、自分の作品作りに必要な情報を集め、材料を手に入れ、そしてコツコツとものづくりに励んで居られる。このような素晴らしいくるま旅くらしをされている方を、自分は他に知らない。Tさんと同じことをするのはとても無理だけど、自分も何かもっと打ち込めるものを探しながら、自分なりのくるま旅くらしをつくりあげたいなと思っている。Tさんご夫妻はくるま旅の理想モデルのお人である。

その後は、旅の話やら、作品の話やら話題は尽きることなく歓談は続いて、お昼をご馳走になり、その後も15時過ぎまでお邪魔をしてしまった。この間、ご主人の工房も見せて頂いた。駐車場を改造して造られた工房には、板挽きのための機械や工具等、自分には解らない幾つかの機械が置かれていたが、その多くは新品ではなく、知人から譲って頂いた物や、使えなくなったようなものをご自分で修理して用いているのだった。鉄工所経営の技術は、切れない刃などは自分で砥いで元に戻してよい切れ味にしてしまうことも可能だとか。真に羨ましい魔法使いの部屋であった。

旅の話の中で、温泉の話題となり、以前お聞きした「温泉博士」というガイド誌が、元々関西以西の温泉の紹介をしていたものが、現在は全国規模に広げて掲載しているという話を聞き、その本に載っている「温泉手形」というのに自分たちもあやかりたいと話したら、じゃあ、今からそれを売っている所に行きましょう、ということになり、Tさんの車で出かけるというようなこともあった。2冊ゲットしたので、これからの旅の間に活用してみようということにした。温泉手形に掲載されている温泉については、無料で入ることができるのである。ここから近い所の温泉も掲載されており、明日から楽しみである。

すっかりご馳走になり、うっかりするとお別れするのを忘れそうになりながら、Tさんのお宅を辞したのは、15時半近くだった。本当にありがとうございました。

さて、明日は今回の八十八ヶ所巡りの旅の総仕上げとして、高野山に参詣する予定でいる。それで、今夜は高野山の入口に比較的近い所にある、紀ノ川沿いのかつらぎ町にある道の駅:紀ノ川万葉の里に泊まろうと思っている。Tさんのお宅を出て、R309を少し走ってR310に入り、河内長野で、R371に入るかどうか迷ったのだが、国道も番号が少ない方が良かろうと、R310をそのまま行って、五條市に出たあとR24で行けばよいとその道を選んだのだったが、初めて通るその道はとんでもない坂道で、道幅も狭くかなりの時間を喰ってしまい、大事(おおごと)だった。これは、R371を選択すべきだったと後悔する。この次は決して間違えないだろうと思う。

そのようなことで道の駅に着いたのは、18時近くになり、すっかり暗くなってしまっていた。夕食はTさんから頂戴した丹波の黒豆の枝豆で一杯やった後、来る途中で買った柿の葉寿司などを頬張って済ませる。今回の旅も終盤に入った。

 

◇「説般若波羅蜜多咒。即説咒曰。掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶」 般若波羅蜜多心経 

「即ち咒を説いて曰く、掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶」  般若波羅蜜多心経

この一文は、咒そのものを言っているようだ。要するに真言そのものを音訳したもので、この漢字自体には意味は無いようである。ちなみにその読み方は、「掲帝(ぎゃてい) 掲帝(ぎゃてい) 般羅掲帝(はらぎゃてい) 般羅僧掲帝(はらそうぎゃてい) 菩提僧莎訶(ぼうじそわか) 般若波羅蜜多心経(はんにゃはたみったしんぎょう) という。

何のことか全く解らないけど、訳文によれば、「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ幸あれ ここに知恵の完成の心が終わった」 ということであるから、知恵の完成を祝福する真言であると思われる。

締めくくりは、知恵の完成を見て、彼岸に到達した者に対する祝福で終わっているということなのであろう。

これで般若心経とよばれているものの一通りの自分なりの理解を述べてみたわけであるが、依然として霞みか雲かの迷霧の中に居る感じがする。しかし、今回の連夜の瞑想(というより迷想?か)の中で、何歩かはこのお経の言わんとするところに近づけたかのようにも思える。

※ お詫びと訂正

  第12日の、善通寺の記事で、四元さんのお名前を奈緒美と書きましたが、これは誤りで、正しくは「奈生美」です。訂正してお詫び申し上げます。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第14日)

2009-01-19 00:30:30 | くるま旅くらしの話

第14日 <10月15日()

Yさん宅→道の駅:第九の里(徳島県鳴門市)→道の駅:あわじ(兵庫県淡路市)→(明石海峡大橋・R2R43R310R309)→道の駅:かなん(大阪府河南町)→道の駅:ちはやあかさか(大阪府千早赤阪村)(泊) <196km

快晴の良い天気となった。少し寒さも感ずるけど、今頃の季節が一番好きである。ぐっすりと眠って、体調は万全だ。Yさんありがとうございました。しみじみと人の厚意をありがたいなと思った。

少し早めに出発して、先ずは近くにある道の駅:第九の里へ。トイレの処理と排水処理をするためである。早朝の道の駅には3台ほどの車が停まっていたが、人影は見かけなかった。お湯を沸かしお茶を淹れて、朝食を済ませた後、鳴門方面に向けて出発。今日は淡路島経由で、明石海峡大橋を渡り、神戸から一般道を大阪に向い、堺市から河内長野の方へ行って、千早赤阪村の道の駅に泊まるつもりでいる。大移動日だ。

鳴門市に入って、少し場違いかなと思いつつ海岸通りで売っていた淡路島産のタマネギを買う。食べてみないと判らないけど、まさかインチキではないだろうと思いつつの買い物だった。この頃はやたらに偽物が多いので、何を買うにも勇気が要る。小鳴門橋を渡って、鳴門北ICから有料道路の大鳴門橋を渡り、淡路島南ICで再び一般道へ。R28を急がずに安全運転で走って、岩屋の先にある道の駅:あわじに到着したのは、11時頃だった。途中、タマネギを専門に扱っている店を見つけ、車を停めてもう一度タマネギを買い入れた。ご存知だろうが、淡路島のタマネギは、他のものとは何故か一味違うのである。どう違うかは、スライスにでもして食べてみれば直ぐに判ることである。淡路島に行って、タマネギを買わない人は、北海道に行ってジャガイモやトウキビを買わない人と同じで、可哀相な人である。

道の駅で一息入れて、12時丁度出発。ここからはノンストップの強行軍である。どれくらい時間がかかるのか見当もつかない。来る時は高速道を使ったので、あっという間の感じがしたが、一般道を行くとなると、渋滞の状況によっては、暗くなってしまうかもしれない。とにかく行くだけである。

      

 明石海峡大橋を見上げる。なんという巨大な建造物なのだろう。この分だと、やがては、宇宙エレベーターなどというのもが本当に実現するのかも知れない。

明石海峡大橋を渡って、あっという間に神戸の垂水ICについて、そこを出てからR2へ。この道をどこまでも行って、途中からR43R26と行けば堺に行くので、そこからR310に入り、どこかでR309に行けば千早赤阪に行くことができる。その程度の行程プランなのである。ナビもないので、あとは状況に合わせて走るだけだ。神戸からのR2の道は、途中までは所々神戸らしさを窺わせる場所もあったが、R43に入ると、高速道の下の道ばかりで、ただ前を見て運転するだけだった。それにしても大阪・神戸エリアも何という住宅の混みようなのだろう。東京以上に密集している感じがした。

思ったよりも順調な流れで、大した渋滞もなくR309に入り、新しく出来た河南町の道の駅に着いたのは、15時半頃だった。ノンストップ、3時間半の走りだったが、さほど疲れは感じなかった。ただ、助手席の邦子どのは結構しんどかったのではないかと思う。15分ほど休憩して、予定の千早赤阪村の道の駅に向う。10分ほどで到着。

ここは何度かお邪魔している所である。河南に道の駅が出来たので、これからはここに来る車は少なくなるのかも知れない。事務所には、日本一小さな道の駅などというキャッチコピーが書かれていた。くるま旅の者が泊まりに利用させて貰う道の駅としては、ここは最高の場所の一つのように思った。トラックは入ってこないし、水を汲む場所もある。ゴミ箱がないのは残念だが、これは仕方がない。

とにかく今日はもうこれから何もせずにゆっくり休養することにして、それから後の時間を過ごす。夜は予想通りの静けさで、十分に疲れを癒すことが出来た。

◇「故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真実不虚故。」

「故に知るべし、般若波羅蜜多は是れ大神咒なり。是れ大明咒なり。是れ無上咒なり。是れ無等等咒なり。能()く一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に、般若波羅蜜多の咒を説く。」>

この辺りからよく解らなくなる。咒(しゅ)と呼ばれるものが、何故般若波羅蜜多なのか。咒というのは、不思議な霊力をもつ真言ということらしいけど、この関係が自分には解らない。八十八ヶ所のどのお寺に行っても、真言という全く意味の解らないことばというのが書かれているのだが、どう発音すればよいのかも見当がつかない。真言というのを唱えれば、知恵の完成に近づけるというのがどうも理解できないのである。

このような疑問を持つ間は、自分という奴は真言宗の信者にはなれないなと思う。特別信者になろうとしているわけではないから、それほどのこだわりはないのだが、どうもここまで来てこのお経が解らなくなるのである。どうして般若波羅蜜多が咒なのかが解らないのだ。ま、もともといい加減な人間なので、そのことにはあまりこだわらないことにして、とにかく能除一切苦(のうじょいっさいく)とか真実不虚(しんじつふこ)というようなことばに魅力を感ずるのである。とにかく真言というのが不思議な霊力を持ったことば(というか、音声というべきか)であり、それが一切の苦を取り除き、偽りのない真実であるということを、そうなのかと思うしかない。この辺のことは、古代インドのことを知らないとどうしようもない世界である。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第13日)

2009-01-18 00:18:27 | くるま旅くらしの話

第13日 <10月14日()

道の駅:源平の里:むれ→第84番:屋島寺→第85番:八栗寺→道の駅:源平の里むれ→第86番:志度寺→第87番:長尾寺→道の駅:ながお(香川県さぬき市)→第88番:大窪寺→御所の郷(温泉)(徳島県阿波市)→Yさん宅 (泊)  <112km

日は八十八ヶ所巡礼の最後の日となる予定である。残っているお寺は、高松に住んでいた時に何度も参詣しており、難所はない。道もかなり良く知っているので、今日は思いをこめて参詣を終わらせたいと思っている。参詣が終わった後は、温泉に入って汗と緊張を流し、今夜は先日電話を頂戴した徳島のYさん宅にお邪魔して歓談の時を持つことを楽しみにしている。

空模様が怪しい。今日は雨になりそうだ。8時少し前に道の駅を出発して、先ずは第84番屋島寺(やしまじ)へ。屋島ドライブウエイを通って、広い駐車場に着いた時は、他には車はなかった。雨が降り出したので、傘を持っての参詣となる。屋島寺も古刹の風格のある立派なお寺である。久しぶりの参詣に懐かしさを感じながら写真などを撮った。

   

屋島壇ノ浦とその向うは牟礼五剣山。壇ノ浦も埋め立てが進んで、その昔の面影は殆んど消えてしまった。

屋島寺のあとは、牟礼町にある第85番札所の八栗寺(やくりじ)へ。ここも何度か来ている所だ。未だ子供たちが小さい頃、八栗寺の裏にある五剣山に家族全員で登ったのを思い出したりした。邦子どのの足を考えて、往路はケーブルカーで、復路は歩いて下ることにする。ケーブルカーは八十八ヶ所の中では、ここだけである。女性の運転手のガイドを聞きながら、あっという間にお寺に到着。歩いてくれば、なかなかの難所である。剥き出しの岩の間に本堂や大師堂が建てられており、改めて信仰というもののエネルギーの大きさを感じた。

車に戻る頃まで、雨は降り続いていた。下り坂は両側が樹木に囲まれており、雨はさほど気にならなかった。元気なおばさんの一団が、坂道を登って来るのに出会った。我々は明らかに手抜きをしている。このおばさんたちのパワーには敵わないなと思った。

次は、第86番の志度寺(しどじ)である。お寺に向う前に、もう一度牟礼の道の駅に立ち寄る。その後、近くのスタンドで給油を済ませ、志度寺へ。志度寺は海の側にあって五重塔が目立った存在である。ここへも何度も来ており、改めて昔の記憶を辿りながらの参詣だった。残りはいよいよあと二つのお寺となった。先ずは、第87番の長尾寺(ながおじ)へ。小雨の中の参詣となる。境内の中を整備しているのか、工事の残材のようなものが置かれていて、やや落ち着きにかける雰囲気だった。

長尾寺の参詣を終えた後は、いよいよ結願寺である第88番札所の大窪寺(おおくぼでら)である。長尾からは40分くらいの距離だが、途中で長尾の道の駅に立ち寄り深呼吸。再び雨が強くなりだした。15年前の参詣の時も雨だったのを思い出す。12時30分大窪寺に到着。とうとう辿り着いた、といったら歩きの方には失礼かも知れないけど、車であってもやっぱりそのような思いはある。

   

大窪寺本堂。この日は生憎の雨だったが、四国八十八ヶ所を巡り終えての、安堵の顔をした善男善女が何人か参詣しておられた。

今までの総復習の意味をこめて、般若心経を誦し、参詣を終える。最後は雨の中だったが、ほんの少しだけど、何だか光の束が天から降ってくるような明るさを感じた。車は車なりの厳しさを味わいながらの八十八ヶ所の参詣だった。

13時30分、大窪寺を出発して、R193を脇町に出て、撫養街道を土成まで行き、徳島自動車道土成IC近くにある御所の郷という温泉施設のある所へ向う。丁度1時間ほどで到着。未だ小雨が降っている。とにかく温泉へ。平日とあってか、さほど混んでおらず、12日間のお寺巡りのことを思いながら湯船に浸かる。まだそれほど実感が湧かないところがあるけど、もう少し経ったら思い出はもっと深まるに違いない。1時間ほど入ってサッパリする。

この後は、Yさん宅を訪ねる。Yさんは徳島市内にお住まいがあるのだが、今度新しく藍住町の方に家を新築されたとのこと。そこを訪問の予定である。大体の住所や道案内の様子は電話で伺っており、何とかなるだろうと向ったのだが、そう簡単には行かず、少し迷ってしまった。吉野川に近い住宅街の一角のお宅を訪ね当ててお邪魔したのは、16時半近くだった。ご主人が途中まで迎えにお出ででなければ、もっと遅くなってしまったに違いない。

Yさんの新しいお宅は、住宅団地の一角に建てられたピカピカの建物だった。ここはお住まいとしてではなく、奥様の七宝焼教室の会場としてお使いになるというようなお話だった。お部屋の中をご案内頂いたが、そのようなレイアウトとなっている、素敵なお住まいだった。未だ出来上がったばかりで、ご夫婦で来られるのもそれほど多くないとのお話だった。

Yさんとは、毎年北海道でお会いしているのだが、今年はタイミングが会わずお会いすることが出来なかった。奥様と家内は同じ千葉県出身同士ということもあり、話が合うことが多いようである。ご主人は旅車のメカや装備に関しては、様々な工夫を取り入れられて、我々と同じ車なのに、中身は雲泥の差がある。特に電気に詳しい技術屋さんで、その技術力は、奥様の七宝焼の作品作りにも大きく貢献されている。奥様は日展の工芸美術部門でずっと入選を続けられているアーティストである。

その後は心づくしの美味しいご馳走に舌鼓を打ちながら、遅くまで楽しい歓談の時を過したのだった。今夜はここに泊まってというお勧めだったが、Yさんご夫妻は市内の自宅にお帰りになるということもあり、車の中の方が気楽だからと、駐車場をお借りして一夜を過すことにする。旅車というのは、このようなことが出来るので、便利である。車を置く場所さえあれば、寝床は確保されるのである。車の中では気の毒だとお考えになる方が居られるかも知れないけど、我々の仲間内では、泊りがけでお宅を訪問した時は、宿は車の中を使うことが多い。その方がお互いに気楽なのである。

降り続いていた雨もどうやら上がったようだ。明日からは四国を離れて関西方面へ向かう予定である。

 

◇「三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。」

「三世諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。」 については、もうそれほど思いをめぐらすこともない。三世諸仏の三世というのは、過去、現在、未来という意味である。夫々の時間の流れの中にも目覚めた人(=仏)が居て、その人たちは知恵の完成によって、この上ない正しいを悟り得ることが出来た、というのがこの文章の意味だと訳されている。ただ、そうなのだろうなと思うだけである。

これは観世音菩薩が舎利子に向って言っていることばであるから、諸仏というのは、観世音菩薩以外の般若波羅蜜多を獲得した者なのであろう。それは過去や未来の世界だけではなく、現在の世界にも存在しているというのだけれど、一体それは何処に居られるのか。観音様なら、すぐ傍にいるというのがわかるような気がするのだが、他の仏様ということになると、何だか解りにくくなってしまうような気がする。

あまり理屈で考えることには、やはり問題があるようだ。

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