山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14年 北海道旅くらしのレポート <第12回>

2014-07-31 06:52:23 | くるま旅くらしの話

【今日(7/31)の予定】 

  道の駅:鹿追 →(R274・道道・R241他)→ 帯広方面(その先未定)

 

【昨日(7月30日:水)のレポート】天気:  

<行程>

千望峠駐車場 →(道道・R237・道道)→ ファーム富田 →(道道・R237・他)→ 上富良野町・美郷名水 →(道道)→ 上富良野町・カミホロ荘(温泉入浴)→(道道・R237・R38)→ 道の駅:みなみふらの →(R38・道道・R274)→ 道の駅:鹿追(泊)

<レポート>

昨夜は思いもかけぬ来訪者に嬉しくなって、時を忘れて遅くまで歓談が続き、そのおかげであっという間にあの世に直行してしまい、そのおかげで3時過ぎにはすっきり目覚めてしまった。その後はいつものようにブログの作成に取り組み、4時半過ぎに空が明るくなってきたので一時中断し、この後予定しているファーム富田に行く前に水汲みやトイレの処理などを行う。この間に日の出となったが、昨日と同じようにPM2.5絡みなのか、空はぼやっと霞みが掛っており、上る太陽もおぼろげの赤い色をして何となく不気味な感じがした。この千望峠は、上富良野町の観光協会が選んだ「上富良野八景」の一つであり、晴れて澄んだ空ならば、眼前に十勝岳をはじめとする大雪山の連峰が広がる、写真撮りには絶好の場所なのだが、今日はそれらの山の存在など全く不明の状況だった。やはり冬近くでなければだめなのかなと思った。

     

上富良野町千望峠の日の出。太陽は大雪山旭岳の方向から上ってくる。もう相当に日は高くなっているのだが、スモッグでぼやっとしていて、まるで日食の観察風景のようだ。

5時になったので、一先ずここを出てファーム富田に移動することにして出発。ファーム富田は人気の観光スポットであり、今頃のシーズンでは大勢の観光客が押し寄せるので、普通の時間帯では駐車に苦労するのである。自分たちがここを訪れる時は、いつも早朝に行って、着いてから朝食にするのを常としている。これならば自分の気にいった場所に駐車ができるからである。15分ほどで到着。下の舗装してある駐車場は混雑するので、上の方にある砂利敷きの駐車場を利用することにしている。ここならば混雑の始まるのは10時半過ぎであり、その頃には自分たちはおさらばするのが常なのである。ということで、自分はブログ記事作成の続きを行い、相棒は写真を撮りに出かけて行った。買い物の方は9時にならないと店が開かないようなので、一先ず花の様子を見てこようというわけである。6時前の時間帯では、日中大混雑の花畑やメロン売り場などもひっそりとしていて、ここに勤務する人たちが数人動いている程度で、気の早い観光客も数えるほどしかいなかった。

ブログを書き終え、投稿が済んだ頃に相棒が戻ってきた。やはりラベンダー畑はもう花は終っており、あの鮮やかな紫色の絨毯は消えていたとのこと。その代わり、咲き終わりかけた花たちからは、今まで嗅いだことが無いほどの香りが漂っていて、興奮したということだった。お湯を沸かして軽い食事を済ませた後、一休みして、いつもの朝ドラなどを見る。いつの間にか8時を過ぎていた。その後は相棒は店の開店まで一眠りということで寝床へ行き、自分は外を一回りすることにした。最初に上の方にあるラベンダー畑と花畑の方に行ってみたが、確かに花の最盛期は終っていて、なんとなく寂しさを覚えさせられる雰囲気が漂っていた。ラベンダー畑では咲き終えた花の刈り込み作業が行われていて、作業する人たちが鮮やかな紫の作業服を着ているのが印象的だった。急な斜面での作業は大変だなと思った。

   

ラベンダー畑で刈り込み作業に取り組む人たち。花の紫は薄れて、作業着だけが鮮やかに見えた。

その後は、トラディショナルラベンダー畑と呼ばれるラベンダー栽培の原点となった畑の方へ行ってみた。ラベンダーの栽培がうまく行かず、止めようかと思った時に、残り咲いている花たち畑をどうしても潰す気になれず、もう一年と辛抱したその後で、現在につながる奇跡が起こったのだと、畑脇にその思いを込めた案内の説明板があった。ここがファーム富田のラベンダー畑の発祥の地ともいうべき場所なのだなと思いながら、咲き終え第に観光客が増えだし、賑やかさが増してきた。観光客の半数以上が中国、台湾、韓国などからの人たちの様である。中には傍若無人に大声で騒ぎまわっている奴もいて、かつて日本人も彼らの国を観光に押し掛けた時は、同じように浮かれていたのかななどと思った。余り批判はできないなとは思うけど、浮かれ過ぎないように願いたい。夏休みなのか、子供連れで来訪している人も多く、アジアの各国も豊かさを増してきているようである。

   

ファーム富田の花畑。ラベンダー以外にもさまざまな花が工夫されて植えつけて育てられ、来訪者を楽しませてくれている。

汗をかいて車に戻り、もう自分のここの観光はいいやと思った。相棒が起き出して買い物に出かけて行った。今日も霞がかかった晴れの天気で、気温はかなり上昇してきている。車の中は、30度を目指し始めたようだった。朝方の涼しさはとうにどこかへ走り去ったようである。その後相棒が戻ってくる間、この先の行程などを地図を見ながら考えることにした。あれこれ思いを巡らした結果、今日は無料で入れる十勝岳山麓の温泉に入った後、狩勝峠を越えて帯広に近い鹿追町の道の駅に行って泊ることにしようと思った。この後ここを出て、先ずは美瑛の白金温泉近くにある美郷名水で湧水を汲み、そこで昼食にした後、近くにある新たな名所の「青い池」のその後を覗き見て、その後はカミホロ荘という山の温泉宿に行って温泉を楽しみ、その後に鹿追の道の駅に向かうという行程である。買い物を終えて戻ってきた相棒に話すと異論はなくOKとなった。

10時半ごろ、続々と入って来る車とは反対にここを出て白金温泉の方に向かって出発する。先ずはR274に出て、上富良野町から日の出公園の脇を通って、山道をしばらく走って白金インフォメーションセンターに出る。その交差点を左折して少し行くと、左手に美郷名水がある。ここには木陰の駐車スペースもあり、夏には絶好の涼を得られる数少ない場所の一つである。今日は水汲みの人も少なく、自分たちにとっては好都合の雰囲気だった。さっそく水を汲み、お湯を沸かして蕎麦を茹で上げる。冷たい水に晒すと、茹で上げられた蕎麦君もキュッと身が締まるのか、途端に抜群の味となるのである。今日は先日岩見沢で買った江丹別の蕎麦を食べることにした。北海道の蕎麦は、今では長野県に蕎麦を供給しているほどで、その味も品質も内地の本場を凌ぐほどなのである。自分が気に入っているのは、江丹別と幌加内の蕎麦、これらはいずれも旭川の北部エリアの産地である。そしてもう一つ十勝平野の新得蕎麦も外すことはできない。先日岩見沢でそれらのすべてを手に入れている。手打ちでなくても乾麺でも十分に美味い蕎麦なのである。少し横道に逸れました。

蕎麦は、先日七戸で買った山芋を下ろし入れ、更にタルミさんの菜園で育てられた山ワサビを下ろし入れて、そこら辺のいい加減な蕎麦屋なんぞのシロモノよりは数段優れた美味さだった。満足した後は、ロクに休む間もなく水を汲んで水槽とペットボトルを満たし、出発の準備をする。温泉に入るまでには少し腹をこなしておく必要があり、ここからは少し先にある美瑛の新名所の青い池というのを久しぶりに再訪することにした。青い池というのは、砂防ダム工事でせき止められた川が、その底に何やらコバルトブルーに光を屈折させる成分を湛えているらしく、水が青くなって見えるのである。小さな規模のダムなのだが、立ったまま枯死した樹木がそのまま残って、何やら神秘的なムードを醸し出している場所なのである。初めて行ったのはそれができて間もない頃だったので、来訪者もそれほど多くはなかったのだが、その後急に人気が出て、たちまち観光スポットとして観光バスも立ち寄るようになったのである。今では、昔からの名所のように毎日大勢の観光客が訪れている。野次馬というのはいつの世にも必要不可欠なのかもしれない。斯く言う自分たちも、まぎれもない野次馬の仲間に違いない。厳しい未舗装のでこぼこ道を危なげにしばらく走って駐車場にたどり着き、5分ほど歩くと池の青い色が見えてきた。何枚かの写真を撮る。池の脇の散策路には人が溢れ交錯していた。それらの人を避けて写真を撮るのは気疲れがするほどだった。ここもその大半はアジア系の外国人だった。

   

青い池の景観。美瑛といえば丘の景観が有名だが、山岳部にはこのような新名所も生まれている。

青い池見物の後は、更に山に向かっての坂道を上り、白金温泉の脇を通って、十勝岳の登山口の一つの望岳台のある方の道へ入る。かなりの急坂が続いて、車があえぎ出すにつれて、周囲の景観、眺望はその素晴らしさを増してくる。望岳台の入口を通り越して、少し行くと道はいったん下りになり、その後再び上りが続く。吹上温泉の熊の湯の脇を通り、もう一度坂を下り上って、ようやくカミホロ荘に到着した。ここには初めての来訪だった。山の湯宿という雰囲気の溢れた場所であり建物だった。カミホロ荘というのは、近くに聳えるカミホロカメットク山という1900m超の山に由来するものなのであろう。十勝連峰は日本でも有数の巨大な山塊だと思う。その芯がまだ生きており、十勝岳は今日も噴煙を上げているのが見えた。オンコ(=イチイ)の木で出来た浴槽は薫り高く、何とも言えない良い雰囲気だった。お湯も熱からず温からずの柔らかな泉質で、山の緑を見ながらの入浴は、これから鹿追に向かうことなどをすっかり忘れさせるほどに、心身を癒してくれた。十二分に満足してカミホロ荘を後にする。

その後は、20kmを超えるという長い坂を下り降りて上富良野の町を通り抜け、R274に入って中富良野町、富良野市、南富良野町と4つの富良野エリアの自治体を通過すべく走り続ける。富良野市からはR38に入り、ノンストップで走り続けて南富良野町の道の駅でしばらく休憩。その後は狩勝峠を越えて長い坂を下って十勝平野の端の方に降りて、新得町の蕎麦畑などを脇に見たりしながら、鹿追の道の駅に着いたのは、17時半近くだった。今日は180kmの走行となって、途中温泉などにも入ったせいか、終わりごろになってから少し疲れを覚えたりした。

鹿追の道の駅には何度もお世話になっており、町中を歩き回ったこともあって、懐かしさを覚える場所の一つである。相棒などは、何年か前には近くの体育館でフォークダンスの練習が行われるのを見て,飛び入りで参加させてもらった経験もある。さっそく売店に行ったら、大幅に売り場が改善されていたので驚いた。ジャガイモの新しいのがないかと期待していたのだが、それがズバリと叶って嬉しかった。男爵とインカのめざめという2種類を買い入れ、その後インカのめざめの方をさっそく塩茹でしてみたのだが、文句無しで美味かった。昨日サワダ山から頂戴したインゲン豆を茹で、それにキャベツの漬物で一杯やって、何とも珍妙な食事内容だったが、皆それぞれに味を主張していて、自分にとっては、満悦の晩餐だった。相棒の所感は別であることは言うまでもない。後は眠りに就くだけである。

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14年 北海道旅くらしのレポート <第11回>

2014-07-30 07:41:41 | くるま旅くらしの話

【今日(7/30)の予定】 

  千望峠駐車場 →(道道・R273・道道)→ ファーム富田 →(道道・R273・他)→ 帯広方面へ(詳細未定)

 

【昨日(7月29日:火)のレポート】天気:晴れ(PM2.5の煙霧酷し)      

<行程>

道の駅:マオイの丘公園 →(R274・R234・R12)→ 道の駅:三笠 →(R12)→ 道の駅:滝川 →(R12)→ 道の駅:深川 →(R12)→旭川市内知人宅 →(道道・R273他)→ 千望峠駐車場(泊)

<レポート>

2度目の道の駅:マオイの丘公園の朝は、良く晴れていて、気温も快適さを覚えるレベルだった。ただ、少し空に霞がかかっているのは、依然としてPM2.5なる怪しげな黒い霧が影響しているのだろうと思った。どうもいつもの北海道の空とは何かが違うなと思った。昨夜はよく眠ったせいか、朝の1時には目覚めてしまい、それから1時間ほど我慢したが、2時には起き出してブログの記事作成に取り組んだ。終ったのは4時少し前で、それから歩きに行こうかとも考えたのだが、何だか少し眠気がやってきたので、もう少し寝ることにして寝床にもぐりこみ、結局起き出したのは6時を過ぎることとなった。

今日からは道東に向かってちんたらと気ままな行程を考えている。8月の初めごろには別海町のいつものふれあいキャンプ場入りを考えている。今日は昨日の岩見沢までの道を行ってR12を滝川まで行って、そこからR38を芦別経由で富良野まで行き、上富良野の千望峠辺りに泊ろうかと考えている。富良野では中富良野町のファーム富田に行き、相棒が何やらの買い物をしたいということなので、もうラベンダーなどの花を見るのは最初から無理だとは思っている。とにかく今日は千望峠に泊ることだけを考えての出発だった。

9時過ぎまで道の駅にいて、構内にある地元野菜の販売店でジャガイモや玉ねぎなどを手に入れることにした。この道の駅も車旅の人たちには人気があり、昨夜も20台を超すほどのそれらしき車が泊っていた。その半数以上は9時前には出発して、それぞれの次の目的地に向かって行かれたようである。我々はかなり遅れての出発ということになる。地元野菜の売店は、農家の人たちの直営らしく、数軒の店がそれぞれの地域の畑で採れた新鮮な野菜を並べていた。見て回った中からジャガイモを買ったのだが、その後で相棒はスライスして食べる目的での小型の白い玉ねぎを一箱追加して買い入れていた。農家の方たちはいろいろ研究して、今まで見たこともないような野菜を作っておられて、初めてここに来た時は、その熱心さに驚かされたのを覚えている。今回も相当に色の変わったカリフラワーやブロッコリーなどが売り場を彩っていた。今ではこれらの作物もこの地では普通の食材となっているのであろう。自分たちの住む守谷の農家の連中とは全く違うなと思った。守谷の農家の多くは殿さま農業を営んでおり、常磐道の守谷SA内に新しく開店した販売店は11時からの開店で、野菜類も魅力的なものは何もなく、工夫や努力を感じさせるものは何もない。旅に出る度にそのことを感じているのだけど、それを誰にどのように伝えればよいのかが判らず、もどかしい思いにとらわれるのである。

野菜を買った後、9時半近くに出発する。昨日の岩見沢までの道を辿り、岩見沢からはR12に入って、旭川方面に向かう。先ずは滝川の道の駅を目指す。本当は滝川の手前の美唄の先辺りから歌志内経由で行った方が近いのだけど、わざわざ滝川まで行くのは、道の駅の脇にある焼鳥屋さんのが美味しいという事前の情報を知人から頂戴していたからなのである。それでどうしてもそれを味わいたかったというわけ。滝川に着く前に、三笠の道の駅で小休止する。滝川の道の駅へは11時半過ぎに到着。話に聞いたその店はちゃんと今日も煙が上がっていた。さっそく相棒が近づいて行って注文する。10分ほど待って出来上がり。知人から聞いて来たのだという旨を話したら、一本おまけをしてくれたと、相棒が話していた。おしゃべりも時には絶大な効果があるものだなと思った。

焼鳥の臭いを嗅いだら、もうここまできたら米処の深川にある道の駅のおにぎりを食べないわけにはゆかないということになり、深川の道の駅に行って昼食にすることになった。外はギンギラの暑さで、カラッとしていないので、身体に響く空気である。間もなく道の駅について、相棒はさっそくおにぎりの買い入れに出かけて行った。しばらくすると電話があり、これからご飯が炊きあがってのおにぎりとなるとのことで、しばらく待たされる。ここのおにぎりは、自分たちにが寄った時には必ず食べることにしているもので、美味しい米の特大のおにぎりなのである。焼鳥を紹介いただいた知人も、どうやら焼鳥とおにぎりはセットになっているらしく、おにぎりも紹介されていたのである。間もなくおにぎりを抱えた相棒が戻ってきて、超美食の昼食となった。外は暑過ぎるほどの暑さなので、ああ、これにビールが付いていたら天国なのになあと、さらなる欲に思いが馳せったのだった。

昼食の間に今までの考えを改めて、ここまできた以上は旭川経由で美瑛の景観などを見ながら富良野まで行った方がいいということになった。1時半ごろに深川の道の駅を出発して、旭川に向かう。その途中で、焼き鳥屋さんを紹介して頂いた旭川在住の知人のサワダさんに、挨拶もせずに素通りするわけにはゆかないという話となり、相棒もどうしても寄りたいということで、突然の訪問を決めたのだった。しかし、ご本人がおられるかどうか判らないので、取り敢えず電話をして見ることにする。道脇に車を停め、電話で伺ったところ、幸いご在宅で、OKの了解を頂戴することができた。突然の話だったので、驚かれた様子だった。

その後、ナビに従って、たちまちサワダさんの事務所に到着する。初めてのしかも突然の訪問だったのに、サワダさんは快く迎えて下さった。2年ぶりの再会だった。サワダさんも旅で知り合った知人で、何年か前それぞれの知人を介して知り合った仲である。サワダさんには娘さんが一人おられて、2年前にお会いした時は高校生だったその娘さんも昨年就職されて、今はもうOLとして頑張っておられると聞いている。今日は勿論仕事で勤務先であり、お会いすることは叶わなかったけど、その分お母さんと旧交を温めることができ、先ずは良かったとの我々だった。30分ほど歓談に時を過ごし、お邪魔をお詫びてして事務所を辞す。

このまま富良野まで行ってもまだ日は高く暑さも半端ではないので、久しぶりに美瑛の五稜エリアにある辻サクランボ園を訪れることにた。このサクランボ園は、美瑛のパッチワークの丘と呼ばれる丘陵の奥の方にあり、もう何度も訪ねている。北海道のサクランボは道南の仁木町などが有名だけど、ここのサクランボもなかなかのものだと思う。自分たちはいつも1kgほどを買い入れ、美瑛の丘にその種を播きながら味を楽しんでいる。サクランボといえば直ぐに山形という話になるけど、自分たちの場合は山形のサクランボは見るだけのもので、味わうのは北海道が第一、その次が青森だと思いこんでいる。今年はもう最盛期を過ぎているようだったが、辻サクランボ園の赤い美しいその実は、いつもと変わらぬ微笑ましい味をして待っていてくれた。サクランボというのは、自分にとっては食べるのが惜しい愛すべき果実なのである。

サクランボ園を後にして、しばらくパッチワークの丘を走り、間もなく北西の丘公園の駐車場に車を停め、ここで陽ざしが弱まるのを待つことにした。少し前に東京在住の親友からメールが入り、しばらくその返信に時間を費やした。写真を撮ろうと思っていたのだが、今日も空全体がうす雲に覆われていて、陽ざしはあるものの遠くの方は霞みの中で何も見えないという状態なのである。その霞も、黒っぽくて、いつものそれとは違っているように感じられた。美瑛の丘の折角の景観もこれじゃあ台無しだなと思った。写真を撮るのは止めて、付近を少しばかりうろつく。相棒はいつもの手づくりガラス屋さんに出かけて戻って来ない。17時頃まで過ごして、今日の宿を予定している上富良野町の千望峠に向かう。その前に町のスーパーに寄って少々の買い物を済ます。

18時過ぎにそろそろ夕食にしようかと思っていた頃、携帯の電話が鳴り、どなたかからかと思いながら出ると、何と先ほどお邪魔したサワダさんからで、娘さんが帰宅して、どうして私だけ会えないのということで、これからそちらにお邪魔しても良いですかというお話だった。旭川からだと小1時間は掛る距離であり、大変だなと思ったけど、来て頂けるとはこんなに嬉しいことはない。ということで、お二人の到着を待つこととなった。19時半ごろに到着される。

それから22時近くまで、4人(といっても女性二人が大半を占め、自分と娘さんはホンの少し声を発する程度だったが)の歓談は、切れ目なく続いたのだった。その内容などについては、これはもうプライバシーのことであり、ここに書くことはできない。嬉しい時間だった。明日は又仕事でお忙しいお二人を見送って、我々も我に返って眠りに就く。必然的ハプニングの多かった一日だった。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第10回>

2014-07-29 04:00:09 | くるま旅くらしの話

【今日(7/29)の予定】 

  道の駅:マオイの丘公園 →(R274・R234・R12・R38他)→ 芦別経由・富良野方面(詳細未定)

 

【昨日(7月28日:月)のレポート】天気:晴れ     

<行程>

道の駅:マオイの丘公園 →(R274・R234・道道)→ 栗山町:継立自動車工業(下部塗装)→ [塗装の間に岩見沢市内にてコインランドリー、その帰途温泉入浴] →(R234・R274)→ 道の駅:マオイの丘公園(泊)

<レポート>

昨夜はずっと雨が降り続いて、夜明け近くまで雨音が車の天井を叩き続けていた。この分だと、明日の午前中辺りまで回復は持ち越されるのかと心配だったが、5時過ぎに起き出して外を見ると、雨はすっかりあがって、青空が広がりつつあった。こうなると、こりゃあ今日は暑くなるぞと、たちまち今までの涼しさの味わいとは逆の心配が頭を持ち上げてくる。北海道の夏は雲のありなしで、この頃は極端に体感を狂わせるようだ。

今日は近くの栗山町にある自動車工場で、SUN号の下部(=底部)の塗装をして頂く予定になっている。それで天気が心配だったのだが、この青空ではそれはもう大丈夫だと安心した。工場まではここから30分ほどで、8時過ぎには車を持って行って準備に掛って頂くことになっているので、少し早目にここを出発しなければならない。昨夜は遅くまで再会の喜びと楽しさを共有した隣のミズノさんご夫妻と一先ずのお別れをして栗山町に向かったのは7時半を少し回った頃だった。一先ずというのは、お互い先の予定はそれほど明確ではなく、近々又何処かで再会が叶うかもしれないからである。自分たちは、今日は塗装の成り行き次第で、今夜何処に泊るかまだはっきりしていないのである。

栗山町の継立地区にある同名の自動車工場は、5年前に旅の知人から教えて頂いて一度SUN号の底部を塗装して頂いた所である。本当は昨年お願いしようと予定していたのだが、急に旅を止めざるを得なくなって1年遅れたけど、今年はどうしてもやって頂こうと旅の初めの段階で対処して頂くことにしたのだった。朝一番の参上だったけど、社長は既に仕事で外出されたらしく、お会いできなくて担当の方に車を預ける。塗装が終わって、車が使えるのは夕刻となるので、その間は代車を出して頂いて、それを利用して過ごすことになる。前回は岩見沢市内まで行ってコインランドリーを探して洗濯を終わらせ、少しぶらぶらした後、帰りに温泉に入って戻ったのだった。今回も旅も9日目となり洗濯物もかなり溜まってきているので、前回と同じような過ごし方を予定している。

ということで、塗装をお願いした後は、岩見沢の方に向かう。岩見沢市は札幌と旭川の中間近くに位置するかなり大きな街で、5年前に来た時には、郊外のショッピングモールが賑わっていて、大都市並みだなと少し戸惑ったのを覚えている。あの時は代車をイオンの駐車場に停めて、車のナンバーなど確認することもなく、そのまま店の中に入って買い物などをしたのだが、終って外に出ると出口を間違えたのか、車を何処に停めておいたのかが判らず、その後大汗をかいてかなりの時間探し回って、ようやく発見に至ったという苦い経験がある。このイオンは建物の三方が広大な駐車場になっており、出入り口も皆同じようなレイアウトになっているため、初めての来訪者が出入り口の名称を覚えていないと、まるで目くらましに遭って、異次元の世界に来たような混乱を覚えるのである。

そのイオンを脇に見て、コインランドリーを探したのだが、以前あったと思われる場所の道を往復してもそれらしきものが見当たらない。看板は残っているのに、そこにあるのは蕎麦屋さんなのだ。その後かなり時間をかけて探し回って、ようやく少し離れた場所に見つけ出す。やれやれである。代車なのでナビなどなく、足で探すしかない。それでも見つかって良かったと安堵する。それから2時間近くかかってようやく洗濯を終える。相棒の話では、今まで利用した何処のコインランドリーよりも料金が高かったとのこと。これはもう、諦めるしかない。

洗濯が終わった後は、少々買い物をしようとイオンに行く。周辺には大型の家電販売店やドラッグストアなどが幾つもあって、以前来た時はかなりの賑わいだったのだが、今回は落ち着いた雰囲気だった。あれから5年が経って、正常な姿に戻ったのかもしれない。平日の月曜日でもあり、来客の少ない日だったからなのか、以前と比べてかなり商売のトーンが下がっているのを感じた。よく見ると、5年前にあった食べ物の店などはその大半が消え去って、新しい別の店が進出したり様変わりしたりしている。イオンの中に入って見ても客は少なく、広大な売り場は静まり返っている感じがした。世の中の動きの激しさを改めて実感したのだった。5年前に焼き魚を食べそこなったのを取り返そうと、ひそかに昼飯に期待していたのだけど、その店も無くなっていて、やむを得ず昼食はイオンの中のそば屋さんで、そばではなく丼物を食した。

その後は、他の店などを覗いて少々の買い物をし、とにかく暑いので温泉に入って休むことにして、栗山町郊外にあるゴルフ場の温泉に入りに行く。この辺りには、温泉の日帰り入浴を営業しているホテルなどが多くて、今回も以前にも何度か行ったことがある、シャトレーゼゴルフ&スパリゾートホテル栗山という所に行くことにした。広大なゴルフ場の中に立つホテルには天然温泉が設けられており、ゴルフ客でなくてもその良質のお湯を楽しむことができる。16時過ぎまで、温泉と高原の空気をじっくりと味わって過ごした。

17時少し前に工場に戻ると、既に塗装は完了していて、社長が出迎えて下さった。以前お会いした時と少しも変わらず、お元気そうに活躍されているお顔だった。そのあとしばらく旅の話題などで歓談のひと時を過ごす。17時半すぎ、お別れの挨拶をして、今朝出発した長沼町の道の駅:マオイの丘公園に向かう。当初は他の地に移動しようかとも考えていたのだが、無理をすることもあるまいと思い直し、最も近い道の駅のマオイの丘公園にもう一泊することにした次第。もしかしたらミズノさんも居られるかな、などと期待したが、どうやら新たな場所へ向かわれたようで、それらしき車は見当たらなかった。

夕食時には珍しく相棒も一杯やるのだと、念願のサッポロクラシックを有田焼のコップに注ぎかざして、「うみゃ~」などと一人ご満悦だった。今日は二人とも結構歩き回り、動き回って疲れてしまい、19時前には寝床に入り込んで、たちまちの爆睡となった。

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14年 北海道旅くらしのレポート <第9回>

2014-07-28 06:06:24 | くるま旅くらしの話

【今日(7/28)の予定】 

  道の駅:マオイの丘公園 →(R274・)→ 栗山町:継立自動車工業(下部塗装)→ その先未定

 

【昨日(7月27日:日)のレポート】天気: 雨 

<行程>

北広島市内の知人のケビン →(道道・R274・道道)→ 厚別区内知人宅 →(道道・R274)→ 道の駅:マオイの丘公園(泊)

<レポート>

二日間もゆっくりと過ごして、今日は新たな移動日となる。といっても、それほど遠くない厚別区の相棒の知人宅にお邪魔した後、午後遅くは名古屋からお出での、これ又旅の知人との再会を果たすことになっている。天気は雨との予報だけど、朝方6時前の空は青空も覗いていて、とても雨が降る様は思えない感じだった。今朝は昨日買ったダンベルを両手に1時間余り登山靴スタイルで、付近を歩き回った。ショッピングモールの更に先の方まで行ってみると、何故か一度来たことがあるような記憶が甦った。何なのだろうと思いを巡らしたら、そこはもう北広島市ではなく、札幌の清田区に入っており、以前にこの近くにあったキャンピングカーのビルダーがあった近くなのだと気がついた。これほど近くだったとは、ある日突然来訪した者には決して気づくはずがないことだったのであろう。土地を知らない者の危うさの様なものを感じたのだった。7時少し前に車に戻る。

食事の後出発の準備をする。タルミさんの畑をもう一度丹念に見て回って、北海道というこの土地での野菜類の作付けなどを確認した。ほぼ内地と変わらない作物が何種類も植えられていたが、その生育状態は、やはりかなり遅いなと思った。順調に育っているのは判るのだけど、たとえばナスやトマトなどは、ようやく花が終わって実が膨らみ出したレベルであり、やはり光と温度の質量が違うのだなと思った。1か月半くらいのずれがあり、恐らく収穫期も短いのだろうと思った。それにしてもかなりたくさんの種類の作物が植えられており、それらがそれなりに育っているのを見て、タルミさんの並々ならぬ百姓への情熱を垣間見た気がした。自分も百姓志向の人間であり、その意気込みを高く評価したい。記念に何枚かの写真を撮らせて頂いた。

あれこれと準備を整えて、9時過ぎ相棒の大切な知人の、厚別区に住まわれるタケダさん宅に向かって出発する。相棒はその昔東京在住の時に、小金井市にある江戸東京たてもの園という博物館施設のボランティアガイドをしていたことがあり、その関係で北海道の旅の中で野幌にある開拓村を訪ねた時にそこで同じようにボランティアガイドをされていたタケダさんと知り合い、それ以来の交流が続いている間柄なのである。もう一人同じボランティアガイドをされていたタムラさんとも、今日は一緒にお会いできることになっているとのこと。この方たちの邂逅はもう何度か実現できているのだけど、今回は2年ぶりということもあって、相棒の思いはいつもよりもかなりハイレベルになっているようである。30分ほどでタケダさん宅に到着する。自分は彼女たちの邪魔をする立場ではなく、また仮に一緒に仲間に加わることを勧められたとしても、とてもそれを楽しむ自信はなく、とにかくひたすらに辞退するだけである。ジジイが彼女たちの話題に加わるなんて正気の沙汰ではないと思いこんでいるので、相棒を預けた後は、さっさと消え去ることにした。

その後は、先ずは近くにある運動公園の駐車場に車を停め、しばらく付近を散策したりして歩きを楽しむ。この頃は青空がむき出しになって、強烈な日差しが地面を襲って、こりゃあ天気予報とは大分違うなと、少したじろぐほどの暑さとなった。車に戻ってしばらくネットで調べ物をしようとしたのだが、つながらない。どうやら今いる場所が、凹地で谷底の様な地形なので、電波のキャッチが難しいのかなと思い、その後、少し先にある谷底ではない別の駐車場の方に移動する。しかし、そこでもネットがつながらず、どうやら厚別区のこの辺では、電波が歓迎してくれないのだと、ネットの調べ物は止めることにした。

気づけば、12時近くになっていたので、昼食にしなければならない。食材の入っている箱を見たら、スパゲッティとインスタントのトマトソースの袋があったので、それを茹でて食べることにした。このレベルのメニューは、その場しのぎとして時々行っており、慣れているので何ともない。今頃相棒たちは何を食べているのかな、などとは決して思わずに、一人優雅に食事を済ます。その後は、しばらく本の制作に用いる旅の写真の選定をしようと取り組んだのだが、どうも気が乗らず、こんな時はやっぱり午睡に限ると寝床の中へ。この頃から空模様は一転して黒雲に覆われ、驟雨が襲ってきた。それを子守歌に聞きながら、しばらく眠って、目覚ましの音に目を開けた時は14時丁度だった。相棒には15時をリミットにして貰うように念を押しており、あと1時間の余裕がある。雨は小降りになっていたが、依然降り続いており、止む気配はなさそうである。

実はここへ来る前の暑さに襲われた晴天時に、車の入口に敷く四角のシートが少し湿っていたので外に干したのだが、それを移動時に忘れて途中でどこかに落としてきてしまっていたのだった。雨なので、それがないとカーペットが濡れてしまい困るのである。仕方がないのでタケダさん宅近くにホームセンターがあったのを思い出し。そこへ行って買うことにして移動することにした。行ってみると、何と2年前には確かにそこにあったホームセンターがなくなっており、今は大型のスポーツ用品を扱う店となっていた。その後はもう新たに店を探すのは面倒になり、時間もリミットにかなり近くなっていたので、お宅近くの公園でしばらく待機し、間もなくタケダさん宅に。丁度15時にまだ話足りなそうな顔をして相棒がタケダさんとタムラさんに送られて玄関から出てきた。お礼とお別れの挨拶を交わして出発する。

この頃も雨は本降りで、ワイパーの動きが忙しなく続いていた。今日の宿の道の駅:マオイの丘公園に向かう。途中敷きマットを求めようとホームセンターなどを探したが、結局見つからず諦めることとなった。16時少し前に道の駅に到着。今日のもう一組の再会予定の名古屋からのミズノさんは、既に何日か前に先着されており、その脇に車を入れる。あいにくの雨はますますやむ気配はなく、降り続く中だった。待ち構えておられたように奥さんが顔を出されて、これ又2年ぶりの再会を喜び合った。

その後は、17時過ぎまで歓談が続き、夕食は構内のレストランで摂ることにして、それが終わって更に夜遅くまで歓談が続いた。ミズノさんご夫妻とは数年前にやはり道内で知り合った仲で、何とも心のシンクロナイズする大切な知人である。ご夫妻はお酒を殆ど飲まれず、小さなワイングラスに、最小サイズのビールを二人で仲良く乾杯されるのを見た時は、アル中にほど近い自分には想像もつかない微笑ましい姿に映ったのだった。夕食の際にもビールだけで済ます自分を、お二人はやや訝しげにご覧になっていたようだった。

食事が終わった後の歓談もミズノさんの車の中で尽きぬ話題に果てしなく続きそうだったので、明日のことも考えて21時近くには切り上げることにした。雨は依然降り続いている。明日は晴れるというけど、本当なのか少し心配になえるほどだった。相棒は今日は一日中話をし続けて、存分に満たされたのであろう、先に寝床に入るとあっという間の爆睡だった。自分は午睡もしているので、まだ眠りには余裕があり、そのあと少しブログの下書きをして、間もなく寝床の人となる。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第8回>

2014-07-27 05:21:36 | くるま旅くらしの話

【今日(7/27)の予定】 

  北広島市内の知人宅 →(道道・R274・R12)→ 厚別区内知人宅 →(R12・R274)→ 道の駅:マオイの丘公園(泊)

 

【昨日(7月26日:土)のレポート】天気:雨時々曇り(PM2.5警報発令)    

<行程>

終日北広島市内知人のケビンに滞在

<レポート>

今日の天気予報は雨で、午後からはかなり大降りになるとのことである。今日も一日ここでゆっくりさせて頂いて何処にも行かず、これからの旅のために英気を養うつもりでいる。オーナーは所用があって今日は午後からお出でになると聞いているけど、お構いなく勝手に過ごさせて頂くことにしている。

朝方は雨は降らず、どんよりと雲が垂れ込め始めていた。昨日は北海道では各地でPM2.5が急激に増えるという騒動があり、札幌でも大騒ぎとなっていた。嗅覚の鈍感な自分にはあまり感じなかったのだが、戌年生まれで異常嗅覚ともいえる相棒には、かなり厳しい空気を感じたようで、煙くさいというようなことを言っていた。夕刻には旭川の知人からもメールがあり、やはり相当にPM2.5が厳しいらしく、心配されての連絡だった。後でニュースを見ていたら、何やらシベリアの方で大規模な山火事があり、その煙などが北海道の方まで流れ届いたというようなことを言っていた。全く、この頃は世界規模でいろいろな不安事が起こっているようで、何か不気味である。

朝方の内に少し歩いておこうと考え、登山靴をはいて付近の散策に出かけることにした。昨日とは違う方向に行ってみようと、未開発のエリアに向かったのだが、歩いて行くと思っていたような道ではなく、全く何もないような所に向かって行くようなので、引き返すことにした。もう少し昨日の続きの大通りの方も見て見たいと思っていたからである。原野的な景色は札幌近郊よりももっと田舎の方でじっくり訪ね歩きたいと思っていることもある。引き返す途中に梅の木が一本あり、何とその木に青い実がたくさんついているのを見て驚いた。関東では6月の半ばには収穫されるのに、ここでは今頃が収穫期なのである。これは今まで気付かなかったことである。梅が採れるということもはっきり知らなかったのだが、この地でもちゃんと実をつけているのだなと、初めて知った次第である。

引き返して、昨日歩いた工業団地の先の方へ行って見ることにした。この辺り一帯は全部工業団地なのかと思っていたのだが、歩いて行くとそうではなく新興住宅地も多いようで、それに呼応するかのように、幾つもの大型のショッピングモールなどが進出してきているのが判った。昨日のホームセンター並みの大きさの同類の店があるかと思えば、アウトレットや世界展開の倉庫販売の店などもあって、ここでの暮らしは札幌都心よりも便利なのではないかと思うほどだった。話には聞いていたけど、これほど先端を行っているエリアだとは思わなかった。

感心しながら歩いていると、俄かに大粒の雨が落ちてきたので、慌てて引き返すことにした。大丈夫だろうと、めんどうくささもあって傘を持参してこなかったのを悔んだけど、後の祭りである。ケビンまでは30分近くあり、本降りになったら濡れるまでだと覚悟を決めての歩きだった。しかし、幸い大したことはなく、直ぐ小雨になって無事に戻ることができた。今日明日のこの雨は台風崩れの余波が影響していると天気予報で言っていたけど、北海道の梅雨の末期症状なのかもしれない。エゾ梅雨なるものはまだ明けていないのではないか。何だか中途半端な歩きとなり、どうも旅先では欲求不満となってしまう。止むを得ないことではあるけど。

相棒も起き出していたので、その後は朝食とする。朝食が済んで、何もすることはなく、ただしばらくはTVを見て過ごす。旅の間にこのような朝を過ごすことは殆どないので、何だか手持無沙汰で落ち着かない。朝ドラを見終わった後はもう一度寝床に入って横になる。今朝も4時前には起き出しているので、寝床に入れば直ぐに眠りがやって来て、目覚めたら10時近くになっていた。まだ雨は降っていない。ちょっと歩きを兼ねて買い物に行くことにした。相棒も途中まで一緒にゆくとのこと。今朝下見をした感じになっている、もう一つの大型のホームセンターに行き、家を出る時に持参を忘れてしまったダンベルを買う。朝の歩きの時に両手に持ってバランスをとりつつ胸の筋肉などを鍛えるのに必要なのである。期待していたよりも良いものが安価で手に入って満足した。帰り道は雨が本降りになったが、今度は傘を持ってきているので、何の心配もない。

車に戻ると、相棒がいないので、まだ何処かに引っかかっているのかなと電話をしたら、ケビンの方にいるとのことだった。考えて見れば当たり前のことではある。12時近くになって、昼食の担当は相棒。ご飯を炊いておにぎりを作るとのこと。おにぎりの前に自分だけ軽く一杯ご飯を食べさせてもらった。その後でおにぎりも一個食べさせてもらったが、全部おにぎりで食べればよかったなと思った。他愛もない話である。

昼食の後は再び車に戻り、寝床の中へ。TVなど見ているよりも寝床の中の方が自分にはずっと向いているようだ。家にいる時も大体同じようなことをやっている。寝床中では勿論惰眠が中心なのだが、それでも時々は考えことなどをして、何かが見つかることもあるのである。今日はただの惰眠だけだった。ゆっくりするということは、このような惰眠まみれの時間を過ごすということなのであろう。

 

要するに今日は特に書くことなどないのである。よくもまあ愚にもつかぬ事ばかり言っているなと、我ながら呆れつつ書いている次第である。今夜もここに錨を下ろさせて頂いて、明日は相棒の親しき知人宅を訪ね、その後に道の駅で名古屋から来ておられる旅の知人と2年ぶりの再会を果たすことになっている。そして、明後日はSUN号の下部塗装をしてもらう予定であり、のんびりできるのも今日までである。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第7回>

2014-07-26 05:21:36 | くるま旅くらしの話

【今日(7/26)の予定】 

  終日北広島市内の知人宅に滞在予定

【昨日(7月25日:金)のレポート】天気:  

<行程>

終日北広島市内の知人宅に滞在

<レポート>

 昨夜は遅くまで歓談が続いて、たちまちの爆睡となったが、2時過ぎには目覚めてしまい寝付かれなくなった。が、しばらく考え事などをしている内に再び眠りに落ちて、次の目覚めは5時近くになっていて驚いた。クボさんは所用があり、自分が目覚める前に早や戻られたようで車はなくなっていた。間もなくタルミさんもお出でになり、これ又所用で間もなく自宅にお帰りになった。お二人とも多忙な中をわざわざご歓待頂き、ただただ頭が下がるばかりである。

 今日は我々二人だけがこの別荘を貸切で使わせて頂くことになっている。真にありがたいことである。とにかくゆっくりと休むことにしようと考えている。今日も天気は雨の心配はなく、かなり暑くなりそうだ。湿気が少なそうなので、過ごすにはそれほど暑さは気にならない感じがした。他人(ひと)様の家に旅の途中で二人だけで泊るという経験は初めてなので、ゆっくりするといっても一体何をすればよいのか、少し戸惑いがある。

先ずはブログの定例報告を書き終えて、朝食とする。いつのも通り、車の中でのパンとお茶だけの質素な内容である。TVでいつもの朝ドラを見た後、一人近くを散策することにした。この辺りは大曲というエリアで、工業団地となっているらしく、少し歩くと、付近には新聞社の印刷工場や著名な企業などの工場や倉庫らしき大きな建物が連なっていた。その中にホームセンターがあったので中に入って見たら、これ又その規模の大きさにびっくりした。守谷辺りにもかなり大きなホームセンターがあるけど、ここはその倍以上の売り場面積があるように思った。特に買いたい物もないので、しばらく店内を歩いて商品の種類や陳列の仕方などを観察した。これだけ広いと、買いたいものが何処にあるのかを探すのに苦労するなと思った。大物や一般的な商品なら直ぐに判るけど、小物の特殊なものになると自分で探すのは不可能の様な気もした。9時開店だったけど、30分ごろに外に出て見ると広い駐車場がかなりの車で埋まっているのを見て驚いた。北海道は何につけても規模が大きいようで、関東の田舎者には戸惑うことが多い。1時間ほど歩き回ったのだが、工場団地のほんの一角を歩き回っただけに過ぎず、全体の様子をつかむには3時間くらいは必要だなと思った。

車に戻って、折角なので車を出て別荘の方へ移動する。風が良く通って暑さは全く感じない。それどころかうす雲が空を覆い出すと、風に冷たさを覚えるようになった。快適な気温と空気で、周辺の緑が爽やかに目に映り、癒される気分になった。この建物周辺は未開のエリアが残っているようで、表通りの団地の方には幾つもの企業の建物が見えるのだけど、その反対側は昔の北海道が残っているようだった。しばらくその景観を味わったりして過ごす。

少し経って、北海道の旅のガイド誌の「HO」を買いに行くことを思いつく。ついでに、先日から腹の調子が悪く軟便の傾向にあるので、整腸薬も買うことにして車で外出することにした。近いようでも歩くとかなりの時間がかかるので、相棒の体力を考えると車を使わざるを得ない。今朝の歩きではコンビニは見受けられなかったので、車でないと見つけるのが大変だと思った次第。「HO」を買うのは、温泉や食事の割引や無料での利用などができるクーポン券が付いているからである。勿論旅の情報などを得る上でも役立っているのは当然のことである。毎年この情報誌のお世話になっているけど、今年も外すわけにはゆかない。車で広い大通りを少し行くとコンビニがあったのだが、気づかずに通過してしまった。その先にドラックストアがあったので、中に入って整腸薬を買い、直ぐに飲むことにした。丁度向かい側にコンビニがあり、その後そこへ立ち寄り「HO」を2冊買い求める。それが終わって目的が叶って別荘に戻る。30分くらいの外出だった。

12時近くになったので、お昼は野菜の具だくさんのカレーにするという相棒の決めに従い、車から米他の材料を運ぶ。手造りのキャビンは、入口が急な階段となっているので、物を運ぶのには相棒の負担が大きくなるため、運搬は自分の役割となる。カレーは袋入りのインスタントの奴に、自宅から持参したナスや途中で買い入れた野菜類を軽く炒めて混ぜ合わせるという簡便なものなのだが、これが結構いけるのである。調理は相棒の担当で、間もなくご飯も炊きあがって、久しぶりのカレーライスとなった。何だか家にいる時の気分と同じになった。腹が膨れると目の皮がたるむというのは理の当然で、その後は床に寝そべってしばらく午睡を楽しんだ。旅が始まって既に1週間目を迎えているが、このような形で静養ができるのは、まことに幸せである。

2時過ぎに目覚めて、「HO」見ていたら、近くに半額で入れる温泉があったので、そこへ行くことにする。北広島ゴルフ場の中にある「天然温泉 楓楓」という所で、ここからは8km足らずの距離である。さっそく準備をして出掛けることにする。温泉は旅の間の楽しみの一つである。既に今回も2度味わっており、今日が3度目になる。ここは初めてなので、どんな所かと期待が高まる。「HO」があると、普段では決して行かないようなところへでも行くことができるので、北海道内の温泉情報を得るのにも大いに役立っている。

10分足らずで到着する。「楓楓」は、森に囲まれた広大なゴルフ場の中に建つ北広島ホテルクラッセの大きな建物の横に造られた日帰り温泉施設を兼ねた浴場で、温泉を楽しみに来る人も多いようだった。さっそく300円也を払って中に入る。濃い茶色をした源泉の様で、温泉らしい湯の感じがした。熱からず温からずの適温で、ゆっくり入っていると、身体の芯から疲れが抜け出て行くのが判るような気がした。サウナやミストサウナもあり、水風呂と合わせてそれらも楽しんだ。又、温泉の中からは森の緑が目の前で、露天風呂に入ると、マイナスイオンがすーっと胸の中まで浸透していい気分になった。楓楓とはカエデの木のことだろうから、どれなのかなとそれを探したら、目の前に何本かのイタヤカエデらしき木が緑の葉をそよがせていた。1時間ほど心ゆくまで温泉を楽しんだ。

4時過ぎケビンに戻る。汗を流した後は、ビールと決まっている。ビールを飲めば眠くなるのも決まっている。決まっていることはきちんと守らなければならない。というわけで、大相撲が終わる頃までにはすっかり眠りの体制は出来上がって、夕ご飯などは忘れて相棒に任せて、19時頃には早や白川夜船の人となっていた。今日は最高の静養日だった。

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14年 北海道旅くらしのレポート <第6回>

2014-07-25 07:20:31 | くるま旅くらしの話

【今日(7/25)の予定】 

  終日知人宅に滞在予定宅 

 

【昨日(7月24日:木)のレポート】天気:  

<行程>

道の駅:アップルスペースよいち →(R5・道道・R393)→ 小樽市内・知人宅 → 小樽IC →(札樽道)→ 北広島IC →(道道)→ 知人宅(泊)

<レポート>

余市の朝はよく晴れて、今日は暑くなりそうな予感がした。昨日までは梅雨の兆候を残した毎日だったが、今日からは暑い北海道の日中が待っているのかもしれない。今日は午前中はここに居て過ごす予定にしているので、時間に余裕があるので、久しぶりに早朝の歩きを復活させることにした。ここに来るといつもマリーナのある浜の方に行くことにしているのだが、今日も行って見ることにした。余市川に沿っての歩道は、10分ほど歩くと直ぐに河口で、傍の港にはたくさんのヨットが係留されていた。小型が多いけど、中にはかなり大きいものもあり、あれに乗って沖まで行って、ついでにもっと先まで行けたらいいなあと思ったりした。船は弱いので、自分的にはただ空想するだけで、その時間も短い。港には漁船も幾つか留っており、この浜の山手にはその昔の幕府の運上所の番屋風の建物が残っており、古くからの漁業基地だったのであろう。浜の一部は公園になっていて、広い駐車場には旅車と思しき車が数台留っていた。港の構内を岸壁の方までゆっくりと散策した。今頃は漁も休みの時期なのか、船の動きはさっぱり見えず、岸壁の向こうには穏やかな海が朝の太陽の光を湛えて遠くまで輝いて見えた。久しぶりの海の香りを嗅いで、癒される気分だった。その後も周辺を歩き回って、1時間ほどで車に戻る。相棒もようやく起き出していた。

道の駅にはかなりの旅の人らしい車が泊っていたが、皆さん早朝に出発される方が多くて、7時頃になると8割方の車は消えていた。残っているのは長期滞在者のようで、車の中を覗くと、皆さん様々な工夫をされて狭い空間を巧みに使われているのが分かる。自分たちが15年前ほど前にくるま旅を始めた頃を思い出した。寝床も食事をする場所も方法も、よほど工夫しないと、小さな車では厳しいのである。SUN号は必ずしも広いとは言えないけど、キャブコンなので、今はそれほど苦労しなくても旅が叶っている。これは当たり前と思うのではなく、感謝の気持ちが大事だなと思ったりした。

今日の午前中は、9時に開店のニッカウヰスキーの工場内売店の方に行って車を置き、工場内の散策の後買い物をし、その後は近くにある柿崎商店の食堂で早めの昼食を済ませ、小樽の知人宅に向かう予定でいる。知人宅の訪問が終わったら、次は札幌郊外北広島市にある知人の別荘にお邪魔する予定でいる。9時近くに道の駅の駐車場に隣接するニッカの工場の、ぐるっと向こう側にある駐車場の方に車を移動させる。そこには売店があり、ウイスキーに係る商品や地元の名産品などが販売されている。帰りにもう一度寄れるかどうか判らないので、土産として長期保存の効くものを幾つか買うことにしている。まだ旅は始まったばかりなのに、早くも土産の心配をするのは如何なものかと思ったりしながらの買い物だった。ウイスキー工場はその広大な敷地の大半が、原酒の熟成のための倉庫が連なっており、真に静かな環境である。公園といっても差し支えないほどだ。もう何度も来ているのだけど、何時来ても飽きることはない。次回の朝ドラではここに初めてウイスキーの工場を創った竹鶴さんの人生がその夫人と共に紹介されると聞いており、始まるのが楽しみである。リタ夫人の部屋などの残る建物は覆いがかぶせられて、ただ今は閉鎖中となっていた。ドラマと何か関係があるのかもしれない。遠く英国から来られたリタ夫人には、日本国に日本人として住むためには、言い知れぬご苦労が数多くあったのだと思う。それをどうご主人の竹鶴さんが支えながら、ウイスキーづくりというそれまでの日本には無かった事業をつくり上げていったのか、興味津津である。

10時半過ぎ、近くにある柿崎商店の食堂に向かう。ここは車旅の者には名所の一つになっている場所だ。我々も良い地を訪れた時には、寄るのが当然の場所となっている。安くて美味いものを食べさせてくれる店なのである。魚介類を中心としたメニューは少ないけど、北海道の味を充分に味わわせてくれるのである。今日は少し踏ん張って、相棒はウニ丼、自分はブリ定食をオーダーした。先日東北道の国見SAで夕食に焼き魚定食を食べて以来の魚物のメニューだった。あの時は小さなサンマの干物に汁と漬物類が少し付いている程度だったけど、今日は同じ値段でブリの刺身、煮物、焼き物までが付いているという豪華な内容だった。福島の山奥と海近くのこの場所の、同じ価格での食べ物内容の格差は、唖然とするほど大きい。それにしてもこだわり過ぎかななどと、そのようなことを思いながら、十二分に腹を満たしたのだった。

11時過ぎに車に戻り、小樽に向けて出発する。いつもだと当然海岸線のR5を行くのだけど、今日は相棒の要請もあり、赤井川村経由の山越えで行くことにした。赤井川村といえば、キロロという名のリゾート地が有名である。その脇を通って小樽に向かう道を行くのだが、その途中にハムやソーセージの販売をしている牧場があり、そこで何か獲物を探したいというのが相棒の頼みなのである。山間を行く道は緑豊かで、車も少ないので、海側を行くよりもずっと安全な走行ができたように思う。少し遠回りとなったけど、相棒の願望も満たされて、間もなく峠を越えて曲がりくねった坂道を下り、小樽の市街に入る。奥沢という所にある知人のクドウさん宅には、13時少し過ぎに到着する。

2年ぶりの再会だった。お二人ともお元気そうで、中札内から来られた知り合いの方と一緒に迎えて下さった。もう一人小さな女の子がいて、これは兄弟の方のお孫さんが遊びに来ているのだという。何時来ても温かさの溢れるお宅である。それから15時半頃まで、2年間のご無沙汰を埋める話が続いたのだが、それを書くことはできない。ただ、思い知らされたのは、2年間というのは人には様々な出来事が起こる長くて短い時間なのだなということだった。我々も倅が結婚して孫が生まれるという予想もしなかった出来事があったのだが、こちらではご主人が大病を患われて、昨年秋から今年の春まで4カ月もの大手術の病院暮らしを続けておられたとのことだった。ご主人の話を聞きながら、この人の強靭な人間力に改めて心を打たれた。この方は若い頃に機械に巻かれた事故で、大怪我をして片一方の足を失い、両手にも傷を受けての障害を持つ方なのである。彼を支える奥さんも障害を持っていて、お二人で支え合いながら、これまで幾多の難関を乗り越えて来られたご夫婦なのである。そのような厳しい身体条件なのに、今度は大病に襲われ、普通ならばめげるのは必定なのに、それをビクともせずに正面から向き合って乗り越えるというのは、凄い勇気というか強靭な精神の持ち主でなければできないことであろう。それを支える奥さんのパワーも素晴らしいものだと、改めて感銘を受けたのだった。

クドウさん宅を辞して、北広島にある知人の別荘に向かって出発する。途中札幌の市街地を通るのは避けて、小樽からは札樽道を利用することにした。入口が分からなかったが、こんな時はナビは便利で、ナビ無し主義を忘れ去った今は、その恩恵に浴するのを当たり前だと考えるようになっている。我ながら節操の無い、いい加減な奴だと思うのだが、時代に遅れないためには、そのいい加減さが求められるのかもしれない。高速道に入ってからは、快調な走りで、1時間足らずで北広島ICを下りる。別荘へは5分ほどの至近にあり、今回は迷うことなく到着する。

別荘のオーナーはタルミさんである。タルミさんは札幌市内在住の方だが、何年か前にこの地に手造りの別荘を建てられ、建物の周辺に畑をつくられて、農作を楽しんでおられる。タルミさんの知人の方も良く訪れて、皆さんで交流を楽しんでおられる中に、いつの間にか自分たちも加えて頂いたのだった。立派な別荘なのに、タルミさんは決して別荘などとは呼ばず、小屋と呼んでおられる。それは農事の際の宿という思いが込められた手造りだったからなのかもしれない。ケビンとかヒュッテという風情もあり、小屋という日本語のイメージは、タルミさんの場合は、それが正しいのかもしれない。車を停めて入ってゆくと、タルミさんはお一人で我々のために懸命に掃除をされていた。2年ぶりの再会の挨拶を交わす。

実は今日はタルミさんを取り巻く何人かの知人の皆さんにもお会いできるのかなと、密かに期待していたのだが、その後にお話を伺うと、タルミさんのご家族を始め、皆さんそれぞれ事情があって、お出でにはなれないとのことだった。その中で無理をお願いしてクボさんが来て下さることになっているというお話だった。いやあ、ノーテンに考えていた自分たちが少し恥ずかしくなった。先ほどのクドウさんの時にも思い知らされたのだけど、この2年間という時間には、本当に人様々な変化が思っており、大変なことなのだなと改めて思ったのだった。出来事の多くは、やはり健康維持に係るトラブルが殆どで、その他も嬉しいことよりもその反対の出来事が多いのは、同世代の一人として認めざるを得ないと思った。

間もなくクボさんがお見えになり、それからあとは22時過ぎまで4人で尽きない話題の歓談に時を過ごす。調理はクボさんとタルミさんが担当されて、自分たちは客になった気分になってその恩恵に浴したのだった。タルミさんが思いつかれて畑から採って来る香味野菜類は、お二人の料理の味を引き立てて、やはりここは小屋でいいのだなと思った。話題の多くは憂い含みだったけど、4人で過ごした時間は心安らぐ嬉しくも楽しいものだった。お二人に心から深謝申し上げたい。ありがとうございました。

22時過ぎ、車に戻りたちまち爆睡となる。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第5回>

2014-07-24 05:32:29 | くるま旅くらしの話

【今日(7/24)の予定】 

  道の駅:アップルスペースよいち →(R229・R5)→ 小樽市内・知人宅 →(R5・銭函IC)→(札樽道)→ 北広島IC →(道道)→ 知人宅(泊)

 

【昨日(7月23日:水)のレポート】天気: 雨後くもり 

<行程>

道の駅:YOU・遊・もり →(R5)→ 道の駅:くろまつない →(R5)→ 道の駅:ニセコビュープラザ →(道道)→ 真狩湧水 →(道道)→ 道の駅:ニセコビュープラザ →(R5・R229)→ 道の駅:アップルスペースよいち(泊)

<レポート>

森町の朝は雨だった。昨夜はずっと雨粒が車の天井を叩き、朝になってもその勢いは一向に衰える感じはなかった。こんなに雨が降り続けると又ゾロどこかで被害がなければいいがと心配になる。2時頃に起き出し、ブログの記事を書き始めたのだが、その間ずっと雨は勢いよく降り続けて、やはり異常気象が気になるのは仕方がないことではないか。7時頃になってようやく小降りになり始めたようだった。今日は移動日、なるべく早く雨は上がって欲しい。降るならばタイヤの摩擦熱を吸い取る程度の優しい降り方であって欲しいと願う。7時過ぎに朝食を摂った頃はその願望が少し通じたようだった。

8時過ぎ、ナビで朝ドラを見た後出発となる。その後は降ったり止んだりの天気が続いた。森町の道の駅を出た後しばらくは海岸線の道に出て、八雲から長万部と、平地の長い道が続く。少し離れて山寄りの方に高速道が走っているけど、そこを通っている車は殆どいないようだった。R5も高速道もさほど変わらない走行環境で、制限速度の差はあっても、R5で制限速度以内の走りをしている車は見られない。大型のトレーラーが追い越し禁止区間の中を制限速度に近い走り方をしている普通車を追い越して行ったのには驚かされた。

長万部からは、噴火湾に沿って走るR37を行く車が多くて、R5の方は自分たちだけとなった。山沿いの道は敬遠する人が多いのかもしれない。我々にとっては幸いである。貸し切りとなった道路を辺りの緑の景色を楽しみながら、しばらく走って間もなく黒松内の道の駅に着く。ここでしばらく休むことにする。黒松内の道の駅は、ちょっとおしゃれな雰囲気があり、それはパンとハムやソーセージといった洋風の食べ物が販売されていることによるものであろう。人気があるらしく、これらを求めて立ち寄る人が多くて、今日もかなりの車が停まっていた。相棒はさっそくパンのコーナーに向かって行ったようである。自分は地元産の野菜売り場に行き、採れたてのジャガイモを一袋買う。100円也。これを昼に茹でて食べようという算段である。傍に洗い場があるので、さっそく土を落とすことにした。採れたてなので、表皮がきれいにはがれて、すべすべしたピカピカに光るジャガイモとなった。お昼が楽しみである。このようなバカな行為をする来訪者は自分一人らしく、地元のジサマが寄ってきて、今から茹でるのかい、と珍しそうな顔をして声をかけてくれた。

10時30分、黒松内の道の駅を出発。次はニセコ経由で羊蹄山の麓にある真狩村の湧水を汲むことにしている。家を出て以来5日目となり、この間に使った飲料水のペットボトルは既に6本になっていた。相棒は新しいペットボトル区分するためにと、ラベルをはがして準備をしていた。羊蹄山麓には何ヵ所かの湧水があるようだけど、京極町の噴出し公園が一番有名のようだ。しかし、ここは水を汲むのには少し不便さがあり、自分たちはいつも真狩の湧水を頂いている。

ニセコの道の駅の脇を通って、真狩村の方へ向かう。11時を少し過ぎた頃か。間もなく水汲み場に着く。今日もかなりの人が水を汲みに来ていて、少し離れた場所に車を停める。空のペットボトルは相棒が担当して、自分の方は車の水槽を満たすべく、10Lのポリタンで何回か水を運んだ。何度来てもこの湧水のパワーには圧倒される。壮観である。ひんやりとする冷たさで、真に美味なる名水だ。商売に使うのか、4Lの焼酎のペットボトルの空の奴を50個近く持ってきて水を詰めている人がいるのに驚いた。誰がどれほど汲んでもここの水は尽きることはなさそうだ。満足して水汲みを終える。

その後は、ニセコの道の駅に行き、昼食休憩とする。丁度正午近くで、ジャガイモを茹で始めたら正時を告げるサイレンの音を聞いた。相棒は売店の方に行ったまましばらく戻って来なかった。ここの地元野菜の売り場は、人気があり多くの来客がある。我々もこの時期はここで新鮮な野菜を買うのを楽しみにしている。相棒はそれを味わいに行ったのであろう。火を使っているので、車を離れるわけにはゆかない。ジャガイモが茹であがる少し前の頃にようやく戻ってきた。何種類かの野菜を手に入れて来たようだった。ようやくジャガイモが茹であがって、自分の昼食となった。相棒はジャガイモはあまり食べない。何やらパンの様なものを食べていたようだ。今日のジャガイモはトウヤという品種である。新鮮なので、美味いに決まっている。小粒のものを十数個茹でたのをあらかた腹に収めてしまった。他に食べたいものはない。これが自分の今日の昼食である。

昼食の後は野菜売り場を覗いてみた。生産者の方がこの売り場を運営しているのか、レジ以外にも何人かのそれらしき人たちがいて、お客さんに声をかけたり、要望などを承っているようだった。その熱心さが伝わってくる。守谷の常磐道のSAに新設された地元野菜の販売所では、11時開店などという殿さま商売をやっているけど、このニセコの農家の人たちの姿を見たら、どう思うだろうか。感動するよりもあきれ返るのか。その反応を見たいものだ。自分は普段から守谷の農家の怠慢ぶりに怒りを覚えているので、このニセコの農家の人たちの取り組みの姿を見ると、感動してしまう。知人たちと食べようと考え、スイカを一個買い入れた。

13時過ぎニセコの道の駅を出発して、あとは今日のゴールの余市の道の駅を目指すだけ。先ほどまで時々雨粒が落ちて来ていた空も、しばらく走っている内に雲が割れてきて明るくなり、もう雨の心配はなくなったようだった。峠らしきトンネルを潜り坂を下るとサクランボで有名な仁木の町に入る。道脇にサクランボの畑と売店が並んでいる。もう終りに近い時期なのかもしれない。数は少なそうに見えた。それらの景色を通り抜けると余市の町で、間もなく道の駅に到着する。14時半少し前だった。

先ずは、風呂に入ることにする。近くに余市川温泉というのがあるので、歩いて行くことにした。余市は日本人最初の宇宙飛行士の毛利さんの出身地で、その出来事を記念しての建物や装置などが道の駅にも備わっており、駅名も「アップルスペースよいち」と、毛利さんの偉業に因んでいる。余市川温泉にも宇宙の湯と書かれていた。道の駅からは余市川の橋を渡って5分ほどの距離にある。もう何度もお世話になっているのだが、こんなに早い時間での入浴は初めてのことだった。1時間ほど温泉を味わって、さっぱりした気分で車に戻る。

夕刻までにはまだ大分時間があるので、取り敢えずビールを一杯やって午睡をとり、その後で夕食にしようと、寝床に入ったのだが、相棒はその後ちゃんと起きたらしかったが、自分は目覚めるのを忘れて、気づいた時はもう21時を過ぎてしまっていた。これでは夕食など論外で、眠りが尽きるまではそのまま行ってしまおうと、再び寝床の中に定着する。とんだ一日の終わりとなったのだった。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第4回>

2014-07-23 06:01:46 | くるま旅くらしの話

【今日(7/23)の予定】 

  道の駅:YOU・遊・もり →(R5)→ 道の駅:くろまつない →(R5)→ 道の駅:ニセコビュープラザ →(道道)→ 真狩湧水 →(道道・R5)→ 道の駅:アップルスペースよいち(泊)

 

【昨日(7月22日:火)のレポート】天気:  

<行程>

大間崎キャンプサイト → 津軽海峡フェリー乗り場 →(津軽海峡フェリー)→ 函館フェリーターミナル →(R227・函館新道・R5他)→ JR森駅 →(道道・R5他)→ 東大沼公園キャンプ場 →(道道・R5他)→ 香雪園 → 知人宅 →(R278)→ 道の駅:なとわえさん →(R278・道道・函館新道・R5)→ 道の駅:YOU・遊・もり(泊) 

 <レポート>

いよいよ、というか、ようやく、というか、北海道上陸の日が来た。2年ぶりなので、少し新しい気分でその時を迎えようとしている自分があるように思った。昨夜はあっという間に熟睡して、目覚めたのは1時過ぎ、2時まで我慢して、起き出してブログのレポートを書く。それが終わって4時過ぎにはもう外は明るくなっていた。5時半ごろにフェリー乗り場に行けば良いので、少し外を散歩することにする。勿論相棒は眠りの中にいる。天気はうす雲りで、今日はそのような空模様がずっと続く感じがした。ここから本州最北端の岬の碑などがある場所までは100mもない。すぐ傍である。日が昇り出して、岬に行ってみると、働き者の女性が一人海の中に入って何やら海草の様なものを採っているのが印象的だった。何度も見ているのだけど、マグロの一本釣りのモニュメントの写真を撮ったりした。そのようなことをしている内に5時になったので、車に戻る。

大間崎のまぐろ一本釣りのモニュメント。この地に住む漁師の意気込みが伝わってくる感じがする。

間もなく相棒も起き出し、身支度も終わったようなので、フェリー乗り場に向かって出発する。5分ほどの距離だ。それでも2年ぶりの所為か、道を間違えたりしながら乗り場に到着する。驚いたことにその場所が少し変わっていて、立派な建物が建っていた。フェリーの船が「ばあゆ」から「大函丸」になったというのは知っていたけど、乗り場が変わっていたのは知らなかった。2年という時間は長いのだなというのを思い知らされた。あっという間の2年間だったのに、である。大函丸は、新造船ではなく就航後50年のベテラン船だそうで、ばあゆよりも少し大きいように見えた。以前よりも函館までの時間が10分短縮されているので、その分船の性能は優れているということなのであろう。

フェリー乗り場の待合室は立派な建物と変わっていた。

新しく(再)就航した大函丸。以前のばあゆは車の乗船口が船の正面後方にあったが、この船は前方の横手となっていて、下船は正面後方となっている。

6時50分発なので、いつもは20分ほど前からの乗船となるのだが、今回は40分も前の6時10分過ぎから乗船が開始されたのも、何か新鮮味があって驚かされた。乗る前に軽く食事でもしようかと考えていたのが不意になり、少し調子が狂った。船の中は以前のばあゆと基本的には変わっていなかったが、デッキが狭くて、外に出られる場所が少なく、何だか閉じ込められ感があって、物足りなさを感じた。ま、90分間の我慢なので、地図などを見ている内に函館山が見えてきた。予定通り8時20分に到着して、車ごとの下船となる。上陸である。函館も同じような天気で、うす雲が空を覆っていた。

朝食は、いつもそうしているように一先ずJRの森駅まで行って、名物のイカ飯弁当を買ってから東大沼のキャンプ場まで行って、そこでゆっくりと味わうことにしているのだけど、相棒の薬を飲む時刻の都合もあるので、とにかくフェリーターミナル近くの駐車場に入って、軽い食事を済ます。その後は予定通り、JR森駅に向かう。森駅までは函館新道を走ってR5に入り30分ほどで到着。まだ温かいのを買い入れて、さて、今回は味が回復しているかな、などと思いながら大沼公園の外れの方にあるキャンプ場に向かう。10時30分になっていた。

今日は二人のワタナベさんに会う予定である。お二人とも函館在住の方で、今から10年以上前、同じ年に旅の途中で、別々に知り合った仲である。お一人は市内在住、もうお一人は合併前の恵山町在住の方である。今日は市内在住のワタナベさんに午後3時過ぎに会う約束となっており、恵山町のワタナベさんには、今夜は恵山町の道の駅に泊るつもりなので、その時にご挨拶に参上しようと思っている。午後3時までにはかなり時間があるので、それまではこのキャンプ場でゆっくり休むことにした。先ずはイカ飯を食す。少し味が回復しているようで、満足レベルだった。このイカ飯の弁当は全国駅弁大会のコンテストでナンバーワンだそうで、我々も随分昔からそのファンなのだが、一時味が落ち出してがっかりしていたことがある。なかなか回復の兆しがないので、もう食べるのは止めようかと思ったりしたのだが、今日のレベルだと大丈夫そうである。

食事が終って、再び眠気が襲ってきて、二人ともその後は早々の午睡を貪る。目覚めたのは13時を過ぎていた。近くにある留の湯に入ろうかなどといっていたのだが、それは止めることにして、函館市内に向かうことにした。市内の香雪園という富豪の別荘(?)跡近くにワタナベさんはお住まいなので、今は見晴公園となっているその場所の駐車場に行って、そこで待つことにした。途中で給油などしながら、14時半過ぎ到着する。ワタナベさんは、奥さんが今はもう相棒の大切な親友となっているのだが、今はお母さんの介護で大変な時期を迎えておられ、その忙しい合間を縫っての訪問なのである。しばらく時間があるので、一人公園の中を散策する。広大な敷地は森を生かしたものとなっていて、緑の中の散策は心が洗われる感じがした。15時近く、相棒から電話があり、OKとのことなので、車に戻る。ご主人に迎えに来て頂き恐縮する。住まいの場所までは2分もかからない近さだった。

さて、それから後は17時過ぎまで、3年ぶりの再会の話が爆発した時間だった。それを書くことは不可能である。3年という時間には、お互い膨大な変化の出来事が含まれていたのだなと、しみじみ思い知らされたというのが、その感想ということであろうか。そして、何よりも心身の健康が大事なのだということも改めて確認させられたことだった。良い時間だった。17時半近く、名残を惜しみながら恵山に向かって出発する。

小一時間ほどで恵山の道の駅に到着する。挨拶に参上する時刻のご都合を伺おうと、相棒が電話をしたら、何とご主人が体調不良で伏せっておられるとのこと。偶々奥さんが外出されており、後30分ほどすれば戻られるということなので、奥さんの帰りを待って挨拶に伺うことにした。その後奥さんが戻られて話を伺うと、ご主人は腰を痛められているとのこと。お邪魔して身体に負担をかけるようなことがあってはいけないと考え、奥さんにだけ挨拶して大事をとって頂くことにして、辞す。同世代の一人として、自分自身も用心しなければならないなと思った。

恵山の道の駅は海のすぐ傍なので、東日本大震災の大津波以降ますます神経をとがらせるようになった相棒の顔を見ると、今夜はここに泊らない方がいいと書かれていた。急遽予定を変更して、もう一度函館市内に戻り、今朝駅弁を買った森町にある道の駅に行って泊ることにした。それから1時間半ほどかかったけど、20時過ぎには到着して、今日は函館市内を何度も往復通過した感じの一日を終える。明日は雨との予報だが、寝床に入る頃には小雨が降り出したようだった。

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‘14年 北海道旅くらしのレポート <第3回>

2014-07-22 03:25:22 | くるま旅くらしの話

【直近の既決予定】

 7月23日(水) 移動日 <宿泊:道の駅スペースアップルよいち>

 7月24日(木) AM:ニッカ工場見学 PM:小樽市内知人宅訪問 <宿泊:北広島市内知人宅>

 7月25日~26日 北広島知人宅に滞在 <宿泊も同じ>

 7月27日(日) 厚別区内知人宅訪問 <宿泊:道の駅マオイの丘公園>

 7月28日(月) SUN号底部塗装(栗山町・継立自動車)<未定>

 

【今日(7/22)の予定】 

  大間崎キャンプサイト → 津軽海峡フェリー乗り場 →(津軽海峡フェリー)→ 函館フェリーターミナル →(R227・函館新道・R5他)→ JR森駅 →(道道・R5他)→ 東大沼公園キャンプ場 →(道道・R5他)→ 香雪園 → 知人宅 →(R278)→ 道の駅:なとわえさん(泊) 

 

【昨日(7月21日:月)のレポート】天気:曇り後晴れ

<行程>

道の駅:しちのへ →(R4・R279)→ 道の駅:よこはま →(R279他)→ 大間崎キャンプサイト(泊)

 

<レポート>

昨夜はTVを見るために二度寝をしたせいか、熟睡とはならなかった。それでも旅の移動日の間は早朝の鍛練歩行は休みなので、休息としては十二分である。4時過ぎには目覚めて、しばらくためらった後起き出してブログの作成に取り掛かる。旅の間は何もやることがないので、ブログの作成と投稿は自ずと日課となる。しょうもないことも含めてとにかく思ったことを書き続けることにしている。文章の是非などはあまり気にしないことにしているけど、ワープロミスという奴が気になる。最近は、視力も低下し、指先の方も感覚が鈍って、「てにをは」さえも打ち込みを違えることが多く、後で気づいてシマッタ、とほぞをかむことが少なくない。老化現象だけでは済まされないものを感じたりしている。

さて、今日で旅も3日目となり、ようやく明日は函館に上陸となる。今夜の泊りは大間崎のキャンプ場を予定しており、ここからは100km足らずの距離である。急いで出発する必要もないので、10時過ぎまで売店や近くの新幹線駅やイオンモールなどをぶらつくことにする。今日も雲が多く、そのせいかかなり涼しい。夏を忘れかけているという感じだ。この辺りには蒸し暑さというものがないのか、しばらく滞在しても良いような気分になって来る。近くに温泉はあるし、買い物も便利で、少し足を延ばせば十和田湖にも軽く日帰りができ、至極便利な場所なのだ。新幹線の駅ができて、周辺は急速に変わり始めているように見られた。

食事の後一休みして、車のチエックなどを終え、先ずは新幹線の七戸十和田駅まで行ってみた。新幹線を利用する人のための無料の駐車場がかなり広く造られているのだが、そのいずれもが7割以上も車で埋まっていたのには驚いた。3連休の間に新幹線を利用しての人々の動きの証明なのかなとも思った。駅の構内もきれいに整備されていて、次第に新幹線駅としての貫禄を整え出しているように思った。その後はイオンに行って家を出る時に忘れた包丁などを買う。しっかり点検したつもりでも、いざ旅に出てみると忘れているものが幾つかあることに気づくもので、未だかつて完璧だったことはない。これから先は更にその忘れの度合いが増えるのかもしれない。その他に便せんや封筒、それに切手なども忘れており、合わせて買い求める。ここには何でも揃っているので助かるというものだ。

車に戻り、再会が叶わなくなった道内の知人の一人に手紙を一通書く。それが終わって、11時半近く大間に向けて出発する。雲が剥がれ出して青空が覗くようになってきた。日の当る場所は次第に暑さを感ずるようになってきたが、日陰に入ると元の涼しさが居座っていた。あの雲が全て無くなってカンカン照りが2~3日続けば、この地もあっという間に真夏に突入するに違いない。先ほどまでの夏を忘れていたことが嘘のように思われてきた。東北町を過ぎて野辺地から下北道に入り、途中からR279に入り、陸奥湾に沿っての道を北上して、横浜町で道の駅に寄り昼食とする。連休の最後の日の今日も来訪者が溢れており、駐車場は満杯だった。やむなく道の向こう側にある砂利敷きの臨時駐車場に車を停める。

ここの名物はホタテを使った料理で、メニューもいろいろとあるらしい。が、自分たちはいつもホタテのコロッケだけである。ホタテの香りと味は少しするけど、その量たるやわずかのようで、殆どはジャガイモである。ま、ジャガイモ大好き人間としては、何の文句もない。サンドイッチだけでは物足りないので、昨日買った豆腐を冷ややっこで食べることにした。もうこれで満腹である。満腹になれば次に起こる身体的現象は、目の皮がたるむということになり、その後30分ほど惰眠をむさぼった。大間には夕方までに着けば良いだけなのである。

3時少し前に横浜の道の駅を出発する。その後はひたすら大間を目指して、むつ市街を抜け、大畑町からは海岸近くの道を通って、風間ヶ浦村を過ぎ、間もなく大間が崎近くにあるキャンプ場に到着する。まだ15時半を少し過ぎたばかりだった。ここは無料のキャンプ場で、炊事場も整備されており、本州としては珍しい存在のように思う。旅の者にはありがたい場所である。何台もの先着の車があった。キャンプしている人もいるようだった。すぐ傍に本州最北端の岬があり、北海道は目と鼻の先というロケーションにある。

大間といえば何といってもマグロの一本釣りということになるのだろうけど、釣り上げたマグロの殆どは大消費地の東京辺りに行ってしまうようで、地元で食べさせるマグロがどれほど残るのかは判らない。そんな風に聞いている。相棒はマグロを妙に食べたがっていて、前回だったか、ようやくありついたのだが、満足には至らなかったようで、欲求不満はまだくすぶっているようである。このようなことについては、あまりつべこべ言わないことにしている。

来る途中、大間に近づくにつれて海峡の海は風が強いようで、白波が立っていた。穏やかな日は少ないのかもしれない。ここを訪れた殆どの日が風の強い状況で、元々そのような自然環境にあるのかもしれない。直射日光は暑いけど、風は冷気を含んでいて、まだ夏にはなっていない自然が残っている感じがした。天気はすっかり回復したらしく、西日がいつまでも眩しかった。ようやく日が沈んだのは19時を少し回った頃だったか。今夜はただ寝るだけであり、明日の短い航海が無事であることを祈って早目の就寝とする。

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