花の季節といえば、やはり一番は春なのだと思う。冬の間閉じ込められていた生命の動きが解放されて躍動を始める、その植物たちの感激の頂点が花なのだと思う。それは多分生きものとしての人間にとっても同じものなのかもしれない。
冬と真逆の夏が来て、その暑さに喘ぎながら時を耐えた後、多くの植物は稔りの秋を迎えるのだが、この季節に花を咲かせる植物たちも多い。その中で一番目立つのはキク科の植物たちではないか。勿論一番身近なのは和菊と呼ばれるものたちであり、これは桜と並んで日本の国の花とも言うべき存在となっている。
自分の好きな秋の花の中にコスモスがある。この花もキク科の植物らしい。でも和菊たちとは異なった仲間らしい。熱帯アメリカ原産ということだから、外来種で明治の頃にやって来たようだ。外来種の植物には、歓迎されない輩が多いが、この花は例外の一つであろう。愛好家の手を離れて野に出ても、在来の植物たちを脅かすようなことはしないようだ。
そのコスモスの花が好きだ。庭の片隅にたった一株だけ咲いているのも風情があるが、まとまって大地を染めて咲いているのにも感動する。コスモスを秋桜と書く。桜と比べると大型の花だが、その花の持つ雰囲気は桜に似ている。桜からは遠い季節に咲くのが又良い。もし桜と同じ春だったら、花に寄せる好意は半分になってしまうに違いない。秋に咲いてくれるのをありがたいと思う。
ご託を並べたが、要は秋になるとどうしてもこの花を見たくなってしまう。この花で名を打っている場所まで見に行くことは少ないのだが、毎朝の散策の中でも出会うことが多いので、普段はそれで満足している。ところが、今年はコロナ禍でどうしても気分が鬱屈状態なので、コスモスの花の名所を見たいと思った。
県内近隣の状況を調べたら、小美玉市の希望ケ丘公園に500万株ものコスモス畑があるという。そこへ行ってみようと思い立ち、昨日行って来た。

小美玉市は、我が家からは常磐道を利用すれば30分ほどで届く距離にある。10時に家を出て公園の駐車場に着いたのは、10時45分ごろだった。早速畑に行ってみると、中央に溝が流れる細長い田んぼ地が500mほどあり、そこにやや最盛期を過ぎたと思われるコスモスの花が風に揺られて広がっていた。密集して咲き、一面をピンク色に染め上げているのかと期待したのだが、残念ながら期待は少し外れて、幾つかに別れた畑には花のムラがあり、花が畑を埋め尽くすというほどの感動は得られなかった。それでも花の一つ一つは可憐で美しく、コスモスたちに文句を言う筋合いではない。1時間ほど花を眺めながら歩いて、その後で花を摘んでも良いということなので、我が家に来たがっていそうなものを選んで持ち帰ることにした。
実はコスモス畑には大きな思い出がある。20年ほど前に四国の旅をした時、高知県の大月町という所を通りかかった。道脇にコスモス畑の案内幟にあり、それに惹かれてその畑を訪ねたのだが、そのあまりのスケールの大きさに度肝を抜かれるほど感動したことがある。それまでは、コスモス畑で最も印象深かったのは、宮崎県の西都原古墳群を訪ねた時に出会った、溢れるほどの花の密度の高い大きなコスモス畑だったのだが、この大月町のコスモス畑は、その何倍もの広さであり、昨日の希望ケ丘公園の何十倍のスケールだった。町の農業に係わる青年団の人たちが、煙草の栽培の終った畑にコスモスを育てたというのだが、とにかく見渡す限りがピンク色の花で埋め尽くされているという印象だった。これは間違いなく日本一のコスモス畑だと思った。あのときの感動は、20年近く経った今でも忘れることはない。
今頃は大月町のコスモス畑はどうなっているのだろうか。コスモスの花を見る度にあのときの感動が甦ってくる。昨日のコスモス畑は小さかったけど、20年ほど前をより強く思い出させてくれたことに感謝している。










