山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

少し休みます

2008-05-27 08:45:17 | 宵宵妄話
ブログ発信のエンジンを少し停止させたいと思っています。(馬骨)
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マンボウを喰う

2008-05-26 00:03:51 | 宵宵妄話

 生まれて初めてマンボウを喰った。マンボウというのは、水族館で見かけるあのとぼけた顔をしている奴である。顔と胴体と尻尾のバランスが普通の魚とは全く違っており、身体の各部分に、何が不足しているのか、何が多すぎるのかがよく解らない魚()である。調べてみると、マンボウはフグ目マンボウ科の魚だということだから、フグの仲間だということらしい。

 先日横須賀のⅠさん宅をお邪魔した際に、地元に詳しいIさんが、久里浜近郊の港近くの魚屋さんに案内して下さった。頭に超というよりも狂に近い魚好きの私にとっては、抜群の楽しみだった。守谷には魚屋がない。スーパーでしか売っておらず、殆どが切り身か干物ばかりである。今海から上がったばかりという鮮度レベルからは、程遠いものばかりしか置いていない。置けないのであろう。だから旅に出ると、魚市場のある所は避けて通れないのである。

 久里浜の何という港なのかはなどは気にもせずに、船から揚ったばかりのシラスをゲットし、その後案内して頂いた魚屋で、飛び魚と太刀魚の干物、それにIさんのお勧めで、一度マンボウを食べてみるべきというので、丁度並べてあった肝つきの切り身を一つゲットしたのだった。

飛び魚は以前屋久島に縄文杉を訪ねた時、泊まった民宿で食べた1匹丸揚げのから揚げの味が忘れられない。それを思い出し、家に帰ったら是非から揚げを再現して貰おうと思った。屋久島の焼酎三岳があれば文句無いのだが、今頃はべら棒に高くなってしまって手に入りにくい。それから太刀魚というのは、干物は珍しい。塩焼きか刺身又はから揚げなどで食べるのが殆どである。是非賞味しなくてはとゲットした次第。

 さてそのマンボウだが、買った切り身を見ると、エイのような、サメのような肉をしていた。魚肉というよりも鶏肉といった感じだが、筋のようなものがあり、Iさんの話では、漁師の人たちはこれをむしりながら食べるのだという。この魚は、鮮度が落ちやすく、落ちると肉が溶け出すので、できる限り早く食べた方がよいという話だった。しかしその場で食べるわけにも行かないので、とにかく早く家に帰る必要があると思った。

 その日家に戻ると直ぐに食べてみることにした。冷蔵庫に入れて冷やして持ち帰ったので、さほど鮮度は落ちなかったようだ。先ずは刺身で食べてみた。ワサビ醤油をたっぷり付けて、口に入れてみたが、やや水っぽくてぶよぶよした食感だった。どうもあの愛嬌あるマンボウ君が目前にちらついて、あいつを食っちゃっていいのかという、罪悪感のようなものがあって落ち着かない。家内は最初からギブアップのノータッチで、怪しげな目でこちらを見ている。このような雰囲気だったから、とても美味という感じはしなかった。

 Iさんの話では、最近観光客相手にこのマンボウを食べさせるのが流行っているとか。それがべら棒な値段なので、決して値段に見合わないということを知るためにも、一度その味を知っておく必要があるということだった。なるほど、なるほどと思いながら、残りの分も平らげて、刺身はそれで終わりにしたのだった。

 しかしまだ半分以上が残っている。これを最後まで全部食べないと犠牲になったマンボウ君に申し訳ないと思い、さてどうやって食べるかを考えた。肝が入っていたので、それを茹でて、味噌と酢を加えて練り、ボイルしたマンボウ君の肉にそれを付けて食べてみることにした。(これは翌日のことだったが)1日経った所為か、若干臭いがきつくなったようだった。家内は明らかに遠い距離を置いている。そのような冷たい雰囲気の中でも、マンボウ君のためには決して食べるのを諦めてはならないのである。しっかりボイルして、そのペーストを付けて食べると、これが結構いけるではないか。焼酎がないので、ウイスキーをハイボールにして飲んだが、やっぱり焼酎の方がいいなと思った。ボイルしたマンボウの肉は、魚というよりも鶏のササミという感じだった。(鶏君に叱られるかな?)

 というようなわけで、マンボウ君を腹に収めたのだったが、Iさんのおっしゃることがよく解った。フグの仲間だというけど、その大きさ、海の中での生活ぶりからいって、フグとは全く違う体質になってしまっているようだ。マンボウ君は、大きいのは3mを超え、体重も2トン以上にもなるというのだから、これはもう魚というよりも海獣という感じである。その肉をどんなに薄く切って並べても、フグの味には決してならないのは明らかだ。

 マンボウという魚は、安易に喰ってしまっていいという存在ではないような気がする。美味い不味いというような問題ではなく、食べてはいけない魚という感じがするのである。

 今のところ私の魚介類に対する覚えの中には、食べてはいけない魚として鯉だけが登録されているのだが、これからはマンボウ君を加えることにした。私の中では、鯉という魚は友達という感じがあり、食べる気が起きない。人に大へんよく懐(なつ)いてくれる魚で、指を出しても逃げないような奴を食ってしまうなんて、そんなことはとても出来ない。鯉こくやアライが美味いという人がいるが、そのような話には同調しないことにしている。

 これからはマンボウも食べない魚のリストの中に入れることにした。人生でマンボウを喰ったのはこれが最初で最後の出来事である。

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横須賀へ行く

2008-05-25 04:45:10 | くるま旅くらしの話

 講演記録の掲載で一息ついている間に、横須賀在住の旅の知人Ⅰさん宅を訪問し、一夜のご厄介になった。予てから、さんに給油口の取り付けをお勧め頂き、ご紹介頂いた部品も取り寄せていたのだったが、何せ工作音痴の自分にはどのようなことをすれば取り付けられるのか見当がつかず、ご親切に甘えることにし、お手を煩わしに参上したという次第だった。

 横須賀というのは、勿論名前も場所もよく知っている所だが、37年前に一度そこを車で通っただけで、その後は一度も足を踏み入れたことがないのである。だから、実質的には全く知らない街と言って良い。Ⅰさんご夫妻は、その横須賀のハイランドという所にお住まいである。ハイランドというからには、高台の一角なのだろうとは思った。しかし、ネットの地図では等高線などは書き込まれていないので、実像を思い描くことが出来ない。

 我が家からは、自動車専用道路ならば、さほど時間が掛からずに行けそうなのだが、久しくそのような道を使ったことがない。東京直行の高速バスの中から、いつも四つ木付近の大渋滞を見ているので、そこを通るのを敬遠して、家内の実家近くの湾岸習志野ICから入ることにした。我が家を8時半頃出発して、湾岸道に入ったのは10時半頃だった。

 湾岸道は東京湾の一番海寄りを行く道で、海底トンネルなどを幾つも潜り、且つベイブリッジなどの海に架かる橋も通る道である。羽田までは行ったことがあるけど、そこから先は未知の道である。キャンピングカーというのは風に弱いので、海辺の道を通る時は風には要注意なのだが、幸いなことに今日(5/21)は昨日の荒天とは打って変わった上天気で、何の心配もない。入り組んだ自動車専用道の進路を間違えないようにと案内表示板に注意しながら、順調に流れに乗って、思ったよりも遙かに早くベイブリッジが近づいた。相棒は懸命にカメラを構えて途中の景観を写していた。確かに東京湾岸近郊のこのような情景を目にすることは不断ないことなので、撮影の対象とはなるなと思った。ベイブリッジの途中に大黒というパーキングがあったので、ちょっと野次馬根性を起こし、覗いて見ようと寄ったのだが、ぐるっとループになっている取り付け道路を降りたそこは、車で埋まった無機質な世界がちょこんとあっただけで、少しも面白くなく、駐車するのをやめて直ぐに元の道に戻った。この辺の道路は、客観視するのが不可能なほど何が何だか様子が判らず、案内標識に従うだけである。とにかく間違えたらたいへん厄介なことになると、無駄話をしないように気をつけての進行だった。ナビはないし、ETCもないのである。

 その後は、湾岸道から横横道路に入り、終点まで行って、そこからしばらく一般道を走るとハイランドの入口に至った。ナビがないので、ここから先が勝負である。迷うことには慣れており、この頃はそれを結構楽しんでいる。ハイランドというのは、想像以上の坂の上の街だった。R134を走っていると、「尻こすり坂」という表示板があるのに驚いた。半端な坂道ではない。車なのでその厳しさが解らないのだろうけど、歩いてみればたいへんな坂だ。ハイランドはその坂の、更に上の山を拓いて造った街のようで、入口の坂の厳しさにも度肝を抜かれた感じがした。

 思ったよりも少ない迷いでIさんのお宅に到着する。13時を少し過ぎた時刻だった。時間的には、思ったよりもかなり近い距離なのだというのを実感した。湾岸習志野IC経由でなければ、2時間足らずで来れるのではないかと思う。

 Iさんご夫妻は、北海道の旅で知り合った大切な友人である。私の旅の知人には知恵者が多いが、Iさんも只の知恵者ではない。思ったことを何でも実現してしまう、創造力と知識と技術・技能をたっぷり備えた人物だ。ものづくりの世界に生きてこられた方には、足を地に据えた逞しい力がある。我が身に一番欠けているものを持っている人を尊敬せずにはいられない。本当は甘えてばかりいないで、爪の垢でも煎じて飲むほどの覚悟で、自分も必要最小限の旅車向けのものづくりに取り組まなければならないのだろうけど、もうこの歳になったら、それは勘弁して頂いて、ひたすら甘えるか、或いは無改善・無改良のままに既存のものを使うしかないと思っている。

 しばらく歓談の後、早速給油口の取り付け作業に掛かって下さった。Iさんも同じビルダーの旅車を使っておられ、給油口の取扱い不備が問題だったが、たちまちご自分で解決してしまった。知り合いの知恵者の皆さんは、同じようにあっという間に改善作業をこなしてしまっている。Iさんが、話を聞くだけで何も出来ない自分に同情して下さって、身を乗り出してそれを取り付けて頂けるというのは、真に有難いことである。1時間もかからずに作業は終わってしまった。その後で、ダイネットのテーブルの使い勝手について、板の位置が高すぎるのを相棒が予てより問題にしていたのだが、Iさんはその問題を解決されていて、我が車にも取り付けて頂けると言う話になった。魔法のようなアイデアと手さばき(=工具さばき)で、これ又大した時間も掛けずに作業を終えられたのだった。途中少し引っかかる問題点があっても、難なくクリアーされるその仕事ぶりは、自分には到底出来ない世界である。大感謝以外何もない。ありがとうございました。

     

左は新しく取り付けて頂いた給油口。これで一々大きなカバーを上げずとも給油が可能となる。今日、ディーラーに行きラベルを買ってきて貼付した。ここまで来るのに6年もかかっている。右は高さを5㎝ほど低くして頂いたテーブル。物置台まで付けて頂いて大感謝。これで相棒の愚痴もなくなるに違いない。ありがとうございました。

  これほど早く仕事が済んでしまうとは思わなかったので、日帰りではなく最初から泊まる予定で来ていたのだが、これはIさんの腕の凄さを知らなかったと反省した。でもせっかくなので、予定通り一夜を過ごさせて頂くことにした。この辺の図々しさは生来のものなのか、それとも単なる田舎者のセンスなのか、自分たちにもよく解らない。解っているのは、お互いをよく知り友情を深めるためには、このような時間がとても大切だということである。

 夕暮れまでにはかなり時間があり、その間Iさんの愛犬と一緒に散歩に出かけることになり、付近の街中をご案内頂いた。この辺りは開発された住宅地で、都市化の中にあるけど、ちょっと脇に入ると田舎が残り、息づいているというお話だったが、1時間を超える散歩の中でそのような場所を幾つか通った。

 それにしてももの凄い坂の街だ。長崎や尾道などの坂の街を幾つか知っているけど、横須賀もそれらに引けを取らない土地だなと思った。守谷は平均海抜が20mほどしかない所だけど、横須賀の海の見えるこの地は海抜70mもあるという。久しぶりに坂というものの厳しい味を堪能させて頂いた。「くりはま花の国」という広大な自然公園を中心の散歩だったが、坂の厳しさを除けば、心肺機能を高め、足腰を鍛え維持するには最高の自然環境だなと思った。

 海を望遠できる場所があるのは、いいなあと思う。Iさんは海大好き人間であり、長い間海との付き合いを大事にされてきておられるようで、ヨットもご自分で作られたことがあるという。ご自宅の居間に飾られた若かりし頃のダイビングの写真が印象的だった。ここに住まわれるようになったのも海との付き合いからの選択だったと言う。真に羨ましい人物である。自分といえば、辛うじて2mくらいは潜れるけど、泳ぐのも出来ず、舟に乗れば酔い、海とは縁の遠い生活ばかりだった。でも海が好きなのは変わらず、それはそこに棲む魚君たちが好きな所為なのかも知れない。

 散歩を終えた後は、夕餉をご馳走になる。奥様とご主人が入れ替わりに調理場を往復する姿は、我が家にかなり似ているなと思った。アウトドアに馴染むと、食べ物つくりに対する関心は、男女を問わなくなるのが普通である。お膳の前で神さんが作った料理が出るのをじっと待っているような男は、アウトドアとは無関係な野暮な奴である。Iさんご夫妻と一緒に居ると、何だか嬉しくなってしまう。23時過ぎまで、楽しい語らいが続いてその日は終わった。

 旅で出会った友は、同じ過去を持たない分だけ魅力的で、その魅力は自分があの世に行くまで消えないように思った。

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くるま旅は楽しい(講演記録:その7)

2008-05-24 05:08:20 | くるま旅くらしの話

 7.くるま旅のためのこれからの課題

さて、長い話となりましたが、もう一つ、これからの私のくるま旅くらしに関する課題についてお話したいと思います。

くるま旅くらしを提唱した以上は、ただその有効性と面白さを吹聴しながら、自分だけ勝手にくるま旅くらしを楽しんでいては無責任のような気がしています。それで、今考えておりますことは、くるま旅くらしの環境の整備に、微力ながらも尽力したいということです。

前にも申しましたように、わが国は車社会を形成しています。文明のもたらした車という利便なツールは、様々な用途の中で、国内で7583万台も走り回っています。わが国の人口の30%近くを高齢者が占めるような世の中でも、車の台数はそう簡単には減らないのではないかと思います。高齢者の殆どが車を手離さないと思うからです。私たちは、その利便さを旅に使いながら、残された人生を心豊かに生きて、PPKを目指してもよいのではないと考えます。

8千万台近い車社会の中で、旅車として登録されているのは、僅かに10万台そこそこと聞きました。車を旅に振り向ける生活の余裕がないこともあるのでしょうが、私は、USAやヨーロッパ先進諸国のような優れたくるま旅がわが国に定着しないのは、くるま旅を受け入れる環境が、真にプアーなことが最大の要因のように思っています。

退職金を叩(はた)いて、待望の旅車を手に入れ、いざ旅に出てみますと、年金生活の不安を抱えた者には、到底利用困難なオートキャンプ場ばかりが点在し、費用を掛けずに旅をしようと思えば、宿泊場所として道の駅や高速道のSAなどを利用せざるを得ないことになります。しかし、これらの場所は必ずしも安全・快適とは言えず、加えて逆にネガティブな世間の目に晒(さら)されたりしているのです。旅する人のマナーの問題もありますが、それ以前にリタイア後の人たちの、くるま旅を受け入れる環境が殆ど手付かずに未整備なのです。車社会の中で、くるま旅という新しい旅のスタイルを認知もせず、ただあくせくと走り回るのが車社会なのだという考え方は、この国の生活文化の質の貧しさを表わしているような気がしてなりません。

私はせめての願いとしてMHP(Motor Home Port ~くるま旅のための簡易宿泊用駐車場)というものを作って頂くことを提唱したいと考えていますが、そのことについて触れたいと思います。

くるま旅の宿泊場所の基本要件として、次のようなことが考えられます。

①給排水設備があること

②電源の設備があること

③トイレとその処理設備があること

④ゴミ処理(受け入れ)設備があること

⑤簡易炊事場が備わっていること

等々ですが、この他に、せめて半分くらいはオーニングを出せる幅と後部にテーブルや椅子などを出せるくらいの長さの駐車スペースが欲しいものです。更に夜間の安全を確保するためには、MHPは周囲をフェンス等で囲まれていることも大切かと思います。

これらの要件は、例えば①③⑤などは共同で利用できるもので差支えなく、②については、コイン仕様のものが適していると思います。そして1泊の利用料金が千円以下であることを希望したいと思います。その他の詳しいことは、長くなりますので控えますが、わが国の現状を見ますと、これらの要件を直ぐにでも満たして運営できる所として、民間のキャンプ場や道の駅などが考えられます。

このような施設を一般化してゆくためには、国や業界がくるま旅という新しいスタイルの旅を認知し、それを受け入れる環境の整備に尽力して頂かなければなりません。現在は旅車だけが注目され脚光を浴びているようですが、車だけでは質の良い旅は実現できないことを理解して欲しいと考えています。どのような立派な旅車を手に入れても、それを使いこなすための受け入れ環境が用意されていなかったら、安全で快適な旅は実現できないのです。

このような考え方を、何処の誰に向かって働きかけて行くかが、私のこれからの課題です。皆様の是非なるご支援をお願い頂きたいと思います。

8.しめくくり

あれこれ回り道をしながら、ようやく終わりに近づくことができました。くるま旅は楽しいという意味が少しでもお分かり頂けたら、大へん嬉しく思います。

既に第一線を退かれた皆様には、アウトドアライフを楽しみつつ、今度はくるま旅への挑戦を、そして更にはくるま旅くらしへの進展を期待します。

又、現役の皆様には、やがて来る、自分の持ち時間を自由に使える日に備えて、くるま旅、くるま旅くらしへの夢を膨らまし続けて頂ければ嬉しく思います。

心豊かな人生を送るためにも、大いに車を活用して旅を楽しもうではありませんか。くるま旅くらしは、リタイア後の人生の宝探しでもあると思います。旅をすれば出会いと感動という宝物が随所に転がっているのです。

最後にHMCCの皆様方の益々のご発展とご活躍に対して心からエールを送らせて頂きたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

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くるま旅は楽しい(講演記録:その6)

2008-05-23 00:00:22 | くるま旅くらしの話

 出会いの事例のお二人目は、前HMCC関西支部会長の多田さんです。多田さんご夫妻に初めてお会いしたのは、北海道オホーツク海沿岸北部にある枝幸(えさし)町で、毎年7月上旬に開催されるカニ祭りの時でした。偶々隣に停められたバスコンが多田さんの車だったのでした。カニ祭りには数百台とも思われる車が集まり、キャンピングカーも時には200台を超えるほどの盛況となるのですが、何しろ祭りですから、ひしめき合う大勢の人たちの中では、隣人とは親しくなりやすい環境なのです。私どもにとっては、その時が初めての祭りへの参加でしたし、くるま旅くらしもまだ緒についたばかりの時でした。

多田さんが何者なのかは、その時は全くの白紙だったのですが、車の中を覗かせて頂いて、仰天したのでした。バスコンというのも珍しいのですが、その中の装備のすごさは、それがすべてご自身の手づくりだとお聞きして、ただただ感服したのでした。ワイングラスを掛ける装備まであるのです。どうすればこのような発想を持ち、それを実現できるのか。機械・電気・木工等のあらゆる工作物オンチの自分には、信じられない創造の世界でした。

私は自分にできないことができる人を尊敬します。会社に努めたいた時も、事務屋よりは現場の人を大事にしなければと、いつも思っていました。紙の上で技術論をぶつ人よりも、実際に現場で技術を具現している人の方が本物だと思っています。世の中は究極において物が実在して安心できるのだと思います。経済界では、物や実体が無くても思惑だけで取引がなされ、お金が動くことがありますが、そのような行為に本当の価値があるとは思えません。

多田さんは、優れてものづくりのできる方だなとその時思いました。枝幸のカニ祭りでは、それでお別れしたのですが、その後で、もう一度一夜をご一緒できる機会があったのです。この時はお互いの夫婦同士だけの出会いでしたので、親しく一杯やることができ、お互いに旅のことなどについて話を交わしているうちに、すっかり多田さんご夫妻の来し方、生き方に魅了され感動したのでした。

偶然に、男同士も女同士も同じ年の生まれであり、世代としては全く一緒なのですが、来し方は全く異なっており、多田さんはものづくり、私は口先商売のようなことをしてきたわけです。このような組み合わせでは、全く意見が合わないか、その反対に妙にウマが合うかのどちらかのケースが多いようですが、私は多田さんというのは、ウマが合うなどということは通り越して、凄い人だなと思っています。

多田さんの一番の凄さは、経営していた会社を畳んで旅くらしに踏み切られたことです。倒産で畳んだのでも定年になって辞めたのでもありません。この決断は、常人にはなかなかできるものではありません。そしてその決断を実行されて、心からというよりも、真剣にといった方が当てはまるように思いますが、くるま旅を楽しみ、しかもその内容を成長させて居られるのです。多田さんご夫妻のくるま旅くらしは、同じことの繰り返しではなく、常に進歩しているのです。先にPPKの話をしましたが、私は多田さんのような方こそ、PPKの実践者なのだと思っています。同時に私自身も多田さんのレベルに近づけたらいいなと思っています。

 

三番目の事例は、HMCC関西支部現会長の井上さんとの出会いです。実は、私は井上さんに直接お会いして話をするのは、今回が2度目なのです。しかし私の中では、井上さんは既に十年来の知己のようになってしまっています。不思議な関係です。

1年少し前、多田さんから井上さんをご紹介頂きました。その後携帯の写真でご夫妻のお顔にお目にかかったのが始まりだったように思いますが、昨年の晩秋にお会いするまでは、実のところどのような方なのかは、電話とメール以外の情報ではよく判りませんでした。しかし、井上さんは大へんまめな方で、情熱溢れる方なのだということはよく判っておりました。そして実際にお会いしてみて、予想以上に体格のいいご夫妻で、お若い方なのだと知りましたが、何だか初めて会う人ではないように思ったのです。

人との出会いというのは、直接の出会いがなくても、出会いのネットワークの中からも生まれてくるものだということを知りました。今回こうして此処で皆様とお話ができますのも、ネットワーク、すなわち人と人との輪によるものであり、且つその輪を新たに創り出すことにつながるのだと思います。

井上さんとの出会いは、私に人との出会いの新しい形を教えてくれました。かけがえのない旅の友人の一人です。

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くるま旅は楽しい(講演記録:その5)

2008-05-21 00:05:14 | くるま旅くらしの話

6.くるま旅くらしの楽しさ

くるま旅が楽しいことは、改めて申し上げるまでもなく、皆様十二分にご承知のことと思います。それでも、今日のテーマを「くるま旅は楽しい」とさせて頂きましたので、私事で恐縮ですが、出会いの楽しさについて私の経験を2、3話させて頂きたいと思います。

還暦を過ぎてからの楽しさの味わい方は、若い時分とはかなり違ってきているようで、それがどんなに嬉しく楽しいことであっても、天にも昇るという若者のようなはしゃぎ方ではないようです。最初はハッとして心が躍るのですが、直ぐに正気に戻り、そのあと喜びがジワリと滲(にじ)んで来て、それが継続するといった形でしょうか。嬉しい出会いは、いつもそのような楽しさの味わい方となるようです。

ここでは、私の人との出会いの思い出を三つ、事例として紹介させて頂きたいと思います。

還暦を間もなく迎えようとする頃、不安を抱きながらのたどたどしいくるま旅を始めたのでしたが、車で旅ができるのも70歳くらいまでかと思っておりました。もみじマークをつける歳になったら、運転は近場に限定して畑や庭弄(いじ)りでもしながら、のんびりエッセーでも書いて暮らそうかなどと考えていました。

ところが8年前の北海道の旅で、私のくるま旅の考え方を一変させるような出会いが待っていました。北海道は隠れたサクランボの名産地ですが、その年、日本海側を走るオロロンラインと呼ばれる国道232号線の何処かの休憩施設で、そのサクランボをを食べていたのですが、直ぐ傍に軽自動車で旅をされているらしいお年よりのご夫婦を見かけたものですから、ほんの少しお裾分けをさせて頂いたのでした。石川県ナンバーの車で、その時は中を覗かせて貰うこともなく、挨拶程度の会話を交わしてお別れしたのでした。

ところが1ヶ月近くの後、もう一度そのご夫婦と歌志内という所にある道の駅でご一緒したのでした。朝になって、同じここに泊まって居られたのを知り、再度ご挨拶をしたのでした。2度目の出会いというのは、親近感をグーッと増大させるものです。その後いろいろお話を伺って、驚嘆してしまったのでした。何とご夫妻は、お住まいの金沢市に隣接する野々市町から旅に出られて、もう2ヶ月以上が経っているというのです。車を見せて頂きましたが、これがもう何ともいえない工夫の施された、まさにハンドメイドの旅車なのでした。軽自動車の狭い空間をみごとに活かし切った仕様となっていました。そして何よりも驚いたのは、ご主人がその時79歳だったのです。奥さんは10歳下だと伺いましたが、旅に出るようになってから体調がよくなった、と話される笑顔がとても似合っておられました。

この出会いは、私にとってはショッキングなものでした。何しろ、くるま旅は70歳ぐらいまでかと考えていたのに、目の前にそれを遙かに超えた、矍鑠(かくしゃく)とした旅の実践者が居られるのです。しかも軽自動車の自作の旅車で、2ヶ月以上ものご夫婦の旅を悠々と楽しまれているのです。お名前とお所をお伺いし、お宅をお邪魔しても良いのかをお願いしました。快諾を頂戴し、その時はそのままお別れしたのですが、その年の秋に北陸を旅した時、心を弾ませながらご自宅をお邪魔したのでした。

その方は森さんとおっしゃいます。野々市町のマンションにお住まいの森さん宅をお邪魔して、くるま旅に係わるたくさんのお話を伺いながら一夜をご厄介になって、私のくるま旅に対する考えは一変したのです。70歳などというのは、くるま旅の入口に過ぎないと思ったのです。同時にくるま旅を、くるま旅くらしにまで引き上げた旅をしてみたいとも思ったのでした。

それ以来何度もお宅をお邪魔したり、旅先でご一緒したりして、今では私の新しい父母のように思っております。もしこのご夫妻にお会いできなかったら、今の私もくるま旅も、随分と違ったつまらないものになっていたのではないかと思います。森さんご夫妻は、私どもの偉大なる旅の先達(せんだつ)であり、大恩人なのです。間もなくお父さんは米寿を、お母さんも喜寿を迎えられますが、いつまでもお元気で旅を楽しまれますことを、心から願っています。

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くるま旅は楽しい(講演記録:その4)

2008-05-21 00:04:36 | くるま旅くらしの話

 私は20年来の糖尿病患者ですが、先ずは80歳までのくるま旅の継続実現をめざして、健康の保持のために、いろいろ工夫しながら毎日行っていることがあります。糖尿病の場合は、病と上手く付き合うためには①食事②運動の二についてのコントロールと実践が不可欠です。決して薬に依存してはならないと思っています。

それで、私はバランスの良い食事を心がけるために、旅の間も基本的に外食はしない主義でやっています。旅の間の食事は3食とも自炊です。カロリーのことを考えると、外食は問題があるからです。又運動に関しては、現在は年間450万歩を目標に、毎月の目標歩数を決め、毎日の歩数実績を、自分で考案した記録表に記入するようにしています。これをもう17年間続けています。旅の間も、よほどのことがない限り歩く時間をとるようにしており、車だけに依存しないようにしています。因みに今年のこれまでの一日平均歩数は、約1万4千5百歩です。多分、距離に換算すれば毎日7kmくらいになるのではないかと思います。

皆様も何らかの健康管理をされておられると思いますが、くるま旅の実現のためにも、そしてPPKの実現のためにも油断なく健康維持のための健康法の継続実践を心がけられますようご留意下さい。

もひとつ、何故「くるま」なのかということですが、旅は何も車でなくても幾らでも実現できますし、むしろその方が旅の正道といえるかも知れません。しかし、私は車社会の今日では、車を使っての旅は、現代の新しい旅の形(=スタイル)なのではないかと考えています。キャンピングカーというのは、キャンプのための車というよりも、動く家としての機能を備えたモーターホームというのが本来の姿なのではないかと思っています。そして、くるま旅は時間に捉われることなく、自由自在に自分自身の旅を実現させてくれるのです。このような旅は、現役のときにはやりたくてもできない夢だったのですが、リタイア後の人生の中では、その気になりさえすれば、誰でも実現可能な新しい旅のスタイルなのです。何故くるま旅くらしなのか、という説明にこの一項を追加させて頂きます。

 5.くるま旅くらしの本質は「出会いと発見」

くるま旅の本質は何かを考えて見ますと、それは出会いと発見だと私は考えます。少し理屈っぽい話ですが、くるま旅によらず、すべての旅の本質は、出会いと発見のための時間の中にあるように思います。このことについてちょっぴり私の理屈を述べて見たいと思います。

私は、自著にサインを依頼された時は、「旅は出会いと発見 その感動が人の心を癒し 生きる力を強める」と書かせて頂くことにしています。くるま旅くらしというのは、旅という非日常的な暮らしの中で、様々な変化の中からたくさんの出会いと発見を拾ってゆくものであり、そこには常に感動が潜んでいるように思われます。旅に出ますと、今まであまり働かなかった感性が、昨日と違う体験に敏感に反応するようになり、心も体の働きも活性化されてくるように思うのです。そしてその結果、生きていることを実感できるようになれるのです。これが旅の魅力であり、本質なのではないかと考えます。

ところで、出会いとは何なのでしょうか。私は文字通り、それは出て会うことだと思っています。では、どこから出るのかといえば、一つには日常の暮らしから抜け出すということでありましょう。そしてもっと大切なのは、自分という殻の中から出るということを意味していると思うのです。人は誰でも堅い殻で自分をガードしながら生きています。それはとても大切なことですが、人と人とが本当に心をふれあう出会いというのは、お互いが自分の殻から抜け出して意思を交わした時に生まれ、実現するのではないかと思うのです。そして、旅という環境は、自分の殻からの脱出を容易にしてくれる力を持っているように思うのです。

それからもう一つ、出会いというのはその対象が、何も人間だけに限られたものではありません。自分の五感を揺るがすすべての出来事が出会いの対象に含まれると考えます。人間以外の動物、風景、草木、食べ物、匂い、等など、今まで見たこともなかった、或いは気づかなかった心を揺さぶるものや出来事などはすべて出会いだと思うのです。

旅に出ると、美しい風景を初め、近寄れば見たこともない山川草木がそこにあり、改めてここにこの様なものがあったのかと気づきますし、山中でのサルやキタキツネ、エゾシカなどとの遭遇も、心をドキッとさせられます。夏の北海道では海に行けば、関東辺りでは冬近くでなければ釣れないはずのカレイなどがごく当たり前のように釣れるのです。夏の美瑛の丘を訪ねると、そこに住む人たちの農業というくらしが、大自然を彩る広大なパッチワークのような畑を作っているのを見て、その美しさに誰でも感動の声を上げるのです。まさに大自然との出会い以外の何ものでもありません。

出会いに満ちた人生は活き活きとしています。人は心を揺さぶられるものに出会ったとき、心を躍らせ、やがてそれが鎮まると喜びの中に身も心も癒されるのです。そして、自分自身が生きている喜びを実感できることによって、人生は活き活きと動き出すのです。そこに旅の本質があり、大きな力が潜んでいるのだと私は考えます。

動物というのは、動くのが本能であり、動くことによって出会いを創って行く存在なのではないでしょうか。人間というのは、改めて明らかに動物だと思うのです。動かないと、なかなか刺激を受けること、感ずることができなくなって活力を失ってゆくのが動物であり、人間なのだと思うのです。動かなくても燃えるエネルギーを集中できる目的や目標を持てる人は、年老いても活き活きと生きることが可能だと思いますが、そのような人は稀でありましょう。

我々凡人は、旅によって出会いを創って行くことが、第2、第3の人生を、活き活きと生きてゆくために、たいへん有効な手段ではないかと思うのです。そして、そのことは実践してみれば誰でも容易に気づくことではないかと、私は思っています。

[明日は家を不在にするため、明日の分も引き続き掲載することにします]

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くるま旅は楽しい(講演記録:その3)

2008-05-20 01:37:13 | くるま旅くらしの話

 4.何故くるま旅くらしなのか?

では、何故くるま旅くらしなのかということですが、今お話しましたように、リタイア後の人生を心豊かに活き活きとして全うするという願いの実現に、くるま旅くらしが大いに力となってくれるということなのですが、このことをもう少し細かい切り口などから見てみたいと思います。

皆様はリタイア後の人生をどのようにお考えでしょうか?否応なしに迎えなければならない老人というものになった時、世の中人のために最も貢献できることは何だとお考えでしょうか。

私は次のように考えています。それは、死ぬというその時が来るまで、心も体も健康でいて、PPK(ピンピンコロリ)とあの世に旅立つことではないか、と。ボランティア活動などで、世の中人のために実際に役立つことも大変立派だと思いますが、そのような特別のことをしなくても、元気でPPKの人生を送ることができれば、それだけで世の中人のために、特に後世の若い世代の人たちのために貢献できるのだと断言できます。

現在、後期高齢者医療制度というのが話題となっていますが、老人の前期・後期などという区分けに関係なく、わが国の老人医療の問題は、国家財政を揺るがしています。殆ど生産活動に寄与しない(出来ない)、人口のかなりの部分を構成する高齢者が、医療費を膨らまし続けるという現象は、国の未来を危うくすると考えてもおかしくはないと言えます。そのような高齢者の影響を受けて、医療機関も医師も看護士も不足し、救急車も不足しています。

だからといって、生産活動に寄与しない老人は医療を遠慮すべきであるなどという、お粗末な損得の話をするつもりも考えも全くありません。PPKを心がけ、それを実現する人が多ければ多いほど、現在の医療制度に絡む問題点は改善されるのです。心も体も健康でPPKを実現できる老人は、それだけで世の中人のために多大な貢献をするのだとは思いませんか?

私は現在の医療制度の基本発想は間違っているのではないかと思っています。人間は皆老人になったら病院へ行き、何らかの治療を受けるものと決め付けている感がします。勿論若者と比べれば、そのような向きとなるのは致し方ないことでありましょう。しかし人間というのは、誰もが死ぬまで健康志向であって、病院などに依存しない生活を望んでいる存在なのだと思います。このことを、もっともっと重視した発想に基づく、高齢者向けの施策の展開が大切ではないかと思うのです。そして、それを実現、支援するためにコストをかけるのが人間を大切にする本来の姿であるように思うのです。

ハッキリ言って、生ける屍(しかばね)のような老人をつくりあげ、その生命維持のために多大の医療コストを振り向けるというのは、本当に人間を大事にした施策だとは思えません。これには老人側にも大いなる責任があると思いますが、そのような個人の問題よりも、現役リタイア後の人たちに対する社会教育の不足がこのような現象を招来しているように思えてなりません。

リタイア後の人生をどう生きるかは個人の自由であり、国家の干渉する余地はないと考えれば、致し方がないというのが現状なのでしょうが、個人が自分の生き方を決めるための判断材料はもっともっと国家から提供されても良いのではないでしょうか。現在は、多少余裕のある企業などが定年間際になって、ちょっぴりリタイア後の暮らしに関してのガイドをしているくらいであり、世の中の多くの企業には、そのような余裕はないのが現状でありましょう。だとするなら、国が公共機関を通して、リタイア後の生き方そのものを支援するというプラス思考のガイドに、もっともっと力を入れるべきではないかと思うのです。生きる力を失った老人たちの医療にお金を掛けるよりも、生きる力を失わないPPK指向の老人を増やす施策の方が、国家にとっては遙かに重要だと思われるのです。少し論理の飛躍となるかも知れませんが、私はくるま旅くらしの支援(環境整備)は、この重要施策の一環に加えられるべきものではないかと思っています。

また、PPKの生き方の実現は、世の中人のためだけではなく、何よりも自分自身にとって意義のあることだと思います。健康で心豊かに生きられるということは、何よりもありがたいことであって、嬉しいことでもあります。心と体に不安を抱きながら、何時お迎えが来るかと怯(おび)えながらの毎日や、或いはそのようなことも考えることも出来ない認知症の世界に入り込んでしまって、過去も未来もわからず、人間ということすら忘れて、ただ現在を生きているだけというような人生は、実に空恐ろしく思われます。PPKで自分が自分らしく心豊かに生きるのであれば、老いたとは雖(いえど)も、人生は充実したものとなるに違いありません。そして身近な家族や友人たちにも、大した迷惑をかけることもなく往生ができるのです。

少し脱線が長くなりましたが、私はこのPPKを実現するために、くるま旅くらしが大いに貢献できるのではないかと信じて疑いません。ここで「くるま旅くらし」といっておりますのは、長期間のくるま旅をイメージして敢えて使っていることばですが、「くるま旅」と言い換えても一向に差支えありません。

そのくるま旅が、なぜPPKにつながるのかといえば、元気に生きるために不可欠な刺激を、くるま旅くらしの実践の中から得ることができるからです。刺激といいますのは、出会いと発見に基づく感動を意味します。旅に出れば、そこには出会いが溢れています。新たな気づきが幾つも用意されています。それが人間を、自分を元気にしてくれるのです。松尾芭蕉の辞世の句は、「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」でありますが、俳聖の思いがみごとに籠められていると思います。旅に病みながらも蕉翁の生き様はPPKの世界だったように思うのです。

残された人生を心豊かにPPKで行くために、くるま旅くらしの秘めた力は、無限であるように思います。

ところで、このPPKの実現のために欠かせないことが幾つかあります。念を押すだけの話なのですが、その中で最も大切なPPK実現の前提条件は、健康であるということです。くるま旅くらしに出かければ、必ず元気が出るのは間違いないことですが、それだけで健康の全てが満たされると考えるのは、早計です。

PPKを実現するためには、何よりも健康でなければなりません。メタボをそのままにしていたのでは、マカロニ症候群に突入するばかりで、決してPPKとは行かないのです。マカロニ症候群をご存知ですか?それは恰(あたか)もマカロニのごとくのたくさんの管を口や静脈に入れて、命の延長を図るという病の処置の姿を言っているのです。安定したくるま旅くらしの実現のためには、不断の健康管理が不可欠です。そして健康管理というのは、頭の中で考えていたり、薬を飲んだりして行うものではありません。用意周到な継続実践だと思います。

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くるま旅は楽しい(講演記録:その2)

2008-05-19 00:02:20 | くるま旅くらしの話

3.くるま旅くらしの提唱 

私は「くるま旅くらし」というものを提唱させて頂いています。何もわざわざ提唱などと大げさなことを言わなくても良いのだとは思いますが、もともと何処かにお節介なところがあり、自分が気に入ったり嬉しくなったりしますと、そのことを他人様にやや押し付け気味に吹聴(ふいちょう)する向きがありまして、このくるま旅くらしの提唱も、その一つなのかも知れません。

くるま旅くらしの経験を通して、私は自分の残された人生を生きて行く上で、とても大切なことに気づかされました。私は自分の人生を、最後まで心豊かに活き活きと生きて行きたいと願っていますが、リタイア後のくるま旅くらしの体験から、その願いを叶えてくれる第一番の生き方が、まさにくるま旅くらしの中にあると言うことを知ったのです。

このように申し上げますと、些(いささ)かオーバーではないかと思われるかもしれませんが、くるま旅くらしの中での、毎日の出会いを通しての新鮮な発見や気づきは、自分自身が生きていることを実感させてくれ、生きる力を強めてくれるということに気づいたのです。そして、これは私一人だけではなく、旅で出会ったたくさんの方たちが皆一様にそれを感じ、元気になっているのです。

この事実というか、実態に感動した私は、このような喜びは自分たちだけが独り占めしていてはいけないと考え、調子に乗り、同世代の人たちのための案内役を買って出ようと思ったのです。己の力不足もわきまえず、ガイド書を書く決心をしたのでした。というのも、私自身がくるま旅を始めた際にも、何か参考になるような本などがないかと探してみたのですが、車の装備やアウトドアのキャンプや料理などの本はたくさんあっても、くるま旅の実際を案内してくれるものは殆ど見当たらなかったからです。

半年くらい構想を練り、3ヶ月ほどで原稿を書き上げ、9ヶ月くらい掛かって本を出版することが出来ました。都合1年半ほどで、思い付きを実現できたのはラッキーでした。その本が「くるま旅くらし心得帖」(新風舎刊)というものです。残念ながらその後出版社が倒産してしまったため、現在は継続の発行が出来なくなってしまっています。追って、自分なりの対策・対応を考えようと思っています。

現在は、この本をベースにして、くるま旅くらしの提唱を、ホームページ(「山本馬骨のくるま旅くらしの泉」)やブログ(「山本馬骨のくるま旅くらしノオト」)で続けているところです。

<ご案内> 拙著「くるま旅くらし心得帖」をお求めの方には、1300円(定価1,580円)にてお分けします。在庫は38冊限りです。お求めの方は、メールにてお申し込み下さい。送料込みです。お支払いは到着後に郵便振込みでお願いします。メールアドレスは、vacotsu8855@mail.goo.ne.jp です。

        

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くるま旅は楽しい(講演記録:その1)

2008-05-18 05:34:32 | くるま旅くらしの話

日から7回に分けて、わが国の草分け的なキャンパーズクラブの一つであります、HMCC(Hand Made Camping-car Club)の全国合同大会に於いて、お話をさせて頂きました時の講演記録を再整理したものを紹介させて頂くことにします。「くるま旅は楽しい」というタイトルですが、主にリタイア後の方たちを対象に、なぜくるま旅に意義があるのかということについて、不断の私の考えを述べさせて頂きました。くるま旅を考えられる際に、何かのご参考になればと思っています。

講演記録:その1

HMCC全国大会記念講演

  日時:08年5月4日

   場所:マキノピックランド(滋賀県:高島市マキノ町)

      タイトル:くるま旅は楽しい

1.自己紹介

  ・山本馬骨(本名拓弘) 茨城県日立市生まれ、育ったのは現常陸大宮市。昭和15年生まれ、67歳。サラリーマン中退後、企業内教育コンサルタント業へ。その後くるま旅くらし人を自称。現在は茨城県守谷市在住。

最初に自己紹介をさせて頂きます。お手元のレジメに書いた通りです。ご案内では、茨城県生まれで、現在も茨城県に住んでおりますので、ずっと茨城県に住まいの人間かと思われるかも知れませんが、私の人生の半分以上は、茨城県とは違う所で過ごしています。東京を皮切りに、四国高松に5年、九州福岡にも7年住んでおり、西日本での生活も経験しております。転勤が多く、結婚以来一番長く住んだのは、川崎での7年であり、現在住んでおります守谷という所も、まだ5年にも至っておりません。思えば、私のこれまでの人生は、既に大きな旅くらしのようなものであったと言えるかも知れません。

馬骨というのは、ペンネームです。世の中には家系とか血統などということにこだわる人がいますが、私は人間(人類)というのは、皆兄弟・姉妹・仲間であると思っています。ある方の話では、自分の二人の親、その親の又4人の親、というふうに先祖を辿って行きますと、30何代目かで現在の地球に住む人間の60数億人に至るとのことです。ですから、人間というのは元を正せば、たったそれだけの時間でこの地球に存在してきた生き物に過ぎないのだと思えるのです。それで、気取っている人たちに反抗する意味も籠めて、馬の骨という言い方をペンネームとしました。私自身もやがては馬の骨ならぬ馬の骨の灰となる身であることは明らかです。些かひねた精神の持ち主であることもお感じ頂けるのではないかと思っています。

最近は富に顔が下の方に移動してしまい、我が身の天辺(てっぺん)の輝きは、ご覧のような状況です。皆様の目を眩(くら)ましてはいけませんので、今日は帽子をかぶったまま話をさせて頂きたいと思います。

私のアウトドアへの関心は、20代初めの頃から始まっていますが、車を使ってのキャンプ等については、子どもたちが小学生になった頃から、テントを積んで夏休み等に近隣に出かけるといったスタイルで行っていました。それが本格的なくるま旅を考えるようになりましたのは、現役を引退するのが近くなってからで、その意味では皆様方の方が、私よりもより豊かな経験をされていらっしゃるのではないかと思います。キャンピングカーを使ってのくるま旅を始めてから10年以上が経過していますが、本格的なくるま旅くらしを始めるようになったのは、ここ5、6年ほどかと思います。現在はグローバル社製のキング5.3という旅車に乗っていますが、これが2台目です。この車も既に6年を経過し、今回ここへ来る途中に走行距離が10万キロを超えました。あと30万キロくらいはこの車で旅をしたいと思っておりますが、さて、それまで我が身が持ちますかどうか、それが問題です。

私の家族は、家内と二人の倅がおりますが、夫々独立しています。家内は本日一緒に参加させて頂いております。どうぞよろしくお願いいたします。

2.今日の話の前提

本日はわが国のキャンピングカークラブの草分けの一つとも言えるHMCC(=Hand Made Camping-car  Club)の全国合同大会にお招き頂き、誠にありがたく嬉しく思っております。手作りの精神を大切にしながら車を愛し、キャンプやくるま旅を楽しんで来られた皆様の活動は、大いに評価されるべきだと思っています。HM=ハンドメイドというところに、一際(ひときわ)このクラブの価値の大きさがあるように思います。如何に巧みに車を使ってキャンプや旅を楽しむかについて、同じ思いの方たちが知恵を出し合ってつくりあげてきた個性ある車の数々とクラブメンバーの活動実績は、大いに賞賛されるべきだと考えます。私のように電気も機械も木工も全くのオンチの者には、皆様の車を見せて頂く度に、その装備・機能に、真に驚嘆の連続なのであります。

そのような知恵者の集まりの会合で、私如き者が何やら旅についての話をするというのは、真におこがましくも恥ずかしいことと充分に解ってはいるのですが、随分と前から関西支部の井上会長さんからご依頼を受け、安易に引き受けてしまったのは、真に迂闊(うかつ)なことでありました。しかし改めて気づいた時は、時既に遅しでありました。よって、本日は私の勝手な思いをお聞き頂くということでお許しを願いたいと思います。

ところで今日の話でありますが、タイトルを「くるま旅は楽しい」とさせて頂きました。真に当たり前のテーマなのですが、外に思いつくこともなく、やっぱり一番言いたいのはこれだよな、と勝手に決めさせて頂きました。その対象と言いますか、お聞き頂く内容は、主として現役をリタイアされた方を想定しています。と申しますのも、現役の方は仕事と生活が直結しており、長期間のくるま旅を実現するのは困難ではないかと思うのです。生活をかけて仕事をしなければならない方に、くるま旅を楽しみましょう!などとは到底言えることではありません。現役の皆様には、これから先の参考例としてお聞き頂ければ嬉しく思います。

コメント (1)
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