◇お伊勢参りは奈良の山路を越えて
室生寺の参詣を終えた後は、いつもそうなのですが、一旦大宇陀の道の駅に戻って一息入れた後、国道166号で高見山の下を潜り、松阪市の道の駅:飯高駅に向かいます。これは翌日にお伊勢参りをする時のいつものコースなのです。それには理由があって、お伊勢参りは早朝にと決めているからです。駐車場の混まない朝一番ならば余計な苦労をしないで駐車が出来て、そのあとはゆっくりとあの広い森の中を歩いて清らかな大気を胸一杯に吸って味わうことが出来るからです。そのためには前日近場での宿泊が必要なので、いつも道の駅:飯高駅前泊と決めているのです。飯高駅にはいい温泉が併設されていて、いつもその恩恵にも浴していました。今回もいつもと同じようにすることにしました。
ところが行って見ると道の駅はいつもと少し様子が違っていました。何が違ったのかといえば、いつも車を止める場所がなくなっていて、そのすぐ傍にRVパークというスペースが出来ていました。行って見ると同じような駐車スペースに夫々コイン式の給電装置が設けられていました。RVパークのことは今回福岡で体験しているし、大宇陀の道の駅近くの温泉施設にもあったのでそれがどんなものなのかは理解してはいるのですが、料金が無料とか千円/泊くらいならば大いに活用できるのですが、すぐ傍に無料の駐車スペースがたくさんあるのに、べら棒に高い料金なので、とても利用する気にはなりません。ここも同様で、コイン式の給電装置はリーズナブルで賛同できるのですが、それを使用するために高い駐車料を払うのは馬鹿げた話です。それなのにここの道の駅には、車中泊は遠慮しろなどという張り紙があって、何だかスッキリしない気分になりました。道の駅はもともと仮眠できる場所として造られているのですから、滞在なしで一晩泊らせるのは道の駅開設の基本条件ではないかと思うので、RVパークなどというあまり意味のない駐車スペースをつくって、車中泊を妨害するのはけしからんと思った次第です。何だか不愉快な気分になったのですが、近くにある道の駅では安眠が期待できないので、止むなくここに泊ることにしました。温泉に入るのは止めにしました。
翌日は早朝に出発して予定通りお伊勢参りをしました。お伊勢さんには何度もお参りに来ています。いつ来てもあの深い森の空気はさすがだなと感動します。古来より大勢の人が様々な形でここにやって来てお参りするだけの雰囲気があるなといつも思います。1時間以上かけて参拝を済ませ、おかげ横丁などを歩いたのですが、時間が早過ぎて未だ殆どの店が閉まっていました。しばらく待って営業を開始している店に入って、うどんを食しました。名物の伊勢うどんです。とぐろを巻いている太めのうどんにタレをかけて、いつもの味を楽しみました。それからもしばらく時間を過ごして、おはらい町やおかげ横丁の店々を覗いて伊勢参りに来た気分を味わいました。
伊勢参りの後は、今回は特別の予定がありました。それは隣の松阪市にある松浦武四郎記念館を訪ねることです。松浦武四郎は、伊勢松阪出身の幕末から明治にかけての偉大な冒険・探検家です。主に蝦夷地すなわち北海道の探検に功のあった人で、北海道という地名の名付け親としても知られています。私たちはもう20年以上も何回も北海道を旅しており、いろいろな場所でこの探検家の名前を聞いており、蝦夷というまだまだ未開の地を隈なく歩いて、アイヌの人たちに温かい目を向けて、多くの記録を残し、しかもその殆どが独力で旅をしたというのですから、すごいパワーを持った人だったのだと敬服しないわけにはゆきません。旅の偉大な先人の一人として尊敬大であり、今度伊勢に参拝した折には、この人の出身地である松阪にある記念館を是非とも訪ねようと考えていたのです。この日はその念願が叶って嬉しく満足した一日でした。
*閑かなる大樹の杜(もり)に神ありて人の願いは浄化されゆく
*玉砂利を踏みしめ行けば幾万の人のざわめき杜に消えゆく
*何時(いつ)の世も変わらぬ姿そのままに伊勢の大社は人に寄り添う
*伊勢(いせ)詣(まいり)おかげ横丁の楽しみはうどん・赤福・人いきれ
*蝦夷(えぞ)の地を独り訪ねし魂(たましい)の不撓(ふとう)不屈(ふくつ)に頭(こうべ)を垂(た)れる
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