山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

江戸は疲れていた

2011-09-26 05:19:16 | 宵宵妄話

 

 台風が去って、朝夕はめっきり涼しくなりました。しかし、日中にはまだまだ夏の名残りがしつこく頑張っているようで、相当に暑く要注意です。そんな中、先週末に我が家に小さな台風が来訪しました。孫台風という奴です。二人の孫娘は中1と小5になり、すくすくと育ってくれている様です。もはや台風と呼ぶにはふさわしくない年齢に近づきつつあり、余計な声を掛けるのが難しくなって来ています。それでも彼女たちの来訪は、依然として嬉しい小台風の来襲の様な気がします。

それで、土曜日に隣のつくばみらい市にある「歴史公園ワープステーション江戸」へ皆で出かけてきました。せっかくだから旅車で行くことにし、お昼は車の中でうどんを作って食べさせることにしました。外食の方が喜ぶのかもしれませんが、少しヒネくれている爺さまは、なかなか安易な方を選びません。勿論うどん作りは爺さまの担当です。計6人分のうどん作りは結構気骨の折れることでした。

ところで、今日は孫たちの話ではなく、爺さまたちも初めて訪れた隣町の中にある江戸にワープした時の印象です。

つくばみらい市にあるこの小さなテーマパークは、最近のTVや映画の時代物の制作によく登場しています。登場と言っても施設が舞台のセットとして活用されているわけで、京都の東映太秦時代村の茨城版といったところでしょうか。我が家からは車で30分足らずの所にあり、その気になればいつでも行ける場所なのですが、今まで一度もその気にならなかったのでした。興味はあっても、それが行動につながるほどにはならず、せいぜい場所の確認をする程度に止まっていたのですが、この際良い機会なので、「江戸に行くぞ!」などといいながらやってきたというわけです。

初めて見る「歴史公園ワープステーション江戸」は、正面入り口の建物の屋根瓦の修理工事中でした。大震災の被害なのかそれとも先日の台風で痛めつけられたのか、多くの職人さんと思しき人たちが忙しそうに屋根の上を動き回っていました。ちょっと目には、それは江戸の鳶職人の働きぶりのようにも見えましたが、後で裏側に回って見るとその下には大きなクレーン車があり、その先っぽにある大きな鉄の箱を操作しながら人も物資も運ばれているのを見て、江戸とは違うのだということを思い知らされた次第です。

入り口の建物の中に入ると、地産品などの売店があり、その隅の方に江戸への入り口がありました。どんな様子なのかと、古希を終えた爺さまにも興味のある一瞬でした。一歩中に入ると、確かにそこには無人の静まり返った江戸の景色が広がっていました。園内の草は茂るままに放置されているようで、何だか幽霊屋敷が広がっている感じがしました。しかし厳しく降り注ぐ太陽の照射は、幽霊がさ迷うにはふさわしくない環境のようにも思えました。どこから迷い込んだのか、一匹の猫が動き回っているのが現実を証明しているかのようにも見えました。

江戸という時代のイメージは人によって様々なのだと思いますが、共通している景観といえば、白壁、土塀、板葺屋根、瓦屋根、踏み固まった土の道、障子窓、太鼓橋に柳の木、お城にお堀等々が思い浮かぶのではないかと思います。ワープ先のこの江戸の地にはそれらのものが全部揃っている様に見えました。

白壁の土蔵の脇の道を曲がるとそこは御宿の看板がかすれた、しょぼくれた家が2~3軒あり、中を覗くとこれはまあ、どこを見ても荒れ放題の無人家なのでした。自身番の看板のある小屋を通るとその向こうに濁ったどぶ川にかかる太鼓橋が見え、その脇の柳の枝が風にそよぐのを見て、際立って江戸風情の柳橋といったものを感じさせられました。更に歩いて行くと大きな城を囲む白壁の土塀があり、その奥に殿様が暮らしていそうな御殿らしきものが建っていました。立派な門を潜ると、しかし中身はやはり空っぽで、見た目と実際は相当に違った印象でした。その他園内をくまなく回って見ましたが、下町の景色も裏店の長屋の佇まいも、皆人の臭いのない幽霊屋敷で、何だか気抜けした感じがしました。

 

  

(左)街道筋の宿屋のイメージなのか、破れた障子に御宿と書かれれていた。(右)建物の

 向こうに太鼓橋が架かっており、その右手に一本の柳の木が植えられていた。この景色は、

 どこかで見たような気がした。

 

無人の江戸は、果たして江戸と言っていいのかなとも思いました。何だか変だなと思ったのです。そこには疲れた江戸の残痕があっただけの印象でした。これらの施設は、そこに人が住み、活き活きと活動することによって初めて活かされるのだということに気づきました。TVや映画の画面では、勿論キャストの人たちが表に出て活躍するわけですが、それを支えるバックの施設も又一緒に命を吹き込まれてそれらしくなるのだと思います。そのような動きのない景色は、実に味気ないもののように思われます。建物というのは、人と一体になった時に初めてその機能を発揮し、存在感を獲得するのだと思います。

この小さなテーマパークを歴史公園と呼ぶには、少し考え方が不足している感じがしました。もっと活き活きとした江戸にワープできるような工夫をすべきだと思います。建物や設備を活かす生きものなどをもっと取り入れて、江戸のその昔を彷彿させる努力をすべきではないかと思ったのです。ディズニーランドが人気があるのは、ウオルト・ディズニーの生み出した動くキャラクターがいて、来客と一緒に楽しめる行為をしているからなのだと思います。江戸時代であれば、園内を侍や町人が何人か歩いていても良いように思ったのでした。TVや映画の撮影用のセットだけではないという考えがあればの話ですが、さて、経営サイドではどう考えておられるのでしょうか?

荒れ果てて疲れた無人の江戸の残骸を見るのはもういいやと思いました。本当の江戸というのは、これほどに疲れ果てた姿ではなかった筈です。往時の人口世界一の大都市の賑わいがあったはずであり、その活況の面影がどこにもないというのは、悲しい景色です。来て良かったというよりもガッカリしてしまった方が多い訪問でした。一つ救われたのは、城郭を巡る堀の奥に植えられたホテイアオイが美しい花をたくさん咲かせてくれていたことでした。そこにだけ、現代につながる本物の江戸が残っているような気がしました。

 

      

      堀の奥には群生したホテイアオイが美しい花をたくさん咲かせていた。江戸

         時代には堀にホテイアオイがあったとは想像できないけど、何だかこの景色

         に救われた感じがした。

 

 

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天災地変と人災加速の時代

2011-09-22 06:00:00 | 宵宵妄話

   旅から戻って、ドタバタして、その後は無気力な時間が過ぎて、ようやく今、少し気力が回復してきました。ブログの方も書く気にはなれず、ペースはブログを開始してから以降最も低いものとなっています。もともと毎日作文するという方がおかしいといえばおかしいので、今のペースぐらいの方がまともなのだとは思っています。

さて、昨日は台風15号に振り回された一日でした。早朝から倅を駅まで送り、日中は急遽植え木の剪定を行い、夕方まではじっとしていて、夜になって交通機関にもみくちゃにされた倅を再び駅に迎えに行き、サッカーのオリンピック予選の第一戦を見終えてやれやれという一日の終わりでした。

このところ相次いで台風が日本列島を見舞っています。この見舞いは歓迎すべきものではありませんが、この後も何回か勝手にやって来て、日本に住む人たちを痛めつけるのかもしれません。予報専門家の話では、南方にはまだまだ台風の卵なるものが幾つも潜伏しているということですから、これは避けられないことなのでしょう。9月一杯は台風が来ても仕方ないと諦めるのが日本人の感覚でしたが、この頃は10月はもとより、それ以降の冬に近いような季節でも時として台風の話を聞くことがありますので要注意です。

今年は東日本大震災があり、加えて何度も大雨を降らせる台風の襲来があって、まさに天災地変の災禍の年だと言えるようです。その原因が何なのか、良く判りませんが、地震についていえば、地下の何かが異常を来たしているのでしょうし、又台風や大雨は地球を取り巻く大気の様子が狂い出している証なのかもしれません。環境汚染や地球温暖化が叫ばれ出して久しいのですが、人間たちはその暮らしぶりを一向に改めようとはせず、事態はますます深刻の度を深めているのかもしれません。今の時代、天災地変はそれに対する警鐘なのだと理解するのが一番妥当な気がします。人間は自分たちの欲望を満たすために、あまりにも自然に対して冒涜をし続け過ぎたのかもしれません。

その最たるものが原発事故なのだと言えるような気がします。人災の極みのようにも思えます。この事故はまだ収束しておらず、曖昧な報道の意味するものは、人間にはまだ原子力というパワーを取り出す理屈はあっても、そのもたらす恐るべき結果の全てをコントロールできるような理論と手段は持ち合わせていないということなのではないかと思っています。原発というのは見切り発車の事業であり、そこで使用した核燃料なるものは、人類がコントロールすることが不可能なものであり、使った後もその処理方法すらも定まらない危険な代物なのです。地下深く穴を掘って埋めれば済むというような対応は、問題の本質的な解決策ではなく、苦し紛れの一時しのぎに過ぎず、その埋められた核物質は依然として分裂をし続け、放射能を発生し続けるのですから、もしそれが地上に現れるようなことが起これば、人類はとてつもない災禍に見舞われるのは必定であり、地球汚染の最たるものと言えると思います。

この世で怖いものに、地震・雷・火事・親父がありますが、今の世に起こっている怖いものといえば、この四つで言うなら一番怖いのは親父の所業、すなわち人災のもたらす災厄なのではないかと思うのです。現代の人間社会の中では、もはや家庭で親父などと言われる者の居場所は痴れたものであり、怖いなどというのは例外に過ぎません。しかし、この世界中の親父どもが為している職業としての地球に対する所業は、トータル的にいえば、天に唾する冒涜の類なのかも知れません。目の前の欲望を満足させるために、人間は見境のない努力を重ねて今日の利便性を獲得しているように思えます。原子力のみならず各種の情報ツールの進展もある部分では人災を内包しており、しかもそれは加速化されている傾向がある様です。言いかえれば、真実としての大自然からの離脱は、益々加速化されているということです。

人間のためだけの利便性を求めることが、人間の本当の幸せにつながるのか、疑問です。自分たちが住んでいる地球という存在を忘れて、自然界でも何でも自在に己の欲望の対象にするという考えは、あまりにも身勝手な振る舞いであり、調和を欠いた行為であると言わざるをえません。

しかし、個々の立場においては、人間は己の小さな存在を知っている者が多く、決して大自然を冒涜するなどという大胆なことを考えてなどいないのですが、トータル的には地球に住む動物の一種に過ぎないという存在を忘れ果てている感じがします。北海道の大自然の中にグータラに身を置きながら、我が親父としての半生は何だったのか、徒(いたずら)に人類の欲望実現に加担しただけではなかったのかと、ふと思ったりしたのでした。

今、何が大切なのか、本当に必要なものは何なのか、今年の天災地変と重大な人災の出来(しゅったい)は、私たちにたくさんの問いかけをしているように思います。

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無農薬栽培の限界

2011-09-16 04:37:58 | その他

 

昨日、3カ月余ぶりにRVランドフルーツランチ(=果樹農園)に行ってきました。今回はあまりにも暑いので、作業するのは止めての表敬訪問でした。

3カ月という時間は、果樹や作物たちにとっては、相当に生育に力を与える時間であり、とくにこの暑い季節は彼らの成長のエネルギーを倍加させる時期でもあるようです。我が家の庭と同じようにメヒシバなどの雑草の類は、我がもの顔に至る所に蔓延(はびこ)っていましたが、3カ月前は苗からほんの少しの大きさだったトマトやナスなどの野菜類はもう立派に大人になってたくさんの実を成らせているのを見たり、1mほどの高さだった柿や栗などの幼木が50cm以上も伸びて、中には実をつけているものなどもあり、いやあ、植物たちの世界にも様々な変化が起こっているのだということを実感させられました。

久しぶりの再会の挨拶の後、園主のAさんの話では、数日目から突然毛虫の大群が発生して、桜やモモや李などの葉をあっという間に食べ出したということでした。それで、どのような対処をしたのか、木酢液などを散布されたのかとお訊きしましたら、もうそのようなレベルではなく、市販の殺虫剤を使用せざるを得なかったということです。

昨年から、無農薬・無肥料での果樹や野菜の栽培にチャレンジしてみようということで、それなりに工夫をしながら進めて来たのですが、どうやらそれには限界があるようで、解決方法を見いだせないままに継続をしていれば、大半の果樹の幼木が枯れ果ててしまう危険性が増したということなのです。この無農薬・無肥料栽培というのは、「奇跡のリンゴ」という青森県のリンゴ栽培農家の木村秋則さんの著書を読んで感動し、我々もチャレンジしてみようということで、木村さんの著書を何冊か読み、その中から幾つかの参考事項やヒントを得ながら昨年から進めて来たのでした。先ずは土壌の改良に取り組もうと麦や大豆などを植え、又消毒には木酢液を用いるなどして化学肥料や薬品を使用せずに進めて来たのですが、今回の虫の異常発生は、それらの努力の我慢の限界を超えるほどだったということでした。

今回の旅に出かける前に、園主のAさんとの話の中で、青森県を通る際に岩木山麓の木村さんの自然農法のリンゴ園を見てくるという約束をしたのでした。それで事前に木村さんのリンゴ園がどこにあるのかを教えて頂こうとメールでお願いしたのですが、全く返信を頂戴できず、余ほどにお忙しいのか、或いは秘密主義なのかと思ったのでした。特にご案内を頂いて見学させて欲しいなどという厚かましいお願いなどではなく、ちょっと写真を撮らせて頂くといった程度のお願いだったのですが、返信が無いのは、どうやら無視されたというように理解せざるをえませんでした。とにかく時間が無いので、著書に書かれている内容から推して、大体の場所の見当をつけてそこに行って見ることにして出発したのが6月の13日だったわけです。

無農薬・無肥料というからには、普通のリンゴ園とは何か異なる特徴が見られるのではないかと思いました。ですから現地に行って見れば、何かに気づく筈だと思ったのです。岩木山麓を囲んで走るアップルラインと呼ばれる県道を走って、およその見当をつけた場所の近くにキャンプ場がありましたので、先ずはそこへ行って木村さんのリンゴ園の場所を尋ねたところ、幸いにもこれがヒットして大体の位置と目印の樹木などを教えて頂けたのでした。何しろこの辺りはリンゴ園ばかりであり、一々リンゴ園の名前などを示す看板も示されていないため、さっぱり判らないのです。お聞きした目印を見当つけては車を停め、その傍まで行って見たのですが、どうも違うのです。人がいれば尋ねられるのですが、さっぱり見当たらないのです。何しろ広い農園なので、こちらの都合のいい場所で作業をしておられる方は少ないのでした。それでも何人かの方にお尋ねして、ようやく木村さんのリンゴ園と思しき場所に辿り着いたのは、それから30分以上も経った頃でした。

そこには弘前大学の実験農場である旨の看板が立っていましたので、間違いないと思いました。もし木村さんご本人がいらっしゃったらラッキーだなと思いましたが、さほど広いとも思えぬリンゴ園に人影は見当たらず、静まり返っていました。隣のリンゴ園との境にはかなりの高さのネットが張られており、これは虫たちの往来を防ぐものなのかと思いました。しかし、リンゴの木やその下草の状況などは、隣接するリンゴ園や、その他見て来た一般のリンゴ園と特に変わった様子は見られず、伸びているのではないかと思った下草もきれいに刈られており、成っている小さなリンゴの実も特段変わったところは見られません。実の方は収穫時で無ければ判らないのだと思いますが、それ以外の栽培プロセスに関しては何らかの特徴があるに違いないと思っていた自分にとっては、これは意外な景観でした。もしかしたら、新たな実験が始まっており、別の方法での栽培が行われているのかとも思った次第です。

果樹の栽培というのは、1年や2年で結果が出るものではなく、木村さんの著書でも8年以上の血の出るような努力の後でようやく辿り着いたものなのだということは承知しており、そのことを踏まえて目前のリンゴ園を見ていると、一見して判るものなど殆どないのだというのを思い知らされた感じがしました。虫の発生するタイミングや病気の発生するタイミングも良く解らぬままに、特に異常も見られぬ目前のリンゴの木や下草を見ていても、気づくものは殆どないことを思い知らされたのでした。

その翌日に、もう一人の木村さんという黒石在住の方のリンゴ園も訪ねたのですが、こちらも直接お会いすることができず、(何しろ行き当たりばったりでしたから)写真だけを取らせて頂きました。黒石の木村さんのリンゴ園は、一般の農法での栽培で、化学肥料や農薬の減量に努めての栽培をされている方なのです。しかし見た目には、先に見た木村秋則さんとの違いは全く判りませんでした。

二つのリンゴ園を見ての感想をAさんあてにレポートにして郵送したのですが、そこに書いた結論は、無農薬・無肥料の自然農法は良く判らないということでした。本に書かれていることと実際は全て木村秋則さんご自身のものであって、我々がそれを安易に真似しても決して同じ結果を得ることはできないのではないかという感想でした。RVランドフルーツランチは、リンゴ園ではなく多種多様の果樹を栽培しようとしています。そこに来る虫も病気も木によって必ずしも同じではなく、又そもそも基盤である土壌そのものも青森県とは異なっており、この地に適ったやり方を開発しない限りは木村さんと同じことをやって見ても、我々の人生の残りの時間では間に合わないという所感です。何にしろAさんも私も同い年で古希を過ぎているのですから。

ということで、Aさんとのその後の話では、無理に自然農法に捉われることなく、現代農業の良いところは取り入れ、できる限り環境破壊につながるようなやり方を避けながらやってゆこうということになったのでした。ま、落ち着くところに落ちついたということなのかもしれません。木村秋則さんの農法を否定するものではなく、尊敬はしているものの一般化は難しく、我々にとっては限界があるということをはっきり自覚して、サル真似を止め、我々なりのやり方をつくってゆこうと確認したのでした。

 

(たくさん写真を取ってきたのですが、持参したポータブルHDDを壊してしまい、バックアップを取らないでいたため、データを取り出すことができず、ここに掲載できないのが残念です)

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いばらきヘルスロードを歩く

2011-09-13 05:48:10 | 宵宵妄話

何か特別の道を歩いたというような話のタイトルとなりましたが、それほど大それた話ではありません。久しぶりにつくばの深緑の道を歩いて気持が良かったというだけの話です。

旅から戻って早10日を過ぎてしまいましたが、この間家内の趣味の遊戯(=フォークダンス)のお抱え運転手(?)で2度ほどつくば市内の会場まで往復しました。これが無ければ、今でも北海道内に留まって涼しい暮らしを満喫できたのになあ、などと考えながらべたべたの暑さの中をつくば市内まで出向いたのでしたが、最初の日はとても歩く気など起こらず、家内が遊戯中の間は、車で移動してホームセンターに逃げ込みそこで涼を取りながら時間を過ごしたのでした。

それから1週間が経って今日となったのですが、少し元気も回復し、ようやく歩く気になって、いつもの木陰の中の道を歩くことにしたのでした。この道は「つくば公園通り」と呼ばれ、つくばセンターという学園都市の中心部から、赤塚公園という郊外にあるジョギングのコースが設けられた施設まで約5kmほどの散策路です。この通りの両側には、日本の頭脳と呼ばれる時代の先端をゆく各分野の研究開発等に係わる施設が連なっています。この散策路の半分以上は高さが20mを超える大木に包まれた環境にあり、どんなに太陽光線の照射が厳しい夏の日でも、ほぼ100%それを避けて歩くことができる、大変恵まれた歩きの道なのです。この散策路の中には二つの大きな公園があり、その一つが赤塚公園であり、もう一つが洞峰公園です。この二つの公園にはジョギングコースが設けられており、赤塚公園には約1kmの、そして洞峰公園には2km超の、ウレタンを加工して吹きつけたジョギングコースが設けられています。これらのコースは双方とも全コースが殆ど大木に包まれており、これに公園通りの散策路を加えると、この二つの公園を往復するだけで4kmほどの歩きを稼ぐことができるのです。

 

       

いばらきヘルスロードの一つ、つくば公園通りの散策路。高さ20m以上の桜、ケヤキ、モミジ、ナラ、スギなどの他ハクウンボク、ムクロジなど珍しい木も混ざった深緑の世界が続いている。

 

今日は赤塚公園の駐車場に車を止め、洞峰公園までを往復しました。勿論赤塚公園のジョギングコースも洞峰公園のそれも周りましたので、それだけで4kmを歩いたことになります。この他にも赤塚公園内を数回周りましたので、10kmくらいの歩きにはなったと思います。大木の緑陰の中をオゾンとマイナスイオンを胸いっぱい吸っての歩きは、実に心地の良いものでした。

いつも気にしていたのですが、この道には「いばらきヘルスロード」に平成4年に指定されたと書かれた案内板があります。このヘルスロードなるものは何かといえば、「市民が身近な所で歩いて、新たな発見と健康増進にチャレンジできる道」という主旨に適った道とありました。茨城県もなかなか洒落た良いことをやっているんだなと思いました。ヘルスロードというからには、健康増進だけを取り上げているのかと思っていたのですが、良く読むと「新たな発見」という主旨が入っており、これには拍手をしたい気持ちです。よくぞ良いところを突いてくれていると思いました。

歩いて見ればどなたにも解ることですが、歩きの中にはたくさんの新しい発見があるのです。走っていての発見は難しいと思うのですが、歩きの場合は、人は感性を働かせれば、たくさんの気づきを得ることができるのです。今まで当たり前と思って見過ごしていたものが、突然目に飛び込んで来て、いつもとは断然異なる興味の対象となることがあるのです。これは私自身の体験ですが、もう20年以上も毎年500万歩近くを歩き続けて、道端の草たちを眺め、やがて名前を覚えて観察を続けている内に、少なからず植物たちの世界が今までとは違う見方で覗けるようになっています。動物とは違った植物という生き物の生態がありありと見えるようになって来ています。歩きを続けるようになってから、私自身は少なくとも動物の世界と植物の世界という二つの世界の中に生きていることを実感しています。時々花や草のことを書きたくなるのは、動物の世界(とりわけて人間社会)に起こっていることに嫌気がさした時に、別のもう一つの世界のことに触れたくなってしまうからなのかもしれません。「新たな発見」というのをヘルスロードに取り入れたセンスは素晴らしいと、改めて思いました。

京都には「哲学の道」というのがあります。あれは確か西田幾多郎先生が思索を重ねながら歩いたということから、何時かしらそう呼ばれることになったと聞きますが、私も一度だけ歩いて見たことがあります。確か桜の木が両側に植えられていたと思いますが、その時の秋の終りの桜の木には、花の季節とは違ったそれなりの趣があって、やはりここは哲学の道なのだというのを実感したのを思い出します。茨城県のヘルスロードもこの哲学の道につながるものがある様に思います。研究学園都市の中にこのような道が作られているということは、日本の頭脳の活性化にとっては、必要欠くべからざる重要事項のような気がします。都市の設計をされた方の配慮に改めて大いなる拍手を送りたいと思いました。

ところで家に帰ってネットで「いばらきヘルスロード」というのを調べて見たのですが、現在162の道が指定されているということでした。ネットにアップしたデータの資料が読みにくくて、こんな所が茨城県らしいのかななどと思いながら、虫眼鏡で画面を見ていたら、我が守谷市の北守谷遊歩道もその中の一つであることが解りました。確かに指定されるにふさわしい道だと思います。2kmほどしかない短い散策路なのですが、起伏があり樹木も多くて、この町に引っ越して来て、この道を知ったその日からここが気に入って歩いています。

人が健康に生きてゆくためには、常に新しい発見が必要であり、それは机に向かっている時などではなく、心穏やかに思いを目一杯巡らして動いている時、すなわち歩いている時にもたらされるのだと思います。歩きは私にとっては思考の場所であり、発見の場所であり、生きてゆくための材料を仕入れる場所なのだと思っています。

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敬老会は軽老かい?

2011-09-10 00:42:07 | 宵宵妄話

 来る9月19日は敬老の日ということですが、少し前までは確か15日がその日だったように記憶しています。この頃は祝日なるものが、経済効率の発想のもとに動き回るので、毎日が日曜日を送っている身には、誰かに言われるまでは気づくこともなく普通の日として過ぎてしまうことが多いようです。

敬老の日がいつなのかなど、大して興味もなく気にもしていませんでしたが、気づかされるのは市の方から敬老会なるものの案内が届けられるからでした。これを頂戴するのは2回目となります。案内によれば、今年も一週間早い、明日の11日に開催されるということです。

昨年は初めての敬老会でしたので、どのような内容なのか好奇心も手伝って出席しました。その結果少なからずがっかりして、家に戻りました。というのも敬老というものの意味が、およそ85歳を超えた人に対する扱いのような内容の企画でしたので、70歳以上という括りの中では何か違和感を覚えたのでした。祝って頂いたのに、祝い方が気に入らないなどというのは、言語道断の思い上がりなのだと承知していますが、老人というものを一つの型に嵌めこんでしまったような企画内容に対しては、はっきり言って嬉しさも楽しさもありがたさも感じないものでした。

それで、そのことの感想と、どうあって欲しいかという要望のようなことを書いて、市の担当セクションに持参しました。本当は話をしたかったのですが、市の方ではそれを受け取られただけでしたので、何もわざわざこちらから申し出でしなくても読んで頂ければ判ることだとそのまま帰って来たのでした。

さて、それから1年が経って再びその敬老会が巡ってきたわけですが、そのご案内を見て見ると、昨年と全く同じ発想で構成されており、違っているといえば、アトラクションの出演者が変わったくらいのことで、プログラムは何の新鮮味も工夫の跡も見られないものでした。今年の出席はその内容を見てから考えようと思っていましたので、これはもう祝って頂くことなど心外のことだと、欠席をすることに決めました。このような内容である限り、恐らく二度とこの集まりに出席することはないだろうと思っています。

さて、何がそんなに気に入らないのかといえば、私的にいえば、老人というものをバカにしている、無理して祝ってやっているという風に行政当事者の意図を感ずるからです。そのプログラムというのは、先ず式典というのがあり、これが1時間ほど続きます。ここで行われるのは、市長他いわゆる市の名士という方たちのお祝いの挨拶です。同じような内容の話が繰り返し延々と続きます。市の要人の顔見せ興行と言っても良いかもしれません。もっと言わせて頂ければ、選挙のための議員さんたちの顔見せのようにも思えます。次がアトラクションですが、これは1部と2部に分かれており、1部は市内の趣味のグループの人たちの芸能発表会の様なものが1時間ほど続き、その後で昼食休憩があり、赤飯弁当とペットボトルのお茶が1本配られます。これが済むと2部に入り、招いたプロの芸人の出番となります。因みに今年は美川憲二とかいうものまね芸人の出演が予定されているということです。これが終われば、はい、それでお開きというわけです。

何だか戦後間もない頃の、TVなど無かった時代の、ドサ巡りの一座を年寄りどもが楽しんでいるといった風の企画なのでした。生きていて良かった、これからも元気を出してしっかり残りの人生を楽しんで行くぞ、などという気づきを思わせるものなど何もありません。総理大臣には遠く及ばない議員共の形式的な下手な話を何回も聞かされ、グループで勝手に楽しめばそれで良いじゃないかというような発表を押し付け的に見せられ、加えて二流芸人の物まねにアハ、アハ、アホ、アホと嗤って過ごして、老人なるものは元気が出るものなのか、何だか虚しい気がするのです。今は、TVの無い家は皆無でしょう。TVを見ていない老人も皆無に違いありません。TVのバラエティ番組の2番煎じなどを取り入れて、本当に喜ぶ様な老人がどれほどいるのか、自分には疑問です。

老を敬するとはどういうことなのか、行政当局はもっと考えるべきだと思うのです。高齢化の問題は、私自身がその中にあって、これからをどう生きるかについて、様々な不安や心配が波のように押し寄せて来ています。健康のこと、暮らしのこと、生きがいのこと、どれ一つとっても、これからの時代を生きてゆく確信の持てるものは少ないのです。これからの日本は、もしかしたら、高齢者がこの国を潰してしまいかねない危険性というか可能性が膨らんでいるのは、多くの識者の指摘するところですし、社会保障や医療に係わる予算やその費消は、国家の活力を削ぎ始めているという現実があるのです。

この現実を踏まえるならば、老を敬するのであれば、娯楽をプレゼントするなどという安楽な施策ではなく、自らの力で人生の終盤をしっかりと生きてゆく、そのための手助けをするような企画が取り込まれても良いのではないかと思うのです。例えば、90歳を超えても矍鑠として生きておられる先達の講演を入れるとか、健康や生きがいなどについての専門家の話を聞く時間を入れるとか、これからの人生に参考になる、刺激を受けるような真剣な話を聴く時間を用意しても良いのではないかと思うのです。

そう考えていますので、昨年は出席の後そのような内容のレポートを提出させて頂いたのですが、何の反応もないのは残念です。ま、いろいろと出来ない理屈については想像がつきますが、要すれば企画担当当事者の高齢者問題の認識は薄く、敬老のコンセプトが一時の気休めを用意すれば事足れりとの考えで固まってしまっているからなのでしょう。或いは過去からの慣習を一新するのが面倒で煩わしいと考えている人が主導権を握っているからなのかもしれません。市役所の中では、介護福祉課の高齢福祉グル―プという部署が担当されているようですから、実務的にはもうヨボヨボの超高齢者のレベルでこの企画が作られているのかも知れません。もしそうだとしたら、これからの敬老会なるものは、介護・介助の必要なご老人だけを集めて、体育館などではなく、もっと上等な場所で行うか、或いはそのような煩わしことは止めて、お祝い金だけを贈るだけにした方がすっきりするように思います、何しろ何台もの送迎用のバスを用意し、この費用と手間を省けば、今は無くなった80歳と90歳の方に対する敬老祝い金も復活できるというものでしょう。

どうも上手くいえないのですが、こんな時代遅れの敬老会というのは、私には軽老の人騒がせのように思えるのです。これには出席しない方が、自分のためにもそして市の方にも迷惑を掛けないで済む、と判断したのでした。そして願わくば来年からは事前に出欠を取って頂ければ、弁当とお茶一つ費用を無駄にせずに済むと思っている次第です。

慰めの敬老は、敬老ではなく軽老なのだということを、当局関係者は、しっかり認識して対処して欲しいと思います。というのも、間もなく団塊世代の人たちが高齢者の中核を占めるという現実が迫っているのです。団塊世代は車の運転をしない人は殆どいないでしょうし、ネットも知らないなどという人も少ないのです。老人というもののコンセプトを変えないと、今のような敬老会は、単に当局の無能が非難される場になりかねないことを肝に銘ずべきと思うのです。

旅から戻って、最初の記事がこのような批判的なものであることを我ながらに呆れ気味に思いながら今日が終わったのでした。

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旅から戻って一週間

2011-09-08 06:08:25 | その他

 

  北海道の旅から戻って1週間が過ぎようとしています。まだ正気に戻らない感じがしています。尤も最近は自分の正気がどの辺にあるのかが良くわからず、もしかしたらそのようなものとは無関係の時間の中に埋没してしまっているような気もします。

 とにかく普通の定住地での暮しに戻らなければと、あれこれと動き回っているのですが、一向にはかどらず気分は依然としてまだ旅の中にあるような感じがしています。一つだけ明確に違うのは外の暑さです。家の中は必要に応じてエアコンを使うようにしていますので、暑さに閉口することはないのですが、外の様子は北海道とは一変して、まさに暑さがべっとりと身体全体にへばりついてくるといった感じがします。

 この暑さの中、とにかく先ずは家を取り囲んでいる雑草共を何とかしようと、3日間ほど早朝にこの退治に取り組みました。よくもまあのうのうと蔓延(はびこ)ったものだと、呆れかえるほどの草たちの世界がそこにありました。一番勢力が強いのがメヒシバで、これが全体の7割以上を占めていました。エノコログサも多くて、これは花が咲かないとメヒシバとの違いが判りにくい草です。いつものしつこいカタバミも出来上がった形で実を結んでいました。その他の名も知らぬ輩たちも己を主張して憚らない生長ぶりでした。それらに圧倒されてほんの少し植えていったトウガラシや青シソたちは痩せ細って辛うじて命をつないでいたという感じがしました。地べたには消えたと思っていたゼニゴケがわがもの顔に勢力を伸ばしていて、これらの連中には、放射能などというものは無関係の存在のようです。

早朝とはいえ、蚊の攻撃を防ぐためには皮膚が露出するのを避けなければならず、長袖のシャツはもとよりズボンだって厚手にしなければならず、又顔に虫よけの簾の付いた帽子をかぶっているため、もうそれだけで汗が噴き出す始末です。1時間半ほどが限界で、大した広さでもないのに3日も掛かってしまったというわけです。引き抜いた雑草はごみ袋に入れて出しましたが、11袋にもなってしまいました。これらの草たちにはどれほどセシウムなるものが含まれているのか気にはなるところです。家内の話では守谷市は雨の降る日が少なく、セシウムの量が他のエリアよりも多いのだというのですが、さて本当かどうか良く解りません。念のために市のホームページを見ましたら、幼稚園や保育所など学校関係の場所ばかり測定しているらしく、しかもその数値は場所によって、測定の仕方によって等々、測定の条件によって結果が異なるなどと断り書きがされていますので、殆ど当てにならない数値であることが判ります。まあ、葉っぱの方よりは根っこの方により多くセシウムが滞留しているということでしょうから、この3日間はかなり危険な作業をし続けたということになるのかもしれません。しかし、古希を超えた人間には、もはやそのようなことは気にしても仕方のないことなので、とにかく今までと同じ暮し方を続けたいと思っています。

嬉しい話もほんの少し混ざっています。裏庭に植えていった花オクラが雑草たちの攻撃を乗り越えてしっかりと育ってくれていて、大輪の花をつけていてくれました。植えていって良かったと思いました。旅に出るときには5センチほどの苗だったのですが、今は70センチ近くに育ってくれて、真に嬉しい限りです。

 

      

 

少し痩せ型だけど、花オクラたちだけはメヒシバたちの攻撃にも耐えて元気に花を咲かせてくれていた。

 

又茗荷(みょうが)も例年になくたくさんの花をつけていてくれました。しかしこちらの方は地面に這い出て花を咲かせていますので、家内は不気味がってとても食べる気は起きないようです。念のために申し添えますが、店で売っている茗荷というのは、あれは花の部分なのです。私は格別に卑しいので、せっかくの茗荷をそのまま捨ててしまう気にはとてもなれず、さてどうしたものかと迷っています。恐らく食べる方を選ぶことになると思います。

 畑の方も雑草は大変でした。一応は出かける前に7割ほどブルーシートをかぶせて行ったのですが、その隙間をぶち破ってメヒシバやスベリヒユなどが蔓延っていました。畑には食用菊の畝が一本あり、ここにもかなりの雑草が侵入していましたので、先ず最初にこれを退治しました。又旅に出るときにはまだ出来上がっていなかったジャガイモをそのまま1畝残して行ったものですから、これを掘り起こしました。ここにもセシウムの問題が降り被ってくるわけですが、丸々と育ったジャガイモは軽く10kgを超える量があり、これ又とても廃棄する気にはなれません。たったこれっぽちの畑でさえもでも未練は留まるところを知らないのですから、農家の方たちの心情は計り知れないものだろうと思います。収穫したジャガイモは、家内は近づくことすらダメでしょうから、冬につなげて自分ひとりでこっそり腹の中に収めようと考えています。

草取りが終わったところで、今度は庭木の整枝に取り掛からなければなりません。我家の庭のメインツリーはクロガネモチとオオヤマサクラですが、この他にも欲張ってサルスベリやヤブニッケイ、トキワマンサクなどが植えてあり、その他にも梅や柿それにブルベーリーまでも育てていますので、これらの樹木たちが皆一回り大きくなっているのを何とかしなければならないのです。夏の間の樹木の生長というのは目覚ましく、3カ月近くも留守にすると彼らの表情が変わって来ているのに気付きます。これを元の姿に収めるのは至難のことです。そのようなことを考えながら、今日はクロガネモチとトキワマンサクに鋏を入れました。

旅から戻ってから普通の生活のリズムを取り戻すまでは、いつもこのように庭や畑の手入れをすることが一番有効な手段のように思っています。日中の大半は寝床に横たわっていることが多いのですが、人間身体を動かさないと、本当の心身の回復は叶わないような気がします。暑さの鎮まりに合わせて、少しずつ日中の外での動きを増やしてゆこうと思っています。

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’11北海道くるま旅(第82日~最終日)

2011-09-02 03:11:35 | くるま旅くらしの話

 今日が旅の最終日になるなんて、思ってもいなかったことだった。9月6日が帰還日と決めていたのだから、5日も早いのだ。昨日は東北道の長者原のSAに泊ったのだが、トラックの騒音がもの凄く且つ今年初めて味わう熱帯夜という奴だった。とても安眠などできるものではない。北海道ならどんなに暑くても夜ともなればどこからか涼気がそっとやって来て、子守唄を聞かせてくれるのである。そのような甘い幻想は、内地では許されるものではないという厳しい現実を見せつけられたのだった。

 旅の最後はせめてどこか温泉にでも入って、2カ月半の心と体の垢を落として帰宅しようかと、都合のいいことばかりを考えていたのだったが、ニュースでは明日辺りから台風の影響が相当に厳しくなるという。温泉に入っても、その後が大雨の地獄では何ともなるまいと、今日中に帰ってしまおうということにしたのだった。相棒の体調のこともあるので、無理ならばどこかに泊ろうかとも考えていたのだが、その心配は無用となって、17時前には我が家に到着となった次第。

 いつものことではあるけど、我家の四囲の庭というか空き地には、膝ほどの丈の雑草が蔓延り、人が住まないと(或いは住んでいても何も手を下さないと)この様になるのだという自然界の生物の存亡の有様を如実に見せつけてくれている感じだった。この草たちの根元辺りに、いかほどのセシウムなる放射性物質が巣食っているのか、何とも不気味な話だけど、明日からは蚊の攻撃を防ぎながら、この連中を根こそぎにしてやらなければならない。相棒は、草取りなどしたこともない人だけど、TVを見ていての知識が膨らんでいるのか、抜き取った草の根に着いた土は、決して叩いて細かくしたりしてはダメとやかましい。そのようなアドバイスがありがたいのか迷惑なのか、放射能という奴は真に忌々しい存在だ。こんなものをわざわざ取り出した人間という奴はとんだ悪魔だと言わざるを得ないと思う。

家の中は運び込んだ荷物が所狭しと乱れ散っている。ちっぽけな車なのに、どこにこれほどのがらくたが詰まっていたのかと思うほどである。シンプルライフなどと言ったりしているけど、現実というのはゴミやがらくた抜きには生きられないのが自分たちの姿なのかもしれない。

メールを開いてみたら、70通を超える受信が詰まっていた。その大半は不要と思われるものだけど、中には直ぐに返信しなければならないものもあり、これまた大童(おおわらわ)である。取り敢えず急ぎのものだけはと対処した次第。それやこれやで、旅から戻ってしばらくは、意識の切り替えが大変である。

 

さて、今回の旅のことだけど、これはまあ、もう少し経ってからの話としたい。今はとにかく混乱と倦怠とが入り混じった状態の中にあり、ブログの方もしばらくは休憩としたい。

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'11北海道くるま旅( 第81日)

2011-09-01 04:44:41 | その他
今日の予定》
東北道:長者原SA→?


《昨日のレポート》
朝、ブログを送信したら、いつも投稿した旨の返信メールが直ぐに届くのに、今日は何の連絡も無いので、何かトラブルがあったかと再送信したのだった。けれども再び何の反応もないので、こりゃプロバイダーの方に何か問題が起こったのだろうと、明日からの投稿は諦めることにしたのだった。ところが9時を過ぎた頃プロバイダーからのメールが届き、投稿を確認したと言う。続いて次に送信した分も投稿確認のメールが届き、結局同じ文の投稿を二度してしまったということになってしまった。真に申し訳ないと同時にプロバイダーに対して疑念を頂いたのであった。
さて、旅の方は完全に帰途モードに入っており、特段レポートすることも無いのだけれど取り上げるとすれば、予定を変更したことによって二つの再会が叶ったということ。

横浜の道の駅は給水もゴミ箱もないので、早朝に七戸の道の駅迄移動したのだった。七戸の道の駅には、くるま旅の者には、電源を除くすべての条件が揃っているからである。又野菜類なども新鮮て安い物が豊富にあり、魅力的な場所なのだ。6時半には到着していた。ここでゆっくりすることにして、10時半頃まで過ごした。
その後は八戸から高速道に入り、行ける所迄行ってSAにでも泊まるつもりだったのだが、十和田の郊外を走りながら急に気が変わって、八戸から入るのを止め、盛岡市手前の滝沢IC迄はR4を行くことにした。それほど帰途を急ぐ必要もないし、もしかしたら三戸の相棒の知人のTさんにも会えるかも知れない、そう思ったのである。
ということで、R4を行き十和田の道の駅に寄ったのだった。この道の駅横に裂き織りを学べる教室があり、予てから相棒はここに滞在して織りの実技を覚えたいと言って居たのだが、その後の病のため、今はそれが叶わぬ体調となっている。それでも立ち寄ったついでに教室を覗きに出掛けて行った。
自分の方は地元の農産物売り場の中からパンダ豆と呼ばれている浸し豆を見つけて買ったりしていたのだが、相棒がなかなか戻って来ない。いつものことなのだが、放って置くと際限なく待たされる危険性があるので、ちょいと覗きに行ったのだった。案の定上がり込んで誰かと熱心に話し込んでいた。傍に行くと気がついて手を挙げている。近づいたら、何と何年か前にお会いした裂き織りの先生のHさんだった。双方共に思いもよらぬ再会だったらしく感動しきりだった様である。先生から作品の一つを頂戴して、天にも昇る心地の相棒の顔だった。
その後はR4を三戸に向かい、沿道に農産物の店を出されているTさんに、もしかしたら会えるかも知れないと寄ってみた。今はTさんにとっては大へん忙しい時なので会うのは難しいだろうと覗いたのだったが、やあ、なんとおられたのである。それもたった今、海側の方の用事から戻られたばかりだとのこと。相棒と手を取り合って再会を喜んで下さった。嬉しい話である。前回お会いした時は膝や腰の不調を話されていたので心配していたのだが、お聞きすると今はもう大丈夫とのこと。この方のパワーには頭が下がるものがある。たくさんおみやげを頂戴し恐縮する。いつも慌ただしい再会しか出来なくて残念。又申し訳けなし。相棒はたくさんのパワーを頂戴したに違いない。ありがとうございました。
その後は予定通り滝沢ICから東北道に入り、長者原SAに泊まることになった。
内地はやっぱり暑い。蒸し暑い。SAはトラックの騒音と排ガスが酷くて、毎度のことながら、国や行政の無策の虚しさを思った。
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