山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第4日

2010-08-31 04:52:12 | くるま旅くらしの話

第4日 <7月13日(火)>

【行 程】

道の駅:なとわ・えさん →(R278)→ 函館市内Wmさん宅 →(道道・R5・道道)→ 東大沼キャンプ場(泊) <78km>

恵山の道の駅は隣がキャンプ場と公園になっており、いつもそのキャンプ場の駐車場にお世話になっている。ここは海の直ぐ傍で、絶え間なく押し寄せる波の音が少し気になるが、夜の海に遠く浮かぶ光の束の漁火は、旅情をいや増して掻きたててくれる。しかし、昨夜はそれを眺める余裕も無く、あっという間の就寝だった。

一夜明けて、早や2時には目覚めて起き出し、ブログなどを書いて、明るくなった窓の外を見ると珍しく快晴であり、ゴツい恵山の佇(たたず)まいが目にくっきりと飛び込んできた。丁度山の右手脇から、日の出から少し経った太陽が顔を出すところで、思わずその光景に見とれてしまった。生き物にとって、日の出は不変の厳粛なる感動である。

歩きに出かけることにした。ここに来る時はいつも道の駅とWさん宅を往復するばかりで、恵山の町を歩いたことがない。行ける所まで行って戻ることにして出発。邦子どのはまだ眠りの中である。外に出ると少し寒さを覚えるほどだが、実に爽やかな青空の広がりである。海には昆布採りの船が点々と浮かび、遙か彼方には薄青く大間崎辺りの山々が連なって見える。絶好の散歩日和である。

すこし歩くとウグイスの鳴き声が耳に飛び込んできた。ヤケに近くなので気になり、どこで鳴いているのかとブッシュの方に目を向けたのだが見つからない。声はすれども姿は見えず、である。ウグイスというのはその様な鳥だと思っている。ふと見上げると電線の上に1羽の小鳥が止まっている。若しかしたら、あれがウグイスなのか?と目を凝らして観察していると、「ホー、ホケキョ」という明快な一声。思わず、おう、といってしまった。電線に止まって鳴いているウグイスを見たのは初めてである。感動した。この頃は全ての動物が人間に擦り寄るようになって来ているのだろうか?熊なども人間の方が勝手に危険だと騒いでいるけど、擦り寄ってゆかなければ、餌を確保できず、熊の側から見れば、これはもう無意識の接近ということなのであろう。最近はキジバトも都会のドバトのように、平然と人間の傍で餌を探している。昔ヤマバトと呼んでいた頃は、人間の前には滅多に姿を見せることはなかったように思う。ウグイスの姿を見ることができるのは嬉しいけど、藪の中には餌が見つからなくて、人間の前に出て来ざるを得ないとしたら、それは単純には喜べないことのようにも思う。このウグイス君は、単に勇気があっただけなのか、その後も何度も鳴いてくれて、そのサービス精神に益々感動した。何度もカメラのシャッターを切ったが、あまり性能の良くないデジカメでは豆粒ほどにしか写らず、残念である。

海沿いの道を恵山岬の方に歩き続ける。左手の山との狭い台地に、細長い集落の家々が並んでいる。その多くの庭には小石を敷き詰めた昆布干し場があって、この辺りに住む人たちが昆布漁を生業としていることを示していた。昆布の産地はもっと北の方かと思っていたのだが、北海道を旅するようになってからは、次第にその認識は改まった。この北の大きな島では、至る所に昆布が自生しており、今は養殖栽培の技術も進んで、日本全国の食卓の需要を満たしているようである。所々に今朝採ってきた、未だ海水の滴る褐色の大束が置かれている家が何軒か見られた。海を眺めながら、家々のくらしのことなどを思い、更には道端の野草や軒下の草花・植木などを見ながら歩くのは、実に楽しく、嬉しい。適当な所でブレーキを掛けないと、どこまでも歩いて行ってしまいそうである。7時までには戻ることにして、山背漁協荷捌き所と書かれた建物のある港まで行き、そこから引き返すことにした。大した距離を歩いたわけではないのだけど、時々立ち止まってカメラを向けたり、しゃがみこんでの観察をしたりするので、結構時間が掛るのである。

港には昆布を満載した舟が戻って来ていて、それを軽トラに積み替えるまでの一連の作業を見学させて貰ったりした。港に入った舟は、昆布で重いので、ウインチを使って浜から引上げ、そこから軽トラに積み替えるのである。かなりの力仕事で、早朝からの昆布採り作業も大変なのだろうなと、褐色に輝く昆布を積んで走り去る軽トラ見送りながら、様々なことを思った。

     

昆布を積んで戻ってきた舟は、ウインチで引き上げられ、留めてあった軽トラに積み替えて運ばれる。殆どが一人作業だった。この町の人たちにとって、昆布は宝であり生命の素であるのが分る。

   

小石を敷き詰められた干し場一杯に並べられた昆布。これも舟一杯分分より多いのかも。このような干し場が、道端の随所に点在している。

来た道を戻るのは退屈と考えるのは、歩きの喜びや楽しみを解さない哀しい人である。かつては自分もその一人だった。しかし、今は確実に違ってきていると思う。往路と復路とでは、見る景色が全くといっていいほど違うのである。その違いを知る喜びは大きい。そう思っている。復路は敢えて旧道と思われる狭い生活道路の方を通ってみた。集落にある小さな神社に参詣などしながら、あっという間に車に戻ってしまった。いい時間だった。

今日は北海道全域の天気は機嫌が良いらしい。どうやら去年とは違う扱いをして貰えそうな気がして来た。去年といえば、震え上がるほどの寒さの北海道しか印象に残らなかった。蝦夷梅雨とやらは、内地の梅雨と違って、梅雨冷えがひと際ひどいようなので、要注意である。

邦子どのも起き出しているようだ。お湯を沸かしお茶を淹れて飲みながら、軽く朝食を済ませる。今日の予定は、函館市内にお住まいのもう一人のWmさん宅を訪ねることにしている。邦子どのが昨日連絡を済ませ、アポを頂戴している。10時半過ぎまで恵山の方のWさんと歓談した後、函館に向かって出発。

もう一人のWmさんは苗字のナベの字がちょっと違っている。ワタナベさんには4種類の違ったナベの字があるようだ。Wmさん宅は3度ほどお邪魔しており、最初はお住まいを尋ね当てるのに戸惑ったりしたが、今は大丈夫である。12時少し前に到着。1年ぶりに再会の挨拶を交わす。ご夫妻の愛犬モモちゃんも嬉しそうに出迎えてくれた。最初の時には警戒されたけど、もう大丈夫のようだ。あの時から数年経って、モモちゃんもすっかり老犬となったようだ。時間の経つのは早い。犬たちの時間は、人間のそれより遙かに高速で過ぎてゆくのを実感した。昨年仕事を引退され、ご自宅の一部を改築中だったお宅もすっかり出来上がって、駐車場の上につくられた大きなベランダからは、夜には星の観察をするのだという。その様なお話を伺い、実に羨ましいと思った。

その後市内に出向き、海辺のレストランでわざわざ格別のご馳走に相成り、恐縮する。そのお店の部屋からは、津軽海峡が見渡せて、函館山の向こうの方には竜飛崎辺りが霞んで見え、左手には恵山岬を隠す汐見崎があり、その遙か彼方に大間崎を含む本州最北端の山々が望見できた。景色も食事も最高だった。Wmさんご夫妻のお心遣いに改めて深謝申し上げたい。

食事の後は、Wmさんが昨年土地を購入され、そこで始められたという畑にご案内頂いた。70余坪の菜園の中には、小さいけどヒュッテ風の瀟洒な小屋が建てられており、伺えばなんとご主人の手づくりだという。すごいなあと、無作能力しか持ち合わせていない自分は、感嘆するばかりである。畑は、元々雑草に覆われていたものを、奥さんがスコップ一つで開墾されたという。これまた驚かされる話である。その畑には、幾種類もの野菜や花が植え育てられており、間もなく収穫期を迎えるものも幾つか見られた。畑も野菜も未だヨチヨチ歩きのようで微笑ましい感じがしたが、やがてはご夫妻の丹精が実を結ぶに違いないと思った。

そのあと、ヒュッテの中でコーヒーなどを頂きながら、楽しい歓談が続いた。畑の話から、更には人生談義に、そして話は生き方から死に方にまで発展したのだった。長い間、ヘリコプターのパイロットして、海難救助等の仕事にそれこそ命をかけて取り組んでこられたご主人の話には、深く心を打つものがあった。とてもいい時間だった。

話が弾んで時間の経つのを忘れ、気がつけば17時を過ぎていた。畑を後にして、近くの公園をご案内頂く。ここは名園の香雪園の中に含まれる一角のようで、キャンプスペースも設けられており、宿泊も可能な施設だった。機会があればここでゆっくりしてみたいなと思った。そこから車で少し行って、香雪園の駐車場に車を置き、園内をご案内頂く。初めて来る場所だが、地図の上ではおなじみである。岩舟という事業家の方が、私財を投じて造った庭園だとか。北海道らしい大変スケールの大きな公園である。現在は見晴公園と呼ばれて、市民の皆さんの憩いの場所となっている。うっそうと茂る大木の立ち並ぶ公園は、庭というイメージではなく、手入れの行き届いた森という印象だった。このような素晴らしい環境に住む人たちを羨ましいと思った。

すっかりお世話になり、Wmさん宅に戻った時はもう18時半近くになってしまっていた。あっという間の時間経過だった。いヤア、Wmさんご夫妻、本当にありがとうございました。

今日の宿泊予定場所は、勝手知ったる七飯町の東大沼キャンプ場である。Wmさん宅を辞した後は、真っ直ぐにそこを目指す。19時半頃に到着。夕食を済ませ、二人ともたちまちの爆睡となった。
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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第3日

2010-08-30 02:59:26 | くるま旅くらしの話

第3日 <7月12日(月)>

【行程】

道の駅:よこはま → 大間崎キャンプ場 → 大間フェリー乗り場 → (津軽海峡フェリー)→ 函館フェリー乗り場 → 道の駅:なとわ・えさん(泊) <120km>

昨夜は大荒れの天気だった。夜半から雨がひどくなり、明け方からそれに風も加わって、くるま旅にとっては、かなり賑やかな一夜となった。しかし、7時頃には雨が止んで明るくなって来たので、少し安堵した。天気が荒れるのは、民主党の敗北が絡んでいるのかなと思ったりした。参院選の結果は自分の予想を少し上回った民主党の大敗で、現在の世の中の様子を見れば、当然の結果だと思う。しかし、又々ややこしい国会運営が続くことになる。何時まで経っても何だかスッキリしない政治の世界である。

今日は午後14時20分発のフェリーに乗り、函館に上陸の予定。時間的にはかなりの余裕があるので、ゆっくりと出発の準備をする。と、その内にいつの間にか雲行きが怪しくなりだした。9時を過ぎると益々風が強くなり、雨粒も落ち出してきた。先行きの心配が膨らむ。しかし先ずは出発するしかない。むつ市を過ぎ、大畑町から風間ヶ浦を過ぎて大間に近づくにつれて、益々風雨は強くなってきた。直接フェリー乗り場に行くのではなく、今日は時間もあるので、未だ行ったことがない本州最北端の大間崎に行ってみることにした。

11時少し前に到着する。近くにあるキャンプ場の駐車場に車を止め、岬の方に行って見ることにした。幸い降っていた雨も止んで傘なしで歩くことができありがたかった。この辺りは観光場所であり、何軒かの店や食堂などが軒を連ねていた。大間に来てこのような場所を訪ねるのは初めてのことである。岬の突端には幾つかの碑が建てられており、本州最北端のモニュメントの他に、石川啄木の歌碑や天童よしみの歌う何とかいう歌の歌詞の碑などがあった。どこへ行っても岬にはある種の哀愁がある。それを心に受け止め、歌心をかきたてられた人が詩や歌をものにするのであろう。わが心は、何時まで経っても沈没したままである。

   

大間崎、マグロ一本釣りの町の碑。本州最北端の岬には幾つかのモニュメントがあるけど、最も大間町の意気込みを感ずるのはこの石造りの碑ではないかと思った。左はマグロ、右は男漁師の右腕である。

車に戻り、昼食にする。横浜の道の駅で朝一番に買ったホタテとツブ貝のおこわ弁当である。邦子どのはどうしても大間のマグロが食べたいと、近くの店から数切れのマグロの刺身を買ってきた。本物の大間のものなのか、疑念を抱きつつも美味いうまいと食べていた。信ずる者は救われるのである。どこのものだって、美味いと思って食べるのが一番。大間のマグロだって、どこで生まれてどこを回遊しながら育ってきたのか、マグロ君本人だって覚えていないに違いない。

まだかなり時間があるので、しばらく一眠りすることにした。1時間ほど横になったのだが、時折車を揺さぶるほどの風が吹き、とても眠る気分になれなかった。そんな時なのに邦子どのといえば、気にもせずに眠っているので驚いた。やっぱり薬の作用の所為なのかも知れない。風雨があまりにもひどくなってきているので、これでは若しかしたら欠航になるのかも知れないと心配になり、少し早いけどフェリー乗り場に行くことにする。

フェリー乗り場には、思ったよりも多い車が並んでいた。でもキャブコンはたった1台しかなかった。トラックもなく、殆どがワンボックスか乗用車だった。待ち会い室に行ってみたが、欠航の案内もなく、その様な雰囲気は全く見られなかった。既に切符の販売も開始されており、我々も手続きを済ました。ネット予約には、スマートチエックインというのがあり、所定の機械になにやらの印刷マークをかざすと、即座に切符が出てくるのである。真に便利な世の中になったものだ。昨年はこの要領が良く分らず、予約の券を持ちながらウロウロしていたのを思い出す。今年はもう大丈夫。

相変わらず海は荒れ模様で結構白波も立っていたが、船の方は大丈夫のようである。出航は14時20分。定刻通りである。揺れるかと思ったが、大したこともなく津軽海峡を1時間40分の航海だった。フェリーの中ではいつも2F後部のラウンジにいることにしている。眠る気にもなれず、友人などにメールを打ったり、これから先の地図などを確認しているうちに、いつの間にか函館山が見え出していた。どうやら大間よりも函館の方が天気はずっといいようで、回復の兆しがはっきりしてきた。

函館に上陸後は、先ずは恵山のWさんに挨拶をしなければならない。特に強制されているわけではなく、自分たちが勝手にそう思い込んでいるだけなのだが、恵山のWさんは我々にとっては、北海道上陸の第一番目の関所のお代官様的存在で、函館に上陸している限りは、必ず真っ先にご挨拶に参上することにしている。今回も上陸の後は、今夜は恵山の道の駅に泊ることにして、すぐお近くにお住まいのWさんを訪問するつもりでいる。

1年ぶりの函館は、昨年とそれほど変わっていないように見えた。といってもいつも通る道は決まっており、そこから眺める景色だけの印象であり、変わる方がおかしいというべきかも知れない。全体的には今の世の不景気の風の下で、今日の曇り空のようなムードを漂わせている感じがした。湯の川温泉の辺りも、お客さんの入りは今一の感じがした。尤も休日開けの平日なので、今日は休憩といった感じなのかも知れない。1時間ほど走って恵山の道の駅に到着する。

いよいよ今回の旅の始まりである。1年ぶりの恵山の海は、いつもと同じ様に砂浜に規則正しい波音を砕けさせていた。泊りの準備をして少し休んだ後、Wさん宅にご挨拶に出向く。たった1分ほどの距離である。ご夫妻お二人ともお元気そうに迎えて下さった。驚いたことにご主人は最近カナリヤや十姉妹などを飼い始めたということで、玄関先には幾つもの鳥かごが在り、早や眠りに入ったのか、小鳥たちは静かに休んでいたようである。知人からの勧めでカナリヤを飼うことになったのがきっかけだとか。これではしばらくはくるま旅はできないですねというと、もうそのつもりで旅車は車検を休眠させる手続きを済ませているとのお話だった。ま、そのような話を皮切りに、1年間のご無沙汰を埋めるべく、話題は様々に飛び火して、楽しい歓談の時間が続いたのだった。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第2日

2010-08-29 02:58:30 | くるま旅くらしの話

第2日 <7月11日(日)>

【行 程】 

紫波SA → (東北道・八戸道) → 下田・百谷IC → (R45)→道の駅:六戸 → (R45・R4)→ 道の駅:七戸(東八甲田温泉入浴)→ 道の駅:横浜(泊) <236km>

紫波SAの夜は、やはりトラックの騒音に悩まされたが、疲れもあって、あまり苦にもならずによく眠れて幸いだった。明け方の4時過ぎに外を見ると、今日もピカピカの青空が広がっていた。こりゃ又暑いのかとうんざり気分になったのだが、出発の8時頃にはいつの間にか空は全面雲に覆われてしまっていた。予報はどうやら雨降りらしいが、そこまで行くとは思われない雲の様子ではあった。旅にとって、天気は一番影響を受ける要件である。

昨日に引き続き高速道の北上を開始する。相変わらずの左車線の走行で、追い越され専門である。岩手山を見たくて近くのSAに寄ったのだが、ほんの僅か頂上を見せただけで、山はすっぽりガスがかかって、あの大きな山容を望むことはできなかった。残念。

今日は青森方面に行くのは止め、八戸道を終点まで行って、一般道で野辺地方面へ向うことにする。何しろ高速道のPAやSAでは、碌な食材もパンも買うことができない。一般道なら道の駅などがあり旅の楽しさがぐっと膨らむ。それに八戸経由の方が大間までの距離が短い。フェリーの乗船は明日なので、それに間に合いさえすれば、コースは自由なのである。

下田百石ICからR45に入り、少し走って道の駅:六戸に立ち寄る。数年前のへのへのの旅(東北北部の一戸から九戸、遠野までの各地を訪ねる旅をした)の際にも寄った所である。構内にある旧苫米地家の古民家も懐かしい。しばらく付近をウロウロ歩き回った。

六戸から更にR45を少し行って、十和田市郊外でR4に入り、七戸の道の駅を目指す。10時半到着。ここも2年半ぶりか。直ぐ近くに新幹線の駅ができるとかで、前に寄った時は工事のピークを迎えていたようで、今までたっぷり余裕のあった道の駅の広い駐車場が、半分ほどしか使えずガッカリしたのを覚えている。どうなったのかなと思いながら行ったのだが、いヤア、みごとに変わっていた。先ず、少し離れた東側の方に新しい新幹線の駅舎が出来上がっており、それには「七戸十和田」という駅名の看板が掛っていた。駅前には未だ何の建物もなく、今のところこの道の駅ともう一つが東八甲田温泉というのだから驚く。駅前の空き地は雑草ばかりで、さて、これから先どう変わってゆくのか期待と心配がいりまじった感慨を持って眺めた。

   

JR新幹線七戸十和田駅。12月の開業を待つばかりになっていているけど、駅舎以外は駅前には何も無く、マツヨイグサなどの雑草たちでけが毎日駅舎を眺め続けているようだった。あと半年の間にどのような様変わりをするのかちょっぴり興味がある。

道の駅には、地元の野菜やその加工品などを直売する新しい建物が建てられ、その周辺の駐車場も整備されて、一段と規模が大きく、立派になっていた。元々ここの野菜にはお世話になっており、それが更に一段と充実したのは嬉しい。日曜日とあって、大勢の人が押しかけて来ており、その賑わいは以前を遙かに上回っていた。ここでゆっくりすることにして、先ずは野菜や豆腐などを買いに行く。自分の昼食は豆腐一丁のみ。それで十分である。

    

道の駅にある七戸産直七彩館。新しく作り直された建物の入口の様子。この中に地元で採れる様々な農産物や加工品などが豊富に並べられ販売されている。この道の駅はJR新幹線の駅から400mほどしか離れておらず、恐らく日本一新幹線の駅に近い道の駅ではないかと思う。

その後、近くの東八甲田温泉へ。未だ12時にもなっていない。昼前の温泉を楽しめるのも、旅ならではのことである。入浴料は一人たったの300円也。真にありがたい。汗を流し、又新しい汗をかきながら温泉を後にして車に戻り、再び道の駅の駐車場に戻る。食事の後は午睡。今日はこの後、横浜町の道の駅まで行って泊るだけなので、ここには16時ごろまで居て、ゆっくりするつもり。というわけで、二人で惰眠を貪る。目覚めたのは15時過ぎだった。いい時間だった。

たっぷり休み、心置きなく横浜の道の駅に向って出発。天気は相変わらずの曇天だが、雨を降らすほどではなく、時々蒸し暑さを膨らませているようだ。16時20分横浜の道の駅に到着。今日はここに錨を下ろす。

今日は参院選の投票日なので、後でTV見ようとアンテナをセットする。この地もNHKがよく映らない。何でなのか、NHKには不満が多い。唯一ともいえる受信料をふんだくっているのだから、民放の真似をしたような番組などを作らないで、全国どこへ行っても確実に電波を捉えて受診できるような環境を整えて貰いたいものだ。

少し休んだ後、夕食にする。といっても酒の肴にと、ここの道の駅で買った名物のホタテコロッケと七戸の道の駅で仕入れた浸し豆で、ビールと水割りを飲んだだけ。これで十分満足だし、カロリーも内容もOKだと思い込んでいる。TVもロクに見ず、寝床にもぐりこむ。後で聞いた話だけど、邦子どのの方は、大河ドラマを見ようと律儀に8時まで待ってスイッチを入れたら、今日は選挙がらみで放映時間が変更になり、7時からだったらしく、既に放送は終わっていた。普段ニュースを見たがらない人の欠点を目の当たりにしたような感じだった。自分が起きていれば、決してその様なことは無いのにと、密かに思った。選挙の結果状況を見るのが面倒くさくなり、明日の朝にすることにした。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第1日

2010-08-28 03:18:13 | くるま旅くらしの話

第1日 <7月10日(土)>

 【行 程】 自宅 → (常磐高速道・磐越道・東北道) → 紫波SA(泊)  <495km>

3時起床。4時ごろ外に出たら、極上の青空が広がっていた。旅の出発だというのに嬉しくなって、歩きに出かける。このところの暑さで、毎日の歩きが少なくなってしまっている。旅の出発日というのを無視して、いそいそと出かける。小貝川の堤防の道などを歩いて、約2時間、1万5千歩の歩きだった。風呂に入って汗を流し、スッキリして気分を切替える。

今日に予定していた案件(「温泉博士」誌の購入)が、昨日の内に済んでしまっているので、出発は最終準備の終了次第いつでもOKである。9時少し前に全ての用意が終わって、いよいよ出発となる。先ずは給油。いつものスタンドで燃料を満タンにした後、常磐道谷和原インターへ。ここからはひたすら北に向かって走り続けるだけである。ピカピカの太陽が空に輝いて、ありがたいような、迷惑なような、チョッピリ複雑な気分である。梅雨の合間の晴天は、日射しも暑さも強烈だ。紫外線除けのサングラスをかけ、一見悪者風のジジババがキャンピングカーの運転席に定着する。

常磐道を1時間と少し走って、東海PAにて小休止。今日はこれくらいのペースで休みを取りながら北上する予定。10分ほど休んで出発。少し行くと日立辺りで事故渋滞4キロとの情報あり。事故は、気の毒というよりも迷惑感の方が強い。日立辺りはトンネルが多く、その中をノロノロ行くのはあまり気分の良いものでは無い。どうにか通過。

いわき市郊外のJCTから磐越道に入り、阿武隈山脈の中腹辺りを走る道路を郡山市に向う。かなりの坂道が続き、ずーっと追い越され続けている。それが当たり前になって、もうすっかり気にならなくなった。阿武隈高原SAにて昼食休憩。昼寝付き。昼飯時なので、軽く食事を済ませ、少し横になる。日射しは強く暑いけど、高原なので風は爽やかで心地良い。排ガスが無かったら最高なのにと思うけど、皆さんエンジンを掛けっ放しでクーラーの人工冷風を貪るばかりのうようだ。1時間ほど良く眠って、気分はスッキリ。邦子どのの方もよく眠れたらしい。

磐越道から郡山市の郊外のJCTで東北道に入る。来る途中の高速道の両側の至る所に、今を盛りと咲く合歓(ねむ)の花が目立っていた。守谷辺りでは、随分と前に合歓の花は終りを告げていると思う。単調な高速道路の運転を慰めてくれるようで、この花の存在をありがたく嬉しく思った。

何度かSAやPAなどで休みながら北上を続け、今夜は紫波のSAに錨を下ろすことにする。18時を過ぎ、ようやく日が落ちて泊っても良い気分となった。近くの森で、蜩(ひぐらし)が鳴いているのが聞こえてきた。ああ、この辺りにはまだ本物の自然がしっかり残っているのだと何かしらホッとした気分となった。でも、蜩が活躍するには季節は未だ少し早いようにも感じた。

ご飯を炊いて、真面目に夕食を摂る。勿論食事の前の一杯が本命。今日はこれで終り。どんとはれ。(ここは岩手県)

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:旅に出る前に

2010-08-27 04:30:20 | くるま旅くらしの話

<はじめに>

今日からつい先日まで北海道で暮らした旅の様子を掲載することにします。本当はこれらの様子は、旅の間の毎日の携帯電話からの投稿を予定していたのですが、その投稿方法が変更になったのを知らず、旅に出て従前どおりの投稿をしていたため、一週間ほど経った後に更新が出来ていないことを知らされて気が付き、大いに面食らったのでした。投稿の要領が変更になったのに気づかず、以前と同じままに何の不安もなく投稿記事を書いて処理していたのは、迂闊(うかつ)と言えば迂闊ですが、プロバイダーが何で又このような変更をする必要があるのか、自分には理解できないことでもありました。

ネット絡みの世界は、老人を惑わす不要の改革が多いような気がします。何でもかんでもちょっとした利便性を改善だと考えるのは必ずしも正しくはないような気がします。こんな調子で、この世界の改革が進んでゆくと、もしそれが人類の生き方にフィットしていなかった時には、とんでもない世の中を生み出すのではないかという不安を感じざるを得ません。進化や改善のスピードはそれが速ければ得をするという発想は慎重に改めて欲しいものだと思いました。(これはプロバイダーに対する想いですがどうせ伝わらないことでありましょう)

さて、今回の北海道の旅の記録は、トータルとして少し長めの記録となっていると思います。というのは、今までは旅の毎日に起きた出来事を記録として自分の思いなどをあまり注入しないようにして簡明に書くように心がけていたのですが、今回はそれを途中から止めようと思いました。もともとエッセー的な書き方をしたいと思っていましたので、ただ事実だけを書くことにはそろそろおさらばをしようという気持ちが強くなって来ていたからなのです。旅の間に起こった事実を記録することは大切ですが、それだけでは自分が生きている想いというものを示すことは不十分です。それをクリアーするには事実は事実として、それを自分自身がどう感じたかを書くことが大切だと思ったわけです。それが本当に大切なことなのかどうかは良く分りませんが、その思い込みを重視した書き方となっていることを予めお伝えしておきたいと思います。

 

2010年 北海道くるま旅くらし でこぼこ日記

期 間:7月10日~8月22日

宿泊日数:43泊44日

総走行距離:5,090km

旅の人:山本拓弘&山本邦子

旅のくるま:SUN号   

<旅に出る前に>

今年は北海道の旅が危ぶまれていた。というのも3月に邦子どのが病を患い、手術をするという大きな事件があり、もしかしたら長期の旅は無理かもしれないと思っていたからである。幸い術後の経過は順調で、担当医の方からも大丈夫との太鼓判を押して頂き、ま、家にいてじっとしているよりは、知人との再会や新しい出会いの中で元気を頂いた方が心身の静養にもなると考え、思い切って例年の旅を敢行することにしたのである。

ということなので、今年はやたらに走り回ることは避け、なるべく涼しげな場所を選んでゆっくり過したいと考えている。と言ってもやはり毎年訪れたい場所が幾つかあり、それを外して一所にずっと滞在することは難しく、結局はそれなりの距離を移動することになるであろうとは思ってはいる。

いつもだと北海道までの往復は、高速道などを使わず一般道を行くのだが、今回は移動の楽な高速道を、急がないで途中泊りながら行くことにしている。何といっても千円余で信号のない道を走れるというのはありがたいことである。家の近くにある谷和原ICから常磐道に入り、いわきから磐越道へ、そして郡山JCTから東北道に入り、北上して盛岡の先から八戸道に入り、そこから先は一般道で大間まで行き、フェリーに乗るというコースを考えている。途中東北道の何処かのSAで泊ることにしているけど、邦子どのの体調次第で臨機応変に対処することにしている。何しろ内地の暑さは全国的に話題を振り撒き始めているので、大事をとることが肝要だ。

北海道では幾つか訪ねたり参加したりする既定の予定がある。一つは昨年も参加させて頂いた北海道HMCCの皆さんの厚田漁港での集まりに参加させて頂くこと。それからその後は大急ぎ富良野の花畑を見に行くこと。その後は丸瀬布町にあるマウレ山荘というホテルの経営するミュージアム(美術館)を訪ねて亡き畏友安達巌の画集を寄贈させて頂くこと。それが済んだら6月下旬から美深のキャンプ場に滞在されているWさんご夫妻に挨拶に参上すること。そして最後の課題は札幌近く(と言っても少し遠いけど)の栗山町にある自動車工場で、SUN号のシャーシー部位の塗装をすること。ざっとこれだけ書いただけで、もうかなり行程が制限を受けることになってしまう。幾ら自由になどと言っても、実際にはこのような状況であり、ま、人との係わりなどを考えれば当然のことと納得している。

邦子どのの記録では、昨年は40数人の新しい人との出会いがあったとのことだが、さて、今年はどのような出会いが待っているのだろうか。旅に出る前の期待はいつも変わらない。

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思考停止からの脱出

2010-08-26 05:02:47 | 宵宵妄話

旅から戻って、日中灼熱地獄の環境とある種の倦怠感に押しつぶされて、3日ほど思考が停止した感がします。いや、3日といわずもうしばらくはこの状態が続くのかも知れません。しかし何時までもこのような状態でいるわけにも行かず、何とか現状を打破しなければと考えています。

その糸口は、やはり歩きにあるのだと思い、昨日は帰宅後初めていつものコースの一つを早朝5時から2時間ほど歩きに出かけました。守谷市は、大雑把に言えば3つの川(利根川、鬼怒川、小貝川)に囲まれていますが、私の住いからは利根川は少し遠くて(約7km)自転車で回ることが多く、鬼怒川と小貝川が歩きのコースに入っています。昨日は、旅に出発した日と同じ小貝川のコースを歩きました。

早朝5時といえば、北海道では夜が明けてからかなり時間が経っている感じがしますが、関東のこの辺では明るくなり出すのは4時半過ぎてからのようなので、夜明け間もないといった状況です。北海道では、どの地にいても3時半頃になると小鳥たちが目覚めて一しきり鳴き声が姦しいのですが、関東の場合は1時間くらい遅くなっているようです。同じ日本に住んでいるのに、これだけの時間差は生き方に知らず大きな影響を及ぼしているように思いました。

いつものように関東鉄道の踏切を渡って、小さな森の脇を通り、TXの車両基地の脇の道を歩いてゆくのですが、この30分くらいの間にもう顔から汗が滴り落ちてき始めました。家を出るときにはかなり涼しくなってきたなと感じましたが、それはじっとしている時の所感で、人間動き出すと自らの消費するエネルギーの熱が夏の暑さを引っ張り出すようで、たちまち涼しさなどと言う感想は吹き飛んでしまうようです。

TXの車両基地を通過すると間もなく小貝川の堤防に出ます。ここから2kmほど堤防を歩くのですが、この距離と時間がこのコースの歩きの中では最高に好きなのです。緩やかに流れる小貝川は暑さが続く割には水量が多くて、雨は降るところには降っているのだということを示してくれているようです。激流や濁流は心にいい知れぬ不安を覚えさせますが、豊かに水を湛えた、ゆったりとした川の流れは、人の心を同じ様な気分にさせてくれます。川のあるコースが好きなのは、そのようなことによるのでしょうか。

もう一つ小貝川のコースが好きなのは、川の両側に田んぼが広がっているからです。谷和原田んぼと勝手に呼ばせてもらっていますが、今はつくばみらい市となった旧谷和原村は、田んぼと野菜類などの畑が広がる関東平野の代表的な村だったと思います。東京に比較的近い場所なのに村という規模だったのは、開発に浸蝕されない農地が豊かに広がっていたからでした。北海道の美瑛町の丘の風景が絵になるように、谷和原の田んぼも関東平野の一つの田園風景として絵になるような気がするのです。

その谷和原田んぼは、1ヵ月半前の濃緑の輝きは褪せていて、少し黄色くなり始めていました。近くで見るともうしっかりと実が入りだしているようで、頭を下げた稲穂が間もなくやってくる秋の稔りを保証しているようでした。北海道の田んぼとは随分違うなと思いました。北海道の稲はまだ実が入り始めた頃ではないかと思います。北海道の稲は背丈が低くて、稲穂が出ていないと一見それと気づかぬままに見過ごしてしまうことがあります。背丈が低いため、稲藁は使えないのだと聞きました。人間の改造意欲は、稲と言う植物さえも想像外の姿かたちにしてでも最後の実入りを狙って進展してゆくようです。谷和原田んぼは、9月に入ればもう稲刈り(と言ってもコンバインが走るだけですが)が始まることでしょう。

   

谷和原田んぼの広がり。もうすっかり収穫期を間近にしていることがわかる。1ヵ月半の時間は季節の移ろいを確実に表わしている。

堤防の上から僅かに黄色味を帯びて広がる田んぼを見渡しながら、今年の台風はどうなのかなと思ったりしました。これほどの炎暑が続くと、天の狂気は果てしなく荒れ狂って、とんでもない台風などを投げ放つやも知れず、何となく不気味さを覚えます。この豊かな実りが何の煩いもなく黄金の実りにつながってゆくのを祈らずにはいられない気持ちとなりました。

歩きながら様々なことに思いを巡らしました。歩くことは考えることというのは、今では自分の信念となっていますが、やはり思考停止からの脱出には最高の薬のような気がします。汗を流して歩いていても、もはや暑さなどはどうでもいいことのように思え、それよりも今自分は何をすべきなのか、何をしたら良いのか、そちらの方に少し頭が回転を始めてくれたような気がしました。

2時間ほど歩いて、びっしょりの汗となりましたが、歩きの効用は思考停止の楔を開放してくれたようです。明日からは、順次今回の北海道行の様子を報告することにします。

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無事帰着しました

2010-08-23 03:04:32 | くるま旅くらしの話

今日8月22日、無事帰着しました。いやあ、もの凄い暑さで、目も眩むほどなのですが、倅の言うには、これでもいつもよりは暑さが鎮まっているそうで、いい時に戻ってきたとか。満更皮肉でもなさそうなので、一応は納得したのですが、北海道とはかなり違うなと改めて緯度の6度以上の差を実感しています。

とにかく暑さには手も出せず、庭の繁った草も畑の憎っくき雑草も、夕方までは為す術もなく見送って、日中は荷物の整理に汗を流し、その後はひたすら午睡の惰眠を貪りました。この暑さに馴れるまでは、しばらく休養が必要な気がします。

今回の旅では、ブログの発信をいつものように携帯電話からと考えていたのですが、その投稿の要領が変わっていたのに気づかず、そのまま出発してしまったため、旅の間の日々の投稿ができなくなり、申し訳なく思っております。途中で道の駅の幾つかに公共ネットのあることに気づき、それを利用しようとしたのですが、全ての設備が自在に使えるようにはなってはおらず、ホンの気まぐれ程度しか発信することができず、これ又申し訳なく思っております。かくなる上は、やはりどこでもネットが使える方策を考えなければならないなと、ようやく本気で検討する必要性を自覚した次第です。

ネットについては、IT技術の改革の進歩がそれほど必要だとは思っておらず、我々のような凡人の世界では、現状で十分だと思っているのですが、世の中の動きはどうも老人の心境とは別のようで、やたらに先に走りたがっているようです。老人も少しは走らないと置いてゆかれるということなのかもしれません。

さて、今回は6週間余り、5,090kmの旅となりました。上陸した道南から道央を北上し道北をちょっと覗いたあと、オホーツク側を南下し、知床等の道東は遠慮して通らず別海町から道央に入り、そのまま南下して戻って帰ってきたと言う大雑把な行程でした。前半の7月は昨年と同じ様に、寒い北海道を多く体験し、後半の8月は蒸し暑い北海道を体験させられました。7月は北海道の気象観測開始以来の日照時間の少ない月だったそうで、最近の異常気象は本格化し出した感じがします。

今年の北海道行は、家内の体調管理の問題があり、静養のつもりで出発しました。静養にもいろいろありますが、どこへも出かけずに家の中にじっとしていて、体力の消耗を避けるというのではなく、何よりも気持ちを転換させて、たくさんの出会いの中から元気を頂戴するという、そのような静養もあって良いと考えての出発でした。おかげさまでその目的はほぼ達成されたと思っています。旅というのは人を元気にさせてくれる最高・最善の薬だと思っています。

旅の様子については追々ブログで紹介させて頂きますが、何よりもこの暑さの世界に馴れる必要があり、引き続き少し休ませて頂こうと考えております。記録の整理の方が終り次第掲載を開始する考えでおります。もうしばらくお待たせすることになりますが、ご容赦下さい。

なお、旅の間の投稿にコメントを頂戴した皆様には、心からお礼を申し上げます。ワンウエイでタイムリーに返信を書くことができませんでしたことをお詫び申し上げます。 馬骨拝

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最後のご報告

2010-08-17 09:40:44 | くるま旅くらしの話

今日のこの投稿が、今回の旅の間の最後の更新となると思います。残り5日間ほどとなった旅も、これから先は公共ネットを使えるチャンスがないようですので、次回は帰宅してからとなりそうです。

さて、この更新が出来るのも、ここ壮瞥町の道の駅に連続3泊もしたからのことでした。道の駅の名前は、「そうべつ情報館i(あい)」というのですが、さすがに情報を提供するばかりではなく、その機器を使ってもらうというこころ配りがあり嬉しいことでした。これも洞爺湖サミットの余慶なのかも知れません。何はともあれ、ありがたいことではあります。

壮瞥町は昭和の名横綱の一人の北の湖関の出身地で、昭和新山の麓近くには、国技館に似たデザインの記念館が建っています。この種の建物を覗く趣味がなく、弟子屈町川湯温泉の大鵬記念館も外からその存在を確認しただけでした。横綱の強さや人間としてのすばらしさは、相撲をとっている現役時代のことを、ファンの一人として十分承知しているので、今更その過去のいろいろを見たいとも思いません。そんなことよりも現在のその人なりを知ることの方にずっと興味・関心があります。大鵬関だって自分とは同年の生まれですから、これからの人生の方に関心があるのは当たり前というべきでしょう。北の湖関は未だ若い方ですから、もう一花咲かせてこれからの角界のために頑張ってほしいと思います。

また、脱線しましたが、今回の旅で同じ道の駅に連続3泊もしたのは初めてのことでした。今までは有珠山などがどうも薄気味悪くて、寄るだけで泊まるのは遠慮していたのですが、泊まってみるなかなか居心地が良くて、これからもお世話になることが多くなるのかもしれません。ただ、平日になってからは、夜間にエンジンを掛けっ放しのトラックが結構多く入ってくる場所だというのがわかり、いささか失望したりしています。

さて、今日からは本格的な南下を開始します。今日は今のところブナの北限といわれている黒松内の樹林帯を覗いてみたいと思っています。その後で、近くの道の駅にお世話になり、泊まらせていただき、明日は更に南下して、七飯町の東大沼公園のキャンプ場で過ごし、翌日はフェリー乗船のために恵山の道の駅で道内最後の夜を過ごしたいと考えています。帰宅はおそらく22日となることでしょう。

ではそれまで、再び失礼します。馬骨拝

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これから出発です

2010-08-16 09:42:20 | くるま旅くらしの話

昨日に引き続きネットが使えますので、ちょっぴり現況などをお伝えしたいと思います。

今朝の壮瞥町の道の駅は、昨夜までの雨もすっかり上がって、青空が覗いて厳しい暑さを予感させます。道の駅の西側(?)には、30年ほど前に大暴れした有珠山が何事もなかったようにこちらを見下ろし、その脇には不気味な昭和新山の溶岩ドームがそびえています。この道の駅は、ジオパークとか言うものだそうで、火山噴火の歴史や状況などが、模型や写真などを添えて、いくつも展示されています。「火山との共生」という言葉が掲げられていますが、何ものであっても結局は共生を余儀なくされるのが生き物の宿命だとは思いますが、私的には、火山との共生というのは、問答無用で命を預けてしまうような気がして、なかなか賛同の気持ちが湧きません。

さて、今日はこれから洞爺湖畔の温泉街を訪ねた後、少し足を伸ばして真狩村の湧水を汲みに行きたいと思っています。その後は留寿都(ルスツ)か真狩の道の駅でゆっくりと夜を過ごし、もう1日ほどこの辺の滞在し、函館に向かおうと考えています。天気予報では、内地では相変わらずの灼熱地獄が続いているようで、来週からの生活が思いやられます。希望よりも落胆が控えている現在というのは複雑なものだなと思いながら、この投稿を終わらせることにします。  馬骨拝

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お久しぶりです

2010-08-15 15:07:42 | くるま旅くらしの話

お久しぶりです。ただ今洞爺湖の近く、壮瞥町の道の駅に居ます。もう旅も終わりに近づいています。昨日まで、幾つかの道の駅でこの通信にチャレンジしようと思いましたが、行ってみるとなかなか思うようにはアクセスが出来ず、この壮瞥の道の駅でも、昨日はダメでした。今日はどういうわけなのか、投稿が可能となり、取り急ぎ思いつくままにこれを書いています。

今年の北海道は昨年にもまして異常気象の度合いが進んだ感じがします。7月は道の気象観測開始以来の最小日照時間だったそうで、農作物などにはかなりの生育の遅れがあったと聞きました。8月に入ると暑さは取り戻したものの、総じて雲の多い日が多く、夜になってもしつこく蒸し暑い日が多かったように思います。わざわざ台風などがそばまでやってきて、その影響を逃れた後は、やっと本来の北海道らしいからりとした暑さがやってきたようですが、さて、いつまで続いてくれるやら。

今年の北海道の旅は、雄武町など道北、オホーツク海側を経て南下し、少し内陸に入って屈斜路湖畔の川湯温泉などを訪ねた後、いつものように何日か間を別海町のキャンプ場で過ごし、その後は十勝平野の中札内や帯広を経由して札幌近郊の長沼町で数日を過ごし、それから苫小牧経由でただ今は壮瞥町の道の駅に滞在しているというわけです。

この間、懐かしい知人や新しい方との出会いも幾つかあって、旅の宝物がますますたくさん手に入りました。また、大切にしていたその宝物が、新しい光を放つとてつもない大きなものに変化した出来事もありました。今回の旅では、家内の健康のことが少し心配でしたが、これらのたくさんの宝物のお力を得て、その心配もどこかに吹き飛び去った感じがします。二人とも元気で旅を楽しんでいます。

明日からは20日の函館発のフェリーに向かって、さらに南下を続けることになりますが、2~3日は洞爺湖近辺で過ごしたいなと考えています。今日も壮瞥町に泊まるつもりですが、この道の駅では、昨年出会った8列のもちとうきび(今は、昔トウキビと呼ばれているようです)に再会することが出来、今日はそれを腹いっぱい(?)味わって、動く気がしなくなり留まっています。お盆が終わり、明日からは夏休みの狂気も収まって静かになり出すと思いますが、旅の最後を存分に楽しみたいと思っています。おそらくこの後は、ブログは帰宅後の投稿となると思いますが、それまで失礼いたします。 山本馬骨拝

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