さる7日から10日まで秩父から富士山麓の緑の世界を楽しもうかと、小さな旅をしてきました。所属するTACOSキャンパーズクラブの50回記念キャンプに参加するのが目的でしたが、富士山麓の本栖湖での開催でしたので、ただ往復するばかりでは勿体ないと考え、少し欲張って遠回りして途中や付近を訪ねることにしたのでした。主な行程は次の通りです。
<第1日>
自宅 →(県道・R16)→ 川越市:重要伝統的建造物群保存地区:商家町(埼玉県川越市)→(R254・R140・県道)→ 道の駅:龍勢会館(秩父市)→(県道)→ 道の駅:両神温泉薬師の湯(埼玉県小鹿野町)(泊)
<第2日>
道の駅:両神温泉薬師の湯 →(県道・R140)→ 道の駅:みとみ(山梨県山梨市) →(R140)→ 道の駅:花かげの郷牧丘(山梨県山梨市) →(R140)→ 道の駅:とよとみ(山梨県中央市) →(R140・R52)→ 道の駅:とみざわ(山梨県南部町) →(R52・R300)→ 下部温泉会館(山梨県身延町) →(R300)→ 道の駅:富士川ふるさと工芸館(山梨県身延町)(泊)
<第3日>
富士川ふるさと工芸館 →(R300)→ 本栖湖青少年スポーツセンター:TACOSキャンパーズクラブ50回記念大会(富士河口湖町)(泊)
<第4日>
本栖湖青少年スポーツセンター →(R300・R139)→ 道の駅:なるさわ(山梨県鳴沢村) →(R139)→ 河口湖IC →(中央道)→ 談合坂SA →(中央道・首都高・常磐道)→ 谷和原IC →(R294)→ 自宅
4日の日程でしたが、最終日は移動だけでしたので、旅としての中身は3日に過ぎません。存分に緑の世界を楽しんだ旅でしたが、その中から感じたことなどを幾つか拾ってみたいと思います。それらを何回かに分けて紹介したいと思います。
先ず初日ですが、今回は秩父経由で雁坂道を甲府側に抜けて、富士川沿いに身延山辺りまで行ってから本栖湖のキャンプに参加することにしました。秩父を通るコースではいつも飯能市を経由することが多いのですが、今回は秩父まではなるべく平らな道を行こうと考え、久しぶりに川越に寄って商家町の町並みを覗いて行くことにしました。川越からは寄居町経由で秩父に向かい、小鹿野町となった両神村の道の駅:両神温泉薬師の湯に泊ることにしました。
この日思ったことなどを二つほど書きます。その一は川越訪問のことです。川越にはその昔小平市や東村山市などに住んでいたこともあって、何度かお邪魔しているのですが、守谷市に越してからはずっとご無沙汰していました。今回の九州行で各地の重要伝統的建造物群保存地区を訪ねたこともあって、埼玉県唯一の川越のこのエリアを改めて見直してみようという気持ちになり、立ち寄ったのでした。守谷に越していつの間にか8年目を迎えており、この間に川越の街の様子をすっかり忘れ果てており、行ってみると駐車場の場所はおぼろとなっており、どこに車を留めて良いのやら見当もつかない有様でした。30分ほど街の中をうろつく内にようやく駐車場を探し当てて、見つからなかったらパスしてしまうところを辛うじて抑えることができたのでした。しかし、毎度の感想ですが、道を間違うとか迷うというのは実に偉大なる学習法であって、目的が叶った後からは迷いの正体が解きほぐれて、川越市街の凡そのあり様が把握できるようになるのですから、不思議なことです。
少し離れた駐車場に車を置いて、15分ほど歩くと目的の商家町の通りに出ることが出来ました。途中城跡や喜多院などがあるのですが、今回は時間の関係もあって、そちらの方に寄るのを止めることにしました。川越の商家町と言えば、小江戸などと言われますが、私の中のイメージとしては駄菓子屋さんの一角が直ぐに思い浮かばれます。そのようなこともあって、先ずはその駄菓子屋さんの横町からの探訪開始でした。
駄菓子屋さん街は昔と少しも変わってはいないようで、遠足に来たらしい中学1年生と思しき子どもたちが、黒棒という1mほどもあろうかと思われる麩菓子のようなものを抱えて、あちらにもこちらにもと動き回っているのが目立ちました。まだ小学生のくらしが抜け切れてない様子が良く判り、まあ、駄菓子屋さんには良く似合う風景でした。
川越商家町の菓子屋横丁の景観。子どもたちにも人気があるけど、今頃はずっと昔子どもだった人たちの方がより多く訪れる場所となっているようだ。
その後は商家町の表通りを往復して散策しましたが、途中から家内が行方不明となったのは毎度のことであります。川越の商家町は、九州の福岡県うきは市の筑後吉井商家町や同じく八女市の福島商家町などと比べてスケールはむしろ小さい感じなのですが、町並みに人が溢れている様子は、東京という巨大都市の人々が集う場所として、真に恵まれているなと思いました。本物の小江戸を実感できる住宅などはそれほど多くないのに、平日のこの人混みは何だか変だなと思うほどでした。都会にくらす人々が、一時の昔を懐かしんで寄り集まって来るのだと思います。本当は筑後吉井や八女福島町の方が遥かに昔を偲ばせる家屋などが多いのに、そちらの方には人は殆ど見かけられず、何だか不公平な感じがします。これは、ま、仕方のないことなのですが。大都市近郊の小江戸に暮らす人たちは、自分たちが大へんに恵まれているという自覚がもっともっと大切ではないかと感じました。
重要伝統的建造物群保存地区:川越商家町の景観。中央に見えるのはこの町のシンボルともなっている時の鐘。商家町並みはこの左手側がメインとなっている。
買い物などには興味がないものですから、一通り歩き終わるとたちまち退屈となるのですが、家内の方はいろいろ思いがあるらしく、1時間半では到底満足できる散策ではなかったようでした。改めて1日ぐらいかけて見て回りたいなどとのたまわっていました。やや中途半端な小江戸探訪となりましたが、久しぶりにお邪魔して忘れ物を思い出した感じがしました。
その二は豆腐の話です。川越の後は寄居町を経由して秩父の方に向かったのですが、次なる目的は秩父市の旧吉田町にある道の駅:龍勢会館にて販売されている七平衛豆腐を手に入れることでした。豆腐については何度も言い触らしていますが、私の好みは固い木綿豆腐なのです。関東にはそのような豆腐が少なく、先日の九州の熊本県五木村では大感激で超一流の固豆腐を味わったのですが、秩父のこの豆腐は固さはそれに遠く及ばないとしても、関東の中ではトップクラスではないかと思いこんでいます。道の駅に着くのが遅くなると、売切れたりしてしまうのではないかと少しやきもきしたのですが、16時半頃の到着でしたので、先ずはセーフでした。豆腐も在庫があったのでホッとした次第です。1袋に大型なのが2丁入ったのを2つ買いました。本当はもっと欲しいのですが、3日以内に食べることと注意書きがあり、食べ過ぎにも問題がありますので、我慢したというところです。
七平衛豆腐は秩父の清水を使って作られるせいなのか、身がきゅっと締まっていて、五木村や五箇山のものほど固くはないのですが、歯触りは抜群なのです。又味の方も大豆の香りがほのかに口の中に広がって、酒呑みには何だか安心できる気分となるのです。子どもの頃味わった村の手造り豆腐の味につながるものがあるからです。秩父という所は大へんな山奥ですが、その昔は気骨のある人たちの住む所でもあったといえます。旧吉田町辺りが秩父事件の中心地だったようですから、彼の人たちのパワーを支えた源にはこの豆腐が深くかかわっていたのではないか、などとつい思ってしまうのです。この植物性タンパク質の溢れた優れた食べ物は、ことを為そうとする者には不可欠の活力源だったに違いありません。そのようなことを思いながらその後の二日間豆腐の刺身(=冷や奴)を楽しみ味わったのでした。