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山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

コスモスを見に行く

2020-10-22 04:41:46 | くるま旅くらしの話

 花の季節といえば、やはり一番は春なのだと思う。冬の間閉じ込められていた生命の動きが解放されて躍動を始める、その植物たちの感激の頂点が花なのだと思う。それは多分生きものとしての人間にとっても同じものなのかもしれない。

 冬と真逆の夏が来て、その暑さに喘ぎながら時を耐えた後、多くの植物は稔りの秋を迎えるのだが、この季節に花を咲かせる植物たちも多い。その中で一番目立つのはキク科の植物たちではないか。勿論一番身近なのは和菊と呼ばれるものたちであり、これは桜と並んで日本の国の花とも言うべき存在となっている。

 自分の好きな秋の花の中にコスモスがある。この花もキク科の植物らしい。でも和菊たちとは異なった仲間らしい。熱帯アメリカ原産ということだから、外来種で明治の頃にやって来たようだ。外来種の植物には、歓迎されない輩が多いが、この花は例外の一つであろう。愛好家の手を離れて野に出ても、在来の植物たちを脅かすようなことはしないようだ。

 そのコスモスの花が好きだ。庭の片隅にたった一株だけ咲いているのも風情があるが、まとまって大地を染めて咲いているのにも感動する。コスモスを秋桜と書く。桜と比べると大型の花だが、その花の持つ雰囲気は桜に似ている。桜からは遠い季節に咲くのが又良い。もし桜と同じ春だったら、花に寄せる好意は半分になってしまうに違いない。秋に咲いてくれるのをありがたいと思う。

 ご託を並べたが、要は秋になるとどうしてもこの花を見たくなってしまう。この花で名を打っている場所まで見に行くことは少ないのだが、毎朝の散策の中でも出会うことが多いので、普段はそれで満足している。ところが、今年はコロナ禍でどうしても気分が鬱屈状態なので、コスモスの花の名所を見たいと思った。

県内近隣の状況を調べたら、小美玉市の希望ケ丘公園に500万株ものコスモス畑があるという。そこへ行ってみようと思い立ち、昨日行って来た。

    

 小美玉市は、我が家からは常磐道を利用すれば30分ほどで届く距離にある。10時に家を出て公園の駐車場に着いたのは、10時45分ごろだった。早速畑に行ってみると、中央に溝が流れる細長い田んぼ地が500mほどあり、そこにやや最盛期を過ぎたと思われるコスモスの花が風に揺られて広がっていた。密集して咲き、一面をピンク色に染め上げているのかと期待したのだが、残念ながら期待は少し外れて、幾つかに別れた畑には花のムラがあり、花が畑を埋め尽くすというほどの感動は得られなかった。それでも花の一つ一つは可憐で美しく、コスモスたちに文句を言う筋合いではない。1時間ほど花を眺めながら歩いて、その後で花を摘んでも良いということなので、我が家に来たがっていそうなものを選んで持ち帰ることにした。

 実はコスモス畑には大きな思い出がある。20年ほど前に四国の旅をした時、高知県の大月町という所を通りかかった。道脇にコスモス畑の案内幟にあり、それに惹かれてその畑を訪ねたのだが、そのあまりのスケールの大きさに度肝を抜かれるほど感動したことがある。それまでは、コスモス畑で最も印象深かったのは、宮崎県の西都原古墳群を訪ねた時に出会った、溢れるほどの花の密度の高い大きなコスモス畑だったのだが、この大月町のコスモス畑は、その何倍もの広さであり、昨日の希望ケ丘公園の何十倍のスケールだった。町の農業に係わる青年団の人たちが、煙草の栽培の終った畑にコスモスを育てたというのだが、とにかく見渡す限りがピンク色の花で埋め尽くされているという印象だった。これは間違いなく日本一のコスモス畑だと思った。あのときの感動は、20年近く経った今でも忘れることはない。

今頃は大月町のコスモス畑はどうなっているのだろうか。コスモスの花を見る度にあのときの感動が甦ってくる。昨日のコスモス畑は小さかったけど、20年ほど前をより強く思い出させてくれたことに感謝している。

    

 

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ひたち海浜公園へ行く

2020-10-08 21:05:13 | くるま旅くらしの話

 気分転換をしなければ!  と思った。コロナ禍の所為で、ここ数カ月間というものは、ただひたすらに同じような毎日が続き、仕事から離れた老人にとっての閉塞感は、人生の中で一度も味わったことのないほどのものだった。GOtoトラベルなどというキャンペーンが騒がれていても、より安全なくるま旅指向の者には殆ど魅力はない。GOtoイートについては、店の方たちには申しわけないけど、わざわざ出掛けて行って美味いものを食べるというような趣味は自分には全く無いし、それは糖尿病の持病を持つ者にとっては健康障害の源になるに違いないと思っている。

 とにかく、一時の気分転換でいいからどこかへ出掛けようと思った。(これは自分よりも家内の方がより深刻な問題となっていると思った) 先ずは近くの霞ヶ浦湖畔にある予科練跡の記念館に行こうと思った。朝のTVドラマで古関先生の歌が取り上げられていて、そういえばまだ一度も訪ねたことがなかったなと気づいたからである。それで念のため調べてみたら、なんと予約制となっており、1日30名が上限の入場制限がされているということだった。これでは明日の出掛けには間に合わないと諦めることにした。

 それでふと思いついたのは、まだ行ったことがない国営ひたち海浜公園だった。というのも我が家の門前の小さな花壇に植えていたコキアの4株が紅葉を始めており、その姿から、時折新聞や雑誌に掲載されている、ひたち海浜公園の丘のコキアが思い浮かんだのだった。公園ならば、予約など必要ないし、平日はさほど混雑していないだろう。それにこの公園は、かなりスケールが大きいので、得られる解放感も大きいのではないかと思った。コキアの他どんなものがあるのか判らないけど、行ってみての楽しみだなと思った。

 我が家からは常磐道等の高速道を利用すれば1時間足らずで届く距離にある。旅車もしばらく乗っていないので、車のリハビリを兼ねて旅車で行くことにした。一番左の通行帯を流れに沿ったゆっくりしたペースで走り、予定通り到着したのは11時少し前だった。

 早速入園料210円(65歳以上は半額)を払って入場する。予想通り混雑など見られず、先ずは安堵する。コキアのあるみはらしの丘までは結構距離があり、直ぐには見えなかった。途中の道端には秋萩が重くなった赤紫の花穂を垂れ、その向こうの藪の中にはガマズミの赤い実が微笑んでいた。足元にはミズヒキの花が赤く細長い花を絡ませていた。いずれも毎朝の散歩でお目にかかっている植物たちなのだが、ここの連中はまとまって咲いているので、今一味わいが違うなと思った。

 少し歩くと、みはらしらしの丘の麓に着いた。丘に上がる前に近くにある古民家を覗くことにした。県南の稲敷市にあった江戸中期の農家を移築したものらしく、母屋と隠居所の2棟が建てられていた。家内は東京在住時に、ボランティアで古民家の管理やガイドなどをやっていた経験があるので、この種の建物には詳しいようで、来訪者に思わず説明などを語りかけていたようだった。

 麓から見上げる丘には、半ば紅葉しかけたコキアの千株を超えると思われる幾つかの畑と、咲き始めたコスモスの花畑が広がっていた。いずれも最盛期を迎える前らしくて、華やかさには今一つ足りない感じがしたが、その分だけ活き活きとした生命力が漲っているように思われ、それは歩いて傍に行ってみると、よりはっきりと感じるものだった。コキアもコスモスも最盛期を迎える準備で忙しそうだった。それらの力を感じながら、その向こうの青い空に描かれた雲の筋を見ながら、じっくりと丘の散策を楽しんだ。久しぶりの満たされた時間だった。

 坂を降りる途中に、ススキの大株が連なる箇所があり、それがことの外印象深かった。というのも最近は西蕃モロコシというススキによく似た外来のススキの偽物が蔓延り出しており、ススキが少なくなって来ているのを懸念しているからなのである。大和の国の古来から愛されてきた、秋を代表する野草の一つが侵蝕されるのを懸念しているからなのだ。この場所で、これぞススキだという姿を見ることが出来て安堵し、満足した。

 1時間半ほどみはらしの丘の周辺を散策しただけだったけど、これ以上歩き回るのは老人には無理になるだろうと考え、今日はこれで止めることにした。広大な公園のほんの一部しか歩いていないけど、残りは再来の楽しみにすることにして、今日はほんの下見に来たのだ、と負け惜しみのセリフを吐く。帰り際に売店で焼き鯖ずしを買って、家内と半分こして食べたが、若狭の本場で修業したとかいうその味は、なかなかどうして御食国(みけつくに)の本場を名乗る若狭小浜の本場のものにも引けを取らないレベルだった。ビアを飲めないのが残念だったが、思わぬ美味を味わい、ひと時の開放感に満たされて溜まっていた閉塞のストレスが大いに解放された時間だった。

     

紅葉を始めた丘の畑のコキアたち。中途半端な感は拭えないけど、人間には想像力があるので、この大きな集まりにはやはり感動がある。

     

コスモスもまだ咲きかけの状態だった。その向こうにススキのそよぎがあり、秋の風情はたっぷりだった。

     

ただの邪魔くさい雑草と思う輩もいるかもしれないけど、ススキは日本人の生活の中に根を下ろした大切な野草の一つである。この穂群を見るとなぜか安堵する

     

秋空は雲とススキと、このような景色が一番ふさわしい感じがする。

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