山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

歩く楽しみで新型コロナウイルスに対峙する

2020-04-23 02:52:54 | 宵宵妄話

 新型コロナウイルス禍で動きがとれない中、唯一の楽しみは早朝の歩きとなっている。自分の歩きは、昔は歩くのではなく走りだった。それが歩きに変わったのは40歳半ばに膝を痛めて走れなくなり、その後50歳の初め頃に糖尿病を宣告されてからは、もう走るのは諦めることにして、とにかく歩くことに努めることにした。糖尿病には運動療法が不可欠であり、これを何とか我が身に定着させようと考えたのである。

 何しろ現役時代だったから、歩く時間をつくるのが大変だった。休日の歩きだけでは不足するし、何よりも運動は毎日継続することが大事なのだ。それで、朝夕の通勤時間を歩きに使うことにした。当時川崎市の南武線、中の島駅近くに住んでいて、職場は都心や都下の小平市への通勤だったのだが、いずれの勤務先でもバスや電車の下車場所(バス停・駅)を一つ手前で降りて、そこから歩くことから始めた。その道に慣れて来ると、更にもう一つ手前で降りて歩くというふうにして、その度に家を出る時刻が早くなっていった。

 例えば、都心の大手町へ通う時は、小田急線で通っていたのだが、歩く距離が最長の頃は、毎朝代々木上原駅で下車し、そこから代々木公園を横切り、日替わりで都心を縦横に横断し、大手町の勤務先に出勤していた。毎日少しずつコースを変えて、2時間以上歩いていると、東京の街の様子が何となく見えるようになったのを覚えている。

また、小平市にある勤務先へは、最初は南武線経由で中央線の武蔵小金井駅で下車し、バスで花小金井にある事務所近くで降りて通勤していたが、やがてバスを無くして武蔵小金井駅から歩くようになり、しばらくして国分寺、西国分、府中本町駅から歩くようになり、とうとう2度ほど、川崎の住まいから20kmほど離れた事務所まで、直接歩いて行ったことがある。その時は4時間近く歩いただろうか。

 このようなことを、当時は誰にも話したことは無かった。朝からそんなに歩いたりしたら、肝心の仕事の方はどうなのか。まさか居眠りばかりしているわけにもゆくまい、と思われるのだろうが、決してそのようなことは無かった。何故なら、歩きの時間というのは存外、考える時間となるのである。仕事に関する課題の多くは、歩きの間に思いを巡らすことができ、それを日中整理すれば却って仕事が進んだのである。

 又、歩きの時間には考えるだけではなく、様々な楽しみを加えようと、いろいろなことにチャレンジした。先ずは小型高性能のラジオを購入し、それを活用することから始めた。事務所に着く頃には、今日現在の日本の動きや事件をかなり詳しくものにすることが出来たし、音楽も大いに楽しめた。ニュースは同じことを何回も繰り返すので、記憶が強まるのである。又当時流行り出したウオークマンを購入して、これは音楽ではなく各界の著名人の講演や講座などの録音テープを聴いたり、時には自分自身で作成した自分の声のテープを聴いたりして、飽きることは無かった。或いは、今でも大事な趣味の一つである野草の観察も、この時の歩きの中で道端の草の名を全部覚えてやろうと思いついたことから始まっている。

 この歩きの楽しみは無限であり、30年以上自分の暮らしの中に定着している。糖尿病を宣告されてからは、毎日どれくらい歩いたかの万歩計の記録を残すようにしており、多い年では650万歩を超えた時もあり、現在でも少ない年でも500万歩を超えている。因みに旅に出かけられなかった昨年(2019)は、約640万歩の実績だった。

万歩計にはかなりの誤差が付きまとうので、その数から測った距離はまともに信頼はできないけど、自分の実感としては毎日少なくとも平均7~8kmくらいは歩いており、これを年間で積算すると昨年の場合は、2,700km以上歩いているのではないかと思っている。記録するのは面倒に見えるけど、毎日パソコンにデータを打ち込む時に、その日の出来事を一言付け加えておけば、例えば10年前のその日に何があったかを知ることも簡単であり、自分にとっては過去を振り返る際の簡便で貴重なデータとなっている。

 さてさて、この話を好きなだけ書くことになると、とんでもないボリュームとなってしまう。今日のメインは、新型コロナウイルスへの対応策としての歩きについての話である。

 非常事態宣言が出されて、不要不急の外出は控えるようにとのことだが、自分としてはこの朝の歩きを止めることはできない。何故ならこれを止めて、家の中に籠っていれば安全かと言えば、却って危険だと思っているからなのだ。というのも、この悪意に満ちたウイルスへの対処方法の基本は、自分の身を自分で守るということであり、何よりも医療機関などを当てにしないことだと思っている。つまり、ウイルスの入り込む余地の無いような強い身体を保持続けることであり、その基盤となるのが運動なのだ。籠ってTVなどを見ながら、あれこれ勝手なコメントなどばかりしていて、身体を動かさない状態では、老人の体力は低下し、免疫機能も低下するばかりであろう。動物である人間には、動くこと、運動は生きてゆくために不可欠なのだと思う。

 とはいうものの、今のこの時期、日中に歩きを敢行するというのは無謀というものだろう。何事も過信というのは人生の大きな罠となる。人々が活動をする時間帯は避けなければならない。

ということで、今は毎朝5時少し前に家を出る。早朝に歩くのは、いつもの習慣なのだが、この時間帯は殆ど人に会うことは無く、車も殆ど走っていない。加えて、あまり車や人が通らない樹木などの多い道を選んでいるので、コロナへの感染度もほぼ0に近いのではないかと思う。時々人に遭っても、離れて挨拶を交わすくらいで、早朝に風邪気味の人がわざわざ散歩することもないだろうし、逆に元気な人でなければ散歩などしないに違いない。だから、マスクなどしなくても心配する必要はないと思っている。

 15年前に守谷市に引越してからは、歩くための基本コースとして3つを用意しているのだが、コロナ禍の前は各コースとも2時間程度の歩きで、万歩計は1万5千歩ほどだったのだが、現在はそれよりも1時間ほど増やしており、帰宅すると万歩計は2万歩前後となっている。このように変更したのは、朝の内にこれだけ歩いておけば、1日の運動量としては十分であり、それ以外は必要な買いもの等以外の外出はしないようにするためである。又、外出するときは嫌いなマスクだけど、必ず使用することにしている。マスクは在庫が無いので、家内の手づくりの物を使っているが、これはかなり高性能なのではないかと思っている。マスクは自分のためというよりも不特定多数の出会う人たちのために着けるのだと思っている。

 早朝の空気は浄化されており、実に美味い。道端には数多くの野草たちが花を咲かせ、農家や民家の庭先には様々な樹木たちが花を咲かせている。まさに百花斉放の感がある。今は、桜は終わったけれど、まだまだ春の花の最盛期なのだ。それらを見ながら歩いていると、新型コロナウイルスなどの入り込む余地などどこにもないように思えてくる。人間同士が悪魔のウイルスに踊らされて、疑心暗鬼を膨らませるばかりなのに比べて、身近な自然の生きものたちの春の謳歌は、自分の心の乱れを浄化してくれて、真にありがたい。この歩きを止めるわけにはゆかない。

 新型コロナウイルスとやらが白旗を上げるまでは、かなりの長期戦となるのだと思うけど、旅のことは諦めることにしても、これからはこの歩きを継続して、真老期に出くわしてしまった、この世の大事件の成り行きをしかと見届けることにしたい。

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春の旅は取止め

2020-04-15 05:13:19 | その他

 1年間封鎖していたくるま旅の鎖を解いて、さあ、先ずこの春は東北の春を存分に味わうぞ!と柄にもなく老人の胸を大きく膨らませていたのだが、4月の日時が進むにつれて、その夢が急速に凋(しぼ)み始めている。

憎いのは新型コロナウイルスという奴だ。どのようなバイキンであっても,戦いはせずに友好関係を築いてゆきたいというのが菌やウイルスなどが原因の病に対する自分の考えなのだが、この新型コロナウイルスという奴は、一筋縄ではゆかない相手のようだ。人間という生き物の弱点を巧みに衝いて攻めて来ており、今はとても友好関係を考えることなど論外のようだ。自分としては、逃げ回ることなどせず、正対してこちらの強さを見せつけてやるよう鉄壁の構えを取るしかない。

しかし、自分の覚悟は決まっているとはいえ、世の中は戦々恐々としており、この調子だと、くるま旅の方もこの騒ぎが収まるまでは昨年に引き続いて封鎖することになるのかもしれない。それがどれくらいの期間となるのか、気になるところだ。

今頃、岩手県エリアなどに、つくばナンバーの車で、「春の旅でござんす」とお邪魔したとしたら、果たして歓迎されるものなのかどうか。ためらいは、東北のどの県を訪ねても同じように思える。

では東北以外のエリアはどうなのか。これも問題だ。当方が頑健で新コロ君など問題にしていないといったところで、もし身体のどこかに知らぬ間に新コロ君が取りついていたとしたら、旅先でバラ撒くことになるやもしれず、或いは逆に旅先の見知らぬ地で強力な新コロ君に攻められるやも知れず、そうなると、病への耐性に不安のある家内が心配になる。

とにかく今は、くるま旅に関しては八方塞がりの状態にあるようだ。これでは、とても安心して旅を楽しむことはできないだろう。その様に考えて今年の春の旅は、取止めることにした。

傘寿を迎え、自分に残されている時間がそれほど多くはないことを想うと、この時間ロスはかなり大きく痛いものとなるのではないか。せめて半年ほどでワクチンや治療薬の開発が進んで、新コロ君が降参の白旗を掲げて友好関係を申し込んでくるような事態となるよう願い、祈るばかりである。

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春の声

2020-04-11 04:23:55 | 宵宵妄話

 目に青葉山ほととぎす初鰹   素堂

春の表現は、この句に代表されるようである。視覚、聴覚、味覚という人間の感覚の大半を占める春の表現である。

この中で春を知らせるのが一番早いのはどれなのかといえば、それは鳥たちの鳴き声ではないかと思っている。守谷市には山がないので、ホトトギスの鳴き声は滅多に聴くことはないのだが、それに代わって、たくさんの鳥たちが春の到来を賑やかに告げてくれている。

守谷市は樹木の多い所だ。その昔ヤマトタケルが東征からの帰途ここを通って、その見事な樹林の広がりを見て、「オオ、森哉!」と声をあげたという。守谷という名称はそこから来ているなどと書かれているのを市のホームページだったかで見たことがある。今は、そのように誇れるほど樹木は多くはないけど、ま、近隣の他地区に比べれば少しは多いのかもしれない。

小鳥たちの住める世界も少しずつ狭められて来ているようだが、それでもこの季節になると、どの鳥たちも一段と鳴き声のボリュームを上げて春を謳っているようだ。

春になって鳴き声が目立つようになるのは、シジュウカラ、ウグイス、コジュケイ、ヒヨドリ、キビタキ、キジ、それにスズメも入るかもしれない。

これらの鳥たちの中で、最もその存在が目立つのは、やはり市の鳥にも指定されているコジュケイであろう。臆病なくせに市内の至る所で狂気のような大声で、「コッチャコイ!コッチャコイ!!」とわめいている。市の紹介では、春になって丁度カルガモの子連れの姿が話題になるのと同じように、この鳥もヒナを連れて歩く姿が家族愛を思わせて微笑ましいというのだが、だんだん子育てのできる屋敷林や雑木林などの暮らしの場所が狭まって来ていて、今は高速道路脇の藪や鬼怒川や小貝川の藪などに追い込まれてしまっているので、家族愛の景色は滅多に見ることができず、けたたましい狂気の鳴き声を随所で聞くだけとなっている。

コジュケイやキジのような大声ではなく、様々な鳴き声を披露しているのは何といってもウグイスであろう。ウグイスといえば、その鳴き声は「ホー、ホケキョ」に決まっているというのが世の常識になると思うけど、その実態は少しばかり違うのだ。この鳥は冬の間は囀ることもなく、地味な「チャ、チャ」しか言わなかったのに、春になると一転して良く透る鳴き声となるのは、まるで昆虫たちの脱皮のような感じがする。

早朝の散歩で小貝川の堤防の道を歩いていると、脇の竹や篠の藪から、或いは田んぼの向こうの農家の屋敷林の中から、ウグイスたちの鳴き競う声が姦しい。それを聞きながら、思わず笑ってしまうことが多い。

ウグイスたちは、もしかしたら人間の心理を読みながら人間のことばで謳っているのではないかと思うことがある。何年か前、堤防下の篠藪で、庭に育てたサヤエンドウの支柱用にと篠を切っていたら、突然近くで「ホー、ゴインキョ」と呼ばれて驚いたことがある。ゴインキョ即ちご隠居であり、リタイアして暇になった自分を見て、思わず声をかけたのかと吃驚した。それが、何度も傍でホー、ご隠居を繰り返すので、「うるさい、俺は未だご隠居などではない!」と怒鳴り返したことがある。

ウグイスたちには幾つかのグループがあって、それぞれ鳴き声が微妙に違っているのが判る。「ゴインキョ」の他に「ホー、ゴイチドウ(=ご一同)」などとやくざ紛いの声で鳴く奴がいるかと思えば、「ホー、ホケキョけ?」ととぼけて鳴いていたり、「ホー、ホットイテ(=放っておいて)などと拗ねて鳴く奴もいる。更には、何とコジュケイの大声に共鳴したのか「ホー、コッチャコイ」などとリズム感を曲げた変な鳴き方をしている奴もいる。いやー、実に面白い。

毎年同じ場所を通ると同じ鳴き声が聞こえて来て、ああ、未だ元気でいたんだなと微笑んでしまう。それが聞けなくなって、違う鳴き方になっていると、ああ、ここは世代交代が進んだのだなと勝手に想像したりしている。

自分が小鳥たちの春の囀りの中で一番好きなのは、「オイシイヨ!(=美味しいよ)」と澄んだ玉を転がす様な声で鳴く鳥なのだが、その姿を見たことがなく、従って鳥の名前も知らない。これは何年か前、筑波山に早朝登山をした時に杉と檜の林の中から聞こえて来た美しい鳴き声だった。美味しいよという感謝を込めた鳴き方に感動した。同感だ!と思ったのだ。しかし、何という名なのか。それが知りたくてネットで調べてみたのだが、そのような鳴き声は見つからなかった。オオルリかキビタキではないかと思ったのだが、やはり少し違うようだ。ま、謎の鳥としておこう。

春は鳥たちの躍動の季節である。謎の鳥も春を迎えて心ゆくまでその美声を磨いて囀っているのであろう。彼らの世界には、新型コロナウイルスなどは無縁であるに違いない。それにあやかりたい。ああ、あやかりたい。

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新型コロナウイルスへの我が対処法

2020-04-06 01:49:58 | 宵宵妄話

 生きている間にこのような出来事があるとは予想もしなかった、というのが現世の大騒動事件に対する正直な感想である。一つの感染症が地球全体をあらゆる面で混乱・困惑の渦に巻き込んでいるという現実。もはや国などというコンセプトが成り立たないほどに、人類は生物としての営みを世界全体でつくり上げて来てしまっているようだ。

 パンデミックの話は知らないわけではないけど、現代においては香港風邪のインフルエンザくらいで、世界中が大騒ぎになっても今回ほどの深刻さはなかったように思う。予防法も治療法もなく、ひたすら感染しないように、感染させないようにとマスクなどに依存してウイルスという見えない敵から、世界中が国を挙げて逃げまくるといった事態は、今回が初めではないか。連日国内・国外の感染者数が棒グラフや地図で示されて報道されているのを見ていると、人間という生き物の弱点のようなものが見えて来て、人間といえどもやはり神ではなく、その本質は他の動植物たちと変わらないのではないか。その様に思ってしまう。

 自分は、とにかくこのようなものに取憑かれたり巻き込まれたりすることなく、もうしばらくは生きていたいと思っている。傘寿の歳回りで、糖尿病患者を30年もやっている身なので、うっかりすると取憑かれる可能性は高いのだと思う。それで、自分なりにこの事態への対処法を考えてみた。

 自分の病に対する基本的な考え方は、病と正対して仲良くすることだと思っている。簡単に言うと、バイキンマンと仲良くすることなのだ。仲良くというのは、敵対関係ではないということ。ある種の味方関係をつくるということなのである。病を敵と捉えて考えると、そこには常に戦いが必要となって来る。戦うとなると勝たねばならなくなり、負ければあの世行きとなる。しかし、人間は生き物だから、勝っても負けてもいずれはあの世に行くものなのだ。だとすれば、病とは戦うよりも仲良くした方がいい。

 このような考え方は30年来の糖尿病との付き合いから生まれた。糖尿君は、今、自分の敵ではない。良きアドバイザーだと思っている。例えば糖尿病のレベルを図る指標としてヘモグロビンA1Cというのがあるのだが、この指標は自分が身体の管理をいい加減にしているとたちまち悪化を示す数値となり、真面目にやっていれば安全圏の数値を示してくれる。このためには定期的な医師の仲介が必要だけど、要は糖尿君と仲良くして彼の忠告に従って己の身体の管理をしてゆけばいい。このおかげで自分は今までほぼ健康を保ちながら生きて来られたのだと思っている。もしこの忠告を聴かずに好きなだけ食べ、飲んでいたら、とっくの昔にあの世へ行っていたか、或いは余命の時間を細々と数えながら医者通いをしていたに違いない。自分は今、糖尿君のアドバイスを真剣に受け止め、彼を信頼しているのである。

 では、今度の新型コロナウイルスの場合はどう考え対応すればいいのか。先ず、この新型コロナウイルス(=新コロ君と呼ぶことにしよう)とはいきなり仲良くなれるとは思えない。というのも、こちらは仲良くしようと思っても、新コロ君の方は相当の敵愾心を以て取憑いて来るに違いない。恐らく降参という手を使っても決して許すなどするまい。逆にそのような弱い奴はぶっ殺す、ということになるであろう。

 となれば仲良くなる前に、新コロ君の方が諦めて和睦を願って来るようにするしかあるまい。それにはまず心身を強くもって、こちらの強さを新コロ君に見せつけてやるしかあるまい。どんなに敵愾心を燃やしても、こいつには歯が立たないとなったら、新コロ君の心境も変わって来るに違いない。仲良くするには様々な方法が考えられるけど、この新コロ君に対してはこれしかないのではないかと思っている。

 ということで、今実行していることは、新コロ君が取憑いていようといまいと、心を強く持って身体の管理を保持すること。毎日しっかり運動(基本は歩き)して、しっかり手洗い・洗顔・嗽を徹底し、三密の場所などに、のこのこ出かけるなんてとんでもないこと。密かに少量のアルコールで身体全体を内側から温め、消毒すること。

継続は力なり。どんないいことも、頭で考えるだけ、半端な実践だけでは力は発揮できない。新コロ君への対処の知恵は、連日の報道や解説の中に出尽くしていると思う。それらの中から自分の思うことを選んで、信念を以て実践を継続すること。新コロ君の方から和睦の申し入れをして来るのはこれしかあるまい。新コロ君の敵愾心を消すような良薬が現れるまでは、自分の身は自分で守るしかない。

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書く力

2020-04-03 02:54:17 | 宵宵妄話

 人間は何のために生きているのか?という根源的な疑問に答えるとすれば、自分の現時点での答えは、「己を表現するためだ」ということになる。自分が自分であるということは、自分を表現した結果なのだ。その表現の仕方がどんなものであれ、人は生きている限り本人が意識していると否とに拘わらず常に自分を表現し続けているのだと思う。

 人間ほど多種多様な生きものはいないように思える。生物学的にはそうは言えないかもしれないけど、精神世界の面では無限・無数の存在ではないか。生きるということは、その精神面を表現することに尽きるのではないかと思う。

 いきなり難しげな話となったが、このところブログの方はさっぱりで、ものを書くことが少なくなってしまっていた。それを今反省している。この1年は、ものを書かなかったわけではないのだが、自分が書きたいものというよりも、自治会の仕事で必要なものを書かされるという形だった。書かされるというのは、事務的要素が多くて、自分を表現する部分は少ない。それが気になっていたのだが、責任を果たす役割を課せられた場合は、好き勝手なことを書くわけにはゆかないから、これはもう仕方がない。我慢するだけである。

 4月になってその役割から解放されて、改めて書くということについて考えてみた。人間は様々な力(=能力)をもっており、その能力を使って自分を表現しているのだと思う。その力を自分に当てはめてみると、それは書く力なのだと思っている。自分が書くことを止めるとしたら、もはやそこにいるのは自分ではない。そこにいるのは表現をしない自分であり、それは自分ではないのだ。だから、書くことは自分の証であり、これを止めるわけにはゆかない。

 ところで力というのは、使わないと落ちるものらしい。使い過ぎると劣化する場合もあるようだが、それは力を鍛え磨かなかった場合の様で、書くという場合は、使わないということだけが問題となるようだ。

 自分がなぜ書く力に拘るのかといえば、その中に自分が今考え、行動するという、生きている証の全てが含まれているからである。書くというのは文章を操(あやつ)り綴るということではない。それはほんの末端の作業に絡む技術の問題に過ぎないのであり、そこに行く前に、自分の今の暮らしや生きざまの全てが存在しているのである。目的や問題意識を持ち、それにこだわって様々な行動を起こし、己のそれらの全てを観察する中で、何か気づいたことを表現する。それが書くということなのだと思っている。

 この1年間旅を封鎖した。我が人生のライフワークはくるま旅を通して拾った宝物(発見と気づき)を書きとめ、書き残すことだと思っているので、旅を封鎖したことは痛手が大きい。つまり、書くことが減少し、書く力が衰えたのではないかという思い込みがあるからなのだ。書く力は、書くことによってのみ回復向上が図られるものであろう。だからこれからはそれを挽回すべく取り組んでゆかなければならない。

 傘寿も米寿も白寿も精神世界では皆同じようなものだとこの頃思うようになった。確かに老の世界には精神的な面でもレベルがあるのだとは思うが、身体的な影響を除外すれば、心の世界は皆同じなのではないか。自分はこの先も書く力をより強化してゆかなければならない。今年のこの4月は、新しい出発の時なのだと、少年のように今思っている。

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