goo blog サービス終了のお知らせ 

山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

冬のノゲシ 

2019-01-27 06:50:07 | ホト発句

                                                         

                     

           

 

        陽だまりの 野芥子よ耐えよ 春近し

  

           ハッと見る 野芥子の花は 冬の色

  

 コメント:

 冬に咲く花は少ない。けれどもよく見ると、花は咲かせていないけど懸命に寒さに耐えて頑張っている野草は結構多い。それらを見ていると、生き物としての宿命とその尊厳を感じたりする。彼らは自らの力では移動できないから、どんな外敵や季節という障害がやって来てもただひたすらに耐えるだけである。その懸命さは動物の比ではない。

 この野芥子は、ハルノノゲシと呼ばれるものだと思う。日中守谷市とつくばみらい市にまたがるTXの車両基地の中にあるコンクリートで固められた通路を歩いていたら、傍らの陽だまりの中に真っ赤な顔(=葉)をして、花を咲かせている株があるのを見つけた。生命の存在を確認させられた感じがいた。思わず微笑んでシャッターを切った。ここにはもう春が来ているのだと思った。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忍冬(スイカズラ) 

2018-05-08 09:16:40 | ホト発句

 

                                                         

                           

  

             忍冬よ 昭和は遠く 去り逝きぬ

                忍冬の 幼き夢の 甘さかな

コメント:

「忍冬」と書いて「スイカズラ」とも読む。蔓類には珍しい常緑の植物で、冬も緑を湛えているからの呼び名なのか。今頃がこの花の最盛期である。この花を見ていると遠い遠い、昭和20年代半ばの幼い頃を思い出す。

この名を知ったのは、小学校4年生の頃だったろうか。職員室に入った時に、先生の机の上にガリ版刷りの冊子が置かれていて、その表紙に「すいかずら」と平仮名で書かれていた。先生たち有志の何やら作文集のようなものだったらしい。先生に訊いたわけでもないのに、何故かその表紙に書かれていた「すいかずら」の文字がずっと記憶に残った。

 「すいかずら」が植物の名だったのを知ったのは、ずーっと遅くなってからで、50歳の頃糖尿病を宣告されて歩くようになって、朝の通勤時に道端の植物の観察を始めてからだった。しかし、その通勤路にはスイカズラはあまり見かけることが無く、本物を知ったのは還暦近くになってからだろうか。

 今は住い近くの高速道脇の植え込みの藪を仕切る金網柵に絡みついて、至る所に茂って花を咲かせている。この花を引き抜いて、その先っぽを舌に当てると、ちょっぴり甘さを感じる。子どもの頃にツツジの花の僅かな蜜を味わったと同じ思い出が甦って来る。あの頃はスイカズラがどこにあるのかも知らなかった。もうその昔は決して戻ることはないのだが、スイカズラの花の蜜にだけは、思い出が止まっているようだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満天星 

2018-04-08 09:42:56 | ホト発句

 

                                                        

        満天星 空失いて 此処に咲く

          満天星の 煌めきて 春定まれり

 

コメント: 

 「満天星」と書いて「どうだんツツジ」と読む。先日何やらのクイズ番組のようなものをちょいと覗いたら、難読文字を読み当てるような問題が出されており、回答者の多くが首をかしげている中で、超一流大学卒というお笑いタレントらしき人が、みごと「どうだんツツジ」と読み当てていた。これを見ていて、TVを見ている殆ど多くの人は、「さすが○○大卒は違うな」と、ご本人よりも○○大卒の方を納得して首肯しているのだろうなと思った。このような場合、本当はご本人が学問ではなく多くの読書や経験などから正解を読むことができているというのが真実なのである。同じ○○大卒であっても、読めない人は結構多いのではないか。

実は、自分はこの正解は○○大卒の方の答える前に、直ぐに解った。クイズや難読などには全く興味はないのだが、読めない字にぶつかった時は、直ぐに必ず調べるようにしているだけなのだ。満天星もある本を読んでいて何の事かと妙に気になって調べた結果これが「どうだんツツジ」であることを知っていた次第。

それにしてもなぜどうだんツツジが「満天星」なのか。それはこの写真を見れば瞭然のことである。元々は中国での命名とのことだが、この樹の花の咲きぶりを見れば、まさに満天の星なのだ。今の日本には夜空に満天の星が見られる場所は殆どない。せめて地上に咲く満天星を見て、遠い日の夜空の煌めきを思い出すだけである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八つ手の花   

2017-12-16 01:01:18 | ホト発句

                                                       

                     

           喧騒を 忘れて咲くや 八つ手花

          音もなく 八つ手花咲く 日向かな   

 

 

 

          よく見れば 八つ手の花も 饒舌か  

 

コメント:

冬に咲く花は少ない。それらの中で気を惹く花がある。八つ手の花だ。花とも言えぬような、カリフラワーの小型版のような咲きっぷりである。

八つ手は、どちらかといえば日蔭の多い、裏地のような場所に植えられているのが多いのだが、どういうわけなのか通りの脇の花壇のような場所に植えられているのがあって、それがこの写真である。日射しをたっぷり浴びているせいなのか、花が咲きだした頃は控えめだったのだが、次第に主張が強くなりだしたようである。マイペースでひっそりと咲くものが多い中で、この花たちは例外なのかもしれない。

その花をよく見ると、地味なようで、実は結構饒舌なのだなというのが判って、そう言えば、これに良く似たタイプの女性も多いなと思った次第。自己主張というのは、どのような生きものにも天の配分は誤りないようだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソヨゴの実 

2017-10-29 20:56:44 | ホト発句

                                                                         

                        ソヨゴの実輝きて秋一つ深まりぬ

 コメント:

  ソヨゴという木が好きで、土地付きの家に住める時が来たら、必ず植えようと考えていた。それが叶って早や13年となる。当初、どこへ植えるかが問題だったが、考えた結果、門の脇に植えて我が家のシンボルツリーにすることにした。ところが、4本ほどの寄せ植えとして植えたこの木たちは、その後数年経っても少しも生長せず、いつまでたっても植えた時と変わらぬ高さだった。土に問題があるのかと対策に悩んでいたのだが、7年ほど経つと今度はいきなり伸び始め、その後の数年で倍以上の高さに伸びてしまった。あまり伸びてしまうと歩道に迷惑をかけることになるので、それからは延びるのを抑えるための剪定に追われることとなった。

 毎年この季節になると、それまで気付かなかった存在の実が、急に赤みを増し、秋が深まるにつれて真っ赤に輝き出す。その姿を見るのが大きな楽しみの一つである。背景に真っ青な空があれば、その輝きは一層増すはずなのだが、今年は晴れる間もなく、週末に連続して台風が来襲するという異常さで、その楽しみが半減している。

台風が去れば、今度こそは青空が続いてくれるのだろうと期待している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エノコロ草  

2017-09-08 01:12:49 | ホト発句

                                                                    

                     

                  エノコロも頭(こうべ)を下げて秋来る

       猫じゃらし過保護のネコは無縁なり

 

コメント:

  9月に入ると朝夕は涼しさが増し、日の出もかなり遅くなっているのに気づかされる。朝の散策の道を歩いていると、至る所にこのエノコロ草が穂を出し、それが次第に曲がって下を向き始めている。軽い稔りのように見えても、ぎっしり詰まった穂の膨らみは自然下を向くようになるのであろう。そこに秋を感ずることが出来る。庭の除草の際には取っても取っても執念深く生えてくる厄介者だけど、この姿を見ていると何だか許しても良さそうな気分になってしまう。

 エノコロ草は、猫じゃらしとも呼ばれている。しかしこの頃はこの草を摘んで猫をからかうような人はいないようだ。過保護の猫は、猫とは思えぬほど肥満しており、もはや猫じゃらしなどを相手に動ける気力は失ったようだ。そのようなことを思うと、今の世、健全なのは猫じゃらしのような野草たちに当てはまることばのように思えてしまう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花の三姉妹 

2017-08-28 17:31:50 | ホト発句

                                                         

            上中下 いずれも美形 花姉妹

    

               争わず 咲いて照らせよ 花姉妹

コメント:

毎日早朝からの歩行鍛錬を行っている。現在は7~8kmほどの3コースを設けて、それらを順番に歩いている。つまり3日に一度は同じコースを歩くことになる。この規則的な歩きは、様々な同じものとの出会いに気づくことになる。同じ人、同じ犬、同じ猫、同じ木、同じ草等々、動くものも動かないものも、毎回の出会いにはそれぞれの変化があって、結構それらを楽しんでいる。

その中でこの頃ずっと気になっているのは、三個の花を咲かせている野草?がある。道端の疎らな雑草たちの中に一段と目立つ花を咲かせているのは、菊の仲間らしい黄色系の一株の存在である。名を知らないので野草かなと思うのだが、恐らく元は観賞用に庭先に植えられていたものが、野に逃げ出したのではないかと思う。花期がかなり長いようだ。気づいて出会ってから、もう10回以上にもなるので、1カ月以上「あ、今日も咲いているな」とその度に嬉しさを味わせて貰っている。

この花が目立つのは、二つ理由があるようだ。その一は、丈の低い雑草たちの中にあって、30cmほどの高さの花は、際立って見えること。もう一つは一株から3本の茎を伸ばしたその先の花が、縦・横にバランス良く「大・中・小」の花を咲かせていることである。もし1個か2個の花だったら、目立つ力は半分にも至らないだろう。普通に一寸目立つ花が咲いているな、と思って通り過ぎてしまうだけだと思う。それがこのように3個もバランスよく咲いていると、そこにストーリーを感じてしまうのだ。

人はどのような花にもストーリーを感じる力を持っているのだと思う。しかし、暮らしの中で疲れて擦り切れた感性は、いつの間にかストーリーなどとは無縁の世界に落ち込んでしまっている。それはやむを得ないことなのかもしれない。でも、時々はそのような感性を取り戻したいものだとも思う。この花の三姉妹は、そのことを自分に気づかせてくれたのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キンラン(金蘭)

2011-05-14 05:30:46 | ホト発句

                                                          

              キンランの花。その向こうはエンレイソウ。緑の中に優しい金色がまぶしい。

 

 

     黄金の 明かりに愛し 花の精 

                              

コメント:

 

我が家の野草園に咲く幾つかの花の中で、私が最も大切にしているのがこのキンランの花である。この蘭は勿論日本古来のものであり、子供のころは駆け回った林の中などには、どこにでも無造作に生えて花を咲かせていたのを思い出す。同じような蘭の仲間にカキラン(=柿蘭)やササバギンラン(=笹葉銀蘭)がある。カキランは柿の実に似た色の花で、橙色に近い色をしており、ササバギンランは白い色の花である。皆同じような姿かたちをしており、又同じような環境を好んで咲いているようだが、どの種も次第に数を減らしているらしい。その中ではキンランが比較的多く自生しているようで嬉しい。

我家の野草園のカキランは守谷市に越して来てから、近くの山林の中で見つけたものを連れて来たものである。本当は連れてくるのは止めて、そこへ行って見ることができればいいのだが、以前同じような場所に咲いていたのを楽しもうと思っていたら、翌日にはもう誰かが持って行ってしまったらしく、見当たらなくなってしまったのだった。その後も残念な気持ちがずっと燻(くすぶ)っていたのだったが、別の場所に結構たくさん自生しているのを見つけ、1株くらいは連れて来てもいいのではと、相当に罪の意識を感じながら昨年略奪を敢行して持ってきて植えたのだった。1年切りで枯らしてしまっては申し訳ないと、土や下草のことも考えて元あった場所と同じ環境条件を用意して2年目を迎えたのだった。芽が出てくれるのかと本当に心配していたのだが、無事に去年枯れて消えた場所に芽を出してくれたのを見た時は、思わず「おーっ、出たあ!」と快哉(かいさい)を叫んでしまった。嬉しかった。

その花が今咲いている。開花の真っ盛りだ。毎日3回以上訪れては花を観察している。開花の期間は1週間ほどだろうか。なんとも言えない澄んだ黄金色の暖かさを覚える花だ。いいなあ、と思いながら、古希を超えたことなど忘れて、少年の気分になって花を見詰めている。その瞬間は自分が生きていることを忘れながら、その一方でしっかりと生きている喜びを実感している。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翁草(オキナグサ)

2011-05-10 05:40:47 | ホト発句

                                                          

          

          

    

        束の間の 花は終わりぬ 今年(いま)の春

                            

         玉手箱 開けにゃ良かった 夢終わる

 

コメント:

 

散歩の途中にふと見たら翁草があった。まさに翁の風情を醸して風になびいていた。この草は独特で、花とその後の姿は全く違っている。良く観察すれば、タンポポだって花とその後の姿は大分に違っているのだけど、翁草はその名の通りまるで白髪のご老人のイメージを浮かび上がらせる。

何度も同じ道を通っているのだけど、花の咲いているのに気づかなかったのは迂闊(うかつ)だった。従って花の写真はない。花は濃い赤紫のやや厚ぼったい感じの花弁(はなびら)を持っている。この花の仲間には高山植物で有名な九十九草(つくもぐさ)がある。八ケ岳登山のあこがれの花の一つだけど、知識と写真だけで未だ会ったことはない。もう横岳や硫黄岳に登る元気はないので、生涯会えないだろうと思っている。その分、せめて翁草を見て思いを馳せることにでもしようと思う。

翁草はキンポウゲ科の植物である。この科の植物には毒草が多い。翁草も何やら毒を持っているらしく、見た目と違ってその本性は厳しいようだ。植物の毒というのは、使い方によっては薬にもなるということで、この草も漢方では使われているようだ。それにしてもあっという間の老人への変身には驚かされる。自身の毒にやられてしまうのだろうか。

私も翁に近い年齢なのだが、彼らと決定的に違うのは、翁の証のような白髪が無い。髪そのものが無い。もう諦めているけど、この草の姿にちょっぴりジェラシー(?)を覚えたりしたのだった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハルジオンの季節 

2011-05-08 07:17:57 | ホト発句

                                                         

          

          

 

      野に逃げて 春を謳歌の 我が世かな 

                            

          良く見れば 薄き化粧(けわい)の 春紫苑

 

コメント:

 

 今頃どこにでも見かけるハルジオンの花です。漢字では春紫苑と書きます。図鑑の解説によると、この植物は大正時代に観賞用にアメリカ辺りから持ち込まれた帰化植物とのことです。キク科の日本の風情に適った花として選ばれたとのことですが、どうも静かにじっとしている植物ではなかったようで、狭い一定の場所に留まることに我慢ができず、野に逃げ出してあっという間に日本全土に広がって春を謳歌しているようです。

 もはや完全に雑草扱いですが、良く見るとなかなかの美形の花です。その本性は猛烈な繁殖力、生命力に燃えたぎっているようですが、花の姿はなよなよとした恥じらいをさえ感じさせるものがあります。こんな植物に出会うと、今頃の日本女性との落差のようなものを感じて、時々戸惑いを覚えるのは老人の証なのでしょうか。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする