山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

老人はサプリ依存症になってはならない

2024-03-30 03:13:09 | 宵宵妄話

 この頃は、TVを見る時間が多くなった。今迄はTVといえば、ニュースやスポーツ番組を時々見るくらいだったが、傘寿を過ぎてからは、ドラマなどを録画しておいて、好きな時間に見るようになった。直接放映されているのを見ることは殆どなくて、8割以上が録画である。

 録画を見ている時、余りにも多いので腹が立つのは、コマーシャルと云う奴だ。その中でも一番目立つのは、老人や中高年向けのサプリメントの類。その他、まあいろいろあるけど、この頃は生命保険までがしゃしゃり出てきている。これらのコマーシャルをどう受け止めるかは、個人の勝手だが、今回の紅麹事件のようなことが発生すると、楽して得するという安易な考えは危険と考える。

 高が錠剤の一つや二つで健康状態が改善されるなどと云うことはあり得ない。サプリの宣伝広告の9割以上はインチキなのではないか?いろいろ能書きをつけてオーバーなことを言っているけど、たった1%の効果でもそれを100%以上に拡大宣伝しているのだから、そのようなものを安易に信じてはいけないのだ。聴いていると実にバカバカしい内容の宣伝が余りにも多いのに驚き、巧みな文句と出演者のそれらしい演技やセリフに大勢の老人などが騙されて、ムダな金を使っていると思えて、他人ごとながら腹が立ってくる。

 例えば、青汁の宣伝で、乳酸菌が○○億個入っているとか云っているけど、そんなのを数えられるわけがないし、青汁がどれだけ野菜代わりになるのかには疑問がある。よさそうなものを皆集めればよさそうな効果が全部出てくるなどと云うことは先ずあり得ない。粉になった葉っぱにどれだけ本物の野菜の栄養が残っているのか、そのことは決して説明などしないのだ。自分は30年来の糖尿病患者だけど、特別なコーヒーを飲んだら食後の血糖値が下がるなどと云うのは、糖尿病の何たるかを知らないで医者からその危険性をアドバイスされているレベルの人たち向けの宣伝なのだろうけど、食後の血糖値が下がるだけで糖尿病が改善されるなどということはあり得ないのだ。無理して高いコーヒーなど買わずに自分が気に入ったコーヒーを飲めばいいのである。コマーシャルに出てくる人たちは上手に演技しているけれど、騙しのサクラをやっていることを反省すべきではないか。生命保険などでは、85歳まで加入可能などと云っているけど、老人は死んだ後のことなど考える前に死ぬまでをどう生きるかをしっかり決めて実行する方がずっと大事なのだ。死んで保険金が貰えるわけではないから、死んだ後の身内などのことを考えているのだとは思うけど、ほどほどにしておいた方がいい。この頃の保険会社は、老人までをもターゲットにしているのかと思うと、だんだんと嫌な世の中になって来ているのを感じて怒りがこみ上げてくる。

 今回の紅麹事件などは、健康上のトラブルを改善できるなどと云って、その原料を様々な薬品や食品などつくる関係先に配ったのであろうが、自分にとっては、日頃の不信を明確に証明してくれている気がしてならない。恐らく今回の小林製薬以外にも、世間の善良な人たちを騙し続けている企業などが数多く潜在しているに違いない。

人の弱点は様々あるけど、加齢に伴う最大の弱点は老化をはじめとする健康関連事項であろう。そこにつけ込んだ様々な奴原が巧みに騙しのテクニックを拡大しているのが今の世の中なのかもしれない。とにかく今の世は利便性の追求に明け暮れており、何でもかんでも楽して得するという考えに振り回されている気がしてならない。

 「楽あれば苦あり」という箴言があるけど、まさに今の世の今は、人類全体が樂(=利便性)を求めてきた結果、そのしっぺ返しとしての苦を味わわされている、そのような時期に突入している気がしてならない。オーバーに言えば、人類がこの地球を食いものにして破壊し続けた結果のしっぺ返しが温暖化であり環境悪化による自然災害多発となっているのではないか。これは大きな問題だけど、個々人に於いても同様のことが云えるのではないか。健康管理を疎かにして好きなように飲み食いを続け、ロクな運動もしないでやって来て、気付いたら老人になっていて、慌てて楽な方法で健康上のトラブルを逃れようとして、半ばインチキな広告宣伝に気をとられてサプリや飲料、食品などに取りついて、騙されるという構図に多くの老人などが嵌っているのが現状なのだ。人生経験を多く積んで賢い筈の老人たちが、コロリと騙されるのは、染み着いている「楽して得する」と云う考え方が弱点となって、「楽あれば苦あり」という先人の箴言をすっかり忘れ去っているからなのであろう。

あの世に行ってからどうなるのかは全く分からないけど、生きている間は、騙されない老人になって、人生を全うしたいものだ。

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能登の旅の思い出に寄せて

2024-03-24 04:52:20 | 宵宵妄話

 能登半島大地震が勃発してからあっという間に3ケ月が過ぎようとしています。傍観者の私などから見ればそのような感じなのかもしれませんが、被災された方々から見れば、復興が遅々として進まず、最も大切な生活インフラの回復さえもまだまだはっきり見通しが立たず、今でも水が出ないという厳しい現状の暮らしは、長い長い悪夢が続いているとしか思えないのではないかと思われます。私と同じ様な80歳を超えた被災者の方の心情は如何ばかりかと、それを思うと、胸が痛みます。人生の晩期に於いての突然の日常の喪失は、最後の力を振り絞って現実に立ち向かうには、余りにも苛酷な課題なのではないかと思えてなりません。とにかくも、早く冬が終って温かさが戻ってくることを願うばかりです。 

 能登を訪ねることが能登の人たちの復興を後押しすることにもなるとは考えていますが、それがいつ出来るのか、今は見当もつきません。能登を旅したことが何回かありますが、その時の思い出などを書いてみたいと思います。能登を旅するときは、金沢を出て、羽咋市の方から半島を右回りで訪ねるというコースと、反対に富山県氷見市の方から左回りで訪ねるコースがあり、そのどちらも何回か経験しています。左回りで思い出の地を廻ってみます。氷見市を出た後は、国道18号線を海岸に沿ってボラ網などを見ながら七尾市までゆっくりと北上し、七尾市の道の駅に寄って中を覗いて 獲物を探し、その後は和倉温泉に寄って、(時間帯にもよりますが)総湯に入って温泉を楽しんだ後、今度は国道249を辿って、珠洲市の方に向かいます。海沿いですが山道も多くて、起伏に富んでいるので、珠洲までは遠く感じる道なのです。珠洲近くの恋路海岸に届いたら、まっ先に造り酒屋の宗玄酒造を訪ねます。ここで必ず酒を何本か買い入れます。ここの酒は、飲み過ごしても決して悪酔いしない酒なのです。なので、年末近くに訪ねた時には1升瓶を6本も買った時もありました。ここの酒を飲むと嬉しくなるので、帰ってから知り合いの呑み助たちにも配るのです。でも、勿論旅の間は飲みません。酒を仕入れたら、次は海岸の方へ行って、見附島を見ながら休憩します。この島は本当に軍艦風に出来ていて、自然の造形ながら感心してしまいます。その後は珠洲市市内をかすめて国道249を曽々木海岸の方に向かいます。岬の先端の緑剛崎へ向かう道もありますが、まだ行ったことがなく、これから訪ねる予定でした。曽々木海岸には塩田があり、そこに寄って能登の塩を買い入れます。これは家内の関心事です。塩を手に入れたら、少し横道に入って、国指定文化財でもある古民家の時国家を訪ねます。これは川崎や東京で古民家のボランティアをやっていた家内の願望でもあります。そのあと海岸の道をしばらく進むと、千枚田ポケットパークの道の駅があり、ここで一息入れて、眼下の崖に海岸まで続いている米白千枚田と呼ばれている棚田を眺めて、人間の米づくりへの執念の逞しさを実感します。

そして、その後は輪島に届いて、名物の朝市などを探訪するのですが、朝に行ったことはなく、大抵は昼市の時間帯となっています。市場などを覗いた後は、門前町の方を目指します。門前町では勿論総持寺祖院を訪ねます。ここは曹洞宗の大本山の一つであったのですが、火災事件があり、総本山は現在神奈川県横浜市の鶴見に移されています。又この門前町の海の方には黒島というエリアがあり、そこは重伝建に指定されている船主集落があります。江戸から明治時代にかけて北前船を初め、廻船業を営む人たちの基地があった所で、狭いエリアだけど豪勢な家々が幾つも並んでいます。そこを探訪したあとは、羽咋の方に向かい、志賀町の道の駅の温泉に入った後、そこに泊るか時間に余裕がある時は金沢方面に向かうのです。これが左回りコースの概要ですが、右回りの場合でも大差ありません。勿論この他に新たな寄り道を見つけて行く場合もあります。その他にもまだ行っていなくて、これから行こうと考えている場所も幾つかあります。

これらの場所は、今どうなっているのでしょうか。TVを見ていると、とんでもない状態となっているのが映っています。あの軍艦島はかなりの部分が崩れて砲撃を受けて破壊された船のようになってしまったし、宗玄酒造さんもかなりの打撃を受けてしまったようで、あの美酒がこれからも飲めるのかどうか心配です。塩田のことは放映されているのを見ていないので判りませんが、近くのあの巨大な古民家はどうなったのでしょう。とても無傷とは思えません。輪島市の惨状はもうこれ以上はない地獄の感じがします。総持寺祖院もかなり大きく被災していたし、黒島エリアの情報はありませんでしたが、ここも無傷ではあり得ないでしょう。志賀町の原発が大きな問題がなかったのは不幸中の数少ない幸いでしたが、恐らく課題を抱えているのではないかと心配です。

これだけの思い出の地を一気に破壊し尽くすという大自然の行為の凄まじさは、この先自分たちが住む関東エリアにも70%以上の発生確率と伝えられている大地震が起こった時の現実を想像すると、身の毛が弥立ちます。人生の晩期に入って残り少ない我が人生に於いて、未だ幾つもの訪問先を残している能登エリアへの旅が実現できるのかどうか、不安が膨らむ毎日です。一日でも早く実現できる日が来るのを願うと同時に、この地震の国の何処にでも大地震や火山の大爆発などが起こらないことを強く強く願っています。

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