山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ソーラーのこと

2007-11-30 08:28:04 | 宵宵妄話

今日、ソーラーの取り付けを依頼した。併せてサブバッテリーをもう一つ増やすこともお願いした。私は旅車の装備に関しては、どちらかといえば無頓着で、他の人にとっては必需品であっても、自分たちにとってはさほど必要ではないと思っているものが多い。たとえば今の旅車には電子レンジは勿論のことIHの調理器具までも付いていて、在宅の時と殆ど変わらない調理の環境が整った車も出現しているが、自分たちは電子レンジとは無縁だし、クーラーなどもそれほど欲しいとは思っていない。在宅時はIHに依存しているけど、車の中ではLPガスで十分だと思っている。

それなのに旅車で必需品だと思い始めたのがソーラーである。今ではソーラーだけは多少お金がかかっても取り付ける必要があると、旅車の絶対的装備要件のように思い始めたのである。そのことに関連して少し書いてみたい。

旅車を使いこなしてゆく上で、一番大きく係わるのはくるま旅くらしのエネルギー源を何に求めるかということであろう。エネルギー源としては、LPガス、石油類、電気があるが、電気はそれを供給するためには外部からの給電がない限りは、更にガスや石油類による発電装置を作動させなければならない。今日の日常生活は、電気なしでは成り立たないから、結局のところくるま旅においては、いかにして電気をゲットするかが大きな課題となる。

そのための最も簡単な方法は、旅車に発電機を取り付けることである。しっかりしたものを取り付けておけば、電子レンジもIHクッキングも自由自在であろう。そのような考え方をもとに作られ、販売されている車は多い。

しかし、それを使うための環境はどうかといえば、これがなかなか難しいのである。ユーザーとしてはせっかく手に入れた車なのだから、それに付帯している諸々の装備を、自分の好きな場所で、好きな時間帯に、好きなように使いたいと思うのは当然であろう。ところが現実といえば、そんなことを平気でやったりしたら、世間の顰蹙(ひんしゅく)をかってしまうのは間違いない。仮眠を始めた時刻の道の駅に夜遅く着いて、夕食の準備のために電子レンジでご飯を温めるために発電機を回したとするなら、その近くに止まっている車から苦情が出るのは必至のことであろう。苦情が出なくても険悪な空気が生まれることは間違いない。平気なのはエンジンを掛けっぱなしで寝ているトラックの運転手くらいのものであろう。

またキャンプ場に入って自慢の発電機を回して朝餉や夕餉の準備をしようと思ったら、発電機を回すのは禁止だと警告されることもある。AC電源が付いておれば発電機は不要だけど、フリーサイトであれば多くのキャンプ場では発電機を使うことをOKとはしていない。キャンプ場ではペットの同伴も発電機の使用もままならない所が多いのである。だったら、一体何処で自由なキャンプを楽しむことができるのか?その選定は結構難しい。くるま旅の環境はまだまだ自由に旅ができるほど整ってはいないし、世間から認知されてもいない。

少し苦情を言えば、メーカーは在宅と同じ暮らしの環境を備えた旅車造りに懸命のようだけど、それが大切な要件の一つには違いないとしても、もっと大切なのは、くるま旅の環境に適った車造りに目を向けることではなかろうか。また、そのような環境づくりにも力を入れて欲しいと思う。どんなに素晴らしい夢の旅車が出来上がったとしても、それを好きな場所で、好きな時に、好きなように使うことができなければ、せっかくの努力や苦労も報われないものとなり兼ねないと思うのである。

さて、ソーラーの話に戻ると、今の自分にとって、ソーラーだけが唯一の安心な電気の供給源のように思えるのである。ソーラーで電子レンジやIH調理器を賄うほどの電気の供給は不可能だが、夜間の2、3時間のTVや本読みなどの照明くらいなら十分に対処できるのではないか。毎日の移動を前提としたくるま旅のスタイルでは、ソーラーなどなくてもその日の走行充電だけで一夜の電源確保は可能だと思うが、一箇所に長期滞在をする場合でAC電源の供給のない場所においては、ソーラーがないと毎日充電のための無駄な走りを強要されることになる。それが無くなるということだけでも安堵感を覚えるのである。 

ま、本当のところは実際に取り付けて使ってみないと判らないと思っているが、当面これで電源に関する一つの悩みが軽減されると期待している。真にささやかな装備の話でありました。

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旅から戻って一息ついての理屈の話

2007-11-29 06:57:52 | くるま旅くらしの話

昨日はブログを休ませてもらった。妙に興奮している状態とか、或いは一仕事終わって何とはなしの倦怠感にとらわれる時には、ロクことは書けないものである。尤も私の場合は、普段からロクなことしか書けていないので、つまりはサボりの弁明にしかなっていないのは承知している。

今回の2週間の旅は、急ぎ旅だったと思っている。2週間といえば、旅としては長い方なのかも知れない。しかし、私にはスケジュールがたくさん組み込まれるような旅は、自由度が狭まってしまうので、窮屈な感じを受けるのである。勿論、訪ねる予定の知人を煩わしいなどとは全く思っていないし、会うのを心底楽しみにしているのである。それなのに窮屈と感じるのは、最近フリーの旅に慣れてきてしまっているからなのかも知れない。贅沢といえば贅沢な話ではある。

旅から戻って、ドタバタと大事な雑用を済ませているうちに、どうやら旅の興奮も納まってきたようである。今回は欲張って何人もの知人宅を訪ね、また新しい方との出会いもあって、大いに興奮したのだった。人と会うというのは、刺激的なことである。他人は自分とは違っており、その違いをこの頃は少し楽しみ出すようになってきた。変な話だけど、以前の私には、我は我れ他人は他人でどうでもよい、と考えるようなところが多くあって、他人との違いなど無関心だった。それが旅をするようになってから、少しずつ変わって来て、自分と違う他人が興味を引くようになったのである。

当然のことながら、家内や子供たちを含めて他人の全ては、自分とは違っている。当たり前のことである。その違いに気づくことが他人を理解する前提なのだと本気で思うようになった。会社勤めの間も、勿論他人と自分との違いには留意してはいたのだったが、ビジネスの世界での人との付き合いは、ある種の固定観念のようなものが働き、決して口先で言うほど相手を理解しようとはしないことが多かったのである。それが、旅での出会いでは余計な垣根のようなものが取り外されて、交流が始まることとなる。垣根を取り外さなければ、決して交流は始まらないし、深まらない。これはビジネスにおいても同じことなのかもしれないが、利害得失と無関係の世界の人との出会いは、やっぱり別のような気がする。

人との違いを楽しむというのは、かなりいい加減な言い方のようにも思うが、人と会うのを苦痛と考えるのではないから、まあそれでも良いのではないかと思っている。人間というのは心のどこかで、他人の全てが自分と同じ考えを持つべきだと思っているようなところがある。自己主張の激しい人ほどその傾向は強い。TVの討論などを見ていると、時々呆れかえることがある。政治家や学者といわれる人たちに多いような気がする。このような方たちには、自分と他人の違いを楽しみ、そこから何かを吸収、獲得するというような発想は殆ど無いのではないか。

旅の中で出会った知人は、皆個性的で魅力的な人ばかりだ。しかし、その方もビジネスや小さな地域社会の中では、没個性的な存在なのかもしれない。或いは単なる偏屈者という扱いなのかも知れない。けれども、旅で出会うその同じ人物が魅力的に映るのは何故なのだろうか。私はそこに旅の不思議な力が潜んでいるように思うのである。いろいろな言い方があるのだと思うが、旅は人の心を解き放つ力があるのだと思う。その人の持つ本物の姿を浮き出させるのだと思う。

この様に書くと、旅に出れば世の中の誰もが心を解き放たれ、その人の本物の姿を浮き出させるかといえば、残念ながらそのようなことはないのが現実だ。私は、そのような人はまだ本当の旅をしていないのだと思っている。旅の形や流れの中には入っていても、心を解き放つ余裕はなく、今までのくらしのしがらみを引きずったままなのだと思う。何のために旅に出るのかなどは問題ではなく、浮世の現実を背負いながらも、何がしかの自分の夢を追いかけて出かけているだけなのだと思う。斯く言う私自身もまだ本当の旅はできていないのかも知れない。今ようやく旅が何なのかを知りかけた時なのかも知れない。

他人との違いを楽しみ、その違いをとても大切なものと思えるようになって、初めて人との出会いの素晴らしさを実感できるようになったように思う。今回の旅では、自分が旅をしているのだということを、ほんの少しだけど前進して実感できたように思う。その出来事などについては、追々書いてゆくことにしたい。

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木立ちダリア真っ盛り

2007-11-27 09:25:53 | 宵宵妄話
旅から戻って、依然ドタバタが続いていて、ブログを書く時間がありません。
小人の多忙とは無関係に庭先の木立ちダリアは、大輪の花で曇り空を明るくしてくれています。3mを超える高さとなっており、その全景を撮れないのが残念です。ブログの写真に限界を感じながらも、とりあえず紹介した次第です。今日は記述は休みです。
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関西・北陸の旅:第15日

2007-11-26 06:44:28 | くるま旅くらしの話

今日は、家に帰る日、すなわち旅の終わる日である。昨夜の興奮も少し鎮まって、6時過ぎ外に出ると、抜群の快晴となっていた。寒さもさほどではなく、この分だと帰途の道路は支障なさそうで安心した。今日は高速道を走って帰る予定でいる。

8時から会場の撤収作業に参加。テントは夜露と昨夜の興奮が水滴になって内外部ともびっしょりになっていた。水滴を叩き落とし、上ってきた太陽で乾かしたりしながら、撤収作業が進んだのだが、予定の記念写真の撮影が1時間ほど遅れるというので、残念だけど今日中に家に戻り、明日はまた他出しなければならない用件があるため、お断りして9時には出発することにした。戸川さん初め、お世話になった皆様に名残のご挨拶をしてお別れする。本当に素晴らしい体験ができたと思う。TASの皆様ありがとうございました。

風もなく本当にいい天気で、そのためなのか立山連峰は今日もぼやっとしており、昨日よりは山の様子が見えるものの、写真に収めるのには無理がある感じだった。R8を黒部の方に向かい、黒部ICから北陸道に入る。これからはひたすらに我が家を目指すだけの移動日である。普段高速道は使わない主義なので、フルに家まで走るのは久しぶりのことになる。安全走行に心がけて、とにかく今日中には戻らなければならない。

黒部ICに入ったのは、11時近くだった。それからは、途中幾つかのSAなどで休みを取りながら、上信越道、関越道、外環道、常磐道と走り、我が家近くの谷和原ICを出て、帰宅したのは18時15分だった。途中関越道に入ってからはかなりの渋滞箇所が続いて、少しいらいらしたが、それでも思ったよりは早く帰宅できてよかった。まずはやれやれの心境である。

あしかけ15日間の急ぎ旅だったが、実に稔りの多い旅だった。欲を言えば切りが無いが、このような急ぎ旅も時には必要なのかもしれない。旅の興奮を長持ちさせるようにして、これから今回の旅で頂いたたくさんの出会いや経験を温め、引き出せるようにして行きたいと思っている。

とにかく今日はこれから夕刻まで他出の予定があり、旅の総括を書く時間がないのを残念に思っている。

(とりあえず無事帰還した報告だけはと思っています)

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関西・北陸の旅: 第14日

2007-11-25 07:47:21 | くるま旅くらしの話
富山庄川河川敷の朝は、良く晴れて、昨夜はかなりの冷え込みだった。もしかしたら、立山連峰の写真が撮れるかも知れないと、氷見の雨晴らし海岸辺りに行ってみてはどうかと考えた。外に出てみると、快晴の空なのだが、立山は見えず、薄赤の凍り付いたおぼろの中にある様だった。
鮭の梁の方に行ってみると、丁度捕獲したものを水揚げしているところだった。一網に何匹もの鮭がドーンと吐き出され、板の囲いの中を、勇ましくピチ跳ねていた。それにしても、庄川にこれほど多くの鮭が遡上して来るとは知らなかった。地元漁協の鮭関係の会長さんのお話では、庄川辺りが鮭の遡上の南限と言われているとか。日本海側では、村上の三面川の鮭が有名だが、今はここ庄川の方が漁獲量が多いと言う。又ここに設置されている梁は、特許となっている特別なものなのだと教えて頂いた。富山と言えば何と言ってもブリで、鮭に対する地元の人たちの関心はあまり高くないのだと、これは戸川さんから教えて頂いた話だった。
軽い朝食の後、とにかく写真を撮りに行ってみることにして、氷見に向けて出発。氷見の雨晴らし海岸からの立山の写真は有名なのだそうだ。これは相棒の話なのだが自分は良く知らない。行ってみると、昨夜の冷え込みのせいなのか、海霧が立ちのぼり、幻想的な景観が広がっていた。しかし残念なことに、立山連峰は全く見ることは叶わなかった。しばらく休憩し、ブログの投稿などを済ます。その後はホームセンターに寄り、長靴を買い、会場に戻る。ぬかるみも安心に歩けるようになって、これでこの後のイベントの参加・見物も大丈夫だ。
戻った時は11時近くなっていて、TASのメンバーの皆さんは、総会の話し合いの最中だった。活発な議論の中から、活動のパワーが生まれて来るのだろうと思った。我々の方はのんびりと時間を過ごす。お昼はイクラが配られ相棒は目を細めて、たった30分前に採取された超新鮮な大好物に言葉もなく集中していた。自分の方は、残念ながらイクラは制限されている食べ物の一つで、写真を撮るだけだった。昼食の後は少しまどろむ。14時近くに相棒が鮭のつかみ取りに挑戦。どんなことになるのかと、カメラを構えながら見ていたが、思ったより簡単に鮭を捕まえていたので、少しガッカリした。めったにない経験をすることができ、大満足のようだった。
夕刻17時から、メインイベントの一つのパーティーが始まる。心配していた町田編集長ご夫妻も到着され、参加されている。メンバーの方の手づくりの鮭料理を主菜に各自が思い思いに持参した飲み物と食べ物を広げて、歓談が始まった。一段落の頃、戸川さんの司会で参加者全員の紹介が始められた。そのお話しぶりは、実に見事にお一人お一人の特徴が浮かび上がるもので、会場の雰囲気を盛り上げられていた。この様な集まりは個性的な方が多いのではないかと思うが、戸川さんの集まりに対する熱き思いと、参加者一人ひとりへの深い理解の温かさが、全体を一つにしているように思え、心を打たれた。
二次会は24時近くまで、冷え込むテントの外のことなど全く忘れての歓談が続いた。たくさんの大切なお話しを伺い、かつてない人生の経験をしたように思う。今は感動が大きすぎて、それらを書くのが難しい。またの機会に触れてゆきたい。日中は雨になり、パーティーも雨の中、漁協の格別のご好意で、河川敷に作られたテントをお借りして始まったのだが、お開きの時刻には、満月らしき月が空に輝いていた。
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関西・北陸の旅: 第13日

2007-11-24 09:52:48 | くるま旅くらしの話
氷見の宿:青柳の朝は黒雲が去らず寒さ厳しいものだった。昨日入らなかった風呂に朝早く行った。檜の湯船は香りをたっぷり湛えて、窓外の海の展望をより心豊かなものとしてくれた。こちらの民宿:青柳は風呂や床に木へのこだわりをもたれているようで、何故かホッとするものを感じさせてくれる。それにしても此処に泊めて頂くなんて、昨日Sさんに会うまでは夢にも思わなかった。有り難いことだ。
美味しい朝ご飯を頂戴した後、宿に別れを告げる。今回の旅の行程もいよいよ最後のイベントが近づいた。今日から明後日まで富山市郊外の庄川河川敷で鮭祭りに合わせて開催予定のTASの総会の集まりに参加させて頂けることになっている。それが終われば、直ちに帰途につくことになり、旅は終わりとなるのである。
宿を出発して、先ずは氷見の道の駅に立ち寄る。ここの道の駅は、フィッシャーマンズ・ワーフの名の通り魚市場のような魚売り場に併設されており、朝から買い物客で賑わっていた。ブリの寿司などを買い求めた後、郊外のスーパーで更に少しばかり買い物をして、庄川の会場へ。既にかなりの台数のキャンピングカーが参集していた。TASとは、Trail Adventure Sphrit の頭文字の略称の集まりで、ICTrexというモーターホームの会社を創られた戸川さんを中心とする有志の皆さんが立ち上げられた、こよなく車を愛し、旅を愛し、キャンプを愛し、大自然の中で、多くの仲間との交流を通して世の中人のために役立っことを目指す、大きな集まりである。その活動は日本国内に止まらず、隣国の韓国も含めて世界規模を目指されている。
会場には先着の戸川さんがわざわざ出迎えて下さった。戸川さんの作られた名車、B.C.バーノンがずらりと20台以上も並ぶ光景は圧巻としか言いようがない。北米製の日本向け仕様のモーターホームは、いわゆるキャンピングカーのレベルを超えた憧れの旅くるまである。その中に我がSUN号も停めさせて頂くき、イカリを下ろした。
今回のイベントは、クラブの総会を庄川の鮭祭り会場で開かれるとのことで、今夜は鮭汁が、そして明日はイクラの昼ご飯、鮭のつかみ取り、夕刻には鮭を主菜とするパーティーが企画されており、楽しみである。今夜はフリーに夜を過ごすと言うことなので、我々は昨夜の睡眠不足を解消すべく、早めに寝床に入り、お付き合いのない夜となってしまった。
今回の集まりには、もう一方お会いできるのを楽しみにしているキャンピングカースーパーガイドオンラインの町田編集長がおられるのだが、奥様の急な発熱で今夜には間に合わず、回復の様子をみてから決められるとのお話だった。是非とも風邪を克服されてお越し頂きたいと、無責任な願いを心に思った。
知り合いの方は戸川さんと町田さんだけかなと思っていたら、何と昨年秋新潟県北部にある道の駅:関川で知り合つた、加古川市から来訪の稲岡さんご夫妻にお目にかかることができ、嬉しかった。旅での出会いの素晴らしさを改めて実感したのだった。
明日は存分に一日を楽しむことにしよう。今日はここまで。
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関西・北陸の旅: 第12日

2007-11-23 10:10:24 | くるま旅くらしの話
このところ、悪天候が続いている。今朝も晴れ間があったかと思うと、ちょっとの間に雨になっている。今日はMさん宅を出て、富山市在住のSさんを訪ねる予定である。
11時頃、名残を惜しみつつ、又来年夏の北海道での再会を約してMさんご夫妻にお別れする。お世話になりありがとうございました。
雨は依然として降り続いており、時々霰や霙も混ざったりしている。金沢西インターから北陸道に入り、富山市方面に向かう。山間部には雪が積もっており、25日に帰れるのかどうか不安がつのる。小矢部サービスエリアで小休止したが、館内放送では、今日の北陸道や上信越道の一部区間がチェーンがないと通れないなどと言っていた。回復を祈るのみである。富山インターで下りて、R41を少し走ってSさん宅に着いたのは、13時半頃だった。
Sさんは元勤務していた会社の親しい仲間である。昨年春リタイアして、今は好きな農事や植木の手入れなど、ボランティア的に仕事をしているようだ。悠々自適と言っていいと思う。お邪魔するのは三度目になるが、奥さんも揃って迎えて頂いた。
昨日頂いたメールには、夕食を氷見で一緒にとあったので、あまり迷惑を掛けるのは如何なものかと思っていたのだが、話しを伺うと、何と氷見で妹さん夫妻が民宿をされており、今日は其処へ行き、食事の後は泊まっていって欲しいという。びっくり、恐縮である。すっかり手配されてしまったようで、お断りするわけにもゆかず、もう思い切ってご厚意に甘えることにした。
Sさんはこのところ、そば打ちに熱を入れているとのことで、間もなく長野県飯田市で開かれるそば打ちの初段試験に挑戦するというので、練習に余念がないとか。その舞台を見せて頂いたが、全道具は勿論、ストップウォッチまで用意されており、いやはや恐れ入った。その後練習に打ったというそばを茹でたのをご馳走になったが、本格的な味、出来ばえに驚いた。二段以上の免許でもいいのではと思った。
15時過ぎ、氷見に向けて出発。彼のナビゲートに従い、途中幾つかの名所を案内頂いた。少し暗くなった中宿に到着。青柳という名の民宿は、R160に沿った氷見郊外の小杉という所にあって、急な坂を登った富山湾を眼下に見渡す場所に位置していた。暗くてよく判らなかったが、遠く漁り火らしきものが揺れていて、晴れていれば幻想的な夜の海の世界が広がっているに違いないと思った。
夕食は名物の氷見の魚類の数々に舌鼓を打つ。思いもかけなかったご馳走にややためらいつつも、嬉しくSさんと酒を酌み交わす。夜遅くまで歓談が続いた。やがてSさん夫妻は奥さんの運転する車で帰って行かれた。思いもかけない一日の経過に驚きつつ、今日が終わって行った。
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関西・北陸の旅: 第11日

2007-11-22 07:37:20 | くるま旅くらしの話
今日は昨日に引き続きMさん宅にお世話になる。朝から目まぐるしく気象が入れ替わり、先ほどの晴れ間かあっという間に風雨吹きすさぶ天気となる。北陸地方の今頃の季節と言えば、これが当たり前なのであろうか。激しい気象変化である。
結局、もう一日お世話になることになった。何しろ実家に帰った気分で、居心地がいいのである。只のお客様扱いで居ては申し訳けないので、お願いして、お昼は任せて頂くことにした。
我が家の冬の食べ物の定番の一つ、ケンチン素麺を作ることにした。具だくさんの、味噌仕立てのケンチン汁を作り、少し固めに茹で、冷たい水に晒した素麺を熱い汁に入れて食べるのである。この様な妙な食べ物は、我が家では自分の持ち番で、相棒の出番は殆どない。
一体、どのような代物が出来上がるのかと、お三人とも興味津々で出来上がりを待たれたようだった。こちらも少し心配があったが、結果は予想を超えた好評だったので、ホッとしたのだった。お父さんもお母さんも大の素麺好きだったのが幸いしたのかも知れない。多少なりとも親孝行ができた気分になれて良かった。
とにかく荒れ模様の天気で外出はままならず、家に籠もって終日を過ごすこととなった。パソコンに入れた今年の北海道行の写真を見ながら、旅のあれこれを話したり、その写真をCDにコピーしてプレゼントしたりしながら、あっという間に一日が過ぎてしまった。
かけがえのない、満たされた一日だった。
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関西・北陸の旅: 第10日

2007-11-21 07:17:12 | くるま旅くらしの話
昨夜は夜中に雨も降らず、トラックの騒音も少なくて、良く眠れる夜だった。少し冷え込んだが朝は極上のいい天気だった。ところが、ブログを書いている内に、気がついたらいつの間にか雲が増えて怪しげな空模様となり出していた。予報では午後から天気は崩れるとのことだったが、どうやらそれが早まったらしい。日本海側は、海を挟んで大陸の影響を受けやすく、変化の激しい気象なのであろうか。
今日は金沢市に隣接する野々市町在住のMさんを訪ねる日である。Mさんご夫妻はくるま旅の大先達で、我々が本格的なくるま旅を始めるきっかけを頂戴した方でもある。ご夫妻合わせて160歳を超える高齢だが、毎年くるま旅を楽しんでいらっしゃる。今年は残念ながらお母さんの体調が良くなかったため、北海道の旅をご一緒できず、淋し思いを我々もしたのだった。今日はそのご夫妻に一年ぶりにお会いできる日なのである。
Mさん宅は午後にお邪魔することにして、その間少し寄り道をして、まだ行ったことのない白山山麓の道の駅などを訪ねることにして出発。
まずはR8に戻り、加賀から北上して、小松市郊外でR360に入り山の方に向かう。途中から雨降りが本格化しだした。しばらく走って道の駅:一向一揆の里に到着。初めての道の駅である。駅名からして、その昔悪しき為政者を悩ませた一向宗信者の団結の地であったのであろう。雨でなければ、近くを散策するのだが、それは叉の機会にすることにした。
一向宗信者というのは、お坊さんではなく、農民だったのだと思う。一揆というのは農民の為政者の悪政に対する反抗である。その昔はいずれの国においでも政治に対して真の勇気を示したのは農民だったと思う。この馬の骨のご先祖もその農民の一人だったに違いないと思っている。元々農耕民族は皆農民だったのだ。土を耕し種を蒔いて命を養う植物を育てて食料を生産していたのである。初めに政治があったのではなく、農耕があってこの世が成り立っていたのである。今でもその本質は変わらないと思う。ところが、この真実を多くの人が忘れている。一向一揆の話からかなり怪しげな方向に逸れてしまったようだ。
道の駅の売店でネギを買い、特製うどんで昼食とする。雨は益々強くなり出している。少し休んだ後野々市に向かってR157を走る。途中道の駅:しらやまさんというのに寄ったが、何もめぼしいもの無し。
Mさん宅到着は13時半を少し過ぎていた。Mさんご夫妻は私どもにとっては、大切な知人と言うよりも両親のような方である。何度もお邪魔させて頂く内に、何だか実家に帰ったような気分になってしまうのである。勝手知ったる駐車場に車を入れていると、雨の中をお父さんが迎えに出て来て下さった。お父さんは膝を痛めておられ杖を使っておられる。お元気そうで何よりだけど、膝のことだけが一番心配である。嬉しい挨拶を交わした後、お宅に上がらさせて頂き、お母さんに挨拶する。お母さんもお元気そうな様子でホッと安心した。でもまだ少し手先に痺れが残っているという。早く完治して欲しい。
その後は再会の団欒が続いた。夕食には、心尽くしのご馳走に舌鼓を打った。わざわざご用意頂いた能登の名酒宗玄は、久しぶりの嬉しい味わいだった。ありがとうございました。外の雨にも全く気づかず、ぐっすりと眠りに落ちた夜を送った。
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関西・北陸の旅: 第9日

2007-11-20 09:16:34 | くるま旅くらしの話
昨日からの荒天は朝まで続いて、今日もこんな状況だったら、どうしょうかと迷ったのだったが、9時近くになると青空が見えだし、やがていい天気になった。それにしても、昨夜は霰なのか雹なのか、かなり派手な音が天井を叩いていて、北陸地方の気象変化の激しさを思い知らされた感じがした。
今日はちんたらの移動日である。予定としては越前大野の城下町を訪ねたいと思っているくらいで、後は行き当たりばったりのことしか考えていない。
10時少し前出発。昨日の道を戻り、R8に出て福井市方面へ。しばらく走ってR158に入り大野市方面へ。しばらく走ると、朝倉氏由縁の一乗谷跡の案内板があった。ちょっと覗いて見ようと脇道に入る。一乗谷川に沿った道を上ってゆくと、やがて川を挟んで広大な遺跡が展開していた。駐車場に車を停め、歩くことにした。
朝倉氏と言えば、信長に滅ぼされた戦後大名ということくらいしか知らない。その時代のことは、どうしても勝者である信長や秀吉の方に目が行き、敗者の方は置き去りにされ、忘れられてしまう。勝者はいつもあたかも善であり正義のように扱われることが多いが、勝者を決める戦いというのは、間違いない非道であり悪そのものである。殺人や破壊行為に正義の戦いなどあるわけがない。
それから2時間ほどかけて遺跡を歩いた。居館跡や庭園、武家屋敷跡や町人の住まい跡なでを見て回った。一部復元された建物もあり、往時を良く理解できた。遺跡の発掘はまだ途中で、ガイドの方のお話では120年をかけて計画が進められており、それが開始されてから、まだ40年しか経っていないとのことだった。
それにしても朝倉氏が滅びてからまだ500年も経っていないのに、それを120年もかけて整備するとは驚きである。人間のやることなすことには、愚かさが無限に詰まっているようだ。かく言う自分も愚かさの塊のようなものだ。
昼食の後大野市に向かって出発。30分ほどで到着。大野は初めて訪ねる町である。殆ど知識もなく、家で名所絵図の城下町の中に越前大野のことが書かれていたので、何時かは行ってみたいと思っていたのだった。来て見た大野は周囲を山に囲まれた、ホッとするような場所だった。先ずは車を市のシンボルであるお城の下の駐車場に入れ、早速そのお城に登った。20分ほどで到着。コンクリートで復元された小さな天守閣だった。土井家4万石というから、大名としては小さなクラスだったのだと思う。町全体の眺望が素晴らしかった。周辺の樹木の紅葉などを見ながら、ゆっくりと坂を下り、街中の散策に。
先ずはお清水(しょうず)と呼ばれる名水に行き当たった。案内図無しのぶっつけ本番の散策である。七間朝市通りというのがあったので、そこをブラブラ歩いていると、観光協会の事務所があったので、ようやく案内図などを頂戴できた。小京都と呼ばれる古い町並みがあると聞いたが、その雰囲気はお寺が連なる寺町というエリアが一番残っているように思った。2時間近く大野の街中を訪ね、昔につながるその温かさを味わった。
今日の泊まりは、どうしても温泉に入りたいので、加賀の山中温泉にある道の駅を目指して出発。勝山市を経由して再度福井市方面へ。福井市郊外を走る頃には日が落ちて暗くなり出した。福井市でR8に入り、しばらく走って加賀から右折して、山中温泉方面へ。すっかり暗くなった中を道の駅:山中温泉健康湯けむり村に到着。
外はかなり寒い。半月が空に厳しく輝いていた。すぐそばに湯けむりを上げている温泉がある。暗くて良くわからないが、嬉しくも有り難い環境である。早速温泉に。いいお湯だった。殊に山中節が流れる露天風呂は、最後の気分だった。たっぷり温まって車に戻り、今夜は軽い夕食で済ます。その後は静かな一夜を過ごすことができた。今日の走行は133kmでした。
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