山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

生誕記念樹のこと

2015-10-29 07:07:53 | 宵宵妄話

暑い夏が終わって、何だかうやむやな天気が続いていたと思ったら、既に秋はかなり深まっていた、と気がつくこの頃です。庭に植えてあるナツハゼとブルーベリーの紅葉が始まっています。ナツハゼもブルーベリーも親戚同士のような植物で、姿形も葉も実も良く似ています。紅葉も同じように鮮やかになるのですが、ナツハゼはその名のように、夏でも紅く葉を染めており、秋の紅葉はブルーベリーよりも一段レベルが上のようです。

  

我が家のナツハゼの木。上の内孫が生まれた時に、記念樹として植えたもの。植えた時は1m足らずの高さだったが、今はその時よりも20㎝ほど丈が伸びている。

我が家のナツハゼは、2年前に最初の内孫が生まれた時の記念樹です。何故ナツハゼを選んだかといえば、狭い庭では中高の樹木では育てきれないので低木でなければならず、その中で、なるべく実のなる木が良いと思ったからなのです。近くの植木屋さんに、予てから見染めていた一本のナツハゼの小株がありました。5年以上の間、その傍を通るたびに家に連れて来たいなと思い続けていました。それが、偶々内孫が生まれることになり、よし!これで決まりだ。と思ったのでした。孫が生まれるという嬉しさよりも、もしかしたらこの木を家に連れて来られるという気持ちの弾みの方が勝っていたのかもしれません。いや、やっぱり孫の方が勝っているのですが、自分的には同時の嬉しさが重なっているように思います。

ナツハゼは、子どもの頃に遊んだふるさとの山にもたくさん自生していた懐かしい木なのです。木に上らなくても、枝に溢れる実に手が届く優しい小木でした。秋になると膨らんだ実が黒ずんで、酸っぱさが少し減って、食べやすくなるのです。今から65年ほど前の時代の、田舎の子どもたちの暮らしの中では、野山を駆け巡って季節の木の実や茸を探すのは当たり前のことでした。ナツハゼは、ブルーベリーほど上品な甘さの果実ではないのですが、酸っぱくても野性味のある味が忘れられないのです。

そのような思い出のあるナツハゼを、孫の誕生と併せて選ぶことが出来たのは、家人には判らぬジサマの嬉しい思いなのです。植えてから2年目を迎えようとしている木は、我が家に来て少し元気が出たのか、一回り大きく生長したようで、今年はたくさんの実をつけてくれました。黒く熟した小さな実を摘んで口に含むと、懐かしい子どもの頃が一気に思い出されるのですが、孫にも食べさせようと口に近づけると、あっさり顔をそ向けられてしまいました。怪しいものは喰わないというのが、今のところ孫の存念のようです。まあ、よろしいと言わなければならないのでしょう。

さて、最初の内孫はもう実の溢れる木が植わっているのですが、今度の孫にも当然のことながら誕生の記念に一本植えなければなりません。女の児なので、今度は本人のことも忖度(そんたく)して選ぶことにしました。いろいろ、あれこれと悩んだ結果、牡丹にすることに決めました。美人を形容する言葉に、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というのがあります。もし孫に美人を願うのであれば、この三種の花咲く植物を、一度に全部植えればいいのでしょうが、記念樹なのですから木でなければなりません。となると、牡丹しかないのです。というわけで、木の選定は牡丹と決めたのです。ジサマは孫娘に立ち姿、座り姿、そして歩く姿迄も整った美人となることなど決して願ってはいません。願うのは、心の美しさ、優しさであり、そのような華のある女性に育って欲しいと思うだけです。それは牡丹にも秘められているに違いないと思います。

さて、これを何処で手に入れるかが問題です。今の季節、牡丹は咲いてはおらず、店を開いている栽培者も殆どないようで、頼るのは通販しかないようです。しかし、記念樹なので何としても自分の目でその花を確かめ、育て方もしっかり学んだ上で手に入れたいと思っています。となると、春にならないとその願いは叶わぬようです。半年くらい遅れることになりますが、ま、楽しみに待つことにします。

ところで、孫娘は一人ではなく、もう二人居るのですが、外孫なので、滅多に会えません。彼女たちが生まれた時も記念に何か植えたいと思っていたのですが、その当時は借家住まいで庭も無く、鉢物では記念にはならないと思い断念したのでした。丁度いいチャンスなので、この際外孫の孫娘たちへの思いを込めて、芍薬も百合も植えることにしたいと思います。三人分を合わせて、庭の三美人を鑑賞する日が来るのが楽しみです。

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秋の旅の前楽紹介(その5~最終回)

2015-10-21 04:10:23 | くるま旅くらしの話

≪第21日(12/5)から第25日(12/9~最終日)まで≫

第21日からは完全に帰路を辿ることになります。今回は東名などの高速道を使わずに、伊勢の先の鳥羽から伊勢湾フェリーを利用して、渥美半島の突端の伊良湖までフェリーで渡ることにしています。伊良湖からは一般道を走って、大井川鉄道を走るSL撮影の名所の一つの川根温泉まで行って、温泉に浸って旅の疲れを癒した後、翌日はほんの少し高速道を使いながら富士吉田まで行き、久しぶりに身近に富士山の景観などを楽しんだ後、最終日は高速道を使って帰宅したいと考えています。

 

第21日 <12月05日(土)> 

道の駅:明恵ふるさと館 →(K22他)→ 湯浅IC →(阪和道)→ 和歌山IC →(R24)→ 道の駅:紀川万葉の里 →(R24・R370)→ 道の駅:宇陀路大宇陀(泊)

この日は移動日となります。朝までにお土産のミカンを買い入れて湯浅町に向かい、高速道に乗り和歌山ICで下りて、紀の川に沿って走るR24を上流に向かいます。途中の道の駅などに寄り、名産の柿などを物色しながら吉野に入り、柿の葉寿司などを手に入れながら宇陀市の道の駅:宇陀路大宇陀まで行って泊りです。

 

第22日 <12月06日(日)> 

道の駅:宇陀路大宇陀 →(R166・R422)→ 道の駅:飯高駅♨(泊) 

この日は余裕日です。先ずはせっかくなので、何時も寄っている重伝建の町並みを散策しがてら、名物の吉野葛などを買い求めたいと思います。その後は、和歌山街道を反対方向に向かって、高見山下のトンネルを潜って三重県は松阪市側に抜け、道の駅:飯高駅まで行ってここに泊る予定です。飯高駅には良い温泉があり、何度も利用させて頂いていますが、今度もそれを味わいたいと思います。

 

第23日 <12月07日(月)> 

道の駅:飯高駅 →(R422・R368・R42)→ 勢和多岐IC →(伊勢道)→ 伊勢IC →(R42)→ 二見ヶ浦見物(伊勢市)→(R42)→ 鳥羽港 →(伊勢湾フェリー)→ 伊良湖港 →(R42・R1)→(浜松・掛川・島田経由)→(R1・R473)→ 道の駅:川根温泉♨(泊)

この日も移動日ですが、フェリーなどを使った大移動日となります。飯高駅から少し一般道を走った後、高速道を利用して伊勢まで行き、そこから鳥羽の方に向かいます。今回は伊勢神宮の参拝は止め、鳥羽に向かう途中にある二見が浦などの観光名所に立ち寄って、久しぶりにその景観を味わいたいと思います。その後は鳥羽まで行き、港から伊勢湾フェリーに乗りしばしの船旅を楽しんだ後、伊良湖から渥美半島に上陸し、そこからは途中にある道の駅などに寄りながらR1に出て、浜松からバイパスを通って島田まで行き、島田から大井川沿いの道を行って、道の駅:川根温泉に泊る予定です。ここの湯は柔らかくてよく温まり、すっかりファンになっています。

 

第24日 <12月08日(火)> 

道の駅:川根温泉 →(K64・R1)→ 藤枝岡部IC →(新東名道)→ 御殿場IC →(R138・東富士五湖道路)→ 富士吉田IC →(R138他)→ 忍野八海探訪(山梨県忍野村)→(R138他)→ 道の駅:富士吉田(泊) 

旅の最後に久しぶりに富士山を見たいという思いがあり、寄り道をして富士の近影を楽しみたいと思っています。この日は高速道を使って富士吉田まで行き、忍野村の湧水などを訪ねがてら間近な富士の姿を堪能したいと思います。好天に恵まれることを祈っています。宿は道の駅:富士吉田を考えています。

 

第25日 <12月09日(水)> 

道の駅:富士吉田 →(R138・K729)→(山中湖観光)→(K729・R413)→ 道の駅:どうし →(R413他)→ 相模IC →(圏央道・関越道・外環道・常磐道)→ 谷和原IC →(R294他)→ 自宅  

いよいよ最終日です。高速道に乗る前に、もう一度富士山を眺めたく、山中湖を経由して道志みちを辿って下界に降り、相模原から高速道に入って、圏央道、関越道、外環道そして常磐道の谷和原ICで下りて、直ぐに自宅に届く予定です。

以上がこの秋の旅の計画であり、今までの楽しみの結果ですが、まだまだこれで終わるものではなく、出発の前まであれこれの思いつきを付加して行きたいし、加えて相棒からの意見や要望もあるでしょうから、もっともっと中身が膨らむことでしょう。また、車本体絡みの点検整備も大事であり、エンジンオイルの交換や特に足回りには念を入れて専門業者に依頼する予定です。

この季節は冬が近づき寒さも帰途に着く頃にはかなりのレベルになると思われますので、着衣を始め寝具等の防寒対策もしっかり行っておく必要があります。何はともあれ、一先ずこれで現時点での我が前楽の内容の披歴を終わることにします。

 

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秋の旅の前楽紹介(その4)

2015-10-20 03:04:08 | くるま旅くらしの話

≪第15日(11/29)から第17日(12/1)まで≫

この日からは、熊野三山の各大社の参拝を終えた後の旅路となります。いわゆる大辺路と呼ばれる参拝の道を辿るわけですが、逆のコースとなりますので、遥拝所や由縁のある場所などを訪ねることにしたいと思っています。また、このコースのメイン道路のR42は何度も通っているのですが、その脇に逸れた名所等は何時もパスして来ていましたので、今回はそれらの場所の観光、探訪も兼ねながら行きたいと考えています。

 

第15日 <11月29日(日)> 

の駅:なち →(R42)→ 道の駅:くしもと橋杭岩 →(R42・K40)→ 樫野崎灯台(串本町) →(K40・K41)→ 潮岬灯台(串本町) →(K41・R42・R371)→ 道の駅:一枚岩(泊)

15日目は、今まで行っていなかった本州最南端の潮岬観光と、その途中にある巨岩、奇岩など岩石に係る場所を見ながらゆっくりと大辺路を辿ることにします。串本からは大島の方へも橋を渡り、岬の灯台も見ておきたいと思います。この他にも途中で気づいた場所には立ち寄る様にして、計画外の出来事を楽しみたいと考えています。

 

第16日 <11月30日(月)> 

道の駅:一枚岩 →(R371・K38・K43)→ 道の駅:滝の拝太郎 →(K43・K38・K227)→ 道の駅:虫喰岩(泊)

この日は、古座川とその支流周辺の名所等の観光を中心に考えています。全体的なコースの流れとしては、昨日の方向へ戻ることになりますが、古座川に絡むいろいろな奇岩・奇景を見られるのではないかと期待しています。又、古座川の名物の鮎の料理も食べられるかなと期待していますが、こちらの方は時期的に見て無理かも。

 

第17日 <12月01日(火)> 

道の駅:虫喰岩 →(R227・R42)→(枯木灘海岸)→(R42)→ 道の駅:椿花の湯 →(R42)→ 南方熊楠記念館(白浜町)→(R42)→ 道の駅:椿花の湯♨(泊) 

*この日も熊野詣で縁故の場所などを拾い探訪しながら大辺路を辿って白浜まで行き、大学者の南方熊楠の記念館を訪ねる予定です。熊楠というこの大天才のことは名前しか知らず、実際どのような人物だったのか、知って見たい気持ちが膨らんでいます。この日は少し戻って、温泉のある道の駅:椿花の湯に泊ることにしていますが、状況により別の場所となるかもしれません。

 

≪第18日(12/2)から第20日(12/4)まで≫

この日から大辺路のコースが終わり、御坊市から大阪方面に向かう道を北上することになります。途中の熊野詣でに由縁のある場所を訪ねながら、今まで見過ごして通過していた観光名所なども併せて訪ねる予定です。道の駅:明恵ふるさと館に2泊する予定ですが、有田川町にあるこの道の駅の周辺一帯は見渡す限りのミカン畑であり、ここで旅の土産にミカンを買い入れる予定です。ということは、そろそろ帰途に着くということになります。

 

第18日 <12月02日(水)> 

道の駅:椿花の湯 →(R42)→ 切目王子神社参拝(印南町)→(R42他)→ 薬王山東光寺参詣(印南町)→(R42他)→ 塩屋王子神社(御坊市)→(R42・K24)→ 日の岬散策(美浜町)→(K24・R42・K26他)→ 道の駅:San Pin中津(泊)

この日は熊野参詣に由縁のある寺社などを訪ねながら北上を開始しますが、先ずは印南町にある王子社とお寺に参詣することにします。東光寺は小栗判官と照手姫の伝説に所縁のあるお寺だそうですが、境内に梛(なぎ)の大木があるということなので、これに会うのを楽しみにしています。梛は関東には見られない木なので、是非しっかり見て覚えておきたいと思っています。その後は、まだ寄ったことが無かった美浜町日の岬まで行って、その景観を楽しみたいと思います。この近くには道の駅などが無いので、少し遠くなりますが、日高川を遡って、妙な名前の道の駅:Sanpin中津という所に泊ろうと考えています。ここはまだ行ったことがありません。

 

第19日 <12月03日(木)> 

道の駅:San Pin中津 →(K26・R42・K24)→ 道の駅:白崎海洋公園 →(K24・R42・K22他)→ 道の駅:明恵ふるさと館(泊)

この日も道脇などにある幾つかの王子社を探し訪ねながら日高川町、日高町、由良町、広川町をゆっくりと北上します。探しても見つからない王子社跡などは、その時々の判断で諦めることにして、無理をしないで行くことにします。最後に今日の宿の道の駅:明恵ふるさと館に着くことにします。ここは何度もお世話になっている所で、この季節は黄金色に色づいたミカン畑が迎えてくれることでしょう。楽しみです。

 

第20日 <12月04日(金)> 

道の駅:明恵ふるさと館 →(R480・R420・K22他)→ 湯浅町[重伝建地区]探訪 → 未定 → 道の駅:明恵ふるさと館(泊)

*この日は余裕日です。余裕日というのは、ゆっくりと何をしても良いと考えている旅の中の曖昧な日で、時々このような日程を入れるのも大事だと思っています。この日のメインは湯浅町の重伝建エリアの探訪ですが、ここは何度か訪ねており、今回は特に熊野詣の宿のあった場所として、そのような見方で町の中を訪ねてみることにしています。重伝建エリア以外にも熊野古道に絡む場所があるようなので、行けそうであれば訪ねることにしたいと思っています。宿は昨日と同じ道の駅:明恵ふるさと館です。

(以下、次回へ)

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秋の旅の前楽紹介(その3)

2015-10-19 03:42:37 | くるま旅くらしの話

≪第7日(11/21)から第8日(11/22)まで≫

いよいよ関西入りをするわけですが、途中寄り道をしながら、先ずは高野山に参詣するのを第一とします。本来の熊野参詣は大阪から出発するようですが、この旅では車ですので、あまり道順のことは気にしないで、自分の都合で決めることにしています。旅の安全を祈願する意味でも、先ずは高野山参詣を優先させる考えなのです。

 

第7日 <11月21日(土)> 

道の駅:関宿 →(R1・R25・R169)→ 大神神社(奈良県桜井市) →(R169・R166他)→ 道の駅:宇陀路大宇陀(泊)

7日目は移動日ですが、先ず昨日関宿の重伝建探訪が叶わなかった時は、朝一番で訪ねることにし、その後で天理市の方へ向かうことにします。そして、天理市からは宇陀市の方へ向かいますが、途中大神神社に参詣することを考えています。そして時間に余裕がある時は、大神神社から少しばかり山の辺の道を歩きたいと思っています。山の辺の道は、熊野古道よりももっと古い飛鳥・奈良時代の道です。この日の宿は宇陀市の重伝建エリア近くにある道の駅:宇陀路大宇陀を予定しています。

 

第8日 <11月22日(日)> 

道の駅:宇陀路大宇陀 →(R370・R24)→(橋本市経由)→(R371)→ 高野山参詣(和歌山県高野町) →(R371・高野山スカイライン)→ 道の駅:龍神(泊)

8日目は、高野山参詣です。R24を行って、橋本市からR371を登って高野山に至り、時間をかけてゆっくりと奥の院まで往復して参詣する予定です。参詣の後は、高野山スカイラインを下って道の駅:龍神に至り、ここがこの日の宿となります。近くによい温泉もありますので、疲れを取り、明日からの熊野詣での本番に備えたいと思います。

 

≪第9日(11/23)から第11日(11/25)まで≫

この三日間は、熊野古道の多く残る中辺路を通って本宮に至るコースで、今回の旅の中では最も重要な日々となると考えています。

 

 第9日 <11月23日(月)> 

道の駅:龍神 →(R425・K29)→ 道の駅:紀州備長炭記念公園 →(K29・R42・R311)→ 道の駅:ふるさとセンター大塔(泊)

第9日からは、熊野詣でに関わりの深いエリアに入るわけですが、この日は中辺路の始まりの道までを辿る予定ですが、龍神街道を南下して南部まで行き、田辺市に点在する熊野参詣に所縁のある場所を訪ねながら、中辺路に向かい、道の駅:ふるさとセンター大塔に泊る予定です。

 

第10日 <11月24日(火)> 

道の駅:ふるさとセンター大塔 →(R311)→ 清姫の墓所・滝尻王子参拝(田辺市)→(R311)→(逢坂峠)→(R311)→ 道の駅:熊野古道中辺路(熊野古道散策~箸折峠・牛馬童子像、近露王子・比曽原王子、野中の清水、継桜王子など)(泊)

*第10日は熊野詣での古跡を訪ねる本場に入ることになります。この道筋にはたくさんの王子社(=遥拝所)がありますが、それらの所在を訪ねながら、時に車を止め置いて古道を歩くようにしたいと考えています。一応王子社の所在などは調べてはあるのですが、現場がどうなっているのかは判らず、行って見てからの判断です。

 

第11日 <11月25日(水)> 

道の駅:熊野古道中辺路 →(R311)→ 湯の峰温泉(つぼ湯、東光寺と玄峰塔)探訪(田辺市)→(R311)→ 熊野本宮大社参拝(祓戸王子、三軒茶屋跡、伏拝王子)→ 道の駅:奥熊野古道ほんぐう(泊)

第11日も前日と同様に各所を訪ねながら最終的には本宮近くにある道の駅:奥熊野古道ほんぐうに泊る予定です。

 

≪第12日(11/26)から第14日(11/28)まで≫

この三日間は、熊野本宮の参詣を終え、少し寄り道しながら新宮の大社に参詣した後、那智の方へ向かう道筋です。三日を要してありますが、新宮市内では交通事情もあると思われ、より時間が必要となるのかもしれません。

 

第12日 <11月26日(木)>

道の駅:奥熊野古道ほんぐう → 大斎原散策 →(R168・R42)→ 花の窟(いわや)探訪(三重県熊野市) →(県道他)→ 産田神社(熊野市) →(R42)→ 道の駅:パーク七里御浜(泊)

12日目は先ず明治までは本宮の社殿があったという熊野川の河川敷にある大斎原を訪ねたあと、少し本来の道とは外れるようですが、新宮の方には行かず、反対方向の熊野市の方にある花の窟神社ともう一つ産田神社という所を訪ねる予定です。この双方ともに日本書紀に記されている、神話のイザナミのミコトに係る場所であり、花の窟はイザナミのミコトの墓所と言われており、産田神社はそのイザナミのミコトがその死の原因となる火の神を産んだ場所ということです。日本書紀は読んでいないので、この種の神話は良く解らないのですが、熊野三山にも何か関係がありそうなので、是非立ち寄って見てみたいと思っています。この日の宿は、近くにある道の駅:パーク七里御浜を予定しています。

 

第13日 <11月27日(金)> 

道の駅:パーク七里御浜 →(R42)→ 熊野速玉大社参拝(新宮市) → 神倉神社参拝(新宮市) →(R42)→ 補陀洛山寺参詣(紀伊勝浦町)→ 道の駅:なち♨(泊)

13日目は、新宮市内にある熊野三山の一つの速玉大社に参拝する予定で、そのあと速玉大社の摂社である神倉神社にも参詣する予定です。神倉神社の参詣には538段もの石段を登らなければならないので、相棒の足と体力が心配ですが、急がずにゆっくりと登って、目的を果たすようにしたいと思っています。参詣を終えた後、紀伊勝浦町の方へ向かいますが、疲れた時には補陀洛山寺の参詣は翌日に回すことにして、道の駅:なちの温泉に浸ることにします。

 

第14日 <11月28日(土)> 

道の駅:なち →(R43・K46)→ 那智の滝・熊野那智大社・青岸渡寺参拝(紀伊勝浦町)→(K46)→ 大門坂散策(紀伊勝浦町)→(K46)→ 道の駅:なち♨(泊)

*この日は、熊野三山の一つの熊野那智大社に参拝する日です。境内を同じくする西国三十三観音の一番札所である青岸渡寺にも参詣するのは勿論です。又合わせて古道の残る大門坂を少し散策したいと考えています。尚、今まで何度も来ているのに那智の滝を傍まで行って見たことが無いので、今回は是非大滝の拝観を実現させたいと考えています。終わった後は、昨日と同じ道の駅:なちに戻り休むことにします。

(以下、次回に続く)

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秋の旅の前楽紹介(その2)

2015-10-18 03:37:54 | くるま旅くらしの話

 

 

以下、日程を区切って、順次旅の見所、思いなどを紹介したいと思います。

 

≪第1日(11/15)から第3日(11/17)まで≫

第1日から第3日までは、基本的には移動日です。でもただ車を運転して移動させるだけではつまらないので、途中気の向くままに立ち寄りどころを見つけて楽しんで行く考えです。

 

第1日 <11月15日(日)> 

自宅 →(R16・R407・R299)→(秩父市内経由) →(R299・K37)→ 道の駅:両神温泉薬師の湯♨(泊)

まず初日は出発の時間帯にもよりますが、途中川越の重伝建エリアに寄ったり、或いは秩父の道の駅や神社などに寄ったりしながら泊りを予定している道の駅:両神温泉薬師の湯まで、あまり遅くならない内に着けるように考えています。

 

第2日 <11月16日(月)> 

道の駅:両神温泉薬師の湯 →(K37・R140)→(滝沢ダム・雁坂トンネル経由) → (R140・R20)→(甲府市内経由)→(R20)→ 道の駅:はくしゅう →(R20)→ 道の駅:信州蔦木宿♨(泊)  

二日目は秩父の山越えです。奥秩父の滝沢ダムから雁坂峠下の長いトンネルを抜けて、甲府方面への道を辿ります。もう紅葉はすでに終わりかけていると思いますが、まだ残っている樹木もあることでしょうから、今年最後の秋を堪能しながら山を下って甲府を通過することになると思います。時間的に余裕が出来た時は、寄り道して久しく行っていない昇仙峡を訪ねるのもいいかなと思っています。甲府からは基本的には甲州街道(R20)を直進するだけですから、最後は18時までに道の駅:蔦木宿に着けば良いのです。蔦木宿には温泉もあり、ここは確か18時過ぎると料金が割安となった筈ですので、それを楽しみたいと思います。

 

第3日 <11月17日(火)>  

道の駅:信州蔦木宿 →(R20)→(R20・K)→ しだれ栗森林公園(長野県辰野町)→(K・R153)→(伊那市・飯田市経由)→(R153)→ 道の駅:信州平谷♨(泊)

3日目は少し長行程を予定しています。先ずは甲州街道を岡谷まで行って、そこから県道を通ってしだれ栗森林公園という所を訪ねる予定です。しだれ栗はなかなか見ることのできない栗の奇木ですが、この森林公園にはかなりの数のしだれ栗が自生しています。久しぶりにその様子を覗いてみたいと思っています。

その後は、三州街道(R153)を飯田市方面へ南下し、道の駅:信州平谷に宿泊予定です。途中何か面白そうなものがあった時は随所で停まって、獲物を逃さないように留意することにします。

 

≪第4日(11/18)から第6日(11/20)まで≫

この3日間は、今回の旅の前半のメイン探訪先となります。一応3日間としましたが、じっくりと観るためにはもっと時間が必要かもしれません。余裕を持って日程を扱うように考えています

 

第4日 <11月18日(水)> 

道の駅:信州平谷 →(R153・R418)→ 岩村城跡探訪(恵那市)→(R418)→ 岩村町本通り[重伝建]探訪(恵那市) →(R418・R19)→ 瑞浪IC →(高速道)→ 郡上八幡IC → 郡上八幡北町[重伝建]探訪(郡上八幡市) →(R156)→ 道の駅:古今伝授の里やまと♨(泊) 

4日目ですが、この日は岩村城跡と重伝建の岩村町本通りの探訪がメインとなります。先に城跡を訪ねた後、町の通りの方へ向かうことになりますが、かなり歩くことになるので、相棒には少し厳しい日程となるかもしれません。探訪を終えたら、高速道を使って郡上八幡の重伝建である八幡北町の城下町に向かうことにしていますが、状況によっては、それは先送りして、宿泊予定の道の駅:古今伝授の里やまとへ直行して休養することにしても良いなと考えています。

 

第5日 <11月19日(木)> 

道の駅: 古今伝授の里やまと →(R156)→ 道の駅:美濃にわか茶屋 → 美濃町[重伝建]探訪(美濃市) →(R156・K81)→ 和紙の里探訪(美濃市) →(K81・R256)→ 道の駅:ラステンほらど(泊)

5日目は、郡上八幡の探訪がまだの場合は、それを済ませた後、美濃市の重伝建の美濃町を訪ねることにしています。美濃は和紙の産地としても有名であり、その資料館もあるようなので、それらを訪ねてみたいと考えています。この日の宿は、少し山の中に入っての道の駅:ラステンほらどというのを予定しています。

 

第6日 <11月20日(金)> 

道の駅:ラステンほらど →(R256)→ 岐阜公園・金華山探訪(岐阜市) →(R156・R22)→ 一宮木曽川IC →(東海北陸自動車道・名神道)→ 大垣IC →(R258)→ 桑名東IC →(東名阪道)→ 亀山IC →(R1)→ 道の駅:関宿(泊)

6日目は、半ば関西地区への移動日ですが、途中まだ一度も訪ねたことのない岐阜城のある金華山の岐阜公園を訪ねることにしています。その後は、高速道路等を利用しながら亀山市の道の駅:関宿まで行って泊る予定です。時間に余裕があれば、関宿の重伝建エリアを散策することにします。

(以下、次回へ続く)

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秋の旅の前楽紹介(その1)

2015-10-17 04:06:05 | くるま旅くらしの話

 

<長いこと旅の話から遠ざかっていましたが、今日から5回に分けて来月から予定している旅の概要をお知らせします>

今年の秋も深まりつつあります。今、秋の旅の準備(=前楽)に大童で浸っています。変な言い方ですが、私たちの旅の準備というのは、車の整備や諸用具などの取り揃えなどではなく、基本的な行程とその概要をつくり上げることなのです。つまりは、何処へ何の目的で、どのようなコースを辿って行くのかというのを決めることです。これは実に楽しい。家内以外には誰にも教えないのですが、今回はくるま旅を志向されている皆様に、何かの参考になればと考え、その前楽なるものを少し詳しく披歴したいと思っています。

風の吹くまま、雲が流れるように、気ままに流浪の旅というのも面白いと思いますが、行き当たりばったりの旅というのは、存外心がだらけてしまって、シマリがなく疲れるものです。人間何も考えずに気ままに、などと言ってみても、それほど自由になれるものではなく、やはり何か目的や目標があった方が、活き活きできるもののようです。

ということで、今年の秋の旅は、大きなテーマの一つに平安時代から盛んになり出した熊野詣での跡を、ちょこまかと訪ねてみることにしました。もう一つはこのところの旅のテーマにしている日本の昔が残っている場所(=重伝建指定地区、重文景指定地区、古城跡など)を拾い訪ねることにしました。それで旅のタイトルを「南岐阜と紀州の旅」とすることにしました。11月の15日(日)に出発して、およそ1カ月の行程で各地を巡ることにしました。以下にその案を示しながら、前楽の中身などを紹介したいと思います。

まずは取り上げたテーマについての思いなどを披歴したいと思います。

◇なぜ熊野詣で跡をテーマにしたのか

今回熊野詣での跡を訪ねるのを何故テーマに選んだのかということですが、これは何よりも神坂次郎著の「熊野まんだら街道」という本を読んだことがきっかけとなりました。何の気なしに本棚からこの一冊を取り出して読み始めたのですが、俄然面白く心を惹かれました。今までも何度も紀州路を旅していますが、大した目的も無くぼんやりと通過していたことを思い知らされました。この本は、熊野詣での道(=熊野古道)の最高のガイド書だと思いました。単なる案内ではなく、歴史背景をしっかり踏まえた重みと内容の豊かな本だと感動しました。それで、俄然熊野路を辿って見ようと考えたのでした。本当は車ではなく、歩くのが一番なのですが、もはや七十路の峠を越えた歳では無理はできず、車で部分的に辿るのがベターだろうと思った次第です。

今から千年近くも前、この国の最高の統治者である天皇(上皇)が、何故大勢の配下を引き連れて、何度も何度も山又山の奥にある熊野の御宮に参詣したのか。この謎は、その時代の背景を知ることと現地を訪ねてみない限りは解けないように思うのです。謎解きの旅でもあるわけです。この謎を解く手だてとして、もう一冊を読みました。高野澄という歴史学者の方が書かれた「熊野三山七つの謎」という本です。これも面白かった。熊野三山にまつわる謎は、恐らく七つどころではないのだと思いますが、凡人には七つでも相当に知ったかぶりになれるので、ありがたいことです。

実は熊野詣や熊野古道に関しては自分よりも相棒の方がかなり以前から関心を持っており、何種類かの資料も取り揃えていたのでした。自分があまりというよりも殆ど関心を示さなかったものですから、強く要望の意思表示をしなかったようです。それが、今度は自分の思いつきで言い出したものですから、二つ返事で賛同を得たのですが、恐らく内心は「‥‥、何を今頃になって、‥‥」と思っているに違いありません。多くの場合旅の目的地は相棒の方が先取りしていることが多いのが実態です。

というようなわけで、出発までワクワク気分で熊野路の旅を思い描いているところです。

◇南岐阜は未知のエリア

旅のタイトルに「南岐阜」と入れたのは、実のところ私どもにとって名古屋とそれに近い岐阜エリアは殆ど未知の世界なのです。関西への旅は結構多いのですが、その手前というか中間にあるこのエリアは何時も通過するだけで、殆ど足を踏み入れた感が無いのでした。今度の旅では、それを少し改めようと思っています。

車で旅をするようになって、この頃は何時も思うのですが、旅をする場合の土地の呼び名は、律令時代に定められた令制国名の方がしっくりする感じがします。南岐阜などというよりも美濃、飛騨、信濃と言った方が旅の旅情がいや増す感じがするのです。なぜそうなるのかよく解らないのですが。今回の旅のコースを昔の令制国の呼び名を使って言うと、次のように言えると思います。

家を出たら秩父から山を超え、甲斐路を辿り信濃に入って三州街道を南下して途中から飛騨の南部を訪ね、更に美濃を訪ねた後大和吉野から高野山に回り、紀伊の各地を巡るということになるわけです。

これらのエリアには幾つかの重伝建指定地区と古城跡などがあり、特に自分的には、恵那市にある日本三大山城の一つの岩村城跡を訪ねるのを楽しみにしています。というのも、ここは尊敬する幕末の大儒の佐藤一斎先生の属する岩村藩のあった所で、一斎先生は江戸の人ですが、その所属する藩地がどのような所だったのか興味津々です。

◇旅の本当の目的は出会いと発見である

  今回の旅の主な目的は、前述のように熊野詣での跡を辿ることと南岐阜エリアの重伝建や山城跡を訪ねることにあるのですが、何処を訪ねるにしても、私どもの旅の本当の目的は、新たな出会いと発見なのだと思っています。この新たな出会いと発見を求めることを、私は人生の宝探しと呼んでいます。人生を活き活きと生きるというのが私どもの願いですが、そのためには何らかの心を動かす刺激が必要です。その最大のものが出会いと発見なのではないかと思っています。極論すれば、人は出会いと発見によって成長し、人生をつくっているのではないでしょうか。出会いと発見をモノにした時、人は活き活きとなり、成長することが出来るのだと思うのです。そして、旅は出会いと発見の宝庫です。

今回の旅ではどのような宝物を拾うことが出来るのか、楽しみはいや増すばかりです。 

それでは、これから今回の旅の行程と日程について、このあと4回かに分けて紹介してゆきたいと思います。旅をする前にこれほど細かく他人様に己の手の内を披歴するのは初めてのことですが、長期のくるま旅を目指す方たちのために、参考例の一つとなって役立てばいいなと考え、敢えてオープンにすることにしました。今まで1カ月以上旅のテーマを温め、周辺情報などを集める中から、ようやく具体的な行程と日程に辿り着いたその結果なのですが、これらはあくまでも計画であって、旅の実際においては、尚自在の変更が大切だと思っています。追って、旅の毎日の状況を報告する予定ですが、併せて見て頂ければ嬉しく思います。

まず大雑把な行程を紹介します。 

≪秋の旅(南岐阜・紀州方面) 全体の行程イメージ≫ 

自宅(11/15出発) → (秩父・甲府・飯田市経由)→ 岐阜県南部探訪(岩村城跡・岩村町本通り・郡上八幡北町・美濃町) → 高野山参詣(和歌山県高野町) → 中辺路史跡探訪(田辺市中心各九十九王子跡など) → 熊野本宮大社参拝 → 熊野速玉大社参拝 → 熊野那智大社参拝 → 大辺路史跡探訪(紀伊勝浦町から和歌山市近郊の各九十九王子跡など) → (和歌山から紀の川沿いに吉野に至り、山を超えて伊勢市に至る) → (鳥羽から伊勢湾フェリーで伊良湖へ)→ (東海道を上って御殿場から富士吉田へ)→ 富士山観光(忍野八海・山中湖など) → (道志道を下って相模原から高速道を利用して帰宅) → 自宅(12/9帰宅)

※次回から全行程を4回に分けて、各日の予定や思いなどを紹介します。

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バイバイが人生の始まりだ

2015-10-10 02:48:15 | 宵宵妄話

旅から遠ざかってのかなり長い時間が経っています。この頃は毎日しっかりとジジバカをやっています。毎日16時を過ぎる頃になると、バカジジはジジバカの準備でソワソワし出します。その準備とは、KC号で市中見回りに出かける用意をすることなのです。

9月10日の嵐の日に妹が生まれて、今はこの姫の入浴時間が16時半過ぎとなっています。これは勿論嫁御が担当するのですが、二人の子供を同時に面倒をみるのは大変だろうと気を回し、上の児を自転車に乗せて出かけることにしたのです。ま、嫁御の手助けのためといえば少し格好いいですが、実のところは、孫を一人占めする時間が確保できたというわけです。

孫はただ今1歳と7カ月です。ヨチヨチながら歩きの方は少しずつ安定性を増して来ていますが、ことばの方は、かなり長いのを発していても、殆ど意味不明で「○▽×?+-◇△÷?」と言った具合です。とにかく、自分の思いを伝えようとして目一杯これらのことばを発しているのですが、英語やドイツ語よりも難しくて、調子を合わせるのに一苦労です。

それらの中で確実に意味が判るのは、「ママ」と「ウマイ」と「バイバイっす」ということばです。「ママ」はこの世代の世界標準語ですから、よく解りますが、「ウマイ」というのはジジババが教え込んだことばなのかもしれません。ビスケットなどを与えると絶妙の笑顔になるので、「ウマイ!」などと調子を合わせて言っていたら、それが沁み込んでしまったのかもしれません。ネガティブでない、良いことばだと思うので、ジジババは満足しています。

その三つのことばの中で、彼が一番しっかり身につけ、発しているのが「バイバイっす」ということばです。1歳を過ぎた頃から、両親に「どうも」と言いながらお辞儀をする動作を教えられ、それと併せて「バイバイ」という動作も教えられたようなのですが、「どうも」の方はお辞儀の所作だけを身につけ、「バイバイ」の方は両手を振る所作だけではなく一緒に声を発することも身につけてしまったようなのでした。

自転車の前かごに乗せて、市中を見回る時には、犬を連れた散歩の人を見かけると「バイバイっす」と手を振り、買い物などをする時でも、レジの人に「バイバイっす」とやるので、皆さんちょっと驚いたあとで笑顔を見せて下さいます。それが嬉しくて、出会いの度に「バイバイっす」となるようです。

それらの所作を見ていて気づいたのは、彼にとっての出会いはすなわち別れなのだということでした。「サヨナラだけが人生だ」ということばがあります。いろいろな人がこのことばを言っていますが、その中では何といっても井伏鱒二の于武陵の「勧酒」の妙訳でしょう。

この盃を受けてくれ 

どうぞなみなみ注がしておくれ 

花に嵐の例えもあるぞ 

「さよなら」だけが人生だ」

(本来はカタカナ表記)

この詩は酒のみの一場面に人生の有り様を見事に詩い込んだものですが、我が孫の「バイバイっす」の出会いの所作は、何かこの詩に通うものがあるように思ったのでした。

1歳半ばを過ぎたばかりで、早や、出会いが別れの始まりであることを悟ってしまっているということなのかもしれません。ま、これはかなりオーバーな捉え方になるのでしょうが、恐らく我が孫だけでなく、どこの児もこれくらいの時期には皆同じような所作をするのでしょうから、してみると人間というのは誰でも生まれて間もなく「さよならだけが人生だ」を無意識に悟っているということになるのかもしれません。

バカジジはそのようなことを考えながら今日もいそいそと市中見回りに出かけたのでした。それにしても「バイバイ」の後に「っす」と付けるのはどういうことなのか?不思議です。「オッす」という体育系の挨拶の先取りならば、これはもう体育系に間違いないのか?などと、孫の将来に思いを巡らしたりしています。何はともあれ、元気に逞しく育ってほしいものです。

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嵐の女の登場

2015-10-03 04:05:01 | 宵宵妄話

スーパームーンに騒いだのもあっという間のできごとで、今度は爆弾低気圧とかで、台風を凌ぐほどの猛烈な風な吹き、各地で新たな被害を巻き起こしています。我が家でも一応は手当てを施しておいたはずの皇帝ダリアの3本の内の一本が根元から折れてしまい、どうにか助かった2本も風に揉まれて瀕死の状態となってしまっていました。昨年は2本とも強風にやられて折れてしまい、花を観ることが出来なかったので、今年は何としても倒れさせてはならないと思っていたのに、危うくセーフといった感じの朝を迎えたのでした。このところの大自然の暴意は、先の大雨と言い、人間の甘い予想をあざ笑うかの如くです。

そのような出来事の中で、9月の10日には嬉しくも二人目の内孫が誕生し、その後退院して嫁御の実家で母子ともに静養していたのですが、昨日我が家の1階に戻ってきました。一緒に帰って来た1歳半になった上の児は、早速専用の自転車に乗せて、しばらくご無沙汰していた空白を埋めるべく、1時間ほど付近を一回りしたのでした。

昨日は戻って来たばかりでドタバタしていたので、孫娘の顔をじっくりと見る時間も無かったのですが、時々階下から今までとは違う、少し甲高い泣き声が聞こえて来て、ああ、これで倅夫婦の家族も一回り大きくなったのだなというのを実感したのでした。

孫娘はこれで3人となりました。内孫と外孫を差別する気持など更々ありませんが、滅多に会えない外孫に比べれば身近にいる内孫に関心がゆくのは、これはもう仕方のないことです。それでも差別と受け止められることのないように、あまり舞い上がらないように気をつけなければいけない、という家内の警鐘もありました。ジジババというのは、結構自制を求められる存在なのだなと思ったりしています。

さて、その新しい孫娘なのですが、先日の大雨の中での誕生と言い、昨日の朝の大風の日の帰宅といい、これはもう嵐の女の登場だなと思いました。定めし明治・大正辺りなら、嵐子とでも名付けるのかもしれません。でも女の子なので、読み替えて藍子か蘭子と書くようにするのかもしれません。勿論息子夫婦はそんな名前を付けるはずもなく、もっと今様の名前を付けています。プライバシーの姦しい時代ですので、ここでその名を披露することはいたしません。

思えば、これからの世の中は、まさに嵐の吹き荒(すさ)ぶかのような、予想を超える変化の大きな時代を迎えることになることでしょう。その最大のものは、人間が手に入れた新たな知識や技術やツールなどが、それをどう使うのが人間の生き方に本当に有用なのか、その解を見出せないまま、振り回されて生きてゆく、そのような時代を迎えるということでありましょう。今の情報化の時代の人の生きざまの有り様を「携帯を持った猿」と評した方がおられましたが、今の世の中は手に入れた情報過多のツールを、どう扱っていいのか考える間もなく、はみ出した情報に振り回される(或いは振り回す)人の如何に多いことか。その種の犯罪は止まることを知らずに膨れ上がり続けている感じがします。

人間が猿と違うのは、人間社会は猿たちの掟などをはるかに超えた倫理を持っているということだと思いますが、今の世は行き過ぎたツールが倫理を忘れさせ、置き去りにしているかの如き様相を呈しています。倫理を忘れた人間社会は、平和も平等も博愛も安全も安心も存在しない、只の弱肉強食の禽獣の世界になり下がってしまいます。今の世に起こっている様々な事件の根底には、このような嵐の種が潜んでいる感じがしてなりません。

大自然の嵐の中に誕生した孫娘には、これらの雨風を凌ぐ力が備わっているに違いないと思っています。これからその力をしっかりと育て鍛えて、逞しく大きく成長して欲しいと願っています。目元の涼しい黒髪の豊かな赤ん坊が、これからの人間社会を見舞うであろう嵐の中をどう生きて行ってくれるのか、楽しみです。ジジババが、あとどれくらい傍にいることができるのか、見当もつきませんが、生きている間は見守り続けたいと思います。

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